『約束 −〜第六幕−』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:流浪人                

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『序章』

 力こそ、全てだった。いかなる思想家も、戦いの手段を持たない者は皆、殺された。人権などそこには存在せず、数え切れない命がゴミのように捨てられていった。
 感情など、表せなかった。生き抜くために感情を押し殺し、ただひたすら頭を下げ続けた。強い者に取り入ることしか、弱者にはできなかった。
 
 世界はかつてない緊張状態にあり、いつ第二次世界大戦が起きてもおかしくなかった。かつてない被害を世界中にもたらした第一次世界大戦。その反省は、何一つ生かされていなかった。
 
 おれは、そんな時代に生まれた。

『第一幕』



「ちょっと、清十郎」
 呼ばれた少年は、木刀を振る稽古を中断し、振り向いた。
「隣村のタカコちゃんの家に届け物をしてくれないかい?」
 清十郎は木刀を背中に差すと、「はぁ」とため息をついて言った。
「まったくしょうがねえなぁ。母ちゃんはおれがいなきゃ何も出来ないな」
 母親から荷物を受け取ると、「爺ちゃんのとこ寄るから、遅くなる!」と言い、駆け足で家を出た。

 雲行きが怪しい。いつ降るかわからないが、急ごう。とは言っても、爺ちゃんの家にまず向かう。
 清十郎が『爺ちゃん』と呼ぶ相手は、村の東の隅に住んでいる、武村茂三(タケムラシゲゾウ)である。清十郎の親友である少年と共に、昔から暇さえあれば茂三の家で遊んでいた。
 爺ちゃんの家は、隣村へ続く山道とは方向が違うけど、気にしない。なんなら、荷物を届けに行くのは明日だっていい。どうせ母ちゃんの用なんて、いつもみたいに大したことじゃ無い。
 そんなことを考えながら走っていると、茂三の家が視界に飛び込んできた。しっかりとした木造建ての家は、茂三の自慢の種である。
「爺ちゃん、今日も来たぞ!」
 茂三の家には、扉がついていない。昔はあったが、しばらく前の台風に吹き飛ばされてしまった。
「おお、清十郎。龍之介も来とるぞ」
 居間には、髪がすっかり抜け落ちてきた茂三と、膨大な量の書物を楽しそうに読んでいる龍之介がいた。
「龍之介、今日も早いな。それより爺ちゃん、いい加減扉つけなきゃ泥棒が入っちまうぞ!」
 茂三は部屋の奥から『清十郎専用』と書かれた湯呑み茶碗を持ってきて、やかんの中身を注いだ。
「いいんじゃよ。泥棒なんぞ、わしが追い払ってやるわい。ふぉっふぉっふぉ」
 清十郎はヘヘッと笑い「ならいいんだけどさ」と言いお茶をすすった。「どうだ、龍之介。何か収穫あったか?」
 清十郎と龍之介は、昔からこの家に来ては数え切れないほどの書物を読み続けている。理由は一つ。伝説の組織『レボリューション』に関する資料を見つけ出すためだ。
「いや、無い」
 龍之介はいつものように首を横に振って、ため息をついた。「爺ちゃん、本当に資料なんか残ってんの?」
「うむ、間違い無い。わしが所属していた頃の作戦計画書や組員名簿があるはずじゃ」
 茂三はお茶をズズッという音をたててすすった後、考え込むような素振りを見せて言った。「そういえば・・・・・・」
 清十郎と龍之介は、寝転がっていた体をガバッと引き起こした。「なんか思い出したの?」
「うむ。ずっと言おうと思ってたんじゃが・・・・・・」
「なになに?」
「資料を見つけて、そしてその後どうするつもりじゃ?」
「なんだよ! そんなことかよー」
 二人の少年の表情が、期待はずれという気持ちを見事に表している。
「あの伝説の人に会いに行く。それがおれと清十郎の夢なんだ」
 龍之介は感慨深げに語った。そしてチラッと清十郎の顔を見ると、口を大きく開けて信じられないというような表情をしていた。視線は入り口の方に向いている。龍之介も、恐る恐る入り口の方を見てみた。
「あ、あ、あ・・・・・・あなたは・・・・・・し、し、しぶ・・・・・・」
 二人とも、言葉にならなかった。短く刈り上げた髪。整えられた細い眉。そして何といっても、眼力のある眼。茂三から話は聞いていたが、実際に見るとやはり違う。
「お久しぶりです、茂三さん」
 静かだが皆の心に響くような声。男の全てが、二人にとって憧れの対象だった。
「こいつらがわしの家に来るようになってから大体六年くらい・・・・・・ということは、八年ぶりになるかのう?」
 急に茂三が、輝いて見えた。憧れの人と対等、いやそれ以上の立場で話している。茂三の昔話どおりだった。
「もう八年ですか・・・・・・長いようで、短いもんだ」
 入り口に立っていた男は、清十郎と龍之介の憧れの男―――若くして日本最大の組織の頂点に立った、渋嶋栄吾(シブシマエイゴ) その人だった。



 渋嶋さんのことは、初めて爺ちゃんの家に来たとき聞いた。爺ちゃんは、冒険心だけで家に入ってきたおれたちを温かく迎え、昔の話をしてくれた。
「昔な、わしは『レボリューション』という組織に所属していたんじゃ。組織の目的は、政府を倒し戦争を終わらせることじゃった。ふぉっふぉ、こんなこと子供に話してもわからんか」
 おれたちは何も言わず、首を横に振った。初めて入った家で、よくわからないけどすごい話を聞いたと思った。
「組織を仕切ったのは、渋嶋という男じゃった。しかしな、渋嶋はある出来事で死んでしまったんじゃ。跡を継いだのは、息子の栄吾じゃった。栄吾は若かったが、長の素質に満ち溢れておった。そして組織が解散したのが八年前。それからわしはこの村に戻ってきて、のんびり暮らしとる」
 ゴクリとつばを飲んだ。組織、長、渋嶋栄吾・・・・・・知らない単語がたくさん出てきた。爺ちゃんの言葉の意味を全て理解したわけではなかったけど、知りたいという衝動に駆られた。
「爺ちゃん・・・・・・」
 先に口を開いたのは龍之介だった。「また来てもいい?」
 すぐさまおれも続けた。
「こんなに本があるんだから、今の爺ちゃんの話について詳しくわかるよね?」
 爺ちゃんは「ふぉっふぉっふぉ」と微笑んだ。
「そうじゃな、資料は残ってるじゃろうな。いつでも来て探すと良い」
 今思えば、爺ちゃんは寂しかったんだと思う。きっと、おれたちに来て欲しかったんだと思う。だからおれたちが興味を持ちそうなことを話したんだ、多分。

