『鎖 姫 10〜』 ... ジャンル:ファンタジー ファンタジー
作者:光歌                

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#10

 一つの集団が、とある美しい国に向かっている。
 先頭を行く者達は皆武装し、後から来る者達は暗い色の絹織物を纏っている。
「あと2キロ程で着く」
 先頭の武装集団の中でも、最も体格の良い小麦色の肌をした中年の男が言った。
 男の髪には既に白いものが混じり、目の下には皺が寄っていた。
「着いたら、襲撃だ」

◇◇◇

「エルフってのは、人間の容姿に限りなく近い形をしているんだけど、人間とは異なる生き物のことを言う」
 まるで教師のような言い方で、いつもの明るい笑みを絶やさず、リセイルは言った。
「でも、髪や目が人間では在り得ない色をしていたり、耳の形が違ったり、動物と会話が出来たりする」
「そんなもの、私の術を使えばなんてことはない」
 セリオンは呆れ顔で、さらりと口を開く。
「あたしだってお姫様の術で話せるようになったんだし」
 常に彼女の肩に止まるシェンも、その甲高い声で言う。
「俺の目の色は人間の色だと思うけど」
 続いてエーシャがそっけなく発言する。
 今自分が同行している者達に自分の発言を全て流されたリセイルは、大きな溜息と呆れを含んだ声を漏らした。
「……なんて夢の無いガキ共+鳥なんだ」

 先程。
 リセイルが片手を挙げ、大胆にも上空に存在する自分の竜に合図した瞬間、凄まじい風が巻き起こされた。
 それはリセイルの竜・漆黒の身体を持つウィーザの羽ばたきが起こす風だった。
 セリオンはその黒い物体を睨みつけるような視線で見、そして言った。
「アレに乗るのか?」
「乗るよ」
 リセイルは笑って答え、黒いマントの先端をひらめかせた。
 そして自分の両脇に立つ、自分よりも年下の新たな連れの手を、我武者羅に掴んだ。
 ……そして、今に至る。
 本人曰く、「跳んだだけ」らしいが、セリオンはまるで当たり前のように納得しなかった。
 普通の人間が、遙か上空まで跳べるはずが無い。それにリセイルは、自分達に始めて顔を出した時も、遙か上空から落ちてきたというのに、無傷どころか砂埃が立つだけだった。
 おそらく彼も――術士。

「お前らセフィに着いたら、まず何すんの?」
 リセイルのその言葉で、セリオンは我に返った。
「俺はエルフ姫に挨拶して、適当に時間潰すけどさ。お前らは?」
 セリオンは考えた。
 エルフ姫に会って、全てを聞き出す。それまではいい。
 しかしそのエルフ姫に、何と言って全てを聞き出せば良いのか、“姫”として多少世間知らずなセリオンには分からなかった。
 「ルーセの姫ですが、全て教えてください」とでも言えば、それで良いのだろうか。それで全て、教えてくれるのだろうか。
「私はエルフ姫に全てを聞きだす」
「そんな簡単に教えてくれるのか?」
 たった今考えていたことをエーシャに突っ込まれ、セリオンは痛いところを突かれる羽目になった。
 冷たい鎖国で愛情もろくに与えられず育った孤高の姫・セリオンのプライドが高くないはずは無い。
「そういうお前はセフィで何をするのだ?」
 いつもの冷たく響く声で、彼女はまるで『仕返し』とばかりに訊ねた。
 ……その言葉が、時がたてばいつか残酷に起こされるであろう“ルーセ国破滅”への近道になるとも知らずに。
 セリオネーゼ姫の死、エーシャとの別れ、そしてリセイルの真実を知らせるのを早めたとは知らずに。

◇◇◇

 風が吹き、桃色の花がさらさらと揺れる。
 それに合わせて、少女の髪もふわふわと靡く。
「……今、ルーセ国に“審判”が向かっています」
 ルシェラは悲しげな音色の声で、常に傍らに置いている友・ファシアに告げた。
「そしてルーセ姫は、順調にこちらへ向かっている」
「ルシェラ様、あなたはルーセ姫に全て教えるのですか?」
 ファシアは意志の強そうな瞳で、ルシェラを見据えた。
「ルーセ姫だけではありません。リセイル様にも、エーシャにも」
「望むのなら」
 ルシェラもまた、意志の強そうな黄金の瞳で、ファシアと目を合わせた。
 
 身分違いの二人がこんなにも気が合うのは、何処か似ているところがあるからなのかもしれない。
 ファシアとルシェラは、それこそ『姉妹のように』育ったといえよう。
 ただ、育つ環境が違ったが、それでも二人は何の屈託も不満も無く、昔からの仲を壊すことも無く、育った。
 幼い頃ファシアはよく、澄んだ響きの名を持つ弟を連れて現れた。
 自分よりも年下だということもあって、元々家族の無いルシェラはファシアの弟を、自分の弟のように可愛がった。
 ……ルシェラは長い旅をしてきたという、妊娠中の大きな腹を持った名も無きエルフの女の身体に宿った子だった。
 彼女が旅の疲労で死んだ瞬間、ルシェラが生まれたのだと、セフィに住む高齢のエルフ達は言う。

「ルーセ姫達が着きます。もう、すぐそこまで来ている」
 生まれつきの能力、というものだろうか。
 ルシェラは黄金の瞳を開き、世界の全ての出来事を悟る。
 犯罪者の犯した罪や、小さな村で起こった喧嘩や、名も知らぬ娘の結婚式までも。
「姫が到着したら、まずは名前を聞かなくては」
 ルシェラは楽しそうに、しかし寂しげに微笑んだ。

◇◇◇

「見えた」
 リセイルは上空から青々と木々の生い茂った場所を指差し、笑顔で言った。
 その木々は緑を通り越し、セリオンの瞳に似た澄み切った深い青い色をしていた。
 木々の間を小鳥達が行き来し、その平穏な雰囲気と景色はまさにエルフ……精霊族に相応しい光景だった。
「ウィーザ、あと500メートルしたら着地」
 リセイルはウィーザの首の辺りをぽんぽんと叩き、言った。
 竜のスピードで500メートルなど、一瞬にすぎない。
 ウィーザは地上に着地する為、翼の動きを緩め始めた。
 緊張とは違う固い感情が、セリオンの心に宿る。
――全てを知ることに必要なのは、それなりの覚悟と代償だ。
 昔、絶対の存在だった恐ろしく冷たい父に、そんなことを言われた気がする。

 ふわり、と、自然の香りのする風が、まるで自分達を歓迎するかのように、セリオンの長い髪を靡かせた様に思えた。


#11

――いい? あの子の名前は今日から“エーシャ”よ。
――どうして? なんで今更名前を変えるの? あたし、あの名前が好きよ。
――ごめんね……。でも、あの名前は心の奥にしまっておいてほしいの……。


