『覆ウハ、雫【13】』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:湯田                

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
           〜本章〜





【8】


『・・・・いつからだ・・・?』
 男は視界に入る銃口に恐怖する様子もなく聞く。
『いつからも何もないさ、予定は何一つ狂っていない。残念なことにね』
 
『・・・なるほど』
 男は目を閉じる。その頬の肉が震えているように見えるのは、信頼ゆえの「怒り」か「悲しみ」がそうさせているように思われるからなのか。
ともかく、男は自身の存命には既に期待していない。嫌でも耳にねじ込まれる引き金を絞る音が、ほのかに香る金属の匂いが、男の死をがっちりと固定して不動のものにせんとしているからだ。
そしてそれは、永遠とも思える沈黙の後に轟音とともに静寂の中を駆け抜けた。
『尚も星は揺らめき、我の上にあり』
 硝煙を吐き続ける拳銃を片手に、彼は呟く。



だが彼がその星空を見上げようとするところで、画面はその一面を無機質な「青」で覆ってしまって俺は少し悲しくなった。

「オッケーでーす。完璧でしたよ、お二人とも。お疲れさまでした。」
 ガラス越しに音響スタッフが欠伸混じりに声を送ってくる。同時に、画面の「青」もその色を失って、そこに四角く穴が開いたように見えた。


「お疲れ」
 続いて、マイクの電源が切れたのを確認して、撃たれた男を演じていた男が声をかけてくる。画面の中のそれと重なるのは、「声」だけなのだが。
まぁかく言う俺もさっきまでこの男同様、画面の中の髪の色も違う他人の口の動きに自分の声を合わせるという「職務」をこなしていたわけなので、そこを今更ツッコむのも少々馬鹿らしい。自分の仕事に誇りは持ってないし多分これからも持てないんだろうが、いちいち卑下にして良い事があろうハズもない。
だから俺も出来うる限りの「愛想の良い表情」を作って答える。

「いえいえ、こちらこそ色々と勉強させて頂きました。ありがとうございました」
 それに、仮にもこの道ではあっちは大先輩だからな。

「それでは、用がありますのでお先に失礼します」
 俺は軽い一礼と軽い嘘を置き土産にスタジオを出る。途中で音響も立ち上がって帽子を脱いで頭を下げて来たが、俺は綺麗さっぱりに反応を返さずその場を立ち去る。廊下に出たところで、やはりこちらも何かしらの礼節をもって言葉を返すべきだったかと思ったが、結局受付の前を通ったときにはそれは「後悔」なんてものにまでは成長せず何処かで振り落とされてしまったようで、俺の脳内では既に今晩採れうるであろう睡眠時間のその量の計算が始まっていた。
実際には、わざわざ計算するほどの量の睡眠は採れないのだろうが。

俺は中央エントランスからビルを出てすぐタクシーを掴まえる。
「谷筋第7ビルまで」
 そこで本日最後の職務を全うすることになっているのだ。
やや間があって車内が揺れ始める。灰を残したまま暗くなっている空に星は見えない。対照的に様々なネオンとその残照が飛び交う車内に俺は目を細め、そしてゆっくりとため息を吐いた。

ーーそれにしても、だ。
一体いつまで俺はこんな仕事を続けるのだろう。正直、この「声優」という職業が全く以て俺に向いていないことは嫌というほど実感してしまっている。しかし、俺は大して高給でもないこの仕事を1年間続けてきているのだ。この状況に安住してしまったのか、または何処か満足できるものを見つけてしまっているのか。恐ろしいことに俺だけがそれに気づいていないだけで。
いや、そもそも俺は間違っているのか?
実は「安住」や「充足」こそが人生の目的であったりして、だとすれば今の俺なんかバッチリ幸せなんじゃないか?
では、俺の内から湧いてくるこの怒りは何だ?
そしてこの怒りが俺自身へ向けられているのは、何故だ?

