『君に本当に伝えたかったこと 1〜5』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:水柳                

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第1章 金縛りNight

ある夏の夜のことだった。17歳の斉藤礼司はいつものように布団に潜り込んだ。明日から夏休みだ。そう思うと心が弾む。明日は一日中のんびりしていようと心に決める。
礼司はゆっくりと瞼を閉じた。彼が眠りにつくのに大した時間はかからなかった。
暗闇の中。礼司は突然目を覚ました。カーテンが開けっ放しになった窓から空を見ると、真っ黒に染まっていた。月が都合よく雲に隠れているのも見える。何故、突然目を覚ましたのか、疑問に思う礼司だった。まだ、起きるには早すぎる、もう少し寝ようと、礼司は瞼を閉じようとした。しかし、閉じれなかった。瞼がその位置に固定されたように動かなかった。なんだ? 思わず目を手で確かめようとするが手も動かなかった。慌てて起き上がろうとするが、首さえも上がらない。一体何が起きたというのだ。礼司はふと気付く。これはまさか金縛りというやつなのか。
なんとか動かそうと試みる礼司だが、指一本も動かせない。パニックに陥っていると、自分が誰かに上から覗き込まれていることに気付く。暗くてよく見えない。
そのとき、月が雲から顔を出したのだろう、月光が布団の上に差し込んできた。と、同時にその人物の顔も照らす。
少女だった。年は自分と大して変わらないだろう。その少女は肩までかかるさらさらとした髪、黒いワンピースという姿だった。
「だ、誰だ? お、俺の部屋に、な、何の用だよ」
口は辛うじて動いた。
一瞬、顔は可愛いな、と礼司が思ったのも束の間、その顔はいきなり憎悪に満ちた表情に変わった。
そして少女はゆっくりと礼司の首に手を伸ばす。「ヤバイ! とにかく逃げなければ!」 そう思うが体が全く言うことを聞かない。
少女の手が礼司の胸の上を越えた。
いっそ気絶してしまいたい。それすら叶わぬ状況であった。
鎖骨の上を過ぎた。
ダメだ。殺される。思えば儚い一生だったな。とすでに諦める礼司。
ついに少女の手が首にかかるそのときだった。
ジリリリリリ
隣の部屋から耳障りな音が鳴り響いた。目覚まし時計のアラームのようだ。恐らくまた末弟がアラームのセッテティングを間違えたのだろう。
ふと気がつくと、先程まで覆いかぶさっていた少女が消えていた。さらに瞬きもできるし、体も動いた。
礼司は恐怖冷めぬまま、先程の少女は何者なのか、と考えていた。ふと思いつく。
「幽霊?」
それ以外に少女を示す言葉は見つからなかった。


翌日。食事が終った礼司は外へ行くことにした。憂鬱な気分を払拭したかったし、昨晩、奇妙な目に遭った現場である、自分の部屋に行く気にはならなかったからである。
それにしても暑い。ほんの五分、外をぶらついただけで、汗だくになっていた。今日の気温が知りたい礼司である。
彼は誰もいない公園に入り、木陰で暑さをしのぐ。ひんやりとして涼しかった。こんなにも素晴らしい木という生命を決して失ってはいけないと礼司は痛感した。先程までは五月蝿いと思っていたセミの鳴き声もなんとも心地よい物になっていた。礼司はしばらくそこで昼寝をすることにした。まさかこんなところで幽霊には遭わないだろう。そう思ったのだ。
どれくらい経ったろうか。礼司はふと目を覚ました。太陽はすでに真上に移動していた。昼飯の時間だな、と礼司は思った。随分長く寝てしまったようだ。大きな欠伸を一つする。
「ん?」
礼司は自分の目の前に立つ少女に気付いた。逆光で顔が良く見えない。
突然、脳裏に昨夜の少女の顔が浮かび上がる。
まさか……。礼司は恐怖に駆られた。辺りに人はいない。今、この謎の少女と二人きりだ。
「く!!」
礼司は一目散に逃げようともがく。
「ちょっと斉藤君? 斉藤君ってば!」
礼司はその言葉を聞くと少女の顔を確認した。少なくとも昨夜の少女ではない。
「えっと……」
誰だっけ、と聞きたかったが、相手は自分の事を知っている人物らしいので、そういう発言は控えておく。礼司は驚いた顔をしながら思い出す時間を稼いだ。やがて記憶の片隅の人物像と彼女が一致した。
「雨宮さん、だっけ?」
彼女は嬉しそうに頷く。目の前に立っていたのは礼司のクラスメイトの雨宮理奈だった。肩までかかるくらいの髪にまだ幼さが残るあどけない顔。中学生だといっても通用するだろう。成績は学年トップで、顔も可愛い系に分類されると思われる。それだけ聞けばいい女だと思えるのだが、彼女には困った趣味が一つあるのだ。そのために皆、彼女を遠巻きにしている。
「金縛り!? 幽霊!? それ、ホント? 斉藤君」
雨宮は目を輝かせて聞く。言うべきではなかったかな。礼司は半ば後悔していた。彼女は心霊現象などに興味があるらしく、学校のくだらない霊現象の検証を行っているらしい。 霊現象解明部を作り、そこのただ一人の部員であると同時に部長である。当然、非公認である。高校に入ってからずっと「誰もいない音楽室でなるピアノ」、「登る度に段数が変わる階段」「動く人体模型」などの学校内の噂を一人で検証してきたのである。実際、どれも真相はくだらないものだったとの噂だ。
ちなみに礼司は彼女と話したことは無い。
内心ため息をつきながらも他に良い相談者が思いつかないので彼女に相談に乗ってもらうことにした。
「それで雨宮さん、どうすればいいと思う?」
礼司の質問に雨宮は顎に手をあてて、考え込む。やがて顔を上げると質問には答えず、逆に質問してきた。
「斉藤君、あなた、死んだ人間に恨まれるような事したことある?」
「恨まれるって? 例えばどんなこと?」
礼司の言葉に「そうね……」と少し考え込む雨宮。
「例えば、その人の墓を粗末に扱ったりとか、生前にあなたがその人に何か悪いことをしたとか、あなたがその人を殺しちゃったりとか……」
「あるわけないだろう? 俺がそんなこと……」
「そういうことじゃないわ」
雨宮は礼司の言葉を遮る。
「ただ、そのような理由があるのなら解決の糸口があるってコトかも。わからないのならあなたが覚えてないだけか、霊の気まぐれってことになるかもね」
「そうか……なら俺はどうすればいいんだろう?」
沈黙。さすがの雨宮もその辺はわからないようだ。礼司は「まぁ、いいや。相談に乗ってくれてありがとうな」と言って帰ろうと思った。しかし、それを言うより早く雨宮が思い出したように言った。
「とにかくこんな所でする話じゃないわ」
雨宮は歩き出しながら言う。
「喫茶店でも行きましょう!」
「……そうだな」
できれば喫茶店でも話したくない話題ではあったが、近所の子連れお母さんがこちらを変な目で見ているので、とりあえず承諾した。
雨宮は「決まりね」と嬉しそうに笑った。
「ちょっと待ってくれ」
礼司は一人で歩いていく雨宮を呼びとめた。
「まさかとは思うけど俺におごれとか言わないよな?」
「え? そうじゃないの?」
「……今月はマジでキツイんだ。勘弁してくれ」
「冗談よ、冗談。そんな図々しい女じゃないわよ、私は」
彼女は笑いながら答えた。その顔を礼司は何故か、いいなと思った。
すぐ横を歩く雨宮を礼司はちらりと見る。
霊現象に興味があるにしては、随分明るい子だな。それが今日、初めて彼女と話して得た感想だった。
公園を出ると、再び太陽が焼け付くような光で照り付けてきた。
夏の暑さはいよいよピークに達していた。



