『群神物語〜閃剣の巻〜2』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:玉里千尋
あらすじ・作品紹介
これは、神と人の世が混じり合う物語……。※登場人物、キーワード説明を『あとがき』に記載しております。
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二 『月読』
(一)
◎◎
そのとき、土居家第三十八代当主、土居菖之進(つちい・しょうのしん)は躑躅岡(つつじがおか)天満宮の自分の書斎の中にいたが、激しい衝撃を感じて持っていた筆を思わず落としてしまった。ころころと筆が転がり書いたばかりの原稿に墨の痕をつけていくのにも構わず立ち上がった。
『なんだ?』
南の天に巨大な力が爆発するように現れたのを感じた。それは火山の噴火あるいはダムが決壊して谷を奔流が駆け抜ける様にも似ていた。たまりにたまったエネルギーのたががはずれいっきに発現した、そんな感じだった。
菖之進がそのエネルギーの詳細を探ろうと集中しかけたとたん、今度は別の場所でさらに大きな力が現れた。それは最初のものと違い一瞬で消えた。が、菖之進はそれに関し明らかな特徴を感じとった。それ≠ヘ天から真っ直ぐに落ち、ある地の一点を目指していたのである。そして明確な感情と意志をもっていた。深く激しい怒りと、破壊への欲望だ。それは地に降りたら最後、貪欲な蛇のようにすべてが無となるまで食いつくすのをやめないだろう。その力は天と地の間を駆け抜けたあと忽然とその気配を絶った。だが菖之進はそれが本当に消えたのだとは思わなかった。蛇は地に潜っただけで依然として存在している。しかもそれはこの東北の、土居の結界の中なのだ。
《こうしてはおれん》
竜泉をとおしてより詳しい霊視が必要と判断し、書斎から着替えのために部屋を移った。本殿に入るため白い麻の着物にそでをとおしている最中にも、南に現われた二つの大きな力のことが頭から離れない。
最初のものは次のものよりも大きかったが、邪悪な意志は感じられなかった。むしろ自然現象のように善も悪もない無意志の存在のようにみえた。
《二つが関連しているのは明らかだ。問題はこの二つの力の正体がなにか、そして力の向かう方向がどこか、ということだが……》
菖之進は首を振った。準備が整わないうちにあれこれ考えることは無益である。今はなるべく精神を霊視のために統一させ霊力を研ぎ澄ませておくべきなのだ。菖之進は強いて何も考えないようにした。しかし不安がどこからともなく湧き上がってくるのを感じずにはいられなかった。
◎◎
クシコが赤い社の前に来てみると、段の上に丸くうずくまっている龍一の姿があった。
『龍一。どうした?』
振り返った龍一の目は真っ赤だった。
『クシコ。助けて、僕を助けて』
その声は石を投げ落としたあとの水面のように震えている。クシコは優しく九本の尾で龍一をつつんでやった。
『私にどうしてほしいんだい?』
龍一は両の手でギュッと自分の髪の毛をつかんでいた。
『力が、力がどうしてもとまらないんだ。クシコ。お願いだ。僕を今すぐ、クシコの世界に連れていって。僕がなにもかもを壊さないうちに、早く……』
クシコは子供を抱いた尾に力を入れた。
『よし、よし。大丈夫だ。今すぐお前の願いをかなえてあげよう。さあ、目をつむりなさい』
龍一は目をつむった。そうして涙で汚れた顔をクシコの温かい毛皮の中にうずめた。
《これでもう、僕は誰も傷つけなくて済むんだ》
そう思うと生まれてから初めてのように安らいだ気持ちになった。そうして深く深く、温かい泥の中のような地の底に沈んでいった。
◎◎
本殿の中に入り、竜泉をのぞきこんだとたん次の力が落ちた。菖之進はぎょっとした。今度は北西の舟形山に落ちたからだ。正面にいると思って探っていたところをいつの間にか背後に回られていた感じだった。そして続けて東の多賀城に落ちたのを感じた時、菖之進は七十年生きてきて初めてといっていいような恐怖を覚えた。力は反時計回りの渦を描き、そして確実に躑躅岡に近づいてきている。
菖之進は心を鎮めようと努力しながら、竜泉で舟形山と多賀城の力が落ちた場所を詳しくみた。
《やはり、そうか》
暗い予想があたって菖之進は重いため息をついた。二つの力は雷の形をとって真っ直ぐに天から地に落ち、あやまたずどちらも土居家が埋めた道祖神を破壊していた。
《そして、最初の二つは……、一番目は大河原、二番目は川崎の辺りか……》
『守護主(しゅごぬし)様』
菖之進は半眼を解いた。竜泉から四方に伸びる霊線の一つから声が届いた。
『祥蔵か』
涌谷(わくや)の守護者(しゅごしゃ)、上木祥蔵(かみき しょうぞう)だった。祥蔵の声は心配に満ちていた。
『守護主様、大丈夫でございますか。今、恐ろしい力を二度も感じたのですが』
『二度か? 三度、または四度ではないか?』
『いえ。私が感じたのは二度でございました。仙台の西と東に一度ずつ、間をおかずに』
『ふむ。それは舟形山と多賀城のことだろう。これらの地においた道祖神がやられた』
『やはりそうでしたか。宮城の結界全体が影響を受けて動揺しております。急ぎ修復に向かいますので』
『いや、今しばらくその場にとどまれ。お前が涌谷を離れることで、さらに力が我らが結界の弱みをみつけてそこを襲う可能性がある。お前は涌谷の自分の持ち場を固めることにしばし専念するのだ。わしもこれより本殿周辺の結界をより高めることに集中する。そうすれば力と相対する機会も生まれるだろう』
『かしこまりました。なお津軽と北上、それに白河からも、守護主様を心配する問い合わせが私のところにきております。みな先ほどの力にただならぬものを感じたようです。落雷のように見えることから一般のニュースにもなっています。守護主様。先ほど、三度、または四度と言われましたが、もしかすると川崎にも落ちましたか?』
『何故分かる?』
『それもニュースになっているのです。川崎の民家に落雷があり火事になっているそうです』
『その民家の持ち主の名は?』
『は、ええ、確か荒木とかいう農家だったと思います。守護主様。これも先ほどの力と関係があるのでしょうか。荒木という人物が力と何らかのつながりがあるのでしょうか。私もほかの守護者も、川崎には何の異常も感じなかったのですが』
菖之進はしばし黙考した。
《不思議なことだ。あれほどわしには激しく大きな力と感じられたものが、守護者たちには何の影響も与えなかったとは》
しかしこれは口には出さず、ただこう答えた。
『力の正体が分からぬうちは荒木との関係の有無も分からぬ。しかし当面我らがせねばならぬのは、なにものから守るかではなく、どのようにして守るかだ。原因を探るのはそのあとだ。わしはしばらく秘文に集中しなければならない。必要があればまたわしから連絡する』
『はい。それではお気をつけて』
祥蔵の声が遠くなった。
菖之進は、わきの台から榊に木綿(ゆう)を組み合わせた玉串をとり上げた。祥蔵に言ったとおり、《なにものが、なんのために》という疑問を菖之進はいったん放棄した。今この次の瞬間にも、この本殿に力が襲いかかり土居家が六百年かけて築き上げてきたものをすべて破壊しつくしてしまうかも知れないのだ。
《そんなことは、このわしがさせぬ》
菖之進は天満宮に何重にもはった結界をさらに強めるべく、全霊力をこめて秘文を唱え始めた。
『ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ』
『ひふみ祓詞(ひふみはらへのことば』を三度唱え、場を浄化する。その後『稲荷大神秘文(いなりおおかみのひもん)』を唱え始める。『稲荷大神秘文』には強力な魂結(たまゆい)の力がこめられている。土居家はその力を結界をつくることに利用してきたのだ。
『夫神は唯一にして 御形なし 虚にして 霊有(それかみはゆいいつにして みかたなし きょにして れいあり)
天地開闢て此方 国常立尊を拝し奉れば(あめつちひらけてこのかた くにとこたちのみことをはいしまつれば
天に次玉 地に次玉 人に次玉 豊受の神の流を(あめにつくたま つちにつくたま ひとにやどるたま とようけのかみのながれを)
宇賀之御魂命と 生出給ふ(うがのみたまのみことと なりいでたまふ)
永く 神納成就なさしめ給へば(ながくしんのうじょうじゅなさしめたまへば)
天に次玉 地に次玉 人に次玉(てんにつくたま ちにつくたま ひとにやどるたま)
御末を請 信ずれば(みすえをうけ しんずれば)
天狐 地狐 空狐 赤狐 白狐(てんこお ちこお くうこお しゃくこお びゃっこお)
稲荷の八霊 五狐の神の 光の玉なれば(いなりのはちれい ごこおのしんの ひかりのたまなれば)……』
また大きな力が落ちた。菖之進の玉串を握る手が思わず震え秘文がとまった。雷は虚空の中で大きくねじれ、そして躑躅岡よりもかなり西に流れ落ちた。
《これは……、祝瓶山(いわいがめやま)か?》
『万道、万道!』
菖之進は、出羽の守護者、蜂谷万道(はちや・まんどう)を呼んだ。何度も呼んだあとでようやく万道の声が竜泉からきこえてきた。
『守護主様……』
『万道、遅いぞ』
『申しわけございません。実は今病院におりまして、すぐに守護主様のお声がきこえませんでした』
『病院?』
『はい。家内が産気づきまして、ほんの三十分ほど前に子供が生まれたところでございます。それだけではなく先ほどから病院が急に停電になってしまい、辺りが騒然としておりまして……』
『それは雷のせいだろう』
『雷?』
『祝瓶山に雷が落ちたのだ。送電線にでも影響があったのかも知れぬ』
『そういえば、宮城県に何度か大きな雷が落ちたとニュースで流れておりましたが……』
『こちらで落ちた雷とそちらに落ちた雷は、同じものだ』
万道の声が驚いたような響きをもった。
『同じもの、と申しますと?』
『お前は感じぬのか、この雷を生み出した力の源を』
『は……。いえ、どうも、わたくしには……。家内や子供に気をとられておりまして。ここは山でもありませんし』
菖之進は舌うちをした。
『もう少し霊気を研ぎ澄ませておけ、万道。涌谷はむろんのこと、白河も、北上も、遠く離れた津軽さえも、今回の得体の知れぬ力をすでに感じとって報告をしてきておるのだぞ』
万道は恐縮したように言った。
『申しわけございません、守護主様。……あ、すると祝瓶山に雷が落ちたというのは?』
『そうだ。出羽の結界の一部が破れたということよ』
万道の声が動揺したように震える。
『祝瓶山は出羽の要所の一つでございます』
菖之進はいらついたように声を上げた。
『分かっておる! 祝瓶山自体が道祖神そのものの役割を果たしているのだ。雷一つで山が破壊されるわけではないが、力が力を侵すとき、わずかなほころびでも全体に大きな影響を与える可能性がある。しかし竜泉でみられるものにも限りがある。また、何故宮城から、急に祝瓶山に力の方向が変わったのか、それも不明だ。当初雷は躑躅岡に徐々に向かっているようにみえたのだが……』
『なんと! まさか、ご本殿を?』
『舟形山から多賀城と、力の渦が収斂(しゅうれん)してきておったのだよ。あるいは、わしが結界の力を強めたことで流れがそれたのかも知れぬが』
『その可能性はありますな』
『ともかく、力には必ず隠れた意志がある。それたにしてもそれた方向には、それなりの理由があるはずだ。お前は今より急ぎ祝瓶山に行き落雷の場所を調査せよ』
『し、しかし、雷がまた落ちるのでは?』
『それがなんだというのだ。身をもって結界を守るのが守護者の役目ではないか。こうしている間にも、いつ、どこに、また雷が落ちるか分からんのだぞ。次はお前の妻子のいる病院に落ちるかも知れんのだ。川崎では民家に落ちた』
万道は慌てたように答えた。
『わ、分かりました。今すぐに祝瓶山に向かいます。何か判明しましたらすぐに報告いたしますので』
『頼んだぞ』
菖之進は万道との霊線から自分をそらした。
《万道は目先がきかなくて困る》
子供が生まれたというが使えそうな霊力を備えているだろうか。菖之進は将来出羽の守護者になるであろう幼子のことにちょっと心をめぐらせかけたが、すぐに当面の問題に気持ちを移した。
《本殿への落雷はとりあえず防げたようだ。力はわしと向き合うよりも流れの向きを変えることを選んだ。つまりは力の正体をみ極めるためには、こちらから丹念に追っていく必要があるということだ。しかもまた力がどこに落ちるか分からない状態が続いている》
やはり南に鍵がありそうだ。川崎、そして大河原だ。
《大河原といえば……》
菖之進は別の心配が襲ってきて今度は築山を呼んだ。築山は庭師小屋からすぐに答えた。
『はい、菖之進様』
『大河原の、はぎの園に電話して、何か異常がないか確認するのだ』
『異常、と申しますと、異常な雷の発生に関することでございますか』
菖之進は多少驚いた。築山には霊場異常を感じとれるような力はないはずだ。
『何故、雷に関することと分かった?』
『テレビの緊急報道で、今さかんに警告がされているからでございます。雷雲もない快晴にもかかわらず、宮城県内の三ヶ所でこの一時間の間にたて続けに落雷があったというので注意するよう、全県の市民に呼びかけがなされています』
『それは、川崎と舟形山と多賀城のことだな』
『はい。大河原にはまだ雷の発生は観測されていないようですが』
『そうか。まあ念のためだといって様子を訊いてみなさい。子供たちの無事が分かればよいのだ。それから……、一時間ほど前に大河原で雷のようなものを見た者がいなかったかどうかついでに確認してみてくれ』
『かしこまりました』
菖之進はまず大河原をみることから始めることにした。川崎に現れた蛇のような力の行方が気になったが、おそらくそれをみつけ出すのは困難を極めるだろう。順に追っていたのでは時間がかかりすぎる。迂遠と思われても大河原から手をつけるほうが早いとみた。
《おそらく二つの力はまったく別々の存在ではなく、表裏一体、陽と陰の関係にある。ならば陽のほうからみていくのが順当》
また正直いうと、はぎの園がある大河原を優先したい気持ちも菖之進にあった。はぎの園は、菖之進の亡き妻が慈しんで作り上げた施設だ。菖之進にとっても萩英(しゅうえい)学園高校と並んで大切なところである。子供のいない菖之進にとってはぎの園と萩英学園はわが子同然であった。
《あの時は衝撃が強すぎ、また次の川崎の力に驚いて大河原の詳細を検討する余裕がなかったが……》
竜泉をとおって大河原へ自分の目を伸ばしながら、自分が感じた力を思い出す。空のように大きくそして水のように透明で清らかな力だった。
《あのような力を生むものとは、いったいどのようなものだろう》
菖之進はそれと会うことに喜びに似た期待すら感じていた。力を探して霊場の中をいくうちに正面に大きな力の存在を感じた。
《あれか?》
菖之進がそちらにいこうとした瞬間、力がふいに菖之進のほうへひと飛びに向かってきた。菖之進は驚いて身を引いた。力はそのまま銀色のまばゆい光の玉となって菖之進のあとを追い、菖之進が防ぐ間もなく竜泉をとおって本殿の中に現れた。
菖之進は呆然としてそれを見上げた。
それは銀色の巨大な霊孤だった。柳の古木の前に竜泉の上に浮かぶように立っている。ふさふさとした九つの尾をゆっくりと輪を描くように回していた。よく見ると尾の一つだけが金色に光っている。
菖之進はこのように美しく堂々とした魂の姿をみたことがなかった。
『突然お邪魔します失礼をお許しください』
霊孤はちょっと頭を下げながら礼儀正しく言った。菖之進は一瞬言葉につまりながらも、返答した。
『あ、いや。あなたは、いったいどなたですかな』
霊孤は金色の目を細くした。優しく微笑んでいるようだった。
『私の名はクシコ。あなたは土居菖之進殿ですね』
『そうです』
『あなたに助けていただきたいものがあって、お願いにやってまいりました』
『と、いうと?』
『あなたが経営しておられるはぎの園にいる子供の一人のことです。龍一という子をあなたの手で救ってほしいのです』
『どういうことですかな?』
『その子は大変特別な子なのです。大きな霊力を生まれながらにもっているだけではなく、千年に一人という能力をもっています。すなわち世界をつくる能力です』
『世界をつくる?』
『そうです。文字どおりその子は世界を自分で生み出す力をもっています。私は彼がつくり出した世界からやってきました。私もまた龍一のつくった創造物の一つにすぎません』
菖之進は目をみはってクシコを眺めた。
『しかし、あなたは独立した魂をもっているようにみえますが』
『むろん私には魂があります。世界をつくり出すというのは魂をつくり出すことと同じことです。彼のつくった世界にはすでに無数の命と魂で満ちています』
『それは神と同じではないか。そんなことが一人の子供にできるというのですか』
『それが龍一には可能なのです』
『そんな子供にわたしがいったい何ができるというのです』
『世界をつくり出すことができても、いえそれゆえに、龍一は計り知れない重荷を背負っています。彼もまた一つの魂をもち人一倍悩み苦しんでいるのです。ええ、彼の人生は悲しみと失望の連続でした。たった十年しか生きていないにもかかわらず、彼の魂はすっかりすりきれてしまっています。もう彼は生き続ける希望を失っています。自分のつくり出した世界に引き籠もることのみを望んでいるのです。しかしそれは彼にとって不幸であるばかりではなく、この外の世界にとっても有害な結果をもたらしてしまうのです。彼はもっと生き続けなくてはなりません。少なくとも自分が納得する形で生を終わらせてやらなくては』
『その理由とは?』
『彼の世界をつくる力の源は外の世界への愛です。彼は誰よりも他者を愛し、生を愛しています。彼のつくった世界はすでにこの世界と交じり合い、このように互いに認識することもできれば行き来することも可能となっています』
クシコは金の尾を竜泉の中にちょっとつけて跳ね上げた。きらきらとした金色の水滴が宙を舞った。
『私たちとあなた方の世界は、もうすでに分かちがたく結びついています。いえ私たちの世界だけではなく、この世界は異なる世界が無数に重なり合い互いにつながってできているのです。世界はたった一つではありません。長い時の中では、消えてゆく世界もあれば離れてゆく世界もあるでしょう。龍一の世界は今その輪を閉じようとしています。しかし龍一の魂は輪が閉じたあとも、あるいは閉じたがゆえに外の世界への憧れを募らせ、力を大きくさせていき、そして閉じた輪の中で、発現の場所も方法も見失ったまま巨大化し、ゆがんでゆくでしょう。龍一が自らの生を終わらせようとしているのは他者への愛からです。しかしその愛ゆえに、力の向かう方向もやはり外を志向する傾向にあるのです。龍一はまだ自分の力を完全に制御する方法を学んでいないのです』
菖之進は、はっとした。
『では今発生している一連の雷は……』
クシコは悲しそうにうなずいた。
『すべて龍一の力によるものです。私は彼の記憶を封じることで、彼の負の力を抑えようとしてきました。しかしそれも今や限界に近づきつつあります』
『その、龍一は今どこにいるのです』
『私たちの世界の中で眠っています。しかし龍一が眠ったことで、力は龍一の意志の枠から離れますます制御がきかなくなってきています。菖之進殿。あなたは現在の日本でもっとも霊力の制御に長けているお方です。あなたの結界の力は並ぶものがなく素晴らしいものです。どうか、龍一に霊力の使い方封じ方を教えてやってください。これは私や龍一のためだけではなく、あなた方の世界のためでもあるのです』
その時、また力が落ちた。
クシコと菖之進は、はっとして頭上を見上げた。本殿の開いた天から空が見えた。空はもうほとんど暮れかかり闇に飲みこまれようとしている。
クシコは菖之進を見た。
『今度は南ですね』
菖之進は眉をひそめうなずいた。
『白河の近くの、鏡石(かがみいし)辺りのようですな』
白河の守護者の、中ノ目壮士(なかのめ そうじ)は驚き慌てているだろう。しかし今すべての外部からの霊線が閉じられているので、壮士からの言葉も届かない。菖之進が竜泉を閉じたわけではないので、おそらくクシコがやったのだろう。
『彼は、いや、彼の力はいったい何を目的としているのだろう……』
菖之進はつぶやいた。クシコは竜泉の面に自分の姿が映るのを眺めていた。
『自分の手に入らないもの必要としているものを攻撃し破壊することで、暗に真の望みを訴えているのですよ。あれ≠ェあなた方の結界を狙うのは、自分が結界の中に入りたいがためなのです』
『なるほど。しかし川崎に落ちた場所には道祖神はなかったはずですが』
クシコは深いため息をついた。
『あれだけは違います。力が川崎で狙ったのは荒木という男です。その男は、李花という龍一が愛した少女を傷つけたのです。そもそも今回力が龍一の意志を越えて制御がきかなくなったのは、李花が龍一の目の前で命を落としてしまったことがきっかけなのです。龍一は李花が死んだのは自分のせいだと思っています。それで生きる力も意志もなくしてしまいました。龍一が世界に閉じ籠もろうとした瞬間、荒木を憎む龍一の力が龍一の中から飛び出し、荒木を狙って真っ直ぐに落ちていきました』
菖之進はぎょっとした。
『では、龍一は荒木を殺してしまったのか』
『いいえ。龍一の無意識がわずかに働いて、なんとか力の方向をそらしました。力は、荒木そのものではなく、荒木の家を壊すにとどまりました。荒木の家は李花を傷つけた場所であり荒木の力の源でもあったので、力はそれを消滅させたことで一応満足しました。それから龍一の魂は限界に近づいたので深い眠りにつきました。私は龍一の魂を護るために、李花が死んだこと、荒木が李花を傷つけたという記憶を、龍一の無意識の底に沈めました。むろん記憶はなくなるわけではないので、いつかは龍一も再びそれに直面することになるでしょうが、とりあえずの応急措置としてです。龍一は眠りましたが、龍一の力は依然この世界のどこかを今もさまよい続けています。この力を制御できるのはむろん龍一本人しかありません。龍一が力が求めている結界を自分の中につくり、これを封じてやることが必要なのです。龍一自身が本当に求めているのは結界などではないのですがね』
『龍一が求めているものというのは、なんなのです』
『愛、そして自由です。自分の愛を受け入れてもらえる場所、自分があるがままの姿で生きられる場所。それこそが彼が望んでやまないものなのです。しかし彼の生まれもった力がことごとく彼の願いを阻んできました。私は龍一が真に望んでいるものをあなたから与えてやってほしいとは思っておりません。彼の望みは、彼が自分の人生の中で自らの目と心でみつけ出し手に入れるべきものなのです。私があなたにお願いするのは、龍一が自分の望みを手に入れることができる時まで生き続けられる強さをあの子に与えてやってほしいということなのです。龍一が自分の力に負けないようにしてやってほしいのです』
菖之進はしばしクシコの言ったことをじっくりと考えた。その間に秋田の三種町(みたねちょう)と白神山地のうち青森県側の白神岳(しらかみだけ)に力が落ちた。力は東北の結界の重要地、しかも比較的手うすな部分を的確にとらえているようだった。自分に選択肢はあまりないようだ。
『分かりました。わたしもこれ以上彼の力を野放しにしているわけにはいきません。彼を起こして生き続けさせ、強さを身につける手伝いをしましょう。それにははぎの園にいさせるのは相当ではない。この躑躅岡天満宮に連れてきます。幸いはぎの園はわたしの経営している施設だ。子供一人を引きとることに支障は少ない』
クシコは深々と頭を下げた。
