『広瀬麻美の男女(おとこおんな)日記』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:リョーランド                

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 ボクはいわゆる、レズである。
 いや、待て。こら引くな、そこ!……まぁいい。ほら、よく聞くだろう?性同一性障害って奴。ボクはそんな性質を持って生まれてしまったんだ。
 その為、ボクは何故か、男の人を好きになれなくなってしまった。遊ぶのも一緒にいるのも、勿論女の子ばかり。他の男からすれば、それは天国なのかもしれない。
 しかし心は半分男だ。ボクは何度恥ずかしい思いをしたか。何度悲しい思いをしたか。
 偶然体が女であった為に、無論性に興味があったとしても、それを誰かに打ち明けらる事もできず、正直ボクは悲しかった。
 ――そうだ。ボクは今日、決心した。
 ――親に打ち明けよう。自分の病の事を。
 ――そして性転換して男になるんだ。それしかボクに残された道はない!
 ――そう。それしかない……
 
 ――なのに……
「好きだ、広瀬!!!」
 ――真中……
「麻美先輩、ボクと付き合ってください!」
 ――須藤君……
「僕は貴方を好きになってしまいました」
 ――徳川先輩……
「広瀬、俺の女になれ!」
 ――それに辻野蘭英……
 
 ――どうしてだ……
 ――どうしてこんな日に……ボクなんかに告白なんてするんだよぉ。しかも四人同時に。加えて一時間毎に一人ずつ!!
 ――でもボクは男に子になりたいんだ。
 ――もう、どうしたら良いんだよ、ボクは……


 春の麗らかな日も過ぎ去り、夏の匂いが漂ってくるこの頃。屋上で食後のおしゃべりに入っている二人の美女。
 一人は長い茶髪を左右に結び、二つとも前に垂らしていた。整った顔立ちに、どこか相手をホッとさせるような雰囲気を醸し出していた。
「あらあら麻美ったら、せっかく告白されたのに……また振ったの?」
「ボクは男なんて嫌いだ」
 突っぱねるもう一人の美女、広瀬麻美。百六十六センチの身長にキリッとした顔立ち。どこか同姓にもモテそうな感じであった。その目つきは優しさと強さを醸し出し、西洋の世界で言うと、まるでお姫様を守る女戦士、といいった感じであった。
「そうだね。麻美は、女の子が好きなんだもんね?」
 クスクス笑う少女。その笑みはまさに、女神かお姫様と言っても過言ではない。
「うん。ボクは女の子が好きなん……って、ちょっと待って」
「うん?」
 麻美は親友の突然の言葉に、冷や汗が滝のように流れていた。血の気が一気に下がる思いであった。
「どうして知ってるの、それ?」
 しかしそんな麻美の心配も束の間。少女はきょとんとしていて、さながら頭にクエスチョンマークでも付けているのではないかという感じであった。
「え?だって、男の子が嫌いって事は、女の子が好きだからでしょ?」
「……」
 麻美は言葉が出なかった。唖然としていたからである。
 この少女こそ、麻美の親友である市川真琴。実はこの二人は小学校の時からの親友であると同時に、実はこの百合川学園中等部の、年に一度の学園祭ミスコンテストで、優勝と順優勝を争った関係なのだ。
 勿論その時、麻美はくだらないという理由で決勝戦を辞退した為、優勝者がいなくなったのだ。そんな訳で準優勝の真琴が優勝を勝ち取ってしまったのだ。しかし本来ならばダントツで一番人気の、麻美が優勝している筈だったのである。
 理由は麻美が、女の子にも人気があるという事だ。
 勿論真琴もまた同姓から好かれているのだが、麻美の好かれ方とは違っていた。麻美の好かれ方はまるで同姓の「友達」に向けられたものではなかったのだ。
 当然麻美は一年であった為、まだそうではなかったが、実は初等部六年生の時、あまりの人気から、彼女の事を『お姉さま』と呼ぶ女子が出てきた事は、今も有名である。
 だから麻美は結構楽と言えば楽なのだが、自分が実は心が男だと知り、それでも好きでいてくれるか、というとそうではない筈。そう思ってしまうと、それこそ誰にも相談できなかった。

 ――偏見はないものの、誰に話せようものか。

「ボクは男の子が好きではないってだけで、別に女の子しか好きじゃないっていう訳じゃあ……」
「そう?」
 麻美は顔を真っ赤にして抗議していた。実は真琴はこう見えてなかなか鋭い点もあったりする。その為、油断は禁物なのだ。
 しかし真琴は麻美の隣の方を見ると、何かを哀れむ様な目つきになっていた。


「隣の男の子はすっごく悲しんでるけど……」


「え?」


 言われて横を向く麻美。すると隣で座りながら、中学生の男が目に涙を流しながら彼女を見ていた。
「先輩……そうだったんですか……?」
「うわっ、須藤君!!?」
 麻美は驚くと一歩引いてしまった。そしてすぐさま「しまった」と思い、再度彼に近づき、そっと肩に触れた。
「須藤君、キミは男の子だろう?涙なんて見せちゃ駄目だよ?」
「だって、先輩ボクの事……」
「だから違うって」
 すると彼女はそっぽを向いて、赤くなった頬を隠した。
「キミの事は人格的に嫌いじゃない。でもね、付き合うってなったら別なんだ」
 偽善の笑み全快で泣き出そうとする須藤という少年を慰める麻美。

「さっきと言ってる事が違うような……」

 小声で呟く真琴。しかし麻美はあえて無視に入り、泣いている彼の両肩に両手を置いて、できるだけ優しい笑みを浮かべた。
「だから、振ったからって、ボクがキミの事を嫌いになった訳じゃないんだよ?」
「ほ……本当ですか?」
 須藤と呼ばれた少年は頬を涙で濡らしながら麻美に近づいた。若干目がキラキラしているのがとてつもなく可愛らしい。本当に男なのだろうか。
 すると麻美は彼に向かって、とても優しい笑みを与えた。
「うん。キミの性格は、ボクも真琴も大好きなんだ」
 とっさに「真琴も」を加えて本心を有りのままに言いきかせる麻美。
「先輩〜〜〜〜っっ!!!」
 すると彼はあろう事か、麻美に抱きついて更に泣きじゃくっていた。しかし麻美は大して嫌がる感じもなく、さっきの「男は好きじゃない」って言葉はどこへやら、優しく頭を撫でていた。それはまるで可愛い愛犬をあやすかのような対応であった。
「もう、泣くなよ。男の子だろう?」