第2章 カキ氷

二人は真夏の日差しが照りつける街中を歩く。まともに話したことが無かったので、なんとなく礼司は黙りがちだったが、対照的に彼女は良く喋った。いつの間にか礼司も進んで会話するようになった。だが、その話の中に、霊関係の話が出ることは無かった。具体的な対策が思いつかないからだろうとも思ったが、それにしても霊現象解明部の部長が霊系の話をしないのには少々不思議に思った。
「ふ〜ん。斉藤君は三年前に引っ越してきたんだ。前住んでた町はどんな所だったの?」
「都会とも田舎とも言えないな。それなりに自然があふれていて、町にはファーストフード店もビルも並んでいるから。まぁ、この町と同じような所だな」
「確かに最近そういう所って意外に多いよね」
「多分、そういうところが一番過ごしやすいんだろう。都心部みたいにビルばっかり並んでいるわけでもなく、田舎みたいに人が少なくなく、生活にも不便しない、って所が」
そんな風に会話は弾んでいく。霊現象解明部と聞くと、なんとなく陰険な感じを受けるが、彼女はそれとは対照的に、とびきり明るい。霊現象解明部なんかをやっていなければ彼女はクラスの人気者になるだろう。
礼司としては早く解決策を考えて欲しかった。しかし、彼女の楽しそうに話す顔を見ると、このまま話していても悪くは無いな、と思ってしまう。
しかし、話すにつれて、だんだんと暑くなってきた。どんどん汗が吹き出てくる。Tシャツは汗で濡れて肌にべっとりとくっつき気持ち悪かった。隣を歩く雨宮を見ると、彼女の顔は紅潮しており、額に汗が流れていた。
「とりあえず、早く喫茶店に行かないか?」
「ええ……」
礼司の提案に雨宮はかすれた声で頷く。二人でどこの喫茶店に行こうか、と話していると、背後から軽快なベル音が聞こえた。音源の方を振り返るとそこには自転車にまたがった白いTシャツに黒いタンパンをはいた少年が居た。ちょっぴり日焼けしている。まるで少し年長の田舎小僧のようだ。二人とも彼に見覚えがあった。彼は二人のクラスメイトであり、礼司の友達、名を赤木光助という。
「おお! 斉藤……にホラー部の雨宮じゃねえか! こりゃあ珍しい組み合わせだぜ!」
赤木は二人を物珍しそうに見ている。ちなみにホラー部とは霊現象解明部の俗称である。
「やぁ、赤木じゃないか」
とりあえず挨拶をする礼司。雨宮も「こんにちは」と挨拶した。
「ところでお二人さん、いつの間に仲良くなったんだ? 随分楽しそうに話してたじゃねえか」
ニヤニヤしながらそう言う。
霊現象について相談していた、なんて言えるわけが無いので礼司はさりげなく話題を変える。
「それはそうと、お前はこんなところで何してるんだ? お前、確かファミレスのバイトをしてたんじゃなかったか?」
とりあえずふと、思い出したことを聞いてみる。
「クビになっちまった。けど、別のバイト先見つけてよ、今そこに行く途中なんだ」
実に明るい声で答えた。バイトをクビになったことをあまり気にしていないようだ。今のバイト先が良いのだろう。
「それで、今はなんのバイトをしているんだ?」
礼司は聞いた。赤木は誇らしげに言った。
「カキ氷屋のバイトだ!」
「カキ氷屋か……冷たい物好きのお前にはちょうどいいバイトじゃないか」
赤木はアイスやシャーベット等が大好きなのだ。去年の冬は雪降る中、バス停でソフトクリーム片手の彼に話しかけられたのでとても困ったものだった。そんなことを思い出しながら礼司は言った。
赤木は興奮して続ける。
「そう! しかも海を見おろせるベストスポット! おまけに安い! というわけで斉藤、雨宮、お前ら、うちの店に来い!」
「断る」
礼司、即答。
「この暑い中、誰がわざわざ海のカキ氷屋なんぞに食べに行くか」
「そうよ。あっ、そこに喫茶店があるわ。あそこにしない?」
雨宮が援護する。彼女が指す方向には「KISSA」の看板がかけられた喫茶店があった。
「そうだな。じゃ、赤木。バイト頑張れよ」
二人は赤木を置いてKISSAに入っていこうとした。だが、赤木は慌てて二人の前に立ちはだかった。彼は「いいことを思いついた」と言わんばかりにニヤリと笑っている。
「くどいぞ、赤木」
冷たく言う礼司に、赤木は変にさわやかな声で答える。
「嫌だってんならそれは別にいんだけどよ。もし俺がお前らが二人で仲良く歩いていたことをクラスの誰かに言ったらどうなるかなぁ」
斉藤、雨宮交際疑惑発覚になること請け合いだ。
「汚いぞ、赤木」
礼司はそう言って睨む。赤木は上機嫌で口笛を吹く。
「俺だって本当はそんなことしたくないんだぜ。だけど客が入らなくて店のおっさんも困ってるんだ。おっさんを救うつもりで、頼む」
「本当は自分のバイト代のためだろうが」
礼司は冷たく言うが、もう、絶対に行かなければならないだろうな、と確信していた。
「わかった。行くよ」
そう諦めたように言った。雨宮のほうを見て付け加える。
「だけど雨宮さんは嫌だったら帰ってもいいよ。こいつのわがままには俺一人が付き合うから」
自分はともかく、今日始めて話した雨宮を巻き込むわけにはいかない。
「ううん。私も行くよ」
雨宮はそう答える。礼司はそれ以上何も言わなかった。
「よ〜しぃ! 二人とも俺に付いて来い!」
赤木は自転車にまたがり右手を上げ、掛け声をかける。だが礼司達は答えなかった。
「なんでお前が自転車に乗るんだ? 俺たちに譲れ」
「何言ってんだ。これは俺の自転車だ。俺が乗るのが普通だろうが」
礼司はチッチッと指を振る。
「カキ氷屋の店員とは客を歩かせて自分は自転車に乗るのか?」
「う……」
赤木は言葉につまる。彼の商人精神から、自転車は礼司と雨宮に譲られた。