『それではよろしくお願いします。龍一を厳しく鍛えてやってください。あの子は強い。厳しさにはいくらでも耐えることができるでしょう。あの子が耐えられないのは自分のせいでほかのものが傷つくことなのです。……それでは私はそろそろ失礼します。あの子があなたの手にゆだねられるまでそばについていてやります。私の力はあの子の力を抑える方向には働きませんが、あの子の心を慰めるのにはいくらかは役だつでしょうから』
そう言ってクシコは九つの尾をさっと振り、竜泉の中に消えていった。
菖之進はそれを見送ったあと、今見聞きしたものを思い返し、そしてまだ見ぬ一人の少年のことを考えた。
『龍一……か』
◎◎
菖之進が本殿の中で銀の霊孤と話をしている間、同じ天満宮上社内の庭師小屋では築山がはぎの園に電話をかけていた。
二瓶という若いほうの女性職員が出た。
『あら、築山さん。お久しぶりです』
『お久しぶりです。あの、そちらはお変わりございませんか』
『ええ。特段変わりありません。子供たちもみんな元気で。まあ変わったことといえば園長先生の体がさらに大きくなったことくらいかしら』
二瓶は快活に笑った。その後ろで子供が一緒になって笑っている。
『ええと、大河原で雷が落ちたなどということはございませんか?』
『雷? いいえ。こちらは快晴ですよ。仙台は雨ですか?』
『いえ。そんなことはないですが』
電話の向こうで何か言う声が聞こえる。
『なあに、とおる君。……あら、そうなの? ……築山さん。こっちのとおる君って男の子が、裏山の向こうで空が光ったのを見たって言ってますが』
子供がはり上げる声がさらにした。
『でも、あれは雷なんかじゃないよ、きっと、ユーフォーだ。だって、すっごく大きな光だったもん。金色に光る、でっかいものが空から降りてきて、山に着地したんだよ。僕、だから博之にいちゃんに山に行ってみようって言ったのに、だめだって言うんだ。きっと、今ごろあそこには宇宙人がいるよ』
二瓶が笑いながら言った。
『あら、宇宙人がいるんじゃ、危なくてとおる君をますます行かせるわけにいかないじゃないの。それにどっちにしても裏山は道も細くて迷子になるから、行っちゃ駄目だっていつも言っているでしょ。博之にいちゃんの言うことは正しいわ』
『だって龍一にいちゃんは、いつも一人で裏山に行っているっていうじゃない。どうして僕は行っちゃ駄目なの』
『龍一にいちゃんは山道をようく知っているから大丈夫なの。もし行きたかったら、今度龍一にいちゃんにお願いして一緒に連れて行ってもらったら?』
それから二瓶はようやく電話口に声を近づけた。
『ごめんなさい、築山さん。子供と話をしていまして……。お聞きのとおりですけど、どうかなさいました?』
『二瓶さん。ニュースはまだご覧になっていないのですね?』
『ニュース? ええ、うちでは六時になってからテレビをつけるようにしているので』
『では、今すぐにテレビをつけてみてください』
二瓶は電話を持ったままリモコンのスイッチを押した。とたんにうす闇の中で夕焼けよりも赤々と燃える家の様子が映し出された。アナウンサーの声が流れる。
『……このように必死の消火活動がおこなわれておりますが、依然火の勢いは衰えることがありません。隣家は離れており類焼の危険性は低いですが、背後には山が接近しており、飛び火すれば大規模な山火事が予想されるだけに油断ならない状況です。現場からは以上です』
画面はスタジオ中継になった。
『ありがとうございました。さて先ほどからお伝えしていますとおり、東北各地で落雷の被害が続いています。只今の中継は川崎町の農家が燃えている様子でした。今日午後三時四十分ころ、川崎町の荒木礼二さんのお宅に雷が落ち、そのため火災が発生しております。世帯主の礼二さんご本人は、落雷当時外出していたため無事でしたが、一緒に住んでいた荒木李花さんという中学一年生の女の子が行方不明となっております。警察消防では落雷に巻きこまれた可能性もあるとしておりますが、火勢が強いため消防隊も救助活動ができない状態です』
二瓶は悲痛な声をあげた。
『李花ちゃん!』
築山が聞きとがめた。
『ご存じなのですか?』
『ええ……。李花ちゃんはこの春まではぎの園にいた子なんです。大変だわ。園長先生に伝えなければ。あの、築山さん、お電話ありがとうございました。いったん電話を切らせていただきますね。何かありましたらまたご連絡いたしますので』
二瓶は慌ただしく築山との電話を切るとリビングを飛び出した。
『園長先生、大変です!』
台所で夕食の準備をしていた牧野は、血相を変えて駆けこんできた二瓶に驚いてあやうく指を切るところであった。
『どうしたの、二瓶さん』
『いいから、ちょっとリビングに来てください』
それで二瓶のあとをついて牧野も廊下を走った。そして二瓶が指さしたテレビのニュースを見た。
『……異常ともいえる現象が続いています。東北六県では、各地で夕方から落雷が相次ぎ、山火事などの大きな被害が出ています。しかもこの雷は雷雲がまったく観測されない場所で発生しており、快晴の地域であっても突然落雷の被害が生じるなど、まさに青天の霹靂といった状況です。この落雷現象は午後三時四十分すぎに宮城県川崎町で観測されたあと、断続的に続いています。落雷は特に山間部に集中しておりますが、平野であっても注意が必要です。東北のお住まいの皆さんは気象庁より安全宣言が出るまで、できるだけ外を出歩かず屋内にいるようにしてください。もう一度繰り返します。東北地方の皆さんは外に出ないでください。雷がいつどこで発生するか分かりません。
さらに体感できないほどの揺れではありますが、六県すべてに微細な地震が継続して発生しており、この震源地などもはっきりしておりません。気象庁では緊急態勢をとってこれらについて調査を続けておりますが、いまだその発生原因等は明らかになっておりません。落雷地点の予測についても現段階では不可能としております。いったい私たちの上空と地下では、何が起こっているのでしょうか。
それでは先ほどもお伝えしましたが、あらためて各地の被害状況をお伝えします。死傷者は幸いにも今のところゼロですが火事が多発しております。もっとも多くの被害が生じているのは宮城県で、川崎町の民家、舟形山山中、多賀城市内の三ヶ所に落雷がありました。まず川崎町ですが、落雷が民家を直撃しました。民家は川崎町の荒木礼二さん三十五歳のお宅で、木造の家屋は現在も燃え続けており、地元消防隊による消火活動が続けられております。荒木礼二さんご本人は、落雷時外出中で事なきを得ましたが、中学一年生の李花さんが行方不明となっております。李花さんが落雷当時、家の中にいたかは分かっておりません。
このほか舟形山では小規模な山火事が発生しましたが、これはすでに消しとめられております。多賀城市内に落ちた雷は古い祠に落ちたということでほかに人的被害はございません。
他県では福島県鏡石町、山形県朝日連峰山中、秋田県三種町郊外、青森県白神山地に、それぞれ落雷が観測されており、周辺の樹木が燃えるなどの被害は出ておりますがいずれも死傷者は出ておりません。
……あ、ただ今、あらたな落雷の情報が入ってまいりました。岩手県の早池峰国定公園内に雷の被害が出た模様です。これで東北六県すべてに落雷が発生したことになります。岩手県の分につきましては詳しい内容が分かり次第追ってお知らせいたします。それでは川崎町の民家の火事の様子をみてみましょう』
画面がきり替わり闇の中で燃え盛る家屋の様子が映し出された。家は完全な全焼でもし中に人がいたとしたらけして助からないと思われた。牧野はふらふらと柱によりかかった。
『李花ちゃん……』
そうしてはっと気がついて同じく食い入るようにテレビを見ていた二瓶に言った。
『うちの子供たちは大丈夫? 全員家の中にいるの?』
二瓶はうなずいてすぐに家の中を見回り始めた。
『みんな、全員リビングに集まってちょうだい』
子供たちがぞろぞろと各部屋から出てきた。牧野はさっとそれらの顔を見わたす。
『龍一君がいないわ』
『龍一にいちゃんなら、お昼ご飯のあと出かけていったよ』
小学一年生の男の子が答えた。
『どこ、どこに行ったの? お友達の家?』
男の子は目を丸くした。牧野の剣幕に驚いたのだ。
『ぼく、知らないよ』
『探さなくちゃ』
牧野は龍一の行きそうなところを思い浮かべようとして、はたと気がついた。龍一はいつもどこで遊んでいるのだろう。仲のよい友達も行きそうな遊び場のことも牧野は何も知らなかった。牧野は中学三年の男の子に訊いた。
『ねえ、博之君。龍一君はいつもどこで遊んでいるか知らない?』
テレビを真剣に見つめていた彼は振り返った。
『龍一? さあ、また裏山にでも行っているんじゃないの。あそこがあいつのテリトリーだから。俺たちとはあんまり一緒に遊ばないんだ。変な奴だよ。裏山のどこで何をしているのかなんていうのも知らないよ。でも、もうすぐ帰ってくるんじゃないの。龍一は時間には正確じゃん』
『そうね……』
確かに龍一が門限に遅れたということはいまだかつてない。だからこそ牧野の中に不安が雲のように湧き上がっていた。はぎの園の小学生の門限は日没時だ。そしてもう日は落ちている。
『私、裏山を探してくるわ』
二瓶は反対した。
『先生、危険です。昼間に裏山のほうで大きな雷が光るのを見たっていう子供がいました。警察に電話したほうがいいんじゃないでしょうか』
玄関で靴を履きながら牧野は言った。
『警察だってすぐに動いてはくれないわ。それに裏山で雷が出たというのなら、ますます一刻も放っておけないじゃないの。もしかして龍一君も……』
《李花と同じように》
という言葉を飲みこみ牧野は戸を開けた。
『とにかくほかの子供たちを頼んだわよ。リビングに全員集めて目を離さないで。何かあったら携帯電話で連絡をちょうだい。それから、もし私が一時間経っても戻らないようならやっぱり警察に連絡して』
『分かりました』
二瓶は真剣な表情でうなずいた。
牧野は玄関のドアを後ろ手で閉めると、一歩歩き、そしてたまらず駆け出した。
《龍一君。お願い、無事でいて》
◎◎
クシコが去った直後、菖之進の恐れていた事態がついに起こった。守護家の一つを力が襲ったのだ。気をもんでいると二十分ほどしてその守護者から霊線の連絡が入った。
『守護主様』
『邦安か』
北上の守護者、沢見邦安(さわみ・くにやす)である。いつもはおっとりとした邦安の声もさすがに動揺を隠せないようだった。
『やられました。我が神淵(かみふち)神社を直撃です』
『して?』
『それが、淵の近くに落ちまして……』
『何?』
菖之進の声にも思わず動揺の色が走る。邦安はすぐにつけ加えた。
『実際に雷を受けたのは淵の真上にあった水目桜(みずめざくら)のご神木でした。木は真っ二つに割れた上、今も炎上し続けております。神木の周りは岩肌に囲まれているので、山火事になる恐れはほとんどありませんが、一応家内にみはらせております』
『うむ、うむ』
邦安の息はどこからか走って来たかのように乱れていた。
『私はたまたまご神木の近くにおって力を間近で見たのですが、何と申しますか、あれは稲妻というよりも炎の矢のようでした。真っ赤な流星とでもいいましょうか。それが北の空から降ってきて、ご神木を真っ直ぐに貫いたのです』
『その力は木に落ちたあと、どこに行ったのか分からぬか』
邦安はひと呼吸おいたあと強いてゆっくりと答えた。
『そうでございますな。そのまま木の根を伝って、地の奥に潜ったように感じられました。はい、ひどく地中の奥深くに』
『それで、本当に淵は無事といえるのか?』
『分かりません。その後すぐに淵の様子を確認しましたが、特に変わりはないようにみえました。しかしご存じのとおり、淵に関して私とてすべてを知っているわけではございませんので……』
『うむ』
菖之進はうなって考えこんだ。確かに淵のことを自分も何が分かるというのだろう。菖之進は淵について考えることをやめた。そうでないと考えは永久に自分のもとに帰ってこないだろう。今は現れた力のことのみに集中すべきなのだ。
《地に潜ったか……。川崎の力も落ちたあと深く潜った。まるで天と地とを交互に縫っているかのようだ。ならばまた地表に帰ったか? それとも淵に呑みこまれたか。そうであればまたあらたな問題が発生するが……。ともかく力が本来いるべき場所に戻してやらねばならん》
邦安が言った。
『守護主様。境内を守りきれませんで申しわけございませんでした』
『いや。お前が無事でありさえすればよいのだ。そして淵があの程度でなにか影響を受けるということもないだろう。また神木は本来淵を護るためのもの。木とお前はその役割を果たしたのだ。ご苦労だった』
『これからも力が我らを襲い続けるのでしょうか』
菖之進は立ち上がりながら言った。
『力の襲撃は間もなくやむであろう。いや、やめさせねばならん。わしはこれからそのためにここを出発する。ほかの守護者にも伝えよ。わしはしばらくの間躑躅岡を留守にする。夜半にまでは戻るつもりだが、それまではおさおさ警戒を弛めるなと』
『守護主様。どこにお出かけでございますか』
『大河原だ』
菖之進は邦安にそう言い残すと、さっと着物の裾をひるがえし竜泉の前を去った。
◎◎
菖之進が、本殿の三つの扉をくぐり抜け、渡り廊下を通り、控えの間に入ると、築山が床に座って待っていた。
築山は菖之進の着替えを手伝いながら報告した。
『はぎの園の二瓶さんからつい先ほど連絡がありまして、龍一という小学五年生の男の子がまだ外から戻っていないそうです。それで園長の牧野先生が心あたりの場所を探しに行っているとのことです。また川崎町に落ちた雷で燃えている家は、今年の三月まではぎの園にいた李花という中学一年生の女の子が養子にもらわれていった先だそうでございます。その李花という娘は現在行方不明になっておりまして、家の中にいて落雷にあったのかも知れないと報道では申しております』
『李花は雷でやられたのではないだろう』
築山はちょっと目をはって手をとめたが、すぐに菖之進の肩に縞の着物をかけた。
菖之進は自分で角帯を結ぶと築山に言った。
『これから大河原に行ってくる。その、龍一とやらを連れてくるから、泊める準備をしておくように』
築山はさすがに驚きを隠せないようだった。
『は……。男の子を、天満宮に連れていらっしゃるのですか?』
『そうだ。おそらくここで育てることになるだろう』
築山は大きく息を吸って、また吐いた。驚きすぎて言葉が思い浮かばなかったので、ただ自分の主人にこう答えた。
『かしこまりました』
菖之進はその答えに満足した様子だった。羽織の袖に腕を通す。
『築山。ハイヤーを呼んでくれ。大至急だ』
『かしこまりました』
築山はうやうやしくもう一度答え、そして電話をかけに庭師小屋へ足早に向かった。
◎◎
牧野は、裏山の周辺や中腹まで延びた山菜採りのための小道などを歩き回ったが、龍一を見つけることができなかった。途中、一、二度はぎの園の二瓶と携帯電話でやりとりをしたが、やはり龍一は戻って来ていなかった。
『園長先生。やっぱり警察に連絡したほうが……』
二瓶が言った。牧野は自分の腕時計を見た。六時になろうとしていた。しかしまだ六時ともいえる。辺りはすでに暗いが門限を数十分遅れたくらいで警察が即座に動いてくれるとは思えなかった。
『遊びに夢中になってちょっと帰るのが遅れているだけじゃないですか』
そう言われるのがおちだろう。しかし警察には分かっていないのだ。龍一はこれまでに一度も時間に遅れたことがないのだ。
『とにかく一度園に戻るわ。町会長さんに相談して人手を手配してもらえるか訊いてみる』
牧野は裏山のふもとから小さな小川の上にかけられた石橋を渡った。山道を駆け回ったあとなのでぜいぜいとした息がもれる。休耕田の間を通りすぎ、園の裏口の前を通る農道に出たとき、心臓が跳ね上がった。
『龍一君?』
道端に置かれた地蔵像の前に仰向けに倒れている人影がある。園からのぼんやりとした明かりがひとすじもれて、龍一の顔を青白く照らし出していた。
『龍一君』
牧野はそっと龍一の体の下に腕をさし入れた。龍一は息はしていたが上半身を起こされても目を開けようとはしなかった。牧野は龍一のだらりとたれた長い手をとって脈をはかってみた。ゆっくりと規則正しい鼓動だった。しかしいくら声をかけても目覚めなかった。牧野はポケットから携帯電話をとり出しすぐにプッシュした。
『消防ですか。大至急はぎの園に救急車をよこしてください。子供が一人意識不明になっています』
◎◎
『龍一、龍一』
龍一は遠くから呼びかけられ、無理やり目を開けようとした。しかし目を開けたと思ってもぼんやりとうす暗い膜のかかったような曇った視界しか開けなかった。
『龍一。起きなさい』
《だれ? 僕を起こすのはだれなの。何故僕をそっとしておいてくれないの》
『さあ、しっかりと目を開けなさい』
《僕はもう、なにもみたくないんだ》
『お前は、みなければならない。それがお前の義務なのだ』
《ああ……》
ついに龍一はまぶたをこじ開けた。外は暗かったが、それでも龍一の目をわずかな光が刺した。赤や青の点滅する光が目の片隅に映った。わきに細長く黒い人影が見える。
『あなたは、誰?』
『わしは土居菖之進という者だ』
『つちい、しょうのしん』
龍一は繰り返したが、それがなにを意味する名前なのかまったく分からなかった。頭の中に白いもやがいっぱいにつまっているような気がした。
菖之進が龍一の額に手をあてた。乾いてしわのよった手だった。
『こっちを見なさい。龍一』
龍一は素直に菖之進を見た。菖之進の顔は不思議ないくつもの光で照らされていた。人工で作られた様々な色の蛍の光のようだった。あとで気がついたことだが、それは電灯を消した部屋の中で光る医療器具の電光表示が発する光だった。龍一は病院のベッドの上に横たわっていた。
龍一の目を菖之進はじっとのぞきこんでいた。ひどく長い時間が経った気がしたが、龍一はただ黙って菖之進の目を見返していた。この老人は何者で、何故龍一の目をこんなにも熱心に見つめているのだろう。
《この人はお医者かな。僕は死んだんじゃなかったんだろうか。それともここは死んだあとの世界で、僕は何かの審査を受けているのかも知れない。僕が何か罪を犯していないかどうかの》
罪という言葉が頭に浮かんだとたん、龍一の心が大きく波だった。何故か分からないまま涙がこぼれた。
菖之進は龍一の頭をそっと撫でた。
《何という純粋さだ。何という悲しさだ。そして、何という深さだ。このような子が実在するとは……。わしにできるか? いや、何としても守ってやらねばならん。それにはわし自身の心を鬼にせねば》
そうして声に出して言った。
『龍一。何故、泣く?』
『分かりません。でも、たぶん、僕はとても大きな罪を犯してしまったので、それで涙が流れるのだと思います。あなたは僕を罰するためにいらっしゃったのですか』
『違う。わしはお前がお前やほかの誰をも傷つけないよう、お前にお前がもつ力の使い方を教えるためにやってきたのだ』
龍一のうるんだ瞳が大きく開く。菖之進は愛しさで胸がしめつけられる気がした。龍一は菖之進の骨ばった手にすがりつくようにそれを両手でしっかりとにぎった。
『誰も傷つけないように? 本当に僕はそんなふうになれますか?』
菖之進は龍一のほっそりとした指をはがし蒲団の上に乗せた。
『わしの修行を受ける気があるならな。わしの修行は厳しいぞ。しかしそれに耐えることができれば、お前は自分の中に強固な結界をつくってその中で力を飼い慣らし、自分と他人のためにうまく使うことができるようになるだろう。……それからもしかするとお前の中にある本当の目が開くことになるかも知れん』
『本当の目? それはいったい何ですか』
『わが土居家には千年以上前から伝わる一つの鏡がある。その鏡は、通常の者にはその姿を見ることもできないが、それをみる目をもつものには日の光のもとにあるかのごとく明らかにみることができる。土居家の当主は、その目をもつものが現れ、鏡に映し出される真実をみ、その英知をすべての生きとし生けるもののために活用できるときがくるまで、鏡を守り続ける役目を負っているのだ。その目は『蛇(じゃ)の目』と呼ばれ、月読(つくよみ)の力をもつと伝えられている。月読の『つく』とは、すなわち『とき』のこと。蛇の目をもつものは時をも超えた真実をみ極めることができるのだ。お前の中には蛇の目が備わっているのかも知れん』
土居家が千年の間待ち続けている蛇の目をもつものが龍一なのではないかという考えが菖之進に浮かんだのは、ほんの一瞬前のことであったが、口に出してみるとにわかに確信めいたものが湧いてきて菖之進は我知らず興奮した。
しかし龍一は菖之進が先に言った言葉のほうに惹きつけられていた。
《力を結界の中で飼い慣らす。もし本当にそんなことができるのなら、僕はこれから誰も傷つけることなくみんなと一緒に生きていけるかも知れない。もしかしたら、かさこ地蔵みたいに誰かの役にたつことだってできるかも知れない。この人は僕にその方法を教えてくれるって言っているんだ》
龍一は熱心に菖之進を見上げた。
『お願いです。僕にあなたの修行をさせてください。どんなつらいことにも耐えてみせます』
菖之進は龍一の頬に流れた涙をぬぐってやった。
『そうか。それならばわしとお前はこの瞬間から師と弟子だ。弟子は師のいうことはすべてきかねばならん。龍一。お前は今日よりはぎの園を離れ、仙台のわしのもとで暮らすのだ。お前にはいずれ土居家を継いでもらう。土居家の当主の役割についてはあとで詳しく教えてやろう。しかしまず一番に、土居家の当主は誰よりも強くあらねばならん。だからお前はもう二度と泣いてはいけない。もし泣きたければ心の中だけで泣け。なにかに頼りたければ自分の中の柱だけによりかかれ。土居家の当主の本質は守り人だ。だれかを守るものは強く、そして孤独なものだ。自分を理解してもらおうなどと思わないことだ。むしろ自分自身はなるべく隠し秘めておけ。秘めたものの中からこそ真の力が生まれるのだ』
『はい』
龍一は起き上がってベッドの上に正座をした。
『よろしくお願いします』
手をついた龍一のそのさらさらとした髪の毛に手を伸ばして撫でてやりたい誘惑を排し、菖之進は厳格な口調で続けた。
『お前はこれから土居龍一と名乗れ。お前は土居の血は引いていないが、血よりも重要なものをわしから受け継ぐのだ。それはすなわち土居の魂だ。土居の魂をもつものこそ土居家の当主となるにふさわしいものなのだ。誰から何を言われてもそれをお前が理解していれば揺らぎ迷うことはない。真の自信は慢心につながらず力となる。真の自信とは真の理解から生まれるのだ』
『はい』
真剣な表情でうなずいたあと龍一は訊いた。
『私はこれからあなたを何とお呼びすればよいのでしょうか』
菖之進は初めてにこりとした。
『父上と呼びなさい。お前は土居家の跡とりなのだから、わしの息子になるのだ。わしはお前の師であり父なのだよ』
『父上……』
龍一の首すじが赤く染まった。奥歯を噛みしめて温かく甘いその響きが頬をゆるませるのを抑えた。
菖之進は下を向いた龍一を見ながらそっと微笑んだ。
『さあ、息子よ。立ち上がれるか。わしのすべてをわしの生きているうちにお前に伝えねばならんのだ。時間は短く学ぶべきことはあまりに多い。寝ている暇などないぞ』
龍一はベッドからすぐに離れて真っ直ぐに立った。
『はい、父上』
龍一は初めて自分がいるべき場所、やるべきこと、倣うべき人をみつけた気がした。自分よりも大きな器をもつ人を目の前にして、ようやく自分の立つ地面がしっかりと固まったという感じがした。
《この人にどこまでもついていこう。生まれ直した僕のいのち、僕のすべてを捧げて使ってもらおう》