「人間……?」
「人間だわ……」
「人間だ……」
 青々と茂る木々を掻き分けて進むと、そこはセリオンの身長よりも数十倍大きな木が、一つだけ立っていた。
 セフィは青い森を一部分刳り貫いたような町で、その大きな一本木が屋根のような役割を果たしている。その為、一部分だけが町であり、その先は森だ。
 土は薄い茶色のものだったが、遙か前方に沢山の石が並ぶ場所があり、そこの土にだけは草が生い茂っていた。
 おそらく、墓地だろう。
「人間が来た……」
「人間だな……」
「人間よ……」
 エルフ達は、一言で言えば“異形”だ。
 擦れ違うセフィの住人達の髪や瞳の色は、桃色、群青、紫などと、リセイルの言うとおり人間では在り得ない色をしている。
 自分達を見てひそひそと『人間』という言葉を発するエルフ達に、セリオンは内心少々たじろいでいた。
 エルフ姫は、何処に居るのだろう。
 見たところセリオンの視界に入っているエルフ達は、皆町人のエルフのようだ。
 木製の民家が点々と並び、皆気取らない粗末な服を着、こちらを見て囁き合っている。
「エルフ姫は何処だろうなぁ」
 周りを見ずに発したリセイルの無意味に大きな声が、エルフ達の囁きを広めることとなった。
「……あの人間、ルシェラ様に会う気だわ」
「なんて身の程知らずな」
 セリオンは呆れ果て、自分より身長の高いリセイルを見、溜息をついた。
 そして気休め程度に肩で黙っているシェンを撫でると、その状態のままエーシャと目を合わせた。
「お前、エルフ姫の居場所を聞いてきてくれないか。私達が行ったところで、皆教えるはずが無い。同じエルフ族なら、退くこともないだろう」
 僅かに聞こえる程度の声で、セリオンはそっと呟いた。
 周囲から見れば、小鳥を撫でる少女が、エルフの少年を睨みつけているようにしか見えなかっただろう。
 エーシャは無言で頷き、こちらを見ながら話をする老夫婦らしき薄い青の髪をした二人のエルフに、少し早歩きで近寄った。
「あのすいません、ちょっと聞きたいことが」
 敬語は慣れないのだろう。
 素晴らしいと言って良いほどぎこちない言動で、エーシャは訊ねた。
「どうしたの?」
 やはりエルフという種族は同族には心を開くのか、老夫婦は柔和に微笑みながら首を傾げた。
「エルフ姫は何処にいるんでしょうか」
「ああ……それなら、そっちの森に入ってすぐのところよ」
 微笑んだエルフの老女が、向かって右側の青い森を指差した。
「あなたによく似た髪の色を持つ子と一緒にいるわ」
「はぁ……ありがとうございます」
 エーシャは一礼すると、今度は小走りでセリオンとリセイルの元へ戻り、老夫婦の教えたとおりに向かって右の森を指差す。
 やがて三人は森へ進み、その姿は霞んで見えなくなった。
 エーシャにルシェラの居場所を教えた老夫婦は、それを複雑な表情で見、揃って悲しげな溜息をついた。
「……戻って来たわ」
「9年ぶりかしら……」
「ほら、今の子が例の子よ」
 町人の噂話は一気に逸れ、先程よりも雰囲気は暗く澱んだ。
「中央に住むファシアさんが一人で待ってたって……」
「でも、無事で良かったわね」
「何言ってるんだ、あの子は記憶喪失らしいぞ」
「無理もない……」
「思い出さない方がいいんじゃ……」
 
「久しぶりに会うから、楽しみだなぁ」
 リセイルは嫌になるほどの笑顔で、胸を張り前を進む。
 その声は良く透り、セリオンとエーシャにとっては多少耳障りなものとなった。
「美人になってるだろうなぁ〜……あ、もちろんお前も美人だからな」
 振り向いてセリオンを指差し、リセイルはにかっと笑った。
 セリオンはまるで機嫌の悪い子供のように顔を横に逸らし、リセイルの視線を遮った。
 今更エルフ姫との対面に躊躇している自分を、セリオンは怨んだ。
 どんなに強力な術を学び、冷静な思考力を持ち、すました表情をしていても、心の中の躊躇いは消えうせる筈が無い。
 セリオンは自分を憎んだ。
 何故今更躊躇うのだ、何の迷いも要らない、と、彼女は銀の仮面を付けた兄の面影を想いながら、何度も何度も自分に言い聞かせた。
 青い青い瞳を挑ませ、拳を握り、内心で闇雲に焦る。彼女はそうしてしか自分と戦うことが出来ない、己の弱さを知った。
「……見えたわ、お姫様」
 肩に止まったシェンが、セリオンの耳元で呟いた。
 我に返り、長い髪を揺らして顔を上げれば、そこには先程の町と同じような森を切り抜いた場所が、先程とは比べ物にならないほど広く作られていた。
 そして中央に見えるのは……セリオンから見れば少し地味な屋根と、その屋根の下に腰掛ける、翠色を持つ少女。
 風が吹けば髪は靡き、前髪が揺れることでセリオンは彼女の瞳の色を知った。
――黄金。

「セフィへようこそ」
 セリオン達の前を丁度小走りで通りかかった、桃色の髪と赤い瞳を持つまだ幼い少女が、明るい声で元気良く言い、また小走りで去って行った。
 この場所は先程の噂で漂っていた町と違い、木製の家も先程より大きく、皆ドレスなどの洒落た服を着、ひそひそとした雰囲気は何処にも漂ってはいない。
「ルシェラ様がお待ちです、鎖国・ルーセの姫様」
 何時からいたのだろう。
 長身のリセイルに隠れていて見えなかったらしい、赤い色のドレスと髪、そして明るいオレンジの瞳をした、自分達よりも大人びた雰囲気を持つ少女が、静かに言った。
 少女はふわりとドレスをひらめかせ、三人の前へ進み出、そしてもう一度柔和に微笑んで見せた。
「こちらへどうぞ」
 

――どうして名前を変えなきゃいけないの?
――あの名前で呼んではいけないの。あなたがあの名前を気に入ったのなら、心の中でだけ、呼んであげて。
――どうして?

――……どうして?


