『侍極〜JIGOKU〜 第一巻』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:珈琲煎餅                

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侍極〜JIGOKU〜 作、珈琲煎餅

第一巻  源   [MINAMOTO]

序章  「稼屋・大田木之介正良は居る」 
今から語られようとしている、この物語は今現在よりももっと昔の物語。流浪のサムライの起源、室町幕府の末期をもとに創られた空想物語。では、語る。
都から遠く離れた地方の大名が領とする四つの町、村があった。その町々は地方にもかかわらず、多くの人々で賑わう盛んなところだった。大きな山脈に囲まれているので、一度町に来たら帰りたがらないのかもしれないが。
その中のある城下町に「稼屋(かせぎや)」と名乗る、一人の若い浪人がいた。彼の名は大田木之介正良(おおたぼくのすけまさよし)といい、稼屋の報酬だけで、町外れの汚い家に住んでいた。彼は農民の子だが、武士を夢見て子供の頃から我流の稽古を積んできた。今、大田は二十五になる男で、剣の太刀筋はどの流派にも属さない奇怪な太刀筋となっている。しかし、子供の頃から積んできた稽古のおかげか、四つの道場を道場破りで次々と潰したことのある腕の持ち主でもある。
今となってはその腕を活かし、稼屋として用心棒や仇討ちなどの仕事を受け、ケチ臭く少しずつ銭を貯め込んでいるのだった。この男は義理深く、親切なため、町のみんなにはそこそこ好かれているようだ。しかし、職は義理無き仕事を依頼されることもある。始末屋と同じ仕事をさせられたことや、暗殺、辻斬りなど、いやな仕事もあったが、それが稼屋という職業である。
表向きは浪人や用心棒に見える大田だが稼屋という、裏の道を行くある一人の侍極(じごく)の猛者でもあった。

第壱章 「青鋼刀漣紫をめぐる」
 初夏、大田は古き友人の良山(よしやま)から隣町の金屋へ行き、そこの主から「青鋼(あおはがね)」と呼ばれる特殊な青色の鋼を受けとってこいとの依頼を受け、その帰り道をのんびりと歩いていた。粗末な緋色の着物を着て、片手には何やらひもで結んだ木箱を下げている。腰には大田の愛刀が刺してある。猫背でだらしなく歩き、頭はこの時代では珍しい、いわゆる散切り頭という感じの頭。いつも草履を履いて、ジャリジャリと鳴らしながらゆっくり歩く。ところでこの良山という男、今年で五十六になる男で昔から金物、特に刀鍛冶として幕府からも一目置かれるほどの腕の良い刀鍛冶として有名だった。しかし、ちょうどその頃江戸で名刀鍛冶正宗の“一文字正宗”や義元の“義元左文字”など、歴史に残る名刀が次々と作られ、良山の影は徐々に薄くなっていった。いくら腕が良いと言ったって、所詮は小さい町の小さい金物屋。いつまでも将軍の目に止まっているはずもなかったのである。
そのような男が自分の人生に最後の花を咲かせようと、精魂込めて作った最高傑作が大田の愛刀でもある「漣(さざなみ)」で、自身の最も信用出来る親友大田にそれを授けたのである。
しかし、刀鍛冶から身を引いてから数日経ったある日、幕府が喉から手が出るほど欲しいと言われているほどの特殊な鋼、「青鋼」を隣町の知り合いが持っていると聞いて大慌て。早速その金物屋に文書を送り、どうか譲ってくれぬかと頼んで大田を使いに行かせる。そして今に至るのだった。
そして大田はいよいよ見慣れた城下町へと辿り着き、まっすぐ良山の待つ金物屋へと急ぐ。
「おやっさーん、今帰りやしたぜー」
疲れた声で大田が言った。その手には木箱を持っている。
「おおっ!持って来たかい?青鋼を。」
すぐさま駆け寄る良山の前に、大田はどかっと腰掛ける。
良山は大田の返事を聞く前にさっさと持って来た木箱を開けはじめる。木箱の中身は和紙で何重にも丁寧に巻かれた、青く光輝く青鋼のかたまりが入っていた。
「美しい・・・」
顔に似合わずそんな言葉を発した良山は、この青鋼をもとに大田の刀「漣」の地金を強くしようという話を大田に持ちかけた。そんな話を誰が反対しようか。大田は「漣」を良山に預けた。
 良山自身の最高傑作に、世にも珍しい青色の鋼を打ち込んでいるのだ。「漣」に青鋼を溶かし入れ、金鎚で打ち固めていく。それを何度か繰り返し、全体的に塗り固め、地金を強くするのだ。それはまさにこの人生で最高の仕事、最高の瞬間だったが、それは同時に今から幕を開ける壮絶なる“侍極”の始まりでもあった・・・。
 何日か経って、青紫に光る不思議な輝きを持った、素晴らしい刀が生まれた。白刃、鍔、柄、など細部にも青鋼を混ぜ、全体的に青味がかった造りになっている。良山はこの刀に「漣紫(れんし)」と名付けた。と、良山が満足感に浸っているとそこへ漣紫の完成を待ち望んでいた大田がやって来た。
「おやっさん!できたって聞きやしたぜ!」
期待に胸を踊らせた大田の声は、いつになく大きく聞こえた。
「よう。来たか。銘刀漣紫!!ほらよ」
と、言って良山は漣紫を大田に渡した。漣紫は予想以上に軽く、握った時に何かを包み込むような感覚があった。こんなに自分の手に合う刀は大田自身、初めてであった。
「わかるぜ・・・。握っただけで使い心地がわかるぜ・・・。俺に合ってるって感じが・・・。」
大田が言うと良山は、
「当たり前だろう。それはもともとお前の刀から作ったんだから。」
良山はさも満足げに言った。すると大田は、
「試し斬りしてえよ。早く裏庭に行こうぜ!」
と、楽しそうに言った。
 この良山の家の裏庭には、何本か木に藁を巻き付けた試し斬り専用の棒がある。良山や大田が、新しい刀を試したい時にはいつもここで試し斬るのだが、ときどき近所の浪人や侍もここを訪れ、己の刀の切れ味を試しに来るときがある。
 大田は漣紫を鞘から抜く。漣紫の白刃は薄い青紫掛かった、優しくも鋭い色をしている。大田は抜き身の刃がこんなにも優しく輝いているのを見たのは初めてだった。青紫という色も、どことなく穏やかで、涼しい感じがする。とても人の命を奪えるものとは思えない輝きがあるのだ。大田は裏庭で
「コイツがどんな風に斬るのか、楽しみだぜよ。」
試し斬り棒を前にして、つぶやいた。良山も見守る中、大田は漣紫を振りぬいた。と、棒はキレイに真っ二つになり、バサッと片方が地面に落ちた。良山は
「ほう、これはなかなか良いぞ・・・」
と、満足そうに言っているが、大田は驚いたようなこわばった顔をしている。良山が話し掛けようとすると、大田は口を開いた。
「おやっさん、こいつはすげぇ刀だぜ。斬った瞬間の手応えがほとんどねえ!!」
なんと、手応えがないというのだ。それは漣紫がとてつもない切れ味だということを示していた。すると良山は
「がははは!!それは凄い!!わしはとんでもないモンを作ってしまったなぁ!!がはははは!!」
と、大笑いしている。それはそうであろう。あの名刀「菊一文字」ですら斬った時の「バサッ」という感覚があったと言われているからだ。大田は
「これは有り難くもらっておくぜ。ありがとよ。」
と言って、帰路についた。良山は満足そうな顔で見送った。
 大田が漣紫を手にしてから三日たったある日、大田は町の中心にある豆腐屋に向かっていた。その時、前方から刀を三本ほど持った浪人らしき男が自分と反対の方向に向かって歩いているのを見つけた。大田はさほど気にしなかったが、男の方は大田に気付いたらしく、近寄ってきた。男は
「貴様、大田という男は知らぬか?」
と、大田に聞いてきた。いきなり自分のことを聞いてきたので、戸惑う大田だったが、答えた。
「俺のことだが、なんの用だ?」
男はなんの反応もなしに、話し始めた。
「そうか、お前が大田木之介正良か。ならば貴様、青鋼という青い鋼を知っておろう。それを返してもらいたいのだが・・・。」
大田は真顔で答える。
「悪いな、青鋼は返せない。ちょっと遅かったか。じゃあな。」
大田が真顔で答えると、男も真顔で、
「死ぬぞ。貴様。」
と言う。その男は、恐ろしいほど強い殺気に満ちていた。大田は聞く、
「手前、名を名乗れ。」
すると男は、
