『原点回帰』 ... ジャンル:リアル・現代 異世界
作者:clown-crown                

     あらすじ・作品紹介
 『僕』の中に息づく心象風景。 過去を振り返りながら、未来を見据える。

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愛しくて それ以上に 憂く思う すべての物書きに 捧げる






 原点回帰








 僕は缶ぼっくりを履いて、いつもより高い視点を楽しんでいた。
 目の前に横たわる大通りは、古い街並みを残しつつ同時に新しいものをゆっくりと飲み込んできた。
 この街は昔、城下町だった。
 簡単には城に攻め込まれないように、わざと曲がった道を敷いていたという。攻め入った敵は城の天守閣が見えているのに、その方向から道が逸れていくので進退を迷うこととなる。
 今もぐねぐねと曲がる通り沿いには、そうして改めて見ると異様として映る風景がある。
 住居として機能しているのか疑問になる木造一戸建ての壁に、昭和のものらしいレトロな看板が張り付いているかと思えば、その隣には真新しい消費者金融の看板が、同じようにしてかかっている。
 いくつもの時代の痕跡を残すこの街は、今日もゆるゆると時を重ねている。




 まるで出来の悪い小学生の作文のように、一人称『僕』から始まってしまったお話だけれど、なにぶん若い『僕』の書いたものなので許してください。
 お久しぶりです、crownです。
 覚えてないでしょうか? それはきっと悪戯っぽい怪盗さんが、もっともみすぼらしい宝石を盗んで、あなたの宝石箱を整理してくれたからでしょう。でも、心は忘れてはいないはずです。記憶は盗めても、心までは誰も盗めないのだから。思い出してきましたか? 焦ることはありません。ゆっくりと思い出していきましょう。
 『僕』のお話を聞きながら。



 右足には蜜柑、左足にはオレンジの缶詰でできた缶ぼっくりは、祖父が自慢の大工道具を引っ張り出して作ってくれたもの。錐で開けた穴に麻縄を通し、それが握り紐になっている。缶詰の種類が違っているので左右の高さが合っていないが、それも愛嬌だ。僕はこれに乗って街をパトロールするのが日課となっている。かこぉんかこぉんと缶ぼっくりを鳴らし、今日も見回りに出かける。
 大理石に『林』と彫られた表札の門をくぐり、中庭に入る。
「ゴン。元気?」
 中庭にはその広さに見合った大きな犬小屋があり、その中には僕がゴンと呼ぶ犬が暮らしいる。犬の本当の名前は権兵衛。年老いた柴犬だ。ゴンは気のない様子で僕をじろと睨み、眠そうに欠伸をするとまた目を閉じた。
 縁側を渡る林のおばちゃんが僕に気づき、ガラス戸を開けて、
「あら、せいちゃん。来てたの? 昨日、親戚から 羊羹 をもらってね。私ひとりじゃ食べきれないから、食べていかないかしら?」
 と、ゴンの頭を撫でる僕に声をかけた。
 いつしかゴンの様子を見るだけでなく、林のおばちゃんと世間話をすることも僕の日課になっていた。




 お話を途切れ途切れにしてしまう私を、あなたは疎ましく思うのかしら。もしそうなら、ここでお話を止めてしまったほうがいい。これからもお話だけが進むことはなく、私がでしゃばってしまうから。
あなたには物語を中断できる当然の権利がある。その権利の行使に私は口出しできない。でも、願ってしまう。私がお話に口を挟むのは、あなたを呆れさせるためじゃない。その逆、私はあなたを楽しませようとばかり考えている。その思いが届くようにと、切に切に願っている。



 取り分けられて、竹の爪楊枝が刺さった羊羹を口に運ぶ。
「とっても美味しいです」
 熱いお茶も用意してもらっている。
「そう言ってくれると嬉しいわ。いつも暇にしていてね、せいちゃんが来てくれるのをいつも楽しみにしてるのよ」
 林のおばちゃんは笑いじわを刻む。いかにも老婦人らしい、見るものを幸せにする柔和な笑みだ。
「ゴンベも日増しに元気がなくなってきてね。もうすぐお迎えが来るのかしらねぇ」
 林のおばちゃんはゴンをゴンベと呼んでいる。おばちゃんは通り沿いにこんな大きな一軒家をもっているけれど、ゴンとふたりでは寂しいそうだ。
 そのうちゴンも自分も死んでしまう。残されたほうは寂しいから一緒に死んでしまえないかねえ、とおばちゃんが呟くのを聞いてしまったことがある。
「せいちゃん。私の分も食べて」
 世間話をするとき林のおばちゃんは、ときおりお茶をすするのみで茶菓子には口をつけようとしない。僕が食べ終わるのを見て、自分の分を僕にくれる。
「もう少し、もう少しなのよねえ」
 林のおばちゃんは絶えずこの「もう少し」を繰り返すときがある。でもそれが何なのか訊ねたことはない。それは生きることに疲れてしまったのか、それとも自分の子どもと一緒に住めるようになるのがもう少しなのか、それとも他のもう少しなのか、“もう少し”が何なのか僕にはわからない。
「もう少し……もう少し……もう少し……」




