『愛と憎しみの狭間(読みきり)』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:九邪                

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1.



 もう起きなければいけないという衝動に駆られ私は目を開けました。照明の光で目が眩みましたが、しばらく立てばそれも直りました。どうやら私はベットの上に寝ているようなので、上半身を起こしました。すると、目の前に一人の男が立っていて、私に話しかけました。
「おはよう」
「……おはようございます」
 その男の声は不思議な威厳に満ちており、私は彼に絶対に逆らってはいけないとなぜか思いました。
「予定より時間がかかったが、まぁいいだろう。さて、着いてきなさい」
 男は踵を返し後ろにある階段をのぼっていきました。この部屋に窓はなく、周りは壁、しかも階段があります。という事はどうやらここは地下室のようです。
 私は言われたままに男の後ろに着いて行きました。
 階段を上がると先ほどの地下室とは打って変わってそこは明るく柔らかい光に満ちていました。男は階段を上がった場所の近くにあるソファーに腰掛けていました。
「君は自分が何なのか理解しているかい?」
「あなたの世話をするために作られたロボットです」
 男は私の返答に納得し、こくんと頷きました。
「では、僕は誰だ?」
「私のご主人様です」
「よし」
 ご主人様はソファーから立ち上がり、私の方へ来ました。
「君にはこれから僕の身の回りの世話をしてもらう。まぁ、要は家事なんだが。君にこの家について何か知識はあるかい?」
 私は頭の中に組み込まれているコンピューターに検索をかけ、知識を取り出しました。
「標高一五〇〇メートルの山の上の一軒家です。麓の町まで誰一人人間は住んでいません。庭の畑で採れた野菜、家畜を調理し食事にします」
 ご主人様はまた頷きました。
「その通りだ。あと、君のコンピューターに登録していない事を今から説明する」
 ご主人様は立ち上がり、数歩ほど離れたところにあるドアの前で歩きました。
「まず、このドアは少し引っ掛かりがあって開けにくくなっている。無理に開けようとせず、下のほうを軽く蹴るんだ。すると開く。」
 私はコンピューターに登録をしました。
「次に僕は毎朝七時に起きるのが日課だ。それ以上早く起こさないでくれ」
「それ以上遅くは駄目なのですか?」
「それくらい言わなくてもいいだろう」
「はい分かりました」
 本当は何のことか分からなかったけれど私は取り敢えず分かったと言っておきました。
 次にご主人様はリビングに掛けてある時計を指差し
「あの時計は十分ほど遅れている、これはわりと重要な事だ。覚えておくこと」
「なぜ直さないのですか?」
「変わらずそこに有る物を歪めてしまうのは失礼だろう?」
「私には分かりません」
 ご主人様は笑って私に言いました
「いずれ分かるさ」
 どうもご主人様の言う事は意味が分からない事が多いです。これから覚えていかなくてはなりません。



 私が目覚めてから一日目の朝です。六時五十九分に起きた私はご主人様を起こしにご主人様の部屋に向かいました。二回への階段を規則良い調子で上がり、ご主人様の部屋の戸をニ三度叩きました。昨日、ご主人様に起こすときはこうしてくれと言われていたからです。
 次に私は庭の畑へと向かいました。畑に水を遣るためです。玄関口にある水道からジョウロへ水をいれます。満タンになったジョウロは思いのほか重く、私はよろめきました。どうしてご主人様は私にもっと力をつけてくれなかったのでしょうか、と思いました。庭の畑の野菜たちは一晩経ち少し元気がないようでした。満遍なく水をかけてから、倉庫へ向かい今日の朝食に使う野菜を取り出しました。
 次に牧舎へ向かいました。鶏、豚、牛の三つに分かれています。それぞれに水と餌を分けてから今日の朝食を再び考えました。
「今日は鶏にしましょうか」
 何の根拠もなく決め、私は鶏の小屋に入りました。手に少し餌を持って近づくとなんと鶏は自分から私に向かってきました。自分から殺されに来るなんて愚かすぎます。そんなことを思いながら一思いに鶏の首をひねりました。

「……朝から肉かい?」
 ご主人様はテーブルに並べられた食事を見て、露骨に嫌そうな顔をしました。
「いけませんでしたか?」
 ご主人様は椅子を引き、座りました。
「極力、家畜は殺さずに食事を作ってくれないかな?」
「何故ですか?」
「あまり他の生物を殺して食事を取るのは好ましくない」
 私にはご主人様の言ってることが分かりませんでした。
「あの物達は“家畜”です。大げさに言えば殺され、食べられるためにあるのですよ?」
 ご主人様は私を睨んでいるような気がします。
「君にはまだまだ知るべき事があるようだね」
 そういってご主人様は野菜のサラダを食べ始めました。
「名前を教えてくれませんか?」
 私は思い切って尋ねました。なぜかご主人様に話しかけたかったのです。
「……×××だ」
 ご主人様は何か言いましたが私には良く聞き取れませんでした。仕方がないのでこれからもご主人様と呼ぶことにしましょう。




2.