 幼い子を抱きしめ、赤い髪の女が泣いている。
 まだ赤ん坊のもう一人の子を、大きなベッドに寝かしつけて。
 何度も何度も、誰かに謝りながら。 
――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……

 月はその光景を夜空から見て、静かに泣いている。


#12

「何をお望みですか?」
 美しく、透き通った心と声を持つエルフの姫は、優しく微笑んだ。
「あなたの望みを全てかなえるよう、とある方から申し付けられております」
「とある方……?」

 エルフ姫・ルシェラに会うまでは、セリオンは内側の心で、今までに体験したことの無い、緊張感というものを感じていた。
 しかし実際に彼女の前に立った瞬間、その硬い感情は消えうせた。
 自分と同じ“姫”という地位の者と話をするのが初めてだということで、少々戸惑いを隠せてはいなかったが、セリオンは自分が心配していたよりも楽な気分でいることに安心した。
 ただ、自分とルシェラはあまりにも違いが大きすぎる、と、セリオンは感じた。
 自分は、優しげな微笑みを浮かべることは不可能だ。澄んだ声で話しかけることも、気品ある雰囲気で周りを和ますことも出来ない。
 唯一の共通点といえば、腰まで髪を伸ばしているということだけだ。
 それが、セリオンがルシェラを見て、初めて感じたことだった。

「あなたの、とても身近にいらっしゃった方です」
「……エーシャかリセイル……?」
「いいえ」
 ルシェラは、まるで春の花に囲まれた子供のように、あどけなく微笑んだ。
「あなたの兄です」


 キィ、と音を立て、木で出来た粗末な扉が開く。
「ごめんね、粗末な家で」
 ファシアは悲しみや寂しさの影も見せない柔和な笑顔で、静かに言った。
「あ、ちょっとそこで待ってて」 
 彼女は思い出したように焦りの混じった声を出すと、小走りで自分の部屋へ入ると、ベッドの枕元で日の光を浴びる一つの写真立てを、家同様木で出来た机の引き出しの奥深くに大雑把にしまい込んだ。
 そしてまた小走りで戻り、笑顔で言うのだ。
「上がって、エーシャ君」

 カシャン、という音聞こえ、ファシアは振り返った。
「あ……すいません、なんか付いてて」
 敬語は嫌いだ。
 だがエーシャは、自分と同じ髪の色をした彼女……ファシアには、敬語を使わなければならない気がしていた。
 さり気なく自分の足首に付けられた金の足枷を見せると、ファシアもそれなりに動揺したのか、一瞬複雑な表情を見せた。
「……そう。大変なのね」

――お望みは何ですか?
 そう聞く声は、自分が何処かで聞いたことのある声だった。
 予想していなかった、と言えば嘘になるが、確かにその優しい声は、エーシャの心に響く澄んだ声そのものだった。
――お望みは何ですか?
 望みなんて無かった。否、今現在、望みは叶ってしまった。
 ……昔は……そうだ、昔、望みはあった。大きな大きな、望みがあった。
 今現在も、もしかしたら……それを望んでいるのかも知れない。
 ……もしかしたら。
――……お望みは何ですか?
 

 殺さなければ、と、青年は思った。
 もう十分だ、もう殺してもいいだろう……リセイルは頭を抱えた。
 森の中だけあって、彼のいる澄んだ湖の岬は、とても静かな場所だった。
 考え事をするには、此処以上に適した場所は無いと思えるほどに、静まり返り、遠くで小鳥のさえずりが響き、緑の香りが僅かに漂う。
――伝えた方がいいのか?
 リセイルは考えた。
 普段の陽気な微笑みを消し、顔を顰め、上半身を乗り出し、湖を覗きこんだ。
 深刻な表情をする、金の髪と薄い色の瞳を持つ青年が、湖の中で自分を見つめていた。
――俺達三人が出会ったのは、偶然なのか?
 手間が省けたことは確かだ。
 だが、リセイルにはソレを行動に移すだけの勇気が、まだ少し足りなかった。
――きっともうじき、ルーセに審判が帰ってくるだろうし……。
 リセイルは口元を緩め、いつもの微笑みを湖の中の青年に向けた。
 青年も負けじと、同じ微笑みをこちらに向けてくる。
「笑顔は完璧」
 独り言を呟くと、急に孤独になったような錯覚に襲われる。
 元々この場所には独りでいたが、小鳥達の歌や森の香りも、随分と離れていくような感覚がした。

 セフィに着き、ルシェラの元へ辿り着いた三人が、それぞれ別の場所に移されたことは言うまでも無い。
 セリオンはもちろんルシェラと話をするように言われていたし、エーシャは自分達をルシェラの前へ連れてきてくれた同じ赤い髪の少女に連れられ、何処かへ去って行った。
 自分はエルフ姫に一礼し、真っ直ぐに此処へ来た訳だ。
 ルシェラは三人が現れた時、一人一人に、丁寧に尋ねた。
「お望みは何ですか? お望みは、ありますか?」
 望みなど無い、そう答えた。
 ルシェラに叶えて貰う為の望みは、自分には用意されていなかった。
 自分が心から望むことは、自分で叶えるものだ。
 リセイルは幼き頃のその教えを、忠実に守っていた。


「あなたの兄は、私を妹のように可愛がってくださいました」
 ルシェラの話は、そこから始まった。
 夢見るような声で、まるで憧れていた者と初めて話せた少女のように、ルシェラは話し出した。
「それはそれは優しい方で……とても思いやりがあって」
 セリオンも連られたのか、自分が空に浮いているような、そんな錯覚に襲われた。
 ふわり、という、優しく軽い気持ちに。
 だがそれも、ルシェラの次の言葉で打ち消された。
「ラズを殺したのは、二人の大人と子供です」
 先程とは一変した悲しげな声が、セリオンの耳にいつまでも残った。

#13

「この国は、女神が創造したと言われております」
 柔らかく微笑み、ルシェラは突然語りだした。
「異形の者として地上に堕とされた女神は、天の住人である自分が放つ光から、地上に沢山の動物が生まれるのを見、そして自分そっくりの異形達が生まれるのを見たのです」
 エルフ誕生、そしてセフィ誕生についての神話の類だろう。
 ルシェラの語るその神話は、セリオンが幼い頃に読んだ神々の伝説よりも、神々しく生き生きと感じられた。
「女神は異形の者の為、その創造力で森林を切り開き、セフィを造ったといわれています。……女神の創った国を上空から眺め、黄金の光で祝福していたのは、金色の三日月でした」
「…………」
 セリオンは黙り込み、まるで夜眠る前の子供のように、表情に少しあどけなさを残しながら話に聞き入っていた。
 それを知ってか知らずか、ルシェラは一度、夕日も消え始めた空をぼんやりと眺めた。
「そして、その光の祝福のお礼に、三日月に自分の名前をあげたのです……恥ずかしいことに、どんな名だったかは忘れてしまいました」
 焦ったように微笑んで、ルシェラは風で僅かに乱れた長い髪を、手で静かに梳いた。
「しかしこの国は、女神が創った第二の国。第一の国は、実は失敗だったのです」
「失敗?」
 セリオンが聞き返すと、ルシェラはこくりと頷いた。
「その国には、元々女神の名が付けられていました。しかし、何故かその国は、静かに滅んでいったのです」

