『『Past Unlock〜過去の鍵を開ける〜』0〜4』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:満月                

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『Past Unlock〜過去の鍵を開ける〜』

〔0〕


“人の心は脆く、そして壊れやすいものだ……”


 皆様はご存知でしょうか? 
 人の心とは一つではなく、いくつかの“部屋”で出来ているのです。
 楽しかった思い出、悲しかった思い出…全てが私達の心の中の“部屋”にあります。
 ところで皆様、皆様の記憶の中で思い出せない過去というものはないでしょうか? ただ時間が経って、忘れてしまったと思いでしょう……
 しかし、本当に忘れてしまったのは時間のせいでしょうか? 
 それはあなたが見たくない過去、触れたくない過去だから忘れてしまったのではないでしょうか?

 
 人は時として自分の心を守るために、心の中にある過去の部屋に鍵をしてしまう時があります。

 見たくない、触れたくない過去への記憶に……

 しかし、人とは愚かな生き物。過去の部屋に鍵をした事すら忘れ、その扉を開ける鍵を捜す人もいます。

 そんな人達を迎えいれるお店があります。
――名前は“Past Unlock”
 闇夜の静けさとともに、その店の扉は開かれる。今日も、誰かが“Past Unlock”の扉をくぐる……



――いらっしゃい……


〔1〕


「おい、誰か落ちたぞ!」
 一人の男の声がその場に響き、辺りの人々がその声の方へと視線を向けた。
 そこには、歩道橋の階段から足を滑らしたのか…一人の男が倒れていた。
「なになに?」
「人が落ちたんですって…」
 ザワザワと人が集まり、みんなが心配そうな目で倒れている男を見つめた。しかしそれと裏腹に、歩道橋の上で困惑している二人の男の姿があった。
「どうしますか? 連れて行きますか?」
「いや…今は人が多すぎる。ここは一度引いた方が…」
 二人の男はヒソヒソと話をしていた。どうやら、歩道橋から落ちた男はこの二人から逃げている途中で足を滑らしたのだろう。


“逃げなければ……早く……逃げなければ……”


「――? あ!? 彼の姿がありません!」
「ちっ…逃げたか…まぁ、いいさ。あんな状態じゃあ、そう遠くまで逃げる事は出来まい」
 そう言い、二人の男はその場から立ち去った。人々の輪もいつの間にかなくなって、いつもの平穏な日々へと戻っていった。

 しかし、確実に何かが動き始めようとしていた…


 今の時刻は夜中の零時。いつもは人でゴミゴミしている街も、今ではみんな寝静まり何の音もしない。そんな中、不思議な雰囲気を漂わせるお店が一件あった。
 そのお店の名は……

――“Past Unlock”

お昼の間中はドアノブに(Close)と書かれた、プラスチックの板がかけられている。
 そう……“Past Unlock”は夜中の零時、全ての人々が寝静まった頃に開かれるのだ。
 今日もその時間がやってきた。“Past Unlock”の扉がゆっくりと開かれ、お店の中から一人の女性が出てきた。
 黒く艶やかな長い髪は腰まで伸び、漆黒の闇夜を映したかのような瞳を持つ彼女……名前は、三原 鏡子(みはら きょうこ)。
 鏡子はこの“Past Unlock”オーナーだ、と言ってもこの店には彼女しかいない…いや、彼女だけにしか出来ないお店だった。
 鏡子は、ドアノブにかかっているプラスチックの板を(Open)にかえようと扉をゆっくりと開けた。すると、扉が何かにひっかかっていてなかなか開かない。
 ぐっと力を入れ扉を押すと、ドサッと何かが倒れる物音と同時に扉が開いた。
「何かしら?」
 鏡子は不思議に思い、音のした方へと目線を向けると一人の男が倒れていた。鏡子は、はぁとため息をつき倒れている男の頬を何度か軽く叩いた。
「ちょっとあなた、営業の邪魔ですので寝るんだったら他のところで寝てください」
 何度か頬を叩くうちに男はようやく意識を取り戻したのか、ゆっくりと目を開けた。そして男は虚ろな目で鏡子を見つめ、一言呟きまた気を失った。