 
 実はこの一年の須藤明弘、麻美にこういった事をしても、唯一、許される存在なのだ。彼以外の男がこれをやれば、恐らくは瞬殺であろう。

 何故かといえばそれは、この男の、こういう性格であった。

 この犬みたいな懐き方や、男の癖にすぐに泣くといった感じが、気持ち悪いというのとは無縁。むしろそれがこの容姿に比例して、すごく可愛らしくなっていたのだ。
 恐らくこんな彼を「だらしない」とか、「気持ち悪い」と思っている年上の女子は、恐らくこの学園には存在しないであろう。
 なにしろ大学部や高等部の女子は時々彼を呼び、作った料理を食べさせたり、頭を撫でたりしているらしいのだが、あくまで噂にすぎない。

 もう一つ、あくまで噂なのだが、大学部の「一部の男性」にも好かれているらしいのだが・・・・それは絶対噂だと信じたい。

「先輩、大好きです」
「ほら、男の子、好きなんじゃないの?」
 真琴が聞くが、麻美は薄っすら笑うだけだった。
「この子は別だよ……少なくともこいつよりかは、ね?」
 すると彼女は、いつの間にか隣に立っていた中等部の二年、つまりは麻美や真琴と同い年の真中大地を顎で差した。手には数学の教科書を持っていた。

「なんだよ。ちゃんと教科書返しに来たのに……」

 とても嫌悪に満ちた声であったが、彼に表情はそれほどでもなく、むしろそれを楽しんでいるかのように、とても笑顔に満ちていた。
「なら良いや。それより、何?」
 そう言われて大地は教科書を麻美に返すと、頬を赤らめて一つ咳払いをした。
「早速だけど、俺と付き合って――――」
「断る」
 一瞬であった。恐らくは0・3秒で終わってしまったであろう。
「先輩、すごい瞬殺ですね?」
 明弘は未だに彼女に抱きついていていた。しかも羨ましい事に、首の周りに腕を絡めていて、すぐにでもキスできる体制であった。
 心なしか、犬の尻尾でも振っている様に見えるのは気の責であろうか。
「おい、そいつは良くて他の男は駄目なのか?」
「この子はお前と違って、危険性が無いから許す」
 その通りであった。勿体無いことに、明弘はこんな良い状況にも関らず、それ以上の事を何もしなかった。
 もしかしたら、性知識が物凄くお子様なのだろう。しかしそれを言ったら、中学生でそこまで詳しかったらある意味恐い。親の教育方針に些か不安を感じてしまう。
「わーい、一歩前進した!」
「なっ、違う。そんな事じゃ……」
 言いかけて彼の顔を見ると、彼はすごく悲しそうな顔をしていた。
「うぅぅぅ……」
「…………」
 すると麻美は大きく溜息をついて、彼の頭を三度撫でた。すると彼は急に笑顔になり、嬉しさのあまりか、あろうことか、彼女の胸に顔を埋めてしまった。


 ムニュ


 二つの柔らかな感触が、明弘の頬に伝わり、更に可愛らしい笑みを浮かべる明弘。
「!!!!????」
 そして頬を真っ赤にして腕を震わす麻美。そして次の瞬間であった。
 ボカッ!!
 ついに彼の頭を一発、殴ってしまった。
「うぇぇぇん、先輩が殴ったぁぁ……」
 女の子に一発殴られた位で、何もこんなに泣くことはないと思うのだが。殴った当人もまた、今まで言っていた事はどこへやら、頬を赤くして抗議した。
「あ、あぁ……当たり前だよ!女の子にそんな事をしたら、誰だって殴るに決まってるじゃないか!!」
「そ……そうなんですか?」
 すると明弘は目を拭いて後ろの二人を見た。
「あぁ。一発殴られたってだけなんだから、むしろ運が良い。他の男が麻美にあんな事したら、どうなると思う?」
「うん。考えたくもないよ……」
 真琴も想像し、平然としているが、言った本人はもの凄く顔を真っ青にしている。それほど麻美は強いのだ。何に対しても、誰に対しても。


 理由は麻美の剣の腕にあった。

 麻美は一年で既に全国準優勝している。なぜ準優勝なのかは話さないが、とにかく彼女はそれほど強かったのだ。誰が掛かってきても適う相手ではなかった。

 一年前の夏、友達がレイプされかけた事件があり、唯でさえ男をあまり好きになれなかった麻美の怒りが頂点に達し、相手十人余を一度に、警察と病院の両方に送ったという話は、あまりに有名である。しかも相手は全員、大学部や高等部、しかも空手部、柔道部、剣道部の主将クラスだった。それほど彼女は強かったのだ。

 今思うと、彼女に女子のファンが次々と出てきたのは、まさにそれが理由であろう。
 もちろんそれまで彼女を知らなかった年下男性も彼女に恋焦がれ、明弘が麻美に惚れたのもそれが理由であった。

