『上がり目のないサイコロ』 ... ジャンル:ミステリ ミステリ
作者:とらふぐ
あらすじ・作品紹介
違法ぎりぎりのところで人を騙し金を稼いだ男。法律改正で失職し借金に負われる。ある日ゲームの誘いが。大金を稼げると。参加し賞金を狙うが、最後に意外な結末が待っていた。
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「上がり目のないサイコロ」
目が合う、嫌な奴に会ったと舌打ちをした。
ネズミを追い詰めた猫がニタリと笑っていやがる、堀田の顔を見たときに何故かそう思えた。酔いで足元をふらつかせながらゆっくりと近づいてくる。まるで俺を甚振るのを楽しみにしているかのようだ。これから発するだろう言葉は容易に想像できた。
嫌味、それしかない。
「よう仁、珍しいところで会ったな。でもよ、なんでお前がこんな所にいるんだ。まさかここでバイトしているなんて言うんじゃないだろう」
「いや、たまにはと思ってね」
「ふーん、飲めるほどの金があるんだったら、他にやることがあるんじゃないのか。済ますものを済ますとかさあ」
堀田は俺の鼻先に手の平を出した。言いたいのは分かっている、俺が借金した三万円の金を返せと言っている。あいにくだが、手元にあるのは一万円ぽっきりだった。これであと一週間食いつながなくてはならない。
「すまん、今は持ち合わせが少ないんだ。こんどの給料まで待ってくれないか」
「なんだ、遊ぶ金はあっても、俺に払う金はないというのか?」
「いやそういうわけじゃないけど」
「じゃあどういうわけだ?」
「今度は間違いなく払うから、二十五日まで待ってくれ」
「払えなかったら、どうする。利子をつけるぞ」
「いや今度は大丈夫だ」
「ちぇっ、金があると思って貸したのによ」
それは一年前だと胸で呟いた。
「そうやってまた逃げるつもり……」
「おい、堀田何やってんだ、早く来いよ」
仲間の声に堀田は不満そうな顔をした。もう少し俺を甚振りたいと思っていたのだろう、「間違いなく返せよ」と捨て台詞を残すと座敷のある奥へと戻っていった。
何だよ、たかだか三万円ぐらいの金で、ガタガタ言いやがって。背中を見つめながら呟いた。だが、その僅かな金も返せないほどの惨めな生活が続いていた。
銀行からの借り入れはもう限度額までになっている。だからといって街の金融に手を出すつもりはない。一度手を出せば、最後は個人破産に突っ走るだけだ、いや五体満足で済むとは思えない、何人かの被害者をみていた。
それにしてもあの法律さえなければ。愚痴になってしまうが一年前が懐かしい。
三流の私立大学を卒業したものの、何処にも就職口はなかった。二年間就職浪人し、俺は疲れ果てていた。いや、人生を諦めていたのが実情だ。所詮三流大学じゃ誰も相手になんかしてくれない。やはり俺はなにをやっても駄目な男だと投げやりになっていた。そんな絶望まみれの俺を拾ってくれたのがオリエンタル物産という会社だった。
周りからは、その会社だけは辞めろと忠告を受けたが、それにすがるしかなかった。どんな会社だろうと、無職よりはましだという切羽詰った思いだった。ネクタイを締め、スーツを着て出掛ける場所がある。更には一ヶ月過ぎれば給料が出る。どこかに属している安心感があった。
オリエンタル物産、世間から冷たい視線に晒されている金融先物取引会社、それでも一応はちゃんとした株式会社だ。歓迎会も設けてもらい、仕事のためのオリエンテーションもあり、先物取引を行うための資格をとる勉強会も受けた。他人が言うほどひどい会社とは思えなかった。
だが甘い顔をしていたのはそれまでだった。資格を取ると営業と称し、見知らぬ相手に電話をかけまくる。朝から晩までリストを片手に番号をプッシュする繰り返し作業が待っていた。千三つと言われるくらいで、千回かけて三つくらい相手にしてもらえれば成功といえるほどの仕事だった。
多くの客は、「先物取引」というだけで、「興味ない」「いらない」「忙しい」とこちらの言うことなど聞きはしない。それでも上司は俺たちの尻を叩き続けた。
「給料泥棒か、おまえら」
「会社は福祉事業をやってんじゃねえぞ」
「てめえら稼げ、シロアリやろうが」
狙う相手は個人経営の商店主、世間知らずの教師、郊外在住の老人などだ。上手くしたものでたまには相手をしてくれる物好きも居た。そんな奴らはマンネリ化した生活に何らかの刺激が欲しかったり、或は欲の皮が突っ張った者たちだろうと想像した。
だが一度喰らい付いた餌は絶対に離してはならない。たとえ断られても、何度も何度も電話を掛け、追い回す。
「商品先物について説明だけさせて欲しい」
「十五分で良いから会ってもらいたい」
「資産運用についてお話したい」
やがて相手は根負けしてアポへと進むと、後はこちらのペースであった。もっとも肝心なところは上司がバックアップをしてくれる。
「必ず儲かります」
「任せて下さい、絶対損はさせません」
「この時期は殆んどリスクはありません」
「自信のない商品は紹介しません」
などと甘い言葉を立て続けに並べる。相手の表情に少しでも興味の文字が見えたら、後は赤子の手を捻るようなものであった。言葉巧みに委託証拠金を決め契約書にハンコを押させる。これが済めば、次のステップはあの手この手の脅しを使って出資金を膨らませていけばいい。
「大変なことになりました」
最初に電話口で相手を脅す。相手をパニックに陥れ正常な判断ができないようにすることが大事だった。
「相場が想像をはるかに超えて下がりました。このままでは大損をしてしまいます。ここは追証を入れて一時乗り切りましょう、三百万ほど用意できますか」
「任せてください、相場は下がれば上がるものです」
「一時的なものです、この三百万について心配する必要はありません」
「儲かりますよ」の言葉より「損をしますよ」に客は強く反応してくれる、追証のための渋る財布の口を開けさせた。
仕事はきついが給与は良かった。基本給が十五万円と安いが、それに契約がとれ、売買を繰り返していくと、インセンティブがつき、四十万とか五十万の手取りとなる。騙して稼いでいる、初めのころに感じた心の痛みは、給与の増加とともに薄れていった。いや騙されるほうが悪いのだと思えるようになっていた。
俺の高校時代の同級生は年収を聞いてみな驚いたものだ。中にははっきりと羨望のまなざしを向ける奴もいた。
「分数の計算も出来なかったやつがよ」
「英語はいつも赤点だったぞ」
「教室の隅で小さくなっていたやつがなんで」
悔し紛れの陰口を叩く、堀田もそんな中の一人だった。そんな奴らを見て「勝ったな」と俺は一人ほくそ笑んだ。
もっとも先物取引などプロでも儲けるのは難しい。俺の客は右も左も知らない素人ばかり、ほとんどが損をした。挙句言ってくるのは決まっていた。
「騙された、金を返せ」と怒鳴り込んできた建設会社の社長。
「助けてくれ、手仕舞いしたい」と泣きついてきた教師。
夫に隠れ二千万の金を注ぎこみ自殺したサラリーマンの妻もいたが、別に心が痛むこともなかった。この世界、三人殺さなければ一人前とは言われない。そういう意味ではまだまだ半人前でしかなかった。
なんと言っても俺がやっていることは法律的にも認められたビジネス、違法性のないちゃんとした商売だと自負していた。犯罪をやる奴は馬鹿だ、それがどれだけ金になろうと、結局はわりに合わないことになる。やるなら違法と合法のすれすれで動けばいい。それにどんな商売にも損得は付き物。投資は儲かることもあれば、損することもあるのが当たり前。
損をするのが嫌なら、投資などしなければいい。儲けるうちは何も言わないが、損をするとたちまち騒ぎ出す。欲をかいて失敗し、己の責任を他人に押し付けるなと言いたかった。
もっと稼いでやる、俺には勉強とは違った金を稼ぐ能力がある、ふつふつと自信が湧いていた。資本主義の世の中、金を稼いだものが力を持つ。世間の金もちは俺のために存在する。結果あいつらが泣こうが叫ぼうが構っちゃいない。法律を犯さなければ、何をやっても許される。
その夢を挫いたのが「不招請勧誘」という法律改正だった。先物取引において、勧誘を要請しない個人への訪問、電話による勧誘を原則禁止とする法律。
「なんだよ、俺たちに死ねっていうのか」
「ふざけんな、何も知らん奴が」
「これからどうすりゃいいんだ」
現場はパニックになった。だがどれだけ文句を言おうと、それで法律がなくなるわけでもない。我々営業の仕事は無くなった。会社の経営は早晩立ち行かなくなる、俺は会社を飛び出した。
伝で娯楽関係の業界新聞社に入れたものの、昔と比べれば実入りは雲泥の差、一度味わった贅沢はそう簡単にやめることは出来ない。手取り十五万そこそこの金では、たちまち借金にまみれることになった。
「金が欲しい、それも大金が」
金をつかんで自分で事業を始める。何をするかは決めていない、だが俺には他人と違った商売の才がある、二十八歳の仁は己の才能に自信を持っていた。
郵便受けに小さな水色の封筒が入っていた。
差出人はゲーム愛好倶楽部となっている。何かのDMだろう、封を切ると一枚のチラシが出てきた。
「儲かる話は好きですか」
最初に飛び込んだ文字は、俺の心をぐいとつかんだ。
儲け話が嫌いな奴はいない。ただしこんな話はほとんどがインチキだ、本当に儲かるなら誰にも教えはしない。そうは思っても少しだけ覗いてみるかと色気が出ると、最後まで目を通していった。
「簡単なゲームに挑戦してもらいます。もしあなたが最後までゲームをやり遂げ、見事一位で通過すれば、一年や二年遊んで暮らせるだけの大金を手にすることが出来ます。あなたがこのゲームに興味をもたれたら、下記のURLにアクセスしてください。参加条件および今後の手続きについての説明が記載されています。なおゲームの参加に関し、他の霊感商法や投資詐欺などのような、あなたさまからお金を戴くことは一切ありませんから、ご安心ください」
「儲かる」という言葉と同じくらいに「損する」という言葉に敏感だ。だから、一切金を払う必要がない、損をしないということになると、警戒心が薄れていく。それにネットでホームページを見るくらいでは何の損害も被らないという気持ちがあった。
それより「大金」のほうだ。遊んで暮らせる大金と言ってもピンからキリまでどれだけか分からない、具体的な数字を知りたいと思う。
ネットを立ち上げ、URLを打ち込んだ。
「ゲームの参加者を募集、あなたにも大金ゲットのチャンスが」
大げさな見出しの下に、文章が続いていた。どいつもやることは同じだな、と視線を文字に走らせる。
「このゲームに参加するのに一切費用は必要ありません。こちらで指定する条件に合う方であれば皆様参加が可能です。このゲームで見事一位になられた方への報償金は大金とだけ申し上げておきます。なおゲームの詳細や金額については、参加希望を表明された方にご連絡をさせて頂きます。参加ご希望の方は、必要事項を記載のうえ次のメイルアドレスへ送信してください」
これじゃどんなゲームなのか分からんだろうが、不親切な奴だな。文句のひとつも言いたくなる。チラシには簡単なゲームだと書かれていた。想像できるのはコンピューターゲームぐらいなものだ。
俺は参加条件を見た。
「1.参加者は神奈川県在住の方に限る」
これはOK。俺の住まいは川崎市宮前区。
「2.現在独身。既婚者でも離婚し独身であれば可」
これも問題ない。
「3.定職に就いている。パート、非正規労働も可。日々仕事場に通っていること」
これもパスだ。
「4.年齢二十歳から四十歳までの男女」
全てクリアだった。
だが肝心なことが分かっていない。ゲームの内容と報償金の額。どうしよう、参加希望のメイルを送ってみようか。馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、金は欲しい。内容を聞いて何かまずいと分かれば、その時点で止めればいい。いつでも止めることは出来る。それに、参加者の定員が六名、定員になり次第終了の文字がメイルを送らせた。それでも送信のボタンをクリックするのに十分ほど費やした。
「氏名 百武仁、二十八歳、
住所 神奈川県川崎市宮前区宮前二丁目xxxx
職業 新聞記者
参加希望」
返事は次の日に着いた。
「このたびの私どもゲーム愛好倶楽部主宰の「双六大会」ゲームに参加希望をしていただき有り難うございます。
今後の予定とゲームについて簡単な説明をさせていただきます。
ゲームは「タイトル」のように「双六」でございます。皆様ご存知のように、サイコロを振り順次進んでいきます。上がりは十八で、最初に上がった方が勝者となり、報償金が授与されます。金額は最低でも一千八百万円があなたのものに、さらにゲームの状況によりそれに上積みされることになります。
