『俺たちは英雄だ。』 ... ジャンル:時代・歴史 時代・歴史
作者:ゅぇ                

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 【1】

 

 あつあつのキムチチャーハンやろ。
 お母さんの作っただし巻きやろ。
 それから鮭とイクラのクリームスパゲティ。
 あたしの素晴らしき食生活、誰か返してよ。



 
 気付いたら――タイムスリップしてから半年近く。よう生きてきたもんやな、と素直に思うわ。そこらを刀差して歩いてる武士やら何やらの中を、ホンマよう生きてこれたと思う。



 
 11月10日。
 幕臣勝海舟免職。江戸にて蟄居を命ぜられ、坂本龍馬初め神戸海軍操練所のメンバーたちは大阪の薩摩屋敷に匿われることになる。
 「どんぞゆっくいしていきやんせ」
 「よろしく頼むきに」
 中村半次郎、って紹介された男が丁寧に挨拶をしてくる。あたしと崇人は、まぁ諸事情があって龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩やと思ってるから、複雑な気分や。
 中村半次郎ってのは、後に桐野利秋って名前で活躍することになるけど――この時代は人斬り半次郎って言われとったんね。薩摩示現流の達人やねんて。顎がちょっと出てる。 たぶんこんなんが学校の先生やったら、一日で『アゴ』ってあだ名がつくはず。
 「勝先生のお弟子サァでおられるとか。話は西郷(せご)どんから聞いておりもす」
 これでもゆっくり話してくれてるんやろう。でも正直なまりすぎて早口でややこしい。 龍馬の横で、沢村も陸奥陽之助(明治の陸奥宗光ね)も憮然とした顔をしてるけども、龍馬はにこにこと不器用な笑顔を浮かべていた。
 そりゃあまあ、沢村たちの気持ちも分かる。討幕を目指してるのにやな、何で幕府側の薩摩に匿ってもらわなアカンねん、と。
 信用できるかい、と思ってるんや。
 「坂本さん、へらへらしちょる場合じゃないぜよ」
 「ん?」
 沢村が部屋に戻るなり、きゃっきゃいつも通り口を開く。
 何? 何でこのチビはこんなに鬱陶しいんかな。生理的に好かんヮ。器が小さいねん。
 「鼻糞ほじっちょる場合でもないがよ!」
 うるさいうるさい。龍馬が何ともいえない顔をして小指を鼻の穴に突っ込んでいる。
 「じゃあどうせぇっちゅうねんな」
 ぶっきらぼうに突っ込んだのは彩子や。冷たい視線でずばりと言われて、沢村は顔を赤くした。
 彩子も短気なほうやし、沢村も常にあたしたちのことを女のくせにって目で見てるから、うまくいくはずがないねん。ていうかそんな下から、猿みたいな顔して睨みあげられても迫力ないし。
 いい加減諦めたらええのに。
 「いっそのこと薩摩屋敷を奪いとるっちゅうのはどうかや」
 アホか、と呟く声が後ろで聞こえる。
 崇人や。襖に寄りかかって、崇人は泰然と座り込んでいる。お調子者の彼もそろそろ疲れているんか、少しばかり眠そう。
 「そうして京の同志を集めるんじゃ。どうじゃ、のう皆!」
 「鼻糞ほじってるほうが現実的や、できもせんくせに無茶言うな」
 「まあまあ沢村の言い分も分からんでもないき、おゆきもそれくらいにしちょったれ」
 龍馬があたしを抑えた。分かってるんやけどさ、確かに沢村の言い分も分かるし、薩摩藩邸を乗っ取ってしまいたい気分も分かるんやけど。
 何か一人できゃんきゃん吠えられてもウザいだけやねんて。ホンマちょっと黙っとってくれんかね。
 「おまんら、とりあえず部屋戻ってゆっくりしちょれや。せっかく薩摩が庇護してくれる言うんじゃき、それをうまいこと利用させて貰わにゃ損がぜよ」
 「坂本さ――」
 「こっちが利用してやっちゅう思いよればええんじゃ。男は心が広くなけりゃあ、でっかい仕事はできんぜよ」
 「――………」
 戻るで、と崇人があたしの着物の袂を引っ張った。


