-
『半熟魔法少女』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:たゆたま
-
あらすじ・作品紹介
不良少女。そう呼ばれ、誰からも恐れられる、御羽 天衣。喧嘩に明け暮れ、荒む毎日を過ごす彼女は、ある日突然届いた桃色の封筒を開け、そして――
123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
ぱんぱかぱーん。
そんな間抜けな音を私が耳にしたその時、私の地獄は、静かに、そしてゆるやかに幕を開けたのだろう。目も痛くなるような鮮やかな桃色の封筒。背中がかゆくなる程にお決まりと言っちゃお決まりのハート型シール。薄っぺらいくせに、鉄の板でも入っているのかと思わせる程にずっしりとくるその封筒を、開けたその瞬間からだ。
私は呆けた。手に取った四巻の漫画が実は背表紙だけが入れ替わっており中身が三巻だった時くらいに呆けた。
これが新手の敵襲などと言うならば、私はこれを仕掛けた相手に勝つ術を持たないだろう。新兵器すぎる。きっと次の数秒の内で、頭を鈍器で殴られたりするのだろうか。もしそうだとしたら、この作戦は大成功だ。
私はもう、座り込んだままじっと“それ”に釘付けだったから。
まず何が起こったかと言うとだ。一枚の封筒が、私宛てに届いていた。桃色の。私はそれを手に取り、そして部屋に戻り、少しくつろいでから、その存在を思い出し、封筒を切ったその瞬間、だった。
軽やかな音とともにぼふん、と真っ白い煙がもくもくと封筒から舞い上がる。もわもわと不自然に立ち上る煙は、やがて中空のある一点に留まり、そしてぐにゃぐにゃと姿を変え――
珍妙な生物が、そこに姿を現していた。見た感じは兎のようだ。けれど、そのサイズは中型犬程度。
兎だと思った理由は、まずその長い耳。しかし左右で長さが揃っておらずアンバランスで、首元には宝石のようなものが埋まっている。ぱっとみ、私はそんな生物の名を知らない。
そして何より。
宙に、その生物は、ふわふわと浮かんでいた。
風船がふわふわと揺れるように。さも当たり前であるかのように、それは何もない空中に、自然と、浮かんでいた。
翼があるのなら、まだここまで不思議には思わなかっただろう。その兎にはもちろん翼などなく、空中に浮かんでいる。更には、
「ぱんぱかぱーん! おめでとう! 貴方は、救世主界第七十二期、“魔法少女”に当選致しましたー! いぇーい、ぱふぱふー!」
などと、口をきいたのだった。
「……はっ」
いけない。どうやら、今日は少しはっちゃけ過ぎたようだ。こんな幻覚を見るなんて、どうかしている。そうだ。なんとなく気分も悪いし、少し早めに寝るとしよう。私は無理やり自分にそう言い聞かせた。
自慢ではないが妙に広いマンションの一室、その和室で、私はのろのろと立ち上がり、押し入れを開けて、布団やら毛布やら一式を取り出し無造作に放り投げると、すぐさまその上にばたんと気を失ったかのように倒れ込む。
そうだ。面倒なことは、何もかも寝て忘れるに限る。
不良少女と呼ばれていることも、身長が低いことも、学校の屋上で喧嘩をしたことも、帰り道で襲われたりしたことも、謎の生物の幻覚を見てしまったことも、全てが全て、眠れば、過ぎて、終わることだ。
一般的には現実逃避とも言う。そんな四字熟語は考えたくもないと、布団を乱暴にかぶり直す。
目を瞑ってみると、すぐに眠気は襲ってきた。私の頭上辺りで、謎の生物の幻覚が、何やらしきりに話しかけてくるが、無視を決め込むことにする。
しかし、自分でも気づかぬ内にかなり疲労が溜まっていたのか。こんな珍妙な生物の幻覚を見てしまうなんて。まぁいい。次に目を開けた時には、そこには何もないのだから。私は、静かに、眠りに落ちた。
1.
御羽 天衣。それが私の名前だ。ちょびっと自慢の黒髪はいつもポニーテールにして、肩より少し下辺りで、今日も私の感情を現すかのように、元気なさげに、申し訳なさそうにゆさゆさと揺れている。今の私に申し訳ない気持ちなど全く皆無だったが。
私は、立ち尽くしていた。
今日も、風が強い。風に乗った血の嫌な匂いが、私の体にまとわりつく。地獄と言うやつを見たことはないが、きっと彼らは今、地獄を見たところだろう。
見たくもないが血だまりに沈む、七人の男子生徒達の方を見る。今しがた、ことごとくが――“私”に敗れた者達だ。もう誰も、呻き声一つあげやしない。頬に青痣を作った者や、指が多少ありえない方向に曲がっている者から、見てとれるダメージの在り様は様々だ。
「……ふぅーーー……」
空を見上げて、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで、吐き出す。男子生徒の一人から奪い取った木刀を適当にからんと放り投げ、その後、私はまた長い溜息をついた。
現実的に考えて、たった一人の少女が七人もの屈強な男子を相手に勝利するなど、ほぼ有り得ないことだ。有難いことに、彼らはきっと無意識のうちに手加減をしてくれたんだろう。
もちろんそんな手加減に私は遠慮してしまうような性格の人間ではない。大きな箱か小さな箱か、どちら一つを選べと言われれば両方とって逃げるような人間だ。
今日も、運がよかった。私は勝ったのだ。しかし、一度や二度のことではないので、特別な感情など特に沸くこともなく、私は気を失っている彼らに一度合掌をして、すぐさま背を向ける。
かた、と。その時。はっきりと、音が聞こえた。
私は振り向かず、告げる。
「……熊の前で死んだふりってさぁ、実は逆に危ないらしいよ。私は熊じゃないけどさ……熊よりは、頭いい方だぜ」
じっと息を殺して、こちらを窺っている気配が、一つ。私はその気配に、なるべく優しく、努めて丁寧に、そう言いかけた。
「許さねぇ……! 許さねぇぞてめぇ! ぜってーぶっ殺してやる! 女だからって、ちくしょう! もう容赦しねぇ! 覚えてろよ御羽天衣ぇ!!」
「はいはい」
と、適当に聞き流す。今時どこの戦隊モノの悪役だ。遊園地でヒーローショーでもして、今の台詞を吐けば恐らく大盛況だろう。演技も何もなく、そんなことを言っちゃうような奴だ。着ぐるみの中で正義の味方にボロボロにでもされればいい。
「あぁ、それと……間違えんな。私は私につきまとう奴からみゅーなんて呼ばれてるが、みう、じゃねぇよ。み、は。み・は・あ・ま・えだ。二度と間違えるな」