今回のゲーム参加に申し込まれた方は、全員で三十名様でした。従って二十四名の方がオーバーとなってしまいます。ゲームは三日後からスタートします。期間はおよそ一週間から十日。時間的に無理だと思われる方、或は止めたいと思われる方は、折り返しその旨をご連絡ください。尚、参加をすると希望される方も、その旨をメイルにてご連絡ください。抽選の上、当選された方に折り返し、こちらからご連絡いたします」
「双六」と知って、なんだか拍子抜けがした。さいころ振って十八で上がる。そんな馬鹿みたいなことで金が貰える。それも最低で一千八百万円。いや、それに上積みされる可能性があると言っていた。つまり二千万くらいにはなるということじゃないのか。
それが一週間足らずで手に入る、本当だろうか。いや何か裏があるに違いない、そんな美味い話があるはずがない。信じるな、絶対にありえない。ノーリスクで金が儲かる、騙しのテクニックのひとつではないのか。
それでも切って捨てるだけの気持ちになれないでいた。若しかしたら、万が一ということもある。それに俺はリスクについては人一倍詳しいはずだ。リスクを避けるには、絶対に金は出さない。契約書にサインもハンコも押さない。たとえ口約束だろうが一切しない。それさえ守れば大丈夫だ。それに金に困っているのは間違いなかった。
「やってみろ、何をびくびくしている」
囁きかける声がある。
「失うものなんか何もないだろう」
そう、全てを無くした。金もプライドも、贅沢な生活、そして恋人までも。残っているのは命ぐらいなものだ。
「だったら賭けてみろ」
自分に言い聞かす。
参加人員は六名だから六分の一の可能性。それに一切の費用が掛からないという、やる前にもう一度確認すればいい。いつでも引き下がれる、俺はついている男だ、それに能力もある。
これは天が俺にくれた再起へのチャンスかも知れない、そう思うと俺は「参加」の返事を送った。
「百武仁さまですね」
月曜日の夜アパートに戻った俺に暗がりから男が声を掛けてきたのは、メイルを送ってから三日後の夕方だった。
「あなたは?」
「申し遅れました、私は黒田と申します。ゲーム愛好倶楽部から参りました」
「ああ、あの双六ゲームのやつですか」
それにしてもいきなり訪ねてくるとは、不意を突かれた体勢を整えながら目の前の男を眺めた。黒田という名前のせいではなかろうが、男は暑いのにも拘わらず黒づくめのスーツ姿をしていた。それに鍛え上げたと思われる体格が外観からも分かる。百七十センチのひ弱な俺とはずいぶん違う。
「あなたが無事抽選で選ばれましたので、お迎えに参りました。これからゲーム会場の方へとご案内いたします」
「え、これからですか?」
「もしまずいようでしたら、ゲームへの参加を棄権ということで、他の方へ譲ることもできますが」
「いやそれは」
他人に譲るとなると欲が湧く。それに、せっかく転がり込んできたチャンスをみすみす逃すつもりは無かった。三十名の中の六名に選ばれた、五倍の競争に勝ったことになる。これはツキがまわってきたのに違いない。一度逃せば、いつまたやってくるのか分からないのが人生だ。
「どう致しますか?」
「分かりました、では案内してください」
黒田は俺を自分の車へと案内した。助手席に座ると、黒田が黒い布を差し出す。どうやらそれを頭から被れと言うのだろう。行く先を知られたくないということだ。それだけでも危険の匂いがする。いや最初からまともな話だとは思っていない。一瞬怯む気持ちがあったが、ここまできたら先に進むしかないだろうとマスクを被った。
首の下までたっぷりとある布は、完全に視界を遮ってしまった。さらにヘッドホンをさせられると外界との音を途切れさせた。
どれだけの時間車は走ったのだろうか、十分や十五分とは思えなかった。だが一時間まではならない。初めのうちは左折、右折と気を配っていたが、すぐに諦めた。車が停まると、目隠しをしたまま黒田の手に引かれて建物の中に入った。
「どうぞ、もう外しても構いません」
目に入った光景は、二十畳以上はあろうかと思われる広い居間だった。だが窓がない、四面が白い壁になっていた。壁の前に小さな機器が置いてある、どうやらプロジェクターのように見えた。
その前に小さなテーブルが六つ円を描くように並んでいる。テーブルには一番から六番まで番号を振ってあった。
部屋の隅にソファが置かれ、数人の男女がお互いを探り合うように座っている。どうやら彼らもこのゲームの参加者のようだ。そばに黒田と似たような黒服の男たちが立っていた。
他には誰もいない、一体だれがこのゲームの主催者なのだろうか、俺は黒田に尋ねようと彼を探した。だが、
「皆様、今夜はお集まりいただき有り難うございます」
部屋の片隅に置かれたスピーカーから流れた声に遮られた。
「今回参加していただく方は六名です。では皆様に席についていただきます。皆様の前に用意された六つのテーブルですが、そこには一番から六番まで番号が振られており、これから皆様はこの番号でゲームに参加していただきます。それではこれから名前と番号を読みあげますので、呼ばれた方はその番号の椅子に着席願います」
男は参加者の名前を読み上げた。
一番は由井かおる、ちょっと可愛い顔をして、部屋に入ったときから気になっていた女性だった。年齢は二十代前半だろう。
二番は神尾高志、あごを少し上げ微かに右に傾いだ顔は無愛想な表情をしている、いや不遜な態度と言ったほうがいいかもしれない。昔から嫌いなタイプだ、頭のいい奴、それに昔の教師を思い出す。
三番は安室八重、目がきつい、どこか済ました顔をしている。俺より二三歳年上だろうと想像する。
四番は栗林圭吾、具合でも悪いのか、病的な顔色だ。髪も伸び放題で、不潔な感じがした。地下街や公園あたりでホームレスをしていても疑わないだろう。それに年齢も若い。両手をポケットに突っ込み、やたらいきがっている。
五番は三橋達也、あごひげを生やし何処にでもいそうな若い男、何が楽しいのかにやにやした顔を見せている。軽薄な男だろうか、年齢は俺と変わらないように思える。こいつも利口そうではなかった。
そして最後が俺だった。
テーブルの上には大きめのサイコロと頑丈そうな透明のプラスチックボックスが乗っている。中は空っぽで、何をするものなのか分からない。
「では、これから今回のゲームについて説明をさせて頂きます。途中で疑問があるかと思いますが、質問は最後に受けますので、それまでお待ちください。もっともゲーム自体は難しいものではありません。皆さんも双六についてはよくご存知のように、さいころを振り、その出た目で進んでいくゲームです。では双六の全体図をお見せします」
別の部屋からコンピューターでコントロールしているのだろう、白壁にプロジェクターからの投射された光が絵を映し出した。
ブルーの横線が一本走り、一から十八までの数字がふられている。各番号に下には文字が書かれていた。
一 石橋を叩いて渡る
二 光陰矢の如し
三 落し物に注意
四 一回おやすみ
五 転ばぬ先の杖
六 臭いもの身知らず
・
・
十七 九へ戻る
十八 おめでとう、あなたが勝者です
「まず、皆様のテーブルの上に乗っているサイコロを振っていただきます。出た目で進んでいくのですが、ひとつ進むごとに百万円の金を手にするチャンスが得られます。つまり最後の十八まで行けば、百掛ける十八で一千八百万円となるわけです。例えば一番の方が二の目を出されたら、その時点で目の前のプラスチックボックスに二百万の札束が積まれます」
「あー」とも「おー」とも言えないため息がみんなの口から漏れた。
すると六の目を出せば、目の前に六百万の札束が置かれることになる。想像するだけでゾクゾクとするじゃないか。他の参加者も同じ思いなのだろう、じっとボックスを見つめている。いや、六ではなくても、三でも三百万の札束が目の前に積まれるのだ。
「それと、ボックスの中の札は最後まで触ることは出来ません。そして勝者だけがその金を手にすることが出来ます。それ以外の人は、進んだ数字に一万を掛けた金を得ることになります」
勝者だけが一人高笑いできる。余りの落差にお互いが目を合わせた。たとえ十七まで進んでも十七万円しか手に出来ない。一方一位で上がった奴は一千八百万円という途方も無い金額だ。
余りにも不合理だと思えるが文句を言える立場ではない。こちらは参加費すら出していない、何のリスクもないのだから。だが、どこか納得出来ない自分がいた。
「更に、参加されている方の誰かが途中でゲームを継続できないようなことになりましたら、その方のボックスに積まれた金は一位の方の報償金に積み増しされます」
「ほー」という声が漏れた。
なるほど、メイルに書かれていた意味が分かった。報償金に上積みされるチャンスがあると言ったのは、このことだったのだ。すると、運がよければ、三千万円もありうる。そしてそのラッキーな人間は六人の中の一人。つまり六分の一、ということは宝くじより可能性が高い。体の奥からジンジンと痺れるものがあった。
「サイコロを振るのは一日一回となります。振って頂いたあと皆様を家のほうまで送り届け、翌日の夕方七時にお迎えに参ります。もしその時間までお戻りにならなければ、ゲームの参戦を諦められたと判断します。したがって一切の金は払われません。またこのゲームについて他人に話をされるのは禁止となっております。違反すればその場で失格とさせていただきます」
恐らく違反するやつもいなければ、途中で止めるやつなど誰もいないだろう。何と言っても、目の前に札束が積まれる。それを見たら失格などを選ぶはずがない、欲望には勝てはしない。
いや、俺としては途中でみんなに止めて欲しい、だがそれはみんな同じだろう。俺は隣の席の三橋を見た。
「あんた出身は九州か?」
三橋の質問にびっくりした。どうして俺が九州の出だと分かった。
「どうやらビンゴだったようだ」
「俺あんたと会ったことがあるかい?」
「いや、初めてだよ。あんたの名前だよ、百武って苗字変わっているもんな、俺のダチにいた。そいつの田舎が佐賀だったんだ」
なるほど、理由が分かってほっとした。と同時に案外この男頭がいいなと見直した。何かを話かけようとしたが、スピーカーから流れる男の説明に遮られた。
「次に、双六の中の言葉について少し説明します。この後皆様にサイコロを振っていただきますが、例えば四の数字が出た方は次回おやすみとなります。但し次回のゲームにはこの場所には出席してもらいます。また九の数字の六の場所に戻るは、その言葉通り六の場所へと移動します。勿論この際は金も六百万となります」
それ以外の言葉はどんな意味なのだ。俺は言葉を出しかけたが、最後に質問を受けつけるといった言葉を思い出し、口を閉じた。
「では、皆様からの質問を受け付けたいと思います。その前に十五分ほど休憩の時間を持ちますので、トイレに行かれたい方はどうぞ。それと飲み物を用意してありますのでお楽しみながら、ゆっくりと考えて何を聞きたいのか考えて下さい」
聞きたいこと、幾らでもあるような気がする。だが、具体的に何を聞けばいいのか頭の中が整理出来ていない。
いつか、隅のソファがあった場所のテーブルに飲み物が用意されていた。缶ビール、ウイスキー、グラスに氷、簡単なつまみも載っている。
「あんたどう思う?」
グラスに氷を入れてウイスキーのロックを手にしたときに三橋が尋ねてきた。
「何を?」
「なんかおかしいと思わないか?」
「そうね、わたしもおかしいと思うわ」
三番の安室八重という女性だった。最初会ったときから彼女の視線が自分に付きまとっているのを感じていた。
「だよな、だってたかだか双六のゲームだぜ。そんなゲームの勝者に二千万近い金を払うって常識じゃ考えられないだろう。何かこの裏にあるぜ」
三橋の言葉に他の参加者も頷いている。それは俺だって気になっていた。坊主丸儲けじゃないが、ノーリスクで金が儲かる。そんな美味い話がこの世にあるとは思えない。先物取引で世の中の仕組みを嫌というほど知り尽くしたつもりだった。
「何があるのかしら?」
「何か買わされるってことは?」
「金がない」
俺の言葉に笑いが起きる。
「なんだか気味が悪いわ、本当に裏はないのかしら?」
八重が俺に同意を求めてきた。
「気になるんだったらやめればいい」
「そう言うこと、世の中ノーリスクで金が稼げるほど甘くはないさ」
三橋が答えた。
「そうよね、でも気になるわね」
「じゃあ、それを質問したらいいじゃないか」