「今日来たのは他でもない、茂三さん、預けていたものを返してもらいに来ました」
 茂三は「うむ」とうなずくと、奥の部屋に消えていった。
 茂三が戻ってくるまでの三分間、清十郎と龍之介は緊張して動けなかった。憧れの人が目の前に居る、という状況がまだ信じられなかった。
「ほれ、これじゃろ」
 茂三は手に持った二枚の紙を、渋嶋に手渡した。
「・・・・・・これです。茂三さん、長い間預かっていただいてありがとうございました」
 清十郎と龍之介は首を伸ばして紙を盗み見しようとしたが、わずかに見えない。
「栄吾。わしはもう引退した身じゃ。だが、一つだけ聞きたい」
「・・・・・・どうぞ」
「今、この国で何が起きてるんじゃ? お前がその資料を必要とするということは、すなわち、『レボリューション』の再結成に他ならないはずじゃ。もう一度組織を作らなければならないほど、情勢は緊迫化しておるのか?」
 渋嶋は少し黙った後、静かに口を開いた。
「このままいけば、もう一度世界大戦が起きるでしょう」
「馬鹿なっ!!」
 茂三は激しくちゃぶ台を叩き、怒りをあらわにした。「そんなことが・・・・・・なんということじゃ・・・・・・」
 清十郎は、十三歳ながらも必死に理解しようとした。茂三がここまで取り乱しているのを、今まで一度も見たことがないのだから。
「渋嶋さん!」
 突然、龍之介が叫んだ。「おれをレボリューションに入れてください!」
 渋嶋は龍之介の目をじっと見つめ、静かに首を横に振った。
「駄目だ、坊主。お前が死んじまったら、母ちゃんが悲しむぞ」
「死にません! おれは絶対死にません!」
「そう言って死んでいったやつを、おれは何人も見てきてるんだ」
 静かだが力強い声で、渋嶋は言った。「おれは失うものが無いやつしか仲間には入れない。だからレボリューションの組員は、みんな家族が居ない。もちろん、おれもだ」
 龍之介は、もう返す言葉が無かった。父親が死にどれだけ渋嶋が悲しんだか、それを想像するのは難しくはなかった。
「じゃあ、おれはこれで」
 渋嶋は立ち上がり、家を出ようとした。「待て、栄吾」
 茂三は、渋嶋の大きな背中に言葉を投げかけた。
「・・・・・・死ぬなよ。生きてまたここに来い」
「もちろんですよ」
 渋嶋は右手を上げ、去っていった。
 清十郎はすぐさま茂三を責め立てようとした。
『爺ちゃんの嘘つき! 資料は密かに隠し持ってたんじゃないか! おれたちがどんなに探したって、見つかるわけなかったじゃないか!』
 そう言おうとした。しかし、思った。もしおれたちが資料を見つけたら、もうこの家には来なくなるかもしれない。それが怖かったんじゃないか――
「ったく、寂しがりやの爺ちゃんだなあ。母ちゃんもおれがいなきゃ何も出来ないし・・・・・・あっ」
 独り言のようにつぶやき、ふと思い出した。そういえば母ちゃんに、届け物を頼まれていた。
「爺ちゃん、龍之介。おれ、ちょっと届け物あったんだ。じゃ、また明日!」
 駆け足で家を出て、隣村へ続く山道へ向かった。と、視界に渋嶋の姿が目に入った。目指す方向と同じ。こっそり追いかけてみよう。
 しばらく上りが続いて、慎重さが欠けていたのかもしれない。突然、渋嶋がこちらを振り返った。
「誰かと思えばさっきの坊主の片割れか。おれを追いかけたって、なにも良いことはないぞ」
「あ、いや、その・・・・・・」
 言い訳のしようがなかった。確かにこの道を歩く理由はあるが、こっそり歩く理由などあるはずが無かった。
「母ちゃんに隣村への荷物頼まれてて・・・・・・そしたら渋嶋さんが居て、つい・・・・・・」
 渋嶋が大きな手を上げたので、びくっとした。だが、大きな手のひらは力強くおれの頭をなでた。
「そうか。そんなら堂々と来い。さあ、一緒に行こう」
 予想外の事態に、喜びを隠せなかった。憧れの人が、隣に居る。それなのに、いつか会った時に聞こうとしていた質問が、一つも思い出せない。
「あ、あの」
 渋嶋が「ん?」と言っておれを見る。あの渋嶋さんが、だ。
「さっき、失うものが無い人しか仲間には入れないって言いましたよね。レボリューションを継いだ時、家族が居る人はいなかったんですか?」
 渋嶋は「ほう」と言ってうなずいた。「良い質問だ」
「おれが継いだ時、茂三さんを除く全員が家族を持っていた。だからおれは、茂三さんを除く全員を脱退させた。そして自分の手で再び仲間を集めたんだ。もちろん、かなりの時間を要した。約一年ってとこだ。しかしな、話はそう簡単には終わらなかった。脱退させられた奴らが暴走したんだ。奴らは皆、口をそろえてこう言った」
 渋嶋の眼には、光など灯っていなかった。あるのは闇のみ、待つのは死のみ。そういう人々の眼だ。
『お前だって母親が居るじゃないか』
 渋嶋の歩く速さは全く変わらず、感情を反映することは決して無かった。
「母親は殺されたよ。そしておれは今度こそ一人になった。それを境に奴らの暴走は終わり、新生レボリューションが動き出したというわけだ」
 しばらく何も話さずに歩いた。おれは、この質問をするべきじゃなかっただろうか。だが、知らなければならなかった気もする。そんなことをずっと考えていた。
「お、ついたぞ。じゃあな坊主。元気でな」
「・・・・・・はい」
 渋嶋は手を振り、さらに山道を進んでいく。おれはその背中をずっと見つめていた。

『第二幕』



 ついに雨が降り始めた。清十郎はタカコおばさんの家を見つけると、急いで届け物を済ませた。
「いつもありがとね、清十郎や」
「気にすんなって! それじゃまた!」
 雨はだんだん激しさを増してゆき、すぐに地面の色を変えた。水気を含んだ土は、清十郎の走りを妨げる。
「くっそ、最悪だよ!」
 それでも必死に走り続けた清十郎の視界に、見慣れた『影里村(カゲサトムラ)』の風景が入ってきた。「やっとついた」とつぶやき、我が家を見つけて再び全力で駆け出した。
 だが、そこでいつもと違う光景に気づいた。我が家の扉の前に、村長が立っている。しかも、こんな大雨の中。
 村長は、清十郎が自分の前で立ち止まったのを確認すると、「入ってはならん」と静かに言った。
 何がなんだかわからなかった。自分の家なのに、入ってはいけない? そんな馬鹿な話があるわけがないと思い、無理やり扉をこじ開けようとしたが、村長に右腕をつかまれた。
「何だよ村長。いっつもおれがイタズラしてるからって、嫌がらせ?」
 ただの嫌がらせにしては度が過ぎていると思ったが、聞いてみた。村長は静かに首を横に振った。
「入ってはならんのじゃ・・・・・・」
「何言ってんのかわかんないよ! ここはおれの家だぞ!」
「黙れっ!!」
 初めて聞いた村長の叫びに、清十郎は驚きを隠せなかった。あの温厚な村長が怒っている。何が起きた、何が・・・・・・
 入ってはいけない。それはつまり、家の中で何かが起きたということだ。家の中で何かが起きたのに、おれが入ってはいけないとなると、まさか――
「そこをどけよ!!」
 最悪の想像を打ち消したくて、清十郎は叫んだ。「どけって言ってるんだよ!!」
「子供のくせに、村長に対する口の聞き方をわきまえんか!」
「関係ねえよそんなこと! ここはおれの家だ! 何が起きたのか、おれには知る権利がある!」
 しばらく、沈黙があった。激しい雨が二人を濡らし、そして地面を少しずつ削っていく。
 先に口を開いたのは、村長だった。びしょ濡れの白髪を手でかきわけ、清十郎をじっと見据えて言った。
「・・・・・・いいんじゃな、清十郎。家に入れば、もう後戻りはできんぞ。お前はこの先、死ぬまで戦い続けなければならんのじゃぞ?」
 死ぬまで、という言葉が清十郎の耳に残った。だがそれもわずかな間だった。「わかった」
「だからどいてくれ、村長」
 村長はゆっくりと扉から離れた。清十郎は扉の取っ手に右手をかけ、静かに横に動かした。
「母ちゃん・・・・・・」
 家の中で横たわったまま動かない母を見て、清十郎は言葉を無くした。ある程度予想はしていたが、実際にその光景を目の当たりにすると、一気に感情の波が押し寄せてきた。
 悲しみより先に、怒りが溢れた。そして次に、何故、という思いが強くなった。
 もう二度と動くことのない母のそばに歩み寄り、かがんで頬に手を当てた。まだわずかに温もりがあった。それが妙に現実的となり、清十郎に改めて母親の死を実感させた。
「村長・・・・・・」
 なぜ母親は殺されたのか。それがわからない今、涙など出なかった。「一体、何が・・・・・・?」
「政府じゃよ」
 村長は静かに言った。「清十郎や。お前は渋嶋栄吾に深く関わりすぎてしまった。だからお前の母さんたちは殺されたんじゃ」
 その瞬間、全身の力が抜けた。母さんたち? まさか、爺ちゃんと龍之介まで・・・・・・
「渋嶋栄吾は、政府から最も危険視されている男じゃ。あの男に関わった人間は、生き地獄の刑に処される。それはすなわち、家族を含む交友関係のある人々を全て抹殺されるということじゃ」
 生き地獄。まさにそれだった。居るのが当たり前だった母親。いつも悪口ばかり言っていたけど、本当は好きで好きで仕方が無かった。失ってみて初めて気づいた母親の大切さ。清十郎はようやく一筋の涙を流した。
「もちろんそんなことが許されるはずはない。だがな、渋嶋栄吾と関わっただけで裁かれるのが、今のこの国の現状なんじゃ。この国は狂っておる。危険の芽は、出来るだけ早いうちに摘んでおくということじゃ」
 ずっと憧れていた人と話して何が悪い。おれもいつか、と思って何が悪い。
「・・・・・・村長。ちょっと一人にしてくれないか」
 村長は何も言わず、家を出て行った。それを確認すると、清十郎は横たわった母に向けて語りかけた。
「母ちゃん・・・・・・届け物、済ませてきたよ」
 おれが爺ちゃんの家に寄らず、すぐに届けに行っていれば。そしたら渋嶋さんと関わることはなく、母ちゃんはまだまだ生きることができた。少なくとも、こんな死に方はしなかった。
『母ちゃんはおれがいなきゃ何も出来ないな』
 おれはバカだ。大バカだ。母ちゃんにはおれが必要だった。おれが支えだった。なのにおれは、一番大事なときに守ってあげることができなかった。
「途中から雨が降ってさ、びしょ濡れだよ! ・・・・・・いっつもみたいに、早く脱いで干しなさいって言うんだろ? わかったよ。干すから、自分で干すから・・・・・・だから・・・・・・だから目を覚ましてくれよ・・・・・・」
 母ちゃん、でもおれは、渋嶋さんが間違っているとは思わない。狂ってるのはきっと政府の方だ。戦争。今まで子供だからって目をそらしてきた現実。もう目をそらすわけにはいかない。
 おれは母ちゃんを殺したやつを絶対に許さない。いつかこの手で、おれの手で――
 