「先輩、強いですものね?」

「……」
 すると彼女は得意な笑みになり、強い口調で言い放った。



「当然だ」



「おぉ、嫌な本音が出た」
「うるさい、黙れ」
 その表情のまま、麻美のアッパーカットが大地の顎にヒットした。174センチの体が、女の子の拳1つで簡単によろけてしまったのだ。
「うぐっ、貴様……」
「好きな女の子に殴られたのだから、有難く思え」
 大地が言われて怒りの表情になると、真琴はそっと微笑した。
「大丈夫よ、真中君」
「市川……?」
「麻美はね、本当に嫌いな男とこういう風に話したりしないし、よっぽどの理由がない限り、むやみに殴ったりはしないわ。『まだ』好かれてる証拠じゃない」
 そう。本当に嫌いな男だったら、例外はあるものの、何かしない限りはとっくに無視している。それが広瀬麻美の広瀬麻美たる所以なのだ。彼女にとって大地は唯の男友達、明弘は可愛い弟としか見ていないのだ。
 その為、彼女にこういった事をされても、それは嫌いわれているいう訳ではないのだ。むしろまだそう見ているからこそ、頭を撫でたり、些細な事で殴ったりもできる。いわゆる彼女なりのスキンシップである。
 心が男なだけに、割とその辺は大雑把なのだ。
「こら、真琴……」
「そうか。そうだよな?俺は好かれているんだよな、まだ?」
 そう自分に言い聞かせ、たちまち元気を取り戻す真中大地。彼もまた空手をやるのだが、その腕はまだ未成長で、最近市の大会で準優勝したばかりなのだ。

「ほらっ、単細胞が高笑いしちゃってるよ……はぁ〜」

 その性格はとても陽気でポジティブ。何を言われようとも楽天的な事しか考えない。その為に、度々麻美から鉄拳や竹刀十叩きを喰らっているのだが、彼は依然としてあきらめなかった。彼もまた、麻美に惚れた馬鹿者の一人なのである。

「それより、いつまでこいつを抱きつかせているつもりだよ?」
「いいんだよ。この子は特別だ」
「いいよなぁ、明弘は……」
「でも、男の子として見られていないから、可哀想と言えばそうかもね?」
 幸せを尽く突き崩す市川真琴の一言。その言葉に明弘はまた暗い顔になり、目に涙をためていた。それに驚いてあわてだす麻美。
「こら、真琴!違うよ、須藤君。そんなんじゃ……」
「さぁ、この劣勢の挽回と弁明はいかように……」
「お前は喋るなよ!」
 横で嘲笑っている大地に叱咤すると、すぐに明弘の頬に手をやり、そっと撫でた。そしてもう一方の手で彼の目の周りを拭いていた。
 すると真琴は彼女たちに近づき、半ば強引に明弘を麻美から奪うと、そっと抱きしめた。
「もう、そんな泣き虫じゃ、麻美を守れないよ?」
「市川先輩……」
「…………」
 その真琴の対応に、いつもなら何も起きないのだが、最近は違った。
 とてつもない程のいらつきが芽生え、彼を抱きしめて薄っすら笑っている真琴から、今度は強引に奪い返した。
「麻美先輩……」
「止めなよ。嫌がってるじゃないか!」
 自分でも気がついていなかったが、この時明弘の顔は、麻美の二つの胸にずっぽり埋まり、少々息苦しかった。
 すると麻美は面白がっているのか、再度明弘を麻美から奪い取り、しっかりと抱きしめた。まるでペットを扱うような扱いであった。
「あら、麻美ったら……嫉妬?」
「何!!?お前、いつの間にそんな男と……」
「ち、違うよ!!これは……」
 麻美は自分のした事に戸惑いながら必死に弁明すると、直ぐに明弘をまた奪い返して、同時に彼の方に顔を向けた。
「そ、それに須藤君。嫌な事をされたら、ちゃんと「嫌だ」って言わなきゃ駄目だよ?」
「あ、はい……ごめんなさい」
 首筋に抱きついて許しをこう明弘。こういった姿はなんとも可愛らしく、彼の前だけは優しい姉を演じている麻美。
 頭を撫でると、明弘は無条件で笑顔になり、今度は麻美の腹部に顔を摺り寄せてねっころがる。その行動は、まるで猫である。
「…………」
 その姿を、なんとも羨ましそうに見ていた、真中大地であった。
「フフ、素直じゃないのね、麻美ちゃんは……」
 薄っすら笑って状況を見ている真琴。
「だから違うって!」
「あの……先輩、痛いです……」
 明弘に言われて慌てて腕を緩める麻美。彼は締め付けられた頭を抑えると、とっさに麻美が開いた両太腿の間に顔をうずめてしまい、足をばたばたさせた。


「!!!いいあえいはいお〜〜〜(息ができないよ〜〜〜)!!!」


「す、須藤君!大丈夫?」
「う……羨ましい……」
「うふっ、麻美ちゃんたら・・・・?」
 真琴がそう思っても無理はない。今の明弘の行動は、自分が引き起こしたとはいえ、麻美にはかなり恥ずかしい事だ。殴っても無理はないだろう。しかし相手が明弘だからか、怒るとは対照的に、むしろ気にしない顔つきで明弘を起こし、頬を撫でる。
 すると一気に彼は笑顔になり、また麻美に抱きついてきた。
「麻美ちゃんって、女の子っぽい男なら大丈夫なのね?」
「そういう事を言わないでよ、真琴。それより、そろそろ教室に戻らないと……」
 すると麻美は膝の上にいる明弘を離して立ち上がり、手で膝を払って屋上を出て行った。
「あっ、待ってよ麻美ちゃん!」
「先輩……」
 明弘が見守る中、真琴もまた立ち上がると、麻美を追うように屋上から出て行った。