◇◆◇

礼司は海岸沿いの道路の脇に自転車を止めた。後ろに乗っていた雨宮がまず降りる。礼司が自転車を降りた時、後ろでゼイゼイしながら走ってくる赤木の姿が見えた。
「遅いぞ、赤木」
「はぁ、はぁ……お前、もっとゆっくり走れよ! 殺す気か!」
彼はこの十数分、ずっと自転車のスピードに追いついてきたのだ。つくづく、体力バカだなと礼司は思う。
赤木は地面にしゃがみこむ。彼がうつむいたので、汗がアスファルトにポタポタと落ちた。
「客に来てもらいたいならそのくらいの努力は惜しむな」
「くそっ! 絶対カキ氷食ってけよ!」
悔しそうに言う赤木。
「わかってるよ。ところで店はどこにあるんだ?」
赤木はまだ息切れしながら一点を指差した。そこには白いテーブルと椅子が並んでおり、その上にパラソルで日よけがしてあった。奥には4メートルほどの防波堤がそびえていた。 その近くに良く夏祭りの屋台で見るような販売台がある。赤木は大声で叫ぶ。
「おっさ〜ん! 客二人連れてきたぜぇ!」
その声を聞いたのか、販売台から大柄な男が出てきた。赤木と同じ白いTシャツを着ており、その袖口から日焼けした腕が突き出ていた。男は赤木の姿に気付くと手を上げて挨拶した。
「よぉ! 光助じゃねえか! 部活は終わったのか?」
「おお! たった今終わったところだぜ! いつも午後しか手伝えなくてごめんな」
「な〜に! 気にすんな! 手伝ってくれてるだけでもありがたいぜ!」
男は豪快にガハハと笑う。赤木が立ち尽くしている礼司達に説明する。
「このおっさんは郷田弘。このカキ氷屋の店長だ。おっさん、こっちはクラスメイトの斉藤礼司と雨宮理奈だ」
それぞれ「よろしく」と言いながら握手する。
「カキ氷食いに着たんだろ? とりあえず座ってくれや」
 郷田は言いながら二人をテーブルへつかせ、自分は後ろの販売台へ引っ込んだ。パラソルの日陰に入った礼司はほっとため息をついた。赤木も席に着く。
「お二人さん、ご注文は?」
赤木が聞く。
二人はしばし考えるとそれぞれ言った。
「レモン」
「私はイチゴ」
「了解。おっさ〜ん! レモン一つにイチゴ一つ!」
赤木は大声で怒鳴った。後ろから「おお!」と赤木より大きい怒鳴り声が聞こえた。
「なかなかいいところじゃないか。海が見えないのが残念だけど」
礼司は正直な感想を述べた。赤木はそうだろうと言う風に頷いた。
「でも、階段の上にもテーブルがちゃんとあるんだぜ。海が見たければそっちで食べるといい」
そう言って上を指差す。確かに彼の言うとおり、白いテーブルと椅子が置かれており、太陽の光を反射して眩しいほどに光っていた。
「ホイ、お待ち」
郷田の声がした。彼はおぼんにレモンとイチゴのカキ氷を乗せている。それをテーブルの上に置くと自分も座り、
「ゆっくりしてけよ」
と言った。
礼司は周りを見回した。自分達以外に客はいなかった。無人の白いテーブルが日光を反射して虚しく光っていた。
そんな礼司の視線に気付いたのか、郷田が言う。
「見たとおり、あまり繁盛してねえんだ」
礼司は黙り込んだ。代わりに雨宮が口を開く。
「海自体に人が来ないからじゃありませんか?」
「そうかもな。この辺の海は海底が複雑に隆起しているから、海水浴客も来ねえんだ」
四人は無言でカキ氷を食べた。なんだか気まずい雰囲気になってしまったため、郷田が大げさなくらい朗らかな声で言う。
「まぁ、夏季期間だけだしな。もとからこれでメシ食っていこうなんぞ思ってねえよ」
それでもどこか悲しげであった。やはり客が来ないのは寂しいであろう。
礼司は居心地が悪かったので、とにかくカキ氷を食べていた。しかし、早く食べ過ぎたため、頭が痛くなった。
