『向日葵日和』 ... ジャンル:ショート*2 ショート*2
作者:ギロロロロ                

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―――1つ、先に言っておかなくてはならない事がある。

―――僕は………とてつもなく「卑怯」だ。




                  『向日葵日和』




「おぅ、にぃちゃん」
 いまだ、シーン…と静まり返る居酒屋。
 カウンターの前に座った僕はその店主に話しかけられた。
「ちょっとばっかし、早かったな!もうちょっと待っててくれな!」
「あぁ…いや、こちらが早すぎたのが行けなかったので…料理とかまた後でお願いします」
「おぅ、冷めちまったらまずいからな!気長に待っとくさ、がはは!!」
「………………」
 僕は苦笑混じりの嘆息をその店主に向けて返す。
 コップの水を一杯飲む。
 あまり味がしなかった。
 いや、もともと水に味はないが。
 まだ誰もいない居酒屋は酷くがらりとしていて、手持ち無沙汰になる。
 ぼーっとタバコをふかし、夏の野球生中継を見ながら。
 原監督って江口に似てるよな〜。
 とか、とてもつまらないことを考えていた。
 なんだか酷く落ち着かない。
 胸のなんとも言えないもやもや感…どきどき感が胸の中を踊る。
 だが、その原因が自分でも良く分からなかった。
 緊張からなのか。
 はたまた興奮からなのか。
 その心の感じを平常に戻すために何気なく野球中継に目を向ける。
―――それから30分くらい経った頃だったか。
「あー、こんちわー!あぁー、たかちゃん!久しぶり〜!やだー変わってないー」
 そこに2、3人の女性が僕を見るなり大声で笑いながら入ってきた。
 僕は…
「あ、えーと…」
 と、必死になりながら名前を思い出す。
「………。ん、久しぶり、麗奈ちゃん」
 と、何秒かの不自然な間をあけ、そう返すと、麗奈ちゃんはにこりと笑顔を返してきた。
 僕は知られないように、ふぅ…と嘆息を漏らす。
 どうやら、気付かれなかったようだ。
 彼女の後ろを見ると、それぞれに、
「たか………久しぶり」
「たかちゃ〜ん!おひさ〜。あ、ほんとだ全然変わってないね〜あはは!」
 ボクを見つけると笑いながら手を振っていた。
 どうやら麻衣子と、めぐみさん…が先に来たようだ。
 僕もそれに笑顔で返す。
「久しぶりだね〜たかちゃん!あ、まだちょっと時間早かったみたいだね!」
「そうだね」
「たか………タバコは体に良くない」
「麻衣子、たかももう大人なんだよ!そんなこと言わない」
「あはは………」
 僕は彼女らに軽く微笑を返した。
 確か………この3人はいつも仲良しでつるんでたっけ。
 位置的には精神的に、一番お姉さんの麗奈。
 明朗快活で猪突猛進で笑顔満面な次女、めぐみ。
 そして比較的無口で感情の起伏が少ない三女、麻衣子。
 彼女らは僕と同じカウンターの席に並んで座ると、すぐにあーだこーだと世間話を始めた。

 何年ぶりだろ〜10年くらいだっけ、とか。
 憧れの教師がどうなった、とか。
 あの男子が好きだったけどいつも話せなかった、とか。
 あいつは今どうしてるんだ、とか。
 そういった、所謂(いわゆる)思い出話に華を咲かせていた。
「………………」
 僕はそんな彼女らのやりとりを無言に眺める。
 みんな綺麗になったなー。
 ほんとに、見違えるほどに。
 横で話を聞いていると今はそれぞれOLやら主婦やらしているらしい。
 課長がセクハラをするとか。
 やたらお茶酌みをさせるとか。
 男性社員がいっつも足を眺めてるだとか。
 ―――そういった世間話。
 僕は彼女らの話に2、3語相槌を入れると、なぜか、輪の外に追い出され疎外感を感じてしまった。
「………えーと」
 まぁ、女3人寄ればなんとやら。
 僕は無言でタバコに火をつけて、一口吸う。
 彼女らの久しぶりの再会に水を差すのもナンセンスだろう。
 思い入れがあるほど…彼女たちと仲良かったわけでもなかったし。
 そう、思った僕はやり場のない感情をテレビで放映している夏恒例の野球中継に目を向けた。
 …どうやら、巨人が阪神から0−3で負けているらしい。
「………………」
 …あ、清原が打った。
 鋭く上がった打球はライト方向へ弧を描いて飛んでいき、ライトを守る選手のグローブに綺麗に収まる。
 どうやら、ライトフライだったようだ。
 …あんまり野球は詳しくないけど。
 そんなつまらない野球中継を眺めながら、再びぼーっとする。
 彼女らが世間話に夢中になり始めたころ。

 がやがやと喧騒が聞こえ、15人ほどの男女が店内に入ってきた。
「こんばんわー…あー!久しぶりー!わーみんな綺麗になっちゃって!!」
「おぉーたか!久しぶりやん!元気してたか!」
 そんな声があちらこちらに飛び交った。
 居酒屋がパアアァ…と一気に明るくなったようだ。
 僕は彼ら一人一人に久しぶり、と声を掛けるとみんな笑顔を返し、世間話を始める。
「それでさぁ………」
「ねぇ!ふふふ………」
「マジかよーーー!」
「俺の勝ちだな!雄二!」
 談笑をし、彼らの姿を眺めながら、みんな…変わったな…と遠巻きに感じていた。
 背が低かったやんちゃ坊主、高志がハンサムなガイに。
 泣き虫だった雄二が、やーさんみたいな強面に。
 分厚い眼鏡をかけたもやしっ子、さとるはちょっと背が高くなったものの以前のまま。
 彼らは互いに顔を見合わせて、それぞれ互いの顔をあざ笑っている。
 僕もそれに野次を飛ばしながら微笑を返していた。