例の如く答えはでない。
あくまでも俺は、俺自身に「問題」を提示するのみだ。
そこにイエスもノーも、見つけられないのだ。例の如く。



俺はふと思い出して、携帯を取り出す。
音声メモが二件。
一つは、今向かっているビルで俺を待っているだろうスタッフからのもの。
残る一つは、見慣れない番号から発信されている。
あぁもう。こういうのは感受性豊かな思春期街道まっしぐらの学生諸君相手に的を絞ってほしいものだ。残念ながら俺からは何も絞り取れないのだから。悲しいことに、何も。


だが、メモの削除を決するハズの俺指は硬直してしまう。
ひょっとして、と俺は思った。
ひょっとして、こんな風に取るに足らない事象を思うままにあっさり取らず、または興味を引かれる事象には思うままあっさりと引かれてしまうことに問題があるんじゃないか、と。それこそが「安住」、「充足」していることをそのまま肯定しているのではないか、と。

ちょっと待て。

だとすれば、もはや俺に選択肢なんて、「選択する余裕」なんてないんじゃないか?ここから抜け出す為の、細く細くそしてその色を失いかけている糸をたぐり寄せるには。
実は俺はそんなこともわかっていなかったのか?

ふざけるな。
ふざけるなよ。

俺はそんな事にも気付きもせず今までただただ腐ってきたのか?
そうして腐った自分をただただ呪ってきただけなのか?
そうなのか?


馬鹿な。




『ーー音声メモを、再生します』

いいや。気づいていた。気づいていたさ。
しかし見て見ぬフリをしていたわけでもないんだ。

『・・・もしもし』

ただ少しそれは危険だったからさ。
ただそれが得難い手段だったからさ。

『・・椿原さん、ですよね?』

俺にはまだまだ俺は変えることのできる手段が沢山あって、俺はまだまだそれらを試すだけの機会と時間を持っていると思ってたんだ。

『実は、明日あなたのよく知る方の通夜が執り行われるんです』

だから、その「俺を否定する手段」はある意味俺を殺して別の誰かを俺の中で突き通していくみたいで、とても危険に感じていたんだ。

『多分・・私を含めても参列者は4、5名ほどでしょう』

でも、

『単刀直入にお願いします。明日の通夜に参列してもらえませんか』

でも多分わかっていたんだと思う。俺を変えたいのなら、根幹から変えていきたいなら、俺は俺を否定するしかない。

『下心は一切ありません。ただ、会ってお話したいことが多々あるのです』

そして俺にはもう時間がない。そんな気がする。何を始めるにしても俺にはもう、今、現在、この瞬間しかない。
だから、

『宜しければ連絡下さい。刺したりしませんから』



だから俺はメモが再生し終わる否や、見慣れぬその番号に出来うる限り速やかにボタンを叩いて発信した。指は力が入るあまり小刻みに震えていて、また汗で少し湿っているのがわかった。
耳に携帯を押しつけながらコール音を待つ俺は、窓に張り付いて潰れた雫を発見する。雨が、降ってきたようだ。それも結構な量が。

次第に乱暴になってゆく雨音を車内で遠くに聞きながら、俺は自らの行いを後悔した。俺はまた、間違ってしまったのかもしれない。
俺は、遙か頭上から指さされて笑われているような気がした。ついに、とうとう、致命的に足を掬われたような気がした。

この雨に。
そして、「あの女」に。





【9】


「松川俊介」。
聞いたこと在るような、無いような。
その名を耳に入れた時の俺の反応はそんな感じだった。
「よく知る人」なんて言うものだから、その名で直感的に脳内での該当記憶の検索が始まってしまうような、そんな人物を想定していた。名字に「椿原」が含まれている、つまり俺に遠くも近くもともかく親族であるか、あるいは俺の現在の職業又は俺に直接接触している、ここ1年間のうちに知り合った人間の名が出てくるのかと想定していた。実際、それらの人間の名前を出されれば八割方俺もちゃんとした反応を返せただろうと思う。
 
 だが、これはどうも違う。と、いうかこれは何の根拠もない俺自身の勝手な論理なのだが、思い出せないものというのは、その実思い出さなくて良いものなんじゃないだろうか。記憶が記憶として引き出せないというのは、何かしらの形でそれを満たす理由が、要因が必ずあるはずなのだ。
だからこそ、俺の底のさらに底のほうでドアをドンドンと叩く「何か」も、ぎりぎりのバランスでそこに留置されているのだと思うのだ。そして、ボロボロのガタガタになったしまったドアに残された情けない南京錠に、もはや回さずとも刺すだけでその任を果たしてしまう危うい「鍵」となる俺の記憶に、ただならぬ危険性を感じた内なる俺が俺の記憶を封印している。そう思うのだ。
 
