『パントマイム・パーク 『読みきり』』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:メイルマン                

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 私が公園のベンチに座っていると、正面に見える道路に面した入り口から、初夏の日差しを突っ切るようにコウタが駆けてきた。駆けてきたというと少し違って、実際コウタが私の方に向かってきたわけではなく、私の右正面に広がる草地に勢い良く駆け込んだといった方がいい。その時点でコウタは私のことを認識してはいなかったろうし、またそれはいつも通りの何ら変わらない様子だった。
 毎日決まった時間、私が軽い昼食を終えて日課の散歩に出かけ、最終地点としてこの市営公園のベンチに辿り着いてから数分すると、彼は毎回同じ入り口から姿を現すのだ。彼は赤っぽい服をまとっていることが多く、この日も赤いチェックの服だった。
 毎日毎日繰り返されるこの光景を見ることで、私は安寧だった昨日が今日にも訪れている錯覚を抱けるのだった。私はいつものようにコウタを観察し始めた。

 走れば走るほどしゃりしゃりって草の音がする。僕はちりちりと乾いて燃えている太陽が、芝生をぱりぱりに変えちゃったことを知ってる。いつかこの公園にきた時は、朝の露を含んだ芝生に寝転んで体中が濡れたんだもの。
 僕は一息で大きく吠えたあと芝生に転がりこんで、草の匂いを思いきり吸いこんだ。芝生というには荒れていて、ところどころ土くれだっていたけど、草の匂いに混じる土の匂いがまた好きだった。僕は仰向けになって眩しい空を顔に当てると、またうつぶせになって仰向けになってを繰り返した。
 公園は僕の大好きな遊び場だ。とっても広くて一日中遊んでいても飽きないから。僕が初めてこの公園に来たときは、入り口近くの遊具と砂場で小さい子達がはしゃいでいたし、その近くの大きな木には自分が昇る順番を待つ子供達が群がっていた。僕が寝転んでいる芝生では三人の親子連れが自転車をゴールに見たててサッカーをしていたし、その隣にあるグラウンドでは野球の少年団が一生懸命に練習をしていた。僕はそんな様子を見て、どんなことをして遊ぼうかとワクワクしたものだ。最近はこの公園で遊んでいる人をほとんど見ることはなくなって、いつもベンチに座っているお爺さん以外の人を見かけることが滅多になくなった。そんなわけで、ちょっと寂しい雰囲気が漂ってるのは残念だ。
 僕が芝生を転がっていると、さっきの声に反応して僕の友達がやってきた。芝生を駆ける音がしたんだ。僕はその姿を見ないうちでも、さくさくとリズムの良い草の音が聞こえれば、友達が近づいていることがわかる。僕は転がるのをやめて、足音のする方に顔を向けた。
 ジロがそこにいた。ジロは駆け寄ってくると僕の近くに腰を下ろして、尻尾をこまめに左右に振った。僕は「おはよう」と挨拶をして、ジロの顔をぺろりと舐めた。するとジロはますます尻尾を動かして、真っ白な体と顔をすりよせて僕の顔を舐めた。僕は笑った。
「おはよう」ジロは優しく言った。「暑いけど気持ち良いね」
 僕は暑いのが苦手だったけど、「そうだね」とジロに答えた。「今日は何して遊ぼうか」
「ままごとは昨日やったから、今日は鬼ごっこだね」ジロは言うと、「コウタが鬼ね」と当然のように言いきった。僕はこの前もその前も初めは僕が鬼だったことを覚えていたけど、「いいよ」と答えた。
「ようし、じゃあ始めだよ」ジロはワンと格好良く吠えると走り出した。四つの足を一生懸命動かして僕から遠ざかっていく。ようし、負けないぞ。
 鬼ごっこで走り回って良いのは芝生の中だけだ。一度公園全部を使ってやってみたときは、ジロの速さについていけずに僕は一度も鬼を代われなかったのだ。そんなに広くない芝生の中だけにしてからは、芝生の隅をうまく使って何度か鬼を代わることができるようになった。僕は駆け出した。
 追いかけるジロの白い毛並みは本当に綺麗だ。きらきら輝いているようにも見える。特に芝が露を含んだ日が晴れだと、芝生に寝転んで濡れたジロの毛並みが、日の光を受けて宝石みたいになる。一度公園の入り口の蛇口から水が吹き上がって、空中でいくつもの水滴に分かれたのを見たことがあるけど、それよりもずっと綺麗だ。僕もあんな綺麗な毛並みだったらどんなに良いだろうか。