「俺は蔵大吾(くらだいご)。貴様が青鋼を持っていった、金物屋の用心棒だ。」
大田は勝負を受け、漣紫を抜いた。と、蔵は
「その刀、まさか・・・!」
大田は答える。
「おうよ。この刀は青鋼から作った名刀漣紫だ!!」
少し驚いていた蔵はすぐに真顔になり、こう言った。
「ではその刀、力尽くでも渡してもらおう。」
青鋼から作った漣紫をめぐり、町の真ん中で決闘が行われようとしていた。

第弐章  「謎の忍び、青鋼の秘めた力」
 勝負を受けた大田だったが、蔵が刀を抜いた瞬間には後悔していた。蔵は大田より刀半本分くらい背丈があり、体つきもまるで熊のようである。蔵の持っている刀はなんと「村正(むらまさ)」で、幕府でも“己の身を斬る”と言われた有名な妖刀である。そんな刀を使いこなすほどの侍が、なぜ貧乏な金物屋の用心棒をやっているのか。
 大田はとにかく無心でかかる。漣紫を振るが、大田の焦った太刀は簡単に村正で弾かれてしまう。蔵は反撃に出て、大田は守りに刀を固める。高い音を出して刃と刃がぶつかるが、やはり蔵の太刀は重かった。大田はその瞬間に逃げ出したくなるような恐怖に襲われた。しかしその時、突然蔵の刀が止まった。
「止めだ・・・。弱すぎる。今の俺の相手じゃねえ。」
蔵は吐き捨てるように言った。こんなことを言われて黙っていられない大田は叫んだ。
「聞き捨てならねえな。その台詞、俺を殺してから言いやがれ!」
大田の怒号にもかかわらず、蔵は落ち着いた雰囲気で言った。
「本当に死ぬぞ。ま、俺と殺り合いたかったらまたあの金物屋へ来い。良山のオヤジにも青鋼のこと伝えといたから、よく考えて来るんだな。」
蔵は村正を収め、ゆっくりとこの場から去っていった。大田は漣紫を静かに鞘へと収めたが、あのようなことを言われて、胸中穏やかではなかった。
 大田はその後、まっすぐ良山のもとへ向かった。良山の家へ着くと、良山は何故か怒っている様子で大田を睨んだ。良山がこんなに怒っている顔を見せるなんて、珍しいことだった。大田が声をかけようとしたとき、良山は言った。
「手前、取り返しのつかんことをしやがって!青鋼を盗んでくるたぁ何事だ!!」
大田は耳を疑った。良山が大田に青鋼を盗んだ奴だと言っている。大田はしばらく言葉を失っていたが、良山は続ける。
「今、あの金物屋の用心棒と名乗る浪人が手前を探してたぜ。青鋼を盗んだってな。まさか盗んだなんて思ってなかったが、あの金物屋のオヤジが手紙をくれやがったから、本当みてえだな・・・。」
一瞬間があいて、大田が口を開いた。
「おいおいそりゃ何かの間違いだぜ。俺はちゃんとおやっさんからもらった手紙を金物屋に渡して、金物屋から直接青鋼を受け取ったんだぜ。」
大田は金物屋の用心棒、蔵の言っていた事を思い出していた。そして少し焦った口調で話していた。良山も言う。
「手前の言うことを信じてえが、隣町の金物屋の言う事も信じてえ。俺だって焦ってんだ。このことは手前自身で片を付けねえと。」
真剣な眼差しで言った。その間、しばらく沈黙が続いた。
 その日の晩、大田は自分の家でもう一度あの金物屋へ行く決心をする。三日月は輝くが星は一つと出ていない、暗黒の夜だった。大田が出掛ける準備をしている時、何やら大田の家の周りで何かを探っている者の気配を直感的に感じた。しかし、辺りは蛞蝓の足音さえ聞えるかというぐらい静かである。その静けさ故か、金縛りにあったような圧迫感が大田の全身に襲いかかる。大田は漣紫を握り締め、恐る恐る外に出た。暗黒の夜、月明かりに照らされる自分と、もう一つの影の姿がそこにある。大田はつぶやく。
「忍びか・・・。」
と、その影は物凄い速さで大田に小太刀を振るった。大田はすぐに漣紫を抜いたが一瞬遅く、影の小太刀は漣紫の鞘をかすめ大田の脇腹に突き刺さり、えぐった。大田は一瞬ひるんだが、漣紫をしっかりと構え反撃を試みた。しかし、そこにはもう影の姿はなかった。次は何時何処から攻撃が来るかわからない。脇腹からは夥しい血が流れている。大田は朝、何処からか聞こえる鶏の鳴き声と共にそこへ倒れた。
 大田は気が付くと、町医者の布団のなかにいた。意識が朦朧とするなかで、大田の脇腹は激しい痛みに襲われていた。どのくらいの時間が経ったであろうか、大田の意識も徐々にはっきりとしていく。と、大田は漣紫が無い事に気付く。焦ったがゆっくりと昨晩の出来事を、落ち着いて思い出していった。大田の最後の記憶は、暗黒の夜に脇腹から血を流し、漣紫を構えている自分のみだった。そこへ、町医者の矢島黒助(やじまこくすけ)が現われた。矢島は言った。
「ほお、目が覚めたか。思ったよりも傷は浅いようじゃな。」
矢島の手には漣紫がある。それを見た大田はこう言った。
「あんたは町医者の…。忝ぇ(かたじけねぇ)。その刀は俺の物だろ?」
矢島は腕の良い町医者として、この町では有名な医者である。矢島は手に持つ漣紫を見て、
「実に珍しい刀じゃの。青く光っていて、優しく見えれば、逆に恐ろしくも見える。不思議な刀じゃ。」
と言った。大田は尋ねる。
「俺はどんな様子でここに来たんだ?」
大田はとりあえず漣紫が無事な事を確認すると、急に落ち着いた口調で尋ねた。矢島いわく、町外れの家の前で血だらけの大田を発見した爺さんが、皆に知らせて運んで来たそうだ。そして運んでいる最中、歯を食いしばって、眉間にシワを寄せながら何やら悔しそうだったということだった。血は既に止まっていたので、治療も簡単で治るのも早いという事も聞いた。矢島が話し終わると大田は言った。
「そうか、それでは多くの人に感謝しねけりゃならんな。」
大田がそういい終るや否や、矢島は手に持っている漣紫を大田の前に突き出して言った。
「この刀…、もしかして青鋼から造ったんじゃねぇか?」
大田は一瞬驚いて、何と言えば良いのか分からずにいた。矢島は続ける。
「そうだとしたら気を付けな。青鋼は恐ろしい鋼だ。青鋼から造られた品物は皆呪われる。簪(かんざし)、茶釜、釘…刀だって例外じゃねえ。青鋼の品物を手にした奴は皆死んでるからな。」
大田は何か言おうとしたが、何を言えばいいのか分からなかった。矢島は最後にこう言った。
「ま、青鋼がどんなものか知りたかったら、その先にある古今山にある親鸞第四十七堂(しんらんだいしじゅうしちどう)に居る無楽(むがく)っつう坊主に聞いてみるといい。なんか教えてくれんだろ。」
 大田は礼も挨拶も、すぐ済ませると素早く出掛ける準備をしはじめた。傷もまだ癒えていないが、矢島の言う親鸞第四十七堂に向かい、歩き始めた。道中、大田はいろいろな事を考えていた。青鋼が恐ろしい力を秘めた鋼だということ、それを持った者は死ぬということ。そして漣紫も妖刀となりえるのか、ということ。
 日の出とともに出発した大田だったが、日はもうそろそろ落ちかかっている。と、大田の目の前にたたずむお堂がある。
「ここが…。」
大田は息を飲んで静かに戸を叩いた。しばらくして戸が開き、若い僧侶が顔を出す。
「何かご用ですか?」
その僧侶ははっきりとした口調であった。一瞬の隙も無く、殺気にも似た眼差しだった。大田は隙を見せぬよう、腰の漣紫に手をあてながら答えた。
「無楽和尚はいらっしゃるかな?」
若い僧侶は真顔のまま、隙のない眼差しで間をあけずに言った。
「それは私(わたくし)のことでございます。…して、何か?」
大田は言葉を失った。反面、納得する部分もあった。

第参章 「青鋼とは如何なる物か」
 親鸞第四十七堂の中は、外から見るよりもずっと広く感じる造りだった。若い和尚、無楽の他にまだ幼く見える修行僧と、やや年輩の修行僧との二人の僧が飯の仕度していた。大田は無楽に案内されて、客接間へと連れられた。座布団に腰掛けると無楽は口を開いた。
「さて、青鋼のことについて知りたいと。」
無楽はさっきと違い、静かな口調で大田に尋ねた。大田は慎重に答えた。
「そうです。青鋼の秘めた力を耳にしたとき、とても恐ろしくなりました。それで、町医者の矢島さんから貴方のお名前を…。」
無楽は少し笑みをこぼしながら言った。その笑顔ですら、一瞬の隙もないものだったが、奥には優しさが溢れているものにも見えた。
