『白き幸せの告げ【SS】』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ティア                

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 ――――これは一人の青年に起こった、一つの物語である――――

 

 

 大学受験に…落ちた…。就職試験も落ちた…。世間から孤立した…。

「拓也…今回は残念だったね…でも…」

 俺の心は…自分でもわからないほど…荒れ狂っていた。

「うるさい!黙ってろ!」

 …俺は俺を憎んだ。しかし、弱い俺は人にあたるしかできなかった。

「拓也…携帯電話の使い方、教えてほしいんだけど……」

 …俺は、そんな自分がどんどん嫌いになっていった。

「今いそがしいんだ!自分で考えろ!」

 ぶつけ所のない怒りを全て…

「おい、クソババア!バイト中に携帯に電話してくんじゃねえよ!」

 ――――母さんにぶつけていた――――

「ごめんね、ごめんね。母さんかけ間違えちゃって…使い方よくわからなくて……」

 俺の心の隅に住み着いていた黒い部分が、大きくなっていた。

「ふざけんな!ぶっ殺すぞ!さっさと死んじまえ、クソババア!」

 毎日…母さんに…無意識にあたっていた…

 

 

――――その日は…急にやってきてしまった――――

「ブルルルル、ブルルルル」

 ガソリンスタンドで働いている途中、不意に携帯が震えた。

 すかさずポケットから携帯を取り出し画面をみると…母さんからの電話だった。

「チッ…あの野郎、また電話かけてきたな」

 俺は憎悪に満ちた声でブツブツとぼやきながら、電話をとった。

 しかし、母さんだと思っていたが、電話の先からは知らない男の人の声が流れてきた。

「もしもし、失礼ですがあなたは竹田拓也(たけだ たくや)さんですか?」

 その男はいきなりそう聞いてきた。

 母さんだと思ってて苛立ちがあったが、それもいっきに冷めざめとしてしまった。

 俺はいきなりの知らない男の声に、動揺を隠しながら返す。

「はい、そうですけど…」

 …

 相手の男は、こう言ってきた。

「気を落ち着かせて聞いてください。あなたのお母さんが交通事故で亡くなりました」

 聞いた瞬間は、意味がわからなかった。

 しかし、すぐに凄い剣幕で聞き返した。動揺なんてもはや隠せない。

「え、何言ってるんですか?! あなた誰なんですか?!」

「警察のものです。事故現場で被害者の携帯電話があったのでご家族の方にこうしてお電話を…」

 言葉が出なかった。

「そ…んな…嘘だ……」

 やっと出た言葉がそれだ。

 背筋は凍り付き、表情も変わっていないだろう。

「とにかく、詳しい事情をお話したいので事故現場の2丁目交差点付近に来ていただけ…」

 それを聞いた途端、電源つけっぱなしで携帯を片手にガソリンスタンドを飛び出した。

 血相をかかえてなんて問題じゃない。全身から血の気が引いていた。

 俺は今までにない全速力で都会のアスファルトを駆け抜けた。

 

 たどり着いたとき、そこにはいつもとは違い行き交う車の姿はなく、変わりに大勢の野次馬が群がっていた。

 俺は無意識に野次馬を必死でかき分け、黄色いテープをくぐり抜けた。

 そこで見たのは、アスファルトの上で乾ききった血。ガラスが割れ、ボディがへこんだ車だった…。

 頭が真っ白になった。

 今まで何かの間違えだと思っていた。しかし、事故は確かに起こっていた…。

 呆然と事故現場を眺めていると、不意に後ろから肩をポンポンと叩かれ声をかけられた。

「失礼ですが…あなたが竹田拓也さんですか? 私は警察庁の喜里川と申しますが…」

 すぐに俺は、自分自身をできるだけ落ち着かせてから答えた。

「はい…そうです」

「そうですか…事故があったのは今から約2時間前の午後1時で、事故後、お母さんはすぐに救急車で運ばれたんですが…即死でした」

 即死…その一言を告げられ、足下が崩れ去ったような感覚に襲われた。

 何も…何も言えなかった。

 そして、何も言えずに子供みたいにウウーうなり情けなく涙を流した。

 その警察の人は事故状況を詳しく話したり、俺への電話への経緯を話していた…が、俺の耳にはほとんど届いていない…

「それで…事故現場にあなたのお母さんのものと思われる、あなた宛の小包とそれに挟まっていた手紙がありました。小包の中身は事故の衝撃で変形しておりますが、どうやらケーキのようです」

