『「高架レールの下の、原っぱ」 読みきり』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:笹井リョウ                

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「じゃあ次、あたしね」
 俺は頷いた。まだ肌寒さを帯びた冬の終わりの風が、ショーの前髪を弄んだ。
「そば屋さんが、ざるそばを七つ。パン屋さんが、メロンパンを五つと、チョコパンを二つ、バイクで運んでいました。ふたりが、同時にある曲がり角にさしかかりました。さて、一体なにが落ちたでしょう」
 ショーは得意そうにふふん、と笑うと、これは簡単だよ、と言って笑った。
「ショー、もっかい言って」
 俺は言った。
「は?」
「もっかい。今のやつ、もっかいはじめから言ってよ」
「…そば屋さんが、ざるそばを…」
 ショーは眉を下げて舌を向く。どもりながら、言う。
「六つだっけ?」
「ぶー。ショー、さっき七つって言った。ってことは、そのめんどくさい数とかは関係ないってことだよな」
 俺がそう言うと、ショーは長い髪の毛を耳にかけながら悔しそうにふくれた。ていうかあたしのことショーって呼ぶのやめてくれる、なんだか男みたいでむだにかっこいいじゃん。ショーはそう言ってふくれる。ほんのりと赤く、りんごのように染まった頬。大きすぎるセーターが、ショーのてのひらをほっこりと覆っている。
 原っぱ。冷たい風。揺れる葉。飛ぶバッタ。高架レールの下。冬の半ズボン。枯れた砂山。雲の摩擦。汚れた土管。鳴く猫。電車の通るうるさい音。俺とショー。ふたりの距離。色違いのマフラー。原っぱ。
 昔からある、場所。
「…ショー」
「翔子」
「落ちたものは、店の評判」
「…何それ」
「評判ガタ落ちってやつ」
 あっ、でも近いかも。ショーはそう言って、土管に下ろしていた腰をあげた。ぶあついマフラーで唇を隠している。土管に座ったままの俺は、ショーを見上げた。あのころをよりも少しだけ、薄くなった眉。
「落ちたのは、バイクのスピード」
 ショーは楽しそうに言った。
「眉毛そったよな、ショー」
「わかる?」
「わかる。イビツだから」
 ばか。ショーは笑った。ショーの笑顔を、風がさらっていく。
 今日の太陽は、いつもよりも山側のほうが好きらしい。いつもよりも早めに真上の空を駆けていく。冬の残り香をもみ消すように、あたたかさを散りばめながら、太陽が山側へ消えていく。目を瞑ると、雲と雲との摩擦が聞こえてくる。かさかさ。かさかさ。これは原っぱ達がこすれる音。
「じゃあ次は俺ね」
 今日は久しぶりにショーと会った。別々の高校に進んでからは、お互いに会う時間もなくなっていた。小学校のころはよく、友達みんなでここの原っぱに集まった遊んだ。毎日、帰り道が楽しくてしかたがなかった。子供って、日常の中に遊びを見つける天才なんだと、いまさらに思う。あの高架を電車が駆け抜けるたび、俺達は飛び上がって喜んでいた。
 だけど、土管の中にいつもいた猫は、もういない。
「木村拓哉と明石屋さんまと福山雅治が、三人で弓道をしました。真中に矢が刺さったのは、」
「さんまちゃーん」
 知ってたのか? 俺は訊く。あたし、サルヂエ大好きなの。ショーは答える。もう、サルヂエから知った問題は使うことができない。
 ショーがその場にしゃがんだ。俺は、土管の上にあぐらをかいたまま、ショーのことを見ていた。ショーの頭には、つむじがふたつある。ぐるぐると渦状になっている黒髪が、風と戯れては少しずつ乱れていく。ショーはいつか、あたしは絶対に髪の毛を染めたりするひとにはなりたくないな、と言っていた。そしてさり気なく、あなたもね、と付け加えた。
「なんで染めないんだ?」
 俺はそう訊いた。今でも覚えている。
「あたしは、日本人だから。…あなたもね」
 今でも、覚えている。
「じゃー次はあたしの番だね」
 ショーは、しゃがんだままそう言った。ころころと逃げていくてんとう虫を捕まえようと、ショーはその姿勢のままぴょんぴょん跳ねている。
「Hになるほど堅くなるものは?」
「は?」
 ショーは振り向いた。
「あっ今、やらしー想像したでしょ?」
 やだやだー、なぞなぞだって言ってんのにさー男ってばねー。ショーはそう言いながらまた、てんとう虫を追いながらぴょんぴょんし始めた。後ろから、その背中をどついてやりたくなった。原っぱの少しやわらかい土に、ショーの小さな足跡がふたつずつついている。
 昔は、あれほど皆と一緒に遊んだのに、一体いつから会わなくなってしまったのだろう。この原っぱを歩いて、かさかさした葉で何度素足を切ったのだろう。俺はゆっくりと記憶をめぐらせながら、やがて大きく息を吐いた。そうだ、あの日からだ。俺がはじめて、皆にそう告げた日。俺の吐いた息は、小さな雲となってすぐに消えた。
