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『蒼い髪 26話』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:土塔 美和
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あらすじ・作品紹介
アイムラー公爵とベルンハルト侯爵の私戦を、フェリスの力を借り収めたルカは、その戦いの中、異母兄弟のピクロス王子と気まずくなるが、ハルメンス公爵の計らいでその場はどうにか収まるが、またハルメンス公爵に借りを作ることになった。
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あらすじ
神と契りを結んだという平民の娘ナオミと、ネルガル皇帝の間に生れたルカは、卑しい血をひく王子として後宮では蔑まれる。宮内部では、ルカの出生が後々ギルバ(ネルガル)王朝に災いを招くのではないかと、ルカの暗殺を企てる。その頃、資源豊かなボイ星を手中に収めたがっていた外務部は、ボイ星への王子の婿入りを宮内部に提案する。ボイ人に王子を殺させ、その弔い合戦としてボイ星を攻撃するのが目的。外務部の狙い通りボイ星はネルガルの殖民惑星になったが、ルカは生還した。後に軍部はボイ星での戦闘はルカの指揮によるという噂を聞きつけ、その真意を確かめるためルカをゲリュック群星の宇宙海賊退治に派遣し、そこでルカはその実力を知らしめた。
一方、ルカの評判が上がっておもしろくないのは他の王子たち。特にピクロス王子は、ルカを暗殺しようとしてマイムラー公爵とベルンハルト侯爵の私怨の戦いにルカを誘い出す。そこで二人の確執は確実なものになった。
その頃銀河では、ネルガル帝国の支配に反発する勢力が生れ始め、ネルガルの内部でも反対組織が結成され地価で暗躍し始める。彼らは大義名分の旗印を必要としていた。皇帝の血をひき平民の血をひき、神の生まれ代わりと言われているルカは、彼らにとっても必要となりつつある。そしてそれを何よりも恐れているのはクリンベルク将軍。彼はルカがこのまま軍部に留まり自分の監視下にあることを願う。
前回までの登場人物
ネルガル人 ルカ ギルバ王朝王子
リンネル・カスパロフ・ラバ 大佐 ルカの侍従武官
ケリン、クリス、トリス、ロン ルカの親衛隊
オリガー 軍医
ピクロス ギルバ王朝王子 ルカの異母兄
地下組織に関係する人たち
アルシオ・ハルメンス・ロンブランド 公爵 ルカと従弟
クロード・ローラン 地下組織のメンバー
ボイ人 シナカ ボイ星代表者の娘 ルカの妻
ルイ シナカの侍女
キネラオ、ホルヘ、サミラン 三兄弟
「殿下、こちらでしたか、マイムラー公爵がお呼びです」
それは今回の功労に対する礼だった。ルカは、この惑星の者たちが協力してくれたことを告げ、この惑星の人々に対する横暴を控えるように訴えた。
「この惑星の大半の人々は、平穏な生活を望んでいるだけなのです。ベルンハルト家とも、無論マイムラー家とも関係ありません。ですから、今までどおりの生活が出来るように保障してやってください」と。
それは、ベルンハルト家に搾取されていた生活が幸せだったとは言いがたい。だが、今よりもはまだましだっただろう。
気付いて欲しい、あなた方の今の生活があるのは、彼らがあってのものだということを。彼らをないがしろにすれば、何時かは自分の身を滅ぼすことになる。
マイムラー公爵たちは戦後処理として、戦火を免れたベルンハルト侯爵の離宮を臨時の司令室兼、住居区とした。その館の一角にルカの居住区もおかれた。
トリスは外の景色を見回しながら、
「ひでーな、日陰で。この離宮じゃここが一番暗い部屋なんじゃねぇーのか」と、文句を言う。
ちなみにこの反対側の少し離れた日当たりのよい一角がピクロスの部屋である。
「いいではありませんか、そんなに長く居るわけではないのですから」
ルカは用を済ませれば、先に帰還を願い出るつもりだ、自分の配下に入った正規軍と共に。彼らには本来の任務がある。こんな私怨で何時までもこんな所に留まっているわけにもいくまい。現に帰還を願い出ている提督も数名いた。自分の本来の担当空域が心配なのだろう。今回の出陣は、それらの艦隊を割いての出陣だったのだから。
「それよりも、難民所の様子を見てきてくれませんか」
ベルンハルトの孫たちが気になる。もしなんならここへ、侍女として住まわせても。
「例の娘か」と、トリスが意味ありげににやける。
「何、想像しているのですか」
「いや、何、なかなかベッピンだと思ってな。あの気性の強さなど、誰かさん好みじゃないか」
「私には、シナカがおります」
「誰も、お前だとは言ってないのに、やはり自覚しているのか」
かえってルカは、墓穴を掘るような結果になってしまった。
「自覚などしておりません。ただ」
「わかったわかった」と、トリスはむきになるルカを押さえて、
「ここは善意に解釈して、心配しているということで」
「本当に心配なのですから、他に解釈のしようがないと思いますが。いくら平民として生活するとは言え、いきなり無一文ではあまりにも」
「まあ、そんなに気になるなら、見てきてやるよ」
だがトリス一人ではどうも心配。
「クリスさん、あなたも一緒に行ってもらえますか」
「おいおい、どうしてこんな奴と」と、不平を言うトリスに、
「あなたの見張りです」と、ルカははっきり言った。
「おっ、俺の?」と、トリスは自分のことを指差す。
ルカは大げさな動作で頷き、真几帳面なクリスをトリスの後見人として付けた。
難民所の門番たちは、こちらが声を掛けないうちから向こうから声をかけて来た。
「やっ、トリス」
トリスの顔は広い。ほぼおもだった兵士と賭博をしているようだ。
「ちょっと、会いたい女がいるんだが、いいかな」と、トリスは幾らかの硬貨を門番に握らせる。そのために常日頃兵士から巻き上げている貨幣だ。
「どういう女だ」と、門番は意味ありげににやけた顔で問う。
「名前はカオル、俺の軍服を持っているはずだが」
「あっ、あの娘か」
門番は直ぐにわかったようだ。
「何でも、恩人の軍服だから、自分の手で返すって離さないんだよ。恩人ってお前のことだったのか。しかし、本当にお前、親衛隊なのか」と、疑う門番。
「この肩章が目に入らんか」と、肩のマークを突き付けるように突き出して威張るトリス。
「猛禽類でもないしなぁー。本当に王子なのか」
部下を見れば主がわかると言うが、どう欲目で見ても、こいつの主じゃ、ヤクザの親分しか想像できない。ルカ王子って、相当ごついのか?」
「それがよ、少女と見間違うほど華奢らしいぜ」と、言ったのは別の門番。
「じゃ、そうとう変わっているんだろうな」と、非番の門番までが話しに加わる。
あっ? と言う顔をするトリス。
「王子も変わっていれば、部下も変わっているということか。どう見ても王子の親衛隊と言うよりも、第10宇宙艦隊所属という感じだものな」
「そう言えば近頃あの艦隊、規律がよくなったらしいぜ」などと門番がひそひそ話を始める。
「あのな、どうでもいいがこっちは急いでいるんだ、くだらない世間話などしてないでさっさと呼んで来い。じゃねぇーと、さっきの金、返してもらうぜ」
「わかった、今、呼んできてやる」と言って、門番はトリスたちを避難所の中に通した。
だがそこに居た人物は、
「てっ、てめぇー、ピクロス。何しに来た!」
その人物を見るなり飛び掛ろうとするトリスを、クリスは慌てて押さえる。
ピクロスは冷ややかな視線をトリスに送ると、
「お前こそ、何しに来た? 女でもあさりに来たか」
「お前じゃあるまいし」と、トリスははき捨てるように言う。
ピクロスはニヤリとすると、
「はっはぁー、さては奴に頼まれて来たか。ガキだと思っていたが、隅に置けないな」
するとトリスは今度こそ、吐き出すように、
「馬鹿なこと想像してんじゃねぇー、お前の脳味噌は、そんなことしか考えられねぇーのか」
その時である、門番に引き連れられて少女が来たのは。ピクロスに引き裂かれた服は、別の平民服に替えられていた。どうやらこの難民所の中では、酷い目に会っていないようだ。トリスの軍服はかなり役に立っていた。王子直属の親衛隊の軍服である。それを大事そうに握り締めている娘を、無為にも扱えなかったようだ。
「無事だったか」と言うトリスの問いに、少女は軽く頷く。
「あれから、乱暴はされなかったか」
「ええ、この軍服のおかげで」
「そうか。殿下がよ、見て来い見て来いって、煩くってよ」
「そうでしたか、ご心配には及びませんとお伝え下さい」
「それがよ、そうもいかなくなった」と、トリスはピクロスの方へ顎をしゃくる。
それで少女も初めて気付いた、そこに居る人物に。
はっ。と脅えるような顔をする。
「門番、この女を貰い受ける」と、ピクロス。
「てっ、てめー。取れるものなら、取ってみろ。また、この間のようにやられたいのか。言っておくがな、俺はルカより強いんだぜ」と、トリスは剣に手をかけた。
ハッタリだった。今のルカの剣技は、親衛隊の中ではかなう者がいない。それほどまでにレスターはルカを鍛え上げ、あの世へ去った。だが、負ける気はしなかった。ただ相手は王子、いくらルカが背後で控えているとは言え、これを抜けば勝っても死罪は免れない。どうせ死ぬなら道連れ、抜くからには殺す、ルカのためにも。どうせあんな奴、生きていたって酸素の無駄だ、害にしかならない。トリスに殺気がみなぎった時である、
「何なんです、真昼間から。盛りの付いたオスが角突合せ、見苦しい」と言って、上品な笑い声を上げる者が居た。
思わずトリスが集中力を失い振り返ると、そこに、
「ハル公!」 もとい、「ハルメンス公爵!」
トリスの素っ頓狂な声。さすがに王子直属の親衛隊。柄は悪くとも高貴な人々との面識はある、護衛として。
その名前に、門番たちは驚く。ハルメンス公爵と言えば、名門貴族の中の名門。王族にも匹敵する立場の人物だ。下手な王子より格が上。万が一ギルバ王朝に何かあった場合は、彼らに取って代わることの出来る人物。
門番たちは最敬礼をし、少女も唖然とした顔でこの高貴な人物を見詰めた。噂には聞いていた、だが会うのは初めて。こんな姿で会いたくはなかった。
「これは、これは、何処のオス犬が吼えているのかと思いきや、ルカのペットの酔いどれトリスではありませんか」と言いつつ、周囲の者たちに、
「気をつけた方がいいですよ、あそこの館のペットは凶暴ですから、直ぐに噛み付く。特にハルガンなどという猿は、直ぐに物を投げつけてきますから」
それには思わずクリスも吹き出してしまった。野性味のある貴公子として社交界に名を届かせているキングス伯爵も、ハルメンス公爵にかかっては形無しである。
「もう少しきちんとしつけるように、忠告した方がよいですかね」と、背後で控えているクロードに話しかける。
「てめぇー、人が黙って聞いてりゃ」
「あれ、ペットのくせに、人語を話す!」
いかにも驚いた、とハルメンスは笑う。
「もう、許さねぇー」と、今度はハルメンスに矛先を向けた。
クリスはそんなトリスを全身で押さえつつ、
「申し訳ありません。きちんとしつけるよう、主には申し伝えておきます」
「そうしてくれたまえ」
トリスはむっとしながらも、ハルメンスに助けられたことを認めざるを得なかった。あのままいっていれば、ピクロスを殺し、ルカに多大な迷惑をかけることになっていた。すっかり殺気が削げたとはいえ、ここで引き下がるわけにはいかない、まして礼など、口が裂けても言えない。貴族になどに頭が下げられるか。それで出た言葉が、
「何で、てめぇーがこんな所にいるんだよ」
「居てはおかしいですか? 私の友人も、あの爆破事件で亡くなりましたからね」
「仇を討ちに来たっていうのか」
「いいえ」と、ハルメンスが首を横に振ると、
「町娘でも買いに来たのですか、高級娼婦に飽きて。だったらその娘がお勧めです」と、ピクロス。言葉は綺麗だがその内容は。あくまでも自分のレベルでしかものの判断は出来ない、悲しい人の性。
「その娘は、貴族ですから」
「違う、平民だ」と言い張るトリス。
ハルメンス公爵はにっこりすると、
「そのお嬢さんは貴族ですよ」と言う。
違うと言い張るトリスに、
「実は、私の叔母の連れ合いの又その連れ合いの娘さんが嫁いだ実家が、ベルンハルト侯爵と共にこの惑星に入植したと聞いたことがありまして、今回その叔母に泣き付かれまして、その一族が無事なら迎えに行ってはもらえないかと」
はぁ? と言う顔をしているトリス、頭が付いていけない。
「何でしたら、家系図をお見せして、もう一度説明いたしましょうか」
背後に控えているクロードに、そう指示を出そうとした時、
「お前の家系図などに興味はない。それで、見つかったのか、その叔母の連れ合いの実家の嫁は?」
完全におかしくなっている。
「ええ」と、ハルメンスはにっこりする。
「その娘さんがそうですよ」
嘘だ。とトリスにはわかったが、今この惑星上でピクロスと対抗できるだけの身分を有している者といえば、限られてくる。その一人が、今目の前にいて、この娘を身請けしようとしている。おそらくルカでは、ピクロスの野郎に身分を振りかざされてはどうすることも出来ない。だからあの時も、不本意ながらも剣を抜く羽目になってしまったのだ。やはりここは、こいつを利用させてもらうしかないか。後が高く付きそうだが。
「そうか、お前が迎えに来たのでは、俺の軍服もいらないな。返してもらうか」
そう言いながらトリスは娘に近寄ると、耳打ちする。
「奴に口裏を合わせろ、悪いようにはしないはずだ。なにしろ奴の狙いはうちの親分だからな。親分の嫌がるようなことはしないから」
トリスは少女から軍服を受け取ると、肩にかけて歩き出す。
「クリス、帰るぞ」
「トリス、ルカに伝えてください。身内がお世話になりましたと。後ほど正式にお礼に伺いますと」
来なくていい。とトリスは腹の中で毒づきながら、その言葉を背中で受けた。クリスは慌てて一礼すると、その後を追う。
その翌日だった。ハルメンス公爵が美しい令嬢を連れてルカの部屋を訪ねたのは。
「カオルさん」
ルカは彼女のあまりの美しさに驚く。これでやっと、知性と衣装がマッチした。
「その節は、有難う御座いました」
令嬢は深々と頭を下げる。
「私の身内が危ないところを助けていただいたそうで、私からもお礼を述べます」と、ハルメンス。
これで、また貸しが一つ増えたと言いたげだ。
「いいえ、私の方こそ、何やら助けていただいたようで」
事情は全てクリスから聞いていた。