 ………そう、今日は、小学校時代の同級会。
 誰かから今度みんなで集まろうという話が持ち上がり、今に至るわけだ。
 俺たちは、それぞれが、それぞれ。
 平等に22歳になっていた。
 あれから10年。
―――小学校卒業して、10年ぶりの再会。
――――――10年、だ。
 この歳月は人を見違えるほどに変えてしまう。
 ある者は結婚していたり。
 ある者は大手に就職していたり。。
 ある者は既に子供もいたりして。
 久しぶりに会う同級生はやはり懐かしく、暖かく…楽しいものだ。
 僕は彼らの事情や、世間話を聞くたびに、心が暖まり自然に頬が緩んだ。
―――ただ…。
 この居酒屋に来てから、胸のもやもや…どきどき感が直らずにいた。
「…………はぁ」
 そうこうしているうちに2人、3人と馴染みの顔が集まってくる。
 店主はほとんど全員が揃った事を確かめると店員に料理を並べる催促をした。
 間もなく、懐石料理や豪華な魚舟が次々に並べられていく。
 みんなが席につき、注文した酒が配られた。
 クラスのまとめ役、中心的な位置をしめる忠志がみんなに酒が行き渡ったのを確認すると。
「はいはい!注目!おい、聞け!そこ!あー…んっん。今日はーみんな久しぶりに集まったことだしー、遠いところから来てくれたやつもいることだし…って聞け!そこ!おまえだおまえー」
 喋っていた奴が指を指され、あはははと笑いが起こる。
「はははは!お前だよお前!」
「ばっか!お前だろ!」
「…あはは」
「あー…まぁみんなで盛り上がって、みんなで楽しんでいきまっしょう!それじゃあ―――」
 彼はみんながグラスを持ったのを確認すると、
「―――かんぷぁーーーーい!!」
 グラスをそれぞれに交わした。
 カキン…カキン…カキン。
「………………」
「………………」
 ―――ぷはぁ!と、それぞれにグラスに入ったビールから口を離すと、拍手が起こり。
 なりやむと、それぞれの談笑が再開され始めた。
「それでさっきの話なんだけどぉ…」
「俺、係長になったさ!すげぇべ!?」

「………………」
 まだ…来てない…か。
 喧騒の中、僕は無言にクラスメイト達を見回す。
 安堵からなのか…。
 それとも、残念だったからなのか…。
 ひとつ「………はぁ」っと、軽く溜息を溢した。
 しばらく、ちびちびとグラスに注がれたビールを飲み、時折級友たちと話を交えながら、つまらない野球中継に目を向ける。
 ………あ、高橋三振した。
 やっぱ巨人は松井がいないと駄目だな。
 …あんまり野球は詳しくないけど…。
 フィルター近くになったタバコを灰皿に押し付け捻り消す。
 級友達の話に再び耳を傾けようとジョッキを口にしかけたとき、
「――――――よお」
 という声と共に新たに1人のクラスメイトが、入ってきた。
 級友達は彼女らを視界に入れると、
「おー!待ってたよー香織!」
「あー!久しぶりぃー!こっちきなよ!こっちこっち!」
「やっべ、めっちゃ美人になっとる!!」
「おいおい、反則だべ!!」
 と弾ける声が各地で巻き起こった。
「……………あん?」
 僕は彼女らの視線の先を眺め、

「――――――え?」

 そして、彼女を視界に入れたそのとき………一瞬、本当に、嘘偽りなく。
 ―――心臓が止まった。
 視界がピシリとひび割れ、画面が灰色に変わる。
 口が開かれ、新たに咥えたタバコが床にぽとり…と落ちる。
 目が見開き、驚きの表情が顔から張り付いて取れない。
 まるで刻が止まったかのように。
 まるで音が無くなってしまったかのように。

「――――――っ!!!」

 ドクンドクンドクン!
 ドクンドクンドクン!!
 心臓は早鐘を打ち、血管の中を縦横無尽に血液が流れる。
 あせるな…静まれ…頼むから…俺の心臓よ!
 ドクンドクンドクン!!
 ドクンドクンドクン!!!
―――それは喜びの出会いか。
―――それは悲しみの再開か。
 彼女は僕のいる席の方向へ徐々に…徐々に…歩いていき…、
「よ、よぅ、ひさし―――」
 と、声を掛けた瞬間―――
「………………」

