-
『脱ッ!(前編)』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:ピンク色伯爵
-
あらすじ・作品紹介
知らなかった。世の中はこんなにも露出狂であふれているなんて。夜の帳がおりた街、そこでは闇にまぎれて狂い踊る露出狂たちのキングダムが形成されていた。今まで知りえなかった世界。大いなる脅威。そして禁断の快感。何もかもに翻弄されながら、俺はゆっくりと夜の世界に沈み込んでゆく。 ……一つだけ言っておきたい。俺は別に変態じゃない。いたってノーマルな人間だ。
123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
脱ッ!
プロローグ
「ハァッ……! ァ、アァッ! ンハアッ!」
荒い息を繰り返しながら身をよじる。何とかして、目と鼻の先で作動しているカメラの視界から抜け出したかった。
「ンウウ……、フグオッ! ンンッ!」
助けを呼ぼうにも、口にはさるぐつわを噛まされていて思うように声が出せない。おまけにここは夜の公園だ。辺りは森閑としていて人が通りすがる気配はまるでなかった。
今の俺の状況。全裸。さるぐつわ。そしてベンチに赤いひもで縛りつけられている。赤いひもとかまるでSMプレイに使う奴みたいである。まあ――実際、SMプレイされてるんだけど。
ていうか、誰でもいいから俺を助けてくれ!
「ははははははは! 素晴らしい! 素晴らしい体だよ! 高倉シン!」
高揚した声が俺の頭上に響く。
眼鏡、黒いコート。そしてコートの下からのぞくすね毛の生えた生足。
夜の公園を散歩中の俺を捕らえ、このような筆舌に尽くしがたい辱めを与えてきた元凶を、俺は呪い殺さんばかりに睨みつけた。何とか男の顔を見ようと頑張るのだが、公園に設置されている外灯の逆光のせいで顔の判別どころか、コートの下の体型すら推測するのが難しい。
悔しいが相手は俺より一枚も二枚も上手みたいだ。俺を捕らえてから一瞬で俺の身ぐるみを剥いで、ベンチに拘束。しかもその間俺に正体をほとんど悟らせていない。ハリウッド映画に出てくる特殊な訓練を積んだ敵役みたいに狡猾な奴である。
「ふがッ! フガアッ!」
「ふふふふふ。こんなものか」
しばらくすると、男はそう呟いてビデオカメラをさげた。必要な録画が終わったのか、コートの中にカメラをしまう。
その時俺は、男の胸元から漏れ出る胸毛を見逃さなかった。最初から薄々感じていたけれど、こいつやっぱりコートの下は一枚も服を身に付けていない!
「ははははは! どうした? 我が美しき筋肉に見惚れたかい? 高倉シン」
「ふごッ! ふごぉぉぉぉぉ!」
……こいつ。さっきから俺の名前を連呼してやがるけど、なんで名前知ってんだ? 俺に露出狂の知り合いなんていないぞ!
「ふむ。何を言っているのか分からないな」
「ふごっ! ふほおおおお!」
男は俺に近寄ると、俺に噛ませていたさるぐつわをするりと外した。瞬間、俺は大声で助けを呼ぼうとしたが、コートの露出狂は素早く手を突き出し、
「ああ、叫ぶのは一向に構わないが、その場合、君は多大なる損をすることになる」
「……なんだって?」
俺は男を睨む。男は余裕綽々といった調子で続ける。
「分かるだろう? 騒ぎを聞きつけてやってきた付近の住民に、君は全裸でベンチに縛り付けられている姿をさらすことになる。いいのかね? それこそ酷い羞恥プレイだと思うが。夜の公園に虚しくも身ぐるみを剥がされ放置プレイされた高校生男子が一人。周囲から同情を得ることもあろうが、それ以上に情けない男として失笑されるのではないかね? ん?」
「…………ッ! ……俺にこんなことして、何のつもりだよ!」
噛みつくように言う俺。男は口の端を釣り上げた。
「君にとある依頼をしたいのだ。交換条件として、達成の暁にはこのビデオのデータを抹消しよう」
「……依頼だって?」
俺は眉根をひそめた。
「そうだ。もし受ける気があるのなら、明日、この場所へ午前零時に来い。一人でだ。警察に連絡しても、交渉は決裂したものと考える」
「ふざけんなッ! こんなことされて交換条件だ? 依頼だ? 人に頼みごとがあるならもっとまともに頼めよ! 誰がお前の言うことなんか聞くか! ばーか、ばーか」
「断ったなら、この動画をネットにばら撒く。君の名前と住所付きでね」
「なっ! ちょ、おい馬鹿止めろ! なんつう鬼畜なことを」
「この動画を見たお前の知り合いは、同情よりも先にお前の性癖を疑うことだろうな。お前はこのように縛られて豚のように『んおほぉっぉぉおおお!』と泣き叫ぶ変態と認知されることだろう」
「う、うおぉぉぉぉぉぉ!」
「そしてお前の不幸はそれだけに留まらない。お前の預かり知らぬところで、この動画は全国のゲイ諸君のおいしいおかずとなるのだ! 縛られて悶え苦しむお前を、かような者達がいきり立ったバナナを慰めるために使い、お前は彼らの想像の中で初めてを失うのだッ!」
「ぐ、ぐおおおお! や、止めろォォォォッ! 止めてくれえええ! そんなことされたら俺死んじゃうからぁぁぁぁッ!」
悶える俺。ていうか冗談じゃないぞ! こんな変態動画を○コ○コ動画とかにアップされたら、俺マジで公開処刑安定じゃねえか! もう結婚できないとか以前に表を歩けなくなるから!
「一晩良く考えて、覚悟を決めてくれ。この依頼は生半可な気持ちで臨むものではないのだからね」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
野郎ッ! あとちょっとでもこっちに近づいてきたら噛みついてやるからなッ!
「ふはははは! では私はこれで失礼する。高倉シン君、良い夜を。アデュー」
必要なことをしゃべり終えたら、もう後は用は無いとばかりに男は俺に背を向ける。俺は慌てた。
「ちょ、おい待てよ! 俺を縛りつけたままどっか行く気か!? 冗談じゃない! こんなところでこんな格好でいたら、俺間違いなく通報されるから! 消えるなら、この縄ほどいてからにしてくれ! あと俺の服を返せッ!」
「ふふふ。実は興奮しているくせに何を言う」
「してねえよ! 俺は露出狂じゃねえ!」
「ふはははは! 心配せずともしばらくもがいていれば縄はほどけるはずさ。それまでせいぜい頑張ってもがきたまえ!」
「こんの……鬼畜野郎ッ!」
「何とでも。それでは、明日ここでまた会えることを祈っているよ。ああ、明日までそこで縛られていたなら、さすがにかわいそうだから縄をほどいてあげるよ。もしものときも安心したまえ」
「その前に通報されるよ! いいからほどけって! あ、ちょっと、おい! 何マントひるがえしてカッコよく暗がりにダイブしてんだよ! 忍者みたいでかっこいいけど、この縄ほどいていけってば! おい! おいってば! おいぃぃぃぃぃぃ!!!!」
俺は絶叫した。もしかしたらこの絶叫で付近の住民が目を覚ましてしまったかもしれないが、そんなことに気が回るほど今の俺は冷静じゃない。だって裸で縛り付けられて、しかもここ公園なんだぞ! マジでやばいって!
「くそ……! 野郎、マジで放置して消えやがった。うう……」
多分マンガやゲームなんかじゃ、ここで主人公が「だから、縄ほどいていけって言ってんだろー!」とか絶叫して、翌日とかに時系列がぶっ飛んで、昨日は酷かったとかのモノローグ兼スーパー賢者タイムに入って終わりなんだろうが、あいにくそんな風に都合よく場面は切りかわってくれない。俺は十月の夜風に身をさらされ、しかも昨日あまり寝てなかったせいで睡魔に襲われながら、体を縛る縄と格闘するはめになった。
「くっそ……! あの変態露出狂。このひも全然ほどけねえじゃねえか! 固すぎる!」
悪態をつきながら身をよじるも、縄はびくともしない。思い付きで、歯で噛みちぎってみようと試してみたが、奥歯が欠けそうになったので断念した。
駄目だ。ほどけない。この縄の拘束から抜け出せない。おまけに体力を消耗しすぎていよいよ眠くなってきたし。
「こんなところで寝るとか馬鹿か俺……! 縄に縛られながら寝るとか変態だし、寝ちゃったら最後こんな格好で朝勃ちしてんのジョギングのおじいさんに見つかって即終了じゃねえか!」
くそ……! 今から昨日の俺の部屋に行って、徹夜でゲームしていた俺に喝を入れてやりたい。ついでに人気のない公園には絶対に近づくなと忠告もしてやりたい。
駄目だ。拘束は外れない。
外れる気配も無い。
これは――朝になれば人に見つかる。
……なら、ここでみっともなくもがいているのはすごく無駄なことなんじゃないだろーか、と思えなくもなってきたぞ。すごくまずい状況だぞ。でも俺の心はいよいよぽっきり折れちゃうんじゃないかと思うんだぞ。
「こんな姿になったのは俺のせいじゃない。俺が変態なんじゃなく、あの野郎が頭おかしいんだ。それを説明したら、俺は、きっと、白い目では見られない……ッ!」
かすれた声で、社会という目には見えない大いなる集合体に対して弁明を始める俺。自分でもわかるくらいに理性はほとんど吹っ飛びつつあった。
そしてそれに入れかわってどす黒い何かが俺の頭の中を支配し始める。
ああ、俺は変態なのか。なんか変態でいい気がしてきた。多分良くないんだろうけど、今の俺には不思議と心の平安が訪れている。すごく哲学的な気分だ。露出行為のコスモを見た感じ。服を脱ぐってことは、宇宙の歴史においてビッグバンと同じくらい気持ちいいことなんじゃないかって思うんだよ。人間は誰しも生まれたときはすっぽんぽんなんだよ。だから服を着る方がおかしいとか思っちゃうわけなんだよ。やばいもう意味分かんねえよ。
「親父、母さん。すまない。あんた達の息子は、どうやらここまでみたいだぜ……。はは、思えばいい人生だった」
最後の理性で海外出張中の両親に頭を下げる。
そしてついに脳裏によぎる走馬灯。今宵、ここで目を閉じた俺は、(社会的に)もう二度と目を覚ますことはないだろう。俺の命運もここまでということか。東方の空が淡く白み出し、カラスが俺を馬鹿にするようにベンチの周りに集まってカアカア鳴いている。
ばいばい、今までのソーシャルステータス。そしてこんにちは、新しきレッテル、変態。
俺は涙とともに胸の内でそう呟くと、静かに目を閉じた。
俺の意識はかすれていき――やがて完全に暗転した。
「……。綺麗な体……」
夢の中で。
俺はすごくいい匂いのする誰かに、胸元を撫でられるのを感じた。
触れた手はちょっと冷たくて、だけど、とてもすべすべで。そしてすごく優しかった。
まどろみの中、誰かがもう一度呟く。
「綺麗な体……」
第一章
翌日目覚めた俺は、草の上に転がっていた。目には瞼を閉じてなお刺激の強い陽光。日はもうだいぶん高いようだ。
「……はっ!?」
一瞬にして昨夜の出来事を思い出した俺は、ガバッと勢いよく芝生から身を起こした。
場所は、当たり前だが、昨夜と変わらず公園。しかも芝生の上で、ご近所のちびっこたちが、甲高い声をあげて走り回っている。
って芝生?
俺はバッと後ろを振り向く。
芝生、その向こうに遊歩道。その向こうに林。林と遊歩道の境目には、どこかで見たことのあるベンチが置いてあって、おばさん達がそこに座って談笑している。
俺は芝生の上で、子供たちが駆け回るど真ん中で、ぽつねんと取り残されたように座り込んでいた。
なんで? おかしいよな? だって俺、昨日あのベンチに縛られてたんだもん。変態なんだもん。あ、いや、変態じゃないけど、あんな格好で見つかったら変態なわけで。
「……なんで、俺、服着てんだ?」
俺の体には、公立花田高校のブレザーとネクタイ。もちろんズボンも履いていれば、ベルトもしめている。
まさか昨日のことは夢だったのか?
首をかしげる俺。しかし、そんな淡い期待をさっくりと否定するかのように、俺の手には赤いひもが握られていた。にっくき昨日の拘束具だ。コイツのせいで俺は社会的な死をも覚悟した。
やっぱり夢じゃない。俺は不名誉な動画を撮られ、現在進行形で危機的状況のただなかにある。
通報は……されてないよな。だって服着てるし。ああ、こんな時間に授業のあるはずの高校生がこんなところにいたら学校に通報がいくかもしんないけど……。
「とりあえず、助かった、のか……? ひゃ……、ひゃっほーい!」
万歳する俺を、ちびっこたちは不思議そうに見つめてくる。
あ、向こうのベンチの奥様が俺に怪訝な視線を送ってる。
とりあえず、ここから退散したほうがいいか……。
それにしても、俺は確かに裸だったはずだ。それは間違いない。
ということは、誰かが俺の縄をほどいて、服を着せてくれたのか?
……で、この場合、そんな酔狂なことするのは、やっぱり俺を縛ったあの露出狂くらいなもんなんだろうな。
あれ? じゃああいつって、結構いい奴?
なわけないよな。
× × ×
夜、指定の場所に行くべきかどうかは、今までの十六年間の人生で間違いなく最難関クラスの問題だった。
金銭の支払いを求められるとか、さらなるインモラルな動画のモデルをやらされるとか、そういう展開になるのならとにかく警察に直行すべきだ。そこに議論の余地はない。
どうせ警察に駆け込むのなら、今から駆けこんだ方が良いのではないかとも思う。
だけど、今の状態で警察に駆け込んでも、証拠は百均で売ってそうな縄くらいで、多分話しにならないとかで門前払いされるんじゃないかとも思うわけで。
試しに、学校のダチにメールで、『昨日黒いコートの露出狂に脱がされて縛られたうえでビデオ撮られた』と送ったら、『つまり、今日は学校サボるってことだな』とてんで論点の外れた回答が返ってきた。『本当なんだって』となおも食い下がったら、『じゃあ、男の特徴は?』『……分かんねえ』『妄想乙wwww』それでメールは終了した。まるで信じてもらえなかった。
これはやはり警察に行っても同じような扱いを受けるだけだろうと踏んだ俺は、一旦は男の誘いに乗ってみることにした。
マンガ喫茶に入って時間を潰し、指定の時間が来るのを待つ。
ベル○ルクを三十巻くらいまで読み終えた頃、携帯にセットしたアラームが鳴った。午後十一時半。俺は再びあの公園に足を向ける。……一回目は背後から襲われて、まんまと押さえつけられたが、次はそうはいかない。近づいて、顔さえ確認すれば、それで即通報だ。隙があれば携帯で撮影。そこまでやってしまえば確実にチェックメイト。こっちの勝ちだ。
俺は仕事前のヒットマンみたく剣呑な雰囲気を漂わせながら、指定の公園へと急いだ。
× × ×
で、公園の、例のベンチの辺りまで行ってみると、そこには先客がいた。
一瞬、「奴か!?」とめちゃくちゃ焦ったが、近づいて人影が長い髪にスカートという格好をしていることに気がついて、俺は息を吐いた。
そのあと、人影が誰か分かって、俺はちょっと顔をしかめる。
先客の正体は高倉ナナカ。
長い黒髪。日本人形みたく切りそろえられた前髪。上質な絵筆を横にすっと滑らせたみたいな眉。ちょっと吊り目がちな目。つんと高い鼻に、きりっと結ばれた唇。容姿端麗と言っても過言じゃないだろう。
加えて成績優秀、運動神経抜群、一年にも関わらず生徒会メンバー、クラスメイトからも先生からも信頼が厚いという超人。お前本当に俺と同じ歳月生きて来たのかよ、十数年でここまで差が出るって不公平だぞって突っ込みたくなる御仁である。
……そして、俺の名前が高倉シンだってことから容易に想像がつくと思うが、一応俺の血縁。いとこになる。俺の親父には兄貴がいて、ナナカはその娘さんなのだ。
伯父さんと親父はすこぶる仲が悪い。というのも、高倉建設をともに支えていこうって誓い合った矢先、親父がそれを土壇場で反故にしたからだ。全くもって最低である。話しを最初に聞いた時は俺でさえ呆れて声が出なかったくらいだ。それがあの厳格な伯父さんのことだから、親父に裏切られた時の怒りは半端なかっただろう。実際、今はほぼ絶縁状態である。
伯父さんはいい加減な親父に腹を立てているわけで。何年か前の集まりでは、玄関先で「顔も見たくない!」って追い返されたわけで。そんな伯父さんの怒りが、ほとんど執念みたいな感じで、ナナカにも取り憑いているわけで。まあ、だから、ナナカは俺に対しては『そういう』態度を取って来るわけで。俺としても、いい気がしないから、自然と向こうのことが鬱陶しく思えてしまうわけで……。
いけない。ちょっと暗い雰囲気になっちまったぜ。
とにかく、ここは平然と彼女に挨拶だ。俺は手をあげて口を開きかけたが、その前にナナカは俺の接近に気がついた。
「……。なんですか? なんで貴方がここにいるんですか?」
卵型の顔をこちらに向け、ゴキブリでも見たかのように思いっきり顔をしかめるナナカ。駄目だ。やっぱりこいつうざい。
「……別にどうだっていいだろ。お前こそなんでこんなとこにいんだよ。もう十二時だぞ。不良学生め」
「それを貴方が言うかしら。貴方だってこんな時間に出歩いているわけだし。だいたい学校にも来ずにふらふらしているような人間に、してもらう説教なんてありませんから」
「何だと?」
「あら? 怒りました? なら怒りにまかせてとっととどこかへ行っちゃって下さい。ここにいられると迷惑です」
さらりと長い黒髪を後ろに払って、ナナカは三白眼を向けてくる。俺はムッと顔をしかめた。
「そりゃできない。俺、ここで人を待っているんだ」
人っつっても、人に分類しちゃいけない変態だがな。
俺がそう言うと、ナナカはすっと目を細くした。「まさか、貴方……」
「ようこそ、諸君! と言っても悩める少年少女が二人きりだけどね」
ナナカが何か言おうとした時、大きな声が公園に響いた。声のした方を見ると、外灯の上に黒いコートを着た変態の姿があった。
「あ、おいっ、露出狂! てめえ昨日はよくもやりやがったな! おかげでもう少しで社会的に死ぬところだったんだからな!」
「私は露出狂ではなく露出魔だ! あと虚数のマギウスという立派な名前もある!」
露出狂――マギウスが変なところで憤慨する。こっちの弾劾は馬耳東風である。
ていうか、何でキレてんのか分かんねえよ。露出狂も露出魔も変わらんだろ。
「さて、ここへ来たということは、君たち、もう覚悟は決まっているのだろうね。私の依頼を受けるという覚悟をね」
外灯の上でふんぞり返るマギウス。
こいついきなり本題に入りやがったな。
……て、あれ? 君たちってさっき言った? 君たちって、俺と……ナナカ!?
俺は思わずナナカの方を見てしまう。
おいおいおいおいおい! ってことは何か? マギウスはナナカの衣服も剥ぎ取って緊縛したうえ、録画したっていうのか!? ナナカと言えど、一応女だし、性格はアレだけど、一応美少女に分類されるんだぞ!? けしからんもっとやれじゃなくてその録画二万円で売って下さい、でもなくて、えええええ!? マジかよ! 何やってんだよ露出狂、いよいよ犯罪だぞそれ!
