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『かかりつけ』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:諸味胡瓜
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風邪をこじらせたら、ヨシちゃんに来てもらう。
日曜日だけど、大丈夫かなあ。と携帯に手を伸ばす。来てくれるとのことだったので、玄関の呼び鈴が鳴るまでのおよそ一時間を退屈に過ごした。その間、私はもうろうとした意識のせいで天井が近付いて見えるのを気味悪がっていた。
「年に何回風邪をひくつもりなのか」
呆れた表情をしながら、後ろ手でドアを閉めるヨシちゃん。モスグリーンのコートと毛糸のマフラーを脱ぎ、壁のハンガーに手早くかけた。その様子を嬉しそうに眺めながら私は言い訳をした。
「アタシが悪いんじゃなくて、おとといはあったかかったのに昨日は寒かったから…」
「ああもうわかったから布団に戻りなさい」
毛布にくるまって太巻き状態の私は、いそいそと寝室へ追いやられた。
ベッドに倒れ込んでまぶたを閉じる。ヨシちゃんが台所へ行き、食器棚からコップを出し、蛇口をひねって水を注ぐ音を聴いた。やがて彼女が寝室へ入ると、私は再び目を開けた。
ヨシちゃんは床に正座して、ニットのハンドバッグからいつもの小びんを取り出した。円柱の茶色の小びん。金色のふたを開け、薬さじをびんの中に差し入れる。その風邪薬は、緑色のジャムのようで、青臭いキテレツな匂いを放つ。私は思わず鼻をつまんだ。口元へ薬さじが運ばれてくるのを「いやいや」と拒むと、
「それじゃあなんのために私が呼び出されたのかわからん。さあ」
と言って苦笑いをするヨシちゃん。仕方なく、大口を開けた。
見た目や匂いもさることながら、味は抜群にまずい。舌の裏にまとわりつく変な甘み。後からくる激しい苦み。まるで、雨上がりの代々木公園で掘り返した泥に、砂糖をまぶして食ったような感覚だ。
手渡された水を勢いよく飲み干す。それでも苦みが消えず、もう一杯注いでもらった。
「まったく、こんなまずい薬好きこのんで飲むの、アンタぐらいしかいないよ」
ヨシちゃんはさじを紙ナプキンに包みながら呟いた。
「そういえば、熱は何度だった」
「はちど、ぜろぶ」
「ううん、結構あるなあ。まあ、私んちの秘伝薬を飲めばたちどころに治るから、案ずることはない」
彼女は鼻高々に笑った。
ヨシちゃんと会うのは実に半年ぶりだったので、いろいろ話をした。といっても、病人の私を気遣ってか彼女の方からはあまり話さなかった。だから私が一方的に質問をした。薬局の仕事は順調か、陸上部の友だちと会ったか、ご両親のナゾの雑貨屋はどうか、とかいろいろ。ミクシィをやっているおかげでお互いの近況はだいたい把握しているが、やっぱり実際に会って話がしたかったのだ。
しばらく経って、急に、着信音が鳴った。ハンドバッグから携帯を取り出したヨシちゃんは、
「ちょっとごめん」
と言って寝室を出た。私は目をつむり、ドアの向こうの声に耳をそばだてる。仕事の電話かな、と思ったが、違った。ヨシちゃんの彼氏だ。そういえば今までの会話で一度も、ヨシちゃんの彼氏のことに触れていなかった。
一年ほど前に紹介してもらったその彼氏は、一目でラグビーかアメフトをやっていたと判断できるような、がっしり体型の男性だった。日に焼けていて、濃い眉がぐぐっと持ち上がって、コンニチハとはっきり挨拶した。
ヨシちゃんは電話口に向かって、少し迷惑そうな口調で喋っている。「友だちが〜」と言うのが聴こえたので、私の家に来ていることも伝えただろう。
やがて電話が切れ、彼女が寝室に戻ってきたので、それとなく尋ねた。
「彼氏?」
ヨシちゃんはためらいがちに、
「ああ」
とだけ答えた。私は上半身を起こして、さらに訊いた。
「もしかして、今日、呼び出したのマズかった?」
彼女はびっくり仰天して後ろを振り返った。
「なんだ、このドア薄いのか? 全部聞こえてたのか」
その動作がちょっと可笑しくて、私はくすくす笑った。それを見たヨシちゃんもにやりとして、携帯をバッグに戻して座った。
「まあ、実は夕方から会う予定だったんだ」
「本当に? ごめんね……その……もう大丈夫だから……」
「いや、いいんだ」
ヨシちゃんは、私がさっき起きたときに落としたタオルを拾って、水に浸した。ベージュのマニキュアを塗った指が、タオルを深くしぼる。澄んだ水が流れ落ち、洗面器の中にいくつも円を描いた。
「今日はアンタの方が大事だよ」
彼女は私の濡れた前髪をかきあげ、きれいにたたんだタオルを、ぽんとおでこに載せてくれた。
そのあと、ヨシちゃんは、必要なものを買い出しに行くと言ってくれたので、ポカリと何か食べやすいもの(プリンとか)をお願いした。