神尾という男だった。全員の中では明らかに一番年上だろうと思われる顔つきをしていた。
「どうだい、他に何か気になることはないかな、どんな小さなことだっていい、後で後悔しても遅いからな。みんなで思い思い意見を出してみようじゃないか。君はどうだい?」
神尾は俺に尋ねた。俺は頭を振る。
まるでリーダーにでもなったつもりでいやがる。この男サラリーマンだろうか、だが、雰囲気からすれば、そうとは思えない。自分が一番偉いとでも勘違いしているような人種の奴だ。こんな人種の奴は何度も会っている。そう、能力もないのに大勢の部下を抱えている公務員、それと教師をやっているやつ。それにしては着ている服はあまり高級とは思えなかった。
「他にないかな?」
「他の言葉はどうなのかしら?」
「言葉って?」
「さっき双六に乗っていた言葉の説明をしたでしょう、次回はおやすみ、と九の場所に行くと六に戻るを。でも他の言葉については何も説明がなかったわ」
「その通りだよ」
俺は由井かおるに同意した。かおるが言わなければ、俺が主催者の男に質問するつもりでいた。
酒が入ったせいか、口が滑らかになる。お互い簡単な自己紹介をして話が盛り上がっていた。三橋は小さな建築会社に作業員としてバイトをしているらしい。道理でティシャツの袖から出ている二の腕はたくましく日焼けしていた。一番のかおりとも話をしたかったが、八重と話しこんでいる。俺の向けた視線に八重の視線が絡むと微笑みを返した。チャンスがなく、ゲームが再開した。
「どうです、皆さん質問したい事項はまとめられましたか。では、質問をされたい方は挙手をしてください」
お互いが顔を見合す。神尾がさも自分がリーダーだといわんばかりに頷くと、挙手をした。
「では、二番の方どうぞ」
「このゲームで勝者には二千万近い金が入るのは大変結構なことだけど、これを主催しているあなたたちのメリットはどうなっているのか教えてもらいたい。そうでないと、何か裏があるんじゃないかと疑い、我々としてはこのゲームに参加するのに二の足を踏むことになる」
「なるほど、そのような疑問を持たれるのはもっともなことです。それについてはこう申し上げると分かりやすいかと思います。参加者の方は競馬で言えば走る馬だとお考えください」
「競馬?」
「ええ、競馬には多くの方が馬券を買って賭けをします。それでゲームが成り立っています。今回の双六も同じように賭博の対象になっています。もっとも公営ではなく違法な賭博ですけど」
「すると、賭ける奴がいるというのか?」
「はい、いらっしゃいます。但し競馬のような一口百円などという単位ではなく、もっと高額です。かけ金の総額は億の単位になるでしょう、だから皆様に多額の金を払えるのです、ですからご心配なくゲームに集中してください」
一体どういう奴が賭けに参加している、答える男の言葉からすると一口一万ぐらいか、いやもっとかも知れない。それを尋ねてみようかと思ったが、知ったところでどうなるものでもない。ただ、このゲームを主催した男は、我々に多額の報償金を払っても元が取れるだけの計算をしているのが分かった。
それならそれで遣りやすい。余計な不安を抱くことも無い。お互いこのゲームで利益が出る。俺は安心した。
「もうひとつ聞きたいのだが」
「どうぞ」
「先ほど双六に出ている言葉について説明があったが、他の言葉について説明はない。それを教えて欲しい」
「他の言葉の意味ですか。そのまま受け取っていただいて宜しいかと思います。例えば十の口は災いの元ですが、この意味は皆さんご存知だと思います。他の言葉も同じで、日ごろの生活の中で色んなトラブルや災難があり、注意してお過ごしくださいよという意味で書いたものです」
俺はなんとなく納得できなかった。
だが、そんなことはどうでもいい。要は一番に双六を上がること、それ以外は関係なかった。
「他にありませんか……なければゲームをスタートしたいと思います」
「待ってくれ」
全員の目が俺の上に注がれた。
「教えて欲しい、このゲームの主催者はあんたか?」
「私と言うより、ゲーム愛好倶楽部が主催していると思ってください。それで宜しいですか?」
神尾が俺を睨んでいる。自分を無視されたようで面白くないのだろう。放っておけばいい、それより俺ははぐらかされたようで不快な気分がした。
まあいい誰が主催者だろうと、ノーリスクで間違いなく金さえ貰えればいいことだ。
「では、はじめます。一番の方サイコロを振ってください」
かおるは皆が見守る前でサイコロを振った。出た目は四、つまり四百万、だが次回は休みとなる。心なしか落胆しているような顔つきだ。一体どういう女性だろうか、最初見たときから気になっていた。
黒服の男が別室から四つの札束を持ってくると、プラスチックのケースに入れた。「オー」とため息が聞こえる。
頭で分かっていても、実際目の前に札束が積まれると、違った意味での感激が起きる。だが触ることは出来ない。
二番の神尾、三番の安室、次々とサイコロが振られそして五番の三橋、ころりと転がったサイコロの目は五、
「ヨシ」
と大きな声をあげ三橋が片手でガッツポーズを作る。札束が五つケースの中に積まれた。三橋はケースに指先を当て、札束の感触を確かめるように触っている。彼の気持ちは分からないでもなかった。指が切れそうなほどのピン札が目の前にある。触れてみたいのは誰だって同じだろう。
次は俺の番だ、六が出ろと念じサイコロを振る。
「クソ」
思わず失望の言葉が出た、サイコロの目は三だった。
大丈夫だ、まだ始まったばかりじゃないか。今日の一番の大きい数字は5、十八の上がりになるまで、六の目を立て続けに出しても、あと三回は必要だ。それにそんなラッキーは続きはしない。
隣の三橋が片目を瞑った。「残念だったな」と言いたいのか、「俺の勝ち」と優越感を満足させたかったのか分からなかった。
「喜ぶのは今のうちだけだ」と俺はうっすらと笑いを返した。
壁に映し出された双六の絵に、六人の番号が並んだ。
一に一人、二に二人、三に俺、四に一人、そして五に一人だ。
「最後に黒服姿の男性についてお話しておきます。彼らはあなたたちの一日の行動を監視しています。それとある特別な使命をいくつか帯びています。それについては徐々に分かるかと思います。またなにか質問事項があれば、彼らに聞いていただいても構いません。知っている範囲で答えるはずです。尚今日お帰りになってまた明日ここに来ていただきますが、どのような理由があろうと、集合の時間に遅れたりすれば、その時点で失格となります。それがたとえ他の参加者の方からの過失、または故意の邪魔があったとしても、当倶楽部は関知しません。では皆様をお送りします、ご苦労様でした」
ケースに残された札束に後ろ髪を引かれながら、俺たちはめいめい車に乗せられた。勿論帰りも黒い布を頭から被った。
知りたいことがいくつかあった。主催者の男は黒服の男に質問があればやっていいと言った。俺はヘッドホーンを外すと、運転席の男に声を掛けた。
「あんた黒田さんだったよね。聞きたいことがあるんだが、いいかな?」
「構いませんが、マスクはそのままで願います」
「ああ、わかった」
「それで、お聞きしたいのは何でしょう?」
「今日のゲームで我々に話しかけていた男だけど、彼の名前はなんて言うの?」
「名前は知りません、ただ我々はリーダーと呼んでいます」
「リーダーねえ、いくつぐらいなの?」
「顔は知らないんです」
本当だろうか、黒田の表情を見たいが、黒のマスクを被っているからそれは出来ない。それにしても、この黒田とこのあと一週間くらい一緒に過ごすことになる。監視役だと言ったが、どうやって監視するつもりだ。
「黒田さん、この仕事は長いの?」
「いえ、それほどではありません」
「じゃあ他の仕事をやっていたんだ。前はどんな仕事を?」
「色々です」
言いたくないということか。まああまりまともな仕事をしていたとは思えない。最初に黒田を見たときに感じたのは、あぶなっかしい匂いがしたことだ。普通のサラリーマンには見えなかった。
「さっき、監視するって言ってたけど、ずっと傍にいるわけ?」
「いえ、そんなことは出来ません」
「じゃあ、どうやって監視するの」
「方法はそれぞれです」
なるほど、答えに窮したり、まずい質問であれば、色々だとかそれぞれだとかで逃げるつもりだ。それはそれでいいかと質問を変えた。
「この仕事って給料いいの?」
「あなた次第です」
「俺?」
「はい、そうです」
俺と黒田の給料が関係している? どういうことだ、それを問いかけようとしたとき、「着きました」と車が停止した。行きよりずっと走る時間が短い。とすると、俺のアパートから意外と近い場所にさっきの部屋はあるのか。マスクを取ると、アパートが目の前に見えた。助手席から降り、アパートに向かう俺の背中に黒田が声を掛けた。
「明日夕方の七時にお迎えに参ります、遅れないようにお願いします」
「ああ、分かった」
「それと、百武様の出目は三でした。双六の言葉は「落し物に注意」です。明日の迎えの時間まではくれぐれも注意されてお過ごしください」
「ああ」と声がでかかったが、「何を?」と疑問が奥歯に挟まった。
「どういうことだ?」
その言葉を聞く前に黒田は車を発進させた。赤いテールランプが闇のネオンの中に紛れ込んでいく。その赤色を眺めながら、俺は黒田の言葉を繰り返した。
「出目は三、双六の言葉は「落し物に注意」、明日の七時までは注意して過ごせ」
あいつは何を言いたかった。もうひとつ、あいつの給料が俺次第だと言った。それも謎だった。
いや、双六ゲーム自体が謎に満ちている。リーダーと呼ばれる男はこのゲームが違法ギャンブルだと言った。我々は競馬の馬で、それに賭ける奴らがいる。賭けの総額は一億にもなるだろうと話をした。
闇賭博、何処にでも転がっているし別にそれ自体珍しいものではなかった。だが余りにも怪しすぎる。本来であれば喜ぶべきことなのだろうが、ノーリスクというのが気に入らない。世の中、リスクだらけだ。先物取引もリスクに溢れていた、だからそのリスクを芥子粒のように小さく言うのが、俺たち営業の力だった。
遊びやふざけでやっているとは思えない。黒服を着た男六人を雇い、それぞれが車で参加者を運び、マンションなのか、ビルの一室なのか分からないが、それなりの部屋であれだけの装置を揃える。それだけでもかなりの金額なるはずだ。
「まあ、考えても無駄だな」
それより、双六で一番で上がることを考えたほうが利口だろう。今のところ五番の三橋が五の目をだしてトップだった。明日はあいつが一でも出して俺が五か六を出す。いずれにしろサイコロの目次第。出たとこ勝負の頼りないものではあるが、勝機がないとは言えない。
翌朝目が覚めると、空の雲行きが怪しい。低気圧の前線が関東地方に張り出してきており、雨風が強くなりそうだと天気予報が告げていた。
「おい、百武、三京商事の記事は出来たか?」
出社すると編集長の能見が渋い声を出した。
「すみません、これから」
「何やってんだ、考えることなどなにもないんだ早くしろ」
「午前中にあげますので」
書いている記事はちょうちんもち。業界紙ならば何処も同じで、インタビューをしてきた会社の社風や製品、社長などを持ち上げる記事を書く。その代わり広告を貰い、金を稼ぐことになる。
本来なら、夕べのうちに記事を書き上げるはずだったが、頭の中は双六の金のことでいっぱいだった。
プラスチックケースの中に積まれた三百万の札束、あれが、今夜のサイコロでどれだけ増えるのだろうか。最悪の場合は一が出て四百万、最高なら六が出て九百万。いや、一ということはないだろう、三か四か。
そして次の日のサイコロは、六あたりが出てもいい頃だ。すると一千三百万円、札束十三個が積まれる。考えるだけで興奮していた。
「それにしてもあいつ何処から俺を監視しているんだろう」
アパートを出るとき、周りを見回したが、黒田のいる様子はなかったし、それらしい車も停まっていなかった。
「おい、飯でも行かないか?」
先輩の大島が誘ってきた。俺より三歳上の三十一歳、去年結婚をして、一人の子持ちだ。時計を見ると十二時を指している。
俺は警戒をした。大島が優しい声で俺を誘ってくるときには、何か魂胆があるときだ。
「また煮込み定食ですか?」
「ああ、ワンコイン定食で充分だろう、それにあそこの飯は美味い」
「いや、そんなに腹は減ってないんですよ」
「何だ、昼飯を抜くつもりか、そんなんじゃ午後から持たんぞ」
「コンビニでおにぎりでも買おうかと」
給料日まであと二日、財布にはもう千円札二枚しか入ってなかった。おにぎり二個で二百円、後はカップ麺をすする。