 「アカン、眠い」
 彩子がぼやいた。長身の彩子には、着物が少し短く見える。白い脚を投げ出して、柱にごんと頭をもたせかけた。
 「っていうか、俺らホンマどうなんねん」
 圭が、着物の裾についた小さな汚れを気にしながら何とはなしに呟く。
 どうなるねん、って訊いても正しい答えが返ってくるわけないってのは彼もよく分かってるみたい。どうなんねんって呟いたまま苦笑を浮かべている。
 「――幕末の風雲児になったりしてな」
 崇人がケケケと笑った。現代みたいに頻繁にお風呂に入れるわけでもないから、髪がかゆくて仕方ないらしい。
 フケ症やなくて良かったな、ホンマ。
 「アカン、おなかすいた」
 何であたしの一言だけに皆反応するん。いっせいにこっち見るんやめぇな、何ともいえん気分になるやんか。
 「わらび餅とか食べたくない?」
 「わらび餅? 何でいきなり」
 「何となく」
 「……………………」
 もっと明るくいかな。


 

 深川夕希、南高校2年。
 部活は創作ダンス、趣味は食べることとカラオケ。
 好きな教科は体育と日本史。
 好きな先生は担任のアッキー(秋山先生)。嫌いな先生は音楽のこうもっちゃん(河本先生、ちなみに絶対あれはカツラ)。
 幕末は未知の世界――でもあたしが今存在してるとこが、あたしの世界や。紛れもなく。


 
 須賀崇人、南高校2年。
 部活はバスケット、趣味はビリヤードとカラオケ。
 好きな教科は体育と数学。
 好きな先生は数学の佐々木サン(行動が何かおかしいから)。嫌いな先生は現国の徳永(眼がギョロ眼でキモいから)。
 あたしと一緒や。きっともう腹くくってるはず。そんなところは、きっと誰よりも男らしいもん。あたしは、あたしの彼氏を信じてる。崇人はいつもへらへらしてるけど、あたしの最高の彼氏や。


 
 東村彩子、南高校2年。
 部活は新体操、趣味はショッピング。
 好きな教科は体育。
 好きな先生は体育のノリノリ(中村先生)。カッコいいから。嫌いな先生は化学のサカキ(榊原先生――これはマジでキモい、ヤバい)。
 あたしと彩子は親友や。きっと一緒にいるだけで多かれ少なかれ安心できる。もしも皆で現代に戻れて、今までと同じような生活を取り戻せたら、それはバリ嬉しい。なるようになるって言ってるけどあたし、皆一緒に戻れたら――って。やっぱり思う。


 
 藤沢圭、南高校2年。
 部活はバスケット、趣味はバスケットとカラオケ。
 好きな教科は体育と現国。
 好きな先生は体育のノリノリ。別にカッコいいからじゃなくて、めちゃいい人やから。嫌いな先生は家庭科のトミー(富永先生)。
 きっと一番優しくて繊細で、だからきっと一番不安に思ってる。時々ぼんやりしてる彼を見ると、ホンマに現代に戻りたくなる。なるけど、戻られへん。あたしの生きる場所は、あたしが存在するその場所やって。あたしはそういえるけど、圭は違う。もしもこの中で一人だけ現代に帰れるんやったら――あたしは圭を帰してあげたい。