 ス――――――。

「―――ぶ……り………」

 元から何事もなかったかのように…
 元から何人も存在していなかったように…。
「おぅ。麗奈も麻衣子もめぐみも、久しぶりだ」
 彼女らは元同級生達の輪の中に入っていった。
「………………」
 僕はその様子を無言に眺める。
 え…いま…こえ…かけた…よ…な。
「………………」
 僕はその現実に、胸が抉(えぐ)られる。
 しばらく、空虚に虚空を眺める。
 思考が追いつかない。
 ぐるぐると、ぐるぐると、脳内を引っ掻き回す。
 なぜだろう…。
「なぜ」だろう…。
「………………」
「―――よお、たっかちゃん!なに暗い顔してんだよぉ!ひっさしっぶりぃーーー!元気してたかよぉ、このやろこのやろぉー」
 と、いきなり頭を殴られた。
 僕の気も知らず、すでに出来上がっている野郎が絡んできやがった。
「え、あぁ…えっと、よお!」
 僕は無理やり笑顔を作り、彼に悟られないよう、笑いかける。
 この絡んできたヤツは、亨という昔からのダチだ。
 小学校時代は大の親友でもあり、クラスでも人気者だった。
 幼稚園から一緒だったこともあって、当時はいつも一緒なほど仲が良かった。
 中学校は別々の学校。
 僕は私立の中学校へと進み、彼は公立の中学校へと進んだ。
 当時はチビだチビだ、とよく蔑まれていた亨も随分身長が高くなっている。
「お前、小学校卒業してからなんも連絡しねぇで」
「あー…ごめんごめん。連絡というか、筆不精ならぬ連絡不精だから」
「ばっか!そんなもんは別に気にしなくていいんだよぉ…元気してたか」
 僕は両肩を竦めながら、
「見ての通り」
 と、言う。
「そっかそっか―――」
 彼は満足したように笑みを溢すと手にもつジョッキをゴッゴッゴ!と一気に飲み干した。
 …ヤロウ、もう顔が真っ赤だ。
「ぷはーーー…お、あれぇ、たか!まだビールぜんっぜん残ってんじゃんかよ!ほれ、飲め飲め」
「ちょっ…やめろよ。僕はビール及び酒類全般が飲めないんだよ」
「うそつけ、てめえ!飲まねぇんだったら鼻から入れんぞ!」
「………まじで?」
「………まじだ」
 彼の瞳は本気だ。
「………ど、どうしても?」
「どうしても!」
「………なにがなんでも?」
「なにがなんでもだよ!!」
「………どうなっても…知らんよ?」
「あぁん?…つべこべ言わず…ほら!はよぅ!ほらほらほら!!」
「―――おぶぅおぶぅ!!!」
 鼻を押さえられ咽喉に無理やりビールが流し込まれる。
「おぶおぶおぶ!!!」

 まったりとした酸味が口内を柔らかく包み、程よく広がる炭酸のあじ…。
 鼻腔を擽(くすぐ)り、爽やかに抜ける咽喉ごしはキレのある爽快感が…

「―――ぶ、ぶはぁ!!げほげほ!!なにさらすんじゃあわれぇ!!爽快感!?あるわけねぇだろぉ!!」
「うぉ!マジぎれかよ!!」
 こ、こいつ…。
 信じらんねぇ…。
 この…大いなる災い…デンジャー起爆装置と謳われるこの僕に酒を飲ませるなど…。
 あぁ〜〜〜やべ、あたまが………くらくらしてきた。
 僕はふらつく頭を抑える。
「お、おい、たか…?だ、大丈夫か…?」
「あ〜てんめぇ〜〜〜」
「マジで大丈夫かおまえ?」
「だい…じ……ょ…お…ぶら……って…………くく……くっくっく………あーはっはっはっは!!おらぁ!!てめぇらのんでっかー!!ああんーーーー!!!」
「あーやべーーー!?地雷踏んじまったぁー!?」
「あーはっはっは!おらぁ!飲んでっかこのやろーーー!?あん、さとるぅ!お前ちびっとしか減ってねーじゃねーか!?」
「や、僕は酒類タバコ類は一切摂取しないので…」
「あん!?よぉ………さとるよ〜。お前そんなだから未だにもやしっ子なんだぞお〜。22にもなって………あ〜これじゃいつまで経ってももやしって呼ばれんぞ〜?」
「………………」
「ちょっ…たか…ま、まぁまぁ」
「あ〜やべ、もやし食いたくなってきたな〜。もやし、うんやっぱもやしだよな〜」
「………………僕だって」
「あん?」
「―――へ?」
「僕だって………このくらい飲めるよ!たか、見てろよ!」
 さとるはジョッキが割れるほどの圧力で掴むと、
「(ゴッゴッゴッゴッゴ!!)」
「おぉ〜〜〜いいぞ〜!!」
「あぁ〜〜〜………」
「ぷはっ!ど、どうだい!?これでもう、もやしとは…よばせ………あ、あれ?」
「おおー!!さとる、よくやった!お前は漢だーーー!あははは!!」
「さ…さとるくん?だ、だいじょうぶかい?」
「あ〜〜〜め、めまいが〜〜〜」
「―――あん?」
「さ、さとるぅーーー!!?」
「きゅぅ…」
 と短く呟くと、どさり…とさとるは前のめりに倒れこんだ。
「ぎゃははは!!!」
「お、おい、たか!もうそろそろ…」
「おぉ、飲んでんなぁ麻衣子!お前、なかなか見所あんじゃねーか!」
「たか…もう少し静かにしろ」
「何言ってんだよ!今日は無礼講だろぉ!?あー麻衣子は綺麗だし、かわいいし、飲んでる艶かしい姿が超絶に見てみたいな〜」
「そ、そうか…?」
「そうそう!ほれ、いっきいっき!」
「………………」
 ゴッゴッゴッゴッゴ!!
「おー!!さすが麻衣子!俺が見込んだ女だけあるぜ!惚れちまいそうだ!」
「そ、そうかぁ…う、うぷ………」
「あ、ああぁぁぁぁぁ………」
「ぎゃはははは!!!」
 暴発は…しばらく止まらなかった…。