 ケーキ? それを聞いて我に返ると同時に疑問が浮かんだ。

 母さんがなぜこんな町中でケーキをもっているんだろう、と、単純な疑問だった。

 俺は警察官から「どうぞ」といわれ、その小包と手紙を受け取り早速中身をしらべた。

 そこには、半分くらいへこみクリームがぐちゃぐちゃになっている丸いケーキが原型をとどめずにあった。

 そして、よく見てみて全てわかった。ぐちゃぐちゃになったクリームのなかで真ん中のチョコだけが直立していた。

 そこに、こう書かれていた。

 

「お誕生日おめでとう、拓也」

 

 涙がさらにあふれ出た。そうだ…今日は俺の誕生日だった…。

 俺自身忘れていた…しかし、母さんは忘れてなかった。ケーキまで買ってくれていた。

 この2丁目で事故にあったという事は、ケーキを買って俺のマンションに届ける途中、事故にあったんじゃ…

 そう考えるとさらに涙が留まることを知らずにあふれ出てくる。

 

 さらに今度はケーキの小包にはさまっていたという、手紙を読んだ。

 こう、書かれていた。

――――いきなり家の前にケーキが置いてあってビックリしたでしょう?ごめんね。

今日は拓也の20才の誕生日だからね。もう拓也も大人なのに、いつまでも子離れできない母さんで迷惑ばっかりかけて本当にごめんなさいね。

でも、暇なときだけでもいいから、いつかうちに帰ってらっしゃい。

大人になった拓也の顔が久しぶりに見たいからね。

それじゃあね。――――

 

 もう、何も言えなかった。

 自分がどこにいるかも、自分が立っているのかも、自分が泣いているのかもわからなかった。

 頭の中は、母さんへの想いであふれていた。

 俺は…最後に母さんに酷い事を言った。「死んでしまえ」と最悪の言葉をはなった。

 それと今までの思い出が交差し、後悔だけしか残っていなかった。

 

 家に帰る頃、もう涙は出なくなっていた。

 泣き枯れてしまった目。涙でびしょぬれの服。

 俺は、自分の部屋の絵描きの命であるスケッチブック、99枚に狂ったように筆を持ち、ぐしゃぐしゃに書いていった。

 母の死へ対する叫びを放ちながら、白いスケッチブックを黒のデタラメの線で染め上げていった。

「俺はなんて事を!俺は!俺は!俺はっ!俺は!」

 まさに狂っていた。ただ、ガキみたいに筆を振り回していた。

 

 俺はその日は眠れなかった。寝る気にもなれなかった。

 荒れ果てた部屋の静寂しきった空間。ただ流れるだけの時。

 俺の時間は月明かりのもと、止ったようだった。

 体育座りで筆を片手に魂が抜けたようにベットに寄りかかっている。

 次の日の朝までに考えた。

 俺は最後に母さんに酷いことを言った。今まで苦労して育ててくれた。今の俺がいるのも母さんのおかげだ。

 なのに、俺は、そんな事を言った。

 だから…

――――俺に生きる価値なんて無い――――

 

 その考えに達したとき、あの世で母さんに謝ろう。と自然に考えついた。

 