「ほう、矢島さんから。ところで、貴方と青鋼との繋がりはどのようになっているのですか?」
大田は腰の漣紫を掴み、鞘から抜いた。ロウソクの明かりに照らされ、輝く青い刃。そのとき無楽の眼差しが少し強くなった気がした。少し間をあけ、大田が答える。
「見てお分かりのように、この刀は青鋼で造りました。手に馴染む感覚と、ほとんど手応えの無い切れ味。最初は驚きました。」
無楽は微笑し、薄笑いのまま言った。
「それは凄い…。では語らせてもらいましょう。途轍もなく不思議な光を放つ青鋼とは如何(いか)なる物か。」
 無楽は語り始めた。話は五年ほど前に遡る。当時江戸の大きな寺、濠星院(ごうせいいん)で修行していた無楽は、ある旅の者から優しく光る鋼、青鋼を一塊買った。十両と高かったが、手に入れた青鋼で腕の良い金物屋に仏像を作らせた。出来上がった仏像は見事な青い光で包まれており、見る者を幸せにしていた。しかし、その仏像を触りに来た町人が次々と死んでいったのである。その死に方はゆっくりと眠るように、幸せそうな笑顔を浮かべて死んでいくのである。濠星院の僧侶たちも大勢死に、濠星院の崩壊へと導いたのである。
 その後、魔術師数十人により青鋼の呪いを解く儀式を行なったが、そのとき青鋼の中に呪いではなく多くの優しさ、青く光る無数の「和み」が詰まっているのを魔術師数人が見つけた。儀式は中止され、人々が死んだのはその優しさ「和み」ゆえに安らかに眠った、という形で収められた。その時点で、皆青鋼に騙されていたのだった。青鋼の出す光「和み」は呪いの邪魔をさせないための“表の顔”だった。その証拠に地方からの噂で、青鋼で出来た簪をつけた女が眠ったように死んでいく、という事件があり、それもまた「和み」として片付けられたが死者の数は増えていくばかり。とうとう皆青鋼の“表の顔”に気付かぬまま、青鋼とともに土に帰ったのである。
 それから徐々に数を減らしつつあった青鋼だったが、ある大名が青鋼を用いた武器で戦に勝利した、ということをきっかけに幕府が欲しがるようになった。元々数の少ない青鋼だったため、今では珍しくなったがその呪いは今もなお続いているという。
 呪いを続けていくために“顔”を次々に変える青鋼。しかし時に、人を助けることもあった。ある貧乏な村に住む貧乏な家族、その家の少女がある日森で青鋼を拾ってきた。その少女の母親は青鋼を見てこう言った。
「なんと綺麗な…。これを売れば相当なお金が手に入る…。」
と、売りに行こうとした。次の朝、その母親は眠ったまま起きることはなかった。少女は悲しみ、苦しんだが青鋼を自身の宝物とし、手放さなかった。それからというもの、少女が耕した畑は毎年大豊作で、村一番の金持ちとなった。しかし、成長した少女はうっかり大切にしていた青鋼を崖に落としてしまった。少女の畑は枯れ、金銭も尽き、少女の家族は皆命を落とした。
「その少女は青鋼を持っている間だけ、青鋼に助けてもらっていたのです。」
 無楽はここまで話し終わると、静かに息を吐いた。と、大田が尋ねる。
「何故少女だけが救われ、母親は死んだんだ?」
無楽は目を見開き真剣な表情で強く言った。
「それは単純に“欲”です。欲のある者には“死”を。欲のない者には“和み”を。青鋼が顔を変える理由でもあります。」
大田は思い出した。何故自分が青鋼の呪いにかけられなかったのか。最初に青鋼を手にしたのは隣町の金物屋。そのときは仕事のことで頭がいっぱいになり、青鋼のことなど考えていなかった。では良山はどうか。良山には人生で最高の刀を造りたい、という信念だけがあった。結果、最高の刀「漣紫」が生まれた。漣紫を手にした大田はその切れ味故に、不安を覚えた。どれも欲とは繋がらない。無楽は言う。
「私は仏像を作らせたとき、欲を持っていなかったのだと思います。私は今生きていますからね。」
大田は漣紫を握り絞めながら問った。
「青鋼の呪縛から逃れるには、どうすれば良い…?」
無楽は鋭い眼差しで答えた。
「一番簡単なのは青鋼、つまりその刀を捨てることです。それが嫌なら、青鋼に欲を持たない。しかし人は雑念を持つ生き物です。欲を持たないなんて難しい。肝心なのは青鋼に決して心の隙を見せないこと。青鋼を信じてはいけません。」
大田は無楽が言い終わるのを確認して大きく息をした。そして自信と不安の入り混じった表情で言った。
「良山のオヤジが精魂込めて造った刀だ。捨てるなんて出来ねえよ。それに俺はあの金物屋に行かねぇと。あの用心棒、蔵も妖刀村正を扱っている。俺だって負けてらんねえ。」
大田は立ち上がり、漣紫を腰に収めた。その顔は執念に燃える勇ましい顔だった。大田は言った。
「では、御免!!」
無楽も言う。
「勝ちに行くのです。もう後には引けません。」
そう言った後、無楽は合掌し礼をした。大田も頭を下げ、親鸞第四十七堂をあとにした。
 輝く星を眺めながら山を下る。真っ暗な深い森、何処からか聞こえる獣の鳴き声、肌寒い空気が大田に少しの恐怖与える。そして大田はあることに気付いた。
「しまった。泊めてもらうの忘れてた…。」
大田は暗闇の中、しばらく一人立ち尽くしていた。
 朝、大田は良山の家の前にいた。良山に青鋼の呪いを伝えるためである。しかし大田にはある懸念があった。まだ青鋼を盗んだ疑いが晴れてないのである。大田は戸に手を掛け、一呼吸し戸を開けた。
「おやっさん、青鋼の事で話したいことがある。」
大田は真剣な眼差しで言った。良山は真顔でそれに答えた。
「なんでぇ、まさか今頃謝りに来たんじゃねえよな。」
大田は黙って良山の前に座った。そして、謎の忍びに襲われた事、町医者矢島に救われ、青鋼の事を聞いた事、無楽和尚に青鋼が呪われた鋼だという事を全て話した。良山は話を全て聞いた後、しばらく黙っていたが、深く息をつき言った。
「それを俺に言って何なんだよ。手前が青鋼を盗んでねえとでも言いてえのか?…俺は青鋼の呪いなんかを知りたいんじゃねえ。手前が青鋼を盗んだか否かを知りてえんだ。帰んな!」
大田は返した。
「今からあの金物屋へ行ってくる。俺が青鋼を盗んでねえことを確かめにな。」
大田は言った後、良山の家を出ていき隣町へと向かった。自分の無実を証明するため、青鋼の呪いの元を知るため、そして妖刀村正を使いこなす用心棒、蔵と再び刃を交えるために。漣紫を握る大田の顔は明らかに今までの大田の顔とは違っていた。鋭い眼差し、青鋼に隙を見せない心、歩く大田はこれから起こるさらなる侍極へと進んでいく。

第四章「知らぬ金物屋、足軽の凶襲」
大田は金物屋に着くと、深く深呼吸して金物屋の戸を開けた。
「いらっしゃい。なんのご用で?」
五十近い年齢の男が出てきた。大田は言った。
「この店の主人に合いたい。俺は大田という者だ。」
すると男は驚いた表情で、叫ぶように言った。
「あっあっあんたが大田か!? よくも青鋼を盗みおって!!! わしが主人の田中十太郎(たなかじゅうたろう)だ!!青鋼を返しな!!」
すると大田も驚いた。
「あんたが主人だって!?あの時と別人じゃないか!俺はあの時ここで主人と名乗る男から青鋼を受け取ったんだぜ!?」
店主の田中は大田のことを睨みながら言った。
「そんなの分かるかよ。わしはあの日、一日中殿様に呼ばれてたんだ。その間に店は誰も入れないようになってたんだ。」
それを聞いた大田は険しい顔で少し考えていた。そして大田は言った。
「忍びか…。……おっさん、また来るぜ。おっさんになりすました影を探してくらぁ。」
田中はもちろんそれを認めなかったが、大田の必死な説得によりある条件を出して、大田を信じた。
「手前を信じる。わしも手前が盗んだのかはっきり見たわけじゃねえし。手前の話も一利ある。ただし、忍び探しは蔵と一緒に行ってもらう。」
蔵を連れていくという条件で、大田は田中になりすました忍び、自分を襲った忍びを探しに行った。
