『少年』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:藤崎                

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 ぼんやりと、冷たい部屋を浮遊するタバコの煙を見つめる。
 窓から入る夕陽の名残に、部屋の埃と、吐き出す煙が舞う。
 この部屋と俺にはすっかり染み付いた、タバコの臭い。
 何もかもが灰色に見える俺の目に映る、昨夜の、名前も知らない奴等とのパーティーの後。空のビール缶。女の残り香。
 妹の狭柚(さゆ)は、この部屋に入る度にまず顔をしかめる。そして言う。『お兄ちゃん、少しタバコ控えた方がいいよ』。
 初めて吸った時には、苦しさに咽こんだ。
 自分が普段吸っている空気がどれだけ美味いものか、身に染みた。
 あの時は、今後絶対にこんな物吸うものかと、心に決めたはずなのに。
 今じゃ、完全なる中毒者だ。
 制服の胸ポケットには、随時仕込ませているし、それがないと落ち着かない。俺の、何よりの相棒。
 嬉しい時は必ず、何もする事がない時でも、不機嫌な時でも、はらわたが煮えくり返る時でも、気づけばそれをくわえている。
 煙を吐く時は、自分の中の卑しさ、汚さ、弱さとか、そんな物を一緒に吐き出す心地で。
 立てた片膝の上で休ませるタバコを持った左手が、冬の空気の中でひどく痛む。
 喧嘩なんて珍しくない。
 俺はいつも、相手と遊ぶようなつもりで殴り合う。けれど途中で、いつの間にか本気になっていることもある。
 それなりに殴られてやって、それ以上に殴り返す。
 中一の時から、喧嘩を吹っかけられることはしょっちゅうだった。
 やたらと年上に絡まれる。
 一体何が原因か。容姿か。態度か。醸し出す雰囲気か。国籍の違う母親譲りの金髪と瞳の色か。
 どれが理由だったとしても、俺には理解できない。
 電気もつけない、暗い部屋。
 下では親が、きっと夕食の準備に取り掛かっている。
 何故人間は、それも俺の年くらいの連中は、自分達と少しでも違う者を排除しようとするのだろうか。
 皆同じ鳥籠の中で、同じように鳴いていて気持ちが悪くならないのか。哀しくならないのか。
 そう考える俺を、奴等が理解できない以上に、俺にはそちらの方が理解しがたい。
 皆同じで、何が楽しい。何が嬉しい。自分というモノを持ちもしないで、何故笑っていられる。
『お前ら、動物園の猿と一緒だな。必要以上に仲間意識だけが高い。そのクセ、やばくなったら仲間なんてすぐに捨てる』
 偶然、俺の虫の居所が悪かった。
 ただ、それだけのことだ。たったそれだけのことで、奴等は全治三週間という怪我を負ったらしい。
 灰色の町で、俺は奴等を殴り続けた。
“さっき病院に担ぎ込まれたって言うM高のバカ三人、やったのお前だろ?”
 ほんの三分ほど前のまだその役目を果たせていた携帯に、そんな電話が入った。
 俺は答えず、部屋で独り、薄く哂った。
 明(あきら)は、俺に喋る気がないことを悟ったらしく、何も言わずに電話を切った。
 今は、ベッドの傍で見事に真っ二つに割れて転がる、俺の携帯。
 消えていけばいい。
 全部。学校も、一緒にバカやるヤツらも、家族も、ウゼェだけの教師も、灰色にしか見えないこの世界も、今の俺も、全部。
 消えてなくなっちまえばいい。
 心の中で、静かに毒づく。
 そんな心情は、誰かに届くはずもなく。

