『『シロ』』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ゆうき                

     あらすじ・作品紹介
亡くなった大切な『家族』を想う回想話です。

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 なぁ、シロ……。お前の美しく白い毛並みが見れなくなってもう五年も経つんだなぁ。
 歩いてきた道のりを振り返って、初めて『時間』というものの残酷さを知ったよ。
 お前が家にいたという痕跡は少しずつ消えていくし、いっしょに悲しんでくれた隣の人だって、すっかり忘れてしまっている。
 本当につらいことだ。
 でも、お前といっしょに過ごした十年は、ちゃんと私の心に色褪せずに残っているよ。
 妻の加奈だってそうだし、息子の雄一だってそうだ。お前は私たちの心の中で今でも元気に走り回っている。
 その白い毛並みを風に靡かせながら……。
 なぁ、シロ……。お前は私たちにとって白い『光』だったんだね。
 お前という『光』がいなかったら、こんなに笑えることもなかったと思う。
 いつも道に迷ってばかりの私たちに行くべき道を教えてくれたお前に、心から礼を言いたいよ。
 本当に……ありがとう。





 初めてお前と出会ったのは、十五年も前のことだったね。
 あの日、引っ越ししたばかりの私たちは初めて来た街を探索しようと地図を持たずに出掛けたのだった。
 雄一はまだ生まれていなかったね。そう思うと何故だか不思議な気持ちがするけど。
 いつも加奈の手を引いていたのが、お前か雄一だったからかな?
 加奈は生まれつき目が見えなかったから、外を出歩く時は誰かの援助が必要だった。
 お前が家に来てからは、加奈の援助は任せっぱなしだったけど、この頃は私がちゃんと手伝っていたのだぞ。
 これでも、加奈にエスコートの良さで百点満点をもらったこともあるのだからな。
 まぁ、何度かは加奈を気にしすぎて、私自身が電柱に激突することもあったが。
 それで、街の探索に出たのはよかったが、五分と経たないうちに迷子になってしまった。
 初めて来た街の探検は、少々方向音痴な(決して凄まじいわけではないぞ)私には、厳しすぎたようだ。
 知り合いなどもちろん一人もいなかったし、何よりそこには人っ子一人、誰の姿も見えなかった。
 まるで街の人々が共謀して、私たちを迷子にさせているようだったよ。
 このことを加奈に言ったら、顔をくしゃくしゃにして笑われてしまったが。とにかく、私は途方に暮れた。
 加奈は盲目だからもちろん判らないし(何度も来た所なら判るらしいけど)、道を尋ねようにも一人もいないときている。
 さすがに家の呼び鈴を鳴らしてまで訊くのは躊躇われた。
 もしかしたら永遠に家に帰れないかもしれない。私が真面目にそう加奈に言うと、
「それも楽しいかもね。引っ越ししたばかりの夫婦、町内で遭難ってね」とどこか楽しげに返された。
 私はこののほほんとした加奈の様子に、えらく感動したことを覚えているよ。
 目が見えないことをおくびにも出さず、毎日を生き生きと過ごしている加奈の態度にね。
 思わず両手を合わせて拝んでしまったのはここだけの話だ。
 そして私がそんな加奈を尊敬の眼差しで見つめていたその時、不意に背後から「クーン」という声が聞こえた。
 それと同時に、軽くズボンの裾を引っ張られた。思わずむかっときた。
 お祈りの時間を邪魔するのは誰だと私が目を足元にやった時、そこには一匹の小さな白い犬がいた。
 野良犬っぽいのに、白い毛並みには汚れ一つなく、まるで生まれてきたばかりの赤ちゃんのようだった。
 そうお前だよ、シロ。
 お前は黒く潤んだ瞳を直向きに私と加奈に向けていた。何かを訴えているようだった。
 私は目を丸くして、思わずお前を抱き上げた。何故抱き上げたのかは今でも判らない。
 ただ、お互いの波長がピッタリと合ったのは覚えている。それは、初めて加奈に会った時の衝撃と似ていた。
 加奈は私が急に黙り込んだのを変だと思ったのだろう。「どうしたの?」と心配そうに声をかけてきた。
 私は子犬がいたんだと言って、そっと彼女の腕にお前を預けた。
 加奈は腕の中のお前を見えない目でじっと見つめていた。お前も吼えることなく、その瞳を見つめ返していた。
 加奈の目は事情を知らない人から見れば、普通の人とあまり変わらない。ただ、焦点はあまり合わないけど。
 だがその時の加奈の瞳は、焦点を合わせている様だった。彼女もまた同じ波長を感じ取ったのかもしれない。
 加奈はにこりと微笑むと、お前を優しく抱きしめた。お前は静かにその身を委ねている。
 まるで赤ちゃんを抱く母親のようだなぁと思って、胸がズキッと痛んだ。
 加奈は一ヶ月前、初めてできた子どもを流産していた。
 実を言うと、引っ越しをしたのも生まれてくる子どものためということだったのだ。
 加奈も自分が子犬――お前に、生まれてくるはずだった子どもを投影していることに気づいたのだろう。
 泣き笑いのような表情を浮かべていた。
 私はいたたまれない気持ちになって、つい目線を逸らしながら、さてどうやって帰ろうかと誤魔化すように大きな声で言った。
 直視できない自分が腹立たしかった。夫という彼女を支える立場にありながら、支えられない自分に。
 不意に、お前がピクリと耳を動かした。私はビックリしてお前を見つめたよ。
 私が言った言葉を理解したという様だったからね。しかも、事実そうだった。
 お前は加奈の腕から華麗に飛び降りると、私たちに「付いてきて」と言うように、その白い尻尾を振った。
 決して命令的な感じではなく、子どもが無邪気に呼びかけているように。私は盲目の加奈のために、お前の様子を話した。
 どうすると問うまでもなく、彼女はあどけない表情で「付いていってみましょう」と言った。
 きっとそう答えるだろうと思っていた私は加奈に頷きかけると、彼女の手を握ってお前の後を歩き出した。
 お前はちゃんと私たちが付いて来れているか心配するように何度も振り返りながら、歩を進めていたね。
 私たちは心からお前の配慮に敬服したよ。
 そして十分も歩いた頃だろうか、見覚えのある景色だなぁと思っていると、いつの間にか自宅に着いていた。
 もう驚きはしなかった。何となくそうなると判っていたのだ。
 加奈も微塵と驚いた様子はなく、むしろ嬉々としていた。「着いちゃったね」と私の肩に寄り添う。
 お前はドアの前でちょこんとお座りをしていた。私たちがありがとうと言うと、照れくさいと言うように首を傾げていたね。
 そして、この日からお前との生活が始まった。