 大田の住んでいる町は「商い(あきない)の町」と呼ばれているが、この町の正式な名は「勝武城下第ニ町(しょうむじょうかだいにちょう)」という。この町を治めている「勝武城」は「勝武城下第一町」から第四町まで四つの町を治めている。田中の住む町は第三町で通称「浪人街」。第一町は通称「娯楽者の町」で、上流階級の金持ちが多く住んでいると共に、貿易の町でもあった。第四町は「町樹海(まちじゅかい)」と呼ばれていて、盗賊や山賊が多くはびこる町である。この四つの町を治めている勝武城の大名の名が勝武智久大江郎(しょうむともひさおおえろう)で若くして天下を狙う大名である。大田はとりあえず情報を集めるため町樹海へと向かった。暑い初夏の日、町樹海の空は冷たい雲で覆われていた。
 町樹海へと着いたころには既に辺りは薄暗くなっていた。恐ろしくも不気味な静けさに包まれた町樹海。大田はある家の前に座っている一人の男に話しかけた。
「おい少し話を聞きたいんだが、青鋼に関係を持つ忍びを知らないか?」
男は大田と蔵の身なりをジロジロと見て言った。
「あんたの知りたい奴じゃないかもしれんが、ちょっと前に青鋼を持った男はいねえかと聞いてきた奴がいた。」
大田はそれを聞くが否やすぐに聞いた。
「そいつは何処に行った?どんな奴だ?」
大田は自分を襲った忍びでなくても、そいつを追って話を聞こうと思っていた。男は言った。
「奴はそこの森の奥にある“古辻忍流”(ふるつじしのびりゅう)が総本山にしてる九魂寺(きゅうこんじ)の忍びだ。そこに行くんならもう遅い。明日、出直すんだな。」 
男は鼻で笑った。確かに日は落ちている。森を越えていくにはもう遅い時分だった。大田と蔵は町樹海の外れにある小さなお堂に泊まることにした。
 夜、大田は獣や虫の鳴き声で目を覚ました。暗闇の中で、蔵が落ち着きのない様子で動いていた。寝付けないようであった。大田は言った。
「蔵、と言ったな。どうした、眠れねえのか?」
蔵は少し間を空けて答えた。
「…起きたか。大田よ、あの時俺が言った事忘れてはおるまいな?」
蔵はいきなり訪ねてきた。どうやら大田が目を覚ますのを待っていたようである。大田の脳裏に、蔵の一言が甦る。“俺と殺り合いたかったら、またあの金物屋に来い”大田は言った。
「ふん、殺り合おうってのか。俺はいつでもいいぜ。」
大田の予想とは裏腹に、蔵はある提案を出した。
「いや、違う。手を組まないか?一人じゃ青鋼の呪いも解けるまい。」
大田は驚いた。呪いの事は自分しか知らないはず。
「手前、なんで青鋼の呪いのことを知ってる?」
「聞いたのだ。矢島という町医者に。お前を探している時にな。」
蔵の話によると、大田と出会った日に町医者矢島に大田のことを聞いたらしい。ついでに青鋼の事を聞いて、呪いがあることを知ったという事だった。自分でも青鋼について調べており、青鋼の呪いの裏には古辻忍流が深く関わっているらしい。
「お前がそんなこと調べてたなんて知らなんだよ。」
大田は少し笑いながら言った。蔵は目を閉じて静かに言った。
「今宵は眠ろう。日の出は近い。」
 次の朝、一番鶏の鳴き声で大田は目を覚ました。大田は蔵を起こし、早速出掛ける仕度を始めた。そのとき、大田達の居るお堂の外で何やら青鋼のことで叫んでいる声が聞こえた。このお堂の周りは、土で固められた広場のようになっていて、広くなっている。大田と蔵は外に出た、すると大きな槍を持った足軽がそこに立っていた。その足軽は幕府軍の模様が付いた、足軽用の軽い鎧を着けていた。足軽はなにやら叫んでいる。
「けけけけけけけ!青鋼を持った侍!大田よぉ!けけ!青鋼よぉ!その刀!よこしな!けけけ!嫌なら!!けっ!死になぁぁ!!」
大田と蔵はやけに落ち着いている。明らかにその足軽を軽視している。それどころか、軽蔑している。
「危ないなぁ。ああゆう奴がなんで幕府の足軽やっておるのか…。」
蔵もつぶやくように言った。
「死ぬぞ。足軽さん…。」
しかし次の瞬間、バァンという雷のような轟音と共に足軽の手から火花が散った。お堂の壁には穴も空いている。大田と蔵は言葉を失っていたが、足軽は言った。
「ふけけけ!馬上筒(ばじょうづつ)っつう鉄砲だもんね!武具倉庫から盗ってきたもんね!けけけけ!」
馬上筒と呼ばれる一種の拳銃である。その時代には非常に珍しい代物でもあった。火縄銃と違い、小さく、連射できる鉄砲であった。足軽は勝ち誇ったように、体をくねらせながら言う。
「けけけけけ!さあ!大田よぉ!青鋼の刀よこせよぉ!殺しちゃうぞぉ!!けけけ!青鋼が金になるって聞いて!ずっと貴様を追ってたんだよ!」
幕府の足軽隊から逃げ出したこの足軽は、今後の生活に困り青鋼のことを耳にした。浪人街で田中と大田の会話を盗み聞き、ここまで追ってきたというわけだ。大田は言った。
「哀れ…。手前も青鋼による“和み”の嬲り者(なぶりもの)か。」
「何わけの分からんこと言ってんだよ!来ねえならこっちから行くぜ!死ね!けけけ!」
大田と蔵は突然別々の方向へと走った。足軽は驚きながらも、自分に近かった蔵を狙い撃った。弾は蔵の肩を貫き、蔵は少し吹き飛ばされた。その間に大田は足軽に近づき、足軽が振り向いた瞬間、跳躍し漣紫を足軽の脳天に振り下ろした。足軽の兜(かぶと)は割れ、同時に足軽の頭も真っ二つになった。大田は言った。
「大田流漣の剣(さざなみのつるぎ)、秘技“飛鳥兜割り(あすかかぶとわり)”化けて出るなよ、抜け足軽め。」
蔵は肩を押さえながら、苦笑いで大田に言った。
「ふん、我流浪人のくせに何が“漣の剣”だ。ははは。」


第伍章 「古辻忍流、抜け忍とその仲間」
 足軽の屍を埋めたあと、大田と蔵は町樹海の奥にある森を進んでいった。木々の葉によって日光が遮られた森は一面、薄暗くなっていた。辺りは薄暗いものの、空気が澄んでいて涼しく、落ち着ける場となっていた。しかし、ここは古辻忍流の庭である。一瞬の気も抜けない、張り詰めた空気が流れている。しかもこの森は、町樹海の名前の由来にもなっている森で、樹海なのである。一度入ったら二度と外には出られないと言われているのだ。
「この森には、きつねが出るらしいぜ。さっき町の爺が言ってた。」
沈黙と緊張を裂くように、大田が口を開いた。その口調は少しこわばっていた。蔵も言う。
「ああ。九魂寺って名前だもんな・・……。」
白けた。森の雰囲気に呑まれている証拠である。
 結局、丸一日歩いたが九魂寺は見つからず、大田と蔵は森の中にあった岩場で夜を明かすことにした。大田が腰掛けると、大田は手に嫌な感覚を感じた。大田は見ると、手で蛭(ひる)を潰してしまっていた。それを見た蔵。二人の全身に、激しい鳥肌が立つ。
「も、もう少し探してみないか、きゅ、九魂寺…。」
大田が言うと蔵も言う。
「そ、そうするか・・・・。」
完全に樹海に呑まれてしまっていた。岩場は水辺に近かったため、蛭や蛞蝓が多くいるのだった。
 その水により多少ぬかるんでいる所があった。足跡がある。それは結構長く続いていた。案の定大田と蔵はその足跡を辿っていき、暮れなずむ空を見ながら急いだ。
「日が暮れたら大変なことになるぜ。走ろう。」
二人は走ったものの、その先は足跡が無くなっていた。しかし、木が道を作るかのように並んでいることに二人は気付く。日が沈む直前、二人は“九魂寺”と書かれた寺院に辿り着いた。
 大田が行こうとすると、蔵が止めた。
「真正面から入る阿呆が何処にいる?辺りの様子を覗ってから、塀を越えて行くのだ。」
蔵の言う通り、大田は誰もいないのを確認してから塀を越えた。九魂寺の中庭は広く、何故か見張りが一人もいないのであった。ここで大田は異変に気付く。蔵が来ないのである。もう一度塀を登ると外には誰の姿もなかった。突然、大田の頭に激痛が走り、大田はその場に倒れた。
 気が付くと大田は四方を壁で囲まれた、狭い小屋の中にいた。わけの分からない大田だったが、漣紫のないことに気付いた。どうやら捕らえられてしまったらしい。頭痛が走る。外は既に朝になっており、壁の隙間から少し光が差していた。大田は壁を力まかせに蹴ったり、体当たりなどを繰り返したが、無論壁が壊れるはずもなかった。時間だけが過ぎてゆく空間、大田は空腹と闘っていた。
 夜が近付こうとしていたころ、突然小屋の扉が開いた。若い男がやって来た。男は冷たい目をしていた。人を何人殺しても、瞬き一つしないような目である。大田はその男に向かい、言った。
「俺をここから出せ。漣紫を返せ。蔵も出せ。」
