『TO CODA 1〜4』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:邪悪の化身ダリオ                

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等しく並んだ木製の机上。
      黒鉛の文字を綴る音。
           空気の張り詰めた箱の中。
               ――――僕は、そこにいた。

 僕の高校生活は、至って平凡なものだったと思う。三年生に進級した今は尚、単調さが増したような気がする。恐らくそれは「気のせい」などではなく、本当に単調なのだろう。皆、「受験」の名の下に読解し、思考し、記述する。僕のその例に漏れず、七ヵ月後に迫った入試のため知識の蓄積に勤しんでいたが、ほかの生徒が恐らくそうであるようにやる気に満ち溢れてはいなかった。だからいつでもやめたいと思っていたし、高いレヴェルの大学にいったところで自分に何か得があるとも思えなかった。しかし、一応は進学校の生徒として馬鹿にされない程度には試験で点を取っていかなければいけないのであった。僕にとって、馬鹿にされたりなめられたりするのが一番気障りなものだったからだ。
そして、三回目の模試が終わった。
 1
最後の教科である数学が終わると、一斉に教室がざわめきはじめた。今までにない手応えを感じた僕はすっきりした心持だったが、隣席の横井航平(よこい こうへい)の顔からは生気が抜け、垂れ目がちの目はいつもより細く虚ろになっていた。顎を机に立て、手をだらしなく前方に放り出している。肩に届きそうな長い髪はぼさぼさに乱れて目にかかっていた。横井は、数学のテストが終わった後はいつもそうなのだ。カンで答えるというのはそんなに疲れるものなのだろうか。端整な顔が台無しだ、と僕は思いながら、英語の偏差値が常時75以上のクラスメイトを幾分呆れて眺めていた。
「……何?」
横井がこちらの視線に気づいたようだ。怪訝な表情を浮かべてこちらを睨んでいるが、気が抜けきっているのかいまいち焦点が合っていない。
「いや、疲れきってるなと思ってさ」
そうだよー、と答えながら、彼は両手を組んで前に伸ばした。その動作で、やっと横井の顔に色が戻る。息を一つつくと、彼はその薄い唇を開いた。
「当たり前。数学で疲れない奴なんていないよ」
笑ってそういい、横井は前髪をかきあげた。やさしさを帯びた目と整えられた眉、そしてしみ一つない白い額が露になる。僕は一瞬手がうずくのを感じて、あわてて両手をポケットに突っ込んだ。感情を整えるために一つ深呼吸をする。横井航平――横井は、時に物憂げな黒い瞳によく合う紅い唇、それらを支えるはっきりした輪郭ときれいな黒い長髪で、ある種中性的な魅力を醸し出していた。常に控えめな態度や付き合いの良さも相俟って、男子にも女子にも人気があった。両親が他界し親戚の仕送りで生活しているらしいのだが、どこから金を仕入れてくるのか、または親戚がよほどの金持ちなのか、とにかく経済的には困っていないようだった。遊びに誘いやすいのも、そんな理由があってのことだということは否めないだろう。金の切れ目は縁の切れめというからな、と僕は呟いた。
「航平くんっ、大樹ー、帰ろう?」
にわかに騒がしくなってきた教室の中で、僕と横井を呼ぶ声が聞こえた。僕は振り返り声の主を確認する。横井も、ワンテンポ遅れて細い腰を捻った。予想通り、渡瀬祐加(わたせ ゆか)という名の女がそこにいた。彼女は僕の幼馴染で、現在横井の恋人である。均整の取れた目鼻立ちや、艶のあるロングのストレートヘアはそこそこ多くの男に人気があったが、祐加はぱっちりとした目に似合わず自己主張が苦手だったため、そこまで目立つタイプではなかった。容姿も体型も至ってフツウ(多分そうだと思う)の幼馴染としては気後れする必要もなくて結構なのだが、横井航平の友人としては「告白の仲立」などという非常にハズカシイ役を引き受けさせられたりしたこともあり、苦労が絶えなかった。
「うん、帰ろうか。大樹君も帰るでしょ?」
「あー……僕は」
気を使うつもりなど、なかった。
現に、僕は。
横井に訊かれるまで。
直ぐに帰ろうと思っていたのだから。
しかし、僕は首を横に振っていた。
「いや、僕は残っていくよ。課題も終わってないし」
横井と祐加は顔を見合わせた。
「珍しいね、学校に残っていくなんて。熱でもあるの?」
揶揄が、揶揄に聞こえない。直ぐに帰れ、逃げるんじゃないと言われていうような気がする。だが、何とか僕は笑って返すことができた。
「はは、少し量が多いからね。家に帰ったら寝ちゃいそうだし」
「そう……。じゃあ、先に帰るよ。行こうか、祐加」
横井は、少し寂しそうな笑みを浮かべ、僕に手を振った。
「ばいばい。また明日、大樹」
祐加も寂しそうな笑みを浮かべていたが、どことなく嬉しそうだった。今まではいつも僕も一緒に帰っていたので、二人きりで下校したことがなかったのだ。ようやく二人きりで帰れるのが嬉しいのだろうか。そう考えると何かすごく寒くなってきたので、僕はそんな考えを振り払うように頭を軽く二三度振り、深呼吸を一つした。そして、自分の机につき、鞄を漁った。課題が残っていたのは本当である。だが、それは家でも楽にできうる量だった。僕は今日、何故か一人で帰らなくてはいけないような気がしたのだ。教室内にはまだ生徒が十人ほど残っていたが、少なくとも彼らが帰るまでは、勉強をやめるわけにはいかない。とりあえず僕は、わずかな課題を終わらせることにした。
 ――午後八時。僕以外の生徒はすべて下校し終わった。僕一人が残された教室は、均等に並べられた机のせいか大して広くは感じなかった。さあ、帰るかと呟いて僕は紺のブレザーを羽織り、バックパックを斜めに背負って教室を後にした。
 とっくに日が暮れた外の景色は、校内の灯りに照らされて余計に夜らしさを演出していた。正門の直ぐそばにある地下鉄の駅への階段を下っても、明るさの違いこそないとはいえそこには夜の雰囲気が満ちていた。改札に向かいながら、いつもの動作で財布を開き定期券を取り出した。改札の前に立ち、定期券を通――そうとしたところで、ぎくりと腕がこわばった。この期に及んでまだ僕は迷っているのだろうか。しかし、迷っても無駄なことは解っているはずだった。やれやれと首を振り、深呼吸をする。どうやら、ここ数年の間に深呼吸が癖になってしまったようだ。気を取り直して定期券を改札に通し、無人の二番ホームに降り立った。後五分で電車がくるとの表示。その五分の間に、僕はいろいろなことを考えた。横井のこと、祐加のこと。横井との出会いのこと、祐加との出会いのこと。僕の人生について。僕という人間について。
 五分は、あっという間に過ぎた。轟音とともに、ホームに電車が滑り込んだ。僕に乗れといっているように、僕の真ん前に入り口が来た。電車の息を吐く音。ドアが開いた。
 ――このドアをくぐれば、とんでもないことになる。何故か、僕はそれを知っていた。
その車両には、誰も乗っていなかった。