「コンビニか、悪くないな。じゃあそうするか」
大島はハンバーグ弁当を買うと、二人で公園へと歩いた。少し風があるが、残暑の季節にはこのくらいが気持ちいい。雨はまだ降りそうにもなかった。
「ところで百武、ちょっと頼みがあるんだが」
やはり来たかと身構えた。
「金貸してくんないかな、これだけでいいんだ」
人差し指を一本立てた。一万円という意味だろう。
「給料日には返すからさ、な、頼むよ」
「すみませんね、俺もからっけつなんです」
財布を取り出して見せた。俺が借りたいところだ。
「預金はないのか?」
「そんなのあったら苦労しませんよ。俺もあさってが待ちどうしいのです」
「参ったな、編集長には頼めないし」
「一体どうしたんです?」
「いやあ、実は今日女房の誕生日なんだ。それでプレゼントの品を買わなくてはならないんだが、金がなくてね、それで困っていたんだ」
「だったらカードが……」
あるじゃないですか、と言いかけたが、二週間ほど前の大島の話を思い出した。そうだクレジットカードは女房に取り上げられたと言っていた。なんでもキャバクラで使ったのがばれて、それ以来カードは禁止となっているらしい。
それに懲りず、おそらくキャバクラに行って金を使い果たしたのだろう。
「じゃあ、容子ちゃんしかないですね」
「お前、頼んでくれないか?」
「俺が? 嫌ですよ、大島さん自分で頼んでください」
野際容子、経理の娘だった。色黒で、えらが張り、目の細い、ひいき眼に見ても女らしいとは思えない容姿だ。年齢は俺より少し上だと思えた。そんな女に借金でもしたら、後々面倒くさいだけだ。
「おまえ冷たい奴だな」
どうしてそんな理屈が成り立つ。頼むほうがおかしいのだろう、と文句を言いたくなる。だが、相手は先輩、余計な波風は立てたくなかった。
「勘弁してください」
これ以上大島に関わりたくなかった。腰を上げると会社へと戻る。大島はまだ何かを喋っていた。
「そうだ、こうしないか」
「何ですか?」と足を止めずに視線を向けた。
「俺とじゃんけんをしよう、俺が勝ったらお前が容子ちゃんに頼む。お前が勝ったら俺が自分でやる」
一瞬呆気に取られて足を止めると、「あのですね、あんたの借金をどうして俺が頼まなければならないんです」と両手を挙げた。
話にならない、相手をするだけ馬鹿馬鹿しい。俺は両手を下ろすと、背中を向け歩き出そうとした。
「ちょっと待てよ、百武」
大島が俺の手を掴んで引き戻した。そのときだった、一メートルほど先の目の前に何かが落ち、激しい音を立てて粉々に散った。砕けたのは植木鉢だった。突風にあおられビルの三階の軒先にぶら下がっていた鉢が落ちてきたのだろう。
俺は血の気が引くのが分かった。もし大島が俺の手を掴んで引き戻していなかったら、まともに頭にぶつかったかもしれない。大島も驚いた様子で砕けた鉢を眺めていた。
ラッキーだった、そして大島に感謝するしかなかった。そのお礼に俺は容子に借金の申し込みをした。
七時きっかりにアパートのドアがノックされた。
「今行く」
相手は黒田、迎えに来たのだろう。カップ麺で腹ごしらえを済ますと、俺は外へ出た。
相変わらず黒尽くめの服を着ている。こちらはティシャツでも暑いというのに、見ているだけでも汗が流れる。
助手席に座ると、黒田が黒のマスクを寄越した。ヘッドホーンも寄越す、俺はそれを遮った。
「あんたと話をしながら行きたいんだが」
「分かりました、ではマスクをお願いします」
黒田がラジオのボリュームを上げる。よほどあの部屋の場所を知られたくないのだろう。俺はマスクを被ると、気になっていた質問をした。
「あんたたちがゲーム賭博で金儲けをしようとしているのは分かった。だが、分からないのは、なんで俺たちを集めたかだ。賭博をやるだけなら、わざわざ俺たちを募集して集める必要はないだろう、それに一週間もかけ金を払う必要もない」
「私も詳しいことは知りません。ただ私が耳にしたのはこのやり方だと賭ける金が大きく動くそうです」
どういう意味だろう、良くは分からない。
「普通賭博といえば、ルーレットや花札な賭場を開いてそこに人を呼んでやります。ところがこの双六ゲームではゲーム内容がネットで一週間ほど配信されています。だから賭けている方は自宅や会社で賭場にいるのと同じ状況となります」
なるほど、いちいち賭場に足を運ぶ必要もない。さらに警察に踏み込まれてもそこに居なければ捕まる恐れもないということか。
「だが、それだけではないだろう」
このやり方が、金が大きく動くというのが引っ掛かっていた。
「賭ける方法がいくつかあるらしく、最後の上がりにいたるまでに何度も賭けることが出来るそうです」
「どういう方法なんだい?」
「詳しくは知りません」
「知っているだけでも教えてくれ」
黒田は間を置いて話し出した。まず開始時に誰が一番であがるかを賭ける。もっともノーマルなやり方だ。次に、二日目、三日目と優劣がはっきりしたところでも賭けることが出来る。なるほど勝者が絞り出されたところで賭けることが出来るということか。これで賭ける金が上積みされていく。もうひとつは誰がどこで失格するかということだった。
「賭けに参加する奴らって、どんな奴らなんだ?」
「なんでも資産家や会社の経営者など、裕福な方だと聞いています」
「きっと掛け金って高いのだろうな?」
「ええ、一口十万円だそうです」
「十万円?」
「そうです、それを皆さん十口も二十口も賭けられるそうです」
黒田の言葉は驚きだった。十口といえばそれだけで百万の金だ。つまり百万や二百万の金が賭けられている。いったいどれだけの数が参加しているのか。あのリーダーが言った一億の金というのも本当かも知れない。
だとすると俺たちに二千万の金を払っても充分に元は取れるということだ。それでも謎が残った。何故俺たちを公募して集めなくてはならなかった。
「ところで黒田さん、あんた昨日変なことを言っていたね」
「何でしょう?」
「あんたの儲けは俺次第だって」
「ああ、そうですね、確かにそう言いました」
「どういう意味だい?」
「簡単です。百武様が稼いだ金額の一割に相当する金額を我々は貰うことが出来ます。もし百武様が無事勝者になられ、二千万の金を入手されたら、私には二百万の金が支払われます」
なるほど、そういうことか。しかし、俺を送り迎えするだけでそんなに貰えるなんて、どこか納得できない部分もあった。
「じゃあ、俺が一番になるのを願っていてくれ」
「ええ、そのつもりです。いろいろと協力させていただきます」
黒田に聞いて少しだけゲームの概要がおぼろげに分かってきた。だが、まだ知りたいこともある。
黒田に手を引かれて車を降りる。部屋に着くと、先に三橋が一人ソファに座っていた。俺を見ると、「よう」と片手を挙げた。その手に白い包帯が巻かれていた。
「どうしたんだ?」
「うん、これか?」
「怪我?」
「いや、捻挫した。ひでえ奴がいやがってさ。駅の階段を降りていたら後ろから突き飛ばされてね。危うく大怪我をするところだった」
三橋は苦々しく言葉を吐いた。朝の通勤時間、階段を駆け下りようとして押されたといった。運よく階段の途中で転げ落ちるのは止まったらしいが、下まで落ちていたら、手首の捻挫だけでは終わらなかっただろう。
「それで相手は?」
「混雑しているときだ、分かりはしねえよ」
「軽くて幸いだったな」
「まったくだ。足でも折れていたら、大変だった。なんせゲームに出られなくなってしまうからな。もっとも這ってでも来たかもしれんが」
言われて、俺は思い出した。もし昼間の落ちてきた鉢が頭に当たっていたら、今頃俺はここに来ては居られなかった。
「実は俺も危なかったんだ」
昼間の話をすると、三橋は、
「そりゃあ残念だったなあ」
と笑った。「え」っと驚く俺に、
「一人競争相手が減ったのにさ」
と冗談めかして言う。俺は苦笑いをした
たしかに三橋の言葉は本質をついていた。憐れみをかけるより、怪我でもなんでもして失格して欲しい、それが本心かも知れない。考えてみれば、ここにいる参加者全員が俺のライバルであった。彼らの一人が落ちてくれれば、それだけ勝者への道が近づく。それに彼らの獲得した金もこちらに回ってくる。
誰もがそれを願っているだろう。
「お、彼女が来たぞ」
部屋に入ってきたのは由井かおる、今日もさわやかな色のワンピースを着ている。八重に近づくと話を始めた。振り向いた八重が俺に手を上げた、俺はそれに応えるようにぺこりと頭を下げた。
最初はきつい女だと思っていたが、話してみると意外と気さくな女であった。それに年齢は俺よりひとつ上だと分かった。服の上からも見事な体をしているのが分かる。特に締まったウエストに張りのある腰、男なら惹かれるだろう。
「あの女いいだろう、ちょっと気が強いがな。締まった身体をして乗りでがありそうだ」
三橋は卑猥な笑いを見せた。
「それにさ、あの女好き者だぜ」
どうしてそんなことが判る、俺は曖昧な笑いをした。
「信用していないな。俺は手相が見れるんだ。いいかこの愛情線の先が何処に向かっているかでそれが分かるんだよ。いままでこれで外したことがない」
三橋は得意そうに俺に説明を始めた。小指の下のほうから人差し指にかけて走る線、この線の先が中指の下に向かって走っていれば、間違いなくそうだと教えてくれた。そして八重の手相がそうだと言った。
「一度試してみな。そうしたら俺を信用する」
過去に付き合った女、片手の指でもお釣りがくる数だ。遊びで女と向き合ったことはなかった。だが大金が入れば一度くらいはやってもいいかと思う。
「皆様全員無事にお集まりいただきました。ではこれからゲームを再開します」
ドクターの声に全員が着席した。
黒服のメンバーがプラスチックのケースに被せられた布を取る。そこには前回置かれた札束が残っていた。
何度見ても飽きない。なんとも言えない魅力がある。俺は新札の手触りが好きだった、そしてあの独特のインクの臭い、何もかもが魅了する。誰もが自分の目の前にある金を覗き込んでいた。
「一番の方は、今夜は一回パスですので、二番の方からサイコロを振っていただきます。では二番の方、どうぞ」
神尾がサイコロを握った。みんなの視線が神尾の手に注がれる。神尾は祈りを捧げるかのように目を閉じ、そして握りこぶしを開いた。カラカラと乾いた音、サイコロが止まった。
「やったー」
神尾の声、と同時に「おー」と周りからの微かなため息。神尾の喜びの声とは逆の、羨望とねたましさの音が含まれていた。
サイコロの目は六、一気に神尾は七へと進んだ。目の前のケースに六つの札束が重ねられる。神尾は自信に溢れる笑顔を俺たちに向けた。
「ヤロウ、ついていたな」
三橋が口惜しそうに言う。
確かにそうだ、このゲーム、ツキ以外に何もない。幸運の女神が誰の頭上に輝くのか、気まぐれな神様に任せるしかないのだ。
三番の安室は五へと進み、四番の栗林は六へと進んだ。
「六だ、六が出ろ、絶対六だ」
三橋が呪文を唱えている。彼の気持ちがよく分かった。だが、六など出されては困る。現在は五の位置にいる、出れば十一へと進み、一人勝ちになってしまう。俺は三橋のサイコロを握る手を見ながら、「一だ、一だ、一が出ろ」と念じた。
「あああー」
三橋の落胆の声聞きながら、俺はほっと胸を撫で下ろした。出目は二、これで三橋は七へと進む。他の奴らの表情も俺と似たようなものだった。
願いが通じず、出た目は三、俺は六へと進んだ。
この時点でトップは七の神尾と三橋、次に六の俺と栗林だった。まだまだ勝負はこれから、俺は帰りの車に乗った。それにしてもサイコロの目に一喜一憂している自分たちが滑稽だった。だからと言って止める気はさらさらない。
「双六の言葉は覚えておられますか?」
別れる際に黒田が尋ねた。六の一に書かれた言葉を訊いている、俺はぼんやりと覚えていた。
「確か「臭いもの身しらず」じゃなかったか。もっとも意味は分からないが」
「自分で自分の臭いは分からないということです。では、気をつけてお過ごしください。また明日の七時にお迎えに上がります」
何だあいつ、俺はアパートの階段を駆け上がった、どこかに引っ掛かりを覚えながら。
「悪かったな、助かったよ」
昼食から戻ってきた大島が一万円札をだした。給料が出たので銀行からおろしてきたのだろう。
「それで、どうだ、今夜行くか?」
飲みに行こうと誘ってきた。
「済みませんが、先約があるもので」
「お前まさか、あのお局様じゃないだろうな?」
「いえ、違います」
容子から金を借りて以来、容子が自分を見ているのを感じていた。恐らく大島もそれを感じていたのだろう。
「そうだろうな、あいつは止めといたほうがいい。近づかんことだ」
近づく?
