悪魔（ジョーカー）に恋して｜縦書き表示ビューワ（MSIE、WebKit系ブラウザ用）

『悪魔（ジョーカー）に恋して』 ... ジャンル：未分類未分類 作者：渚: １２３４５６７８９101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
「ほんっと考え浅いね」
「あんたこそ、ほんっとに口悪いね」
あたしはストローでクリームソーダをくるくるかき回す。上に乗っかったアイスが溶けて緑色のソーダに白くにじむ。こんなに暑くてもバーの中はひんやりと冷えていて、でっかいアイスを完食するのはちょっとムリだ。スプーンでアイスをすくってはまたコップの中に落とすあたしを見て、彼はため息をつき、グラスを少し揺らす。ウィスキーに浸った氷がカランと上品な音を立てる。こいつ、あたしのこと馬鹿にしてるな。
「じゃあ聞くけど、もしハヅキの目に前に大っ嫌いな人がいるとします」
ああ、想像しやすいたとえだ。今まさに、あたしのだいっ嫌いな人が目の前にいる。あたしのことを冷たい目で見ながら、よくしゃべる彼。
「ちょっとハヅキ、聞いてんの？」
「あ～はいはい、あたしの目の前にススムがいてどうしたって？」
「ハヅキはとってもよく切れる剣を持っています。さて、どうしますか？」
「ん～、殺しはしなくても、ちょっと突くぐらいするかもね」
「でしょ？つまり殺意って言うのは誰でも持ってるモンなんだよ、お嬢サン」
だいっ嫌いな人を自分に当てはめられても、彼は特に気にした様子もなく話し続ける。図太いヤツ。
「殺さないわよ」
「じゃあなんで突くの？」
「ムカつくから。その憂さ晴らし」
「それだってほんのわずかな殺意なの。それがだんだん大きくなって、その内殺しちゃうんだよ」
「つまり、あなたの話は生きてる人のすべては殺人犯の才能を持ってるってことね」
「違うよ、もう、なんでハヅキはそんなに飲み込みが悪いんだよぉ。人だけじゃなくて、生きてるすべてのものはそうなの」
あたしは大きくため息をついた。大差ないだろうが、細かいことにこだわるな男のくせに。
ちょっと、いや結構、いや、かんなり不釣合いなカップルかもしれない、あたしたちは。
クリームソーダのアイスで遊んでいる女。茶色いショートカットにキャミソール、デニムの短パンに運動靴。夜のバーにはすさまじく似合わない、子供。
氷をカラカラいわせながら上品にウィスキーを飲む男。右目の上から下にかけて施されたスペードの刺青。左目の上から下にかけて施されたダイヤの刺青。夜のバーにぴったりな不思議な雰囲気をかもし出す、大人。

彼と付き合い始めたのは２年前だ。街でたまたますれ違った彼は、明らかに回りの視線を引いていた。右目に入れた刺青を、皆興味深く見る。あたしはその当時、とても刺青にあこがれており、右の二の腕に蝶の刺青を入れていた。そんなあたしは、彼の刺青に、惚れた。
なんて馬鹿なんでしょう、あたしは。男を顔や家柄でなく、刺青で選ぶなんて。
あたしが彼に声をかけると、彼は愛想良く話してくれた。近所の喫茶店で二人、小一時間話した。瞬きをするとスペードの形が完全に見えて、かっこいい。そういうと、彼ははにかむように笑った。
メルアドを教えあって、いろんな話をして、何度もデートして。４回目のデートのときに、あたしが頼んだ。付き合ってください。
はじめのうち、彼はとても優しくて、あたしが嫌がることは一切しなかった。が、ある日突然変化がやってきた。あたしが彼のアパートを訪ねると、家の中がなんだかずいぶんと静かで、どことなく冷たかった。不思議に思いながら家に入っていくと、彼はあたしに背を向けて座っていた。ススム、と呼ぶと、彼はゆっくりと振り返った。あたしは愕然とした。彼の左目には、ダイヤの刺青が入れてあった。彼は笑った。いつものやさしい笑みではなく、冷たい、あざけるような笑み。
どうかな、ハヅキ。結構かっこいいでしょ。
彼はゆっくりとそういったが、あたしはぶんぶんと首を振った。彼の顔は、まるでピエロだった。いや、そんな優しいものじゃない、ピエロというより、悪魔（ジョーカー）だった。あたしはへなへなとその場に座り込んだ。