 俺は早朝、すぐに古びた裏路地を、枯れた赤い目と重い足で進んだ。

 自殺の名所の森へと、向かっていた。

 本気だった。本気でそこで自分を殺す気でいた。

 そんな考えをもちながら、裏路地の荒れた道を進んでいると、目の前の交差路から誰かが姿を現した。

「どこいくの?」

 俺は驚いてうつむきだった顔をあげた。

 そこに居たのは、若い女性。不思議な白い衣装で身をまとい、どこか悲しい目でこっちを見つめて、そう言ったのだ。

「…誰だよ…お前」

 俺はその女をにらみ付け、そう言った。

 しかし、女は逆に少しにらみ返してきた。

「死にに行く気ですね?」

 女はそう言った。

 俺は「えっ」っと声をあげ、自分自身に驚きの表情が出ているだろう事もわかった。

 しかし、表では強情な性格の俺は、少しかみ合っていないような返答をした。

「だから? お前には関係ないだろ、だから止めるなよ」

 俺は虚をつかれたのを隠すため、強がったようにそう言った。

 心のどこかで本当は止めて欲しかったのかも知れない。

 そして女はさらっっと笑みを浮かべ、静かに言った。

「ええ、止めませんよ。でも、死んでしまう前に一つだけお願いがあります」

「はぁ?」

 すぐに俺はそう返した。

 なぜ俺があったばかりの女の願いを聞かなきゃいけないのか。

 まったく意味不明だったからだ。

「実は…ホラ」

 すると、女は衣装の中に隠していた手で胸のローブをとった。

 さっきからおかしいとは思っていたが、女は衣装の中に何かを抱き込んでいた。

 女が衣装の中から見せようとしたものは、猫だった。

 真っ白な…純白といった色の猫だ。それを女は抱いていたのだ。

「この子猫ね。さっきそこで捨てられていて…可哀想でしょう? 元気もなくて…。だから、あなたに身よりのないこの子猫の飼い主になって欲しいの」

 頭の中で何かがキれた。わけがわからなさすぎる。

「は? 何言ってたんだ? 俺は今から死にに行くんだ。なんで猫の世話しなきゃいけないんだ? なんで見ず知らずの他人からいきなりお願いされなきゃいけないんだ?」

 あるがままに疑問をぶつけた、が、女は軽い口調で返してきた。

「死んでしまったら猫のお世話なんて二度とできないでしょう?」

 まったく答えになってない。

 しかも、女は少し笑い声混じりでそう言ったのだ。

 思わず殴りそうになったが、母の死。それへの罪の意識がそれをさせなくしていた。

 

「じゃあ、頼みましたよ。何かその猫に変化があったら、またこの場所に来て私に教えてくださいね」

 …いつのまにか一瞬、意識が飛んでいたようだった。

 気がつくと俺は、なぜか目の前にいる女が抱いていたはずの猫が、俺の両手の中にいた。

「あ、ち、ちょっと、待てっ!」

 が、もう遅かった。

 不思議なことに俺の視界からいつの間にか女は消え去っていた。

 残ったのは俺の手の中にいる、甘えた泣き声を出す猫だけ。

 なにがなんだかわからなかった。

 気が紛れた…死ぬ気を忘れた。とりあえず今日は家へ引き返すことにした。

 そこで、この手の中で甘える猫をどうするか、だが、すぐに答えは出た。

 最初はあの女への苛立ちから猫をこの場に捨てていこうと思った。だが、この猫に罪はない。

 いつしか不良道を走っていた俺だが、母の死でずいぶんと良心が表にでたものだ。

 だから、とりあえず猫といっしょに帰る事にした。

 

 幸いといえるかどうかわからないが、俺が住むマンションは小動物は飼って良い事になっていた。

 家へ到着すると、カーテンも締め切ったまま、玄関からの光でようやくそこに空間が存在している。

 そんな自分の部屋へと足を踏み入れた。

 部屋の片隅にあるFAXからは通夜や葬儀の通知がきていた。

 しかし、見る気にもなれなかった。

 もう日は出ているのに、窓のカーテンは締め切っているため、部屋は暗く、光の入るドアを閉め、余計に暗くなった。

 カーテンを開ける気にもなれなかった。何事にも無気力になった自分がそこにはいた。

 腰を下ろし、小さな泣き声を出す、小さな子猫を部屋に離した。

 すぐに子猫はトタトタと部屋の中を、その小さな足で歩き出した。

 あらためて、その猫をボーッっと見て気付いたが、この暗い部屋に入るわずかな光に反射し、あの猫は光っている。

 まさに猫の毛は純白で眩しいものだった。

 

