『ナウなヤングのクリスマス【クリスマス企画】』 ... ジャンル:リアル・現代 リアル・現代
作者:ピンク色伯爵                

     あらすじ・作品紹介
人が嫌いだ。だけど、それ以上に一人でいることがさびしくてたまらない。コウモリのようにどっちつかずにふわふわしてしまう若者たち、通称ナウなヤング(ピンク色定義)。彼らがのびのびと暮らせる場所ってあるんだろうか。そしてそれって結構ネット環境が整った個室なんかがぴったり当てはまったりするんだよね。ナウなヤングの青春(?)ストーリー。青臭くて結構。きれいごと結構。ご都合主義大歓迎。とにもかくにもメイドロボが開発されれば万事問題は解決すると思われるんだ。

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 誰でも良かった。
 こんな日に一人でいるのがたまらなく嫌で、気がつけば足は街の雑踏のただなかに向かっていた。
 目のくらむほどのネオンのきらめき、車のブレーキ音がかき消されるくらいにうるさい、人々の喧騒が響き渡る歓楽街。赤、青、黄色。まるで信号のように点滅する光は、全てこのホテル街のものだ。そして行きかう雑踏にちらほらと見られる見慣れた制服の女子学生達。
 彼女たちがこのような時間に、こんな場所にいることは不整合に思えるけれども、いまどきの学生といったらこんなもので合っているのかもしれない――黒川ヒロムは大きく息を吐くと火をつけたばかりの煙草を地面に落とし、靴裏でもみ消した。
「せめて、俺に見つからないようにしてくれよ」
 見て見ぬふりをするにも限界と言うものがある。いかに今日は個人的に歓楽街へ繰り出しているとはいえ、職務外の行為だと言い張れるにも限度と言うものがある。目の前でウナギがのたくるようにべったりされたり、これ見よしがにホテルに入られたのでは、こちらとしても補導せざるを得なくなってくるわけで。
 教頭への報告も面倒だし、彼らだってこんな夜に教師の説教なんて食らいたくないだろう。この時期なんかは特に内申に響くから悪いことづくしのはずだ。
 お互い利益のない、夜の徘徊。
 大人しく部屋でシャンパンでも飲んでいれば――と思わなくもないが、帰宅して真っ暗な部屋がどうしてか嫌になった。
 何だかこういう特別な日と言うのは妙にしみじみとしてしまうわけで。今年もまた一年過ぎて俺は一つ歳をとったなと思うわけで。そうしたら何だか悲しくなってしまうわけで。
 アシモとかいうロボットが開発されて、近々人間そっくりのロボットが売り出されるようになるんじゃないかという淡い期待も最近段々しぼんで来たわけで。
 一人になりたくない。
 だから、こんな街に獲物を求める吸血鬼みたいにふらふらとさまよい出てきてしまったのだ。
 そう、後になって考えてみれば、きっと誰でも良かったのだ。
 誰か、誰でもいい。何もせずにただ隣に座ってくれているだけでいい。そんな気の置けない人間を、インスタントにコンビニエントかつディスポーザブルで手に入れたかった。
『じゃあ、十一時に中央公園の花時計前で』
 そして誘蛾灯に誘われるように中央公園へ。彼女が待つ待ち合わせ場所へと歩を進めていく。
 利用したのは、クリスマス支援隊。
家出少女や不登校の少女たちがその日の宿や遊ぶ金欲しさにサラリーマンや中年の男性と体の関係を結ぶ――いわゆる、援助交際というヤツだった。