―――結局。
 十数人、男女問わず撃沈させた僕は…とりあえず、吐いた。
 もう、げろげろと。
 胃の中のものを欠片残らず、リバースした。
 きっと迷惑千万、諸行無常だったに違いない(?)
「………うあ〜〜〜」
 そんなこんなで僕が吐いて、畳の上で寝転がり始めた頃、
「はいはい、静かにぃー!」
 と、忠志が声を張り上げた。
「はい!今日はみんなに会えてとっても楽しかった!…うそじゃねぇって!ほんと、ほんとだって!絡むな!高志!…あーまぁ、とゆーわけでぇ、この辺でお開きにしたいと思います!二次会に行く人は二次会へ!帰る人はタクシーか終電で気をつけて帰って下さーい!以上ぉ!」
 その言葉を機にみんな慌しく帰宅準備を始める。
 帰宅する人は今日の再会と別れを惜しみ、
 二次会に出る人はこれからだなとテンションをあげ直した。
「………うあ〜〜〜」
「あれ?おい、たか、もう終了したぞぉ〜。二次会、行けるか?」
「うあ〜〜〜とおるか…。僕は…無理っぽい。お前は行くのかぁ〜」
「おぅ、俺はこれからだぜぇ!飲んで飲んで飲みまくるぜぇ!!」
「そ、そうか〜…亨、あの頃から酒強くなったなぁ〜うぅ…」
「あはは、って俺ら今日何年かぶりにあったんだっつーの」
「―――そうだったな」
 今まで一緒の刻を過ごしていた様に…分かち合っていた様に…この再開は嬉しかった。
「今度はこっちから連絡するよ」
「おぅ!そん時はまた飲みに………い、行こうな〜!」
「なんでにこやかにそこでつまるんだよ…」
「うっし!じゃあ、気ぃつけて帰れよ!またな!」
「うん、亨も結婚式には呼んでくれよ」
 亨は一度、「ぶほっ!」と吹き出すと、笑いながら手を振り、別れた。
 …あの様子じゃ当分呼ばれなさそうだ。
 そう心の中で思いながら、まだ居酒屋にちらほらと残っているクラスメイト達に声を掛け、店から出た。



「あ〜〜〜やべ………」
 頭がガンガンする…。
 足がフラフラする…。
 まともな思考ができない…。
 まともな行動ができない…。
 店から出ると千鳥足で夜の町を歩く。
 と、「町」と呼べるほどに栄えてはおらず、僕の出た小学校は全くの田舎。
 田んぼと畑と森と動物。
 そのほとんどが、「それ」で構成されているといっても良いほど、ここは田舎だ。
 僕は縺(もつ)れる足と覚束ない思考でどこをどう、歩いたのか、夜の学校に来ていた。
 人気が全くなく、街頭も微塵もなく、
 そこはただただ、夜の静寂と鈴虫の泣く、りーん…りーん…という声だけがあった。
「………………」
 僕は校庭のベンチまでなんとか足を引き摺り、酔いを覚ますために仰向けに横になった。
「あ〜気持ちいい」
 僕は視線の先、天空を眺める。
 輝く夏の第三角形。
 連なるカシオペア座。
 掬うオリオン座。
 それらを演出するが如く、無名にして無数の輝ける星々たち。
 そして、その、主役を務める、煌々と照らすまぁるいまぁるいお月様。
「――――――綺麗だ」
 僕は。
 ぐるぐると回る思考と。
 ずきずきと痛む頭脳と。
 がくがくと力が入らない体を休める。

 りーん…りーん…。
 りーん…りーん…。
 鈴虫が夏の夜を謳歌し、

 さわさわさわ…さわさわさわ…。
 さわさわさわ…さわさわさわ…。
 時折吹く柔らかな風がススキを優しく揺らし、

 ホウ…ホウ…。
 ホウ…ホウ…。
 月に魅せられた梟は悲しき夜空に吠え称えた。

「………………」
 僕は。
 ぐるぐると回る思考と。
 ずきずきと痛む脳髄と。
 がくがくと力が入らない体を横たえながら。
 じゃり…じゃり…じゃり。
 じゃり…じゃり…じゃり。
 誰かが。
 近づいてくる。
 気配を。
 感じながら。

「―――たか」
「―――たかゆき」

 なんだか。
 懐かしい声が。
 そう思った瞬間。
 ぐるぐると、渦を巻く、思考の中へと。

―――飲み込まれた。






 それは………遠い遠い―――過去の記憶。
 それは………古い古い―――最古の情報。
 色褪せて…ひどく灰色になった…。
 封印して…ついに過去となった…。
 過去を、忘れようと…もがき苦しみ。
 現在は、開けようと…苦しみもがき。
 ここからはただの懺悔。
 ここからはただの告白
 ぎぃぎぃと、ぎぃぎぃと。
 今まで頑なに閉じていた、古い記憶が、いま。
 ぎぃぎぃと、ぎぃぎぃと。
 過去と現在と未来を繋げ、いま―――開いた。




