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『リターン T』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:千村虹子
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リターン:復活、甦る事。
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「プロローグ」
ゴボリ、ゴボリ。
丸い容器の中から聞こえてくる規則正しい水の音。
その中には、一人の少女が入っていた。
目を瞑って、自分の身体を抱きかかえる様な格好で。
少女は緑色の液体の中で、それでも確かに生きていた。
その薄暗い実験室に、一人の女が立っていた。
少し白髪の混じった長い髪から見れば、中年だろうか。白衣を着ている。
ふと、女は書類のような物を書くのを中断して、少女が入った容器に近づき、そっと手を触れた。
少女は目を覚まさない。しかし女は、その少女を見ていとおしそうに目を細めた。
「生きてるのよね・・・里花」
そう呟いて、容器を撫でた。まるで赤ん坊をあやす様に。
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「リターン T」
―――八年前、冬。
暗く冷たい病院の廊下で、栄子(えいこ)はただひたすら手術室のランプが消えるのを待っていた。
栄子の娘の里花(りか)は高校三年生。下校途中に、車にひき逃げされたらしい。
詳しい事は覚えていない。分かるのは、里花が口から血を流して妙な格好で栄子が薬剤師として働いている病院に担ぎ込まれた事だけだ。
栄子は何も言えなかった。里花はあっという間に手術室へと運ばれ、今に至る。
ふっ、とランプが消えた。
栄子は立ち上がった。中から数人の白衣姿をした人が出てくる。その中の一人――多分執刀医だろう――が、栄子の前で立ち止まった。
「先生、・・・・」
栄子の懇願するような眼から医師は視線をそらし、眉根を寄せた。
「高沢さん、残念ですが・・・」
そこから先の言葉を、栄子は聞かなかった。聞けなかった。
里花の死を、完全に理解できた訳ではない。なのに涙が止まらなかった。
どうして、どうして、と言いながら、栄子は泣き叫んだ。泣かなければ気が狂いそうだった。
霊安室に運ばれた里花の顔をそっと撫でる。その顔は死んだとは思えないほど安らかで、もしかしたら今すぐに起きるのではないかとも思った。だが、栄子が何をしても里花は起きなかった。
栄子の他には誰もいなかった。二年前に夫を亡くしてから、栄子にとっては里花がたった一人の家族だった。だが、その里花はもういない。
どうしようもない虚無感が栄子を襲った。このまま里花の隣で死ねればどんなに楽だろうと思った。
その時バン、と扉が開いた。顔を向けると、そこには一人の学生服姿の少年が立っていた。走ってきたのだろう、肩で息をしている。
「敦(あつし)君・・・」
敦はしばらく何も話さなかったが、里花の側に駆け寄ると、やっと落ち着いてきたのか、ゆっくりと話し始めた。
「・・・今日、学校サボって知らなかったんです。家に帰る途中で友達に話聞いて・・・里花が・・・車にひき逃げされた、って・・・おばさん、里花は・・・」
栄子は頷いた。
「里花は死んだわ。これから家に帰るつもりよ。里花もこのままじゃ寒いわよねぇ・・・」
栄子の淡々と話す姿を見て、敦は背筋が寒くなった。
里花は死んだと言いながら、死人として扱っていない。それはごく自然な事かも知れないが、敦はそこに、何か底知れない物を感じた。栄子は里花の死を受け入れきれていないのだ。
器に物を入れるには限度がある。それ以上の量を無理矢理入れようとすれば、器は壊れてしまう。それが人間の感情だったとしても同じ事だ。
栄子は狂っているのかもしれない。敦はふと、そんな事を思った。
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2004/03/01(Mon)12:41:15 公開 / 千村虹子
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