 私が目覚めてから一週間ほど経ちました。大分ご主人様の世話にも慣れ、あまりご主人様を困らせる事はなくなったと思います。
 私がいつものようにご主人様を起こしに行くと
「おはようございま……」
 そこにご主人様の姿はありませんでした。
 次の瞬間私の目の前にご主人様の顔が現れました。ご主人様は天井からぶら下がる変な格好でいます。昨日はどんな寝かたをしたのでしょう?
「つまらないな。驚かないのか?」
「何にですか?」
 ご主人様は少し不機嫌な顔になりました。
「おかしいな。君にはちゃんと感情をつけたはずなのに」
「私に感情などありません」
 私はご主人様のお手伝いをするただの機械です。そんなものあるはずないのです。あると何かとお困る場合のほうが多いとも思います。
「いや、きっとある」
「ありません」
「あるといったらあるさ」
「ありませんッ!!」
「……プッ……ハハ…ハハハハ」
 ご主人様は突然笑い出しました。何故でしょうか。
「今、むきになったね?」
 私はハッとしました。
私は下に俯きました。顔が熱くなる様な感じがします。
「ほら。今、照れてるだろ?」
「……」
 私は何も言い返せませんでした。
「それが感情さ」



少し前にご主人様に注意されて以来、家畜を殺すのは避けるようにしています。いつ家畜をとればいいのか分からないのでご主人様に言ってもらうことにしています。
ある日、ご主人様が私を牧舎に呼びつけました。
「なんでしょうか?」
「見てごらん」
 牧舎の中を見ると、牛が苦しんでいるように見えました。何故牛が苦しんでいるのを見なくてはいけないのですかと聞いたところ、
「牛が子供を産もうとしているんだよ」
「牛が牛を産むのですか?」
 私には何のことだか分かりませんでした。
「そうだよ」
 そう言ってる内に母牛から徐々に子牛が姿を現しました。
「動物は……動物を体内で創り出せるのですか……。不思議なものです」
 私はその牛をじっと見ていました。子供が母親の体内から姿を現し始めました。私はその光景が信じられませんでした。私の生まれた場所は薄暗い地下室であり、他人の体内から生まれるなど信じられないことなのです。
「そんなの当たり前の事だよ」
 わたしを見るご主人様の目が優しいような気がします
「これでも君はこの物達が“殺され、食べられるためにある”と言えるかい?」
「……」
 この前までただの動く肉にしか見えなかったものが、今ではとても神聖な物に見えます。私とは違う、生きている物。
「そんな事は……とても言えません」
「よろしい」
 ご主人様は今まで見せた中で一番優しい笑顔をしました。私はそれがとても嬉しかったのです。
 そのあと、二人一緒に畑まで行きました。ご主人様が私の仕事振りをチェックしたいと言ったからです。その途中、桜の木が目に入りました。
「もう少しで満開ですね」
 花はまだ八分ほどしか咲いておらず、私の目には物足りずに映りました。しかしご主人様はこう言いました。
「いや、今の状態が一番美しいんだよ」
 私には分かりませんでした。どう考えても満開のほうが八分咲きより綺麗に決まっています。
「いずれ分かるさ」
 最近気付いたのですがこれはご主人様の口癖のようです。今まで何度となく聞いた言葉です。聞いているうちに私もこの言葉が好きになりました。とてもいい響です。
 畑に行くとご主人様は訝しげな顔をしました。
「ここあまり水がかかってないね」
 ご主人様が指差した場所は確かに少し乾いたような地面でした。
「全ての場所に均等にかけましたが?」 
 これは間違いないことです。
「じゃあ、この場所は土が乾いていたんだろう。対照的にここは昨日の水が残っている。だから水が多すぎるようだね。均等にかけるのも大事だけれどその場に応じた臨機応変も大事だよ」
「分かりませんが分かりました」
「何だい、それは?」
 ご主人様はとてもおかしそうに笑いました。




3.


