『革命の終わりに捧げる花』 ... ジャンル:時代・歴史 ファンタジー
作者:甘木                

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 一七八九年七月一四日。バスティーユ牢獄の襲撃で始まったフランス革命は、ルイ一六世を頂点とした王制を破壊し、建前上は民衆主導による共和制政治を打ち立てた。しかし、外からは王制否定を危険視した諸外国の干渉、内ではジロンド派とジャコバン派の政争などを抱え、情勢は極めて不安定なものであった。
 その政争の中で台頭してきたのは、ジャコバン派のマクシミリアン・ロベスピエールだった。彼は極端とも言える理想主義を掲げ、その理想に向かって強引に政権を推し進めた。敵対するものは失脚させ、時には『Bois de Justice(正義の柱=すなわち、ギロチン)』に送って処刑すら行う恐怖政治を実行した。
 しかし、急激な左翼化は民衆の反感を買い……一七九四年七月(テルミドール)、クーデターによりロベスピエール一党は逮捕され、革命広場(現・コンコルド広場)で正義の柱によって処刑された。フランス革命はこれにより終焉を迎えることになったのである。


 *  *  *


 ───死ね!
 ───民衆の敵!
 ───ロベスピエールの手先なんて、さっさと殺してしまえ!
 拳を振り上げる痩せた男、顔を紅潮させ叫ぶ老人、歓喜の涙を浮かべ罵る女性。コンコルド広場を埋めた人々の怨嗟の声が革命広場に木霊して、
 とぉぉぉぉくおぉぉん
 と呪詛の響きになってテルミドールの青空に吸いこまれていく。
 何千人の声だろう。
 フランス国内にある憎悪がすべてここに集まっているようだ。
 なぜ、彼等は私たちを罵るのだろう?
 なぜ、彼等は私たちを嫌うのだろう?
 なぜ、彼等は私たちを憎むのだろう?
 ───おまえらの親玉、ロベスピエールは死んだぞ!
 ───ロベスピエールの狗!
 ───殺せ!
 すべての言葉が憎しみに彩られ、真っ赤な空気を伴って膨らむ、
 ───殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
 テルミドールの空が憎悪を吸って紫色に変色するぐらいに。


 私たちが何をしたと言うんだ。フランスが素晴らしい国に生まれ変われるよう、ロベスピエール先生と共に働いただけだろう。
 ロベスピエール先生の掲げた理想はすべて民衆のためにあるというのに、なぜ彼等はロベスピエール先生を憎み、ロベスピエール先生の死を喜ぶんだ?
 圧政を敷いてきた王制を打ち倒し、民衆による共和制を打ち立て、ブルジョワ主義のジロンド派を処刑したのだって、すべては虐げられた民衆のためだったのだ。
 どうしてそれを分かろうとはしない……。
 ロベスピエール先生が権力を貪ったか?
 否!
 ロベスピエール先生は国民公会の議員になっても、富を集めるわけでなく清貧に甘んじ、生活のすべてを民衆の幸福に捧げてきたというのに。
 なのに彼等はロベスピエール先生を殺した。昨日、この革命広場で正義の柱にかけたのだ。揺るぎない正義を、何万人もの民衆を救う理想を、このフランスを地上の王国にする夢を、平等の世界の機会を、正義の柱で断罪してしまった。昨日、このフランスから正義が消えたのだ。正義の柱によって……。
 そして今日。私は後ろ手に縛られ、六九人の仲間と共に晒し台の硬い椅子に座らされている。
 革命の敵、革命の裏切り者、大悪人ロベスピエールの走狗として。