 人を殴るとき。
 昔見ていたドラマにあるような効果音が、本当にする。
 どんな表現も出来ない、人を殴るという音。
 相手の骨の一部がおかしくなった時の感触とか、助けを請う瞳の色とか。
 そんなものが、いつまでも残る。
 人を殴れば、自分の手も傷つく。
 そんなところ殴られるはずがないのに、喧嘩をした後必ず痛くなる左手。
 理由が分かったのは、つい最近だった気がする。
 殴って、相手をダメにしたその分、俺の左手も駄目になっていく。
 いつもは、やりあっている時何も考えない。何も考えないようにしている。
 殴られた相手の痛みとか、後々どういう事になるのか、警察に見つかったら面倒だ、とか。
 そんなどうでもいいことは考えない。
 ただ、自分の顔にだけは拳を当てさせないように。受け止め、殴り、殴られ、受け止める。
 顔に傷さえ付いてなけりゃ、体のそれは隠せるから。
 特に、吐く息の白いこの季節なら、まず見つかることはない。
 そうしてそれだけを心に浮かべ、殴る。
 だが今日は……。
 俺の顔に傷を付けられない悔しさに、奴等の顔が歪んだ瞬間。
 その瞬間に、俺の頭にある人間の顔が浮かんだ。
 唯一、俺の顔を殴ったことのある人間の顔が。

 空気というのは、冷たいだけで痛いものだ。
 突き刺さるような、それがそのまま自分の中に入ってくるような。
 そんな、痛さだ。
 崩れて縒れて、ところどころ血に染まった制服を脱いで、まだ着られる予備のそれを身につける。
 頭の芯が、鈍く疼く。
 かすかに感じる吐き気を無視して、俺の相棒と、あってもなくても大して変わりのない財布だけをポケットに突っ込んで、冬の町へと家を出た。



 ――こんな風になりたかったんじゃない。

 学校帰りの学生でごった返す灰色の電車の中。
 一人ブロック席を陣取っている俺の頭は、ぼんやりとそんなことを考える。
 最近の俺の生活は……、傍から見ても、自分で言えるほどにも目茶苦茶で。
 今日は、三学期の始業式だったはずだ。
 だが、行くことをやめた俺にとっては、無関係もいいところ。
 ニ、三週間ほど前からだろうか。
 まじめに登校しているとは言い難かった俺だが、それでも毎日、一度は顔を覗かせていた。
 途中で帰ったり、五時限目から行くなんて事も、珍しくはなかったけれど。
 そうそれでも、ちゃんと行っていた。
 だがいつの間にか“学校”というところに行って、タメの連中とバカ話をしているのが哀しくなった。
 何の知識も得られない会話、知的さの欠片もない会話。
 一緒にいて、疲れを感じるようになった。
 落ちぶれるのに、明確な理由は必要ない。
 魔が差したとか、何かひとつ嫌なことがあったとか、そんなことで十分なのだ。
 俺の場合は、前者だった。
 要は、面倒くさくなったのだ。だから、行かなくなった。
 代わりに街に出て、酒を飲んで、バイクを飛ばして、タバコを吸って、女とアソぶ。
 人は勝手に集まってきたが、ほとんど相手にならなかった。
 ただそうしている方が遥かに楽で。
 犯罪まがいのことをしていても、何も感じない。
 アソぶ金がなくなればそこらのオヤジを脅し、オヤジがいなければガキを脅す。ガキがいなけりゃ、お姉さま方を捉まえればいい。
 だがその分、知らないうちに喧嘩の回数も増え、毎日生傷が耐えない。
 そんなことをしているうちに、俺の瞳に映るものは灰色になった。それ以外の色は映らない。
 こんな風になりたかったんじゃない。
 窓辺に頬杖を付く俺の頭、鈍く痛む。
 空気が悪い。
 人、人ひとヒト。
 部活生か、馬鹿でかいスポーツバッグを抱えて、出入り口に立つ髪の長い少女。
 そして声をかけようと笑談しているバカな連中。
 自分の低脳さをみせびらかすように、高笑いをする女子高生。
 ガキ連れの若い母親。
 何もかもが、痛みを増幅させる。

 どこの学校?
 ……。
 無視ですかぁ?
 ……。
 ねぇ、ちょっと話しようよ。
 離してください。
 ちょっと話そうって言っただけじゃん。
 あたし、次の駅で降りますから。
 じゃぁさ、メアドだけでも教えてよ。
 携帯持ってないんで……。
 そんな分かりやすい嘘、ついてもしょうがないじゃん。
 あの、本当に……。
 ね? ちょっとだけ、ちょっとだけ。次の駅で、オレらも降りるし。