それ以来彼は、独特なくせのある話し方で、あたしにいろんなことを聞いた。そのすべてが、わけのわからないことばかり。
君はどうして生きてるんだ、君は何かを殺したことがあるか、君が一日で一番考えることって何だ…。
あたしがちょっとまごつきながら答えると、彼はため息をついていい？といって話し始める。
今日は生き物と殺意についてだった。まぁしゃべるしゃべる、良く舌をかまないものだ。もう、いっそ舌を千切れるぐらいに噛んで、二度としゃべるな。
一日で一番考えること、それは他でもない、彼のことだった。なんでこんなヤツと付き合っちゃったんだ、あたしの馬鹿。刺青なんかで判断してんじゃねぇよ。結局、あの蝶の刺青はショックで消したくせに。ああ、あたしって男を見る目がない、あたしって世界一不幸。そんなにいやなくせになんで分かれないんだよ、ずるずる引きずってんじゃねえよ、バーカ。
いっつも結論は一緒。なんで別れないの？
なんで別れられないんだろう。あたしはぼんやりとつばを飛ばしながらしゃべっている彼を見た。あたしはババを引かされたのだ。善者の仮面をかぶったジョーカーを。
あたしはどうしても彼と別れることができなかった。どうしてだろう？考えるふりをしても、内心はきっちりわかっちゃってる、ああ、イヤだ。
あたしは彼を愛してるのだ。たとえそれが、嫌悪に似た形の、いびつな、歪んだ愛情だとしても。
あたしはクリームソーダをすすった。もうすっかり炭酸が抜け、おまけにアイスまで溶け込んだ、甘ったるい味。クリームソーダの緑に、アイスが溶けてじんわりとした模様が浮かんでいる。あたしと彼の関係は、こんな感じなのだ。こんなつながりを一刻も早く断ち切りたいのに、どうしてもそれができない、そんな、悲しいつながり。このつながりを断ち切ってしまえば、あたしがあたしじゃなくなるような気がして、生きていけないような気がして。
ああ、あたしって女々しい。まぁ、女なんだけど。何でこんなに半端者に育ててくれたの、ママ。恨みたいよ。
「ちょっとハヅキ、聞いてんの？」
お決まりのことばと一緒に、冷たい目線を送ってくる彼。あたしはため息をついて、彼のことばに耳を傾けた。だが聞こうとしても彼のことばはやんわりとあたしの脳を通り過ぎて、眠気を誘うだけだった。