 私が目覚めて三週間が経ったある日、ご主人様がとても深刻な顔をして地下室から上がってきました。青いと形容しても言いぐらいの顔色の悪さでした。
「どうしたのですか? 顔色が悪いですよ」
 私がそう言っても「そうかい?」と言うだけでした。
 今朝の献立はキャベツとトマトのサラダでした。ご主人様の好物です。しかしご主人様はそれすらも手付かずの様子でした。
「本当にどうしたのですか? 何なりと言って下さい。そのために私はいるのですから」
「本当になんでもないんだよ」
 ご主人様は弱々しい笑みを浮かべ、そう言いました。
 今日の晩久々に肉料理にしようとご主人様に許可を取り、牧舎へ向かいました。牛肉料理にしようと思い、牛の小屋へ向かいます。その時、どの牛を殺そうか決めかねている自分に気付きます。自分でも驚きでした。牛を殺すのが、嫌でした。しかし、ご主人様に料理を食べてもらい元気を出してもらうため私は一頭の牛を外に出しました。
「ごめんなさい……」
 私は何度も謝りながら牛を殺しました。私の目から涙がこぼれました。こんな機能も付いていたんだと思いました。
 少し前までは何も気にせず牛を殺していたのに、今ではこんなにも悲しくなりました。これは全てご主人様の力です。ご主人様と接する内に私は変わりました。私に“感情”というものを与えてくれたご主人様には深く感謝しております。もう愛と呼べるかもしれません。しかし、ご主人様が“感情”を与えてくれなければこんな悲しい思いはしなくても良かったのではないかと思うことがあります。しかし、それは感謝の十分の一にもすぎない小さな気持ちです。
 帰って早速それを調理しました。ステーキにしてみました。昼食の時は顔色は少しは良くなっていました。ご主人様はテーブルに付き、ゆっくりとそれを食べ始めました。
「君に……言っておかなくてはならない事がある」
「なんでしょうか?」
 ご主人様は何度も躊躇いながらついに言いました。
「僕は三日後の正午に死ぬ」
「……なんと、おっしゃいましたか?」
「僕は三日後に死ぬ運命にあるようだ」
 信じられないことでした。ご主人様が死ぬ? なぜ、一体どうして?
「地下にある機械で僕を調べてみたんだ。すると僕は三日後の正午に原因不明だが確実に死ぬらしい」
「原因不明?」
「ああ。だから手の施しようがない。恐らく病気だ」
 私はまだ信じられませんでした。きっと何かの手違いです。そう、すがる様に祈っていました。
「最近、体の調子が悪いような気がしてたんだ。だから調べてみた。そうしたら……」
 今朝、ご主人様の顔色が悪かったのはそのためだったのでしょう。
「すまない、今は一人にしてくれないか」
 ご主人様の言うとおり、私はその部屋から出ました。
 ご主人様が死ぬ? 原因不明の何かで? そうしたら私はどうなるのですか? あなたは私を独りにしてしまうのですか? あなたが私を作り出しておいて、あなたが先にいなくなるのですか? そんな理不尽な事がありますか?
 その時、私の中で何かが弾けたような気がしました。それは今まで私の中にあったとても小さな小さな黒色の物です。いままではそれをご主人様への愛情で押さえてきましたが、ついに耐え切れなくなりました。
 私は狂っていきます。




4.


 ご主人様が死ぬと分かった次の日。私は目覚めました。ご主人様を起こさなければと思い、慌てて部屋へ向かいます。
 昨日の晩感じた私の中の何かが狂ったような感覚。それは今はなんともありません。一晩経って収まったのか、清々しい気分です。今となって考えるとあれは怖気がするような感覚でした。何故あんなことを思ったのでしょうか。私は自分に身震いしました。
「ご主人様、朝ですよ」
 そう言い終るとご主人様はすぐに出てきました。いつもとあまり変わらない様子です。私は安心しました。
 私はいつものように食事を作り、いつものようにそれを運びました。ご主人様は「ありがとう」と言ってくれました。
「あと二日、か」
 その時私の胸がちくりとしました。あのときのような感覚です。一体何なのでしょうか。ご主人様のために作った料理は昨日とは違い、綺麗さっぱり空になりました。嬉しかったです。私が食器を洗っている時、ご主人様は口を開きました。
「僕が死ぬと分かった時、」
 私はドキッとしました。
「正直絶望したよ。僕はまだ生きたい、って」
 私は黙っていました。
「けど、受け入れることにしたんだ。運命なんだからね」
「悲しい……運命ですね」
 そう言ってる私も悲しくなってきました。
「大丈夫だよ」
 そういってご主人様はニコリと笑いました。何が大丈夫なんでしょうか。
結局、私の中のあの黒い物は現れませんでした。私はあの感じが怖いのです。私が私じゃなくなってしまうような感じ。
 そんな私の不安をよそに時間は流れました。とうとうご主人様の運命の日が来ました。