 ルシェラは静かに立ち上がると、諭すような口調で、セリオンの耳元に告げた。
「明日のうちに此処を出なさい、そうすれば、まだ間に合うかもしれません」
「間に合う……?」
 セリオンは鸚鵡返しに訊ね、ルシェラの金の瞳を見つめた。
 二人の少女の目と目が合い、金色の瞳を持つ姫は、銀色の髪を持つ姫に向き合い、静かに頷いた。
「そう。今日旅立っても仕方なく、明日旅立って間に合うかは分からない」
 セリオンは今ひとつ意味を理解しかねていたが、何度も尋ねるのはやはり非常識かと思い、曖昧に頷いた。
「あなたの兄の事は、あなたがもう一度ここを訪れた時に話すとしましょう」
 その言葉にセリオンは、今度ははっきりと頷いた。
 兄の死のことは、すぐにでも知りたかったが、世界の全てを知るルシェラが次の機会まで待つというなら、セリオンはそれに従うつもりだった。
 焦っても仕方が無い。せっかちなオヒメサマとはお別れだ、と、本心から思いながら。
「それと……あなたにこれを」
 ルシェラは思い出したように言うと、祭壇の後ろから、銀色の太い鎖で出来た、ペンダントを取り出した。
 それはルーセの紋章である十字架が施され、美しい光を放つ、ルーセの王族のみが持つことを許された、紋章入りのペンダントだった。
「ラズが、あなたにと」
 何故、と聞き返すような余裕は無かった。
 ルシェラは静かにそれをセリオンの首にかけ、「お似合いです」と微笑んだ。
 その時、セフィに住む小鳥達に紛れて遊んでいたシェンが、勢い良く戻って来てセリオンの肩に止まる。
 ルシェラはその様子を見て微笑むと、優しい声で風のように言った。
「他の二人にも告げ事がありますので、一時失礼致します」
 セリオンは微笑んでもう一度頷き、小走りで森の奥へ消えていくルシェラの背を見送った。

「……姫とは、ああいうものなのか?」
 内心、彼女は涙していた。
 自分とルシェラとの、違いの大きさに。
 ルシェラこそが、世界を代表する“姫君”だと、セリオンは本心からそう思った。
 銀の髪が風に靡き、それが何処となく無情さを語っているように見える。
「お姫様は十分お姫様よ」
 甲高いその声だけが、今現在、小さくなってしまったセリオンの心を癒した。


「泉の方であなたを待ってる人がいるから、会ってあげてくれない?」
 自分はきちんと笑えている、たったそれだけの自信を持ち、ファシアは椅子に腰掛けながら辺りを見回すエーシャに言った。
 そうだ。今は他人同然なのだから、無理して笑う必要もなければ、悲しんだり涙したりする必要もない。髪の色が同じなだけで、他人だと思えば、自然に振舞うなど容易いことだ。
「泉は、此処から真っ直ぐ森に入ってすぐよ」
 エーシャは無言で頷き、立ち上がって家を出た。
 背中に、何処となく影の差す、ファシアの視線を感じながら。

 やはり自分は此処……セフィの出身なのだろう。
 思い、エーシャは既に夕暮れの光の消えた、薄い群青の空を見上げた。
 その空の果てにいるのか、それとも森の奥にいるのか、居場所のつかめない何かが、温もりの溢れる男の声で言った。
――大丈夫。君は何も悪くない。
――覚えておいてほしいのは、今から言うことだけだ。いいかい……?

 エルフ達が光の調整をし、夜になる。
 薄い光が放たれる夜空に黄金の月が現れれば、それは美しく、まるで宝石のようだった。
 ……しかし、その美しい月が、ここのところ夜空に出ない。
 月が出ない。
 月が、出ない。
「……母さん」
 
 森の中の自然の香りを運ぶ風が、適度に涼しく、気持ちの良い夜だ。
 いつの間に辿り着いたのか、泉はもうエーシャの目の前で、澄んだ水を止め処なく溢れさせていた。
 そして泉と同じくいつの間にいたのか、少し距離を置いて、少女が泉のほとりに座っていた。
「あなたが記憶を探すなら、止めません」
 ルシェラの声は、まさに自分の心に響いていた、あの澄んだ少女の声そのものだった。
 最も、その声を現実に聞いても、エーシャは対して何も感じることはなかったが。
「でも、鮮明に思い出してはいけない。事後のことは、思い出さずとも良いのです」
「事後?」
「ええ」
 自分はもしかしたら、記憶と共に感情を表に出すことも忘れてしまったのかもしれない、とエーシャは思った。
 理解していたのだ。自分が非情に無愛想……というよりは無表情であることを。
 嬉しいと感じることはあまりないが、例え喜びを感じたとしても、それを表に出すことは、滅多に出来ないだろう。
 感情も、そのうち忘れてしまうかもしれない。
「ですから、あなたに友達を返してあげましょう」
 柔和な微笑みがエーシャに向けられ、そして彼の背後に向けられた。
 今の夜空の薄い群青色よりも更に薄い、白に近い色をした何かが、エーシャの背後の木に在った。
 それはふわりと舞い降り……そして静かに、エーシャの肩に止まった。


 リセイルは未だ、湖の畔にいた。
 静かな場所は心が落ち着く。孤独は昔から嫌いではなかった。
「ルシェラ姫、いるんでしょ?」
 いつもの陽気な微笑みを絶やさずに、リセイルは青い木の並ぶ森に言った。
「何が起こるんですか、これから」
 答えはない。
 だが、森の中に誰か……いや、エルフの姫がいることは、彼女が齎す淡い雰囲気で手に取るように分かった。
「大丈夫。あの二人のことなら、俺に任せてくださいよ。俺は誰よりも、あいつらのこと知ってるつもりなんですけどね」
「……では、ルーセが滅びる時……あなたはどうするのですか?」
 木陰から僅かに翠の髪を覗かせ、ルシェラは何時に無く低い、悲しげな声で囁いた。
「恐らく……真っ先に殺されるのは、あなたです」
「承知の上ですよ」
 リセイルはまるで呆れたような声で、それでも明るく言った。
 それを聞いたルシェラは、黄金の瞳に驚きの色を宿し、木陰からふわりと飛び出した。
「あなたには使命があるはずです。ラズと約束したのでしょう?」
 その声は悲しみと驚き、そして少々怒りが込められた、澄んだ声だった。
 リセイルは笑みを絶やさずに彼女と視線を合わせると、その陽気な笑みを更に明るく見せた。
「だから、いざという時は殺します。セリオネーゼ姫もエーシャも」
「その前に殺されたら?」
 ルシェラは俯き加減で、リセイルの薄い色の瞳を見つめた。
 彼の明るい微笑みの裏に隠された、燃えるような大きな決意が、ルシェラには火を見るよりも明らかだった。
「その時は、事前に“審判”に頼みます」
 リセイルは一瞬、表情から微笑みを消し、真剣な眼差しをルシェラに向け、低い声で言った。
「もうすぐセフィに“エルフェレイア”が来るでしょう。あなたも気をつけた方がいい」
 ルシェラは一瞬複雑な表情を見せたが、すぐに頷き、そして風のようにふわりと消えた。
 それを見送ると、リセイルはまた表情に微笑を浮かべた。
 