――夜の悪魔か……

 その男の意味不明な言動に鏡子は首をかしげた。とにかく、ここで寝られると営業の邪魔だと思い鏡子は男を引き摺りながらお店の中へ運び、奥のソファーへ寝かせた。
 別にお店の中に運ぶ必要はなかったのだが、運んだ理由は鏡子自身にもよく分からなかった。

 この小さな出来事が、運命だったのかもしれない……


〔2〕


 鏡子は男をお店の奥にあるソファーへ運び、そして扉にかかっているプラスチックの板を(Open)にした。
 お店の中は薄暗く、それに少しひんやりとした空気が漂っている。鏡子はいつものようにお店の準備を始めた。お香をたき、椅子を綺麗に並べる。
 このお店には鏡子しかいない…というか、このお店は鏡子にだけにしか出来ないお店だったのだ。
 静かなお店の中、鏡子はふとソファーで寝ている男を見た。
『夜の悪魔』と呟いたこの男……
 何故お店の中に入れたのか今だに分からない。
 鏡子がぼぅっと考えてると、お店の扉が勢いく開きお客が来たのを知らせる鐘が“チリンチリン”と鳴り響いた。
「いらっしゃい」
 そう言い、鏡子はお客を迎え入れた。しかし、そのお客はお店に入るなり鏡子にしがみつきながら泣き叫びだした。
「彼女を…彼女をさがしてくれぇぇぇぇ」
 尋常ではないそのお客の姿に鏡子は顔色一つ変えることはなかった。
「いらっしゃいませ、お客様。お話を伺いますのでどうぞこちらへ…」
 鏡子は泣き叫ぶそのお客をゆっくりとお店の中へ案内した。鏡子にさしだされたハーブティーを口に運び、お客は少し落ちつきを取り戻したようだった。
 痩せているせいかどこか線が細く、頬がこけているこのお客は男性の方だった。
「先ほどはすみません…僕は、宮田 敦(みやた あつし)といいます。実は…二ヶ月前から僕の彼女の古川 由紀(ふるかわ ゆき)が行方不明なんです…お願いです。彼女を見つけてください。お金はいくらでも払いますから!」
 お客の敦と名のる男はまた興奮し始め、椅子から勢いよく立ちあがった。
 しかし、そんな事はおかまいなしという感じで鏡子は自分でいれたハーブティーを一口飲んだ。そして、敦の方へと視線を向けた。
「どうやって私のお店を見つけたのですか?」
「え…どうやってって。由紀を捜すために色々な探偵事務所へ行きました。それでも見つからなかったのでパソコンのインターネット何かないかとで捜したんです。そうしたら、このお店のホームページを見つけて……」
 敦の言葉に鏡子はニヤっと不適な笑みを浮かべた。
「そうですか…では、そのホームページの内容を読んでなおこのお店に来たのですね?」
「はい…由紀が見つかるのなら僕は……」
「分かりました。その、古川 由紀さんという女性を捜す依頼を受けましょう」
 鏡子は静かにそう言うと、敦は体の力が抜けたのか椅子にドサッとお尻を落とした。
「では、いくつか質問をさせて頂きます。あなたと由紀さんの関係は? なるべく詳しくお願いします」
「はい。僕と由紀は同じ会社で働いていました。僕と由紀が初めて出会ったのは、彼女が僕の働く会社に新入社員として入ってきた時です。彼女の可愛らしい笑顔に僕は一目惚れしました。後から聞いたのですが、彼女もその時僕に一目惚れしたと言っていました」
 ゆっくりと敦は彼女との思い出を嬉しそうに話しだした。
「お互いに惹かれあい、僕達は自然と付き合うようになりました。会社の休みの日には、二人でいろんなところへ遊びに行きました。僕は彼女といるだけでとても幸せな気持ちになれた。僕と彼女が付き合い始めてちょうど二年が経ち、僕は由紀にプロポーズをしました。彼女は泣きながら喜んでくれました。……でも、プロポーズをした次の日から…彼女の行方が分からなくなってしまったのです……何故……僕はもうどうしていいの分からず、ただひたすら彼女を捜しました」
「でも、今だに見つからない…と言う事ですね?」
 鏡子の言葉に敦は涙を流しながらこくんと頷いた。
「分かりました。由紀さんをお捜しする前に二つ忠告しておきます。まず一つは私のお店はお客様の要望にこたえるかわりに料金が少々高くなっており、支払い方法は現金で前払いという形でお願いします。二つ目は、私が何をしようとやり方に口を出さないでください……後、料金はホームページに書かれていた通りです。」
 鏡子の説明に敦は何度も首を縦に振り、涙を流した。
「では、調査を始めます」
 そう言い鏡子は席を立つと、敦の横に立ち彼の頬に手をあてた。
「なっ何をするんですか!? 由紀を捜してくれるんじゃないんですか!?」
「捜しますよ。先ほども言いましたが私のやり方に口をはさまないでください。それに見つけてほしいのなら、黙って私の目を見なさい」
 動揺する敦に、鏡子は静かに言った。