「トリスを向かわせたのは間違いでした。しかし彼なら、そちらのご令嬢が安心されるかと思いまして」
離宮はハルメンス公爵や王子たちの館の調度品に比べれば見劣りする。だがそれなりに調度品の揃った部屋に通され、お茶が用意された。
「しかし、今回もお見事でしたね。才能と言うべきなのでしょうか」
「私の才能ではありません。協力者が居てくれたおかげです」
「協力者が得られるというのも才能の一つです。彼は誰に協力を申し出てもよかった。マイムラー公爵でも他の二王子でも、その中からあなたを選んだのです。あなたなら平民の声にも耳を傾けてくれる寛大な心を持っていると慕われたからです。人から慕われるのは才能を通り越して人格ですか」
次々と人を引き付けていく少年。彼が地下組織の一員になってくれれば、ネルガルを確実に変えることができるのに。
「しかし」と、ハルメンスはソファに体を沈ませ足を組み換えながら、話題を替えた。これ以上の深入った話は、この娘の前ではできない。
「思慮深いあなたにしては、今回は随分お瑣末なことをなされた」
「それを言わないでください。後悔しているのですから」
身分を嵩にかけられては、実力で対抗するしかなかったとは言え、何も剣を抜かなくとも。自分でもわかっていた、剣を抜けば後々どうなるか。でもあの時は、もう我慢の限界だった。相手は誰でもよかったのかもしれない、何もピクロスでなくとも。たまたま彼が理不尽な態度をとって目の前に立っていた。
「困りました、これからどうすれば」
謝罪を入れたところで、話の通じる相手ではない。
「やはり、動いてから考えるより、動く前に考えておくべきでした」
「申し訳ありません、わたしのせいで」と、謝るベルンハルトの孫娘に対し、
「いいえ、あなたのせいではありません。遅かれ早かれこうなるような気がしていました」
ピクロスとは初対面のときから馬が合わないのを感じていた。
ルカの困った顔を楽しげに見詰めながらハルメンスは、
「まあ、どうしても邪魔でしたら、打つ手は幾らでもありますよ」と、あっさり言いのける。最終的には亡き者にしても王子の一人や二人、ネルガル帝国には支障はない。
ルカが唖然とした顔をしてハルメンス公爵を見詰めると、ハルメンスは冗談だと言いたげな顔をして話題を替えた。だがハルメンスは今回の事件で、ルカの本性を垣間見たような気がした。彼が荒くれ者を従えられるのは、それ以上の激しさを内に占めているからだ。そう言えば村の人々も言っていたな、ルカの前世であるレーゼとかいう人物も、怒ると怖いと。ナオミ夫人は高齢のレーゼしか知らないからその怖さを知らないようだが。ただし彼が怒るのは人の道に反した時だけ、それ以外は少しぐらい言葉が乱暴だろうと行いが粗暴だろうと怒る事はないとも村人は言っていた。そしてルカも、部下たちの態度をいちいち咎めたりはしない。そしてボイ人はルカがそう振舞うことを会う前から知っていたようだ。それはそれで不思議ではあるが、だがこれで確証を得た、彼も人間だということを。どんなに理性的に振舞っても、いざとなると感情が優る。そしてその感情は荒くれ者まで黙らせて仕舞うほどの激しさ。奴は決しておとなしくはない。カロルの言葉を思い出す。
「彼女の名前は、リナ・ヘラシメンコ・デブルーメンと申します。お見知りおきを」
名前はおそらく偽名、公爵の傍系の貴族の名を借りたのだろう。
「ヘラシメンコ嬢」と、ルカが呼んだとき、
「リナで結構です」
「ではリナさん、これからどうなされるおつもりですか」
「公爵がネルガルまで送ってくださるそうなので、ネルガルに行ってから、今後のことは考えようと思っております」
「そうですか」
「どうですか、あなたもご一緒に。討伐も済んだことですし、何でしたら私がマイムラー公爵に掛け合ってきましょうか」
「いえ、私が直接マイムラー公爵に願い出ます。正規軍のこともありますし。彼らも帰還を願い出ているのです。本来の持ち場が気になるようでして」
「そうですか、しかし帰還には私の船を使っていただければ有難いです。道々武勇談など聞かせていただければ、退屈しなくて済みますので」
「今回は、武勇談などありません」
どんな戦争にも武勇談などない。身内や仲間を喪った者の気持ちを思えば、そんな話、できない。だがトリスたちに言わせれば、だからこそ武勇談が必要なのだと。そんな冗談でも言っていなければ寂しすぎてやりきれないと。
その時だった、三人の娘が飛び込んで来たのは。靴も履かず顔や腕は痣だらけ、おまけに一人は大きなお腹をしていて今にも産まれそうである。
「たっ、助けてください。妹が」
お腹の大きな娘は、腹を抱えたまま床にうずくまる。
クロードは一目でわかった。
「陣痛が始まっているようです」
えっ! と言う周囲を残して、
「医者を! それと何処か横になれる所を」
医者をと言われてクリスは思い当たった人物がいた。難民所に行った時、オリガーとすれ違ったのだ。ルカが出陣すると聞いて、彼も軍医として名乗りを挙げたらしい。彼なら、貴族、平民の区別なく診てくれる。慌てて飛び出したクリスと、扉のところで鉢合わせになった者がいる。
「無礼者!」
声からして何処かの門閥貴族の子息のようだ。
「すみません、急いでいたもので」と、クリスが謝罪すると、
「ほー、何をそんなに急いでいるのだ?」
「どうやら、ここらしいですね」
踏み込もうとして、
「まずいですよ、ここはルカ王子の」
「かまわん、こっちにはピクロス王子が付いているのだから」と、ずかずかと五人の紳士とは言いがたい男が踏み込んできた。
それを見てルカが立ち出そうとするのをハルメンスが制し、
「ここは、私の方が」と言って、ルカの代わりに扉の方へ向かう。
ルカは三人の娘を寝室へと案内する。
「このベッドを使うといい」
「しかし」と言うクロードに、
「早く、横にしてさしあげなさい。私はどうしてよいのかわかりませんので、医者が来るまであなたが」と、少しでも知っていそうなクロードに頼む。
「こんな時、女手があればよかったのですが」
侍女を一人も連れてこなかったことを後悔する。
ルカは携帯用の通信機に向かって、
「クリス、早くオリガーを呼んで来てください」
「ご存知だったのですか?」 オリガー軍医がいることを。
「早く」
「畏まりました」
その頃、扉の前ではハルメンス公爵が、クリスにさっさと行くように視線を促す。クリスはハルメンスに一礼すると、その場を走り出した。
さて。という感じにハルメンスは五人の無頼漢に視線を移すと、
「どちらの館の方々かね」と尋ねる。
「ここをルカ王子の仮御所と知っての狼藉ですか。それとも何か御用でしたか」
いくら相手がどこそこの名門の子息とは言え、王子よりも身分は下である。
「これはハルメンス公爵、お久しぶりです」と、挨拶してきたのは某貴族の子息。ときおり鷲宮ですれ違う。
「こちらに、下女が三人、逃げて来なかったかと思いまして。あの下女ども、粗相をして折檻していたところ、逃げ出しまして」
「それはそれは、しかし、そのような女、見かけませんでしたが」
しかし、ここへ入るのを。見たわけではなかったが。
「そのような女が来たら、直ぐに連絡しましょう。どちらへ?」と問われ、自分の身分を明かすのにためらった。
「いえ、公爵にそのようなお手数をかけては申し訳ありません。自分たちで探しますので」と、子息たちはその場を引き揚げた。
彼らと入れ違うかのようにオリガーがクリスに案内されてやってきた。
「患者は?」と、飛び込んで来るオリガーに、
「随分、早かったのですね」と、ハルメンス。
「殿下から通信が入りましたから。それより患者は?」
「こちらです」と、ルカは自ら案内に立った。
だが案内の必要はいらないぐらいだ。陣痛がいよいよ本格的になってきたのだろう、女性の叫び。それもただならぬ。
「いやー、産みたくない!」
オリガーは急いで声のする部屋へと駆け込む。
起き上がって暴れようとする娘を、クロードは必死でベッドに押さえ込んでいた。
オリガーは娘の枕元に駆け寄ると、
「しっかりしなさい。あなたがしっかりしないと、お腹の赤ちゃんは死んでしまいますよ」と、娘に言い聞かせる。
だが娘は足をばたつかせ、
「産むぐらいなら、殺す」
「何、馬鹿なこと言っているのですか、あなたの命だって」
「私なんか、どうなってもいいのよ」
まだ陣痛が襲ったようだ、娘はうめきながらも、産みたくないと叫び続ける。
オリガーは周りで唖然としてこの光景を見ている親衛隊たちに、娘を押さえるように指示する。オリガーに付き添ってきた看護婦が、出産の準備を始める。娘も体力が尽きてきたのか、次第におとなしくなってきた。だが産みたくないとうわ言のように呟き続けている。また陣痛が襲う。今度のは本物のようだ。
「いやー! いやだー!」
「とにかく産もう、産んでから後のことは考えよう」
ルカは唖然としてこの光景を見ていた。
「殿下」と、リンネルが声を掛ける。
リンネルとケリンは中庭で提督たちと今後の打ち合わせをしていた。その前をオリガーと看護婦が突っ切って行く、ルカの部屋の方に。リンネルとケリンは慌てた。もしや、殿下の身に何かあったのではないかと。それでなくともここのところ、ピクロス王子と。
慌てて後を追ったリンネルとケリン。そして二人が見たものは。
「ここにおりましても邪魔にしかなりませんので、あちらに」と、ハルメンスたちが居る方へと促す。
娘の声はハルメンスたちが居る居間でも聞こえる。ときおり産みたくないという叫びが。
ルカはふらふらと窓際へ歩み寄ると、近くの椅子に腰掛け頬杖をつき、じっと外を見詰める。その内、爪を噛み出す。いらいらしたり考え事をしている時によくルカがやる癖だ。
「子供には、刺激が強すぎましたか」と、ハルメンス。
「いや、違います」と、ケリン。
そんな単純なことではない。
寝室ではまだ格闘が続いているようだ。そして、
「いやだー!」と言う娘の絶叫と、産声。そして静寂。
「殺して、お願い、殺して」
再び娘の叫び。娘は錯乱状態に陥っている。
だがその後、声が聞こえなくなった。
ルカは不安げに寝室の方を見る。
オリガーが血の付いた白衣を脱ぎながら現われる。
「鎮静剤を射ちました。少し眠れば落ち着くでしょう。ところで、誰の子ですか?」と、オリガーは一番疑わしい人物に向かって問う。
「わっ、私?」と、ハルメンスは自分を指差しながら、
「神に誓って、私の子ではない」
では誰の? と問いたげな顔を残して、オリガーは寝室へと引き返した。おそらく彼らに聞くよりあの娘達に聞いた方が早いと悟ったようだ。
オリガーと入れ違いにクロードが現われた。どんな時でも身だしなみを一番気にする彼にしては、珍しく乱れている。それだけ娘の抵抗が凄まじかったのか、それとも、この光景に我を忘れたのか。
「男の子です。おそらく処理されることになるでしょう」と言った瞬間、ルカの存在に気づいた。だが既に遅い、口から流れ出た言葉は。
「子供に、罪はありません」
「でっ、殿下!」
「私は、私はどうして処理されなかったのですか」
「その答えは簡単です。あなたは神の子だからです」と、はっきり言ってのけたのはハルメンス。
「あなたの母親は平民でも、神と契りを結び、彼女の産む第一子は神の子だという言い伝えが彼女の村にあったからですよ。皇帝は、それに興味を持たれた」
「あなたまで、そんなことを」と、ルカは呆れたような顔をする。
「そう仰せになりますが、私はただ叔父(皇帝)の気持ちを代弁しただけです」
「そうでしょう、理性的なあなたがあのような戯言を信じるはずがない。見ての通り、私は普通の人間です」
ルカは胎児の時から幾度となく精密検査を受けさせられた。だがその結果は、
「陛下とナオミ夫人の子に間違いありません、他に変わった要素は何も。ただ胸の痣が気になりますが」
村人が神の証とする痣。
「得てして痣を持って生まれてくる子はおりますし、他は普通の人間の子と変わりありません」
これが検査した医師たちの報告だった。何度繰り返し検査しても、異常は見つからない。だが村人はルカを神として崇め、再三、村へ戻してくれるようにと要請してくる。
その村人の様子を見た医師たちは、
「どうやら父親は関係ないようです」
皇帝だろうと奴隷だろうと。
「要は、ナオミ夫人が産む、第一子が問題なだけで」
旅先で皇帝が興味本位で犯した娘。それがルカの母親だった。
「リンネル、母も、私を産みたくなかったのでしょうか。殺したいほど、私が憎かったのでしょうか」
ルカはずっと胸にわだかまりを抱いていた。好きでもない男の子供を、産んだからと愛することが出来るのだろうかと。その答えを今ここで見たような気がした。
「それではお伺いいたしますが、奥方様が一度でも、殿下を愛されていないようなお振る舞いをなされたことが御座いましたか?」
「質問を質問で答えるのは、卑怯ではありませんか」
「いいえ」と、リンネルは首を軽く横に振ると、
「答えと言うものは、既に自身の胸のうちにあるそうです。これは奥方様から伺ったことですが」と、リンネルは前置きしてから、
「奥方様が殿下を憎んでいなかったと言えば嘘になるでしょう。ですが、愛していなかったと言ったところで、これも嘘になります。人の心はそんな単純なものではありません。要は、どちらに比重を置くかです」
「母上は」と、ルカが言いかけた時、
「奥方様がではありません、殿下がです。殿下が奥方様のお心のどちらをより重要に思うかです」
「私が?」
リンネルは頷く。
「トリスにこちらの令嬢の様子を伺わせようとお考えになられた時、殿下は何を考えられましたか。トリスの欠点、それとも長所。最終的にトリスの長所におもむきをおかれたからこそ、トリスを行かせたのではありませんか。トリスも自分の長所も欠点も知っております。殿下は必ず自分の長所におもむきをおいてくださるということも、信じて疑いません。ですから殿下の傍に仕えているのです」
「なるほど、ルカがトリスの長所を認めているかどうかは未確定だ。だがトリスは、ルカが自分の長所を認めているとかってに思い込んでルカの傍に仕えているというわけですか」
「現に、認めてくれたじゃないか」と、何やらハルメンスに言いたそうにトリスが言うと、
「今回はね、クリス付で」とハルメンスは笑う。
トリスはその言葉にむっとする。
「そして自分の思いと違うと、人は裏切られたと言うのですね」
トリスは頭にきて、
「こらハル公、殿下は俺たちを裏切るようなことは絶対ない」
「それはあなたの思い込みです」
ハル公! と飛びかからんばかりのトリスをリンネルは咳払いで制して、
「お言葉ですが公爵、私はそのような意味で申したわけではありません」
「存じております大佐。どうやら話を脱線させてしまったようで申し訳ありません」
