『幸福の紅茶』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:若葉竜城                

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 クインはふっと笑った。久々に会った旧友を前にして思わず、といった微笑だった。この旧友はリュウという。昔は彼女も少女だったのだ、ということを思い出すと笑いがこみ上げてくるのだが、本人を前にして大笑いできるわけもなく、小さく笑うことしかできなかったのだ。
「笑わないでくれませんか」
 きっと何故クインが笑ったのかは分かっていないのだろう。しかし、照れたようなその口調にいまだ残っている幼さにクインは微笑むよりも前に安堵した。リュウは幼い頃からずっと敬語だった。年上の相手に対しては勿論、同い年も年下も分け隔てなく敬語で言葉を交わしていた。そのため、自分勝手だったクインにはどうも不思議な少女だった。
「そんなことよりどうだい、俺の屋敷は?」
「素敵です」
 今度はリュウが笑う側だった。この部屋はとてもクインがいうような屋敷には見えず、実際にはただの小汚い下宿屋の一室だった。リュウはそこで嘲笑うことも出来たが、あくまで上品な女性に、幼い頃から全く変わらずに成長したので、そんなまねはしなかった。その代わりに、と日頃のクインのような毒舌をふるうこともなく、小さい子供を可愛らしいと微笑む母親のように、笑んだだけだった。クインもその理由は分かっていたのでジョークに対して笑ったことを少し嬉しく思うだけに留めておいた。
「そういえば、マーサさんからジャムを渡されましたよ。スコーンを焼いてきましたからそれと一緒に食べましょう」
 リュウは腕に通していた大きなバスケットボックスからジャムがぎりぎりまで詰められた瓶とスコーンの匂いが漂ってくる蓋がされた皿をとり出した。テーブルクロスもされていない質素なテーブルにカチャンカチャンという音をさせないようにゆっくりと置いていく。クインはそういう細やかなところまで何一つ変わっていない、と穏やかな気持ちでリュウを見つめていた。
「クイン、ミルクティーとストレートどちらがいいですか?」
「コーヒーがいい。というか、コーヒー以外が無いんだ。言ったとおり越してきたばかりなのでね。コーヒーは徹夜で段ボールの片づけをした時に必要だったからあるんだが」
 クインは苦笑を浮かべていたがリュウの返してきた苦笑が自分のそれと全く別の類であることに気がついた。クインはしばらく観察するようにリュウと視線をからませていたが、ふとリュウの戸惑いの顔に既視感を覚えて、はっと思い出す。
「ひょっとしてまだコーヒーが飲めないのか?」
 クインの問いかけにリュウは気まずそうに視線をそらした。明らかにおかしいその反応は肯定を示しているとしか思えず、リュウの正直さが滲み出ていた。
「……分かった。それなら、買いに行こう」
 リュウは喜びとクインへの遠慮の気持ちが混ざり、戸惑ったように首を横に少しだけ傾けた。クインはリュウの様子にも構わず、リュウの麦わら帽子をぽんとリュウの頭にかぶせた。リュウはいきなり、かぶせられて目を白黒させていたがリュウの頭よりもやや大きいその麦わら帽子のつばでその動転ぶりは隠されていた。そのつばを上げる間もなく、クインはリュウの手を掴んでずんずん、下宿屋の階段を降りていく。
「ちょ、ちょっと待ってください。私、前が見えないんです」
 クインはリュウの言葉を聞いて一瞬立ち止まった。その間にリュウはもたもたしながら麦わら帽子のつばを額まで上げてセミロングの髪の毛を全部隠してしまう。
「ありがとうございます」
 リュウはにっこりと笑ったがクインは何も言わずにリュウの手を強く握って階段を一歩一歩ゆっくりと降りていった。リュウはいつもと違うクインに訝しげな顔をしたが幾ら考えても分からないのでそのうち下宿屋から出て外の空気を思い切り吸うとそんなことを気にしなくなってしまった。
「さて、リュウお嬢様、俺が住むこのヴェリーシア街をご案内いたします。お手を拝借」
 外に出るとクインは元の陽気な青年に戻った。リュウは冗談にしては上品すぎるいつもとかけ離れたクインの態度に大きく口を開けて笑った。
「さっきから勝手に握っているじゃないですか」
「おお、それは気づきませんで。では……」
 クインは一度丁寧にリュウの手を放してにっこりと笑った。
「改めて。お手を拝借」
「どうぞ」
 リュウは色鮮やかなワンピースをはためかせて、クインの手の上に自分の手を重ねて、クインはその手を取った。
「さあ、行こう」
「はい、とりあえず紅茶を買いに行きましょう」
 二人の姿はまるで恋人同士のようだった。クインもリュウも、どうして今日自分たちがお互いに会いたくなったのか、分かっていないのだ、恐らくは。
「ねえ、紅茶はどれがいいんだ?」
「私は何でものめますからクインの好きなものでいいですよ」
 それから二人が愛し合うとしたら幸せな日々が送れるに違いない。それでもクインが浮気をするかも知れないし、リュウがクインの傍若無人に愛想を尽かすかも知れない。
「そうだな……なら、いっそ紅茶を買わないというのは……」
「……別に構いませんけど、毎日コーヒーというのは良くないですよ」
 たとえば数年の後に二人が結婚すれば、クインはまた引っ越さなければならなくなる。リュウは姑に虐められるだろう。そして二人の好みは近くなる。
「それもそうだが……分かった。今日は俺も紅茶を飲もう」
「そうですか、ありがとうございます」
 そして、やっぱり幸せな生活を重ねていくのだろう。
 クインとリュウが手をつないで紅茶の種類を選んでいる。二人の影がゆっくりと時を重ねて、姿形を変えてゆく。そこにスコーンの香りがして、ジャムが世界を彩り、紅茶が夢を語る。それがクインとリュウの、二人だけの幸せなのだ。

2004/12/31(Fri)10:09:19 公開 / 若葉竜城
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■作者からのメッセージ
これは短編です。
友人曰くピュアラブストーリーだそうです。
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