「ふぅ」
 リセイルは微笑みながら溜息をつくと、また湖に向き直り、胸を張って座り込んだ。
「別に死んでもいいや」
 彼に未練など無かった。否、未練など捨ててしまった。
 あの“事件”が、全てを狂わせてしまった。
「エルフェレイアか」
 湖に映る自分の顔は、やはり陽気な、人の良さそうな青年そのものだった。
 ただ、青い湖の色で、瞳の色が暗く見えるだけで。
「まだ解散してなかったんだ」
 
 空に月が出た、最後の夜。
 静かなる鎖国で、それは実行に移された。



#14

 まだ日も昇っていない、薄暗い早朝。
 セフィの姫とその友人の少女は、質素な家の並ぶ国の入口に立ち、静かに旅人を見送った。
「これからあなた方が向かわねばならない場所は、ここより遙か東にある、広い広い空き地です」
 ルシェラは厳かに告げた。
「リセイルのウィーザで空から行けば、きっとすぐに着くはず……今私があなたに教えるべきことは、それだけです」
 セリオンは出来るだけ優しく微笑みながら頷くと、首にかけられた鎖のペンダントを握り締めた。
「ありがとう、ルシェラ姫」
 ルシェラとは目を合わせず、俯き加減で呟くセリオンの肩に、ルシェラはそっと手を置いた。
 予想もしなかった行動に驚いたセリオンが顔を上げると、ルシェラはいつもの微笑みを見せ、頷いた。
「私は人間は嫌いですが、あなたには良くするようにと、ラズから言われていました」
 ルシェラはまるで御伽噺を子供に聞かせる母親のように、ゆるやかに言った。
「あなたはあなたの想像を超えるほど、たった一人の兄に愛されていたのですよ」
 セリオンはその言葉に、心中で僅かに戸惑ったが、その側では静かに頷くしかなかった。

「シェンはセフィに残してくださいますか? 術は、昨日解いておきました」
「ええ、勿論です」
 セリオンの小鳥への要望を素直に聞き入れたルシェラは、普段と何ら変わらぬ笑顔で頷いた。
 それから視線を彼女の背後に移し、セリオンよりも遥かに身長の高いリセイルと、逆にセリオンより僅かに背が高いだけのエーシャを交互に見た。
「あなた方も、気をつけて行ってらっしゃい」
 ……その言葉と共に、青々とした森の中から、何か白いモノが飛び出した。
 それは美しい澄んだ黒い瞳が目立つ、頭でっかちな人間の頭程の大きさをした生き物……小柄な竜だった。
 光の加減で身体が群青色に染まるその竜は、静かに上空を待っていたかと思えば突然低空飛行を始め、そしてふわりとエーシャの肩に止まった。
「ギャア」
 竜は濁った声で一声鳴くと、鳥のような仕草で、自分の白い羽根を突き始めた。
 唖然としてその一部始終を見届けたリセイルは、突如、ぽんと手を叩いた。
「お前、竜術師?」
「多分。……俺は自分が竜使ってるところ覚えてないけど」
 平然として答えるエーシャを見て、ファシアは表情を曇らせ、僅かに俯いた。
「名前はアディス」
 ルシェラは言うと、そっと立ち居地を移動させ、ファシアの表情を隠すように、彼女の前にさり気なく立ちはだかった。
 それを横目で見たセリオンは、何かに気が付いたようにそっとエーシャとファシアを見比べた。
 赤い髪。ファシアの方が僅かに薄い。


 ウィーザはセフィより僅かに離れた草原に横になっていた。
 黒い巨体が緑の草原を占領しきっている。
「ウィーザもお休みだし、ちょっと寝てこうよ」
 日も昇らないうちにセリオンに起こされたリセイルは、笑顔に少し疲れの色を見せ、草原にどっかりと座りながら訴えた。
「俺ら疲れてんの。な」
 不意にエーシャに話を振ると、彼は少し考えながら頷いた。
 彼の肩に乗る竜……アディスは、それとは正反対にかなり元気そうに見えた。
 セリオンは溜息をつくと「分かった」とだけ言い、自分も草原に座った。
 リセイルはその様子を見ると安心したように寝転がり、五分もしないうちに鼾を掻き始めた。
「…………」
 セリオンはもう一度溜息をつくと、自分に背を向けて座るエーシャを見た。
 彼は右手を動かし、その動きをアディスが追う……竜とじゃれ付いているように見える。
 無口なエーシャが普段は見せないそんな行動をセリオンは暫く見ていたが、いつの間にだろう、気が付かないうちに自分も眠りに落ちた。
 

 目覚めれば、そこには草原が広がり、背後には尚も鼾をかくリセイルと、首を擡げるウィーザがいた。
 いたのは、それだけだった。
 セリオンは、何かが足りない、と寝ぼけの入り混じった心で考え、辺りを見回す。
 そしてすぐに、正気に戻った。
「起きろリセイル!エーシャは何処だ?」
 手荒にリセイルを揺さぶり、終いには軽く叩き、セリオンは彼を無理やり起こした。
 草原とウィーザ、そして少し離れたところに森がある。それしかセリオンの目には映らなかった。
 日はもう高い。自分が眠ってしまったのは、日はそんなに高くなく、寧ろ出ていなかった。
「え〜……?どうしたって?」
 寝ぼけながらそう言うリセイルが気に喰わず、セリオンはその言葉を全く無視し、辺りをぐるりと見回した。
 ……記憶喪失者が何をするかなど、セリオンには分かったものではない。
「大丈夫じゃん?」
 気の抜けるような声と共に、リセイルがのろのろと起き上がった。
「大丈夫だって。俺達は進まなきゃいけないんだしさ」

