『『犠牲者』―読み切り―』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:散華                

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「また災害か、天の意向も信じられなくなったな。」

洪水の後の町で、若者がせっせと瓦礫の山を運んでいる。激しく照りつける太陽は
彼の労をねぎらうことも知らずにただ真昼の太陽としての役目を存分に発揮してい
た。

「この前は地震、この前は台風、もういやになっちゃうわね。」

女性もせっせと瓦礫を運んでいる。二人の男女は、洪水の中何とか一命をとりとめた人たちであった。二人は昔からの中で、近所に住んでいた。
洪水の最中に両親を失ったため、周囲にある崩れた瓦礫を取り除き、
少しでも多くの命を救おうとして、努力している。

「――ここもだめだったか……」

ひとつの板をどけると一家全員の死体が浮かんできた。その板には、家族全員の引っかき傷や、爪が刺さったままだったりして、死の淵に立った者たちの苦しみをまざまざしく物語っていた。

「………………」

二人は沈黙して、自分達で作った質素な筏に乗り込み、大きな火山のふもとまでた
どり着いた。進むまでにさまざまなものを目にしたが、どれも美しいものなどはひ
とつもなかった。

彼らは筏を岸辺に上げて、少し登ったところにある祠へたどり着いた。
祠といっても一戸建ての家があるだけで、たいして目立つところは何もなかった。

「帰ったぜ、ばあさん」

若者がそう言って小屋に入るや否や、なにやら祈祷をしている老婆が姿を現した。頭にろうそくを巻いている異様な姿をしているが、彼女の占いはよく当たると評判で、この洪水を予知し、それを信じたものだけ助かったのは記憶に新しい。

「おお、フィル。結果は余りよくなかったようじゃの。」

フィルという先ほどの若者は、その場に座り込んで、目を瞑って自分の気をなだめた。誰も助けられなかった自分の無力さを身にしみて感じたのは生まれて初めてだった。

―――はぁ……

とため息をフィルがつく。そのため息が何を表しているかを老婆は理解したのであえて何も言わず、もう一人の女性のほうに話しかけた。
女性もあまりいい顔はしていなかったが、フィルよりはよっぽど話しやすかった。

「カナ、ひとつお前に使いを頼んでもいいかの?」

カナという女性は、老婆の言葉を聞いて不思議そうに重たい首を上げた。

「この山に居る者達を集めて欲しいのじゃ。行ってくれるな?」

老婆の顔が柔らかく、そして何処か悲しげな表情をして言った。
それをカナは少し気にしたが、洪水の後だからということからか、振り返ることもなく外へと出て行った。

「さて、フィル。今までの災害のことなんじゃが……」

老婆が急に話を切り出したので、何かと思い思い首を上げて、涙に溢れた目を拳でぬぐった。

「何だ?」

ぶっきらぼうな返事だったが、フィルにとっては落ち着いて返事をしたつもりだった。老婆はそんなことを気にせず、話を続けた。

「神の怒り、全ては天の裁きじゃ。人間たちに与えられた課題じゃの。」

老婆はフィルのほうから目をそらして言った。フィルにとっては不思議だったがこれから言う内容は、どうやらとても辛いものらしい。

「…………」

「―――それを止める方法はたった一つあるんじゃ。」

そこで老婆の言葉が途切れた。言い渋っている、後ろから見てもそれはなんとなくは分かった。

「その方法は?」

「―――生け贄じゃ、それもカナを捧げるより他にない。」

フィルは思わず思考が途切れた。頭が真っ白になっていき、額から冷や汗が垂れてくるのをどうにもできずに流していた。鼓動が早くなり、気絶しそうな顔つきだった。

「占いではカナしかいないんじゃ、お前らはわしの孫同然じゃ。
 小さい頃からよく知っておる。」

老婆の顔にはおそらく涙がとめどなく流れているのだろう。
声も震えていて、悲しさがこの空間を制していくのをただただ感じることしかできなかった。

「――アイツを殺すのか?」

フィルの思考が徐々に蘇ってくる。小さい頃の記憶と共にだんだんと理性がこみ上げてくる。それが頭の中で、理性と何かの感情がぶつかり合っている
頭が割れるように痛く、心がいく重にも締め付けられ、嗚咽したくても
その吐くものを知らない。そんな、もどかしい感じが駆け抜ける。