「ごめんなさい。徳川先輩……」

「なっ……」
 愕然とする男性。金色の髪に緑色の瞳をしているが、顔立ちは日本人が混じっていた。背はすごく高く、178センチはあるだろう。その容姿は優しく、薄い淵の眼鏡もあって、どこか知的な好青年といった感じであった。
「まぁ、君がいうなら、諦めるけど……」
「済みません。私、男とどこか行くの……あまり……」
「ううん。また誘うから、今はいいよ」
 しかし徳川という男は対して残念そうでもなく、麻美に薄っすら微笑んで返した。
「それより、いいのですか?会長の仕事、忙しいのでは……」
「あぁ、僕はもうすぐ引継ぎだからね」
 すると麻美は腰を曲げて礼をすると、さっと彼を抜いて走り出してしまった。
「あっ、待って」
「え?」
「ねぇ、蘭英知らない?」
「……いいえ」
「そう。ありがとう」
 すると彼は前を向き、ものすごく肩を降ろしてとぼとぼと廊下を歩いていった。
「……」
 しかし麻美の方はというと、物凄く嫌悪に満ちた顔であった。
 すると後ろで、物凄い嫌な気配に気づき、麻美はとっさに振り返って身構えた。
「どうかなさりました!?」
「さ……桜。ど、どうしたの?」
「どうしたの?ではありませんわ」
「ご、ごめん」
「また蘭英お兄様とお間違えになったのですか?」
 麻美の表情が変わり、冷や汗が一滴流れる。実はその通りであった。
「うっ……」
 この女こそ、その蘭英という男の妹、辻野桜である。黒く短い髪に、茶色の瞳をしていた。そしてとてつもなく優しい瞳に、天使の様な笑顔が印象的であった。
「全く、お兄様はどうせ、またどこかにふら付いているのでしょう」
「そ……そうかい?」
 できれば会いたくない。麻美は心の中でそう叫んだ。
 しかしその時であった。
「くそっ!」
「止めとけよ。俺には勝てねえ」
「やっぱり……」
 小声で呆れる桜。目の前には二人の不良が喧嘩をしていた。正確には、一人の男がもう一人の男を一方的に攻撃しているだけだが。
 しかし攻撃されている男も、それを尽く避けると、足払いなどをして攻撃している男に、的確にダメージを与えていた。
「辻野、それに村瀬、やめろ」
「蘭英お兄様、村瀬さんを苛めるのは止めてください!!」
「おっ、何だ。桜に……」
 辻野と呼ばれた男が振り向き、桜を見ると、その瞬間笑みが戻った。そして麻美の険しい視線を見た瞬間、彼は今度は、村瀬という男の胸倉を掴んでいる手を離した。
「ひ、広瀬……」
 辻野蘭英という男は驚くと、一歩引いて麻美を見ていた。しかし麻美は反対に一歩前に進んで、激しい怒りの目つきで蘭英を見つめていた。
「キミはどうして、こんな無暗な喧嘩ばかりするのさ?」
「別に。こいつに絡まられたから、それに答えてやっただけだ」
「それでも、喧嘩は止めるべきです!!」
 桜まで入った。さすがは蘭英の妹なだけに、その気迫は兄譲りで、想像以上のものであった。なまじ美人なだけに、ある意味怖い。
「お前らには関係ない」
「てめえら、俺を無視するな!!」
 村瀬が怒って抗議すると、麻美の目が、今度は村瀬に向けられた。
「村瀬。キミも、こいつに喧嘩を吹っかけるな」
「うるせえ、男女!てめえなんか竹刀持ってなけりゃ、唯の女だろうが!!」
「!!!」
 その言葉は麻美にとって、言ってはいけない言葉であった。とたんに目つきが険しくなった。獰猛な、狼の目つきであった。
「ぐっ」
 長年喧嘩には負けたことの無かった村瀬慎吾が、唯一恐れている女が彼女であった。そして彼はその目つきに、まるで攻撃をしてこれなくなっていた。
「キミたちは最低だ。理由はどうあれ、こんな殴り合いをするなんて……」
「それもそうですわね」
「何だと、てめえら!!!」
 村瀬という男は怒り狂うと、ふとそばにあった鉄のモップを持って殴りかかってきた。
「とっとと消えろ!!!」
「!!桜ちゃん、危ない!!」
 村瀬は怒りに目の前が見えなくなってしまっていた。
案の定気がつけばそこには桜がいて、すでにモップを振り上げてしまった後であった。
 ――まずい……!!!
 今振り下ろせば、鉄の部分があたり、彼女の頭に激突し、頭から血が吹き出るであろう。
 しかし、そんな事をすれば、彼女は重症を負う。いくらあの野郎の妹だからといって、こんなか弱い女の子に殴りかかって良いのだろうか。
「くそがぁ!!」
 
 ――それだけはいけない!!
 
 そう思ってしまう所が、この男が今ひとつ悪になりきれない部分であった。
 ――どこかでとりあえず振り下ろそう。
 そう思って隣を見たとき、丁度目の前にいたのは黒く長い髪に鋭い目つきの麻美がいた。
「てめえから始末してやる!!!」
「麻美!!!」
 その時、男の叫び声がした。
 そして、麻美の目の前には、大きな背中が立ちはだかった。
「……!!」
 そして大きな背中の男は腕をクロスすると、そのモップの鉄部分をその腕で受け止めた。そしてその背中の男は、さっきまで麻美が嫌っていた、辻野蘭英であった。
「辻野!!」
「お兄様!!!」
「ぐぅあぁ……」
「辻野……」

 手に持っていたモップを離し、徐々に後退する村瀬。そして人々が集まると、とっさにその場所から逃げ出してしまった。
「運が良かったな、男女!!!」
「辻野、大丈夫か!!?」
「くっ、まさかお前が心配してくれるなんてな……」
 しかし麻美と桜の心配も束の間。蘭英は立ち上がると、何事も無かったような顔をして後ろを振り返り、自分の教室へと歩いていった。
「お兄様……」
「全く。折角桜ちゃんが心配してくれてるのに……」
 麻美がそう言って桜を見ると、驚くことに、彼女は麻美をきっと睨み付けていた。
「お兄様は、貴方を守ろうとしました」
 その目はとても恐ろしく、見るものを凍りつかせた。普段は知的で心優しいお嬢様な桜なだけに、こうなると他の人は思わずたじろいでしまう。
 勿論、麻美もまた、俯いて暗い顔になった。
「ごめん……」
 そう呟くと、桜に近づこうとした。しかしその時であった。
「私は悔しいです……」
 押し殺した声で呟く桜。そして前に進んだ。
「お兄様は私より、貴方を守ろうとしました。それが何よりも悔しいのです」
「桜……ちゃん……?」
「ごきげんよう……」
 そう言って桜は歩き出すと、そのまま階段を降りて一年の教室に戻っていってしまった。
「ごめん……桜ちゃん……」