あんたのせいだろう、と口の中で罵った。もっともそのお陰で、あのとき助かったが。受け取った一万円札を握ると、容子へと近づいた。
「これ、借りたやつ。係長に返してもらったから」
「え、じゃああの金は?」
「そう、係長に頼まれたんだ。じゃあこれで」
何かを言いかける容子に背を向けると、俺はそのまま部屋を出た。頭の中は今夜のことで一杯だった。もし今日六の目が出たら、十二になる。ということは、六で上がり。二回連続で六が出るなど、殆ど不可能に近い、だが完全に不可能とは言えなかった。
大金を掴んでこの会社を出たい。暗く陰気臭い会社の部屋は息が詰まりそうだった。業界紙の出版社で俺の能力を埋もれさせたくはない。俺には無限の可能性が待っている。そのためにはどうしても一番で双六を上がる、絶対にできる、俺は自分に言い聞かせた。
リビングに入ると、すでに他のメンバーが集まっていた。栗林の左の頬に大きなガーゼが留めてある。三橋が話し合っていた。俺の目は一人の女を捜している。かおるだ。
今夜のかおるは女の色気を出していた。いやそう感じたのは彼女着ている服のせいだろう。いつものおとなしいワンピースとは違って、胸の切れ込みが入っている。その隙間からふくよかな谷間が見えた。ふとかおるの手相を見てみたいと思った。
「よう、来たな」
三橋が近寄って来た。栗林も一緒だ。
「どうしたんだ?」
「いや、なんでもない」
栗林が頬のガーゼを手で押さえた。よく見ると髪の毛もちりじりになっている。
「なんでもないってことないだろう、教えてやれよ」
「いや、ほんと、いいんだ」
問いかけようとした俺の視線を避けるように栗林は離れていった。
「あいつ相変わらずはっきりしないヤロウだよ、火傷したらしい。ガス漏れだってさ。どうせなら大火傷でもしてくれりゃ良かったのに」
三橋が残念そうな口元を見せた。他人の不幸は蜜の味じゃないが、我々の今の状態はひときわその思いが強かった。一人でも競争相手が減ってほしい、三橋の言葉は俺の気持を代弁している。それでも話を聞きながら視線はかおるを追っていた。
「ずいぶんと気になるようだな、あいつが」
「え? いや、そんなんじゃないよ」
「隠すな、分かっているって。確かに可愛い顔をしているし身体もなかなかのもんだ。でもあの女止めたほうがいい。普通の女じゃないぜ」
俺は、どういうことだ、と三橋の顔を見た。
「あんた、あいつのこと知っているか?」
由井かおる、二十五歳だと聞いている。後は住まいが川崎市中原区、南武線の武蔵小杉の駅に近い。スーパーのレジでバイトをしている。このゲームに参加したのは、親父の会社が上手くいかなくて借金をつくり、それを返却するためだと。知っているのはそれだけだった。
「あんたそれを信じちゃいないだろう?」
「どういう意味だ?」
「見ろよ、ここに来ている連中を。ひとくせもふたくせもありそうな顔をしているじゃないか。欲で目が血走っている。勿論俺とあんたも含めてだが」
意地悪い笑い顔をして見せた。
「何を言いたいんだ?」
「人は見た目どおりじゃないってことさ、あの娘もね」
「何か知っているのか?」
三橋はじっと俺を見つめていたが、
「まあ世の中考えるより狭いってことだよ」とポケットから爪切りを取り出すと、焦らすように自分の爪を磨きだした。
「現場の仕事をしていると爪が汚れてしまってよ、女にもてないんだ、大事な所を汚い指で触られたくないんだってさ」
勿体ぶるなよと俺は三橋の口元を見つめた。
「あんた彼女いるんだろう?」
「いや」
「本当かよ、けっこう男前の顔をしているのによ」
金の切れ目が縁の切れ目じゃないが、あの日以来何もかもが狂いだしていた。貧すれば鈍すで、些細なことで怒りっぽくなる。一度消えた劣等感が再び芽生えていたのも確かだ。ちょっとしたことで喧嘩し、それっきりだ。もう長いこと女とは付き合いがなかった。
「貧乏人は相手にされないってことさ」
「違いねえ」
爪切りを閉じると、ふーっと大きく息を吐いた。
「由井かおるって子、同棲している、相手は二十歳の男だ。こいつがどうしようもない男で、大麻などやってミュージシャン気取りをしている馬鹿だ。こいつのためにバイトしながら貢いでいる」
「嘘だろう」と言葉を出しそうになった。
同棲、それ自体は驚くことではない。かおるだって二十五歳、恋人の一人くらい居て当たり前のことだ。だが俺の抱いていたイメージとはあまりにもかけ離れていた。年下の男、それも薬をやるミュージシャン気取りのガキとは。彼女の持っている清楚さとはマッチしないような気がする。いや、それより親父のために金が欲しいと言っていたのに、真実は男のためだとなると、何か裏切られたように思えた。
「信じられないな」
「だろうな、あんたのその顔じゃ。もっと面白い話もあるぜ」
馬鹿にされているような気がした。だが、三橋の顔は俺をからかっているわけでもなく、嘘を言っているようには思えない。どうして彼はそんなことを知っている。いやそれだけじゃない、もっと面白い話とはなんなのだ。
尋ねようとしたとき、ゲームを開始するアナウンスが流れた。
「電話をくれないか」
俺は三橋に自分の携帯電話の番号を教えた。
三回目のサイコロで、一人を除いてみんなが一列に並んだ。プラスチックのケースの中には十個の札束、一千万円が積まれていた。どの顔も目がぎらついている。栗林だけがふてくされた顔をしていた。彼の札束は七つだ。
上がりの最短は二回。そのためには最低でも四の目を出さなければならない。
黒田は俺を送り届けると、別れ際にまた同じことを言った。
「今日の言葉はご存知ですね?」
「ああ、口は災いの元だ。それが一体どうしたと言うんだ?」
昨日も同じことを言われた。
「四番の方は、昨日は確か同じ場所まで進まれたのでしたよね」
黒田は栗林のことを言っていた。確かに彼も六の位置まで進んでいた。だからそれがどうしたと言うのだ、俺は黒田に問いかけた。
「では昨日の言葉は?」
「昨日の?」
臭いもの身しらずじゃなかったか、俺はそれを告げた。
「四番の方、ガスで火傷をされたとか。大事にならなくて良かったですよね。では私これで失礼します。明日七時にお迎えに参ります」
車のテールランプを見ながら、俺の頭は混乱していた。
黒田は何を俺に言いたかった。あの言葉と栗林の火傷がどうしたと言うのだ。俺は部屋に戻ると、ビールを煽った。一人考えるときの癖だ、イカのあたりめを齧りながら、ビールを空ける。
「臭いもの身しらず」……
「ガスで火傷」……
臭いもの……ガス……
待てよ、若しかしたら。俺は自分の最初の言葉を思い出してみた。出目が三で、あのときの言葉はたしか「落し物に注意」。そして大島と歩いていて植木鉢が落ちてきた。するとあれは、俺の将来のことを予知していたというのか。
いや、そんな馬鹿な。あの日は風が強かった。単なる偶然だ、ありえない。
「よう、今どこだ?」
三橋からの電話だった。電話をくれとメモを渡したので早速電話を寄越してくれたのだろう。
「あんたに聞きたいことがある」
「なんだ、あの女のことか?」
「それもあるが、他のことだ。あんた、先日階段で背中を押されたと言ったよな。あのときのあんたの言葉は何だった?」
「なんだ、その言葉ってやつ?」
「双六に書いてある言葉だよ。それぞれの番号に振ってあるだろう、ことわざみたいなやつ」
「ああ、あれか。あれは確か、転ばぬ先の杖、だったかな。それがどうした?」
「いや、なんでも無い」
これも偶然なのだろうか。「転ばぬ先の杖」三橋の階段から転げ落ちた事故にぴったりじゃないか。だがラッシュ時には大勢の乗客が我先にと階段に走りこむ。押し合いへしあいになるのは毎日のことだった。そんな状況の中で誰かがぶつかることは珍しいことではない。
きっと偶然だ、それに一体誰がそんなことをする。そんなことをしても何のメリットもないはず。競争相手が、誰かを蹴落とそうとしてやるのなら話は通るが、お互い何処に住んでいるのか、詳しくは知らない……いや、三橋は知っているかも。
「あんた、かおるの住所は知っているのか?」
「ああ、知っているよ」
「どうしてそれを?」
「なーにたいしたことじゃない。それよりなんでそんなことを聞く?」
「いや、なんでもない」
俺が感じたことを話しても、偶然だと笑われるだけだろう。しかしどんな理由で三橋はかおるの住所を知っている。そのほうに興味があった。
双六の行われる部屋で、酒やコーヒーを飲みながらお互い自己紹介はしていた。だがそれはあくまで表面的なもので、詳しい住所などは教えていないはずだ。それとも俺が知らないだけで、他の連中はお互い細かいことまで話し合っているのだろうか。だとすれば誰かが栗林の住所を知っていてもおかしくない。
しかしそこまでやるだろうか。まだゲームは始まったばかりだ。誰が勝つのか全く分からない。そんなことをしていたら、全員を殺さなければならない。いや殺す必要などないのだ、時間に遅れ失格さえすればいい。
「そう言えば、あんたかおるの面白い話を知っていると言っていたが?」
「ああ、そうだよ。聞きたいかい?」
「差し支えなかったら」
馬鹿なガキを養うためにバイトをし、そして同棲している。それを知っても、なぜかかおるのことが頭から離れなかった。
「あんた、あいつの仕事知っているよね?」
「スーパーでバイトしているだろう?」
「ああ、二年前からな、問題はその前だよ」
二年前の仕事?
何をかおるはしていたのだろう、その疑問に三橋は「詐欺商法」だと答えた。
「詐欺商法?」
「ああ、渋谷あたりの繁華街で若い男を捕まえて物を買わせるってやつよ。もっともあの女、出会い系サイトをつかってそれをやっていたが」
「どうしてそれを知っている?」
「俺のダチがやられた。そいつ俺に可愛い女と知り合いになったと写真を見せてくれた。なるほどメイルに添付された写真はなかなかの美人だ、あんたも知っている通りな。ダチはすっかりのぼせ上がり、その女の言いなりになった」
「で、何かを買わされたのか?」
「そういうこと、貴金属が主だったらしい」
テレビなどの報道特集でもやっているのを見たことがあった。
出会い系サイトで知り合った女性とデイトし、趣味や収入などを聞かれ、二度目のデイトでは、自分の父だとか、叔父がやっている会社だと貴金属を扱う店に連れて行かれ、言葉巧みに誘われる。
要らないと言っても、
「大切な人に持っていてもらいたい」
「このネックレス、あなたに似合うわ。これをつけている貴方が好きになりそう」
「いつか一緒になったら、これが思い出の品になるわね」などと男の心をくすぐり、次々と商品を売りつける方法だ。
普通に考えればすぐにおかしいと分かりそうなのに、美人に血が上っている男は、言われるまま売買契約をしてしまう。気付いたときには借金で首が回らない嵌めに陥っている。
そんな詐欺をかおりがやっていたというのか。信じられない、いや信じたくないというのが本音なのかも知れない。
それに、騙されたというのは本当にダチなのか。もしかしたら三橋本人ではないのか、とそんな思いもちらついた。第一、一度見たくらいの写真の女の顔を覚えているだろうか。よほど特徴のある顔でないと。しかし三橋が被害者なら騙したかおるも覚えているだろう。
いや、騙されたほうはしっかり覚えていても、騙したほうは覚えちゃいない。俺だって俺のカモになったやつの顔など忘れてしまった。
「女は怖い、もっとも女だけじゃないけどな」
三橋は笑った。
「ここにいる連中は皆ひとくせもふたくせもあるやつばかりだ、俺もあんたもね」その言葉が思い出された。
他の連中についても何か三橋は握っているのか。もっと話をしようと思ったが、三橋は「もう寝る」と電話を切った。
「おい、百武、聞いているのか?」
編集長の怒鳴り声に我に返った。
「あ、何でしょう?」
「何でしょうじゃないだろう、お前十時に飛島恒産の社長と約束していたんじゃないのか」
「あ」と時計を見ると約束の時間まであまりなかった。
「すみません、行ってきます」と会社を飛び出したが、もはや昼間の仕事などどうでも良かった。頭の中は双六のゲームで溢れかえっている。どうしたらあの金をゲットできる。サイコロなど運に頼らないでゲットする方法はないだろうか。
だが、そんな方法があるわけはなかった。いやひとつだけある。
「時間に遅れた者はその場で失格」