5.


「ここで最後を迎えようと思うんだ」
 ご主人様はいつも座っているソファーに座りました。とうとうこの日が来ました。あと五時間でご主人様は死んでしまいます。一体何が原因で。
「やはり病気なのでしょうか?」
「そうかもしれない。違うかもしれない。いずれにせよ、あと数時間で分かるさ」
 ご主人様の死とともに、ですね。
 朝ごはんはご主人様はいいとおっしゃいました。今日で死ぬのだからそんなもの必要ない、と。
 時間は刻一刻とすぎていきます。まるで誰かが秒針を手で回したと思うほどあっという間に時間は過ぎてしまいました。その間、私は様々な事を考えました。生まれた日のこと。今までのこと。ご主人様に抱いていた感情のこと。それを考えた時、また胸が痛みました。
「あと一時間だね」
 その声で私は現実に引き戻されました。もう一時間しかないようです。
 私は果物でも剥こうかと思い、台所に向かいました。ご主人様はいいと言いましたが、最後の日くらい何か食べるべきです。
 あと、一時間でご主人様は死ぬ。私を置いて……。
………なぜ? 病気? そんなものでご主人様は死んでしまうのですか? あなたが作っておいて、わたしを独りにするのですか? そんな理不尽な事があっていいのですか? あっていいはずがないではないですか! 
 私は果物を剥こうとして握った包丁をぎゅっと握りしめました。
 胸の鼓動は高まっていき、私は破裂しそうでした。
病気……。そんなもののせいで死ぬならいっそ……! そう考えた時、またあの感覚に襲われました。自分の中が狂っていくような感覚。私が私じゃなくなるような。
病気なんかのせいで死ぬくらいならいっそ――