男はどうやら古辻忍流の者らしい。男は大田を無視して言った。
「貴様を殺す。が、ただ樹海に放り出すだけだ。安心して死ねるだろう。」
一晩大田を放っておいたのは、樹海から生きて出れなくする為だった。空腹であれば、すぐに死に絶えてしまう。手間をかけないための古辻忍流の方法だった。
 大田は数人の大男に抱えられ、門へと連れていかれていた。ふと見ると、蔵も縄で縛られたまま連れてこられていた。大田の抵抗むなしく、大田と蔵の二人は門の外へと放り出された。もちろん武器もなければ金も、食べ物もない。二人は沈黙のままその場に立ち尽くしていた。大田が我に帰って口を開いた。
「こんな所で呆けてる場合じゃない!蔵!とにかく行くしかねえ!」
すると蔵の顔にも徐々に殺気が沸いてきて、そのうち虎のような形相になっていた。歩き始めてしばらくすると、突然何処からか女の声が聞こえてきた。
「待て!そこの二人!」
大田と蔵が辺りを見回していると、後から忍び装束のような格好をした若い女が走ってきた。その手には見覚えのある、二本の刀を持っていた。漣紫と村正である。
「これ、あんた達の刀だろ。あたしはくの一だ。今は古辻忍流の抜け忍。」
女が言うと、大田も多少驚きながら言う。
「古辻忍流の抜け忍?刀を持って来てくれた事は忝ぇが、抜け忍が俺達に何の用だ?」
蔵も警戒しているようである。女は答えた。
「この刀、青鋼だろ? そのことについて、協力してもらいたいんだ。青鋼の撲滅を狙ってるんだろ?」
蔵もやっとその重い口を開いた。そしてとても低く、強い声で言った。
「詳しく聞かせろ。青鋼のこと、なにか知ってるんだな?」
女も負けじと、強く答えた。
「詳しい事はあとで話す。今はあたしについて来とくれ。それにあたしがいないと、この森も抜けられないだろ?」
大田と蔵は今一つ信じきれてないが、樹海を抜けられるとなると今は女について行くしかなかった。大田と蔵は容赦無く襲ってくる空腹に死に物狂いで耐えていた。しばらく歩いて、ようやく樹海から抜け出せた大田と蔵は、女の言うままに小さ目の家へと入った。疲れきっていた大田と蔵は、その場で倒れた。
 翌日の朝、三人は町樹海の外れにある茶屋にいた。大田と蔵は物凄い勢いで饅頭を頬張っていた。女は昨晩の忍び装束と打って変って、まるで金持ちのような良い着物を着ていた。二人が一息つくと、女は話し始めた。
「あたしの名は佐々木涼(ささきりょう)。そうだな、お涼とでも呼んでおくれよ。昔は古辻忍流のくの一としてやってたけど、今は勝武城の女中をやってる。」
とは言っても、女中は勝武城での情報を得るために忍びながらやっているものだった。古辻忍流にいたころ、古辻忍流に青鋼を全国に広めるという仕事が入った。それと言うもの、暗殺や襲撃の任務も多くなり、元々そのような仕事を好まなかったお涼は、青鋼が呪いを持っているものだと知り、抜け忍として青鋼の情報を集めていた。そのうち一人の、同じ野望を持った仲間に出会った。勝武城の家臣、叶義純五郎(かのうよしずみごろう)である。彼も勝武城の殿様、勝武智久が青鋼を異常なまでに欲しがる為、青鋼のことについて調べたところ、呪いがあることをつき止めたのだった。それからお涼と叶の二人は青鋼撲滅に向けて、協力しあっていたのだ。
「あんた等を見た時、何か感じるものがあったんだ。あんたは青鋼を持ってるのに何故か死なないし。仲間に入らないか?共に。」
大田はしばらく考えていたが、蔵がいきなり言った。
「その話、つつしんでお受けしよう。」
大田は驚いたが、青鋼の呪いの元凶をつき止めるためには、これが最もやりやすかったので、大田は認めざるを得なかった。
 大田はとりあえず、自身の疑いを晴らすことにした。お涼が言ったことによれば、浪人街の金物屋店主の田中になりすまし、大田に青鋼を売りつけた人物が古辻忍流の上忍だと言う事だった。三人は浪人街の金物屋へと着いた。田中を説得するのは流石に骨だったが、蔵とお涼がいたため何とか納得させることに成功した。田中は良山に誤まりの手紙を書き、大田に渡した。大田はそれをしっかりと受け取り、商いの町へと向かって歩き出した。良山には話すことが山のようにある。心強い新たな仲間と共に、商いの町へと進む。

第六章 「無楽が託した青鋼への望み」
 大田達は良山の鍛冶屋の前に来た。大田は息を飲み、緊張した面持ちでゆっくりと戸を開けた。良山はその場にいなかったが、奥の部屋から金属がぶつかり合ったような、甲高い音が聞こえる。どうやら良山は奥で刀を鍛えてるようだ。大田は土間で叫んだ。
「おやっさーん!今帰りやしたぜー!」
と同時に音がピタリと止んだ。良山は出て来るなり怖い顔で言った。
「今度は盗人じゃねぇ大田だろうな?悪友よ。」
良山は蔵とお涼を見て、少し驚いたようだったが真顔で尋ねた。
「むっ。其方(そちら)さんは?」
まず蔵が答えた。
「浪人、蔵大吾。今は浪人街、金物屋の用心棒をやっている。」
続いてお涼が言う。
「元古辻忍流くの一、佐々木涼でございます。今は勝武城で女中をさせていただいてます。」
良山は少し驚いたようだった。良山は二人に軽く会釈し、大田に言った。
「ところで、もう手前は盗人じゃねえんだろうな。」
大田は真剣な眼差しで良山を見ながら、田中から受け取った手紙を良山に渡して、疑いが晴れたことを詳しく説明した。良山は話を聞いた後、しばらく考えていたようだが笑顔で大田に言った。
「やっと帰って来やがったか、悪友。」
大田もそれに笑顔で答え、思いきり握手をした。大田は言った。
「実はまだ話したい事があるんだ。青鋼の事で。」
青鋼の持つ呪いについて、まだ良山に話してなかった。しかし、良山はこんなことを口にした。
「呪いだな。青鋼の呪いのことだろ。町医者の矢島に聞いたぜ。」
大田は驚いた。良山は続ける。
「二、三日前の話なんだが。」
良山の話によると、大田が矢島に世話になった次の日、矢島が良山を訪ねたということだった。大田が持っている刀は良山が鍛えたものであると、だいたい予想していたらしい。矢島は良山に、青鋼には十分注意したほうが良い、と話していたのだった。
 話を聞いた大田は言った。
「おやっさん。俺ちょっくら行ってくる。青鋼のこと知りたいんでね。」
良山はそれを驚きもせず、笑顔で言った。
「おう。行ってこい。」
三人は鍛冶屋をあとにした。商いの町を歩いている間、お涼が言った。
「矢島の所へ行くんだろ?あたしも、あいつが何でこんなに詳しいのか、今まで知らなかったよ。」
蔵も言う。
「矢島に会ったら、そいつを連れて叶とやらと合流しよう。」
大田はわくわくしたような顔をしていた。そしてこう言った。
「矢島のとこに行く前に、腹ごしらえをしよう。」
物語は新たな展開に向けて、大きく進んで行く。
 商いの町の中心地、ここには多くの店が並んでいる。勝武城下で一番賑わうこの場所は、時に旅人や浪人の憩いの場となっている。そこの饂飩屋(うどんや)に三人はいた。この饂飩屋は広く、値段も安いので、浪人街の連中には途轍も無い人気があった。そこの饂飩を食いながら、三人が青鋼のことを忘れ雑談に花を咲かせていた時、店の入口から入ってきたのは、なんと矢島だった。真っ先に気付いたのはお涼だった。
「どうやら歩く手間が省けたようだよ。」
実はこの三人、いずれも以前に矢島の手当てを受けたことがあった。
三人は矢島に駆け寄った。矢島はこの三人をみて、驚いたようであった。お涼は笑顔で言った
「矢島さん、お久しぶり。ちょっと話を聞きたいんだ。」
続いて大田が鋭い眼差しで言う。
「青鋼のことについてなんだけど、勝武城まで来てくれるかい?」
矢島の体が微動した。矢島は大田を睨みながら言った。
「青鋼か…無楽に聞いてもまだ分からねえか。」
矢島がそう言うが早いか、お涼は矢島に早い口調で訪ねた。
「無楽?誰だそれは?」
「知らんのか? ところで、ここで立ち話しとっても邪魔になるから、座って話そう。」
四人は席に着き、饂飩を食べながら話すことにした。先ほど三人が食べていた饂飩は既に冷めてしまっていた。しかし三人には二杯目を頼む余裕はない。しかたがないので冷めた饂飩を食べる事になった。お涼は聞いた。