ハルメンスに素直に謝られるとリンネルも返す言葉がなく、話を先へと進めた。
「つまり、トリスと同様に、奥方様のどのお気持ちに殿下が比重をおくかです。奥方様がどう思われていたかではなく、殿下がどう思うかです。ちなみに赤子とは少しでも気を抜くと死んでしまうものなのです。食事を与えなくとも、外気温に気を配らなくとも。殿下は無事にここまで大きくなられましたから」
愛されなければ育たない。
ルカは暫しの沈黙の後、
「リンネル、母上の気持ちを疑った自分が恥ずかしい」
リンネルは大きく首をふると、
「奥方様に申し付かっておりました。もし殿下がこのようなことを問いかけてきたら、こう答えるようにと」
「えっ!」と、驚くルカに。
「おそらく奥方様は気付かれておられたのでしょう」
ときおり見せるようになったルカの寂しそうな顔、その裏に潜む心の動き。
「ではどうして、その時に言ってくださらなかったのですか?」
リンネルの口からよりも、母の口から聞きたかった。
「問われる前に答えても、それは答えにならないそうです」
「母は他に何か言っておりましたか」
「いろいろ教わりました。ですが、全部忘れてしまいました」
「忘れてしまったのですか!」
ルカは驚き、愕然とした。母上の貴重な教えを。
「私が覚えようとメモを取ると、メモを取る必要はないと仰せで、忘れてもかまわないと。人間の脳とは不思議なもので、忘れていても必要な時には思い出すそうです。現に今がそうでした。他にもいろいろと教わりましたが、その時が来ないと思い出さないのでしょう。思い出さなかったものは、必要ないものだそうです。既に殿下ご自身で解決なされておられるから。もう少し時間が欲しかったのでしょう、あなたをボイにやるには早すぎると、もう少しおとなになってからと嘆いておられました。それで私のようなものにあなたの行く末を託したのです。奥方様はあなたの欠点もよくご存知でした。私にボイ人との間のクッションになるようにと、私のようなものに頭まで下げられました」
そんな夫人が、ルカを愛していないはずがない。
「親の心、子知らずですか」
ルカは苦笑し、爪を噛みながら外を見る。
「愚かですね子供は。親は例え手が届かないようなところに子供が行ってしまっても、出来る限りのことをしてやろうと努力しているのに、子はその愛を疑う」
「殿下は特別です、仕方ありません。何の支障もなく平凡な家庭に生まれてさえ、私より弟の方が可愛いのではないかと、親の愛を疑うものです」
ルカは怪訝な顔をしてリンネルを見る。リンネルにすらそんな時代があったのかと。
リンネルは苦笑すると、
「おはずかしい」と、一言いい、
「大概のことは、既に答えを自分の中に持っているそうです。ただそれに気付くか気付かないかで。これは奥方様のお言葉ですが、この言葉自体、さるお方から教わったそうです」
「誰に?」とルカは問い、はっとする。
母上の教育者は、レーゼ。そしてレーゼはルカの前世の姿とされている。
ルカは黙り込んでしまった。回りまわって、自分のところへ来る。
答えは全て自分の中にある。前世の私が母に教えたことを母は私に伝えただけ。だからリンネルは覚える必要がなかった。では何故、人は転生するのだろうか。母は答えを求めるためだと言っていた。だが答えは既に自分の中にある。忘れて思い出さないだけ。それともまだ、答えの出ていない事柄があるのだろうか。否、それより本当に人は転生をするのだろうか。ネルガル人は誰も転生を信じていない。それなのにどうして母の村だけ。
そこへオリガーが戻って来た。お通夜のように静かになっている部屋の様子を見て取り、
「何かあったのか?」と、問う。
「今、良い話を伺いましたので」と、ハルメンス。
「どのような?」と言うオリガーに、
「それより赤子の父親は?」と、ルカが問う。
オリガーがためらい答えに戸惑っていると、
「ピクロス王子の子ですか」と、ルカの方から言って来た。
オリガーはひらきなおったようにルカの問いに答えた。
「まだ、正式な検査をしておりませんから断定はできかねますが、おそらくピクロス王子かその取り巻きたちの子だと思われます。随分酷い目に合わされていたようだ」
それは娘達の顔を見れば想像がつく。痣だらけである。
「赤子ですが」とオリガーが言いかけると、ルカは即座に、
「処理はさせません」
「ですが、後々あの子を利用しようとする者が現われるのは必定、生きても不幸になるのは目に見えております」
処分を嫌い逃げたところで、宮内部から内々に刺客が放たれ親子ともどもという例が過去にも幾度かあった。
「死んでしまったら、幸せもなにもありません。きちんと教育して自分の力で生きられるようにします」
どうやって? と言う周囲の視線に、
「母に育ててもらいます」
「ナオミ夫人に!」
「今度村人が来た時に、村へ連れて行ってもらいます」
「しかし、流産にしろ死産にしろその死体を提出しなければならない、さもないとその子を匿った人たちに危険が及びます」
これが一介の貴族ならどうでもよかったのだが、皇帝の血筋を引くとなれば。
「ここは戦場です。完全に焼き尽くされてしまった遺体など、幾らでもあります。何処かに産み落としたということで通します。公爵、手を貸してください。否、口ですか」
ハルメンスはやれやれと言う感じに肩をすくめて見せた。
事件は翌朝早く起きた。
ルカはそのまま自分の寝室をこの母子に譲り、自分は客間に寝泊りすることにした。朝早く母子の様子を見に行ったルカが見たものは、血だらけの短刀を振りかざしている娘の姿だった。ベッドの上には朱に染まった赤子。もう一度その赤子に向かって短刀を振り下ろそうとしている娘を、ルカは突き飛ばした。
「なっ、何をしているのですか!」
だが既に赤子は事切れている。
「半分はあなたの血を引いている子ではありませんか、それをどうして」
娘は振り上げた短刀を反すかのように自分の手首を切った。
ルカは慌てて娘から短刀を奪い取ると、娘の手首の切り傷の上の血管を押さえる。
「だっ、誰かー!」
ルカの叫びで親衛隊が駆け込んでくる。
「オリガーを、オリガーを早く!」
ケリンが来て、急いで娘の血管をスカーフで圧迫した。
ルカの親衛隊は誰もがスカーフを首に巻いている。そのスカーフの端には増血剤と止血剤、それに抗生物質が縫い付けられてある。
ルカは娘から手を離すと呆然とした。
「どうして、どうして」
「装飾品をかたづけておけばよかったな」と言うのは親衛隊の一人。
ここは貴族の別館である。壁の至る所に剣や短剣が飾られていた。弓矢は件のごとく全てかたづけておいたのだが、剣の方は気に掛けていなかった。娘はその一つを持ち出したようだ。
「どうして」と、うわ言のように呟くルカ。
服は血で汚れている。
「殿下、こちらへ。殿下」と、リンネルに手を引かれ、ルカは客間へとやって来た。
そこには昨日から泊り込んでいるハルメン公爵たちも起き出して来ていた。
「クリス、殿下の着替えを」と言うリンネルに、
「リンネル、私の言葉があの娘を追い詰めてしまったのでしょか」
死んでしまった赤子は仕方ないにしても、娘に手首を切らせたのは。
「私があんなことを言わなければ、あの娘は自殺など」
「それは、違うな」と、ルカの言葉を断ったのはロン。
ルカはその声の方に振り向く。
「彼女は最初から死ぬ気だった。殿下の言葉は関係ない」
「どうして?」
「あの赤ん坊の母親だからさ」
「母親だから」
「ああ、あの子と一緒に天国へ行って、天国で幸せになるつもりだったのだろう」
ロンの妹も貴族に弄ばれたあげく自害した。だからロンは軍人になった、妹の仇を討つために。上官思いの部下を装いその貴族を殺した。一人殺せば二人も三人も同じ、何時の間にか気に入らない上官を手に掛けるようになっていた。
「そんな、ありもしない世界を、どうしてそこまで信じられるのですか」
「殿下は、天国は存在しないとお考えなのですか」
「まだ、見たことありませんから」
実証できないものは信じない。
ロンは苦笑すると、
「私もあるとは思っていません。でもそうでも思わなければ、我々平民は今の時代を生きられません。あまりにも今の時代が地獄だから、せめて死後の世界ぐらい安らかでありたいと」
ルカは黙ってしまった。
そこへオリガーが戻って来る。
「殿下が止血しておいてくださったので、命に別状はありません。後は」
「後は何ですか?」
「精神的なものです。本人が生きようとする気力」
「様子を見に行っても大丈夫ですか」
「その前に、着替えられては」と、オリガーは血の付いた服を着たままのルカに言う。
「今は鎮静剤で眠っておりますから。それに友人が付き添っておりますし」
オリガーは小さな箱を抱えていた。
「赤子は、このまま荼毘に付します。それから宮内部の方へ送ります」
ルカは黙り込んでしまった。元々、こうなる運命の子だった。あまりにも早すぎる死。否、遅すぎたのだろう。妊娠して直ぐに堕胎させておけば、これほど周りの者達を悲しませずに済んだ。
オリガーは一礼すると、
「看護婦はこのまま残しますので、何かありましたら彼女に相談してください」と、退出して行った。
ルカがやっと落ち着き、ハルメンスたちも去ろうとした時、数人の取り巻を従えピクロスが現われた。
「兄が、弟に話がある」と言われては、扉の番人も扉を開かないわけにはいかなかった。
ルカは急いで娘達を奥の寝室に隠そうとしたが遅かった。
「やっぱり、ここだったのだな。後一人は」
「流産しました。今、ベッドで寝ております」
「流産? 赤子は?」
「今朝方、医師が運び出しました」
ピクロスが奥の部屋へ行こうとした時、
「お待ち下さい。ここは仮部屋と言え今は私の部屋です。いくら兄とは言え、勝手に動き回られては迷惑です」
「きっ、貴様、それが」
「そうだな、今現在ここは、ルカ王子の部屋だ」と言ったのはハルメンス。
「公爵もおいででしたか」と、ここで初めてハルメンスに気付いたようだ。
「居てはまずかったですか。一族が世話になったというもので、礼を言いに来たところです」
ピクロスはハルメンスを意識しながらも、その存在を無視して、
「では、はっきり言おう。私の下女を返してくれないか」
脅える娘達。ここで返されては何をされるかわからない。
ルカは娘達の方に視線を向けると、またピクロスの方に向き直り、
「彼女たちはここへ、助けを求めに来たのです。助けを求めてきた者を無碍にもできません」
「だからこうやって、主が迎えに来たのだ、主自ら。さあ、来い」と、強引に引きずり出そうといるピクロスの前にルカは立ちはだかる。
「嫌がっております」
「嫌がろうと何だろうと、こいつ等には大金がかかっているのだ。お前にとやかく言われる筋はない」
「では、あなたが出した金額で私が買いますので、売ってください」
ルカは根気よく売って欲しいと言うしか方法がないと悟った。だが相手がそれで売ると言うはずがない。かなりのものを要求されることは覚悟しなければならない。
「ほー、こんな下女が欲しいのか」
ピクロスは暫し考え込む。と名案でも浮かんだのか唇の端に薄っすらと笑いを浮かべた。
「では、売ってやらないこともない。しかし、金は腐るほどあるからな」
やはり。では、何と交換なら。
「では、何が御所望ですか」
ピクロスは薄笑いを浮かべ、
「下女三人と交換するには少し高すぎるような気もするが、お前がどうしてもと言うなら交換してやらないこともない」
「それは、何でしょうか?」
「お前の、右腕だよ」
これにはルカより周りが唖然とした。
「俺に剣を突き付けた、その右腕だ。二度とあのようなことをしないようにな」
ルカは黙り込んでしまった。
いくら善良ぶったって、所詮はここまでだろう。と、ピクロスは冷笑する。
ルカは視線を窓の外へ移すと、暫し考え込んだ。
待つこと暫し。
「どうした?」と、ピクロスが痺れを切らして問う。
ピクロスの取り巻き連中も冷ややかな笑みをたたえている。
義手がある。ルカの小さな呟きは、辛うじてリンネルの耳にだけ届いた。
でっ、殿下。とリンネルが制止するより早く、
「いいでしょう。私の右腕で済むなら、交換しましょう」
「でっ、殿下!」
「ル、ルカ!」
呼び方はさまざまだったが、この場に居た親衛隊たちは一同に叫んだ。
「なっ、何、馬鹿なこと言っているんだ」
トリスの叫びを無視してルカは、
「クリス、オリガーさんを呼んでください。切断機と出来れば麻酔も」
クリスは返事に困った。はい。と言えば、トリスに殺されそうだ。
「クリス、早くしなさい。私の気が変わらないうちに」
その時、ロンが動いた。だがロンの殺気に気付いたルカは、数歩前に出て、ロンとピクロスの間にさり気なく立つ。ロンのその腕の中には抜き身の短刀。ロンの得意技だ。こうやって上官を殺して来た。だが今度だけは違った。上官を守るために敵を殺す。
「ルカ、退け!」
だがルカは退こうとはしない。退けばピクロスの命はない。ロンが急所をはずすはずがない。彼らは全員、最前線で生き残って来た者達なのだから。
ロンの殺気はこの部屋に居る全ての親衛隊に影響した。
「門番、扉を閉めろ。誰もこの部屋に入れるな、そして出すな」と叫んだのはトリスだった。
「親分の腕が欲しいだと、取れるものなら取ってみろ。その代わり、この部屋から生きて出られると思うな」
ピクロスの取り巻きがプラスターを抜こうとしたが既に遅い。彼らは武器を取り上げられ、逆にその武器によって壁に押し付けられていた。ピクロスの眉間と胸には、トリスとロンのプラスターの照準が合わされている。
「さあ、やってみろ。その代わり殿下の白い肌に髪の毛ほどの傷が付けた時は、お前の地獄への門が開くときだ」
プラスターの強度を最高にする。当たれば脳味噌は黒こげだ。
「トリス、やめなさい」と言うルカの声と、
「トリス、止めろ」と言う大佐の声が重なる。
「わるいが殿下、大佐。俺たちはあんたらの命令に従っているわけではない。あんたらの命令に従った方が生き延びられると思ったから従ったまでだ。従えば不利になると思えば、その命令は無視する」
これがルカの親衛隊たちの暗黙の了承。
「トリス、銃を下ろしなさい」
ルカの必死の叫びも、もうトリスには通用しない。
そのトリスとルカの間に割って入ったのはケリンだった。
「交渉、決裂ですか」
ケリンは先程から一人で何かやっていた。やっとそれが終わったのか、小さな端末を掌でもてあそびながら、他人事のように言う。
「私は、腕をやらないとは一言も言っていないのですよ」
「ですが、皆さんがこうも反対では、交渉は成り立ちません」
「義手があるのですよ、片腕がなくとも大して不自由には思えませんが、あなたを見ていますと。そうだ、あなたから皆さんに説明してやってはいただけませんか?」