と、ご丁寧にも間違いを訂正してやって、私はすたすたともう目もくれず屋上の扉へ向かい――
するとがちゃっと、開ける前に、扉が向こうから開いた。
「あら。みゅー」
「……なんだよ。それとみゅーって言うな」
そこに立っていたのは、一年生にして現生徒会副会長の座を我が物にする、私につきまとう厄介者の一人、七星 流雨子だった。
ふわふわとした緩やかなウェーブのかかった長髪は、女の私から見ても実際かなり綺麗に見えるし、少しだけ羨ましくもある。細くきりっとした瞳に長い睫毛など、小さな唇と、自分が悲しく思える程の美しくすらりと通った顔立ちだった。
「るーこ……何でここに? 授業中だ」
「私の台詞ですっ。もうっ。授業中ですよっ」
ちらっ、と私の頭の上から奥を覗き見る。その惨状を見て、彼女はあーうー、と呻いた。私にとって見慣れた光景でも、彼女のような一般人にとっては、そこは惨劇の場だ。知らなくてもいい、最悪の惨事だ。私は手を掲げ流雨子の視界を遮るようにすると、
「見るんじゃない。この先は魔界だ。あんたのような天使が見れば一瞬で目玉が飛び出すぞ」
「まぁ恐ろしいっ。貴方は大丈夫なんですかっ!」
「私は悪魔だから」
「……どっちかって言うと魔王……」
「どっちかって言って訂正するな!」
しかし、相変わらず語尾を止めて跳ねるような、奇妙な口調である。そんな彼女の口調からも、佇まいからも、瞳からも溢れ出す元気いっぱいきらきらオーラが、私には痛くてたまらなかった。
「喧嘩は駄目ですよっ。醜いですっ」
「しゃーねーだろ。やらなきゃやられるんだ」
「逃げればいいことでしょっ」
ぴっ、と私の目の前に細い指が突き付けられる。そういうわけにはいかないのだ。逃げれば追ってくるし、頭に血が昇った彼らは、辺りへの被害をなんら考慮しない。それこそ、ここが廊下だったとしたら、辺りはもっと惨状に彩られていただろう。
もう魔界なんてレベルじゃない。
「いいかいいか。よく聞け。私がもし逃げたとしよう。そうすれば奴らは必ず追ってくるぞ。周りに八つ当たりするかもしれない。そうだろ?」
そう言うと流雨子はこほんっ、と咳払いを一つ。ポケットから小さな手帳を取り出し、ぱらぱらとめくり始めた。きょろきょろと、目玉が忙しなく動く。時折りちらりと私の後ろの魔界を覗き見る。
そして。
「ふむ。最近出席日数の少ないグループの方々ですねっ。杏里 誠一さん、グループのリーダー格。校内では恐喝に暴力が目立ち、二度の停学……あと一度問題を起こせば退学ですよ……何やっちゃってんですか全くっ」
ぶー、っと膨れる流雨子。私は、彼女と言う人間が少し苦手だ。気持ちの悪いぐらいの優等生で、ああして手帳の生徒の情報を書き連ね、平等に心配し、人の為に怒り、人の為に泣く。そこに堕落しようとしている者がいるなら手を差し伸べ、優しく微笑みかけるような、七星 流雨子と言う人間は、本当にそんな天使のような性格をした人間なのだった。
魔王な私とは、まるで正反対の、それは光と影だ。
「はぁっ。全くっ。全く全くっ。どうして皆さんこうなんですかっ。ええ? もう信じられませんっ。恐喝に暴力など……お金が欲しければしっかり働いて、ストレス発散にはスポーツなどすればいいものを……もう、もうっ」
全く全く。流雨子は同じ言葉をぶつぶつ呟きながら、物凄いスピードで手帳に何かを書き加えているようだ。数分程待たされたのち。
「さてっ」
ぱたん、と。手帳を閉じた。
「喧嘩の理由をお聞きしましょうかっ」
理由。理由。私は、ちらりと背後を見やる。
地に沈む男子生徒達、あらゆる場所に飛び散った血痕、フェンスなどの一部はたびかさなる暴力の被害でひん曲がり、古くなったコンクリートの地面には木刀やら鈍器で殴りつけた後の証拠である打痕が、ありありと残ってしまっている。
自分でもひいてしまうような大参事だ。これはもしかして、もしかすると、やり過ぎてしまったのかも知れない。しかし、私にも言い分はおおいにある。
「これは喧嘩じゃない。成敗だ。まずこいつらが悪い。遅刻したのか、まだ廊下にいた――たぶんあいつ、二組の生徒だな――から金を巻き上げようとしていた。だから……」
「殺したんですかぁっ」
「殺してねーし! 虫の息なだけだよ! だからその時、そいつらに言ったんだ。私は巻き上げられる程金はねーがその喧嘩、売ってくれるなら無料で買うぜ、って」
「なるほどっ。カツアゲの現場で喧嘩の売りに買い……うまっ……くはないですねっ」
「ああ、うん。恥ずかしいからもう言わないでくれ……」
などとぼやきながら、まぁことの顛末を洗いざらい話す。この流雨子と言う少女、教師陣からかなり好かれており、実際とんでもない事件も、彼女の口添えあって事なきを得たことも何度かある。
同じ事実を話すにしても、話す人間が違うだけで、かなりの効果を得られると言うものであり、私の言うことなど誰も信用せず、悲しいかなそれが私の評価であり現実だった。今更信用して貰おうとも思わないし、何より――流雨子がいる。
彼女がいれば多少の無茶は安心して行えるし、罪悪感も少しはあるが、流雨子のことだ。私が彼女の人望をそう言う風に利用していることを分かっているだろうし、流雨子自身、私に“そう”させている節もある。
彼女だって、そう言った不良連中に手を焼かないわけがないのだ。私はそんなつもりは毛頭ないが、流雨子と言う社長の命令で動くヒットマン的な。まぁそう言う関係。
「――では、まぁ今回も私から各自説明はしておきますっ。みゅー」
「あん?」
「私は何が何でもあなたを更生させたいと思ってますっ。だから――私の事、いくらでも利用してくださいなっ」
ばいちゃっ、と言い残して、彼女は軽い足取りでたったった、と階段を駆け下りていった。
――利用。完全に心を読まれていた。
私は、流雨子が苦手だ。人の為に動き、人の為に喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。誰も彼も平等に扱うから――友達がいない。一部では教師に媚を売る人間として嫌われていることを、流雨子自身も知らない筈がないのだ。
なぜなら数多くの情報を彼女は扱っており、学園内の事情を広く把握する観察力が、ましてや自分自身に向けられるそう言った視線に気づかない筈がないと私は思う。
「友達、かぁ」
私と流雨子は、友達と言えるだろうか。たぶん、違う。恋人未満友達以上、と言う言葉があるが、言うなれば今は友達未満他人以上、と言った感じか。