「静まりたまえ!」
 壇上から野太い声が響く。そこにはロベスピエール先生に処刑を伝えた革命裁判所検察官のフーキエ・タンヴィルの姿があった。自分が劇の主役でもあるかのように高々と右腕を上げる。人々の視線がタンヴィルの動きに合わせ大きく動く。
「これより、」
 タンヴィルが腕をゆっくりと下げると革命広場に一瞬の静寂が訪れた。
「革命裁判所により刑を執行する」
 タンヴィルは大袈裟な仕草で正義の柱を指差し、民衆の反応を楽しむようにじっとしている。広場を埋めた人々から地を揺らすような声があがる。そこには憎悪ではなく歓喜の響きが籠もっていた。
 人々の歓喜がうねりとなって空に舞い上がること三度。タンヴィルは再び腕を上げる。人々はその動きに釘付けになる。タンヴィルは小さく頷き、私たちが列ぶ晒し台に向き直った。
「革命裁判所は公正な法の裁きにより、反逆者ロベスピエールに荷担したもの七〇人に対し死刑を命ずる」
 タンヴィルは大きな紙を広げ、覗きこむようにして背を丸める。そこには私たちの名前が書き付けられているのだろう。
 私の名前は何番目にあるのだ。私は何番目に殺されるんだ。
 紙から顔を上げたタンヴィルは、私たち一人ひとりを品定めするように見回す。
 うっぐぅん。横に座っているフランソワ・エギエットが大きく喉を鳴らした。
「では、元公安委員会委員マキシミリアン・カリエ。国家反逆罪により死刑を命ずる。前に出たまえ……」
 刑が始まった。


 たぁん!
 たぁん!
 ひとつの音が鳴るたびに歓声が上がり、私と共に列んでいた仲間がいなくなる。主を失った椅子の数は三〇。ぽっかり、ぽっかりと隙間を開けて私たちの死に近づいてくる。私は無人の椅子が増えていくのを、縛られた手を握りしめただ見ているしかない。
 怖い。何もできず死を待つのが怖い───タンヴィルの視線が怖ろしい。タンヴィルの視線が向けられると、胃袋がせり上がってくるような冷たさが全身を包む。気が狂いそうだ。いっそうのこと舌をかみ切った方がマシじゃないかとさえ思えてくる。
 タンヴィルの口がエギエットの名前を呼び上げる。
 よかった。私じゃなかった。
 と、同時に生の苦しさが───死にたくない、死にたくない、死にたくない───頭の奥が焼かれるような生への願望が頭蓋のなかで脈打つ。
 吐き気がする。胃も腸も肺も心臓もすべて吐き出してしまいたい。
 早く楽にしてくれ───早く。
 早く私の名前を呼んでくれ!
 でも、名前を呼ばないでくれ!
 待つのが怖ろしい。自分の運命を他人に委ねてじっとすることは、千の釘を身体に打ちこまれるよりも痛い。後ろ手に縛られた腕を捻ってみても何も感じない。ただ全身の毛穴という毛穴から、死が忍びこんでくるような冷たい痛みしか感じられない。この痛みは後どれだけ続くんだ……。
 たぁん!

