『Bicycle!! 3,5 episode-jump-』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:daiki                

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「――――死んで当たり前だよ……」
暗く閉ざされた病院の一室。そこに、一人の男が横たわっていた。
その男の顔の上には白い布が被せられている。そう、彼は死んでいた。
部屋に灯された蝋燭が、その男の側にいた少女の顔を照らす。
涙は、不思議と流れなかった。
その理由は、彼女が呟いた言葉。間違っても死んだ人の側で言う台詞ではない。
死んで、当たり前。
それでも、本心だった。



Bycycle!!
written by daiki




prologue



爽快感。ただ、それだけが体を包み込む。
風を切り、走っているという感覚。ペダルを漕ぐ足にも力が込められる。
少年のすぐ脇を、何かが弾丸のように通り過ぎていった。
何か――――そう、自動車。
この少年は自転車で道路の中心を走っていた。
鳴り響くクラクション、耳をつんざくようなブレーキ音。
運転手の怒号、そして叫び。だが、少年の耳にはそんなのは聞こえない。
風の音。彼の耳は、それだけを聞いていた。
自らが風を切っていく感覚。切られた風が奏でるメロディ。
ただ、それだけを聞いていた。
突如、目の前に信号が現れる。その表示は、赤。
普通なら「止まれ」を示すそのサインも、少年には無意味なものだった。
彼のコースを横切る四つの車線。絶え間なくそこは車が流れている。
スピードを緩めず一度だけ顔を左右に振り、タイミングを確認する。
それは一瞬。あの赤い車が、彼の目の前を通り過ぎた瞬間。
前輪のタイヤに擦れそうで、擦れないギリギリの距離で赤い車が通過する。
驚愕に満ちた運転手の表情。それだけが少年の視界にはっきりと写る。
次の瞬間には、交差点の中心へと突入していた。
刹那、左右二つの方向から巨大なトラックと軽自動車が向かってきている。
少年は軽くハンドルを切った。その二つの車がすれ違うそのとき、間を縫うように無駄ない動きで彼の自転車はその場を切り抜ける。
横を通る最後の車線に差し掛かった。だが、見事にそこは車と車の間の空白。
彼にとってはまさに通ってくださいと言っているような空白だった。
スピードは緩めない。少年はブレーキを一度も握らなかった。
再び彼は車線の真ん中へ踊り出る。対向車は信号が赤なので停車していた。
丁度この瞬間が安全なときだ。少しの間のインターバル。
だが、彼は突然ブレーキを握る手に力を込めた。
車体を横へ向け、脇にその自転車を停止する。そして彼は左腕を顔の前へとあげた。
その左腕に着けられたストップウォッチの停止ボタンを押す。
そのタイムを見て、少年は顔をほころばせた。
「三秒、縮めたか」
少年――――柳瀬勇人(やなせはやと)は、呟いた。












「こらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ビクッ。その甲高い怒鳴り声に、勇人の体が震える。
停止した勇人の隣、ガードレールを隔てて叫ぶ人の姿を視認し……焦る。
逃げようとペダルに乗せた足に力を込めた。
逃げなきゃヤバイ。
ヤバイったらヤバイ。
誰がなんと言おうとヤバイ。
彼の脳が危険信号を発している。とりあえず、逃げるに限る。
タイヤのゴムがアスファルトに擦れる音がした後、急発進でこの場を離脱――――したハズだったが。
首根っこを掴まれ、前に動き出そうとしている自転車に置いていかれる形になる。
危うくバランスを崩しそうになるのを、なんとか踏み留めた。
自転車が音を立てて倒れる。そんなことよりも、彼はこの危機を乗り越えることのほうが優先度が高い。
「チャリが無理ならダッシュじゃぁ!!」
それだけ叫んで、逃げようと思ったが、やはりそれも無理な話だった。
首根っこを掴まれた状態でどうやって逃げるというのか。すでに逃げ場はなくなっている。
恐る恐る勇人は自分の首が掴まれている方向へと振り返った。
「もう、逃げようとしたって無駄よ。ったく、よくそんなんで学費もろもろ全て含めて生計立ててるなんて信じられないわね……」
声の主――――河田 絵梨(かわだ えり)は心底怒った様子で呟いた。
勇人が彼女を恐れたのにはワケがある。それは、彼女の服装。
それは誰がどこから見ても婦人警官服と呼べる代物だった。
風に揺れる微かに茶色がかったロングの髪。二十歳という歳の割にまだ幼さを残した顔立ち。
人より少し大きな目を細めながら、彼女は空いた手で手錠を取り出した。
「やっぱり捕まえるべきかしら……」
「うわぁぁぁぁぁ、絵梨姉、それは勘弁を〜〜〜〜!!!!」
カウボーイがロープを回すように、人差し指で手錠をグルグル回す。
その気になればいつでも勇人のその手首に手錠をかけれる状態だった。
「冗談よ。ま、でも罰金ね。道路交通法違反」
「うぅ……せっかくBADで稼いだ金がぁぁぁぁぁ」
泣く泣くポケットから財布を取り出し、いつもと同じ金額を絵梨に差し出す。
慣れた仕草でその金額を確認すると、彼女はそのお金をポケットに入れた。
「でもアンタ、毎日毎日よくやるわよね……ま、おかげでこっちは稼がせてもらってるからいいんだけど」
小悪魔的な笑みを浮かべながら、彼女は手帳を取り出しいつものように記録する。
さらさらと手帳で踊るボールペンを眺めながら、勇人は大きなため息をつきながら呟いた。
「しゃーねぇだろ……師匠を越えるのが、オレの夢なんだから」
「毎回、師匠師匠ってアンタねぇ……もっと命を大事にしなさいっ」
ボールペンを握った手で勇人にゲンコツする。
ドガッ、と鈍い音がした後、勇人が両手で頭を抑えた。
「痛ってぇなぁ!! いいじゃねえか、今日も師匠のタイムに12秒近づいたんだぜ!!」
自慢げに語る口調とは裏腹に、彼の目には涙が浮かんでいた。
「まだ12秒……なんかあれね、アンタの師匠ってメチャクチャね」
「メチャクチャって言うなよ……」
「十分メチャクチャよ。ったく、この時間この道はかなり交通量多いのに……」
「だからいいんだよ、スリルがあって……ってぐはぁ!!」
彼の言葉を最後まで聞かず、再びゲンコツが飛んでいた。
今度はゴチンッと小気味よい音を立てながら、彼の頭に星がとんだ。
「どうでもいいけど……」
「どうでもよくないっ!!」
「はいはい。それでも、自分の身体は大事にしなさいよ。死んだら、もうどうにもならないんだからね……」
勇人ではなく、どこか遠い所を見つめながら絵梨が言った。
――――絵梨には、両親がいない。
原因は交通事故。自動車8台を巻き込んだ壮絶な事故だった。
そして、その原因を……彼女は、知らない。
「BADってヤツも出るのやめなさいよっ。ったく、警察としてはアシがつかめないからてんやわんやなの。いい加減にしてほしいわ……」
「しゃーないだろ。一応違法競技なんだ、警察に尻尾掴まれたらおしま……ってなんだよ?」
何か最後まで言おうとして、気付いた。絵梨が意地の悪い笑みを浮かべている。
「ねぇねぇ、で、次のBADっていつよ?一斉に捕まえて……」
「言わん」
絵梨の言葉を最後まで聞かず、勇人はスッパリと言い放った。
その言葉を聞いて一瞬だけ残念そうな表情を浮かべると、彼女は彼の首根っこを解放した。
力が抜け、勇人の身体が自由になる。
「まぁアンタには貸しがあるからね。罰金だけで勘弁してあげるわ……」
「サンキュー」
屈んで倒れた自転車を起こす。それに跨ると、彼女のほうを向いた。
「じゃっ!」
「気をつけなさいよ……ったくもう」
その言葉を最後まで聞かず、彼の自転車がうねりを上げて走り出した。
爽快感。
自転車に乗っているときのこの感覚が、彼は好きだった。