 敦の顔の輪郭をたどるかのように、ゆっくりと鏡子の細い指が動く。最初はその行動に驚いて体に力が入っていた敦だったが、何かをさぐるような鏡子の手つきと吸い込まれそうなほど闇に満ちた瞳に、段々と敦の体はぐったりとしていった。
 この行動は“儀式”と呼ぶべきものなのだろうか……とにかく不思議なものだった。

 三十分が過ぎた頃だろうか、鏡子は一度敦の顔から手を放し重く口を開いた。
「今、一つ目の鍵が開きました」
「……鍵?何のことですか?」
「あなたの部屋の鍵です。これ以上は、営業上話す事はできません。それより、一つお尋ねしたい事があります。あなたと由紀さんは結婚を前提に付き合っていた…と言う関係で間違いありませんね?」
「はい。僕と由紀は喧嘩もした事はなかったんです! 僕達に待っているのは幸せだけだと…そう思っていたのに…一体誰が…」
 敦は体を小刻みに震わせ、拳を強く握った。その様子を鏡子はただじっと見つめた。そしてまた、敦の顔にゆっくりと手をあてた。

――第二の部屋の鍵の開く音が鏡子の頭の中でなった。


“泣き叫ぶ声”


“刃物の光”


“そして……高笑い”



 ため息をつきながら鏡子は敦の顔から手を離し、お店の扉の方へと足を向けた。
「何処へ行くんですか?」
「由紀さんの居場所が分かりました。案内します。でも、その前に料金の方をそちらの机に置いてください」
 鏡子の言葉に敦は興奮しながら自分の鞄に手をつっこみ、しわのよった封筒を一つだした。
 敦はその封筒の中から百万相当のお金を出し、それを鏡子に見せた。
 鏡子はそれを見てにこりと微笑んだ。
「確かに…では、案内致しますので私の後についてきてください」
 鏡子は扉をくぐり、月明かりに照らされる中ゆっくりと足を進めた。敦もその後を急いで追いかけた。
「本当に…本当に由紀は見つかったんですか?」
 興奮しているのか、敦の息遣いは荒く静かな夜の街に響いた。
「はい。もう少しで着きますので、落ちついてください」
 鏡子の言葉など、もはや敦には聞こえていなかった。
 お店から出てどれくらい歩いたのだろうか……鏡子と敦は、誰も寄り付かなくなった俳工場についた。
「こ……こは……?」
「あら、まだ分かりませんか?」
 鏡子の声にはクスクスと笑い声のようなものが混じっていた。「では、こちらへ」と鏡子は俳工場の奥へと進んでいった。
 どんどんと進んでいく鏡子に敦は必死についていった。
「ちょっちょっと待ってください!」
 必死に声をかける敦におかまいなしという状態で鏡子はスタスタと足を進めた。そして、広い場所へ出た時その足を止めた。
「さあ、着きましたよ」
 部屋の中は真っ暗で何も見えなかった。しかし、雲に隠れていた月が顔を出し高い位置に付けられている窓から月灯りが差し込んだ。
 その灯りに照らされて、一人の女性が壁にもたれて座っているのが見えた。その女性の姿を見て、後から来た敦が歓喜の声をあげてその女性に抱きついた。
「由紀ぃぃぃ!! あぁぁ、よかった。本当によかった…」
 そこにいたのは敦が捜していた由紀という女性だった。しかし、彼女は敦の声に答える事はなくその場でドサッと倒れた。
「……? 由紀? おい、どうしたんだ?」
 そこにいた女性は由紀に違いなかった。しかし、その姿はもう以前の彼女ではなかった。何十箇所も刺されていて、血だらけだった。そして、彼女の近くには血に染まった包丁が落ちていた。
「あ…あぁぁぁ。一体誰が…? 誰がこんな酷い事を…」
 敦は変わり果てた恋人を抱きしめ泣き叫んだ。