――私が殺してあげます



「遅かったね」
「はい、ちょっと……」
リビングの時計を見ると時刻は十一時四十五分。まだ時間はありました。ご主人様、あなたは死ぬのは運命とおっしゃいました。自分は今日の正午に死ぬ運命と。ならば私が変えてあげましょう。正午になる前にあなたを……
「ご主人様」
 ご主人様はこちらを向きました。驚くくらい穏やかな顔をしていました。それを見たとき少し決心が揺らぎましたが何てことはありませんでした。
「あなたは私を作ってくださった。とてもとても感謝しています。いえ、愛してさえいます」
「……」
「しかし、あなたは死んでしまう。私を置いて。それはあんまりではないですか?」
 私は吐き出すように胸のうちの黒い物を出しました。ご主人様は黙って聞いていました。
「……」
「ご主人様、あなたは病気で死ぬとおっしゃいました」
「ああ、恐らくね」
 ようやくご主人様が口を開きました、
「ご主人様、あなたは正午に死ぬ運命だと言いました」
「ああ、間違いない」
「私がそのどちらも変えてあげます――」
 私は背中に隠し持っていた包丁を取り出し、一思いに目の前の男に突き刺しました。変な感触がした次の瞬間、目の前に赤い花が咲きました。それが顔にかかり、私は自分と同じ鉄の匂いを感じました。
 リビングの時計を見ますと時刻は十一時五十分。運命は変わりましたよ、ご主人様。
 私は妙な高揚感に包まれ、思わず高笑いをあげてしまいそうでした。私はこの手で殺したのです。私が愛した男を。しかし、これでよかったのだと思っていました。病気でなんか死ぬくらいならこの方が。
「…ちょ‥ど……だ…」
 驚いたことにご主人様は荒い呼吸の中、何か言っていました。人間は呼吸が停止しても少しは生きていられると聞いたことがあります。私はご主人様の口元に耳を近づけました。
「…ちょうど……正午…だ」
 ご主人様は気でも狂ったのでしょうか。いきなり今は正午だといいました。いきなりの事に私は動揺を隠せませんでした。
「な、何を言って」
 その時私はハッとしました。今まで私が確認に使っていた時計はリビングの時計。リビングの時計は“十分遅れている”のでした。私が一番初めにご主人様に教わった事です。つまりは今は、正午ちょうど、です。
「そ、そんな……運命は変えられなかったのですか」
 私は、その場に力なくうな垂れました。
「そうだ……君が‥僕を、殺すと……いうこともね」
 これに私はまた衝撃を受けました。
「ご主人様の死の原因は最初から……私だったのですか?」
 ご主人様はコクリと頷きました。
「運命は……誰にも…変えら‥れないよ…」
 ご主人様は勝ち誇ったようにニヤリと笑いました。
「嘘です! 私が殺すと分かっていたら手の打ちようがあったではないですか!」 
 そう、わたしを壊してしまえばよかったのです。
 ご主人様はニコッと笑って何かを語り始めました。
「僕は……伝染性の‥病気を……持って、るんだ…」
 ご主人様の話は続きました。
「だか、ら僕はすぐに…隔離されたんだ。……そう、ここに‥ね。…僕はずっ‥と独りだった。……だから…努力の末に君を…‥作ったんだ。僕は…君を……ロボットだなんて…思っていないよ。……そんな軽々‥しく壊せるはず……ないじゃ、ないか……」
 ご主人様は荒い呼吸の中で一言一言言っていきました。それを聞いていく内に私の中で後悔の念が溢れていきました。あの黒い物はもう私の中のどこにもありません。
「ねぇ……今まで……楽しかったよ、初めて…誰かと、触れ合え、たんだか…ら。君を…この世に生み出して……本当に……」
 その時ご主人様の生命活動が停止しました。
 ご主人様は動かなくなりました。私はしばらく呆然としていました。そしてそのあと滝のように涙があふれ出ました。ご主人様の体にすがりつき、泣き、喚きました。自分のした愚かな事を恥じて。
 一通り泣き終えたあと、地面に落ちている包丁を拾いました。
ご主人様、私はあなたを身の回りの世話をするために生まれたのですよ? それなのにこれでは何も出来ないではないですか。分かっています、あなたが戻ってこれない事は。だから……だから私が行けばいいんですね?
私は手に持った包丁で一気に胸を――












「おい知ってるか?」
 男が前に歩いている男に話しかける。
「あそこの山ん中に小屋が建っててよう、中で女が眠ってるらしいぜ」
 男は全欧に見える高い山を指差した。
「女〜?」
 前の男は疑うように聞き返した。
「嘘だろ?」
「本当だって。俺の向かいの家の奴が迷い込んだ時偶然見たらしいぜ。隣町の奴も、その隣も、しかもここの町長も見たことあるんだってよ」
「本当か。けどそれって死んでんじゃねぇの?」
 男はまだ、疑うように男を見ていた。
「いや、そのおんなは全然腐ったりしてないらしいぜ。生きてるとしか思えないほど瑞々しい肌なんだとよ。ただ服装がボロボロらしいけど」
 男は続けた。
「しかもよぅ、不思議な事に皆、見た女の容姿が一緒なんだぜ?」
 男は呆れながら
「当たり前だろ」
 と言った。
「最後まで聞けって。隣町の奴は五年前、その隣は十年前、町長に至っては六十年前に見たって言うんだぜ」
 男はその言葉の意味を理解し青褪めた。
「じゃあ、その女ずっと年取らないで眠ってるってのか? 化物じゃねえか……!」
「ああ、そういうことだな」
 二人は高くそびえ立つ山のほうに顔を向けた。山はいつもと変わらず優雅で美しい。
「まぁ、触らぬ神にたたり無しって言うし、ほっときゃいいだろ」
「ああ、変わらずそこに有る物を歪めてしまうの失礼だもんな」
 男は不思議そうな顔で男を見て、尋ねた。
「なんだそりゃ?」
「俺の村のことわざだよ」
「へぇ……」






――山の奥の木に囲まれた小さな家で、二人は明日も明後日も安らかに眠る。







2004/12/03(Fri)16:48:27 公開 / 九邪
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■作者からのメッセージ
どうも九邪です、こんばんわ。この長めの話をここまで読んでいただきありがとうございます。
授業中に衝動的に思いついた作品です。いかがでしたか? ぜひ感想等お願いします。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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