声も無く、頭を抑える礼司の隣で雨宮が話題を変える。
「この店には郷田さんと赤木くん以外、いないんですか?」
ああ、二人だけだぜと赤木は言いかけたが郷田の声がそれを遮った。
「いや、もう一人、今日から来る予定だぜ。午前中は部活があるから午後から来る、と言ってたからもうそろそろ来るはずだ」
「へえ……知らなかったぜ。どんな野郎なんだ?」
赤木が興味ありげに聞く。礼司はちょうど最後の一口を食べ終えた所だった。
「野郎? ガッハッハッハッ! まぁ、くりゃあ、わかる」
「へ……?」
赤木は首を傾げた。郷田はまたガハハと笑った。
「すいませ〜ん! 遅くなりましたぁ!」
背後から声がした。振り返るとそこにはどこぞの高校の制服を着た少女がこちらに走ってくる所だった。髪は肩にかかるくらいまで伸ばしてあり、この日差しのせいか顔が紅潮していた。
赤木は顔を赤くし、(恐らく夏の日差しとは別のものによる)彼女を見ていた。
郷田は彼女に気付くと、手を振った。
「ごめんなさい、お父さん。吹奏楽部のコンクールで……」
「ああ、わかってる。それより、こっちはバイトの赤木光助、そしてその友達の斉藤礼司と雨宮理奈だ」
郷田は手を振って彼女の言葉を遮り、3人を紹介する。
「あ、初めまして。郷田恵美といいます。よろしくお願いします」
礼司と雨宮はよろしく、と言ったが、赤木はモゴモゴと何を言っているのかわからなかった。どうやら彼女は赤木の心を鷲摑みにしてしまったようだ。
そんな様子を見た礼司は笑いをこらえながら言う。
「じゃあ、俺たちはそろそろお暇させてもらうか。郷田さん、いくら?」
「どっちも80円ずつだ」
二人は50円玉一つに10円玉三つを郷田に渡した。
「おいしかったです。また来ますね」
雨宮が言うと、郷田は照れたように頭を掻いた。
「じゃあ、さようなら。郷田さん、恵美さん。それに赤顔、違った、赤木」
嫌味たっぷりに付け足すと、礼司は雨宮と連れ立ってカキ氷屋を後にした。残された赤木はますます顔を赤くしながら二人を見送っていた。
雨宮が店のほうを振り返りながら言った。
「ねえ、もうちょっと居ても良かったんじゃない? あの恵美さんって人と話をしたかったわ」
礼司は笑いながら答えた。
「いや、彼女と一番話をしたがっているのは赤木だよ。ここは気を利かせてやらないと」
「あ、それもそうね」
雨宮もそう言って笑った。
赤顔、いや赤木が顔をますます赤くしながら彼女に何事かを言っているのが見えた。
二人は海岸沿いの道を無言で歩いていた。空はすでに赤く染まっており、海もそれを映して赤色になっていた。
 礼司は突然幽霊の事を思い出した。
「そうだ。あの幽霊の事どうすれば……」
「あ……」
礼司の呟きに雨宮は思わず声を上げた。彼女も今の今まで忘れていたのだ。彼女はバツが悪そうな顔をする。
「ごめんね、斉藤君。私、全然考えてなかった……」
先程の笑顔とは対照的に、すまなそうにうつむいている。明るいのもそうだが感情表現が豊かな子だな、と礼司は思った。
「あ〜……別にいいよ。忘れたのは俺も同じだし」
こんなに素直に謝れる子も今時珍しい。礼司もそんな子を責めることはできないので、そう答えた。
雨宮は控えめに笑顔を見せた。
「じゃあ、また何かあったら連絡してね。少しは役に立てると思うから」
「ああ、ありがとう」
礼司は心からそう言うと無言で歩き出した。雨宮は家がその方向にあるのか、礼司と交差点の前で別れた。
別れ際、礼司は彼女の笑顔を眺めながら何故あんな子が霊現象解明部などに入っているのか、それが不思議でたまらなかった。