――クスクス……

「まだ、分からないの?」
 涙と嘔吐を繰り返す敦に、鏡子は尋ねた。
「…くっ…何がだ…早く、警察を呼んでくれ…」
「警察を呼ぶ前に一つ教えてあげましょう。あなたと彼女は最初から付き合ってなどなかった」
「な…にを馬鹿な事を…」
「彼女とあなたが同じ会社で働いていたのは本当よ。でも、それだけ…あなたと彼女は恋人同士でも何でもないのよ」
 鏡子の言葉に敦は耳をふさいだ。
「やめろ! 彼女は…由紀は僕の恋人だ!」
「いいえ、それはあなたの妄想での世界…ほら、思い出しなさい。あなたは彼女と出会った瞬間、彼女に恋に落ちた。何度も告白するあなたに彼女が答える事はなかった。その想いがだんだんと強くなり、あなたは彼女を追い回しストーカー行為をするようになった。そしていつしかあなたは、彼女は自分のものだと思い込むようになった…そうでしょ?」
「ぐ…ぎゃぁぁぁ…黙れ! 黙れ! 黙れ! 由紀は僕の婚約者だ! 誰の物でもない…由紀は僕の…僕だけの物だ!」
 敦はヒューヒューと呼吸をしながら叫んだ。
「だから、殺したんでしょ? 自分のものにするために…」
 鏡子の声が響き、敦は何も答えなくなった。


 沈黙が続く。そんな中、急に笑い声か響いた。
「……あひゃ…ひゃははははは……そうだ…思い出した…彼女は僕が殺したんだ。僕がどれだけ彼女を愛しても、彼女は僕を愛してくれなかった。由紀が悪いんだ…こんなにも愛しているのに…だから殺した。これで彼女はもう僕のものだ…ひゃははははは」
 狂ったような笑い声が響いた。鏡子は仕事はこれで終わりと確認し、工場を出ようとした。
「…待て…何処へ行く?」
「もう仕事は終わりましたので…」
「何故…思い出させた…忘れていたかったのに…苦しい…」
 急に震えるような声で敦は話しだした。鏡子は敦の方へ振り返り、にこっと微笑んだ。
「何故? あなたが望んだのでしょう? 私は自分の仕事をこなしただけです」
「…違う…違う…由紀が悪いんだ…僕は悪くない…お前が…貴様が悪いんだ…殺す。殺してやる…殺す殺す殺す殺す殺すコロス」
 敦は血に染まった包丁を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。そしてその包丁の矛先を鏡子に向け、すごい形相で走ってきた。
 鏡子は自分めがけてやってくる包丁を避けようとしたが、間に合わず刃の先が鏡子の腕をかすめた。それでも、鏡子は顔色一つ変えなかった。
 鏡子めがけて走った敦はその勢いを止める事ができず自分の足につまづき、勢いよく倒れてしまった。


