『Earth』 ... ジャンル:ショート*2 ショート*2
作者:水稀綾                

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 先端が綺麗に尖った桃が、地面に落ちて球状に変形してしまった。
 おまけにそれが坂道を転がっていくのだ。
 その桃を追い掛けているときに思いついた。丸い形にするべきだと。

「フォルテくん、噂は本当かね?」
 白い髭を蓄えた所長が訝しげな視線を突き刺してくる。
 僕は目を逸らしながらも、深く頷く。
「それは……肉眼で確認できる状態に?」
「ええ、すでに試用運転を開始しています」
 所長は眼鏡を外し、席を立った。
「見せて貰おうか。その――自律運動型球状惑星アースとやらを」
 僕の研究室は、塔の二〇七階にあった。七七五階の所長室からエレベーターで下りる。
 僕が球状の惑星を作ると言ったとき、誰もが耳を疑った。
 大陸は平面で、惑星も同じく平面である。というのが七千年前からの常識だったからだ。
 大陸を球状にするなんて、頭がイカレタと思われたに違いない。
 しかし、惑星は球状であった方が効率がいい、というのが僕の見解である。
 単純に考えて、行き止まりがないというのは便利だ。幾らでも旅が出来る。研究室に籠もっている僕からすれば羨ましいばかりだ。
 研究室に入った所長は、目の前にある巨大な球を前に、思わず足を止めた。
「これは……、回転しているのか?」
 所長がゆっくりと回転している球状惑星を見つめている。
「そうです、それによって昼と夜が作られるのです」
 光源は固定してあるので、光の当たっている部分が昼、当たらない部分が夜となるのだ。
「しかし、惑星が……大陸側が回転していて問題はないのだろうか」
 白い髭をいつにもまして丁寧に撫でながら、所長は疑問を述べる。
「ええ、惑星の中心には重力を発生させる装置が入っています。どれだけ回転させようと、この惑星の地に足を付けている生物にとって、大陸が平面に見えることでしょう」
 僕たちの世界にとって、重力というのは空想科学の一種であった。それを実用的に利用してみた。
「なるほどな……ただの思いつきではなかったようだな。フォルテくん。研究を続けてくれたまえ」
「承知しました」
 所長は僕の肩を叩くと、頷いたり首を傾げたりしながら、研究室を出て行った。
 なんだか疑問が残る様子だったが……とりあえず所長のお許しは出たようだ。
 所長のお許しが出れば、研究材料という名目で幾らでも金は引き出せる。これで苦しい研究生活からはオサラバできるようだ。
 球状惑星の研究を行っていたのは僕だけじゃない。歴代の研究者も球状であるということに目を付け、惑星の開発を行ってきた。
 だが、どれも失敗に終わっている。
 僕たち惑星研究開発者にとって、球状とは不可能を意味する形でもあるのだ。
 惑星を回転させる「自転」と名付けたシステムだが、実を言うと光源を移動させるだけの機器を買いそろえることが出来なかったから、惑星を回転させてみたのだ。
 これが思いの外上手く行ってしまった。貧しい中から生まれる奇抜な発想というやつだ。
 アース上の動植物は順調に育ち、進化を繰り返し、大陸も時の流れに沿って変化していった。
 ときどき表面観察に夢中になり、電子顕微鏡の先端がぶつかって大陸が凹んだりしたが……それほどの支障が出ていないので黙っていることにした。

 アース試用運転開始から半年後、奇跡が起きた。
 我々、純人に非常に近い動物が誕生したのである。
 世界中の惑星研究開発の権威が、塔の研究室を訪れた。初めて僕が新聞に載った日でもある。心躍る思いで新聞を手にしたが、不思議なことに眼鏡はズレ、しかも半笑いだったので見て嬉しいものではなかった。
 だが、喜ぶのも束の間、異常な事態が発生する。
 純人が純人を殺害し、その肉体を食したのだ。異様な光景であった。吐き気を堪えてその様子を観察し続けた。
 どうしてそういった行動に発展したのか、どう考えても結論が出なかった。僕の手に負えなくなった瞬間である。
 自律運動型球状惑星アースの研究開発は、僕を中心とした二十名のプロジェクトチームを発足。
 そしてアース上に生息している純人に似た動物は、われわれ純人よりも劣り、中途半端であるという意味を込めて「人間」と名付けた。
 人間社会の発展は恐ろしいほどのペースで進化していった。
 プロジェクトチームは三交代制で、一時たりとも目を離さず観測し続けることを決意した。