 リセイルの「大丈夫」の言葉に背中を押され、ウィーザの木の幹のような首に跨ったとき、セリオンは後悔した。
 この世界では、殆どの人々が“術”を使うことが出来る。
 魔法のように自然を操ったりすることの出来る者は少ないが、せめて自分の力で、一つの物体を作り出すことくらいは可能だ。
 だが、エーシャは術を使えない。
「元々、エルフの血を持った者が術を使えないなんて、おかしいんだよ」
 自分の前に座るリセイルが、巨大な竜に小声で話しかけ、巧みに手懐けながら、セリオンに告げた。
「アレも術が使えるんだ。ただ、使い方を忘れてるだけ」
 よっ、と掛け声をかけ、ウィーザの首に深く腰掛けたリセイルは、いつもの微笑みを絶やさず、明後日の方向を向くセリオンを見た。
 彼女はむっとした表情で、セフィのある青い森の方をじっと見ている。
「……きっとあの人は身内なんだ。イトコか何か……」
 ぶつぶつと何やら呟くセリオンを見、頭上に疑問符を浮かべたリセイルが、まるで年上とは思えないような声を出した。
「ねぇ〜そんなに俺の事嫌いかよ〜」
「煩い、黙っていろ」
「…………」
「…………」
 邪険に扱われたリセイルは、ただただ竜と心の会話をするより他無かった。

◇◇◇

 セリオン達とは全く別の方向に、エーシャは向かっていた。
 足枷が嵩張るのも気にせず、唯一人の仲間、白竜アディスを腕に乗せて。
――お前はセフィで何をするのだ?
 セフィに着く直前言われた言葉。結局、何をしてきたのか、自分でも理解できずにいた。
 自分と同じ髪の色をしたファシアに、不思議なほど丁寧に接せられたことは、単なるセフィでの思い出と言えるだろう。
――あなたが記憶を探すのなら、止めません。
――事後のことは、思い出さずとも良い……
「事後……」
 事後があるのなら事前もあり、そしてその元となる“事故”もあるはず。
 エーシャはそう考えると同時に、もう一つ考えが浮かんだ。
 自分の記憶探しに、仲間など必要ない、と。

 エーシャはルシェラが“返して”くれたというアディスだけを連れ、何も知らずに眠る少女と青年には目もくれず、足枷を僅かに引きずりながら歩き出したのだった。
 彼が向かう先の空は……まだ薄暗いままだった。

◇◇◇

「丁度良いタイミングね」
 甲高い少女の声が、闇のように暗く涼しい、それでいて広い室内に響き渡った。
「まるであたし達に合わせてくれたみたいじゃない?」
「そんな訳があるか」
 先程の声とは裏腹に、今度はしわがれた老人の声が響く。
 そして一つ、溜息までもが澄んだ音で聞こえた。
「こら、誰よ溜息吐いたのは!」
「やめんかネーヴェル」
「だって!」
 ヒステリックな声が響いた瞬間、闇の中、誰の姿も見えなかった室内に、一筋の光が差し込んだ。
 その光は段々と広がり、そして室内を闇から救い出した。
「外の軍は全て片付けました」
 物静かな女性の声が響き、同時に彼女と、もう一つの足音も室内に入ってくる。
「もう、遅いよローム、それにアグル」
 栗色の髪を胸の辺りまで伸ばし、ピンク色のキャミソールとオレンジのスカーフを身につけた少女が、その甲高い声で言った。
「お爺ちゃんとレクターの相手、大変なんだから!」
 肩までの茶の髪を持つ女性は、苦笑いしながら、全身を黒装束で覆った、目に透き通る宝石を埋め込んだ老人と、無言で本を読む、眼鏡をかけた胡桃色の髪の少年を見た。
「セオ、レクター、ここには誰も来ませんでしたか?」
「うむ。敵も、審判様も」
「審判様ならもうじきいらっしゃる」
 低い声をした、銀の鎧を全身に纏う黒髪の男が、鉄仮面を取りながら言った。
 その言葉に皆が同時に頷き、微かに笑顔を浮かべる。
「此処、ルーセ城にて……エルフェレイア集合だ」

「ねぇ、質問!」
 甲高い声の少女……ネーヴェルが、笑顔で手を挙げた。
「今回のあたし達の目的って“未完成”の捕獲でしょ? まだ捕まえに行かないの?」
「審判様が……フレイン様が到着していないでしょ? まだ危険だわ」
「でも今がチャンスじゃん。もう一つの目的の的、ルーセ姫からも離れてくれたし」
 瞬間、皆が静まり返った。確かに、と、誰もが感じた。
「リセイルがいる」
 突然、今まで黙って本に眼を通していたレクターが、静かに呟いた。
 その声に皆反応し、未だ本に眼を通す彼を見る。
「そうだ、リセイルがいるんだったな」
 安心したように低い声を和ませ、アグルは冷たい床に座り込んだ。
 ふぅ、と一つ息をつくと、自然と目的が言葉に出てきた。