この条項を利用すればいい。つまり、物理的に彼らが時間まで来られないようすればすむことであった。例えば約束の七時の時間に急用が起きるだとか、病気になる、或は事故に遭遇する。だがそれをやるとなれば色々と克服しなければならない問題がある。
第一に、参加者全員の住所も知らなければ、彼らが働いている場所も聞いていない。それに急用にしたってどんな理屈をつければいい。親や兄弟が危篤だといっても、親や兄弟についての情報はゼロだ。
病気にしたって、そう都合よく病気をしてくれるわけもなし、残るは事故くらいしかなかった。
考えるだけ無駄かな。すでにサイコロは三回振っていた。恐らくあと二日もすれば、誰かが上がるのではないのか。
それが現実になりそうな展開がその晩起こった。
八重の転がしたサイコロが五の目を出した。「あー」とも「おー」とも言えない驚きとため息が全員から漏れた。八重は十五へと進む。残りは三、つまり明日に三以上の数字を出せば、八重の勝利だった。
「決まりだな」
俺は三橋に落胆した声を出した。
「まだ早い、俺は六を出してやる」
だが、出たのは二の目、そして俺は一の目だった。
よりによって、なんで俺だけが一なのだ。いやかおりも同じ数字だったが、それでも自分の不運さを呪った。
結果、十五で八重がトップ、十二で神尾と三橋、十一で俺と栗橋、かおるが続いた。
次の日三橋から電話があった。
「あんた時間が取れないか?」
「何か用か?」
「ちょっと会って話をしたいことがある。ゲームのことでだ。一時間くらいなんとかならないか?」
「それくらいだったら大丈夫だが、こっちの場所は……」
会社の場所を教えると電話を切った。急に会いたいとは何故だ、頭の中にひとつの考えが浮かぶ。三橋はゲームのことで用があると言った。彼が相談したいのは八重のことではないのか。今夜にでも八重が上がる、そうなると俺たちは僅かの金を手にして終わり。彼には耐えられないことだろう、そして俺も。
「よう。悪いな」
ジーンズにティシャツ姿の三橋が手を上げた。仕事は休みなのだろうか。
「飯でも食いながら話すか?」
二人は蕎麦屋に入ると、奥の席を探した。三橋が内密の話をしたいと言ったからだ。
「それで?」
「そうだな、どこから話そうか」
迷っているような笑い顔を見ながら、俺は言葉を待った。その表情には、どこか危ない臭いがしている、俺が想像している話と同じだろうと思った。
「あんた、今夜八重って女が上がると思うか?」
「ああ、そんな気がする」
「やはりな。しかしあいつが上がったら俺たちの取り分は十万そこらになってしまう、それで納得できるか?」
「しょうがないだろう、ゲームの取り決めだから。それに俺たちは何のリスクも背負っていないのだし」
「そうかな」
三橋は違うと言っている。何が違うというのか、しかし現実に俺たちは何の金も払っていないし、これからも取られるとは思えない。
「あんた、昨夜の神尾の顔を見たか?」
おかしいなと感じたのは確かだ。いつもの不遜な顔はなくなって苦しそうな表情をしていた。腹を押さえ何かを耐えているように思えた。下痢でもしたのだろうと気にすることはなかった。
「あいつ、何かに当たったらしい」
「当たったって?」
「悪いものを食ったのか、飲んだのか。本人はそう思っている。だが、俺は違うと睨んでいる。あいつ誰かに薬を盛られたんだよ」
「まさか、何のために?」
「あいつを失格させるためさ」
「誰が?」という言葉を飲み込んだ。言えば三橋に蔑まれるだけだ。
やるとしたらゲームに参加している人物しかいない。参加者が減れば、それだけ自分が有利になる。そして「口は災いの元」のことば。本来の意味とは異なるが、まるっきりかけ離れているとは言い難い。
「あんたが俺に聞いたよな、俺が階段から転げ落ちた日の双六の言葉を。神尾から話を聞いたときに、これはって思ったんだ。あんたも上から鉢が落ちてきて危うく難を逃れた。そのときのあんたの言葉は何だ?」
「落し物に注意」だとは言えなかった。いや、三橋は気付いている、気付いているから俺を呼び出し相談したいと言った。
栗林、神尾、三橋、そして俺。四人が何らかの被害を受けている。いや、下手すれば命を落としかねないような事態にまでなっていた。すると犯人は残りの二人ということか。八重とかおり、この二人だけがまだ被害を受けていない。どちらかが俺たちに手を下した。
「あんた、今でもノーリスクだ思うか?」
そうだ、三橋の言葉を聞くまではそう思った。だが、現実に四人が被害を受けるとなると考えは違う。俺たちはリスクを背負っている。それも大怪我をするほどの、いや、下手すれば命さえも落としかねないほどのリスクだ。
主催者は俺たちに競争心を植え付け、それを煽るようにあのプラスチックのケースに金を積んでいる。あの札束を見たら、誰だって欲しくなる。いや他の参加者を蹴飛ばしても、己のものにしたいだろう。汚いが上手いやり方だ。
ふっと、黒田の言葉を思い出した。賭けのやり方で、最初の失格者は誰かに賭ける方法もあると言った。
あいつら初めから我々が足の引っ張り合いをするのを見越していたのだ。すると俺を狙ったのは誰だ。目の前の男、三橋じゃないと言い切れるか。それとも神尾、あいつは俺に対して嫌悪感を持っている。
「いや、今は違う」
「そうだろう、こうなったらやることはひとつしかない、分かるだろう?」
「何をやるつもりだ?」
「あの女、八重ってやつを蹴落とす。失格させるんだよ、俺たちがやられた方法で」
「しかし彼女がやったとは」
まだ八重が犯人だとは確定していない。だが、八重でなければ他の誰かが。残りはかおるしかいない。かおるがそこまでやるとは思えない。いやいや、かおるだって分かりはしない。三橋の話ではとんでもない悪の女だ。それにかおるが直接やらなくても、同棲している男を使えばいい。
「じゃあ、あいつが金をかっさらっていくのを指を咥えてみているのか。あんたの机の上の金も消えてしまうんだぜ」
それは困る。俺が再起するのに絶対必要な金だ。しかし、たとえ八重を失格させても十二に位置する三橋と神尾が居る。もし六の目が出れば、それで終わりだ。俺には何のメリットもない。
「確かに、心配するのは分かる。だが六の目などめったに出ない。いままで出ているのは神尾の一度だけだ。幸運は続かない。それにもし協力してくれたら、俺に六の目が出ても、あんたにも分け前をだすよ」
幾らだと見つめると、「半分だったら満足だろう」と付け加えた。俺はすばやく頭の中で計算をした。黙っていれば八重が金を独り占めするのはほぼ決まりだろう、それが阻止できるなら願ってもないことだ。それにもし三橋があがれば、賞金は山分け、悪くない取引だった。
「で、一体どうするつもりだ?」
「なあに、あの女には二三時間おとなしくしていてもらえばいい。時間に間に合わなかったらそれでおしまいだからな」
「するとどこかに監禁でも」
「そうだ、椅子にでも縛り付けていれば充分だろう」
確かにそれで充分だった。ルールではどんな理由があろうと、時間に遅れたらその場で失格となる。
「でも、そう上手くいくか?」
「だからあんたに頼みたい」
「俺が?」
「そうだ、俺があいつを呼び出しても用心してこないだろう嫌われているからな。だがあんたならあいつは喜んでやってくる」
そうかも知れない。八重がいつも俺を見ているのを感じていた。部屋にはいると必ず八重のほうから挨拶し、俺に何かと話をしようとした。気があると感じたのは俺だけではなさそうだ。
だが、違法性はないのか。八重に危害を加えないとしても、人を監禁すればそれで犯罪が成立するのでは。罪人にはなりたくなかった。法律に触れることをやる、それは馬鹿がすることだと思っていた。たとえどれだけ上手くやろうと、万が一明らかになったときには全てが無くなってしまう。決して消えない肩書きが一生ついてまわる。
待て、焦るな、ゆっくりと考えろ。三橋は俺に電話をして呼び出して欲しいと言った。そうだ俺はただ呼び出すだけだ。電話をすることは罪にはならない。だが俺は用があってその場に行けなくなった。ただそれだけのこと。あとは三橋が何をやるのか、俺がタッチすることではない。
大丈夫か、それで通じるか。頭の中がめまぐるしく回転している。決して塀の向こうに落ちてはならない。
「でも呼び出すって、どうやって?」
「これだよ」
小さな紙を渡した。みると番号が書かれている、どうやら携帯電話の番号だ。恐らく八重の電話だろう、しかし一体どうやってこれを。
俺の目に答えるように、
「まあ、方法はいろいろだ」と笑って済ませた。
三橋の言うとおりに俺は八重の番号を押した。八重は驚いていたが、疑われることもなく八重は俺の指示の通りに五時に菊名の駅前で会うことにした。後は三橋に任せればいい。どこかの部屋にでも縛り付けて、暫く放っておくつもりだろう。それだけだったら警察沙汰になることはない。
俺は七時になると、黒田の車に乗り、ゲーム会場へと入った。頭の中は八重と三橋のことでいっぱいになっている。
約束の場所に俺ではなく三橋が居れば八重は俺を恨むだろう、だがそんなことはどうでもいい、ゲームで知り合った行きずりの人間。義理も愛情もありはしない。果たして上手く三橋がやれたかが気になった。部屋に三橋は居なかった、勿論八重も。
ゲームの開始は八時。少し前になって三橋が現れた。席に座ると、俺は三橋に声をかけた。
「どうだった?」
「いや、それがあいつ現れなかったんだ」
「でも、彼女来てないぞ」
「みたいだな、そのうちやってくるんじゃないか」
じゃあ彼女が上がったらどうするのだ、と詰問しそうになる。
二人の会話を遮るようにリーダーの声が流れた。
「ではこれからゲームを始めますが、その前にお知らせがあります。残念ながら三番の方が時間に間に合いませんでしたので、ルールに乗っ取り失格とさせていただきます。また三番の方が獲得された一千五百万の金は勝者の方へ上乗せさせていただきます」
声にならない音が部屋を流れた。
一千八百万に一千五百万が足される。夢のような金額だ。俺は三橋の顔を見た、だが三橋は知らぬ顔をしている。
「では、これよりサイコロを振ってもらいます。一番の方からどうぞ」
かおりが真剣な顔でサイコロを握った。
「いよいよ三日後ですね」
帰りの車で黒田が声をかけた。
「ああ、そうだが」
自分でも興奮しているのが分かった。今日の出目は五、結果十六の位置まで進んでいた。十二の位置にいた神尾は五の目で十七へ、だが十七の言葉は「九へ戻る」だった。出た途端、神尾は席を離れた。「やっておれない」の言葉を残して、トイレに駆け込んだようだった。これで神尾の勝利は消えた。次回はもう神尾は姿を見せることはないだろう。もう一人の三橋は四の目で十六へ、俺と同じだった。
十八の上がりまであと二を残すのみ。しかし明日、明後日は土曜日曜と休みなのでゲームも休むと言った。馬鹿なと言いたいが相手には逆らえない。いずれにしろ明後日の月曜夜に二以上が出れば上がりだ。もっとも三橋も同じ立場にいる。
俺はほっとした。もし六の目が出ていたら、金は全て三橋が手にしただろう。分けると言った約束は八重が現れなかった時点で終わっていた。
二人が同じ十六に立ったときに三橋は奇妙な笑いをした。
「三日後が決戦だな」
「ああ、そうだな」
「お互い恨みっこなしだぜ」
「分かっている」
彼も二の目で充分、さらにサイコロを振る順番は三橋が先、彼が上がった時点でゲームは終了、全ての金は彼が手に入れる。俺の手に残るのは、一万円掛ける十六で、十六万円。なんで俺が先じゃないのだ、そう怒鳴っても役に立ちはしない。
「勝ちを祈っています」
車の中で黒田が話しかけた。
「そうしたいが、相手がサイコロではどうにもならん」
「そうとは限りませんよ」
「どういう意味だ?」
「もし五番の参加者が三番のかたのように出席できなくて失格するようになれば、あなたにチャンスがあるのではないですか」
確かに黒田の言うとおりだ、そして俺たちも考えた八重を失格させようと。それと同じ事を三橋にやれと言うのか。もしやるとすればどんな方法がある。体力では俺はあいつに叶わない。
「あ、そういえば、三番の方はお亡くなりになったようですよ」
「え、何だって?」
「先ほどラジオのニュースで安室八重さんという女性が蜂に刺されて死んだというのを聞きました。恐らく同じ方だと思いますが。何でも黄色スズメバチのようで、ショック死だったそうです」
蜂に刺された?