 耳に付く。
 全ての声が、耳に付く。

 ……こんな風に……なりたかったわけじゃないんだ。


 車掌の声が、駅名を告げる。
 だがきっと、俺以外の人間の耳にはその声は入っていなかった。
 ――うるせぇんだよ、てめぇら。
 心の中の声は、いつの間にか車内の空気を震わせており、俺は視線を受けていた。
 バカな女子高生の声も、臆病な奴等のナンパ文句も、ガキが母親に話す言葉も。
 全部が一旦停止をし、残るは電車特有の軽い揺れ。
 そして俺の言葉が消えることなく浮遊する、奇妙な空気だけだった。
 人のいる車内で、これだけの静寂を体験する機会は最早ないだろう。
 外の景色に、目が追いつき始める。
 そうして、気まずい静寂を湛えたまま、電車はゆっくりとスピードを落としてゆく。
 俺は少女がいるほうの出口に向かい、そこに立ち、ただ、ドアが開くのを待っていた。
 怯えた表情のバカな連中は、消えた。
 俺を伺う、少女と、その他諸々の視線を感じていた。
 そのまま、何事もなかったかのように電車は止まり、俺は少女の後に降りた。
 彼女は、俺に向かって一度だけ視線を投げかけ、改札を抜けた。
 きっと、……。
 これを機会に、この時間のこの車両に乗る人間が幾らかは減るだろう、と。
 彼女の背中を見ながら、そんなどうでもいいことを考えていた。



 たどり着いたここは、あの頃とほとんど変わりなかった。
 駅から歩いて、街から抜ける。
 都会といえば都会だが、そこから外れれば、坂ばかりで静かに民家が立ち並ぶ。
 懐かしい。
 かぜの唸る音がする。
 一体どのくらい、この町と離れていただろう。
 引っ越したのは俺が小二の時だから……約十年ぶりか。
 十年。
 たったそれだけしか経っていないのか、とも、もうそんなに経ったのか、とも考えられる時間。
 今にして思えば、十年前の俺はごくマジメだった。
 ……マジメといっても、今のように法に反するようなことはしていないという意味で、決して教師に好かれる“いい子”ではなかった。
 とにかく力はあったし、何かというとそれに頼っていた。

 川に沿った桜並木を歩くと、右手には運動場を共有する幼稚園と小学校が姿を現す。
 あの夏。まだ、俺の世界に色が存在した季節。
 ここでよく、あいつと蝉取りをした。
 虫篭いっぱいに、ミンミンゼミが張り付き、家に帰ると従兄弟がいた。俺の持ち帰った夏の落し物を見て、顔をシカめたおばさんの顔が、蘇る。
 小学校の運動場。
 初めて、逆上がりが出来た鉄棒。
 手伝ってくれたのは、近所に住んでいた兄ちゃんだった。

 立て替えられてしまった校舎の一部を背に、左手に橋を渡る。
 この道は、こんなにも短かっただろうか。

 きれいな川じゃない。
 コケや水草で、水中は全く見ない。
 低すぎて、その役割を果たしているとは思えない橋の手すりに腰掛け、タバコを取り出す。
 煙が、色のない世界に放出される。
 そしてゆっくりと、消えていく。
 きれいな空気の中で吸うそれは、久しぶりに旨いと感じた。
 肺がんで死んだ親父が、俺を幼稚園に迎えに来た帰り、よくこの場所でタバコを吸っていたのが分かる気がした。

 緩やかな坂道。
 左手には塀。
 向こうには、住宅地が広がっている。
 右手には民家。そして鮮やかに染め上げられていたイチョウと柿の木。
 秋口になるとギンナンを拾って、持ち帰った。
 家主にばれないよう、柿をもぎ取ったこともある。
 ……やっぱりあの時でも、俺は犯罪をしでかしていたわけだ。
 十年前の俺が、十年後にここに来てその時のことを思い出し、苦笑するなんて……。一体どうして、想像できただろう。