クリスマス企画参加作品『ナウなヤングのクリスマス』


「おー、きたきたー!」
 ヒロムが花時計の前へやって来ると、そこにはもう相手が待っていた。髪に赤を入れ、眉毛はいっそのこと全部そってしまっても良いのではないかと思うくらいに薄くしたガリガリの女子高生である。
「へー、身長百七十五、体型はスポーツマン系、そんでもって、ちょっとインテリ系。スーツ着てて、あと二十代。リーチは除外……ふーん、ホントだった」
 無遠慮な視線を送る女子高生にヒロムは眉をひそめた。
「嘘をついてどうする」
 女子高生は「ん?」と首をかしげると当然のことを話すように続ける。
「だってみんな嘘書くじゃん? 年齢はともかく、体型でやせ形とか、細マッチョとか、自分で言ってるだけだっしょ?」
「そんなもんなのか」
「それより、いくらくれんの? あたしとしては六万くらい欲しいかなーって、あ、ホテル代別ね。ほら、なんつーか、これから金使うっしょ、いっぱい。だからぁ、サービスするから、お願いしまーす」
「六万か……まあシャンパン代とでも思えばいいか」
「っしゃ、決まりぃ! ねね。じゃ、どこいく? 勉強部屋? おひるねラッコ? あ、お勧めは――」
「別にどうだっていい。というか、俺はお前とする気なんて端からない」
「は?」
 名前も知らない彼女は、ハゲ山のような眉毛を歪めて理解不能と言った表情を作った。そんな彼女の表情が酷く間抜けで、思わず口の端を釣り上げてしまいそうになる。
「何それぇ? じゃ、何すんの?」
 急に憮然とした態度になった彼女が聞き返してくる。
「別に何も。俺の隣にいてくれるだけでいい」
「いや、会話もたんでしょ」
「必要か?」
「はあ? コイツ何言ってんの?」
「俺はきちんと日本語を使ったはずなんだがな。つまり、お前は俺の横で座っていればいい。それだけだ」

      ×               ×                ×

 隣に彼女が座ってくれていた時間は十分くらいだった。六万円を渡したからか、最初のうちこそ彼女は大人しく花時計のふちに腰掛けていたが(それでもヒロムにもう興味は無くなったらしく、ずっとスマートホンをいじっていた)、しばらくすると「彼氏と約束あるから行くわ」と言ってどこかへ行ってしまった。どう考えてもスマホをいじっているときに即席で作った約束に違いなかったが、それを糾弾する前に彼女はさっさと雑踏の向こうへと消えていってしまった。
 後に残ったのは花時計に腰掛けて白い息を吐いているヒロムだけだった。
「……最近の子は六万円分の働きもしないんだな」
 言いようも無い損失感にいよいよ隙間風が心に吹きすさび始める。どうしてこうなったのだろうかと考えれば、自分がこういう人間だからだろうなという冷静な答えが頭の中で自然に生まれて返ってくるわけで、ついには自分の愚行が恥ずかしくなってきた。
 街に出てきたのは失敗だったかもしれない。結局これでは損をしただけだ。まだシャンパンの方がヒロムを裏切りはしなかっただろう。ならばあの女子高生はシャンパン以下の価値しかないに違いない。軽い詐欺罪である。