第3章 ポルターガイストな夜


空は暗くなり始め、大分涼しくなってきた。セミの鳴き声も昼間ほどの元気はない。
 そんな中礼司は自分の家の前に立っていた。半日の間、雨宮と時間を潰してきたが、ついに幽霊と対面せざるを得なくなった。
 辺りが薄暗くなってきたせいか、慣れ親しんだ家なのに妙に不気味に感じる。現在家族全員が出かけているので夕方だというのに灯りが一つもついていない。そのことがさらに礼司の恐怖を煽っていた。
 何故、自分の家に入るのにこんなに勇気が要るのか。つくづくそう思う礼司。
「ただいま……」
 言いながら鍵でドアを開ける。誰も居るはずは無いのだが、少しでも声を出していないと緊張と恐怖で押しつぶされそうになる気がしたからである。
中は当然の事ながら薄暗かった。お化け屋敷でも探検するかのようにそろりそろりと慎重に進む。懐中電灯が喉から手が出るほど欲しい礼司であった。一つ一つゆっくりと慎重に部屋の電気を点けていく。泣きそうな思いでようやく自分の部屋にたどり着いた。
 いよいよここが正念場だ。礼司は自分に言い聞かす。礼司はドア越しに昨晩の少女が睨んでいるのではないかといやな想像をした。礼司はノブに手をかけ、ゆっくりと引き始めた。ギギィ……と嫌な音を立てながら、開いていく。礼司の緊張はいよいよピークに達していた。このドアを開けきった時、 部屋の中心に昨晩の少女がいないことを心から祈った。
 ドアが完全に開ききった。礼司は目を細めて部屋の中を見る。
「誰もいない……って当然か」
 そう呟くと礼司は安堵のため息をついた。たかだか自分の部屋に来るのにとんだ冒険をしたものだ。
「ただいま〜!」
 涼太の声だ。もう少し早くに帰ってくれていれば、あんなに怖い思いをしないですんだというのに。
 そのせいか「お帰り」と答える礼司の声は尖っていた。

 家族が全員寝静まった頃。暑い。汗がシャツに張り付いて気持ちが悪い。礼司は目を覚ました。部屋全体にむわぁ、とした空気が充満している。窓を閉め切っているせいだろう。礼司は耐え切れず掛け布団を跳ね飛ばし、起き上がった。額に流れる汗を手の甲で拭い、急いで窓の取っ手に手をかける。その手で窓がスライドしたとき、ひんやりとした夜風が礼司の顔を撫でた。生き返った。礼司はそう実感した。
すっかり体が冷え切った後、礼司は再び布団に入る。これで気持ちよく寝られる。そう思っていた。
「こんばんは……」
 突然、暗がりから自分の名を呼ぶ声がした。声色からして女であるが、どう考えても、母や妹の声ではない。礼司はその声のするほうを見つめた。
すると都合よく差し込んだ月光に照らされ、声の主が姿をあらわした。
黒いワンピース、肩までかかるさらさらとした髪、昨晩の少女に違いなかった。少女は悲しそうに微笑んでいる。礼司は一瞬見とれていたがはっと我に帰った。礼司は寝転がったままでは悪いと、起き上がり、布団の上であぐらをかく。今日は金縛りにはならなかった。やがて少女が口を開いた。
「礼司……」
 消え入りそうな声だった。少女は礼司をじっと見つめている。何か言いたそうだった。
 それなりに可愛い少女に見つめられていると、礼司としても困ってしまう。 だが、どうしても聞きたいことがあるのを思い出した。
「君は一体誰だ?」
 礼司のその言葉を引き金に、突如開けっ放しにしていた窓から強風が舞い込んできた。少女の顔が曇る。何か礼司が禁句を口にしたようであった。
 少女が何事か呟くと机の上に置かれた写真立てがフワリと浮かび上がった。
礼司はこの不可解な現象を信じられなかった。夢を見ているんじゃないかと思い、頬をつねる。痛い。それはこの現象が現実であることを証明していた。
 少女は驚愕する礼司に背を向ける。それを合図に写真立てが礼司のほうに飛んできた。
 間一髪、写真立ては礼司から逸れ、彼の顔から数センチ離れた壁に叩きつけられる。木製のそれは鈍い音を立てて、床に転がった。
 礼司は恐怖で顔を歪めながら少女を見た。少女は悲しそうな顔で言った。
「思い出して……礼司。私の事……約束の事……」
「一体何のことだ? 俺はキミみたいな子、知らないぞ」
 礼司がそう言うと少女は顔をいっそう歪めた。
「悲しいよ。礼司……」
 少女がそう呟くと、先程よりさらに強い風が舞い込んできて、礼司は思わず顔を背けた。
 風が収まったとき、少女が居た方を見ると、誰もいなかった。彼女は最初からいなかったかのように消えていたのだった。
◆◇◆
 翌日の昼、礼司は雨宮を昨日の公園に呼び出していた。電話でも良かったが、雨宮の親や兄弟にそんな会話を聞かれたくなかった。最初は渋るかな、と思っていたが、雨宮は実に快く来ることを承知してくれた。
 二人は公園の木陰で座り込んで話をしていた。
「そう……また出たんだ」
 雨宮は深刻な顔で呟く。
「それで……本当に心当たりは無いの?」
「ないな。向こうは思い出せとか言っているけど俺には全く心当たりが無いんだ」
 礼司は困ったように呟く。
「で、どうすればいいと思う?」
「う〜ん。そう言われてもなぁ」
 雨宮は返事に窮した。
「これは……へくしっ!」
 雨宮は口を覆ってくしゃみをした。風邪だろうか。
「ん? 風邪? 大丈夫か?」
「うん。大丈夫。続けるわね。これは幽霊の素性を調べないとわからないと思うわ」
「そうか。でもどうやって調べればいいんだ?」
 沈黙が流れた。やがて雨宮がポツリと言った。
「ごめんね、役に立てなくて」
 雨宮はもどかしそうにうつむいている。
「い、いや、謝る必要は無いよ。相談に乗ってくれただけでも助かったよ」
 礼司は慌てて言う。なんとか話題を変えなければ、と礼司は思った。
「そうだ。昨日のカキ氷屋に行かないか? あれから赤木がどうなったか気にならないか?」
 雨宮はたちまち笑顔を見せた。
「そうね。案外恵美さんと仲良くなってたりして!」
「ハハ……あり得るかもな」
 礼司も笑った。二人は赤木と恵美がどうなったか、勝手に想像したことを話しながら歩いた。