「………わ!ひやけではだがむけてるよぉ!」
「――――――え?」
 ………これが、その女の子にかけたボクの第一声だった。
 あまりにも酷い、腕の日焼けの後にボクは隣に座ったその女の子に声をかけたんだ。
「うわ〜!いたそうだね〜いたい、いたい?だいじょうぶなの?」
「え、う、うん………ちょっとだけ…痛いかも」
「あ〜…えっと、消毒薬もってくるね!」
「え、あ、あの―――」
 ボクはその女の子の返答も待たずに保健室に駆け出していた。
 女の子は、ぽか〜ん…と口を開けたまま、ボクの後姿を見送った。
「―――はぁはぁ、お、おまたせ!ちょっと染みるかもしれないけど…」
 ぺたぺた…。
 ぺたぺた…。
「………。―――っ!」
「あ、染みた!?いたい?ごめんね!ちょっとだけ、我慢我慢!」
「う、うん………」
 ぺたぺた…。
 ぺたぺた…。
「はい!これでおわり!乾いたら動いていいよ!」
「あ、あり………ありが………」
「うん?」
「あ、ありがと〜」
 彼女はふにゃりと、しかしどこか力強い笑顔を見せると、そう、微笑んだ。
 ボクは向日葵みたいな笑顔だな〜と暫し、見とれる。
「……………?」
「―――――!」
 ボクは急に照れくさくなって、
「そ、それじゃ、消毒薬返してくるね!」
 と、言うや否やそそくさとその場から離れた。
「………………」
 日和という名の女の子が、その日、転校してきたということを、その後の授業で初めて知った。



 彼女は両親の仕事の都合かなにかで突然、3年生の2学期の始まりか終わりに引っ越してきた。
 ボクは、みんな隣の席に誰かいて、ボクだけ、隣の席に誰もいなかったから。
 とても、ボクは寂しかった。
 すると、ある日、見も知らぬ女の子が、ちょこん…と、隣に座っていた。
 だから、ボクは嬉しかった。
 もう、一番乗りで話しかけた。
 彼女は始めての転校でクラスに1人溶け込めなかったのか。
 ボクがいない間はずっと1人で本を読んでいた。
 次第にクラスのみんなから疎まれ始める。
 感じが悪い…と。
 根暗だよね…と。
 ボクはそんな彼女の扱いが、なぜかすごく許せなくなって、絶対、彼女の味方になってやろうって思った。
 ―――強く。思った。
 でも、案外。
 子供というのは一度仲間の輪に入れば、そんなのすぐに関係ないものだ。
 ボクはすぐに、仲が良かった亨と、香織に声を掛けた。
「うん。いいよ〜」
「…たやすいごようだ」
 ボクらは休み時間、彼女の名前を呼びかけると、
「ねぇ!一緒に体育館で助けオニしよう!」
「おう。それがいい。な、たか」
「うん!一緒に遊ぼう!」
「え―――えっと…う、うん」
 当時、1人がオニになって、捕まった人が手を繋ぎ、捕まってない人がその繋がれている人にタッチしたら解放される、いわゆる「けいどろ」が流行っていた(地方で名称が変わるらしい)
 休み時間になると授業から開放され、クラス中が体育館で汗だくになって遊んだ。
 クラス中なもんで、助けオニはかなり白熱する。
 ちなみにこの遊び、罰ゲームが酷い。
 最後にオニになった人は授業中手を挙げて、
「先生、うんこがしたくてたまりません」
 と言わなければいけない。
 もちろん、女子は除外される。
 ボクたちは体育館ですでに始まっている競技を眺めながら。
「今日も激しいね!」
「そうだね!」
「うむ。やりがいがある」
「…え?え?え〜?」
「よし!お〜い!忠志ぃ〜!オニ誰だ〜!」
「さぁて、くっくっく…誰だろうなぁ………?」
「…なぜにニコヤカニチカヅイテクルンデスカ?」
「よし、亨。いいものをやろう。手のひら見せてみ?」
「ん?こうか〜?」
「ほい」
 ………ぽむ。
「―――あん?」
「よっし!亨がオニだー!!みんな逃げろー!!」
「わああああ!!亨がオニだー!!」
「みんな!逃げろぉ!!」
 わあああああ…。
 わあああああ…。

「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
 少々の無言のあと、亨はボク達の方を振り返る…と、
「(………にやり)」
「うわ!亨の目が本気だ〜!」
「…ころすぞ」
「え?え?え〜?」
「ひより、こっちだ!にげるぞ!」
「え〜〜〜???」
 ボクは日和の手を掴み、一目散に駆けた。

「………………」
「………………」
 残った亨と香織の視線が交差する。
「………………」
「……ころすぞ」
「…………ほい」
………ぽむ。
「………はっはー」
「………ふっふー」
「………………」
「………………」
「…………コロス」
「やっべぇ、目が本気だ〜」
「わあああ!!香織がオニだ!!」
「ホンモノのオニだ〜!!」
「ぜんいんぶっころす!!」
「うわあああ!!」
「うわあああ!!」
 みんな必死になって逃げる。
 そんな中でボクと日和は手を繋いで、必死に逃げた。
………その時。
 その時の日和の手の暖かかさ。
 きっとボクは…その手の暖かさを一生忘れないだろう。
 そしてそれを隠すように、ばれないように顔を伏せながら懸命に駆け回った。
 日和は終始、顔を真っ赤にしながらボクの後を追った。

―――まぁ。
 そんなこんなでクラスの輪に溶け込めた日和はみんなと仲良しになっていった。
 日和を庇ってのドッヂボールとか。
 一緒に息を潜めた隠れんぼや。
 思い切りぶつけた水風船戦争。
 おかずをとっかえっこした給食。
 ボクらはきっと、ずっとこのまんまだと思った。
 ずっとずっと、笑いながら楽しい時間が続くと…本気で思っていた。
 ボクは笑って。
 亨も笑って。
 香織も笑って。
 日和も笑った。
 たくさんの笑顔、クラスメイト全員の笑顔に囲まれて―――。

