『フィールディング・ザ・リッパ−1〜3』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:バーロー                

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薄暗い部屋の中。刃を研ぐ音だけが規則的に聞こえてくる。部屋の真中だけはスタンドの灯りで照らされており、そこにはナイフを研ぐ少年の姿があった。


クランプで固定された砥石が置いてある。砥石の長さは20センチ、幅は8センチ程度だろうか。

少年は静かにゆっくりと、しかしブレードの角度を常に一定に保ちながらナイフを研いでいた。

左手の人差し指と中指をブレードに添え、ナイフを往復させる。ナイフを研ぐ際、第一のポイントは角度を一定に保つことである。

ブレードの角度は一般的に15度から30度。角度を小さくし、薄く研げばナイフは切れ味を増し角度を大きくし、厚く研げばナイフは鉈のようにタフになる。

厚く研ぐか、薄く研ぐかは用途と好みによって違ってくる。今、少年が研いでいるナイフは刃渡り13センチのフォールディングナイフだ。細身で切れ味の鋭そうなこのナイフは殺しにはもってこいだろう。

ナイフには折りたたみ式のフォールディング、鞘つきのシースタイプがある。少年はナイフを研ぎ終えるとオイルを塗る。じっとナイフを見つめる少年。ブレードにその貌が映し出される。
その相貌は美しかった。類稀なる美貌の持ち主といってもいい。いかにも艶のありそうな黒髪は少しカールがかっており、切れ長の双眸とその奥にある瞳は黒真珠を思わせる。
薄く口紅を引いたような唇はやや腫れぼったく、しかし官能的な魅力があった。
ブレードが不気味な光る。その光が少年の脳裏に沈んでいる忌まわしい記憶を蘇らせた。
少年――明は思った。人間とナイフは良く似ている。上手く研げば切れ味の鋭く、あるいはタフになり下手に研げば切れ味が悪いナマクラになる。

7年前のあの日・・・・・・「明!早くこっちへ来なさい!」母、登美子のいつものヒステリックな呼び声。日曜日には必ず行う伝道。太陽がギラギラ輝く日でも、大雪が積もった日でも繰り返させた。38度の熱を超す風邪を引いても、それは休むことなく続いた。行く先々の家の住人達は眉を潜め、母子達に侮蔑の眼差しを送った。話を聞いてもらえずに断られることなどしょっちゅうだった。そんな日がいつも続くと明は脅えた。ヒステリーを起こした登美子の八つ当たりが待っているからだ。自分の母の登美子は間違いなくナマクラだろう。明が伝道の時間にほんの数分ほど遅れたというだけで、この狂信者は三日間、飯も食わせず水も飲ませず、熱湯を浴びせゴムホースを二つに折って、ガムテープでグルグルに巻いた鞭で身体のあらゆる部分をめちゃくちゃに、紫に変色し、腫れあがるまで打った。頬を打たれる衝撃と激痛。脳天に響き渡る苦痛。少年にとって、それが日常だった。


明は母が大嫌いだった。登美子の神経質そうな顔に、やかましい金切り声。
ロクに手入れもしない髪の毛はとっくの昔に艶を無くし
所々白髪が生えていた。
見ているだけでこっちが苛立ってくるような女。
世間に毒を撒き散らすだけの屑虫。
一緒にいるだけで胸糞が悪くなってくる。
ある時、明は学校の図書館から本を借りてきた。
どこにでもあるような本だったが、その本の中には怪談に纏わる話が描かれていた。
登美子はいつものようにヒステリックにわめく。
「この本は悪魔の本よッッ!神への冒涜だわッ!」
いつものお決まりの台詞。狂信者ほど性質の悪いモノはない。
明はそんな登美子に侮蔑と冷笑を持って冷ややかな視線を送った。

登美子にはそれが神経に触ったらしく、登美子は明の目の前で
本を破り捨てると燃やしてしまった。
破られ、燃やされ、灰になった本。
何故こんな女が自分の母親なのか。
愚かでヒステリックで生きる価値もないような、
こんな女から自分は生まれたというのか。
そう思うと腹の底から殺意が湧いてくるのがわかった。