   *

「なんだ……このフラッシュは」
 電子顕微鏡を使わずに、地表が一瞬だけ光り輝くのが見える。
「分からない。電気か?」
「アース外部まで及ぶ光だぞ。電気なわけないだろう……」
「様子がおかしい……。フォルテさん呼んだ方が良いだろう」
 夜勤していた研究員は、小型電話で研究室チーフであるフォルテを呼び出した。
 塔に所属している研究員であるフォルテは、塔の内部にある宿泊施設に長年滞在している。彼は数分もしないで研究室に現れた。
「どうしたんです?」
「さっきからアース地表が一瞬だけ光るんです。アースで何かが起きている……」
 フォルテは電子顕微鏡をのぞき込んだ。
「今まで光った場所を教えて下さい」
 念のためと、アース地図に研究員が印を付けていた。その大きな地図を広げて、天井のフックにぶら下げた。
「ふむ……何か作り出したようですね。人間が」
 フォルテは白衣の胸ポケットから取り出したメガネを掛け、苦笑して見せた。
「ここを見て下さい。ディスプレイに映し出します」
 壁に掛けてあった紙のようなディスプレイに、アース表面の映像が映し出された。
「僅かな範囲ですが、表面上が削り取られています。きっとこれは爆弾です」
「爆弾……ですって?」
「失礼。僅かな範囲と言いましたが……人間からすれば恐ろしく広大な面積を、一瞬で何もない平原に変えてしまう爆弾ですね」
「まさか。人間の誕生から僅か数千年で、ここまでの技術力を……」
 感心とも畏怖ともつかない言葉を研究員は吐いた。
 フォルテは再び電子顕微鏡をのぞき込んだ。
「役に立つ科学力とは、思えませんけどねぇ……」
 フォルテが無表情で呟くそんな言葉に、誰もがディスプレイに夢中で頷くことが出来なかった。

   *

 夜。フォルテは寝室のベッドに横になり、悩んでいた。

 アース上に生息している人間が、我々と同じ純人ならば、喜怒哀楽と言った感情を有しているに違いない。
 毎日争い事ばかりで、人間たちはどんな感情を主として生活しているのか理解できない。
 そして人間の歴史とは、殺人と独占の歴史である。美しい物なんて、何も存在しないのかもしれない。
 純人が大陸で生息していく中で、最も大切だと思っている自然と水さえ、人間はことごとく汚染し、伐採している。
 我々の世界でそんなことをしたら、処断されるだろうに。
 アース表面を一度リセットした方が良いだろうか……。

電話が鳴った。フォルテはポケットに入れていた小型電話を取り出す。

「はい、リセ」
 妻のリセだった。最近は研究に夢中で、近況報告をうっかりしていた。
「大丈夫。研究が忙しいけど、まともに生活してるよ」
 一つ、訊いてみようと思った。
「もしこの大陸が二分割し、われわれ純人が領土や権利を掛けて殺し合いを始めるなら……リセ、君はどうする?」
 長い無言だった。
 定期的に聞こえる細い吐息だけが耳に届く。
 やっぱり聞かなかったことにして、と言おうとした直前、彼女の答えが返ってきた。
「そうか。ありがとう、参考になったよ。うん――それじゃお休み」
 彼女の答えは知的だった。
 二分割に分かれない純人を集い、争いを反対する団体を結成し、和平を保つ。
 それが出来ないなら、誰かに殺される前に自分で命を絶つ。
 その二つが、彼女の答え。
 僕の愛した彼女らしい、美しい答えだった。