――愚かな人間……


 鏡子は倒れこむ敦を冷たく闇に染まった瞳で見下ろした。敦は倒れたまま動こうとはしなかった…いや、彼にはもう正気というものがなくまともに動く事すら出来なかった。
 血に染まった包丁を握りしめながら不気味な高笑いを上げた。
「ふ…ひゃはははは………僕は誰だ? 何故ここにいる? 」
 意味の分からない事をブツブツと言い出した敦を見ながら、鏡子は傷を負った腕を握りながら呟いた。
「全ての部屋に鍵をかけてしまったのね…自分の犯した罪、自分を傷つけるものから逃げるために過去を…全てを忘れた愚かで醜い人間よ…」
 そう言い終わると鏡子は敦と由紀に背を向け、工場を後にした。
 月は厚い雲で隠れてしまい、闇が全てをのみこんでいった。鏡子自身も……



 鏡子のお店“Past Unlock”のホームページの最後に書かれていた言葉……


(注意書き)
 当店ではお受け出来る依頼と出来ない依頼があります。お客様と一度お会いになってから決めさせて頂きます。
 依頼の成功率は百%。しかし、仕事後は当店と一切関わりをもたない事をお願いいたします。 


〔3〕


 俳工場を後にした鏡子は自分のお店へと戻った。“Past Unlock”の扉を開けたと同時に、扉につけられている鐘が鳴り響いた。
 お店の中が静かすぎるのか、鐘の音が大きく感じられる。


――鉄の匂い……

 
 敦につけられた腕の傷が意外と深かったため、血が腕をつたってお店の床にポタポタと落ちた。
 赤く染まっていく床を見て、さっきの工場での出来事が頭の中に映し出される。血に塗れた由紀という女性……生臭い血の匂い……
 鏡子の顔から段々と血の気が引いてゆき、顔が真っ青になっていった。


“血……紅い血……生臭い、血の匂い……あの時と同じ匂い。気持ち悪い…”


 鏡子はそのまま意識を失い倒れてしまった。


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

「あんたのせいよ…鏡子…あんたのせいで、パパもママも死んじゃったのよ」
 ――生臭い匂い
「唯……?」
 ――憎悪に満ちた瞳
「許さない…絶対に許さない。あんたの愛するもの、あんたの全てを消してやる! 殺してやる!!」
 ――恐怖
「……唯……やめて……やめてぇぇぇぇ」

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「唯!!……? あれ? ここは、私のお店?」
 鏡子の目にうつったのは、いつも見慣れている“Past Unlock”の天井だった。
「そうだ、確か私お店に入ってすぐに気を失ったんだったわ…」
 鏡子はゆっくりと体を起こそうとした。しかし、床に倒れたはずの鏡子は何故かお店の奥にあるソファーの上にいた。
 疑問に思い辺りを見回すと、すぐ横にあのお店の前で倒れていた男が心配そうな顔で鏡子を見ていた。
「あの…大丈夫ですか?」
 さっきまで気を失っていた男に大丈夫かと心配されるのに、鏡子は不思議な感覚を覚えた。
「あなたこそ、もう大丈夫なんですか?…つっっ!?」
 体を起こしたと同時に腕の傷に痛みが走り、鏡子は怪我した腕に視線を向けた。すると、怪我したところにハンカチが巻いてあり止血がしてあった。
「あっ、すみません。血がでていたのでつい……」
「はぁ…それはどうもご親切に」
 鏡子は何となくといった感じで男に御礼を言った。そして、男の顔をじっと見つめた。
「……ねぇ、夜の悪魔ってどういう意味?」
 鏡子は男が自分に向けて言った言葉を思い出した。鏡子の質問に男は首を傾げた。
「俺…そんな事言いましたか? それに一体ここは?」
「ここは私のお店で“Past Unlock”と言います。あなたお店の前で倒れていたの。それで、営業の邪魔でしたので私がお店の中に運ばさせて頂きました」
「俺が? 倒れていた?」
 男は眉の間にしわをよせ、頭を抱えた。その様子を見て、鏡子はクスクスっと笑った。
「記憶喪失…ですね。目を見ればすぐに分かりますよ」
「記憶…喪失…?」
 困惑の表情を見せる男の横に、鏡子は静かに立った。

――好奇心?