 日和は以前より、もっともっと向日葵のような笑顔を表すようになった。
 時折―――注意しなければ分からないほどほんの瞬間。
 悲しそうな笑みを浮かべながら―――。


 いつ頃からだったろう。
 ボクたちにもその笑顔に陰りが見え始めたのは。
 そして…その体に酷い痣が目立ってきたのは。
 ボクや亨、香織はその腕や足の痣について聞いたときがあった。
 けど、日和はただ、申し訳ない、という類の微笑みを返すだけだった。
 それから、ボクらはそのアザについて聞かないようになった。
 所詮子供の知能。
 クラスメイトは大したことないと。
 そんなこと取るに足らない問題だと。
 それより楽しい時間をもっと過ごそうよと。
 そう、思っていた。
 そんな風に一年が経ち、二年が経ち………。
 ボクたちは5年生になっていた。
 1学期も終わり、もうすぐ最終学年の6年生になる頃。
 突然、担任の先生の口から思いもよらぬ言葉が紡ぎ出された。
「―――今学期の終わりに日和ちゃんが両親の都合で転校することになりました」

「………………」
「……………え」
「…………うそ」
「………そんな」

 ボクは焦って隣に座る日和を見る。
「………………」
 彼女は沈痛な表情を浮かべながら、ただただ、押し黙るだけだった。
 ボクはどうして、どうしてと繰り返し問うたが…。
 日和は何も………何も語ってはくれなかった。


 今にしてみると、随分卑怯で愚行だったと感じる。
 日和の身体に浮かぶ痣は時間を追うごとに増していき。
 今となってはそれが「虐待」であったことが目に見えてわかった。
 出会いの日に見た日焼けの痣。
 それさえも―――。
 教師は…なにもせず。
 級友達は…なにもできず。
 唯一…ボク達が…なにか…できただろうに…。
 春が過ぎ、
 夏が過ぎ、
 秋が過ぎ…。
 冬が過ぎようとした頃。
 ボク達はそれぞれが、ばらばらになっていた。
 嫌いになったとかじゃなく。
 好きになったとかじゃなく。

 ボクは…きっと…あまりにも…重過ぎる…その現実に…耐えられなかった。
―――耐えられなかった。

 あんなにも…あんなにも彼女の味方になってやろうと思ったのに。
―――強く。思った…のに。

 思春期のためだとか。
 異性を気にする時期だとか。
 そんなのはすでに言い訳になっていた。
 日和は香織と過ごす時間が増え。
 ボクは亨と過ごす時間が増えた。
 そして…彼女の…転校の日…。
 後で香織に聞いた話だけど…彼女はいつもの申し訳ない、という笑顔と涙を見せ、別れを告げたようだった。

 ボクは―――逃げた。

 ぼくは―――にげたんだ。

                ボクハ―――ニゲ―――タンダ。

 現実から目を背けて。
 友情にも目もくれず。
 心が深く傷つくのを恐れて。
 尻尾を巻いて。
 遠吠えさえもできずに。
 彼女の笑顔を捨てて。
 彼女との別れが辛くて。
 彼女を救えない自分が悔しくて。
 日和はもっとたくさんの体の傷を残して。
 もっともっとたくさんの心の傷を抱えて。

 ボクは…出立の日…用事がある…と言って…、
 部屋の暗い隅っこに…頭を抱えながら…震えていた…。

 がくがく…と膝を抱えながら。
 ぶるぶる…と体を丸めながら。
 がちがち…と指を咥えながら。
 あ…あぁ…と頭を伏せながら…。


「………………」
 ボクは…次の日…学校に…行かなかった…。
 次の日も…学校に…行かなかった…。
 次の日も…次の日も…次の日も………。
 とうとう仮病がばれて母親から無理やり学校に連れてこられた時は…本当に…怖かった。
 クラスメイトの冷めた目。
 亨や香織の蔑んだ白い目。
 そして…また…空白になってしまった…日和の席。
 恐る恐る教室の戸を開け中を覗き込む。
 クラスメイト達はボクを見つけるなり「病気、大丈夫だった?」とか「もう治ったの?」とか、ボクを気遣う言葉をかける。
 ボクは内心、ほっと胸を撫で下ろしていたに違いない。
 鞄を自分の机に置き、亨と今まで通り…だべる。
 よかった…今まで通りだ。
 なにもかも…これまでと同じ。
 ボクは、胸を撫で下ろし、香織に手を伸ばす。
「おっす、かお―――」


ス――――――。


「―――り………?」
「………………」
 振り上げられた手は虚空を切り。
「あ――――――」
 ボクの罪の深さを知った。
「………………」
「………あん?おまえ、香織になんかしたんか?」
「………………」
「……………?」
「………………」


―――これが…ボクの罪だ。
―――これが…ボクの業だ。

 深く…深く胸を抉った過去の傷は…。
 更に…更に刻と共に深く削り取る…。

 ボクは亨や…香織と顔を合わせるのが嫌になり…自分だけ私立の中学校へと進学した。

 また、逃げた。
 また―――逃げたんだ。
 心の暗い部分は常に語りかける。
 お前の罪は決して、拭われない。
 お前の業は一生、背負い続けろ。
 お前の生はもう、逃亡しかない。