「して、無楽とは何者?矢島さん。」
矢島は熱い饂飩を少しずつ食べていた。そして少し饂飩を口に含みながら答えた。
「無楽は他でも無い、青鋼に呪いを込めた元凶じゃ。」
それを聞いた三人は跳び上がり、一斉に声を張り上げた。
「何だって!?」
「なっ・・・!?」
「え!?」
三人と同様、矢島の方も驚いていた。大田は声を裏返しながら言った。
「無楽はそんなこと言っていなかったぞ!?ヤツが呪いをかけた?」
矢島は一呼吸おき、饂飩を一口頬張った。まるで気を落ち着かせるかのように、ゆっくりとその一口を味わっていた。愕然とする大田と、呆然とする蔵とお涼を前に、矢島は語り始めた。
「わしが無楽と出会ったのは五年ほど昔のことになる・・・」
 都のある寺院。矢島はそこで、医者として居候(いそうろう)していた。広い寺院で、矢島の他に離れや別館で暮らしている者もいた。そこに突然、瀕死の修行僧が辿り着いた。彼こそが当時の無楽である。無楽の当時の名は「光鈴(こうりん)」で、彼が修行していた寺はこの寺院ではなかった。つまり、突然この寺院に辿り着いたというわけである。治療したのはもちろん矢島。無楽の脹脛(ふくらはぎ)には大きな傷跡があり、傷は塞がっているものの体は立っていられないほど侵されていた。破傷風であった。そこにいた誰もが無楽の死を覚悟した。しかし矢島は諦めず、なんと寺院中を駆けまわり青カビを集め始めたのだ。その時無楽はこんな事を呟いていたという。
「雑念を…持っては…悟りの域を…。雑念を持つ者には…死を…。」
 矢島が青カビから抽出した薬によって無事、無楽は全快した。しかし、治った途端無楽は寺院のある部屋を借りた。呪間(じゅま)と呼ばれる部屋で、御払いや呪殺法に使われていた。そこで無楽が青鋼に呪いをかけていたなんて、誰も想像出来なかった。実は無楽は単身オランダからヨーロッパの各地を廻り、一種の錬金術を学んでいたのだ。それと日本の呪殺法を狂ったように勉強し、悟りの境地に立ちたいがために、雑念を、欲を殺すため青鋼を創ったのだった。それは自分に対する、最大の苦行でもあった。
 矢島はそれを聞いていた。治療中の無楽が、うわ言のように話すのである。ぶつぶつと、まるでお経を唱えるかのように。青鋼に託す自身の野望を、次々と呟いていたのだった。

第七章「叶義純五郎、親鸞第四十七堂へ」
 矢島は語り終わると、饂飩を一気に頬張った。あまり味わってはいないようだった。大田、蔵、お涼は息を飲んだ。辺りはしばらく沈黙に包まれているような気がした。その時間はあまりに長く感じて、緊張感も漂っていた。大田が口を開いた。
「矢島さん、無楽はなんで青鋼を創った?詳しく教えてくれないか?」
矢島はすぐに答えた。
「無楽は当時、悟りの域を極めようと必死だったのさ。んが、己を取り巻く雑念がそれを邪魔していたんだ。それで雑念と欲望を持つ者には死を与える青鋼を作ったんじゃねえか?」
大田はさらに尋ねる。
「では何故各国に青鋼を広めたのだ?せめて寺院の中だけでもよかったじゃないか。」
矢島は薄笑いを浮かべながら、答えた。
「寺院のなかで、青鋼に殺されたヤツがいたからじゃないか?」
矢島はそのことを語り始めた。
 ある日、青鋼を持ってきた無楽はそれを皆に見せた。その中に、寺院に居候している貧しい男がいた。男は青鋼を奪って逃げようとしたが、いきなり倒れ、そのまま眠ったように死んだそうだ。無楽はそれを見て狂ったように喜んだ。自分の呪いが見事に成功したのである。この呪いを士農工商に誇示するため、旅商人を使って青鋼を広め始めた。しかし、商人が道中に死亡してしまい、この計画は失敗だった。そこで使ったのが古辻忍流である。忍びを使って次々と各地に広めてしまったのである。報酬は錬金術で精製した似非金貨を渡していた。しかし、徐々に青鋼の数も少なくなってきたため、死んだ人間から青鋼を盗み、再び誰かに広める、という事を始めたのだった。一人暮しの浪人も、青鋼を持ったまま野垂れ死なせないために、浪人五人に対し忍び一人くらいの割合で監視を置いた。
「だから俺も忍びに襲われたのか。」
大田言った。するとお涼が語り始めた。
「あんたに青鋼を売ったのも同じ忍びだと思うよ。商いの町と浪人街にいるほとんどの人間は、目を付けていたからね。」
 お涼の話しによると、仕事のほとんどが監視や死体からの青鋼回収で、時には奇襲や、効果が表れない人間の暗殺など、気が滅入るような仕事ばかりだった。人を殺すために忍びになったのではない。人々の役に立つ忍びになりたかったのだ。お涼は自分にそう言い聞かせ、古辻忍流を去った。しかし、逆に抜け忍として古辻忍び流に追われる立場にもなった。
「わしだって逃げたんだ。青鋼と無楽が恐ろしくなってな。」
矢島が口を挟んだ。いつの間にか矢島の饂飩の器は空になっていた。蔵が無表情で矢島に訪ねた。
「何故無楽は青鋼流出の中心を、ここ勝武城下にしたんだ?」
矢島は眉間にシワを寄せながらも、薄笑いしたような表情で答えた。「いや〜、それは分からんね。故郷だったからかも知れないし、逆にここがとても嫌いだったとか。」
それを聞いて、お涼の背中に何かが疾り抜けたようだった。そして、お涼は言った。
「それは、多分古辻忍流と、親鸞第四十七堂に関係があるんじゃないかい?」
皆なるほどと、直感的に思った。樹海に囲まれた寺を総本山とする古辻忍流と、親鸞堂の中でも広く、使い勝手の良い親鸞第四十七堂が同じ地域にあれば、情報交換も報酬も簡単に済ませられる。これは無楽ではなく、古辻忍流が提案したことだった。矢島はしばらく考えていたが、疑問が残るようだった。矢島はお涼に聞いた。
「古辻忍流の考えに、深い意味はあるのかい?」
再びお涼の背中に何かが疾り抜けたような感じがした。少し間があき、こわばった表情で答えた。
「無楽を使って、稼げるだけ稼いだら、無楽を殺して、奴の貯め込んだ銭を奪う企みがあった…。」
皆驚いた。いくらなんでもここまで悪どいとは思っていなかった。しばらくの間、沈黙がその場を支配していた。饂飩を完食し、口を開いた。
「続きは勝武城に行って、叶とやらと会って話そう。」
皆疲れた様子だった。気を休めるために饂飩屋へ立ち寄ったはずが、逆に疲れてしまったのである。皆黙々と片付けや勘定を済ませた。
 勝武城へ向かう道は、とても寂しいものとなった。誰一人として喋らず、顔に生気がなかった。大田はこのままではいけない、と思い、喝を入れるつもりで叫んだ。
「や゙っ゙!!!!!!!!!!」
一瞬皆が浮いたように驚いた。辺りは騒然となったが、蔵も続けて叫んだ。
「も゙っ゙!!!!!!!!!!!」
矢島も思いきり叫ぶ。それは断末魔にも聞こえた。
「ぢゃぁぁぁぁぁゃ!!!!!!!!!」
そしてお涼は、
「喝っ!!!」
と叫ぶと次々と三人の鳩尾(みぞおち)に、物凄い速さで拳を入れていった。そして三人は気絶した。辺りは静まりかえった。お涼の声が、遠くの山で山彦のように繰り返し撥ね返っていた。お涼はその後三人の目を覚ますため、相当困っていた。
 三人が目を覚ました後、改めて四人で勝武城を目指す。暮れなずむ空、夕陽を背景に勝武城がその大きな姿を見せた。四人は娯楽者の町に向かうための、山道を足早に歩いていた。娯楽者の町とは正式名、勝武城下第一町といい貿易のためや、取り引きのためによく使われる大きな町である。その中心に勝武城はある。
 四人が勝武上の門前へ来ると、門番が若い家臣と共に近寄ってきた。家臣は言った。
「お涼、早かったな。殿にはまだ話しておらんぞ。」
お涼は笑みを浮かべながら答えた。
「叶自らお出迎えとは恐れ入るよ。この二人は青鋼調査の仲間だ。それで、この人が町医者の矢島さん。」
大田、蔵、矢島の三人は軽く挨拶をし、家臣の寮へと入っていった。そこは想像以上に狭かった。四人は叶に今までのことを出切る限り話した。話は深夜にも及び、明け方五人は眠りについた。しかし、話はまだ残っている。無楽が青鋼の元凶と分かったところで、この五人に出来ることはなにか。そこで叶は考えた。
「四人で親鸞第四十七堂に行こう。矢島さん、あんたはここに残って俺の仲間に従がってくれ。話の概要は伝えてある。俺らは無楽を捕虜にする。」