――だが。やはり。
「欲しいなぁ」
つい口から飛び出た一言。
「……あー。寝よう」
考えても空しくなるだけだ。私はそう思って、すぐさま屋上を後にした。
私が屋上を後にし、いつもの“寝床”へ向かう最中、昼休みを告げるチャイムが校内中へと鳴り響いた。じょじょに、じょじょにざわざわと喧騒に満ち溢れてゆく校内。こうなってしまえば安眠できそうな場所は少なそうだと思いがちだが、こう言う時こそ、と言うかこう言う時じゃなくても利用させてもらっているのが、“寝床”、つまり図書室である。
校舎から渡り廊下で繋がれている第二校舎は、特別教室ばかりが溢れ返っている別館だ。授業でもあまり利用されることはなく、理科室など第三まで教室が存在する。
微かな埃の香りが立ち込めるそこは、正に安眠スポットだった。そんな低俗な目的の為に利用しているのは私くらいだろうが。
そして別館三階最奥。そこに、図書室はひっそりと存在する。実は図書室は第一校舎、つまり本館にも存在するのだが、本館の図書室には最近の雑誌や漫画、小説などが立ち並ぶ反面、別館校舎の図書室にはもっと古い小説やこの地の、または校舎の歴史などに関わるものや、比較的需要がない、古い、とイメージされるものがここへ移動させられるのだ。
つまりは、古くなった本など、必要なくなったものの厄介払いをうけおっているのが、この第二校舎、別館の図書室なのだった。雑誌などはさすがに廃棄処分しているようだが、それでも昔の古い文献や書物などを好む者もやはりいるようで。
がらりと、図書室の扉を開ける。
そこには、この図書室の守護神とも呼べる不動の存在があった。
これでもかと並行に、ぴったり綺麗に切り揃えられた前髪が、そろ、と揺れる。
硝子のように無機質な、割れてしまいそうに輝く丸い瞳や、撫でればしゃらしゃらと音がしそうな程に艶やかな真っ黒い長髪に、白すぎる肌は、どう見ても美しい日本人形のそれだ。流雨子とはまた別のベクトルの、美しさだった。
彼女はここの守護神――もとい、図書委員会別館管理人である。
「――また。来たの」
鈴の音のような、と言う表現があるが――正しくその通りだった。彼女のさらさらと流れる長髪の先にくくりつけられた二つの鈴が、揺れたわけではない。真に鈴の音、と言っていい程、透き通るような美声だった。
小さくてもはっきりと耳に届き、緩やかに脳に浸透する。その声は。
「毎回ご苦労さまだ。ね。授業は――楽しかった――?」
その声は、まるで呪文のようだった。
「……授業? あぁ……あれって実はこの日本を陰から乗っ取ろうとしている新宗教団体による集団催眠の場なんだぜ」
「そう――面白い人だね。やっぱり――うん、好きなだけ――寝て、くといいよ」
「起こさなくていいからな」
「どう――だろね。私は起こさないけど――どんなことがあるか、分からないよ――何が、どこから見てるかなんて。その時になるまで――誰も分か、らないんだから」
「大丈夫だ。邪魔なら叩く」
「――それ、私は全然大丈夫じゃないんだけど――まぁ、いいわ。ゆっくりと、お休み」
おう、と返事をする。しかし、彼女もまた流雨子と同じく奇妙な喋り方をする人間だ。彼女の名は、三霊 幽火。それ以外は一切謎に包まれてていて、図書室で一人静かに勉強していることが多いことから、“別館の亡霊”なんて二つ名がついてしまった、何とも悲しく、そして儚げな少女だ。
彼女は、よく分からない話し方をする――よく言えばのんびりとした、悪く言えばテンポの悪い――会話の節々に、本来あり得ないタイミングで突如句読点が割って入ったりするのだ。言うなれば、失礼な話だが、途切れ途切れに聞こえるラジオのような、壊れた機械のようだった。
声自体にあまり感情が入ってないのもあるせいか、その囁きは機械音声のように淡々と、しかし不揃いなリズムで、緩急をつけながら静かに響き渡る。それでいてはっきりと通る美声なのだから、何だか損をしているような気がしてならない。
そんなことを考えながら、私は奥に設置されているソファにどっかっと寝転がると、ゆっくり目を瞑る。すぐに、私は意識を手放した。
りん。鈴の音が、耳を打つ。
りぃぃぃぃん。今度は波紋が広がるように、緩やかに広がった鈴の音が聞こえた。
「ん……」
私はゆっくりと目を開けて。そこに、幽火の顔があった。
「うぉわぁっ!?」
驚いて、私は跳ね起きる。彼女はソファの傍に座り込んでいて、かく、と時計の針が一分進んだ時みたいに、素早く首を傾けた。
「おっ、おま! 何してんだよ!」
「――」
幽火は傾けた首をもとに戻して、何事かをぱくぱくと呟き、そして。
「起こそうと。思った、んだけど――」
と、幽火は表情もかえずそう言った。起こそうと思った? 寝顔をじっと見つめ? 呪おうと思ったの間違いじゃないか。
「あぁー……ありがとう。今何時だ」
「もう。放課、後よ」
放課後。なるほど、どうやら一暴れしてかなり疲れていたらしい。体の節々がぎしぎしと音をたてている。かなり無茶な暴れ方をしたようだ。変に体が痛いし、まだ眠気が残っているのがそこ証拠だろう。
私は立ち上がり、幽火の方へ目を向けた。
「……帰らねーのか?」
「そう――ね。私も。帰ろう。かしら」
ゆらり、と音もなく幽火は立ち上がる。りりん、と髪の毛の先にぶらさがっている鈴が揺れた。
「今日は――もう、閉めるわ」
がらんとした図書室。夕日が射し込み、部屋が淡くオレンジ色に彩られる。今日も客人は、どうやら私だけだったようだ。幽火は、薄く微笑んだ。
「また――明日」
また、明日。彼女は微笑み、確かにそう言ったのだ。私は自宅であるマンションの一室までの帰り道、ぼんやりとそんなことを考えていた。友達。不良少女と恐れられ、誰も寄り付かなかった日々。若くして両親を失った私は伯父の援助一つで、今もこうして難なく暮らせている――
小学生当時、幼くして両親を失った私を待っていたのは、若すぎるが故の、純粋な刃だった。親がいないことを散々に馬鹿にされ、気に入らない者がいれば叩き潰す。そんな生活が、ほぼ毎日と続けられた。そしてそんなことを続けていたら――知らず知らずのうちに、こうなっていた。
そうだ。昔も、今も、誰も彼も寄り付いてはこない。例外が何件かあるが、まぁそれは除くして。三霊 幽火。三霊 幽火、彼女は――そこで、ふと大事なことに気がついた。どちらかと言うと、彼女に歩み寄っているのは自分ではなかったか?
