『人は其れを奇跡と呼ぶか幻と呼ぶか』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ヨミビト                

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サクラの花びらが宙を舞う。ヒラヒラと、ハサハサと。
川沿いのサクラ並木の下を杖をつきながら、一人の老人がゆっくりと景色をかみ締めるように歩いている。
サクラの花びらで所々桜色に染まり、根がアスファルトの中を突き破り無数のひび割れが出来た道を歩く。少しだけしか歩いていないのに、もう体が心なしか重い。
そこまで感じた所で老人は、杖を握る自分の手を見た。皺だらけの老いた手を。
当たり前なのだ、もう自分は若くない。今見ているサクラ並木も、もう何十回と見た。そう思った所で老人は再度歩き出す。杖をアスファルトにつきコツコツと鳴らせて。
今老人が見ている景色も随分変わった、昔は一面に田んぼが広がっていたが、今ではほとんどが住宅に成り代わっている。
その内にこのサクラ並木もなくなってしまうだろう。
老人はそう思いながらサクラの色を瞳に写し眺める。
ふと、その視界に1人の少女がはいった。
黒い昔ながらのセーラー服を着て胸に白いリボンをつけた黒髪の女子高生。川をまたぐ橋の欄干に手を置き、川を見ている。
一体川に何を見ているのか、不思議の思った老人は無意識に声をかけた。
「何を見ているんですか?」
「・・・川の水面を見ているんです」
少女はこちらを振り返らずに、答えた。
「わかりません? あの辺りです」
そういって少女は指差した。先にはサクラ並木から外れ、ぽつんと一本立っている少し小さなサクラの木があった。
その光景を見た瞬間、老人は不意に奇妙な懐かしさを覚えた。久しぶりに取り出した思い出の品を見たような、そんな懐かしさだった。
「ほら、水面にもサクラの木が写ってる、まるで鏡みたい」
言われて老人はやっとその事に気が付いた。今までも変わらずに見えていたはずなのに老人にはそれが見えなかった。揺らめく水面と岸にある、一つは実在する、もう一つは見えるだけで存在しない、二対のサクラの木が。老人は言われてやっと見えるようになった。
同時に何かが頭をよぎった、忘れてはならない、何かが。
「私の・・・大切な人が言ってたんです、『正確に写しているようで、揺らめきぶれる、石を投げ込んだら波紋で消えてしまう、それでも最後にはまた写しだす・・・まるで人の心みたいだ』って」
瞬間、老人は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。何故ならその言葉は・・・老人が恋人と並んで歩いた時に言った言葉だから。
「また会えましたね、秀雄さん」
秀雄、その名は老人の名前。
「千恵・・・なのか?」
千恵、その名は老人の、秀雄の恋人、そして妻だった女性の名前。結婚して数年で自動車事故にあい、逝ってしまった秀雄の妻の名。
「ええ、あなたの妻、千恵です」
少女、否・・・千恵は微笑みながら秀雄の方に振り向いた。
その瞬間、老人は・・・秀雄は数々の疑問が浮かび、自分は狂っているのかもしれない、そう思ったが直ぐに考える事を止めた。それよりも重要なのは、ここに千恵がいるという事なのだから。
「お前が逝ってしまってからもう何十年もたった、私はこんなおじいさんになってしまったよ」
秀雄は微笑みながら、少しだけ哀しそうな表情をして言った。自分と千恵の間の隔たりを思うように。
だが千恵はもう一度微笑んで秀雄の手を取り、言った。
「あなたは若いですよ、心に思って、あの頃の姿を」
その瞬間は、秀雄は黒い学生服をきた高校生になった。千恵と出会った頃と同じ姿に。
そして、周りの景色が急速に変わってゆく。何軒もの住宅地がひろい田んぼに変わり、工事のため削られた丘がよみがえり、空が澄み渡ってゆく。
周りの景色までもが、秀雄の、千恵の、青春を過ごした時代に帰って行く。
舞い飛び出したサクラの花びらの中、二人は優しく抱き合った。あの頃の姿のまま、心のまま。
そして秀雄は、ゆっくりと微笑みながら眼を閉じた。眼の端には涙が浮かんでいた。






少し暗めの病室の中、涙で眼を赤くした家族がベッドで眠る一人の老人を見つめていた。
老人は起きる事はない、いつか人が辿りつくべき永遠の眠りへと旅立ったからだ。
「おじいさんは安らかに死ねたと思います。ほら、こんなに微笑んでいる」
家族のそばに立っていたまだ若い看護婦が、ゆっくりと一言一言確実に音を出すようにして言う。
「あの・・・これは御家族の方のものですか・・・おじいさんが握っていた物なんですが・・・?」
そう言って家族の前に差し出された看護婦の手には、セーラー服につけるような白いリボンがのっていた。



2004/02/10(Tue)02:49:45 公開 / ヨミビト
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