「セリオネーゼ姫の力は、必ず手に入れる」

 城は美しく、そして冷たい。


#15

「この竜は、どのくらいのスピードで飛んでいるのだ?」
 ようやく口を開いたセリオンは、無愛想にもこちらをちらりともせず、訊ねた。
 森林の多い内陸北部では、地上を見下ろせば、町や森がずらりと詰め込まれている状態だ。
 普段は“秘密”とされているエルフの国セフィの場所も、森林の町の民は、当たり前のことのように知っているのだろう。
「う〜ん……物凄く腹減ったサメが、物凄く美味そうな小魚を追うくらいの速さ」
 何とも微妙な表現の仕方で、リセイルは言った。
「あ、ちなみにウィーザはガタイの割に速く飛ぶのが好評で、一時は売られそうになったんだよ。一億くらいで」
「一億……」
「そ。でも俺、子供が50億くらいで売られてくの、見たことあるぜ」
 奴隷にされていく捨て子の類か、などとセリオンは考え、気の無さそうに二度頷いた。
 リセイルがすかさずそれを覗き込み、いつもの微笑みを浮かべ、大きな声で言う。
「何だよ〜興味持ってよ姫様〜」
「それよりルシェラ姫の仰っていた場所は何処だ?」
 セリオンとリセイルは、同時に地上を覗き込んだ。
 セフィ付近の森に比べ青々とはしていないが、自然の色をした森林が海のように続き、時折古風な建物の密集した小さな町が顔を出す。
 リセイルは既に高く昇った太陽に手を翳し、それから何かを掴むような仕草で、その日の差す手を軽く握った。
「……何してるんだ?」
「術だよ、地図の」
 リセイルが太陽の光で少し暖かくなった手を見せると、そこには輝く、綺麗に巻かれた地図が握られていた。
 術を使えることは、この世界ではもはや常識に近い。
 リセイルがその地図を広げている間、セリオンは少し興ざめしたかのように、またリセイルとは反対の方向を向いてしまった。
「あ、近い」
 リセイルの手の平で開かれた地図には、三日月型の大陸が描かれ、そして赤い光がその大陸の先端に輝いている。
 そしてそのすぐ真横に、白い光がちらちらと点滅していた。
「赤い光は俺らの現在位置。白い方は目的の場所を示してくれる。これ、人探しとかにも役に立つんだよ。俺が姫に出会えたのも、コレのおかげ」
 自慢げに話すリセイルを尻目に、セリオンはその青い瞳を、呆れたように細め、溜息をついた。
 しかしその息を吐き終えた瞬間、彼女の脳に一つの考えが浮かんだ。
「ならそれでエーシャの居場所も分かるのだな」
「ああ、分かるけど、調べたい?ねぇ」
 ようやく興味を示してくれたとばかりに、リセイルはまるで子供のように瞳を輝かせた。
 その態度にセリオンは少々腹立たしさを覚えたが、やはり突然消えた仲間の事を心配せずにはいられず、黙って頷くしかなかった。
 リセイルが一度瞳を閉じ、右手で地図を持ち、その上に左手を翳す。
 瞬間、ふわりと地図に何かが浮かび上がった。
「あ、エーシャは俺らとは逆方向だ」
 リセイルがきょとんとした声を出し、真剣な眼差しのセリオンに地図を見せた。
「この紋章はエルフの紋章なんだけど、これ、俺達とは別の方向にいるだろ? オティア方面」
 確かに、自分達は大陸の先端から更に海岸沿いへ向かうのに対し、輝くその女神の紋章は、まるで大陸の中心を目指すかのように、陸沿いに輝いている。
「姫様さ、何でこんなに仲間思いなの」
 あまり疑問文とは思えない口調で、語尾を下げ、リセイルは訊ねた。
 孤高の姫ならば、普通は他人のことなど気にせず、まず自分自身のことを気にかけ、他人との接触を避けるだろう。
 だが彼女は、突然現れた自分をしぶしぶだが受け入れ、それに突然消えたエーシャを心配までしている。リセイルはそれを疑問に思ったのだ。
「あんたみたいな性格は、普通は自分勝手だと思うけど」
「私には仲間と呼べるものがいなかった。だから、どうやって接したら良いのか分からないだけだ」
 眉一つ動かさず、平然と答える彼女をちらりと見て、リセイルは微笑んだまま、更に口元を緩ませた。
「んじゃあ、俺はその分親しみやすい方なんだ」
「見下しているだけだ」
 セリオンは冷たく言い放つと、少々身を乗り出して下方を見た。
 森は永遠かと思うほどに続いている。だが、彼女は見た。森の中に小さく在る、くっきりと開いた穴を。
「あ、あそこだね」
 いつの間にやら同じ体勢で下方を見つめていたリセイルが言い、何やら指図してウィーザを着地させた。

 風が強い。
 セリオンの腰まで長い髪が、まるで強風に追われているかのように、強く靡いている。
「……大量の血の匂いがする」
 風に乗って聞こえた思い言葉に、セリオンは靡く髪を押さえ、顔を上げた。
「此処で何があったかは、俺にも分からないけれど――」
 風が強すぎて、耳を研ぎ澄まさなければ、中々声が聞き取れない状況に、二人はあった。
 セリオンは懸命に髪を抑え目を細め、自分より長身のリセイルを、懸命に見上げた。
 薄い碧の瞳は真剣に光り、いつも緩んでいる口元はきつく結ばれている。
「此処で、沢山の人間が死んだことは確かだろうね」
 その言葉が聞き取れると同時に、セリオンは自分の足元の地面に埋もれた、何かを見つけた。
 黄ばんだ土に埋もれたそれは、僅かにカタカタと音を立て、まるで誰か自分を掘り起こしてくれるであろう人間を待っているかのように見えた。
 セリオンはそっとしゃがみ込み、その物体に触れると、それはいとも簡単に地面から抜け出た。
「なにそれ」
 それは丁度セリオンの腕ほどの大きさの、古びれた看板だった。
 十字架の形をし、脇に翼を模った模様が描かれたそれには、掠れた文字で何か――おそらくこの土地の地名――が書かれている。
「……リ、リ……?」
「リリ……ウム?」
「……リィリウーム?」
 自身なさげに文字をなんとか読み取る。
――リィリウーム。
 何度読み直し、その傷だらけの看板の埃を払っても、確かに文字にはそう記されている。
「へぇ〜っ」
 強風が絶えず襲い掛かる中、リセイルは感心したような気の抜けたような声で、大きく息を吐きながら言った。
「なんだ、ここがあのリィリウームかぁ」
 セリオンは今の彼の発言に疑問を抱き、尚も靡き続ける髪を強く押さえつけながら、少し強い口調で訊ねた。
「此処を知っているのか?」
「リィリウームは、旧・完成品実験地帯と呼ばれているんだよ」
 だから血の匂いもするのか、と彼は言い、微笑んでセリオンと目を合わせた。
 彼女は挑むような目つきでリセイルを睨みつけ、黄ばんだ大地の平面……リィリウームを見つめた。
 大地には亀裂が入り、まるで世界の果てであるかのように何も無く、ただただ無情に風が吹く……此処はまさに“無”の状態であった。

 微かな笑い声が聞こえたのは、それから何分かした時の事だった。
 小さな小さないくつかの幼い笑い声が、近くで聞こえるのだ。
 始めは、風が運んでくる周辺の町の子供達の声だと、二人は思っていた。……だが、予想は外れた。
『……クスクス……あははは……』
 幼い声はほんの微かだったが、はっきりとセリオンの耳に入ってきた。
 まるで、自分に笑いかけている内気な子供が、すぐ近くにいるかのように。
『あはは……見て見てルーちゃん、お姫様だよ……』
『綺麗だね……でも残念だね……』
『お姫様、何処から来たの……?』
『リナちゃん、このお姉ちゃん、ルーセのお姫様だよ……鎖付いてるもん』
 子供達の話の内容が自分に向けられ、セリオンはまるで侵入者を拒むかのように吹き付ける風の中、一歩進み出、よく透る声で言った。
「何処にいるんだ? お前達、この付近に住む子供か!?」
『うん、そうだよ』
『お姉ちゃん、あたし達に出てきてほしい……?』
『あたし達のお友達の話、聞かせてあげようよ』
 声色からして、声の主は全て幼い少女だろう。
 恐らく近くの森の木陰にでも隠れているであろう少女達が姿を現すのを、セリオンは無言で待った。
 いつもは何かと煩いリセイルも、今度ばかりは黙り込んでいる。
 セリオンは、ただ待った。
『クスクス……』
 笑い声が、近くなる。