まだ眠たい目を刺激する、朝の日差し。
彼は朝が嫌いだった。ただ単に「眠いから」、それだけの理由だが。
おぼつかない足取りで学校へと向かう。風が吹き、花びらを運んだ。
「もう春か……」
呟き、七分咲きの桜を見上げた。
桜の花びらが舞っている。それは雪のようでなんだか儚かった。
――――そう言えば、「あの日」もこんな日だったな。
思考を過去に巡らせ、いろんなことを思い出す。
なんとなくセンチな感傷に浸りながら、ゆっくりと歩を進めた。
彼の通う東が丘高校は、切り立った山の上に建てられている。
つまり、そこへ向かうためには長い坂道を登らなければならない。
ゆっくりと歩きつづける彼の傍ら、自転車通学の生徒がヒーヒー言いながら坂を登っていた。
トレーニングのために毎日登りたい、と彼は思っているが、登校は徒歩で済ませている。
ただ家が近いからという理由もあるのだが、それよりも大きな理由が一つ。
「お〜い、柳瀬〜」
後ろから自分の名前を呼ばれていることに気付き、勇人は振り返った。
駆け足で彼の下へ走ってくる一人の少年。金髪に髪を染めた、今どきの若者の風貌。
だが、中身と外見は違う。
かなりいいヤツだ、と勇人は思っている。――――彼のある性格を除いては。
「あぁ〜、この坂長ぇんだよ、ったく……あ、それより柳瀬、これこれ」
目の前に一枚の紙を差し出しながら、少年――芥川晋介(あくたがわしんすけ)は微笑んだ。
勇人はそれを受け取り、内容を軽く読み流す。そして……驚愕した。
「出走願、出したから」
「早っ!?」
その性格というのは、なんでもかんでも人の意見を聞く前に決めてしまうこと。
晋介は勇人の出走レースの管理や、ナビゲーター全てを勤め上げている。
だが困ったことに、彼の下に回ってきたレースは全て「出走する」と決められていること。
つまり、勇人は好きでBADレースの常連になっているわけではないということだ。
あくまで勇人の目標は師匠越え。だが、そのためには経験が必要というのが晋介の口癖だ。
実際レースは出させるくせに、学校の自転車通学は禁じている。
その理由は、学校の人たちにレースに出てると思わせたくないから、らしい。
――――BADレース。
Bicycle As Deadレース。
ちまたでは有名な自転車レースだ。だが、それはつねに危険と隣り合わせ。
そのわけは、コースは一般道路だということにある。無論、いつ車が襲ってくるのか分からない。
そしてレースの勝敗を決める要因はいろいろある。
ただゴールに最初に辿り付けばいいものや、ある車に取り付けられたフラッグを奪取するなど、様々。
その中でも勇人は、いつも上位に食い込む有名な「走り屋」だった。
「今回のレースはねぇ、ランクA。明日の夜9時」
「……また唐突に……」
晋介のストレートな言葉に、思わず頭を抱える。
BADレースにはS〜Fまでのランクがあって、Sに近づくほど難しくなり、賞金も高くなるのだ。
ちなみに、BADレース本部のモットーは「死んでも気にしない」。
なんとも無責任な本部である。主にその活動は裏の世界で牛耳っているため、警察も尻尾は掴めない。
だが、そんなこと誰も気にしない。
ただ運が悪いのはレース参加者を殺してしまった一般の運転手だろうか。
「はぁ……」
また自分自身の身に忍び寄る危険のことを考えて、彼はため息をついた。