龍一は自分よりも背の高いその姿のあとをついて病室を出た。菖之進の背中にある重なる二つの紋を見つめながら。
(二)
◎◎
翌年の七月二十八日の午後一時、東北守護五家の当主たちは全員仙台の躑躅岡天満宮上社の宿舎大広間にいた。すなわち、津軽の初島正道(はつしま まさみち)、北上の沢見邦安(さわみ くにやす)、出羽の蜂谷万道(はちや まんどう)、白河の中ノ目壮士(なかのめ そうじ)、そして涌谷の上木祥蔵(かみき しょうぞう)の五人である。
築山四郎が出した昼食のそばを食べ終わり茶を出されても、広間の中はしんと静まり返ったままだった。
築山が広間を出ていくと、ようやく邦安が重い空気に耐えられぬといったふうに隣の祥蔵に話しかけた。
『正月以来ですね。奥さんとお嬢さんはお元気ですか』
祥蔵はにこりとした。
『おかげさまで。邦安さんの奥様も一週間ほど前お電話でちょっと声を聞いただけですが、相変わらずお元気そうですね』
邦安はくったくなく笑った。
『あれは元気だけがとり柄ですからね。今日は奥さんは娘さんと涌谷でお留守番ですか。それとも仙台で買い物でもしておられますか』
『いえ、実は家内は今朝早くに京都に発ちましていないのです』
邦安はちょっと驚いたような表情になった。
『奥様はお一人で京都に行かれたんですか?』
祥蔵は笑顔をちょっとつくった。
『ええ。ご存じのとおりあれは京都の眞玉(またま)神社にいたのですが、どうしても今日中に眞玉に行かなければならない用事ができたとかで急に出かけて行きました。菊水先生にでも呼ばれたのかも知れません。明日には戻って来ると言って出て行ったのですが、まさか今度は私のほうが守護主様に呼ばれるとは思いもしませんでしたからね。今娘は近くの築山さんのご自宅におかせてもらって、奥さんに面倒をみてもらっているんですよ。といいますのは、菖之進様のご用事が早く済めば私も娘を連れて夕方から京都に行こうかと思いつきましてね。よく考えると菊水先生に娘をまだお見せしていませんでしたので。せっかくの機会ですから、行ったら菊水家へのご挨拶かたがた京都観光でもしてきますよ。娘もまだ県外への旅行をしたことがありませんし』
『親子三人水入らずで京都観光ですか。そりゃいいですな。しかし飛行機のチケットはまだとれますかね』
『いや、新幹線で行きますよ。ここからなら駅にも近いですし、五時ころまでに乗車すれば今日中に京都に着けますから』
『ああ、それもそうですね。京都には飛行場がなくて移動が面倒ですからね。お子さん連れなら新幹線のほうが楽かも知れませんな。それでは奥さんも喜ばれるでしょう』
『家内にはまだ連絡していませんがね。菖之進様のご用事がどのくらいかかるか分かりませんから』
『ところで、お二人はその守護主様のご用事が何だか知っておられますかな?』
祥蔵と邦安は、はっとして声の主を見た。向かいに座る万道が上目づかいでこちらをにらむように見ている。
邦安は居並ぶ守護者たちの顔を順ぐりに眺めたが、誰も口を開こうとはしないので自分で返事をした。
『今日の朝に築山から守護主様が全員をお呼びになっているという連絡を受けて、とるものもとりあえず来ただけですからね。私には分かりませんね。そうだ、壮士さんは何かお聞きになっていますか。あなたは確か三日ほど前に守護主様にお会いになっていたでしょう』
壮士は二、三度咳をしたあと、しわがれた声で答えた。
『定例のご報告のため確かに三日前にお会いしましたが、今日の件については特に何のお話もありませんでしたよ。お会いしているといえば、祥蔵さんが仙台に一番近いですし、ここにも頻繁に出入りなさっているのですから、何かご存じなのじゃありませんか』
祥蔵は一口茶を飲み言った。
『いや、私とて先ほど言いましたとおり、皆さんとご同様寝耳に水でしたからね』
それから鋭い視線を守護者たちに浴びせながら続けた。
『……しかし私が想像するに、土居家の跡とり問題についての守護家内の意見の不統一≠ノ関することじゃないですかねえ』
その言葉は守護者たちに一定の効果をもたらした。ある者はびくりとして顔を上げ、ある者はきょろきょろと辺りを見回し、ある者は下を向いた。
それらのうち祥蔵は相変わらず自分のほうを不敵ににらんでいる万道の目をじろりと見返した。
『守護者のどなたかが、守護主様が今年の正月に次期ご当主として龍一様を指名されたことにだいぶご異議があり、裏で盛んに運動してらっしゃるようじゃないですか。菖之進様はそれに心を痛められて急きょ我々を集められたのじゃないかと推察しているんですがね』
万道の頬がひくひくと痙攣した。
『それは、暗にわたくしのことをおっしゃっているのですかな』
祥蔵は鼻を鳴らした。
『暗にではない。はっきりとあなたのことを言っているのです。あなたはほかの守護者に対し素性も知れぬ子供を次期土居家当主に指名するなどとんでもないことだ。それならば今いる守護者の中から選んだほうがましだ≠ネどと吹聴しているようじゃないですか。そして守護者たちの意見をまとめて菖之進様に直談判しようなどともちかけているそうですね。しかし何故だか私にはお声がけがまだないようですが』
『上木家は土居家の属家ですからな。自分のところの当主も自ら決めることができんような守護家に、守護主様へ意見することなどしょせん無理というものだ。そう思ってあえて親切心で話をもっていかないようにしてやっているんですよ。しかし我々はあんたとは違う。土居家創建以前、ヒタカミの時代より連綿と続く誇り高き古い家柄なのだ。我々には土居家を守る義務がある。土居家の血を守るという義務がな』
『へえ。守護者の役割に土居家の血を守ることがあったなどとは初耳ですね。しかもその土居家の血を守るということが、何故あなたを次期当主に選べなどという結論に結びつくのか、私にはまったく理解できないんですがね』
万道の顔が赤黒く染まった。
『わたしは、わたしを土居家の次期当主にするべきなどと言った覚えはない』
『違ったかね。ではあなたの子のうち一人を菖之進様の養子にしたらどうか、と言ったことも間違いかな』
万道はちらりとほかの守護者たちに目を走らせた。
『ま、そんなふうなことは言ったかも知れんな。むろん、例えばということだ。少なくとも蜂谷家は古代より続く正当な血すじをもっている。古くはヒタカミとの婚姻関係もあったのだ』
『ははあ、正当な血すじというのは、蜂子皇子(はちこのおうじ)とやらのことですかね』
祥蔵の口調に万道はむっとしたようだった。
『いかにも。聖徳太子の御従兄弟君の蜂子皇子が、我が蜂谷家の始祖であられる。何か異論でもおありかな』
祥蔵は含み笑いをした。
『……別に。崇峻天皇の子と言われる蜂子皇子が、父親を暗殺した蘇我馬子から逃れるべくはるばる海を渡って現在の山形県にまでたどり着き、出羽三山を開山したという伝説はよく知っていますがね』
『伝説ではない。史実だ。あんたは蜂谷家を愚弄する気か?』
いきり立つ万道の肩を隣にいた津軽の正道が押さえた。
『万道。つまらんことで守護者同士喧嘩などするな。祥蔵もいい加減しろ。今話題とすべきは、蜂谷家の祖先が誰かなどということではなく、我らが主である土居家の次期ご当主の問題なのだ』
祥蔵の眼光は次に正道のそれとぶつかった。
『正道殿。聞き捨てならん言葉ですな。そもそも我々が土居家の当主問題をとり上げるべきでしょうか? 菖之進様が龍一様を次期当主として指名なされた。それを受け入れることこそ守護者としての本分ではないですかな?』
正道の口調は淡々としたものだった。
『自分が正しいと思う意見はたとえ守護主様にであろうと恐れなく申し上げる、これは守護五家の古き良き伝統だ。祥蔵、今までこれを一番身をもって体現してきたのは、ほかならぬお前ではないか。確かに土居家の次期当主の指名権は、現在の守護主様のみに属するもの。我ら守護者がどうこう口をはさむべき事柄ではない。しかし新たな守護主様を上にいただき、今後その命を遂行するのも我々だ。我々が真にそのお方を信頼し心から尊敬することができなければ、土居家を頂点とした守護者の結束も綻びが生じてしまうのだ。私は万道が言うように血すじがすべてだとは思っていない。しかし土居の血というものに、代々の守護家が忠誠を誓い信をおいてきたのもまた事実。もし新しい血が入るのであれば、その血がどんなものなのか、み極める必要がある。私はこの春からそのように守護主様に何度か申し上げてきた。我々が龍一様にお会いしたのは、守護主様がご紹介されたあの年始のとき一度きりだ。なるほど、潜在的な霊力の高さはあるようだ。ただそれ以上のことは分からぬままだ。あのときはほんの一時間程度しかお会いできず、龍一様もほんの一言か二言しか口を開かなかったからな。まだ幼い上にこちらに引きとられてきたばかりというから無理はないが。守護主様は、龍一様が落ち着かれてきたら徐々に我々と会う機会を設けていくと私におっしゃっていた。ただ今日このときが、そうであるのかは分からないが……』
祥蔵がにんまりとした。
『ふむ。正道殿の意見がそうであるなら安心しました。つまり、問題が龍一様の血すじではなく能力であるということなら、すぐにそれが杞憂であると判明するでしょうから』
正道はちょっと眉を上げた。
『と、いうと?』
祥蔵は胸をはった。
『龍一様の能力がどんなに素晴らしいものであるのかは、すぐに皆さんもお分かりになられるだろうということです。それは私が保証します。むろん、それぞれのご自分の目で確かめればよろしいことですが、その目が曇っていない限り明らかに映ることですからね』
壮士が興味深そうに身を乗り出した。
『祥蔵さんはずいぶん確信があるようですね』
『私はご存じのとおり土居家伝来の霊刀飛月(ひつき)の使い手という任も負っております。そのため菖之進様の直接の命で退魔に行くことも多いのです。今までは、飛月を渡されるのも退魔についての指示を仰ぐのも当然菖之進様ご本人からでしたが、今は違います。ほとんどすべて龍一様の命によっているのです』
これには壮士だけでなく守護者全員が衝撃を受けたようだった。邦安が訊いた。
『ちょっと待って下さいよ。龍一様は何歳でしたっけ?』
『十一歳ですよ』
祥蔵は得意そうに答えた。正道までが唖然とした表情を隠せなかった。
『守護主様は十一歳の子供に飛月や退魔のことをお任せになっているのか。あまりに無謀ではないか』
『菖之進様ほど無謀なことと縁遠い方はおられぬというのは、正道殿もよくご存じでしょう。その菖之進様が、今では退魔のことだけではなく、竜泉による霊場視も二日にいっぺんは龍一様にお任せになっていると聞いたら、どう思いますかな?』
正道はどう考えていいのか分からないような顔をして言葉を失ったままだった。ほかの三人も同じようであった。祥蔵は力をこめて続けた。
『皆さん。もし霊力に関する天才児がいるというのなら、まさに龍一様こそそのお方であるのです。おそらく千年に一人、この国に生まれるか生まれないかの逸材、それが龍一様です。あらゆる血や環境を排して突然変異的に生まれ出るのが天才というものです。であれば、龍一様が土居の血を直接的にひいていないということが何の支障になるでしょうか。龍一様が体現しておられるのは土居ではありません。この国の魂の力そのものをその身に現しているのが龍一様であるのです。数千年前よりこの国のよき魂の力を守り続けようとしてきたヒタカミ、その流れを汲む土居家に、もし新たな血を入れるとしたら、これよりふさわしい血があるでしょうか。
皆さん。稲荷大神秘文(いなりおおかみのひもん)はご存じでしょう。代々の土居家の当主が東北に結界をはるために使ってきた秘文です。稲荷大神秘文の言葉は我々も知り唱えることもできますが、その言霊を知りその力を引き出すのは、この世でただ一人、土居の血をひく守護主しかできないといわれておりました。守護主は、竜泉と鏡の種という、外と内の二つの鏡に秘文の力を映し、秘文の奥深くに眠る言霊を揺り起こすのだそうです。龍一様はむろん鏡の種をまだ受け継いではおられません。しかし、稲荷大神秘文の魂結の力を引き出し、結界をはりめぐらせることにすでに成功しております。我々守護家がいるそれぞれの地、この東北の地の多くが、もう龍一様がはった結界の中にあるのです』
『まさか……』
壮士がほかの守護者を代表するようにつぶやいた。
白河の守護者は、伝統的に結界をつくることを得意としている。それは代々東北の玄関口という重要地を守る役割を担ってきたゆえだ。現在の守護主である菖之進は特に結界についての高い能力をもっているので、壮士は自分がほかの守護者に比べても、菖之進個人に対する思い入れが強いことを認めていた。今ある東北の結界は、自分と菖之進が長年にわたり共同して作り上げてきたものだという自負心がある。
結界というのは、一度はっただけで終わるというものではない。常に破れがないかみはり、新たな霊力を注ぎこみ、強さを保たなければならない。
結界は蜘蛛の巣に似ている。東北の結界は、竜泉を中心として放射状に広がっており、守護主は毎夜の霊場視時において、結界の線をたどり、霊場異常を監視するとともに、結界に綻びや弱りがないかどうかをチェックする。
異常が、怨霊などの異質な霊の存在によるものであれば退魔や祓い行を、道祖神の破損などによるものであればその修復をおこなわなければならない。たいていは、その守護地を受けもつ守護者に命じるが、地の守護者に荷が重いようであれば、退魔については飛月の使い手である上木家に、結界の異常であれば中ノ目家がその地まで出張して処理にあたるよう命じられることも多いのだ。
中ノ目家の守護範囲はむろん、白河を中心とする福島県一帯だが、そのようなわけで東北全体の結界についても壮士は熟知しているつもりだった。それがいつの間にか、菖之進のはったものから、龍一のものにとって代わっていたということ、そしてなによりそれに気づかなかったことが、壮士はショックだった。
『まあ、結界をはることくらいなら、稲荷大神秘文以外の方法で我々も大なり小なりすることができますが……』
祥蔵はちらりと壮士の難しげな顔を見ながら言った。
『龍一様は、さらに稲荷大神秘文の別な力をも発見されました。それは菖之進様とておできになれなかったことです。もっと言いますと、土居家の代々のご当主の中でも、二十三代目の麻輔(ますけ)様ただお一人のみが実現できた幻の力です』
正道がはっと息を呑んだ。
『まさか、雷神召喚の力を?』
『嘘を言うな、祥蔵!』
万道が怒りをこめて割って入った。
『秘文使いの天才、土居家の中興の祖と言われる麻輔様が、数十年の歳月と厳しい修行をかけてようやく見出した雷神召喚の業(わざ)を、いくら霊力に優れているとはいえ、土居家の血すじでもない、たった十一の子供が体得することなどできるわけがない。あんたは、我々をたばかろうとしているか、それともその子に催眠術でもかけられているかの、どちらかだろう』
祥蔵は万道をちらっと見たあと、正道に向かって話し続けた。
『私があなた方を騙そうとしているのか、それとも龍一様に魔法でもかけられているのか、はたまた真実を語っているのかは、いずれ分かるでしょう。しかしここ数ヶ月間、私はいく度となく龍一様が雷神を召喚し、その力を私の持つ飛月の上に降ろすのを実際にこの目でみて知っているのです。そうです。龍一様は雷神の力を使い、私と共に怨霊祓いをしております。おかげで退魔について、私はずいぶんと楽をさせてもらっていますよ。これで同じ報酬をもらってもいいのかと悩んでいるほどです。壮士さんだって、今年になってから結界修復を何度命じられましたか?』
壮士はちょっと考えた。
『何度? ……いや、今年になってからは特にご命令はなかったようですね』
『しかし、今までであれば、ひと月に一度はどこかに出張されていたじゃありませんか』
『そう言われてみればそうですが、今年になってから私は体調を崩していましたので、もしかすると守護主様が気を使われておられるのかも知れません』
祥蔵は深くうなずいた。
『つまりは、壮士さんの穴も龍一様が埋めておられるわけですよ。道祖神の物理的な損傷は、築山さんが行って修復作業をしているようですが、霊的な補充は、この天満宮に居ながらでもある程度可能ですからね。むろん豊富な霊力を必要としますが、それを菖之進様は、たいていの場合龍一様にお任せになっているようです』
正道は少し眉をひそめた。
『竜泉での霊場視も、退魔も、結界修復も、いずれも非常な霊力の消耗を伴うものだ。祥蔵。龍一様がたとえお前の言うとおり霊能力の天才児だとしても、子供は子供。しかもここ天満宮に来たのも、わずか十ヶ月ほど前だ。いくらなんでも荷が勝ちすぎるのではないだろうか。龍一様がお気の毒ではないか?』
祥蔵の表情が暗く引きしまった。
『いや、実は私もそれを心配しているのですよ。菖之進様にもそう申し上げたのですが、そこにふれると菖之進様は急に不機嫌になってしまわれるんです。椿様も、私と同じように心配されているようです』
『椿様とは、守護主様の妹御の?』
『ええ。北山の勅使河原椿(てしがわら・つばき)様ですよ。むろん、椿様も、龍一様が土居家の次期当主に指名されたことはご存じです。椿様も私と同じお考えです。龍一様の守護主としての能力には何の問題もありません。むしろ、能力がありすぎることが心配の種なんです。何せ、菖之進様が要求されるものにことごとく応えてしまうんですから、こっちが異を唱える理由を与えてくれないんですよ。
私は、実は今日は皆さんに、このことを分かってもらいたいと思って来たんです。つまり、もう少し龍一様のご負担を減らすよう、菖之進様にお願いしてもらいたいんです。なにせ龍一様はまだ小学生なんですからね。そうだ、正道殿のお子さんも、お二人とも小学生だったですよね』
『ふーむ』
正道は腕組みをして考えこんだ。祥蔵の話にひどく心を動かされた様子だった。祥蔵はずけずけとものを言う性格だが、その分嘘はつかないし、私心のない人間だということは正道もよく承知している。
正道は目の前にいる四人の守護者たちを見回した。全員が正道が次に口を開くのを待っているようだった。この場にいる五人のうち、一番の年長者は沢見邦安、次が中ノ目壮士であり、正道は年齢でいえば三番目だが、初島家は守護家の中で常にとりまとめの役割を果たしてきている。これに年齢は無関係だ。年齢といえば、この中でもっとも年の若いのは祥蔵だが、祥蔵の性質が奔放なのは年のせいというよりも、上木家の特徴からきているように思った。守護五家の末子であり、土居家の懐刀としての役割が、上木家の当主個人そのものをも、自由かつ、鋭く、感覚的に動くように性格づけているのだ。彼らは理屈ではなく、身に備わった勘によって行動しているように見えた。
《血や役割が、私たちの内面をも決定してしまうのだろうか》
いみじくも先ほど祥蔵は、血や環境と無関係であるのが天才であり、それが龍一であると言った。
『ともかく、龍一様にもう一度きちんとお会いせねば』
正道が独り言のように漏らした言葉に皆が顔を上げたので、正道はもう一度言い直した。
『龍一様の能力が、祥蔵の言うとおり素晴らしいものであるならば、土居家にとっても我々守護家にとっても、喜ばしい以外のなにものでもない。あとはこれまでの数百年と同様、身を尽くして守護主様をお支えしていくまでだ。そのためにも、我らは龍一様がどんなお方であるかよく知る必要があるし、龍一様にももっと我々をみていただきたいと思う。守護主様が今回何のために我々をお呼びになったのかは分からぬが、せっかくこうして一堂に会したからには、ゆっくりと龍一様とお話しする時間も設けていただくよう守護主様にお願いしよう。みんなもこれを機に、守護主様や龍一様に訊ねたいことがあれば申し上げたほうがいい』
『わたくしは、どうしても守護主様と龍一様に伺いたいことが一つあるんですがね……』
『なんだ、万道』
万道はちらりと唇を舐めた。
『皆さんも同じ疑問をもっていらっしゃるとは思うんですが、昨年の秋のあの事件のことですが』
『事件?』
『そうですよ。あの、雷で次々と我らの結界が破壊された晩のことです』
とたんに部屋の中がはりつめたものに変わった。壮士のぜいぜいした気管の音がしばらく響く。邦安が、ゆっくりと、言った。
『あれは確かに大変なものでしたがね。うちのご神木が全焼してしまったくらいですから。しかしあの晩の一連の雷が、龍一様と何らかの関係があると、そう、万道さんはお考えなのですか』
万道の顔にはうす笑いが浮かんだ。
『というよりも、関係があると、はっきりわたくしは確信しているんですよ』
『そりゃまた、どういった理由で?』
万道はわざと祥蔵を除いたほかの三人の守護主たちの顔を順々に眺めたあと、言った。
『わたくしは正直、昨年に男の子が天満宮に引きとられたというのを聞いた時点で、どうもおかしいと思っていたんです。それを聞いたのは年末でしたが、実際にその子がここに来たのは昨年の秋口だそうじゃないですか。築山を問いつめましたら答えました。その子は大河原にあるはぎの園出身だということでした。守護主様が経営なさっている孤児院ですよ。大河原というと、あの日いっとう最初に雷が落ちた川崎のすぐ近くの町です。場所といい、時期といい、なにか気にかかりますのでね、わたくしは直接はぎの園の園長に問い合わせてみました。すると大変興味深いことが分かりました。その子を守護主様が引きとりに来られたのは、まさにあの日、十月十八日だというのです。しかもそれまでは引きとるという話すらまったくなかったのに、突然天満宮から連絡があり、守護主様ご本人が直接迎えに来られたそうです。それからね、その子は、雷が起きていた最中、ずっと行方不明だった≠サうですよ』
万道は自分の言葉の効果を試すようにいったん間をおいた。
『わたくしはね、このことを皆さんにお話しするかどうかずいぶん悩みました。非常に確率が低いことながら、すべてが偶然ということもありますからね。そうこうしているうちに年始になって、守護主様が次期当主を発表されました。わたくしは唖然としましたよ。よりによって、その当の子供が指名を受けたんですから。こうなるとわたくしも、うかつにはぎの園から聞いた話をべらべらと広めるわけにもいかんじゃないですか。そうかといって何も知らない皆さんが、このままあの龍一様を守護主様として受け入れるのを黙って見すごすのも、どうかと思いましたのでね。皆さんのお気持ちを探る意味で色々お聞きして回ってみたというわけです。一対一だと割に皆さんも心の内を開いていただけるようですね。例えば壮士さんなんかは、わたしと同じように感じているんじゃないかという感触を得たように思うのですが、いかがですか?』
急に振られて壮士はちょっと咳きこんだ。
『……私ですか? そうですね。私なんかは、正直、今回の当主指名に関してはあまりに驚きすぎて、ほとんど考えがまとまらない状態でしてね。むろん現在の守護主様にはお子様がいらっしゃらないのですから、次の守護主様はどうなるのだろうかと思わないでもありませんでしたが、ぼんやりとではありますが、たとえば守護主様には何人か甥御様や姪御様がいらっしゃいますし、そのうちの一人を養子にされるのじゃないかとか、あるいはしばらくは椿様が守護主を代行されるのじゃないかとか、その程度しか想像しておりませんでした。そりゃ、まったく無関係のお子様を連れて来られるとは、考えもしていなかったのは事実ですがね』
『邦安さんは、どうお考えですか?』