 裁いてやる。
 


 清十郎は、村のはずれにある丘の上に、大の字になって横たわった。
 青い空。どこまでも続く空。始まりも終わりも無い。不思議な話だ、と思った。
 母ちゃんが死んでから、もう三日になる。あの後すぐに爺ちゃんの家に駆けつけたが、そこには無傷の爺ちゃんだけが居た。
「龍之介は子供だからって、連れていかれた。わしは老いぼれじゃから、殺す価値も無いと判断されたようじゃ・・・・・・」
 事を済ませた政府の人間は、村長のもとへ行き全てを伝えたらしい。そして村長がそれをおれに伝えた、というわけだった。
「おお清十郎、こんなところにおったか」
 見上げると、茂三のしわだらけの顔があった。だが清十郎は何も返事をしなかった。
「今日は天気がいいのう」
 老いぼれだから殺す価値が無い? そんなはずは無い。渋嶋さんと深く関わった全ての人間が抹消されるなら、元レボリューションズの爺ちゃんは間違いなく一番最初に殺されるはずだ。なのに爺ちゃんは無傷だった。そして母ちゃんと、龍之介だけが未来を絶たれた。
「どうした、清十郎。元気がないのう」と茂三は微笑みながら言った。
 おれの考えから導き出される結論は、たった一つしかない。なのにあんたはなぜ微笑んでいられる? おれと龍之介が初めてあんたの家に行った日から、こうなることは決まっていたのか? 資料を隠し、いつか渋嶋さんが取りに来た時、おれたちの夢にこういう結末を用意していたのか?
「ふざけんなよ・・・・・・」
 自分にしか聞こえない程度の小さな声。激しく震えていた。
「爺ちゃん・・・・・・」
「なんじゃ?」
「渋嶋さんとの約束、果たせそうにないね」
 あんたと渋嶋さんの約束。渋嶋さんが生きてまたあんたに会いに来るという約束。
「約束?」
 清十郎は一瞬で起き上がると、背中に差していた木刀を瞬時に抜き取って、茂三の頭に思い切り叩き込んだ。うっ、という呻き声が漏れたが気にせずに、倒れかかっている茂三の腹部に思い切り突き刺した。支えるものを失った茂三の体は、ドサッという音を立てて横たわった。
「はぁはぁ・・・・・・なんでだよ! おれはあんたが好きだったのに!! なんで誰も信じられなくなるようなことをするんだよ!!」
 倒れている茂三の顔面に、何度も全力で木刀を叩き込んだ。だんだんと血が滲んでいく。
「渋嶋さんのこと、政府に密告できたのはあんたしかいないんだよ! おれが一番信じていた、あんたにしかできないんだよ!!」
 もう恐らく死んでいるであろう茂三に向けて、清十郎は叫び続けた。
 誰かを信じればその先に裏切りがあるというのなら、おれはもう誰も信じない。だけどきっと、人間はそんな生き物じゃない。信じあって、支えあって生きていく生き物だ。そう、全ては――
「あんたを信じたおれがバカだったってことか・・・・・・」

 清十郎は十六歳にして、絶望を知った。絶望の先には希望がある。そう信じて、生まれ故郷を飛び出した。


『第三幕』



 内閣総理大臣である鷲沢辰雄(ワシザワ タツオ)は、自室で部下からの報告を聞いていた。
「・・・・・・戦争に突入しますか?」
 1937年7月、日本軍と中国軍の衝突。俗に言う『日中戦争』の始まり。それからもう一ヶ月が過ぎた。
「戦争か・・・・・・」
 鷲沢は少しの間、思考に全神経をそそいだ。一ヶ月前は戦争拡大の方針をとらなかった。鷲沢自身、迷いがあったからだ。このまま戦争に突入していいのか。もし負ければ、今まで日本が積み上げてきたものを全て失うことになる。もちろん、数え切れない人の命も。
「なぁ、杉松」
 杉松と呼ばれたその部下は、「何でしょう?」と返した。
「このまま戦争ばかり続けて、果たして良いんだろうか? 数え切れない人が死に、その果てに何が残る? 植民地、奴隷・・・・・・そんなのはもう嫌なんだよ。奴隷だって生身の人間なんだ。植民地だって、そこには多くの家族の平凡な日常がある。・・・・・・おれは間違っているか?」
「いいえ」杉松は首を横に振った。
「ですが、アメリカやヨーロッパの国々の大統領はそんなこと全く考えていないでしょう。そして彼らにはあなたがそんなことを考えているなどわからない。そうである限り、戦争は終わりません。戦わなければ、わが国の国民が奴隷にされるんです」
「そうだな・・・・・・」
 鷲沢はイスから立ち上がり、くるりと向きを変え窓から外の景色を見た。皮肉にも、空は青かった。
「誰も第一次大戦のことなんか覚えちゃいない・・・・・・もちろん敵から見たら、おれもその一人だろうがな」
 鷲沢は苦笑した。鷲沢が総理に初めて就任したのは十年ほど前である。それから何度か政権交代を繰り返し、半年ほど前に再び総理に就任した。十年前、鷲沢は、今までの総理は戦争のみを目的としていたので自分が総理になったらその流れを断ち切ってやる、という強い想いを持っていた。だが結局変えることはできなかった。しかし、ずっと迷いはあった。このままでいいのだろうか。本当にこのままで・・・・・・
「杉松」
 杉松の言うとおり、やらなきゃやられるんだ。だがその考えこそが、戦争を生み出したのではないか・・・・・・
「対中国全面戦争を始めてくれ」
 ――いいんだ、これで。
 杉松は「わかりました」と言って部屋を出て行った。部屋には、沈黙だけが残った。