俺の妄想を断ち切るかのように、ザッとナナカが足を一歩前に踏み出す。
「その依頼とやらを完遂すれば、生徒会長を辱めた動画を手放すと言うのですね?」
……あ、そういうこと。落胆する俺。幻想はあえなく砕け散った。ちなみに生徒会長は、人格者だけど、胃痛持ちでしょっちゅう顔色を悪くしているもやしみたいな男である。やっぱりマギウスはそっち系の趣味なんだろうな。
マギウスは逆光のなか、ふふふふふと低く笑った。
「ああ、もちろんだ。露出魔に二言はない。もしかして、疑っているのかな?」
「当然です。おわかりかとは思いますが、依頼完遂後も貴方が義務を履行しないというのなら、そのまま即通報しますよ。あと、依頼が金銭絡みや公序良俗に著しく反するような内容であった場合も同様とします。生徒会長は――どうしてもネットに動画を流されたくないようですが、多少の痛みを伴わなければ、根本的には解決しない。幸い、私は部外者ですので、ためらいもなく荒療治することが可能です」
ナナカが何やら小難しいことを言っているが、内容はほとんど俺の考え方と同じだ。要するに、一応話は聞いてやるが、事と次第によっちゃ警察に通報するってこと。彼女と俺との違いは、マギウスに弱みを握られているかいないかで、ナナカは臆することなく警察にチクることができるわけだ。それを最大限に押し出して、彼女は逆にマギウスを脅しているのである。
ナナカはマジで敵に回したくないタイプだな。内心で俺はくわばらくわばらと冷や汗を流すのだった。……といっても、俺とコイツはもうほとんど敵同士みたいな関係だけどな。
マギウスはからからと満足そうに笑った。
「素晴らしい気骨だ。やはり君を指名してよかったよ、高倉ナナカ。君ならこの難しい事件も必ず解決してみせてくれることだろう。さて、依頼の内容だが、心配には及ばない。むしろ世の中のためになることだよ」
マギウスは続ける。
「実は最近、この花田市に正体不明の露出狂集団がはびこっているんだ。こいつらの素性を特定し、可能なら捕まえてほしい」
「あのー、それって、あんたのことなんじゃないの?」
俺が尋ねると、マギウスは「失敬な」とやはり憤慨した様子で返す。
「私たちは節度を守って楽しい露出行為にふけっている。奴らとは違う」
どう違うんだよ。同じだろうが変態。
「我々露出魔は人前で無差別に露出行為に及ぶことは無いのだ。誰にも迷惑をかけることなく、ただ己のサティスファクションのみを求め続ける。対して、露出狂は人前で平気で露出行為に及び、人に迷惑をかけてでも己の満足を得ようとする」
「よく分かんないな!」
「……露出狂の情報を探って、貴方に渡せばいいんですね? それで、可能なら捕まえろと」
ナナカが冷ややかに割り込んでくる。
「その通り! さすが話が早い!」
ナナカは何かに気がついたように目を細める。
「ご自分で警察に連絡されてはどうですか? その方が私たちに頼むよりずっと確実です」
「まさか。不審人物として私まで逮捕されてしまう」
「なるほど、話しは分かりました」
「え? おい、話しは分かったって、ちょっと待てよ! つまりどういう依頼か、俺は全然分かんねえし、納得もしてねえからな!」
俺が割り込むと、ナナカは心底馬鹿にしたような目つきで俺を一瞥してきた「まだ分からないの、ウスノロ」と視線がありありと語っている。
「つまり、このミッションは、警察が大々的に動き出す前に君たちで露出狂事件を解決するというのが達成条件になるわけだよ」
マギウスが説明する。
「自分たちの狩り場を、その露出狂集団が荒らしているから、早く止めさせてほしいって話しですよね? 露出狂の被害が拡大するにつれ、警察は大きく胎動し始める。そうしたら最後、『節度ある』露出行為をしている者達も、警察の犠牲になりかねない。そうなる前に、露出狂達を捕まえるなり、無差別な露出行為をやめるように説得するなりしないといけない」
ナナカが補足する。
「その通り! 素晴らしい!」
「そう言うことだったのかよ! つうか、そんな依頼俺まっぴらごめんだぞ! 面倒くさい!」
「ええ、そうね。それに相手は頭のネジの飛んだ露出狂。危険だわ。そんなことを高校生にやらせようなんてね」
マギウスに冷たい視線を向けるナナカ。マギウスは涼やかな笑い声でそれを受け流す。
「高校生が一番扱いやすくて、なおかつある程度の実行力があるからね。それで、依頼は受けてくれるのかね?」
「私の身の安全はどのくらい保証されるのでしょうか?」
ナナカが質問で答える。
「我々が影から君たちを見守っている。それに向こうも所詮は露出狂。運が悪ければ彼らの汚れたブツを目にするくらいだろう。問題はない」
「……下品。無遠慮。最低」
ナナカは憮然とした顔で呟いた。俺は口を閉じた彼女に代わって口を開く。
「あの、俺、やりたくないんだけど。昨日俺に恥をかかせたこと、忘れてないんだからな! あんな仕打ちを受けたうえで、お前らの勝手に付き合ってられるかよ」
「なら、さっくり断って、警察に通報したらどうですか?」
ナナカがまた馬鹿にしたような視線を向けてくる。「代償として、貴方の恥ずかしい動画がグローバル配信されることになりますけどね。私としては僥倖だけど」
ああ、そうか。そうした場合、ナナカの一人勝ちなるのか。ナナカは何もせずに傍観。俺は通報して、露出狂達を追いつめる。マギウスは、俺の動画を配信。プラスマイナスで言えば、俺マイナス一〇〇、マギウスマイナス五〇、ナナカプラス一五〇ってとこだろうな。だって黙って見てるだけでうざったい奴が二体同時に相打ちになって、かつ生徒会長を見事に救うことになるんだからな。追いつめられたマギウスが会長の動画も配信しちゃうかもだから、会長の安否は不明だけど。
俺はナナカの一言に以上の思考を巡らせ――ようやく冷静になってきた。
あれこれ利害に関して議論の余地はあるだろうけど、悲しいことに外灯の上でふんぞり返っている変態にビデオ撮られた時点で、俺に選択権なんてほとんどない。
受けるしかない。
しかし、俺はそれだけでは終わらない! オールウェイズポジティブシンキング。依頼達成したあとビデオを処分させ――そのあとに、改めて警察に通報してやろうじゃないか! くくくくく! ははははは!
「……わかったよ、引き受ける……」
俺が万感を込めて頷く。今に見てやがれよッ! きっついカウンターお見舞いしてやるぜ!
マギウスはポンと手を打つ。
「決まりだな! さてさて諸君! 健闘を祈っているよ!」
「ええ。……依頼を完遂したら、次は貴方の番ですから、覚えておいて下さい。貴方のしたことは立派な犯罪なんですから」
ナナカがさらりと不穏なことを口にする。
「ふはははは! 本当に活きの良いお嬢さんだ! これは本当に期待できそうだ! ではさらばだ! ……とその前にコイツを渡しておく」
マギウスは、ハンカチを使って取り出した携帯電話を、俺に放ってよこした。受け取った俺は渡された携帯を検める。かなり昔のやつだ。p703系? 必要最低限の機能のついた薄型携帯で、当時ブームになった奴。電話帳には、一件、『まぎうす』と銘打たれたメールアドレスが入っている。
「必要になればそこにメールしたまえ。私はこれでも忙しい身の上ゆえ、素早いレスポンスは出来んだろうがね。では、今度こそさらばだお二人さん!」
マギウスはそう言うと、背後の林の中に後ろ向きにダイブして消えていった。体操選手みたいに身軽な奴だな。
あ! そう言えば、あいつのシャメ撮ろうと思ってたのに、すっかり忘れてた! ミスったな……。
辺りから完全に奴の気配が消えると、ナナカは無言で踵を返した。
「あ、おい。ちょっと待てよ」
「なんですか?」
俺の呼びかけにナナカは振り返る。
「露出狂の情報集め、二人でやった方が効率的じゃないか? 呉越同舟とか言うし、ここは協力して――」
「貴方の力なんか、必要ありません」
即答だった。ある程度予想はしていたけど、俺はカチーンときたね。
「ああ、そうかよ」
俺は短くそう言うとナナカに背を向ける。ナナカももう用は無いと言わんばかりに足早に去っていった。
ほんと、なんでこんなに腹が立つんだろうな。ここまで相性の悪い相手もなかなかいないぜ? ……これでも昔は一緒に遊んだりもしていたんだけどな。一緒に協力して暴政をしいていた街のガキ大将を懲らしめたり、道具を持ち寄って秘密基地とか作っていた。だけど今じゃ同じ場所にいるだけでしょっちゅう衝突。取りつく島も無い。
俺はナナカが消えていった遊歩道を見やる。
「俺だって、お前の力なんか要らねえ、よっ!」
近くに転がっていたジュースの缶を蹴りあげる。缶は宙で大きく放物線を描くと、公園の隅の屑かごに高い音を立てておさまった。
そうしたら少しだけ気分が良くなった。
俺って単純だよな。
× × ×
翌日、学校へ登校した俺は、昇降口でナナカが同学年の女子に聞きこみをしているのを見つけた。
喧嘩した昨日の今日で、朝っぱらから胸くその悪くなった俺は決してナナカの方に視線がいかないように徹底的に顔をそむけながら上履きに履き替える。……同時に、内心あいつの行動力に舌を巻いていた。なんだよ、昨日はいやいやって感じだったのに、やる気満々じゃねえか。
適当に聞きこみ調査して、適当な情報をマギウスに渡して終わりにしようとか思っていた俺の思惑が怪しくなってきた。昨日の話を総合して考えると、マギウスも警察に通報されるのは嫌がっている様子だ。だから依頼達成後は、大人しく動画を削除してくれるだろう。抑止力って奴は行使しない限りは絶大な力を持つって話だ。
ある程度の水準の情報を持っていけば、それで依頼達成扱いにしてくれるはず……だったのだが、ナナカがああも頑張っているものだから、相対的に俺の情報がヘボいものになっちゃうわけで。つまり俺もちょっと頑張らないと、貢献度がかなり減っちゃって、ともすればサボってたと烙印を押されかねないわけで。ほんと、マジやめてほしい。
まあ、うじうじしてても仕方ないし、やるしかないんだけどな。
それで、俺は適当にそこらの男連中に「露出狂が出たって話し、知らね?」と訊いてみたのだが、回答は全部白。本当に露出狂なんているのかとか思えるほど、みんな異口同音に「露出狂なんてこの街にいるの?」と逆に聞いてきた。
多分訊いた相手が悪かったんだろうな。普通考えたら男を狙う露出狂とかありないもん、マギウス以外。
となると、やっぱり訊くのは女性だろう。そう思って、そこら辺の女子を捕まえて、「この辺りで露出狂に出会ったことある? もしあったら、そのときの状況を詳しく教えて」と訊いたら、変な目で見られた。
……どうすりゃいいんだよ。
「調べたけど何も分かりませんでした、じゃ駄目なのかね。駄目なんだろうなあ……」
昼休み、一人中庭で総菜パンを咀嚼しながら呟く。
つうか、俺必要無くね? 全部ナナカに任せてりゃ、それでいいだろ。あの露出狂もなんでわざわざ俺なんかに頼んだんだよ。人選ミスにも程があるぞ。
俺は不貞腐れてコーヒー牛乳をじゅーと音を立てて吸った。
と、その音に紛れて、脇に置いていた携帯からバイブ音がした。携帯は昨日マギウスから貰った方ね。したがってメールの送り手はあいつ以外ありえない。俺は舌打ちしたあと、のろのろと携帯を手に取った。
『苦戦しているようだね。もしお手上げなら、湖水の精霊を訪ねてみなよ。頼んでみたら、もしかしたら手を貸してくれるかもしれないよ』
「湖水の精霊?」
誰それ? まあ、多分露出狂なんだろうけどな。だってネーミングセンスが虚数のマギウスと同じなんだもん。きっと仲間に違いない。
ところで、何で俺が苦戦しているって分かったんだ? ……もしかして、あいつどこかで俺を監視しているのか?
俺は反射的に中庭を囲む校舎の窓に目を走らせた。
……駄目だ。窓に映る人影があまりに多すぎて、とてもじゃないけどマギウスを特定しきれない。俺はため息をついて、携帯の文面に目を戻す。もしかして反対から読むと意味の通る文になるのでは? とか思ったが、当然のように意味の通らない文章になった。
やっぱり素直に読んで湖水の精霊って奴に会えば、八方ふさがりから抜け出せるってことなのか?
俺は自分のスマホを取り出して、湖水の精霊で検索をかけた。すると、結構ヒットする。ウィッキとか、ゲームの攻略ページをすっ飛ばしてスクロールしていくと、やがて興味深いサイトに行きついた。
花田市都市伝説研究会。
暇な奴もいるんだな。うちの街の民間伝承その他を調べたって感じか。俺はサイトの中で、湖水の精霊の項を発見し、そこに書かれた文面に目を走らせる。
ふむ。要約すると、夜中に、花田池(公園の横らへんにあるでっかい池だ)の水際に行くと、水の精霊に出会えるというものだ。精霊に出会えた者は、幸せになれるとかなんとか。なんかすげえチープだな。
しかし、無視はできない。多分だが、この都市伝説のもとになった露出狂がいるんじゃないだろうか。おそらく、湖水の精霊とは、花田池一帯を自分の縄張りにしている露出狂の通り名のことで、マギウスはこいつに助けを求めれば、もしかしたら助けてくれるかもしれなくて、もしかしたら事件解決に役に立ってくれるかもしれないと言っているのではないか。
行ってみる価値は、ある。
俺は、湖水の精霊の出会い方という項に目をやる。
『湖水の精霊に出会うには海パン一丁になる必要があります。あとは運次第』
……何で? 何故に海パン?
意味は分からんが……湖水の精霊が露出狂だとしたら、類は友を呼ぶ、みたいな? うん、意味分かんね。
俺が固まっていると、再度携帯が震えた。もちろんマギウスからである。
『追伸、海水パンツかそれに準じるもので行くこと。裸ならなお良し』
× × ×
「そ・お・さ☆ 恐れないーで、みーんなのためにっ。あ・い・と☆ 勇気だけーが、とーもだーちさー!」
憂鬱な気分なんて吹き飛ばして、国民的アニメのオープニング曲(うろ覚え)を宴会芸風に歌う。何故って? そういう気分だからさ! 風呂場で歌うのと同じ心境。不思議なリラックス感が俺に歌を歌わせているのだ。
時は午前三時。
場所は公園裏花田池。
その水際に立って、俺はアンパンマソのテーマソングを歌い続ける。
池は、花田山からの湧水が公園の中の林を通ってきた養分たっぷりの冷たい水で満ち満ちている。満月の夜。明るく照らされた花田池。風に木の葉を揺らす池の周囲を囲む木々たち。水面に月が映り、風が水面を波立たせる。すると水に浮かぶ満月は震えるようにその形を歪ませた。ザアア、と秋風が水面を渡り、俺の髪を後ろになびかせる……。
やばい。めっちゃ風流。
何ここ? こんな綺麗なスポットあったの? 身近すぎて今まで全然気がつかなかったぞ! 俺はしばしの間眼前の光景に魂を抜かれていた。
「……っと。目的を忘れちゃいかんな」
テーマソングを歌うのを止めた俺は、そろそろと服を脱ぎ始めた。さすがに裸は無理なので、ズボンの下には海パンを装着してきていた。絶景を前に、一枚ずつ衣服を剥がしていく。
「あふぅっ」
ズボンのベルトをシュルリと外した瞬間、俺の唇からそんな吐息にも似た音が漏れ出た。出そうと思って出した声じゃない。自然に出てきたのだ。まだズボンは脱いでいないと言うのに、ベルトがとれてしまったことだけで俺は、こんなみっともない声を出しちまったのか? おいおい、どうしちまったんだ、俺!
「うう……ぅ……」
ズボンを下ろす。風がトランクスの隙間から入り込んできて俺の股間を換気してくれる。思わず身震いしてしまいそうな感覚。いや、本当に身震いしてしまった。寒いわけでもないのに!
ワイシャツ一枚。俺はバクバクと鼓動を繰りかす旨に指を走らせる。そして、ボタンに手をかけた。
「あああっ!」
思わず奇声をあげてしまう! どこまでも清純で、どこまでも淫靡な快感が、俺の全身を毒が駆け巡るかのように響き渡る。駄目だ。これは感じちゃいけない類の快感だ。これ以上を危険だ。事務的に……そう、事務的に服を脱ぐことだけに集中するんだ。じゃないと、本当に俺は変態になってしまう!
「うああああっっ」
…………。
「ふう……やばいなあ」
悪戦苦闘の末、ついに海パン一丁になった俺は、ぐるりと池を見回した。
それにしても、ものすごい解放感である。何て言うの? 自然と一体になる感じ? 冷たい風が俺の肌を撫でる度に、鞍馬山で修業をする源義経よろしく跳びはねたくなってくるぜ。
「うおおおお、ムーンライトパワァァァァー!!」
アホなことを叫んでいると、俺の右横から、ちゃぷんという控え目に水を蹴る音が聞こえてきた。
こんだけ月が綺麗なんだ。魚も跳びはねたくなるよな! 俺は無造作に背後を振り返り――。
――言葉を失った。
精霊。
湖水の精霊。
振り返った先には、この世のものとは思えないくらいの美少女が立っていた。
肩までの黒髪が月光に濡れて白銀に光っている。白磁のような肌は白い光を反射して自らが淡く光り輝いているよう。整ったプロポーション。体から伝わる印象は、脂肪の塊なんてものじゃなく、しなやかな筋肉を思わせるものだ。
柔和な瞳。すらりと通った鼻筋。桜色の唇は、やはり月光を反射して白桃色に艶めいている。
なんだか詩人みたく回りくどい表現しか頭に浮かんでこないが、敢えて簡潔に語ろう。
俺の正面には、裸の美少女が、怜悧な表情を浮かべて立っていた。
月つながりで、かぐや姫かと思った。
美少女は、
「…………」
ぱしゃ、と水際の地面を蹴ると、俺の横を一陣の風のように吹き抜けていった。
「あ、待っ――」
俺が声を上げて呼び止めようと振り返った時には、もう彼女は無造作に脱ぎ捨ててあった黒いコートを羽織り、林の中へと飛び込んでいた。
「――てくれ……」
俺の言葉が虚しい。
何だよ、あの子。反則だろ! 可愛すぎだろ! 反則だろ!
ていうか俺ここに何しに来たんだっけ?
ここへ来た目的すらどうでも良くなってきたぜスーパー賢者タイム。ああ、これから語尾に全部スーパー賢者タイムってつけようかスーパー賢者タイム。ああ、あの子の残り香がスーパー賢者タイム。くんかくんか、どこかで嗅いだことあるような匂いだなスーパー賢者タイム。
あの子、横通り過ぎる時、ちょっと頬が桜色に染まっていたな……。ふぅ……。スーパー賢者タイム。
「……あれが、湖水の精霊……」
正直、俺湖水の精霊はむさ苦しいおっさんだと思ってたんだよね。だって、露出狂に女の子がいるわけないって先入観があったから。だから、湖水の精霊って女の子かなワクテカ、からの、実はおっさんでしたみたいなオチを予想してたんだよ。
……女の子の露出狂……ごくり。
なんか、天女の水浴びを覗いたようなすごい背徳感。惜しむらくは、彼女が両手でセクシャルなところを完全にガードしていたことくらいか。
いや、しかしあの姿はあの姿で十分おかずに使えますけどね。
キリリと紳士的な表情で頭上の月を仰ぐ俺。月光はそんな俺を優しく包んでくれていた。
× × ×
そんな少年漫画最終回みたいな雰囲気を切り裂いたのは、林の向こうから響いてきた絶叫だった。
危うく海パンからモノを取り出しかけていた俺は、自身のぞうさんの周りを防御する防風林の何本かを引っこ抜いてしまった。あまりの激痛に一瞬で我に帰る俺。
この悲鳴――女性のものだ!
さっきの美少女だろうか!?
もしかして足をくじいたとかして動けないとか!?
やっぱりコート一枚なんだよね!?