「…エンピツ?」
 せいかーい。ショーの声は、高架を走り抜ける電車によってかき消された。











「在日…かんこく人」
 俺は頷いた。
「それって…どういうことなの?」
 土管に座っている俺を、皆は不思議そうな目で見上げていた。俺の背後でじっくりと揺れている夕陽が、皆の顔を照らしだ。
「おれは、在日韓国人なんだ」
 ショーの顔を見た。まだ髪の毛は、短かった。
「日本人じゃない」
 ふーん。哲郎はそう言った。そうだったんだ。良樹はそう言った。よくわかんないけど、わかった。美紀はそう言ったけれど本当にわかっていなさそうだった。なんか、かっこいーな。光はなにも考えていなさそうな顔でそう言った。
 ショーは俺の顔を見ていた。
 俺の目を、見ていた。何も言わずに。
 次の日からその原っぱには、ショーしか来なくなった。哲郎も良樹も美紀も光も、原っぱには現れなかった。枯れた草の上には、たったふたつのランドセルしか投げ出されていない。
 赤と黒のランドセル。夕陽の光でそれは混ざる。
「皆、家に帰ってから、お母さんとかに言ったんだって」
 ショーはその場に立ったまま、いつものように土管に座っている俺に言った。ショーの右手には、猫じゃらしが二本、握られていた。ショーは、この土管の中に居座っている猫のことを、とても好いていた。
「そしたら、お母さんが、もうあの子と遊ぶのはやめましょうね、って、言ったんだって」
 ショーは続けた。
「あたしも言われた」
 風が吹いた。俺とショーの間をそれは駆け抜けた。さらさらと、草と草のこすれる音が、俺達の間を流れていった。
「なんで遊んじゃいけないの? って訊いた」
 草と草の間から、バッタがぴょこんと飛んだ。小さな虫たちが、バッタと追うようにして曲線を描きながら飛んでいく。
「お母さん、こたえてくんなかった」
 そっか。俺は言った。
「だからあたしは遊ぶよ、これからも」
 原っぱ。くすぐったい風。揺れる陽。飛ぶからす。高架レールの下。投げ捨てられたランドセル。崩れた砂山。赤い空。猫のいる土管。鳴き声。電車の通るうるさい音。俺とショー。ふたりの距離。バッタ四つ分。原っぱ。
 ゴー。電車は、今日もうるさい。
「鬼ごっこって二人でも出来るのかな」
 ショーは毎日原っぱに現れた。その日は、ランドセルを原っぱに投げ捨てるなりに、そう言った。
「二人で…」
「そう。鬼ごっこ。あたし好きなんだ。走るの」
 ショーはそう言いながら、俺のところまで走りとってきた。ほら見て、だから今日は汚れても目立たない黒いズボンはいてきたの。
「二人で鬼ごっこしたら、きっとすごくつかれると思う」
 俺は言った。つまんないな、とショーは呟いた。ショーの髪の毛は肩にさしかかってきた。それと比例するように、俺とショーの背は少しだけ伸びていた。二人の差は変わらないままに。
「あたし、てんとう虫と鬼ごっこしてるから。気が向いたら入ってきてよ。ね」
 ショーはそう言うと、にっこり笑った。そうして、原っぱを這うようにしててんとう虫を追いかけた。原っぱの少しやわらかい土は、すぐにショーのズボンを土色に変えた。
 俺は土管の上からショーを見ていた。土色になった、細身のズボン。小さな靴の裏がわ。指先にてんとう虫を止めさせては、黄色いおしっこをつけられている。笑うとできる、ふたつのえくぼ。黒い髪の毛。
「ショー」
「なんでみんなそう呼ぶんだろう。あたしは翔子」
「つむじ、ふたつあるんだね」
「うん。ちょっとコンプレックス。見てわかる?」
「わかる。韓国人は視力がいいから」
「ほんと?」
「うそ」
 俺がほんの少しの冗談をこぼすと、ショーはひとかけらの微笑みをくれた。それが嬉しかった。それが楽しかった。
「きれいな髪だな」
 陽を受けては天使の輪をつくるショーの髪の毛を、俺はいつもきれいだと思っていた。
「うん。ちょっとこれ、あたしの自慢なんだ」
「だろうな」
「あたしは絶対に、髪の毛を染めたりするひとにはなりたくないな」
 ショーは言う。俺は訊く。
「なんで染めないんだ?」
 ショーは、てんとう虫を追いかける動きを止めた。俺のほうを振り返った。
「あたしは、日本人だから」
 ショーは俺を見据えた。
「…あなたもね」
 ショーはにっこりと笑った。
 俺は、原っぱに投げ捨ててあった黒いランドセルを握った。
 そうか、そうだった。いつのまにか、この原っぱに皆が集まらなくなったんじゃない。俺は、この日から、なぜだかこの原っぱに行けなくなったんだ。なぜだか、この日からショーを見ると泣きたくなるから。ショーを見ると、ショーに見を預けて泣いてしまいたくなるから。
