『ヴァレンタイン商団』 ... ジャンル:ファンタジー ファンタジー
作者:ニーチェ                

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セント・ヴァレンタイン前日。
石造りの家は、それこそ均等に図られた区切りと言う規律の中に置かれていた。それも累々と。
円形に立てられた石造りの家々の中心には、一本の大きな針葉樹が存在し、その先端はそれぞれの家が見下ろせるまで高い位置にある。
そしてその針葉樹を含め、石畳の道路や家はそこかしこに張り巡らされてはいるが、それはあくまで細かく決められた数字計算と決まり事の上で成り立っているのだ。
 その決められた記号的な街のいたる所には、こんな広告が張り出されていた。

『2月14日、ヴァレンタイン・ディ 私達はアナタの生存を保証します』

 一番大きい広告は、針葉樹の先端に無造作に引っかけてある。あるいは紙であったり、大きな薄い絹の布であったりしたが、その張り紙の注意事項に人々は足を止めていた。
ビッグ・ファザー・チョコレートは、そこに茶色のマフラーとコート、それにテンガロンハットと言う衣装で存在した。
マフラーは鼻が隠れるまで巻き込んである。所々何故か糸の質も違った上に、場所によっては赤色や、白色などの部分もあった。
テンガロンハットは眼が隠れるまで深く被っている。
勿論、注意事項など読んではいない。針葉樹のすぐ側で、何かを待っていた。
 彼が、俗に言うヴァレンタイン商団の団長、パパ・チョコレートである。
 暫く、彼は注意事項に足を止め、苦しそうに爪を噛んではそそくさと帰路に就く男達の姿を見つめていた。
やがて、目当ての女性に声を掛けられるまでついにパパ・チョコレートは動かなかった。
「ビッグ・ファザー。こんばんわ」
 丁寧で、優しく気品に溢れた声が、パパ・チョコレートを呼んだ。
「………、やぁ。ミス・ビター」
 ミス・ビターと呼ばれた女性も焦げ茶色のコートとマフラーを着込んでいるが、パパ・チョコレートのように顔を隠しては居なかった。
彼女は服によく映える真っ白な肌をしており、エメラルドグリーンの瞳が特徴的だった。
頭に被った茶色のキャペリンからは、金色に染め抜かれた長い髪が垂れている。年齢は、二十代半ばと言ったところか。
「相変わらず陰気ですね、パパ・チョコレート」
 彼女が喋るたびに、口元に白い煙が浮かんでは消えていく。工場からはき出されるスチームのように。ただし作り出す物は言葉だった。
 彼等のヴァレンタインは、日付が変わった直後から開始される。
13日の12時を回った直後から、生存という大儀を掛けたチョコレートの奪い合いが始まるのだ。
ある男は、義理チョコに狙いを定めて、日頃から多数の女性と友情関係を持った。
そしてまた、ある男はたった一つの確実にもらえるチョコを手に入れるために、日頃から女性に尽くした。
何故そうするのか。そうしなければ、生存することが出来なくなるからだ。
 ミス・ビターは12時を回った直後に、ポケットから一枚のチョコレートを取り出した。
一口サイズのビターチョコレートが12個詰まった、自作のチョコレートである。
道行く男性達の一部は、そのチョコレートを見るなり、
アイツはこれで助かったのか。
等というような言葉を吐き捨てて通り過ぎていった。
「ねぇねぇ、僕にはくれない。なんてこと無いよね」
 そう言ったのは、ボウィ・ホワイト。こちらは、白いコートに白いマフラーをさっぱりと着こなす少年だ。
まだ二十を越えていないだろう幼さの残った顔が、パパ・チョコレートを真っ直ぐ見つめている。
「もちろん、アナタにも用意してあるわ。ホワイト」
 コートのポケットから取り出したのは、茶色の紙袋で小さくつつまれた、ビターチョコ一粒だった。
「そりゃないよ」
「十分でしょう、それだけあればアナタの生存は立証されるわ」
 怪訝な眼をしてミス・ビターを見つめるホワイトに、ミス・ビターは冷ややかな態度で言い返した。
しぶしぶそのチョコレートを受け取ったホワイトは、小さく。ちぇ。と舌打ちしながら、そのビターチョコを殆ど飲み込むようにして完食した。
「パパ・チョコレートも何か言ってやってよ」
「………、断る」
 彼等二人は、パパ・チョコレートの右腕と左腕。つまり、ヴァレンタイン商団の幹部達である。