いつもの八つ当たり。何かを叫んでいる母親。
登美子の口の端からは唾液の泡が垂れ、唾が飛んだ。
眼は充血し真赤なヒビが入り、普段青白い顔は赤黒く変色していた。
明は髪の毛を捕まれると鞭で脇腹を打たれた。
脇腹がジンジンと痛む。登美子は鞭を放り出すと明の頬を叩いた。
何度も頬を弾かれ、口の中に血の味が広がった。
明はポケットをまさぐった。・・・・あった。
どこにでも売っているような安物のカッターナイフ。
ポケットの中でカチカチと音を立て、カッターの刃が伸びていく。
カッターをポケットから素早く取り出すと明は
自分の髪の毛を掴んでいるの右腕に刃を切り付けた。
カッターの刃が肉に食い込み、腕を切り裂く。
登美子は鋭い痛みを感じ、明の髪の毛を掴んでいた手を話した。
切られた腕を押さえると、押さえた指の間から黒い液体が
ダラダラとこぼれていく。

「人間の血は赤いのに母さんの血は黒いんだね。これはお母さんの身体に
悪魔が居座っているからだよ」
明はテーブルの上に置いてあった頑丈そうな陶器の花瓶を掴むと
うずくまっている登美子の顔面めがけて、ぶん殴った!ぶん殴った!ぶん殴った!
登美子の前歯がへし折れた。花瓶が顎の骨に当たった。鼻が潰れた。
登美子が仰向けに倒れる。その上に明は馬乗りになると花瓶を両腕に持ち替え
振り下ろした。何度も何度も振り下ろした。
明の頬に生暖かい液体がへばりつく。明はかまわず殴った。
鼻腔から口内から登美子の血が溢れ出す。
前歯は全損し口内をズタズタにした。
頬には穴が開き歯が顔を覗かせている。
頬骨はべっこりと陥没し鼻はひっしゃげ、辺りは血の海と化した。
「気分はどうだい。母さん?」
明は花瓶を放り出すと登美子の顔を覗き込んだ。
登美子は肩で息をしながら喘いだ。
さらに殴りつけるとついに頬が折れた歯によってノコギリで刻んだように裂け、
赤い肉を露出させた。


土曜深夜のナイトクラブ。脳内に響き渡るリズム。頻繁に切り替わる照明。
踊り狂うガキども。クソやかましい叫び声。
ナイトクラブのパーティーに群がるガキの顔は、どれも似ていて区別がつかない。
フロアの隅のカウンター。明はバーテンに酒を注文した。
「ワイルド・ターキーを一杯くれ」
バーテンは無言のまま、ショット・グラスに酒を注ぎ込む。
バーテンが酒を明の前に置いた。グラスを掴むと一気に飲み干す。
ターキーが心地良く喉を焼いた。腹の底が熱くなった。

登美子は死んだ。もっとも死因は別だ。
あれほど酷い傷を負いながら、あの時までは登美子は死んではいなかった。
明は口元を歪ませた。あれほど滑稽な死に様はない。
診断は頭部及び顔面口腔外傷。
軟部組織損傷に顔面陥没骨折、極めつけは一次性脳損傷。
現代の医学では治療可能なのは二次性脳損傷だけだ。
一次性脳損傷は現代の医学レベルでは治療不可能だ。
それでも登美子は生きていた。悪運が強かったのかもしれない。
奇跡的に植物人間にもならず、半年ほどのリハビリで
登美子は自分で車椅子で移動できるまでに回復していた。
そして一週間後、登美子は病院の便所で死んだ。
便器の内部に顔を突っ込んでの溺死。
登美子にはお似合いの死に様だった。

明が込み上げる笑いを必死に押し殺そうとしていた時。
上着の内ポケットの携帯が鳴った。
携帯のディスプレイには見慣れた番号が表示されている。
(木下の野郎だな)明は舌打ちをした。
こいつから連絡が来る時はロクな事が無いからだ。

生温い風が男の顔にへばりつく。蒸し暑かった。
真夜中のうだるような熱気が、男の額から汗を滲ませる。
男にはひとり連れがいた。
パンチパーマに眉なしの頭の悪そうな悪人ヅラ。

「木下。野郎は本当にこのアパートにいるんだろうな?」
男がパンチパーマの悪人ヅラ―――木下をジロリと睨みつける。
「と、とんでもねえ。絶対にあいつはこのアパートにいますって。部屋の明かりも
ついてましたから。」
歯の抜けた口内からシンナー臭い息を吐きながら
木下は卑屈に顔を歪ませると引きつった笑みを浮かべる。

オールバックにヴァレンティノのスーツ。
右手にロレックスをはめた男は、とてもカタギには見えなかった。
内側のポケットから取り出したマルボロを男が咥えると、
木下はライターを取り出しタバコに火をつける。
紫煙が空中にゆらゆらと揺れながら立ち上っていった。
男は肺にゆっくりと煙を送り込んだ。そして煙を吐く。