彼女を、図書室以外でまだ見かけたことがなく、そこへ訪れるのは、いつも私だ。
と、言うことはだ。そこまで気づいて、なぜか今までの行動全てが恥ずかしく思えてきて仕方がなく、ぼっと一瞬でどうしようもない程顔が赤くなった。
彼女は、幽火は私のことをどう思っているのか、とても気になって仕方がない。
友達、だろうか。
よく寝に来る奴、としか思われてないのかも知れない。
だが別館の亡霊なんて呼ばれる無機質、無感動、ほぼ無表情の彼女が、笑ったのだ。当然、良く見た事もないが、彼女の笑顔なんて、相当レアな部類だろう。噂に聞く限りでは、滅多に見られない代物に違いない。
やはり一人は寂しい。どんなに強がっても、一人では押し潰されそうになることもあるし、不安もあって、でも今更誰かと友達になろうだなんて。
話しかければ一言目にはほぼ怯えられるざまだ。大抵の人間は、私に話しかけようともしない。私が怖い、と言うのもあるのだろうが、それ以前に、私に関わってくる連中をより恐れてもいるのだろう。
今日だってそうだ――覚えてろ。絶対に許さない。そう言った彼らが、いつ報復に出るかなど、わかったものではないのだ。そんな危なっかしい事情を抱える人間と、誰が友達になりたがると言うのか。
よしんばその事実を知らない者が現れたとしても。“知れ”ば、消える筈だ。そうに、違いない。
今日も今日とて楽しくもない、鬱になりそうなことばかり考えて、私は重い溜息を吐きつつ変わり映えのしない住宅街をすたすたと歩く。すたすたと、すた、すたと。
「……?」
ふいに、違和感を感じて足を止める。この、違和感は。
ふと、後ろを振り返った。
「……ほら、思った通りだ……はは」
すると、どうだ。前方後方から、どこから沸いて出たのか、わらわらとどこかで見たような男子生徒達が現れたのだ。みな制服をまとってはいるが、それぞれ松葉杖をついているようなものや、腕に包帯やら、状態は見るからに芳しくない。何とも、痛々しかった。
「あー……もう傷は癒えたか」
「見りゃわかんだろうが!」
ああ、正しくその通り、どこからどう見ても、完全無欠に、絶賛治療系男子だった。私はとんとん、とシューズのつま先でコンクリートの路面を叩くと、
「――で? 何の用だ」
言った。彼らはお互いの姿を見やる。そして、またすぐにこちらへ視線を向けた。その目は、再度こう訴えかけているようだ。“見れば、分かるだろう”。ああ、確かにその通りだ。見れば分かる。見れば――分かるのだ。
「ふぅ――で、次はどこをへし折られたいんだ?」
「ぶっ殺してやるぁ!」
響く怒号。男子生徒達は、一塊になって雪崩のように突っ込んできて――
ふと。そこで目が覚めた。
「ん……あぁ……」
どうやら、今日一日の出来事を夢に見ていたらしい。ほんの、ついさっきの出来事だった。私はだるい体に何とか力を入れて、寝返りを打つ。星型の時計を手に取り目を凝らすと、もう深夜二時を回っていた。
上半身を起こし、ぐっと伸びをする。
「あ、起きました?」
少し目が冴えてしまったかも知れない。このままでは二度寝はできないな、なんて思いつつ私はとりあえず再び布団に寝っ転がった。
「よかったぁ。いきなり無視するんですもーん。で、とりあえずぅー……落ち着きました?」
コンビニにでも行くか。あえてこのまま栄養ドリンクを三本くらい買って、このまま今日登校してみる、と言うのも悪くない。また少し違った感覚が得られるだろう。大半の授業をサボることはすでに確定しているが。
「あのぉー……」
「……」
聞こえない。断じて何も。聞こえはしない。私は至って正常だ。毎日喧嘩に明け暮れ、授業をサボるような奴は非常識だが、何より正常だ。正常とは素晴らしい。常識を踏み外すことはあろうとも、死ぬまで一生健康体、薬物などにも手を出さず、私は一生を正常で終えたい。だと、言うのに。
「いい加減ー……少しはかまってくれませんかぁー? ねぇかまってぇー。かまってよぉー」
だと、言うのに。私はどうやら、精神にまで異常をきたしてしまったらしい。この部屋には間違いなく私しかおらず、その他の人間、生物など一人一匹一つとして存在しない。存在しない、筈だ。
「じゃあ無理やり言うこと聞かせちゃいますよぉ? えいっ!」
ぽんっ。と、音がした。
「……? え? 嘘……なんだ……!?」
季節は春を少し過ぎたところ。まだ時折り冷たい日も続くが、基本的にはぽかぽかっと暖かい気候で、寒くもなく、暑くもないこの部屋は、眠気さえあれば睡眠するのにちょうどよい感じだったのだ。ほんの、ついさっきまで。
気づけば、私はぶるっと体を震わせていた。涼風が体をゆるりと撫でるような感覚。戸は閉め切っているし、扇風機なんてものもないし、風が吹くことはない。しかしそれは一向になくならず、頭のてっぺんからつま先まで、私全体を“何か”がゆっくりと包み込んでゆく。
と、その時。
「うわぁぅ!?」
ばさぁっ、と布団を思い切り跳ねのけて。私の体が、突如宙に舞い上がった。
「あはははははは! どぉですかぁ! 空飛んでみる気分は! スカイハイですよぉー」
「ちょっ、ちょちょちょちょ! 何だよこれぇ!?」
私の体は、不安定に宙をふわんふわんと舞っていた。脳の処理が追い付かない。なぜ? 糸で吊り上げられている感覚など、ない。しいて言うなら――下から吹き上げる突風に体が乗っているかのようだった。
しかし、また揺れ幅が半端ではない。地面すれすれまで落ち込んだかと思うと、天井付近に激突するであろうその一瞬まで舞い上がる。かと思えば宙でいったん静止したように見せかけ――不意打ちのように、落ちたり上がったり。
そんなことを続けられていれば、当然気分も悪くなるわけで。
「うぅぅ……きもちっ、わる……!」
「あはははははは!」
視界の端に、“それ”を捉える。クリーム色な胴体に、申し訳程度にちょこんと付いている両手両足。口元から飛び出した鋭い二本の歯。お尻の方から細い二本のアンテナみたいなのが伸びていて、その先にはチアガールが手にはめるそれに負けないくらい――自分の胴体と同じくらいでかいぼんぼんがそれぞれ二つぶら下がっている。不揃いな長い耳。片方は折れ曲がり、片方はぴんと張っていて――首元で、蒼色の宝石のようなものが、きらりと光っていた。