 このお話しは『僕』が体験したままのお話なのです。ノンフィクションと言ってしまうと語弊があるのだけど。
 ファンタジーのようなおとぎ話でも、ドキュメンタリーのような事実に基づくお話でも、そこには必ず夢が詰まっている。すべてを与えられた少女パンドラも、希望の光だけはなんとかその小さな胸に留めていられたように、私もまた「夢を忘れることだけはしまい」と心に誓うのです。



 羊羹まるごと一本と熱いお茶三杯をお腹に収めて、見回りを再開する。
 寂れたスーパーの横には、年中無休のコンビニが建っている。バスの待合ベンチは、昔はもっと鮮やかな青だったはず。酒瓶を持った狸の置物のすぐそばに、真っ赤なポストが直立している。
 ペットショップの前を通ると、中から声をかけられた。ぴぎゃあぴぎゃあと鳥の鳴き声にまぎれて若い女の人の声。
「あれ、なーちゃん。トメさんならさっき田んぼに行ったよ」
「そう。ありがと」
 ペットショップの隣にあるのはトメさんの花屋だ。
 残念。トメさんとおしゃべりしたかったのに。今日はちょっと遠出して、トメさんの田んぼまで行ってみよう。




 夢はゴム風船のよう。
 自分の心の中のものを送り出して、膨らせる。子どものころ、強く息を吹きかけられなくて、なかなか大きくできなかった。今は、どこまでもどこまでも大きくできる。
 風船が割れてしまわない限りは。



 道幅がだんだん狭くなる。ぎゅうぎゅう詰めだった店と店の間に空き地が入り込むようになり、進むほどにその間隙が大きくなっていく。間隙はいつしか公園になるまでの広さをもった。
 遠目に、ブランコに乗る少女が見える。少女も僕に気づいたようで顔をこちらに傾げると、高く振り上がったブランコから飛び出した。
 すたん、という軽やかな着地音も、べたんという鈍い音も聞こえない。少女はそのまま中空に吸い込まれて消えてしまった。おかしいと感じる間もなく、僕は服のすそをつかまれた感触がして振り返る。
 少女が僕を見上げていた。




 夢とは、ただ優しいだけの存在じゃない。
 ときに現実より残酷で、太刀打ちできず絶望するほかないこともある。見せるその姿が甘美なだけに魔性。
 どんな息を吹き入れようと丸く膨む風船は、その中身の醜悪さを証明するかのように破裂する。



 おでこより少し上につけた紫色の大きなリボンの下から覗く、鋭い視線。少女の見かけと、その視線はあまりにも似合わない。
 僕は缶ぼっくりから降りた。差し出された缶ぼっくりを少女は不思議そうに眺める。やがて僕の意図がわかったらしく缶ぼっくりを履く。これでちょうどよくなった。僕と少女の視線が同じ高さになった。
 少女は相変わらず鋭い視線で僕に言った。
「あんたは全部を知ってるのに、自分自身では何も思い出せないんだわ」
 僕は「え?」と訊き返そうと少女をまっすぐ見ようとしたけど、その姿はもう消えている。公園のほうから何かが地面に落ちる、すとんという音が聞こえて、僕は理解することを諦めた。




 私は夢が叶うよう努める。
 夢が夢であり続けることを望まない。夢を夢で終わらせることをしない。私は未来を予感し、私は手段を構築し、私は私なりの世界を手に入れる。
 私がもつ想いのすべてを吐き出せるように。
 あなたの想いのすべてを包み込めるように。