 目を閉じた。

 座りながら宙へと向けていた目を閉じ、色々考えた。

 母さんは死んだ。死ぬ前まで俺の事を想ってくれていた。

 そして、俺といえばそんな母さんに今までどういう対応をしていた?

 暗かった心にさらに闇がかかったようだった…。

 しかし、そう憂鬱感にひたっていると、子猫の鳴き声がどこからか聞こえてきた。

 最初は気にも止めていなかったが、猫はしつこく高く鳴き続ける。

 目を開け、この部屋のどこかにいる猫を、いつのまにか俺は捜そうと立ち上がった。

 まずはカーテンを開けた。すると簡単に闇の中では見えなかった子猫はそこにはいた。

 白の子猫は俺の机の上にあった写真立てをカリカリと、まだ鋭くもないつめで引っ掻いていた。

「あっ、こら」

 写真をひっかかれるとマズイと、すぐにそう思い、窓際のカーテンから離れ机の上の猫をサッっと拾い上げた。

 が、写真の状態を確認しようと写真立ての中の写真を覗くと…。

 そこには母さんと小さな俺がいた。

 母さんは写真の中で笑顔だ。そして小さな俺も…今では滅多に出ない笑顔だ…。

 また止めどなく涙が自然に出てきた。もうあの時には戻れない。

 その考えが余計に心のどこかに暗い影を投げつけた。

 もう、涙は出ないほど泣いたはずなのに、流れ出してくる。

 しかし、うつむきになると、昨日とは違い視界を広げると、手の中には子猫がいた。

 そして、その子猫の顔を見ると、涙が止った。

 その子猫はジッっと俺を見ていた。そんなちっちゃな体なのに、大きな目はパッチリと俺をとらえている。

 俺もしばらく子猫を無言で見つめた。

 そして、涙のかわりに自然と笑顔がうまれた…。癒し…そんな事がうかんだ。

 俺にとってこの猫は本当にその通りで…この猫は癒しそのものだった。

 

 この日一日は部屋の中でこもって過ごした。

 バイトには休みをとらせてもらう連絡をした。「クビだ」とストレートに返ってきたが、もう、どうでも良かった。

 ただ、憂鬱な心の中に届くのは、その純白の子猫の顔のみだった。

 

 それから3日…5日…10日…1ヶ月たった。

 相変わらず俺は部屋にこもっている。

 母さんの葬儀も終え、俺に残ったのは遺骨と無駄に若い頃夢をかけたスケッチブック、そして純白の子猫。

 今、この部屋に宝があるとすれば、俺にとって子猫だけだ。

 この1ヶ月、ずっとこの猫を見ていると自然と笑みがこぼれた。

 あどけないしぐさ、可愛い顔、どれをとっても、俺の心に深くうったえるものがあった。

 しかし、そんな簡単な生活は長く続かなかった。

 2ヶ月たって今までバイトで貯めた金がわずかになってしまった。

 俺の食料、キャットフードとその他をあわせて、あと3日分しか金が無いだろう。

 そう気付いたとき、新しいバイトを始める決心をした。

 もう、この時の俺には母を亡くした頃思っていた「自殺」の2文字は吹き飛んでいた。

 子猫。子猫がここにいるだけで、俺の生きる嬉しさがそこにあったような気がした。

 

 それから俺は死にものぐるいで町を巡り歩いた。

 バイトを捜すため、必死だった。

 最初の1日は無駄足。次の日も同じく。予定では金の尽きる3日目だが、俺の節約によってもう少し持ちそうだ。

 しかし、3日目も見つからず…。

 そして、4日目、ついにバイト先が見つかった。

 