『そうですねえ。万道さんの今のお話が事実だとすると、こりゃ、あの雷と龍一様がまったくの無関係と考えるほうが無理があるように思いますね。しかし、関係があるといっても、どういう関係かというのははっきりしていないわけですしね。さらにもう少し申し上げると、守護主様がすべてをご存じの上で龍一様を次期当主にご指名なさっているということだけは明らかですからね。我々のもやもや≠解消するのに、この件を守護主様にお伺いするのは構わんと思いますが、だからといって守護主様の方針が変更されるということはないでしょう』
祥蔵が我が意を得たようにうなずいた。
『私も邦安さんと同意見ですね。万道さんが、我々にも菖之進様にも黙って陰でそんな調査をされていたことにちょいと驚きましたが、まあそれはそれとして、たとえばですよ、あの日の雷が龍一様が起こしたものだとしましょう。それを皆さん、どう評価されますか? あれは雷といってはいますが、むろん自然現象としての雷とはまったく別ものだということを我々は肌で感じて知っています。あれは今までにみたこともないような巨大な力の塊でした。我々の築き上げてきた結界などひとたまりもなく吹き飛んでしまうほどの強力なものでした。我々は色を失い、すわ、とてつもなく恐ろしいものどもが襲撃してきたと目に見えぬ敵に戦々恐々としていたじゃありませんか。それが実はたった一人の、しかも十やそこいらの子供が起こしたものなど誰が想像できたでしょうか。菖之進様はその力の源をつきとめ、そして手もとに引きよせ自ら守ることをお決めになったのじゃありませんか。あのような力をもつ類まれなる能力者こそ土居家の跡とりとしてふさわしい、それだけではなく、土居家のみ龍一様という子を育て上げることができる唯一の環境なのじゃないですかね』
『裏を返せば我が敵を自らの懐に招きよせる結果になっている、ということじゃないかね』
祥蔵は語気を荒げて万道に言い返した。
『あんたは敵とか味方とか、そういう考え方しかできないのか? 龍一様のあの澄んだ目をもう一度ようく見てから我が身を振り返ってみるがいい。自分のねじ曲がった心が映し出されて恥ずかしくて二度と口を開けなくなるだろうよ』
『あんたこそ、魔性の子に魅入られてことの正邪のみ極めもろくにつかなくなっているんじゃないのか。ああ、確かにあのお方は大した恐ろしい能力者のようだ。身近にいる者ほど自分の思いどおりにとりこんでいくのだからな』
『すると何か? 菖之進様も龍一様に操られているとでも言いたいのか?』
パチン! と鋭い音がした。正道が持っていた扇の骨で座卓の角を叩いたのだった。
『それまでだ』
それで広間はまた初めと同じようにしいんと静まり返った。
◎◎
『龍一。守護者たちに会わんとはいったいどういうことだ?』
宮司舎の一角、龍一の私室にしている西の間で、菖之進は呆れたように訊いた。
龍一は白い麻の着物を着て菖之進の向かいに正座をしうつむいている。そして自分の固く握った手の甲を見つめながら答えた。
『申しわけありません。しかし私にはどうしてもできません』
『何故だ? そもそも今朝ほどあれを言い出したのはお前のほうではないか。だからこそ、わしは守護者たちを呼びよせたのだ』
龍一は顔を上げた。
『私は、祥蔵に急ぎ伝えなければならないことがあると申し上げたのです』
『祥蔵の妻に危機が迫っているということだろう』
『そうです。祥蔵の妻が今夜京の眞玉神社で鬼に遭い、のちに地の底に引きこまれるという霊像をみたのです。ですから私は祥蔵に早くこのことを知らせてやり、妻を助けに行くよう言うつもりでいました』
『なら、よいではないか。宿舎には祥蔵も来ている。わしがほかの守護者も呼んだのが気にくわんのか? お前にそれを言わなかったのは悪かったが、お前の予知を聞いてわしにも考えがあってな。つまりお前の能力を守護者たちにみせる絶好の機会だと思ったのだ。わしも今年で七十だ。あと何年生きられるか分からん。お前には土居家のすべてを教え、わしがいなくなってもいいようにしてやるつもりだが、知識と能力だけでは土居の当主は務まらんのだ。五つの守護家すべてを束ねる統率力がなければな。特にお前は土居の血を引いていないことで不利な面がある。性質もそれぞれに異なる守護者たちを心服させるには、血よりも上回る力をみせ彼らを納得させなければならないのだ。そのような機会を設けることもお前の将来のために必要なのだ。分かるな』
龍一は首を横に振った。
『違うのです。私が言っているのはそういうことではないのです。私がみたのは祥蔵の妻の未来の姿です。それは確定されたものなのです。祥蔵がそれを知り妻を助けに行ったところで、その運命は変えられないのです。それが次の霊像によって私にはっきりと分かりました』
『次の霊像?』
『はい。先ほど竜泉の前でそれがみえました。祥蔵は妻を助けるために鬼に立ち向かっていきました。しかし鬼との力の差は歴然としており、祥蔵は鬼によって右腕を失い、祥蔵の妻は鬼とともに地の中へ沈んでいきました。私は気づいたのです。運命は変えられないのだと。と同時に運命は、刻一刻と決められていくのではないか≠ニいうことも。
父上。祥蔵の妻が地の中に消えるというのは以前から決まっていたことかも知れません。しかし祥蔵が右腕を失うことは、もしかすると私が父上に予知のことを申し上げた瞬間に決まってしまったのではないでしょうか。私が言わなくともよいことを言ったために祥蔵までが傷つくことになってしまったのだとしたら……』
菖之進は悲しみに沈んだ龍一の目を見た。
《運命は刻一刻と決められていく》
菖之進の考えは燕のように一瞬間で何度もひらめくように舞った。
《確かにそうかも知れん。わしたちの今している無数の選択の一つ一つが、遠い未来の結果を次々と決定づけているのかも知れん。しかしそうであればなおさらあと戻りはできんのだ。何が運命で何が偶然であるのか。人の身に分かり得ようか。一瞬一瞬を最善と思う方法で生きてゆくしかないのだ。そしてわしは誓ったのだ。龍一を守るためには鬼になろうと……》
『龍一』
『はい』
『わしはお前に初めて会った日に言ったな。お前とわしとは師弟の関係になるのだと。弟子は師のいうことに絶対に服しなければならないのだと』
『はい』
『師としてお前に命ずる。お前が祥蔵の妻に関してみたものを、これから守護者たち全員の前で自分の口で話すのだ。しかし祥蔵が右腕を失うことについてはふれてはならん』
龍一は衝撃を受けたように菖之進を見た。
『しかし……』
『口答えは許さん。もっとも優先すべきは何かを常に考えるのだ、龍一よ。すべてを守り、すべてを手に入れることはできない。お前とわしが第一に守るべきものは、土居家の連綿たる流れであり、東北の守護家の結束と東北の結界が強固のままにあることだ。お前は今何と言ったか。みてしまった運命は変えられぬのだと言ったな。であれば、これからお前が祥蔵の運命について話そうが話すまいが、あれの行く末に影響を与えるものではないだろう。時の糸の一本一本がどこにどのようにつながっているかなど、お前ごときに本当に分かるのか。人一人の運命にお前がどんな影響力をもつというのだ。それこそが大きな思い上がりではないか。龍一。あまり遠くをみるな。お前は人よりもほんの少し変わった力をもっているが、ただそれだけのことだ。結局のところ、大いなる時の流れの中では非力な一個の人間だ。まず自分を守れ。自分すら守れぬ者が、どうしてほかのものを守ることなどできようか。足もとを固めてから周りを見回すことだ。いいな』
龍一は返事の代わりに手をついた。その首すじがきりきりとはっているのを菖之進は見たが気づかぬふりをした。そうして立ち上がり龍一の部屋から出ながら言った。
『着替えなさい。それから中の間に来なさい。守護者たちを呼んでおく』
それから一つの考えがひらりと頭の中にめぐった。
《龍一がみた鬼の姿とは、わしのことかも知れん》
そうして後ろ手でぴしゃりと障子を閉めた。
◎◎
宮司舎の一番大きな部屋である中の広間、その畳の上に座っている五人の守護者たちの目は、正面の少年に釘づけになっていた。
はっとするほど鮮やかな深紫(こきむらさき)の染めの着物をまとった龍一は、年齢も性別も超えた妖しい美しさをまとっていた。髪はつやつやと肩に垂れかかり、濃いまつ毛にふちどられた両の目は一人ひとりを順番に射ぬくがごとく光り輝いている。その真っ直ぐな視線にあたり目をそらさずにいられぬ者はなかった。
《魔性の子》
正道は万道の言葉を思い出した。
《確かにこの方は万人に一人のお方だ》
正道が手をつき深々と礼をすると、後ろにいた四人も慌ててそれに倣った。
『お前たちを呼んだのは父ではなくこの私だ』
龍一の声が響きわたった。祥蔵は驚いた。いつもの龍一の声でないように思えたからだ。子供らしい高く澄んだ声から、急に変声期を経たかのごとく低く深い響きをもつようになっていた。
『今朝ほど私は一つの予知を得た。それは守護者のうち一人の者に深く関係のある霊像だった。すなわち、涌谷の上木祥蔵の妻が、今宵京の眞玉神社において巨大な霊力をもつ鬼に遭い、ついには地の泉の中に沈んでいくというものだ。私はこれを伝えるため、父に話してお前たちをこの場に集めてもらったのだ』
一瞬の静けさのあと、祥蔵が喘ぐように言った。
『咲子が? 鬼に? ……龍一様。それはまことのことですか』
龍一は祥蔵のほうを見ず真っ直ぐに前を向いたまま答えた。
『私の言うことが嘘かまことか。それは今宵、月に影がかかるときに明らかになるだろう。私は私がみたままをお前に伝える義務があると思い話したまでだ。それをどう考えるかはお前自身の判断に任せる』
祥蔵はすでに腰を浮かせていた。
『何と咲子が……。こうしてはいられん。菖之進様、申しわけありませんが中座させていただきます。一刻も早く京都へ行かなければ』
正道は慌てて、はや部屋を飛び出そうとしている祥蔵の袖を引いた。
『おい、ちょっと待て、祥蔵。もう少し落ち着くんだ』
祥蔵は怒ったように正道の手を振りほどいた。
『これが落ち着いていられますか。自分の妻が鬼に襲われると聞いて。とめないでください』
『別にとめる気はないが、少しは考えろというんだ。咲子さんが鬼に遭うというのは今日の夜のことだろう。とりあえず眞玉神社に電話をして、咲子さんが先方に着いたかどうか、着いているなら彼女に変わりがないかどうかだけでも確認してみたらどうだ』
『それはもうわしが先ほど確認してある。祥蔵の妻は一時間ほど前に眞玉神社に着いたそうだ。特に変わった様子はない。直接、秋男さんに確認したのだから間違いはない』
祥蔵はそれを聞くと少し平静をとり戻したようにもとの位置に座り直した。
『菖之進様、ありがとうございます。しかし、そうはいっても気が急くのですが……』
『祥蔵。本当に京都へ行くつもりか』
祥蔵は不審げに万道を振り返った。
『行かぬ理由のほうがないではないか。俺の妻を俺が守ってやらずに、いったい誰が守るのだ』
万道はうっすらと笑った。
『まあ落ち着けよ。本当に咲子さんの身に危険が迫っているのか? そうだとしても、電話で一言、夜中に泉に近づくなと伝えてやるだけでもこと足りるんじゃないか。あるいは予定を変更してすぐに帰って来いと言ってやればいいじゃないか』
祥蔵はくるりと膝を回して万道のほうを真っ直ぐに向いた。
『そうか。つまりお前は、龍一様の予知を信じていないんだな』
万道はちょっと肩をすくめた。
『そういうわけではないがね。しかし我々は長年土居家にお仕えしてきているが、いまだかつて予知めいたお言葉を賜ったことなど、守護主様からですらなかったじゃないか。だから、急に予知だ、なんだといわれて戸惑ってしまったのさ。まあ、龍一様には土居家にはない別の能力が備わっているのかも知れんが……』
祥蔵はついに堪忍袋の緒がきれたといったふうに大声をはり上げた。
『万道。お前の言うことなど、もう俺は聞かん。聞いても無意味だからな。それ以上龍一様の前で、その口を開いてぐちゃぐちゃしゃべるな!』
それから菖之進と龍一に手をついた。
『菖之進様、龍一様。妻の危険をお知らせくださいまして、ありがとうございました。この上は龍一様のお言葉を無駄にしないためにも、できるだけ早く京へと私を向かわせてください』
龍一がすいと立ち上がり、懐からひと振りの短刀をとり出した。
『もちろん、そのつもりでお前をここに呼んだのだ。飛月を用意しておいた。相手は強大な力をもつもの。飛月なしでは立ち向かうことは困難だろう』
祥蔵は喜色を浮かべて飛月を受けとった。
『ありがとうございます。飛月があれば千人力です。私とて退魔の腕には多少の自信はあります。これで鬼の奴めを返り討ちにしてやりますよ。そして龍一様の予知の正しさを証明してみせます』
龍一は唇を噛んだ。
『……祥蔵。無理はするな。できれば夜になる前に妻を連れて京から離れられれば一番いいのだ』
わきから菖之進の視線を感じながら言った。
『それから、お前の娘は築山の家においたままにしていけよ』
祥蔵はもう一度深く龍一に礼をした。
『色々お心遣いありがとうございます、龍一様。確かに、ここに来たときには娘も一緒に京都に連れて行こうと思っていたのですが、むろんこうなったからには美子(みこ)はこのままおいていきます。それに私とて自分の妻の命を守る決意にかけては誰にも負けません。お任せください』
祥蔵はさっと身をひるがえすと今度こそ本当に部屋を出て行った。
菖之進は立ち上がり龍一と肩を並べた。
『今日のところは以上だ。祥蔵以外のお前たちを呼んだのは、龍一の言葉について証人となってもらうためだ。正月以来、この龍一についてお前たちの間に様々な考えが出てきていることは重々承知している。しかし龍一が土居の次期当主となり、将来守護主となることはすでに決まったことだ。これについてお前たちの意見というものは問題とならない。これだけははっきりと言っておこう。この世にある人間の内でもっとも土居家を継ぐのにふさわしいとわしが判断したからこそ、龍一は今ここにいるのだ。龍一はすでにわしの守護主としての仕事の一部を代わりにおこなっている。今後はより多くの仕事を移譲していくことになるだろう。お前たちとのやりとりも龍一がするようになっていくだろう。龍一の守護主としての資質については、その中でお前たち自身の目と頭でよくみるがいい。それでも何か言うことがあるならば、わしの目の前ではっきりと言うことだ。いいな』
有無を言わさぬ菖之進の言葉を受け、正道はこの場でできる唯一の返答をした。
『かしこまりました、守護主様』
そうして残った三人の守護者とともに、菖之進と龍一が部屋を完全に出て行くまで礼にのっとり深々と頭を下げ続けた。
(三)
◎◎
『あなた……』
うす紫に暮れかかる京の夕闇の中、眞玉神社の古ぼけた倉庫の前で祥蔵の姿を見つけた咲子は、ほっとため息をついた。
『咲子』
祥蔵は壊れやすい貴重な宝もののように咲子をそっと抱きしめた。
『またお前に会えてよかった』
咲子はわざと笑いながら祥蔵を見上げた。
『いったい、どうしたっていうの? 急にこんなところにまでやって来て』
祥蔵は何と答えていいか分からなかった。龍一の言葉をそのまま伝えれば咲子が驚くだろう。そうかといって適当な嘘も思い浮かばなかった。祥蔵は咲子に嘘をつくのは嫌だったし、何よりも真実のもつ力を信じていた。奇妙に思えても本当のことを言うほうが、いつのときでももっとも正しく早い道なのだ。
『龍一様が、お前のもとに行けとおっしゃったんだ』
『龍一様?』
祥蔵は咲子のつややかな髪を撫でながら耳もとで話した。
『お前が眞玉で鬼に遭うからって……』
『鬼に……』
咲子の腕がしっかりと祥蔵の背に回った。祥蔵も強く咲子の体を抱き返した。安堵感がいっきに祥蔵の中を駆けめぐった。
《大丈夫だ。大丈夫だ。咲子は俺の腕の中にいる。俺が守ってやる。絶対に手放したりしない》
《私が鬼に遭う。ひどく奇妙だわ。あの子がそんなことを言ったなんて。鬼なんていないのに。いいえ、もしかすると……》
咲子は祥蔵から少し体を離してにっこりとした。
『じゃあ、あなたは、私を助けに来てくれたナイトっていうわけね』
祥蔵は照れくさそうに頭をかいた。
『まあね』
咲子はくすりと笑った。いつまでも少年のような彼の仕草が好きだった。
『じゃあ、帰ろう』
引いた彼女の手に思いのほか抵抗があったので祥蔵は驚いて振り返った。咲子は穏やかに微笑んでいたが、その目だけは祥蔵がたじろぐほどの鋭い光を宿していた。
『咲子?』
『あなた。美子はどうしたの?』
『なんだ、そのことか。美子はもちろんおいてきたよ。築山さんに預かってもらっている』
咲子は祥蔵をもう一度引きよせた。そうして甘い声でささやいた。
『じゃあ、急ぐ必要はないじゃない。今日はもう遅いわ。一緒にここに泊まっていきましょうよ』
祥蔵は戸惑ったように咲子を見た。咲子の目は大きくうるみ、思わず祥蔵はその花のような赤い唇にキスをした。それから、はっとした。
『いや、違う。何を言っているんだ? ここは危ないんだよ。お前は鬼が出るなんて、信じられないだろうけど、龍一様は普通のお子じゃないんだ。あのお方が危険だと言うなら、それは本当に危険なんだ。お願いだ。俺と一緒に宮城に帰ってくれ。もう菊水先生のご用事は済んだんだろう?』
咲子の声が暮れた夏の空の中に、きりりと響いた。
『いいえ。まだ終わっていないの。だから今日はどうしても帰れないわ。それにこれは菊水先生のご用事じゃないの。私自身の大切な用なの。そしてそれは今夜でなければいけないの』
祥蔵は咲子の両の手をしっかりと握っていたが、急に彼女を遠くに感じた。
『咲子……』
哀願するように言ったが、咲子は首を横に振った。それから少し小首を傾げた。
『それに、あなたが私を守ってくれるんでしょ? その飛月で』
祥蔵は驚いて懐に片手をやった。
『よく分かったね』
咲子があでやかに笑った。
『だってさっきからそれがあたって痛かったんだもの。ね、あなたは守護家の中で一番の飛月の使い手なんでしょ』
祥蔵は飛月をとり出しながら、もごもごと言った。
『まあ、飛月を使えるのは上木家だけだし。ほかの守護家はこれを持つことすら許されていないんだ』
『素敵。ねえ、ちょっとそれを抜いてみせて』
祥蔵は少し迷ったが、咲子を離した手で鞘を持ち、さっと抜いてみせた。無数の鈴を一瞬間で振ったような音がして、飛月がその姿を現した。祥蔵はまばたきをした。飛月を抜く音はそのときどきによって異なるが、このような音は今夜が初めてだった。
咲子はじっとその輝く刀身に目を凝らした。あまり近くで見つめているので、その唇から洩れる息が飛月にかかるくらいだった。飛月は咲子の吐く息で、白く曇ったりまた輝きをとり戻したりを繰り返していた。それを見ている祥蔵は息をするのも忘れそうだった。咲子の赤い唇が聞こえない言葉を発しているように様々な形を描いている。
――こちらをみて ねむりなさい。
『なんだって?』
咲子がすっと刀身に手を近づけた。祥蔵は慌ててそれを遮った。咲子は不審げに祥蔵を見上げた。
『さわっちゃ駄目だ。飛月には土居家の守護秘文がかけられている。守護主様と守護者以外はふれられないようになっているんだ』
『あら、そうなの』
咲子はにっこりとして背すじを伸ばした。
『でも、龍一様は、まだ守護主ではないんでしょ』
祥蔵は飛月をまた鞘に納めた。
『龍一様は特別だよ』
咲子はゆっくりと倉庫の中に戻りながらつぶやいた。
『もちろん、そうでしょうね……』
祥蔵はそのほっそりとした後ろ姿を眺めながら迷った。無理やりにでも咲子を連れて帰るべきだと分かっていたが、彼女にそのつもりはないようだった。咲子には言い出したらきかない頑固なところがある。祥蔵は咲子に力ずくで何かを強制したくはなかったので、不承不承ながらそのあとをついて建物の中に入った。
《そうだ。俺がちゃんと守ってやればいいんだ》
建物の中はひんやりとして心地よかった。咲子がここを出てから三年も経っているのに、以前と変わらぬままに塵一つない清潔さである。祥蔵は気がついて履いていた草履を入口で脱いだ。咲子はもとから素足だった。奥にぽつんと一つだけ小さな灯りが点けられていた。和紙で周りをつつまれているのでぼんやりと柔らかい。咲子は床の上をすたすたと歩いて太い柱を回り、立てめぐらせた几帳の影に入っていった。
『咲子?』
祥蔵は不安になって急ぎ足でその姿を追った。そして几帳の中をのぞいてどきりとした。
咲子は床の上に座って微笑んでいた。そばにはふっくらとした布団が敷かれている。祥蔵は思わず咲子の横に腰を下ろした。咲子が魔法のように徳利をとり出した。
『あなた。お一ついかが』
祥蔵は言われるがまま盃を空けた。盃の表面に露がつくほど冷えていた。咲子がさらに酒を注ぐ。胃に落ちていくのが分かるほどにひやりとしているが、飲めば飲むほど体の奥が火照ってくるようだった。
《これじゃ、駄目だ》
飲みすぎてはいけないと思いながらも祥蔵はやめることができなかった。徳利はいっこうに空にならないようだった。酒は清らかに澄んでいてほんのりと竹の匂いがした。
『あなた』
咲子の冷たい手が顔をはさんだので、祥蔵ははっとした。焦点が咲子の瞳の中で合った。
『咲子』
咲子の黒い目の奥に赤い炎が燃えるように思ったのは灯りの揺らめきが反射したせいだろうか。祥蔵はくらくらとした目まいを覚えながら咲子の体を強く抱きしめた。
《俺は気が狂っているんだ》
祥蔵は思った。一人の女にこんなにも幻惑されて、理性も何もかもを失ったような行動をしようとしている。
三年前、この場所で、咲子を一目見た瞬間から祥蔵は自分というものがどこかに吹っ飛んでしまった気がしていた。咲子と結婚したのは正気に戻りたかったからだ。咲子は祥蔵を受け入れてくれた。しかし手に入れたら今度は失うことが怖くて、常に彼女の温もりを確かめずにはいられなかった。祥蔵は咲子の体を抱くたびに、自分は彼女の腕一本よりも価値がないのだと思った。
《何を馬鹿なことを考えているんだ、俺は》
そう考えるそばから罪悪感にも似た激しい恋慕の想いが湧き上がるのだった。これが愛というものなら、愛とは何と奇妙なものだろうか。
《こんなことをしている場合ではない》
さらりとした布団の上で咲子のいい匂いのする黒髪に顔をうずめながら祥蔵は思った。
《咲子。俺にこんなことをさせないでくれ》
動作を少しとめて強いて自分がここに来た目的を思い出そうとする。
《龍一様……》
水の上に一人立つ、白鷺にも似た清雅な龍一の姿がちらりと浮かんだ。
咲子の細い指が祥蔵の髪の毛の間をまさぐり体にしっかりとからみつく。
《ああ……》
その燃える蔓のような四肢に引きこまれて、祥蔵は暗い水の奥にどんどんと沈んでいった。
◎◎
龍一は一人、竜泉の前に座っていた。柳の古木の前の陽の泉が渦を巻き続けていた。月はまだ昇ったばかりだ。しかし明るい満月の光は、はや虚空を照らし屋根のない本殿内をも金の気配で満たし始めていた。
ふいに空気が揺らめいたかと思うと、つうっと銀の光がひとすじ交わるのを龍一は感じた。そしてそれに背を向けまま口を開いた。
『クシコか』
大鈴をゆっくりと振るような馴染みのある響きが答える。
『龍一。元気かい』
振り向かなくとも面前にあるかのようにみえた。陰の泉の上に浮かぶ大きな銀色の霊孤の姿を。それは相変わらず温かくすべてをつつみこむように柔らかに輝いている。
龍一は大きく息を吸い、そして吐いた。
『クシコ。お前に頼みがあるんだ』
『なんだい』
クシコが尾をゆっくりと回している。
『これからは、俺が呼ぶまで、けして姿を現さないでほしい』
クシコは黙ったままだ。
『姿を見れば俺はクシコに甘えてしまう。分かっているんだ。俺はそうなりたくない。誰にも心をうち明けず、誰にも弱音を吐かない。そう誓ったんだから』
『たとえこの私に対しても、かい?』
『そうだ』