 しかし、セリオンが予想は、声の主が少女だったということを除き、全て外れた。
 少女達は、ふわりと……無惨な姿で現れた。


#16

 セリオンは息を呑んだ。
 罅割れた大地。止んだ風。現れた少女達。
 改めて、セリオンは息を呑んだ。
『あはははっ……どうしたの?』
『お姉ちゃん、すごいびっくりした顔してるよ?』
 明るい笑い声が、まるでセリオンの頭の中にだけ聞こえているかのように、気味悪く響いた。
 無惨すぎる。
 少女達に、下半身は無い。それどころか、まるで穴を掘られたかのように顔に空洞の開いた、目そのものが無い者や、腕が無い者なども少なからずいる。
 共通しているのは、少女達に胸から下の胴体が無いことと……彼女達がエルフだということだ。
 セリオンは後退りたかった。しかしこの残酷そのものを目にした状況で、動けるはずが無い。
 風は止み、彼女の長い髪は、ちらりとも動かない。
「お前達……」
 掠れた声が出る。
「お前達、その身体は……」
『みんな殺されたんだよねぇ〜』
 桃色の髪に可愛らしい赤い髪飾りをつけた、やはり下半身の無い少女が、周囲にいる無残な姿の友人達に相槌を求めた。
『ね〜。みんな真っ二つだったの』
『あの子、凄いの。一瞬で十人、殺しちゃったの』
『キリーおじさんも、兵士のモルさんも、目をぐわってあけて、そのまま真っ二つなの』
 微笑む子供達は全て、まだ4,5歳のエルフの少女達だ。
 子供独特の無邪気な微笑みを見せ、まるで蝶を追いかけているかのように、幸せそうに話している。
 ……残酷な内容を、残酷な姿で。
『あの子、一番最後に来たの。此処につれて来られた子供は、あたし達の友達なんだって、おじさん達が言ってた』
『で、一番にあの子と友達になろうとしたマーナちゃんが、最初に殺されたの』
『真っ二つ……ううん、三等分されてた。それからあの子が瞬間移動して、おじさん達を全員殺したの』
『それから、離れてたあたし達に、あの子は狙いをつけたんだと思う』
『そのときあたし達、全員一緒に殺されたの』
 セリオンとリセイルが唖然としてその光景を直視する中、その視線をものともせずに、無邪気な子供達は話し続ける。
 今セリオンが静かにこの場を立ち去っても、その話が尽きることは無いのだろうと思えるほど、彼女達は自分のものか返り血なのか分からないものを、半分になった身体の所々から滴らせ、楽しげに微笑んでいた。
 いつまでも、いつまでも。

『……もうすぐ死んじゃうお姉ちゃんに、プレゼントあげるね』
 唐突に話を振られ、驚いたのは、これが初めてだった。
――『もうすぐ死んじゃうお姉ちゃん』……
 セリオンは、常に冷たく、静かに生きてきた。
 どんな痛みにも、苦しみにも耐え、辛い真実を知る覚悟も持ち合わせていた。
 死などという言葉は、聞き慣れていた。
 ただ、この子供達に言われれば、少し後ずさりたい気持ちが芽生えるだけで。
『お姉ちゃんを殺すのは、この世界の全てを知っている人よ』
『あたし達のお友達。あたし達を殺した子』
「……この世界の全て……?」
『そう』
 セリオンは耳を疑った。
 この世界の全てを知る、エルフの少女達の友達……即ち、エルフ。
「……まさか」

◇◇◇

 色取り取りの小鳥達が、ルシェラの指先に止まる。
 軽い素材で出来た薄い色のドレスが、ふわりと柔らかな風に揺れた。
「…………」
 ルシェラは空を見上げた。
 光の塊とも呼ばれる太陽が昇る、薄い色のその空は、どこまでもただ青い。
 ルシェラはただ、空を見上げた。
 微笑みを消し、金の瞳を悲しげに曇らせて。

◇◇◇

「おい、終わったかよじじい」
 ルーセから然程遠くは無い、崖淵の荒野。
 随分と重装備な中年の男が、目の代わりに透き通る石を埋め込んだ老人に、呆れたような口調で訊ねた。
「ふん。お前より30秒も前に終わっておる」
「げ」
 セオは薄い桃色の花の入った水晶玉を片手に持ち、その皺だらけの顔に埋め込まれた石でアグルを睨みつけた。
 彼らの周りには、アグルよりも装備の整った兵士達が、自らの血でその鎧を染め、無残に倒れていた。
「我らが審判、フレイン様のご到着だ」
 その声に反応したのか、次々にエルフェレイア団員が集まってくる。
 いかにも優しげな顔立ちをした女性ローム、今時の女の子といった雰囲気持つ少女ネーヴェル、常に本に集中する無口な少年レクター。
 盲目の老人セオ、古風な剣士を思わせるアグル。
 そして、まるで生まれたばかりの風のように、少女は現れた。
「こんにちは」
 左の袖が、ふわふわと風に揺れている。
 肩ほどまでの薄い色をした髪、少女独特の大きな瞳、両耳の上についた紺色の小さなリボン、クリーム色の可愛らしいフリルの洋服。
「あれれ、待たせちゃった? ごめんね」
 子供のような言い草。
 その言葉と共に、皆恭しく頭を下げる。
「審判フレイン様……遅れながら申し上げます。六歳のお誕生日、おめでとうございます」
「うん、ありがとう」
 幼い少女だけが持つ、高く子供らしい甘えを含む声が、崖下から吹き荒れる風と共に、皆の耳に響いた。
 紺色のリボンをつけた銀色の髪が揺れ、その髪だけが何処か大人びた雰囲気を出している。
「あのね」
 フレインは子供らしい仕草で、ロームの袖を引っ張った。
「“完成品”セリオネーゼは、今リィリウームにいるの」
「旧・完成品実験地帯……ですか?」
「うん」
 フレインは純粋な笑顔で頷くと、絶えず風が放り出される崖を見、言った。
「完成品も未完成も、絶対に此処から落ちるわ。占いで出たもの」
 無邪気に走りながら崖淵に座り込み、崖下に存在する急な流れの川を眺め、もう一度にっこりと微笑んだ。
 その様子を彼女の背後から見守る団員達の表情は、皆安心したように柔らかい。
 フレインは満面の笑みを絶やさずに振り向くと、穏やかな表情の団員達に告げた。
「あと、リセイルも死ぬわ。これで残りはフー達だけ」
 自分のことを「フー」と呼ぶその様も、まだ子供らしく、ごく普通の少女のように可愛らしい。
 ただ、彼女には特別な力があるだけで。
「世界の全てを知ってるのは、ルシェラだけじゃないのよ」
 フレインは微笑んだ。
 まるで、生まれたての女神のような、子供独特の無邪気さと優しさを含んで。

 黄金の姫・ルシェラのように。


2005/06/30(Thu)19:17:25 公開 / 光歌
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■作者からのメッセージ
16話。
ここからどうやって次の話に続けていけばいいんだろうと考えてます(汗
残酷な表現は難しい……。
一応この物語、長くて30話くらい続きそうです。
では。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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