その日の授業はいつもと同じ、チャイムの音で始まりを告げた。
50分×6のペースで襲い掛かる謎の呪文、そして文字の羅列。正式には呪文でもなんでもないが、彼にとってはそれに等しかった。
そしてその呪文は勇人を眠りへと誘う。深い、深い眠りへと。
朝学校に着いてからすぐに机に突っ伏し、いつの間にか目覚めたときには放課後だった。
昼休み。そんな概念は彼には存在していない。おかげさまで目覚めたとき腹の虫が鳴くのを抑える事が出来なかった。
練習、あるいはレース本番のときまでは体力回復に限る。
――――いつでも体力はMAXに、「走る」ときに全てを使え。
これが彼の師匠の言葉。これが師匠の口癖で、そして今は単なる想い出。
だが、彼の中ではとても大きな言葉として胸に残っている。
無論、教師にとっては悩みの種でしかないのだが。
成績もよくないし、裏の世界では有名な「走り屋」。親が聞いたら泣いて悲しむだろう。
しかし、そんなことはない。そう、決してない。
彼には親がいない。死んだわけではないが、二人揃って家を出て行った。
そして、帰ってこない。そんな彼を拾ったのが彼の師匠だった。
彼をBADレースに引き込んだのも彼の師匠。何かと世話を見てくれたのも師匠。
だから勇人にとって師匠は師匠であり、もう一人の親だった。
今となっては……想い出の中の人でしかないのだが。
顔を起こし、周囲を見渡す。彼の席は窓際の後ろから3番目。
その場所から見た限りすでに教室には誰もいなかった。夕陽がやけにまぶしい。
「帰るか……」
そう呟いて、立ち上がる。カバンを持って立ち上がると、何かが隙間から落ちた。
その正体は1枚の紙切れ。屈んでそれを拾い上げると、そこに書かれている内容を凝視した。
『先に晩飯作って待ってるからねん♪』
これぞ今どきの女の子の字、と言った崩れた文体でそんなことが書かれていた。
「あの野郎……行くときは起こせって言ってるのに……」
とりあえず彼はその紙をポケットに捻じ込み、教室を出た。


勇人は家の前に立つと、ため息をひとつついた。
誰かがため息をひとつつく度に幸せが一つ逃げていく、なんてことを言っていたがそんなことは気にしない。
鍵を開けようともせず、彼は家のノブを捻る。
なんの抵抗も無く、その扉は開いた。鍵をかけて行かなかったわけではない、開けられたのだ。
「あ、おっかえりぃ〜」
その理由は、家で待っている一人の少女にあった。
少女は悪びれた様子も無く、明るく帰ってきた勇人を出迎えた。
「コラ、唯(ゆい)……人の家にあがるときは主に許可を取れ」
「いいじゃない、前からだし」
「いい加減にしてほしいよ、こっちとしては」
「なら晩御飯ど〜すんのよ!!」
「自分で作るわいっ!!」
「なによぉ〜、私と勇人の仲じゃない!!」
頬を膨らませて反論する少女。
茶髪のショートカットにカチューシャをつけた少女の名は、前田 唯(まえだゆい)。
彼とはいろんな意味で幼なじみというポジションに位置する。
幼なじみ兼兄弟と言っても過言ではない。彼女は――――勇人の師匠の娘なのだ。
性格はいたって明朗活発、能天気。自分で決めたことは全てまっすぐやりとおすという意志を持つ少女。
ただ、その性格故か時々おせっかいとも呼ばれかねない行為をすることもあるが……
本人がまったく気にしないというのも困ったものである。
勇人は今日何度目かのため息をつくと、近くの椅子に腰掛けた。
唯が押し寄せてくるのはいつものことだ、すでに慣れきっている。
「で、飯は?」
「ん〜、今日はお魚にしてみましたぁ〜。……一応」
最後のほうはとても消え入りそうな声だったため、聞き取れなかった。
彼女は台所を隠すようにして立っている。勇人が顔を右にすると彼女も右に動き、左にすると左に動く。
怪しい。
直感でそう察した勇人は、立ち上がって素早く彼女の後ろへ回り込んだ。
「いやぁ〜見ないで〜」
「……おい」
ベシッ。彼女が振り返るや否や、彼は彼女の頭に手刀を叩き込んだ。
「いったぁぁぁい、何すんのよぉ〜」
「阿呆、これがどこの魚じゃ!!」
彼が見たのは――――炭だった。灰と言ってもおかしくはない。
いくらなんでも焦がしすぎだろう。何をしていたのだろうか、この少女は……
「途中で電話あってさぁ、いつの間にかこうなってたの」
あはは〜と笑いながら答える唯。そんな彼女に彼は怒りを通り越して呆れていた。
「人んちの電話に勝手に出るなっての。で、誰からだ? 知ってる人だったんだろ?」
「うん、芥川クン」
「晋介か……」
晋介と唯は勇人を通じての友人である。ウマが合うらしく、結構仲がいい。
「で、なんて?」
「今日家来るからって」
「えぇっ!?」
ピンポーン。丁度彼が驚いたタイミングで玄関のインターホンが鳴った。
「は〜い」
「お前が出んでいい」
真っ先にドアへ向かおうとした唯を制止し、勇人自ら玄関へ向かう。
扉の向こうに立っていたのは予想通りの人物だった。
「よっ」
「はぁ……」
勇人はもう今日になってから数え切れないほどのため息をついた。