『分かった。これからはお前が呼ぶまではけして姿をみせないと誓おう。だが忘れるな。私はお前に呼ばれれば、必ずやって来る。≠サれが何年先、何十年先であろうとも必ずだ。私はけしてお前のことを忘れない。私はいつまでも最後までお前の味方だ』
そうして銀の光は月の光に押しやられるように細く小さくなり、やがて消えた。
『ありがとう、クシコ……』
龍一はそうそっとつぶやくと、おもむろに榊の枝をとり上げた。
これから京の祥蔵に雷神の応援を送るための秘文を唱えなければならない。
《もう、自分にできることを精いっぱいやるしかない》
龍一は迷いを祓うように夜の空気の中に竜泉のしずくを振りまいた。
◎◎
次の瞬間、祥蔵ははっとして目を覚ました。空気は悪夢の中のように淀みむっとした暑さにおおわれていた。辺りは真っ暗だった。灯りが消えたのだろうか。
『咲子』
祥蔵は暗闇の中で布団を探ったが、じっとりと湿ったさわり心地が返ってくるだけで咲子の肌はどこにもなかった。
『咲子! 返事をしてくれ!』
祥蔵は息がつまりそうになりながらあちこちに手を伸ばした。何故こんなにも暗いのだろう。そして自分はいったいどのくらい眠っていたのだろう。ようやく左手が飛月らしきものにふれたときには全身から汗が噴き出ていた。すぐに飛月を抜く。抜くときにやけに抵抗があった。
《どうしたんだ?》
飛月の光がひどく鈍い。しかしともかくも光は光だった。飛月を松明のようにかかげながら祥蔵は立ち上がり、窓を見つけて押し開けた。新鮮な空気がさっと流れこんできた。しかし今夜は満月だというのに外もずいぶん暗かった。祥蔵は飛月を口にくわえ歩きながら着物を着ると、部屋のあちこちにぶつかりながら出口へ向かった。足もとがやけにふらつく。頭の奥はひやりとしているのに体が変な酔い方をしているようでいうことをきかない。
建物を出て祥蔵は立ちすくんだ。
《ここからどこへ行けばいいんだ》
――泉だ。龍一様は、泉とおっしゃったではないか。
誰かが頭の中で言った。
《そうだ。泉。眞玉の泉……》
倉庫の段を降り素足のまま土を踏む。ふと目を上げると月の下半分が大きく欠けていた。そのせいで月の光も半減しているのだ。祥蔵は龍一の言った言葉を思い出した。
《月に影がかかるとき》
背すじがぞっとした。
《そうだ、龍一様は確かにそうおっしゃった。月に影がかかるとき、鬼が現れると。であれば今この時、咲子が鬼に襲われているかも知れないのだ》
急ごうとすればするほど足がもつれた。地面はぶわぶわと頼りなく道は黒い雲の中のようにひどく暗かった。その間を縫うように星がきらきらと流れてきている。
《馬鹿な。これは雲じゃない、土だ。そして流れてきているのは星ではなく水じゃないか。眞玉の泉の流れだ。この先に咲子がいるんだ。しっかりしろ。水だけを見て歩くんだ》
祥蔵は水だけを見て歩いた。
◎◎
龍一は竜泉をのぞきながら焦りを隠せないでいた。眞玉神社の周りがひどく曇って龍一の力も声も祥蔵に届かなくなっていた。飛月の光も、み失っていた。これでは雷神を飛月に宿すことができない。空の月が次第に欠けていく。
竜泉には龍一のみたいものは映らず、ただ繰り返し同じ霊像が現れては消えていた。
白い服を着た女、闇色をした影、切り裂かれる祥蔵の腕と赤く染まる飛月……。
『俺がみたいのはこの時じゃない、今この瞬間なんだ。現在はいったいどこにいったんだ? 竜泉、答えてくれ』
龍一は赤い残像で目が曇らないよう気をつけながら榊の枝を泉に何度もつけた。
誰かが、後ろで言った気がした。
『現在って、なんだね?』
『つかめないものさ』
『過去って、なんだね?』
『とりかえしのつかないものさ』
『未来って、なんだね?』
『きたるべき、さだめさ』
『誰だ!』
龍一が振り返ると声はぴたりとやんだ。誰かがいた気配も入った気配も出ていった気配も何もなかった。
龍一はもう一度竜泉に向き直った。そうして絶望のため息をついた。
その時はすでにきていた。
◎◎
『やはり、あなたでしたの』
咲子は月を背にして現れた影を見て言った。影はどこかに身を隠したいかのようにおどおどと辺りを見回したが、自分よりも暗いものがないので闇を周りに広げることで満足した。そのため月の光は陰り空はいっそう暗くなった。そうして自信なさげに問いかけた。
『お前は……サクヤヒメか?』
女はにこりと微笑んだ。
『いいえ。私は咲子です』
影はまじまじと女を見つめた。
『違うのか? てっきり俺は、サクヤヒメの魂がこの時この場所に現れたのだと思ったのだが……』
咲子は細くなった月を眺めた。
『間違いではありません。サクヤヒメの魂もまた私の中にあります。私とサクヤヒメは同じもの。月が一つしかないように、私と彼女も一つの魂を分け合っているのです。その形、その光の在りようが異なるだけなのです』
影の声が力強くなり一歩大きく踏み出した。
『サクヤヒメ! やはりお前はサクヤヒメなのだな?』
咲子は影に向き直った。
『そういうあなたはニニギですね』
『そうだ。覚えていてくれたのか』
『咲子の間は忘れていました。今この場所に来て、あなたの姿を見た瞬間に思い出したのです。おそらく私の中のサクヤヒメが目覚めようとしているせいでしょう。サクヤヒメが本来の姿をとり戻し、本来いるべき場所に戻ろうとしているのです』
『ああ、サクヤヒメ。またお前に会えるのだな』
『ニニギ。あなたは、どこからいらっしゃったのです?』
ニニギははっとして女を見た。その声はその姿よりも先に現れた。もしニニギが生身であったなら、自分の頬に熱い涙を感じることができただろう。二千年の間捜し求め続けてきたものが今、目の前に現れようとしている。狂おしく引き千切られるような想い、その対象はまさにニニギが失っていた自分の心だった。
《サクヤヒメは俺の心の象徴なのだ》
ニニギはさらに彼女に近づいた。
『俺がどこからきたか? ああ、お前はそれを訊くのか? 二千年前のあの、お前を失った時からきたのだ。あの時から俺の時はとまり、俺の命の鼓動もとまり、俺の血の流れもとまってしまった。サクヤヒメ。お前の声を聞きお前の姿を見るためだけに俺は時と空間を越えてきた。その気の遠くなるような旅の経過はここでは言うまい。お前が俺のもとに帰ってくるのなら、あれらもすべて報われる気がする』
ニニギは女の体を抱きしめようと黒い両手を伸ばした。サクヤヒメは白い腕を上げそれを遮った。
『ニニギ。私の心も、魂も、そしてこの体も、あなたや私のものではないのです』
ニニギの動きがぴたりととまった。
『どういうことだ?』
『私の魂は私の愛する人たちのものです。私は魂の半分をこの地上においたまま、ククリヒメ様のもとに戻ります。私の体はこの月の光のようにはかないものですが、けして失われるのではなく、この空気中に溶けこみ愛するものをみ護り続けるでしょう』
ニニギの腕がだらりと力なく垂れた。
『お前の愛する者とは、いったい誰だ?』
『私の夫と、私の娘です』
そうしてサクヤヒメは誰かを紹介するようにくるりと後ろを振り返った。すると建物の向こうから飛月を握りしめた祥蔵の姿がちょうど現れた。祥蔵は嬉しそうに声を上げた。
『咲子!』
駆けよろうとする祥蔵に向かってサクヤヒメは真っ直ぐに手のひらを突き出した。
『来てはいけません!』
その声が咲子のものとは違っていたので、祥蔵は驚いてぴたりととまった。
『咲子?』
『祥蔵さん。私は以前の咲子とは似ていても、もう別のものです。私の本当の名はサクヤヒメ。サクヤヒメとは、二千年前にこの国に生きていた一人の女です。ええ、ここにいるニニギと同じ時代に生きていたものです。サクヤヒメは国の巫女で、ある重要な役目を負っていました。国の魂そのものといっていいような大切な宝ものを護っていたのです。彼女は、昼も夜もその宝を肌身離さず護り続けてきました。彼女の魂は宝の魂とより添い、いく年かを経るうちにほとんど二つは同じもののように思われてきました。彼女は宝を愛しました。そして宝も彼女を愛していると信じていました。彼女にとって宝は国そのものであり、すべての命の象徴だったのです。しかしある時、一人の男が国にやって来ました。そして彼女の国も宝も民も、彼に奪われました』
月の光を遮っている大きな影がぴくりと震えた。祥蔵はその影が人の形をしていることに初めて気がついた。鈴のような女の声が続いた。
『彼女は絶望し、どう生きていけばよいのか分からなくなりました。そこで宝の力の源である川の女神に自分の身を任せたのです。女神は彼女を深い眠りにつかせました。何故なら、彼女はあまりに宝と自分の魂を近づけさせ、国の魂とも分かちがたくむすびついていたので、彼女の動揺は地の動揺となり、彼女の涙は天の嵐となり、彼女の憎しみは人心の乱れとなる恐れがあったからなのです。彼女の魂が落ち着くまでには、時による癒しがどうしても必要だったのです。
二千年ののち、彼女は目覚めました。誰かに起こされたのではなく自然に目が覚めたのです。目が覚めてみると、そこは見たこともない場所でした。それだけでなく、自分がどこからきて、なにものであるかも分かりませんでした。ただかろうじて咲子という名前が浮かんできたのでそう名のったのです。咲子は何も分からぬ生まれたての赤ん坊のようでした。まわりは温かく優しさでつつまれていましたが、自らはなんのために生き、なにをみてよいのかも分かりませんでした。
しかしある時、一人の男性に会い、彼を愛しました。そして彼との間に新しい命が宿り、この世に生を受けました。これら奇跡のような愛が、咲子の周りを照らしました。咲子はそれで自分がみるべきものをみることができるようになりました。新しい光が咲子の心を照らし、遠い記憶も次第によみがえってきました。
ある夜、女神が現れ、咲子はいずれ、サクヤヒメに戻らなければならないと告げました。サクヤヒメに戻れば地上に居続けることはできません。女神はそれでも咲子に時間を与えてくれました。光がサクヤヒメの魂にまで染み透り、永遠に消えない火となるまで。
この二年間、私はなんと幸福だったでしょうか。あなたと美子とすごした一瞬一瞬を、私は忘れません。しかし時は満ちました。私は、私の姿に戻り、私の場所に帰らねばなりません。祥蔵さん。黙ったままいこうとした私を許してください。美子をよろしくお願いします。私が持っていたあの赤い石は美子の首にかけておきました。あれを私だと思ってください。あれを通して私はあなたと美子を遠くからみ護り続けています』
サクヤヒメは呆然としている祥蔵にそっと微笑むと、すいと吸いこまれるように泉のほうへ足を踏み出した。それが祥蔵には月の影のほうへ向かっているように見えた。
悲鳴のような声が自然と出た。
『咲子! いってはいけない! お前はその鬼に惑わされているんだ』
祥蔵にはサクヤヒメの言っていることが理解できなかった。ただ分かっているのは、自分のもとから咲子が去ろうとしていること、鬼が月に影をつくっているということだけだった。それで飛月をかかげて真っ直ぐに月に向かって走っていった。
『鬼め! 咲子は渡さん。この俺がお前を祓ってやる』
ニニギはサクヤヒメのほうにすっかり気をとられ、間近に迫って初めて祥蔵のほうを振り向いた。ニニギは何気なく腕を振り払った。飛月の刃を逸らすだけのつもりだった。飛月の力も祥蔵の力も、そのくらいではびくともしないだろうと感じていた。しかし案に相違して、ニニギの力は鋭く闇もろとも祥蔵の右腕を切り裂いた。祥蔵のうめき声とともに、その腕は飛月を握ったまま宙を飛んだ。赤い血潮を噴き出させながら、祥蔵は地面に崩れ落ちた。
サクヤヒメははっとして振り返ったが、そのまま悲しげに泉の中に消えていった。その口もとが小さく動いているのが見えた。祥蔵はかすむ目を精いっぱいみひらいて彼女の姿を最後まで見続けた。
『咲子……』
ニニギは祥蔵を一瞬の間見下ろしたが、すぐに泉の中へ自分も続けて入ろうとした。しかし泉は固く閉じニニギを拒んでいた。怒りにも似た絶望がニニギを突き上げた。太いため息とともに声が漏れる。
『サクヤヒメ。やはりお前はこの俺を拒み続けるのだな。二千年の時も俺を赦すには足りなかったのだな。そして今、俺はまたお前の愛するものを傷つけ奪ってしまった。時よ。お前は俺にとっては癒しではなく、果てのない牢獄だ。無限は有限を含むが、常に有限によって傷つけられ損なわれ続けていく不完全な世界だ。そこでは闇すらも完ぺきではない。サクヤヒメという名のまぼろしがある限り、俺は何にもなれず、償いよりも早く罪を重ねていきながら、なお光を夢み続ける中途半端な存在のまま、永遠にさまよわなければならぬのか』
影は震えながらいずことも知れぬ場所へ去っていった。
あとに残された祥蔵は失われていく自分の命を感じながら横たわっていた。しかし心はすでに失われたもののみを追っていた。
『咲子……サクヤヒメ……』
◎◎
『祥蔵!』
霧が晴れるように竜泉の曇りがとれた。月はまた強さをとり戻していた。その煌煌たる光の中に倒れる人影が映し出される。
『飛月は……』
血だまりの中に埋もれる飛月を探し出し、ためた秘文の力を注ぎこむ。
『あめにつくたま つちにつくたま ひとにやどるたま しおみち つきみち もえいずる いのちのたまをあつめたまひ ちとかぜとひよりうまれたる つるぎにひかりをやどしたまへ ひかりをもちて けがれをはらひ くまぢをとじて よをはらせ かみは きょにして みかたなしといえども てんをふるわせ くうをならし みちをてらす ひかりなり ほしのひかりは かがみとなれ かくるるたまは よみよりかえれ うつしよへ』
飛月は身震いをするように一瞬で目覚めた。その刀身は急激にまばゆい光を放ち始め、それは八方を隈なく照らして少し離れた祥蔵の体をもすっぽりとつつみこんだ。真っ青な祥蔵の顔が光に照らされ浮かび上がる。右腕は肩からちぎれなくなっており、おびただしい量の血が流れ出ていたが、光を浴びるうちに次第にとまっていった。
『祥蔵、いくな、いくなよ』
龍一は竜泉にかがみこむようにして祥蔵を見守り続けた。飛月の光はますます強くなり天までの太い柱となった。
やがてようやく祥蔵の顔に少しだけ赤みが戻り、息と鼓動が徐々に規則正しいものに変わっていった。龍一はほっと息をついた。
《大丈夫だ。祥蔵はかえってきた》
とたんにひどいめまいがして龍一は思わず竜泉を囲む岩にしがみついた。あまりにも多くの力を飛月に注ぎすぎてしまったらしい。緊張を解くと同時に飛月の光もふっと消え、あとには月の光だけが残された。
龍一が息を整えながらも祥蔵の姿を見つめていると、ぱたぱたと小さい足音がして人の声が向こうからだんだんと聞こえてきた。
『桔梗さんが言った光ゆうんは、ほんまにこの辺やったんかいな。おーい、誰かいらはりますか? 咲子さんでっか?』
本社影からひらりと浴衣を着た男が現れた。男は泉の前を見るなり仰天したように立ちどまった。
『なんや? あ、あんた、祥蔵さん。だ、大丈夫かいな』
男は駆けよったが祥蔵のそばでずるりと足を滑らせそうになった。
『うわっ。なんや、これ。ち、血やないか。こら、えらいこっちゃ。祥蔵さん。私が分かりますか? 秋男どす。菊水秋男ですよ。いったい、なにがあったんどすか? 咲子さんは、どこにいらはるん?』
祥蔵がうっすらと目を開けた。
『ニニギ……』
『え? なんやて? いや、でも、まだ生きてはってよかった。今、すぐに救急車呼んできますさかいな、気をしっかりもっててや』
秋男は言い残すと、ばたばたと着物の裾をひるがえさせながら慌ただしく去っていった。
龍一はそれ以上霊視を続けることができなかった。竜泉に映る眞玉神社の霊像が急速にうすれてゆく。龍一は岩に頭を乗せ天満宮の上に浮かぶ月を見上げた。月は真円に戻っていたが、その輪郭はひどくにじんで周りにもう一つの光の輪をつくっているように見えた。輪は大きくなったり小さくなったりを繰り返している。
『かえってゆく……かえってきた……』
うすれゆく意識の中で聞こえたのは自分の声だったのだろうか、それとも別のなにかだったのだろうか。
龍一は奇妙に満たされながら静かに目を閉じた。
◎◎
『鬼の名は、ニニギといったそうだ』
二週間後、涌谷の病院に入院している祥蔵に面会をして帰って来たあと、菖之進は龍一にそう告げた。
祥蔵は右腕を失うという大怪我をしながらも、無理に京都から涌谷に帰って来たのである。娘のことが気がかりで、と祥蔵は菖之進にその理由を説明した。しかし菖之進が病室に入ったとき、祥蔵の娘はいなかった。祥蔵は娘を見せたくないと思っている、そんな考えが菖之進の胸の中に飛来したが黙っていた。
祥蔵は菖之進に眞玉神社での出来事を報告しようとしたが、失血のショックからかあまりそのときの記憶がないようだった。覚えているのは、月を隠すくらいの大きな鬼が現れ、その鬼を咲子がニニギと呼んでいたこと、咲子を追いかけようとした祥蔵の右腕を、鬼が恐ろしい力で切り裂いたこと、その後咲子が泉の向こうへ消えていったことくらいだった。
しかし菖之進にとってはそれで充分だった。祥蔵の面会にはほかの守護者たち全員も同席させていた。いわばそれは龍一の予知の当否結果を検証する場であったのだ。そしてそれは見事に証明された。祥蔵の言葉を、万道でさえ信じた。いや、祥蔵の失われた右腕、そして、祥蔵のぞっとするほどに暗い目が、万の言葉よりも雄弁にその夜の恐ろしさを物語っていた。それは、守護五家が龍一を次期守護主と認めた瞬間でもあった。
菖之進は、龍一にはそこまでは言わず、ただ祥蔵の言葉をさらりと伝えた。
龍一は考え深そうにつぶやいた。
『ニニギ』
龍一の表情を見て、菖之進はうなずいた。
『お前が不審に思うのも無理はない。ニニギと聞いて、まず思い浮かぶのは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、つまりは天孫。天照大神の血統であるニニギ神は、言わば日本神話における第一級の神の一人だ。それが鬼となって現れ、しかも祥蔵の妻を襲ったと聞かされてもにわかには信じられぬだろう』
しかし龍一ははっきりとした口調で言った。
『いえ、父上。もしかすると、本当に祥蔵が見たのはニニギ神かも知れませんよ』
菖之進は驚いたように龍一を見た。龍一は説明した。
『あのとき、何故か途中まで竜泉が曇っていて、私には鬼の姿まではみえませんでした。しかし竜泉の霊視の方向は眞玉神社に向いていたので、あそこにいたものたちの気配は感じることができたのです。祥蔵と、祥蔵の妻と、そしてもう一つ大きな影がありました。あれほど大きな霊力をもつものを私は今までに知りません。あれがただの悪霊でないことは間違いありません。あのような強い力をもつものは、確かに神と呼んでもいいのかも知れない、そうも思うのです』
菖之進は黙って龍一を見ていた。あの夜の出来事は菖之進も宮司舎の自室にいながらほぼ感じとっていた。眞玉神社に現れた鬼の巨大な力も菖之進にはみえていたのだった。
《確かにあれはただの悪霊ではない。暗き闇に満ちてはいたが、大きな力と意志をもっていた。鬼には違いない。が、鬼と神とは紙一重。いや、人は鬼を神と呼び敬うことで、その力の方向を変えようとしてきたのだ。それが闇を光に変えるこの国のやり方。であれば、ニニギ神が鬼であるのもまた不思議ではない。しかもこの国でもっとも力の強い鬼の一つだろう》
だが菖之進は今回と同じくらい強い力をかつて感じたことがあるのだ。それはつい昨年の秋のことで、その主は今、菖之進の目の前に座っている……。
菖之進は胸の中でそっとため息をつき、それから龍一に言った。
『ともかく今回のことで、ほかの守護者たちもお前の力をはっきりと知り、お前を次の守護主と認めたようだ。これからはお前も守護者との仕事がやりやすくなるだろう』
『はい』
龍一は菖之進ににこりと微笑んでみせた。菖之進はいぶかしげな思いでそれを見た。このような笑顔を龍一はしなかったはずだ。
『では、父上。私は自分の部屋に戻ります。今夜中にこれを読んでしまいたいので』
龍一はそう言って綴じられた和紙の束をとり上げた。それは菖之進が手ずからしたため龍一に与えたものだった。土居家に伝わる基本的な秘文をすべて書いてある。
丁寧に礼をして去っていく龍一の後ろ姿を見ながら菖之進は思った。
《龍一は強い。あの霊孤が言ったとおりだ。すでにあの子は土居家当主としての強さを身につけ始めている。内と外の結界を会得するのもそう遠いことではないだろう》
そうなるように願い仕向けたのはほかならぬ菖之進自身なのだ。しかしそれは菖之進にとってもつらい選択だった。龍一の内なる結界は、龍一と菖之進との間にも高く厚い壁をつくるだろう。結界は差別せずすべてのものにはたらく。
《しかしそれでこそあの子を守ることができるのだ。わしの役目は守ること。愛されることではない》
菖之進は自分の中の寂しさをうち消すように筆をとった。龍一に教える次の段階の秘文を書き記すためである。今まで菖之進が様々な場面に応じてどんな秘文を唱え、どんなふうな結果を得たかを、すべて表すつもりだった。
《これは大部になるぞ》
特に結界の巻は充実したものになるだろう。菖之進は自分の人生で得たすべてを龍一に託すつもりだった。龍一ならこれを完全に受け継ぎ生かしてくれることだろう。
《龍一。もっと強くなれ。そして生きぬけ。それによって、わしも、土居家も、生き続けることができるのだ》
(四)
◎◎
菊水可南子(きくすい・かなこ)は大きな欠伸をした。母の桔梗がたしなめる。
『なんです、可南子。お行儀の悪い』
可南子はイ草の座布団の上にごろりと横になった。
『そやかて暇なんやもん。お母さん。いつまでここにおるん?』
『お盆まではいるつもりよ。言ったでしょ。お祖母さんのお手伝いがあるからって。あなた暇だったら、夏休みの宿題をやっちゃいなさい』
『宿題なんて後半にやるもんや。あーあ、中学の最初の夏休みやのに、あと二週間も無駄にせなあかんとはしょーもないこっちゃ』
『秀馬(しゅうま)君はどうや? あの子と遊びに行ったら、ええんちゃうか?』
父の秋男が新聞を読みながら言った。
秀馬というのは桔梗の一つ上の姉、桂(かつら)の末息子で、可南子とは一番年の近い従兄だ。大学二年生で現在は両親と北海道に住んでいるが、可南子たちと同じく母の実家に帰省してきている。可南子の母方の祖母は勅使河原椿(てしがわら・つばき)といって、仙台市の北山に大きな古い家の中に一人で住んでいる。今年は桔梗たちの亡き父の七回忌のため親戚一同が集まってきているのだ。勅使河原家は旧家で法要の規模も大きなものになるので、身内の者はその準備のため早めに来ていた。
『秀ちゃんはサーフィンに行くゆうんやもん』
『一緒に行ったらええやないか』
『いやや。日に焼けてまうやん』
『日に焼けるくらいええやろ』
『よくないわ。将来シミになったらどうすんのや』
『そんなもんでっか?』
秋男は軽く笑って新聞をめくった。新聞といってもスポーツ新聞である。
可南子は下から紙面を見上げた。女性の水着姿の写真がでかでかと載っている。
《ようこんな、スポーツとゴシップとエッチな記事しかない新聞を朝から熱心に何回も読み返しはるわ。そやからお母さんに呆れられるねん》
と思いつつ訊いた。
『お父さんかて暇そうやん。お母さんはこっちに用事が色々あるやろうけど、お父さんはこれからずっとスポーツ新聞読んですごすん?』
『あなたの借金をまるごと引き受けます=Aか。またぎょうさん詐欺の広告が載っとるわ。……なあに、お父さんもこっちで仕事があるんや。人に書を教えに行くことになっとるんよ。今日がその仕事始めなんや』
『ふうん』
そこへ、ごめんください、という声が玄関のほうから聞こえた。秋男は顔を上げた。
『おや。言ったそばから迎えが来たかも知れん』
桔梗が隣の部屋から言った。