言葉は何だった、俺は十五番に書かれた双六の言葉を思い出してみた。あれは……「泣きっ面に蜂」だったと思う。
やはり今まで起きた災難と同じように双六の言葉に引っ掛けて事件が起きている。
だとすると、三橋がやったのか。だが彼は八重と会えなかったと言った。それに三橋は八重を縛り上げゲームに参加しないようにするつもりだった。だが八重は蜂に刺されて死んでいる。夏の終わりになると蜂は凶暴化する。するとやはり偶然なのか、双六の言葉とは関係ないのか。
いや、考えろ。そんな偶然があるはずがない。絶対に意図的なものが隠されている。それに三橋の言葉だって本当だかどうか分からない。俺に八重と会ったと言えば、自分が殺人を犯したことを自白したことになる。そんな馬鹿はしないだろう。
あの会場にやってきたとき、三橋はどんな顔をしていた。いつもと違う表情をしていたいか。思い出せない。
八重が死んで得をする奴、一番には三橋と神尾が考えられる。では神尾が八重を。神尾は今日も調子が悪そうだった。まだお腹の具合が回復していないのだろう。それとも人を殺した重圧に歪んだ顔を見せていたのか。いやそれはあり得ないような気がする。
他にはいないのか。
十五まで進んでいた八重、その後ろに十二の位置に三橋と神尾、十一が残り三人。
待てよ、何も三橋と神尾だけに絞る必要はないのでは。犯人はとりあえず八重の上がりを阻止しようとしたのではないのか。三橋と神尾にも上がる可能性はあるが六の目が出るのは低いと判断したのでは。だとするとかおりにも、栗林にも八重を殺す動機がある。
分からん、分からんがただひとつ、まだかおりだけは何の被害も受けていないということだ。
「死んだのは何時ごろ?」
「そこまでは分かりませんでした」
もっとも、それを知ったところで何の役にも立たないが。八重について知っていること、どこかのホームセンターで働いている。あとは何かの宗教の信者だということだった。
「では、月曜日の夜にお迎えに参ります」
「ああ、頼む」
俺は車を降りた。その背中に、
「十六番の双六言葉はご存知ですよね?」と黒田が言った。
「ああ、確か「マッチ一本火事の元」だったと思う」
「では三日間お気をつけてお過ごしください」
「黒田さん、あんた携帯電話は?」
「持っておりますが」
「番号を知りたい」
「申し訳ありませんが、それは出来かねます」
だろうな、俺は去ってゆく車のテールランプを見ながら黒田の言葉を反芻した。
「相手が失格するように手を打つ、相手も同じ思いではないでしょうか」
黒田の言葉は的を得ていると思う。恐らく三橋は俺を落としいれようと何かを画策しているはずだ。いや、三橋だけではない、栗林もかおるもそうではないのか。かおるは十二へと進んでいた。栗林は十三だ。いずれも運がよければ次の回で上がることが出来る。
誰だって喉から手が出るほど金が欲しい。それを煽るように目の前に積まれた札束が欲望を駆り立てる。それに失格した奴の金が上積みされる。どの参加者の金も一千万を超えていた。失格するものが増えればどれだけの金になる。五千万、六千万、すでに八重が落ち、そして神尾が次回は来ないと思えた。もうこの時点で獲得賞金は四千万に膨れ上がっていた。
間違いない、誰かが動いている。いや周り全てが敵だ。そいつが俺を狙っている。俺は部屋の中を見回した。窓際で微かな音がする、研ぎ澄まされた神経がピクリと跳ねた。誰かがいるのか、足音を殺しカーテンの陰から外を確認する。居ない、ふっと息を吐いた。
突然ドアの外を走る足音がした。俺はドアノブに目を釘付けにした。
油断するな、一瞬の気の緩みも見せてはならない。全てが終わってしまう。だが張り詰めた神経は長くは続かない。
どうすればいい。導き出した結論は、やられる前にやれ、だった。
そうだ、それしかない。黙って待っている必要はない、攻撃は最大の防御だ。だが本当にそれでいいのか。法律に触れることには抵抗がある。囚人服を着て、畳に正座し、格子窓から受け取った食事を食べる。あらゆる行動が管理され自由はない。テレビで見た画面が頭に浮かぶ。
やはり直接自分の手を汚すのは嫌だった。暴力を振るわなくても、監禁をすれば立派な罪になる。
どうすればいい、考えた末の結論だった。八重と同じことが出来るかもしれない。三橋を上手く焚きつけ、栗林とかおりを処分してもらう。彼らが俺に手を出す前に。三橋のことは最後に考えればいい。
「三橋さん、話したいことがある」
「何だ、まさか死んだ女のことじゃないだろう」
電話の向こうで三橋が笑った。三橋もすでにニュースは知っていた。それじゃないと言おうとしたが、話の出たついでに思い切って尋ねてみた。
「あれは、あんたがやったのか?」
「俺が? 馬鹿言うんじゃないよ、ニュースでも言っていたろ、蜂にやられたって。数箇所刺されたらしい」
「そうか、だとしたら可哀相にな、まだ若かったのに」
「そうでもないさ。哀れみをかけるほどの女じゃない。あいつ変な宗教を持ち出して、霊感商法とやらでそうとうがめつく稼いでいたらしい。やられた奴は結構いたみたいだ」
霊感商法? 八重が。
何を売っていたのだろう、水晶球か、ご神水か、或は壺でも売っていたのか。それにしてもかおりの詐欺商法に続いて霊感商法とは。人は見かけによらないというがとんでもない女だな。
もっとも他人に威張れるような俺じゃないが。
しかし八重を殺したのは三橋のような気がする。違うというがあくまで自己申告に過ぎない。本当のことは何も分からないのだ。
「それよりゲームの話しだが。あんた俺たち二人のどっちかが月曜日に上がると思うか?」「あんたはどうだ?」
「可能性は高いが、百パーセントではないと思っている」
「だろうな、俺もそう思う。栗林、そしてかおり、あいつらが先にサイコロを振る、もし五以上が出ればおしまいだ」
やはり三橋も同じ考えを持っていたようだ。それなら話は早い、俺は考えているアイデアを話し出した。
「どうだろう、彼らを失格させるようにしたら」
二人が失格した時点で、二人が積み上げた金が賞金に上乗せされる。
「一石二鳥というわけか」
「それもあるし、それより彼らが動く前にこっちが動くということさ」
「では、あいつらが何か考えていると言うのか?」
「あんたもおかしいと思っているのだろう、俺たちに起きた災難が。偶然ではなく誰かが画策していると思っている」
「まあね、それでどうする?」
具体的なアイデアはなかった。三橋と相談して決めたい、なんと言っても実行役は彼に任せるのだから。
ただその前に知っておくことがあった。
「三橋さん、あんた二人の住まいは?」
「知っている、あんたも知っているだろう」
「いや、知らない」
どうして俺が知っているのだ、三橋の言葉は意外だった。
「なんだ、驚いたな。俺はてっきりあんたも知っていると思ったんだが。本当かよ?」
「なぜそう思う?」
「あんた本当に知らないのか、だったら利口そうに見えたが、俺の勘違いのようだな、そんなことを俺に聞くなんて」
「どういうことだ?」
俺はムッとした。馬鹿にされるのが一番嫌いだ。小さい頃から勉強が嫌いで、そのせいか成績はいつも下から数えたほうが早い。それにスポーツも苦手、誰からも馬鹿にされ無視されがちであった。そのせいで性格はねじれいじけていた。恐らく表情もきつくなっているだろう、だが電話の会話で俺の顔は相手に見えない。
「あんた何かスポーツをやったことは?」
「いや、特には」
親に言わせると、よく風邪を引いていたらしい。それに小児喘息、体は小さく、痩せて体力には自信はなかった。そのためかスポーツにも興味を持つことはなかった。だが、それとどんな関係がある、俺は三橋の言葉を待った。
「だろうな。スポーツで勝つには技術もあるが、ルールを熟知することも必要なんだよ。みんなそれを馬鹿にするけど。あんたゲームのルールをもう一度思い出してみな」
「良く分からんが」
「黒服についての説明を覚えているかい?」
何だった、俺は懸命にリーダーの言葉を思い返してみた。彼らの仕事は、我々の送り迎え、監視、他に……質問したいことがあれば、知っていることは答える。
そうか、三橋は参加者について黒服に訊ねた。
「するとあんたは黒服から」
「分かったようだな。もっとも聞けた情報は表面的なことだけだけどな」
三橋はかおりと栗林の住所と勤め先を教えてくれた。
「明日にでも会って相談しよう」
そう伝えると電話を切った。
俺が一番知りたいのは三橋の住まいだった。横浜市緑区xxxx、横浜線の鴨居が最寄りの駅だと教えてくれた。
三橋のアパートを訪ねた。六畳に小さな台所がついている、俺のアパートと似たようなものだ。
西日が差すと思われる部屋は、エアコンの音がやけに響いていた。
「それで、あんた何か考えたか?」
まだ昼前だというのに、ちゃぶ台の上には缶ビールが乗っている。三橋は俺にも勧めたが、その気にはなれない。
「いや、まだこれといったやつはない」
「しょうがねえな、あんたが言い出したことだぜ、少しは考えてくれよ」
「ああ、分かっている」
言われなくても、何度も考えた。
栗林を縛り上げどこかに監禁する。事故を装うって重傷を負わせる。あるいは睡眠薬を飲ませて時間に遅らせる。
だが監禁するとなると、それ相応の場所が必要となる。まさか自分のアパートに閉じ込めておくわけには行かない。それに犯人が俺だと分かればどんな報復が待っているか知れない。
事故を起こすにしても大変だ。もっとも安易な交通事故だって俺は車を持っていない。睡眠薬を飲ませるにしても、どうやって飲ませる。
考えれば、どの方法も意外と難しいのが分かった。いや、それより自分の手を汚すのに抵抗があった。
「あんたあの八重って女を監禁するとか言っていたが、どうやるつもりだったのだ?」
「適当な口実をつくって別の場所に連れ出し、そこで縛り上げて監禁するつもりだった」
建築現場の作業員として働いている三橋は、使えそうな場所をいくつか知っていた。
「だが、あの二人にはそれは使えないぞ」
「どうして?」と俺は三橋を見た。
「あいつらがのこのこと俺たちの指示する場所にやってくると思うか」
無理だなと思えた。
かおりは惚れた男がいる。俺たちの誘いを受けるはずがない。また栗林だってどこか他人を寄せ付けないところがあった。それに俺と目が合うと、チッと舌打ちし、不敵な笑いを見せるような奴だ。
いや、それより彼らが我々を失格させようと画策しているのであれば、こちらの動きにはなお更敏感になっているだろう。そんな奴らがのこのこと出掛けてくるはずがない。
「やはりやるしかないだろうな」
「やるって?」
「二三日動けないような怪我をさせる」
「怪我って?」
「金属パイプかバットで脚の骨でも折るか、車でぶつかるかだな」
それは不味いのじゃないか、と言おうとしたが、言えば三橋の答えが予想できた。
「じゃああんたが決めろよ」
それは避けなければ。それでも罪を犯すことにはためらいがあった。事を荒立てないでどうにかできないか、自分でも馬鹿を言っていると思う。
「なんか不服そうだな」
「いや、そういうわけじゃないが」
「あんたにいい考えがあるなら、それでもいいんだぜ」
「いや、それでいいと思う。しかし車をぶつけるって言っても、俺もあんたも車を持っていない」
「馬鹿だな、自分の車でぶつかったら脚がつくだろうが。車は他から調達するんだよ。それに十三番の言葉は確か、車は急に止まれないだったな。こいつはおあつらえ向きの言葉じゃないか」
三橋は車を盗むつもりでいた。
かおるは交通事故を装うって怪我を負わせる。栗林は叩きのめす。三橋の考えだった。
「しかし、事故はともかくも、傷害となると、俺たちがやったと分からないか?」
「なあに顔は隠すさ。それに警察が調べたってあいつの過去をほじくり返せば、あやしい奴は幾らでも出てくる。おれたちが疑われることなどないさ」
栗林の過去? 彼が一体何をやったというのだ。
「だが、やる前にひとつ確認をしておきたいことがある」
「何だ?」
「二人をやったあとのことだが、どうなる?」
三橋の言いたいことは分かった。俺と三橋、二人残ったら当然三橋が有利となる。何せ彼が先にサイコロを振るわけだから。まず間違いなく彼が勝者となるだろう。それを俺が黙って見ているのかと三橋は聞いていた。
それは出来ない。それが出来るくらいなら、最初からこんな危険な橋は渡らない。
「山分けをしたい」
「なるほどそう来たか」
「まずあんたが先にあがるだろう。だが万が一に一の目が出ないとも限らない。そして俺が上がったら勿論二人で山分けだ。それでどうだ?」
「山分けか、賞金総額は幾らになる?」
上がりの賞金が一千八百万、それに八重の一千五百万、神尾の九百万、後はかおると栗林のおのおの一千三百万、合わせて六千八百万となる。半分にしても三千四百万だ、悪い金額ではなかった。
「もっといい方法があるぞ」
「何だ?」と三橋を見た。
「俺たちのどっちかが失格するんだよ。そうしたらその分が上乗せになる。もっと取り分が増えるということだよ」
それは俺も考えた。だが、問題はどっちが失格するのかだ。
山分けするのであれば、どちらが失格しても構わない。だが一抹の不安が残っている。 賞金総額は八千万円を越える。その大金を目の前にしたとき、山分けをしようなどと考えるものだろうか。
いや、俺だったら分ける、だが、三橋はどうだ。この男は信用出来ない。ずるがしこく、人の裏をかくのに長けている。
「確かにそうだが、でもどっちが失格する?」
「心配みたいだな。まあ分からんでもないが。じゃああみだででも決めるか。もっとも二人を始末してからのはなしだが。それから考えても遅くない」
栗林のほうは今夜決行、かおりは明日の夜となった。車を準備するのに、急には見つからないからだと三橋が言う。