 この原っぱに行かなくなったのは、俺のほうだ。













「次は俺の番か」
 ショーは頷いた。てんとう虫を追いかけることをあきらめたのか、ショーは両手で自分の服についた汚れを払いながら土管へと近づいてきた。せっかく好きな服着てきたのに、汚れちゃったじゃん、と、ショーはてんとう虫に向かって言った。
「なんだろう…なんかあるかな」
 俺は考えた。どうしよう、サルヂエネタしかない。俺がそう考えているうちに、ショーはひょいっ、と土管へ飛び乗った。そして、俺の隣に腰をおろす。少しだけ寒かった体感温度が、ほんのりとあたたまるのを感じた。
「こうやって話すの久しぶりだよね」
 ショーは突然言った。うん、と俺は呟いた。もう原っぱに行けなくなったときの自分を思い出して、俺は少し恥ずかしくなった。
「そういえば毎日集まってたよね、こんなところに」
 ショーはしみじみと言った。自分で言った言葉を、自分でとてもよく噛み砕いていた。俺はショーを見た。ショーの目は、空の裏側を見ているようだった。
 風に揺れる、ショーの黒い髪。
「…じゃあ、出すやつないんだったら、次、あたしねっ」
 ショーはひょいっ、と土管からおりると、原っぱから木の棒を探してきた。そして、やわらかい土になにやら文字を書き始めた。
「このなぞなぞはね、文字にしないと意味がないの」
 ショーの文字は、繊細だ。飴細工のように細く曲線がきれいで、風が吹いたらどこかへ飛んでいってしまいそうなくらい、繊細。
「はい、読んで」
 ショーは木の棒をそこに突き刺して、また土管に飛び乗った。俺は、ショーの書いた文章を声に出して読んだ。
「私の家族は、五人です。では、私が今好きな人は、何人でしょう…?」
 よくできましたー、と手を叩くショーの頭を、俺はこつんと殴った。
「なんだこれ。どこに手がかりがあるんだよ」
「さーぁね。なぞなぞだからさ」
 ショーはそう言うと、マフラーをより深くかぶる。寒いね、今日は、とショーは言うが、ショーの頬はふっくらとふくらみ、あたたかそうなピンク色をしていた。
「何人って…ショー、そんなに好きな人がいるの?」
 俺は訊いた。
「ううん。ていうか、そういう風に考えてる時点ですでにダメだねー。先入観を捨ててくださいっ!」
 ショーはそう言って、楽しそうに笑った。ゴー、と、高架を電車が駆け抜けていく。
「先入観っていうのは、捨てられないから先入観っていうんじゃないの?」
「堅物」
 ショーは足をぶらぶらさせながら、そう言った。
「堅物で悪かったね」
「ほんと。前からそうなんだから。あたしのことショーって呼ぶなっていってんのも聞いてくれないし」
「それって堅物と関係あるんですか」
 もう、と言いながらショウは土管からおりた。登ったりおりたり忙しい人だな、と俺は思った。
「もう、あたしが答え言っちゃう」
 ショーは、右足でごしごしと土に書いてあった問題文を消していく。
「もっかい、言ってみて」
「へ?」
「さっきの問題」
 ショーは、土管に座っている俺を見上げる。
 あの日と、同じまなざし。
「私の家族は、五人です。では、私が今好きな人は、何人でしょう」
「違う。もう一回」
「私の家族は、五人です。では、私が今好きな人は、何人でしょう…」
 ショーは一度目を閉じた。長いまばたきだった。
「あたしが読んであげる」
 ショーは目を開けた。
「わたしのかぞくは、ごにんです」
 ショーは俺を見た。
「では、わたしがいますきなひとは、なにじんでしょう」
 俺はショーを見た。
「在日韓国人」
 俺は答えた。
「…正解」
 今度のショーの声は、高架レールを走り抜ける電車の音よりも、大きかった。
















2005/01/09(Sun)21:32:41 公開 / 笹井リョウ
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■作者からのメッセージ
また読みきりを書きましたー。ほんわか系を書きたくなってしまったので、衝動にかられて書きました。どうだったでしょうか。
今まわりでけっこうなぞなぞが流行ってましてですねー笹井得意なんですよー笑。だからそれを使ってみるのも面白いかなって。ハイ。
ちなみに、木村拓哉と〜の弓道のやつ、わかりましたか?ここで説明するのもいいんですが、考えてもらうほうが楽しいかなと思って、ここで答えは書きません笑。
それでは、読んでくださった方、ほんとうにありがとうございました。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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