 ――ボクは馬鹿だ……
 ――男に助けられて……大切な友達を怒らせてしまった……
 ――ボクが男にさえなれれば、桜ちゃんにもあんな心配もされなくて済んだ。一人で女の子を助ける事もできた。
 ――全部ボクが女だから、だから助けられた……
 ――あいつはいつだってそうなんだから……
 ――だからボクは嫌いなんだ。辻野蘭英が……
「くそぉっ……!」
 壁に拳を叩き付けると、悔しさのあまり叫びだした麻美。その声に多数の人が驚き、彼女を見ていた。
 そしてそこから出て、麻美の前に現れたのは、一人の少女であった。
「どうしたの、麻美ちゃん?」
「ま……真琴?」
 麻美が顔を上げると、そこにいるのは市川真琴であった。長い茶髪を左右に分けて結わき、二つとも前に垂らしていて、その表情葉天使の様な、柔らかな微笑みであった。
 その顔をみると、途端に元気を取り戻し、また得意げな笑みに戻った。
「大丈夫だよ。ちょっと辻野とやりあっただけさ」
「まぁ……」
 すると何を勘違いしたのか、市川真琴の頬が急に、真っ赤になりだした。
「麻美ちゃんったら……男の子嫌いだって言っていたのに……昼間からなんて大胆な行為を……」
「あの、真琴?「やりあう」って言葉をどう漢字変換したかは知らないけど、真琴の考えている事とは全然違うからね?喧嘩だよ」
 どうせ「犯りあう」に変換したのだろう。
 そう思って肩を降ろすと、真琴はきょとんとして、自分の人差し指を立てて唇に近づけると、上を見上げた。
「あぁ、いつもの……」
「その、いつもの、にだけにはなりたくない」
 実は、先程徳川が蘭英を探していた理由というのは、あの蘭英の性格を恐れての事だったのだ。それ程蘭英は恐ろしく性質が悪かった。
 何が悪いのかというと、直ぐに喧嘩をするという事だ。売ってくる相手も悪いが、蘭英はその喧嘩を買う上に、売ってきた相手を再起不能寸前にまでしてしまうのだ。桜が止めに入るか、麻美が見つけて止めさせるかしないと、それこそ半死半生にしてしまいかねないので、本当に始末が悪かった。
 そしてそれを止められるのは麻美と桜、そして何故か真琴だけなのだ。他の奴が止めても、「関係ない」の一言で終わってしまうのだ。
「折角の逸材なんだから止めてよ。ボクなんかよりも面識があるだろう?」
「幼馴染だからね、蘭ちゃんとは」
 そう。真琴が蘭英を止められた理由は、彼らが幼馴染である事だ。幼稚園から一緒に駆け上がり、一個年下ながらも、うまく蘭英を宥めて止める。といった、あくまで最良の策が取れる唯一の人材といっても良い。
 事実蘭英も、彼女と桜、そして麻美と、あの徳川という生徒会長の言うこと意外は、何としてでも聞かなかった。
「だから悔しいの」
「え?」
 麻美が振り向くと、真琴は何を思ったか、すばやく麻美の首の後ろに両手を絡ませ、一気に自分の胸にまで引き寄せた。
 麻美の顔が、まるで二つの、大きくて柔らかなサンドバックの如き、真琴の胸に埋め込まれていた。
「うわぁ、何するんだよ!」
「麻美ちゃんを独り占めできない事が……悔しい」
「え?」
 ぽっと顔が真っ赤になる麻美。何度も女の子にも告白されている筈の彼女が、初めて親友に告白されて顔を真っ赤にしだしていた。
 無論、初めての事である。
「…………」
 しかし麻美はそれを拒むどころか、抱きつかれて動けないのに、むしろそれが嬉しいかのように、真琴の胸に顔を埋めていた。
「温かい……真琴の体」
「独り占めしたい?」
「うん。ボクだけのものに……って、何を言わせるのさ、君……!!?」
 いい終わろうとした瞬間、麻美は大衆の目線に気づき、顔を真っ赤にしたまま辺りをきっと睨み付けた。
『広瀬……そうだったのか……』
『だから色んな男を振って……そうまでして……』
『素敵……麻美ちゃん……』
『お姉さま……』
 周りは麻美や真琴に恋焦がれていた男女がいた。中には一年生もいて、顔を真っ赤にしながらその光景を見ていた。
「違う。僕らはそんな……」
 するとそんな麻美の弁解空しく、真琴が麻美の腕に絡み付いて抱きついてきた。もはや弁解の余地もなかった。
「そう。私たち、付き合って……」
「ないったら!!変な誤解をさせないでよ!!」
「ウフフ……恥ずかしい?止めてほしい?」
「当たり前だろ?」

 こんの天然トラブルメーカーめっ!!!

「麻美ちゃんが言うなら……止めてあげる」
 そう言うと腕を離し、また今までの女神の笑顔に戻る真琴。しかし麻美の方は未だに真っ赤な顔で、少しムッとしていた。
「ふざけないでよ、真琴」
「ふざけてなんてない」
「これがふざけてないって?」
「うん」
 すると彼女は振り返ってとっさに踏み込んだ。
 そして次の瞬間、彼女はとっさに麻美の後頭部に両手を添えると、そっと自分の顔に引き寄せ、そのまま彼女の唇と自分の唇を重ねた。



「…………!!!!!!??????」



 周囲が凍った。


 そして数秒後、真琴は離れると、自分の胸に手をやり、頬を赤らめる。
「ま、ままま……ま、真琴ぉぉ!!!!」
「ウフフ、プレゼント」
「あれがプレゼントなものか!!!???」
 目に涙を溜めて訴える麻美。しかし真琴はいつもの女神の笑みに戻ると、そっと呟いた。
「折角の私のファーストキスなのに、嫌なの?」
「うっ……」
 顔を真っ赤にして後退する麻美。へたり込んで素っ頓狂な顔をしだした。
「ふぁ、ファーストキス!!?尚悪いじゃないか!!!」
「責任、取ってね?」
「うぅぅ……」
「じゃあね、麻美ちゃん!放課後下駄箱入れで待ってま〜す!」
 真琴は薄っすら笑みを浮かべると、そのまま自分の教室に戻ってしまった。そして麻美は顔を真っ赤にすると、自分の唇にそっと手をやった。
「…………」