頭に何か硬いものがぶつかって目が覚めた。むくりと起き上がると隣のベットでススムが寝息を立てていた。あたしの枕元（いや枕なんて置いてなかったが）には目覚まし時計が落ちていた。
どうやら、バーで転寝してしまったあたしを自分のアパートまで連れてきたらしい。そこまではいいんだが、彼女を床で寝かせて自分はベットでねるってどうよ、お兄さん。しかも目覚まし落ちてきたし。いてえよ、馬鹿。
あたしは彼の寝顔を見た。目を閉じているとスペードとダイヤの模様が完全に見える。それがかっこいいなんて昔は思ってたなぁ。ああ、あたしって馬鹿だ。
規則ただしく上下するお腹の上にあたしが下にしいていたタオルケットに乱暴にかける。せめて布団敷けよ、背中いてぇよ。
ため息ひとつ。こんな憎まれ口ばっかりたたいてるくせに。別れることも、全身全霊で愛することもできない自分がいやだ。ああ、いやだいやだ。もう、ちょっとらしくないことしちゃおっかなぁ。
あたしは膝で歩いて、彼のそばに近づいた。一応ススムさ～ん、と呼んでみて応答がないのを確認してから、あたしはそっとスペードの刺青をした右のまぶたにそっと口付けした。この刺青のおかげで彼と出会えたのだと感謝する反面、こんな刺青の所為でえらい目にあったという感情がぐるぐる混ざる。あたしは、ついでに彼の左目のダイヤの刺青をペロンと一舐めした。
まぁ、こんなことで消えるようなモンじゃないから、ただの気休みにしかならないが。
ああ、なんかもうやんなっちゃうな。彼のことも、自分のことも。あたしはのろのろと立ち上がって、台所に向かった。一宿の恩は返すべきだよね。
あたしは勝手に彼の冷蔵庫から卵を取り出し、油を引いたフライパンの上に落とした。じゅっという音と一緒に油がはねて手に当たる。いたい、熱い。彼があたしに与える痛みは、これよりずっとたちが悪い。つぶれそうなのにいつまでも頑固に粘っているニキビみたいな、じゅくじゅくした、うっとうしい痛み。
目玉方に焼けている卵の黄身を、あたしは橋で両断した。中身がとろりと出て四方八方に広がる。は～い、あたしと彼の関係図かんせ～い。うじうじずるずると、運命共同体みたいな付き合い。ああ、もうイヤだ。何でこんな馬鹿げたことやってるんだろう、あたし。
こんな汚い目玉焼きを見ると、彼はきっとまたなにやら言うだろうから、冷蔵庫からハムをとってちぎって入れて、スクランブルエッグにした。皿を机に並べていると、彼がのっそりと台所にやってきた。寝起きでも不自然なほど整っている彼の髪。
「おはよう、ハヅキ。よく眠れた？」
「まぁね。誰かさんが枕もなしで床においといてくれて、顔に目覚まし時計落としてくれたからさわやかに目覚められたわぁ」
「そう、よかった」
馬鹿かこいつ。皮肉ってモン知らないのかよ。あたしは彼のためにコップに注いだ牛乳を結局自分で飲み干した。口の周りについた牛乳を手でぬぐっていると、案の定彼はあたしを冷たい目で見ていた。ああ、またはじまんのかよ。
「あのねぇ、ハヅキ。君は女の子でしょ。何でそういうはしたないことするのかなぁ」
「男だ女だって、そんなの関係ないじゃん」
「関係ない？あのね、性って言うのは…」
ああ、あたし馬鹿だ。何でいつも火に油注ぐようなことしちゃうんだよ。あたしはため息をついて彼を見ていた。
彼の両目の刺青。あたしはその片方に恋をし、その片方に幻滅した。スペードにはあたしの愛が、ダイヤにはあたしの憎しみが詰まってる。
「ちょっと、ハヅキきいてんの？」
この言葉が一日で一番多く聞くかもしれない。そんなことを考えていると、彼が大きくため息をついた。
「まったく、恥ずかしいよ。自分の彼女がこんなに馬鹿ではしたないなんてサ」
あたしは思わずカチンと来た。なんなんだよ、こいつは。
「あ～あ、選択間違えたかなぁ」
「そんなに言うなら別れればいいじゃないっ！！あんたがいつもあたしのこと振り回して、好きなようにやってきたんじゃない！」
あたしは不覚にも涙ぐんでしまった。遂にいってしまった。悪魔はゆっくりとあたしのほうをみた。両目の刺青越しに冷たい目線をあたしに送っている。
怖い。何か、何かとてつもないことが起きそうで。何か、恐ろしいことが起きる。彼が一歩近づく。あたしは声にならない悲鳴を上げ、あとさずる。彼がまた一歩近づいてくる。いや、とかすれた声でつぶやきながら首をぶんぶんと振る。彼は、もうあたしの目の前に迫っていた。ジョーカーが、冷たく笑う。彼の手が伸びてきて、あたしは硬く目をつぶった。
彼の冷たい手は、あたしの前髪をそっとかきあげただけですっと戻っていった。あたしが恐る恐る目を開けると、彼はあいかわらず微笑んでいた。
「いいよ、別に。別れても」
彼は静かに、ゆっくりといった。いいよ別に別れても…彼の言葉が頭の中でがんがんと響く。あたしはその場にへたり込んだ。動悸は痛いぐらい早くなっている。
「どうする？別れるの？」
あたしはぶんぶんとかぶりを振った。それと同時に涙が飛ぶ。彼は少し笑ったのが聞こえた。
「悪い子だね、ハヅキは」
彼はそういって頭をぽんとたたくと台所から出て行った。あたしは腰が抜けて立ち上がれなかった。涙が次から次へとあふれてきて、とまらない。
なんだよ、情けない。結局あたしは、彼とはなれることはできないのだ。あのジョーカーと唇を重ねたあの瞬間から、悪魔との契約は成立されたのだ。
あたしはただただ、泣いた。この涙が一体何にむいているのかわからぬまま、ただ、延々と。
脳裏には、ジョーカーのあの笑いが焼きついて、どれだけ引き剥がそうとしてもはがれなかった。; 2004/08/20(Fri)23:39:56 公開 / 渚
■この作品の著作権は渚さんにあります。無断転載は禁止です。; ■作者からのメッセージ
こんにちわ。宿題に追われている渚です；今回は短編です。ちょっと変わった二人の関係のような、そんなものを書きたかったんです。
これでこの話は完結です。お付き合いいただきありがとうございました。

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