「――前から話はあった。じゃが、わしはどうしても決断できなかった。
 じゃから災害は止まらなかったのじゃ。」

老婆の声も、悪魔のささやきにしか聞えなかった。今まで慕ってきたものへの像が一瞬にしてもろくも崩れ去ってしまった。

「………………」

狭い小屋に張り裂けそうな胸の苦しみと、沈黙が満ちた。

俺はどうしたらいいのだろう……

フィルは失いたくはなかった。いや苦しくて苦しくて理性は壊れてしまったのだろうか、全員を犠牲にしたって助けたいなどと考えてしまう。
例えこの村に生きる人全ての命を捨てたとしても、彼女を助けたかった。

「……辛いな……しかし、わしは決めた。おそらくお前は決まっておらぬじゃろうな……」

老婆はそう言って、お茶を入れ始めた。お茶の満ちる音が周囲の沈黙をかき消して言ったが、フィルの心の中では以前として沈黙が続いていた。

「飲むんじゃ、落ち着くぞ?」

ひとつ差し出された小さな湯のみ茶碗をフィルの横にちょこんと置くと、老婆はそのまま、座り込んでまた不可思議な祈祷を行うのだった。

フィルは差し出されたお茶を一気に飲み干した。体を冷やすどころか熱すぎて、逆に火に油を注いだようだ。

「この罪をお許しください」

突然襲う睡魔にフィルはそのまま床へ寝そべり、小さな寝息を立てていた。
それを見て老婆は立ち上がり、外へと出ていく。

「さぁ……出発じゃの。」

老婆は外出用の杖を用いて、村人達がカナをつれてくるのを見守っていた。

あれからしばらく時間がたった。夕陽がフィルの目蓋を開けさせ、彼に時刻を告げる。もう時間がないと。

フィルは目をこすってまだふら付くおぼつかない足取りで山頂を目指した。
生け贄というのは天に近いところで捧げられるというのがしきたりであった。そのため、目指す場所が分かっているだけ、まだましだった。
其処を目指してただひたすらに走れるのだから。


フィルの思考は彼女のことで膨らんで、もう正確な判断もつけようがなかっただろう。彼の辛さは、このまま発狂でもして忘却したほうがどれだけ楽だっただろうか。行った所で、自分に何ができるかはわからないのだ。それに、自分が今しようとしていることは、自分の感情のために多くの人々の命を犠牲にする。という行為に他ならなかった。

……俺は何を信じたらいい?

フィルは心の中でなんども問いかけたが、答など誰も答えてくれるはずもなく。ただその声だけが頭の中で響いた。

山道をしばらく登る。夕陽の弱い光が林の木々にさえぎられてもう視界を確保するのも困難になった。
暗闇の恐怖と、失うものへの恐怖が襲うなか、フィルは山頂目指して走り続けた。例え何かにつまずこうとも、こけようとも、彼はすぐさま立て直してまた走り出すのであった。
彼の中では、カナへの思いと、この先の未来とどちらをとるのかで張り裂けそうなほど胸が高鳴っていた。
しかし、答は出ないままフィルは走り続けた。ただ、彼はどちらも諦めたくはないのだ。いや、どちらも欠けてはいけない物なのだ。

カナを犠牲にして得た未来と必ず終わりを迎える愛

どちらを取るかと言われて、貴方は答が出せるだろうか。少なくともこの時点のフィルには不可能だった。彼は、地獄につながる二つの分かれ道に立たされた旅人のように、絶望の淵に立っていて、もう後戻りはできないのである。これほどの辛い仕打ちが果たしてあるのだろうか?