どちらが先でも俺には同じだ。三日後には四千万以上の金が手に入る。俺はそれだけを考え続けた。
「なんで、どうしてあんなことを」
「しょうがないだろう、それもあんたが俺の名前を出すからだ」
「それにしても」
殺すなんて、最初の話と違うだろうと俺は怒鳴りつけたかった。
三橋が言うように、俺は思わず彼の名前を叫んでいた。余りにも残虐な彼のやり方に思わず俺は三橋の名を口走っていた。
最初の一撃が栗林に振り下ろされた。三橋が俺を暗闇から押し出し、「行け」と命じたからだ。俺は命じられるままに振り下ろしたが、距離が足りず微かに栗林の肩をかすっただけだった。やはりどこかに躊躇いがあったのだろう。
「誰だ?」
黙って三橋が体を寄せると木刀を斜めに振った。バランスを崩していた栗林のわき腹を木刀が捉えた。うめき声を上げ、その場にうずくまる栗林、その肩に再び三橋の木刀が振り下ろされた。
鈍い音が耳に達した。俺の脳内では金属音が鳴り響いている。
「止めてくれ」
栗林の悲痛な声。それでも三橋の木刀は止まらない。その様はまるで、三橋に悪魔が憑依しているかのようだった。狂ったように振り下ろす木刀は腰から下の脚へと撃ち込まれ攻撃は止まることはなかった。
分からない、何故だか分からない。突然口から飛び出していた。恐怖が言わせたのか、罪への怖れだったのか。
「三橋さん、止めてくれ!」
俺は三橋の体を掴んだ。そのとき悲鳴を上げていた栗林の顔が一瞬凍りついたように見えた。
「バカヤロウ」
三橋は怒鳴り声を上げると、俺を突き放した。
「済まん」という声が出ない。
「知られた以上はしょうがないな、覚悟しな」
三橋は木刀を振り上げると、思い切り栗林の頭めがけて振り下ろした。感覚を麻痺させるような鈍い音、その瞬間、全てが終わったと思えた。
犯罪者、俺は犯罪者になった。それも殺人という大罪を犯した。
「人殺し、人殺し、人殺し」
思考が止まっていた。
「まったく余計な手間がかかったぜ」
俺を非難するような言葉を吐くと、三橋はひと仕事を終えたような顔で俺に振り向いた。
血に染まった三橋の顔と服、残虐な行為とはかけ離れたようなさっぱりした表情をしている。いや微笑みすら浮かべていた。その笑いは俺の心を縮みあがらせた。彼には心の痛みがないのだろうか。三橋は公園の水のみ場で顔や手を洗うと、持参していた服に着替えた。
「あんたも着替えたほうがいい」
「ああ」
自分に栗林の血が着いているのかどうか分からなかった。服を脱ごうとしても上手く行かない。初めて自分が震えているのに気付いた。
「酒でも飲んで寝るんだな。明日また電話する」
三橋は着替えた服をカバンに詰め込むとそのまま背中を見せた。
「無理だ、もう無理だ」
アパートのドアを開けると、その場に倒れこんだ。どうやって我が家に帰り着いたのか途中の道のりは記憶になかった。
精神はずたずたに切れていた。何故だ、何故こんなことに、栗林の恐怖に満ちた顔が頭から離れない。俺が悪い、俺が三橋の名前を呼ばなければ、あいつは殺されることはなかった。いや、俺が悪いんじゃない、あいつがあんなに痛めつけなければ俺は叫ぶことはなかったんだ。
そうだ、三橋が悪いんだ、俺じゃない。恨むなら三橋を恨め、俺はそう栗林に訴え続けた。
どうしよう、俺たちが疑われることはないのか。あの現場になにか証拠は残してこなかっただろうか。三橋は栗林を恨んでいる奴はごまんと居ると言った。
目の前のバッグから地の着いたシャツとズボンを出すと、ビニール袋に放り込んだ。月曜日のゴミで出せばいい。
後は、俺と栗林を繋げるもの……何もないはずだ。
もう止めよう、終わったことだ、考えても元に戻ることはない。過ぎたことだ、栗林には悪いが、運がなかったのだ。
手に入る金を考えればいい。あと一人、かおるを失格させれば金は俺たちのものに。明後日には四千万近い金が入る。
無理に気持ちをそちらに向けたが、ふっと三橋の笑い顔が浮かんだ。笑いの顔の裏に潜む彼の思いは。
若しかしたら、あいつ。
いや、もう一人、かおるが残っている。それが済むまでは余計なことは。
そうだろうか、彼にとって一番邪魔なのは俺じゃないのか。すでに一人殺した、一人やるも二人やるも同じだと思うのは当然ではないのか。だったら……
待て、あいつだって知っている、俺が警戒していることを。そんな状態で俺を処理しようとはしないだろう。だが安心するのは早い。
睡魔が襲ってきた頃はもう空が青みを帯びだしていた。
「どうだい、ゆっくり休めたかい?」
三橋から電話があったのは十一時を回ったころだった。五時間ほど眠ったが、頭はすっきりしない。頭の隅にずっと栗林の顔が残っているせいだろう。
「ああ、大丈夫だ」
「どうだ、出てこないか。遠出して昼飯でも食おうぜ」
「遠出だって?」
「車で出掛けるんだよ、海でも見て食事すりゃ、滅入った気持ちもすっきりするぞ。魚の美味いところを知っている」
「車だって、じゃあ」
三橋は早朝に車を調達していた。それにしても彼には栗林を殺した罪悪感は何もないのだろうか。電話から流れる声はいつもと変わらない。いや、むしろ期待に溢れているように感じた。
それにしても何故三橋は急に俺を誘って遠出しようと言ったのか。昼飯を食うだけなら、海を見る必要もない。それとも何か意図があるのか。意図があるとしたら、狙いは一つしかない。
「いや、止めとく。あまり食欲がない」
「そうか、じゃあしょうがねえな」
三橋は四時過ぎに迎えに来ると言って電話を切った。
「あんた運転は?」
三橋が乗ってきたのは、黒のセダンだった。かなり古い、それに汚れている。所有者が頻繁に利用していないのがわかった。これだと盗まれても暫くは分からないだろう。
「出来ない」
「本当かよ、今どき珍しいじゃないか」
出来るなどと言えば、三橋が何を言うかおおよそ見当はついた。俺に運転させ、かおるの乗る自転車にぶつけさせる気だろう。栗林を殺害したとはいえ、直接自分の手を汚すには乗り気がしない。
「まあ、いいか。どっちがやるにしても同じだからな」
三橋はキイをまわした。宮前平の駅前の通りを川崎方面へと走る。武蔵小杉手前の十字路を左へ折れると路肩に車を止めた。かおるはこの道を自転車に乗ってアパートへ帰る。後をつけ、人通りの少ない場所で事故を起こす手はずだ。時間は四時半だった。
「帰る時間は?」
「分からん」
「分からんって、じゃずっとここで待つつもりか?」
「多分五時か六時のはずだ。気になるんだったらこの先にマルエスというスーパーがある。そこでレジをやっているから見てくればいい」
「いや、それは止めとく」
こちらに気付かれたら面倒だ。それにかおるの顔をみれば、決心が揺るぎそうに思えた。五時なろうというのに、残暑は厳しかった。傾いた日差しがエアコンの効かない車内を暑くする。
「来ないな」
「ああ、六時のアウトかも知れんな」
だとすると一時間この状態で待つのか。緊張の連続で喉が渇きを覚えていた。
「コーラを買ってくる。あんたも飲むか?」
「そうだな、同じもんでいい」
俺は車を降りると自動販売機へと歩いた。コインを放り込みボタンを押す。乾いた音とともに缶コーラが転がり出た。
三橋はコーラを一口飲むと、「うめえ」とカップホルダーに置いた。
「かおるは間違いなく現れるだろうか?」
「ああ、そのはずだ。もし現れなかったら別の手を考えなくてはならん」
「すると、別の手を?」
「すぐに分かるさ……」
三橋の携帯電話が着信を知らせた。三橋はチラッと相手のナンバーを見ると、「待ってくれ」と車を降り、少し離れて話始めた。
闇が少しずつ落ちだしていた。かおるが現れるまでもう少し時間があった。
「三橋さん、あんた栗林のことで何か言っていたよな?」
「栗林?」
「そうだ、あいつの過去がどうだとか」
「ああ、あれか……あんた、何かに気付かなかったか?」
「どういうことだ?」
「あんた、今の仕事はずっと始めからやっているのか?」
何を言いたいのだ、三橋の意味することが分からない。俺の昔の仕事と栗林の過去とどういう関係があるのだ。俺と栗林、なんの繋がりもありはしない。
「どうやら違うみたいだな。前の仕事はなんだ、まともなものじゃないだろう」
「だから、何だって言うんだ?」
「やはりな、あん た もー……うん、なん だ」
三橋が持っていたコーラを下ろした。生き生きとしていた表情からも輝きが抜けていく。瞳からも力がなくなりだしていた。
「おかしい、なんだよ、急にかったるくなってきた」
目をこすり大きなあくびをしている。俺は黙って三橋を見つめていた。三橋は俺の態度から何かを感じたのか、「オマエまさか」と手を伸ばして俺をつかもうとした。力が入らない手を俺は軽く払った。
「あんたもしぶといな。二倍の薬を使ったのに」
三橋は何かを言おうとしているがもう言葉になっていない。コーラに入れた睡眠薬はやっと三橋から意識を無くし始めていた。
「あんたの代わりに俺がかおるを始末する。そしてあんたにはその責任を取って自殺してもらうよ。悪いとは思うが、あんたもどうせ俺を始末するつもりでいたんだろう」
考えに考えた計画であった。栗林の殺害、かおるの事故、全てを三橋に背負って死んでもらうしかない。あとはゲームの全ての金を独り占めにする。約八千万円の金、それを持って日本から飛び出す。
「それにしても重い奴だ」
俺は流れる汗で体を濡らしながら、三橋の体を助手席へと移した。
「遅いな」
約束の時間になっても黒田は現れなかった。途中で事故でも起こしたのだろうか、俺は時計を見つめていた。気が気じゃない、もし黒田が遅れて結果俺が遅れるようなことになったら失格となるのだろうか。時計の針が七時十五分を指した。
ドアが叩かれた。
「遅いじゃないか」
俺がドアを開けると、目の前には知らない男が立っていた。品のある顔をしている。年齢は五十代だろうか。
「あんたは?」
「ゲーム愛好倶楽部から参りました、リーダーと申します」
「あんたが……」
黒田が言っていたリーダーが目の前に居る。それにしても黒田ではなく何故この男が現れた。黒田に何かあったのだろうか。
「実はお報せに参りました。ゲームですが都合により中止させて頂きます。黒田さんに頼んでも良かったのですが、直接私が申し上げたほうがいいだろうと思い、こうやって参りました」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。それじゃ話が違うだろう」
「いや、何も違いません。私どもは途中で止めないとは申しておりませんので」
「しかし止めるとも言っていない」
「だからどちらでも取れます」
「待てよ、それじゃ詐欺だろうが」
言ってないから止める、ふざけるな。最初にそれならそうと説明すべきだろうが。俺はお前たちの言葉を信じてやりたくもないことをやったのだ。ここで止められたら俺のやったことは一体なんだったのだ。栗林を殺し、三橋を殺したのも金を手に入れるためだ。かおるを痛めつけたのも、全ては今夜のために。
「おやおや、貴方の口から詐欺などと言う言葉が出るとは驚きました」
「何を言っている。止めるなら金を貰おうか」
「金ですか。相変わらずがめつい方ですね。そうやってみんなを騙し、金を搾り取ったのですね」
「き、貴様、何を言っている?」
「小野寺幸恵という名前を覚えていますか?」
小野寺? どこかで聞いたような気がした。
「あなたのお陰で自殺をした女性だといえば思い出しますか?」
自殺だと?
言われて思い出すのは一人しか居なかった。ど素人の女を焚きつけ、次々と脅しの言葉で二千万ほどの資金を吐き出させた。
すると、あのサラリーマンの女房……、そうだ確かあの女小野寺だと言っていた。ではこのリーダーという奴は。
「思い出して戴けましたか。彼女は私の友人の妻です。友達の口惜しさを考えると黙っていられなくなりました。それで今回の仕掛けをしたということです。もっとも他の詐欺の被害者の方たちとも協力しまたけど」
他の詐欺被害者だと?
「お気づきになりませんでした、参加者皆さんの過去の仕事を?」
過去の仕事? かおるは出会い系サイトの詐欺、八重は霊感商法、待てよ、そう言えば三橋が妙なことを言っていた。
「ご存知出なければ教えましょう。三橋さんはリフォーム詐欺、栗林さんはシロアリ駆除の詐欺、元教師の神尾さんは教え子たちの名簿を詐欺グループに売りつけていた。由井さんは出会い系サイトの詐欺、安室さんは霊感商法、そして貴方です。それに愛好倶楽部とは黒田さんの兄弟や貴方がたに騙され被害を受けた人たちで、私の法律事務所に助けを求めてこられた方々です」
「じゃあ、俺たちに復讐するために」
「そうです、そして私たちの罠に見事嵌っていただけました。最初のちょっとした仕掛けで」
俺に植木鉢を落とし、三橋を階段から突き落としたのは黒田たちだった。その後は三橋が言葉を利用し、栗林、神尾、そして八重を襲った。
「貴様らよくも……」
「最後に貴方には罪を償っていただきます。なんせ何人もの人を殺した」
「何を言っている。俺は何も知らん」
「そうでしょうか、じゃあこれは」
ドクターが取り出した写真には俺と三橋が栗林を痛めるシーンが。そしてかおるを轢いた車に乗る俺と三橋が写っていた。
「いつの間に?」
「はじめに申し上げたはずです。あなた方の行動は黒田さんたちが監視していますと。それとここで私からこの写真を取り上げても無駄です。この写真、すでに警察に送っておきましたので。では裁判所で。ごきげんよう」
男の最後の声は耳に届いてはいなかった。
了
2011/12/21(Wed)15:49:54 公開 /
とらふぐ
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