 お前は私にとっても、盲目の加奈にとっても最高のパートナーだった。
 私が会社に行っている間は、彼女の身の周りの世話を進んでやってくれたね。
 最初の方こそ少しやんちゃを起こしていたりしたが、日が一刻と過ぎていくごとに盲導犬もビックリするほど成長していった。
 外で加奈が歩く時のリードの仕方や、物事を理解する能力には私たちも驚きを隠せなかったよ。
 こちらは特に何もしていないというのに、どんどん自分から吸収していっているのだから。
 まるで育ち盛りの子どものようだった。
 ある日加奈に「壁にぶつかるあなたよりもよっぽど安心して歩けるわ。あなただと、こっちまで前を心配しなくちゃいけないからね」と言われた時は、苦笑する他なかったよ。 
 堂々と胸を張って歩くお前は眩しいくらいかっこよかった。
 加奈が再びお腹に新たな生命を宿した時、お前はとても喜んでいたね。
 元から子どもを産むのが難しいと言われていた加奈の二度目の妊娠。私たちは手を取り合って、歓喜した。
 そしてお前は誰にも教えられていないというのに、加奈のお腹にそっと耳を寄せていたな。
 新しい兄弟の存在を確かめるように。
 鼓動を感じるたびに、くるくると白い尻尾を回転させて。
 お前には生命の息吹がどのように感じられたのだろう?
 加奈が「あなたの弟がいるのよ」と言うと、お前はくすぐったそうな笑顔をしていたね。
 やがて加奈は赤ちゃん――雄一を生んだ。
 十時間にも及ぶ難産で、元々丈夫ではない加奈はかなり衰弱していたが、母子共々無事ではあった。
 集中治療室のランプが切れて、二人の安全が判った時は、これでもかってくらい泣いたなぁ。
 もう立派な成年犬となっていたお前も、ぽろぽろと涙を零していた。
 それにしても、一人と一匹……いや、二人の泣きながら抱き合っている姿を見た、医師たちのポカンとした表情は傑作だったよ。
 きっと彼らもあそこまで呆然とした表情をしたのは、生まれて初めてじゃないのかな?
 まぁ犬が目を腫らして、鼻をグジュグジュにして喜んでいる様なんて、そうそう見れるものではないだろうけどね。
 加奈が初めて赤ちゃんを抱っこしたのは、それから三日経ってからだった。
 我々が思ったよりも、彼女は急激に体力を消耗していたのだ。
 このまま加奈が遠くに行ってしまうのではないかと、気が気でなかったよ。でも、彼女は目を覚ましてくれた。
 少しやつれてはいたが、概ね体調は回復はしたようだった。
 私が胸を撫で下ろしていると、加奈は開口一番、「私の子どもは? 目は大丈夫?」と慌てたように言ってきた。
 彼女の盲目は遺伝性のものではなく、子どもに移る可能性は皆無と言われていたのだが、やはり心配だったのだろう。
 私は大丈夫だよと声をかけると、加奈の腕に赤ちゃんを抱かせてあげた。
 お前はちょこんとお座りをしたまま、じっとこちらを見上げていた。きっとお前の瞳にも、目の前にいる天使の姿が映っていたのだろう。
 初めての我が子を両腕で抱いて、慈しむような表情をしている加奈は、まさに純白の天使そのものだった。
 お前と初めて会った時のように、彼女の瞳は本当は見えているのではないかと思うほど優しく、そして蒼いエーゲ海のようにどこまでも透き通っていた。