 ゆえに俺はもうこれ以上考えないことにする。ゆっくりと俺の脳に「睡眠」という液体を流し込むことにする。もちろん俺の脳はカラカラのスポンジ状態で、たかだか2時間程度のそれでは乾きを癒すどころか「潤い」すら何処かに感じることもできないのだろうが。
 ともかく、午前5時46分。俺は就寝する。






 そしてその12時間14分後。とうとう、いや結局、俺は俺の脳内で「松川俊介」に関する一切の記憶を拾い上げてしまう。
 線香の匂いが色にまでなって立ちこめている部屋の中で、遺影となって飾られている彼のその穏やかな表情をこの目に映してしまったからなのか、それとも馴染み親しんだ彼と歩いた道を、この地に至るまでの何処かに重ねてしまったからなのか。だが因子なんてどうだってよかった。

「松川・・・」

 俺の目から、鼻から、口から、圧倒的な感情が流れ込んでくる。悲しみ、絶望、憤り。どれもが松川に向けられていて、どれもが僅かながら俺に向けられている。

 畜生。

 様々な記憶が俺の中を音をたてて走り回る。俺と殴り合う松川、俺にジュースを奢る松川、駒谷と並んで俺に手を振る松川。俺と駒谷とは別の高校に進学が決定して、うつむき加減にそれを俺達に告白する悲しそうな松川。そしてそんな松川の手を引っ張って理由もなくあてもなく馬鹿みたいに息が切れるまで走った俺達。
 
 溜まりに溜まった「匂い」、「色」、「味」。俺はその全てを拾い上げた。拾い上げたのに、涙は、言葉は、こぼれない。その気配すら感じない。何故だ。何故なんだ畜生。俺は俺の中で「青春ドラマ」と銘打たれたテープを持ってきて適当にそれを寝転がりながら酒でも飲みながら鑑賞しているのか?適当に感動して適当に悲しんでそれを共有したらそれで終わりなのか?俺ってやつは実はそういうやつだったのか?
 握り拳が震えてくるのがわかる。掌に俺の爪が食い込んでいく。
それでもまだ、何もこぼれない。

駄目だ。もう駄目だ。
俺は、俺はここに居てはならない。


 大声を上げ崩れ落ちるように泣く親族。それらをできるだけ視界に入れないように玄関をくぐったところで、ようやくじわっときて俺は泣く。静かに、静かに泣く。まるでそれがいけないことのように、見つかってしまっては誰かに叱られてしまうように、屈み込んで泣く。じわっと出てきて、ゆっくりと歩いて、すっと滑って、ぽたりと落ちる涙。しかし俺はそれら一つ一つを決して拭おうとはしない。ただの一つも、決して。

 ゆえに俺は誰が話しかけても、黙々と泣き続けたハズだった。ハズだったのだ。
それが俺のやり方だった。こんなやり方でしか、真の意味で「悔いる」ことができないのだ。
 例え相手が音声メモのあの男でもそれは同じハズだった。ハズだったのだ。



