『ある日の喫茶店にて』 ... ジャンル:恋愛小説 恋愛小説
作者:もろQ                

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 「あれ、まだ出ないの?」
「…………え?」
ふと我に返って前を見ると、いつもそこにいる顔が少し不思議そうにしていた。
「どこの喫茶店入っても、食事済んだらすぐ外出ちゃうじゃん」
「……そうかな」
「そうよ。ゆっくりしたいからお店入るのに」
「…………怒ってる?」
「……………別に」
そう言って、沙波は店内を見回した。平日の午前中では、こんな裏通りの喫茶店には客もいない。沙波の横顔は微妙な表情をしていたが、こういう質素な店内に僕と君とバイトの女子大生の3人きりっていうのも僕は悪くないと思った。
 まあ本当ならもうお勘定してもいいんだけど、今日はちょっとだけ、こうしていたかった。カップの底に残った豆の微かな匂いが鼻をつく。ここのは少し苦い。だけどなぜか懐かしい味がした。
「午前中ってこんなに人いないんだねー」
やっぱり沙波はこういうの好きじゃないんだ。さっきみた微妙な表情がそのまま前を向いて帰ってきた。
「………そうだね」
沙波は僕といるとつまんないのかな。一瞬傷付いた後で、少し笑った。するとすかさず沙波が言う。
「何がおかしいの?」
「いや、何も」
そりゃつまんないだろうさ。知ってるよ、僕は。

 朝の白い光は、気付くとオレンジがかった柔らかい色に移り変わっていた。同じように、暗い銀色の影でしかなかった丸テーブルが、今では若干の色彩がついている。相変わらず店内には2人の客とバイト学生の気配しかない。かがむと床につく長いエプロンをじれったそうにしながら、さっきからレジ周りを掃除している。テーブルの方は掃除しないのかなあ、と思ってみる。
 沙波は右腕で頬杖をついて、ずっとどこかを見ている。僕は背もたれに寄りかかって、そんな沙波を見ている。ふと、中指に光るものがある。それは僕が去年の春頃に買った指輪だった。そう、確かあのときも、似たような喫茶店でコーヒーを飲みながら話していた。
 
 「誕生日なんだよ。明日」
「……………え?」
「やっぱり忘れてた?」
「や、いや、忘れてないよ」
がっかりすると思って、僕は必死に弁明しようとしたが、彼女はクスクス笑っているだけだった。
「ね、なんか買ってくれる?」
彼女が笑いまじりに尋ねる。僕はほっとして、快くうなずいた。
「何か欲しいものあるの?」
「ううん、特にないけど」
「言ってよ」
「なんで?」
「だって、言ってくんないと分かんないじゃん。そんな他人の欲しいものなんか」
「分かるでしょ?」
「分かんないよ」
ふーん、と言って、彼女は窓の外を見る。なぜか彼女はそんな時にがっかりの顔を見せたのだった。
「言ってよ。頼むから」
「……………そうね…………じゃあ」
 宝石店に連れていかれるとは思わなかった。3万円は割と無難な値段なのだそうだが、まだちゃんと仕事に就いていなかった当時の僕には、それはそれは大きな買い物だった。こんなことになるならプレゼントはこっちで決めてやればよかった。でも、まあもらった当人は喜んでくれたようなので、特に後悔はしなかった覚えがある。

 その大きな買い物が未だに沙波の指で光っているのを見て、少しうれしくなった。うん、つまりそうか。ちょっとは今の君を信じてもいいらしい。僕の中で何かが吹っ切れた気がした。
 沙波は相変わらず頬杖をついて、どこかを見ている。僕は相手に気付かれるくらいに見つめた。
 「……浮気したでしょ」
静かな喫茶店が、ひときわ静かになる気がした。
「見たよ。知らない男と一緒にいたでしょ」
穏やかな光を放つ窓から、表通りの車の音が聴こえるようだった。沙波は、意外な言葉に驚いたような顔をしたが、すぐに笑い声を上げて静寂をやぶった。
「…………笑い事じゃないよ」
「だって、いきなりそんなこと言うから」
あえぎあえぎ君が言う。その笑い声につられて、僕も思わず笑ってしまった。
「………………浮気したこと、怒ってる?」
「……………別に」

 僕がレジで支払いを済ませる間、君はドアの前で立っていた。臨時レジ係のバイト学生と目が合って、さっきの浮気の話を聞かれなかったかとドキリとした。
 店を出た時、僕は突然気付いた。あのやや苦めの、でもどこか懐かしいコーヒーの味。去年の春頃にも、僕達はこの場所に来ていた。

 どこかで道を間違えたり、立ち止まったりしたけど、結局僕達は同じところに帰って来れたらしい。あの時、君に与えた中指の光に触れるために、今日は手を繋いで歩こうと思う。

2005/04/04(Mon)00:42:47 公開 / もろQ
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個人的には珍しい恋愛ものです。あまりやらないジャンルなので、良いものができたら、と願っております

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