「こぉのぉっ……!」
私は怒りを露わに、視界の端で大爆笑している謎の生物を睨みつける。私は何とかして体制を整えようとするが、いかんせん体が不安定過ぎて上手くいかない。まるで高い場所から落ち続けているかのように両手両足をじたばたと振り回していて――
「この――げっ歯類系前歯がぁ! 死ねっ!」
片手を畳みの方へ突き出し、ぴんと伸ばしてそこを軸とする。私は体を横にしたまま、独楽が回転するように無理やり体を捻ると――そのままの勢いで、謎の生物を思い切り蹴り飛ばした。
「もふんっ!」
気持ち悪い悲鳴をあげてそれは壁に激突。畳に落ちてから、二回程バウンド。その瞬間、私を支えていた“何か”が消え去り、私は畳にどたっと無様にも激突したのだった。
「もふっ……げっ歯類系前歯って……リスじゃ、ないよぉ……」
「黙れ!」
「ぼふっ」
すぐさま立ち上がって歩み寄り、どすっと容赦なく“それ”を踏み潰す。枕を踏み潰した時のように、不自然にそれはへっこんで潰れた。
「ううぅぅぅ……こんな乱暴な女が魔法少女の後継者だなんてぇ……」
ぐすっ、ぐすっ、と体を震わせている。どうやら……泣いて、いるようだ。
「あ……」
私はゆっくりと足をどけた。私の足型にへっこみ潰れた背中がじょじょに、じょじょに膨らみやがてぽんっ、と元の形に戻る。
「なんだお前。何なんだ。どこかが開発した新ロボットか。突風を起こす破廉恥な機能つきか。誰が喋ってるんだ? 正確すぎるよな。おおかたスピーカーでも仕込んで誰かが三問芝居してやがんだろ。どこのどいつだ!」
一気に、そうまくしたてた。するとそれは弱々しくふわふわと“浮き”あがると、目に涙を溜めながら言う。
「ぼっ、僕はぁー、救世主界魔法少女の使い魔のぉー、しいかと言います……ええ……先ほども申し上げました通り……あなたは救世主界第七十二期、今期“魔法少女”にですね……はい、当選しました。救世主陣の中でも特に強力な魔法少女の正統後継者ですねぇ、はい。大当たりですぅー」
「……? あん?」
「……? あんこ?」
「違うわ!」
ばしっ、と叩く。わけが分からなかった。それこそ最初から最後まで、全くを持って意味不明だった。救世主? 魔法、少女? 当選? 大当たり?
「一体」
何の話だ――
そう言おうとすると、しいなと名乗った謎の生物は、私の台詞を遮りこう言った。
「混乱されるのは無理ありませんねぇー。ですが――」
その時。きぃんっ、と。高い高周波が辺りに響き渡った。静かに、だが耳をつんざくような音に私は思わず目を瞑り、耳も塞ぐ。一体何なんだ次から次へと。意味不明過ぎて、私の戸惑いが混じった怒りは最早、最高潮を迎えていた。
このじんじんとする耳の痛みが収まった暁には、ハサミで解体して、中の綿とスピーカーを取り出して、洗剤で洗ってから生ゴミとまとめて捨ててやる。そう決心して――
目を、開いて。
「……はぁ!?」
私は、あまりの驚きに。真っ白になった。
「――理解し難いのは分かる。だが受け入れろ。俺の名は詩歌。お前は、今期魔法少女の座を受け継いだ。その名に恥じることなきよう――命をかけて、戦いに臨め」
目を開けた時、そこに立っていたのは。先ほどまで、謎のぬいぐるみ生物がいた“場所”に立っていたのは。目も痛くなるような白――いや、銀色か――の頭髪を持った、見紛う事なき人間で、ただの青年だった。
「聞いてるのかお前。お前だよ、ちび」
「ちっ……!?」
青年は見たこともないような蒼を基調としたスーツを着こなしていて、すらりと、かなり身長が高い。私は元々身長が低い為、大半の人間を見上げてしまうことになる。そう言った私にとってのマイナスもよくからかわれ、今の私を形成するのに必要な要素だったわけだが――と、今はそんなことはどうでもいい。
どう見ても、明らかに、私より三十センチメートルも上だ。
いや、そんなこともどうでもいい。
「ちびって言うなてめぇ殺すぞ!」
いや、そんなこと、ではない。私はかつて、身長と親を馬鹿にした者どもを例外なく血祭りに上げてきたのだ。この男もまた、例外に漏れるわけがなく、そして――血祭りの対象である。
「落ち着いて話を聞け。ちび」
「なっ〜〜……、だから!」
躍起になって、興奮して。私は、一歩踏み出し。
「うるさいちびだな」
とんっ、と。
「……? あれ……?」
いつの間にか、転んでいた。仰向けに。だが、天井は見えない。なぜか。
「うるさいんだよお前。人の話も聞かずぴーぴー騒ぎやがって。いいか、まずは落ち着け。そうしないと、このまま――」
男が。私に、覆いかぶさっていた。私の両腕を、しっかりと押さえ。覆い、かぶさっている。肩を撫でていたセミロング程度の銀髪が、さらりと流れ落ちた。今時のように髪を逆立てたり固めたりはせず、自然な柔らかさを持った毛先が、私の鼻をこしょこしょとくすぐる。
と言うか近かった。近い。近すぎる。間近で見る彼の瞳は細く鋭く、蒼色だ。初めて見る、黒以外の瞳。私は、吸い込まれるように、じっとその瞳に見入ってしまっていた。
とてつもなく綺麗だ。例えるなら海の蒼さ。いつまでも眺めたところで飽きは来ず、見れば見る程、深みに溺れていくような――
「――ふん。このままあれやこれやと恥辱を与えてやるのもよかったが……やっぱりガキは駄目だな。何だこの小せぇ胸は。ちゃんと栄養とってんのかちび」
「〜〜〜〜っっ!」
一瞬でも見とれていた自分を、殺したくなった。最早、容赦など皆無。彼の一言は低身長貧乳の私の逆鱗に触れた。いや、ぺりぺりと剥がし、その下にあるたぶん地肌とかをがりがりとやすりで削った。もうただではすまさない。
股間を蹴り上げ一生使い物にならなくした上、全裸にして四肢を縛り散々謝罪させた更にその後、裸体に僕は破廉恥王子でしたと油性マジックででかでかと書いてから海ではなくそこら辺の浅い川に浮かせてやる……!