 第三車両の中には、七人がけのいすが二組、合計四つおかれていた。それらに腰掛けているものはなく、前後の車両もそのように見えた。時刻はまだ八時三十分。僕の常識ではこの時間に人が乗っていないはずはなかったが、これでいいのだ、と思えた。これは、

いつものことなのだから。

自分でも妙だと感じるほどに確信した僕は、自然右唇を上げていた。歩をゆっくりと進めて、左側の椅子の右端に体を預ける。手すりにひじを乗せて頬杖をつくと、心臓を中心に血液が入れ替わるような脈動を感じた。電車の扉が空気音を立てて閉じ、二秒後に電車が動き始めた。押し戻される感覚に、腿の筋肉が少しこわばる。ぼんやりと向かいの窓を眺めていると、駅の景色が途切れ中途半端な闇が広がった。景色に少しの面白さも見出せなくなったので、僕は手を頬に当てたまま、視線だけを上に動かした。路線案内板に現在位置や進行方向を表す発光ダイオードが埋め込まれていたが、その中の一つは壊れているのか、光を放っていなかった。それを見た僕は、また唇の端を吊り上げた。列車は、規則的にレールを踏みつけていた。
 僕はしばらく目を細めて案内板を眺めていたが、やがて目を閉じ力を抜いた。眠たかったからそうしたのか、眠りたかったからそうしたのかは自分でもわからなかったが、そうするのが一番いい方法だということは確信していた。目を閉じているという意識が薄れていく。呼吸をしているという意識が薄れていく。生きているという意識が――薄れていく。
 発光ダイオードが、すべて消えていった。