 フォルテは、開発が始まってばかりの美しいアースを思い起こしながら、ゆっくりと目を閉じた。

   *

 朝。研究室にはいると、寝ているはずの夜勤の研究員までもがアースの周りを囲んで何やら話し込んでいた。
「皆揃って、どうしたんですか?」
 一斉に振り向いた研究員十二名。
「……チーフ。覗いてみて下さい」
 一人の研究員がそう言った。
 フォルテは電子顕微鏡を覗く。
 アースの地表から、煙が上がっている。
 世界中のあちこちから、灰色の煙が上がっている。
「これは一体……」
 バインダーを手にしていた研究員が、視線を泳がせながらゆっくりと答えた。
「おそらく、数千万人対数千万人の大きな争いだと思われます。標的はアース全土。当初は死亡者をカウントしていましたが……、五十万人を越えた辺りで辞めてしまいました」
 言葉が出ない。
 アースの運転が始まって以来の、大殺戮だった。
 困惑と落胆。そんな表情を浮かべた研究員が、一同に僕を見ている。何か言わなければ。
「酷いね……」
 単純な感想しか出ない。
「なんて愚かなんでしょうね……破壊の果てに何があるというのでしょう。アース上に生息しているのは人間だけじゃないのに……」
 研究員で唯一の女性が、そう呟いた。
 誰も答えられなかった。
「チーフ。このままでは人間社会が崩壊するだけではなく、アースの地表が荒野になってしまいます」
「措置を執った方がいいのでは?」
「チーフ、第一級執行措置の許可をお願いします」
 第一級執行措置。
 それは我々が作り出した造形世界の歴史を、無理矢理ピリオドを打つ特別措置。
 惑星開発をしている研究者が最も恐れる事態である。
「チーフ。人間が自らの過ちで死滅する前に、我々の手で歴史を終わらせましょう。それが惑星開発者の義務でもあります」
 僕は考えていた。
 作ったものを破壊するという行為。それはまさしく人間と同じではないのか、と。
 リセの言葉を思い出す。彼女は電話を切る間際、こう言っていた。
『私たちは過ちを過ちだと気付ける種族ですから。そんな馬鹿げた争いは起きませんよ――ね、あなた』
 ならば、彼らも気付くのではないか?
 ここで彼らの歴史に終止符を打っていいのか?
 自分の作り出した惑星を、築きあげてきた一つの歴史を、僕は簡単に捨てていいのか?
「それじゃ……」
 僕は研究員を見渡す。
 決断の時。ピリピリとした空気の中、僕は言った。
「雨でも、降らせましょうか」
 皆、唖然としていた。

   *

 それから、二十名で構成されていたプロジェクトチームは、半分まで減った。
 不完全な惑星に執着するキチガイと言われることもあった。
「けど、私はチーフの判断を尊敬します」
 最も争い事を憎んでいた女性研究員が、そう言ってくれた。
 僕はそれを聞いて、何も言わずただ頷いて見せた。
 一人でも僕の考えが分かる人がいるならば、遠慮なく付いてくればいい。誰も理解してくれる人がいなければ、僕は一人で研究を続けるまでだ。
 そして、あの雨の件だが――。
 アースに降らせた雨は、全人間の四十%を削り取った。
 いくつもの集合体が壊滅した。
 今頃は荒そうことなんて忘れ、生きることに必死になっているだろう。
 それでいい。
 僕は惑星を作った責任として、人間に教える必要があった。
 死ぬまで生き続けることの大切さを。
 そして人間は、自らが作り上げてきた歴史に責任を持って、再び新しい歴史を書き綴らなくてはいけない。

 研究室の黒いカーテンの隙間から、朝陽が漏れていた。
 僕はそれを思いっきり開く。
「そろそろアース表面に掛かっている雲をどかしてあげましょう。いま人間に必要なのは光です。どんな闇にも打ち勝つくらいに、優しくて心地よい光を当ててあげましょう」





Earth. the end

2005/08/13(Sat)21:28:13 公開 / 水稀綾
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