 とはいえ、タクシーの運転手が誤ってドアを開いてしまったかのように、もう彼女を問い詰めることは出来ない。ならばブラックリスト入りの刑である。もう来年からは彼女を絶対に選ばない。これで彼女は万分の一ミリくらい収入源に困ることだろう。あまりにもささやか過ぎる復讐ではあるが、現状打つ手はこれくらいしかなかった。
 結局あぶれ者になってしまったので、コンビニで二千円くらいのホールケーキでも買ってやけ食いでもしてやろうかと思った時だった。
「止めてよ! 私、こんなの聞いてない!」
 喧騒の中、カクテルパーティ効果よろしくそんな声が耳に届いてきた。ふと顔を向けると、見知った制服の女子高生が脂っこい中年サラリーマンと揉めているようだった。
「だから、私は一晩泊めてもらう友達を探していて、あのサイトに――」
「お嬢ちゃん、だから僕が泊めてあげるってばぁ。ついでに僕の言うことにちゃんと最後まで従ってくれたら、追加料金もあげちゃうから。ね。ね。ハァ、ハァ。怖くないから、とりあえずあのホテルに入ろう?」
「私が指定したのは、詮索をしない、若い、女性! なのに何で貴方みたいなおじさんがやってくるの? 話が違うし、そもそもあそこはその――」
 ラブホテルなわけで、女子高生はあそこは自分にとって危険な場所だということを直感で理解しているようだった。
 雑踏の目が徐々に二人に集まりだす。サラリーマンは構わず女子高生に粘着し続ける。
「でもこんなところでずっといたら風邪を引いちゃうよ。宿が欲しいんだろう。ほら、怖くないからお兄さんについておいで」
「いや、放して!」
「しっ! 静かに。騒ぎを聞きつけて警察が来たら、君困るんじゃないの? 家出中なんでしょ? 補導された後に家に送り返されちゃうよ」
「……それは……嫌」
「悪いことは言わないよ。お兄さんについておいで。怖くしないから」
「でも、やなんだってば!」
 女子高生はなおも抵抗を繰り返す。すると猫なで声を使っていたサラリーマンもいい加減しびれを切らしたらしく、双眸に危険な光を灯し、語気をガラリと変えた。
「あー、もう、めんどくさいなあ! いいからついてこい! 逆らうなら警察に突き出すぞ!」
 女子高生の肩を掴んで乱暴に揺すりながら言う。彼女はそれでひるんで後ずさろうとするが、男は彼女を掴んで放さない。力の抜けた女子高生の体が、徐々に背後のホテルの中へと引きずり込まれていく。
 自己責任だろうと言えなくもなかったが、ヒロムの職業的にそれ以上傍観しているわけにはいかなかった。頭をぽりぽりと掻いたヒロムは、二人に近づくと声をかけた。
 サラリーマンにとっても、女子高生にとっても最悪の対面だろう。学校の教師なんてものは基本的にそんな扱いをされる。声をかけた後のやり取りは、あまりにも典型的で面白みのない物だった。
 ――こういうの、ナウなヤングはどう言うんだっけ?
 ――ああ、そうだ、以下テンプレ。
 以下テンプレ。
 以下テンプレ。
 2chはあの荒れ具合が大好きだ。