第4章ペンダント

 カキ氷屋の周辺には相変わらず人が居なかった。
 二人が販売台の前に行くと、郷田が暇そうに椅子に腰掛けていた。サングラスをかけたその顔は一般人が街中で見かけたら、絶対に目を合わせないようにするだろう。
 郷田は二人の姿に気付いた。
「おっ! 昨日の坊主と嬢ちゃんじゃねえか」
 嬉しそうにガハハと笑う。二人は少し笑いながら挨拶する。
「こんにちは、郷田さん」
「こんにちは」
「おう! また来てくれたか」
郷田はまたガハハと笑った。暑かったので早速注文しようと思ったが、赤木と恵美子の姿が無いことに気付く。
「あれ? 赤木と恵美さんはどうしたんです?」
雨宮も気付いたのか、郷田に尋ねる。礼司は、もしかしたら上に居るかな、と思い、階段の上を見上げる。
「ああ、二人とも今日は午後も部活だ」
「へぇ〜。赤木の奴、部活もバイトもやってるんですか」
礼司は感心したように言う。
「斉藤君は部活すらやってないからね」
雨宮は少し笑う。
「なんで入らないの?」
「そりゃあ、合う部活がないからだよ。スポーツ系は好きじゃないし、室内でじーっと何かをやるのも向いていない。家で寝るのが一番だ」
礼司は言いながら欠伸をした。雨宮は呆れた顔をしたがそれ以上言わなかった。
礼司も気にせずに郷田に聞いた。
「ところで、赤木と恵美さんは上手くやっているんですか?」
「ああ、あの二人か。それなりに仲がいいみたいだな。恵美は内気な方なんだが、光助とは自分から話してたな」
二人とも、意外だな、と思っていた。てっきり赤木が強引に話しかけ、恵美が困っている様子を想像していたからだ。
郷田は続ける。
「むしろ控えめだったのは光助のほうだったな。恵美に話しかけられるたびにうつむいてボソボソ答えるだけだった」
またしても意外だな、と二人は思った。初対面の雨宮も半強制的にここへ連れてきた男が
そんな態度を取るとは。
「赤木君にも春が来たってことね」
しみじみという雨宮に郷田はきょとんして聞いた。
「春? 今は夏じゃねえか」
「…………」
雨宮は話題を変える。
「とりあえず、レモン一つください!」
「あ、俺もそれで」
礼司は便乗する。二人とも郷田にツッコミを入れる勇気はなかったのだ。