「・・・ありがとうございます」

 やはり俺は顔を上げない。涙も拭わない。

「ですが」

 だが俺の「悲しみ」に少しノイズが入る。

「ですが残念ながら、それだけでは松川さんも浮かばれないのです」

 俺の涙が止まる。同時に、俺はそのノイズに怒りを覚える。

「・・いいですか椿原さん。落ち着いて聞いて下さい」

 俺は既に顔を上げて男の顔を見上げていた。というか、睨んでいた。

「松川さんの死は」

 だがその睨みを効かしたつもりの眼光も、次の瞬間に大きく見開かれることによって形を崩してしまう。

「松川さんのこの死は、誠に遺憾なことにご本人の意志によって下されたものではないのです」
                        




【10】


 俺に対する気遣いか、それとも遺族に対するそれなのか。松川家から少し離れた公道沿いにあるファミリーレストランに移動するよう、俺は要求される。

 まぁ当たり前と言えばそうなのだが、この平日の時間帯にこの類の店を利用する人間なんて限られていて、俺達の他にメニューを頼むのは茶髪金髪の見せ物小屋連中や、もはや生きること自体にその意味を見失ってしまったという風な表情を作るサラリーマン、目の下を疲労の色で塗りつぶした運送業者ぐらいなもので、強いて言えば俺はこういう馬鹿騒ぎやら深い不快を表すため息やら何処からともなく聞こえる独り言やらを全て混ぜ合わせてぐちゃぐちゃに圧縮して放り込んだような、混沌とした空間が気持ち悪くて嫌だった。
 でも俺の連れ、というより俺を連れる彼はそういう周囲の事象が全く介入してこないような視界しか映さない便利な眼球でも使用しているのかはともかくとして、常に俺をリードする姿勢を崩さない。
俺、年上っぽいのになぁ。

 しかし何にしろ流石に得体の知れない男とファミレスで向かい合って座ってメニューを取るのなんて不気味なので俺は彼が何者なのかを問いつめることにする。つもりだったのだが、そこらへんもこの男はちゃんと察知していて腹が立つぐらいに良いタイミングで先に口火を切る。
まだ涙も乾いてないのに。


「すいません。申し遅れにも程がありますね」
 俺は「失礼だけど」の「失」を発音したところでそれを遮られてしまってまたこいつに主導権を許してしまう。まぁいい、これも年上であるがゆえの寛大な対応さ。安定感のある大人の対応さ。
「私、こういう者です」
 言って、彼は手帳を差し出す。はいはいどこの生徒さんですか、と俺。

 だがしかし、俺は不覚にもこの男に大して多大なる非礼を通していたことに気付かされる。それは生徒手帳などではなかったのだ。
そして俺が実物であるそれを見るのは初めてだった。というか一般に「平穏」の平行線の上に生き長らえている人間なんて、これを見ることなんてブラウン管を通してでしかできないし、また望まないんじゃないだろうか。

 黒革、金文字、手帳。直感的にこの男の役職が叩き込まれる。ある意味何よりも確実な「自己紹介」ではあるな、とも思った。
 それでようやく、俺も喋りかける。もとい、喋れる。
「わかりました。しかし刑事さんが俺に、いや、松川に何の用でいらっしゃったのです?」
 言って俺は後悔する。「刑事さん」なんて。うわ、見てらんないよ。庶民的観点全開な発言だよ全く。赤面しちゃっていいよ俺。
 でも真に間違っているのはそこではなかった。

「<刑事>は不適切ですね」
 苦笑して、男はテーブルの上に出されたままの手帳をチョンチョンと指さす。ん?俺は従うように視線をベリベリベリと元へ戻す。
 そして恥ずかしくなってしまう。多分本当に赤面していたんじゃなかろうか。
「特捜ですか」
 こればっかりは聞いたことしかない。というかこんなにも外見が「刑事さん」のそれと被ってしまうものだったとは知らなかった。特捜手帳なる物が。
「えぇ。では、おわかり頂けたところで本題へ移りましょう」
 本題。聞いて俺はハッとして反射的に反応を返す。
「松川は、何故死んだんです」
 男は突然トーンを上げて質問する俺に少し戸惑った風だった。

「松川さんはーー」
 男が難儀して言葉を探しているのがわかる。適切に、簡潔に事実を伝える。最適な言葉を。

 しかし俺はさっきの回りくどい言い方では満足に解することができなかったのだ。いや、少し違う。大体の言わんとしている事は掴めたが、やはりその可能性は考えたくなかったし、むしろそれは有り得ない事だと根拠なしにある意味で俺は俺の中でそれで納得しておきたかった。
 だが、これは「松川」だ。
別の誰かだったのなら、それで聞き流して納得して頭の中で「推測」の粋に留めておいてそれで良かった。何にも気にならなかった。気にする必要も、もちろん。
 だがこれは「松川」なのだ。

 だから俺は聞く。目をつぶらない。口もつぐまない。耳をふさがない。
真っ直ぐに目を見て、真っ直ぐに耳を立て、真っ直ぐに言葉を吐き、真っ直ぐに返答を待つ。例え、その返答の内容が予想のつくものであって、尚かつそれが最低最悪のものであってもだ。
 そしてここで流れる沈黙は「永遠とも思える」で表されるものではない。一瞬、「一瞬」なのだ。この沈黙は光より早く俺に近づき、俺の目に映る前に俺を通り過ぎてしまうのだ。