晋介の用事は、これもまた予想通り明日のBADのことだった。
Aクラスだと言うこともあってか、彼は念入りにチェックを済ませる。
実はBADレースの勝利方法は、当日発表なのだ。
そうでもなければいろいろと無秩序な方法を仕掛ける輩がいるからだ。
最初のうちに発表されるのは参加資格、コース、賞金のみ。
今回のレースは年齢無制限。コースは一般道路(国道)。賞金は一位が300万、
二位が100万、三位が30万。以降はなし。
「というわけだ。まぁ、Aランクにしてはフツーのレースだ」
「だな」
彼の言葉に頷く。だが、唯だけは表情を暗くしたままだった。
「……死なないでよ」
ポツリと一言、そう呟いた。
だがその呟きは二人の会話の中に溶け込むことなく、消えていった。











コースの地図を晋介から差し出され、それを一瞥する。
ある程度のルートを把握すると、勇人は地図を晋介へと戻した。
準備完了。いつでもスタートできる体勢だ。
心臓が高鳴る。緊張感、恐怖感、二つが混じりあい、一つの快感となる。
ペダルを踏みしめる足に力を込めた。今なら走れる、どこへでも行ってやる。
今回のルールは晋介が言ったとおり、単純明快。
決められたゴールへ向かえばいいだけの話。ナビゲートあり、ショートカットも無論あり。なんでもありなのがこのレース、BAD。
それが例え相手を殺すことになろうと、BADだから許される。
法は許さないが、本部は許す。だが、勇人はそうは思っていない。
殺す殺さない、なんてものは関係ない。勝つか、負けるか。どっちが速いか、遅いかだ。
通信用のイヤホンのついた携帯電話を自転車に取り付けられたホルダーに取り付ける。そしてイヤホンを耳に装着する。
『聞こえるか? 柳瀬』
「音声良好。今日も頼むぜ、相棒」
『任せときな』
トランシーバーに向かってそう話し掛けたあと、晋介は微笑んだ。
勇人は彼を信頼している。彼がいたからこそ、この過酷なレースで勝てている。
だが、言葉に出して礼を言ったことはない。もう、伝わっているから。
突如、イヤホンに妨害電波が入った。男の声が聞こえてくる。
『ハロー、参加者の皆元気?んじゃ、BAD始めるよ〜』
この空気に不釣合いな明るい声。まだそんなに歳はいってない声だ。
『ゴールは東都タワーふもと。そこに黒服の男がいるからソイツに賞金貰ってね』
まさにいつもどおり。もうすぐ始まるレースの緊張感も、胸のワクワク感も。
勇人は興奮していた。風を切り裂く、そのときを待ち望んでいる。
『んじゃ……レディ?』
晋介が頑張れよと一言だけ残して彼の下を離れた。
ノートパソコンを広げ、なにやら忙しくキーボードを叩いている。
本気モード。こうなったら晋介は止まらない。勇人がゴールするまでは。
『ゴー!!』
そして、勇人は――――風と、同調(アジャスト)した。