「それはいいですけど、殿下はまだ子供ですから、体の成長に合わせて義手を取り替えていくのは、なかなか面倒ですよ」
はぁっ? と気の抜けた顔をしたのはトリス。
「そっ、そういう問題かよ」
「違うのですか」と、ケリンはわざと惚けて見せる。
「費用もかかりますし、幾らするとお思いなのですか。まして殿下がご使用になるともなると、安物を作るわけにはまいりませんし国家的損失です。自分の腕でしたら体に合わせてかってに大きくなるものですよ」
「そっ、そういう問題なのか」と、トリスは考え込む。
何か違うような気もするがケリンが言うのなら、ルカに継ぐ知恵者と彼を尊敬している以上、トリスは強引に自分を納得させざるを得なかった。
ケリンはにっこりすると、ルカに向かって、
「どうですか、ピクロス王子との交渉権、私に譲っては」
「何かよい方法でも?」
「まあ、見ていてください」と言うと、ピクロスの前に行き、先程から手の中で弄んでいる携帯用のディスプレイを開いた。
「ご覧になってください」と、ケリンが言うが早いか、それを見たピクロスの顔が次第に血色を失い、ルカの白い肌よりいっそう白くなり青みまでおびてきた。
慌ててそのディスプレイをケリンの手から引ったくるように奪うと、床の上に叩きつけ足で踏み潰す。哀れにその装置は砕けた。
「どっ、どうしてこれを」
「それは、コピーです。幾つでも復元できます」
ピクロスは唇を硬く結んだ。
「どうやって? と言いたそうですね。昔から、壁に耳あり障子に目ありといいますから」
ピクロスが腰のプラスターに手を掛けようとした時。
「私を殺せば、そのデーターは自動的に宮内部に流れることになっております。それに、あなたの玉は私には当たらないでしょう。それより先に、トリスとロンの放つ玉の方があなたを射抜きますから」
「電圧を下げて、武器をこちらへ」と、ケリンは手を出す。
ピクロスはトリスとロンを交互に見、言われた通りにプラスターをケリンに差し出した。
「どうですか、奥で、二人っきりで話し合いませんか」
動こうとしないピクロスに、
「私は別にここでも構わないのですが、皆さんに聞かれますと、あなたがお困りではないかと思いまして」
ピクロスは暫し考えた後、
「わかった」と、歩き出す。
「その前に、その足下の装置、拾っておいた方がよいかと存じます。それからデーターを読み取られても世話ですから」
ピクロスはその装置を拾うと、ケリンが促す方へと歩み出す。取り巻きたちが付いて行こうとした時、
「来るな!」と、命令する。
形勢逆転。待つこと暫し。
何を取り決めたのか二人が姿を現したころには、傲慢なピクロスの態度はすっかり変わっていた。
「三人の娘を引き渡すことに承諾していただきました。後でもめないように、ここで証文を取っておきたいのですが、ハルメンス公爵、立会人になってはいただけませんか」
「ああ、かまわんが」
「では、少しお時間をいただけますか、直ぐに証文を作成いたしますので」
ケリンは小型のパソコンを取り出すと、手馴れた手付きで証文を作成した。そこには三人の署名が入るように。そして同じ証文を三枚印刷すると、ピクロス、ルカ、ハルメンスの順に署名をしてもらう。
「これで、晴れて三人の娘はルカ王子のものになりました」
そう言ってその証文をそれぞれに手渡す。
だがピクロスは、それを受け取るなり破り捨てた。
「あっ、破っても意味がありませんよ。控えが二枚あるのですから」
「わかっている」と、むっとしたようにピクロスは言うと、
「帰るぞ」と、取り巻きたちに命令する。
トリスはニタリとすると、
「お帰りはこちら」と、扉の方へ促す。
「おい門番、扉を開けてやれ」
ピクロスたちは荒々しく出て行った。
「ざっ、ざまーみろ」と、トリスは機嫌よさそうに笑うと、
「おーいクリス、塩持って来て、奴がいた場所を清めろ」
クリスがさらさらと塩を撒くと、
「そんなんじゃ、駄目だ!」と、クリスの手から塩を奪い取り、鷲掴みにしてばさばさと撒く。あげくの果てには、扉の方に入れ物ごと投げつけた。
「これでも、足んねぇーぐれぇーだ」
ルカはやれやれと言う顔をする。
「母が残していった悪い風習です。おかげで私の館は塩の消費量が並みではありません」
ハルメンスは証文をクロードに大事に取っておくように指示して渡すと、
「まあ、塩で済んだのですから」
「そうだよ、お前、何考えているんだ。こんな事でいちいち手足を差し出していたら、何本あっても足らねぇーぞ」
「そうですよ」と、周りの者たちが一斉に言う。
「私もそう思います」とハルメンスは周囲に賛同してから、誘いを掛けるのなら今がチャンスだと思ったのか、
「今三人の娘を助けたところで、彼らはまた同じような娘をスラムから買ってきます。根底にメスを入れない限り、この現象はなくなりません。そろそろお考えになられたらいかがですか」
ルカはハルメンスに視線を移すと、
「私には、あなたのやり方が最良だとは思えません」
「では、他に方法が?」
ルカは首を振る。あればそれに向かって動き出している。ないから、じっとこの状況に耐えているのだ。
「まあ、今が今と言うわけでもありませんから。時間は幾らでも有ります。納得なさるまでじっくりお考えください。私は気長に待っておりますから。ただ、行動が遅れれば遅れるほど犠牲も増えることだけは、念頭に入れておいてください」
「あなたのやり方で、犠牲が減るとは思えません」
「それは大手術ですからね、かなりの出血は覚悟しなければなりませんが、その後は」
ルカは大きく首を振ると、
「犠牲になるのは何時も社会的弱者です。今までと何ら変わらない。否、下手をすると次の政権が軌道に乗るまで、かなりの忍耐を強いられることになります」
下手をすれば今までの方がよかったぐらいに。彼らはどのような社会体制も望んでいるわけではない。彼らが望んでいるのは日々の安定した生活だ。それがかなえられるなら王権主義だろうと民権主義だろうとかまわないのではないだろうか。
「話は平行線のようですね」と、割って入ったのはケリンだった。
これ以上のことを、あまり内容を知らない者たちに聞かせたくはないための制止だ。これこそ、壁に耳あり障子に目ありだ。
「お話は後ほど、お二人でなされてはいかがです?」
「それもそうですね」と、ハルメンスは納得する。
「よっ、ケリン。あの端末の中に、何が入っていたんだ?」
ハルメンスが終止符を打ったことでトリスは、今まで聞きたくってうずうずしていた問いを切り出した。ピクロスの顔色の変化はただ事ではない。ざまーみろと思う反面、中身が気になって気になってしかたなかった。
「それは企業秘密です。ピクロス王子との約束ですから」
「何が企業秘密だ。あんな奴に王子などと付けるな。それに約束ってな、人間同士で交わすものだ。あんな害虫との約束など、守ることねぇーだろうが」
「相手が害虫であろうと、バクテリアであろうと」
誰もバクテリアなどとは言っていない。ケリンもさり気なく自分なりにピクロスを評価している。
「約束は約束ですから」
「なっ、俺たちだけにならいいだろう。誰にも口外しないから。なっ」と、トリスはしつこい。隠されれば隠されるほど知りたくなるのは人の常。
「お前の口が一番軽い」
「絶対、誰にも言わないから」と、トリスは顔の前で両手を合わせ拝み込む。
それを見ていたロンが、うるさげに「よせ」と言う。
「ケリンの口の堅いのは実証済みだろ」
「よし、わかった。じゃ、殿下に命令してもらう。喋るように」
いきなり話を振られたルカは、
「私はそんなこと命令しませんよ。命令しても無駄なことはわかっておりますから」
「そういうことです、残念でしたね、トリス」
「じゃ、殿下にも言わないのかよ」
「当然です。誰にも言わないとバクテリアと約束したのですから」
「おっ、お前な」と言いかけたトリスの言葉に重なるように、
「怖いですね、あなたを敵に回したら」とルカ。
ケリンはにっこりすると、
「これは私の専売特許ですから。ですが殿下にはそのご心配でしたら無用ですよ。例え私が殿下の敵になっても、殿下だけは揺すりませんから」
「どうして?」
「脅迫とは、出来る相手と出来ない相手がいるのです。殿下やトリスのような思考パターンの人には、脅迫は通用しません」
「俺が?」と、トリスはどうしてルカと思考パターンが同じなんだ。と思いながらもルカと一緒にされて悪い気はしない。それが顔に出たのかニコニコしていると、
「お前は嬉しいかも知れないが、お前と一緒にされた殿下はいい迷惑だろう」
「ロン、この」と、ロンの足を思いっきり蹴り上げて、悲鳴を上げたのはトリスだった。
「悪いな、俺の脚も義足だったの知らなかったのか?」
「これからは胴を蹴るようにする」と、トリスは足の脛をさすりながら。
ルカが腑に落ちなそうな顔をしているので、
「もし私があなたを揺すったら、あなたは何と答えますか」
ルカは考え込む。実際に揺すられてみなければ想像も付かない。ルカの代わりに答えたのはロンだった。
「やってみろ、やったらお前の命もない」
「そうです」と、言ったのはケリン。
「さすがに何年も仕えていると主の思考パターンはわかりますね。これは先ほどトリスがピクロス王子に言った言葉と同じです。殿下に傷を付けてみろ、その時はお前の命もない。とね」
確かに。と誰もが頷く。
「こう言う思考の持ち主には脅迫は通用しないのです。そもそも脅迫とは相手が公開されるのを嫌がるから成立するのであって、公開するのを前提にこちらの命が狙われたら、成立しません。自分の命があっての脅迫ですから」
「でも、脅迫することによって自分の命も危険にさらすことになりますよね」と、言ったのはベルンハルト侯爵の孫娘。
「ええ、ですから私の身になにかあったら自動的に公開されると前置きしておくのです。これによって公開を嫌う人は必然的に黙ります」
「でも、殿下やトリスは違うと」と、今度問いかけてきたのはハルメンス。
「ええ、トリスは反射的に、ほとんど脳を使わずにこの人物は危険だから排除した方がいいと判断したのでしょうが、殿下は考え抜いたあげくトリスと同じ結論に達します。それが公開されるとどうなるかということは、既に二人の思考にはない。もともとトリスには最初からないのでしょうが」
「なっ、なんだ。それじゃ俺は、首から上はいらないと言われているように聞こえるが」
「いいじゃねぇーか。脊椎だけで反応できるなんてよ、反応が早くって。前線じゃ、もってこいだ」
「なっ、なんだとー」と、また足を振り上げたが、蹴れば自分が痛い思いをするのは先程の経験で悟った。よって振り上げた足を静かに下ろす。
「脳がなくとも、学習するのか」
「もう、許さねぇー」
上半身なら俺たちと同じ肉体。よって首を絞めてやろうと動くトリス。だがそれより早くロンは動いた。逃げるロンに追うトリス。部屋の中は賑やかになる。
「お嬢さん、申し訳ありません。この部屋はしつけの行き届いていないペットが多いもので」と、ケリンが謝罪する。
ベルンハルトの孫娘は楽しそうに笑う。やっと見せた子供らしい笑顔だ。
「鬼ごっこなら外でやれ」と、大佐に怒鳴られ庭へと追い出された。
やっと静かになった部屋の中で、
「帰還にはあなたの船をお借りします。ですからその前に、この三人の娘さんを先に乗船させてもらうわけにはまいりませんか」
ここに置いておくよりハルメンスの商船の方が安心。
「かまいませんよ。部屋をさっそく用意させましょう、それと医師も」
「有難う御座います」
「礼を言うのは私の方ですよ。私の船をご利用いただけるとは、光栄です」
全長1キロメートル、ハルメンスの商船。商船と言うよりも、移動する宮殿兼要塞と表現した方が相応しい。概観はあくまでもシンプル。だがその装備は宇宙戦艦なみ、そしてその内装は鷲宮かと思われるほどの豪華さ。常に五隻の護衛艦を従えて宇宙を漫遊している。
宇宙の粋を決した豪華賢覧な調度品に飾られた客間に対し、ハルメンスの自室は意外にあっさりしている。曲線の美しいテーブルの上に香りのよい飲み物、そのテーブルを囲んでハルメンスとクロードは相対していた。
「しかし、驚きました。下女三人のために、まさかご自身の腕を差し出すとは思いもよりませんでした」
これがクロードの率直な感想だった。自分ですらそこまでは出来ない。
「あの方なら、やりかねないでしょう」
「ではアルシオ様はルカ王子がそう答えると、予測されておられたのですか」
「あの方は合理主義者ですから。自分の腕の代替はあっても、娘三人の命の替わりはありませんから。そう考えると、当然のことながら、先程のような結論に達することになるでしょう。あの方にとっての問題は、腕を切断するとき痛いか痛くないかだけだったのではないでしょうか。腕がなくなるとどうなるなどと言うことは最初から念頭にはなかった」
「しかし」と、クロードは納得しがたい顔をする。
今までのルカ王子に対する自分の評価は、どうやら間違っていたようだ。平民の血を引くが故に、我々に目を向けてくださる。ただそれだけのことだと思っていた。だが違う、あのお方は完全に我々の側に立っている。もしかすると今のリーダーよりも我々のことを。
翌日、ルカの身はハルメンス公爵の船内にあった。ルカは帰還を申し出た正規軍を従えてネルガル星へと向かう。三人の娘はベルンハルト侯爵の孫娘が、歳も近いせいかよく面倒を見てくれた。おかげで二人は元気になったのだが、もう一人の娘は。
「妹さんの具合はいかがですか」と問うルカに、姉は答えるすべがないようだ。
起きることは起きてはいるものの、一日中スクリーンに投影された星空を眺めているだけ。食事の方もはかばかしくない。
「お乳が張るのでしょうか、ときおり胸を」
ホルモン剤で抑制しているものの完全ではないようだ。
「少し、話ができますか」
姉は首を傾げる。
娘に近付こうとしたルカを制止したのはオリガーだった。
「今は、そっとしておいてやりなさい」
「しかし」と言うルカに。
「時間が傷口をやわらげてくれるのを待つしかありません。平民は結構強いものだ。大丈夫、きっとあの子は立ち直る。あなたがこれだけ心配しておれるのですから」
ルカは許せない思いで自室へ戻る。
出迎えたのはホルヘだった。
「見ただろう、これがネルガルの実態だ。この惑星で起きたことは今のネルガルの社会を象徴している」
ルカは深い溜め息を吐くと、ソファにもたれる。