故に、


「ーーー松川さんは、<被害者>です」


故に「凶報」さえも、あっさりと俺の前を走り去ってしまう。   





【11】


 予想できていた。
というか、やはり俺は何処かで確信していたのかもしれなかった。それはとてもとても悔しくて、情けないことなのだが。

そんな逡巡を全て吐き出してしまうように、俺はため息をつく。
深く、とても、深く。
しかし、ついには涙まで流そうとしてしまうところで、彼が口を開いてくれる。

「あなたに、見てもらいたいモノがあります」
 と、彼は黒革のカバンから何かを取り出す。俺は彼がその「何か」をパクッと開いたところで、ようやくそれがノートパソコンなる物だと気付く。詳しいことは覚えていないが、ちょっと前にCMで見たことのある型だ。とするとコイツは普段から高スペックが好スペックだとか言って頻繁にパソコンを買い換えたりできちゃう「デキる男」なのだろうか。だとすれば自宅のパソコンをネットに繋いで間もない俺なんかは、こいつから言わせれば「愚かしい」のだろうか。

 また下らない事を考えようとしている。俺は馬鹿か。せっかく満足に仕上がっている俺の頭を俺自身が不便にしてどうする。全く、俺は俺の頭を「悲しむ」ことやら「妄想する」ことにしか使えないのか。
ほら、話を聞け。眼球に神経を通せ。ほら。


「コレです」
 いつの間にかパソコンはネットに繋がれていて、開かれたウィンドウに指示された事物を表示させるのに引っ掻くような音をたてて唸っている。が、そこらへんは流石新型という感じで、俺の自宅のそれより5倍近い速さでウィンドウを塗りつぶして見せる。
 そしてその作業が終わるや否や、彼は手早く画面をスクロールさせ、目標を俺に指で示す。
 俺は目を細める。別に目が悪いわけでもないのだが。


<<件名:駆除     HN:Allex
  本文

  11月24日  AM 2:00    >>



 どうやら表示されているのは個人サイトの掲示板で、彼が指すのはこの書き込みだ。だがただの書き込みなら、わざわざ俺にこうして見せるハズもない。
 と、いうことは。

「この書き込みにある時刻が、松川が死亡したと推測されるそれと重なっている、と。  んで、それについて俺に何を聞くんです?」

 男は愛想笑いを浮かべる。いや、浮かべて「くれる」。

「お察しがいいですね。 では、例の如く単刀直入に」

 言って、彼は再び黒革のカバンから今度はCDらしき物を取り出してパソコンへ挿入し、ややあって追加して表示されるアイコンをクリックする。と同時に、ムービープレイヤーの起動画面が表示されたので、俺はそれが動画ファイルなのだと気付く。
 そして俺の予想通り動画ファイルの再生画面が出来上がると、彼は液晶が照明の反射を受けないように角度を調節し直してそれを動かす。俺は少し身を乗り出すようにして液晶を覗く。

「この人物に、心当たりはないですか?」
 今度は指さす素振りもなく彼は言う。
 まぁ、確かにコレは嫌でも目立つ。彼が画面上の誰を指して聞いているかは、例え第三者でも判断できただろう。


 映されていたのは、駅のプラットフォームだった。聞くところによれば、それは松川の住むこの「永井町7丁目」の近辺にある「東橘(ひがしたちばな)」の地下鉄のそれらしい。
 俺は視線を「そいつ」に溢れんばかりに注ぎこむ。プラットフォーム中央、ベンチの隣にさりげなく置いてある公衆端末。その存在意義に疑問を持つ者だって少なくないハズなのに、不思議なことに公衆電話とほぼセットで至るところに置いてある無意味で馬鹿馬鹿しいそれを、使用している者がいる。周りの視線に反応することもなく、その手つきが乱れることもなく、「そいつ」はただただ作業に没頭している。黒いコートに遠慮なしに身を包み、目深な大きめの黒い帽子を被り、油断を許さず仕上げに黒いマフラーを巻いてその全身を暗闇に染めて、それをあからさまに照明の下で目立たせて「光」なるもの全てを挑発しているのにも関わらず。

 俺は「凝視」を徹底する。
 俺の記憶の中に、いや、眼球に焼き付けられた様々な残像の中に、こいつの姿はなかったか?