二人は赤木お勧めの海を見下ろせるテーブルでカキ氷を食べていた。郷田は下で、客が通らないかどうか、サングラスを光らせてチェックしていた。だが、実際、サングラスをかけた強面の男に見られていたら、誰でも逃げ出してしまうんじゃないかと礼司は思った。
「ねえ」
すでに食べ終えた雨宮が呼びかける。
「砂浜に下りない? まけてくれたお礼にお客さん探しに行きましょう」
「客探し……か」
礼司は呟く。礼司としてはこの真夏の日差しの下、砂浜などを歩きたくなかった。だがそんな礼司の心を読んだかのように雨宮がバッグから麦藁帽子を二つ取り出し、そのうち一つを礼司に渡す。礼司は頬をかく。行くしかあるまい。
「そうだな。じゃあ、探しに行くか」
「ええ!」
雨宮は笑顔で答えた。何故、麦藁帽子が二つ入っているのか、つくづく不思議に思う礼司だった。
二人は少し砂の被った階段を下りていった。
夏だというのに人っ子一人見当たらなかった。ここらの海は、いきなり深くなる場所が所々にあって危険なため、市役所から海水浴禁止令が出ているのだ。この町の人間はもっぱら隣町の海へ海水浴に行っている。砂浜にはゴミが累々。人のいない海は驚くほど殺風景であった。
雨宮と礼司はそれぞれ麦藁帽子を被って砂浜に立っていた。
「人いないね」
雨宮はポツリと呟く。
「そうだな」
サーファーがいないかと礼司は水平線に目を凝らす。
「少しはいると思ったのに」
雨宮はがっかりしている。
「まぁ、しょうがないよ。とにかく、もうちょっと探してみよう」
礼司は彼女に呼びかけ、砂浜を歩き始めた。
10分後。
「あっつ〜い!」
雨宮は大声で怒鳴った。
顔を見ると、紅潮しており、額からは汗が吹き出ていた。礼司も同じ状態であった。Tシャツはおろか、ズボンまで汗によって肌に吸着しており、気持ちが悪かった。
それに喉がからからに渇いていた。とにかく水が欲しかった。
ふと、気付くと目の前にウーロン茶のペットボトルがあった。雨宮がバッグから取り出していたのだ。
「どうも」
礼司はありがたく受け取ることにした。
「ちょっと休まない?」
雨宮はすでに砂浜に座り込んでいた。
「ああ」
礼司も彼女の隣に座り込む。
礼司はペットボトルを口にあて、傾けた。乾いた喉が潤されていく。砂漠の中でオアシスを見つけたとき、きっと似たような心境なのだろうな。そんなことを礼司は思う。
「それにしても、全然人いないね」
雨宮はグビグビとウーロン茶を飲んでいる。よっぽど喉が渇いているのだろう。
「一旦戻るか?」
「うん。でも、もうちょっと休んでから、ね」
雨宮はそう言うと砂浜に仰向けに寝た。彼女はそっと目を閉じた。礼司もなんとなくそれに倣った。瞼の裏側が真っ赤だった。
礼司は真っ赤な瞼の中で懐かしい思いをしていた。さざ波の音、肌を照りつける直射日光、そして、隣に寝る女の子。なにもかも三年前と同じだな、と礼司は思った。無意識に首にかけられたペンダントを握る。みかんを象ったそれは幼馴染からもらったものだった。このパンダントの中に彼女との思い出が詰まっている。楽しかった記憶のほとんどは夏の出来事だ。海水浴、夏祭り、昆虫採集……とにかく彼女とはたくさん遊んだ。
だが、最悪の思い出も夏の出来事であった。礼司が引っ越す際、喧嘩別れをしてしまったのだ。ここ一年今すぐ彼女の元へ行き、謝りたいと思っていた。
だが、仲を修復するにはもう遅すぎるのではないかという思いが礼司の足を止めた。そのため彼女とはあの日以来、全く会っていない。彼女は元気でやっているだろうか。
「変わったペンダントしてるわね」
雨宮の声がした。礼司が目を開けると雨宮の顔があった。
「ああ、これか」
礼司はみかんのペンダントを首から外し、雨宮に手渡す。
「それは幼馴染の手作りだよ。俺の一番の宝かな」
雨宮はまじまじとペンダントを見ている。そのまましばらく見ていた雨宮だったがやがてポツリと聞く。
「……付き合ってたの?」
「いや、仲の良い友達って関係だった」
「ふ〜ん」
考え深げに雨宮は呟いた。
「その言い方は『仲の良い友達』以上の関係になりたかったように聞こえるんだけど?」
「何がいいたいんだ?」
とりあえずとぼけてみせる礼司。
「……好きだったの?」
「……まぁな」
礼司は呟くように答えた。雨宮はさらに聞いてくる。どうしてこの年頃の人間はこういう話に興味があるのだろうか。
「告白したの?」
「……できなかった」
「え?」
「ちょうど告白しようと思ったその日にケンカしたんだ。そしてそのまま引っ越してケンカ別れだよ」
礼司は懐かしむように言った。なんだかんだ言ってもそれも大切な思い出なのだ。
「それで、謝ったの?」
雨宮がさらに聞いてくる。いつの間にか過去の出来事を彼女に話してしまっていた。
「……まだだ」
呟くように答え、顔を麦藁帽子で隠す。雨宮は黙り込んだ。二人の間に沈黙が流れ、波の音だけが静かに聞こえた。
「あ……」
黙り込んでいた雨宮が声を上げる。
「どうした?」
言いながら礼司が麦藁帽子から顔を出したとき頬にポツリと水滴が落ちてきた。その時礼司は気付いた。いつの間にか、空が灰色の雲に覆われていること、風が強くなってきていること。
二人は空を見上げる。
「そう言えば台風が来ているってニュースの天気予報で聞いた気がするわ」
「そうだったか? 俺はニュースなんて見ないからなぁ」
「じゃあ、何を見てるの?」
「時代劇」
「渋いね、斉藤君」
「ほっといてくれ。時代劇の良さは今時の女子高生にはわからないよ」
そんな会話をしているうちに雨は本降りになってきた。
「とにかく、帰るか」
「そうね。じゃあ、これ」
そう答えながらペンダントを礼司に返す。礼司はそれを右手で受け取った。
「じゃあ、急いで帰るぞ。どんどんひどくなる」
礼司はそういうと急いで走り出した。雨宮も続いた。
「うわっ!」
礼司は間抜けな声を上げて雨で黒くなった砂浜に倒れこむ。泥が顔について気持ち悪かった。
「大丈夫?」
雨宮が心配そうに覗き込んでいる。
「ああ……ぬかるんでて足を取られた。雨宮さんも気をつけろよ」
「私は大丈夫よ」
「……俺が雨宮さんより間抜けだといいたいのか?」
「え? そんなこと言った?」
「……もういいよ」
礼司はそう呟くと起き上がった。少し苦笑を浮かべる雨宮と共に礼司は砂浜を後にした。
泥と化した砂浜にみかんのペンダントが落ちているのを知らずに。
雨はますますひどくなっていた。