 その坂を上りきって。
 現れるのは、劇的に急で、両側に家の並ぶ坂道だ。
 広さは、車二台が悠々通れる程度のもの。
 何も変わっていないことに、何故かホッとする自分がいる。
 坂がなくなる分けないと、分かっていても。
 ここは俺が、数年といえど歩き通った道だから。
 ただやはり、狭くなったような気はする。
 俺の身長が伸びたせいなのか。それとも俺の心が狭くなったからなのか。
 ゆっくりと上り始める。
 吐く息さえも灰色。
 俺が引っ越すことを知った後、あいつと歩いた、最後の道。
 あの時の季節は、夏の終わり。
 やけにはしゃいで、明日から始まる誰かが欠けた生活を、頭から追いやるように。
 目の前に、あの日の俺たちが見えた気がした。

 見覚えのある家たちが、姿を現す。
 京子の家。
 拓のじいちゃんの家。
 坂の左手のこの家には、異常な数の猫と犬がいた。
 塀に落書きをして、雷じいさんに雷を落とされた家。
 直也と二人で、ばあちゃんの話し相手になりに行った家。断じて、必ず出してくれる和菓子が目的だったわけではない。
 そして、俺のいた家を目指す。
「…………」
 さすがに、十年ぶりの坂には堪えた。
 延々と続くのではないかと思われるほどの坂の上に、その家は今も顕在していた。
 引っ越して住んだ街は、ごみごみとした都会の臭いがした。
 部屋にいても、電車に乗っていても、学校にいても、どこにいても、その臭いから逃れることなどできなかった。
 だがここは、何の匂いもしない……。
 いや、香るのは冬。冬の風と、冷たい空気、そして俺がこの町に残したのであろう、思い出の数々。
 そんなものが、俺を包み込むのを感じた。
 懐かしいと感じた。
 凪を感じた。
 荒れた心は、一体どこへ行ったのか。
 まるで……波が引いてゆくように。



『あらまき公園』と記された石を、よくあいつと触っていた。
 何故こんなものに字が彫れるのか、とても不思議だった。
 ……いつの間にか、不思議なことを不思議とも思わなくなっていた自分に驚く。
 当たり前だと、受け止めていた。
 当然だ、と。
 不思議に思うことさえ、忘れていた。

 公園にある物は、滑り台とタイヤのブランコの付いたアスレチック遊具。
 雨よけのついた石のベンチとテーブル。定番の砂場。そして広い、運動場。
 俺たちはよく、ここで野球の練習をした。
 もちろん、俺の指導の下に、あいつの上達を望んで、だ。
 今も、小学生くらいのガキ達が、あの頃の俺らと同じことをやっている。
 ……そう。
 あの頃の俺はこんなのじゃなかった。
 あの頃の俺は、こんなバカな人間じゃなかった。
 確かに、イタズラはしていた。喧嘩もした。泣かせたこともある。
 だけど。
 こんな……ここまで汚れてはいなかったはずだ。
 でなきゃ、この場所がこんなに居辛い場所であるはずがない。
 ここにいる自分が、間違っている気がして仕方ないなんて、ありえるわけがない。
 全てを懐かしいと、……哀愁にも似た感情を抱くなんて、考えられない。
 あいつの、顔が浮かぶわけがないんだ。

◇         ◇        ◇

 クラスに溶け込むのは、決してうまくはなかったアイツ。
 休み時間は、いつも一人で本を読んでいるようなヤツだった。
 俺が話しかけなければ、きっとアイツはいつまでも、休み時間が終わるまで、一人、本を読みふけっていたことだろう。
 それくらい大人しいヤツで。
 目立たないやつだった。

 小学生だった俺たち。
 クラスの人間は、俺を好んではいなかった。
 力があって、皆と違う部分を持っている俺を。
 だから、クラスで飼っていためだかの水槽が割られ、中身が全て死んだ時、皆は俺を犯人に仕立て上げようとしたのだ。
 誰がやったのか知らないかと問う若い教師に対して。
 良平を先頭とするクラスは、俺を指差した。
 室内にいる人間が、壁が、床が、俺の机でさえも、俺を指差した。
 そして教師の目も、俺を指した。
 体が固まっていくのが分った。
 俺じゃない。
 言葉は、空気中に出される前に、俺の中で浄化された。
 あるのは俺に突き刺さる視線と、自分の息を飲む音だけ。
 子供は、どうしてあんなにも残酷になれるのだろうか。
 嘘を言えばどうなるか知らない、幼子特有の、残酷さ。
 ただ、座っているしか出来なかった。