 しかし数分粘ったところで、俺の集中力も弱火になってしまう。
だって、こんなにも気合いの入った格好をされてしまっては。こんなにも「黒」で「個性」なる情報を一切塗りつぶしてしまっては。これじゃあ性別だってわかったもんじゃない。
 俺は諦める。降参する。黒服のこいつに白旗を上げる。

「すいません、流石にこれだけじゃあ・・」

 言いながら俺は画面の中の「そいつ」が作業を終えて歩き去ろうとしているのを発見すると同時に、俺の肩が強烈な電流でも流れたかのようにブルッと震えたのを確認し、硬直する。

 しばらくすると今度は指がピクッと動いた。

「椿原さん・・・?」

 彼の表情も視界に戻ってこない。俺は完全に「そいつ」に視界を盗まれていた。俺を、「そいつ」が支配していた。
「そいつ」が画面から消えるまでの間最後に見せた、あの歩き方。
ゆっくりゆっくり、ねっとり、ねっとりと。

以前どこかでそんなものを俺は見なかったか?
強烈に覚えてはいなかったか?


続いて脇腹がチクチクと痛み出した。


畜生。
嘘だろ?






【12】


「映像は、駅構内のCCDカメラによって撮られたものです」

 耳だけが彼の「存在」をしつこく俺に報告する。
 
「11月24日、時刻は午後2時。見ての通り、迷うことなく公衆端末に接触しています。後に事前に用意してきたと思われるモバイルパソコンによる接続を確認」

 俺はやっと視界に彼を入れてやる。
 俺がそんな態度を続けていたせいか、彼自身で解せない何かに対し思考を張り巡らしているのか、彼は腕を組んで青光りする窓の外に視線を注いでいた。だがその視線がただ一点に集中しているワケでもなく、ただただ外界という「面」を映しているのを見て、俺はそれが後者のものであることを確信する。
 彼は続ける。

「続いて個人管理のプロクシーサーバーを経由し、例の書き込みを残しています。 ・・ですが」

 彼の眉がぐっと中央へ寄る。

「おかしいんですよ。やっぱり」

「え?」
 思わず漏らしてしまう。
 そんな俺をちらりと横目で見て、彼は再び外界にその視線を戻す。

「だってそうじゃないですか。椿原さんもご確認されたように、その人物は少なくとも10分以上は端末を利用しています。 たかだか30文字にも満たないような書き込みに。」

 もちろん俺の返答なんか求めちゃいないのでそれを待つことも無く彼は補足を重ねてゆく。

「無論、これは矛盾しています。 故に、この人物は書き込みを終えた後、又は前に、何かしらこの端末を利用する別の何かを実行していたことが考えられるのですが・・」

 それが何かわからん、と。あるいはその「何か」を実行したというのも確信にまでは至らない、と。へぇ。

「それだけじゃない」

 口調荒く「これを」といって彼は新規に新しい動画ファイルを開く。俺は少し脇腹を抑える感じに手を添えて覗き込む。

 先程のそれとは異なり、内容はぐっと短くなる。
 場所は少し違うように見えるが、やはり同じように駅構内のそれであることは間違いない。無機質、無感覚の「緑」にコントラストを置く動画が先程のものと同様、CCDカメラで撮られたものであるという事実を物語る。

 そしてまた同じように変わらないのが、その「黒」の人物である。どうしようもない「黒」のこの人物はこの駅でも同じように公衆端末にせっせと回線を引こうとしている。ほぉ。
 でもさっきも述べたように、驚くのはその潔さというかケジメの良さで、こいつは2分ほどパソコンを眺めると急ぐようにしてそれを片づけて電車に乗り込んでしまう。
 
