『ロザリオ』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:田中敦                

     あらすじ・作品紹介
神の存在、そのひとつの答えとしての小説。だけど、一人の少女の解放の話でもあります。遠藤のサーガのひとつです。

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 少女はひざまづき、壁にかかった磔のイエスに祈りを捧げていた。無駄な祈りを聞く気もなしに、両手を広げ十字架にぶら下がっているイエスは、ステンドガラスに照らされて曖昧な色の荘厳さを増す。
 広い教会の大きな祭壇。規則的に並ぶ無意味に灯った蝋燭に光を当てられた少女の背後で、こんな大きな設備はひんそな神には似合わないと遠藤は思った。後頭部に銃口を当てながら、
「助けを請うなら、相手は俺だろ?」
 と簡単な疑問を口にした。自分の目的を明かしたとき、少女は驚きもせず祈りを始めた。
「助けではありません。許しです」
 固い口調の答えだが、その声はあどけない。実質、彼女が着ている修道服も、コスプレに見えて仕方ない。笑ってしまうことに、この少女はテレサと言うらしい。もっとも、彼がもらった資料には本当の名前が書いてある。
「由利、だったな。自分が殺される理由を聞きたくないか? 俺にはそれを言う義務と、あんたにはそれを聞いてもいい権利があると思うんだが?」
 彼の日常は、人の命を消して生きること。何も難しい仕事ではない。誰かを殺してくれと誰かから依頼があり、それを達成するとお金が入る。クライアントは山ほどいる。どこにも所属していない、戸籍上はフリーターの、家出捜索願が忘れ去られる期間続いた男は、世間と関わりがない上で重宝されている。
「あなたは、私を殺しても、まだ足りないんですよね」
 震えた言葉は、聞き違いと思えるほど的外れな答えだった。
「足りる、足りないじゃない。これは仕事だ。仕事に足りるってあるか? 自分が生きるためにお金を稼ぐ手段が仕事だ。確かに人生に必要な金額が溜まったらやめるかもしれない。だけど、それは金銭的な問題で、仕事自体のことじゃあない。それとも、理由がある殺しで、俺がしなければいけないからこうしていると思うのか? 違う。金だ。お前の命がいくらか教えてやろうか?」
 資料で見た彼女の写真。いまどきの女の子。数年前のだが。実際の印象は、その写真から数年後の現在を見て、綺麗に育っている。素直に感じた。本来なら高校に行って楽しい生活を送っていたはずだろう。だが、何か硬い表情を維持しているのは、信じるものしかないからだろうか。
「人の命は平等です!」
 胸にかけたロザリオを握り締めて、天に届くように、届かせなくてはいけないように祈りの言葉を由利は叫んだ。
 そんなことはない。遠藤は確実に思った。この少女の容姿なら、その手の店で年に数百万は楽に稼げるだろう。一昨日殺した女は、数十万の借金のために死んだ。あの狡猾な依頼者だから、普段なら殺すはずがない。だが、稼ぐ才能がほんの僅かでも無かったため、見せしめと言う役にされた。
「あの世がそういうシステムならいいな」
 トリガーに手をかけた。瞬間少女が立ち上がり遠藤に向き直った。勢いでフードが取れて、由利の綺麗な長い髪に包まれた顔が遠藤を真正面に見据えた。
「昨日聞きました」
「何を?」
「未来を」
「頭、だいじょうぶか?」
 苦笑した。だが、それは間違いだと分かった。
「私はいてはいけない私生児。昨日父から聞きました。逃げろと言われました。おそらく、今まで何もできなかった罪滅ぼしだと思います。ここにいてはいけないと言われました」
 遠藤は顔をゆがませ歯軋りをした。クライアントは娘に逃げろと言った。だったらなぜ自分に殺せと命令したのか。
「俺を助けたつもりか?」
 狙いは自分だ。この少女もそれに気づいた。ここで死ぬ運命にあるのは自分だ。罠にはめられたと気付き遠藤は自分の迂闊さに愛想が尽きそうになる。それよりも、目の前の少女の甘さがしゃくに触った。
「神を、信じてみたかっただけです」
 ロザリオを握り締めた少女の真上には、けだるそうなキリストが瀕死の状態になっている。自分の持っている拳銃の方が圧倒的に力がある。
「あいつは、もうそんな力が無いって言ってるぜ」
 もう、神には力なんて残ってない。助けが必要な時に、見て見ぬふり。それが特技の瀕死の重傷を負ったシンボルだ。
背後で教会の荘厳な扉が開く。男が二人入ってくる。どこかで見た顔。どこかで嗅いだ匂い。おそらく同業者。二人とも内ポケットに手を入れた動作で機械的に歩く。そのまま遠藤に銃を向ける。
 彼はすっと横にずれて、死角になっていた由利をその二人に見せた。一瞬の躊躇。それは表情で分かった。だが、その瞬間には遠藤が放った銃弾が一人の頭を貫いていた。
 残った男の殺気がこちらに向く瞬間に、由利の腕を掴んで自分の盾にする。
 してはいけない躊躇。殺すだけの仕事と、面倒な仕事の差。由利の耳元でトリガーが引かれ、ダブルアクションにより薬莢が飛び出し、男は頭を撃ち抜かれる。最後まで二人揃った死に方で。
「あいつがいないから、世界はこんなになったのかな?」
 震える由利の手を離して、自嘲した。もし、神がいたら、俺に味方したと言うことになるが。つかまれた手を離されて、自分の恐怖で力が抜けた体を支えられなくなり、由利はその場にしゃがみこんで呆然と震えながら死体を凝視する。
 サイレンサーつきの銃がもたらした殺し合いは、余韻に浸るまでもないほどに静かだった。まだ、誰も気付かない。この場にいる人間以外は。