『可南子、ちょっと出てちょうだい。お母さんは手が離せないから』
『はあい』
『土居さんやったら客間にお通ししといてんか。用意してすぐ行くゆうてな』
秋男にうなずきながら可南子は廊下に出た。うす暗い廊下に出るとひんやりとした空気が気持ちいい。可南子は避暑気分で両親について来たのだが、期待ほどには仙台は涼しくなくがっかりしていた。勅使河原の家にはエアコンもない。しかしそれでも夜がそんなに寝苦しくないのでよかった。古風な蚊帳の中に寝るのも最初は面白かったが、二日もするとどうということもない。
《やっぱ、秀ちゃんと海に行こうかな》
これから二週間もスポーツ新聞を読みふける父と法要の準備でぴりぴりしている母とすごすことを考えると、可南子は気が滅入ってきた。
明るい日射しが玄関の木枠どおりに区切られているのを背にして立っている男性客は、顔が陰になってよく見えなかった。客は可南子を見ると丁寧にお辞儀をした。
『土居です。菊水先生をお迎えに上がりました』
可南子は上り口に膝をついた。
『ごくろうさまです。用意にしばらくかかりますので上がって少しお待ちください』
客は言われるがまま下駄を脱いで、上がりかまちをまたいだ。
『こちらです』
玄関わきの客間に案内しながら可南子は客の顔をちらりと見た。案外若かった。
客が座布団の上に正座するのを見届けると、可南子は秋男に報告に戻った。
『お父さん。土居さんがいらっしゃったで』
秋男は書の道具を風呂敷の上にまとめていた。
『そうか。お父さんは着替えてから行くからな。麦茶でもお出ししといてんか』
『土居さんて菖之進のじいさんのことやろ。今来たんは若い男の人やったで。守護家のうちの誰かやろか』
秋男は巻いた和紙を広げて見ていたが顔を上げた。
『土居って名のりはったんやろ? そんなら来はったんは龍一さんやろ』
『龍一さん?』
可南子はびっくりした。
『そうや。菖之進さんの養子にならはったお子や。確か可南子さんよりも二つ年上やったはずやけどな』
『二つ?』
可南子はさっき見た客の顔を思い出そうとしたがうまくいかなかった。守護家の者だとばかり思っていたので、若いなとは思ったが、それにしても大人だとばかり思っていたのだ。可南子よりも二つ上というと、まだ十四、五歳である。
『なんや。きちんと挨拶せえへんかったんか? あんたにとっても親戚なんやで。ええと、桔梗さんの従兄弟にあたるわけやから、可南子さんにとっては、いとこおじ、ゆうことになるわな』
『いとこおじ? 変なの』
秋男は笑った。
『まあ、仙台の親せきすじでは一番年の近い者同士ゆうことになるから、いとこや思うてたらええやろ。お父さんは菖之進さんに頼まれて龍一さんに書を教えに行くんや。初日には本人を迎えに行かせます言わはってましたからな、龍一さんが来たのに間違いないやろ。ほれ、見てみなはれ。事前に龍一さんの書いたものを送ってもろうたんやけど、なかなかええ字を書きはるやろ。久々に教えがいがある子が出てきたとお父さんも楽しみにしているんや』
そう言って秋男は、さらさらと長い和紙を可南子にも見せた。細い線だが、のびやかで流れるような字体である。
『もう少し緩急がつけば、よりリズム感のある書になるはずや。まだ筆に対する固さがとれとらんのやな。でも、この子のええとこは全体のバランスがようとれとるとこや。字がバラバラになっていなくてつながりがある。そやから紙の白いとこが生きとるんや。菖之進さんに教えてもろうたんやろうけど、あの人の字とはまた違うよさがあるなあ。ちゃんと個性がある。うん。ええ子や』
秋男の『いい子』というのは『いい字』と同意語なのだ。秋男はほくほく顔で紙をくるくると巻き直すと、着替えのために別室に去っていった。
可南子は冷たい麦茶を汲んで客間に運んでいった。
茶卓をさし出すと客は、
『どうも』
と言ったきりまた読んでいた文庫本に目を落とす。可南子はちょっとむっとして、
《なんや、えらい愛想のない男やな》
と思いながらも秋男に言われたことを思い出してしぶしぶ挨拶をした。
『あのう、私、菊水可南子いいます。初めまして』
男は目を上げると本に指をはさんだまま、
『土居龍一です。どうぞよろしく』
と言った。可南子は頭を上げてまじまじと相手を眺めた。男も遠慮なく真っ直ぐに見つめ返してくる。しかしその目は本にそそぐ視線よりも明らかに不熱心であった。可南子はそのような視線に慣れていなかった。
可南子は自分の美貌を知っていた。可南子を見ると男女を問わず常にその目の中には感嘆の色が浮かぶ。可南子にとってそれは鏡に映る自分と同じように自然なことだった。特に自分と同年代の男性にとってそれは顕著なことであるはずだった。しかし龍一にとって可南子は一冊の本よりも魅力のないものであるらしい。
それで可南子は余計に目の前の人物に興味をひかれた。
ちらりと本の題名を読むと『和漢朗詠集』とあった。
『あなた、ほんまにまだ中学生?』
『そうですよ』
龍一の目が面白そうに光った。それは自分が可南子の目にどう映っているか知っているかのようだった。
『私は中学一年や』
『知っていますよ。菊水先生の娘さんでしょう』
『あんたは菖之進のじいさんの息子さんやな』
『ええ』
『そうするとあんたは、私の、ええと、いとこおじ、ゆうことになるんやって』
『そのようですね』
『でも二つしか年が違わんし、私はあんたのとこをこれから龍ちゃん≠チて呼んでもええ? いとこらのことも、みんなそんなふうに呼んでいるから』
龍一の目がはっきりと笑った。
『別にいいよ。じゃあ、私はあなたを可南子≠ニ呼んでいいかな。何故なら私はあなたよりも年上だし、いとこおじ≠ニいう目上だからね』
ばちっと龍一の目と合って可南子の勝ち気がむくむくと頭をもたげてきた。優しげな風貌によらず龍一は気の強い人間であるらしい。秋男の言葉がよみがえった。
《ちゃんと個性がある》
そこへ秋男が用意を整えてやって来た。
『お待たせして、えろうすんませんでした』
龍一はぱたんと本を閉じると、秋男に向って丁寧に頭を下げた。
『土居龍一と申します。先生、お手数をおかけしますがご指導よろしくお願いいたします』
秋男はにこにこした。
『いやいや、こちらこそ、よろしゅう。さすが菖之進さんとこのお子や。礼儀正しくて気持ちええな。あ、そや。これはうちの娘どす。可南子、龍一さんに挨拶はすんだか?』
『すんだ』
可南子はぶっきらぼうに答えた。
『なんや可南子、その口のきき方は。少しは龍一さんを見習わな、あかんで』
秋男に言われて可南子は頬をふくらませた。龍一がにっこり微笑む。
『きれいなお嬢さんですね』
可南子は龍一を盗み見た。龍一の眉がわずかに上がる。お世辞だよ、と言っているのだ。可南子はにらみつけようと思ったが、反対ににやりとしてしまった。龍一を面白がっている自分がいる。
『ほな、そろそろ行きましょか。可南子。今夜は食事いらんてお母さんに言うといてな。菖之進さんとこでご馳走になる約束やから』
『お父さん。私も一緒に行ってもええ?』
秋男は驚いたように可南子を見た。
『ええけど、退屈やないか?』
『私も、ちょっと書のおけいこしようかな、思うて』
すると秋男はとたんに相好を崩した。
『そうか! そら殊勝な心がけや。お父さんがいくら教えようとしても逃げ回っとったあんたが、ようやくその気になってくれはりましたか。そうか、そうか。なら龍一さんと一緒に練習しはったらええ。ほんなら可南子さんの気が変わらんうちに出かけましょうな』
『お父さん。私は、ちょっと、ゆうたんやで』
『ちょっとでも毎日の積み重ねが大事なんどす』
秋男は聞いているのか聞いていないのか、さっさと立ち上がって廊下をどんどん進んでいく。可南子は龍一と並んでそのあとに続いた。龍一を見上げると向こうも気がついてこちらに微笑んだ。思いのほか人なつこい笑みだった。それで可南子もにこりと笑い返した。
◎◎
結局可南子は仙台にいる間、ほとんど毎日のように躑躅岡天満宮へ、秋男と一緒に通った。
『可南子は龍一さんと気が合うんやなあ』
秋男は言ったが、可南子は自分と龍一が仲がいいのかどうかよく分からなかった。龍一は余計な無駄話はしないので、二人で同じ部屋にいても何時間も黙ったままということもよくあった。それにしても龍一は夏休みにも関わらず、どこにも遊びに行かず、家の中で本を読んだり書きものばかりしているのだった。たいていは天満宮や土居家の仕事に関するものだ。その合間を縫って書を習う。その上達ぶりは、
『一を聞いて、十を知るとは、龍一さんのことや』
と秋男が舌を巻くほどだった。秋男ががっかりしたことに可南子のほうは書道にすぐ飽きてしまい、筆を握ることもすっかりしなくなってしまったのだが。
たいがい秋男は午後一番に天満宮へ可南子と一緒に行き、前日に龍一が書いたものを見て指導する。書を見るのは四方を書棚に囲まれた宮司舎の広い書斎の中と決まっていた。三十分ほどで秋男は勅使河原家に帰るが、可南子はそのあとも天満宮に残って、龍一が書道や菖之進に言いつけられた祝詞作成などの仕事をしている様子を眺めたり、書棚のかび臭い本をめくってみたり、庭に下りて竹林の間を散歩したりするのだった。ときには暗くなるまでいて築山が用意した夕食を食べていくこともある。
龍一に時間があるときには碁をした。二人とも碁ができたからである。
《確かに、なんで特に面白いこともないのに毎日ここに来るんやろなあ》
ぱちり。と碁を打ち、夕闇に揺れる庭の撫子(なでしこ)の花を見ながら可南子は思った。
ぱちり。龍一が打った。
可南子はちょっと次の手を考えた。局面は中盤にさしかかり二つの色の石がぶつかり合うことが多くなってきている。
ぱちり。
『龍ちゃんの番やで』
龍一はちらりと碁盤を見るとすぐに石を打った。ぱちり。龍一の石は白だ。可南子は黒。碁は先手が有利で、先手は黒が持ったほうと決まっている。龍一のほうが可南子よりも若干上手(うわて)なため、可南子がいつも黒を持つことにしている。それでもそれ以上のハンデはつけていないし、三局に一度は勝つので、可南子は自分では龍一との実力の差はほとんどないと思っている。
ぱちり。
ぱたん。龍一が碁を打ちながら書いていたノートを閉じて可南子に渡した。
『全部終わったよ』
可南子は喜んで受けとった。
『おおきに、龍ちゃん』
『夏休みの宿題くらい自分でやれよ』
『そやかて量が多いし、龍ちゃんがやったほうが早いんやもん』
『そりゃ、中学一年の問題だからね』
『龍ちゃんはもう自分の宿題終わったん?』
『まだだよ』
『やらんで、ええの?』
『宿題はいつも最終日にまとめてやると決めているんだ』
『へえ』
可南子は龍一に書いてもらったノートをぱらぱらとめくって、
『ああっ』
と叫んだ。龍一はちょっと目を上げたあと黙って石を打った。ぱちり。
『龍ちゃん。なんでこんな字で書くん? 先生にばれるから私の字に似せて書いてってゆうたやん』
『似ていないかい?』
『最初のほうはまだましやけど、あとのほうは全然だめや。ああ、どないしよ』
それを聞いて龍一は笑った。
『碁を打ちながらだから自分の字が出てしまったみたいだ。人の字に似せるのは難しいよ』
『こんなん、絶対親に書いてもらったと思われるやん』
『いい考えがあるよ。可南子も夏中、書の練習を積んだらいい。そうしたら休みの間に字が上達したんだって言えるだろ? 私の字は菊水先生に習ったものだからちょうどいい。可南子が私の字を真似ればいいんだ。先生にはお父さんに書を教えてもらったと言えばいいんだから』
『夏中、書の練習? そんな辛気くさいこと、やってやれんわ』
『宿題は終わったんだから時間はたっぷりあるじゃないか』
『あーあ』
可南子はため息をついた。それで龍一はもう一度笑った。ぱちり。ぱちり。
可南子は気がついて訊いた。
『あれ、龍ちゃんって左利きだったん?』
『右利きだよ。でも碁だけは左で打つんだ』
『へえ、なんで?』
『何故かな。たぶん最初に碁を習った人が左利きだったからじゃないかな』
『龍ちゃんが碁を習った人って、誰?』
『椿さんだよ』
可南子はびっくりした。
『椿さんって、勅使河原の祖母さんのこと?』
『そうさ』
ぱちり。
『なんや。龍ちゃんの碁のお師匠さんは椿ばあさんやったんや。どうりで強いはずやわ。私に碁を教えてくれたんはお母さんやけど、お母さんはお祖母さんから習わはったゆうてたもんなあ。師匠のそのまたお師匠さんやったら、そっちのほうが上やろからなあ』
ぱちり。
『可南子の番だよ』
可南子は碁盤を見た。
『あれ。終わりやん』
龍一はにこにこしている。
『なんや、龍ちゃん。珍しく嬉しそうやねえ』
いつもの龍一は勝ってもあまり顔に出さない。
『今日は難しかったよ』
『そう?』
『角数が多いからね。だから自分の向きで作ったんだ』
可南子はきょとんとした。
『何のことを言っとるん?』
龍一は碁盤上を指さした。
『これさ』
可南子は眉をよせてじっと見た。黒と白の入り組んだ戦いのあとがある。
『そやから、これが何か……。あっ!』
『子≠熏ろうと思ったけれど無理だったね』
龍一が言った。碁盤の上ではいつの間にか黒石が『撫』という字を描いていた。
『なでしこ?』
可南子は脱力感に襲われながらつぶやいた。ちらりと振り返ると、庭の撫子は部屋の明かりを浴びて無心に紅色の点々を描いている。
『龍ちゃん』
『なんだい』
『あんた、私をこけにしとるん?』
『そんなことはないよ』
そう言いつつも龍一の頬はゆるんでいる。可南子はぷりぷりして言った。
『その態度が、こけにしとるゆうんや。もっとちゃんと勝負してや!』
『でも可南子は置碁(おきご)をするのを嫌がるじゃないか』
『だから私の黒で字を書いて遊んどったんか? ほんま厭味なやっちゃ。さすが椿ばあさんの弟子や。いやらしいとこがそっくりや』
龍一は扇子を開いてぱたぱたと自分を煽いだ。
『悪かったよ』
そう言う口もとは隠れているが目がまだ笑っている。可南子はそれで余計に腹をたてた。がちゃがちゃと音をたてて自分の黒石を碁笥(ごけ)の中にしまう。『撫』の字はたちまち崩れてなくなった。
『龍ちゃん。もうひと勝負や。今度は手をぬかんといてや』
『じゃあ置碁をするかい?』
『ええよ。なんぼくらい?』
『うーん。九子くらい』
『ええっ。星全部に置くの?』
『いやならいいけれど』
『いやなことなんてあらへん。その代わり真剣勝負やで。ええな』
可南子は鼻をふくらませながら、ぱちん、ぱちんと黒石を盤上に九つ置いていった。盤面には全部で九つの黒い点が描かれてあって、それを星という。対局者同士の実力に差があるときは、ハンデをつける方法としてあらかじめその差に応じて石を星の上に置くのだ。もちろんたくさん置碁をしたほうが大きいハンデになる。
黒の置碁をしたときは先手は白になる。
ぱちり。龍一が第一手を打った。ぱちり。
『もしかして、今までもずっと字をつくってたんやないやろね』
ぱちり。
『さあてね』
可南子はむっとしてしばらく黙ったまま打ち続けた。ぱちり。ぱちり。
龍一は話しかけられないと口を開かないので、書斎の中はしばらく石を打つ音だけが響いていた。ぱちり。ぱちり。
時折、さあさあと竹林の鳴る音が交じる。ぱちり。ぱちり。
可南子は石の鳴る音と竹の鳴る音を聞きながら、次第に自分の中が無になっていくのを感じた。書斎の中にひょうひょうと庭からの風が吹きとおる。風にまで竹の匂いがついているようだった。
《ああ、気持ちええな》
今日は新月だ。竹林の向こうには降るような星空が広がっている。
『あんなあ』
『うん』
『今日は私の誕生日なんや』
『知っているよ』
『ほんま?』
『だからさっき宿題をしてあげただろ』
『あ、そうなん』
『そうさ』
ぱちり。ぱちり。
『ありがとう』
『どういたしまして』
『龍一様』
外廊下に築山が現れ膝をついた。
『菖之進様がお呼びです。北の間にいらっしゃるようにと』
『わかった。可南子。ちょっと待っていてくれ』
『うん』
龍一はすっと立ち上がり、内廊下に出て見えなくなった。そうかと思うとすぐに戻って来た。
『早いな、龍ちゃん』
『可南子。悪いけれど碁はもう終わりだ。父上に用事を頼まれた』
『ええー』
『また今度な』
『龍一。こっちだ』
意外にも菖之進の声は、の向こうから聞こえてくる。
『ただ今、参ります』
龍一は返事をすると濡れ縁から庭に下りた。可南子も廊下に出た。
『用事ってどういう用事?』
『蔵の中で捜しものだよ』
『えっ。この夜に?』
『急ぎなんだそうだ』
可南子はさっきよりもずっと腹がたった。
『そんなん、菖之進のじいさんが自分で捜せばええことやろ。なんで来客中の龍ちゃんをわざわざ呼びつけんるんや』
龍一は内庭に立ったままくすくすと笑った。
『可南子は客とみなされてないんじゃないか?』
……確かにそうかも知れない。
『龍一』
菖之進の姿が庭木の向こうから少しのぞく。天満宮の蔵はこの内庭の先にあるのだ。そちらに向かって歩き始めた龍一に可南子は声をかけた。
『この碁盤はどうする?』
『次までそのままにしておこう。そうだ、可南子にもう一つプレゼントがあったんだ』
そう言って龍一は着物の袂の中から何かをとり出すような仕草をした。するといくつもの光がふわりと夜の闇の中に飛びたった。
『あ、蛍や』
蛍はそこかしこに動き回って光で気ままな絵を描いていった。
そのうちの一つが龍一を追い越して、ぴたりと宙にとまり点滅を始めた。よく見るとそれは菖之進の後頭部だった。菖之進のはげ頭が蛍の青い光に照らされて庭に降りたまん丸の月のようにぼんやりと浮かび上がっている。可南子は思わず噴き出した。
龍一はちょっと振り返っていたずらっぽく片目をつむってみせ、それから菖之進のあとをついて木の陰に消えていった。
可南子はしばらくうっとりと飛び回る蛍を眺めた。ふと部屋の中に目をやると碁盤の上に一匹、特別な色の石のように蛍がとまっていた。それは星のようにも見えた。
可南子はふいに龍一が言った言葉を思い出した。
碁は、なぞらえる部分が大きいから好きなんだ
可南子はその意味が分かった気がした。勝負から離れて見る碁盤は、様々な光にあふれた空にも、花木に彩られた山河にも、どのようにも想像することができる。きっとその世界にも撫子が咲き、蛍が行き交っているのだろうと可南子は思った。
『可南子様。お食事をしていかれますか』
外廊下から築山が訊いた。
『ううん。もう帰ります。築山さん。北山まで送っていってくれはりますか』
『かしこまりました』
部屋を出る前に可南子はもう一度内庭を振り返った。蛍は飛び回るのをやめ思い思いの場所で休んでいる。
可南子は一つにっこりすると、築山のあとをついて部屋を出た。
歩きながら思った。
あの蛍たちはついにはどこかへ去り、撫子はいつか枯れるだろう。しかし可南子の世界には、今日この時が刻まれて永遠に生き続けるに違いない。そしてそうだ、碁盤はまだ未完成なのだ。終わっていないというのはなんと楽しいことだろう。
『築山さん。明日も迎えに来てくれはりますか。龍ちゃんとの碁の勝負がまだついてないんや』
可南子はそう言って笑った。
(五)
◎◎
萩英(しゅうえい)学園高校の二年二組に在籍する藤田隼人(ふじた・はやと)は、最近、二年一組の土居龍一(つちい・りゅういち)という男子学生の存在がどうも気になって仕方なかった。
萩英学園は一学年で四クラスしかなく、一組と二組は男子、三組と四組は女子と分かれている。三年間を通してクラス替えはないので、隼人は入学時からずっと二組であって、土居龍一と同じクラスになることはない。
一年のときはほかのクラスの生徒とあまり話す機会もなかったが、二年に上がると科目によってはクラス単位ではない授業も多くなる。
数学Uで隼人は土居龍一と一緒の授業になった。それまでは顔を見たことはあっても名前すら知らなかったのが。
隼人自身、誰とでもうち解けられる性格なので、同じ授業になった他クラスの生徒たちと男女を問わずすぐに友達になった。しかし土居龍一とは一年をほぼすぎても、ほんの数えるほどしか会話を交わしたことがない。土居龍一は授業にはきっちり出てくるが休み時間になるとすぐに教室からいなくなってしまうからである。隼人は《変わったやつだな》くらいにしか思わなかった。
二学年も終わりにさしかかったある冬の日。
数学Uの授業は受けもちの教師が休みのため自習時間となっていたが、教室内は目前に控えた学期末試験への準備でぴりぴりしていた。生徒たちは文字どおり『自習』に励んでいた。
『隼人。お前、これもう解いたか?』
同じ二組のトモキという男子生徒が、隼人に訊いてきた。
『いや、まだだよ。それ、先生がこの中から必ず一問出すって言っていたやつだろ』
『そうだよ。十問あるけど、まだ一問しか解けていないんだ。全部記述式で、みんなえらく難しいぜ。大学の二次入試レベルって言っていたのは本当だな』
隼人はさし出された問題を読んだ。
『複素数の問題だな。うーん……』
隼人は数式を書いて問題を解こうとしたが、なかなか解が得られなかった。
『やれやれ。学年一番の隼人でも手こずるか。ハセ。お前はどうだ?』
『俺もまだだよ。……そうだ、土居。お前の回答を見せてくれないか』
ハセと呼ばれた生徒が窓際の一番後ろに座っていた男子生徒に声をかけた。そして相手から受けとった紙に目を通す。
『白紙か。いや、解だけ書いてあるな。問い一が四十五度で、問い二が二十八か。ふーん。で、計算式はどこに書いてあるんだ?』
『頭の中で計算したから、ないよ』
『なんだ。でもこれは記述式だから試験のときは式も書かないとちゃんと点をもらえないぞ』
『そうか?』
ハセは土居龍一の答案用紙を一枚一枚めくった。
『全部、解だけしか書いていないじゃないか。……おい、どこに行くんだ?』
『これ、自習だろ。ちょっと図書館に行ってくるよ』
『どうせまた寝にいくんだろ』
相手はちょっと笑みを浮かべると、すたすたと出口に向かって歩き始めた。ハセはそれに向かって紙をひらひらと振った。
『これ、ちょっと借りてもいいか?』
『あげるよ。もういらないから』
『サンキュー』
ハセはにこにこして土居龍一の残していった用紙を自分の机に置いた。トモキがそれを疑わしそうに眺めた。
『そんなもん、もらってどうするんだ。式も書いていないなんて、解もどうせ適当だろ。それに、あいつ、そんなに数学の成績もよくなかったじゃないか』
『いや、たぶんけっこうあたっていると思うよ』
ハセがやけに断言するように答えた。
『あいつに教えてもらったものが間違っていたことはないから』
『嘘だろ?』
そのとき隼人が顔を上げた。
『少なくとも、さっきの複素数の問題については、あたっている』
そうして自分の回答用紙を二人に見せた。長い計算式の後ろにそれぞれ解が書いてあり、それは土居龍一が書いた数字と同じものだった。
トモキが目を丸くした。
『マジかよ。あいつ、何ものだ?』
ハセが答えた。
『土居龍一って、いうんだよ』
『そのくらい知っているよ。一年間同じ授業を受けてきたんだからな。でも成績も中くらいだし、目だたない奴じゃないか。あ、ハセは一組だからあいつと同じクラスなんだよな。どんな奴なんだ? 頭いいのか?』
『成績は確かに普通だよ。先生にあてられても分からないって答えるときも多いし。でも頭は悪くないと思う。やろうと思えばできるんじゃないかな。ただすごい気分屋っていうか、やる気のないときには何もやらないんだ。休み時間や自習になるとすぐにどこかに行っちゃうし、クラブにも入っていなくて、授業が終わるとさっさと帰るんだ。ま、確かに変わり者だよね。でも割に親切なとこもあるんだ。自分からは口をきかないけど、こっちから訊くと今みたいに教えてくれたりもする』
『式なしの解とか?』
『まあね』
ハセが笑った。
『じゃあ、本当はできるやつなんだな。土居も、国立大受験組か?』