目の前のボロアパート。
いかにも安普請な造りは、隣の部屋のあえぎ声まで聞こえそうだ。
餓鬼の頃に住んでいたボロアポートとどことなく似ている。
男はいらだちのような感情を覚えた。
咥えていたタバコを地面に吐き捨てると踏み潰す。
目の前の鉄筋コンクリートのボロアパートは、
それでもゴキブリが住むには上等すぎる。
ゴキブリ野郎―――五味義郎(ごみよしろう)は名前通りのゴミのような男だった。
いや、ゴミそのものだ。ゴミのほうがマシだろう。
何故ならゴミは、飯も喰わなければ糞もしない。呼吸もしなければ水も飲まない。

義郎は男から二十万の金を借りていた。男は金貸しだった。
もっとも貸金業者登録はしておらず、
トゴ(十日で五割)の利子で金を貸し付ける、闇金業者だ。
出資法、利息制限法を全く無視したトイチ(十日で一割)の
金貸しも真っ青である。
男と木下はアパートの赤錆びた階段を、ガンガンと音を立てながら上がっていく。
201号室のネームプレート―――汚い文字で五味義郎と書かれていた。
全く救いようの無いド低脳だ。ばれないとでも思ったのか。
半年前に夜逃げをした義郎は三日前に転入届を出していた。
男はすぐに区役所から戸籍の附票を請求し、義郎の現在の住所を突き止めた。
今までの元金と利息をあわせて二千万はあるはずだ。
二十万がわずか半年で百倍になる。利息が利息を呼ぶ利息地獄。
男はベニヤ板の間に薄い鉄板を入れたようなドアをノックした。
「夜分遅くにすいませぇーんっ。赤猫宅急便ですぅ。お荷物をお届けに参りましたっ」
木下の宅配人を真似る声。中で誰かが動く気配がした。ノブが回り、ドアが開く。
その瞬間、ドアの隙間に男は足を突っ込むと勢い良く中に突っ込んだ。
その後ろから木下もついてくる。

突然の侵入者にあわてて逃げようとする相手の顔には見覚えがある。
腐った黄身のような濁った眼に、生酸っぱい饐えたような体臭。
浮浪者のションベンと糖尿の末期患者のションベンを絶妙なバランスで
混ぜ合わせ、腐ったビネガーを加えたような臭いが鼻腔を刺し貫いた。
五味義郎本人だ。
脅えているのかパニックを起こしたのか、義郎は息を荒げ
コレステロールによって、腹に長年蓄積された脂肪を上下にうごめかせていた。

逃げようとした義郎の髪を鷲掴みに引っつかむと
床に叩きつけ、脇腹を蹴り上げる。
靴の爪先が脇腹の肉にめり込むと、義郎は反吐を口から吐き、糞を尻から漏らした。
ジャージのズボンは茶色く変色し、股間からは小便がダラダラとこぼれ落ちる。
本当にむかつく野郎だ。見ているだけで胸くそが悪くなる。
「たっ!助けてくだしゃいっ!お金は必ず返しますからっ、ゆ、ゆる、赦してぇっ」
嘘。でたらめ。不良債務者から必ず聞かされるこの言葉。もう聞き飽きた。うんざりだ。
「そうかい。それじゃあ積もり積もった借金二千万、お前どうやってカタつけるんだ?」
義郎の顔がどんどん青ざめ、口から泡を飛ばしながら叫んだ。
「そ、そんなぁっ、僕が借りたのはたったの二十万のはずだっ!」
「利息が溜まりすぎたのさ。俺んとこがトゴなのはお前も知っていたはずだ。
とりあえずお前の腎臓と角膜を頂こうか。お前みたいなゴミでも人様の役には立つ。
俺達がリサイクルしてやろう」
「たす、たす、助けてっ!誰かっ助けてっ!」
目の前で嗤うふたりの男。義郎の視界はいつしかぼやけていった。

男――加賀は歌舞伎町を根城にする闇金融業者だ。ただの闇金業者ではない。
加賀は「仁王組」の若頭補佐である。仁王組は構成員合わせて30名。
日本最大のヤクザ組織「大本会」の盃を受けた直系の組である。
債務者の生き血を一滴残らず吸い尽くすことから
加賀は同業者から「吸血鬼」と呼ばれ、一目置かれていた。
情け容赦の無い加賀の執拗な取立ては苛烈を極め、借りたら最後
債務者は棺桶に入るしかない。