「おはよう、大樹君。一緒のクラスになったね」
 高校の入学式の日。登校すると、長髪で垂れ目がちの男が右から駆け寄ってきた。彼とは、中学三年生のときに予備校で知り合ってから、友達のような付き合いをしている。横井航平は、今日も眩しかった。
「おはよう、横井。ブレザーがよく似合うな」
僕は、傍らを歩いている幼馴染について訊かれなかったことを少し意外に思いながらそう答えた。渡瀬祐加は、横井に対する反応に困っているようだ。僕の中学からは、僕と祐加しかこの高校に行かなかったことを知っているからだろう。僕は簡単に横井を紹介した。
「こいつは、横井航平。塾で知り合ったんだ」
祐加は頬を赤らめながら控えめな声で「はじめまして」と挨拶した。彼女は基本的に、初対面の人間と話すのが苦手である。有り体に言えば、人見知りが激しいのだ。つくづく見た目と対照的な性格である。横井にも祐加のことを紹介してやると、横井は柔和な笑みを崩さないまま、はじめましてと声をかけた。嫌味のない気さくさと、見る人を選ばない微笑。僕は横井がモテる理由が少しわかったような気がした。
 
桜の舞う四月、高校生になった僕ら。そういえばこの日も、僕は独りで家に帰った。


 「……んあっ」
 青に近い闇の中で、突発的に目が覚めた。眠気を覚ますため首を振ると、向かいの座席にウェスを見つけた。彼は右手に小さな読書灯を持ち、左手で文庫本を読んでいた。撫肩が、月明かりと読書灯に挟まれて際立っている。気配を感じたのか、こちらに視線を向けた。
「起きたのかい、ダイジュ」
 驚いた風な声だった。ウェスは文庫本を閉じ、七人がけの椅子から足を下ろした。綺麗に整えられた金髪が、背中に流されている。月光に照らされた彼の顔は、夜中であることを感じさせないほど潤い、はっきりしていた。ダイジュ、と呼ばれた僕はああ、と生返事を返した。背後の窓から外を見ると、切れ切れになった線路の上に列車の車両が点在していた。そんな列車墓場の向こうには、哀愁すら感じさせるビルの残骸が密集している。何か、金属的な風景だった。
「まだ眠いや。少し外を歩いてこないか?」
 ウェスを横目で見ると、二重まぶたをやや細め、両の頬にえくぼを作っていた。
「……? どうした?」
 あまりやさしげにウェスが歯を見せるので、少し面食らった。彼は瞬きを一つすると、なんでもないよ、と答えた。
「見てて楽しいな、と思ってさ。安らぐっていうか」
 男性にしては高い声で、ウェスはなかなか微妙なことを言ってくれる。童顔だといわれ続けてきた僕にとって、それは即ち褒め言葉には取れなかったのだ。うるさいな、と意図してふてくされた風に言い、僕は立ち上がった。深呼吸を一つすると、車内を見渡してみた。七人がけの椅子が二組、合計四つ。椅子の両端には、生活用品を入れるためのかごが備え付けられている。それぞれに二人ずつ、子供が眠っていた。このスラム街で生きていくために結成したグループの仲間たちである。車両の両端には扉があり、隣の車両へとつながっている。三両続きのこの列車には、合計19人の男女が住んでいて、僕は一番年上ということもありリーダーのような位置にいた。
「行くかい? 雨は降りそうにないよ」
ウェスがまとめるように言う。僕に視線を向けているので首肯すると、彼は立ち上がった。
 手動で開けるしかない元・自動ドアから外に出て、まず空を見上げる。目に沁みるような一面の星空に、僕は卒倒しそうになった。確かに、雨は降りそうにない。列車のほうを振り返ると、シャツの上に紺のジャケットを羽織ったウェスがそこから出てくるところだった。彼はまぶしそうに目を細めると、やはり傘は必要ないようだね、と呟いた。そして、僕たちは東へ歩き始めた。
 列車墓場を抜け、元・ビル街を漫ろ歩いた後、僕たちは再び列車に戻ってきた。道中の会話は、専らスラムでの生活に関することだった。食事や住居、グループの子供たち。このスラムで僕たちは、生活しかしていない。生活だけで精一杯というわけでもなく、食料や衣類、娯楽などは例の元・ビル街に豊富にあるのだが、ただ毎日を送る以上のことを求めていないのだ。朝に起き、昼は遊び、食事を摂って、夜に寝る。それは、非常に居心地のいい暮らしだった。
椅子に体を預け、窓の外を眺めると、元・ビル街の空が橙色に焼け始めていた。