第5章台風

 二人が手で雨から頭をかばいながらカキ氷屋に戻ると、郷田の姿はなかった。恐らく今日はもう、店じまいをしたのだろう。屋台の周りでは雨音だけがさびしく響いていた。あの強面の男がいなくなるだけで、随分と寂しくなったものだ、と礼司は思う。無論、思うだけで口が裂けてもいうつもりはないが。
「郷田さん、もう帰ったみたいだな」
 礼司はポツリと呟く。二人とも傘をさしていなかったので、髪の毛から靴のつま先までびしょぬれであった。
「俺達も急いで帰ろう。傘なんか持ってないよな?」
 礼司はそう言いながらも期待のこもった目で彼女のボストンバッグを見つめる。
「ごめんね。一本しかないみたい」
 雨宮は苦笑しながら一本の赤い傘を取り出す。
「一緒に入るしかないね」
「いや。俺に気を使わないでいい」
 礼司は断固拒否する。さらにすすめる雨宮。
「風邪引くよ?」
「俺はバカだから風邪は引かないよ」
「いいから!」
 雨宮は強引に礼司を傘に入れる。が、そのとき、突風が傘を奪っていった。 傘は海の向こうに消えていった。
二人は呆然と水平線を見つめていた。
「……帰りましょう」
 雨宮はポツリといった。
「ああ」
 礼司は力なく答えた。
「走った方がいいよね?」
 雨宮が聞く。
「そうだな」
と礼司。
 二人は顔を見合わせると、合わせたわけでもないのに同時に走り出した。
 無論、傘がないのでなるべく濡れないようにするためだが、二人とも本気で走っていた。しかも雨宮が意外に速かった。礼司は「負けてたまるか」という幼い闘争心が沸いてきて雨宮を抜かした。中学時代は何かをやっていたわけではないが少なくとも女子に負ける気はしなかった。
 だが、雨宮もまた一段とスピードを上げた。速い。礼司はムキになり、腕を振りまくった。また礼司が抜かした。礼司はバカみたいに優越感に浸った。
礼司は言った。
「帰宅部だからって甘く見るなよ」
 だが雨宮は礼司の横を掠めながら言う。
「そう? でも……私のほうが速いみたいね」
 雨宮が礼司を再び抜かした。礼司にしてみれば今のが最高速度である。礼司が驚いて雨宮を見つめたとき、急に足元が浮いた。そして黒いアスファルトが目に入ったかと思うと、右膝に痛みが走った。
「……大丈夫?」
 雨宮は心配そうな顔をしながらもやはり、笑いをこらえきれないでいた。礼司は屈辱に似た感情を抱きながら立ち上がった。彼女の前では良くこける。
「ああ」
 礼司はぶすっと答えた。こけた上に女子に競走で負けてかなりへこんでいた。礼司はしばらくそのままうつ伏せになっていた。
「速いな、雨宮さん」
 礼司はまだへこんだ声で言う。雨宮はまだ可笑しいのか、少し、笑った顔で答える。
「まぁ、でも帰宅部にしては速かったわよ」
「慰めはいいよ。ところで、本当に速いよ。何かやってたのかい?」
 礼司はようやく起き上がった。痛むひざを見ると、かすり傷が出来ていた。
「中学の時、陸上部に入ってたの」
 雨宮は懐かしむように答えた。
「でも、中三の一学期でやめちゃったんだけどね」
「もったいないな。今も続けてれば県大会には行けたんじゃないか?」
 全く陸上界のことを知らない礼司は無責任なことを言う。
「斉藤君が遅すぎるのよ。なんか部活やったら?」
 雨宮は茶化すように答えた。
「……悪かったな、遅くて」
 礼司はまたへこんだ。そんな暗い顔をしている礼司に雨宮は笑顔で言う。
「いつでもこんなところにいると風邪引いちゃうよ?」
「そうだな。さっさと帰るか」
 礼司はまだ暗い声で答えた。
 雨は相変わらず降っている。
「また走る?」
 雨宮が笑いながら聞く。
「……もういいよ」
 礼司は一段と暗い声で答えた。
◇◆◇
「ただいま」
 礼司はそう言って家のドアを開けた。だが礼司の声に答えるものはいなかった。また家族で出かけているのだろう。最近置いてけぼりにされているのは気のせいだろうか。
 礼司は玄関で靴を脱いだ。髪の毛から、靴下のつま先までびしょぬれである。まずはタオルで体を拭くか、と思い、礼司は自分の部屋へ向かった。
 部屋の中は雨のため、薄暗かった。すぐに蛍光灯をつける。部屋の中に白い光が広がった。礼司はタンスの引き出しを開け、タオルを取り出した。
 礼司はタオルで頭を拭きながら窓の外を見た。まだまだ止みそうにない。
 礼司はベッドの上に倒れこんだ。今日はなんだか疲れたな、と思い目を閉じる。雨が瓦を打つ音が騒々しい。
 そして礼司にとって雨の日というのは何故か考え事をしてしまう日だったのだ。
 礼司はこれまでの出来事を整理した。
 二度も現れた幽霊。しかも礼司を知っている彼女は何かを悲しげに訴えていた。彼女は一体誰なのだろうか。
 そして、幽霊問題の相談相手、雨宮理奈。彼女は、一人で霊現象を解明している怪しい女、と同級生から聞いていたので、同じクラスになっても話そうとしなかった。だが、今回のことをきっかけにそれが間違いであったと気付いた。彼女は怪しくもなんともない、むしろ今時珍しいまともな女子高生だ。本来ならクラスのアイドルになっていてもおかしくはないのだ。
 そして赤木の勤めるカキ氷屋の郷田、恵美。彼らと知り合ったのも元を正せば幽霊騒動がきっかけだったかもしれない。
 つまり、幽霊にあった翌日から礼司の日常はめまぐるしく変わっていたのだ。
 だからといってそれを喜ぶわけでもないし、幽霊の正体を突き止めるという目的はなんら変わりはないのだ。
 礼司は思考を一旦中断し、目を開けた。
 ラジオをつけ、FM局に合わせる。ちょうど台風の情報が流れていた。
「……台風3号は今夜にも本土に上陸……」
 ラジオから少しノイズが混じった天気予報士の声が聞こえた。
 つまり雨はこれからが本番なのだ。
 そして礼司に考え事をする時間が十分に与えられたのは確かだった。





2004/06/05(Sat)00:28:43 公開 / 水柳
■この作品の著作権は水柳さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
第5章投稿です。ネタを作るのに一日近くかかってしまいました。
まぁ、そんな苦労話はさておき。

霜さん、感想どうもです。80円……確かに安すぎですね。その辺は郷田の心が広いということで勘弁してください(?)。

第5章……まだまだ続きそうです。中間テストが迫っているのでいつまでも小説書いてるわけには行きません。
ああ、勉強って嫌だなぁ。
とにかくこれからもよろしくお願いします。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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