「ッ!」
俺は気がついたら、海パンのまま飛び出していた。そのまま林の中に飛び込もうとして、明かりが無いことに気がついて引き返す。まごつく手でジーンズからスマホを引っ張り出すと、その明かりを頼りに、彼女が消えていった暗い林の中へとダイブした。
草木をかき分け、走る。
……なんだ、この感覚。海パン一丁なのに、不思議と心細さを感じない。むしろ自然と一体となり、草木から無限にパワーが供給されてくるような力強い錯覚がある。俺は、走り続ける俺自身に、ジャングルの中を勇壮に駆けまわる太古の戦士の姿を重ねた。俺は一匹の獣。故にこのくらいの林は難なく走破する。景色はどんどん後ろに流れていく。
そして唐突に視界は開けた。公園の遊歩道だ。そしてここまで結局彼女には出くわさなかった。
おかしいな。確かにこっちだと思ったんだけどな……。
俺は遊歩道をきょろきょろと見渡す。どこかに人影は見えないかな、と……。
すると、俺の耳に微かに人の声が聞こえてきた。おびえたように震える女の子の声。小さいけど、微妙に悲鳴も混ざっている。
俺は息を殺すと、林の中を遊歩道に沿って走り出した。声はどんどん近くなってくる。やがて女の子の声だけでなく、男の雄叫びも聞こえだして……。
「あれは……」
サッと茂みに隠れる。
遊歩道には、尻もちをついておびえる女の子――さっきの美少女とは別人だ。服装から、花田高校の生徒だと思われる。そしてそれを囲む黒いコートの人間達。ざっと五人ってところか? 彼ら(?)は皆一様にキツネの仮面をかぶっており、顔を見ることができない。
「ホオォォォォォ! ンホオォォォォ!」
「キエ、キエエエェェェェェ!」
「ハアアアアアァァァァァ! ホアアアアアァァァァ!」
口々に奇声を上げながら、コートの前を観音開きしてリンボーダンスをするように腰を前に突き出す男たち――というか露出狂。あいつら、倒れた女の子に自分たちの裸を見せつけている!?
カゴメカゴメをする要領で変態達は女の子の周りを円を描くように跳びはねる。
「いやあ! 誰かあ!」
男たちに囲まれ、恐怖の悲鳴を上げる女の子。
「ッ!」
なんだこれ!? と、とにかく早く助けないとッ!
俺は筋肉を緊張させる。まず、手近な奴を二人殴って、あいつらがひるんだところでもう一人もっていく。そしたら何とか二対一か。
最悪、警察呼ばないといけないんだろう。まあ、状況によっては仕方が無いのか……。
俺は奇襲の成功図を脳内に素早く描ききると、膝を曲げて跳躍の姿勢をとった。待ってろよ、今助ける――、
「そこまでよッ!」
俺が飛びだそうとした瞬間だった。
凛とした声が響き渡る。
「ホオ?」「キエ?」「ハア?」と首をかしげる露出狂達に、いきなり背後から人影が襲いかかった。
遊歩道の茂みから敢然と飛び出してきたのは、なんと、ナナカだった。
ナナカは一番女の子に近寄って、肉体を見せつけていた恰幅の良い露出狂を蹴り飛ばす。ナナカの装備は、黒のスカートに黒タイツ、そして編み上げブーツ。強力装備で一撃を食らったデブは石畳の上に「ぶひぃぃぃ!」と転がった。
「蹴った! 蹴ったぞ!」
「蹴ったら痛えだろうがよォォォォッ! 子供出来なくなっちゃうだろうがよォォォォッ!」
「その前に、貴方たちでは結婚できないと思いますけど」
ナナカは氷のように冷たい蔑みきった視線を他の四人に向ける。四人はそれだけで石畳の上に転がり、「ブヒィィィィ! ありがとうございます! ありがとうございます!」と呪詛を食らったように悶え苦しみ始めた。
無様な豚と化した露出狂達をしり目に、ナナカは腰を抜かしていた女生徒を助け起こす。
「大丈夫? どこも怪我は無い?」
「は、はい……ありがと、えっと、高倉さん」
ナナカの手を握って体を起こす女の子。なんか俺、出ていくタイミング逃しちゃったな。
ナナカは安心させるように、やわらかな笑みを顔に浮かべる。
「あら? 私のこと知ってるんだ? もう大丈夫ですからね。……それと、こんな時間にうろついちゃ駄目でしょう?」
「は、はい……。ごめんなさい」
「ううん。分かってくれたらそれでいいの」
ほのぼのとした空間を作り上げる二人に視線を這わせながら、露出狂達は震える体を起こした。
「くぅぅぅ! どうせ彼氏の部屋で遊んでたらこんな時間になっちゃったとかだろ! リア充爆発しろ!」
「むしろ家まで送ってくれない彼氏とかどうなんだよォォォォッ! お前そんな奴が相手で本当にいいのかよォォォォッ!」
「あのねえ、貴方達がそれを言います? 人の彼氏がどうとか言う前に、まず自分の性癖をなおしてきたらどうなの?」
ナナカが心底呆れかえったような声を出す。
「失礼な! 我々は誠実なる快楽の求道者だ! この生き方に誇りを持っている!」
「はいはい。良いから、通報されたくなかったら、そのお面取りなさい。それで皆顔写真を撮るから」
「ふ、ふざけんな! それってつまり通報されるか、逮捕されるか選べってことじゃないか」
「そうでもないわ。顔写真はその線のスペシャリストとやらに渡す。そいつが貴方達を教育し直してくれるそうだから、大人しく社会復帰に必要な訓練受けてきなさい」
「は、はあ!? い、いやだ、止めろ!」
「ほら、良いから仮面とる!」
業を煮やしたナナカがデブに手を伸ばす。デブは体をこわばらせた。どっちが悪役かパッと見じゃ分からないな。あ、デブはコート一枚だから初見でもどっちがおかしいかは分かるか。
「く、くそ! お前何者なんだ! 俺たちの狩り場に現れて、獲物奪いやがって!」
「私? そうですね。あえていうなら正義の味方でしょうか。貴方たちみたいな女の敵を懲らしめるために生まれてきたんです」
臆面も無く言い張るナナカ。
俺はその言葉を言うナナカに、思わず小さい頃の彼女の姿を見てしまった。
そうか。あれだけ熱心に聞きこみをしていたのは、本当にこいつらみたいな露出狂が許せなかったからだったんだな。なるほど、男の俺からしてみれば、露出狂なんて放っておきゃいいみたいな反応を取りがちだけど(マギウスは逮捕されるべきだな)、女の子にとっては変態行為をして喜ぶこいつらが憎い敵なのだ。何せ自分たちが被害者になるんだからな。
そして――今のナナカは、不当な暴力をふるっていたガキ大将から小さい子を守っていたときの、かつての彼女の姿をしていた。すっかり背が伸びて、大人になってしまったけど、やっぱり中身は変わっていないってことか。
あー、なんつうか、ナナカに抱いていた嫌悪感みたいな奴がふっと融けた感じ。ほんのちょっとだけどな。へえ、ナナカも――なっちゃんもやるもんだな、みたいな?
俺となっちゃんがいれば世界は平和だ! とか言ってた時代が懐かしいな。
俺は懐かしさのあまり、このまま姿を現そうかと思った。一件落着みたいな雰囲気だし、タイミングとしても、まあ悪くないだろう。――そんな考えも、海パン一丁であることに気がついて断念した。
今の俺、赤いビキニ着けてるだけだからな。客観的に見ればそこで豚のように転がっている露出狂たちとあんま大差ない格好なんだよな。この格好で、「やるじゃないかナナカ」とか言いながら出ていったときには、俺はラスボス認定されたあとにきつい制裁を加えられることだろう。こんな格好している自分が残念に思えて仕方が無い。
と、そのとき、不意にナナカが鋭い声を上げた。
「誰!?」
……!?
「誰なの!? 隠れてないで出てきたらどうなの!? そこにいるのは分かっているのよ!」
声を張り上げるナナカ。彼女の視線はばっちり俺の隠れている茂みの方を見ているわけで。
「た、高倉さん、そこに誰かいるの?」
女子生徒が不安そうに尋ねる。ナナカは慎重に頷いた。
「ええ、さっきちょっと動いたんです、そこの木の葉っぱ」
ヤバいヤバいヤバいヤバいあybai!
大パニック! まずいまずいまずい! だって俺、今海パン一丁なんだよ!? 見つかったら変態だよ!?
ど、どどどどどうすればいいんだ!? 逃げられるか? いや無理だ。俺とナナカの距離は五メートル弱。逃げようとしたら確実に補足されて、俺だって特定される。
逃げるのは無理。なら誤魔化すしかない! で、でも何て言って誤魔化すんだ!?
いやー、近くで水浴びしてたら悲鳴が聞こえて様子を見に来たんだ。海パン一丁で。
うん、事実しか言ってないけど、俺の今の格好でそれ言っても説得力は余裕でマイナス。むしろ悪印象しか与えられない! うああああ! どうすればいいんだあー!
「そこにいるんでしょう?」
一歩、また一歩とこちらに近寄って来るナナカ。駄目だ! 終わりだあ!
こうなったら、もういっそのこと悪の帝王とかやっちゃうか? その辺の草を顔に張り付けて、「ふへへへへ! わが名は露出大魔王! はだかー! はだかぁー!」とかやっちゃう!? もう後戻りはできないよ!?
「出てきなさい」
くそッ! こうなったら!
「――ふ。ふははははははは! よくぞ気がついたな小娘!」
……え? となる俺。
ともすれば俺がドヤ顔で吐いていたであろう台詞が、俺の頭上から降って来る。
「とうッ!」
野太い声が鋭く息を吐く。俺の真上の木の枝葉の間からバッと飛びだした人影は、宙でひらりと一回転して、地面に片膝をついた格好で着地した。スタントマンみたいな身のこなしだな。
人影の正体は――全身をタイトなスーツに身を包んだ、鬼の能面をかぶった大男だった。筋骨隆々の四肢は、スーツの上に筋肉の筋が浮き出るほど。スーツの胸元は、胸筋の形が容易に見てとれるくらいに逞しく鍛え上げられている。
俺は男の背後の茂みに隠れているわけだから、男の鍛え上げられた背筋まで見てとれる。すごい筋肉だな。こいつ、SPか何かか?
「た、高倉さん……」
「貴方、誰?」
おびえる女の子をかばいながら、ナナカは能面に呼びかけた。
「我が名は宵闇のアサシン――趣味は露出行為全般」
聞いてねえよ。そしてスーツ姿から結構常識人かと思った俺が馬鹿だったよ。
石畳に四肢をつき震えていた露出狂達が「アサシンさん!」「だ、旦那あ!」と情けない声を上げる。
宵闇のアサシンと名乗った男は、じりりとナナカ達に一歩詰め寄った。
「さて。そいつらを返してもらおうか」
「……貴方、こいつらの仲間なんですね? 最近、この街を荒らしまわっている露出狂の親玉かしら?」
「ふはははははは! この馬鹿どもは仲間というより舎弟である。わしが親玉――だとしたら、どうする気かね?」
「『節度ある』人達が貴方に制裁を加えたいらしいです。大人しく捕まって下さい。だいたい、いい大人が、自分の体を女の子に見せて喜んで、恥ずかしいと思わないんですか?」
「恥ずかしい?」
アサシンはまた一歩じりりと詰め寄る。俺のところから、奴の鍛え上げられた臀部がくっきりと見える。あまりに筋肉質すぎてズボンもはちきれんばかりだというのか、スーツは男のケツに食い込み、その屈強な筋肉をありありと主張している。
「くっくっく! はあーっはっはっはっはっはっは! 恥ずかしいだと!? 愚問なり! 貴様らこそ何故脱ぐことのサティスファクションを理解できない!? 衣服を脱ぎ捨てることによって自然との一体感を感じ、草木からのエナジーが体に直接流れ込んでくる感覚を、何故享受できない!?」
「衣服を脱ぎ捨てるって、貴方服着てるじゃない」
ナナカが冷静な突っ込みを入れる。するとアサシンは体をのけぞらせて大笑した。
「ふはははははははは!! 笑止! この距離で我が真の姿に気がつかぬなど、愚の骨頂である! 小娘よ! 刮目するが良い! そして驚愕せよ! 我が肉体にぃぃぃぃ!」
「……?」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべるナナカ。ナナカの後ろに隠れる女の子は目をぎゅっとつぶって震えている。地面に転がる露出狂達は口々に「アサシンさんさすがっす!」「超COOOOL!」とか言いながら拍手喝さい。何勝手に盛り上がってんだろうね。
そのとき、頭上の雲が切れた。
そして顔を出す白い満月。
月光はざわめく木々の合間を突き抜け、遊歩道を淡く照らし上げた。
雲の合間から漏れ出た光がアサシンの体を包みこむ。
ふむ、やけにぴっちりしたスーツ着てるよな。筋肉のみならず角ばった骨まで見えてるし。本当に薄い素材で出来ているんだな、あのスーツ。あとケツにズボン食い込みすぎだろ。まるで服を着ていないみたいに体のラインが見て取れるし――って、……え?
俺は度肝を抜かれて目を凝らす。
いやいやいやいやいや!
ありえんだろ!?
あのアサシンとか言う男――。
履 い て な い。
スーツだと思ってたけど、実際は体に絵が描いてあるだけだ! スーツに脇毛生えてるとか、ズボンの股の所に余計なオプション付いてるとか今さらのように気がついたけど、やばい! こいつ裸だ! 最大級の変態だ!
「なっ……。え……?」
ナナカも違和感に気がついたのか、目を見開いて一歩後ろに後ずさる。
「あ、貴方、まさか……」
「くっくっくっく、まさか? まさか!? 何かね!?」
両腕を頭の後ろで組んでポーズを取る変態アサシン。ナナカは嫌悪に顔を歪めて顔を逸らせた。
「貴方――もしかして、履いていないの……?」
アサシンは「おおう……! サティスファーーーイ!!」と恍惚とした声を出した。
「んほほほほほほほほ! ふはははははははは! はあーっはっはっはっはっはっは! そうだと言ったら? そーうだと言ったらぁああああ!?」
「警察に通報します」
ナナカはしれっとそう言う。
アサシンは一瞬「!?」と硬直したあと、わたわたと両手を振り始めた。
「ま、待て。そんなに迂闊に携帯を取り出して良いのか小娘! 悪いことは言わないから、そのスカートに突っ込んだ手をゆっくりと外に出したまえ!」
「問答無用です。貴方のような汚らわしい変態はもう二度と外に出てこないで下さい」
ナナカはぴしゃりと言い捨てると、ポケットからスマホを取り出した。って、おい、マジで通報すんのかよ!? おい馬鹿止めろ! 依頼失敗になるじゃねえか!
俺は思わず身を乗り出してしまう。
しかし、俺が茂みから跳び出す前に、アサシンの体が跳ねる。
「チエェェェェェェェイ!」
奇声を発して右腕を振るうアサシン。同時に奴の手からレーザービームみたいなものすごい勢いで小石が射出される。石は寸分たがわずナナカの右手の中のスマートフォンにぶち当たり――。
バキッ。
「きゃっ」
短く悲鳴を上げるナナカ。
やりやがった。あいつ、ナナカのスマホ壊しやがった。
「ふははははは! 迂闊に最終兵器を使おうとするからそうなるのだぁ! ふははははは!」
大笑するアサシン。もう何でもありだな。かたやナナカは液晶が割れてパチパチ言っているスマホの亡骸を茫然と見つめていた。
「わ、私のスマートフォン……。これ高かったのに。なんてことしてくれるんですか!」
お前はお前で結構小市民だよな。高倉建設のご令嬢なのに。
「ふっ。これで通報できまい」
「通報できまい、じゃないです。弁償してもらいますからね」
「弁償? わしお金持ってないもーん」
子供か!
「――そうですか。ならば仕方ありません。この場で貴方をぎったんぎったんにします」
「た、高倉さん……」
女子生徒が心配そうな声を上げる。ナナカは「大丈夫。この場はもういいから早く帰宅して。それから通報してもらえると嬉しいかな?」と言って柔らかにほほ笑んだ。女子生徒は「で、でもぉ」となおも不安げな声を出すが、ナナカの「行って!」という強い言葉に押され、遊歩道を駆け出した。
「させるな! 止めよ!」
アサシンが叫ぶ。それに呼応して露出狂達が奇声を上げて飛びあがる。
が、露出狂達の魔手が女の子に伸びる前に、回り込んだナナカが手近な二人をなぎ倒した。あいつやっぱつえー。校内女子でトップクラスの運動神経だもんな。
最初にナナカが蹴り倒した奴、新たに張り倒した二人。残りの二人は、
「ぶ、ブヒイィィ!」
ナナカの剣幕にひるみ、背を向けて逃走を始める。が、しかし――。
「貴様らぁ! 臆病風に吹かれたかぁ!」
その逃走も、師である宵闇のアサシンの見事なラリアットで終了する。これで雑魚は全滅。女子生徒は無事遊歩道の暗闇に消えていった。
「ふん。腰ぬけどもが」
アサシンは倒れ伏す露出狂達を一瞥すると、ナナカに向き直った。
「小娘、なかなかやるようだな。どうだ? 我が舎弟にならぬか? さすれば貴様は大いなる力を得られるだろう」
「死んでもごめんです。変態」
「くっくっくっく。変態と言えばわしが傷つくとでも思っているのか? 我々の業界ではその言葉はご褒美だぞ?」
ふんぞり返るアサシン。
「……度し難い変態ね」
ナナカは一歩踏み込むと、その場で華麗な回し蹴りを放つ。アサシンは鋭く息を吐くと、獣のような敏捷さで後ろへ跳ぶ。ナナカの足は空を切った。
「……」
ナナカが打って変わって警戒の表情をアサシンに向ける。俺は草の陰から一応ナナカを応援していた。別にあいつのことが心配なわけじゃない。アサシンを応援するよりはあいつを応援した方がマシだからである。
「ふん。その程度かね?」
「別に喧嘩するつもりはありません。次はそこを動かないで下さい。ボコボコにします」
「この場所から足を動かさなければいいのかね? そのくらいならわけないぞ」
平然と言い放つアサシン。ナナカはピクリと眉を上げた。
「……そうですか。じゃあ今から遠慮なく貴方をボコります。覚悟して下さい」
「ふふん、来たまえ」
余裕綽々のアサシンに、ナナカは一気に間合いを詰めた。そして、「足は動かさない」と言ったアサシンの右足の向こうずねを狙う。うわ超汚えな、ナナカ。
無造作に蹴りだされるナナカの足。ブーツの固い踵がアサシンの向こうずねに迫り――。
そして、素早く身をかがめたアサシンの右手に、がっちりとホールドされた。
ナナカ! と俺は思わず叫びそうになる。
「きゃあっ!」
アサシンがナナカの右足を持ち上げる。スカートの中を見られるのを嫌ったナナカが大きくバランスを崩し、石畳に背中から落ちた。
くっ! まずい。ありゃナナカといえどもどうしようもない! 足掴まれて、しかも尻もちついて、さらに相手は巨漢。ナナカは必死にアサシンの足を自由のきく左足で蹴り続けるも、アサシンには効いている様子が無かった。
……そりゃそうだよな。重心とか利用して、回し蹴りして、ようやくナナカの攻撃は男たちに通っていたんだ。あんな格好じゃ、体重を味方に付けるなんてできないから、へにゃへにゃの女の子然とした攻撃になっちまう。
俺は唇を噛みしめた。
あいつは――ナナカは気に入らない奴だ。伯父さんと親父の確執から、俺たちは下らないいがみ合いをして、互いに顔を合わせれば貶しあう最低の間柄。助ける義理なんて無い。
さっきの女の子がこの場にいれば、俺は迷い無く飛び出していったが、今はナナカだけ。灸を据えてやると言う意味でもこのまま放置してやってもいいんじゃないか? 俺の中の悪魔が鎌首をもたげる。
それにあの巨漢は、変態だけど、めちゃくちゃ強そうじゃねえか。あんなのと殴り合うなんてリスキーすぎる……。
放置。放置だ、高倉シン。あの女はムカつく奴で、放っておけばいいんだ。
「くっくっくっく。さて、どう料理してくれよう?」
アサシンが不気味な笑い声を上げてナナカを舐めまわすように見下ろす。ナナカは視線だけは気丈だったが、明らかに焦燥感を漂わせている。
「では、一生残るトラウマを植えつけるとともに、今夜のことは忘れてもらおうか。くくくくくく!」
アサシンの手がゆっくりとナナカの服に伸びる。
「……何をする気?」
「脱がす。縛り上げる。放置する。そして先程の娘が呼んできた警官に、貴様は醜態をさらすことになるのだ!」
ナナカの表情に、ついに恐怖の色が浮かんだ。
俺は息をのんだ。
なっちゃん!