 鏡子は何故かその男の扉を開けたいという感情が湧いた。男が自分に対して呟いたあの言葉の意味…それに記憶を失っているというのに、瞳の中に何処か強い光を感じた。
「怪我の手当ての御礼として、記憶を蘇らせてあげます」
 前回同様にその男の顔の輪郭を細い指でたどっていった。男は訳が分からないうちに体の力が抜けてゆき、動けなくなってしまった。


 何時間そうしていただろうか、鏡子の額を一粒の汗がつたった。そしてゆっくりと手を離し、自分の額から出た汗を拭いた。
「ごめんなさい…鍵を開ける事が出来なかったわ」
「鍵…?」
「そう。内部的に鍵をかけられたのならまだしも、あなたの場合どうやら外部から鍵をかわれたらしいの。しかも、とても頑丈なものを…」
 男には鏡子が何を言っているのかよく理解出来なかった。ただ、自分の記憶を戻すことは出来ないという事は何とか理解する事が出来た。
 鏡子は少し力を使い過ぎたのか、体にだるさを感じ椅子にドサッと座りこんだ。その拍子に腕に巻かれていたハンカチがほどけてしまった。
「あ…怪我、しっかりと手当てしたほうが…?」
 さっきと同様、男は自分の方が大変な立場に置かれているのに相手の心配ばかりしていた。
 そうね、と言い鏡子が椅子から立ち上がろうとした時男は自分がやると言い鏡子を座らせた。
 男は鏡子に消毒液とガーゼと包帯のあるところを聞き、奥の棚から出してきた。そして、器用に鏡子の腕に包帯を巻いた。
「あの…これ、一体どうしたんですか? 見たところ、切り傷のようですが」
「お客にやられたのよ。醜くて汚らしい人間…」
 そう語る鏡子の表情何処か冷めた感じだった。男はそれを聞き何も言えなくなってしまった。
 器用に包帯を巻く男を鏡子はじっと見つめ、一つの考えが浮かんだ。

「ねぇ、あなた記憶を失ったって事は自分の帰るところすら分からないのよね?」
「はぁ…そうですけど」
「じゃあ、ここのお店で働いてみない?」
 包帯を巻き終わり、男は鏡子の方へ目を向けた。
「こ…こで?」
「そう。話は簡単、私のボディーガードをしてほしいの。私の仕事は今日みたいな事がよく起きるのよ。もちろん、住み込みで」
 男のこの性格の甘さ、それに硬くかけられた扉の鍵に対しての興味が鏡子にこの行動をとらせた。
「給料もちゃんと出すし、あなたの記憶も時間をかければ何とかなるかもしれない。どう? 今のあなたにとっては、これと言ってない話でしょ?」
 男は少し悩む様子を見せていたが、すっと立ち上がりにこりと笑みを浮かべながら鏡子に手を差し出した。
「その話、有難くお受けさせていただきます。ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
 そう言い鏡子と男は握手を交わした。
 そして、その日から記憶を失った男は鏡子のボディーガードとして“Past Unlock”で働く事になった。


 これから、闇に包まれた日々を過ごしていく事になるとも知らずに……


(4)


 記憶を失った男は鏡子のボディーガードとして働く事になった。深い闇に朝日の光がさしこみ、だんだんと明るくなってきた。
「それじゃあ、今日からよろしくね。私の名前は、三原 鏡子。この“Past Unlock”のオーナー……と言っても、このお店には私一人しかいないけどね。あなたは……記憶がないから、名前が分からないのよね?」
 鏡子の質問に男はこくんと頷いた。
「そうねぇ…じゃあ、マサキでいいかしら?」
 記憶を失った男はマサキと名づけられた。
「じゃあ、マサキ。そろそろお店を閉める時間だから、片付けを手伝ってちょうだい」
 椅子から立ち上がり、片付けを始めようとする鏡子にマサキは少し不安の浮かんだ瞳で問いかけた。
「あの…鏡子さん。このお店ではいったいどんな事をしているんですか? ボディーガードって、あなたみたいな女性がそんなに危険なお仕事をしていらっしゃるんですか?」
 マサキの疑問はもっともと言っていいほどだった。確かに他人から見た鏡子の印象というものはいかにもかよわく、線の細い美しい女性というものだ。
 そんな彼女がボディーガードをつけなければならないほどの仕事をしていると言うのだから、誰でも不思議に思うだろう。
 鏡子はマサキの質問に一度上げたお尻を再び椅子に戻し、彼の瞳を見つめた。
「そうね。ここで働いてもらう以上はやっぱりお店の事を知ってもらってなければいけないわね。私が経営するこのお店“Past Unlock”は夜中の零時から開店するの」
「どうして、そんな遅い時間からやるんですか?」
 マサキの言葉に鏡子は軽く微笑んだ。
「このお店はね、遅い時間からしかお客がはいらないの。このお店にはね、過去を捜しているお客がやってくるのよ」