「○○○○○○○! 前に出たまえ」
 私の名前だ……やっと呼んでくれた。
 死への呼び出しなのに、不思議なことに安堵感が沸いてくる。
 なぜだ? これから首をはねられるのに───なのに、安堵感が鼻を抜け涙がわき出しそうになる。なぜだ?
 私は涙が零れないよう大きく息を吸って立ち上がった。
 もう私にできることなどない。せいぜいが、この足が震えぬよう歯を食いしばるぐらいだ。エギエットのように途中で腰が砕けて引きずられていったり、オノーレ・デュシュエーヌのように小便を漏らすようなマネだけはしたくない。最期だからこそ胸を張っていたい。
 そうとも、胸を張る資格はあるはず。私たちはロベスピエール先生に従ったのだから。
 ロベスピエール先生は正しかったのだ。私たちはそれを信じて先生について行った。ロベスピエール先生と共に革命に奔走したことを後悔もしていないし、恥ずべき行為はなにひとつしてこなかった自信もある。今さら命乞いや臆病な行為を見せればロベスピエール先生を汚すことになってしまう。それだけは嫌だ!
「おまえの番だ。ぐずぐずするな」
 革命裁判所の係員が私の背中を軽く押す。
「わかってるよ」
 精いっぱい胸を張って堂々と歩こうとしたのだが、一歩踏み出した途端、膝が震えて身体が右にぶれよろめいてしまった。
「逃げはしないから、せめて腕を自由にしてくれないか。歩く辛くてしょうがない」
 私は恥ずかしさを誤魔化すため係員に向かって、後ろで縛られた腕をこれ見よがしに突き出してみせる。
「しばらくの辛抱だ。正義の柱がすぐになんにも感じなくしてくれるから我慢しろ」
「あれが正義の柱? 冗談言うな。正義を断罪するのが正義の柱なわけないだろう」
「おや、あれを正義の柱と名付けたのはおまえたちだろう」
 係員は正義の柱が鎮座した処刑台を見上げ、口の端を歪ませて嫌味のように言う。
「いいや。あれは昨日から正義を断罪する不正の柱に名前が変わったんだ」
「反逆者風情がなにを言う」
「私たちは反逆者などではない。今は無理かもしれないが、きっと歴史がそれを証明してくれる」
「ああ、そうかい。だったらこの俺様が爺さんになった時、おまえさんが眠る墓の前でその歴史とやらを読んでやるよ。何十年経とうがロベスピエールは大悪人だったという歴史をな。せいぜい楽しみにしてな、はははは」
 私は嘲笑う係員を無視して処刑台へと向かう。
 笑いたければ笑うが良いさ。おまえら理想持たぬ者には分からないだろうが、歴史がロベスピエール先生の正しさを認めてくれるはず、きっと。
 だからもう怖ろしくない。
 なのに───
 処刑台の階段は高く、急峻で、生臭かった。どれだけの人間の血を吸ったのか、板目はどす黒く変色している。この階段の先には死しかないのを、否が応でも理解させられる臭いと色───膝から力が抜けていく。どれだけ噛みしめていても奥歯が震え『ぐくぃ、ぐくぃ』と無様な音を奏でる。いま、怖くないと決めたつもりなのに───階段への一歩が踏み出せない。
「おい、さっきの威勢はどうした。怖くなって足が動かないか。なんだったら俺様が抱きかかえて連れて行ってやろうか」
 革命広場を埋める人々に向け、係員はこれ見よがしに大きな声を上げる。目が『いいザマだな。民衆はおまえが大小便を漏らして命乞いをするのを待ってるぞ。さあ、おまえさんの糞尿ショウを見せてやりな』と笑っている。
「余計なお世話だ」
 くそっ! くそっ! 動け足!
 力強く階段を上れよ……頼むから。
 昨日、フランソワ・アンリオは泥酔したまま首をはねられたそうだ。私も泥酔してなにも分からないまま死ねたらどれだけ楽だろう。
 アンリオ、あんたは無能だったけど、運だけは良かったんだな。
 ちくしょう、なんで私は素面なんだ。
 ───ぐずぐずするな! さっさと死ね!
 ───ロベスピエールは、もっと堂々としていたぞ!
 ───反逆者だったけれど胸を張って見事に死んだぞ!
 そうだ。ロベスピエール先生は御自分の信念を貫き通したんだ。私だってロベスピエール先生の信念を信じている。この信念を失うことより、死が怖ろしいわけないだろう! 死ぬだけじゃないか、信念まで奪われるわけじゃない。
「ははは、それだけじゃないか」
「恐怖で狂いやがったな」
 刑場でおかしくなる人間が多いのか、係員は驚いたふうもなくつぶやく。
「狂ったのはフランスの方さ。ロベスピエール先生のいないフランスなんて生きている意味なんてない。こっちから退場させて貰うよ。さっさと、な!」
 私は係員の足を思い切り踏みつけ、階段に足を載せた。後ろから口汚い罵声が聞こえたが、処刑台の階段より上は私と死刑執行人だけの世界だ。私を引きずり下ろすこともあるまい。いや、ヤツにはこの血塗られた階段を上がる勇気なんてないだろう。