フィルはとにかく走った。答を求めてではなく、答を出すために。
ただカナの居る場所を目指して走り続けた。

しばらくすると山頂に明かりが見えた。お祭騒ぎの声が聞こえるが、フィルには何も力を与えてはくれなかった。むしろ、音が止まないことを祈っていた。自分が行くまでに鳴り終わるということは、何もせずして負けが決まった勝負になってしまうからだ。

自分がこれから何をしようというのかは分からない。
かといって何もしないということはできない。それだけは絶対にしてはならない行為なのだ。

林を抜けて、火山のような草原地帯を真っ直ぐ突っ切る。夜の草原に吹く風は心地いいのだろう。しかし、フィルの心に決して届くことはなかった。
足を止めることもせず、ただ風を切り裂いて走った。それも自分の疲労も忘れるほどに走り続けた。

山頂まであと少しだ、だんだんと明かりが近くなる。音もだんだん大きくなる。

――あと少し……

だんだんと火口の独特の匂いがして、自分の今居る位置がはっきりと分かった。
もう目前だ

――後一歩!


そこで急に音楽が鳴り止み、辺りから忽然と全ての音が失われた。
先ほどまで自分が目指してきた光も、光の中では存在などないに等しいのであった

「――カナ!!!」

神に召されるということで、美しい衣装を身に纏ったカナがそこには居た。
彼女はまだこちらに気づいていなかった。今から火口に飛び降りようとしている人にしてはその背中は生き生きしていて、あまり悲しみというものは感じられなかった。

体を抑えられない、感情が理性を壊していく……今自分がどうするべきなのかもからない。

ただ彼女の声を聞きたい。

フィルは走った。いや、走ったというよりも離れていくフィルを追いかけていた。

俺にとっては、彼女が全てなんだ……

彼女が自分をどう思っているかは知らない……だけどそれは怖くなかった。
いやその恐怖さえも忘却してしまった。

一歩ずつカナとの距離は縮まっていく。カナは気づいてくれない。

「――カナ……」

かすれた声は、空に消え、周囲にいる人にさえ届かなかった。

「――カナ…!」

振り向いてくれ、じゃないと俺は……

「――カナ……」

声は結局出なかった…しかし、彼女は振り向いてくれた……
何が起こったのかなんてわからない。小さい事だが、これを奇跡だと思う。

「ごめんなさい、フィル。貴方の顔を見ると悲しくなるの……」

小さい声でカナがつぶやく、しかし、その声はフィルには届かなかった。
そして向かい合って、淡々を言葉をつなげた。すぐ後ろまで迫ったフィルに向かって。

「―――貴方のこと…昔から嫌いだったの…だから―――」

涙が溢れてくる、せっかくこのまま上手く行けそうだったのに…彼には忘れて新しい人生を歩んで欲しかったのに…この涙がどんなに恨めしいか…

「……………」

フィルは何も言わずにただ一歩ずつ確実に歩を進めた。まだ、答は出ていなかった。

「これが本当に正しいのかも分からない」

フィルが一歩ずつ近づくのを、周りの人々はただ見ていた。
体が動くことを拒否していたのだ。もう自分達の欲の愚かさというものを皆悟ったようだ。

「……だけど、俺はお前が好きだ。これだけは間違いない…本当のことだ」

フィルの手がカナの頬へと伸びる。そして涙を拭き、また一歩近づいた。

「だから、君は死なないで。」

フィルはそう言って、カナの肩へと倒れこんだ。疲れ果てたのか、意識を失っていて、体中傷だらけだった。

「……あり……がと」

カナは涙を流したまま力なくその場に座り込んだ。思っていてくれる人が居て自分は今がもっとも幸せだった。

「私も、あなたのことが……」

その時地震が起き、人々をなぎ倒していった。その轟音で、カナの声はかき消され、誰にも届かなかった。いや、もしかすると思いだけは伝わったのかもしれない。

だが彼らはそんなことを考えることもできずに、終焉を迎えた。
すぐに火山が噴火し、人々は飲み込まれ、町は跡形もなく消えてしまった。

人とは全く不思議な物だ。大切な物を守るためにはたとえ、何を犠牲にしても守りたいのだと思うのだから。

しかし、それ故に美しい物でもあるのだ。

我々は忘れてはならない、自分達がどんな犠牲の上に成り立っているのか。
そして、それを伝えなければならない。

2005/02/05(Sat)14:02:58 公開 / 散華
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