――過去を捜しているお客?


 マサキには鏡子の言っている事があまり理解出来なかった。その様子に気がついたのか、鏡子は再び話しを続けた。
「ねぇ、マサキ。例えばあなたが生きるうえで耐え切れないほどの恐ろしい出来事があったら、あなたはどうなると思う?」
「…耐え切れないほどの恐ろしい出来事…? すみません、分かりません…」
「鍵をしてしまうのよ。つまり、忘れてしまうって事。人間はね、弱い生き物なのよ。自分を傷つけるもの、見たくないものには鍵をしてしまいまるでその事を最初から知らないものにしてしまうの」
「その事と、このお店とどういったつながりがあるんですか?」
「さっきも言ったでしょう? 鍵をかけるって…人間の心にはいくつもの部屋があるの。楽しかった事悲しかった事…つまり、思い出をその部屋の中にしまっているの」


――心の中にある部屋? 


「人は自分の心を守るためにその部屋をつくりだした。そして、自分を傷つける過去には鍵をしてしまうの。忘れていれば、傷つく事はないもの……でもね、鍵をした事すら忘れてしまう人がたまにいるの。そんな人達がこのお店に来るのよ。つまり、私の仕事はその人達の鍵を見つけて扉を開ける事」
 マサキは鏡子の説明を聞いてますます意味が分からなくなってしまった。そして頭を抱えながら、一つずつ理解していこうとした。
「……つまり、辛い過去から逃げるために心に鍵をかける。しかし、鍵をかけた本人がその事も忘れてしまい自分でかけた鍵をまた再び開けるために鏡子さんのところへ訪れる……という事ですか?」
 マサキはしどろもどろになりながらも自分なりに理解した事を話した。そんなマサキに対して鏡子は「まぁ、そんなところかしら」と軽く返事を返した。
「でも、一体どうやって人の心の中にある鍵を開けるんですか?」
「どうやって…? さっきあなたにもやってあげたでしょ? 」
 マサキはさっきの鏡子の不思議な行動を思い出した。自分の顔の輪郭をゆっくりとたどるように動く鏡子の細い指……
 マサキはあの時奇妙な感覚に襲われていた。確かに鏡子の手は自分の顔を触っていたのだが、しかしどこか胸の奥底がざわざわするのを感じたのだった。
「私にはね、人にはない力があるの。人に触れて心の中に入るって集中すると、相手の心の中に自分の意識を飛ばす事ができるの。信じられないでしょ? でも出来るのよ…人の心に入って、後は簡単。自分で部屋に鍵をしたんだもの、当然鍵は自分の中に存在する。私はそれを見つけて扉を開けてあげるだけ…」
 薄笑いを浮かべて、鏡子は椅子から立ち上がった。そしてお店の片付けを始めた。話をしている鏡子の姿にマサキは背中に冷たいものを感じた。
「最後にもう一ついいですか? 人の……人の心の中ってどんな感じなんですか?」
 マサキの質問に鏡子は背を向けて一言呟いた……


――本当の闇だ……と



2005/01/25(Tue)21:27:24 公開 / 満月
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■作者からのメッセージ
ごめんなさい(泣)続きの更新がすごく遅くなってしまいました……なんだかここのとこ忙しくって(汗)ゆっくりになるかもしれませんが頑張って書いていくので、感想指摘お願いします☆

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