 幕末の思春期や。
 若者は色々と悩みがつきへんねや。


 だからおなかも空くんや。







 【2】

 
 「夕希風邪ひいたんと違う?」
 薩摩の人らからふるまわれた軍鶏《しゃも》鍋をつつきながら、彩子があたしの顔を覗き込んだ。
 「んぁー……」
 頭がぼんやりするし、鼻水が止まらへん。
 「アホは風邪ひかへんって嘘やな」
 「それ夏風邪やろ? どっちがアホや」
 些細な崇人の言葉に噛みついて、木碗にたっぷりと入れてもらった汁と鶏肉を頬張る。 軍鶏鍋って、あたし食べたことあらへんかって。初体験や、初体験。見た目結構無愛想な感じやけど、それがびっくりおいしいおいしい。
 「おまん、どれだけ食やぁ気が済むんぜ」
 何かにつけあたしに突っかかってくる沢村惣之丞。ホンマ――体調が悪いせいか知らんけどホンマ何か鬱陶しいんやけど。どれだけ食べたって別にええやん、まだいっぱいあるやんか。
 いっちいち文句ばっか言うなチビ。
 「何よ、食べたらアカンの? 誰が決めたん、これ沢村サンが作ったんですヵァ〜?」
 ああ、鬱陶しい。出来ることならあたしの目の前から消えうせて。ていうかむしろアンタが平成に飛べ。どっか行け。
 刀に手をかけてキレまくってる沢村を、横で陸奥陽之助が呆れた顔で止めている。
 「夕希、俺のも食べる?」
 圭がおなかいっぱいや、とお碗を差し出してきた。
 「食べる」
 「っていうか寒いわマジで」
 何せ着物が薄すぎるんや。現代とは違って、まだまだ温暖化なんてなってないし。それにコートとかマフラーとかあるわけでもないから、夏のまんまの着物やと寒いねん。
 でもお金があるわけでもなし、なかなか着物替えられへん。
 「彩子、おまえ援交してこいや」
 「あぁ?」
 あたしより彩子のがガラ悪いと思うで。眼つきが鋭いから、余計に。
 「崇人さぁ、意味わからんこと言ってる間あったら自分の服脱いで夕希に着せたったらええやろ」
 「俺に裸になれって!? おまえは痴女やったんか」
 「夕希!! 夕希チャン!! あんたの彼氏殺していいですか!!」
 「ああもう、好きにしてよ」
 今は崇人より、あったかい軍鶏鍋のほうが大事や。こっちのほうがあたしを癒してくれる。
 そういえば――つい昨夜聞いた話では、下関(今の山口県や)で長州藩の高杉晋作が挙兵したらしい。 この人は、いつやったか忘れたけど藩の命令で中国上海に行ったことがあるんやって。ええと、この頃の中国は清やったっけか。それで西洋の餌食になってる清の現状に憤って――攘夷の意思を強くしたんやって。まあ、何を見たんかは高杉晋作に聞かな分からんけど。そいで、下関で挙兵。外国船を砲撃して反撃されるんやな。つまりその下関で挙兵して反撃されたっつー報せが昨夜来たわけよ。
 漫画とかのイメージやと、ともかく長州の人間は血の気が多すぎて困る。神風特攻隊じゃー、とか言って爆弾抱いて突っ込んでいった日本人の原型はこの長州人とちゃうかとさえ思うんやけどどんなもんやろ。まあ別にどうでもいいけどさ。
 正直ここに来た最初は余裕ぶっこいてたけど、こうして幕末の志士らの中に混ざってしまって、しかも時代がそろそろ本気で動きだしているのがわかってしまうと、今を生きるのでいっぱいいっぱいやもん。
 「あたしらいつまでここおるんやろ」
 彩子が呟いた。けど、見てみるとそんな深刻そうな顔をしてるわけでもない。ホンマただ単純、ただ純粋に疑問を口に出しただけや。
 「彩子、おまえ足見えとる」
 いつもの癖やろう。着物のまんまで足広げてストレッチしようとする彩子に、崇人が鬱陶しそうに言った。
 なんか最近ものすごく思う。ストレスが溜まってきてるせいやろうけど……何か皆イライラしてる感じ。
 「見んなよ」
 「ふっとい足晒すなや」
 崇人も無茶言う。本気で言ってるとしたら眼ぇ腐っとる。新体操部の彩子は超美脚(ついでに創作ダンス部のあたしも美脚)、ふっといどころかほっそいほっそい。
 「ホンマ意味わからん、バリむかつく」
 こんなに仲悪かったっけ?