 手を伸ばせば届くほどの距離に、渋嶋栄吾の背中が見える。渋嶋はひたすら前方へ歩き続けている。おれが走ると、渋嶋も走る。わずかな距離なのに、その距離は永遠に縮まらない。なぜだ、なぜだ・・・・・・渋嶋さん・・・・・・待ってください・・・・・・
 ハッと飛び起きた。夢だった。背中にはびっしょりと汗をかいている。
「やっと起きたの? 随分うなされてたよ」
 優子が冷たい麦茶を持ってきてくれた。おれは体を起こすと、一気に飲み干した。
「っぷは〜、生き返るぜ」
 影里村を飛び出してから、もう二年が過ぎた。あの時のおれの精神状態はすさまじく、ただひたすら山道を駆け抜けていた。気がつけば、民家の布団の中に居た。優子は倒れていたおれを家まで運んで介護してくれたらしい。その日からおれは優子の家でお世話になることになった。一日中、山道を歩いて渋嶋さんを探しては、また戻ってくる。そんな日々が一年ほど続いた。おれはもうこれ以上迷惑はかけられないと思い、必死に溜め込んできたお金を置いて優子の家を出た。ひたすら歩き続け、野宿をし、金が無いおれは何度も迫り来る死に怯えた。そんな時いつも、優子の顔が頭に浮かんだ。その度におれは耐えた。だが一ヵ月でもう限界だった。死ぬわけにはいかない。渋嶋さんに会ってレボリューションに入って、母ちゃんを殺したやつを裁くためには。おれは優子の家に戻って、優子の両親に土下座をした。もう一度おれを助けてください。そう言ったおれに、父親は頭を下げた。君がいなくなってから、優子はずっと元気がないんだ。むしろこっちからお願いしたい。おれは涙を流した。家族の食料でさえ苦しい時代に、こんな親切な人もいるんだ・・・・・・
「ねえ清十郎」
 思い出にひたっていた思考を振り払い、優子の方を向いた。「どうした?」
「あなたがずっと探している人って、本当に生きてるの?」
 渋嶋栄吾。政府から最も危険視されている男。あの人が死ぬなら、おれなんかとっくに死んでいる。
「あぁ、生きてる」
 窓から青空を見る。「この大空のどこかで、平和を守るために必死に戦ってる。たぶんな」
 渋嶋さんのことは、優子の父親にだけ詳しく教えた。優子と母親には、平和を守る人とだけ教えた。おれの過去については誰にも教えていない。もちろん、あの日のことも。
「もし見つかったら、ここを出て行くんでしょ?」
「そうだな」
 優子の前ではおれは明るく振舞い続けている。その間、おれは過去を忘れることができる。忘れてはいけないものを、少しの間だけ忘れることができるというのは、思っていたより良いものだ。
「そう・・・・・・あっ、お父さんが呼んでたんだった! なんだか大事な話らしいからすぐ行ってあげて」
 まさか――
 清十郎は狂ったように布団から飛び出し、父親のもとへ走った。父親は居間で新聞を読んでいた。
「おう、清十郎君」
「親父さん・・・・・・まさか・・・・・・」
 父親は「うむ」と顔をしかめると、新聞の一面に書かれている記事を見せた。
「そのまさかだ」
『対中国全面戦争開始』
 記事の見出しには大きくそう書かれていた。ついに、ついに再び戦争が始まる。二年前、渋嶋さんが言っていたように、ここから第二次世界大戦へつながっていくかもしれない。
「くそっ! 渋嶋さん、どこにいるんだよっ!!」
 清十郎は声を荒げ、ちゃぶ台を激しく叩いた。母親が少し驚いた顔をした。
「まあ落ち着きたまえ。もしかしたら渋嶋という男に会えるかもしれんぞ」
 父親は「職場の同僚が言っていたんだけどな」と前置きをして、語り始めた。
「山道をずっと行くと、神明町(シンメイチョウ)というとても大きな町がある。君も何度か行ったことがあるだろ。あそこの大会議場に政府の人間が来て、戦争の正当性について演説するらしいんだ。あの町はこの地方で一番大きな町だ、かなりの高い地位の人間が来ると見て間違いは無いだろう」
「その演説をレボリューションがぶち壊す、か・・・・・・」
 ありえる話だった。活動内容を実際に見たことはないが、民間でできることと言えばそういう演説を一つずつ潰し政府に警告を与えるくらいだろう。
「だけど政府も警戒してるんじゃないですか?」
「恐らくな。けどな、清十郎君。政府は今戦争に力を注いでいる。潰されるかまだわからない演説に、そこまでの人員を割くと思うかい? ――それに、公式にはレボリューションはもう解散したことになっている」
 親父さんから聞いた話によると、八年前、第一次世界大戦終結から十年の節目を迎え、レボリューションは解散したらしい。親父さんも当時、小さな組織に所属していて、レボリューションは伝説的な存在だったそうだ。
「政府は第一次世界大戦の痛みを忘れた。レボリューション無き今、国内に敵はいないと思っているだろう。恐らく渋嶋君はそこを突いてくると思う」
 渋嶋さんなら、きっとやる。戦争の痛みを政府に思い出させるために。
「いつですか、その演説は」
「今日の昼二時だ」
 急いで時刻を確認した。昼の十二時。神明町まで走ってどれくらいかかるかわからない。とにかく、急ぐしかない。
「清十郎君」
 駆け出した清十郎の背中に、父親は言葉を投げかけた。「必ずここに戻ってきなさい。また一緒に酒でも飲もう」
 清十郎は頷き、全力で駆け出した。果ての無い山道を。――渋嶋さん。今度は追いついてみせる。

『第四幕』



 藤尾五郎(フジオ ゴロウ)は、久しぶりの作戦に少し緊張していた。あたりを見回すと、他の組員たちも落ち着かない様子だ。ただ一人、渋嶋栄吾を除いては。
 時計の針が一時を指し示した。ついに作戦が始まる。この胸の高鳴りは、久しく味わっていない。
 五分後、浮浪者のような男が小屋に入ってきた。「今日の演説は、国務大臣の中川によるものです」
 国務大臣。予想以上の大物だ。これを潰せば、政府も何かしら動かなければならなくなる。
「よし」
 渋嶋は立ち上がり全員を一瞥した後、静かに言った。
「本当はこの日が来て欲しくなかった。レボリューションが再び活動するなんて、あってはならないことだった。・・・・・・だが、時代はそう簡単には変わってくれないようだ」
 今自分たちがいる小屋は、大会議場の近くにある。だが、これをしなければおれたちは始まらない。
「レボリューション、始動っ!」
 渋嶋の掛け声に続いて、全員が「おうっ!!」と叫んだ。八年振りに、レボリューションは再び始動した。