『いや。進学はしないみたいだぜ』
『就職組か。だから成績もそんなに気にしないってわけか』
『就職もしないんだとさ』
『なんだ、それ』
ハセはちょっと声をひそめた。
『家業を継ぐことになっているんだそうだ』
ハセの口もとに耳をよせたトモキは体を起こした。
『そういうことかよ。別に内緒にするようなことでもないじゃないか』
『でも、その家業がちょっと変わっているんだ。神社なんだとさ』
『神社?』
『そう。躑躅岡天満宮があいつの家なんだ。面白いだろ?』
『ほんとかよ。俺、あそこの絵馬をもっているぞ。なんだ。土居の家だったのか。じゃあ今度あいつに合格祈願をしてもらおうかな』
『そいつはどうかな。あいつの気分屋がうつるかも知れないぜ』
ハセとトモキは顔を見合せてにやにやした。
『どうした、隼人。むっつりして。あ、次の問題も解けたのか?』
隼人はうなずいた。トモキは、隼人の書いた式を見た。
『ああ、なるほど。こう解くのか。さすがだな。おい、ハセ』
『ん? どれどれ。うん、土居の結論と同じだな』
『また正解か。土居って、いつも図書館で寝ているのか? あのハデハデの司書のおばさんに注意されないのかな』
『黙認されているんじゃないかな。なにせ一年の時からの定位置だから』
『惜しいな。神社なんかに生まれなければ出世できたかも知れないのに。いくら成績を上げても将来が決まっているんじゃやる気もでないんだろう』
『トモキは法学部志望だっけ。将来は弁護士か?』
『まあ、一応司法試験を受ける気ではいるよ。ハセは理系だろ。何学部を目指しているんだ?』
『工学部だよ。ロボットを作るエンジニアになりたいんだ』
『いいね。隼人はもちろん医学部だもんな』
『もちろんって?』
『隼人の家は代々続いた医者の家系なんだよ。祖父さんも、叔父さんも、父親も、みんな医者なんだとさ』
『すごいな。それで隼人も医者になるってわけか』
『まだ決めたわけじゃないよ』
隼人は苦笑いした。トモキが訊く。
『でも、病院を継がないといけないんだろ』
『そんなことはないよ。兄貴が去年医師試験に合格したからね。親父の病院は兄貴が継ぐことになると思うよ』
『そうか。ま、隼人の成績なら医学部だろうが法学部だろうが、どこの大学のどんな学部でも問題なく入れるもんな』
『そうでもないさ。それに大学は入ったあとのほうが大変だからね』
『入ったあとのことなんて今はどうでもいいよ。入学しなけりゃ何も始まらないんだから』
『俺なんて、来週の試験のことで頭がいっぱいだよ』
ハセがため息まじりで言った。
『そりゃ、そうだ』
そこで終業のベルが鳴った。ハセは腕時計を見た。
『おっと、もう終わりか。土居は結局帰ってこなかったな』
隼人は教科書を持って立ち上がった。トモキもそれに倣う。ここは二年一組の教室なので、二人ともホームルームのためいったん自分のクラスに戻らなければならない。
『じゃあな、ハセ。土居先生にもよろしく伝えておいてくれ。俺も解を写させてもらったからって』
『あいつはもう帰っただろ。数Bの受けもちは俺たちの担任だからホームルームもないし』
『だって、教科書も全部置いていっているじゃないか』
『だから、あいつはいつも手ぶらで登校してきているんだよ』
『さすが先生は違うな』
トモキと隼人は、ハセと笑い合って別れた。
廊下に出て一緒に歩きながらトモキは隼人に言った。
『そういや、土居って、けっこう女子にもてるみたいだぜ』
『へえ。まあ、確かに背も高いしな』
『そうだろ。この間のバレンタインデーなんか、すごかったらしいぜ』
『なんだよ。チョコを持った女の子が土居の前に行列をつくっていたとでも言うのか?』
『違うよ。休み時間になると、チョコを持った何人もの女の子が土居を探して校内中をうろうろしていたそうだ』
『探して?』
『だからさ、休み時間になって土居にチョコを渡そうと女の子が教室に行っても、土居はいつもいないっていうのさ。ハセなんか土居の居場所を何度も訊かれたらしく、うんざりしていたよ』
『図書館にいたんだろ』
『それが、ハセが昼休みに図書館に見に行ったらいなかったんだと。土居がいつも図書館で寝ているっていうのは、割に知られていることらしいから、たぶんその日は別な場所にいたんじゃないかな。結局チョコを渡せた子は、一人もいなかったらしいぜ』
『へえ』
隼人は感心して相槌をうった。
『ところで隼人は今年は何個もらったんだ?』
訊かれて隼人は指を折って数えた。
『ええと、十個くらいかな。といってもみんな義理チョコだよ。生徒会とバレーボール部と、それから授業で一緒になっている子たちからだから』
『何言っているんだ。俺なんて授業で一緒の子からなんて一個ももらっていないぜ。お前だけだよ、もらっているのは』
『それでも義理には変わりないよ。だってくれるときの口上がいつも勉強を教えてくれて、ありがとう≠セからな。ま、お歳暮みたいなもんだよ』
トモキは噴き出した。
『そうか。一年間ありがとう、これからもよろしくって、ことだな。じゃあ俺もいつも数学を教えてもらっているから、隼人に何かやらないと。ええと……』
トモキはズボンのポケットを探った。
『あ、あった。これをやるよ。アイスのあたり棒だ』
隼人は笑った。
『いらないよ、そんなもの』
『だってこれも一応、チョコアイスだぜ』
『この寒いのにアイスなんて食べないよ』
『アイスは年中必要な食べ物だぞ。まあ、いいや。来年はちゃんとチョコを渡すよ』
『お前からのチョコなんて、いるわけないだろ』
『はは。そうか。でも、さっきお前はもらったチョコの中で一番重要なものにふれていなかったぞ』
『え、なんだよ?』
『一年の舞(まい)ちゃんから、もらっただろ。なんで言わないんだよ』
隼人はため息をついた。
『それこそ、義理にもなりゃしないよ。舞は俺の妹だ。知っているだろ』
『でも、もらったんだろ』
『そりゃ、もらったよ。家でね。しかも自分で作ったらしく、やけにいびつな形でさ』
『手作りかよ。いいなあ』
『よくないよ。固いし、ばかでかいし、食べきれなくてまだ冷蔵庫の中にしまってある』
『それでも舞ちゃんの手作りチョコだぞ。萩英の男で、それを欲しいやつはごまんといるんだからな』
『欲しけりゃ、やるよ。俺の歯形つきでいいなら』
『いらないよ。……ところでそのチョコ、ほんとにお前がもらったものか?』
『どういうことだよ?』
トモキは教室の自分の席につきながらぼそぼそと言った。
『実はさ、さっきの話のチョコを渡そうと土居を探していた女の子の中に舞ちゃんもいたっていう噂があってさ』
『なんだって?』
隼人は思わず声を荒げた。
『落ちつけよ。俺が実際見たわけじゃないんだから。あくまで噂だよ。でもそれが本当なら、学校で土居に渡せなくて、仕方なく家に帰って兄貴にあげたってことなのかもなあ、と……』
隼人は押し黙ったまま席に座った。
『おい、隼人。怒ったのか?』
トモキが心配そうに顔をのぞきこんだ。
『別に』
『がっかりするなよ。どっちにしても土居にチョコは渡らなかったんだから、舞ちゃんのチョコはお前のものだ』
『そんなことはどうでもいいよ』
『舞ちゃんの淡い恋心はほろ苦い結果に終わったか。それでもそれを家族には言わず、もとから兄貴のために作ったもののように明るい笑顔のまま家で渡す。うーん。可憐だなあ』
『ちぇっ。ばかばかしい』
『ま、可愛い妹が別の男のために作ったチョコを何も知らずに口にしていたと分かったら、兄貴としては心穏やかじゃないだろうけどさ。暖かい目で見守ってやれよ。いくら可愛がっても所詮は妹。いつかは自分の手もとから離れていくんだから』
にやにやして言うトモキに対し言い返そうとした瞬間、担任の教師が入室してきたので隼人は仕方なく口を閉じた。
担任の話を聞きながら隼人はつい舞からもらったチョコレートのことを考えた。確かにハート型というのはおかしいなとは思ったのだが。
《あれを土居に……?》
隼人は笑っていいのか腹をたてていいのか分からなかったので、そっとため息をついた。
◎◎
それから二週間ほど経った放課後、隼人が校舎の別棟へ向かう吹きさらしの廊下を首をすくめながら歩いていると、前のほうに背の高い後ろ姿があった。
《あれ、土居じゃないか》
見ていると龍一はくしゃくしゃに丸めた紙くずをぽいと屑かごに捨てた。何気なくその屑かごの中身を見て、隼人は思わず声を上げた。
『おい、ちょっと待てよ』
龍一は聞こえないかのようにすたすたと歩き続ける。隼人は龍一の捨てた紙を拾い上げると慌ててそのあとを追いかけた。
『土居、待てって』
真後ろまで追いついて龍一はようやく振り返った。隼人は数枚の紙をさし出した。
『これ、落としただろ』
龍一はゆっくりとした視線を隼人の手もとに落とした。
『落としたんじゃないよ。捨てたんだ』
隼人はちょっと声を高めた。
『何故捨てるんだ、テストの答案用紙を』
『結果を見たらもういらないだろ』
龍一の笑みにぶつかって隼人はむっとした。
『そうか。じゃあ捨てたものなら俺が中身を見ても文句ないな』
『おい、おい』
隼人は構わずがさがさと紙のしわをのばした。龍一はそれをとめるでもなく肩をすくめて立ち去ろうとしたので、隼人はその腕をつかんで引き戻した。
『まだ何か用か?』
『ああ。お前に訊きたいことがある。なんだ、この点数は?』
龍一は少し驚いたような表情になった。隼人は龍一の目の前に答案用紙を突きつけた。
『この問題は前にお前が解いてみせたものと同じだろう? これも、これも、お前なら簡単に答えられるはずだ。おまけにこっちの応用問題のほうは正解だ。こんなでたらめな解答って、あるか。もう少し真面目にやれよ』
『でたらめか?』
『ああ、でたらめだ』
それを聞くと龍一はひどく楽しそうに笑った。隼人はびっくりしてその顔を見た。
『何がおかしいんだ?』
龍一はくすくす笑いながら言った。
『いや、悪かった。なんだかおかしくなってね。俺は確かにでたらめだ。何故かといえば、俺は学校には単に休みに来ているんだから、でたらめでも仕方がないよ』
『休みに来ている?』
隼人がその意味を考えていると、龍一はにっこりと微笑んだ。隼人はどきりとした。その笑顔がひどく大人びて見えたからだ。
『その紙を欲しいならやるよ』
それで隼人はまたむっとした。
『いらないよ』
『そうか。じゃあ見たらもとの場所に戻しておいてくれ』
龍一の静かな口調に隼人は何だか恥ずかしくなった。
『でも、お前の親が見たがるんじゃないのか?』
龍一はじっと隼人を見た。
『俺の親は別に見たがらないよ』
隼人はハセが言ったことを思い出した。それでちょっと視線を龍一からそらした。
『なら、これは俺が捨てておくよ。でもこんなふうに屑かごに投げ捨てるのはよくないぞ。誰が見るか分からないんだから』
龍一は面白そうに隼人を見たが何も言わなかった。隼人は赤くなった。
《そういう俺こそ、こうして人の答案を拾って見ているじゃないか……》
◎◎
それからというもの、隼人は龍一とよく話をするようになった。ハセの言ったとおり、龍一は自分からは口をきかないが、話しかけられればきちんと受け答えをする人間だった。その言葉は明瞭で、かついつもどこかピリッと皮肉がきいていた。
『土居。お前、休み時間はいったいどこに行っているんだ?』
『図書館だよ』
『この間昼休みに図書館に行ったら、お前はいなかったぞ』
『見えない場所にいるんだ』
龍一の言う、見えない場所というのを隼人は間もなく知った。
三年に上がったばかりのある日の昼休み。探している本がなかなか見つからなくて図書館の奥まった部分にまで入りこんでいたとき、午後の授業の予鈴が鳴った。すると一番端の棚の向こうから龍一の姿がふいに現れたので、隼人はびっくりしてしまった。
『土居。お前、今どこから出て来たんだ?』
龍一はにやりとして見せると後ろを指さした。
『壁の向こうからさ』
『壁の向こうだって?』
隼人は龍一が示した場所を調べてみたが何もなかった。
『何もないぞ』
龍一は隼人をうながして図書館を出ながら言った。
『前に言っただろう? いつも俺がいる場所のことを』
『見えない場所のことか?』
『種を明かせば、図書館のあそこの壁は一見何もないように見えるが、実は可動式になっていて、ずらすと書庫への入口が開くようになっているんだ。俺はいつもその中にいるってわけさ』
『司書はそのことを知っているのか』
『そこを教えてくれたのがあの人なんだよ。俺が表にいると女生徒が騒いで迷惑だっていうんだ』
龍一はちょっと肩をすくめ、ついでに通りかかった屑かごに飲み干した豆乳の紙パックを投げ入れた。
隼人は騒ぐ女生徒の中に舞もいるのではないかと思って憂鬱になった。それで訊かずにはいられなかった。
『土居はつき合っている彼女はいるのか?』
『そんなもの、いないよ』
『好きな女の子はいないのか?』
『別に』
『彼女が欲しいって思わないのか?』
龍一は珍しいもののように隼人をのぞきこんだ。
『藤田は欲しいのか?』
隼人は少し赤くなった。
『特には。でもまったく関心がないやつなんていないだろ?』
龍一が黙っているので、隼人はまた口を開いた。
『お前なら相手はいくらでもいるんじゃないのか』
龍一は真っ直ぐ前を向いたまま、ぽつりと言った。
『彼女たちは、なにか、別なものをみているんだよ』
そうして龍一は自分の教室の中に入っていった。
隼人はその姿を見送りながら考えこんだ。隼人には分からなかった。龍一が何故あんなにも悟ったふうであるのかが。とても自分たちと同年代とは思えなかった。
隼人には夢があった。そして渦巻くような感情や悩みや欲望もあった。それらをすべて抱えているのはひどく苦しいことだったが、同時に今この時があっという間に去っていくであろう貴重な時期であることも感じとっていた。早く時がすぎて楽になりたいと思いつつも、砂時計の砂が確実に減っていくのを押しとどめたいような焦りを覚えていた。自分の中に大いなる可能性が潜んでいることを知っていたが、それをとり出せるのかどうかは疑っていた。
つまり隼人もまた思春期という嵐のただ中にいて、自分自身という矛盾に直面していたのである。
そしてそれは隼人以外の生徒たちも同じだった。しかしその中で土居龍一だけが、その輪からはずれているようにみえた。龍一は常に落ち着いていて、欲も焦りもないように見えるのに、親切で快活ですらあった。特に隼人が分からないのは、龍一が様々な才能をもっているのにもかかわらず、それをわざと出さないようにしているように思えることだった。
『もっと自分の可能性を信じろよ。土居。お前なら何にだってなれるはずだ』
しかし龍一はいつもの微笑みを浮かべて答えるのだった。
『いや。俺は神社の宮司くらいにしかなれない人間だよ』
その日、隼人はもう少し食い下がった。
『家業を継がなきゃならんというのも分かるが、宮司をやりながらでも色々なことに挑戦できるだろ。外に出て行こうと思わないのか』
『外に?』
『そうだよ』
『外というのは、どこだ?』
『大学とか社会とか……』
龍一は曇った窓ガラスの向こうを眺めた。二人は図書館のいつもの龍一の場所にいた。書庫の中は古い書物の匂いと静けさに満ちていた。
龍一は手の中の紙パックを握りつぶした。パックはひゅうっとため息のような空気を吐きながら平たくなった。龍一はそれを見つめたあと、隼人ににっこりした。
『なるほど。ありがとう。考えておくよ』
それで隼人はひどく悲しくなった。
《俺の言葉はこいつにまったく届かないのか?》
しかしすぐに考え直した。
《違う。土居ほどきちんと言葉をきくやつはいない。俺が悲しい気持ちになったのは、土居の目が悲しそうだからだ。何故だろう。土居はあらゆるものをもっているのに。こいつの中には俺なんかには想像できないくらい深くて大きなものが眠っているのかも知れない。この目は誰も見たことのないものをたくさん映してきているのかも知れない。土居はそれをたった一人で抱えて、それでも人には何も言わずにこうして微笑み続けているのか……》
そうした隼人の心の内を知ってか知らずか、龍一が訊ねた。
『藤田は将来何になりたいんだ?』
龍一の声は常に沁み入るような響きをもっている。隼人は龍一にはつい自分の本音を言ってしまう。龍一の本音はなかなか聞けないことに一抹の寂しさを覚えながら。
『俺は、政治家になりたいんだ』
隼人は思いきって言った。まだ親にも友達の誰にも話していないことだ。
『そうか』
こんなとき龍一はけして冷やかしたりはしない。
『政治をやるなら、勝海舟と地政学を研究するといい』
そんなふうに言った。
『地政学? 政治地理学みたいなものか?』
『地政学は政治地理学よりももっとイデオロギー的だよ。政治地理学は学者の学問だが、地政学はいわば世界観だな。厳密な科学じゃない。しかし信じている政治家は大勢いる。マルクス主義のような政治的宗教の一種だろうな』
『なるほど。それなら知っておいたほうがいいわけだ。それで勝海舟を研究する理由は?』
龍一はくすりと笑った。
『それは単に、俺が一番好きな政治家というだけだけどね』
それで隼人も笑った。
『なんだ……。でも勝海舟は俺も好きだ。幕末の日本で一番政治家らしい政治家だよな』
『海舟のすごみは、何といってもその先見性だ。混乱の幕末期にあって、自分の立場にも感情にも左右されずに、日本という一つの国の舵とりを正確にして、開国の黎明期を乗り越えさせた。海舟に明確なイデオロギーはない。ただ彼の中には、国や人というものはどうあるべきか、というはっきりしたかたちがあったのだと思う。だから海舟は、どんな場合でも、そのかたちに照らし合わせることによって自分の判断や行動を決めることができたんだ』
『その、かたちというのは、どんなものだったんだろう』
『どうかな。海舟の著作や語録を読んでも、そのものずばりというものは見あたらない。むしろそれは言葉では表現できないものなんじゃないか。真理に近づけば近づくほど、いわく言い難くなってくる。そういうことがあると思う。ただそれは、江戸や明治という時代や、日本という国の枠をも超えたところにあったに違いない。それはきっと海舟だけの個人的なものだったろうけれど、俺は、普遍性や永遠性というのは個別具体性の中にこそ生まれるものだと考えているんだ』
『具体性の中にこそ普遍性がある、か』
『藤田の目ざすものもきっと、藤田自身の中にあるよ』
『そうだな。俺はかならず大医になってみせるよ』
『小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す=B中国の医学書の言葉だな。藤田らしいよ』
龍一の笑顔を見て隼人は認められたように嬉しい気持ちになった。
◎◎
三年の後半になると龍一は欠席することが多くなった。
『土居はどうした。病気か?』
隼人はハセに訊ねたが、その返事はあやふやだった。
『風邪でもひいたんじゃないかな』
『風邪にしたってずいぶん長引くじゃないか』
『よく知らないよ。でも二年のときも修学旅行に出てこなかったし、案外体が弱いんじゃないか』
『ふうん』
ある日、久しぶりに龍一の姿を校内で見て、隼人はさっそく声をかけた。
『土居』
龍一はゆっくりと振り返った。隼人はほっとした。特に変わりはないようだ。
『藤田か』
『久しぶりだな』
『今年はお前と同じ授業がないからな』
『ここしばらく学校を休んでいただろ。……図書館に行ってもいないからさ』
『ああ、確かに今回は少し長かったな。だけどとりあえずは落ち着いたよ』
『やっぱり体調を崩していたのか?』
『俺の父親がね』
『そうだったのか』
『まあ、もうだいぶ年だからな』
軽い口調とはうらはらに龍一の目の色はもの思わしげに沈んでいた。隼人は近づいてみて、龍一の目の下にうっすらと隈ができているのを見つけた。
『大丈夫か?』
『どうだろう……』
龍一はつぶやくように言ったあと、影のような笑みを走らせ歩き去って行った。
――大丈夫か? ……どうだろう。
この二つの言葉が、龍一の父親のことを指していたのか、それとも龍一自身のことを言っていたのか、隼人はしばらく考えたが分からなかった。
◎◎
冬休みが終わり、高校生活最後の学期が始まった。しかし受験生の隼人たちには休みも学期も関係がない。大学入試センター試験、学年末試験を続けざまにこなす。そして休む間もなく二次入試の日程が次々とやってくる。
その合間を縫って、隼人はある日の放課後、躑躅岡天満宮を訪れた。
龍一は一月になってから一度も登校して来ていなかった。学年末試験のときすら来なかった。このままでは卒業すらできないだろう。龍一が携帯電話を持っているのかどうかも隼人は知らなかったし、どちらにしても誰もその番号を知らなかったので、思いきって直接龍一の家に行ってみることにしたのである。とはいえ躑躅岡天満宮は萩英学園から歩いても行けるような距離にあるので、そんなに大変ではない。
神社へと続く長い石段の下に立つと、隼人はしばらく天満宮の丘を見上げた。
石段の両側にはずらりと梅の木が植えられているが、まだつぼみすらつけていない。丘全体はみっしりと常緑樹でおおわれており、濃い緑色が周囲の重力を強くしているようにすら思えるほどだった。
今にも雪が降り出しそうなどんよりとした曇り空の下を隼人は、一歩ずつ上っていった。
ひどい寒さだからだろうか。境内には一人の参拝客もいなかった。ただ一人、竹ぼうきで落ち葉を掃いているずんぐりとした体形の男がいる。これは天満宮の内部の人間だろう。
隼人は、その男性に近づき、声をかけた。
『お訊ねしますが』
『はい、なんでしょう』
振り向いた男は愛想よく返事をした。血色のいい顔色が灰色の景色の中でひと際目だっている。
隼人はちょっとほっとしながら言った。
『あの、土居……龍一君は、いらっしゃいますでしょうか。私は同じ萩英学園の生徒ですが』
男は少し驚いたような表情のあと、ぱっと満面の笑みを浮かべた。
『龍一様のご学友ですか。これはこれは……。わざわざ会いに来てくださったのですね。ありがとうございます。今すぐに龍一様をお呼びして参りますので、ちょっとお待ちください』
男は竹ぼうきをそばの木に立てかけ、隼人の返事も聞かずにあっという間に走り出して赤い瑞垣に囲まれた建物の向こうへと消えていった。
隼人は男が入っていったように見える、境内の奥まった部分に建てられた神殿の近くをぶらぶらしながら待った。
建物の周囲にはたくさんの絵馬が飾られている。隼人は暇つぶしにその一つ一つを読んでいった。時期がらやはり合格祈願のものが多いようだった。
隼人は一度も絵馬やお守りなどを買ったことがない。迷信とばかにしているわけではないが、自分はまだこのようなものに頼るほどではない、という気がある。
神社は、初詣や、どんと祭、夏祭りの縁日といった季節の行事のときに楽しみで訪れる場所というのが、隼人のイメージだった。宗教というのは、人生の節目節目で昔からの決まりごととしてふいに形を現してくるものであり、普段の自分の生活や内面にはまったく関係のないものだと隼人は漠然と思っていた。しかしここでこうして龍一を待っていると、様々な考えが心をよぎった。
宗教とは何か。科学万能の世といいつつ、既存の宗教はなくならず、新興宗教も絶えない。宗教戦争すらある。人とは宗教に頼らなければ生きていけないほど、そんなにも弱いものなのだろうか。それは人間自身が割りきれない存在だからなのだろうか。
隼人は先ほどの庭仕事をしていた年配の男性が、龍一のことを龍一様≠ニ呼んでいたことを思い出した。いい加減で怪しげなものほど龍一から遠い存在はないように思うのに、男の龍一様≠ニいう口ぶりには、まるで神かなにかを敬うような響きがあった。
ふいに、以前トモキが言った言葉がよみがえった。
あいつ、何ものだ?