ところが、寝室を出るとき、彼女が残した捨て台詞に、私は妙にむかっときてしまった。だって、彼女は皮肉まじりにこう言うのだ。
「あのなあ、こういうことは本来彼氏がやってくれるもんなんだぞ!」
って。
彼氏は、大学二年のとき以来いない。あの男の行方はもう知ったこっちゃないが、三股のうちの一位だった女とケンカして警察沙汰になったという噂を耳にしたことがある。あの一件があってから、私は男の人を心の底から信頼できなくなってしまったのだろう。すごくトラウマな出来事だったのに、それをすっかり忘れて彼氏の話をしだすなんて、ヨシちゃんはひどい。
だいたい、ヨシちゃんの彼氏だって、私はあまり良く思っていない。というか、ヨシちゃんにああいう男は似合わない気がする。体育会系ではなく、もっと「弟肌」で、甘えん坊さんな男性の方が、才色兼備のヨシちゃんには釣り合っているはずなのだ。
私は、西日のかかる窓辺を見ながら、ヨシちゃんのことを思い浮かべる。ベージュ色の爪と、マフラーを脱ぐ仕草を。
最初にヨシちゃんの薬を飲んだのは、大学に入ってすぐの梅雨時期だった。陸上部で仲良くなった私たちは、日曜日の自主練に、代々木公園の1.8kmコースを使った。しばらくは順調に走っていたが、バラ園の付近で雨が降った。私は走りを続けようか迷ったが、努力家のヨシちゃんは、もう少し行こう、と励ましてくれた。その日は結局、ふたりでコースを三周回った。
だが私は翌日、風邪で大学を休んだ。ヨシちゃんにメールでその旨を伝えると、彼女は「無理を言って練習に付き合わせたから」と、一人暮らしの私の部屋に、お見舞いにきてくれた。そしてそのとき彼女が持ってきたのが、この茶色の小びんだったのだ。
金色のふたに手をかけてみる。固く閉まっていたので、開けるのに時間がかかった。紙ナプキンを広げて薬さじをつかむ。びんの中へ静かに差し込み、持ち上げると、皿の部分にこんもりとした緑色のジャムが載っていた。
私が「なあにこれ」と訝しむと、彼女は、
「私の両親、ナゾの雑貨屋をやっていてね。ためしに飲んでほしい。私はただ、アンタによくなってほしいだけなんだ」
と、強く、やさしく囁いた。
薬は、昔も今も強烈なまずさを発揮する。いつの時代の私も、まとわりつく変な甘みと、後からくる激しい苦みのダブルパンチにのたうち回る。
けれど……いやだ、ちがうよ。クセになんかならないよ。
公園の泥を食うような背徳的な行為。だけどそれが欲しいの? ううん、うそだよね。アタシそんな子じゃないよね? ヨシちゃん、そう言って。
「今日はアンタの方が大事だよ」
ヨシちゃん……。そんな風に言わないで……。
這々の体で一階のボタンを押すと、私はエレベーターの床にへたりこんだ。下降する箱の外で電気の流れる音がする。もうろうとした意識のせいで天井が近付いて見えた。薬飲んだのに、具合よくならないのかな。それとも、必要以上に飲んだのが逆効果だったかな……。
一階に到着し、扉が開く。そして、閉まる。私は起き上がれなかったため、扉が左右にスライドするさまを呆然と眺めるしかなかった。
数十秒後、再び扉が開くと、その向こうにヨシちゃんが立っていた。ヨシちゃんはびっくり仰天して、ポカリとプリンと、その他チンするリゾットなどたくさんの食べ物が入ったビニール袋をひっくり返した。
「アンタ! ちょっとどうしたの!」
私は急に涙があふれて、ぼろぼろ止まらなくなった。
「ヨシちゃああああああん」
さっきのへたり具合はどこへやら、私はヨシちゃんの胸に突撃し、彼女のマフラーに顔を埋めて泣きじゃくった。
「どこにもいっちゃやだよおおおおおお」
ヨシちゃんは、突然の出来事にうろたえながらも、いつも通りの頼もしさで私を抱きしめてくれる。何も聞かぬまま、私の濡れた髪に頬を寄せ、指を置いてくれる。
ふと、彼女の遠い背後に、人の姿を見た。
その男は、視線が合うと、コンニチハとはっきり挨拶した。しかし、眉はぐぐっと持ち上がることなく、平たいままだった。
「ああ」
ヨシちゃんはためらいがちに声を漏らした。
「いや、なんかどうしても会いたいからって、車回してきちゃったんだとさ」
私はヨシちゃんの肩越しにとびきり冷たい眼差しを送った。てめえ、甘えん坊さんか。
エレベーターが上階へ昇る音がする。
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2011/07/24(Sun)20:59:11 公開 / 諸味胡瓜
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■作者からのメッセージ
こんにちは。諸味胡瓜と申します。
これで完結です。
なんだかごちゃごちゃした話になってしまいました。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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