 優子は、清十郎が走り去っていくのを陰で見守っていた。同時に、言いようの無い不安で心が満たされていくのを感じた。
「お父さんっ!」
 思わず、大声を出していた。胸が苦しい。何か嫌な予感がする。
「どうしたんだ、そんな大きな声出して」
「清十郎はどこへ行ったの?」
 父は「うん」と一人で頷き、「ずっと探していた人に会いに行ったよ」と言った。
「じゃあ・・・・・・」
 探していた人に会えば、清十郎はもう戻ってこない。二年前の生活に戻るだけだ。なのに、胸が苦しい。たぶんこれは、愛という感情に他ならない。
「もう戻ってこないの?」
 もし清十郎も私を愛してくれていたなら、きっと戻ってくる。
「なぁ優子。清十郎君はな、臆病なこの国の人間には決してできないことをやろうとしているんだ。自分の命を賭して、この国を救おうとしているんだ。お前が清十郎君のことを愛しているのは知っている。だがな、愛なんて感情は今の彼にはあってはならないものなんだ。余計な感情は、迷い――つまり死に直結している」
 わかっていた。清十郎は私のことを愛してくれていたかもしれないが、それだけだ。発展など、無いのだ・・・・・・
 ――人を愛することも、許されない時代なのですか。
 優子は心の中で何度も問いかけた。

 大会議場の警備は思ったより手薄だった。なめやがって、と藤尾は思った。確かに今現在、公式にはレボリューションは存在しない。だが他にも組織はたくさんある。政府は戦争に夢中になり、おれたちの存在を忘れている。思い出させなければならない。
 レボリューションの組員は、おれと安藤慎介(アンドウ シンスケ)、高岡修二(タカオカ シュウジ)、そして渋嶋栄吾の四人だ。八年前はもう一人、武村茂三という爺さんが居たが、栄吾がレボリューションを継いだ時にかわいそうだから残してあげただけに過ぎない。何でもやりたがるジジイで、見かねた栄吾は八年前、偽の資料を預けてあげたそうだ。
「久しぶりの作戦だ。計画なんぞ無しに、派手にやろうぜ」
 おれはそう言うと、入り口に立っていた二人の警備員に駆け寄り、一瞬で首もとに手刀を叩き込んだ。倒れる二体の体を両手で支え、静かに地面に横たわらせた。
「相変わらずだな、五郎。さすが『鬼神』と言われただけある」
 鬼神。その響きは、藤尾の神経を刺激した。力がみなぎってくる。
「おいおい、慎介。あんまおだてんなよ。五郎はすぐ調子にのっちまうからよぉ」
 修二が苦笑しながら言った。そんな久しぶりのおれたちのやりとりを見て、栄吾は顔をしかめた。
「ここは戦場だ。お前ら忘れてんじゃねえのか」
 そうだ。おれたち三人が無駄口を叩き、栄吾が喝を入れる。八年前と同じ。
「へいへい、さぁいこうぜ。宴の始まりだ」
 おれはそう言うと、先頭に立って走り始めた。その後ろに慎介、栄吾と続き、最後尾には修二。政府のやつらに思い出させてやる。おれたちは、レボリューション――革命――だ。



 どれくらい走っただろうか。まだ神明町は見えない。距離がわからなければ、それだけで疲労は何倍にも感じられる。
 ――また、優子に会えるかな。
 走りながら、突如頭に浮かんできた感情。優子と居ると何より居心地が良かった。あの日のことを、忘れていられた。
 だけど今は、渋嶋さんに会うのが第一だ。感情を振り払い、再び走りに集中しようとした、その時だった。突然、首筋が濡れたような感じがした。そして目の前の地面が少しずつ色を変え始めた。雨だ。
 その瞬間、激しい頭痛が清十郎を襲った。雨、雨、雨、雨・・・・・・こらえきれなくなって、地面に倒れこんだ。頭の中にすごい勢いで映像が入り込んでくる。
 母が横たわっている。息をしていない。まるで人形。なぜ? 殺された。政府の人間に。おれの帰りを待ちながら殺された。人生を振り返る暇も、悔しがる暇もなく殺された。なぜ? おれが渋嶋さんと深く関わったから。渋嶋。おれが爺ちゃんの家で渋嶋さんの存在を知り、ずっと会うのが夢だった男。その男と深く関わったから。渋嶋と関わらなかったら? 母は死ななかった。おれはまだ、子供でいられた。戦争から目を背けていられた。じゃあ誰が悪い? 渋嶋、渋嶋、渋嶋・・・・・・
 そうだ。渋嶋が全て悪いんだ。あいつさえ村に来なければ、母は死ななかった。いや、全てじゃない。渋嶋と爺ちゃんだ。爺ちゃんさえ政府に密告しなければ、母は死ななかった。だからおれは殺した。爺ちゃんを殺した。おれの全てを奪ったから。そうだ。渋嶋も殺す。それで全てが終わる――
「何もかも・・・・・・奪いやがって・・・・・・」
 おれは、渋嶋を殺す。そのためにやつに会わなければならない。清十郎は、再び走り始めた。

「一般人はすぐにここから出て行け!!」
 大会議場内に、藤尾五郎の叫び声が響いた。何が起こったかわからないまま、一般人はおびえながら避難を始めた。
「なんだお前らは!」
 奥で演説をしていた国務大臣の声が怯えに変わり、奥から十人ほど警備員たちが出てきた。
「へっ、昔はおれたちに備えて何百人も軍人が居たってのによ」
 まだ避難しきれていない一般人に当たる可能性があるため、銃を持った二人の警備員は発砲できずにいる。藤尾はそれを確認すると、まさに電光石火のごとく距離を詰め、手前の警備員のみぞおちに拳を叩き込み、銃を奪った。そしてすぐさま銃口を銃を持ったもう一人の警備員に向け、銃を捨てるよう指示した。
「あんたらは仕事でこんな政府のクソを守ってるだけだろ。そんなくだらねえ理由で死ぬな」
 警備員が銃を捨てたのを確認すると、藤尾は国務大臣の方を見た。国務大臣は激しく怯え、床に座り込んでいた。
「お前ら政府に、戦争の痛みを思い出させてやるよ」
 後ろから修二が歩いてきて、捨てられた銃を拾った。「なあ、国務大臣さんよ」
 入り口では栄吾と慎介が一般人を避難させている。最後の一人が避難したのを認めると、藤尾は再び国務大臣を見た。
「どれだけ戦争に一般人を駆り出しゃ気が済むんだ? たまにはてめえらで戦ったらどうなんだ、なぁ!!」
「わ、わかった・・・・・・頼むから、頼むから命だけは・・・・・・」
 国務大臣は今にも小便を漏らしそうなくらい怯えていた。藤尾は銃口を国務大臣の口の中に押し込んだ。
「帰って総理大臣以下政府全員に伝えろ。レボリューション、復活だ」
 銃口を口から抜き取ると、国務大臣は気を失っていた。今回はこの辺でいいだろう。次からが本番だ。
「栄吾、慎介。終わったぜ」
 藤尾はそう言うと、修二と共に入り口の方へ歩き出した。栄吾と慎介は腕を組んで成り行きを見守っていた。
「次からはこんな簡単にはいかねえ。気抜くんじゃねえぞ」
 栄吾がそう言い、おれたちは頷くと会場を後にした。一度後ろを振り返ると、警備員たちはまだ何が起こったかわからないかのように呆然と立ち尽くしていた。