…アナタハ…ゼッタイニ…シアワセニ…ナッチャ…イケナインダヨ…。

               「   ―――タカチャン―――   」





「――――――っ!!!」
 がばっと体を起こす。
 汗で体がべっとりとしていた。
 酷く…辛い悪夢…。
―――いや、悪夢じゃない。
 これは僕が犯した罪。
 背負わなければいけない業。
 酷いのは自分だ。
 酷いのは他でもなく…僕だ。
 僕だ―――!!
 僕は。
 僕は僕は!!
 僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は………!!!
「――――――う、うぅ」
 頭に直接釘を打たれるように、心臓が疼くたびにがんがんと頭が鳴り響く。
 胃に消化しきれないものを詰め込んだように、酷く吐き気がする。
「ぐう、うぅううぅ………」
 頭がガンガンと揺れて視界が歪む。
 動悸が激しくなって上手く呼吸ができない。
「ぅぅぅぅううううあ、あ…あ……あ!!!」
 懺悔のように。
 後悔のように。
「うあぁぁぁぁぁ―――………!!!!」
 救ってやれなかった彼女に何度も…何度も何度も。



「―――たか」
「―――たかあき」

「――――――え?」

 僕は疼く頭を抑えながら声がした方を力なく振り返る。
 そこに…2人が―――香織と亨が―――立っていた。
「お前に携帯で連絡しても出ねぇから、絶対ここだと思ってな」
「………ここだと………ここしかない………と、な」
「亨?………香織?」
「ふぅ―――酔い覚ましには………いい夜だな」
「ほぅ………。お前の口からよもや、そんな言葉がでるとはな」
「………………」
「あほぅ。俺だってちょっとは成長したんだっつーの」
「ほぅ………。その減らず口は…まだ治ってないようだな………あぁん?」
「………………」
「いいいいい!!いひゃいいひゃい!!ちぎれふぅ………!!」
「いっそ千切ってやろうか?」
「ひひぃ!!いひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!」
「――――――ぷっ」
「………………お」
「……………ふぁ」
「ふっ!あっはっ!あっはっはっは!お前ら、全然変わってね〜!」
「………………ふぅ」
「………………はぁ」
「え?お、お前ら………?」
「そんな顔してたら………日和に会わせる顔がないだろ………ばか」
「ひょうらひょうら………」
「………………香織?」
「ふぅ、いつだったか………」
 香織は亨の赤くなった頬から手を離すと、ベンチの後ろにある桜の樹を愛でるように撫でる。
「ここに…私達の………名前、書いたな」
「あぁ………そういえば」
「………………うん」
「―――あの頃からもう…だいぶ変わってしまったな。この校舎も、この桜の樹も、そして、この町、私達さえも」
「………………」
「………………」
「―――だがな、時が経ち、すべてのモノが変化していってしまっても………。絶対に変わらない、変われない、モノというのは、世に必ずある―――」
「………………」
「……そうだな」
 僕は、自分の、胸の上に、手を置く。
 この、手の下に、今も、疼く、モノを、感じながら。
 トクン…トクン…と。
 トクン…トクン…と。
「さあ―――お前はもう、十分悔やんだじゃないか………。もう、十分苦しんだ…。私達の分まで、な。なら、もう、やることは1つじゃないのか………」
「……でも…もう日和は………」
「………………」
「…………やべ」
「……………?」
―――ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………。
 地鳴りのような…そんな背景の音が耳に響いてくるようだ…。
「―――亨くん。あなた………日和のこと…伝えてやらなかったのかなぁ?」
「あ、あ、あはは…は、は…。い、いや、わ、忘れてたっていうか…、…!たかが!たかがあんなに酒に弱いなんてしらなかったから…」
「えっと………なんのこと?」
「あ―――………ん。ちぃ!よもや私が直に言う羽目になるとは………。亨、あとでコロス…!」
「ひぃ………!」
「ちょっと、2人とも、一体何がなんだか―――!」
「はぁ―――教室…よ」
「……………え?」
「はぁ………だから―――………あーもう!あんたらが出会った教室に行け!今すぐに!マッハで!ほら、早く行け!!」
「え、えぇ!?あ、あぁ―――ん?…そういえば、お前さっき居酒屋で無視しやがったよな…あれはどうゆうことなんだ?」
「うっ、まぁー・・・アレは何だ・・・とにかく!男なんだから小さいこと気にすんな!」
「まぁまぁ、とにかく教室だろ。きょうしつ!」
「う、うん―――。なんか怪しいが…後で絶対答えろよ!」
「はいはい。分かったから早く行け!」
「あぁ!後で絶対理由聞かせろよ!」
 ったく…一体何が!?
 あの教室になにがあるんだ!?
 思い出の品か!?
 机に彫られた名前か!?
 まさか―――…。
「っち!くそ―――!」
 気付くと、既に僕は駆け出し。
 走るスピードをあげ、校舎内に入っていった…。





「―――いった………か」
「―――いった………な」
「全く、世話の、焼ける………はは、あ、あれ?………涙が」
「………………」
「ははは………なにもかも………大団円だ………もう―――辛い夜は…明ける」
「………………」
「………ぐす―――…うー。たかゆきの………ばか野郎が。言えるわけ…ないじゃん」
「………………」
「………ぐすっ。――――――!!あー………うっし!亨!今日は飲み明かすぞ!もちろん…てめぇの奢りだよなぁ………?」
「………香織………マジデカンベンシテクダサイ………」









「はっはっ、はっはっ!!」
 ………なつかしい…こえが………。
「はっはっ、はっはっ!!」
 あたたかく…こころの…おくそこを…やさしく…なでるように…。
「はっはっ、…ん、はぁっ!!」
 ………ひまわりのような………。
「はっはっ、はっはっ!!」
 やわらかく…あかるく…なつのひざしに…よくにた…。
「はっはっ、はっはっ!!」