血の一滴まで残らず絞り尽くし、金に換える。
加賀が吸血鬼と呼ばれるもう一つの理由。
債務者から文字通り、生き血を搾り取るのだ。
クジラと同じで人体には捨てるところがない。
生体臓器は勿論のこと、骨髄、筋肉、皮膚、血液、
あらゆる部分が金に換わる。
加賀にとって債務者の命など取るに足らぬ虫ケラと同じだ。
金がない奴は、首がない死人。
死人を切り刻んでも所詮は死人。
加賀には情、良心の呵責というものが全く存在しない。
あるのは異常とも言える金銭に対する執着と悪魔のような冷酷さだけだ。
愛だとか人情だけでは飯は喰えない。
甘さは相手をつけあがらせるだけだ。
ヤクザがなめられちゃオマンマの食い上げだ。
加賀にとって力こそ全てなのだ。


歌舞伎町には現在、八〇〇〇人ほどのヤクザ者がいる。
その内の六割は関東系のヤクザ者で二割が関西系、残りの二割が不良外国人。
マフィアどもだ。
福建の蛇頭、中国本土は黒社会、香港の青幣に上海の紅幣、
コロンビアの麻薬カルテル。その麻薬を捌くイランの売人。
チャイニーズ、ロシア、コリアン、それぞれ共通しているのは
一攫千金を夢見て奴等は日本にやってきたということだ。
母国ではけっして掴む事が出来ない大金でも日本では手に入れられる。
ジャパニーズ・ドリーム。日本では端金でも連中にとっちゃ大金だ。
失うものが無い奴は強い。守るべきものがある奴は弱い。
イラン人は二百万で殺しを請け負い、
チャイニーズ・マフィアは五十万で殺しを請け負う。
そんな連中を相手にする場合、重要なのはどれだけ睨みを利かせているかだ。
日本のヤクザとは違い、連中は仁義も無ければ、話し合いの席をもうけるという
考えも無い。問答無用だ。生き残るには非情にならざる負えない。

明はラブホテルに向かっていた。
木下からクラブのデート嬢をホテルに届けろと言われたからだ。
本来ならチンピラ、三下ヤクザのやる仕事だ。
木下のシンナー臭い卑屈な顔が頭に浮ぶと、無性にむかっ腹が立った。
強い者にはとことん媚びへつらい、弱い者にはとことん威張り散らす。
木下は絵に描いたような卑屈な小心者だ。
加えて後ろの席に座っている無愛想な女のツラに明の苛立ちの拍車がかかる。
クラウンをスローダウンさせ、エンジンを切った。目の前には目的のホテル。
デート嬢は無愛想な顔で、何もいわずに車から降りるとホテルに入っていく。
明はタバコを咥えると火をつけた。
眼を閉じれば、そのまま心地良い眠りにつけそうだ。
客とデート嬢とのアレが終わるまでたっぷり2時間はある。
明はタバコの吸殻を窓から放り投げると仮眠を取る事にした。

携帯の着信音。目がさめた。時計を見るとアレから一時間も経っていない。
携帯はキッチリ5回鳴ると止まった。客とのトラブルの合図。
車から降りるとホテルの中に入っていく。
フロントのばあさんに5千円札をわたし、部屋のキーを受取った
エレベーターに乗り込む。二階で降りる。
コンクリートで出来た廊下。自分の足音だけが聞こえてくる。
部屋についた。鍵穴にキーを差し込む。ドアが開く。
室内にはデート嬢と客がいた。
乱れたベットのシーツ。散乱するテッシュペーパー。
身体中殴られて痣になり、横たわるデート嬢。
顔を紅潮させ、息を荒げている素っ裸のデブ親父。
話し合いの余地は無い。問答無用で中年の親父に殴りかかった。
鼻っ柱に拳をめり込ませる。鼻血を噴出しながらカーペットに倒れる親父。
ぶよついた生白い脇腹を何度も蹴り上げた。胃の内容物を辺りにぶちまけながら
呻き声をあげ、這いつくばる親父。ぶちまけられ、湯気をあげる反吐。
背中をゴキブリのように踏みつけると、短い手足をバタつかせながら
逃れようと必死にうごめく。
明は親父の二重顎を渾身の力で蹴り上げた。
顎の骨が砕ける感触がダイレクトに伝わる。
親父は白目をむくとそのまま動かなくなった。
壁にかけられたスーツから財布を取り出すと中身を確かめずにポケットに入れた。
親父を尻目にデート嬢に上着をかけてやると、明はホテルを後にした。

2004/09/23(Thu)02:36:02 公開 / バーロー
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■作者からのメッセージ
少しずつ修正していきます。

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