手は震えている。お、俺は、あいつが気に入らないんだ! こっちから歩み寄ってやっても、遠慮なく突き放してきやがるし、憎まれ口しか叩かないし!
俺の脳裏に在りし日の記憶が再生される。一緒に秘密基地を作った時のこと。ガキ大将たちと大立ち回りを演じたときのこと。傷だらけになって、だけど、何とか勝利して、夕暮れの土手で一緒に笑い合った時のこと。そして――。
『俺となっちゃんがいれば世界は平和だ!』
『うん、そうだね! 私たちで世界の平和を守りましょう!』
う、うおおおおおお! お、俺は……俺はッ!
「くくくくく! 生意気な小娘よ! 覚悟せいッ!」
アサシンがナナカのスカートを掴む。ナナカは身を固くして目を閉じた。
「なっちゃぁぁぁぁぁぁあああああああああんッッッッ!!!!!!!!」
気がついた時には絶叫していた。
もう訳も分からず飛び出して、屈強なアサシンの背中にタックルする。
「うごお!?」
体重を十分に乗せた、身長百七十五センチ、体重六十六キロの高校生男子の体当たりを背後からモロに受けて、アサシンの体は石畳の上を錐揉み状態でごろごろと転がる。
俺は赤いビキニを履いた体を月光の下に晒し、震える腕で立ち上がろうとするアサシンを、正面から睨みつけた。
「し、シン……!」
信じられないというナナカの声が俺の背中から響いてくる。俺は目を瞑った。
「……ナナカ。分かっている。何も言うな」
「貴方、その格好」
「俺は露出狂じゃねえ!」
「あ……うん…………?」
まだ混乱しているのか、何か煮え切らない声を出すナナカ。
「う、うぐう。見事なタックルである……」
アサシンがよろめきながら立ち上がった。顔にぴったりとくっついていた鬼の能面が、ずれてしまったのか、右手で顔を押さえている。
アサシンは俺の体を舐めまわすように眺めると、ため息を漏らした。
「美しい体だ……。貴様、見ない顔だな……しかし、その均整のとれた体、発達した運動神経、さぞや名のある露出狂とお見受けした」
「え? ちょ、誤解を招くようなこと言うなって! お……俺は露出狂じゃねえってば!」
慌てる俺の後ろで、ナナカが「シン、貴方やっぱり……」と侮蔑満載かつ若干憐みのこもった声を向けてくる。駄目だ! なんか誤解されてる!
「ふむ……確かに練度は低いな」
「で、でっしょう!?」
「しかし、余りある露出狂の才能を感じる」
「そんな才能はいらないから! それにその言い方だとなんか俺が露出狂予備軍みたいじゃねえか! 言っとくけど俺は、これから露出狂になる予定なんか全くないんだからな!?」
「そんなに良い体をしているのに、もったいないではないか! ハア、ハア」
「息荒いぞ!? 頼むから俺の体を舐めまわすように見るのは止めてくれ!」
もうやだこの人!
アサシンはこきこきと首をならすと、きりりと姿勢を正した。俺は生唾を飲んで、態勢を低くする。一応、昔からそれなりに喧嘩はしてきているから、そこそこ気合いの入った拳を叩きだせるんじゃないかと思う。高校に上がってからはまだまともに殴り合ったこともないけど……。
「どうだ? 我らの仲間にならんか?」
「お断りだね。俺は変態じゃないし」
「その格好でそれを言うか」
「この格好はちょっとしたアクシデントなんだ。触れないでくれ」
アサシンは「ふむ……」と顎を撫でた。それから、体に俺に対する敵意をみなぎらせる。俺は威圧感にちょっと後ずさった。
「どうしてもか?」
「くどいよ」
「ならば、仕方ない。――本気で行かせてもらう」
アサシンは、その巨躯を跳躍前の豹のように低くした。俺は両手を体の前に構える。奴の体は鉄みたいに頑丈な筋肉で覆われてやがる。俺の拳では、内臓にまで衝撃を与えんのは無理か? だとしたら、多少無理をしても急所を強引に狙いに行かないと、純粋な殴り合いでは絶対に勝てない。
股ぐらか、顔。あるいはノドを狙う……。できるか? いや、やるしかねえ!
「くっくっくっく! 我が必殺技を食らうがいい」
アサシンの足の筋肉がぎちぎちとはちきれんばかりに膨らむ。俺と奴の間合いは五メートル強。多分、一足で詰められる。
頭上に輝く月に雲がかかる。
木の葉を含んだ風が小さな竜巻のように俺たちの周囲の大気を夜空へと巻き上げる。
緊張の一瞬。
交錯する視線。
――来るッ!
俺が息をつめた瞬間、呼吸のタイミングをも完璧に計っていたかのように、アサシンの体が軋みあげた。石畳を踏み砕くんじゃないかと思うほどの裂帛の踏み込み。奴は瞬きするほどの一瞬で、宙に大きく跳躍していた。
すさまじい速さで跳びあがった奴は、宙に描く放物線の最高点で、右手を頭上から振り下ろした。手に握られていた小石が弾丸みたいな勢いで俺の頭上を越えていく。
そして小石は、少し離れたところで弱々しい光を放っていた外灯に直撃した。
パーリンという音ともに、周囲が闇に染まる。外灯が割れたのか!? こいつなんてことしやがるんだ! 皆の税金の結晶をぶっ壊しやがった!
闇の中からアサシンの哄笑が轟く。
「ふははははは! 我は幻! 捉えることあたわず、掴むことあたわず! 無明の闇にて絶望を謳う! 今宵、月の女神が隠れし時、我が死の刃が貴様を刻まん! 受けてみよ! 秘技ッ! 幻影奇襲ッ!」
「何が幻影奇襲だよ! 外灯割っただけだろうが! あんたマジ逮捕されろよ!」
キレる俺に黒い疾風が迫る。
ほんとに真っ黒だったんだ。つまり、視界が悪いのと速すぎるのとで影しか視認できなかったわけで。
瞬間、無数の衝撃が俺の体を貫いた。
「ガッ!」
右頬、両肩、両腕、みぞおち、腹、股ぐら、両足。一瞬のうちに発生した激痛に、俺はもんどりうって倒れた。
「ガ……ハ……」
「シン!」
珍しく慌てたナナカの声が響いてくる。ハハ、らしくねえじゃねえか。お前が俺を心配するなんてな。俺は切れた唇を手の甲で拭いながら立ち上がった。
「ほう。我が幻影奇襲を受けて立ち上がるか。やはり素晴らしい筋肉を持っているのだな」
闇の中から響くアサシンの声。虚ろに響くもんだから、声の出どころの特定ができない。
「……外灯、お前弁償しろよな」
「ふん。憎まれ口を叩くか。ならば次はもう少し強めに打ちすえよう」
ヒュン、と巻き起こる旋風。俺は身を固くした。
奴の攻撃は避けきれない。外灯があればあの巨体を捉えきることができるかもしれないが、こう真っ暗じゃ無理だ。なら攻撃を受けることは確定事項として、回避を捨てて防御に回る。
ズガガガガガガガ! と再度すさまじい衝撃が俺の体を襲う。先程の二倍は手数があるか。しかしその分威力が分散してやがる。これなら耐えきれる。
「うおおおおおお!」
俺は雄叫びを上げた。攻撃を耐える! 耐え抜く! 筋肉に力を入れ、内臓と骨とを守り抜く。そして――、奴の攻撃を耐え抜いた瞬間に、強烈なカウンターをお見舞いしてやるッ!
連続して繰り出される奴の拳。
俺は一際強烈な一撃を左腕で受けきると、そのまま体をひねり、奴を巻き込むように回転。奴の顔面に右手の掌を叩きこむ。
「む!?」
驚愕の声。どうだ! これはもらった!
勝利を確信する俺。
しかし、結果、俺の右手は空を切った。奴の顔があると当たりをつけたところは何もない暗闇で、俺の攻撃は奴にかすりもしなかった。
「ふははははは! 言ったであろう! 我は幻! 捉えることあたわずと!」
闇に嘲弄の色を含んだ奴の声が響く。
俺は焦燥感に冷や汗を垂らす。横でナナカが「シン、大丈夫なの!?」といよいよ切迫した声を上げている。
……奴を倒すには二撃必要だ。
俺はそう当たりをつけている。あんな大層な筋肉をしているが、筋肉に守られた部分以外のところは見た感じ結構柔い。肉付きが単純に良くないからだ。骨を守る肉が無ければ、ダメージの軽減は行えない。そして、奴の場合はそれが顕著だった。
奴があれだけ筋肉を鍛えている理由は、おそらくもとから大した体を持っていなかったから。だから筋トレという努力でディスアドバンテージを覆い隠そうとした。つまり、鍛えていないところは、極端にモロい! あいつがアサシンと自称するだけあって、耐久面はそう優れているとは言い難い。
しかし、二撃は必要。通常の相手なら一撃で持っていく自信はあるが、向こうは見た感じ百戦錬磨の戦鬼。多分俺程度の攻撃なら、一発は耐えるだろう。勢いの緩和なり、あるいは単純に気合いなりでだ。だから確殺には最低二撃。
「ふはははは! なかなか驚かされたぞ小僧! まさかこのわしにカウンターを放つとはな! ここで散らすには本当に惜しい才能だ! だが、遊びはここまでだ!」
……遊びの内に、正確にはさっきのカウンターで一撃入れるのが、俺の勝ち筋だった。にもかかわらず、俺は外してしまった。
先程の奴の攻撃は、全て防御することでしのぎ切った。だがそのせいで俺の体はもうボロボロだ。あのアサシン、どうやら攻撃力はかなり高いようだ。
もうこれ以上は受けきれない。
ならば――ここで切るカードは一つしかない。
「小僧! 少しは驚かされたぞ! だがまだ青すぎたな! さあ、覚悟しろ! これで終わりだッ!」
「――ッ」
背に腹はかえられない。二撃目に切るはずだった、切り札を切るしかないッ!
「奥技ッ! 幻影奇襲ッ……極ッ!」
高らかに叫ばれる技名。いつもならここで突っ込みを入れるのだが、残念ながら今の俺にそんな余裕は無い。慎重にタイミングを計らないといけない。
カウンターはもう通用しない。初撃でこそ成功する可能性はあったが、二度目はないだろう。狙うは――奴が攻撃を行うときの一瞬だ。奴が俺に接近する瞬間に、一撃を叩きこむ。
俺は細く息を吐いた。
全身の触覚を研ぎ澄ませる。闇の中で奴が襲いかかるとき、大気は必ず不自然に乱れるはず。それを感じとって奴の攻撃の瞬間を予期するのだ。
幸い今の俺は海パン一丁。肌には何も纏っておらず、空気の乱れは通常よりも簡単に把握することができる。
落ち着くんだ……! 集中……!
勝負は一瞬。
目を閉じる。
闇に融けこむような感覚。
服を着ていないからこそ発揮できる、空間把握能力。
呼吸をも忘れてしまうような静寂の中、俺は闇の中に感覚の糸を張り巡らせる。
緻密に、緻密に、緻密に。
微風が流れる遊歩道。奴の姿はどこにあるのか。
接敵の瞬間はいつやってくるのか。
永遠に続くんじゃないかと思われたこう着状態の中、ついに俺は、風が乱れるのを感じた。
――今ッ!
俺は右後方に鋭く体をねじると、間髪いれずに右拳を突き出した。
「むッ!?」
奴の驚愕する声。
しかし、俺の右拳は、まるで当たらないことが予定調和されていたかのように、宙を泳ぐ。
「甘いわッ!」
アサシンの怒号。
甘い? 俺は口の端を釣り上げる。
お前ならこのくらいは避けてくるだろうことは、予想済みだ。
だからこそ、俺は、渾身の右ストレートのあとに、さらに二撃目を放つのだ。
ゼロの刹那。赤いビキニに左手を突っ込んだ俺は、中からスマートフォンを取り出した。不本意ながらここしか隠すところが無かった。そして、奴も、俺がまさか隠し兵器を用意していたなんて想像もしていなかっただろう。俺の指がスマホの画面を撫でる。一瞬にして光を灯す俺のスマホ。
それは暗闇に慣れたアサシンの目と鼻の先で、強烈な白い光を放つ。
「ぐあああ!」
光に目がくらみよろめくアサシン。スマートフォンの光に照らし出され、奴の姿が暗闇に浮かび上がる。
俺は右足を軸に体を回転させ、振り向きざまに、前に泳いでいる奴の顔面に、二度目の渾身の右ストレートを見舞った。
「ぜええりゃああああ!」
「ウゴブッ!?」
俺の拳に仮面ごと頬を抉られるアサシン。奴は短い声を漏らす。
入った……!
俺は反動で後ろによろめく。
アサシンは、ぐらぐらと上半身を揺らしながら後ずさった。
「やったか……?」
俺は右拳を押さえながら荒い息をする。追撃は、もうできない。体にガタがきすぎて、しばらく休まないと動けない。正直これで膝を着いてもらえないと、俺の負けだ。
俺が固唾をのんで奴の動向を見つめる。
びしり、と奴の仮面に亀裂が入る。
アサシンは、よろりとしながら、右手で自身の顔を覆った。
「まさか……このわしの面を割るとはな……」
「ッ! まだ、立てるってのか!?」
俺は、よろめきながらも、しかし、しっかりと両足を地につけるアサシンに、唇を噛みしめた。どうする? こりゃかなりまずいぞ!
すっと姿勢を正すアサシン。しかし奴からは、もう先程までの闘志は発散されていなかった。
「命拾いしたな、小僧」
アサシンはそれだけ言うと、辺りに転がっている露出狂達に「起きろ!」と喝を入れる。露出狂達は「き、きついっす」「おふう、股間が」と言いながらも、体を震わせながら何とか立ち上がった。
俺は虚勢で声を振り絞る。
「逃げる気かよ?」
「逃げる? この場は見逃してやると言っておるのだ、小僧。面はまだ完全に割れたわけではない。あと三分は確実に戦える。そうした場合、困るのは貴様ではないのか?」
「ッ!」
「我が盟主は慎重でな。面に少しでも罅が入れば、そこで戦闘を切り上げるようにと我々は命令されておるのだ。素顔を見られる恐れがあるなら、それがたとえ低確率であっても、必ず退くようにとな」
「盟主……? お前らの親玉か?」
俺は焦って聞き返す。
アサシンは無言。だが否定している様子はなかった。
おいおいおいおい。俺てっきり、こいつが黒幕だと思ってたぞ! まあ、こいつの二つ名がアサシンなわけだから、何となく親玉って言うには役不足な感があったけど、それでも驚きを隠せない。
「ではな、小僧」
アサシンはそう言うと俺に背を向ける。
「ま、待てよ!」
「待たぬ。そして、我々は戦い続ける。露出行為は人に見せてこそ、意味がある。『節度ある』露出行為など、片腹痛いわ! ……小娘、そう依頼主に伝えるがよい」
「え……」
アサシンは背を向けたまま、地面に座りこんでいるナナカに水を向ける。そのあと、止める間もなく遊歩道から林の中へと飛び込んでいった。他の露出狂達もその後に続いて次々に消えていく。
あとには、俺とナナカだけが残された。
「う……ぐ……」
限界。俺はその場に膝をつき、それでも自重を支えきれずに石畳に倒れ伏す。ちょい無理しすぎたな。
「シン……!」
と、ナナカが俺を名前で呼びながら、あわてて屈みこんでくる。
「ちょっとあんた大丈夫なの!?」
お、貴方じゃなくて、あんたになったな。地が出てるってことは相当焦ってんだな。結構レアだぞ、こりゃ。
「ああ、ちょっと、はっちゃけすぎたかね」
「救急車呼んだ方がいい?」
「多分大丈夫」
「そ、そう……」
俺の横で、ぺたりと尻もちをつくナナカ。
何となく沈黙が流れる。俺の意識も段々遠のいていく。やべ、そろそろ落ちそうだな。
「ねえ……どうして、私を助けてくれたの? あんた私のこと嫌いでしょう?」
「分かんない。なんか気が付いたら飛び出してた」
あー……、瞼が重い。
「馬鹿じゃないの?」
うるさいよ。
「ねえ聞いてる?」
ああ……聞いてるって。
「ねえ」
……。
駄目だ。もう、意識が、もたない。
限、界……、だ。
ナナカがなおも何か言っているのが聞こえてくる。ああもう、分かったから、うるさいって。次……起きたら、ちゃんと、答えるから……。
俺はその思考を最後に、完全に気を失った。
× × ×
それからどれだけの時間が経ったんだろう。
「おーい、君ぃー」
ゆさゆさと体を揺さぶられる。俺は虚ろな意識のまま、薄く目を開いた。
「……」
視界には、俺を覗き込む眼鏡をかけた警官の顔。その横から見える空は白んでいて、淡い桃色に染まった雲が浮かんでいる。朝……なのか?
俺は眠い目をこすりながら身を起こした。
「……あれ?」
そこで、俺は、自分が公園のベンチの上で横になっていることに気がついた。しかも、花田池に脱ぎ捨ててきたはずの服もちゃんと着ているし、ポケットには俺のスマホとマギウスから渡された携帯も入っているみたいだった。
……ナナカがやってくれたのか?
俺は首を回して、周囲に立っているはずであろう彼女の姿を探す。だけど、予想に反して彼女は見当たらなかった。帰っちまったのか?
いや、ちょっと待て、おかしいぞ。だって、あいつが、俺が花田池に服を放置しているなんて知るはずも無いんだからな。それに百歩譲って俺の服を見つけてくれたんだとしても、アサシンと交戦した場所からこのベンチまで、ナナカが気を失った俺を移動できたとは考えられない。俺はこれでも結構体格がいい方だから、ナナカじゃ運ぶのは無理があるだろう。
「君、高校生? こんな明け方に、何してるの?」
おまわりさんが尋ねてくる。俺は頭を掻いた。
「あ、えっと……ちょっと気持ち良くて、寝ちゃってて」
「こんなところで? 昼涼しいのは分かるけど、夜は結構冷えるのに?」
「えーっと、はい……」
煮え切らない返答でお茶を濁す俺。おまわりさんは、そんな俺に怪訝な表情を作ってみせる。
「ご両親が心配しているだろう。君、お家は?」
「家に親いないんで……。すんません。迷惑かけました、帰ります」
ベンチから立ち上がる。正確な時間を確認しようと俺はスマホをポケットから取り出す。
そして俺は目を見開いた。
スマホはメール画面になっていた。
差出人はマギウス。なるほどね、まあ消去法的に考えたらそうなるわな。つまり俺に服着せて、警官に見つかる前に、ここまで運んでくれたのもマギウスってことだな。多分、俺が起きないから伝言代わりにメールを置いていったんだろう。ア フターケアは万全ですってか。鼻で笑っちゃうな。
……つうか、俺のメアド勝手に登録しやがったな。つくづくプライバシーという概念が頭に無い奴だな!