 ジロは相変わらず速くて簡単には捕まえられない。僕は段々と服の内側に汗をかき始めた。すると急に強い日差しが気になり始めて、僕はますます汗をかいた。だから暑いのは嫌いなのに。僕は我慢して一生懸命ジロを追ったけど、次第に我慢できなくなって服を脱いでしまった。お母さんが丁寧に作ってくれた服だから、できれば脱ぎたくなかったのだけれど。
 服を脱ぐといくらか暑さが薄れて、服の分の重さを感じなくなった。これでジロにだって負けないぞ。
 しばらくジロを追いかけつづけると、ジロは疲れを見せはじめた。僕はチャンスだと思い、一気にスピードをあげた。ジロが近づいて、近づいて、あと少し、もう少し、もうちょっと……それっ。
 僕はジロに思いきり飛びついた。頑張って走っていたので、僕とジロはもんどりうって転がった。
「大丈夫!?」聞きながら僕にはジロを捕まえた爽快感が沸きあがった。いつもなかなか捕まえられない分、捕まえたときの喜びはまた格別だ。でも、ジロはいつもとちょっと様子が違った。
「何をするんだよ!」ジロは牙を剥き出しにして僕に叫んだ。その時になって、僕はジロに飛びついた拍子に、前足でジロの尻尾を踏みつけてしまったことを悟った。ジロは尻尾を踏まれることをものすごく嫌うのだ。
「ごめんよ、ごめんよ」僕は謝ったがジロは許してくれなかった。僕の顔を前足で払うと、ぷいと顔を背けて僕から去っていく。「待ってよ、ごめん。ごめんってば、ジロ。ねえ」
 僕は必死でジロに追いすがり、ジロに何度も謝った。ジロは冷たい目を僕に向けた。まるで噛み付かないだけでもありがたいと思え、と言わんばかりの目だ。それでも僕が謝り続けると、ジロはその目のまま言った。
「じゃあ、お前のあの服、くれよ」
「え?」
 僕が戸惑っているとジロは僕が脱いだチェックの柄の服に駆け寄り、僕が何か言う暇もなくそれを口にくわえた。
「何すんだよ!」僕は慌ててジロに向かっていったが、ジロは身をさっと翻して僕をかわした。
 ジロは「このくらい当然だろ」と言った。それはものすごく冷たい口調で、僕は寂しさと怖さを同時に味わった。けど、僕は戦わなきゃいけなかった。それはお母さんが作ってくれた大事な服なんだから。
「返して!」
 僕はジロの前足に思いきり噛み付いた。ジロがぎゃあと言って口にくわえた僕の服を落とすと、僕は服に覆い被さった。ジロはすぐに僕に反撃をしてきた。僕の顔にジロの牙がくっきりと食い込んだ。僕はあまりの痛さに泣き出してしまった。けど、ジロがくわえ落とした僕の服だけは、体の下に抑えこんで決して放さなかった。ジロは僕の体に何度も体当たりをしてきた。僕は怖かったけど、抵抗の意思表示としてジロを睨み付けて、ぐるると唸り声をあげた。
「この野郎! 首輪もついてないくせに!」ジロはますます声を荒げた。「よこせよ!」
「首輪がないのがなんだ! お前だって野良犬じゃないか!」僕は吠え返すと、ジロをじいっと睨み付けてはぁはぁと荒い息をもらした。
 ジロはしばらく僕と目を合わせていたけど、やがて威嚇の睨みをやめた。
「悪かったよ。ごめんな」ジロは少し口を尖らせて、うつむいて言った。
「……僕のほうこそ尻尾を踏んでごめん」
 僕達は今まで何度もこんな風に喧嘩をしたけど、その日のうちに仲直りをしなかったことは一度もないのだった。僕はジロに近づくと、僕が噛み付いてしまった前足を慈しむように舐めた。ジロはそんな僕の顔に顔を近づけて、歯型がくっきりと残った僕の顔を舐めてくれる。
 ぺろぺろとしばらく舐め合ったころだろうか。どこからか鐘の音が聞こえてきた。一定のメロディーを奏でている。これは近くの学校の野外スピーカーから聞こえる鐘で、夕方五時になると子供達に下校を促すために鳴るものだった。僕はこの鐘が鳴るころには、いつもジロとお別れしなくてはならない。お母さんが迎えに来るからだ。ジロもそのことを意識して、僕の顔をじっと見た。ジロの顔は夕焼けに染まっていた。
「コウター」
 その時、公園の入り口に僕はお母さんの姿を見た。僕は服を脱いだことを後悔した。僕が暑くて服を脱いでしまうと、お母さんは苦笑いして優しく服を着せてくれるのだけれど、僕に服を着せるのはとても手間がかかる作業なのだ。お母さんはいつも「しょうがないわね」と笑ってくれるけれど、できることなら僕はお母さんに迷惑をかけたくはなかった。お母さんは優しく笑って歩いてくる。
「ジロ、また明日ね」
 僕はジロにそう告げると、お母さんの方に駆け寄った。
「お母さん、ジロがね、今日もジロとね……」