 清十郎の視界に大会議場が入ったと同時に、そこから出てくる男たちの姿を認めた。間違いない。あれが、レボリューションだ。日本最大と聞いていたので、拍子抜けだった。これなら殺れる。
 清十郎は右手に木刀のとがった破片を握り締めると、ゆっくりと渋嶋へ歩み寄った。
「渋嶋さん・・・・・・」
 渋嶋は清十郎に気づいたが、何も言わなかった。他の組員たちも立ち止まるだけで何も言わない。
「おれは夢を見てました」
 ――悪いのは政府じゃない、あんただ。
 瞬時に距離を詰め、木刀のとがった破片を渋嶋の腹部に突き刺した。抜いてまた刺し、また抜いて刺し・・・・・・破片はみるみるうちに紅く染まっていった。だが、清十郎は狂ったように突き刺し続けた。
「なんで抵抗しねえんだよっ!! なぁっ!!」
 誰も微動だにしなかった。渋嶋はもちろん、他の組員たちでさえも。清十郎はやがて虚しさを覚え、ぴたりと腕を止めた。
「気が済んだか」
 渋嶋の、静かだが心に響いてくるような声が清十郎の涙腺を刺激した。
「なんでだよ・・・・・・おれもうわかんないよ・・・・・・誰が悪いんだよ、誰が母ちゃん殺したんだよ・・・・・・」
 渋嶋は清十郎を抱き、落ちてくる涙を膝に受け止めた。「この国は腐ってる。どうやらおれに関わった人間を次々裁いてるらしいな。・・・・・・だがな、坊主。おれを追いかけたのはお前だ。おれが悪くないと言っているわけじゃない。この時代、てめえでてめえの身を守るしかないってことを言っているんだ」
 渋嶋の腹部からは血がにじみ、衣服を紅く染めている。一人の組員がそれを見て、「栄吾。これは少し休む必要があるな」と言った。
「・・・・・・坊主。元気でな。おれにはこれが精一杯だ。おれはこんなところで死ぬわけにはいかない」
 渋嶋の背中が、再び遠ざかってゆく。そうだ、おれは夢を見ていた。渋嶋に関わっただけで簡単に人を殺す政府。腐ってるんだ、この国は。変えなきゃいけないんだ。犠牲はおれだけでいいんだ。
「渋嶋さん!!」
 遠ざかる背中が、ぴたりと止まった。おれはもう、失うものは無い――
「おれを・・・・・・おれをレボリューションに入れてください!!」
 涙で曇った視界の中、渋嶋が歩み寄ってくるのが確認できた。そうだ、この国の視界も曇ってるんだ。鮮明な視界を見せてやらなきゃならない。戦争の先には何も無いことを。平和の先には、明日があることを。

『第五幕』



 鷲沢総理大臣は、自室のイスに座り非常に悩んでいた。鷲沢を悩ませている事柄は、二つ。一つは対中国戦争の情勢。悩んだ末に全面戦争に踏み切ったまでは良かったが、既に情勢は混沌としつつあった。中国はアメリカやイギリスなどの支援を受け、抵抗を続けている。このまま長期戦になると不利になる日本としては、支援を実力で断ち切るしかない。だが、果たして欧米列強に勝てるのか。いや、勝てるはずがない。だがその勝てるはずがない戦いを挑まなければ、永遠に平和は訪れない。
「全く困ったものだ」
 そうつぶやくと、ドアを叩く音が耳に入った。入ってきたのは部下の杉松だった。
「大変です、総理」
 杉松は挨拶も無しにいきなり言った。「レボリューションが復活しました」
 渋嶋栄吾――
 十二年前、初めて総理に就任した時、国内は平和だった。そのため各組織の活動は無いといっていいほど少なく、ほとんど耳にすることはなかった。だが、レボリューションだけは違った。ほとんど活動をしていないにも関わらず、渋嶋栄吾という男の噂は毎日のように聞いた。軍は全力を挙げて渋嶋を捜索したそうだが、結局見つからなかった。二年後、政府にレボリューション解散の報告が入った時、政府にいる誰もが胸をなでおろしたと言う。
「渋嶋か・・・・・・」
 第一次世界大戦の最中、あの歴史的事件を起こした男。日本軍が総力を挙げて探しても、その残像すらつかませなかった男。そして、命を賭して戦争を止めようとしている男――
「戦力は?」
「国務大臣の中川によると、解散時の組員五人のうち四人が居たそうです。まず藤尾五郎。奴は特攻隊長で、その確実に急所だけを仕留める戦い方から『鬼神』と呼ばれた男です。次に安藤慎介。ゼロ部隊によると、武器の改造や情報収集などを担当しているそうです。次に高岡修二。奴は医療担当です。昔、流れの医者をやっていたようです。そして最後に、渋嶋栄吾。レボリューションの最大の特徴である、軍人を超えた格闘術と巧みな戦略。それらを作り上げているのがこの男です。もともと父親の誠二(セイジ)が格闘術の原型を作ったのですが、さらに改良を加え現在の最強の格闘術に仕上げたそうです」
 たった四人。たった四人で渋嶋は、この国を変えられると信じている。そして現実に、あまりにも無謀な作戦を次々と成功させてきたのだ。
「総理。ゼロ部隊の出動を許可してください」
 ゼロ部隊。国内の反乱勢力を討伐するために、三年ほど前に結成された部隊。だが鷲沢はその実態をほとんど知らない。わかっていることは、存在を公にはできない部隊だということだけだ。なぜ公にできないのかはわからないが、軍部大臣に頼まれれば嫌とは言えなかった。
 ――本当は、許可したくない。だが、総理として許可せざるを得ないな。
「許可する」
 会ってみたい。鷲沢は純粋にそう思っていた。自分は、心では平和を願っていてもそれを行動に移す勇気は無い。だが渋嶋は違う。強い信念を持っている。
 ――ここまで来い、渋嶋。ゼロ部隊を倒し、ここまで来い。



「第一次大戦の時はどんな作戦をしたんですか?」
 清十郎は、藤尾と同室だった。早くレボリューションに馴染めるように、と渋嶋が配慮してくれたのだ。
「あん時は相当でかい作戦だったなあ。まあ要はさ、やっちゃったんだよ。総理を」
 あまりにも予想外の答えだったので、ぽかんと口をあけるだけで何も言えなかった。
「案外、総理官邸ってのは警備が薄いのさ。そこをおれたちは突いた。そしてもう一つ。建物の中じゃ、多人数は不利だ。少人数のおれたちに明らかに分があった」
 藤尾は感慨深げに目を閉じた。信じられない。そんなことをして、まだ生きていられるなんて。
「まあおかげで逃げるのはかなり難しかったけどな」と藤尾は笑った。
 あの日、おれは無事にレボリューションへの入隊を認められた。それから数日間渋嶋の治療が終わるまで待機した。その間、藤尾に格闘術の基本をみっちりと教えてもらった。そして本来の隠れ家に戻り、今も毎日訓練を受けている。
「あの、もう一つ聞いていいですか?」
「おう」
「おれ、レボリューションは日本最大の組織だって聞いてたんですけど・・・・・・」
 藤尾は「うむ」と軽くうなずき、考え込むような仕草をした。
「栄吾が継いだ時には間違いなく最大だったようだぜ。今はたったの五人だが、おれは最強だと確信してる」
 藤尾は自分で言って、自分で笑った。無邪気な笑顔。とても、死に直面している人間のものとは思えなかった。
 突然、部屋のドアが叩かれる音がした。ドアが開き、そこに姿を現したのは渋嶋だった。
「緊急事態だ。ちょっと会議室まで来てくれ」
 急に、全身の体温が奪われた気がした。緊急事態。一体何があったのか。
 木造の建物の中を歩き、会議室のイスに腰を下ろした。渋嶋は全員そろったのを確認すると、静かに切り出した。
「作戦変更だ。このまま作戦を開始すれば、おれたちは間違いなく殺られる」
 もともと作戦は、日本から中国の戦場へ送られる武器を輸送する船を出港前に襲撃し、輸送を止めるとともに武器を奪うというものだった。
「どういうことだ?」高岡が顔をしかめて聞いた。「何か問題でも?」
「ゼロ部隊が動き出した」
 瞬間、藤尾と高岡と安藤の顔が凍りついた。清十郎はそれが何なのかわからず、恐る恐る尋ねた。
「ゼロ部隊って・・・・・・?」
 渋嶋の眼から、光が消えた。いつかどこかで見た眼だ。確か、初めて会った時、あの山道で。
「ゼロ部隊は、この国が公式には存在を認めていない、反乱勢力を討伐する部隊だ。お前の母親たちを殺したのも、恐らくこいつらの仕業だ」
 おれが裁いてやる――
 あの日の憎悪が、再び清十郎の心の中で鼓動し始めた。ついに、ついにここまで辿り着いた。あの日から、もう二年以上が過ぎた。殺してやる、必ず、おれの手で。ゼロ部隊。その存在を、完全に闇に葬ってやる。
 ハッと我に返った。なぜゼロ部隊の話をする時、渋嶋の眼から光が消えたのか。なぜ藤尾たちの顔が凍りついたのか。まさか、まさか――
「ゼロ部隊の実態は・・・・・・おれの親父の代のレボリューションだ」
「そんな! そいつらの暴走は渋嶋さんの母親の死を境に止まったって言ったじゃないですか!」
「確かに止まった。だけどな、四年前、国際情勢を考え国内に気をとられている暇は無いと考えた当時の軍部大臣が、あいつらを集め、翌年、部隊を結成させた」
 安藤が渋嶋の言葉を継いだ。「レボリューションという盾を失ったあいつらは、徴兵制度に従わないただの反乱者に成り下がった。だが軍はやつらを上手く利用することを考えた。それがゼロ部隊だ」
 藤尾が続ける。「確かにあいつらはうってつけの人材だ。格闘術を会得しているし、何よりおれたちについて詳しく知っている」
「で、栄吾。どうするんだ?」
 高岡が尋ねた。渋嶋は皆の顔を一瞥すると、すぐに答えた。
「国際情勢を考えるとゼロ部隊に構っている暇は無い。だが、ゼロ部隊は必ずおれたちの前に立ち塞がるだろう。そうなれば答えは一つしかない」
 藤尾はニヤリと笑った。
「ゼロ部隊をぶっ潰して、政府も潰すってことだな?」
「その通りだ」
 まだ格闘術は基礎中の基礎しか会得できていない。だが、やるしかない。過去に決着をつけ、その先にある平和を手にするために。