 この少女の生存権は自分に預けられた。最初の依頼をまっとうするのも馬鹿らしい。復讐でさえも。このまま立ち去り、海外でしばらくのんびりするのも悪くない。
「お前は殺さない。信じて正解なのかもな」
 荘厳な教会のちっぽけな死体を踏み越えて、この閉鎖的な空間から外へと向かう。雰囲気だけで、人は神を作っていたかのように、ここは人間が小さい。あいつに見下ろされるのも飽きた。扉に手をかけようとしたとき、後ろで物音。
 条件反射で銃を向ける。振り向く前から結果は分かっていた。
 怯えながら銃を突きつける由利がいる。十メートル以上離れている。素人が当てられる確率はじゃんけんと同じ。
「なぜ、銃を向ける?」
 分かりきった質問。
「…………あなたは、罪を犯した」
 苦悩している答え。
 自分も同じ罪を犯そうとしていることに気付かないほど馬鹿なやつじゃない。結果は目に見えていた。
「とりあえず、みんな死ねば許されるのか?」
「……わからない」
 遠藤は由利に無造作に近寄る。照準は額に合わせたまま。彼女の震えが、銃を持つ手を中心にひどくなる。
「まだ、信じているのか?」
 眉間に冷たい銃口を当てる。彼女は涙も忘れた顔で、混乱しながら、ポツリとつぶやいた。
「わからない」
 由利は弾丸の行く先を変えた。誰も殺せないことに気付いた少女は、自分の頭に弾丸を撃ち込もうと、こめかみに凶器を当てた。
 馬鹿なことをと思いながら、彼女が持っていた銃を優しく奪い取る。
「お前の信じる教えでは、自殺は罪だったな。罪を犯して死ぬことはない。だったら、この世界に神がいるのか、俺に試させろ」
 自分の銃を握りなおし、トリガーに手をかける。意図を汲んで由利が目を閉じる。死ぬことと生きることは、この少女にとって信じることと等価。遠藤はこの世の中に適応できない少女に同情しながら、哀れみ、希望を見た気がした。
 スライドを引いて排莢する。
飛び出した弾丸が床に落ち、悲しい金属音を奏でる。
再び銃を握りなおし、額に再び当てる。合図のように少女の白い額を押して、トリガーを引いた。
 静かな空気が流れた。
 遠藤は大笑いした。由利がその声で恐る恐る目を開ける。
「ここで銃がジャムるとはな。お前はついてるよ。いや、神がいるって言えばいいのかな」
 引かれたトリガーによって、弾丸は発射されなかった。由利にとって神の存在の理由になるのか。信じるもののない遠藤には皆目見当がつかない。
 だけど、自分がこんな行為をしたのは神のみぞ知る、なのかもしれない。
「大事に使え。その命」
 肩をポンと叩いた。軽い挨拶を終えたように。
 由利は意味も分からずロザリオを握り締めた。その近くで倒れて死んでいたはずの男がうめき声を上げた。
 頭をぶち抜かれてまだ息がある男に驚愕した。彼女もゾンビを見るように怯えた。倒れている男は、気でも狂ったかのような表情で、血だらけの歯を見せて由利に銃を向けた。
 男と由利の視線が交錯する。その理不尽な死の視線に彼女は硬直する。
 遠藤は少しはずしてあったマガジンをセットしなおして、すばやくスライドを引き弾丸を装填して、男の脳天めがけて二回目の死をくれてやった。
「特殊な場所、なのかもな」
 再び動かなくなった男を見下ろしながら、呟いた。由利も遠藤の持っていた銃を凝視して呟く。
「その銃…………」
 なぜ撃てたのか? それが続く言葉だろうが、その答えは都合のいい解釈でいい。
「お前は神に生かされたのさ」
 自分が何でこんな慰めを言うのか分からない。甘いことには反吐が出る、はずだった。それとも、自分が神になりたかったのだろうか。
「わざと、私を…………?」
 頭のいい女はこれだから困る。遠藤は照れを隠すように、後ろを向いた。
「神様にでも聞いてみろ」
 そう言い残して歩き始める。自分は何も信じない。ただ、いるのなら探して見ようと思う。仕事は当分クビだ。そんな寄り道も悪くない。さすがに不安だから、ちょっとした指針はもらっておこう。
 遠藤は振り返り尋ねた。
「なぁ、あいつってどこにいると思う?」
 きょとんとした由利に、壁にはりつけられた像を目で示す。彼女はその意味を理解したようで、答えあぐねいていた。人々の中にと言わないだけマシだった。
「職も居場所もなくしたから、あいつに文句を言おうと思ってるんだが」
 笑いながら遠藤は事件にピリオドをつけて、日常に戻るような口調で尋ねた。
 由利はロザリオを握ったまましばらく目を閉じて、呼吸を落ち着けるようにゆっくりと遠藤を直視して、真剣な表情で口を開いた。
「私にも、会う資格はあると思う」
 遠藤は苦笑した。だが、右手を差し出した。由利は近づいてきた。その、ただの少女の手を掴んで、早くここから出ようと思った。自分たちの世界へ。
「ほんとにいると思うのか?」
 遠藤は言った。
「あなたと同じくらい信じてる」
 由利は答えた。
 微笑んで手を握る。由利は笑わなかった。だけど、その顔は、解き放たれたように彼には思えた。

――了――

2005/09/08(Thu)05:21:23 公開 / 田中敦
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■作者からのメッセージ
久しぶりに書きました。
遠藤というキャラははじめに死ぬ話を書きました。
なかなか思い入れのあるキャラです。
初めて受賞した作品は、この遠藤の話でした。
楽しんで読んでくれたら幸いです。
私はこういう存在をテーマにした作品が多いです。

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