それで、メールにはこう書かれてあった。
『お疲れ様。話は全部彼女から聞いたよ。君の体の方は、特に問題ないみたいだ。若いっていいね。さて、これで依頼達成――にはならない。残念! がっかりした? ねえどんな気持ちだい? ねえ、ねえ? 君には引き続き調査を行ってもらう。黒幕をつきとめて欲しいのだよ。宵闇のアサシンだけど、彼は有名な露出狂だ。かなり狡猾な戦いを行うやっかいな奴だよ。奴の背後には一体全体誰がいるのか……。そいつを特定、もしくは捕獲してくれ。頼んだよ』
いや、頼んだよ、じゃねえよ。
まだ続くのか、この依頼。もうやりたくねえよ。
だって昨日のアサシンめっちゃ強かったぞ? んで、そのアサシンに加えて黒幕って奴もいるんだろ? ムリムリ、あいつ一人でも相当ヤバいのに、さらにその黒幕捕まえろとか冗談もほどほどにしてほしい。これもう断った方がいいんじゃないかね?
「おーい、君、一応、身分証明してもらえる?」
おまわりさんが、俺の後ろから声をかけてくる。俺はスマホをパッと背中に隠しながら、財布から学生証を取り出した。
おまわりさんの職質が終わったあと、俺はメールに添付されていたファイルを開いた。マギウスが、とりあえずご褒美貼り付けておくから、良かったらあとで見てね(はぁと)と実にきもい追伸を書いてやがったので、ものすごく嫌な予感がして、確かめずにはいられなかったのだ。
……俺は添付ファイルを検めて、生まれて初めて自殺したくなった。
ファイルの中身は動画。一分くらいの長さだ。
で、内容だけど、深夜の公園で変態が縛られて、うんうん呻く図、というものだった。
変態――というか俺なんだけどね。マギウスは俺の音声に編集を加えているみたいで、俺が若干嫌そうに発していたうめき声を、快楽に悶え苦しむ声に変えていた。しかもカメラワークが無駄にうまいもんだから、本当に俺が変態みたいである。
動画の最初には、ご丁寧に『友達が縛られるのが好きでもっと縛ってとケツ振っておねだりしてきたので緊縛したうえでビデオ撮影してみた』という字幕も付けられている。
「……駄目だ。こんなの○コ○コとかYOUTUBEとかに流されたら、俺もう死ぬしかない……」
つうか、これってよく見なくても、動画サイトに上がっているキ○ガイ動画みたいじゃねえか! 今まで「こいつきめえ(笑)」とか思いながら動画を見る側だった俺だが、俺もそいつらの仲間入りじゃん! 変態じゃん! マジで公開処刑じゃん!
酷い……。こんなのがご褒美だっていうのかよ。ちげえだろ、不平不満を垂れている俺を見越しての牽制球だろ。どんだけ鬼畜なんだよマギウス。一応俺を助けてくれたし、あれ、マギウスっていい奴? とか思ってしまった俺が恥ずかしいよ。ちくしょう……。
つまり、これをネットに垂れ流されたくなけりゃ、死ぬ気で頑張れと。
くそったれ。やるしか、ないのか。
マギウス、てめえ覚えてろよ……。
俺は、トボトボと歩きだした。
すげえ憂鬱だけど、今日学校あるんだよね。さすがに二日連続サボりは生徒指導に目をつけられちゃうから、行かざるをえない。俺が落ち込んでても、世界は変わらずまわっているんだなって実感した。ちょっと大人になったな、俺。
てか、ナナカの奴はこの依頼おりるつもりは無いのか? 昨日危うく服脱がされそうになってたんだぞ? しかも、あいつの場合は、マギウスに弱みを握られているわけでもなく、単なる人助けでやっているに過ぎない。俺がナナカなら確実におりる。
あいつだって身の貞操は惜しいだろう。
うん、二、三日の内に、生徒会長の恥ずかしい動画が出回るかもしれないな。かわいそうな生徒会長。胃潰瘍にならなきゃいいけどね。
俺はため息をついて日が上る東の空を見上げるのだった。
第二章
「えー、最近花田市に不審者が出没しています」
築十年になるという体育館に、教頭の気だるげな声が響く。
「既に被害者も出ており、皆さんも下校する際は、なるべく一人で帰らないようにして下さい。また、たとえ複数で帰っているのだとしても、路地裏や街の郊外、深夜の花田公園など、人気のない場所、状況に、自ら飛び込んでいくことの無いように、十分注意して下さい。皆さんはもう高校生なんですから、その辺りの判断はちゃんとできるはずです。であるからして――」
朝、ちょっと遅刻して登校した俺は、そのまま生徒指導に体育館に連れて来られていた。体育館にはわが校の全生徒及び教官が整列していて、教頭の話を聞いていた。
クラスのみんなに手を上げて挨拶したあと、俺も列の最後尾に加わり、教頭の話に耳を傾ける。二分くらいで集中力は切れた。
緊急の全校集会か? 多分、昨日の女子生徒の親御さん辺りが学校にも通報したんだろうな。それで朝一で朝礼。皆に注意を呼び掛けているってところか。
……こりゃいよいよ警察が動き出しそうだな。
早くしねえとマギウスからクエスト失敗扱いされるんじゃね?
結構ヤバいな……。ケツに火がついてるか?
「文化祭シーズンですが、完全下校時刻以上の居残りは基本的に認められません」
教頭の言葉に、あちこちからブーイングが上がった。うちの学校は、勉強も、スポーツも、もちろんイベントも、やるなら徹底的にってのが伝統的なスタイルで、特に文化祭なんかは皆で馬鹿騒ぎする。他の学校じゃあんまりあり得ない話だろうけど、まあそんな校風なもんだから、文化祭準備に対する規制には皆反発するのだ。
俺は右斜め前の方で教頭の話を静聴しているナナカの姿を見つけた。あいつ、学校来てんだな。昨日あれだけ怖い目したっていうのに、図太い神経してんだな。
……と、目だけを動かしてきたナナカと目があった。
ちょっとの間見つめあう。向こうはずっと無表情。なんだこの殺伐とした視線の交換は。
俺は居たたまれなくなって目を逸らせた。それからちらりと視線を戻すと、ナナカはもう教頭に目を戻していた。
ひとつため息。
あー、眠いな。教頭の話し早く終わんねえかな……。
そう思って、凝った首元をほぐそうと、俺は首をぐるりと回した。回している途中、隣に立って、教頭の方に礼儀正しく注目している女の子の姿が目に入る。
俺は息をのんだ。
おお!? すげえ美少女じゃねえか! 肩までの髪に、スッと通った鼻筋、桜色に艶めいた上品な唇。なんか静かで、神秘的な印象を受ける。だけど、かけている赤い縁の眼鏡がそんな近寄りがたさを微妙に緩和してくれていた。ヤバい。すげえ俺好みの顔だ。
こんな可愛い子いたんだな。こんなすぐ横にいるのに、なんで今まで気がつかなかったんだ、俺。
ああそうか。今日はいつもと違うところに並んでいるんだったな。
こりゃたまには遅刻してみるもんである。
えっと、俺のクラスは一年八組で、俺の隣のクラス……九組は無いから、この女の子、上級生か。先輩なんだな。先輩にこんな可愛い子いたんだな。
俺はどぎまぎしながら先輩の顔を盗み見る。うん、赤い眼鏡がお茶目な感じで良いアクセントになってますね。だけど、やっぱり顔は冷たい感じだ。ナナカはつんけんして近寄りがたいって感じなんだけど、この先輩はそうじゃなくて、人を拒絶するようなオーラを出している。人が近寄っちゃいけないもの的な雰囲気だ。なんかミステリアスな感じ。あ、ミステリアスと神秘的って同じ意味だっけか?
うーん。でもこんだけ可愛かったら、やっぱ彼氏とかいるよな。じゃあこの人は人妻だ。エッチな目で見てはいけないのである。失礼になるからな。
俺が視線を戻そうとした瞬間、先輩が不意にこちらに顔を向けてきた。ばっちり目があってしまう。うわ! すっげー綺麗な目! なんかきらきら輝いているし。「あ、す、すんません」と俺は慌てて謝り、ちょっとどきどきしながら前を向いた。壇上ではまだ教頭がマイクを片手にしゃべっていた。
心臓よ暴れるでない。教頭の話を聞いて心を落ちつけるんだ!
「えーですから、文化祭の居残りは禁止。どうしてもという人は、担任に話を通しなさい。よっぽどのことであれば、あるいは許可を出すかもしれません。しかし原則は禁止であります。これは皆さんの安全を考えてのことであり――」
教頭の話を聞いたら一発で萎えた。さすが教頭。しかし……あのおっさん、ゆうに二十分はしゃべってるよな。そろそろ終わってほしいんだけど。つうか早く終われ。
つんつん。
……ん?
俺が一つ大きなあくびをしていると、不意に脇腹を突かれた。ふわりとどこかで嗅いだ事のあるいい匂いが鼻をくすぐる。俺が振り向くと、当該美少女先輩がこっちに正面向いていた!
う……、うおおおお! テンションMAX!
な、何だ何だ!? いきなりツンツンしたかと思えばばっちり見つめあってしまった!?
半ば錯乱している俺を、先輩は冷静な目つきで見ている。一秒間の沈黙のあと、先輩は長く白く細い指で壇上の教頭をすっと指し示した。
そして、
「……あの人、ヅラだと思わない?」
一瞬にしてイメージ崩れた。百八十度くらい印象が反転したぞ。
俺がどう答えたものか困っていると、先輩は何も言わずに視線を前に戻した。えっ、投げっぱなしかよ? 俺すごい放置プレイされてるぞ。
「あ、あの……先輩?」
「……」
先輩は答えない。じっと壇上に視線を注いでいる――主に、教頭の頭の部分に。
すごくパンチの利いた性格してらっしゃるな。この先輩美人だけど、間違いなく変な人だ。
うーん、しかし、この先輩が使ってる香水の匂い、どこかで嗅いだことあるな。しかも、唇の艶めきとか、この俺好みな鼻とか、ものすごい既視感がある。
……あれ? 俺、この先輩とどこかで出会った事ある? まさかな。こんな美人で眼鏡かけてる人なんか――。いや、待てよ。眼鏡、取ったらどうだ? どこかで見たような顔にならないか?
俺は首をひねり――唐突に思い出した。
脳内に想起されるイメージ。月光の中、自分の体を隠す、天女のような女性。先輩の顔(眼鏡なしバージョン)は、昨日(というか正確には今日)花田池で見た湖水の精霊のそれに酷似していて……。
「って、ええ!?」
「何だね君! うるさいよ!」
壇上の教頭がマイク片手に俺に怪訝な顔を向ける。
湧きおこる失笑。
人生ってセーブ&ロードができねえって身を持って思い知った。
「……ねえ」
振り向くと美少女。無表情で続ける。
「まぶしいんだよ、ハゲって返してみて」
「勘弁して下さい」
先輩は俺を何キャラに仕立て上げようとしているんですか。
× × ×
放課後、いち早く教室を飛び出した俺は、そのまま二年生の教室があるB棟に直行。先輩のクラスが二年一組だってことは分かっていたから、難なく先輩を見つけ出し(先輩は、一組の教室で鞄に教科書を詰めていた)、彼女の机に近寄って、「あのー」声をかけたのだった。
「……」
しかし一組の喧騒に俺の声が紛れてしまったのか、先輩は反応を示さない。でも先輩との距離は一メートルくらいしかないぞ。この距離で聞こえないわけはない。じゃあ、シカト?
シカトされちゃあ話が進まないぞ。
「すんません、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですよ。んで、出来れば先輩に手伝ってほしいこともあって……」
「……」
先輩は無言で教科書とノートを詰め込んでいく。本当に俺の声が聞こえていないみたいに、こちらに振り向きもしない。これは酷い。
それにしても、この先輩本当に可愛いな。窓から差し込んでくる斜陽を浴びて、手入れされた髪がオレンジ色に輝いている。顔にはニキビやソバカスは全く確認できず、撫でたらすべすべしてそうだった。目の位置も、鼻の位置も、口の大きさも、人形みたいに綺麗に整っていて、改めて見ると、赤い眼鏡が微妙にセクシーに思えてきた。
パチン、と小気味良い音が立てられる。先輩が鞄のとめ具を閉めたのだ。
「先輩、聞いてます……か……?」
尻すぼみに消えていく俺の声。先輩が『聞いてます』の『ま』辺りで、俺を置いてさっさと机から離れていったからだ。先輩は俺を完全無視して教室から出ていく。これはマジに酷い。
「おー、下級生、水無月にアタックか?」
俺が茫然としていると、横で成り行きを見守っていた男子生徒が近寄ってきた。水無月? ああ、あの先輩の名前だな。彼女、水無月カンナっていう名前らしい。
「あはは……まあ、そんなもんすね」
苦笑いする俺。
「彼女、お固いだろう?」
「固いって言うか、変わってますね」
「そしてミステリアスだ。どこに住んでいるとか、家族構成はどうなっているとか、そう言う基本情報は一切謎に包まれている。誰も知らないんだ。また訊いても教えてくれない。俺なんかもう何回もアタックしてんのに全無視されてんだよな」
会話の端緒すら掴めてない状況なんだ、と言って腕を組む先輩(男)。あの水無月先輩、やっぱり友達いないみたいだな。住んでる場所も知られてないとかどんだけクラスメイトと親交ないんだよ。独特のテンポを持っていらっしゃる方みたいだし、あれで友達が百人とかいたらそれはそれで驚きだったけどさ。
「お前さん、このあとも特攻続けるのか?」
「そうですね。ちょっとここで諦めるわけにはいかないんで」
俺のプライバシー流出がかかってるからな。
「そうか、そうか……。くっくっく。その諦めの悪さ、お前は俺の同志だ!」
先輩(男)が顎に右手をあててポーズを取る。ちょっとカッコいいのにイラッときた。先輩(男)は俺に耳を近づける。
「水無月に関する極秘情報をお前に渡そう。彼女な、どうやら放課後は部活をしているみたいなんだ」
「えっ、マジっすか? 何て言う部なんですか?」
「都市伝説研究会。部って言うより同好会だな」
…………ああ! 確かそんな部活が部員募集してたな! 部員募集って言っても、そこら辺に趣味の悪いポスター貼ってただけだったような気がするけど。なるほど、先輩はそこで放課後を過ごしているわけなんだな。
ていうか、そんな変な部活に入っているとか、やっぱり水無月先輩は変わり者みたいだ。
「彼女、成績はめちゃくちゃ良いし、運動も抜群にできる。普通はクラスの人気者になれるようなステータスをしてる。その上で変人やっている変わり者だ。生半可なことじゃ、彼女には近づけない。多分、近づけない理由がある」
先輩はそう言うと、にっこりと笑った。「頑張れよ」
「いえ。どうもありがとございます」
俺は頭を軽く下げる。しかし……この先輩結構鋭いな。水無月先輩に皆が近づけない理由――そりゃ一つしかないよな。多分、露出趣味だ。
女性にも関わらず(?)、露出行為に興味があれば、当然他の人達と価値観はずれてくるし、行為をする時間を確保しようとすれば、友達と遊んだりも出来ないだろう。
だからって、人を端から拒絶するような態度はいけないと思うけど……まあ、今の俺には関係ない話しか。
俺はもう一度先輩方に頭を下げると、二年一組の教室を後にした。目指すは、都市伝説研究会。そこで何とか水無月先輩とコンタクトを取って、露出狂事件解決に協力してもらう。八方ふさがりのこの状況から、事件解決の糸口を見つけなければいけない。
……しかし、どうやって先輩に話しかけたもんかな。
× × ×
都市伝説研究会は、B棟の一階の隅っこにあった。
踊り場で研究会のポスター見つけて、そこで部室を確認した時は一瞬「どこ?」ってなった。そのくらい辺境の地にある研究会は、もともとは読書部の部室だったようだ。教室のプレートには空き教室と書いてあって、その横に『読書部』という看板に大きくバッテンが付けられて、その上からデカデカと汚い字で『都市伝説研究会』と書かれている。もはやカオスだった。
B棟の隅っこだけあって、振り返っても、廊下には生徒一人見つけることができない。というか、そもそもB棟自体に人の気配がしない。
いつまでも教室の前で固まっているわけにもいかなかったので、俺は意を決して教室の引き戸を開けた。
入ってすぐに目に入ったのは、教室の奥、黒板の前で腕を組んで話しをしている教師と男子生徒だった。教師の方は細く背の高い、インテリ風の銀縁眼鏡をかけた男。直接面識ないけど、名前は知っている。日下部先生だ。確か数学の担当教官だったかな。
生徒の方は先生とは対照的にものすごい肥満体質。先生同様銀縁眼鏡をかけていて、口周りにひげが無秩序に伸びまくっている。カールのおじさんがみすぼらしくなった感じだ。あれでシャツにトランクスという姿で畳の上で寝転がっていたら、そこら辺のおっさんと区別がつかないだろうな。
彼らの前には、二つ連結された長机が置いてあって、その周りにはパイプ椅子がいくつか並べられている。そして――その椅子の一つに、水無月先輩が腰かけて本を読んでいた。
「おっ! 入部希望者!?」
カール髭の太った男子生徒が俺に気がついてどかどかと大股でやって来る。
「ああ、いえ、そうじゃなくて……」
「入部届けは良いからとにかく座れ! 今から作戦会議なんだ!」
「え……? あの、ちょっとっ!」
俺の反ぱくをよそに、男子生徒は俺の背中をぐいぐい押す。あっという間に俺はパイプ椅子に座らされてしまった。
「僕は都市伝説研究会の会長、日野だ。二年二組に所属している。それでこっちは、顧問の日下部先生」
日野の紹介に、日下部先生は眼鏡の奥の目を和ませて「よろしく」と言った。それから先生は日野に向き直ると、
「じゃあ、私はこれで失礼するよ。これからちょっと職員会議があってね」
「ああ、確か露出狂の被害にあったんでしたっけ、うちの生徒が」
日野が顎を撫でながらそう言う。先生は頷いた。
「そうなんだ。それで生徒のケアと、文化祭を開くにあたっての警備体制とかで話し合いがもたれることになって……おっと、こんなこと生徒に言っちゃ駄目だったな」
ははははは、と笑う先生。何だか大らかな人だな。
先生は、「それじゃ」と言って手を上げると、教室から出ていった。
「部員紹介の途中だったな。それで、そこで本読んでいるのが水無月カンナ君だ。彼女が何組だったかは忘れた。すまん」
扉が閉められると、日野が水無月先輩の紹介をする。水無月先輩は紹介を受けても会釈すらしなかった。読んでいる本のページがぺらりとめくられただけである。
「愛想は悪いが、立派に仕事はしてくれる。分からないことがあれば訊けばいいよ」
「はあ……」
って、頷いてる場合じゃねえ! これじゃ俺が入部したみたいじゃねえか!
俺は黒板の前に移動した日野に訂正をしようと口を開きかけた。
「それで、今回我々が調査するのは、夜に催されるという怪人たちの魔宴である!」
しかし、俺が声を発するより早く、日野はそう言い切ると、バンと黒板を叩いた。黒板には白いチョークで『魔宴』と書かれている。
「彼らは一様に黒いコートを身にまとい、優れた身体能力を持っているという。加えて深夜にのみ活動するものだから、目撃例が極端に少ない」
日野は、チョークで黒板をコツコツと叩いた。
「僕たちは彼らについての情報を集め、新聞を作る。文化祭にて一部五十円で販売する」
「ま、魔宴……?」
俺は思わず声を上げた。すると先輩は眼鏡を夕日の色に光らせて「ああ」と頷いた。
「黒いコートの怪人達が、夜の街を暗躍しているという情報は以前から我が会のホームページに寄せられていたことだが、今回新たにそれ関連の目撃情報が、とある筋から入って来たんだ」
先輩はそう言って、教室の隅に置いてあったノートPCを俺の前に持ってきた。画面には、花田市都市伝説研究会とタイトルされたHPが開かれている。これ……俺が湖水の精霊の情報を仕入れたサイトじゃないか!