 その日の夜遅く、清十郎はふと目を覚ました。隣を見ると、藤尾はまだ熟睡している。夜風にでも当たろうかと思い、寝室を出た。
 レボリューションは一体いくつ隠れ家を持っているんだろうか、などと思いながら広間に行くと、渋嶋がイスに座って考えごとをしていた。
「渋嶋さん、まだ起きてたんですか」
「ん、ああ、なかなか寝つかなくてな」
 おそらく明日の作戦について考えているのだろう。作戦を変更すると言っただけで、まだ詳細は明かされていない。
「あの」
 渋嶋と二人きりになるのは、あの山道以来だった。今なら緊張しないで聞ける。ゼロ部隊について、渋嶋の想いについて。
「渋嶋さんは・・・・・・ゼロ部隊が憎くないんですか? 母親を殺し、年月を経て再び渋嶋さんの前に立ちはだかろうとしている、ゼロ部隊が」
 渋嶋は茶をすすった。少しの沈黙の後、静かに言った。
「感情など、とうの昔に置いてきた」
「・・・・・・え?」
「今はまだお前にはわからん。そのうち分かるさ」
 渋嶋はそう言うと、立ち上がり寝室の方へ歩き出した。途中、振り向いて言った。
「この茶、やるよ。温かいぞ」
 清十郎は、去ってゆく背中を見ながら、茶をすすった。温かかった。人の温もり。優子たちを思い出した。
 ――おじさんとの約束、おれは忘れていない。
 いつか、共に酒を飲める日が必ず来る。その日までおれは戦い続ける。その日まで、優子たちのことは忘れていよう。
「母ちゃん」
 そしてまた、母の温もりも思い出していた。もう何年も感じていない母の温もり。そしてそれはもう感じることはない。
 泣いていた。母ちゃん、母ちゃん。一人でつぶやき続けた。失われた二年間を、取り戻すかのように。


『第六幕』



 作戦当日の朝、清十郎は藤尾に叩き起こされた。
「おう、いつまで寝てんだ少年。起きろいっ!」
 ああ、いいな。ずっとずっと、こんなふうに仲間たちと暮らしてゆきたい。藤尾の笑顔を見ながら、そう思った。
 ――いつか、そういう時代が来るのかな。革命とか、戦争とか、そういう目的無しで、人間同士がつながる時代が。
 藤尾にうながされながら、会議室に入った。すでに他の組員は着席している。
「おう、来たか」
 渋嶋は清十郎と藤尾を認めると、すぐに切り出した。
「本日の作戦の詳細を説明する。まず昨日まで実行しようとしていた作戦を、仮にA作戦と呼ぶことにする。今までのおれたちの作戦が一度も敵に読まれたことがないように、このA作戦も気づかれないはずだ。だが現実は違う。ゼロ部隊は既にこのA作戦を察知し、戦力を集結させているらしい」
 清十郎はこの時点で疑問を持ったが、最後まで待つことにした。
「わかるわけがないんだ。いくらゼロ部隊とは言え、わかるわけがないんだよ。例えば――」
 渋嶋は安藤慎介の方を向いて静かに言った。「この中に裏切り者がいない限りはな」
 一同は思わず声を出しそうなくらい驚き、慎介を見た。慎介は嘘を並べたてようとはせず、急に立ち上がり叫んだ。
「うるせえよ栄吾っ・・・・・・お前におれの気持ちがわかるのかよっ! おれが作戦の情報を集めるために、どれほど神経をすり減らしてると思ってる? おれの情報が間違えば、おれたちは死ぬ。その重圧の中で情報を集めるおれの気持ちがわかるか!?」
 いつもの冷静で綺麗な言葉づかいの慎介は、そこにはいなかった。そこには一人の人間の本音しかなかった。
「もうたくさんなんだよ・・・・・・人の生き死にに直結する情報ばかり集めるのは・・・・・・いつになったら終わるんだよ、栄吾。おれたちの活動はいつになったら終わるんだよ? 第一次大戦の時だって、あんな狂った作戦をしても結局歴史は変わらなかったじゃないか。こんな無意味な作戦をいつまで続けるんだよ!」
 渋嶋の額に一筋のしわが生まれた。だが、口は開かない。渋嶋は黙って慎介を見据える。
「ああそうさ、おれは裏切ったさ。ゼロ部隊からA作戦の情報を受け取り、お前に教えたさ。だがな、栄吾。勘違いするなよ。おれは金なんか受け取っちゃいない。そんなもののためにお前たちを裏切ったわけじゃない。これはおれの意志だ。どうせ日本は負ける。おれたちが何をしようとな」
 慎介は荒げた呼吸を整えると、静かに着席した。渋嶋より先に、高岡修二が口を開いた。
「お前の裏切りを許すわけではないが」
 修二は渋嶋の方を向いて続けた。「栄吾、おれもお前に聞きたかった。いつになったら戦いは終わる?」
 渋嶋は「ふっ」と苦笑して立ち上がり、全員に向けて最後の命令を発した。
「これが最後の作戦だ。本日二十時より、B作戦を開始する。詳細は・・・・・・」
 詳細を聞き、修二は決意の表情を浮かべた。慎介は驚きを。藤尾の表情は、読めなかった。