 
 「あ〜ぁ」
 暗い部屋。火鉢の傍に身体を投げ出して、圭が溜息をついた。崇人は明朗でお調子モンやけど、イライラが溜まるとどんどん機嫌が悪くなる。ちょっとばかし天気屋なのが玉に瑕。で、彩子もそれと同じタイプなんや。昼間崇人と口げんかをしてイライラが溜まってんやろう。もう今日は二人ともさっさと与えられた部屋に戻って寝てる。
 「寒くなってきたよなぁ」
 「んー」
 圭の横に寝転がって、適当に相槌を打つ。現代におったころは昼間しか顔を合わせんかったのに、今は毎日毎日寝ても覚めてもおんなじ顔。特に沢村とか陸奥なんかは毎日見てるといい加減イライラしてくるんやけど、圭の顔は見るとホッとする。
 崇人を見たときとも、彩子を見たときとも違う安心感があるのは、たぶん圭が大人っぽいからやろうナ。軽いの三人の中に、一人重しがわりみたいな。
 「今、西暦の何年にあたるん?」
 「1864年やで」
 「明治維新って何年?」
 「大政奉還が1867年やなぁ」
 「それって歴史上でおっきい区切りやんな?」
 「そうやなぁ」
 俺たち、もしかしてあと3年ここにおらなアカンのかなぁ――っと圭が呟いた。でも顔はそれほど暗くない。少しずつ諦めてきてるみたいなトコがある。
 「おまえ、まだ楽観的に見てる?」
 「………………」
 思わず詰まってしまった。最近薩摩屋敷に匿われてるだけで、何にもすることがないせいかもしらん。やっぱり崇人たちの顔を見るたんびに、平成のことを思い出すんや。
 クラスのこととか、お母さんたちのこととか。それからクラスメイトのゆりとか山下とか。これでも健全な女子高生やもん、思春期やもん。そらナーバスにもなるっちゅうねん、なぁ。
 「なあ、どうなん」
 「…………悲観的にならへんっていったら嘘かもしらんけど」
 ぱちぱち、と火鉢が軽い音を立てた。
 「でもとりあえず今のことしか考えへんようにしてる」
 「………………そか」
 「…………うん」
 あたしは寝転がりながら、ぼんやりしてる圭の横顔を見上げる。あの眼をされると、あたしはアカン。何か能天気な自分がものすごい悪いような気がしてくるんや。
 「夕希、俺のこと心配してるやろ」
 (!!)
 何や、分かってんなら心配させんなよ。思わず眼を瞑る。
 「してるよ。心配してくださいって顔してるやん」
 はは、と圭が軽く声をたてて笑った。不安になるのは――でも圭だけじゃない。あたしや崇人は知ってるんや。未来を知ってるんや。
 3月になったら幕府が、第二次征長令を出す。そしたらどんどん時代の流れは激しくなって、否応なしにあたしたちもそれに巻き込まれていくに違いないねん。
 そう、きっとホンマにいつ死ぬか分からんギリギリのところまで追い込まれていくと思う。
 未来を知ってることが幸せか、それとも不幸せか。どっちなんやろう。
 あたしにはもう分からへん。
 「雰囲気のある男やからな、俺は」
 四人一緒や。大丈夫、大丈夫。なるようになる。人生そんなもんや。
 腹括れ、あたしたち。
 「オイコラ、何でシカトやねん」
 「ごめんて、今のはわざと違うってば!」
 思わず声を出して笑う。まだまだいける――あたしたち、まだまだいける。

 
 
 だって生きてるやん。間違いなく、この場所で。







 
 【3】

 