 お前は雄一にとって厳しい兄であり、優しい兄でもあった。目の見えぬ加奈に変わって、いろいろと世話をしてくれたね。
 雄一もお前のことを慕ってくれていて、決して危険を冒すような行動をしたりしなかった。
 そして、常に笑顔を絶やさない子どもだった。
 私と加奈の二人でお前たちの遊びまわるのを見ている時は、とても幸せだったよ。
 いつの間にか歩くことができるようになった雄一とお前が公園で追いかけっこをしている様子は、まるで本当の兄弟のようだったからね。
 ふとした時、お前の姿が八歳くらいの男の子に見えるくらいだったよ。私がそう言うと、加奈もそのように感じることがあると答えた。
 目の見えぬ加奈が言うのだから、私の感覚は間違っていないだろう。
 だがその後に、「あなた、お犬さんとも結婚していたの?」と言われた時は、さすがにむっとしたけどね。
 まったく、今も昔も加奈には勝てないよ。
 それからお前が突如雄一に、加奈が外を歩く時のリードの仕方を教えるようになったのは、彼が五歳になった頃だったかな。
 お前が私の家に来て十年の歳月が流れていたが、あそこまできつく指導するのは初めて見たよ。
 今にも噛み付きそうな勢いで、雄一に当たるのだから。
 今思えば、自分の寿命がすぐそこにまで来ているのに焦っていたのだろうということが判る。
 自分がいなくなったら、加奈が外で歩くのは私がいる時しかできなくなるし、身の周りのことも覚束なくなるのだから。
 だから、雄一を急いで自分の後継に仕立て上げようと、躍起になっていたのだろう。
 本当に自分のことよりも、他の人のことをいつでも考えていたのだな、お前は。
 しかし、当時の私と加奈はそんなこと判らなかったから、お前を叱りまくっていたね。
 どうして雄一にひどいことをする、あなたはお兄ちゃんでしょう、と。
 だが決まってそういう時は黙り込んでいるお前に代わって、雄一が助けに入った。
 何故やられる側の雄一がお前を庇うのかと私たちは理解できなかったが、きっと彼には お前の寿命が残り少ないということが判っていたのだろう。
 そしてお前がどうして厳しく自分に当たるのかも。
 お前と雄一の間には、兄弟以上の繋がりがあったからね。
……お前を亡くしてから初めて気がついたよ。
 雄一がお前に代わってしっかりと加奈の目の役割をできるようになった頃、お前は静かに息を引き取ったね。
 何も予兆のない、突然の別れ。まるで眠っているかのような死に顔だった。
 雄一の隣で冷たくなっているお前を見て、涙が止まらなかったよ。
 雄一はじっとお前を見つめたまま、お前の頭を優しく撫でていた。
「いままで、おつかれさま」、たどたどしい口調で雄一が告げる。
 いつの間にか加奈が私の腕に寄り添って、涙を流していた。






 本当にあっという間だったね。お前と過ごした時間は。
 色鮮やかで、とても暖かい日々だったよ。
 あの日、迷子になっていた私たちを助けてくれた時から。
 実を言うとね、私と加奈は、お前はあの流産した子どもの生まれ変わりだったのではないか、て思っていたのだよ。
 お前は明らかに普通の犬と違っていたし、時折見せる仕草は人間そのものだったからな。
 だけど、今ではそんなことはどうだっていいんだ。
 お前は確かに存在して、シロという名前で、雄一にとって最高の兄で、私たちにとって大切な子どもだった。
 これで、いいのだと思う。
 なぁ、シロ……。きっとさ、あと五十年もしたらそっちに行くから、その時は道案内を頼むよ。
 あの日のように、私たちが行くべき場所へと導いてほしい。
 それじゃあ、シロ。首を長くして待っていてくれよ。雄一の成長ぶりしっかりと話してあげるからね。
 おっと、もしかしたらお前もそっちで結婚してるかもしれないな。
 もしその時はちゃんと紹介してくれよ。親として、嫁さんの顔は見ておきたいからな。
 じゃあ、いつかまた会う日まで。
 バイバイ、シロ。







終わり

2005/09/21(Wed)23:07:21 公開 / ゆうき
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■作者からのメッセージ
約一ヶ月ぶりの投稿です。
初めて『語り』の形式にチャレンジしてみました。
それでは読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。

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