最初は自由と民権をスローガンに王政を倒したものの、これが自由と民権の成れの果て、貨幣が人の心を駆逐した時、昔の王政に替わり貨幣による独裁者が現れた。いつしかその独裁者が王になり彼を担いだ者たちが貴族となる、そしてあらたな王政ができる。それが今のギルバ王朝、ネルガル帝国だ。昔の王朝と違うのはあくまでも経済の中で君臨し続けるということだ。そのためには利潤を生み出さなければならない。利潤を生み出すにはパイを拡大し続けなければならない。よって他の惑星を植民化しなければならなくなった。これがパイ拡大には一番簡単な方法だから。そして後一つの方法は消費の拡大。消費を拡大するには破壊すればよい。壊せば人は作り替えたり買い替えたりする。よって必然的に需要が拡大する。破壊するには戦争が一番手っ取り早い方法だ。そういう点では軍人は最も理想的だ。彼らに給料を払い、それで町を破壊させる。家を壊された軍人はそのもらった給料で家を建て替える。そして新しい町ができあがる。こうやって進歩のない堂々巡りが繰り返される。進歩するのは兵器だけ。
ルカはまた大きな溜め息を吐いた。
この悪循環をどうすればいい。これでは何時になっても社会的弱者は救われない。彼らにとって社会体制などどうでもよいのだ。要は、トップに立つものがどれだけ民衆のことを考えるかだ。民衆が住みよい社会を作ってくれるなら、例え独裁者であってもかまわない。これが民衆の本音だろう。自由の行き過ぎは結局不平等を生む。
「あなたの星はよかった」
「そうでもありませんよ。全ての人が幸せというわけには参りませんから」
「でも、大半の人が幸せだった。少なくとも餓死する人はいなかった」
「でも進歩はゆっくりです」
「そんなに急ぐ必要はないのではありませんか」
ホルヘは微笑むと、
「それは私の台詞でしたね」
ネルガル人のせっかちに対し、ボイ人がよく言った言葉だ。
「そうでしたね。あの頃は、ボイの人たちのあまりにもゆったりとした日常が怖かった」
このまま時代に取り残されてしまうのではないかと。
「だが今は違います。あの頃が懐かしい」
半日、ボーと空を眺めていても何も言われない。
「でも、それでは星は守れない」
「戦いに勝った方が知性があるとは限りません。ただ野蛮なだけです。人の殺し方がうまいだけ。私もその一人ですね」と、ルカは苦笑した。
ルカが指揮を取れば全勝。おそらくボイでの戦いも、ルカの手元にネルガルの軍事力の半分もあれば勝てたのではないかと、軍部では密かに囁かれている。余りにもボイの軍備はお粗末だった。それを僅か三年であそこまでにしたのは評価に値すると。
「殿下、あまりご自身をお攻めにならない方が。この問題こそ、じっくり時間をかけて考えるべきことなのですから。急ぐ必要はないと思います」
「でも遅れれば遅れるほど犠牲が」
ハルメンスの言葉ではないが、ルカもそれは念頭においていた。
「早ければよい結果が出るとも限りません」
それもそうだが、ルカは爪を噛み始めた。こうなると声を掛けない方がよいのはルカの側近なら誰でも知っている。ホルヘはそっとその場を離れた。ルカの思考の邪魔にならないように。
ネルガル星が近くなった頃、危ういながらも娘の意識が正気になった。
「妹が、お礼を言いたいそうです」と言う姉の言葉で、ルカは娘が横たわっている部屋へと行った。
娘はベッドに起き上がり、礼を述べ深々とルカに頭を下げる。ルカは返す言葉に迷い、これからの身の振り方を尋ねた。
「公爵様のお館に、勤めさせていただくことになりました」と答えたのは姉。
「そうですか」と、答えながらもルカは将来を思わずにはいられなかった。何も知らないこの娘達を、政権の動乱に巻き込みたくはない。と言って、ピクロス王子から身を守るには、公爵の館ほど安全なところはない。
「どうなさいました、あまり喜んでは下さらないようですが」
「宮使いは大変でしょうと思いまして」
「公爵様はお優しい方ですので」
「そうですね」
あの方なら酷いことはしない。だが。ルカはこれ以上は何も言えなかった。自分の館で引き受けたところで、この娘達を幸せにしてやれる自信はない。
「リナお嬢様もご一緒なのです。おそらくあのお方の身の回りのお世話をすることになるようなのですが」
「そうですか、それはよかったですね」
ルカはそう言うしかなかった。今回ルカが助けた全ての人物を、ハルメンス公爵が身請けしてくれるようだ。彼の権限なら誰も文句は言わない。
「公爵に、お礼を言わなければなりませんね」と、ルカはこの場を後にした。
礼を言うのではない。一言、釘を刺しておかなければ。無駄かもしれないと思いつつ。
ルカの凱旋は静かなものだった。功労は全てマイムラー公爵に渡すということでルカは先に帰還することを許してもらった。ルカと共に帰還した正規軍も速やかに本来の持ち場に戻り、これと言った歓迎式典も執り行われなかった。全てはマイムラー公爵が帰還してから。
ルカの館では一足早く戻ってきた主たちを、全員で出迎えた。
ルカはシナカの姿を見るなり思いが込みあがってきた。会いたかった。とにかく会いたかった。ルカは周りの目など気にせずシナカの胸に飛び込む。
「シナカ」
抱きついて離れない。
シナカはルカの衝動に狼狽した、あの惑星で一体何があったのかと。戦いは楽勝だったはずなのに。戦いの様子は星間通信を通して逐次シナカの元へも届いていた。それなのに何故? シナカはホルヘの方に視線を投げる。ホルヘは視線で訴えてきた。今は何も聞かずにそのまま抱きしめてさしあげてくださいと。
そもそも竜は争いごとがお嫌いなのだ、どんな楽勝な戦いでも。
シナカにぎゅっと抱きしめられ、ルカはやっと落ち着いたようだ。
「まったく、見ていられねぇーな」と、トリス。
「相手がいないからって、妬くな」と、ロン。
「うるせぇーな。あれじゃどう見たって、母親の胸に飛び込むガキじゃねぇーか。ママー、怖かったよーってな」
「そんなに寂しいのなら、私が抱きしめてやろーか」と、体格のよい侍女。
「お前に抱きしめられたら、俺の骨はぼきぼきになっちまうぜ」
「何があったのでしょうか。楽勝だと伺っておりましたが」と、品の良い侍女。
中には宮使いに似つかわしく、この館には似つかわしくない侍女もいる。
「ちょっとな、殿下には刺激が強すぎたんだよ」
数日後、マイムラー公爵の凱旋を待って、戦勝の式典が盛大に執り行われた。ルカは王族たちが列席する式にだけ顔を出すと、そうそうに戻ってきた。
「いいのか、こんな早く帰っちまって」と、トリスが地上カーを運転しながら心配する。
「もともと私は、この遠征には参加することにはなっておりませんでしたから」
ピクロス王子の陰謀により参加せざるを得なくなった。
「彼らも、私がいない方がよいでしょうから。それに私は子供でアルコールは飲めませんし」
全てはルカの采配で勝利を収めたこの戦い。ルカが居ては自慢話もできず酔うこともできず、場をしらけさせる事になる。
「まあ、お前が居ない方が、皆が盛り上がるということか」
「そんなところです」
だがルカの館は違っていた。もともと凱旋など祝わないことを知っている館の人々は、シナカとルカの結婚記念日を祝することにしていた。ちなみにルカは誕生日も祝わない。なぜならシナカの誕生日が戦犯、つまりシナカの両親の処刑された日だからだ。子供に罪はないと言いながらもネルガルの指導人は、二度とボイ人たちがネルガルに逆らわないようにこの日を忘れないために、戦犯の処刑に国王の一人娘シナカの誕生日を選んだのである。次期ボイの女王となるはずだったシナカの。
本来、ルカの誕生日とシナカの誕生日、それに結婚式と三回祝いができるはずなのを、一回にまとめられてしまった親衛隊のブーイングは大きかった。そもそも彼らは祝いが目的ではない。目的は無礼講のアルコールだ。三回飲めるところを一回にされたのだからトリスを筆頭に、文句が出ないはずがない。三回を一回にまとめるのだから、十日間は飲み放題と提案したのだが、そこは女たちに却下された。
「あなた方、パーティーの目的を知って言っているのですか」と。
それで妥協の結果が三日間と言うことになった。まったくこの館の女どもは強くて困る。
ルカが館に着くころには、すっかりパーティーの用意は整えられていた。
「今夜から始まって三日、飲むぞ」と、トリスは気合を入れる。
一日目は前夜祭、そして二日目からは何処で聞きつけたのかボッタクリ号の船員をはじめ、エヌルタ星人など戦場で知り合った者たちがやって来た。
「お前等、どうやってこの奥の宮まで入れたんだ」
異星人禁制の領域。
ルカの館も後宮の一画にあるのだが、一番外れの方でもあり平民の居住区に近いこともあって、後宮を警備している者にそれなりのものを握らせれば、わりと自由に行き来が出来る。
「それは、魚心あれば水心というもので」と、マルドックの商人たちは語尾を濁す。
「まあ、どうでもいいか」と、既に思考は泥酔しているトリス。否、もともとないのか。
「せっかく来たんだ、飲め、飲め」と陽気に言うわりには視線だけは鋭い。どうやら動物的な勘は酔っていないようだ。
「その前に、殿下にご挨拶を」
「あっ?」
既に主役は忘れ去られている。誰のための祝宴なのか。
「何処におられるのですか?」
「何処って? 昨夜はそこに居たような気がするが」と、首を傾げるトリス。
「おおい、誰か殿下の行方を知らないか?」
護衛の任はとっくに銀河の彼方に放り投げられていた。
誰が答えたのか、
「殿下でしたら、朝食を取っておられますよ」
「朝食? 昨夜から飲みっぱなしなのに?」
飯食うこともねぇーだろーに。
「そりゃ、お前だろ」
客人たちもほどほどに挨拶を済ませると、さっそく仲間に加わった。
「いい飲みっぷりだ」などとおだてられているうちに、すっかり出来上がった。
「せっ、船長。もうここら辺で、お開きに」
「そうですよ船長。これ以上飲むと、ろくなことがない」
何時だって酒の勢いで偉い仕事を請け負ってくる。それを知り尽くしている部下たちは、
「船長」と、アモスを立たせようと肩を叩くのだが、
「ばっ、馬鹿なことを言っているな。まだ序の口だ」
既にろれつは回らなくなり、一人では立つことも出来ない状態になりながらも、グラスを離そうとしないアモス。
部下たちはそんな船長を抱えて帰宅しようとするのだが、トリスたちに引き止められ、結局飲むことになった。
「酒に飲まれなければいいんだから」
だが、こんなことを言い出すこと事態、既に飲まれ始めているのだ。こうなると必然的に喧嘩が起こる。なにしろ力の有り余っている連中だ、もっと飲み食いするには少し体を動かして消費しなければならない。喧嘩は手ごろな運動でもある、次の食事のための。丁度皆が出来上がりピークを迎えていた頃だった、ハルメンスがベルンハルト侯爵の孫娘リナを連れて現われたのは。
ゲシ ゲシ ゲシ
バシッ バシッ バシッ
「この、この、この」
「こうしてやる、こうしてやる、こおしてやるぅー」
「どうだ、まいったか、まいったと言え」
ゲシ ゲシ ゲシ
バシッ バシッ バシッ
「また、繰り返していやがるぜ」と、仲間たちは喧嘩している仲間をうまく交わしながら呆れたように笑う。そして交わしきれなかったものは、
「この野郎、何しやがるんだ!」
必然的にその仲間に加わった。そのため喧嘩の輪は次第に大きくなり、同じようなことがあっちでもこっちで起きている。
「相変わらず、賑やかですね」と言うハルメンス、飛んで来る食器類を器用にかわしながら。
令嬢はこの光景に呆然となってしまった。
「いかがです、これが後宮です」と、ハルメンスは令嬢の背後にナイトのように控えているフェリスに言う。こちらはまだ反応しそうだから。
フェリスがどう反応してよいか困っていると、
「この館を見て、後宮はこういうものだとは思わないで下さい。この館は、特別なのです」とクロードが助け舟をだした。
そこへ彼らの来訪に気付いたのかトリスが、
「やっ、ハム公じゃねぇーか」と、振り向く。モルモット扱いである。
だが喧嘩の最中に振り向いたのがまずかったようだ。視線を敵に戻したときには、ストレート。鼻血がたらり。
「てっ、てめぇー、人が」 挨拶していれば。
「勝負の途中で他に気を取られるからよ」
「もう、手加減しねぇー」
ギャー、ギャー、ギャー
ニャン、ニャン、ニャン
ワン、ワン、ワン
キャッ、キャッ、キャッ
ガァオォォォー
「怪獣までいるようですね」と、呆れたようにハルメンス。
「舞踏会と聞きましたが、これでは武闘会の間違いですか」と、フェリス。
「いや、動物園と言ったほうがいいだろう。ところで肝心な方は」
見回したところ姿が見えない。最も子供が、否、人間がこんな所にいるはずがない。
「殿下は?」と、近くの者に訪ねてもほとんど正気がない。既に頭の中は銀河の渦が捲いている。
やれやれと思っていると、
「殿下でしたらこちらです」と、案内に立ってくれた者がいる。
ボイ星人。思わず、
「ホルヘさん」と、声をかけるリナに、
「キネラオさんです」と、言ったのはクロード。
驚くリナに、
「ホルヘさんのお兄様です」と、ハルメンスが紹介する。
「そっ、そうでしたか、失礼致しました」と、リナが挨拶すると、
「こちらこそお会いできて光栄です。お噂はホルヘから」
どんな。と心配するリナに、
「クリンベルク将軍のご令嬢にどことなく似ておられると」
クリンベルク将軍の令嬢シモンは、男勝りの気性の激しさで有名である。
「そっ、そんな、私はそんなに強くはありませんわ」
お会いしたことはないが、噂だけで充分。そんな鬼娘と同類にされて少し機嫌を害したリナにハルメンスは耳打ちする。
「彼はそんなつもりで言ったのではありません。シモン嬢はなかなかの美人で、殿下の初恋の人でもあるのですよ」
えっ! と驚くリナ。初恋の人に私が似ている。そう思っただけで頬が赤らむのを感じた、相手はまだ子供なのに。
館の奥、ここは私的な居住区になる。ハルメンス公爵の館に比べればかなり質素だが、それでもセンスのよさはきわだっている。
「随分質素でしょ、王子の館とは思えないほどに」
「ええ、これでは私達のほうが」と言いかけて、リナは失礼にあたると思い口を慎んだ。
リナの祖父は派手好みでしかも見栄っ張り。自慢するのが唯一の趣味で、館にはやたらと高価なものが並べられていた。
「ナオミ夫人は、素朴なお方でしたから。そしてルカ王子に至っては、身の回りのことにはまるで無頓着で、もっともご自身がお美しいから、どんなものを置いても無意味なのでしょう」
それは確かにとリナは頷く。
「奥方様がお輿入れになられてからですよ、この館も見られるようになったのは」
「お輿入れって?」
「ルカ王子の妃ですよ、ボイからお連れしたのです」
「妃って、ルカ王子はまだ十一歳になられたばかりだとお聞きしましたが」
「はい。七歳で結婚なされましたから。お相手は当時十五歳でしたから、あなたより二つか三つ年上ですか」
「なっ、七歳で結婚!」