 会議が終わり組員たちが部屋を出て行った後、清十郎は渋嶋に声をかけた。
「あの、渋嶋さん」
「どうした」
 聞きたいことは山ほどあった。その中から一つを選択し、渋嶋に告げた。
「何故ゼロ部隊の動きがわかるんですか?」
 渋嶋は鼻で笑った。
「そんなことか」
 そしてズボンのポケットから札を一枚取り出した。五百円札。「金を使って浮浪者や情報屋を使っている。政府など、様々な場所にいるんだ。おれの飼い犬がな」
 なるほど、と思った。新聞でよく、最近の戦争は情報戦だと書かれているが、まさにその通りだと思った。他にも色々と聞きたいことがあったが、ほぼ今の答えで解決された。
「あ、作戦は二十時開始ですよね。ちょっと出てきてもいいですか?」
「どこへ行く」
「お世話になった人の家です」
 この作戦で、おれは生き残れないかもしれない。最後に会っておきたい。優子とおじさんに。
「念のため、十八時には帰ってこい」
 わかりました、と言い早速向かおうとした。その背中を、渋嶋に呼び止められた。
「清十郎、頼みがある」
「何ですか?」
 渋嶋は表情を変えず、静かだがはっきりとした口調で言った。「もし――」
「もしおれがこの作戦で死んだら、おれの骨を広い海に流してくれないか」
 えっ、と叫びそうになった。あの渋嶋栄吾が、死を口にしたのだ。
「・・・・・・藤尾さんたちがいるじゃないですか」
「おれが死ぬとき、恐らくもうあいつらは生きていない」
 死。生命の終わり。嫌だ、嫌だ。せっかくまた生きがいを取り戻せたんだ。レボリューションは最強で、絶対に死なないんだ。渋嶋栄吾は、死なないんだ――
「・・・・・・縁起でもないこと言わないでくださいよ」
 清十郎は走った。皆、人間。いつかは必ず死が訪れる。死にたくない。だけど、命を賭して戦わなければならない。日本軍では『カミカゼ』と呼ばれる人間魚雷が使われていると聞いた。彼らはその誇りを胸に、国のため、家族のために散ってゆく。彼らも本当は死にたくないはずだ。だが、自分の命で大勢の命が救えるなら、おれも死を選ぶ。だからこの作戦に参加する。死んだ母のため、そしてこれからこの国で生きてゆく全ての人々のために――



 ゼロ部隊、本部――
 軍部大臣である元定(モトサダ)は、目前に迫るレボリューション討伐作戦に関して、大きな不安を感じていた。最初は些細なものだったが、それは少しずつ増大していった。
 いてもたってもいられなくなり、こうしてゼロ部隊の本部を訪れたというわけだった。
「おい、君」
 入り口に立っている二十歳くらいの男に、声をかけた。「真島を呼んでくれないか。元定という名前を出せばわかるはずだ」
 男は元定をしばらく見定めた後、「お待ちください」と言って奥に向かって行った。
 ――今の男、良い眼をしていたな。暗くて、鋭くて、冷たい眼。とても私には真似できない。
 なぜか興味がわいてきた。あんな眼を見たのは初めてだった。今まで数え切れないほどの人間の眼を見てきた。今から死にゆく者の眼。家族を全て失った者、一家の大黒柱を戦場に連れて行かれた者――
 だがあの眼は、そのどれにも該当しなかった。暗い。果てしなく暗い。あの男が何を背負い、何を想い生きているのか。知りたい。
 少しして真島だけが来たので、あの男のことを聞こうかどうか迷った。いくら隊長とは言え、部下の過去について知っているかどうかは疑問だったからだ。
「よう、真島」
 真島正志(マジマ マサシ)。元レボリューション副総長にして、渋嶋栄吾の母親を殺した男。若くして渋嶋に才能を見出され、若干二十歳にして副総長に就任したものの、二年後、渋嶋は死亡し、レボリューション内紛が勃発した。
「何の用ですか元定さん。作戦はもうすぐなんです。邪魔しないでくださいよ」
 真島は苛立ちを込めた口調で言った。それもそのはず、最終確認はしつこいくらいしたからだった。
「すまん。一つだけ、気になることがあってな」
 元定は日に日に増してゆく不安を吐き出した。
「安藤慎介のことなんだがな・・・・・・お前の読みとやらは、『渋嶋は安藤の裏切りに気づき、作戦を変更する。その作戦とは第一次大戦の時の作戦を踏襲するものだ』だったよな」
 真島は自慢げにうなずく。「ああ、その通りです。あいつは誰もが予想し得ないことを常に実行する男だ。まさか再び総理官邸に侵入するなど、誰も考えない」
「そこだよ」
 元定は語気を強めた。
「そこなんだよ。誰もが予想し得ないことを実行する男が、お前が予想できることを本当に実行するのか?」
 真島は怒りをあらわにした。
「何が言いたいんです?」
「お前を侮辱しているわけではない。ただ・・・・・・」
 元定は過去を振り返るかのように、目を細めた。「渋嶋栄吾はこの国の最重要危険人物だってことを、忘れてはいけない」
 返事を待たずに元定は歩き始めたが、二、三歩で一度振り返った。
「おっと忘れていた。真島、一つだけ聞かせてくれ。知らないなら知らないでいい」
 真島は黙っている。
「さっき見張りをしていた男、あいつ何者だ?」
 真島は、そんなことか、と言うような表情を浮かべ、つぶやいた。
「『渋嶋狩り』で拾ってきたただのガキっすよ」
 渋嶋狩り。その異常さゆえに、元定が覆い隠している作戦。政府の人間がこの作戦を知ったら、どう思うだろうか。渋嶋に関わった人間の家族や友人を全て奪う。昔の元定は何のためらいもなく容認した。だが、今は違う。泥沼の日中戦争、そして米英戦争にまで突入しようとしているこの国の有様。それを見せつけられた今、果たして渋嶋にそこまでする必要があるのだろうかと思う。非道の限りを尽くしても、渋嶋は戦い続けるのだから。
「そうか。それでは、健闘を祈る」
 元定は再び歩き始めた。今にも崩れそうな日本という地盤を、一歩一歩確かめるかのように、強く踏みしめながら。



 思ったより、優子たちの住む町には早くついた。清十郎は急いで優子の家のドアを開けた。
「はぁっはぁっ・・・・・・」
 ちょうどちゃぶ台で、遅い昼食をとっている所だった。母親は「あらまぁ」と言い、優子は驚きのあまり声を出せずにいる。
「優子・・・・・・」
 来る前から決めていた。下手に長居すれば、悲しくてたまらなくなるから。
「悪い、また行ってくるわ。元気でなっ!」
 そう言って家を飛び出したが、家の前で立ち止まった。優子がすぐに後を追ってきた。
「いきなりきて、いきなり出て行って・・・・・・意味わかんない!」
 苦笑する優子の眼に一筋の悲しみが宿っていることを、清十郎はいち早く察知した。
「悪いな、情が移る前に行こうと思ってさ。それより・・・・・・親父さん、もしかして・・・・・・」
「そうよ」
 優子はさらりと言ってのけた。「呼ばれたわ、戦場に」
 ――また果たせなかった。おれはまた約束を果たせなかった・・・・・・
「くそっ!!」
 清十郎はやり場のない怒りをあらわにした。おれは嘘つきだ、大嘘つき野郎だ。
「ねえ清十郎・・・・・・」
 優子は不安げな表情で言った。「あなただけでも、生きて帰ってきてね。じゃなきゃ私、もう生きていく自信が無い」
 おれだって、生きて帰れるものなら生きて帰りたい。だけど――
「約束は、できない」
 清十郎は歩き始めた。「おれは大嘘つき野郎だからさ」
 優子は涙を流し、清十郎の背中に言葉を投げかけた。
「死ぬことはかっこ良くなんかないっ!!」
 ――死ぬときくらい、このダメダメ野郎にかっこつけさせてくれよ。
 清十郎は走り始めた。おれは命を賭して戦う。たとえその先に、死が待っていようとも。

2005/02/12(Sat)09:25:56 公開 / 流浪人
■この作品の著作権は流浪人さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
忙しい時間が続いたのですが、ようやく第六幕をアップすることができました。さて、この物語はいよいよ次回・最終幕を迎えます。今まで応援してくださった卍丸さん、影舞踊さん、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。それでは感想・批評などお待ちしております!

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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