と、おおよその拷問内容は決まったわけだが。組み敷かれた両腕は、ぴくりとも動かない。彼は、私を見つめたまま何も言わなかった。
「なっ、なんだよ! 何見てんだちくしょう! 栄養だと!? とってるに決まってんじゃねぇか! けどな! 私の身長と胸は中二の頃から止まったままなんだよ! って何言わせんだ! 殺す! もう殺す! 地獄を見せてやるぞ! 一生引きこもりになっちゃうようなショックをお前に与えてやる!」
「……」
声もなく、音もなく。彼は落胆した素振りを見せ。そして。
「だ・ま・れ。と、言ってるんだ」
私が、何かを言う前に。彼は、ぐっと顔を寄せ。自分の唇を、私の“それ”に押し付けたのだった。右手は、私の左胸を鷲掴みするおまけつきで。
私は目を見開いて――真っ白。空白。虚無。停止。
さーっと今までの考えが真っ白な世界へと塗り替えられてゆく――
「――なんだ、もしや着痩せかと期待したが、やっぱ小せぇな」
少しだけ唇を離して、そう呟いて。彼は、にやりと笑った。
「――――殺す」
もう後のことなど知るか。とりあえず――
自由になった左手を首の後ろへ素早く回し込み、彼の後頭部の頭髪を鷲掴みにする。なんというか想像通り、物凄く柔らかい髪の毛だった。彼が若干痛みに顔をしかめ身を引いたのを、私は絶対に見逃さない。
その隙に、思い切り、渾身の頭突きを打ち込む。
「がっ……!」
前方からの衝撃に仰け反り、更に体が引いたところで――自慢ではないが、私はかなり体が柔らかい方だ――片足をぴんと伸ばしてから、折り畳んだ。続けて自由になった右拳を握り締め。
「死ね」
体を回転させて、膝と拳を、ほぼ同時に脇腹へと打ち込んだ。
「がはぁっ!?」
どさっ、と彼はあまりの衝撃に脇腹を抑えながら仰向けに転がり悶える。私はすかさず飛び起きて彼の体に精一杯足を広げてまたがると。
「形勢逆転だなおい。とりあえず……逝っとけ」
体を捻り、極限まで、右腕を引く。
「おっ、おい! 待て! だから話を――」
「聞く耳ねぇよ!!」
全体重を乗せ、確実に叩き割る覚悟で、思い切り、顔面に右拳を叩き付けた。
数十分後。彼は、目を覚ました。すかさずパンチをお見舞いし、もう一度寝かせる。
次に彼が目を覚ましたのは、そこから数分後のことだった。
「――猛省しろ。謝れ。僕が破廉恥でしたと。土下座して、謝れ」
「てめぇが人の話を聞かねぇから……」
「言っていいことと悪いことがあるだろーが! お前が言った……その、あれだ」
「ちび」
「黙れ! それは禁句だ。私にとって、第二のタブーだ! 胸のことも言うな! ちなみに胸の話は第一のタブーだ! よく覚えとけ!」
そこまでを一息に吐き出し、私はぜぁはぁと荒い息をつく。彼は――そう言えば今更だが名を何と言ったか――鼻をさすりながら、小さく呟いた。
「……悪くない」
「あん!? なんだって!?」
「悪くない、と言ったんだ。歴代の中でも、お前のようなインファイターが魔法少女に当選したことなどなかった。かなり有利だ。元々魔法使いと言うのは――」
「おいおい待て待て待て」
またそのわけの分からない話をするのか。もううんざりだ。リアルに不法侵入で通報したい気分だった。
「待たない。もう少しは分かってるだろう。俺が、只者ではないってことが」
「……」
こくり、と喉を鳴らす。認めたくない。認めたくは、ない。何せ、まずは封筒から始まり、そこから奇妙な生物が生まれた。それが何なのか、と言うことが判明する前に――そいつは姿を消し、かわりに彼が、姿を現した。
何を認め、何を疑えばいいのか。
だがしかし、いくら非常識なことだと言っても、さすがに憶測くらいはいくつでもたてられる。あくまで、憶測だが。ここまで非常識だとその憶測までがどんなあり得ない非常識要素によって打ち崩されるとも分からないが、少なくとも、一般論としての、ある程度の憶測はたてれたつもりだった。
「お前……あの、ぬいぐるみなのか」
「詩歌だ。覚えろ、二度と間違えるな、ちび」
「ああ覚えてやる。だから二度とちびって言うな」
ふん、と詩歌は鼻を鳴らす。私は今日何度目になるだろうか、溜息をついて、彼がしきりに繰り返すある一つのワードについて、考えてみた。
魔法少女。何とも幼稚な響きだ。魔法少女、と言うとあれだろうか。黒いマントにとんがり帽子、星のトレードマークなステッキを振るい、呪文とともに魔法を放つ――少なくとも私の中の魔法少女と言うイメージは、そんな感じだった。
「で……なんだよ魔法少女って。一等賞か? 魔法少女の発祥の地へいざ三泊四日くらいのご招待でもしてくれんのか?」
「可愛げのない女だな」
私はまたいらっとして、眉をしかめる。会話の節々に、どうも棘の見え隠れする……と言うか棘しか見えないような話しようだ。さすがに相手するのも疲れてきた。時刻は三時を迎えようとしている。
これが夢ならば、私はいつ目覚めるのか。もし目が覚めたら、こんな恥ずかしい夢など二秒で忘れてやれる自信があった。
「いまから大まかに話す。質問は後だ。いいな?」
「……ああ。話せ」
「俺は、救世主界、と言う世界から来た。それはまぁ通称で、ほんとはもっとなげぇ名だ」
救世主界。何だかそのうち魔界とか天界とか言い出しそうな雰囲気である。
「俺達には敵がいる。敵の名は――水晶」
水晶。なんだか綺麗なイメージしか浮かばない。とりあえず透明度の高い“何か”を想像してみる。
「その存在は、長らく我々と対立を続けてきた。お前達、人間を解して」
人間を解して、とは何事だ。そんな戦争なら勝手にやってくれればいいのだ。こんな風に突如現れ、丁寧に説明してまで、他の者に肩代わりさせる必要がどこにあると言うのか。
第一私自身非常識ではあるが、それはやはり、この世界の基準であって――もし別世界があるとして、そこの非常識度にはてんでかないはしないだろう。何たって、やっぱりどう足掻いても私は女で、ただの学生だからだ。
ぬいぐるみに変身したり、封筒から現れたり、人を宙に浮かせたりなんかする奴の敵なんて、どうせ同じようなものだろう。争いたくもない、と言うかそれ以前に関わりたくもなかった。
私のそんな懸念を感じ取ったのか――詩歌は、
「お前達にも、全く無関係と言う話でもない。奴らの目的は、人々の心に確かに存在する、宝玉。大小様々、形も、色も、人によって様々だが――当選した人間は、普通の一般人よりも極めて大きく、綺麗な宝玉を持っているとされる」
綺麗、と言われて嬉しくないことはない。ここは一応素直に喜んでおこう。しかし宝玉、とは。勾玉のような……いや、違う。占い師が使いそうなイメージの、あんな水晶玉のことか。
「宝玉を奪われた人間は死に至り――宝玉を手に入れた奴らは狂暴さを増す。これはお前達を守る手段だ。普通の人間よりも大きな宝玉を持っている人間はより狙われやすく、力を与えることで、自分自身を守ってもらい、そして被害を広げない為にも――お前は、戦うんだ。以上。質問は」
? どこで笑えばいいんだろう。なんかよくありそうなストーリーだとも思う。私の心? 宝玉? 形? 色? とられれば――死ぬ?