 ――サクランボの味……全然しないじゃないか……


 実は麻美もまた、初めてのキスだったのだ。



「俺と映画館でも行かないか?」
「あの、お買い物にでも……」
「一緒にディナーに行きましょう!!」
「いや、コンサートだ。ロックバンドだぞ?」
 呆れ果てていた。思うに、この男達が、たとえ一度断ったからとはいえ、諦めるとは思えなかった。意外にもあの明弘までもが四人の中に入って、とても真剣な顔立ちで麻美を見ていた。勿論、先程断った筈の徳川も、性懲りもなくその中に混じっていた。
「辻野、須藤君、徳川先輩、それに真中。さっき断ったばかりだろう」
「え?でも、三度目の正直って言いますよね?」
「いや、須藤君。それ、意味が違うような・・・・」
「ラブストーリーだぞ?貴様みたいな女が好きそうな」
「辻野・・・どうして好きな女にそう偉そうに話せる?それに、いまここで付き合ってしまったら、それこそ桜に嫌われかねない」
「いや、それは気にする必要はない。俺が一言言えば・・・・」
「あぁ、引っ込めよ蘭英。いいのかな、麻美。ロックだぞ?」
「真中。ボクはロックというのは、やかましくてあまり好きではない」
「あ・・・そう・・・・?」
 大方真琴に適当な事を言われて騙されたのだろう。彼女は天然だが、油断すると痛い目に会うことがある。この男も麻美も、その被害者なのだ。
「ならディナーは?イタリア料理でも・・・・」
「こいつに似合うのは日本料理だけだ」
「え?ケーキですよ」
「それはおめえの好きなモンだろうが!」
 気がつかないうちに、四人は一気に言い争いになってしまった。こうなるともう麻美など眼中になかった。早く三人を追い出そうとしてやっきになるのだ。
「だいたい、麻美にラブストーリーだと?似合わないんだよ」
「何!!?」
「たしかに。でもそれを言ってしまえば、お買い物やロックコンサートも、彼女の趣味に合わなそうですね?」
「高いってだけっぽいディナーよりは、ましかと思いますけど?」
「須藤君、それは一体どういう……」
 これ以上は殴りあいになりかねない。そんな空気を醸し出していたその時であった。
「おい」
「何ですか?」
 ふと喧嘩を止めたのは、他でもない、蘭英であった。
「俺たちが喧嘩しているうちに、あいついなくなったぞ?」
 その蘭英の言葉に、三人は一気に立ち止まってしまっていた。そして夏だというのに、なんとも冷たい風が、彼らを包み込んでいた。



「全く、どいつもこいつも……」
 とてつもない怒りを覚えながら、麻美は帰宅していた。
 そしてその隣には、まるで女神の様に彼女を見つめている、市川真琴の姿があった。実は彼女の部屋は、麻美の部屋の隣に位置していたのだ。
 その為一緒に帰ることもざらではなく、今日はスーパーに行って、麻美の部屋で何か作って食べようとしていたのだ。
「いいじゃない。好かれているだけましよ?」
「え、どうして?」
「世の中には、好かれたくても好かれない人だっているの。好きな人に好かれない人だっている。例えば私は麻美ちゃんが好きだよ」
「うん」
「でも麻美ちゃん、私の事、友達としか思ってくれない」
「違うよ!」
 振り返って弁解しようとする麻美。しかしそんな弁明をしてもどうなる訳でもなかった。
「違う!ボクだって真琴の事……」


「え?」


「うっ……」


 それきり、黙ってしまった二人。
 このとき、麻美はかなり焦っていた。もし許されるのなら、今すぐにでも彼女を抱きしめたかった。そしてかなり顔が赤くなってしまい。それを隠そうと俯いていた。


 その為、近づいてくる男達に気がつくのが、少し遅れてしまった。


「!!」

 気がつくと、八人の男達に囲まれていた。
「へへへ……広瀬麻美だな……」
「想像していたよりも美人じゃねえか」
「そうか?俺は市川の方がタイプだけどな……」
「学校一、二の美人がこんなところにいるとはな……」
「くっ……」
 麻美はとっさに真琴の腕を握ると、後ろへ下がるが、そこには既に一人男がいた。
「…………」


「真琴、ボクの家から木刀を取ってきて」


「え?」
「何でもいい。棒状のものがあればそれで……」
 そう言って男たちを睨み付けた。
「……」
 しかし、どう逃げ道を見つけようか、それが問題であった。
「どうする、広瀬……逃げ道はないぜ?」
 下卑た笑い声を上げて近づく男。そしてその顔を見た瞬間、麻美の顔色が変わった。
「お前は……たしか……」
「そうだ。お前に警察に突き出された、相沢徹のダチだ。それと、俺もあのレイプ未遂事件の参加者だよ……気がつかなかったか?」
「相沢……とお……!!!??」
 麻美が知らない筈が無かった。彼女の顔から徐々に血の気が無くなっていった。

 一年前のレイプ未遂犯、その首謀者の相沢徹をけしかけ、高等部一年の宮沢愛をレイプしようとした仲間の一人に、あの男がいたのだ。

「俺たちはお前が許さねえ……」
 たとえ自分たちの撒いた種とはいえ、友達がやられて黙っていられる程、彼らの心は大人ではなかった。
「どうするつもりだ?」
「徹底的に犯して……ぶっ壊してやる!!」
「くっ……」
 麻美は目の前の真琴を見て、正直顔がひきつった。