「これはこの部のHPなんだがね、ほら、ここのコメント見てくれたまえ」
先輩が画面を爪でコツコツ叩く。俺はコメントを読み上げた。
「十月の一日、深夜二時くらいに数人の黒いコートを着た集団がぞろぞろと歩いているのを見ました。彼らが集団で何をしようとしていたのか、どこに向かって歩いていたのか、興味がつきません。調査をお願いします」
ガセネタじゃないんですか? とは聞けなかった。この黒いコートの集団が、もしかしなくても露出狂達だってことは、簡単に予想できたからだ。
俺は思わず水無月先輩の方を見た。先輩は、眉ひとつ動かすことも無く、一心に本を読みふけっている。
日野は続けた。
「僕はここにコメントを書き込んだ人間に、極秘ルートを使って接触、話を聞いてきた。彼は、集団に出くわして怖くなって逃げたそうだが、逃げる前に彼らの姿を激写していた。これだよ」
日野がポケットからスマートフォンを取り出し、俺に見せてくる。画面には、かなりブレが激しいものの、ちゃんと黒いコートの集団の姿が映っていた。黒いコートの人影は、ざっと数えて六、七人ってところか。奴らの格好が格好だから、数えるのも一苦労だ。
……ん?
俺は目を細くした。集団の先頭に立つ黒いコートに目をつける。よく見てみると、そいつは仮面をかぶっていた。これ角? ここは……牙か? 鬼の、能面……?
俺は目を見開いた。
この能面、昨日のアサシンだ!
「どうしたね?」
日野が訝しげに俺の顔を覗き込んでくる。
「い、いえ」
俺は慌てて返した。「これは、その、興味深いっすね」
「だろう!? そしてさらに、これは信頼できる筋からの情報なんだがね、なんと、同日同刻に、この写真の場所から五百メートル南で、別の黒いコートの集団が目撃されているんだ! この二つから想像するに、おそらく彼らはどこかに向かって歩いていた。どこへ向かっていたのかは分からない。しかし、何のためかと言われれば、候補は絞られてくる」
「それで……魔宴ですか?」
俺が合いの手を入れると、日野は大きく頷いた。
「彼らが何らかの集会を開いている……そう考えるのが自然じゃないだろうか? どうかね?」
「確かに……同種の異なる集団が、どこかへ向かって歩いていたって言われると、何かしらの集まりがあるってのが普通の思考ですかね。単なる偶然や、あるいはダークホースで決闘とかも考えられるけど、どっちもナンセンスな気がします」
というか、多分これは間違いなく何かしらの会合だ。
アサシンは自分の主のことを『盟主』と呼んでいた。アサシンを筆頭とするグループ及びその他の集団を束ねるのが『盟主』だとすれば、こいつらがこうやって集団で向かっている先は『盟主』のもとだと考えるべきだろう。
奴らは、深夜に会合を開いている。『盟主』の下に集まり、何かしらの話し合いをしている。
「素晴らしい! 新入り君! 君はとても優秀じゃないか!」
「いや、ですから、俺は……」
興奮してはしゃぐ日野に、俺は困り顔を向けた。ここらで俺が入部する気は無いってことを言っておかないと、あとあと面倒なことになりそうだ。
俺が訂正を入れようとしたときだった。
教室の引き戸がガラリと開けられ、
「生徒会です」
ナナカが手に持ったわら半紙を前に突き出しながら、憤然と突入してきた。
「日野先輩。貴方がたの同好会は部として認められていないのに、どうして堂々と文化祭のパンフレットに紹介ページが載っているんですか? しかもブラスバンド部のページが勝手に削除されています。ブラバンのページに割り込みましたね?」
「パイプ咥えてわけ分からん演奏している部活の紹介など不要だろう。それよりも我が会の崇高なる紹介ページを載せた方がパンフレットも数倍映えるというものだ」
突然のナナカの訪問にも、日野は涼しい顔で受け答えする。ナナカは、何とか感情を抑えつけようと口元をぴくぴくさせていた。
「部として認められていない以上、文化祭への参加は不可になっているんです。何度言えば分ってくれるんですか? それ以前にブラバンのページ無くなれば、文化祭当日の演奏会で新たにパンフレット配らないといけません。この責任をどう取るおつもりですか?」
「パンフレットくらい僕が一晩で作ってあげるよ。あと、我が会は今日をもってめでたく部へと昇格だ。ほら、新入部員の子だよ。名前は――ええっと、何て言うんだっけ?」
日野が俺の方に顔を向ける。そういや自己紹介していなかったな、俺。
ギロリとナナカが険悪な目を向けてくる。視線だけで呪い殺されそうだった。
ナナカの言いたいことは痛いほど伝わってくる。「何でよりにもよって貴方がここにいるのよ?」だ。水無月先輩を追ってきたら、ここに辿り着いちゃっただけなんだけどな。
ナナカは日野に視線を戻す。
「先輩。そういう問題ではありません」
「じゃあどういう問題なんだね?」
「貴方のしたことは、立派な不正行為です。パンフレットに載せてもらえないということで、多くの同好会が等しく涙を呑んでいるんです。それなのに、貴方がただけが不当な手段でページをハイジャックし、あまつさえブラバンのページを強引に奪った。生徒会としてはこのような行為、断じて認めるわけにはいきません」
「部としての体裁はできている。ブラバンのパンフも作る。これでいいじゃないか。他の同好会をしり目に我々がページを獲得したのは、あくまで純粋な闘争の結果だ。指を咥えてうらやましがるのなら、他の同好会も力づくでページを奪えばいいのだ」
「―――――」
暖簾に腕押し。しかも微妙に筋が通っている日野の反論に、ナナカは静かにキレていた。
一触即発の沈黙を破ったのは、
「――高倉シン」
鈴のような、水無月先輩の声だった。
あまりに自然で――あまりに綺麗な声だったからか、その場にいた俺達全員の視線が先輩に集まる。先輩は読んでいた本をパタンと閉じて、俺を正面から見つめた。人間味の無い無表情なのに、目は宝石みたいにきらきらと輝いていて、それだけで吸い込まれそうなくらいに魅力的だった。
「高倉シン。貴方の、名前」
「ええと、ああ、はい。確かに俺の名前です」
間の抜けた返答をする俺。
場の空気は、毒気を抜かれたみたいになった。
そして流れる何とも形容しがたい色を含んだ沈黙。
やがてナナカが小さく咳払いをした。
「高倉シン君」
あ、俺に矛先が向いた。
「死んで下さい」
酷いな!
ナナカはかつかつという音を上履きで鳴らしながら、教室のドアから出ていった。俺は立ち上がるとナナカを追いかける。
追いかけた理由? いや、別に大したことじゃない。事件のことで色々と話がしたかっただけだ。こっちも有用な情報を手に入れたし、それを交換条件にナナカの掴んだ情報が知りたかった。そしてついでに――この先もマギウスの依頼を受け続けるのか、あいつの考えを聞かせてほしかった。
教室を出たところで、俺はオレンジ色の光を浴びるナナカの後ろ姿に声をかけた。
「ナナカ」
「……なんですか?」
ナナカが立ち止まる。但し振り返らない。
「情報交換しないか?」
「しない」
即答かよ。お前、ほんっとつれないな!
「そうかよ。じゃあ、あと一つ。お前、依頼おりないの?」
「おりる?」
ナナカはオウム返しに訊いたあと、ゆっくりとこちらに振り返った。「どうして?」
「いや、だってさ、昨日危うく脱がされかけてたじゃん? あんな目に遭ったら、普通ならさっさと依頼断るだろ」
「じゃあ、私は普通じゃないだけね。私は途中で投げ出す気は無いわ」
「どうしてだよ? お前が断っても、困るのは生徒会長だろ? 究極的に言えば、マギウスにビデオ撮られた会長に責任があるんであって、お前には関係ない。見捨てちまえばいい」
「それ本気で言っているの?」
本気も何も、常識的に考えての忠告だ。
無言で突っ立っている俺を、ナナカは渋い表情で見ていた。なるほどな。やっぱりお前は不快になるのか。
つまり、俺の「見捨てちまえ」という一言に腹を立てるような損な性格をしているわけなんだ、お前は。
ほんと――変わってないな、昔から。
「会長、泣いてた」
「え?」
「だから、生徒会長。三日前、あの人の家に生徒会の仕事持って行ったら、あのマギウスとかいう奴にビデオ撮られたと言って、泣いてたの。それで今日も、胃痛で欠席されてます」
うーん、まあ会長が泣いちゃう気持ちは分かる。俺だって今朝は自殺したい気分だったし……。でも女々しいぞ会長。男だったら、やり返すくらいの気持ちでいろよ。
ナナカは続ける。
「生徒会長、すごく良い人なんです。優しくて、面倒見が良くて。なのに……あんなに良い人が、理不尽にも泣き寝入りしているなんて、許せない」
ナナカはその両目にめらめらと炎を揺らめかせていた。
「それに露出狂なんてのは女の敵です。全部せん滅して然るべきです。だから――マギウスの手に乗ったふりをして、事件を解決。そのあとビデオを放棄させて、こちらに弱みが無くなったところで、警察に通報し、残りの露出狂も一網打尽にします」
ナナカはそれだけ言うと、長い黒髪を翻した。俺はそんなナナカを呼びとめた。
「待てよ。会長を助けたいとか、露出狂が許せないとかいうお前の言い分は分かった。けど、それはお前の身の安全を度外視していい理由にはならないだろ。そりゃ露出狂は命まで奪う気はないだろう。だけど、お前の身ぐるみを剥がして縛り上げることくらいはしてくる連中なんだぞ」
「それは――」
ナナカが言い淀む。俺は続けた。ただ、思ったことを自然に口にしていく。
「お前は何でもできるし、他人の世話くらい十や二十は簡単に背負えるくらいのキャパシティもある。でも今回に限っては分が悪いんじゃないか? 純粋な体力勝負になれば、昨日みたいなことになっちまう。今のお前のキャパを越えてるんだよ」
「っ!」
ナナカはキッと俺を睨みつけてきた。だけどそれも一瞬だった。視線を下に落とし、歯の隙間から声を絞り出すみたいに言葉を紡ぐ。
「確かに……その通りだわ。納得は出来ないけど、貴方の言っていることは正しい」
「お前、やっぱりすごい奴だよ」
俺はふっと息を吐いた。こいつは伊達に頭が良いわけじゃない。こうやって人の意見を聞き入れて、修正する能力をきちんと持っているんだ。こういうとき俺は「こいつには絶対敵わない」って思う。
「だけど、納得はできないのは変わらないわ」
「そうなんだろうなあ……」
「あの宵闇のアサシンとかいうのに制裁をくわえないといけないし」
「物騒だな」
「ええ、だから――」
ナナカはスッと顔を上げた。その次に来る言葉が何かは、俺にはもう分かっていた。
だから俺は、ナナカが口を開く前に、申し出る。
「俺、正直困っているんだ。マギウスに弱み握られて、無理やり働かされて。限られた時間の中で、事件を解決しなきゃなんない。――そして、できることならマギウスもとっ捕まえてボコボコにしたい。ナナカ、お前のことは気に入らない。だけど、背に腹はかえられない。だから――」
俺は右手を差し出す。
「協力してくれ」
ナナカは俺の差し出された手をしばらくの間じっと眺め――ぱちーんと右手で弾いた。
「了解。でも慣れ合う気はないから」
呆気にとられる俺と、そんな俺を置いてけぼりにするナナカ。
今度こそあいつは遠ざかっていく。
俺は廊下の向こうに消えていく後ろ背を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「握手くらいしてくれよ」
差し出した手が超寂しいじゃねえか。
だけど――。
叩かれて熱くなった右手が、やけに頼もしいじゃねえか。
× × ×
俺が感傷に浸っていると、背後で教室のドアが開く音がした。
俺が振り返ると、水無月先輩が鞄を持って立っていた。
「あれ? もう部活終わったんすか?」
「……」
無言。えっと、イヤホンしているとかじゃないよな? 俺の声、聞こえているよな?
「お、お疲れ様っす」
こっちは後輩なわけだし、俺は礼儀正しく頭を下げることにした。先輩は、
「……」
やっぱり無言。ちょっと悲しくなってきたな。つうか挨拶すらも無視されたんじゃ、こっちとしては居たたまれない。俺はばつが悪くなって、視線をそらせながら、先輩に道を空けた。
と、
「……今日夜十時。花田池に来て」
先輩はスッと滑るような動きで俺に間合いを詰め、平淡な調子で耳元にそう囁いた。
「え……? あのちょっと先輩?」
俺は慌てて先輩に呼びかけるものの、彼女は俺の声を無視して廊下の向こう側にすたすたと消えていってしまう。
「……聞いてないし……」
俺がため息交じりに漏らしていると、また教室のドアが開いて、日野が出てきた。
「あ、ども、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」
おお、会話成立! 互いをねぎらい合うっていう何でもない日常の一コマなんだけど、今はそれが妙に嬉しい。先輩は、俺の学生鞄をよこしてくる。持ち出して来てくれたんだな。
「すんません。ありがとうございます」
「いいって、いいって。それより、明日の夜中は空けておきたまえ。重要なミッションを行うのだからな!」
「は……?」
「ふふふふふ。何をするんだろう!? すごい楽しみだ! って顔をしているな。ドキドキするよな? 君の気持は良く分かる。何せ今日の話の流れで、極秘ミッション出現だもんな! だが平の部員である君にはまだ詳細は明かせない! 残念だったな」
「あの、残念も何も、俺はまだ入部――」
「つまり、明日になってからのお楽しみということだ! ヒントは怪人たちの魔宴! さあ、存分にどきどきしていたまえ」
「いや、ですから」
日野は鷹揚に手を振って俺の言葉を遮る。
「ははははは! じゃあ、今日はたっぷりと睡眠をとるんだぞ! 明日、部室で会おう! ははははははは!」
「あ、ちょっと、先輩!」
俺は呼びかけるものの、日野は聞いちゃいないようだった。高笑いを残してずんずん廊下を歩いていってしまう。一瞬追いかけようか迷ったんだけど、断念した。あれは確実に確信犯だ。水無月先輩が俺を無視するのは天然かもしれないが、日野は絶対分かってやっている。
多分、このままノリで俺を部に入れてしまう気なのだろう。
ここで追いかけて、「部に入る気がない」と言えば、何かしらの理由をつけて無理に入部届けを書かされそうで怖かった。あの人マギウスと同じ臭いがするんだよな。俺の本能がここで日野を追いかけてはいけないと警鐘を鳴らしていた。
というか、先輩とコンタクトがとれた以上この部にはもう用済みなんだ。明日からここへ来なければ何も問題はない。
それよりだ。日野のことは置いておいて、今は水無月先輩との約束である。
「十時に花田池か」
とにかく、これで少しは話が前に進みそうだ。
俺は一つ頷くと、足早に部室前を後にした。
× × ×
そういうわけで俺は、遠足を楽しみにしていた小学生みたいに、待ち合わせの三十分も前に花田池に到着していた。もちろん先輩の姿は見当たらない。待たせるより待つ男。女の子に呼び出されるとか初めてだからあわてて先走ってしまったのは内緒である。
空には白い月が浮いている。昨日が満月だったわけだけど、今日も見かけは満月と変わらない。
俺は花田池を前に一人立ち尽くしていた。相変わらず絶景だよな。
頭上に浮かぶ月。池の水面に浮かぶ月。風にさざめく木々の葉っぱ。大きく息を吸えば、冷たくて清涼な空気が肺に満ちていく。風は、ちょっとだけ水の香りを含んでいた。
俺がぼうっと目の前の景色に魅入っていると、
「――おや、君は……」
後ろから精悍な声が響いてきた。俺はギョッとして振り返り――もう一度ギョッとなった。
振り返った先には、黒いコートの男。白い歯がキラーンと輝いている。
誰だよ。露出狂ってことは分かるけど誰かは知らねえぞ。
「やっぱりだ。君、昨日の新入りでしょ?」
男はひたひたと俺に近寄って来る。俺は一歩後ずさった。
「あの、誰?」
「ああ、まだ面識はなかったか。実は昨日、マギウスに頼まれて、君をベンチまで移動させた者でね」
男の姿が月の光に照らされて鮮明になっていく。年は二十代後半ってくらい? 背が高く、見た感じ色黒で体は引き締まっている。――そしてコートの下は、やっぱり何も着ていないんだろうな。
つうか、新入りって何だよ?
「私の名前はインビジブル・ウィンドだ。趣味はボディペイント。よろしく。君のことはマギウスから聞いて知っている。何でも新しい性癖に目覚めて、我々の仲間になりたいと志願してきた見習い露出魔なんだって?」
「あははははっ! 全然違います☆」
マギウスそろそろ死んでいいよ。
「新入り君?」
「いやですから、俺は新入りじゃないです」
俺は再度訂正する。男は「違うの?」と訝しげな顔を見せた。何その俺が露出狂じゃないなんて悪い冗談だみたいな顔は。
気が付いたら周りから露出狂扱いとかシャレにならない。勘弁してくれよ。
俺は訂正を試みようと口を開く。と、月明かりに照らされた男の顔が、俺の目にばっちりと飛び込んできた。
あれ? この人どこかで見たことあるような。
俺は首をかしげた。
脳裏に、数週間前に選挙カーに乗って「政治とは、あったかいご飯が食べられるということです!」と熱演していたとある市議会議員の姿が想起される。
「……あの、もしかして市議会議員の本郷さん、ですか?」
俺が恐る恐る尋ねると、
「しっ。露出魔はリアルの名前を呼んではいけない。……我々は、隠れ忍ぶ存在なんだからね」
本郷さん(確定)は唇に手を当てて軽くウィンクして見せた。
マジかよ。この……変態青年紳士が、あの市議会議員の本郷さん? 日本の将来心配になってきたじゃねえか! だって若手実力派議員が露出狂なんだぜ? 花田市の政治終わってんじゃねえのか!?
「性癖と政治は関係ない。君もいずれ分かる時が来るよ」
本郷さんが俺の感情を読み取ってか、力強い言葉を投げかける。あまりに自信満々な言いようなもんだから、一瞬「そんなもんなんだ」と納得しかけた。俺もそろそろ脳みそが腐ってきているのかもしれない。
「それで、新入り君は、どうしてこんなところにいるんだい? ここは湖水の精霊のテリトリーだよ?」
「何度も言いますけど、俺は新入りじゃありません。極めてまっとうな男子高校生です。ここへ来たのは、水無――湖水の精霊さんに呼び出されたからで」
「へえ……」
本郷さんは、目を細めた。「それはまた何故?」
「最近露出狂がこの辺りで悪さしているじゃないですか? そんで、俺がその事件を解決しようとしてんですけど、彼女に協力してもらおうって思って……」
「なるほどね。リアルを考えれば、確かに彼女が一番の適任者だろうな。――そうかそうか、君らの捜査状況はそんな風になっているんだね。他に進展とかはあるの? 例えば、敵の正体を明確に掴むことができたとか」
「ああ、いや、それはまだっすね。はは……。頼まれたのついこないだですし、まだ全然っす」
俺が苦笑いすると、本郷さんはふっと息を漏らした。
「そうか。僕も出来るだけバックアップするよ。リアルがあるからあんまり力になれないかもしれないけど、僕に出来ることがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「あ、はい。ありがとうございます」
ヤバい。本郷さんめっちゃいい人だ! 露出狂って、マギウスとかアサシンみたいな変人しかいないと思っていたけど、こんなまともな人もいるんだな!
いや……露出狂って時点でまともじゃないのか? まあいいや。
「――高倉シン」
俺と本郷さんが和んでいると、鈴みたいに綺麗な声が割って入ってきた。見ると、水無月先輩が林の中からやってきたところだった。格好は、黒のタートルネックのセーターにこれまた黒のスカート、それに白いニーソックスというものだった。ちょっとゴスロリっぽいファッションである。黒いコートにその下は何も履いていないという露出狂ファッションを大いに期待していた俺は、落胆の色を隠せなかった。
先輩は、そんな俺の様子を見て、
「元気ない?」
「いえ……そんなことないっすよ。先輩、今日はコート一枚じゃないんですね」
俺がそう言うと、先輩は、無言で視線を下に落とした。微妙に頬が桜色に染まっている……? 気のせいかな?