 明石家さんまみたいな笑い声が聞こえてきたから、声のするほうへ行ってみると、そこでは彩子が大口を開けて爆笑していた。
 「アホか、誰が行くかっつの」
 暦はもう四月――旧暦やから、季節はすでに夏。着物の裾を相変わらずばったばたと翻しながら、畳の上で彩子がけらけらと嘲笑している。
 沢村たちが苛々したように、でも怖いから何も言えんっていう風情で彩子を見上げていた。崇人と圭もそこに胡坐をかいていて、たった一人トイレに籠ってたあたしはそろりと部屋の中へ入る。
 「どうしたん」
 「ああ、夕希。聞いてや、薩摩行くねんて」
 彩子が吐き捨てるように報告してくる。
 (薩摩……)
 ああ、そうか。薩長連合を提言しに行くんヵ。
 「薩摩ってどこ?」
 出た、彩子のボケ炸裂や。歴史嫌いやからしゃあないといえばしゃあないけども――圭までが、俺もソレが聞きたかった、みたいな顔してあたしを見てくる。
 「……鹿児島やん」
 「「鹿児島ぁぁ!?」」
 彩子と圭の声がでっかくかぶった。鹿児島ってどこや、と無茶苦茶なことを彩子が叫ぶ。
 「鹿児島ってドコ、四国?」
 「いや九州やろ、おまえそれでも日本人か」
 「ええやん、あたしは近畿人や」
 「っていうかどうするん。龍馬は俺たちも一緒に行ってええって言うてるけど」
 崇人が二人の漫才に口を挟んだ。何ともいえん顔をしたのは彩子と圭で、もう正直なところあたしの腹は決まっとる。
 そんなもん、せっかく龍馬と会えたのに今更離れるなんてもったいないことできへんやろ。それに龍馬とおったら、それはつまり時代の流れを追ってけるってことやん。新しい日本への道を一緒に歩けるってことやん。鹿児島だろうがアメリカだろうがフランスだろうがついてくで。
 ボンジュールとハローが言えれば何とかなるやろ、それにあたしはグーテンタークもニーハオもアンニョンハセヨも言えるし。国際派やねん。
 「おまえはどうすんねん」
 圭が柱に寄っかかったまま泰然とした様子の崇人に訊ねた。
 「俺はまぁ夕希にあわせるけど…………おい、夕希おまえどうするん」
 「あたしは行く」
 自分でもびっくりするぐらいはっきりした声が出た。やっぱりな、っていう顔をして崇人が圭と彩子に視線を移す。
 「俺も行くヮ」
 「……………………」
 九州やろぉ、と彩子が厭そうな顔で呟いた。何やねん、九州にトラウマでもあるんか。
 「うち九州厭やねん。だって全国大会で福岡第二に負けたもん」
 「アホかおまえ」
 (アホか)
 あたしも崇人に合わせて心の中で叫ぶ。どうやら新体操で福岡の高校に負けたのを、今でも根にもってるらしい。
 そういえばそんなこといっとった――でも、それ去年の話やで。まだ覚えてたんか。
 彩子のくだらん話に続けて、圭がこれもまた厭そうな顔であたしと崇人に眼をやる。
 「鹿児島ってさ、何で行くん」
 「ひこ」
 「飛行機なんてあるわけないやん彩子」
 「……………………彩子ってホンマ頭やばいなぁ」