『違うよ。やったのは良平君だよ』

 凛とした、強い声。
 耳を疑った。
『僕見たもの。昨日の放課後、良平君が中の水を変えようとして、重たくて落っことしたところ』
 ハッと、良平の息を飲む音が聞こえた。
 見れば、真っ青とも真っ赤ともいえない、けれど奇妙な顔色の下、良平の唇は震えていた。
 そして……。
『どうしてみんな嘘つくんだよ。僕と一緒に見てた人もいるじゃないか』
 いつもは大人しい、格別目立たなかったアイツ。
 いつもどこかに隠れているようで、意識しないと視界に映らなかったアイツ。
 クラスに溶け込むのも上手くなくて、いつもどこか浮いていた。
 ……けれど。

 嘘だけはつかない、心優しい少年だった。

 その瞬間だ。
 アイツが、俺の中に一人の人間としてインプットされたのは。
 自分を信じてくれる唯一の人間。
 俺さえ言えなかった本当のことを言ってくれる、強い人間。
 良平は、普段から俺の次に権力のある子供だった。
 だから良平に逆らえば、まずいことになりかねない。
 頭はすっからかんのくせに、そんな危機管理能力だけは優れていた、小学生の俺たち。
 だがそんなことはお構いなしに、俺を救ってくれたアイツ。
 俺が同じ状況にいたとしたなら、アイツと同じ行動に出られただろうか。
 考えるだけ、無駄だった。

 それから俺たちは、二人でいることが多くなったように思う。
 学校でも、放課後でも、毎週の休みでも。
 二人でいることが多かった。
 それが楽しかった。
 アイツと二人で遊んでいるのが。ただ無性に、楽しかった。
 そういえば、本当は蝉という生き物は7年から8年生きているのだということを初めて知ったのも、アイツの口からだったような気がする。
 ギンナンの食べ方を教えてくれたのも、夏にはただ暑いだけの、例の坂での楽しみ方を教えてくれたのも、学校が、近所が、友達と一緒にいることが、こんなにも楽しいことだと教えてくれたのも。
 力だけでは見えなかった何かが、見え始めていた。
 それは、ほんの少しだけの成長への、第一歩だったかもしれない。
 俺が変われば、周りも変わった。
 俺の力を慕ってきていたヤツラが、俺を慕ってき始めた。
 良平とも、友達になった。
 すべてが、うまくいっていた。

 あの日、俺たちは夏祭りの帰りだった。
 街に出て少し行けば漁港があり、その海岸線で祭りは行われていた。
 ヨーヨーをすくい、たこ焼きを買って、射撃をした。
 花火が上がり、そこにいる人の顔が照らされていた。
 人ごみの中で、俺たちは二人、しっかりとお互いを確かめ合いながら、家へと戻っていた。

『待って。ビー玉がない』

 あらまき公園の砂場から、終わらない夏の最後を飾る、夜空に咲く華を見ていたとき。
 アイツは言った。
 そして、宝物探しの始まり。
 アイツの言ったビー玉とは、子供騙しのくじ引きで当たった、俺たち二人おそろいの七色に光るものだった。
 今なら、そんなもの持っていてどうするんだと聞きたくなるような代物だが、あの頃の俺たちにとっては、夏の思い出の欠片だった。
 アイツは知っていたんだ。
 俺の親父が肺癌になっていて、大きな病院での治療が必要だということを。
 この夏の終わりには、俺はここにいないということを。
 俺の口から聞かずとも、噂を頼りに知っていたんだ。
 だからその夏祭りは、夏祭りで取ったそれは、大事な大事な宝物だった。
 が、アイツは知っているとは言わなかった。
 俺が責めたてても、決して知っているとは言わなかった。
 二、三日前のことだ。
 知ってるんだろ? と問いかけた俺に、あいつはすっとぼけた顔をして誤魔化そうとした。
 それがやけに、俺の気に触った。
 俺はアイツの胸倉をつかむと、怒鳴りつける。
 知ってるんだろ?! 言えよ、正直に言えよ!!
 一瞬だけ驚いたような表情をしたあいつは、途端に俺の顔を殴りつけた。
 見た目よりもずっと力があって。
 今までのどんなヤツよりも、手ごたえがあった。
 殴り合いながら、コイツとは一度もこうして喧嘩したことなかったな、と。
 そんなことを思っていた。