「では、僕はこれで失礼するよ」
本郷さんが爽やかにほほ笑む。俺も「ども、お気をつけて」と返した。あの格好で警官に出くわしたら確実にアウトだろうからな。政治生命及び社会的体裁のためにも、是非とも気を配ってほしいものである。
本郷さんががさがさと林の奥に消えていくと、当たり前だけどその場には俺と水無月先輩の二人きりになった。沈黙が痛すぎる。
「えー……っと。先輩、お時間とらせてすんません」
「……」
「先輩? もしかして怒ってます?」
先輩が表情一つ変えないので、俺はめちゃくちゃ不安になる。これ……本題切り出してもいいのか?
俺が戸惑っていると、先輩はくるりと踵を返した。そしてすたすたと林の方へ歩いていく。
「え? ちょ、先輩! どこ行くんですか!?」
慌てて呼びかけると、先輩はこちらに振り返って、不思議そうに小首を傾げた。手入れされた髪の毛先がさらりと揺れる。
「私の家。……いや?」
「嫌ってことはないですけど……って、先輩の家!? ど、どうしてですか!? 話し合いならここで……」
「盗み聞きされるかもしれないから」
「でも、先輩のご両親も、こんな時間に男を家に上げるなんてことを許してくれないでしょう」
「……」
どうしてそこで黙り込むんだ……。
「じゃあ」
先輩は正面から俺を見つめた。
うわ。やっぱりすごく綺麗な目。
「じゃあ、君の家」
「へ?」
先輩は、もう一度、今度はしっかりとした声で繰り返した。
「君の家に連れてって」
× × ×
まあ俺ん家親いないし? 花田池からは言うほど離れてないし? 近くに商店街もあるから割かし治安もいいし? でもですね、男ってときとして狼になっちゃうんですよ、はははー。
と抗議したら、「手を出して」と言われた。何の脈絡も無いお願いに多少戸惑いつつも手を出すと、次の瞬間視界が反転していた。
次いで背中に激痛が走って、ようやく先輩に投げられたってことを理解。
……なるほどね。こりゃ俺が狼になっても簡単に撃退されちゃうわ。
コンクリートの固さと冷たさを身にしみて感じた。ちなみに投げられた場所は自宅近くの商店街。当然行きかう人たちはまばらだけどいるわけで、俺は衆人観衆に好奇の目で見られた。超恥ずかしかった。
俺の家は商店街を抜けた先にあるマンション『常盤』にある。ここへはついこないだ引っ越してきたばかりで、加えて、幸い俺には最低限の片づけはできるというスキルも備わっているので、割かし綺麗である。でも茶菓子とかは置いてないんだよな。ていうか来客用の茶葉すらない。先輩には安物の玄米茶で我慢してもらう他ない。
商店街で買って来た方が良かったか? でも来客である先輩の目の前でいそいそとお茶セット買うのも気がひけたんだよな。今度から茶菓子くらい買い置きしておこう。
やがて俺たちはマンション『常盤』に着いた。エンタランスを抜け、俺たちはエレベータに乗りこむ。俺が何となく「上に参りまーす」と呟くと、
「参りましょー」
と先輩が平淡な調子で答えてくれた。この人レスポンスのタイミングおかしいよな。
先輩を家に入れて、とりあえずリビングに通した。親父の仕事の関係で、リビングには洒落た来客用のソファが置いてあるので、先輩にはそこに座ってもらうことにした。玄米茶をいれて出し、先輩と向かい合う。
「えっと、それで、話しなんですけど」
俺がそう切り出す。先輩はきょろきょろとリビングの内装を見まわしていた。俺の話し聞く気あんのかよ。
「お父さんとお母さん、いないの?」
先輩が唐突に聞いてくる。
「ああ、はい。あと二カ月は戻らないって電話で言ってましたね。あ……びっくりしますよね、親がほとんど帰って来ないとか。ははははは。うちの親、子供とかほったらかして働く仕事馬鹿でして」
「じゃあ、一人暮らし?」
「そうなりますね」
俺が肯定すると、先輩はフッと表情を崩した。
「私も同じ。一人暮らし」
「あれ? そうなんですか? やっぱり仕事か何かで?」
俺がそう尋ねると、先輩は無言になる。でも、今回はいつもの無表情ではなくて、微妙に逡巡するような表情になって、
「母は死んで、父は……あまり帰って来ない」
「そうすか。じゃあ同じっすね。あ、俺の方はまだどっちも生きてるから、まだ事情は軽いかなー」
「……困った顔、しないのね」
「へ? 困る? 俺がですか? そりゃまた何でです?」
「昔……この話しをしたら、皆困った顔をしてた」
ああ、考えてみれば、そりゃ困った顔するか。だって普通は皆家に両親いるもんな。いきなり、親が片方死んでて、もう片方は帰って来ないとか言われたら、すげえ気まずくなるもん。あと、先輩の話しを聞いた人達が多分すごく良い人達だったんだと思う。人の話しを聞いて、きちんと共感できて、気まずくなれる人達なんだから。俺なんかは同情すらせずに「じゃあ同じっすね」なんて軽い調子で混ぜ返しちまったし。
先輩は玄米茶の入ったマグカップを両手で持ち上げて、コクリとお茶を飲んだ。
「だから、父と母の話しはしないようにしてた」
「そうなんすか。じゃあ自己紹介のネタとか結構困ったんじゃないですか?」
「……」
「あ、困らないすか、はは……」
つうかそろそろ本題に入りたいんだけど……。
俺のそんな気持ちが伝わったのか、先輩はマグカップを置くと、俺と向き直ってくれた。
「本題。話そう?」
そう言った先輩の声は、ちょっと明るくなったように思えた。
× × ×
「つまり、アサシン達は、隣町を根城にしている露出狂だと言うんですね?」
「そう。つい一か月前までは目撃情報は全て隣町でのものだった」
俺の確認に、先輩はこくりと頷く。先輩は続ける。
「しかも、その情報元は、私たち露出魔のものだけで、一般人には彼は知覚されていなかった。つまり――少なくとも一か月前までは、彼は『節度ある』露出魔だった」
「ええっと。それが最近になって、こっちの街に来て、無差別に露出行為にふけっていると」
時計の針は十一時を指していた。先輩は帰る時間を全く気にしていないようだ。のんびりとお茶を啜っている。
「特に私のテリトリーが荒らされている」
「ああ、そういやそうですね。昨日あいつと遭遇したのも、池の横でしたし」
先輩は考え込むようにマグカップをテーブルに置いて、じっと見つめた。
「多分……『盟主』は隣町の東花田市の露出魔。アサシンは、そいつに命令されて、私たちのテリトリーを荒らしている」
「どうして、『盟主』が隣町の奴だって分かるんですか? もしかしたら、この町の奴かもしんないじゃないですか」
「この町の露出魔なら、司法警察が活発になるのを望まない。私たちの縄張りが荒らされて得をするのは、他の町の連中だから、アサシンが仲間にいることも含めて、隣町の露出魔である可能性がかなり高い……。ふう。しゃべりすぎて、疲れた……」
「……なんか理解力足りてなくて申し訳ないです。でも分かりましたよ、先輩の言っていること。要は隣町の連中が、うちの町の露出魔の縄張りを荒らして、警察を動かそうとしているってことですよね?」
「あくまで推測」
「いや、そうでもないです。だって、そういう話しなら、あいつらの動機もはっきりしますもん。つまり奴らの狙いは、うちの町の露出魔から露出行為が出来る場所を奪うことなんですよね? 先輩たちのテリトリーを荒らして、警察を刺激。警察によってうちの町の『節度ある』露出魔は、捕まったり、その行動を大きく制限されたりする。そうやって疲弊したところを、一気に制圧しようって腹なんでしょ?」
俺が指摘すると、先輩はわずかに目を見開いた。かわいい。
「……何か他にも動機はあるかもしれない。だけど、今考えられるのはそんなところ」
「なるほど。あいつらの正体と、動機ははっきりし始めましたね。あとは、どうやってあいつらを止めるかですが、やっぱり『盟主』を捕まえないと駄目ですよね?」
「……」
先輩はこくりと頷く。俺は息を吐いた。
「でも……どうやって捕まえりゃいいんだ。『盟主』って、つまり黒幕なんだから、簡単には表には出てこないんじゃないかなあ……。うーん」
「それに関しては明日の日野の作戦を利用すればいい」
「え……?」
「日野が得意げに言っていた極秘ミッションの内容は、『怪人』を捕らえること。彼は意外と抜け目が無いから、作戦に乗っかれば、かなりの確率で『怪人』――露出狂を捕獲できると思う」
「そうか! それで捕まえた露出狂に『盟主』の居場所を聞けば……!」
「そう」
先輩は頷いた。「アサシンクラスの強力な奴なら、きっと『盟主』に関することも知ってる」
「アサシンクラスですか。それは結構きついかも……」
「大丈夫。私がサポートに回る」
「は、はあ……」
先輩がサポートか。大丈夫なのかな……。俺を簡単に投げ飛ばすくらいだから、実力はあるんだろうけど、どこか抜けてる気がするんだよな。
「つうか、明日もあの部活に行くんですか……。俺もう関わり合いになりたくないんだけどな……」
俺はがくりと肩を落とした。ついでに腹がぐうぅぅぅうーと盛大に音を立てる。おっと、先輩に音聞かれちゃったかな? これは恥ずかしい。
「お腹、空いてるの?」
「はは。そういや昼にアンパン食ったきりでした。先輩、もう帰りますよね? 俺弁当でも買いにスーパー行くんで、ついでにそこまで送っていきますよ」
俺はそう言ってソファから立ち上がり――今さらのように外が土砂降りになっていることに気がついた。空調付けていたことや、先輩との話しに集中していたこともあって、雨音に全く気が付かなかったみたいだ。
さっきまであんなに晴れてたのになあ。女心と秋の空って言うだけはある。女心とか知らんけどね。
「先輩、家どこですか?」
「町外れの住宅街」
「町外れって、花田市と東花田市の境にある高級住宅街っすか!?」
明らかになる驚きの新事実。先輩って結構お金持だったんだな。
だけど、ここからあの高級住宅街までめちゃくちゃ距離があるぞ。商店街の終わりまではアーケードがあるからいいけど、そこから先輩の家まで推定で四キロはある。徒歩で行けば五十分くらいかかるはず。
この雨じゃ、傘なんてあって無いようなものだし……何より今は十月だ。風邪引いちまう。
「あの、先輩。もし良かったら泊っていきませんか? 変なことは誓ってしませんので」
「……」
あれ? 勇気を出して提案してみたんだけど、滑った? 別にそんな気は(ちょっとしか)ないんだけど……。
俺が一人でパニクっていると、先輩はちょっと首をかしげて言った。
「いいの?」
先輩は本当にどこまでも純粋な方なんですね……。
× × ×
スーパーの弁当は完売だった。さすがに閉店間際の半額弁当を当てにしたのはまずかったかね。
仕方がないので竹輪で我慢しようかと思っていたら、パジャマを買っていた先輩が合流してきた。先輩は俺に米はあるかと確認をとったあと(米は一応買い置きしてた)、そこら辺の陳列棚に残っていた割引商品を手早く購入。
部屋に戻って、俺にキッチンを貸してくれるように頼むと、料理を開始。そのあと十五分弱くらいで皿を手に戻ってきた。
シーフードときのこのピラフにニンジンのそぼろ煮、あとほうれん草と竹輪にポン酢をかけたものが出てきた。本当は下ごしらえをするからもう少しましな味になるとか先輩は言っていたけど、普通にうまかった。あんぱんと弁当の生活を送っていた俺には過ぎた食い物でした。
実は料理が出てくるまでめちゃくちゃ不安だった。小学校の頃、調理実習でナナカの作った飯を食べたクラスの皆(俺を含む)が瀕死になったできごとを思い出しちまったからだ。あいつ料理だけはからっきしなんだよな。今でも軽くトラウマ。
ああ、先輩が料理してる間、俺は実に紳士的に待っていたよ。先輩のニーソックスに包まれた足を仔細に観察したり、先輩のミニスカに眼力を集中させてお尻の形を透視しようと努めたり、先輩の身につけているエプロンになりきって、先輩の匂いを想像の中でくんかくんかしていたりした。想像の中なら何をやっても法律違反じゃないよね。
俺が飯食ってる間に先輩は風呂に入って、そのあとちょっとドキドキしながら俺も入浴。風呂場に立ちこめていた湯気に軽く半勃ちになり、浴槽の中でフル勃起してしまったのは秘密だ。そのあと体の汚れと一緒にあるものを排水溝に流す羽目になったが後悔はしていない。だが言い知れない罪悪感はあった。ごめんなさい先輩。
× × ×
朝になって俺は布団の中でスーパー賢者タイムを迎えていた。
先輩は母さんの部屋で眠っている。俺は外で雀がチチチチチ、と鳴いているのを聞きながら、先輩の寝ている姿を想像する。
……いかん。これ以上は危険だ。俺を信用(?)して泊った先輩にそんな淫らな妄想をしてはいけない。煩悩よ消えろ色即是空空即是色……ッ!
俺は掛け布団をのけて、ゆっくりと上半身を起こした。
何か妙にすうすうするな。
俺は何の気なしに自分の胸元を見下ろす。
裸、だった。
「え……? は……? ハアアアア!?」
びっくりして跳ね起きる俺。
しかし、下半身には柔らかくて温かくていい匂いのする何かがしがみついていて、がくんと布団に引き戻される。俺は反射的に掛け布団を引きはがして中身を確認し、
「○×△□◇@¥!!!」
声にならない悲鳴を上げた。
俺の何も装着していない下半身にしがみついて規則正しい寝息を立てていたのは、水無月先輩だった! 昨日先輩が買っていた茶色のパジャマの胸元から胸の谷間が見えているし!
「着衣パイ○リ!?」
って何叫んでんだ俺! あほか!
え、ちょ、何これ!? 何なのこれ!? 夢!? 夢なんですか!?
そして事態は留まる事を知らなかった。俺の悲鳴に呼応するように、枕元のスマホが着信音を鳴らし始める。俺はまごつきながら電話に出て、
『あ、シン? 私、高倉ナナカですけど、話したいことがあるの。今貴方のマンションの前にいるんだけど、もう起きてる?』
前!? 何で!? だってお前と俺って基本敵対してるだろうが! ……って、あ……。つい昨日協定結んだったんだっけか!? ええい、とにかくナナカを追い払わねば!
「起きてません! 俺は今絶賛睡眠中です!」
「ん……? 朝……?」
そしてタイミングを見計らったように先輩が目をこすりながら体を起こす。
『シン? 誰かいるの?』
「いねえよ! おれ一人なんだよ! 悪いかよ!」
『何で怒っているの?』
「怒ってねえよ……!」
涙声になりながらそう返す俺。もうボロボロだった。俺は先輩に自分のモノが見えないように背を向ける。
『はあ……。まあいいですけど。それよりそろそろ七時よ。起きた方がいいと思うけど』
「ああ、ああ、分かっている! 分かっているんだ! 俺はとても焦っている!!」
『まだ焦るような時間じゃないけど……まあいいです。玄関、入ってもいいわよね? その……この前のお礼に朝食買ってきたから、これでチャラに――』
「俺今裸なんだ!!」
俺は絶叫した。「裸なんだよォッ!」
『え?』
「だから、何も履いてないのォッ! すっぽんぽんなのォッ!」
「シン……これ」
先輩が俺の背中をつんつん突いてくる。涙目になりながら振り返ると、いつぞやの赤いビキニを差し出していた。俺は小声でお礼を言うと、ビキニをひったくって身に付けた。
『貴方……家では裸族なのね……』
電話越しに響いてくるナナカの蔑み切った声。俺は必死で弁明を試みる。
「ち、違うんだ! 俺だってどうしてこうなったのか全然分かんなくて! ああ、もう、一体全体どうして……! つうか何で先輩が俺の部屋にいるんですか!」
『先輩?』
「あっ、違、違う! 間違えた! 今の無し! 先輩じゃなくて、せん――せんぷぁい。せんぷ、あい……き! せんぷうき! そ、そう、扇風機さ! 実は昨日扇風機を新しく買い替えたんだけど、こいつが結構イカレタ奴でさ! 朝っぱらから人の声そっくりに鳴くんだよ。ぶぅんぶぅんぶぅぅんってさ! 全く、まいっちゃうよな、HAHAHAHAHA!」
『何でもいいけど、鍵開いているみたいだから勝手に入って待ってるわよ』
「えええっ!? で、でも……あ、そうだ! お、俺んち今散らかってて! 人様には見せられない状況なんだ!」
『いとこ相手に何気を使っているのよ。ほら入るわよ』
そして階下から響いてくるナナカの「お邪魔しまーす」と言う声。俺は「ノオオオオオ!」と叫び声を上げると、部屋から飛び出して階段を三段飛ばしで跳びおりた。
玄関で靴を脱いでいた学生服姿のナナカが目を丸くして俺を見る。
「貴方、その格好……」
「いいから! 気持ちだけ受け取っておくから! 頼むから今日は勘弁して下さい! この通りです!」
ほぼ全裸で土下座する俺。ナナカは口をパクパクさせていた。
「え、ええ……何だかただならない雰囲気なのは分かったわ。えっと、これ、お礼の卵サンド……」
お前卵サンドでチャラにしようとしてんのかよ、どんだけケチなんだよ、といつもなら茶々を入れるところなんだが、あいにく俺にはそんな余裕が無い。だって、上にはパジャマ姿の先輩がいるんだ! このままコイツを家に上げたら確実にボロが出て、不純異性交遊がどうとか言い始めるに違いない! つうか下手したら学校にチクられる!
ナナカの差し出してきたコンビニの卵サンド(一八〇円)を収めて、俺は誤魔化し笑いを浮かべる。ほうら、何も怪しいところはありませんよー! だから早く出ていきやがれですよー!