捕虜にしてからどうするのか決める事となった。殿の勝武は、青鋼について叶らが調べている事なんて全く知らないため、残りは家臣と矢島の証言に頼る事にしたのである。二日に及ぶ五人の話し合いによって、翌早朝に大田、蔵、お涼、叶の四人が親鸞第四十七堂に出向くこととなった。青鋼を創り、それに呪いを込めた若和尚、無楽を捕虜とするために。しかし、事はそう容易ではなかったのだった…。

第八章 「戦遊戯、奇襲返し嬲りの構え」
 日の出と共に勝武城を出たというのに、四人はまだ商いの町に辿り着いていなかった。日はもう一番高い所まで上っている。というのも、四人それぞれが微かな殺気を感じているのだった。それは本当に微かなものだったが、追われているような緊張感と圧迫感が四人を襲っていた。
 もしや古辻忍流に事態が発覚してしまったのであろうか。しかしこれだけ大きな殺気を放っておきながら、襲ってこないというのは明らかにおかしい。殺気の主が古辻忍流だとしても、一体何の目的で追っているか分からないのだ。ただ監視しているだけなら、殺気を消すくらい、彼らには容易な事だ。その緊張感と圧迫感で、四人の足取りは自然と重くなっていった。
 夕刻近くなり、四人はやっと親鸞第四十七堂のある、古今山へと辿り着いた。しかし、ここからが気の抜けない修羅場となる。薄暗く、隠れる場所の多い森の中では襲われる危険性が最も高くなる。今日の無楽捕虜の作戦は、もはや奇襲に近い形で行なわれる事となっていた。だが、こうも殺気に満ちているとそのような奇襲もやりにくくなるというわけだ。叶が言った。
「俺らは無楽に奇襲を仕掛けるわけだが、何か良いやり方はあるか?」
急いで城を出たため、四人は具体的な戦略を立てていなかった。四人とも少し黙っていたが、大田が口を開いた。
「お堂の中は無楽とニ、三人の坊主しかいなかったから、正面から突っ込んでも大丈夫だろう。」
普通に話しているようだが、内心不安でいっぱいだった。
 徐々に森の中も暗くなっていった。カラスの鳴き声が辺りにこだまする。親鸞第四十七堂に近付くにつれ、少しずつ何らかの殺気も強くなっていった。その頃、勝武城では大変な騒ぎが起きていた。家臣達が青鋼事件のことを老中に伝えたところ、老中は叶達に対して大激怒してしまったのだ。しかし、殿の勝武は落ちついた様子で老中に告げた。
「叶は予の最も信頼できる奴じゃ。剣術指南役としてだけでなく、勝武城忍軍の統率の仕事も完璧にやってくれた。必ず何か連絡が来るはずじゃ。こちらも軍を構え、待とうじゃないか。」
殿は勝武兵を構えさせた。と、同時に勝武城忍軍の優秀な忍びを一人、親鸞第四十七堂に向かわせた。矢島も殿に詳しく事を伝え、来たる古辻忍流との戦いに貢献した。
 先を行く四人は、いよいよ親鸞第四十七堂の前に辿り着いた。四人は息を飲み、それぞれの剣を抜いた。大田は「漣紫」を。蔵は「村正」を。お涼は忍者刀「風華(ふばな)」を。そして叶は「虎徹(こてつ)」と「虎徹・天狗拵え(てんぐこしらえ)」の二本を。大田は思わず言った。
「む、叶さん、あんたニ天流?」
叶は微笑みながら答えた。
「我が家に代々伝わる剣術、叶ニ天流。大田、あんたの流派は?」
大田は照れながらも答えた。
「ま、我流なんだが。強いて言えば、大田流漣の剣とでも言うかな。」
蔵はそれを笑って聞いていた。そして言った。
「俺は如月抜山流(きさらぎばつざんりゅう)。俺が開いた流派だ。」
そしてお涼も言う。
「あたしは…古辻忍流・菊風一之剣…。」
辺りは静まりかえったが、元気を出させるために蔵は言った。
「もう貴方は古辻忍流ではない。新しく流派を開くと良い。」
お涼は微笑んだ。皆の眼は輝いていた。皆一斉に刀を構える。大田は漣紫の柄を腰に当て、刃を前方に向ける。蔵は村正を肩まで持ってきて、刃は後方に向く形となる。お涼は短い忍者刀風華を逆手に持ち、ツカを左手でおさえ刃は右向きとなる。叶は二本の刀を下に向け、膝辺りで交差させる構えとなった。この、流派も身分も違う四人が今一つとなって、各地に呪いをかけた青鋼を創った無楽を捕虜にしようと剣を構えた。そこへいきなり無数の影が降り立った。今まで殺気を放っていた輩である。古辻忍流であった。
「やはり古辻であったか!今まで隠れておって、どういうつもりだ!」
叶が叫んだ。目の前に現れた古辻の忍びは、だいたい三十人程であったが。その中の頭らしき男が長めの忍者刀を抜いたと同時に、周りの忍びも次々と己の刀を抜き始めた。その中には小太刀を構える忍びがいる。まさしく大田を襲った忍びである。忍びの頭らしき男が言った。
「へへへ…。相手が立ち向かう瞬間に襲う我等の企みよ。貴様等を雪辱で叩き潰すための心理戦じゃ。これぞ古辻忍流が誇る一番の企み、『戦遊戯・嬲りの構え(いくさゆうぎ・なぶりのかまえ)』じゃ!」
頭が言うなり大勢の忍びが四人に飛びかかった。まるで蝿のように素早く動き回る忍びに、大田、蔵、叶の三人は攻撃を防ぐだけでいっぱいだった。お涼はかつての仲間を躊躇いなく斬っていく。その刃はまるで花びらが舞っているようで、とても人を殺めている姿には見えなかった。叶も負けじと二本の刀を流れるように振るう。蔵は力で圧倒していた。大田はとても不思議な太刀筋だった。跳び上がったり、踊るように漣紫を振りまわす。四人のそれぞれ違った太刀筋に、古辻忍流の忍び達は苦戦し次々と倒れたが、頭の男がわずかな隙を突き、疾風迅雷の早技で忍者刀を突き出した。その刃はお涼の腹を貫いた。瞬間、時は止まった。お涼の汗、叶の斬った忍びの返り血、蔵が圧し折った忍びの刃の欠片、大田が巻き上げた土煙。全てが止まった。お涼は、断末魔と共に涙を流しながらその場に崩れた。
 勝武城では早馬に乗った忍びからの情報により、出陣の合図を待つばかりとなっていた。勝武城の忍びは早馬に乗って、叶達よりも早く親鸞第四十七堂に着いていたのだ。そして古辻忍流の企みを知り、勝武城まで駆け戻ったのだ。前線に立つ殿、勝武は叫んだ。
「全軍向かえ!いざ出陣!!」
武士の雄叫びと共に、騎馬隊が夕刻の空に土煙を巻き上げる。勝武にとってたった一人の人間を信じ、勝武城の全軍を向かわせるという事は決して簡単な事ではなかったに違いない。青鋼の呪いという、普通では考え難い事を信じ、一大決心を下したのだ。叶と殿勝武の間柄は、もはや剣術指南役と殿様なんていうものではない。
 親鸞第四十七堂の前では、倒れたお涼を叶が支えたところだった。蔵は絶叫にも似た奇声を上げ、大田は鬼のような形相で古辻の頭の男に斬りかかった。お涼は震えた微かな声で囁いた。
「これが…宿命…。これで…良いの…。抜け忍の…酬いよ…。」
涙を流しながら悲しげに微笑するお涼に、叶も眼(なまこ)に涙をためながら、それをこらえようとし、叫ぶ。
「何が宿命ぞ!何が酬いか!そなたは生きるのだ!それこそがそなたの宿命であろうが!!」
こう言いきった時、叶の眼からは涙がこぼれ落ちた。蔵は次々と古辻の忍びを叩き斬っていく。しかし蔵の肩と脇腹からは夥しい量の血が吹き出していた。もはや蔵に意識は無い。己の本能のみで相手を薙ぎ伏せる。大田は頭と死闘を繰り広げていた。どちらも素早い攻撃で攻防をし、どちらの攻撃も当たらなかった。大田の兜割りが頭に守られた瞬間、大田の背中に小太刀が突き刺さった。大田が再び同じ忍びに、同じ刀で奇襲を受けた瞬間だった。

第九章 「決戦」
 叶は瀕死のお涼を守るのに必死だった。涙のあとを残しながら、お涼は途轍も無く深い眠りについている。蔵は最後に一人を斬り捨てると、無言のままその場へ倒れた。大田は背中に小太刀の刺さったまま、振り返りざまに漣紫を振るい、叫ぶ。それは声にならない声だった。
「また貴様かぁぁ!!!」
哀しみと怒りのこもった最後の怒号と、渾身の力を振り絞って漣紫を振ったが、大田の背中に漣紫を残したまま忍びは跳び、剣をかわした。そしてすぐに大田の背後を狙ったのが頭である。忍者刀を振りかぶり、一撃で仕留めようとしている。大田も気付き、振り返った瞬間、頭のこめかみに一本の矢が突き刺さった。大田は何が起こったか分からなかった。ただ古辻忍流の頭が、こめかみから血を流し目の前に倒れている。大田の耳に入ったのは、多くの武士が放つ雄叫びだった。