 ドタバタと俺は帰宅した。

「やった!エミィ!ついにバイト先が見つかったぞ!」

 俺は白い猫を抱きかかえて真っ先にそう報告した。

 エミィというのは、俺が付けたこの純白の子猫の名前だ。

 エミィも嬉しそうに変わらない甘い泣き声を出して迎えてくれた。

 エミィを飼い始めてはや2ヶ月ちょっと…。もう、俺にとってエミィは掛け替えのない、家族だった。

 

 バイトが決まったのは良いが、面談の時にあらかじめ「うちはキツイよ」と、そう言われた。

 だが、俺に迷いはなかった。仕事がきつかろうがきつくなかろうが、やるしかない。

 俺が餓え死ぬのは良い。だが、エミィのために俺は必死になっていた。

 明らかに昔とは違った俺がそこにはいた。

 翌日からバイト先にいったが、確かにキツかった。

 土木工事関係なのだが、下水道の処理から廃水処理まで長い時間、働いた。

 しかし、疲れ切った体を家に帰ると猫が出迎え、いつもの顔で俺の疲れを癒してくれていた。

 そしてバイトがない日といえばエミィをスケッチブックに描いていた。

 スケッチブックの白さに負けないくらいのエミィを鮮明に描くには、美術力のへったくれもない俺には相当難しいものだった。

 

 3ヶ月、4ヶ月…雪が降り始め、本格的な冬を迎えた。

 それでも、変わることのない生活が続くと思っていた…。

 だけど、現実は違ったのだ…。

 今日は午前だけの仕事だったが、俺はいつものように、疲れ切った体で家に帰ってきた。

 しかし…今日は何か違った。

 いつも出迎えてくれるエミィが今日は玄関に入っても顔を出さない。

 おかしい…、と思うと同時に不吉な感に襲われながら、部屋に入っていくと…。

 俺は凍り付いた。

 

 そこにはいつも通り純白の体毛の、エミィがいた。

 だが、倒れたまま、死んでいるように眠っていた…。

「おい、エミィ……? どうした…」

 恐る恐る、そう言ったが、返事は返ってこなかった。

 俺の口調が荒くなった。その小さな体を揺さぶった。

 しかし、返事は返って来るどころか目も開かない。

 そして、動揺が頂点に達し、エミィの死を悟った…。

 しばらくは絶望の感が襲った。目の前の白色のエミィに対し、俺の頭は暗くなっていった…。

 信じ切れない…エミィが死ぬなんて…。

 そう考えた時、一つの考えが入り込んだ。

 

――――『何かその猫に変化があったら、またこの場所に来て私に教えてくださいね』――――

 

 そうだ、エミィと出会ったとき、あの女とも出会った。

 そして、あいつは確かに、エミィに変化があればもう一度、会いに来い。確かにそう言った。

 俺は思いだした途端、冷たくなった小さなエミィの体を抱きかかえ、雪道を全速力で必死に走った。

 …前にもこんな事があったと、ふと思いだした。

 そうだ、母さんが死んだと知らされた時だ。

 あれから5ヶ月以上たっているのに…全速力で走っただけで、あの時の事が鮮明に思い出された。

 しかし、振り切った。とにかく今はエミィの事だ!と、心に言い聞かせた。

 

