『いきてくつよさ』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:佐倉 透                

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 十月も半ばになってくると、朝と夜はかなり冷え込む。
 そのお陰か空気は澄んで、今日は水平線がくっきりと見えた。対岸と呼んで良いものか、海の向こうには佐渡の姿をはっきりと捉えることが出来る。
 眼下には防砂林も兼ねているのであろう松林が、海岸線まで続いている。
 濃紺を溶かしたような海面に、真白いヨットが一艘、航跡を白く引きながら漂う。
 
 例えば、この海が突然荒れ狂うとか、例えばこの青天がいきなり暗雲に包まれるなどということは、誰も想像出来ないだろう。
 風は確かに冷たくなったが、午後の日差しは暖かだった。

 こんな日に死ねることを、私は幸福だと感じた。
 この醜く歪んだ生き物が蔓延る世界に、醜く歪んだ生き物が作った、この箱から、私は飛び立つ。
 外へ。遠くへ。

 きれいなところへ。

 あの、綺麗な景色の中に。
 私はこれから飛び込むのだ。
 私が雷(いかづち)に。私が嵐に。
 この世の禍に。

 わたしが、なる。

 ……飛ぼう。
 私は、一歩前に踏み出した。風が下から吹き上げてくる。髪が、揺れた。
「まって」
 聞き覚えのある声がして、私は振り向いた。
「どこ、いくの?」
 何しているのか、とは聞かれなかった。ただ、どこに行くのかと。
 彼女は、私のことを半年分知っている。
 半年前からの、『学友』だ。
「きれいなところへ」
 私は答えた。
 ここは、汚い。人は醜い。
「わたしはここに、いたくない」
「どうして?」
 私の答えに、彼女は不満を持ったようだった。
「……きたないから」
 私には、それで十分だ。
 ここから、飛びたい。私を待っている世界が、きっと、ここ以外にあるから。
「そうじすればいいの」
 彼女は言った。
「きたないなら、きれいにすればいいの。よごれているなら、みがけばいいのよ。それだけだわ」
「できるわけない」
 私が首を横に振ると、
「だって、このままじゃあなたも、よごしたままだわ。よごしてよごれて、それがいやで、きたないからって、あなたはにげるのね」
 彼女は私の目を見ていた。
 私は目を逸らす。見たくない。
「にげるんじゃない」
 呟くと、
「おなじことよ」
 と彼女が応えた。
「あなたはなにもしていない。よくも、わるくも」
 彼女は、私を見ている。
 私は彼女を見れない。
 見れるわけがない。
「なにもしないで、まわりがなにもしてくれないからって、あなたはにげるんだわ」
「ちがう」
「ちがわない」
 押し問答になりそうだった。
 ――その時、彼女が動いた。
 私を見ていた彼女は、不意に私の隣に立った。
「わたしにはわかるの」
 彼女は言った。
「だって、わたしがいましようとしていることだもの」
 彼女が、地面を蹴った。
 ふんわりと、重力がない様に、彼女の体が宙に浮く。
 彼女と、目が合う。
 彼女は、笑っていた。幸せそうに。心底、嬉しそうに。
 ――じゃあね。
 彼女の唇が、微かに動く。
 途端、スローモーションだった景色は一転して現実に引き戻された。
 一瞬だ。
 彼女は落ちていった。今まで、浮かんでいたように見えた、彼女が。
 ただ、一瞬で。
「――――っ!!」
 私は彼女の名前を呼んだ。
 何故かは知らない。
 ただ、彼女の体は、緋の華を、汚い大地に咲かせていた。
 
 まっかなはなを。

 悲しいぐらいに綺麗で、気持ち悪いほどに醜悪な、紅い花を。
 
 私は頬が濡れていることに気付いた。
 涙が、流れていたらしい。
 悲しいから、ではない。
 羨ましく、悔しかったからだ。
 この世界から、先に飛び出した彼女が。
 先に飛び出せなかった自分が。
 彼女の華は、あんまりにも美しすぎて。

 あの、綺麗な景色の中に。
 彼女が飛び込んだ。
 彼女が雷(いかづち)に。彼女が嵐に。
 この世の禍に。

 彼女が、なった。
 
 
 私は、涙を拭うと努めて落ち着いて、ゆっくりとその場を離れた。
 階段を駆け下り、最初に会った人に言う。

 ――ともだちが、とびおりたんです!

 彼女の旅路を知るのは私だけ。
 彼女の望みを知るのは私だけ。

 これは、私の義務。
 私が、まだしばらく、旅立たない理由。
 彼女が、私に与えた宿題。

 彼女の咲かせた華の行く先を。
 私が見届けなければならないのだ。

 たびだつべきはわたし。
 けれど、かのじょのたびじをわたしはいのる。

2004/01/11(Sun)18:09:07 公開 / 佐倉 透
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