 コウタは何かを舐める素振りを止め、きゅーんと鳴いて立つと女性の方へと走った。赤いチェックの服をしっかりと持って。
 女性は少し困った顔をコウタに見せ、家でそうしているようにコウタに服を着せ始めた。コウタの頭から服をかぶせ、袖を通すのを手伝っている。その間にコウタが語る今日の出来事を拾い聞いて、私はコウタの芝居の顛末を理解できた。今日はジロという白い犬と喧嘩をしたらしい。
 女性はコウタの話に相槌を打ちつつ、何とか作業を終えた。私は夕日を受ける彼女の顔を観察した。今まで幾度も彼女がコウタを迎えに来る姿を見てきたが、その度に私は彼女を凝視せずにはいられない。真っ白な髪も、荒れた肌に塗られた濃い化粧も、彼女の優しげな眼差しがそれらをひどく美しく見せてしまうからだ。
 コウタは女性に連れられ、公園の入り口へと向かう。私はいつもながらのその光景に、やはり心を奪われる。誰も近寄らなくなった公園は異形な彼らの隔離場所であるように思えて、そこから彼らが出て行くことで公園の外は重大な変化に見まわれるような気がしてならないのだ。雑踏の中に刃物を持った男が消えていくのを見たような感覚があった。
 私はそっとベンチの上で体を動かした。ずいぶんと長い間座っていたため、少し体が硬くなっている。首を回してため息をつく。
 異常者は孤独だ。明日も明後日も、コウタは公園に現れて、空想の物語を楽しむのだろう。このまま弱って死んでいくまでずっと、来る日も来る日もここで遊び戯れるのだろう。そして最後は芝生の上で走っている最中に、沈むように動きをとめて死ぬのだろう。そんな幻想的な光景を、頭のどこかで確信している自分がいる。いつまでも夢想が繰り返される、隔離された空間。彼の一生はここにしかないのだろう。
 与えられた空間で、与えられた遊具で、幻想を見ながら生きる。他人の価値観など関係なしに、自分の意思を最善と信じ、適当な自分のルールの中で遊び戯れる。それが他人には醜態としか見られないような行動だとしても、それを楽しむこと以外、コウタに道はない。
 はっと我に返って気付く。そうか、コウタは普通の人間と何も変わらない。
 明日もここにまたこよう。裸の初老の男性が、四つん這いで芝生を走り回る公園に。ぐるぐるという人の唸り声が響く公園に。擦り切れそうなひざ頭、脱ぎ散らかした赤い服、よだれまみれの顔と何かを見ている二つの目。
 私はにわかに羽根をひろげて舞いあがった。黒い羽根と黄色いくちばしが夕日に照って映えた。
 順風、快晴、赤い空。
 見下ろす公園の入り口近く、滑り台のてっぺんに、いるはずのないジロが見えた気がした。

2005/02/04(Fri)12:03:34 公開 / メイルマン
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■作者からのメッセージ
 読んでいただいた方ありがとうございます。
 ちょっと前のことですがデスクトップにすら辿り着けなくなりまして、PCを初期化しました。描きかけの話の続きがいくつかできていたんですが、ワードにあった駄文類全滅(汗。思い出して書こうとしても中々復元できないもんですね。ということで一気に読みきりなぞを書いてみた次第です。
 年末年始の忙しさに中々感想をいれられませんで、日頃お世話になっている方々に申し訳ないなぁ、と思っていたので、これからはちょくちょく感想をいれていきたいなぁと思っています。
 感想、批評、批判、何でも結構です。
 @引きが足りなくはないか
 A意味がわからない箇所はないか
 Bそもそも面白いのか(汗
 どうかよろしくお願い致します。

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