 見覚えのある裏路地…。そうだ、あの女と会ったのはこの辺だ。

 俺はつもった雪にザクザクと歩く音をたてながら、辺りをうかがった。

「久しぶりですね…どうしたのですか?」

 不意に後ろから聞こえ、振り返ってみると、そこにはあの時の若い女がいた。

 内心、驚いたが、すぐにエミィの事を教えようとした。

「それが、エミィが…この猫が!」

 そう言うと、女は近づきエミィの小さな胸の部分に手を当てた。

 ゆっくりとさすってもいた…。しかし、エミィは反応をしめさない。

 そして女は俺の目を見て、ゆっくりとこう言った。

「死んでますね」

 はっきりとそう言われ、わかりきっていたが、新しい衝撃が走った気がした。

「そんな…! なんとか…なんとかならないのか?!」

「無理です。生き物が死ぬことはこの世の定理。いかに悲しくともそれを受け止めなければなりません」

 俺の中で何かが崩れた。前にもこんな気持ちは体験した気がする。

 俺のほおに涙がつたった…。冷たい外の空気でいっそう冷たい涙が流れた。

 そして俺は弱音を吐き始めた。

「…どうして…どうして俺は母さんも…エミィも…誰も…喜ばせることが……幸せにする事ができないんだ…」

 本心を言った気がする。

 母さんの事、エミィの事、いつかは幸せにしたいと昔は強く思っていた。

 だが、叶えぬまま、叶えられぬまま、逝ってしまう。

 しかし、雪の中、立ちつくす俺に女が語りかけてきた。

「お母さんの事はわかりませんが、少なくてもこの子猫は、あなたに出会えて幸せだったと言ってますよ」

 それを聞いて、俺は返す言葉に迷った。

 が、すぐに絞り出すように返す。

「エミィの…声が…聞こえるわけないだろ…」

 しかし、女は反論してくる。

「いいえ、私にはわかります。この猫の想いが。心が。この猫は最後の最後までありがとう、と、そう言っていますよ」

 返す言葉はそれ以上、無かった。

 それが嘘くさい話でも、反論する事に意味は無い。そんな気がした…。

 続けざまに女は話を続ける。

「それにね…お母さんもきっと幸せでしたよ。たとえあなたが冷たくあたっていても幸せだったと思いますよ。」

 あえて、それには反論した。

 俺自身の言葉に俺は恐れ、心の底に封じ込めていたあの時母さんにはなった言葉。

『死んじまえ』

 それは今でも忘れられてない。いや…今までその後悔をずっと背負ってきたからだ…。

「…母さんに俺は酷い言葉を言ったんだ…『死んじまえ』って…。おかしいだろ? 普通の人間だったら…言えないだろう…?」

 俺はさらに続けた。

「その他にもずっと迷惑かけて…突然死んじゃって…俺は何も今までしてやれなかった…。だから母さんは俺が不幸にさせたまま…死なせたんだ」

 しかし、女は目の色も変えずに同じ口調で否定してくる。

「いいえ、きっと幸せでしたよ。だって、たった一人のわが子なんですから。掛け替えのない、我が子なんですから…。私にはわかります」

 あまりにもその女は堂々と言っていたため、無気力化していた俺はそれ以上、返す言葉も無かった。

  

 少しの間、場は沈黙した。

 俺が白い息をはぁーっと吐いて、同時に涙をエミィの冷たい小さな体に一滴たらしたあと、また弱音を吐いた。

「…俺は…どうすれば…」

 はっきり言うと、死にたい。

 そう思っていたが、あえてそう弱気に言った。

 相手の女があまりにも大人的だったから…甘えた発言を出したのかも知れない。

 そして、このあとのその女の発言は、この後の俺の人生を大きく変えるものだったかもしれない…

 

「お母さんがこの世に残したあなたに望むのは、あなたの幸福、それだけですよ。あなたはお母さんに今まで何もしていないのだと思っているなら、精一杯…幸せになりなさい」

 

 その言葉が俺でもあまりにも深く感じ取れたので、バッっとうつむきから顔をあげた、が。

 さっきまでいたはずの女は跡形もなく消え去っていた…。

 後に残るのは、舞振る白い雪。

 静寂の中、一人、雪の降る光景をあらためて見て、こう思った。

 エミィの体の白さと雪の白さをあわせ、こう小さく言った。

 

 

「幸せに……母さんと…エミィの分も…」

 そして、俺はゆっくりと…。

 ゆっくりと。

 

 歩み始めた…。

 

 

 

 Fin


2003/11/29(Sat)00:15:21 公開 / ティア
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