 夜が完全に明け、元・ビル街の上には、あかあかと朝日が昇っている。目を開けると、手すりにもたれて横になっているウェスの姿が向かいにあった。昨夜読んでいた文庫本はかごの中、きっちりと畳まれた衣類の上においてあった。真ん中あたりのページには、真っ白な板紙が挟まれている。ウェスらしいな、と感じた。時計を見ると、すでに朝の七時。朝食を仕入れに行く時間である。僕は今日の食事当番になっていたため、同じく食事当番のアカネを揺り起こし、手提げ袋をもった。隣の車両で寝ていた彼女は、車両の外に備え付けてある洗面所で顔を洗うとおはよう、と呟くように言った。黒目がちの目は、まだ半分も開いていない。
「おはよう、アカネ。やっぱり朝に弱いね」
 アカネはひとつ伸びをして、おはよう、と今度ははっきり言った。まぶしそうな目は、朝日を反射して少し潤んでいる。着替えるように言うと、アカネは第三車両へもどっていった。155センチ程の小さな体が、元・自動ドアの奥に消える。独りになった僕は、元・ビル街を振り向くと小さく欠伸をした。
 約十分後、アカネは車両から出てきた。ジーンズのオーバーオールが、あどけない表情と両おさげにした黒髪によく合っている。僕はアカネが近くまで来たのを確認すると、回れ右をして歩を進めた。小走りに近づいてくる気配がしたあと、十二歳の少女は僕の横に並んだ。
 僕たちは毎朝、交代で元・ビル街に食料を調達しに行く。そこのひときわ大きな建物には、インスタント食品や野菜などが豊富に並べてあるのだ。僕たちはそれを、「マーケット」と呼んでいた。その「マーケット」に、僕たちは二人ずつ食料を求めて出かけるのだった。
「アカネ、今日は何を食べたい?」
 問うと、アカネはしばらく考えるようにした。腕を組んで小首をかしげるしぐさが、人形のように可愛らしい。ずっと眺めていたい位だったが、生憎あと二分ほどでマーケットに着いてしまう。加えて、アカネの頭の回転の遅さや優柔不断さは、グループの中で随一だった。そのことでほかの子供たちからいじめられがちなアカネを、僕やウェスが庇う、というのがいつもの構図である。このままでは決まらないと判断した僕は、仕方なく提案した。
「カレーでいいかい? 朝からだけど」
「うん、いいよ。えっと……カレーで」
 彼女は、くりっとした目をこちらに向けてうなずいた。その潤んで輝いた眼で見つめられると、少し面食らってしまう。ころころと、嬉しそうな笑顔だった。
 まもなく、僕とアカネはマーケットに到着した。内部は照明がなくかなり暗かったが、朝日が差し込んでいるため見えないというほどではなかった。僕たちのほかに、5,6人の少年や少女がいる。彼らの顔に見覚えはあったが、話したことは一度もない。僕は自分のグループ以外のスラムの住人と一切話したことがないのだった。ウェスや他の仲間たちも同じのようで、他のグループの人間のことが話題に上ったことはなかった。
広いフロアの右のほうにレトルトカレーを見つけると、僕は持参した手提げ袋に余裕を見て23人分詰め込んだ。
「行こうか、アカネ。君はこれを持って」
 僕はアカネにスポーツドリンクのペットボトルを一本持たせた。二リットルのペットボトルは他に8本あったが、残りは僕が持った。どう考えても彼女には全部持てない。そのままでも体が左右にふれているのだ。見かねた僕は、彼女に並んで手をとった。
 車両のすぐ外、木のテーブルでの朝食は、およそ30分で終わった。子供たちが、方々へ散っていく。車両に戻る者、そのまま東へ遊びに行く者、テーブルに残り喋っている者。アカネはまだ食べ終わらないようだったので、僕は彼女の隣に座り二皿目をゆっくりと食べていた。 一メートルほど向こう、テーブルの対岸に座って文庫本を読むウェスの金髪が妙にまぶしく見えた。太陽が映えているのだ。視線を上げて確認した。太陽が、目に入った。僕は、くらりと。

――眩暈を、覚えた。

 地下鉄に揺られ、僕は見る価値のない窓の外の灰色を眺めていた。等間隔で横切る明かり。そのリズムに魅せられるように、僕は灰色を眺めていた。やがて灰色は途切れ、開けたプラットホームが現れた。僕の降りる駅に着いたようだ。深呼吸を一つして、僕は立ち上がった。

2005/07/06(Wed)03:29:53 公開 / 邪悪の化身ダリオ
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■作者からのメッセージ
「TO CODA」久しぶりの更新でした。受験勉強のため(言い訳)なかなか更新できませんが、合間を見て書いていきたいと思います。あー……しんどいよぉ……。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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