 ヴァレンタイン商団の仕事は、年に一度。はっきり言えば、ヴァレンタイン・ディその日だけである。
彼等はその二日に、この街中でチョコを売り歩く。
現在それらは、ビターチョコ、ミルクチョコ、普通のチョコレートの三つにわかれている。そうして、客に存在の取捨選択を任せている。
 ただ、彼等のチョコレートは、普通のチョコとは決定的な違いが一つある。
それは、彼等のチョコレートが、人間に、
『存在の立証』
を与えると言うことだ。
この街の男性は、年に一度、ヴァレンタイン・ディの日に、女性からもらったヴァレンタイン商団のチョコレートを食さないと自分という存在が立証されず、どろどろに溶けて無くなってしまうのだ。
それこそ、熱気に溶けたチョコレートのように。
 そして勿論、ヴァレンタイン・ディにヴァレンタイン商団からチョコレートを買えるのは女性だけと決まっている。
つまり女性から認められた男性のみが、この世界に存在することを許される。それがこの世界だった。
 そのために男性は、女性に媚びを売り、尽くした。それがこの世界の暗黙の規律であった。
「………今年は、必要とされない存在が多いな」
 目の前で、土下座をしながら何かを叫んでいる男性と、それを嘲笑しながら蹴り飛ばす女性の喜劇を見ながら、パパ・チョコレートは呟いた。
「そうですね。大分、この制度に慣れてきているようです。男性も、女性も」
 それに、ミス・ビターが補足した。
「本当に必要のある人間だけ、この世に存在していればいいのさ」
 そう、意地悪く言ったのはホワイトだった。
けっ飛ばされた男性を、愉快そうに見つめている。そんなホワイトを、ビターがたしなめた。
「かりにもヴァレンタイン商団の幹部なのですから、フェアな視点で見なさい」
 ホワイトはもう一度舌打ちをした。先程よりも強く。ありったけの邪険を込めて。
「………、そうだぞ。ホワイト。あまりミス・ビターに手を焼かせるな」
 パパ・チョコレートが嗜めると、やはりもう一度ホワイトは舌打ちをして。
「わかったよ」
 と言った。
そんなホワイトに、ミス・ビターはにっこりと笑いかけて。よい子ですね。と、茶化した。
「止めろよ。ミス・ビター」
 むすっとしながら、けっ飛ばされた男性に一度目を向けた。
それから、ホワイトは右手にはめられた安っぽい時計をみやると。もう仕事の時間だ。と言って歩き出した。
「今年こそ町中をミルクチョコで埋め尽くしてやるよ」
 そう言って、とぼとぼと歩き去っていった。
ミス・ビターは歩いて行くホワイトを見ている。眼を細めて、確認し続ける。
彼が道路の先で見えなくなるまで、ミス・ビターは見つめ続けていた。
「彼には、まだ教えていないんですか?」
「………、まだ速いだろう」
  やがて彼が見えなくなると、けっ飛ばされて倒れ込んでいた男性にゆっくりと歩み寄った。
そして、コートのポケットから今度は花柄のハンカチーフをとりだし、男性の額にこびり付いた血をぬぐい取った。
「私は、今年で最後ね」
 血で汚れたハンカチーフは、そのまま男性に渡した。すると男性は。すいません。ノルマ、売り切れませんでした。等と言って頭を垂れた。
「………、今年、存在が立証できなかったのはビターチョコだったか。ミルクチョコが売れすぎた所為だな」
 ミス・ビターは無表情にうなずいて見せた。
「………、この街の住人が、存在を立証されるためにチョコがいるように、我々にも同じように存在するための規律が存在する。それは自分が専門とするチョコレートを一定量売ることだ」
 確かめるように、パパ・チョコレートが言った。すると、側でがっくりと頭を垂れていた男性が泣き出した。
「承知してるわ。私達のビターチョコの販売数はノルマを超えなかった。ホワイトには宜しく言って置いて」
 最後に、パパ・チョコレートはミス・ビターをじっと見た。一度小さくうなずくと、もっと深くテンガロンハットを被り込んだ。
ミス・ビターはそばで鳴いている男を励まして、なんとか担ぎあげると。他のみんなを呼んできて。と、耳打ちした。

「やぁ、ビッグ・ファザー。パパ・チョコレート」
 ホワイトが満身の笑みを浮かべて、パパ・チョコレートに声を掛けた。
陽気な様子で、自分のマフラーの端をいじくり回している。
「………、やぁ、ホワイト」
 パパ・チョコレートは両手をコートのポケットに入れている。返事をするときも手を出しはしなかった。
 針葉樹の天辺には、藍色をした星が瞬いている。まさに、パパ・チョコレートはその星の真下に立っていた。
規律に守られた石造りの家は、パパ・チョコレートとホワイト。そして植えられた針葉樹を囲っていた。何かを許されなければ鳴らない国の規律が、それらを囲っていた。
「ミス・ビターは?」
「………、彼女は昨日商団を抜けた」
 それを聞いたホワイトは、苦々しい顔をしてまた大きな舌打ちをした。
「せっかく、ミルクチョコが沢山売れたことを自慢してやろうと思ったのに」
 パパ・チョコレートは。そうか、惜しかったな。とだけ述べると、テンガロンハットを被り込んだ。
「まぁ、また今度自慢するよ」
 そう言って、ホワイトはパパ・チョコレートに笑いかけた。パパ・チョコレートも。そうしろ。と言うようにうなずいた。
いつもより長くなったパパ・チョコレートのマフラーが風になびいた。新しく、ビターチョコの色が追加されたマフラーだ。
「おっと、素顔を見るのは久しぶりだよ」
 ホワイトは、そう言いつつ、ポケットから一つ一口サイズのチョコレートを取り出した。ビターチョコだった。
「食べるかい。ビターチョコ」
 パパ・チョコレートは、風でゆるんだマフラーをしっかりとまき直すと。こうとだけ言った。
「………、遠慮しておくよ」



2005/06/27(Mon)17:36:40 公開 / ニーチェ
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