 ――自分は良い。
 
 ――どうせこうなる事は分かっていた。
 思えば喧嘩や、それを仲裁する事ばっかで、いつこんな逆恨み野郎が来ても不思議ではなかったし、そう悲観もしなかった。
 たとえ勝てないと思っても、被害が自分だけなら良かった。
 しかし今は真琴もいる。彼女だけは傷つけたくない。
 それに彼女にはもう一つ、蘭英という男の事があった。
 傷物にされた真琴を見たら、どう思うであろう。
 そしてそこから、どの様な悲劇が待っているであろう。
 それを想像するだけでも恐ろしく、額から冷たい汗が流れてきていた。
「頼む……真琴は、あいつは何の関係も無いんだ。彼女だけは許してやって――――っ!!」」
 言い終わろうとする麻美の腹部に蹴りをいれ、男はまたも下卑た笑いを繰り返していた。
「馬鹿じゃねえの?」
「あぁぁ……ぐっ……」
 腹部を押さえて悶える麻美。腹筋に力を入れていなかったからか、内臓にモロにヒットしたのであろう。しかし男はなんの躊躇もなく、彼女の顔を踏みつけ始めた。
「いいねえ、その苦痛に歪んだ顔……あの女にも味わわせてやるよ」
「なっ!!!」
 振り返ると、そこには羽交い絞めにされている真琴がいた。
「ごめんねぇ……逃げ切れなかったよ」
「真琴……あぐっ!!」
 ――やめて……
 ――真琴にだけは手を出さないで……
 彼女の頭を踏み、そのまま体重を掛ける男。麻美が苦痛に歪んでいても、文字通りおかまいなしであった。男は再度、薄っすら嘲笑した。
「手始めに……やれ!!!」
「おう!!!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」
 麻美が叫んだのとどちらが早かったか、複数の男の一人が倒れだした。


「何だ?」


 麻美を踏みつけている男が見ると、そこには計四人の男がいた。

「麻美を倒せるのは俺だけだ……」

 そう言って隣の男を再度殴る村瀬信吾。その鋭い目は、下卑た笑い声の男をキッと睨み付けていて、手に鉄パイプを握っていた。

「俺の女に手を出すな!」

 言って、倒れている男を踏みつける辻野蘭英。彼も手に一本の木刀を持っていた。

「広瀬、無事か!!?」

 一番に広瀬に近づいていくのは真中大地。隣の男に殴られようが、その瞬間に、更に三倍にして男にお返しし、その男を倒していく。

「……喧嘩は、好きではありませんが……」

 眼鏡を持ち上げながら隣の男に肘鉄を与えているのは徳川クレハ。そして次の瞬間、さっと跳躍してもう一人の男を蹴り飛ばしていた。


 気がつけば、およそ五人の男が、彼らによって倒されていた。


「なっ!!」
 そして麻美を踏みつけている男が気づくと、市川真琴の姿が無かった。
「なっ!!」
「まさか、須藤君!!?」
「その通りだ」
 近づいてきたのは辻野蘭英。手には一本の木刀を持っていた。さすがは剣道部エース。その外見に似合わず、武道に精通している蘭英。
「てめえ、やる気か!!?」
 下卑た男が麻美を踏みつけたまま、懐にあったサバイバルナイフを持ち出し、それを麻美の頬に近づける。
「ちっ、ちょっとでも近づいてみろよ!この女の顔に……一生消えない傷をつけてやる……もう外に出せないくらい酷い顔にしてや―――!!!」
「やってみろよ」
「何!!?」
 ――いいのか?
 そう男は思っていた。
 自分が本気で言っている事など、誰もがお見通しだ。その証拠に、クレハとかいう外人や真中とかいう馬鹿は動きが止まっている。
 そして蘭英が顔を上げると、男の顔が、まるで鬼でも見たかのように、恐怖におののいていた。


「俺の女に手を出したんだ。それなりの覚悟はあるよな!!!???」

 これ以上無い程の凄みを利かせて、蘭英は叫ぶ。
「蘭……え……??」


「汚ぇ足をどけやがれ!!!広瀬の可愛らしい頭が汚れる!!!」


「!!??」

 ――可愛らしい???

 思わず頬が赤くなってしまう。
 あの辻野蘭英が広瀬に、いや、女性にこんな言葉を言ったのは、今のところかつて無い事態であろう。あったとしても、妹の桜くらいであろうか。
「!!!」
 男が足をどける。そしてその瞬間であった。
 麻美が手で男の足を払い、さっと立ち上がると、とっさに蘭英が投げ出した木刀を受け取り、構えた。
「何!!?」
 とっさに男が身構え、ナイフを持ち出したが、それは手遅れであった。
 気がつけば、その男を除いて、麻美を取り囲んだ八人の男達が、たった四人の男達によって倒され、そこで眠っていた。


「……覚悟は良い?」


 広瀬麻美は木刀を構え、下卑た笑いを浮かべていた男に近づいた。
「…………」
「なっ、くそっ……」
 男が後ずさるが、もう手遅れであった。
 後ろには慎吾とクレハ、そして大地。
 前には麻美、そして薄笑いを浮かべた蘭英がいた。
 四面楚歌であった。
「くそっ……くそぉっ!!!」
 男が走って麻美に飛び掛ると、彼女は何を思ったか、そっと目を閉じた。


「月下心源流……」

 そして彼女は木刀を下に構え、そっと右から半円を描くように掲げると、キッと彼を見つめて手首を返した。


「半月斬!!」


 次の瞬間、二人の体が交差した。
 ほんの一瞬の出来事であった。


「…………」



「……無念」


 倒れたのは男だった。大柄といえない体が、見事なまでに地に伏せると、麻美は彼を見て、そっと睨み付けるが、男は動かなかった。
 気絶している証拠であった。脊椎を打って正解だった。
「麻美……」
「ん?」
 麻美が振り返ると、そこには笑顔で彼女を見つめる、蘭英がいた。
「大丈夫か?」
「……まぁ、ね」
 彼女は立ち上がると、辺りを見回した。
「真琴は?」
「明弘が逃がしたぜ。そろそろだけどな」
 そう言う大地。すると携帯が鳴り出した。
「……はい?」