 正対して左右きちんと並んだ缶ぼっくりを履きなおして、僕は歩み始める。
 道に沿って進む。やがて街を抜け、田園地帯が目の前に広がる。田舎の香水──肥料の臭いが鼻を刺激する。缶ぼっくりも、かこぉんかこぉんとは響かなくなり、どむぅんどむぅんとくぐもった音に変わっている。
 草むらの中にトメさんを見つけた。
「あぁれぇ、ゆきじゃないけぇ。こなんとこまでどうしたぁ?」
 草は腰の高さまである。トメさんは腰から先が直角に曲がっているので、ほとんど草の中に隠れている。
「わしのりんご食うか? ほぉれ」
 お腹がいっぱいであることを告げ、りんごを断った。
 トメさんは何をしているんだろう。さっきからきょろきょろと辺りを見渡している。
「井戸を探しとるけ。ここらじゃねがったかぁ?」
 一昨年の夏に来たときには確かに井戸があった。ここよりもっと道から離れたところだったはず。僕はトメさんの手を引き、夏休みに水を汲んだ場所に連れて行く。
「おお、井戸じゃ。ゆきぃ、ありがとぅ」
「若い頃に自分で掘った大切な井戸なんでしょ。忘れたら駄目だよ」
 僕の名前は『ゆき』ではない。それはトメさんの孫娘の名前だ。




 私は夢を見る。
 物語を通して、たったひとりと繋がることを。私が理解できるひとを。私を理解できるひとを。想いと想いを重ねることができるひと。
 だから私は物語を紡ぐ。
 だから私は物語を紡いでいく。



 道は続く。やがて道は川に並行する。ススキは風に流れる。川に沿って僕も流れる。
 土手の下にワゴン車が乗り捨てられているのが見えた。二度と動き出すことがなさそうな錆びついた車が、ごとごとと揺れたので目を凝らして見ると、中から車より大きな男が現れた。車の中から現れた男が、車より大きいはずがない。それはわかっているけど、そう思えるほどに男は巨大だった。
 大男は僕も見つけるなり手を振った。
「おーい。お前さんも契約なしに召喚されたのかー?」
 僕はあんぐり、と口を開けていた。大男はそれを見て“何か話しているのだけど遠くて声が届かなかった”と勘違いしたようだ。手を振るのを止め、手招きに変えている。
 近づいてみればみるほど、男の身体の大きさを実感した。造作が整っていないのではないが、縮れた髪とあご髭がくっついていてむさくるしい。虫食いのひどい山高帽のようなものをかぶっている。コートには色とりどりのシミがついていてカラフルなんだけど、清潔さを感じる要素は一切ない。
「アーティファクトの中には、この世界がどこだかわかるようなものはなかったぞ、レザス。もちろん、敵もな」
 レザス、と呼ばれて僕と同じぐらいの女の子がワゴン車の影から顔を出した。人見知りがちなのか僕と目を合わせるとふいっ、と目を逸らしてしまう。西洋の騎士にみられるような白金の鎧を着込んでいる。頭には三角の形をした大きな麦わら帽子。
 大男は再び僕に振り返る。
「おいらの名はグーレン・ゲーテン・モーデン。お前さんもいきなり召喚されて戸惑ってんだろ?」
 僕は「違う」と言おうとしたのに、頷いていた。僕は夢を見たかったのだと思う。彼らと仲間になることを願った。大男やレザスと一緒に旅に出る、そんな自分を心の中で描いていた。
 ワゴン車の中からまた、人が現れた。まさか大男が車に入っていて、なお人が入れるスペースがあるなんて思わなかったから驚いた。でも、中から現れた人はそれだけでなく、容姿も大男やレザス以上に奇妙で僕をさらに驚かせた。その人は目を瞑っていた。僕が見ている限りで言えば、ずっと。その開くことのない右目の下には雫模様の装飾が施されている。羽織っている純白のコートはどこか芝居じみていて、しぐさもそれに近い。その人を前にすると、観客である自分が舞台に上がってしまったかのような漠然とした不安感を覚える。そして何より奇妙なものが、腰にある。どう見ても日本刀にしか見えない物体を左右の腰に三振りずつ帯びている。
「お前の態度は威圧的なんだ。ただでさえ、わけもわからず戸惑っている人間の前に立つんじゃない」
 大男の声を聞いているのかいないのか、その人はますます僕の顔を覗き込む。
「あなた、名前は?」
 不思議な声だった。他のどこでも聞いたことがない、耳の中で反響するような印象に残る声。まったく口を開かずに発声している。大男も驚いているようだった。この人は大男やレザスとは口を利かなかったのだ、そんな空気が読み取れた。
 僕はしどろもどろになってしまうのを覚悟で、とっさに夢の住人らしい名前をでっち上げることにした。
「クラウン。僕の名前はクラウンだ」
 僕は見逃さなかった。その人がまぶたの裏で眼球がぐるり、と回したことを。
「そう。私の名──え──……




 私を思い出してもらえましたか?
 『僕』のお話はこれで終わりです。なぜなら『僕』はこの後、目覚めてしまったから。








2005/09/06(Tue)07:14:22 公開 / clown-crown
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