《俺は土居の何を分かっているんだろう》
赤い門の前の狛犬と目が合った、気がした。狛犬はどちらも奇妙に笑っているように見えた。おそらく彼らは隼人が知らない龍一をみてきているのだろう。
《俺も、何だか迷信じみてきているぞ……》
『藤田。どうした』
龍一の声が上から聞こえてきて、隼人ははっとして顔を上げた。そしてどきりとした。
龍一は白衣にうす紫の袴を着け、拝殿の高欄の向こう側から隼人を見下ろしていた。
『土居……』
隼人は一瞬、目の前の人物をどう呼んでいいのか分からなくなった。それほどに龍一は学校で見るのとは違っていた。いつもの投げやりな一歩引いたような態度はなく、堂々として光り輝くようなオーラを発している。
《これが、こいつの本当の姿なのか。この場所が、こいつの本当の場所なのか》
隼人はようやく言った。
『……土居。お前、本当に学校へは休みに来ていたんだな』
それを聞いて龍一は声をたてて笑った。
『お前こそ、いったい何をしに来たんだ?』
そして隼人の学生服姿に目をとめた。
『合格祈願か?』
皮肉な態度は相変わらずだ、と思いつつ、隼人は建物に歩みよった。
『違うよ。お前、もう一ヶ月も学校に来ていないだろう。卒業試験も受けないで。どうしたのかと心配してやって来たんだよ』
『ああ、そのことか。もう学校には戻らない』
隼人は驚いた。
『どういうことだ?』
龍一は拝殿の正面の段を二、三歩下りると座った。隼人もその横に並んだ。
『躑躅岡天満宮の現宮司は知ってのとおり俺の父親だが、ここ二、三年は病がちで今ではずっと伏せっている。もう長くはないだろう。実際、宮司の役目はもう全部俺が代行している。このまま父が亡くなれば、俺が正式に土居家の跡を継ぐ。どちらにしても学校に行っている暇なぞないんだ。俺の休みももう終わりってわけさ』
『じゃあ高校は休学か?』
『いや。休学しても復帰できる見こみはないから、中退することになるだろうな』
龍一は隼人の表情を見て、ふふ、と笑った。
『なんだよ、その顔は。俺にとって学校を辞めることなんて、たいしたことではないと分かっているだろう。お前がそんな顔をすることはないんだ』
隼人は慌てて顔を横にそむけた。
『それにしても残念だな。あと一ヶ月と少しで卒業だっていうのに』
『卒業ねえ……』
しかし龍一の口調には何の感慨も含まれていないようだった。
『お前に憧れている女の子たちもがっかりするだろうな、今年のバレンタインにお前がいないと知って』
隼人は茶化すように言った。龍一は頬杖をついて空を見ていた。
『雪は……』
『え?』
『雪は、降るかな』
隼人も同じように空を見上げた。
『どうかな。予報では今週いっぱいはもつようだけれど』
『降ってほしいときに、いつも降らないんだ。雪ってやつは』
『雪が好きなのか?』
龍一が黙っているので隼人はその横顔を見た。龍一は振り返って微笑んだ。
『お前はいつも難しい質問をするな』
『え、そうか?』
龍一が伸びかけた髪をかき上げたので隼人はその表情をよく見ることができなかった。ただくぐもった声だけが聞こえた。
『分からないんだ。本当に』
それから龍一はすっと立ち上がった。それで隼人も立ち上がった。
龍一が言った。
『もう、しばらく会うこともないだろう。お別れに君と握手をさせてくれないか』
隼人は目をみはりながらも手をさし出した。その手を龍一はしっかりと握った。初めてふれる龍一の手は、思いのほか大きく、温かく、力強かった。一瞬、包みこむような温かい光が体中をめぐるのを感じたあと、龍一の手が再び離れた。
『ありがとう、藤田。君はおそらく俺の人生の中で、唯一友人といえる人間だろう。……君の将来には大きな困難が待ち構えている。しかしそれを乗り越えたとき、君はきっと偉大な人間になれる。君の夢がかなえられることを祈っているよ』
そうして龍一はにっこりと笑った。その笑顔を隼人はいつまでも忘れることができなかった。
◎◎
隼人が躑躅岡天満宮を訪れた、その二日後、土居菖之進は息をひきとった。
菖之進は、すでに前々から、口頭では龍一を土居家次期当主とする旨を表明していたが、その年の正月、年始の挨拶のため集まった守護者たちの前で、あらためて土居家第三十九代当主として龍一を指名する遺言書の内容を発表した。
このときにはむろん誰からも異議が出ることはなかった。この八年の間で、土居家の次期当主として龍一はふさわしいというだけではなく、むしろ龍一以外には考えられないとすべての者が認めるようになっていた。
菖之進の葬儀と同じ日の午後、龍一は、守護者全員の前で当主披露の儀をおこなった。この瞬間から、龍一は土居家第三十九代当主であると同時に、東北の守護五家の上に立つ守護主となったのである。
それから十四日目の真夜中。
龍一は一人、天満宮の岡の北端にたたずんでいた。そうして抱えていた陶器の壺をそっとかたわらに置くと、鋤(すき)で地面を掘り始めた。土は最初氷のように固かったが、掘り進むにつれ徐々に楽になってきた。
龍一は、たすきがけをした着物の袖口でちょっと汗をふいた。今夜、穴を掘るのは、これで五ヶ所目である。真冬の深夜にもかかわらず龍一の体はひどく火照っていた。
充分な深さになったことを確認すると、龍一はひざまずいて壺の両側に手をそえた。青白い陶器は、鬼火のように夜の中でぼんやりと浮かび上がり、龍一の熱を吸いとっていくようだった。
龍一は手のひらが陶器と同じ温度になるまで待つと壺のふたに手をかけた。銀片をこすり合わせるようなかすかな音がしてふたが外れる。そして中から白く丸いものをとり出した。
それは菖之進の頭がい骨だった。北に向かって高くかかげると、前から月の光を、後ろからは北極星を中心とした星星の光を受けた菖之進の頭は、次第に不思議ないのちを得たように輝き出した。その光はいったん骨に囲まれた空洞の中で渦を巻いていたが、やがて、すうっと暗い眼孔の奥に吸いこまれるように消えた。
『父上。ご遺言どおり、この丘の、五芒星を描くそれぞれの位置に父上をお埋めいたします』
そして菖之進の頭を穴の底に静かに置く。菖之進の目は暗い闇の中からじっと龍一を見上げていた。龍一はその視線を真正面から受けとめた。
『父上。父上がこの丘に骨をうずめる、本当の理由は何ですか』
龍一は訊ねたが、菖之進は黙したままだ。
菖之進が自分の骨を埋める場所を龍一に指定したのは、龍一個人宛への遺言書の中でだった。
龍一は、土居家の代々の当主の骨が、自らを結界の一部とするために、東北の各地に分けて埋められていることは知っていたが、菖之進を埋骨すべき場所を知ったのはその死後だった。
菖之進から聞いていたのは、自分が埋められる場所は、あらかじめ先代当主から指定されるということだった。しかし龍一は、菖之進がその先代から、本当に天満宮の丘にこのような形で埋めるように指示されていたのか疑念を抱いていた。
天満宮の周囲は、土居家が数百年間にわたって結界をはり続けた結果、なにものであろうとも入りこむことのできないほどに強力な護りとなっているはずだった。龍一は、土居家の記録をすべて見たが、かつての当主で天満宮に埋められた者は一人もいなかった。
龍一は、さらに、菖之進が龍一自身の埋骨先として指定した場所のことに思いをめぐらせた。それらも、従来の土居家の伝統とはかけ離れたものだった。しかし、そのことについて、菖之進は龍一になんの説明を加えることなく死んでいったのである。
結界は基本的に外から内を護るためのものである。しかしそれに加え、内にあるものを外に出さないという封印の意味も同時にあるのだ。
《父上は、なにかを封じるためにこの丘に結界をはろうとしたのではないか。そして、そのなにかとは、この俺なのではないか》
そんな考えが振り払っても振り払っても、龍一の脳裏に去来するのだった。
生前、菖之進は龍一に常々言っていた。
『龍一。この天満宮の丘からなるべく離れないようにしなさい。丘は常にお前に力を与えてくれ、悪いものからお前を護ってくれるだろう』
そしてこうも言った。
『内なる魂を磨き、内なる結界を強めなさい。そしてあらゆるものをよく観察するのだ。自分とはなにか、力とは何か、この世にあるすべてのものとはいったいなんであるのかを』
《父上。俺という存在はいったいなんなのですか。この丘にとどまり目を凝らしていれば、本当にそれを理解することができるのですか》
少なくとも菖之進はその死後も龍一をみ続けているのだ。
ざっ、ざっ、という土を埋める音が夜の中に響きわたった。作業を続ける龍一の心の中に無意識のうちにいくつもの言葉が飛来したが、自分でもその意味は分からなかった。
《この丘は俺の丘だ。この穴は俺の穴だ。この土は俺の土だ。そしてこの夜は俺の夜だ》
夜はゆっくりと、そして確実に深まってゆく。
◎◎
『龍一様、龍一様』
何度も呼びかけられて、龍一はようやく書物から顔を上げた。
『なんだ、築山』
『ご夕食の準備が整っております』
『それはさっき聞いた』
『お早くお食べになってください』
『今、行くよ』
『同じことを十分前にもおっしゃいました』
龍一は名残惜しそうに本を見ていたが、無理やりに目を離すと表紙を閉じた。
『分かった。食べるよ。ありがとう』
しぶしぶといった感じで腰を上げた龍一を見て、築山はほっとした。
菖之進が亡くなってからひと月ほどが経った。
この天満宮の住人はもう龍一しかいない。龍一はいつも築山に、夕方になったら早く家に帰るように言うのだが、築山は何のかんの理由をつけてはなるべく遅くまでいるようにしているのだった。
築山家は代々土居家の庭師としての役を負ってきた家系で、築山自身もう三十年も天満宮の庭師として働いてきている。築山には守護者たちのような霊能力は備わっていないが、彼らの力を認め理解もしていたし、何より彼らの主である土居家のそば近くに仕えることに対し常に誇りと喜びを抱いてきた。それでも龍一がこの天満宮にやって来てからのここ八年間が、築山にとってもっとも楽しい期間だった。
龍一は確かに普通の子供とはあらゆる面で違っていた。だが築山が龍一に接する方法に迷うことは一度もなかった。
《いくら霊力に優れていらっしゃるとはいえ、体は成長期の子供であることに変わりない。子供というのは大人よりもたくさん栄養をとらなければいけないものだ》
築山が責任を負っているのは、見えない内なるものではなく、がっしりとつかめる外なる部分なのだ。
『私が見ていないと、龍一様はすぐに食事をぬかしたりしますからね。龍一様は育ち盛りなんですから、きちんとお食べにならないと』
『分かった、分かった。……もう暗いから帰れよ』
『残さずにお食べになりますね?』
『しつこいぞ』
龍一は苦笑いした。
『では私はこれで失礼いたします。食べ終わった膳は廊下に出しておいていただければ、明日私が片づけますので』
『うん』
龍一は今まで見ていた本の内容を思い返しながら、内廊下をいつも食事をする部屋へと向かって歩いていったが、途中ではっとして前方を見た。懐に手を入れ、護り刀をとり出すと、鞘から静かに抜く。
そして足音をたてないようにしてそっと廊下を進み、一番端の自分の私室となっている西の間の前まで行くと、すばやく障子を開けた。
部屋の中はしんと暗い。しかし龍一の目は鋭くその姿をとらえた。
『誰だ?』
片隅で、西の窓を向くように座っていたそれは、ゆっくりとこちらを振り返った。
それは白い着物を着た若い女だった。女はにこりと龍一に向かって微笑んだ。今までに見たどんな女よりも美しい顔をしていたが、龍一は刀の柄を握る手にさらに力をこめた。龍一にはこの女が普通の女ではないことが分かっていた。
『お前はなにものだ? どうやってここに入った?』
女は三つ指をついてお辞儀をすると言った。
『わたくしは弓月(ゆづき)と申します。クシコ様のご命令で参りました』
龍一はちょっと驚いた。
『クシコの?』
弓月は顔を上げた。開け放した廊下からのぼんやりとした光が弓月の顔に射しかかり、透けるような白い肌が浮かび上がる。
龍一は刀の刃を下ろしたが、納得のいかないように女の姿を眺めた。
『クシコは何のためにお前をよこしたんだ? 伝言でもあるのか?』
『クシコ様のご命令は、あなた様のお相手をするようにとのことでございます』
『俺の相手?』
『はい。夜の無聊をお慰めするようにと』
龍一は一瞬呆然としたが、すぐにその意味が分かって笑い出した。
『なにかと思えばクシコのやつ、余計なことを。弓月と言ったか。クシコに伝えてくれ。俺にそんなものは必要ないとな』
龍一は払うように手を振ると、部屋を出て行こうとした。すると弓月がさっと立ち上がった。
『お待ちください。わたくしの体は、ひと月に一度、三日月の晩にだけかたちを成します。わたくしはあなた様にお逢いするためだけに、この世に姿を現すことを許されているのです。あなた様に抱いていただけなければ、わたくしは虚月(こげつ)の光よりもはかない存在なのです』
龍一は口を開こうとしたが言葉が出てこなかった。
弓月が一歩、龍一に近づいた。女の着物がするりと床に落ち、輝くような裸体が露わになった。
龍一の体はしびれたように動かない。
弓月のひんやりとした指が龍一の唇にふれ、耳もとから淡雪のようなささやきが忍びこんできた。
『龍一様。お願いします。わたくしを抱いてください……』
龍一の手から刀がするりと抜け、ことりという音をたてて床に落ちた。
第三章『共鳴T』につづく
2011/07/09(Sat)09:15:41 公開 /
玉里千尋
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■この作品の著作権は
玉里千尋さん
にあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
◎登場人物◎
★龍一(りゅういち):生まれながらに強い霊力と特異な能力をもったため、うつしよに生きる苦しみを多く与えられている。
★クシコ(くしこ):九つの尾をもつ銀色の霊狐。龍一を陰から見守る。
★梨花(りか):龍一と養護施設はぎの園で一緒に育った二つ年上の少女。中学一年の時崖から落ちて死亡。
★土居菖之進(つちい・しょうのしん):土居家第三十八代当主。結界能力に長けている。躑躅岡(つつじがおか)天満宮宮司。萩英学園高校・はぎの園経営者。龍一の養父。
★築山四郎(つきやま・しろう):躑躅岡天満宮庭師。
★東北守護五家の当主たち
津軽(青森):初島正道(はつしま・まさみち)、北上(岩手):沢見邦安(さわみ・くにやす)、出羽(山形):蜂谷万道(はちや・まんどう)、白河(福島):中ノ目壮士(なかのめ・そうじ)、涌谷(宮城):上木祥蔵(かみき・しょうぞう)
★上木咲子(かみき・さきこ):上木祥蔵の妻。実はサクヤヒメという女神の分身。
★ニニギ(ににぎ):二千年間己の魂を求めてさまよい続ける。
★菊水秋男(きくすい・あきお):眞玉神社宮司。職業は書道家。
★菊水桔梗(きくすい・ききょう):土居家当主、土居菖之進の妹である勅使河原椿の三女。職業は茶道の師範。
★菊水可南子(きくすい・かなこ):秋男と桔梗の一人娘。龍一より二つ年下。
★藤田隼人(ふじた・はやと):萩英学園高校で龍一と同学年だった男子生徒。龍一と交流をもった数少ない友人。
★弓月(ゆづき):クシコが龍一のもとへ遣わせた美女。三ヶ月の晩にだけ現れる。
◎キーワード◎
★守護主(しゅごぬし):古代国家ヒタカミの流れを汲み、今なお東北に強力な結界をはり続ける土居家当主のこと。
★竜泉(りょうせん):土居家が躑躅岡天満宮本殿にて護り、毎日の霊場視に使っている霊泉。
★飛月(ひつき):伊達政宗が名匠国包に造らせた稀代の霊刀。三百年間土居家が護ってきた。守護家の中では上木家のみが使用を許されている。
★東北守護五家:守護主を支える五つの一族。津軽に初島家、北上に沢見家、出羽に蜂谷家、涌谷に上木家、白河に中ノ目家があり、それぞれの当主を守護者(しゅごしゃ)と呼びならわす。当初は四家のみだったが、四百年前に、土居家から上木家が分家され、五家となった。
★秘文(ひもん):魂の力を引き出すための言葉。唱える者の力量により神に匹敵するほどの力を呼ぶこともできる。
★鏡(かがみ)・鏡の種(かがみのたね):土居家が千年以上護り伝える霊鏡。
★蛇の目(じゃのめ):これをもつ者のみが土居家の鏡に映し出される真実をみることができると伝えられる。土居家の二つ丸紋は蛇の目を表している。
★淵(ふち):北上の沢見家が本拠の神淵(かみふち)神社内にて護るもの。
作品の感想については、
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