なんて馬鹿らしい。私なりに、単語を置き換えて考えてみよう。宝玉――つまりを魂を理不尽にも我が物にしようと奪い去る水晶――死神が、人々を狙っている? ではこの男は天使か。
断じて違う。悪魔とか魔王とか、もうそんなレベルでもない。もっと下級の、薄汚い淫魔だ。滅されるべきはこの男で、力を与えると言ったが、今私に何かしら超常的な力があると言うのなら、それは間違いなくこの男に向かって放つべきなのだ。
「質問は……ないのか」
押し黙っている私を見て、詩歌が言う。
「ああ……それが本当だったとして」
「真実だ」
「…………その宝玉ってのは、魂みたいなものか」
そう言うと詩歌はいや、と答え鼻を右手で少し掻くと、
「人々の心。人間がまとうオーラが形となって、内に潜む宝石のことだ。奪われればそれは心が奪われたことと同義であり――意志のない人形と化す。奪われるだけならまだ“その程度”で済むが……破壊されれば」
分かるな? と。詩歌が私に目をやる。
「死ぬ……の、か?」
「跡形もなく、砕け散る。人々から存在したこと自体忘れられ、この世から、“消失”する」
だんだん体中がかゆくなってくるような話だ。こう言うのを何と言うんだったか……中二病? いや、もう何というか小二病だ。どこの漫画だ。はっきりと言うが、全く、信じられない。
もし仮に。全てが真実だとしよう。真実だったとしても。私は、そんな戦いになど臨まない。私のそんな沈黙をどう捉えたのか。詩歌は明らかに苛立った表情で、更にこう続けた。
「封筒が届くのは、強く、大きな宝玉を持ったとされる者にのみだ。ある一定の、既定のレベルに達した者に、ランダムで封筒は届く。職種は様々で、今回のお前は魔法少女に当選した」
「……はは」
限界が、訪れる。頭が痛い。もう駄目だ。
「ふざけろ。もういい。これは夢だ。私はゆっくりと目が覚めるのを待つ。あぁ、それと一つだけ言いたいことがある」
詩歌は黙ったままだった。
「戦いたいのなら好きに戦えばいいじゃねぇか。あんただってなんかこう……魔法みたいなのを持ってるんだろ? 魔法少女? 当選したぁ? 押し付けんじゃねぇよ。てめぇで戦え」
「できるならそうしてるっつの。力は出せるが、元の世界で使う以上に疲労するし、限界もすぐに訪れる。だからお前達に力を渡すんだ。お前は狙われる。俺が力を貸す。お前が倒す。俺達は奴らに宝玉を渡したくはない。お互いに損はない」
「損はない? 損はないだと!? お前の言い方だと、つまりこう言うことだろ? 私がもし戦うことになったとして! お前は見てるだけじゃねーか!」
じょじょに。じょじょに、私の苛々も募ってゆく。もう本当に、たくさんだ。これ以上戯言を話すつもりなら、やはり先ほど考えていた川流しの刑を――
「見てるだけじゃ、ない。お前がもし死ねば。俺も同時に死ぬ」
「……」
詩歌は、ただ目を閉じてそう言ったのだった。
「俺の力を、お前が持つ。そのお前が倒れれば、一時的に、だが全ての力を渡した俺は繋がりを失い消える。逆の心配はない。空の貯金箱をなくしたところで、お前には何の被害もないんだから」
本当に、しらけた。そんな、本当に、寂しそうな顔で言われたら。もう怒る気も失せる。
だが、ここまでだ。私ははっ、と笑い飛ばすと、
「ま、面白い話聞いたよ。今度その設定で漫画か小説か、何か書いてやる。ああ、そうだ。いい夢だった。お疲れさん」
私はぐちゃぐちゃになった敷布団と布団を取り上げ、元の位置に戻す。そして、もう話は終わったと言わんばかりに、彼に背を向ける形で布団の中に潜り直した。
魔法少女。水晶。宝玉。敵。戦い。何もかもが信用に欠けるし――第一いきなりそんな話をされて、はい。戦います、と言うような輩がどこにいると言うのだ。常に戦いの道を極めんとする武道の道をゆくような、私はそんな人間ではないのだ。
全て真実だったとしても、理由なくしてではないが、何かと暴力をただ振るってきたような落ちこぼれの不良がどうあっても手に負える話でもない。例え力を持っていたとしても。新たに持ったとしても。私にはそんな人の心の形を喰らうような得体の知れない者と戦う度胸などないし、勇気もない。
ただ本能に任せ。気に入らない者を、この手でねじ伏せてきた、ただの馬鹿なのだから。
静かに、瞳を閉じる。
詩歌はもう、何も言わなかった。
2.
