『スクランブルエッグ』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:黒みつかけ子                

     あらすじ・作品紹介
「卵はもうないんだ! さあ、今日はもうこれを食べてくれ!」

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 付き合いはじめてから、彼女が朝食はかならず目玉焼きにしてほしいと言う。どうしても目玉焼きでなくてはならないのかと尋ねると「お願い、目玉焼きじゃなきゃだめなの。それ以外じゃ絶対にだめなの」と必死に服の裾を引っ張って懇願した。
「ゆでたまごは外から何が入っているか分からないし、スクランブルエッグなんて、ぐちゃぐちゃに混ざっていててんで駄目よ。目玉焼きがいちばんだわ、白身にぽっと黄身が浮いていて、食べやすいし、何よりも見栄えがするわ」
 その上、彼女は黄身だけを掬って食べる。何でも、彼女の兄がアレルギーで白身を家ではずっと捨て続けていたから、その反動でどうしても白身が食べられなくなってしまったのだ。
 彼女は毎週水曜日にぼくの家へ来た。そして、木曜日の昼ごろに家に帰った。本当は毎日でも会いたかったが、彼女がアルバイトや課題で忙しいと言って、そうしなかった。
 彼女が目玉焼きを食べるときは、まずナイフで黄身の周囲に切り込みをいれる。スプーンを隙間に差しこんで、黄身の底をゆっくりとはがし、息ひとつしないで掬いだす。そして顔を近づけ、膜から少しでも黄身が飛び出していないか、縁に白身が残っていないかを念入りに確認する。(少しでも白身がついていたりすると、必ず三角コーナー行きになった)。最後のチェックが終わると、目じりにしわを寄せて微笑んでから「いただきます」と口の中に放り込む。彼女は目を細めて、とても美味しそうに黄身を食べた。たとえぼくの食べるのが皿のうえの死体みたいな白身だけだったとしても、彼女の姿を見ているだけでぼくは幸せだった。だから毎週木曜日の朝を心待ちにして毎日を過ごしていた。
 でも、ぼくは彼女が知らない男とスクランブルエッグを食べているのを見てしまった。その日の学食はとても混んでいて、ぼくは一緒に来た友達と離れて座ることになった。一列先に彼女の姿があった。彼女はあれだけ否定していた卵の塊を笑って口に放り込んだ。背筋に嫌なものが走り、学食の騒がしさが一気に身を引いた気がした。
 その日の晩、「今日、学食にいたか?」と尋ねると、彼女は首をわずかにかしげて「いいえ」と答えた。追求を重ねても答えは変わらない。頭が机につきそうになったとき、彼女は不意に目を細めた。
「夜の空からあの月だけをくり抜いて、スプーンにのせてみたいわ」
 振り向くと、窓枠には満月がかかっていた。
 しかし、いくら否定されようと着ている服や鼻の下を何度もこするしぐさや、食器の柄の先を指でつまむ持ち方はいつも見ている彼女のものだったのだ。どうして見え透いた嘘をつくのだろう。どうして自分の前では目玉焼きしか食べないのか。……ああ、あの女はきっと曜日ごとに生卵、目玉焼き、ゆで卵、スクランブルエッグと男ごとに食べ方を変えるやつなんだ。ぼくの前では目玉焼きしか食べない不思議なおんなを装っているだけだ。
 翌朝、ぼくはフライパンの前に立ち、卵を片手で割った。いつもはすぐふたをするが、黄身の真ん中に箸を突き立てて膜を破る。そして、両側へ一気に引き裂いた。だらしなく広がる橙色の液体を引っかきまわし、次々と卵を入れた。突き刺し引き裂いてかき混ぜる。それを何度も繰り返し、三パック分のスクランブルエッグが出来たとき、ようやく後ろに彼女がずっと立っているのに気がついた。
 彼女は青ざめた顔で、力なく手を下ろし、何か言いたげに口を開いていた。しかし、そこからは何も言葉になって出てきそうになかった。
「卵はもうないんだ! さあ、今日はもうこれを食べてくれ!」
 ぼくはそう吐き捨て彼女の腕にスプーンを押し付けた。彼女は震える手で、山盛りのスクランブルエッグをひと匙すくった。ぼくはどんな変化も逃さまいと目を凝らしていた。窓の外からカーテンからやわらかな朝日が差しこんできて、彼女の顔を照らした。
 その時、彼女は手をとめた。彼女は半分だけ開いた目の先からぼくと、そして山盛りのスクランブルエッグを軽蔑していた。
「いただきます」

2011/05/26(Thu)15:29:48 公開 / 黒みつかけ子
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