王族や門閥貴族の間では珍しいことではない。それは知っていたが、それにしても七歳とは、また随分早いご結婚だったこと。
「王家の結婚とは政略結婚ですから、本人の意思はもとより年齢も関係ありません。ただ救いだったのは、相手の女性がとても素晴らしい方だということです。私はいろいろなご婦人とお会いする機会がありますが、なかなかあのようなお方とはお会いすることができません。ルカが彼女を手元に置きたがるのもわかるような気がします」
リナはがっかりしてしまった。結婚できるとは思ってはいない。でも独身であって欲しかった。まだ、子供ではないか。そんな子供に、自分の気持ちが魅かれているのも不思議だ。
途中でホルヘが銀細工をしているところに出会う。
「こんな所で、何をしているのですか」
集中しようとしているようだが、何やら気が入らないようだ。
「これはハルメンス公爵。先日はいろいろとお世話になりました」と、諦めたかのように手をやめて挨拶する。
「殿下のご様子は?」と問うキネラオに、
「それが」とホルヘは答えたきり口を結ぶ。
「何か、あったのですか?」
二人の様子の不自然さにハルメンスは問う。
「それが」と、今度はキネラオが困った顔をした。
そこへ侍女たちが通りがかり、
「犬も食わないって言うあれですよ」
「あれ?」と、一瞬ハルメンスは首を傾げたが、納得するように頷くと、
「夫婦喧嘩ですか」
「お恥ずかしい」と言うキネラオに、
「仲の良い証拠です。それで何時から?」
「昨日から」
「あれはどちらかが謝らないと駄目ですね。でもどちらも頑固ですから」と侍女。
今度はホルヘが謝ると、
「ち、違うのよ、別に奥方様のことを悪く言っているわけじゃないの、勘違いしないで。似た者夫婦だから、当分続きそうって思っただけ」
困り果てたボイ人というより男性陣に対し、ネルガルの侍女たちはあっけらかんとしている。
「まあ、放っておくのが一番」
「原因は?」と問うハルメンス。
「殿下が悪いのよ、奥方様があんなに努力して美しく着飾ったのに」と侍女。
「一つも女心を理解していない」
「それは仕方ありません。殿下はまだ子供ですし」
「それに殿下は、ただ普段の方がいいと言っただけで、何も怒るような」とボイ人たちがルカの味方をすると、
「あら、殿下の肩を持つわけ。大体前の方がよくても、一言美しいと言うべきよ」
「しかし、似合わないものを美しいとは言えないでしょう」とホルヘ。
ホルヘは嘘を付くのが苦手だ。
「あら、あなたまで、そんなことを言うとは思わなかったわ」
「ほんと、ボイの方々は紳士かと思っていたら、とんでもない勘違いだったわ。向こうで騒いでいる蛮族と何ら変わりがない」
「どうしてそこまで飛躍するのですか」
わからないと言う感じにボイ人たちが顔を見合わせていると、
「とにかく、悪いのは殿下ですから、殿下が謝ってくるまで絶対許しませんから」
「そう、私達は奥方様の味方ですから」
「でもよ、やっぱり似合わなければ似合わないと言うだろうが」と、この話を立ち聞きしていた親衛隊の一人が口を挟んだ刹那、
「お黙り! 悪いのは殿下です。殿下の味方をするなら、今夜の食事は抜きです」
「ちっ、ちっと待った。どうしてそうなるんだ?」
「私達が食事当番だからです」
「どっちの味方をするの?」と、侍女たちに言い寄られ話に首を突っ込んだ親衛隊は、
「奥方様です」と、即座に答えた。
「そう、それならよろしい。持ち場に戻りなさい」
親衛隊たちは上官に対するような重々しい敬礼をして去って行った。正義より食物の方が勝つ。
侍女は腰に手を当てると、
「あなた方は?」と、今度はキネラオたちの方に向き直って問いかけてきた。
「やはり、食事抜きですか?」
「当然です」
答えに窮しているボイ人たちを見て、ハルメンスはまあまあ。と侍女たちを宥め、
「ここは一つ、私に任せていただけませんか」
「仲直りさせてくださると?」
「やってみましょう。ところで奥方様はどちらに?」
「昨日から自室に引きこもっておられます」
「案内していただけますか」
「どうぞこちらです」と侍女が先に立って歩き出した。
その後にハルメンスたち。だがキネラオたちが来ようとした時、ハルメンスはさり気なく断る。
部屋に行くとシナカの侍女であるルイが現われた。何時も溌剌としている彼女にしては、今日は元気がない。
「これは公爵」
「奥方様は、こちらだとお聞きしましたが」
「それが」と、ルイが言い辛そうにもじもじしていると、
「喧嘩なされたとか」
「ご存知でしたか」
「それで少しお話をと思いまして」
「殿下に頼まれたのですか」
「いいえ、ただ原因は何なのかと思いまして」
「それが」とルイが言いかけると、ハルメンスはそれを制して、
「奥方様から直にお聞きいたします」
ルイはハルメンスをシナカの元へ案内した。
「すみません、出迎えもいたしませんで」
シナカはボイの服に着替えていた。ただ髪はアイロンで伸ばしたせいか軽いウエーブを描き、ボイ人らしくない。
ハルメンスは部屋の中を見回すと、一枚のネルガルのドレスに目を留めた。
「これですか、原因は?」
「ご存知だったのですか」と、シナカは俯いて。
「大変ですよ、どちらに味方するかで館の者たちが男女に別れて睨み合っておりますから」
驚くシナカに、
「それは冗談ですが、このまま何時までも続くようですと、そうなりかねませんよ」
シナカは俯いて黙り込む。
「いけないのは殿下です。殿下を喜ばせようと妃様がこんなに努力されたのに」
ハルメンスはまじまじとドレスを見ると、
「これは、ネルガルの職人に作らせたものですね」
「はい」と、シナカは答える。
「これを見て、あなたはどう思われます?」
「美しいドレスだと思います」
リナもそう思った。こんなドレスが着られたらと。
「本当に心の底からそう思われますか? あなたは素晴らしいデザイナーです。それはルカの軍服の刺繍を見ればわかります。そのあなたの目で見て、本当にこのドレスを美しいと思いますか。それは、これはこれで素晴らしいドレスだと思いますが、あなたのセンスでは? ルカはそこが言いたかったのではありませんか」
「私のセンス?」
「でも、ボイで妃様や私がこのようなドレスを着たときは、殿下はとても喜んでくれました」と、ルイ。
「それはあの時は、あなた方がネルガルの服を着てくれたからです」
派手な中にもシナカらしい清楚な着こなしだった。ルカはシナカたちが少しでもネルガルの文化に興味を示してくれたことが嬉しかったのだろう。
「では、今回は」と、ルイ。以前と同じようにネルガルのドレスを着たというのに、喜ぶどころか、
「それは、今回は服に着られているからです」
えっ! と驚くルイ。
「どういう意味ですか?」と問うルイに対し、シナカは気付いたようだ。
「ボイがネルガルに負けたのは、戦いであって文化ではありません。蛮族イコール知性があるとは限りません。しかし、馬鹿では悪いことはできないとも言います」と、ハルメンスは苦笑する。
微妙なネルガル星人の立場である。蛮族とは思われたくない。しかし文明人だと言うには、余りにも残虐なことをボイ人にしてしまった。
「ルカはとてもあなたのセンスを自慢しておられます、めったに自慢する方ではないあの方が。とくに刺繍は。私もルカが身につけていた軍服が気に入りまして、随分ネルガルの職人を当たったのですが、思うようなものが出来ず、奥方様に無理を言ったというしだいです」
既に長らく続いた戦争は、ネルガル星から熟練職人や芸術家を一掃し始めていた。
「その節は、沢山のお礼をいただきまして」
「こちらこそ、あなたの刺してくださった服を着て社交界に出席したら、噂の的になりました」
シナカはよく相手の性格を見抜きそれに合った刺繍をほどこす。機能性を重視するルカにはシンプルでありながらも豪華に見えるデザイン。そしてハルメンスには華やかな中にも大人の落ち着きのあるデザイン。シナカのセンスには動と静、陰と陽、相反するものが微妙に溶け込んでいる。だがこのドレスにはそれがない、ただ豪華なだけ。これはこれで大輪に咲き誇った花のようで悪くはないのだが、矢車草を愛するルカの趣味ではないだろう。
「このドレスはまるで某夫人のようで、私はあまり」と、感想を述べたのはクロード。
「私はあの方は好きではありませんので、物の価値もわからず、ただ高ければよい物だと思われているご様子で」
「まあ、それも間違いではないでしょう。それ相応の代価を支払えばそれなりの物はきます」
ハルメンスのそれ相応の代価とは、一般の市民が高いの安いのと言うレベルではない。
「それは、そうですが」と、クロードが返答に困っていると、
「ネルガルの文化にもよいところはあるのです。本当の意味で、それを理解してもらいたいのではありませんか、ルカは。私もそうですが。そしてボイにはボイの良さがあります。必要以上の消費社会に対し、卑屈になることはありません。ボイ星のように必要なものを必要なだけ作るというのがいちばんよいのです。ネルガルの繁栄は、言わば谷間に渡した一本のロープのようなものです。高いところを歩くのですから景色はいいでしょうが、一歩間違えば谷底に真っ逆さまです。そんな危うい社会がネルガルなのです。消え行く前に燃え盛る炎のような豪華さ」
それに対しボイ星は、ネルガルほどの華やかさはないが、その分じっくり大地に根を下ろした大木のようなおもむきがあった。おそらく自然環境が厳しいが故に、落ち着いた文明を生み出したのだろう。
「あなたを見ておりますと、ナオミ夫人を思い出します。ルカが一目であなたを気に入ったのもわかります」
ナオミ夫人はルカの母親である。
「どのようなお方だったのでしょうか」
「それは、とても素晴らしい方です。他の夫人から田舎者扱いされても卑屈になることなく堂々としておられた。それどころか夫人たちに庭木の剪定の仕方などを教えて。花一つ咲かせるにも、木によって随分違うものだと私もそこで初めて知ったしだいです。枝を切った方が花芽を付ける木もあれば切ると全然花が咲かなくなる木もあります。まして実を付けさせるとなると、剪定一つで甘みがかわってくるのですから驚きました。随分ここで働いていた者たちには厳しく教えたとみえ、この館が閉鎖された時、庭師として生計を立て始めた者も何人かおります」
フェリスはそんな中の一人を知っている。
「そんなに植物にお詳しい方だったのですか。私の父も植木いじりが好きでした。最も父の場合は鑑賞用でしたが」
それで父とルカは気が合ったのか、と今更ながらに思う。
「そろそろどうですか、仲直りをしては」
「駄目です」と、即答したのはルイだった。
「殿下が先に謝ってこない限りは絶対に」
どうやら意固地になっているのはシナカよりルイのようだ。
「ルイさん、従者が主の喧嘩に油を注いでどうなさるおもつりですか」と、忠告したのはクロード。
「主の喧嘩を止めるのが本筋で、焚き付けるなど」
「焚き付けてなどおりません。ただ、これでは妃様がおかわいそうです」
「わかりました。ではルカに先に謝らせましょう」
ハルメンスのその言葉にシナカは躊躇し、ハルメンスを止めようとしたが、それを無視して彼は二階にあるルカの部屋へと向かった。
ルカの部屋では、まずハルメンスたちを出迎えたのはクリスだった。皆が下で騒いでいるというのに、クリスの顔にはアルコールのアの字もない。
「ハルメンス公爵様!」と驚く。
「ご挨拶をと思いまして、おられますか」
「少々お待ち下さい。ただ今、お呼び致します」と、ハルメンスたちをソファに案内すると、奥に姿を消した。そして出て来た時にはルカも一緒である。
「先日は、大変お世話になりました」と挨拶をするルカを、ハルメンスはまじまじと見詰め、
「演技がうまくなりましたね、ケイト」
「やっ、やはり駄目でしたか」と、クリスは素直に失敗を認める。
どういう意味? と言う感じにリナはハルメンスの顔を仰ぐ。
リナやフェリスが騙されるのは仕方ない。クリスが先に非を認めなければ、クロードまでもが騙されるところだった。
「やはり公爵の目は誤魔化せませんか。アモス船長たちはうまく誤魔化せたのに」
「彼らは、ルカが偽物だと気付いても、気付かなかった振りをしたのかもしれませんね」
「どうしてですか?」
「彼らの目的は下の祝杯にあるのですから。ただ黙って飲み食いするのも失礼だと思い、声をかけに来ただけなのでしょう」
「そっ、そんな。それではもし本当に殿下が誰かとすりかえられていたら、どうするつもりだろう」
「もし、本当にそのようなことがあれば、下であのようなドンちゃん騒ぎはしていないでしょう。そのようなことになる前に、下の者たちは行動に出ています。ここの親衛隊は前線を経験している者ばかり、他の館とは訳が違う。ルカに危害を加えるような者は、この館には入れないでしょう。それをアモスたちもよく知っている。だから安心して騙されたのです」
「そっ、そうなのですか。私はてっきりケイトさんの演技が」と、がっかりしているクリスを後に、ハルメンスは奥へと入って行く。
「すっ、少しお待ち下さい。ただ今、起こしますので」
「寝ているのですか?」
「戦闘中はほとんど食事も睡眠も取られませんので、今になって疲れが出たのだと思います」
「余り体によくないですね」
「それを言うのでしたら、殿下のような子供を戦場に送り込むような軍部のやり方が」と、ケイトは言いかけて口を閉ざす。
公爵にこのようなことを言っても詮無い。それに聞くものが聞けば、皇帝の政に非を唱えているとも取られかねない。
「それは確かにそうですね」と、ハルメンスは笑う。
ケイトがここまで自分の考えをしっかり口にするようになったのも頼もしく思えた。やはりこの館は人々をのびのびとさせる。そしてそう思いながら歩み出す。
クリスは止めても無駄だと悟り、ハルメンスの後に続いた。
そしてルカの寝室に足を一歩踏み込んだハルメンスは唖然とした。
「なっ、何なのですか、一体これは?」
機能的でシンプルなのを好むとは聞いていたが、この部屋は、ベッド以外は何もないと言っていいほどだ。しかも天井も床も壁も、灰色一色。そしてそのベッドの上には毛布に包まった芋虫が一匹。
「お入りになるのは初めてですか」
ハルメンスはぎこちない仕種で背後から声をかけたクリスに振り向く。リナたちも同様だった。
「スクリーンになっているのです。好きなように模様替えできます」
「スクリーンねぇー」と感心しながらハルメンスはその灰色の床に一歩踏み出した。そして、その芋虫に声をかけようとすると、それより早くクリスが声をかけた。
「殿下、公爵様がお見えです」
毛布でできた芋虫がもごもごと動いたかと思うと、
「ケイトさんに一任してあります」