「あら?」
そして俺のカモフラージュも虚しく、ナナカは玄関にきっちりとそろえて置いてあった花田高校指定の女子生徒用革靴に目を落とす。
「ナナカ! 違ッ! それは俺が……ッ!」
「シン、洗面所、突き当たりを右だった?」
「ええ、そうですけど! 今俺は大事な話しをしているんです、少し静かにしていて下さい!」
「卵サンド……」
「ああ、はい。ナナカが持ってきてくれたんですよ、あとで食べましょう」
「ん。――あ、言い忘れてた」
「何です!?」
「シン、おはよう」
先輩はそう言うと花が咲いたように笑った。俺の胸に爽やかな風が吹き込んでくる。つられて俺も笑った。
「ああ、おはようございます。先……輩……?」
あれ? 何かがおかしい。何がおかしいのか分からないけど、何かが間違っている。
水無月先輩は階段の最後の一段から降りて、こちらに背を向けて廊下の突き当たりに消えていく。先輩が角を曲がったあと、程なくして洗面所のドアがバタンと閉められる音が響いた。
しーーーーん……。
ハリセンボンが激烈に怒ったようなとげとげしい静寂。
「――そうですか。そういうことだったんですね」
静かな声に俺はギギギギギ、とロボットみたいにぎこちない動きで振り返る。ナナカは先程の先輩に負けず劣らず華やかな笑みを浮かべていた。「私、お邪魔だったみたいね」
「ナナカ、落ち着いて聞いてくれ。これには深い理由があってだな」
「何が? 別に言い訳とかいいですから。私と貴方は所詮いとこ。惚れた腫れたの話しは関係ないですし、勝手にやっていればいいじゃないですか」
「そうだけど! た、頼む! 学校にはチクらないでくれ!」
「……何故私が学校に報告しないといけないんですか? たかが貴方程度の恋愛事情を。思い上がらないで下さい」
「い、いや、別に思い上がっているわけじゃないんですよ?」
「浮かれているだけなんですよね? 分かっています。死んで下さい」
にっこり。
「ひぃぃぃぃ!」
「では――くれぐれも性病にはお気を付けになって?」
ナナカは最後にもう一度にこりとほほ笑むと、踵を返して出ていく。マンションのドアがバーンと勢いよく閉められた。
後に残された俺は、朝の冷気に大きなくしゃみを催したのだった。
踏んだり蹴ったりだよ……。
× × ×
仕事に向かうサラリーマンが行きかう商店街。俺は先輩と並んで歩きながら、努めて冷静に疑問を投げかけた。
「先輩、どうして俺の部屋で寝てたんですか?」
先輩は前を向いたまま唇だけを動かす。
「お部屋、間違えた」
「どうして俺のパジャマが布団の外に放り出されていたんですか?」
「……?」
どうして首をかしげるんですか。
「水無月先輩、普通布団の中に潜り込む前に誰かが寝てることなんて気がつくでしょう! しかも、認めたくありませんけど、俺は何故かパジャマ脱いでいた。裸の男が布団で寝ていたら、驚いて我に返ってしかるべきです。なのにどうして平然とそのまま寝ちゃうんですか! おかしいです! 俺だったからまだ良かったですけど、他の男なら水無月先輩は――その、乱暴されていたかもしれないんですよ!?」
「……カンナ」
「はいっ!?」
「私の名前……。カンナ」
「だから何なんですか!?」
「名前で呼んでほしい」
「――――――――」
おかしい……。確かに日本語でやり取りをしているはずなのに、全く会話が成立していない。こっちがやわらかにボールを投げているというのに、どうして新幹線並の剛速球が投げ返ってくるというのだろうか。
俺は頭を抱えた。
「シン」
それから学校へと続く坂道を上っていると、先輩が図星に声をかけてきた。
俺は登校する周りの生徒達の視線を気にしていたので生返事になってしまう。
「何ですか、カンナ先輩」
「これ……お弁当」
「ああ、どうもありがとうございま――」
「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
先輩が差しだしてきた、もう年単位で使われていなかった弁当入れを受け取った瞬間、俺の後ろで叫び声が爆発した。俺が驚いて、カンナ先輩がノ―リアクションで振り返ると、二年一組の教室で出会った、カンナ先輩ラヴのちょっとかっこいいけどいらっとする先輩(男)がガニ股で、こちらに指をさして、わなわなと震えていた。
「お、おまっ、おまっ――」
「ああ、先輩、おはようございます」
「お前! これはどういうことだよ!?」
先輩(男)は俺の首をがっちりとホールドする。
「い、痛いですよ! どうもこうも、先輩が俺んちに泊って――」
「キエエエエエエエエ!」
どこかで聞いたことがあるような叫び声を上げて、先輩が俺の首を締めあげる。
「何なんですか!」
「んだよ! 水無月先輩なら俺の横で寝てますよ、キリッ! みたいな言い草はよォォォォッ! おま、おまっ、おまっ! ん」
「朝から下ネタは止めて下さいよ」
「下ネタじゃねーし! 最後に『こ』をつけようとしただけだし!」
「シン、早く行かないと遅刻する……」
「あ、そうですね、カンナ先輩」
俺はカンナ先輩に頷く。先輩(男)は何故か涙を流し始めていた。
「そうか……そうかよ……。俺は、負けたんだな……」
「先輩、そろそろ放してくれないですかね。遅刻しちゃうんで」
「お前ッ! 俺はお前に負けた!」
「えっと、俺の何にですか?」
「言わせんな恥ずかしいッ! いいから黙ってこれを受け取れ!」
先輩(男)は鼻水を啜りあげながら鞄から黄緑色のペットボトルを取り出した。何だ? 伊東園の『うおーい、お茶』か……?
俺は先輩から『うおーい、お茶』を受け取る。そして、何かがおかしいことに気がついた。黄緑色のカバーに黒い色で書かれた文字。通常そこには『うおーい、お茶』とあるはずなんだけど、
『うおーい、ローション』
「ぶぅ―――――!?」
「それは俺が水無月を落とした暁に使用しようと考えていたものだ。思えばそいつとは劇的な出会いだった。あれは俺が寒さに震えていたある雪の日のことだった。寒さをしのごうと入った東○書店の三階DVDコーナーの隅に忘れ去られたように置いてあったのを、使う相手もいないのに衝動買いしてしまったのが始まりだった。以来、ここぞと言うときに使おうと考えていたんだが、そろそろ使用期限がヤバいんだ。是非、遠慮なく使ってやってくれ」
「い、要りませんよ! こんなのもらっても困ります!」
「いいから受け取れって!」
「シン……それは何?」
俺と先輩(男)とが取っ組み合いをしていると、カンナ先輩が覗き込んできた。やばい! と思った俺は反射的にローションを補助バッグの中に滑り込ませてしまって。
「末永く爆発しろよ、この野郎!」
そう言って涙をまき散らしながら校門の中へと駆け去っていく先輩(男)を、俺は恨めしげに見送ることしかできなかった。
× × ×
放課後。
いきなり記憶が飛んだけど放課後。
その間何があったかは覚えていない。きっと大したことが起こらなかったからなんだと思う。そう――一時間目から俺の斜め後ろの席に座っているナナカの痛すぎる視線を感じながら、授業を受け流し、昼休みに何故かカンナ先輩がお弁当を持ってきて一緒に食べて、周りの席からシャーペンをへし折る不吉な音をたくさん聞いたかと思えば、放課後になっていたんだ。何も問題は無い。無いと信じたい。
そして放課後、俺は日野の計画とやらに参加するため、昨日と同じく都市伝説研究会を訪れていた。
日野が長机に置いた花田市の地図をバンと手を叩きつける。
「それでは、今より文化祭新聞用のネタ、『花田市にうごめく怪人達の宴』に関する情報収集プロジェクトを立ち上げる! 早速今夜決行する重要な作戦の説明を行いたいと思う――のだが」
日野は、長椅子の周りに腰掛けるメンツを見回す。
「何でこいつがいるんだ!」
そしてそこにいるのが当然のように溶け込んでいるナナカをビシィッと指差した。
「あー、すんません。俺が誘いました」
俺が手を挙げて説明する。
さっき、ナナカを呼びだして(ここには言葉には表しがたい勇気の物語があった)、カンナ先輩が露出魔で、俺に協力してくれているってことを説明したついでに、今日のプロジェクトに助っ人として参加してくれるよう頼んだのだ。そうしたらナナカは「昨日、協力するって約束したから当然参加させてもらう」と二つ返事で了承してくれた。こいつはやると約束したらやる人間なのだ。
「高倉君!」
「はい」
ナナカが答える。
「高倉シン君の方だ!」
日野が叫ぶ。「どうして誘ったんだ! これは我が部の極秘作戦であってだな、こんないつ情報をリークするともしれないスパイを抱え込むなんてことは、ナンセンスだと分からないのかね!?」
「リークって、どこに情報漏らすんですか」
「正規の新聞部だ!」
「それに関しては安心して下さい」
ナナカが割り込む。「私はスパイなんかではありませんし、ましてや新聞部とは何の関係もありません。私は純粋に――高倉シン君と、そこの水無月カンナ先輩の友人として、協力したいと申し出ているのです」
「口でなら何とでも言える」
日野が鼻を鳴らす。
「では、この日のために私が調べ上げておいた有用な情報を提供します」
ナナカはそう言うと、横のパイプ椅子の上に置いた鞄を開けた。そしてクリアファイルを取り出し、中から何枚ものコピー用紙を取り出す。用紙には花田市一帯の地図が印刷されている。地図には黒と赤のバッテンがいくつも付けられている。
「何だね、これは?」
日野が尋ねる。
「『怪人』が出没した地点を、聞きこみ調査をもとに印をつけたものです」
ナナカの言葉に、俺は身を乗り出した。日野も思わず眼鏡を押し上げ、地図を覗き込む。カンナ先輩ですら、表情こそ動かさないにせよ、ナナカの地図にじっと視線を送っている。
「すごいなこれ。バッテンが露出――ああいや、『怪人』の目撃情報があった場所か?」
俺はせき込んでナナカに尋ねる。ナナカは頷いた。
「この黒のバッテンが消極的な『怪人』――目撃されるや否や、すぐに逃げ去った者の遭遇位置を、赤のバッテンが積極的な『怪人』――向こうから接触してきて、なおかつ目撃者を脅かしていった者の遭遇位置を表しています」
ふむ、消極的な『怪人』が節度ある露出魔で、積極的な『怪人』が巷を騒がせている露出狂ってとこか。それにしてもこのバッテン、軽く五十は数えるな。これを二日くらいで作ってんだろ? どんだけ仕事できる奴なんだよナナカ。
「黒のバッテンには、ずっと以前の情報がほとんどです。が、赤のバッテンは、全てここ一カ月以内にあった目撃情報を元にしています。見て下さい、赤のバッテンがついた付近を」
ナナカが地図を指差す。俺は目を見開いた。おいおい、これって……。
「見て分かる通り、花田市から隣の東花田市に抜ける二つの道路に、赤のバッテンが集中しています。国道に九、バイパスに十五です。そして――都市伝説研究会のHPに寄せられた写真の位置も、やはりこちらのバイパス付近になります。もう一つの目撃情報は南へ五百メートル程ですから、これもやはりバイパスの沿線になりますね。つまり、彼らの出没する場所は、国道ないしバイパス付近。特にバイパスでの遭遇率が比較的高いということが言えます。――日野先輩、どうでしょう? この程度ですが、納得していただけたでしょうか? もしまだ私を信用できないと言うのなら、誓約書でも何でも書きますけど」
「むぐぐぐぐぐ……」
日野は眼鏡を光らせながら唸り声をあげた。ぐうの音も出ないみたいだな。日野はしばらくぷるぷると震えていたが、やがて、
「素晴らしい!」
ナナカににじり寄って手を取った。「素晴らしいよ高倉ナナカ君!」
「いえいえ。大した情報も渡せずに」
ナナカがにっこりとほほ笑む。俺にはその表情が「勝った……!」とほくそ笑む表情にしか見えなかった。やっぱりナナカこえー。
「いやはや素晴らしい! 冒頭の悪口は忘れてくれたまえ。あれは――そう、ちょっと君を試しただけなんだ。本当に我が部に忠誠を誓う気があるのかどうかをね。君のおかげで今日の作戦はより成功率の高い、確かなものになった。ありがとう、ありがとう!」
本当に調子のいい人だな。
「お役に立てて何よりです」
ナナカがやんわりと答える。日野は、上機嫌で俺に向き直った。
「高倉シン君! よくぞ彼女を引き入れてくれた!」
「先輩、さっきと言っていること全然違いますよ」
「さて! 本作戦の概要だが――」
無視かよ!
そんな俺の心の声などどこ吹く風という感じで、日野が長椅子に広げた地図を指差す。
「『怪人』を捕獲する!」
どうだ! 驚いたか! と自慢げな顔で俺達を見回す日野。俺は先輩から昨日の内に聞かされていたし、ナナカにもさっき協力を要請した時に話しておいたから初耳な奴はだれ一人いない。自然、俺達は無反応で日野を見つめることになった。
日野は、あれ? 滑った? という顔になったけど、すぐに気を取り直して作戦を説明し始める。
「ごほん。それで、詳しい内容だが、『怪人』の目撃情報があった場所に張り込み、現れた奴らをデジカメで激写するのだ! 可能ならコンタクトを取ってインタビューさせてもらう! これが質問項目のマニュアルだ」
日野がそう言って俺達にわら半紙を配る。そこには、好きな食べ物は何かというたわいもない質問から、地球を侵略しに来た理由まで訊く項があった。どうやら日野は『怪人』を宇宙人だと思っているみたいだな。実は露出狂なんだけど、事実を知ったら憤死するかもしれない。
「それで、諸君には、二手に分かれて国道とバイパスに別れて張り込みをしてほしい。ここでナナカ君がもたらしてくれた重要情報が鍵になる」
日野がナナカに熱い視線を送る。
「ええと、比較的バッテンが集中しているのが、国道のここら辺と、バイパスのこの辺りですよね」
俺が地図を指差す。日野は頷いた。
「そうだな。だからここに二組ずつのペアで隠れよう」
「でも、先輩、国道はともかく、バイパスは周りに遮蔽物ありませんし、張り込むのは難しいのではないですか? 張り込む場所として、最低限道路に面したところでないといけませんし」
ナナカが尋ねると、日野は得意げに口を歪めた。何かものすごく嫌な予感がするぞ……。
「問題ない。このバイパスの、バッテンの集中した付近に、実は古びた駄菓子屋があるのだ。昼間は爺さんが一人で店を見ていて、夜は誰もいない」
「え、ちょっと先輩、さすがに不法侵入はまずいっすよ!」
「駄菓子屋に張り込むのではない」
「え? じゃあどうするんですか?」
「駄菓子屋の前に自販機があるんだ。あそこに、僕が作った偽・自販機を設置する! 無論駄菓子屋のじいさんには許可を取ってある!」
「駄菓子屋を借りた方が良かったんじゃないですか!?」
俺の突っ込みに日野はきょとんとした顔になって、「だってつまんないだろ?」と返してくる。俺は考えることを放棄した。
日野はハハハハハ、と豪快に笑って続ける。
「いやー、子供の頃自動販売機の中には小さいおじさんが入っているとか思ってなかったか? 僕はずっと信じてたんだよな。ああ、もちろん今でも夢は捨てていない」
「はあ……まあ、俺も一時期思ってた時期はありましたけど……」
「というか、それって都市伝説になっていますよね」
ナナカが口を挟む。
「うん。それで去年、この会を立ち上げるに当たって、最初に考えたのがこの自販機だったんだ。中には人がいるってね。だけど誰も信じてくれないもんだから、自販機に見せかけた偽・自販機作って、ときどき中に入ってジュース販売してた。そしたら最近になってようやくこの辺りでもまことしやかに囁かれるようになったんだよ。僕は信じなかった愚か者どもに言ってやったね、ほれ、見たことかと」
「先輩それ自演じゃないですか! なんつうはた迷惑な事をやってんですか!」
「僕もまだ青かったってことさ、わっはっはっは」
駄目だ……この人……常識が無いという点でマギウスと同レベルだ……。
俺は脂肪質のお腹をそらせて笑う日野にジト目を向けるのだった。
「じゃあグループ分けですね。自動販売機組は日野先輩とシンでいいですよね」
ナナカが話しを戻す。
「あー、残念ながら僕はこの一年でだいぶん太ってしまってね。……多分入らないんじゃないかと思う。標準的な人間が二人入れるように設計したんだが、ここまで太ってしまうとは予想外だった」
日野は眉毛を下げて言う。確かに、横幅俺の二倍以上あるもんな。相撲取りになれそうだもん。
「じゃあ私と水無月先輩が自販機組ですね」
「女が二人だと、いざという時危ないんじゃないか? ほら、最近うちの高校の女子生徒が露出狂の被害に遭ったって言うじゃないか」
その露出狂が『怪人』なんだけどな。日野は続ける。
「ここは男女のペアに分けるべきじゃないか?」
「冗談じゃありません、日野先輩。それでは、自販機組の一方がこの変態で確定じゃないですか」
ナナカは俺を指差す。俺はカチンと来た。
「おい、ナナカ、さりげに俺を変態扱いしてんじゃねえよ!」
「朝あんな醜態を晒しておいて変態ではないと言うんですか?」
「あれは事故でだな! なんであんなことになったのか俺も記憶が無いんだ!」
「なおさら性質が悪いじゃないですか」
「――――っ」
俺は言葉に詰まり、首を絞められた鶏みたいになってしまう。違うんだけど、うまく説明できない! つうかドヤ顔すんな! あー、もうっ! やっぱりこいつ気に入らねえ!
「あら? 何も言い返せないみたいですね?」
「んだと、こら!」
「貴方いつも怒ったらそう言いますよね。語彙が貧弱でかわいそう」
「んだと、こらあああ!!!」
キレる俺。だってこいつムカつくんだもん。いちいちいちいち俺の勘に触ることばっかり言いやがって、ほんっと、こいつありえねえ! もう俺の目の前から消えてくんないかね? こいつの存在自体が許せない。そしてこいつに協力要請した昨日の自分も許せない。どうして俺は昨日あんなことを……ああ、もう!
にらみ合う俺とナナカ。もうこのままこいつ殴り倒していいよな?
「――私、自動販売機組でいい」
「「え?」」
俺とナナカがユニゾンする。一触即発の雰囲気を粉々にする鈴のような声。カンナ先輩が小さく手を挙げていた。「私、シンとペアを組んでも、いいよ……?」
「ああ、これで問題解決だな」
日野がぽんと手を打つ。
「そんなわけないでしょう!!」
キーンという耳鳴り。ナナカが珍しく大きな声を出したのだった。ほんと珍しいな。
「水無月先輩とこいつのペアが一番危ないです! 不純異性交遊です!」
「じゃあ、君が入るのかね、ナナカ君」
日野が眼鏡を押し上げる。ナナカは「え……?」と声を漏らす。
「ふむ、確かにいとこなら間違いは起きないとは思うが……」
「くっ……。でも先輩とこいつを組ませるくらいなら……。分かりました、私が――」
「ええー……」
俺は思わずめちゃくちゃ嫌そうな声を上げてしまった。だって……ナナカと自販機入るんだぞ? 会話がもたないだろ。あ、でも、先輩でも同じかな?
「何ですか?」
ナナカがギロリと睨んでくる。何でもないですよ! 超怖いから睨むのやめてよ!
水無月先輩がナナカに顔を向ける。
「いやいやするなら、止めた方がいい。ペアと相性が悪ければ、辛い時間になる」
「しかし、水無月先輩――」
ナナカの言葉を遮るように、先輩は俺に向き直って一言、
「シンは、エッチなことするの?」
「し、しませんよ! 俺そんなケダモノとかじゃありません!」
俺は慌てて答える。すると先輩はふっと表情を崩し、ナナカと日野を交互に見る。
「ほら、大丈夫」
「ふむ、僕はどっちでもいいね」
興味なさげにそっぽを向く日野。対してナナカは、
「全然大丈夫じゃないわよ!」
「じゃあ、どう大丈夫じゃないの?」
「え……」
「この子は――」
先輩が俺をチラリと見る。「――貴女のいとこは、家の恥さらしになるような、かわいそうな子……?」
「い、いえ、そうとまでは言えませんけど……」
ナナカがもごもごと答える。今日はらしくないな、ナナカ。先輩じゃ相手が悪いのかね?
「じゃあ、無問題」
「しかし!」
「あーもう!」
日野が割って入った。イライラと腕時計を見ている。
「時間が押しているんだ! シン君も何もしないと言っているんだし、君らも自身がペアになっても問題ないのだろう? なら、ルーレットでも何でもいい、シン君、早く決めたまえ。時間が押しているんだ!」
「え、ええ!? 俺ですか?」
なんつう無茶ぶりだよ!
「二人が譲らんのだ。ならニュートラルな立場の君が裁定を下すべきだろう。ほらとっとと選びたまえ!」
そ、そんな! って、ナナカもカンナ先輩も何かしこまって俺の方向いてんだよ!?
「シン。あんたが間違い起こさないためにも、私を選びなさい」
「シン、私と自販機入るのは、いや?」
何これ!? なにこれええ!!!!
「高倉シン君!」
日野が苛立たしげな声を上げる。俺の眼球はもう渦巻き状態だった。く、くそ、選択肢は二つある……! あるけど……!
選択肢一、ナナカを選ぶ。
選択肢二、カンナ先輩一択。
究極の選択。
お、俺は――。
―――――更新履歴―――――
12月24日第一章
12月28日第二章
1月14日第三章
1月22日完結
-
2012/01/23(Mon)04:50:08 公開 / ピンク色伯爵
■この作品の著作権はピンク色伯爵さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
読んでいただきありがとうございました。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。