 宝探しは翌日にまでも及んだ。
 見つからない、と、あと少ししか一緒にいられる時間がないと、焦る俺たち。
 だが、気づいていた。
 心のどこかで、俺たちはそれを楽しんでいたことを。
 宝探しなんて、男なら誰だって一度は憧れることだから。
 だから、最後の遊びがそこになるであろうことを、どこかで俺たちは喜んでいた。
 あいつは頭がよくて。
 俺が考えているよりも頭の回転が速いヤツだった。
 宝物を結局見つけられなかったことを悔やみながら、別れの車の中で泣いていた俺。
 ちぎれそうなくらい手を振り、見送るあいつの手に握られていた、七色に光るものは一体、なんだったのだろう……。


 探したかったものは、なんだろうか。
 ほんとうに、ただのビー玉だったんだろうか。
 ……いや、違う。
 俺たちは、欲しかったんだ。
 必ず再開できるという確信のある未来が。
 ビー玉と同じように、七色に、無限に煌く未来が。
 宝探しへの憧れは、しかし上手に、本当のそんな思いを隠して。
 諦めたくなかった。
 宝探しが続く限り、俺たちの夏は終わらない。
 そんな気がして。
 本当は、ずっとここにいたかった。
 アイツと、良平と、学校と、あらまき公園と。
 ずっとずっと、一緒に育ちたかったんだ。

◇         ◇        ◇

 いつの間にか、雪が降り始めていた。
 真っ白な、雪。
 世界を、まっさらなものに戻す。
 練習をしていたガキ達は、一人、また一人と去っていく。
 重なる。
 あの頃の俺たちと。こんなにも汚れてなどいなかった、あの頃の俺と。
 家路を急ぐ少年達を眺めていると、アイツの、笑い声が聞こえた気がした。

 何かを諦めることが、大人になることじゃなかったはずだ。
 全てを思いのままに成功させるために、俺たちは大人になるはずだった。
 もう一度出会うために、俺たちは大人になったはずだった。
 俺は、あいつと離れることを初めとして、一体どれだけのものを諦めてきたのだろう……。いったいどれほどのものを、自分から手放してきたんだろう。
 仕方ないのだと。嫌だけど、仕方のないことだと。
 離れていく友達。
 出会っては別れていく女達。
 親父の死さえ、どこか諦めていなかったか。
 人が死んでしまうのは、仕方のないことなのだ、と……。

 もう一度、戻れはしないだろうか。
 捨てるものなんて何一つなかった、あの頃の俺に。
 あの日の、俺たちのように。
 自由に……。


 行こう、と。
 心の中で、誰かが俺にささやいた。
 もう一度、取り戻しに行こう、と。
 だって、俺は、望んでいる。
 そうなることを、そうすることを。
 もう一度、あの頃の俺に戻れることを。
 それならば。
 やることなんて、一つしかない。
 立ち上がる。
 雪は、きっと本格的に降り出すだろう。
 空の色が、違って見える。
 それは、そう……。
 今までと同じ灰色のはずだったが、ちゃんと“灰色”という色をもっていた。
 少しずつ、俺の世界に色が増えていく。
 俺自身で、増やしていく。

 たった一つだけ、信じられるものがある。
 それは、限りなく確信に近い想像でしかないけれど。
 汚れきった俺を、こんなにぐちゃぐちゃになっちまった俺を、アイツはきっと、受け止めてくれる。
 受け入れてくれる。
 その瞬間。
 真っ黒だった俺の中に。
 たった一つの、けれどくっきりとした色彩を見つけた。


2004/11/20(Sat)13:45:14 公開 / 藤崎
■この作品の著作権は藤崎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
えっと……。こんにちは。真にお久しぶりです、顔を出してしまった藤崎です(汗)
お目通し、本当にありがとうございました。今作は、半分フィクション、半分ノンフクションといったところです。
『なんじゃこりゃぁ!!』でも、『時間の無駄でした』でも、なんでも結構です。一言入れていただけると、大変嬉しく思います。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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