走る、走る、走る。
彼の引き締まった太ももが絶え間なく稼動する。
耳が空気を切り裂くメロディを聞いた。彼の五体全てが風を切る刃物と化す。
スタート五秒後の上り坂を三秒で通過。車を三台置き去りにした。
車線の真ん中へと踊り出る。晋介の指示したルートはスタートして四番目の交差点で右折。
実はこの交差点での曲線移動がタイムを縮める一つの鍵になる。
速度、タイミング……そして度胸。
今は無理だと思えばBADは勝てない。今だから行く、そう思うことが重要。
四つ目の交差点のためか、すでに一斉にスタートした参加者はほとんどバラバラになっていた。どのルートを選ぶかは走り屋個人の自由。どこを選ぼうがとにかく「速ければ」それでいい。
黒いトラックが通り過ぎたと同時に交差点を右折する。
その後ろ十五メートル後方を付いてきていた軽自動車が悲鳴をあげた。
無論、予想済み。クラクションと急ブレーキのダブルの悲鳴を無視し、彼はそのまま公園へと突っ込んだ。
『OK,柳瀬。いいカンジだ。その公園、複雑だけど指示したとおりにやれよ?』
「了解」
イヤホンから聞こえる晋介の声。一言そう言うと、彼はハンドルを右へ切った。
草木の生い茂る林道を突き進む。アップダウンの激しい道だったが、彼のバランス感覚でラクラクそれを乗り切った。
左、右、右。そして公園を抜け、歩道へと出る。
丁度歩道に出たとき、歩行者にぶつかりそうになる。
彼の目がそれを視認したとき、反射で彼はハンドルを左へ切った。
紅いマウンテンバイクの軽い車体が道路へと飛び出す。
だが、今度は違法なスピードで赤いスポーツカーが突っ込んできた。
迫り来る危険。だが、勇人はニヤリと微笑んだ。
今、この瞬間を楽しんでいる――――そんな笑み。
スポーツカーが彼にぶつかる……その瞬間に彼は前輪を持ち上げた。
その前輪がスポーツカーの高さを越える。その時間コンマ0,2秒。
まるでスポーツカーの赤い弾丸がコマ送りになるように風景が流れる。
遅速の世界。彼だけの世界。彼の動体視力が作り上げる、危険突破の世界。
前輪を持ち上げ、後輪を持ち上げる。自転車で彼はジャンプした。
ただ、それだけ。だが、それだけで十分だった。
少しの間宙に浮いた彼の足元を、スポーツカーが通過する。
運転手の表情が驚愕に満ちた。その表情を見て、勇人は再び微笑んだ。
「オレは、殺せないよ」
ビュン。高速のスピードカーは、一瞬で遠くへ行った。
「ちっ、ロスしたか……晋介、状況は?」
『距離を換算すると、お前の順位は4位。急げ、賞金なくなる』
「了解……ってなぁ!!」
再びペダルを踏む足に力を込める。
身体が躍動する。心臓が高鳴る。体力は――――大丈夫。
『おい、柳瀬〜。簡単ルート発見。そこ行く?』
「無論。どんだけ大変でも構わない」
『それでこそお前。んじゃ、いうぞぉ〜、走りながら聞け。計算しながら話す』
頼りになるヤツだ、そう思った。
まだBADは始まったばかり。だが、文字通りBADにはならない。
それが彼のモットー、そして師匠の教え。
逆転するからこそ、面白い。
そして彼は……再び風を切った。