『うおおおおおおおおおおお!!!!』
大田は周りを見た。時間の流れがとてもゆっくりと感じる。多くの兵士が古辻忍流の忍びと戦っていた。既に兵は到着していたのだった。大田がそれに気付かなかっただけである。お涼は叶に介抱されている。蔵は勝武の兵士に治療を受けていた。大田の所にも勝武の兵がやって来て、なにかを言っている。大田の耳に入っていなかった。やっと聞き取れた頃には、大田は気絶する寸前であった。
古今山では古辻忍流と勝武軍の激しい戦闘が繰り広げられている。大田、蔵、お涼、叶の四人は矢島を始め、数人の医者によって命を助けられていた。四人は古今山の草原にある砦にいる。辺りはすっかり暗くなり、朧月夜が微かな光を放っていた。お涼の傷は深く、今もまだ深い眠りについている。蔵は信じられない程の精神力で健全な体と変わらないほど、回復を見せていた。叶はかすり傷程度で済み、大田の傷は幸いにも急所を外しており、元気な姿でいた。その砦に、一人の勝武軍の忍びがやって来た。忍びは大田達の前に立つと言った。
「和尚無楽は既に親鸞第四十七堂から姿を消しており、今時分は何処にいるか分からぬ事となっています。」
忍びはそれだけを伝えると、何やら叶の指示を聞いて差っていった。
 無楽が姿を消した――。蔵と叶が話し合っているようっだったが、大田は不思議な感覚でうずいている。早く漣紫を抜いて無楽を斬りたい。そのような気持ちにさいなまれていた。うずく気持ちとほぼ同時に、大田は直感的に無楽の居場所を悟った。誘われているようで不安だったが、大田は直感を信じて砦を出たのだった。その漣紫を握る手にはいつも以上に力が込められた。
 大田は歩き、古今山にある牙突崖(がとつがけ)に辿り着いた。牙突崖は山から岩が突き出したような形をしていて、崖は広く切り立っている。大田は自分でも驚いた。無楽が青鋼のかたまりを持ち、目の前にいるのだ。暗闇に微かな月明かりで照らされる無楽の顔は、大田を見てニヤリと笑った。その顔は喜びに満ち溢れていた。大田はその顔に狂気と恐怖を感じた。無楽は大田が来るのを楽しみにしていたかのように語り始めた。
「大田さん、驚くことはない。それが漣紫を持った者の宿命です。生き残った者は自分の思うがままに青鋼が導いてくれる。前に話したでしょう。漣紫を持った少女の話を。私は青鋼を創りました。西洋から学んだ錬金術を用いて。そして呪文をかけたのだ。その時は正直、こんな物ができるとは思っていなかった。でも、完璧な呪石ができてしまった。人の考え次第で善にも、悪にもなる。素晴らしい。もう悟りの境地なんぞ、どうでもよくなりました。私は完璧な呪石を作る事ができる!人を殺す事も!生かすこともできる!もはや私は神だ!ひゃぁはははは!私は完全な神として立ち上がるのだ!ひゃぁははは!」
無楽は狂ったように仰け反り、笑っていた。大田は静かに近寄り、漣紫を抜いた。そして無楽の笑い声にかき消されそうな声で言った。
「幸せなのはここまで。俺が幸せのまま葬ってしんぜよう。」
大田は目をつむり、漣紫を無楽の喉元に突き立てた。そして、一気に突き刺した。
 静まり返る牙突崖。風が吹き、木が揺れる。地面に無楽を突き抜け刺さったままの漣紫が、朧月夜の微かな光に照らされて、静かな青い光を放っていた。そして大田は帰路につく。漣紫はこのまま封印された方が良かったのだ。自分に言い聞かせる大田は、遠くで聞こえる戦闘の断末魔をしばし歩きながら聞いていた。次々と魂の灯火が消えていく中、大田は一人涙の道を歩いていた。
 この戦も既に大半が終わっていた。大田が砦に戻ると、蔵と叶が駆け寄る。まず蔵が話しかけた。
「何処に行っていたんだ。戦はほぼ終わっているが、お前がいなくては話にならんのだぞ。」
続いて叶が聞いてきた。
「そうだ。戦は勝負あったが、まだ無楽が見つかっておらん。明朝から総出で探すことになったので、ぬかるなよ。」
大田はそれに笑顔で受け答えた。大田は無楽の事を誰にも言わなかった。夢を見る一人の和尚を、叶わぬ夢と知る前に葬ったことを。お涼も目を覚ましていた。しかし、まだ深い傷には変わりない。布団の中に入ったままのお涼を含め、大田、蔵、叶、矢島の五人は事件を忘れ、雑談に花を咲かせていた。五人の笑顔はつい昨日も見たものだったが、五人にはとても久しぶりで、新鮮な笑顔であったに違いない。たった二、三日の間、青鋼を巡った日々は多くの人間を巻き込む大騒動となったが、呆気(あっけ)ない戦で幕を閉じたものの一人一人の人間にとっては途轍も無く壮絶な物語として、記憶に深く刻まれたに違いない。そしてこの騒動はしばらく勝武城下で語られる事であろう。
 翌朝、古今山で無楽を探していた勝武の兵が無楽の屍と、漣紫を見つけた。大田の存在も発覚し、勝武城で大田達五人はしばらく英雄となった。この事で大田、蔵、叶の三人は殿勝武の九十石近衛兵として大出世し、お涼は勝武城の忍軍に任命され「勝武城忍軍」の肩書きをもらった。殿の勝武は、国中に広まった青鋼を回収する令を出し、呪いによる死者がこれ以上でないように気を配った。回収した青鋼は、倉庫となって新しくなった親鸞第四十七堂に大切に保管されることになった。もちろん、漣紫もそこにある。
 戦の終結からニ、三日経ったある日、大田は一人出世を自慢するため良山の鍛冶屋へ訪れた。
「おやっさーん!元気かい!?」
戸を開けてすぐ叫ぶ大田だった。良山はもちろん大田の出世を知っていた。と、良山はいきなり刀を持って現われた。
「おおっ!立派になりやがって!城の一張羅じゃないか! 早速だが新しい刀が必要だろう。造っといたぜ。名刀「蜂針(はちばり)」!持っていきな!」
いきなり新しい刀である。大田は跳び上がって喜んだ。
「ありがとよ!おやっさん!」
しかし、良山は最後に一言付け加えた。
「おっと待った!せっかく九十石の家臣なんだから、金ぐらい払って消えな!」
良山は笑って言っていた。大田はとても驚いた表情をしていた。そして困ったようだった。
「おいおい〜そんな早く金が入るかよ〜。たのむぜ〜おやっさん!」

終章 「侍極の道、歩む。」
 あれからしばらく経ち、ほとんどの人間が青鋼事件を忘れかけていた。しかし、大田と蔵が殿の側で近衛兵として働く実感を徐々に感じるにつれ、青鋼のことが思い出されてくる。あれから城下は平和そのものである。大田と蔵は勝武城で剣術指南をうけ、二人とも独自の形を極めるため、必死な毎日を過ごしている。九十石という大出世だが、それが大田には少し窮屈な感じがあった。稼屋としてあこぎに稼いでいたあの頃が懐かしいと思うほどだ。
 あれから町はどうなったのか。
 商いの町にいる良山は、鍛冶屋として再び刀を打つ決心をしたらしい。もともと腕の良い鍛冶屋であるため、その評判は上々である。いずれ店を客の多い浪人街へ移そうかと思うほどだ。
 町医者の矢島は相変わらず町医者として働いているが、もう一つの商売として読売や瓦版を配る、一種の情報屋としても密かに活動しているらしい。その情報が、正しいか否かは不明である。
 浪人街に店を構える金物屋の田中は、今までケチ臭く貯めていた金で店を浪人街から娯楽者の町へ移すらしい。金物屋という小さい商売が娯楽者の町でやっていけるか。一つの賭けとして、田中は勝負に出たのだった。
 町樹海にある古辻忍流の総本山、九魂寺。あれ以来、その姿を見たものは誰一人としていないのである。町樹海の人間は神隠しなどと言っているが、実際のところ真実は分かっていない。
 それぞれが一生懸命生き抜いたこの青鋼事件。人々はこれを忘れ、また新たなことに血を騒がせるに違いない。この物語はほんの一部の人間を見てみたが、人間一人一人の人生は深く、味があるものである。この侍極を生き抜いた猛者達が、次に見る『侍極』は一体どんなものなのか。物語は終わり、そして続いてゆく。



2004/10/02(Sat)00:15:39 公開 / 珈琲煎餅
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