 パソコンを片づけながら急ぐように電車に乗り込んでくる黒服さん。
 ははは、なかなかコミカルなキャラだな。苦笑を禁じ得ない。


 
 なぁんて思うようになってきては、俺ももう駄目だ。
 もう駄目。
 下らない。

 下らないよ、悪いけど。


「ちょ、ちょっと!椿原さん!」

 恐らくその映像に新たなツッコミを入れて、さてこの矛盾をどう料理せんとでも思っていたのであろう、彼は慌てて立ち上がろうとする俺を留めようと顔をぐにゃぐにゃさせて努力する。
 でも駄目なんだって。
 強いて言えば、俺の肩が震え指が震え脇腹が痛み出したあたりから、俺は目が覚めてしまったんだ。
 

「やはりお役には立てないようです。すいません」

 あくまでも<事務的>な、<義務的>な挨拶をもって俺は彼の介入を許さない。もしくは俺の、彼への介入を許さない。俺はただ「俺」を行使して、彼は彼の「特捜」としての「彼」を行使してればいい。
 故に、今のこの状況はあまりにも取るに足らない。馬鹿馬鹿しい。下らない。そして「俺」の行使でもなければ俺への何かしらの行使でもない。ただ目の前に漠然と漂う何かをあーだこーだ言ってその存在に恋い焦がれているようなものだ、それこそ実体のその存在だって知れたもんじゃないのに。

 そんなことより、俺にはすべき事があるハズだ。頭を冷やせ。
 俺は松川の死についてこんな所で議論を交わすべきなのか?
 パソコンの画面を睨んでブルブルワクワクすべきなのか?
 ーー違うだろ?

 

 彼の声が俺が閉めるドアに遮られて遠くなる。
 同時に、また涙はじわりと俺の瞼の下に歩み寄ってくる。

 そうだな。
 まずは、
 まずは泣こうか。いや、泣くべきだ。
 彼に邪魔された分、まずは泣くべきだ。

 
 それから家に帰るまでの間、俺は恥ずかしいことに嗚咽を漏らすような勢いで泣く。周囲の目もはばからず、全身を使って泣く。全力で泣く。乾き、枯れ、その先に見える潤いに満たされるまで、泣き尽くす。
 それが、それこそが、俺の成すべきことだと思ったのだ。それこそが、俺の望むべきことだと思ったのだ。


 でもそんな一時の感傷的な出来事によって生まれるのは、せいぜい精神的苦痛とそれからの解放を求める故に出来上がる偽善心のみだということを、俺は翌日他人から教えてもらうことになる。


 それも、松川を殺したその人物から。 






【13】


 涙が這ったその跡を腫らし部屋に帰ると、俺は上着を脱ぎネクタイを外すとそのまま身をベッドに沈めた。深く、とても深く。
 俺は俺の内にて渦巻く、葛藤、憤りなどのそれら全てをベッドに、いや、「睡眠」に沈めて楽になりたかった。無責任にも誤魔化して、楽になりたかったのだ。


 やがて静寂が俺を優しく抱擁する。

 俺は包まれるようにして抱擁される。というより「夜」の、この「静寂」に含まれてしまう。俺にとって「睡眠」とはそういう時間だ。
 
 俺はまず頭部が深く沈んでゆくのを感じ、さらにそれが形なきものに溶け込んでゆくのを感じる。それは「解放感」に似た快感を伴う。
 自分の体から「重力」の概念を持つものが全て洗い流されるようにして消えてゆくのだ。筆舌に尽くしがたい感覚にも、俺は身悶えすることもできず、ただただ漂うのだ。
 そして散々漂ったその後、今度は「光」によって、「新たな動き」「新たな音」を外界を感じながら、俺は抱擁されるのだ。俺の体に、「俺」を収める為に。俺が、俺自身が、次なる何らかの「抱擁」に備える為に。

 と、こういうものが俺の酷く渇望する「睡眠」であるべきなのに。


 哀れな俺は、朝のその光の抱擁に身を委ねることもなく、荒々しく胸ぐらを鷲掴みにされ、その身を起こすことになる。
 何てことだ。俺はまた、この素晴らしい「睡眠」なる世界に含まれる機会をまた一つ逃がしてしまった。
 
 嘆く俺の耳元で激しく飛び交う罵声が、一層不快感を煽った。


「椿原ァ!!」

 しかし俺の体に未だ俺のはっきりとした「意識」なるものは戻っておらず、俺は不安定にも「不快感」は感じながらも彼に、彼の望む反応を返してやれなかった。
 で、それが彼にとっては不服だったらしい。