 よく考えれば、自分だってナウなヤングじゃないか――ヒロムは口の端を釣り上げた。
 人間関係で悩むなんて若い証拠。
 人を嫌うのは若い証拠。
 でも同じくらい人が好きなのも、きっと若い証拠だ。
 この微妙な気持ちを持つ者が、最近の若者なのだ――と、ヒロムは思った。

      ×            ×               ×

「よく食うな……」
 閉店間際のサイゼリアに飛び込んだ二人は、向かい合った席にすわり、それぞれ注文の品を頬張っていた。ヒロムはコーヒー、女子高生はいか墨スパゲッティだった。唇を黒くしながらスパゲッティにパクつく女子高生にヒロムはため息をついた。
「教師って面倒くさいな」
「俺の心を読むな」
「あ、図星ですか?」
「ズボシとお前の顔をひっぱたきたいくらいだよ」
「――え? 何言ってるのこの人」
「笑いたければ笑え」
「笑いたくても笑えないから」
「いいから食べろ。もうすぐ閉店時間だ」
 ヒロムはそう言うと、学生の顔をしげしげと見つめた。やはり、制服からしてわが校の生徒に違いない。しかも学年カラー的に三年生だと思われる。一体全体こんな時期に何をしているのだろう。今日はクリスマス・イブだからセンター試験まであと三週間くらいしか残っていない。それをのうのうと夜の歓楽街を闊歩し、挙句出会い系サイトに誤って登録して中年に絡まれるとか脳みその足りない娘に違いない。
 長い黒髪に、ちょっときつめの目、薄い唇と普通に綺麗な女の子。でも脳みそが足りない。これが最近流行りのアホの子と言う奴なのだろうか。そう言えば少女のつむじには俗にアホ毛と言われるものが一本、きたろうのアンテナみたくつんと立っていた。
「で、お前名前何て言うの? あとクラス教えて」
「私は北村エリカ。三年C組……。って、何でそんなこと聞くの?」
「俺教師。お前の学校の。ついでに三年なら世界史教えてるはず。お前こそ何で俺の顔とか名前とか知らないんだよ」
「待って。世界史……世界史……。あ、私とってねえわ」
「必修だ阿呆。とらんかったらウチは卒業できん」
「何だったかな……。……あっ! 思い出した。なんちゃらヒロム……。うん、そうだ。荒川ヒロムだ!」
「黒川だ。お前がアホであることはよく分かった。一年浪人する気でいることもな」
「一応センターの勉強はしてるよ」
「いや、してねえじゃん」
「あんなもの今頃やっているようじゃ駄目だ」
「……お前、マンガ好きなんだな」
「ネタが分かる先生もなかなか若いよねー。ごちになりました」
 いか墨スパゲッティを食べ終わったエリカは紙ナプキンで口元をぬぐいながらこちらに軽く頭を下げる。ヒロムはエリカがフォークを置くや否や席から立ちあがっていた。
「あ、先生待ってよ」
「何だよ」
「これから予定ある?」
「お前を家に送り届ける。教頭に報告する。帰って寝る。明日はお前が起こした騒ぎの後始末」
「じゃあ、家に送らず、報告もナッシングで、私に付き合ってよ。私お金ないし、宿も無いんだ。あと家に帰りたくない」
「馬鹿言うな」
「私帰らないよ。そしたら先生は私を保護する義務が出てくるよね。保証人的立ち位置ってやつ?」
「勘弁してくれ……。教師をなんだと思っているんだ」
「先生、そもそも何であの歓楽街にいたの? ……なんか制服着た女子高生と花時計に座っていたけど、もしかしなくても援助交際?」
「……」
「ふふふ」
 エリカはにっこりと笑った。なまじかわいいだけに、こいつはサキュバスとかリリスとか、そういった魔性の何かに見えてしまう。この上なく軽薄で、身の程知らず。自分にとってどうすることが一番良いのか理性的に考えることができない――最近の若者というヤツである。
「あそこにいたってことは、あの私が登録しちゃった『クリスマス支援隊』に検索かけたんでしょ? 私の他にも何人か女の子が花時計の周りにいてさ、私そこで気がついたんだよ。ああ、私、友達に嵌められたんだって。信じる方も信じる方だけど。信じたかったんだよね」
「……なるほど。家に泊めてと言ったら、代わりにあのアドレスを教えてもらったわけか」
 ヒロムはそう呟くと席に座りなおした。閉店十分前のサイゼリアは従業員がやたらと行きかい、どこかよそよそしい感じがして落ちつかなかった。
 ――ああ、寒い、寒い。心が寒い。
「良い友達を持ったな」
「でしょ。私が勉強ばっかりしてたからそんな友達しか出来なかったんだけどね」
「反応しづらいな」
「適当に相づち打つくらいしたらどうなんですか」
「そんなのは安い同情だと思う」
 閑話休題。
 それから店員に追い立てられるようにサイゼリアから出てきた二人は、再び夜の歓楽街に繰り出した。相変わらず街は不道徳にあふれていて、すれ違う若者はどこか退廃的で刹那的なものを漂わせていた。