 「じゃあ何で行くねんな」
 たぶん自分が恥ずかしかったんやろ。彩子が開き直って怒鳴り返してくる。この時代どうせ馬か歩きか船に決まってる。
 薩摩は船持ってるから、たぶん大坂から船で鹿児島まで行くんやろな。
 「なあ、薩摩まで何で行くん」
 縁側で鼻糞をほじってた龍馬に怒鳴りかけると、のんびりとした声が返ってきた。
 「船じゃ、決まっちょろうが」
 土佐の桂浜育ち、海のすぐ傍で育った坂本龍馬って男は海好きや。超有名な文庫本の中にも出てきたやろ、龍馬の名ゼリフ――『世界の海援隊でもやりますかいのう』――世界の海に出て自由に商売をやるっつーのが、まあどんな小説やドラマでも言われる龍馬の夢や。
 まあ、本人に聞いてないから詳しくは知らんけど。
 「船!? 俺嫌や……」
 突然圭が怖気づいた。
 「船とかありえへん」
 「何でよ」
 あたしも崇人も行くってことで、彩子もなんだかんだ文句言いつつ鹿児島行きを決心したらしい。決心してしまえばあとはケロッとしたもんで、船が嫌ってどういうことやねんオマエと圭を見下ろす。
 「いや、いやいや……船はなぁ」
 「沈むん怖いん? あひゃひゃ、子供や子供。お子ちゃまや!!」
 「黙れやボケ、いっぺん海でも沈んで来いや!」
 爆笑されて圭が彩子の頭をひっぱたく。ぱこん、とめちゃめちゃいい音がして思わず笑けた。
 「いや、普通に長旅っぽいし、酔うやん。俺けっこう酔う体質なんやけど」
 「あー……確かにそうやな、おまえ」
 崇人が思い出したように頷いた。
 「何、そんな弱いん?」
 「だってコイツ、合宿の行きのバスん中ですでにヤバかったもん」
 そういえば遠足やら何やらのときには、いっつも酔い止めがどうのこうの言ってたような気もする。
 叩かれて微妙に不機嫌になった彩子は、テンションが急激に下がったらしくて、もうどうでもええ何とでもなれや的な適当な顔をして座り込んだ。ザ・自己中や。クラスメイトに、よく彩子と夕希は似てるって言われるけど……微妙やで。
 「酔うと吐くやん、何か嫌やんけ」
 あたしは全然酔わへん体質やから、あんまりそういうのは分からんけど。
 「ああ、でもバスちゃうんやし……気持ち悪なったら船の上から海に吐いたらええんと違うん」
 「……おまえ、そんな問題かソレ?」
 「まあいいやん、とりあえず四人揃って鹿児島行こうや」
 中3の修学旅行が九州やった。あのときは、四人ともクラスが違かってバラバラやったけど――だからあれやん、修学旅行の仕切りなおしやと思えばええんやん。おぉ、我ながらめっちゃ前向きアイディアや。
 「いいやん、いいやん。修学旅行やと思えば」
 「……ホンマのんきやなぁ、夕希」
 さっきまで鹿児島は九州や四国や、鹿児島までは飛行機やの何やのと馬鹿げたことで騒いでた彩子が、呆れた顔であたしを見てくる。いやいや彩子だけには言われたくないって。
 「……そっくりそのまま返すわ」