「それが」と、クリスが言い辛そうに切り出す。
「お早う御座います、ルカ」
その言葉に芋虫がピクリと反応したが、それ以上の反応はない。
「お早う御座います」とハルメンスはもう一度声をかけた。
だが今度は何の反応もない。どうやら無視を決め込んだようだ。
それならそれでよいとハルメンスは、唯一窓際にあった椅子をベッドの方へ持ってくると、長話をする態勢に入った。
「シナカさんの何がお気に召さなかったのでしょか? 彼女があんなに努力してネルガルの風土に馴染もうとしておられるのに」
すると毛布の中からくぐもった声で、
「あんなの、シナカではない。シナカは何もしなくとも美しいのです」
やれやれとハルメンスは肩をすぼめてから、
「何をそんなにこだわっておられるのですか」
だがその問いには返事はなかった。
「自身の罪悪感をシナカさんにぶつけたところで、どうなるわけでもありませんよ。それはシナカさんは寛大な方ですので、あなたの全てを受け止めてくださるでしょうけど、限界もあります」
「私の罪悪感?」
「そうですよ、ボイ星を助けられなかった。それともシナカさんのご両親を救えなかったことですか。おそらくあなたにとっては両方ですね」
「別に私は、自分の力のなさをシナカに押し付ける気は」
「ではどうして、館の者たちがあなた方二人の結婚記念日を祝しているところに出席なさらないのですか」
それには返事はない。
「皆さんが誕生日の替わりと言ったのが不味いのですか。ボイ国王夫妻の処刑を思い出すから」
なっ、何の話と驚いてリナはハルメンスを見た。だがここで話が通じていないのはリナだけ。他の者たちは全員わかっているようだ。
「強くなられたらいかがです、ボイ星を現皇帝の手から取り返せるほどに。こんな所で毛布に包まっておられないで。私を顎で使えるほどに」
ハルメンスのその言葉にルカは驚いたが、それよりクロードの方が、
「公爵様」と、慌てた声を出す。
おそらくこの部屋にいた全員が、クロードと同じような声を出したかったに違いない。
そんなクロードを制してハルメンスは話を続けた。
「あなたは私が理想とする国家をあまりよく思われていないようですが、それならばあなたの手であなたが理想とする国家を作られたらいかがですか。そのための力を、あなたなら持てる」
ルカはむっくりと毛布を上げて顔を出した。せっかくの気高いとされる朱の髪は寝癖でぐしゃぐしゃ。それでも彼の美しさを損ねることがないのだから不思議だ。
「それは。ボイ星は返していただきたい。ですが、私は誰とも争いたくはありません」
「この時代に、そんな悠長なことが通じるとお思いですか。欲しいものがあれば力で奪う。これがネルガルです。もっとも暴力は一番下等なやりかたです。それに替わるのが法と貨幣ですが、これはある意味暴力よりも残酷だ」
資産家の家に生まれ教育にお金を掛けてもらえたものたちの独壇場。生まれながらに何ももっていない者は勝つことができない。
「ネルガル帝国だって、最初から帝国だったわけではありません。最初は前の独裁者を倒し人民主権から始まった体制だったのです。それが何時の間にか前と同じように独裁的になってしまった。結局、またネルガル帝国を倒したところで、数千年後には同じような帝国が出来るのです。これでは歴史の繰り返し、進歩がありません。要は上に立つものの器量なのです。人民主権でも独裁者でも、上に立つものがきちんとしていれば民衆は平和に暮らせるのです」
「独裁者でもか」
ええ。と言う感じにルカは頷く。
「上に立つものが腐っていれば、どんな素晴らしい政治体制でも腐ります。よく教育された指導者に導かれる民衆は幸せです、例えそれが王国でも。そのためには指導者になるものを教育しなければならない。だが人民主権では誰が指導者になるかわからない。王国でも誰が国王の補佐をするかはわかりません。ここで母の村のやり方が参考になります」
ルカは迷信ですがと、前置きして、
「母の村では、誰が神の子の親になるかわからない。よって誰もが神の子の親になっても大丈夫なように、村人全員に笛の吹き方を教えているのです。よほどの知的障害か肉体的障害がない限り、全員が笛を吹くことが出来ます。例え指が一、二本なくとも、そのぐらいでは障害のうちには入らないようです。これと同じように、誰が指導者になるかわからないのですから、全員に指導者としての教育をすればよいのです」
「それは既にやっているのではないですか」
「エリートを選んでね」
「全員と言われましても、向き不向きがあると思いますが」と言ったのはクロードだった。
「歌がうまい人もいれば絵がうまい人もいます。全員と言うのは」
「ですから最初は遊びです。母も私に最初から笛を教えたのではありません。最初はただ持たせておいただけです。玩具だったようです」
ここら辺はルカも記憶にない。ただ親衛隊たちの話では、木刀代わりになっていたようだ。神聖な笛を喧嘩の道具によく使わせたものだと、母の考えを疑ったこともある。だが結果的には笛があるのが当たり前のようになった。現にこんな芋虫状態でも笛は毛布の中にある。
「それと同じように、遊びから入れればよいのです。今子供たちの間には戦争ごっこがはやっています。その中に指導者ごっこも。そして仁というものを教えていくのです。そうすればその中から何時か、本当の指導者が現われても既に教育はしてあるし人の導き方も理解していますから、きっと素晴らしい指導者になります」
「なるほど、だが、それは将来のことだ。そういう指導者が育つ当面の指導者は、誰にするおつもりかな?」
「ジェラルド兄さんです」
「ジェラルド王子ですか」とクロードは驚いたような声を出した。
その顔には、あんな知的障害者を指導者にしてどうするつもりだ。とありありと書いてある。
「完全な人間などおりません。兄は優しい方です。足らないところは公爵や私が補佐すれば」
「あくまでもこの体制を崩すおつもりはないと」
「人を育てるには落ち着いた環境が必要です。革命では社会が破壊されるだけです。次に新しい体制が出来るまでかなりの時間が必要です。改革なら社会を破壊せずに変えていくことが出来ます。その間に、よき指導者も育てることが出来ます」
「だが、現在権益を持っている者からそれを奪うのは難しいと思うが」
富の再分配。改革をするにはまずそこから手を付けていかなければならない。それができるようなら革命も戦争も起こらない。
「そうですね、でもやるしかありません。そうしなければネルガルが滅びます」
今、革命など起こして内紛が始まれば、ネルガルに復讐をしようとしている星々の絶好の餌食になる。特に宇宙海賊として頭角を見せてきたアヅマとシャー、シャーはともかくアヅマはネルガル人によく似ているがネルガル人ではない。おそらくネルガルと同水準の科学力を持ち祖先を一緒にする星人、イシュタル人だろう。彼らが自星の植民地化に対抗して立ち上がったのだ。
「宇宙海賊を気になされておられるのですか」
「彼らは、確実に実力を付けてきている。否、最初から実力があったのかもしれません、ただ、今までは本気でなかっただけで」
ネルガル人は、イシュタル人を本気で怒らせてしまったのかもしれない。悪魔の住む青い星、イシュタル星。
「仲間割れなどしている場合ではないと」
「宇宙に詳しいあなたでしたら、気付いておられると思いましたが」
ハルメンスは黙ってしまった。去り際に、
「シナカさんとは早く仲直りなされた方がいいですね、あんなに騒いでいるようでも皆さん、内心は気に掛けているようですから」
ルカの部屋を出てきたハルメンスたちを待ち構えていたのはホルヘたちだった。
「どうでしたか」 首尾の方はと聞きたいのだろうが、
「あまりうまく言ったとは思えませんが」 何もしないよりもは。
「そうですか」と、気落ちするホルヘ。
だがハルメンスが立ち去ってから数分後、ルカはきちんと身だしなみを整えると部屋から出てきた。
「殿下!」と、驚くホルヘ。
「シナカに謝ります。自分の不甲斐なさを彼女に当たってもしかたありません。ところで、シナカは何処にいるのですか」
一方シナカは、ボイの服に着替えると宴会場へと向かった。その美しさにすれ違う者たちが振り返る。
「殿下と、仲直りしたのかしら」と、小さな声で囁き会って喜ぶ侍女や従者たち。
宴会で騒いでいるようでも二人のことを気に掛けていない者はいない。
「しかし、今日の奥方様は一段と美しいな」
その言葉に誰もが頷く。姿は異星人でも纏う気が崇高なら、その者を美しく見せる。
その美しさに思わずリナも息を呑んだ。この気品、いったい何処から?
「これはシナカさん、先程とは別人のようです」
ネルガル人の髪に似せるためカールを伸ばしてしまった髪はもとにはもどらなかったようだが、それをうまくホルヘの作った髪飾りでまとめ、淡いブルー系のボイの服を身に纏っていた。ブルー系の服はボイ人の朱色の肌によくあう。
「やはりボイ人にはボイの服がお似合いです」
「有難う御座います、ハルメンスさん。ですが、ネルガルの服も着ようと思っております。今度は服を私に合わせて」
「それは素晴らしい考えです。それでしたらルカも喜ばれるでしょう」
「ハルメンスさん、ご忠告有難う御座いました」
「いいえ、忠告などと、ただの私の感想です」
そこへハルメンスの姿を逸早く見つけたトリスがやって来た。既に脳味噌がすっかりアルコールに浸っているトリスは、何時ものように真っ裸になって両手にお盆を持ち、自分の一物を交互に隠しながらやって来た。トリスの得意な踊りである。見せないのがコツだというが。
「やぁっ、ハル公ぅ、もう帰るのかーぁ」
ほとんどろれつが回っていないがどうにか聞き取れる。
そしてハルメンスから視線を移したトリスの動きが、止まった。
「おっ、奥方様」と、口を開けたまま。
その美しさに呆けた余り、トリスは女性の前で手放してはならないものを手放してしまったのだ。お盆は丸い。自由を得た盆は会場を転がる。と同時に、
「きゃー!」
シナカ、ルイ、リナの三人の女性の悲鳴がハモった。リナは名前を間違ってクリスと叫んだから大変。字の一つ違いは常日頃から迷惑だったが、ここに来ててき面。
「クリス、お前、何したんだ」と言う声が会場から沸きあがった。
それを聞きつけたルカ。
「クリスさん、シナカに何をしたのですか!」
ルカは駆けつけるなりシナカを背後に庇う。
「誤解です、私ではありません」と、クリスは体の前で両手を大きく振り、
「犯人は」と、トリスの方を指差すと、そこには素っ裸のトリスが仁王立ちになっていた。
ルカに気付き慌てて盆を探すが、何処にもない。
「トリス、どういうつもりですか。例えあなたでも、このようなことをしたら私は」
ルカが剣に手をかける。
「まっ、待て。落ち着けルカ。俺だって命は欲しい」
ルカの剣技はトリスを上回る。
柄に手を掛けるルカを、まるで赤子でも宥めるかのように、トリスは裸なのも忘れて背をかがめて、とにかく落ち着いてくれ。と叫ぶ。
「俺は、どんなに酔っていても、間違っても、お前の奥方にだけは手を出さない」
「では、誰に手を出すつもりだったのですか」
「ちっ、違う。冷静になれ、ルカ。俺はただ」
「奥方様のあまりの美しさに驚いたということですよね」と、助け舟を入れたのはハルメンスだった。
「シナカの?」と、振り向くルカ。
そこにはボイの服を纏ったシナカが、凛とした姿で立っていた。
「シナカ」と、ルカはシナカをまじまじと見詰める。
「綺麗だ。私のシナカは銀河一だ」
「ありがとう、あなた」
飛びついていったルカをシナカは子供を抱くように抱き上げた。
トリスは目を逸らす。
「かっこわりぃー、もう少しどうにかならねぇーのかよ、うちのオヤビンは」
すっかり酔いが醒めてしまった。
「それでは私達はこの辺で」
「もう、お帰りになられるのですか」と、ルイ。
「昔から言うではありませんか、人の恋路を邪魔する者は馬に蹴れて何とやらと。蹴られないうちに退散しようと思います」
まぁ。とルカを抱っこしたままくすくす笑うシナカ。
ルイは感謝の気持ちを込めてハルメンスに深々と頭を下げた。三日ぶりに見る主の朗らかな笑顔である。そもそも結婚記念パーティーにはネルガルの服を着ようと提案したのはルイだった。それだけに二人の仲たがいに責任を感じていたのだ。
ハルメンスたちが去った後、フェリス一人が残る。
「あなたは帰らないのですか」と、問うルカに対し、
「私は今日からこの館に勤務するように、軍部から正式な辞令を受けました」と、正式な辞令書を差し出す。
「そうでしたか、では、よろしくお願いいたします」と言うルカに対し、フェリスは深々と頭を下げた。
「ところで、ボブは元気ですか」
「それが、まだ会っていないのです」
「家には帰られて?」
「家と言っても兄夫婦の家ですから、私の家は一人暮らしのアパートです」
「あっ、そうでした。ボブはあなたのお兄さんの子でした。会いには行かないのですか」
「休みが取れましたら」
「では、その時は声を掛けてください。ボブに渡したいものがありますので」
「畏まりました」と、フェリスは先程よりも深く頭をさげた。
殿下がボブのことを気に掛けてくださるのが嬉しくて。
「警備の方は、私はノータッチなので、後で大佐に聞いてください。今日のところは皆さんと一緒に」とルカは会場を指し示す。
そこはスラムですらここまではと言う惨状。酒瓶と酔いどれがあちらこちらに転がっている。
「もう、食べる物はないかもしれませんけど」と言って、クリスに案内させた。
それからおもむろにシナカの方を向くと、
「シナカ、少し庭でも散策しませんか」と誘う。
ええ。とシナカが返事する前に、
「やあ、殿下。やっと姿を現しましたね。皆で」と、誘いかけるものがいた。
その者に対しトリスが、
「馬に蹴られて死ね! この馬鹿野郎!」
「何、トリス。もう一度言ってみろ」
言うより早く手が出ていた。
ゲシ、ゲシ、ゲシ
コノ、コノ、コノ
喧嘩である。
ルカが困った顔をしていると、
「後は私達がどうにかしますから」と、ホルヘとキネラオはルカたちを庭へと導く。
ハルメンスは自分の館へ戻ると、ゆったりとソファに座りクロードの入れてくれたお茶を口にする。
「驚きましたわ、異星人があんなに美しいなんて、想像すらしたことがなかった」と、ハルメンスの隣で感想を述べたのはリナ。
ボイ人、姿形は異様といえば異様だが、彼女の体内から湧き出してくるあの気品。あれは一体何だったのだろう。リナも物心付いた時からいろいろな異星人に会っていた。現に下僕下女として館で使役していたが、彼らは動物以上人間以下、彼らに自分たちと同じ知性や感情があるとは思ってもみなかった。