 心まで荒廃してしまいそうなそんな雰囲気に、嫌気がさしてきた。
「いっそラブホにでも入るか」
「んー?」
 エリカが長い髪の先を指でくるくると弄びながら訊き返してくる。その彼女の仕草に、ヒロムは少しだけ罪悪感を覚えた。
「ところでお前、家出中なんだってな」
「そそ。家に帰りたくないのです」
「親御さんと喧嘩したのか?」
「うんにゃ、してない」
「だったらどうして家出を?」
「一人の夜が嫌だったから」
 何をキザなこと言ってんだ、と即答しそうになってヒロムは慌てて口をつぐんだ。そう言ったエリカの表情が至極真面目なものだったからだ。
「お父さんとお母さんはどうしたんだ?」
「仕事」
「そっか」
 沈黙が二人の間を流れる。ヒロムはコートのポケットに手を突っ込んで黙々と歩き、エリカはその半歩前を空を見上げて歩いていた。彼女は綿菓子のような白い息を断続的に吐き出しては、空に昇華して行く呼気を眺めていた。上に上って闇に消えていくそれは、何となく哀しかった。
「先生こそこんな夜に援助交際とかどうなんよ。彼女いそうな顔してるくせにDT?」
「女の子がはしたないこと言うんじゃない。……援助交際については、魔が差したとしか言えないな。いつもは平気なのに、こういう特別な日っていう空気に当てられたのかもしれない。帰宅途中すれ違う親子連れやカップルとかを見て、そのあと何にもない自分の部屋に帰っきたら、何となくそう言う気分だった」
「生徒にそんなことしゃべっちゃっていいの?」
「お互い秘密を握り合っている。問題ない。……と言いたいところだが、ちょっと後悔はしている」
「先生って変わってるね」
「よく言われる」
 ヒロムがエリカの黒タイツに包まれた足首を見ながら呟くと、エリカの足がタン、タタン、と軽いステップを踏んでこちらにつま先を向けた。
視線を上げると、彼女が手を後ろに組んで、ヒロムをしたから覗き込んでいた。
「ねね。じゃあ、今からクリスマス支援契約結ばない?」
 そんな彼女の姿に、この前の世界史の授業の出来事がヒロムの脳内でフラッシュバックした。フランス革命を説明している最中にきまぐれで当てて質問した生徒――確か、黒髪ロングで漆みたいに艶のある真っ黒な目の奴、確か、ものすごくダサい眼鏡をかけていた――それは、もしかしてこの目の前の少女なのではないか。
 よみがえる記憶の奔流。ヒロムは世界史の授業前には世界地図を描くためにいつも休み時間の内から授業のあるクラスに行っているのだが、そのときにふと偶然目に入った地味な女子高生のことを思い出す。地図を描き終わって、何となく手持無沙汰になったので、クラスをそれとなく見回していたら教室の隅で丸善のブックカバーに包まれた文庫本を読みふける生徒が目に入ったのだ。それは、この目の前のフランクな少女ではなかったか。
「――馬鹿言うな。倫理的にまずい」
「別にホテル行こうってわけじゃないわ。もっとライトな感じよ。今夜限定でカップルになって見ないって話し。ていうか、今の状況だって似たようなもんでしょ?」
「……お前さ、本当は知ってて『クリスマス支援隊』にアクセスしたんじゃないだろうな?」
「ね。どうするの?」
「結ぶわけがないだろう」
「つまんね。先生なんか死んじゃえ」
「……だが」
 ヒロムは息を吐いた。
「教師として、不本意ながらお前を家まで送るべきだろう。その途中に、ほんの少しだけ寄り道するくらいなら許してやる」
 そう言うと、エリカはパッと顔を輝かせた。「ほんと? ホールケーキとか買ってくれる?」
「買ったところでどこで食べるんだよ。まあ、どうしても欲しいなら買ってやるけど」
「じゃあ決まりだね! ケーキ買って、そのあと朝まで、からおけ、する!」
「阿呆。お前は家に強制送還だ。カラオケなんぞ――」
 友達と行け、と言いかけてヒロムは言葉を咄嗟に呑み込んだ。「――いつだって行ける。今日は寝るんだ」
 割と本気でそう言う。自分が一生徒にここまで強い強制力を加えるのは初めてだった。いつもは不干渉主義を貫く若くして擦り切れたやる気のない教師をやっているというのに、今日に限っては自分が妙に人間くさくて、ヒロムは自身に驚いていた。
「……ちっ、しょうがないなあ。今夜の冒険はここまでかあ」
「意外だ。あっさりと引き下がるんだな」
「え? いや、だって先生に迷惑かかるでしょ?」
「自覚あったのかよ。そこにちゃんと気が回るんなら、今度からは家を出るときに親御さんの顔を思い出してやれよ」
「あの人たちは、いいの」
 そう答えた彼女の声は、背筋が寒くなりそうな響きをはらんでいた。