 
 


 4月25日、薩摩の船『胡蝶丸』で、大阪出帆。この日初めて西郷隆盛に会った。教科書でよく見る顔よりも、少し細くて強そうで、でも何か思ったより貧相やった(西郷隆盛のファンには悪いけど)。

 

 5月1日、薩摩(鹿児島)へ到着。出発してからここに来るまでの間、圭は13回。崇人は3回。彩子は5回、吐いた。あたしは0回やった。すごいやろ。
 この日からあたしたち一行は、西郷の家と、それから小松帯刀(たてわき)って人の家に分かれて滞在することになる。








 【4】

 
 俺もうアカン、と言いながら圭がぐだぐだと縁側に寝転がってる。暑いねん。
 崇人は龍馬と西郷の囲碁勝負にいちいち首を突っ込んでたし、彩子はやっぱり着物の裾をからげてばったばたと扇いでた。
 「足りへん、もうないのん!?」
 あたしは薩摩揚げを食べてる最中や。これ、マジでおいしいってやばいって。きつね色のつやつやとした表面――柔らかくってやな、いやもう何ともいえない味加減。現代のより美味しいんちゃうかなって思うんやけど。
 「おまんサァ……ほんのこつ大喰らいじゃの……」
 中村半次郎があたしたちの接待役(とか何とか言いつつ見張り役みたいなモン)としてついてるんやけど。彼が呆れた顔であたしを見てくる。
 ちょっとこのオッサン顎出すぎと違うか。
 「だっておいしいやん、お願い半次郎どん、もう3枚ほど……」
 「3枚!? 一蔵どんの分がなくなりもっそ」
 「一蔵どんの、新しくあとで作ったったらええやん!」
 この薩摩揚げ1枚で、白いご飯が1杯は食べれるな。最高。
 「ちょぉ、夕希ぃ!!」
 呼ばれてあたしは膳から眼を上げた。中村半次郎が、ここぞとばかりにあたしの膳をさげる。
 何やの、いちいち細かいなぁ。薩摩揚げの3枚や4枚くらいどどーんと振舞わんかね。 ケチくさっ。
 「なぁ、来て来て来て」
 「……何?」
 しゃあないな、このへんで勘弁しといたろ。まだまだ食べたりんけど。慈悲の心でもってお箸をおいて、あたしは彩子が呼ぶほうへ足を運んだ。
 「あんな、龍馬が長崎行けへんかって。どうする?」
 「長崎?」
 中学の修学旅行で、眼鏡橋やらハウステンボスやら行ったのを覚えてる。そうそう、眼鏡橋の近くで、あたしと崇人はおそろいのタペストリーを買ったんや。……龍馬の銅像がプリントされてるやつな(笑)
 「グラマーと何か会いに行くんやって」
 「は?」
 龍馬が、日本最初の株式会社亀山社中を長崎に設立するのはまだ先の話。やからまだ長崎にそれほど重要な用事はないと思うんやけど。
 「グラバーのことやろ」
 崇人が後ろで突っ込んでくる。
 「グラバー……ああ。ああ、なるほどね」
 彩子はグラバーとグラマーを間違えたんや。歴史知らずは怖い怖い。
 で、グラバーってのはイギリスの貿易商人やねん。お父さんか何かが上海で商売してたらしくて、その関係で長崎を訪れたんやって。それで長崎の大浦ってとこにグラバー商会を設立して、色々な藩に武器とかを売って大富豪になったん。そうそう、伊藤博文とかの長州藩の人間をイギリスに密航させたんもこの人なんやってさ。あと薩摩藩士のイギリス留学を手伝ったり。あたしの記憶が正しければ、この人維新後に倒産したんやけどね。
 「長崎の白石っちゅう豪商が、儂とグラバーを引き合わせてくれるっちゅうき」
 へぇ、グラバーと会うんや。
 「おまんらも行きたきゃあついてきとうせ。女子の眼をひく舶来モンがぎょうさんあるきのう」
 女の子のショッピングには最適な場所やな。この時代なんかやったら特に。現代みたいに、どこにでも何でもあるわけじゃない。
 もうホンマ、テレビもなきゃ携帯も――いや、ウンともスンとも言えへん携帯の抜け殻ならあるけど――漫画も豪華な食べ物も電話も電気もなぁんもない。ホンマ何もない。飽き飽きなんやけどな。
 でもこうなると些細なものが眩しく見えるっつーのは事実やヮ。ちょっと空がいつもより青かったとか、見慣れない鳥が飛んどったとか。それからちょっと外国から珍しいお菓子が入ったとか。
 そんなことだけで何か実際ホンマ楽しくなるんよね。わくわくするっつーか。
 結構あたしって純粋やん、みたいな。ハハハ!!
 「長崎かぁ……彩子は? あたし行くヮ」
 またおまえは即断か、と崇人ががばり上体を起こした。
 「彩子はどうするん?」
 「……んじゃあたしも行こかな」
 崇人は少し呆れ顔で、圭はもう何かを諦めたような仙人みたいな表情や。
 「あんたらどうすんの」
 彩子が崇人と圭に向けて問いかける。圭がいやいやをするように少し首を横にふった。 もう先日の船酔いゲ●13回で、ここんとこテンションダウンやねん。
 「俺パス。もう体力限界」
 「か弱いなぁ……」
 彩子が呟く。
 「やかましいわ!!」
 圭が勘弁してくれ、と怒鳴った。崇人はどうしようか考えあぐねてるみたい――圭をひとり鹿児島に残してくのは少し気が引けるんやろうナ。


