『ずれる世界』 ... ジャンル:ショート*2
作者:森川雄二                

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
 もし僕がまだ狂っていないのなら、あるいは僕が現実だと感じているこの世界そのものが夢でないのだとするならば、世界は確かにずれていっている。
 ずれるという表現が適切かどうかはわからない。ただ、毎朝僕が目覚めるたびに世界はずれるのだ。
 ずれる、というのは朝目を覚ますと世界がほんの少し違っているのだ。 それは自分が住んでいる場所がかわっているとか、総理大臣がかわっているとか、あるいは友人が女になっているときなどもあった。
 
 ある日なんかは僕の職業自体が変わっているときもあり、非常に困ったときもあった。だが不思議なことに、その仕事自体はまるで体がおぼえているかのようになんなくこなすことができた。
 しかもどれだけ世界がずれても僕以外は誰もそのことに気づかないのだ。いや、それどころか最初からそうであったことになっているのだ。
 学生のころ使っていた歴史の教科書などを見返しても、見るたびに内容が変わっていたが現在の僕らの生活に影響が生じるほど変わることはないようだ。いつからこんな風に世界がずれだしたのかはよく覚えていないが、今では僕はすっかり慣れてしまい、どれだけ世界がずれても驚かなくなっていた。

 むしろ僕はこの、おそらくは僕にしかわからない奇妙な現象を楽しんでいた。今日は何がずれているのか、何が変わっているのかを知ることは僕にとってささやかな刺激であった。
 ある日、僕は大学のときからつきあっている芳子と買い物に行くことになり駅前で待ち合わせすることになった。芳子は大学の後輩でショートカットの活発な子だ。僕にはちょっともったいないくらい可愛い子だ。しばらく仕事で忙しかったので今日はすごい楽しみにしているようだった。
 僕は腕時計で時間を確かめた。予定の時間よりもう大分過ぎている。おかしいな?芳子が時間に遅れてくることなんてなかったのに。僕は何か事故でもあったのかと心配に思い、電話をかけた。しかし、つながらない。その後も何時間も待ったが、結局芳子は現れず、電話にも出なかった。

 次の日、芳子の住むアパートに向かった。インターホンを鳴らすとドアが開き、芳子が出てきた。
「あの、すいませんがどちらさまですか?」
芳子はさっきまで寝ていたのだろう。まだパジャマ姿で、眠そうな顔をしている。芳子は休日の日は大抵昼近くまで寝ているのだ。
「何寝ぼけてんだよ。僕だよ、僕」
まったく……約束をすっぽかされた上これだ。僕は少し腹が立った。
「あの……ですから、どちらさまですか?」
芳子は怪訝そうに尋ねる。言い知れぬ不安が僕を襲う。 
「おいっ! ふざけるのはやめろよっ! 僕だよ。昨日も買い物の約束をしただろう? もう怒ってないからさ、ふざけるのはやめろよ」
「いい加減にしてください! 私はあなたなんか知りません。これ以上騒ぐと警察呼びますよ」
芳子は本当に怯えた顔でそう言うと、バタンと勢いドアを閉めた。
 
 僕はしばらくドアの前で呆然と立っていた。そしてこれが、世界がずれたことによって生じたものだろうということを理解するのにしばらく時間がかかった。僕はこの狂った世界を呪った。この世界がどれほど異常で、狂った恐ろしい世界なのだということが今初めてわかった気がする。
 僕が芳子と過ごした楽しかった日々も、僕が今まで生きてきてつくりあげてきた何もかもが、ひとたび世界がずれてしまえば全て消えてなくなってしまうのだと思うと、何もかもがどうでもよくなってきた。

「あの、芳子に何か用ですか?」
突然男が尋ねてきた。20代の半ばくらいの若い男だった。
「あんたは、芳子の彼氏かなんか?」
「ええ、まあ……」
男はそう答えると少し照れくさそうに笑った。僕はその笑顔を見て頭がまっ白になり、男の顔面を思いっきり殴りつけた。男の顔からはおびただしい量の鼻血が流れた。僕は男の髪をつかむと地面に何度も叩きつけた。3、4回叩きつけると男は動かなくなった。男が蘇らないかと少し不安になりその後も僕は男を何度も叩きつけた。
 
 僕は逮捕され、今は刑務所の中にいる。ここは比較的世界のずれを感じにくいので僕にとっては案外落ち着く場所だった。だが、ここにいてもやはり世界はずれていった。僕はあの男を殺して逮捕されたはずなのだが、ある朝起きると僕の罪状は詐欺罪になっていたり、また別の日には僕は連続殺人犯で死刑が決まっているといわれた日もあった。
 でも、そんなことはもうどうでもよかった。僕が何をしたとしても、そんなものはこの狂った世界の気まぐれでどうにでもなるのだから。
 
 ただ、最近思うのだ。ずれているのは世界ではなくて僕のほうではないだろうか?世界はずれてなんかいなくて、僕の記憶や認識が毎日ずれていってるだけではないだろうか?僕は狂っていて世界がずれていると勘違いしているだけではないのか?
 そういえば、世界はいつからずれだしたのだ?……思い出せない。最近のような気もするし、もっとずっと以前……初めからずれていた気もする。わからない……思い出せない……それは、やはり僕が狂っているからだろうか?世界がずれているのか……僕がずれているのか……。

           ずれているのは、どっちだ?

2005/05/26(Thu)00:11:29 公開 / 森川雄二
■この作品の著作権は森川雄二さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
こんにちは森川です。批評、感想などよろしくお願いします。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。