      ×             ×              ×

「あの人たちがうざいなーって思うときがある」
 コンビニで買った一七〇〇円のホールケーキを両手で大事そうに抱え込みながらエリカはそう切り出した。ヒロムが黙って先を促すと、彼女はやがて続けた。
「帰ってきたら、私に抱きついてきたり、満面の笑顔で『ただいま』って言うんだ。何て言うか、こっちがひいちゃうくらいにね。でもテストの点数が悪かったり、言いつけを守らなかったら、まるで二重人格みたいにものすごい剣幕で私を叱りつけるの。体や心を深く傷つけられる。まるで私を好きなあの人たちと、私を嫌いなあの人たちが、心の中で同居しているみたいなの。最初は仕事で嫌なことがあったから、私の将来云々を口実に怒鳴ってきているんだと思った。だけど、今はよく分からない……。だから、多分あの人たちは子供なんだと思う。自分の感情をコントロールできないで、その場の感情に忠実に従ってしまう、ちょっと発展途上な精神を持っているんだと思う。家に帰って、ホッとして。そうしたら、大人の部分がはがれおちて、その下の子供の部分が露出してくる……。だからかもしれない、私はあの人たちを完全には憎み切れない」
「ふーん……。そういう考え方も……ありかもな」
 確かに人間は追い詰められたら地が出るものだ。それは基本的に攻撃的なもので、自分の内面に向かえば泣いて、外面に出れば怒る。お腹が減ったら怒りっぽくなるというやつがその一例だろう。
 子供だから、怒れない、か。
 ナウなヤングを怒れない人って、そう言うものなのかもしれない。それは逃げだとか、正面から向き合えとか、ここで正論を言うつもりは無い。何故なら、それは、本当に仕方のないことなのだからだ。面と面を向かっても、言葉なんて陳腐なものでは伝わらない感情があるから、ちゃんとした時期と、ちゃんとした精神状態と、ちゃんとした絆があって初めて、言葉をもってなしうることだから、それに、これは彼女の問題だから、綺麗事を口にして一応の締めくくりにすることは出来なかった。
 また同時に、『あの人たちを憎み切れない』ということは、ものすごくストレスのたまることじゃないかと思うわけで。怒りがたまる度に、満面の笑みを向けられ、噴火寸前の怒りを押さえこまれ、それが繰り返されて、今やはちきれんばかりになっているんじゃないかと思うわけで。それって結構ヤバいんじゃないかと思うわけで……。
 いや、もう大爆発してしまっているのかもしれない。
 現にこうして彼女は夜遊びに興じているのだから。
 人が基本的に嫌いで、たまに思い出したように人が好きな自分が現れるヒロムとは違い、彼女の中では、常に好き嫌いが入り混じっているのだ。清濁併せのむ。まさに彼女はナウなヤングだった。