「なんじゃその面はぁ!!」

 ヤクザ映画で見たような、大仰なモーションで振りかぶられるパンチにも反応できず、俺は素直に殴られてしまう。
 ガツーン。
 ベッド脇にあるテレビの液晶に激しく頭を打ちつけられる俺。
 流石に痛い。多分先程の衝撃音もしばらくは脳内で反響することになりそうだ。でもお陰で少し視力が戻ってきた。
 俺は目を凝らす。

「まだじゃコラぁ!!」

 この野郎、目を細める必死な俺にまた例のお粗末パンチを喰らわせやがった。また液晶に打ちつけられる俺。ひでぇ。
 口の中に血の味が広がる。とうとう俺の内の「不快感」なるものもしっかりしたものに仕上がってきたようだ。

 なんて自己確認も虚しく、俺はあと四発もこの液晶に頭突きをさせられる。「ガンガンゴンガン!」。

 よく目にする「頭の上をお星様が飛んでる」なんて表現はきっとこういうことを言うのだろう。酷い耳鳴りと、心なしか視界を飛び交うキラキラしたもの。さらに言えば、今の俺みたいのを「コテンパン」って言うんだろうなぁ。


「おっ。 えぇモン持っとるやんけ」

 ハァハァ言いながら男はテレビに近づく。テレビの前でへたっている俺を「どけや」と言って足で動かすと、テレビの電源を入れた。
 
 やや間があって無機質に「光」を映す液晶。画面左上に「5:34」と時報が打たれている。
 おいおい何だよ、まだ4時間も眠れてないじゃないか。どおりで窓が青いわけだ。ったく、こんな朝っぱらからご苦労なことだ。

 しかし男の確認しているのは、どうやら時報ではないらしい。

「見てろや・・今すぐ見せたるよのぉ」

 クックと笑いながらチャンネルをまわす男の顔が液晶から発せられる青い光で照らされていて、俺は少しゾッとする。うぅ、早くその見せたいものとやらをさっさと見せて退散して欲しいものだ、全く。

 あぁ、でも駄目らしい。

「何でじゃ!!ざけんなコラァ!!」

 お目当てのものがどのチャンネルにも映されていなかったのか、男はテレビに向かって怒鳴りつける。
 いや、わかったから怒鳴るなよ。うるせぇな。

 しかしというか、やはりというか、男の興奮は怒鳴ったところで収まらず事もあろうにヤツは俺のテレビをコードを引きちぎって持ち上げ、床に叩きつけた。

「ざけんな!ざけんなコラ!糞が!糞がぁ!」

 叫びながらヤツは何度もテレビを叩きつけた。テレビボコボコ。フローリングぐちゃぐちゃ。酷い、酷すぎる。
 そうするうちに愛すべき俺のテレビは「ボン!」と音をたてて死んでしまう。可哀想に。

 でも男は満足しない。
 ヤツは呆然と一部始終を傍観していた俺に助走をつけて飛びかかると、抵抗する気もない俺を無意味に3発なぐった後に、俺の首筋に冷たいものをあてがった。
 この野郎、俺のテレビを壊しフローリングを滅茶苦茶にし俺の顔をボコボコに腫らしてなお、俺の首を切り裂きたいとでも言うのか。俺はとうとう呆れてしまう。

 やがて俺の体を絶望が抱擁してゆくなかで、ヤツは耳元で囁く。


「お、俺はな・・俺はな、椿原。  ま、まま、松川を、 こ、殺してやったんじゃ。」

 まぁ予想できないでもなかったな、正直。
 溜息をつく俺の背後で、ヤツは続ける。

「こ、これはな・・椿原。  し、し、仕方ないんじゃ。 そういうもんなんじゃ。これは。 い、い、今に駒谷もこうなるん・・じゃ。」




            <【14】へ>

2004/06/15(Tue)11:15:12 公開 / 湯田
■この作品の著作権は湯田さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
更新滞ってすいません(汗
感想をくれる方々、どうもありがとうございます。これからも宜しくです。


(久しぶりにまともなコメントだ<笑>)

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。