『灰色の水(読みきり)』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ささら                

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 僕にはまだ名前がない。
 
 僕の家は、とある山の奥深くにある小さな村にある。
 村の古くからの仕来りで、十歳の誕生日を迎える時、その人は生涯の名前、『生名』を村の神『グフォル』より授かると云う。
 僕はまだ九歳。だから、まだ名前はない。
 名前がない者は、家の外で、他人と話すこと、話しかけられて『会話』をすることを禁じられている。これも古くからの仕来りだそうだ。
 だから、僕は家の中で唯一、お父さんお母さんとだけ『会話』をすることを許されていた。
 でも、その時、彼らは僕の事を『あれ』と呼ぶ。
 『あれ』は同じ場所にいるのに、ひどく遠いものを指す言葉だから、お母さんは本当は僕のことをそう呼びたくないが、仕来りなので仕方がないと云う。
 『あれ』は記号と同じだから、他の人と区別が出来ないから、お父さんは本当は僕の事をそう呼びたくないが、仕来りなので仕方がないと云う。
 『あれ』はその言葉を聞くたびに、自分はここにいて、それでもお父さんお母さんは誰か別の人のことを話しているみたいだから、僕は、本当はそう呼ばれたくないが、仕来りなので仕方がないと納得する。
 この村は『仕来り』に支配されている村だから、お母さんは仕方がないと云う。
 『仕来り』という言う言葉はこの村の全てだから。『仕来り』が無くなったら、この村は存在することが出来ないから、お父さんは仕方がないと云う。
 僕は、村が存在できなくなったら、自分も存在できないので、仕方がないと納得する。

 ――ああ、何だか頭がおかしくなりそうだ。

 僕の家の隣には今年で、十三歳になる女の子が住んでいる。
 僕は、彼女によく『話しかけられる』
 僕からは話しかけることは出来ないが、彼女から話しかけてきて、僕が一言も発しなければなんら問題はないのだ。もっとも、それを『会話』と呼ぶことなど出来はしない。僕は、家の前に立っている表札と同じで、洗面所で虚像を映し出す鏡と同じで、公園で代わり映えなく生えている何本もの大木と同じなのだ。
 彼女は、一昨年の八月『生名』を承った。
 そして、その日初めて僕に『話しかけてきた』のだ。たぶん、近くにいる人なら誰でもよかったのだと思う。たまたま僕が近くに居て、僕が話をしやすそうに見えたから。
 まず、彼女は僕に自分の『生名』は『カレンシャ』であると嬉しそうに話した。『カレンシャ』とは日向に咲く、黄色い花を現している言葉だと云う。『生名』はその人を映し出す鏡のようなものだから、きっと、自分の草花を思いやるような、優しい気持ちが、『グフォル』に届いたのだと嬉しそうに云う。
 そして、彼女は次の日から、僕の姿を見かけるたびに、今日起こった楽しかったこと、嫌だったこと、どうしても納得のいかないことなどを僕に語った。
 彼女が時に嬉しそうに、時に悲しそうに、時に怒りながら、僕に話すのを聞きながら、僕は胸の奥に何ともいえない奇妙な感情が芽生えるのを感じていた。
 凄く嫌な気持ちだった。
 だから僕は、彼女が話し終わった後は、決まって、その気持ちを溶け出すように、追い払うように、家の隅の水瓶に溜まった、腐って臭気が漂う灰色の水を、棒切れでひたすらに掻き混ぜていた。

 やがて、僕の十歳の誕生日が訪れた。

 その日は朝から僕の家はお祭り騒ぎだった。お母さんが料理を作り、お父さんが、『グフォル』より授かった名前を僕に持ってくる、『長老様』をもてなす準備をし、僕はついに今日、名前を授かることができるという喜びに打ち震えていた。
 日が傾きかけた頃、長老様はやってきた。
 長老様にお母さんがつい先ほど焼きあがったアップルパイを勧めたが、長老様はこの日はとても大事な用があるからゆっくりはできないので、と丁重に断り、そして、残念そうな顔をするお母さんを横目に、僕に話しかけてきた。
 君の名前を、『グフォル』より授かってきた、と長老様はまず始めにこう云った。
 そして、僕が授かった『生名』は『アノシュール』であり、アノシュールとは『灰色の水』を表す言葉だと云う。長老様は、悲しそうな顔で、これは凄く不吉な『生名』で、授かるべきではなかった、授かってはいけなかった 『生名』だと僕に云う。
 長老様の言葉を聞いて、お母さんは泣き、お父さんは狂ったように吼えた。
 僕は、お母さんや、お父さんが悲しんでいるのを見て、そんな暗い名前は嫌だ、そんな名前がつかられるくらいなら、名前などない方が良い、と頑なに拒んだが、長老様は、一度授かった名前はどんなものであろうと受け入れなければならないと云う。
 長老様は続けて、君は、呪われた子になってしまったから、君の心は、水瓶の中の灰色の水のように濁り、いつか他人を傷つけてしまう子だから、と僕に云う。『灰色』の名を付けられたものは、生きていくことは出来ない仕来りなのだと僕に云う。
 長老様は、上着の下から一本の短剣を取り出した。
 それを僕に差し出しながら、どうか、自分の手で君を殺すのは忍びないから、君の手で自害してほしいのだと僕に云う。
 僕はお母さんと、お父さんを見上げる。
 お母さんは、涙を浮かべながら、目を伏せて、仕来りだからと僕に云う。
 お父さんは、訴えるようなまなざしで、興奮で頬を赤く染めながら、仕来りだからと僕に云う。
 僕は、仕来りだからと、短剣を自分の心臓の前まで持ってくる。

 短剣が、僕の皮膚に触れようか否かといったまさにその瞬間に、僕の心の中で、灰色の水を溜めた水瓶が音を立てて壊れた。
 中からどうしようもない量の灰色の水が溢れ出す。
 僕は、ライオンのように吼えた。そしてライオンのように長老様に襲い掛かった。
 
 僕は、長老様を刺し殺した。
 僕はお母さんを刺し殺した。
 僕はお父さんを刺し殺した。
 僕は隣の家のカレンシャの家に押し入り、カレンシャとその家族を刺し殺した。

 そして、僕は、自分に火をつけた。
 灰色の水が村の中に溢れている。僕が溢れさせてしまった。急いで蒸発させなければならない。
 この時、僕は初めて家の外で口を開いた。村中に聞こえるように、大声で叫んだ。
「僕の名前は『アノシュール』!!底の見えない、水瓶に溜まった、灰色の水を表しているのだ!!」
「僕の名前は『アノシュール』!!底の見えない、水瓶に溜まった、灰色の水を表しているのだ!!」
「僕の名前は『アノシュール』!!底の見えない、水瓶に溜まった、灰色の水を表しているのだ!!」
「僕の名前は……」
 僕は、赤い天を見上げてつぶやく。
 僕の視界が完全に赤く染まった。

2004/11/07(Sun)20:17:53 公開 / ささら
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