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 彼女の足首を見つめながら歩いていると、いつしか住宅街へと入っていた。中流くらいの生活水準の人が住んでいる住宅街だ。もう午前一時を回っていることもあって、辺りの住宅で明かりが灯っている窓は極端に少ない。皆明日のクリスマスに備えて眠っているのかもしれなかった。
「そろそろサンタの時間かも」
 エリカは楽しげにそう言った。楽しげに発せられた言葉は、最後は解けて消えていった。
「ホワイトクリスマスにはならなかったな」
「先生恋人いないんだから関係ないでしょ」
「余計な御世話だ。こう言うのは雰囲気が大切なんだよ」
「――あ、もうすぐ私の家に着くね。ほら、向こうに見えているあの平べったいのが私の家だよ」
 彼女はそう言って真っ暗な家の窓を指差した。「あの人たち、まだ帰ってきてないみたいだね。明日の十時にはかえってくるとか言っていたから、こんな時間に帰って来ることはないか」
二人は円錐型の二階の無い家の前で立ち止まった。ヒロムは「じゃあな」と言ってエリカに背向ける。すると一瞬間が開いてから、「待って、先生」と声が返ってきた。
 振り返ると、エリカが「ちょっとそこで待ってて」と言い残して明かりの付いていない家の中へと消えていく。しばらくして彼女はずっしりと何かが入っているビニール袋を両手に抱えて出てくる。それは何かと訊けば、彼女はちろりと舌を出した。
「晩御飯。作りすぎちゃったのでおすそ分け。迷惑かけちゃったし、これでおわび」
「……お前は俺を友達か何かと勘違いしているようだな」
「え……?」
 エリカがものすごく悲しそうな顔になる。ヒロムはポリポリと頭を掻いた。
「あー……分かったよ。ありがたく頂くよ。……って、うわ。これものすごく重いな、何が入っているんだ?」
 ヒロムがナイロン袋の中を覗き込むと、鶏肉の香ばしい匂いと、トマトっぽい食欲をそそる香りが鼻をくすぐった。
「これ、クリスマス用の、ディナーか?」
「あはは……うん」
 恥ずかしげに視線を落とすエリカ。「なんか張りきっちゃって。そんで、私ってバカみたいで。恥ずかしいから、それ全部先生に上げる。色々とおごってもらった代金。あ、ちなみそれの材料費は私のバイト代から出ているからありがたく食べてね」
「お前……」
 錆ついた何かに、火が灯ったような気がした。
 「それじゃ」と手を振って背を向けるエリカの腕を掴む。驚いて振り返ったエリカの顔を見て、ヒロムは一瞬戸惑った。
「先生?」
「あー……」
 言葉が出てこない。伝えるべきことは分かっているのだけれど、ちょっと無茶なのではないかと理性がストップをかける。
 しかし、彼女をこのまま帰すのは、何となく良くないと思った。ヒロムは考えあぐねた末、かなり間の抜けたタイミングで口を開いた。
「えっと、近くに公園があったよな。そこでこの料理食べないか?」
「え?」
「いや、そりゃ外は滅茶苦茶寒いし、こんな時間だし、お前にはいいことないかもしれないけどさ、これ、お前の作った飯なんだろ? だったら、食べてから感想くらいは言ってやりたいと思うわけでな……」
「うん! ――うん! 食べる! ありがと! 私も何か眠れないなーって思ってたんだよ」
「……と言うことは、俺が帰ったらもう一度夜遊びするつもりだったのか」
「う……そ、そんなことないよ」
 ヒロムはため息をついた。
「お前がどうしようが勝手だが、いくら親御さんが気に入らないからって、そんな風に親不孝するのは止めた方がいい。それに――今日怖い目に合っただろう? お前に害を与えるのは、出会い系サイトだけじゃない。もっといろんな悪いものがあの街にはあふれているんだ。……お前なら、こんなことは百も承知のはずだが、あえて言わせてもらう。夜中に一人で出歩くのは止めなさい」
「――」
 彼女が両親に対して向ける精いっぱいの反抗。それを真っ向から否定する。それはうまいやり方じゃないと、もっと他の良い手段があるはずだと、訴えかける。それに答えなかったエリカは、いまだに迷子になっているのだろう。じゃあ、どうすればよいのか、うっ屈としたストレスをどう発散すればよいのか、彼女の中ではそんな疑問が渦巻いているに違いない。
「何か、他に気を紛らわせられる物を見つけろ」
 ヒロムの言葉に、エリカはキッと視線をきつくした。ヒロムの腕を振り払い、前かがみになって言葉を吐き捨てる。
「先生はっ、何もわかって無いからそんなに簡単に言うんだよ! 私が今日どんな気持ちでお父さんとお母さんを待っていたのか。中途半端な気持ちであの人たちを待っていた結果がこれなの! こんなの苦しい! こんなのをため込んでいたら、私は壊れちゃう! 他に気を紛らわせられるものを見つけろ、なんて言われても、そんなのすぐに見つかるわけないじゃない……。そんなの、勝手だよ!」
「ふむ……」
 ヒロムは一つ頷いた。今日の自分は本当にどうかしている。一人の人間にこんなに入れこんでしまうなんて、正気の沙汰とは思えなかった。
 だけど、今は目の前の人間を助けたかった。自分では頼りないし、分不相応だと思うものの、このまま指を咥えて見ているわけにはいかなかった。
 ヒロムはエリカの腕を掴むと、くるりと背を向けた。
「走るぞ、エリカ」
「え……ちょ、先生!?」
 言葉なんて陳腐なものだけでは足りない。精神に直結する肉体に訴えかける。このクリスマスに、彼女の心にたまったものを一つ残らず吐き出させるために。
 全力疾走。
 目的地は、エリカの家に来るまでに通った、滑り台とブランコしかない小さな公園。
 太陽に向かって走るわけではないけれども、夜の街を二人は駆け抜ける。
「せ……せんせ……速い……っ!」
 エリカの抗議も聞かずに足だけ前に動かす。そう言えば、こうして全力疾走するのは、二十歳を超えてからしたことが無いような気がする。眠っていた血の猛りが、体を徐々に熱くしていく。
 走っていくうちに、自分の内にあったどす黒い感情も、夜風にあらわれるかのように消えていくのを感じた。全部どうでもよくなってきて、何もかも捨ててしまって良いような気がしてきた。
 それは彼女と二人で夜をかけていたからかもしれなかった。

