『Maya改訂版(読みきり作品)』 ... ジャンル:SF
作者:July                

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廃墟の一室で、男が懺悔している。
彼の名前は近藤達也。
彼には、ひとかけらの悪意もなかった。
それどころか、彼は善意からくる使命感に燃えていた。
だが彼は罪を犯した。
彼は人に、動物に、植物に、その終末をもたらした。
その罪の大きさに、ただただ彼は震えていた。

彼は二年前まで、平凡な研究員にすぎなかった。
研究の内容は、新たな食料資源の開発。
彼は熱心に、それが人々のためになると信じて研究に打ち込んでいた。
我々を含めた動物の食料は、良く知られているように光合成に由来する。
光合成に由来する糖分が、我々の生命の原点なのだ。
だがこの糖分には二種類あるということを、あなたはご存知だろうか?
ひとつはグルコース、これが私達の活動源だ。
そしてもう一つがセルロース。
覚えておいて欲しい、これが終末への引き金だったのだ。

セルロースは、植物の繊維の原料である。
植物はセルロースで体を作り、グルコースで活動する生命だ。
このセルロースを、ほとんどの動物は消化できない。
消化に必要な化学物質である酵素を、人も動物も持っていないのだ。
あなたは草食動物が、植物を消化していると思っているのかもしれない。
実際は違う。草食動物でさえも、植物を消化することができないのだ。
彼らは一部の、壊れてしまったセルロースのみを消化して、細々と生きているに過ぎない。
ここに近藤は目をつけた。

世界に最も多く存在する、高分子化合物。
潜在的な食料の、半分の可能性。
飢えに苦しみ、今この時も失われていく無数の命。
これから先も人類は増え、さらに状況は悪化していくだろう。
使命感に燃えて、近藤は研究を始めた。
そして彼には勝算があったのだ。

自然界にはごく一部だが、セルロースを消化できる生き物がいる。
カタツムリがそれだ。
近藤はカタツムリの酵素を研究し、改変し、新たな酵素を生み出した。
セルロースからグルコースを生み出す酵素だ。
一部の科学雑誌にも取り上げられ、研究は順調に見えた。
このときが近藤にとって、最も幸せな時期だっただろう。

だが、ここで彼は道を誤った。
酵素の製造のコストを下げるために、この酵素を生み出す細菌の研究を始めたのだ。
それは科学者としては妥当な判断だった。
だが我々は気が付くべきだったのだ。
何故 ほとんどの動物はセルロースを消化しなかったのかを。
何故 草食動物でさえ、植物を消化しなかったのかを。
そう何億年もの間、消化できなかったのではなく、しなかったのだということに。

試行錯誤の末に、研究は成功した。
遺伝子組み換えにより、ついに目的の細菌を生み出したのだ。
その細菌は最大の功労者であった近藤の娘の名にちなみ、マヤと名付けられた。
研究室は喜びに包まれていた。
そんなある日、研究所の近くの町で、葉が酸を浴びたように溶けるという事件が起こった。
不幸にもそれは研究員の目には止まらず、それを見た人々にはその重大性が分からなかった。
それから数日後、日本の各地で同様の事件が起きた。
調査も開始されたが、それはすでに遅すぎた。
その事件が新種の細菌によるものであり、その細菌が全ての植物を消化するということが分かったのは、それから二日後の事だった。
マヤはセルロースさえあれば感染していく。植物、衣類、木材、それらがありさえすればどこまでも広がっていくのだ。

事実を知った近藤は絶望した。
生みの親である彼には、もはやマヤの広がりを止める手段が無いことが理解できたのだ。
まるで油でまみれた世界に火を点けたように、マヤは急速に広がっていく。

一ヵ月後、マヤは世界の七割に広がった。ゆっくりと、しかし確実に世界中の植物を消化していく。
事態を理解した国々は隔離されたプラントを作り、マヤの侵食から逃れようとした。
部分的には成功したその試みは、しかし根本的な解決にはならなかった。
植物を欠いた生態系は、土台を失った建物のように崩壊していった。

あれから二年、マヤによって一時的に生み出された大量の食料も尽きてきた。
植物の残骸に満ちた世界は、終末に近づいている。
近藤は娘が世界を飲み込んでいく恐怖に震え、ただただ懺悔した。

2005/05/17(Tue)05:19:00 公開 / July
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