3,5


『そこ、右っ!!!』
ナビゲーターの晋介が叫ぶ。その声にあわせて彼もハンドルを右に切った。
重心を右に傾け、右折する。
絶え間なく鳴り響くクラクション。だが、いつものことだ。
なぜなら、彼は道路の中心を走っている。何度運転手の驚愕に満ちた表情を見ただろう?
白い弾丸――――彼のすぐ側をそう形容するに相応しい乗用車が通り過ぎる。
レース開始からすでに5分。そう、短い時間だがそれで「すでに」5分。
タイムリミットは近い。それは……一位がゴールするまでの時間。
「負けるかよっ!!」
『負けさせねぇよ!!そこ左だ!!』
そこは道路脇に位置する林だった。道という道は存在していない。
だが、勇人は逆らわなかった。即座にハンドルを左に切って重心を傾ける。
素肌が剥き出しになった腕を枝が軽く裂いた。鮮血が滴り落ちる。
『真っ直ぐだぞ、絶対だ!!』
「おうよっ!!」
ガタガタと揺れる不安定な道を、オンロード用の自転車で突っ切る。
勇人が心配しているのはタイヤがパンクしないかどうかのみ。他のことは気にしない。
次々に襲い掛かる枝や木を左右に軽く動いて交わす。その動きは、まさに枯れ葉。
舞うような動きで林を抜ける。道路を走っている速度と大して変わらない。
50メートルほど進んだ先に光が見えた。人工的な光、すなわち電気。
気付けば重力が彼の加速の手助けをしていた。
石が跳ねる。振動が彼の体を上下に揺らす。
『気をつけろ、そこ川だから』
「なにぃぃぃぃぃぃぃぃ!!??」
『川の幅は5メートル。そうだな……30キロもあれば十分だな』
簡単に言ってくれる、と内心勇人は舌打ちした。
だが、それは彼の力量を推し量っての言動。勇人なら、大丈夫という隠れたメッセージ。
あと20メートルほどで林を抜ける。川を乗り越えるために彼は加速した。
20、19,18,17……速度は十分、あとはタイミング。
16,15,14,13……石の上を通過し、車体が軽くバウンドする。
12,11,10,9……バウンドをおさえ、目の前に迫ってきた木を左にかわす。
8,7,6,5,4……胸の中でカウントを開始する。彼の体内のストップウォッチが時を刻む。
3,2,1……彼は、目を見開いた。
0。
そして、彼は跳んだ。否、飛んだ。
身体を包み込む無重力感。目下にはゆっくりと流れる川の水。
刹那の間を置いて、彼は前輪から着地した。そして、後輪も着地する。
だが、安心している暇はない。すぐさま車体を左に傾けると、再びペダルを漕いだ。
目の前を黒いトラックが通過する。彼は右手でそれを掴むと、一瞬でバランスを整えた。
そして、加速。その常人では出しえないスピード。自転車が車を置いていくという有り得ない風景。
一瞬、この光景に口を開けて驚く人影が見えた。
『よし、ナイスジャンプ。目の前に一人見えるだろ?アイツが一位』
視線を前に向ける。そこには必死で自転車を漕ぐ男の影。
あと一人、この男を抜けばあとは逃げるだけ。
彼の横を車が通過した。そのスピードにあわせるようにして彼は足に力を込める。
レースは、まだ終わらない。

2004/04/06(Tue)00:35:46 公開 / daiki
■この作品の著作権はdaikiさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
3,5の意味は……察してください(謎
友人に指摘された場所、変更UP。
うーむ、筆が進まない(滝汗

藍さん、緑豆さん、ハルキさん、DQM出現さん、境さん感想ありがとうございます。
この場を借りてお礼申し上げます。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。