     ×              ×              ×

「はあ……はあ……、はっ……、せ、せんせ、いきなり、なんなの?」
 およそ三分後、小さな公園に辿り着くと、エリカが脇にあったベンチに腰をおろして非難の声を上げた。
「すまん」
「いや、すまんて……」
「それより飯食おうぜ。俺腹減っているんだ」
「勝手に食べればいいじゃん……」
「じゃ、遠慮なく」
 ヒロムはそう言うと、袋をまさぐって中からチキンを取り出してかぶりついた。冷えていたけれども、レモンとローズマリーの上品な香りが口の中に広がり、とてもうまかった。
「お、なかなかうまいじゃないか」
 思わず口をついて出てくる感想に、ベンチに座ってそっぽを向いていたエリカがこちらに向き直る。
「それは良かったね、先生」
「ああ、誰かの手料理なんて食べたの久々だからな」
「それ市販の奴って言ったらどうする?」
「いや、この味は市販では無理だろ。いかにも下ごしらえしましたって感じじゃないか」
「……ふん」
 エリカは鼻を鳴らすと、入れ物からチキンを取り出して頬張る。「……我ながら、まあまあの出来」
「お前味見してなかったのかよ」
「冷めた奴は初めて」
「さいですか」
 それからしばらくの間二人はもぐもぐとエリカの弁当を咀嚼していた。エリカはサイゼリアでスパゲッティを食べていたというのに、ヒロムとあまり変わらないスピードで料理を嚥下し続けている。もしかするとやけ食いのようなものかもしれなかった。
 やがて大量にあった料理は、二人の腹の中におさまった。ゆうに三人前を二人で完食したせいで、さすがにそのあとホールケーキを食べる余裕は無くなってしまったけれども。
「あーあ。なんかお腹いっぱいになったら、色々とどうでもよくなってきちゃった」
 エリカがお腹をさすりながら空を見上げる。彼女が無造作に上げた右手の人差指の先を見ると、オリオン座が輝いていた。
 そんな彼女の横顔を見ながら、ヒロムはぽつぽつと言葉を紡ぎ出した。
「あのさ、俺はお前のこと分からんけど、話しを聞くくらいはできるから」
「……先生、いきなりさっきの続き?」
「いいから、黙ってろ。良いシーンなんだから。……まあ、親御さんが気に入らないとか、勉強したくないとか、真面目ちゃんで居たくないとか、色々あるかも知れないが、もしなんかもやもやしたことがあったら、そいつを俺に面白おかしく話して聞かせてくれよ。お前小説たくさん読んでいるみたいだし、そういうの得意だろ」
「えー……、なにそれ……」
「お前が何か気を紛らわすことができる趣味を見つけるまでの、つなぎだよ。誰かに話すことで楽になるってのは、あると思うわけだ」
「とても援助交際しようとするまでやさぐれていた人間の言うこととは思えないし」
「そりゃ……多分俺も、お前と話せてすっきりしたわけだ。だからこれはギブアンドテイクなわけだ。お前の愚痴聞くときは出来るだけその話しを面白おかしくすることと、ついでに昼飯も付ける。それで先生が話しを聞いてやる。代わりに、俺が愚痴りたくなったら、サイゼでなんかおごってやるよ。その代わり最後まできっちり聞きやがれ」
「はあ……。面倒くさい大人に絡まれちゃったなあ……」
「……お前な。これでも俺は本気でしゃべっているんだぞ……」
「はいはい。まあ、ものすごく残念なお説教だったけど、先生の気持ちだけ受け取っておくよ。――先生、ありがとう」
 ふざけた調子の中で、エリカは最後だけは、温かで、地に足の付いた口調で言葉を紡いでくれた。
 そう、彼女は了承してくれたのだった。
 「じゃあクリスマス支援契約の代金として二万円いただきまーす」
「何でそうなるよ……」
 真面目なシーンから一転おふざけモードに入ってしまったエリカに、ヒロムは肩を落とす。エリカはそんなヒロムを見てけらけらと愉快気に笑い声を上げた。
 

 もちろん、これで全て解決したとはヒロムも思っていない。それだけ、家族の絆とか、人との関係とかいう恥ずかしくて青臭い問題は、根強く、難しいものなのだ。だけどとりあえずはこれでいいんじゃないかとも思う。
 ナウなヤングが、とりあえずとは言えストレスの吐け口を見つけることができたのだから。
「あ……雪……」
 エリカの声に思考の海から引き戻されたヒロムは、彼女を真似て空を見上げる。先程まで見えていたオリオン座にはうっすらと雲がかかり、そこから一ミリくらいのささやかな白雪がちらちらと舞いおりてきていた。

今年は、ホワイトクリスマスとなったのだった。


                       


                                                了





2011/12/25(Sun)23:34:40 公開 / ピンク色伯爵
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■作者からのメッセージ
時間的に滑り込みセーフ! なのだろうか。読んでいただきありがとうございました。

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等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。