 処刑台の上がこんなにも見晴らしが良くって、不思議な光景が広がっているとは知らなかった。
 空がどこまでも高くて、氷のように澄んで硬質的に蒼く広がっている。なのに革命広場を埋め尽くす人々は不思議と色がなく、まるで灰色の絨毯のように見える。ここから見える世界が蒼と灰色の二色しかないとは思わなかった。
 おまけに───音がなかった。
 灰色の人々が口を大きく開き、私に対する罵詈雑言を叫んでいるはずなのに一切聞こえない。ただ、『いぃぃぃぃぃぃん』と、音とも振動とも言えないものが大気を揺らしている。
 美しい。静寂と蒼はこの世のものとは思えない美を創りだしている。ここは神の国に近い場所なのかもしれない。ロベスピエール先生もこの光景を見られただろうか。この美しい神の光景を。
 私はこの光景を目に焼きつけるべく、ゆっくりと首を動かした。蒼、灰色、蒼、蒼、灰色……二色の世界にたった一つ別の色があった。広場のずっと奥、灰色が途切れる場所に鮮やかな黄色が。ぽっんと咲いた花のように。
 なんだろう? 目を凝らしてみると、金髪の少女が真っ直ぐ私を見ている。
 みすぼらしい衣装に日焼けした肌。どう見ても田舎娘。あんな田舎娘は私の知り合いにはいない。処刑される人間の娘なのか。私に同情してくれているのだろうか。それとも、私の気の迷いが見せる幻覚なのか。誰だか知らないけれど、彼女だけは憎悪の表情を浮かべていない。ただ、悲しみを抑えるように唇を噛みしめているように見える。
 私たちに罵声を浴びせに来たのではないのか?
 私たちの処刑を楽しみに来たのではないのか?
 どうしてあんな表情をしているのだろう?
 私の視線に気づいたのか、彼女は慌てて俯いてしまう。
 そのとき彼女の金髪が陽光に揺れ───向日葵のようだな。なんとなく向日葵を思い出してしまった。
 そう言えば、この五年というもの花なんて気にしたことなかったな。最後に見た花はなんだったけ? 故郷にいた頃、妹のテレジアが大切に育てていた向日葵だったかもしれない。家か……懐かしいな。
 テレジアにいい人はできたろうか?
 雨漏りがひどいって母さんが手紙に書いてきたけど、屋根はちゃんと直したろうか?
 父さんは畑を広げたいと言ってたけど、広げたられたかな?
 あと僅かの命なのに、こんなことを思い出すなんて。人間というものはおかしい生き物だよ。でも心が軽くなったような気がする。これも彼女のおかげだな。
 私は俯いたままの彼女に向かって心の中で『ありがとう』と感謝した。
「さあ、いいかね」
 死刑執行人の穏やかな声。
「ああ、すまなかった。じゃあ、さっさと済ませてしまおう」
 死刑執行人に促されるまま、私は首を枷に差しだす。
「苦しみはない。すぐに終わる」
「ああ」
 首が正義の柱に固定されても、私は真正面に立つ彼女から目を離さないでいた。
 カッ! 滑車の乾いた音。
 私の首筋にひやりとした重みがのしかかった瞬間、俯いていた彼女は顔を上げ小さく口を動かした。声を出さずゆっくりと、
 ───尊敬します。あなたがたは素晴らしかった。
 確かにそう言った。
 私が見た最期の世界。
 テルミドールの陽光に照らされた向日葵の花。


 向日葵の花言葉 『崇拝、敬慕、あなたは素晴らしい』


 終わり

2005/10/10(Mon)01:20:13 公開 / 甘木
■この作品の著作権は甘木さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お久しぶりでございます。
歴史物の分類にしましたが、実は大層な物ではなく、反逆者として処刑される人間のわずかな時間を書いた作品です。テルミドールの反動でロベスピエールたちが処刑された翌日の話ですが、手元の史料じゃ翌日処刑された人数は分かっても名前まで分からなかったので人物名は私の創作です。
また、ファンタジーとしていますが、正確にはファンタジーではなく小幻想というところでしょうか。こんなのは似非ファンタジーだと言われたら、返す言葉はありませんが……。
このような妙な作品ですが、読んでいただけたら感謝に堪えません。また、皆様の声(罵詈雑言でもかまいません)をいただけたら幸いです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。