「ルカは誰に対しても平等ですからね、あそこでは貴族や平民はもとより異星人ですら同じように扱われます」
マルドック星人やエヌルタ星人の自由奔放な振る舞い。決して我々の前では見せない姿だ、こちらがネルガル人であることを警戒して。ルカの館にはそういう警戒心を取りはぶいてしまう何かがあるようだ。
「しかし、いるものなのですね」と感心したように言うのはクロード。
「何がですか?」と問いただすハルメンスに、
「ルカ王子のお妃ですよ。あれだけの知性の持ち主、どのような方をお妃に選ばれるのかと思っておりましたが」
「選んだのではありませんよ。宮内部から強引に押し付けられたのです」
「そっ、それはそうですが、それにしても似合いのカップルです。ネルガルであれだけの女性を探すとなると」
「ネルガルにはいないと」
クロードは答えに窮してしまった。ハルメンスと共にいろいろな夜会に出席させてもらっているが、今だシナカ夫人ほどのご婦人にはと、首を傾げるクロードに、
「一人いると思いますが」と言うハルメンス。
まるで心当たりのないクロードは、
「どなたでしょう」と問いかける。
リナも興味を示した。あの方と対を張れるような婦人がおられるのなら、一度お会いしたい。
「クリンベルクの鬼娘ですよ」
あっ。とクロードは今更ながらに納得する。
「確かに、シモン嬢でしたら」
それでふと、前々から考えていたことを口にした。
「アルシオ様も、そろそろ身を固められたらいかがですか」
「私に結婚しろと」
「はい」
「そんなことをしたら、ネルガルのご婦人たちが悲しむでしょう」と、話を逸らそうとするハルメンスだが、クロードは必要に食い下がった。
「アルシオ様、私は本気で話しているのです。話をはぐらかさないで下さい。お相手はシモン嬢」
「あの鬼娘を妻に迎えろと」
「はい」
クロードのあまりに真面目な顔に、ハルメンスは溜め息を吐いた。
「無理でしょう」
「どうしてですか」
欲しいと言えば何でも手に入れることができる身分なのに。
「クリンベルクが承知しまい」
「将軍が?」
これは異なことを言うと首を傾げるクロード、喜ばれこそすれ。なにしろハルメンス家と縁を結びたいと思っている貴族はわんさといるのだから。
「クリンベルクは臆病者だ。だからこそ常勝将軍でいられるのでしょうが。私と姻戚関係になって周りの貴族から妬まれることを避けたがっている。否、皇帝から警戒されるのを恐れているというべきでしょうか。姻戚によって自分の力がこれ以上大きくなるのを警戒しているというところでしょうか」
「なるほど貴族から妬まれるのはともかく、皇帝から睨まれたのでは」
「そういうことです。それにシモン嬢にはジェラルドが」
「しかし、それこそ」 貴族たちの妬みを買うと、クロードは言いたかったのだが。
「それは次期皇帝の親には誰もがなりたいでしょうが、暗殺されるかも知れないようなところに、大事な娘をわざわざ差し出しますか」
だが現に、名誉欲しさに差し出す親はいる。ここら辺は全てを持って生まれて来たハルメンスには理解できないだろうと思いながら、
「そうですね」とだけクロードは答えておいた。
「あの、公爵様。私も一度シモン様にお会いしたいのですが、叶いませんでしょうか」
「ああ、それでしたら近々夜会がありますから、一緒にどうですか。ただし、彼女が来るかどうかはわかりません。何しろダンスより乗馬の方がお好きな方ですから」
かなりのお転婆。
「そう言えばシナカ様も、ルカ王子との最初の出会いは木の上だったそうですよ。ネルガルから婿が見えたというのでどのような方かと木に登って眺めていたら枝が折れて、そのままルカ王子の前に」
話を聞いただけでも驚くのに、初日に天から婚約者が降ってくるのを経験された殿下は、いくばくだったことか、とリナは想像し笑ってしまった。
「そっ、そうだったのですか。どちらも、お転婆なのですね」
「お転婆娘は、ルカ王子の趣味ですから」
ハルメンスのその言葉に笑いながらリナが去った後、クロードは本題に入った。
「アルシオ様、アルシオ様はルカ王子のお考えをどう思われておられるのですか」
「ジェラルドのことか」
「それもありますが、それよりこのまま帝政を存続させることです」
ハルメンスは腕を組み暫し考え込むと、
「以前、ルカに言われたことがあります。どんな動物にも集団をなす動物には必ずボスがいると。人間も集団をなす動物の一種ですからボスがいるのは自然でしょうと。ただ動物のボスと人間のボスの違いは、動物のボスが自分の群れを守るのに必死なのに対し、人間のボスは自分を守るのに必死だということ。それに彼らには縄張りがあり、よほどのことがない限り他の縄張りを侵すことはないということ。人間のボスが少しでも動物のボスを見習ってくれれば、人間の社会はもっと住みよくなっていたでしょうと」
ほどよくアルコールが回ったところで、フェリスはケリンに声をかけられた。二階の一室に通される。そこは半分はコンピューターで残りの半分は書籍に埋め尽くされていた。
「まあ、寛いでくれ」と、備え付けの小さな冷蔵庫から飲み物を取り出すと、壁際の簡易ベッドの横にあるテーブルの上に置く。
「俺の部屋だと言いたいところだが、ここは殿下の趣味の部屋だ。自由に使わせてもらっている」
フェリスはもう一度ぐるりと部屋を見回してから、
「噂には聞いておりましたが、凄い装置ですね」
「ガキの頃からいい物を与えていたら、中途半端なものには目もくれなくなった」
今でも充分子供だとフェリスは思いながらも、寝室といいこの部屋といい、調度品より機械の方がお好きな方だと悟った。
ケリンはフェリスとテーブルを挟んで対座すると、
「地下組織の者か」と唐突に訊いてきた。
「ご存知だったのですか、何時から?」と、フェリスは問いながら、
「ハルメンス公爵と一緒にこの館を訪れては」
「俺を甘く見るなよ」
フェリスは苦笑した。
「やはりあなたには隠すことは出来ませんでしたね。殿下には?」
「話していない」
どうして? と言う顔をするフェリスに、
「お前が何者であろうと俺はかまわないからな。だが目的だけは聞いておこう、殿下の親衛隊になった。かなりの人物の圧力がなければ、一介の軍人が所属を替えることは出来ない」
ハルメンスか、だが最初この二人はお互いを知らなかったようだが。
フェリスは今回の功労によって、ルカ王子の親衛隊を希望して叶ったと伝えたが、ケリンは信用していないようだ。それで仕方なく本音を言った。
「さる御仁からルカ王子を組織にどうかと提案があった。それでトップが近付く前に、どのようなお方か偵察して来いと」
「なるほど、お前ほどの腕では、組織でもかなり上の方な訳か。それで?」
「それでとは?」
「お前の見立てだよ」
「おもしろい方かと」
「だが殿下は、地下組織に与する気はないぞ」
「そのようですな。ところであなたはどうお考えなのですか、今のネルガルを。あなたほどの方だ、今のネルガルで満足しているとは思えない」
「いや、俺は充分満足している、ネルガルではなく主にな。俺はそもそも社会体制などに興味はない。主が平民だろうと貴族だろうと、はたまた悪魔であろうと、俺のやりたいことをやらせてくれるのなら、誰でもいい。今回のゲームはなかなかおもしろかった。お前が作ったのか」
戦争ゲーム、それも実際に人が死ぬ。
フェリスは苦笑した。
「ところで悪魔とはどういう意味ですか?」
「俺の主のことか? 彼は人間ではない。自分では人間だと思っているようだが。人が酸素ボンベもなしに池の底に半日もいられるか」
怪訝な顔をするフェリスに、
「池に飛び込んだっきり上がって来ないので、慌てて助けに入ろうとしたら大佐に止められた。竜は水で溺れることはないそうだ」
「どういう意味だ?」
「大佐は何か知っている。最初の頃は変なことを口走っていたが、俺たちが相手にしなかったので今は何も言わなくなった」
二人は暫し顔を付き合わせたまま黙り込む。先に口を利いたのはフェリス。
「まさか、神の生まれ変わり」
以前、そのような情報を入手したことがある。だが情報には真実と虚実があるのは常。それを選り分けることが情報分析の一番難しいところだ。
「まさか、あの情報が真実だと」
「それは俺にも解からない。だが殿下の傍にいると」
そしてケリンは暫し視線を宙に浮かすと、何かを思い出しているようだ。
「まあ、暫くお傍に仕えていれば、お前も感じるものがある」
人とは違う何かを。
ケリンはこの部屋に唯一ある小さな窓に歩み寄り外を眺める。ここから池がよく見える。そして一階の池の見渡せる窓際にも徒党を組むものがいた。
月明かりの中、ベンチで寄り添う二つの影。恋人と言うには余りにも背丈が違いすぎる。
「まるで、親子だな」
母親が労わるように我が子の背中に手を回し抱えている。
「さて、やっとこれで祝宴だな、飲むぞ」と息巻くトリス。
えっ! では、今までのは何だったのですか? とクリスは首を傾げた。
その頃軍部では、今回の戦果についての分析が行われていた。世間的にはマイムラー公爵の手腕と言うことになっているが、どのような戦闘にも観戦将校というものは付ける。彼らの報告によると、
「やはり」
「一時はどうなるかと思いました。ルカ王子を口火役に使うなど、宮内部ではルカ王子を抹殺したがっているようですが、あのような見え透いたやり方では後々問題になるでしょうに」
「否、あれは宮内部の指示ではなかろう。おそらく」
名前こそ出さないが一部の者達は気付いている。ルカ王子の才能を恐れるが故に、後宮が動き出していることを。あれでルカ王子の母親の血統が、もう少しよければ時期皇帝の座も。否、もっと陰湿な皇位争奪戦が行われていたかも。
「しかし、大した実力ですな、ルカ王子は。子供だと甘く見ていると、こちらの足をすくわれかねない」
軍部内でも、次第にルカ王子の才能を認め始めている。ネルガル正規軍を心肝寒がらしめたボイ星での戦い、最初はキングス伯爵の戦略だと聞いていたが、後にルカ王子が立案したと言う噂が流れた。その時は十歳足らずの子供に、と誰もが信じなかったが、ルカ王子の数々の軍功。今では軍部の中枢では誰もが認めるようになってきていた。今後この王子にどう対処するかが今の軍部のもっぱらの議題だ。今銀河では宇宙海賊たちが台頭してきた。その者たちに睨みをきかせるには、一人でも実力のある人材が欲しいところだ。軍部は宮内部とは違いルカを必要としていた。
「どうなりますかな、これから」
「ルカ王子の処遇のことか」
「そうです。宮内部の言いなりになっていては、やおら逸材をみすみす喪うことになる」
「いっそ、宮内部の手から我々の方へ御身を移していただいては」
「どっ、どうやって」
「降下していただくのです。今ここにお集まりの将軍の中には年頃のご令嬢がおられるでしょうから、縁を結んでいただくのです」
「なるほど、我々の婿なら宮内部も今までのようには口を出すまい」
すると一人の将軍が、
「どうだろう、我が娘は十歳になる。ルカ王子とは丁度良い年差だと思うが」
すると別の将軍が、
「我が娘は十二だ。ルカ王子と同じ年だが」
「いや、私の娘は十三、ルカ王子より一つ年上だが、姉さん女房は金のわらじを履いてでもと言うではないか」などと言い出してきた。
暫し会場がその話で賑わう。しかしクリンベルク将軍だけは渋面のまま、
「いかがなさいました、クリンベルク将軍。私はあなたのご令嬢こそ似つかわしいのではないかと思っておりますが」
「無理だろう」と、クリンベルクは一言。
「それはまた、どうして」
「あのお方には既にお妃がおられる」
「お妃がおられると仰せですが、今いる妃は異星人、しかも側室です。正室の座は空いております」
「愛してもらえないと解かっていながら、娘を嫁がせるわけにはまいりません」
「愛されない。ですか」
政略結婚に、愛などあろうはずがない。現に我々ですら妻とは愛よりも出世のため。
「あの異星人をルカ王子は愛されているというのですか」
クリンベルク将軍は頷く。
「以前にも申し上げましたが、ルカ王子はあの異星人を我々に守らせるために我々に協力しているのです。もしあの異星人に何かあれば、あの虎、否、あのドラゴンは、檻を食い破り我々に襲いかかってきます」
「将軍、それは少し考えすぎでしょう。ルカ王子も何時までも子供ではない。もう少しすればご自分の立場をご理解なさるようになります。そうすれば、その時どうすることが一番ご自身に有利かということを、自ずとお考えになられるでしょう」
「それならよいのだが」とは答えたものの、クリンベルクにはそうは思えなかった。
あのお方は、地位も名声も欲されないだろう。
「とにかく、これからどれだけの力を付けてくるか解からない方を、宙ぶらりんの状態にしておくのは危険だ。しっかりとネルガル帝国の一員になっていただかないと。それにはそれ相応の血筋の者と姻戚関係になっていただくのが一番かと」
軍部は血統よりも実力のある王子を、次期皇帝の座に着かせたいと願っている。さもなければこれからの銀河を治めて行くことは出来ない。ルカ王子の血筋が低いのなら、それ相応の血筋の令嬢を。そしてこれを機会に、ギルバ王朝を文官の手から武官の手へ。
その頃から、ルカ館に夜会の招待状が頻繁に届くようになった。だがルカはことごとく断る。脚がわるいのでダンスは遠慮させてもらいます。と言うのが主な文面。
池の上に迫り出したテラスの上で、ボイのお茶を片手に、
「よろしいのですか、全部お断りになられて、少しはお付き合いをなさらないと」と、心配するシナカ。
「一人で行ってもおもしろくありませんから。それに上流社会の社交は苦手です」
そしてルカはボイでの敗戦の傷跡である脚をさすると、
「この脚ではダンスは無理ですし。重宝ですね、この脚」
シナカは呆れたような顔をした。周りからは気の毒がられている脚も、この人にとっては道具の一つ。
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2012/02/11(Sat)23:26:27 公開 / 土塔 美和
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■作者からのメッセージ
今日は、お久しぶりです。たま、続き書いてみました。お付き合いくだされば幸いです。コメント、お待ちしております。
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等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
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