『麻美、大丈夫?』


「真琴……真琴なんだね??」

『うん。今公園だよ。事は終わった?』
「あぁ。じゃあ公園まで迎えに行く」
『うん』
 そう言って携帯を切ると、フッと微笑した。安心した証拠であった。
「真琴……無事でよかった」
「よかった、じゃない!!てめえが怪我したらどうするんだよ!」
「ふん」
 そっぽを向いて無視する麻美。しかし大地の頭の出血を見ると、薄っすら笑ってハンカチを出し、彼の頭を拭いた。


「……あ?」


「自分の怪我を心配してよ。全く君は……」

「わ、悪い……」
「フフ……そういえば、殴る以外で君に触ったの、初めてだな」
 麻美はすると大地に向かって、今まで無かったであろう、満面の笑みを浮かべた。
「そういえば、な」
 そして大地もまた、この最強のお姫さまに向かって、まさに自分こそそれに見合うナイトとでも言っているかのように、薄っすら笑った。
「それにしても、徳川先輩って、いったい……」
「たしかに、唯一怪我してない」
「あぁ。こんなの、サウスセントラルのチンピラに比べたら、なんでもありませんよ」
 薄っすら笑って言ってのけるクレハ。サウスセントラルと言えば、アメリカでも屈指のスラブである。どんなチンピラがいたか、分かったものではない。


 ある意味、一番恐ろしい男であった。


「…………」
 黙っていたのは、村瀬信吾であった。
「広瀬……また、喧嘩しちまった……」
「村瀬……?」

「……ごめん」

 何故かは分からなかった。しかしその男の正直な言葉に、少なからず彼女の頬が赤らんでしまったのは、疑いの余地もなかった。
「ば、馬鹿!あんなの、正当防衛だから良いんだ!そ、それに、君が喧嘩したってしなくたって構わないよ。ボクと真琴が困らなければ……」
「そ、そうか……?でも、悪かった」
「ぐっ……」
 蘭英、大地、そしてクレハは確信していた。
 また、新たなライバルが現れた事を……



 結局あの相沢徹の仲間は、一週間前に少年院から逃げ出した仲間らしい。聞けば相沢は既に反省しているらしく、あの一件いらい、木刀を見ると急に怖がるようになってしまっていたらしい。尚、相沢の仲間は全員、再度少年院送りになったという。


 どの道、女の敵とう者は罰せられる運命なのだ。うん、覚えておこう。


 そしてそんなこんなで、また日常が始まる。
「俺とプロレス行こうぜ!イナキボンバイエだぞ?」
「野蛮なのは嫌い。パス」
 また何時も(?)のお誘いを断り続ける広瀬麻美。
「じゃあ、僕と遊園地に行きましょう」
「ちょっと惹かれるけど、お金ないから遠慮するね、須藤君」
 お金は出来ることなら割り勘が良い。だから自分の手持ちが寂しければ、どんなに遊園地が好きだとしても、行こうと思えないのだ。
「なら私とフランス料理でも」
「ごめんなさい、徳川先輩。ボクには外食はどうも……」
 そう。麻美は結構外食系は苦手なのだ。
「なら俺と一緒に水族館だ」
「ぐっ……一番まともな誘いだけど……どこの水族館なの?」
「家の敷地」
「それ遠まわしに「うちに来い」って言ってるじゃないか。断る」
 そんなこんなを続けていると、ふと後ろから声が聞こえた。
「よぉ、麻美さん」
「むら……せ……?」
 麻美が振り返ると、村瀬信吾の格好に吃驚した。
 立っていた髪は下ろして金髪だったのを黒く染め、明らかに別人になっていた。しかしその雰囲気はまさしくあの村瀬であった。
 しかし麻美はそんな村瀬に違和感を覚えてしまった。なにしろいきなり「さん」である。


「俺、喧嘩止めるよ」


「え?」
 幻聴?麻美はふとそんな事を思ってしまった。
 昨日から村瀬はおかしかった。急に「ごめん」と素直に謝るし、今日は今日でそんなナリだし。さすがの麻美も不安になってきた。
「もう不良なんて止めだ。これからは愛に生きる!」
「そうか……って、愛?」

 途端、嫌な予感がした。
 そしてその予感は見事に当たった。


「俺とデートしよう。今夜暇か?」


「…………」


 嫌な予感、的中!!


 顔面真っ青になって呆れる麻美の前に、ふと立ち並ぶ四人のナイト様。
「どうした?」
「お前なぁ、麻美は俺たちだけで充分だっての!!」
「君まで彼女を困らすつもりか?」
「まぁ、先輩達には僕達がいますから」
「去れ、村瀬」
「なにぃ!!?」
 急にケンカが始まってしまった。
 なんでこんなことになったのだろう……
 ボクは、心は男の子なんだ。好きな女の子もいるんだ。
 なのになんで男に好かれなきゃいけないの!!?
「広瀬!」
「麻美先輩!!」
「麻美君!」
「麻美さん!」
「…………」


 頭が痛くなる。
 麻美はすると大きく息を吸った。ふと麻美の後ろにいた真琴が、手で両耳を塞ぐ。


「俺と・・・・」
 そして五人に増えた麻美の彼氏候補が一気に詰め寄った。


「「「「「付き合って・・・・」」」」」




「いい加減にしろぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!!!誰が男となんて付き合うかぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――ッッッッッ!!!!!!!」



 麻美のライオンの如き咆哮が響き渡り、授業のチャイムが霞んでしまい、麻美がこの日遅刻してしまった事は言うまでもない。


 そしてその後、広瀬麻美が障害を克服し、普通の男性とまともな恋愛をするのだが、それはまた、別の話……
「だから、ボクは男なんて嫌いなんだぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」


 ちゃんちゃん

2004/04/23(Fri)22:24:52 公開 / リョーランド
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■作者からのメッセージ
ちょっと手直しをしてみました。
あまり変わっていないのですが、読みやすいように仕上げてみました。
相変わらず長いですが。

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