 
 長崎には、龍馬と沢村たち取り巻き三人。それとあたしと彩子が行くことになった。圭と崇人はお留守番ってことで。


 
 長崎といえば――やっぱりカステラやんな。いやいや、豚の角煮まんじゅうかなぁ。それとも長崎ちゃんぽん……よく考えたら長崎ってのもグルメな県やなぁ。何食べよかな。
 「なあなあ、何食べよか」
 「あんた食べることばっかりや」
 「長崎っていえばさぁ、そう。高1んときに家族旅行で行ったときにな、JRの長崎駅の近くで試食した豚の角煮まんじゅうがバリおいしかってんけど」
 「はいはい」
 彩子は冷たい。新体操部のエースやから、プロポーションは保っとかなアカンねんて。彩子は食べたら太る体質らしい。だからあたしが思う存分食べてるのを見ると、むかつくんやって――そんなんあたしのせいと違うやんか。
 八つ当たりすんな。
 「あとなぁ、修学旅行のバスん中で配ってもらったやろ、カステラ」
 「ハァ?! そんなん覚えてないって」
 てくてくと歩きながら、時には小舟で河を渡りながら、あたしたちは龍馬一行の最後尾でぎゃあぎゃあ騒ぐ。
 だから時々沢村が眉を吊り上げて、緊張感がないって怒ってくるねん。
 「普通味のと、チョコ味のと、抹茶味のと三切れも配ってくれたん嬉しかったぁ」
 「………………」
 「カステラの抹茶味はな、アレは斬新やと思うで」
 「………………」
 「でもやっぱり普通味が一番かなぁ」
 「………………」
 「チョコ味は、ちょっとあたし的にNGやねんけどな? やっぱり何事も基本の味が一番いいと思うねん」
 「……もっと他の話できやんの?」
 「他の話って?」
 「恋バナとか」
 恋バナ!!! 鼻から水出るヮ。恋バナ? 今更あたしに何の恋バナをしろっていうねんな。
 「崇人とどうなん」
 「どうなんって?」
 「最近圭ともいい感じじゃない?」
 「崇人が!?」
 冗談じゃない。崇人と圭がホモホモしてるなんてあたしは嫌やで。
 「アホか。あんたと圭が、よ」
 (何や……)
 ああ、ビビッた。紛らわしい言い方せんとってや、彩子の言い方はいちいち紛らわしくってやってられへん。彩子曰く、あたしと圭の仲が怪しいんやって――でもな、誰かが言っとったで。圭はいい人やけど、いい人止まりで恋人タイプやないって。あれはウケたウケた。
 「おゆき!!」
 あたしと彩子のお喋りは、龍馬の声で遮られた。
 「先に逃げちょれ」
 そっと彼があたしの耳に囁く。山賊だか何だか知らんけど、野武士? 違うか。何やろ、何か浮浪者みたいなのんが棍棒やら何やらを手にもって前方に立ちはだかっていた。


 ――斬りあいかな。

 
 呟いたあたしの傍で、呑気やなぁと彩子が呑気に呟いた。







2005/06/27(Mon)20:13:06 公開 / ゅぇ
■この作品の著作権はゅぇさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
【4】の更新で〜すッ!!
ええと、本当はですね。この時期に坂本龍馬たちが薩摩に行ったのは一応事実なわけですが――その薩摩滞在の間に彼らが長崎に行ったという事実は残念ながらないようです。ええ、つまりあたしの脚色ですね。そろそろ長崎でも出さねばストレスが溜まるっていう適当な理由によって(笑
歴史捏造かよ!! っということは置いておいて、お許しくださいっ。

今後亀山社中設立やら何やらのイベントが多く出てきますので、そうしたらもうどんどんあたしの欲望丸出しになっていくと思います。ということで、これもまたのんびりと気軽にお付き合いいただければ幸いでございますっ♪ではでは。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。