 僕は蛍光灯もなく、真っ暗な校舎を、月明かりを頼りに走りぬく。
「はっはっ、う、うあ!!」
 ゴッ!…と、いう鈍い音と共に、階段の最上階で蹴躓(けつまづ)いた。
 踊り場に。無様に、恥らうこともなく、倒れこむ。
「はっはっ、は………はぁ―――」
 僕は大きく深呼吸しながら、踊り場の窓から見える大きな月を見た。
 その月を眺めながら、「ぎりぃ…」と歯を軋ませる。
「はぁ…はぁ………はぁ―――!!」
 まだだ。
 まだ、懺悔は済んでいない!
 まだ、俺は諦めちゃいない!
 僕は、もう…逃げない!!
 その月光の月明かりに励まされて。
 大事な親友たちと共に励ましあって。
 ここまで…これた。
 なら―――
「ハァ…。あと………ちょっと、だ」
 痛む足を奮い立たせ、体を起こす。

「―――ぐ、ぐぅ………がああああああああああああああ!!」
 その瞬間、くにゃりと力が抜け、再び踊り場に倒れ伏した。
「ぐがああああああああああ!!………あああ!!!」
 痛みが全身に広がる。
 毛穴から嫌な汗がぶわ…と浮かんでいるのが見えた。
「―――あああ!!まだだ!!!まだだ!!!!まだだぁーーーーー!!!!」
 僕は足を引き摺るように、体を起こし、歩を進める。
「―――ぐぅ!―――ぐぅぅぅぅ!!」
 地面に着くたびに、失神しそうになる足を無理やり、引き摺る。
 日和はこんなもんじゃなかった!!
 日和はもっともっと―――もっと痛かった!!
 なのに―――そんなカケラさえも見せずにがんばった!!!
 こんなもんに負けてたまるか!!!
 こんな傷から逃げてたまるか!!!
「―――う…うおおおおおおおおおお!!!!!」
 僕は階段の最上階にでる。
 階段を抜け、左手…4つ目のドア。
 手に取るように分かる。
 昨日の事の様に思い出せる。
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
 ずる…ずる…ずる…。
 ずる…ずる…ずる…。
―――1つ。
「はぁ…はぁ…はぁ…!!」
 ずる…ずる…ずる…。
 ずる…ずる…ずる…。
―――2つ。
「はぁ…はぁ…はぁ…!!!」
 ずる…ずる…ずる…。
 ずる…ずる…ずる…。
―――3つ。
 あと、ひとつ―――!!
「はぁ…はぁ…う、うあ…!!!!」
 どがっ!!
 僕は足が縺れた拍子に、廊下に無様に倒れこんだ。
 …いい、無様でも―――なんでもいいから!!
 …もう、弱虫でも―――すきなようによんでくれ!!
 刻がうつり、季節がすぎ。
 時間が流れ、万物が廃れようとも!
 この意思だけは………絶対に!!!!
「は、うは!―――ああああああああああああああああ!!!」
 僕は、――――――逃げない!!!
「はぁはぁはぁ…」
 そして、教室のドア。
 4つ目の。
 3−2とプレートが掲げられた、教室。
「はぁ…はぁ…はぁ………………すぅ―――」
 僕は、大きく息を吸い込み、
 ―――がらがらがら…。
 教室のドアを開けた。






 中空に舞う、ひとひらの蛍と、
 満点の星空と大きなひとつのまぁるい、まぁるいお月様。
 昔のままの古ぼけた校舎と、
 10年の歳月。
 たくさんの思い出たちを抱くように、
 たくさんの刻と幻想の種を包むように、
 微笑みながら、たゆたうように。
 やさしく、ゆっくりと、ていねいに、
 それでいて、ちからづよく、しっかりと、はっきりと、

「ひ……よ……り……?」

 僕は…もう逃げなくていいのだろうか…。
 僕は…もう心の底から笑ってもいいのだろうか…。
 僕は…もう自分を卑下しなくてもいいのだろうか…。
 いや、きっと僕の罪と。
 僕の業は消えやしない。
 消しちゃ…いけないんだ。
 なら………。
 なら、この罪と業を………。
 何年にも渡って積み重なった幾重にも重なり合った深い傷を。
 彼女の………日和のために。

―――なら、僕は今度こそ、強く、しっかりと、心に刻み込むように。
―――この、星と。
―――この、月と。
―――この、夜と。
―――この、友と。
―――そして、彼女に。


 誓う。
 ―――誓う。
 ――――――誓う。



「あぁ―――ああああああああ……ひ…ひよりぃ……………!!!」
「―――!た、たかちゃん!!!」


 僕は彼女の元へ―――。

 そして―――。

 彼女は僕の元へ―――。


 もう決してはなれないと―――。
 もう決してにげないと―――。
 たしかめるように―――。
 ちからづよく―――
 さらにちからづよく―――。
 もっともっとちからづよく―――。




「日和………ごめんな―――ごめんなぁ………!!」
「たかちゃん―――たかちゃあああん………!!」




―――かのじょをつよく―――だきしめた―――




2005/07/09(Sat)16:30:37 公開 / ギロロロロ
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■作者からのメッセージ
ご拝読、誠にありがとうございます!
ギロロロロです。
初めての方はお初ありがとうです。
久しぶりの方はお久方ぶりです。
今回はちょい長めのSSを描いてみました。
如何でしたでしょうか?
まだまだ、技巧も洗練もされていない文章だとは思われますが、ご感想やご意見をお待ちしておりますw

では〜。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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