朝。目覚まし時計のけたたましいベルの音に、じょじょに意識が覚醒する。
私は手の平で思い切り時計をしばき倒すと、時計はちりんっ。と最後にそう音をたてて止まった。体を起こして、んーと大きく伸びをする。部屋を見渡すと――
何もなかった。
「……はぁ」
酷く疲れる夢を見たような気がする。私は立ち上がって、とりあえずカーテンと窓を少しだけ開けておいた。和室を出て、細長い廊下に差しかかる。この長い廊下の一番奥がリビングに繋がっていて、和室の向かいにはトイレがあり、その隣にお風呂場、更にその隣に、洋室があった。
実は和室の隣にも寝室と言うものが存在するのだが、玄関から入り一番近い和室を、私はいつも寝床としている。朝食を摂る事があまりないので、そのまま短い距離で自宅を出る為だ。
何と言うめんどくさがり屋だ。自分でもそう思うが、まぁ今はそんなことはいい。夕食を摂っていなかった為に、さすがにお腹が減っていた。
寝室の隣にはそれなりに広いクローゼットがあって、そこから制服を取り出す。素早く袖を通すとリビングに入り――
やはりそこにも。いや、確認するまでもない。あれは夢だ。そう。夢の中の人物が現実に現れることなどあり得ない。
私は乾いた笑みを浮かべると、冷蔵庫から食パンを取り出して焼かずにそのままはむはむと齧り始めた。何だか、疲れが全然とれていないような気がする。大人数を相手にあそこまで暴れ回ったのは久々だった為か、私の予想以上に疲労は溜まっていたらしい。
「……走り込みでもしてみるか、な……」
何の為に? 決して喧嘩の為ではない。ただ、体力をつける為に、だ。パンを口の中に押し込んでねじ込んで頬張って、牛乳で適当に流す。三分にも満たない、適当過ぎる朝食だった。
壁にかざられた時計を見る。七時だった。いつもはだらだらと過ごしてから遅刻ぎりぎりに登校するのだが……どうにもまだ眠い。このままでは、また眠ってしまいそうだ。どうせなら――そうだ。図書室で眠ることにしよう。
何ともまぁ、駄目人間まっしぐらなことこの上ない。
何かスポーツでも始めてみようか。私がスポーツに精を出すなんてことはあり得ないが、妄想は自由だ。私はバレー部のエースとしてなにか凄い大会で優勝して有名人になってしまう妄想をしながら、マンションを後にした。
校舎につくと、まだ人影もまばらだった。この晴稟高校と言えば、偏差値的には上でもなく下でもなく、極々普通の、一般人がこれでもかと集まる普通すぎて普通すぎる公立高校だ。変人は効率よく集まるようだが。
私は校舎ではなく――道から外れ、別館の方を目指した。もちろんそれは、眠る為である。図書室で。今から。授業などなかった。
別館はやはり校舎に比べて見た目的に古くさく、だが私はどちらかと言うと新品よりもこう言ったレトロな雰囲気が漂うものに心惹かれるのだ。微かな木造と、埃の香り。やはり落ち着くし、何より静かなのがとてもいい。
私は真っ直ぐと図書室へ向かって。
「――? いらっしゃい。早い――わね」
図書室の前に、幽火がぼーっと突っ立っていた。
「……三霊、幽火」
幽火がかくり、と壊れた人形のように首を傾げる。相変わらず無表情で、その硝子のような、ビー玉のような瞳には何が映っているのやら。私の背後霊か何かでも見つめていそうで怖い。
「なぜ。苗字と名前を。あわせて、呼ぶの――幽、火。だけ、でいいわよ――」
ふふふふふ、と口を閉じたまま、鼻で笑う。微妙に唇の端が上がっていて、笑顔だと言うことは分かるのだが、どうにも怖かった。子供の時、深夜トイレに行くたびに感じていた、あの根拠のない、得体の知れない恐怖と似た感じだ。
別におかしいことなど何もないのに、なぜか背筋が冷たくなって、無性に背後が気になってしまう、あれだ。そう言う時は背後ではなく頭上に“いる”と心霊番組か何かで聞いたことはあるが――
頭上には、微妙にひび割れた天井しかなかった。
「――大丈夫よ。そこに、は――何も。いないわ」
「……そこにはってなんだよ。こえーよ」
「ふふふふふ」
つくづく奇妙な女だ。幽火は突っ立ったまま、ぴくりとも動かず、私を見つめている。
「……何か?」
「――――いいえ。私、は――とっても嬉しいわ」
「?」
なぜ嬉しがるのだろう?
「わた、しは……口。下手だから――話せる友達ができて。嬉し、いのよ。誰も私となんか……そう。たぶん。その筈――話したがらないもの……」
静かにそう言って、今度ははっきりと口を開けてにっこりと笑った。ただしやっぱり少し不気味だが。だが――素直に可愛らしいと思った。普段は無表情故か、たまに見せるその儚くすぐに消え入りそうな笑顔は、嫉妬してしまいそうな程に、綺麗だった。
「そうか。友達、か。あぁ、まぁ……よろしくな。幽火」
「…………貴方は。私の名を知って、いるけれど――私は、貴方の名を知らない。わ。教えてちょうだい」
そこでふと気づいた。私の名――まぁ悪名だが、それなりに知れ渡っている筈だ。名を聞かれるなど、久々のことだった。私は私自身も気づかぬ内にほんの少し高揚しつつ、
「あぁ、美羽天衣だ。似合わねーだろ」
「みう? あま、え――天衣ちゃん。ふふふ。可愛い名前」
ふいにそう言われ、どきっとする。
「かっ、可愛くなんかねーよ!」
「いいえ――とっても可愛いわ。たくさん。甘えて、もいいのよ」
「……」
「今のは――笑う、ところよ」
意外とフランクな性格なのか。勝手なイメージだが幽火がそんなギャグを放つと言う事は、私の中では猫がわんっと吠えることと同じくらい有り得ないようで――
「ははっ」
私は、そんな事を自分で考えて、自分で笑ってしまっていた。考えてみれば、今まで少し顔を合わせそして少し会話をしただけだ。それ以上、私は幽火の事を何も知らない。実はギャグ好きだったとしても、まぁそれは、私の知らないことだったわけで、私の勝手なイメージがただ崩れた、それだけの事だった。
それとも、少しでも歩み寄ろうとする彼女なりの冗談、ってことでいいのか。
と言うかただギャグを言っただけでここまで考えさせてくれるこの幽火と言う少女は、相当なものだ。何が相当なのかはよく分からないが。多分大物だ。
「で? 入らないのか?」
「――ええ。それが……」
言って幽火は、しょんぼりと肩を落とす。どうしたと言うのだろう?
「おかしい、のよ――昨日は。きちんと、鍵をかけた筈……なのに――」
「……どういうことだ?」
不穏な空気を感じ、とりあえず私は幽火へと歩み寄った。前々から思っていたが、やはり私より身長が高い。百四十七と低すぎる私はいつも精一杯鯖を読み百五十とまぁ女性なら少し低い、と言われる程度に身長を語ってはいるが……いつも見下ろされてばかりだった。ちなみに三センチの差は思ったよりもでかい。そして三センチだろうが四十と五十と言う言葉の差は、もっとでかい。そこは絶対に譲らない。
「近くで見ると――もっと。可愛い。わね」
「撫でたりしてみろ。お前の魂を引っこ抜いて洗濯して蜂蜜塗って山に放置してカブトムシその他昆虫まみれにしてやるぞ」
「やっぱり――楽しい、人。と、それは――おいといて」
彼女は図書室の方へ向き直った。そうだ。身長の話は自分が傷つくだけなので、なるべく考えないようにしよう。
「図書室が――すでに、開いて。いるの」
「……管理は」
「全て。私が――任されて、いる。わ」
管理は全て幽火が? と、問うまでもなかった。それもそうか。なんたって管理人なんて名を貰っておいて鍵の開き閉めをしていないなんてこともあるまい。昨日、私が図書室を出た時。中には、恐らく幽火しかいなかった。
もし中にまだ誰かいたのだとすれば、そいつは幽火以上に存在感の薄い奴で――そんな奴がいるとも思えないし、いたとしたらそれは間違いなく幽霊だ。
誰かが、忍び込んだのか。
「下がってろ」
すっと腕を伸ばして、幽火を下がらせる。一応、確認しておこう。例えば逃亡中の強盗犯とか――可能性は零に近くても、あり得なくはないのだ。少なくとも、ぬいぐるみが人に変身することよりは。
「頼もしいわ……――天衣ちゃん」
私は静かに戸を開け。
そこにあるものを見て、気が抜けた。
「……なんだ、こりゃ」
いつも幽火がいるスペース。その机の前に。ぽとりと、制服が落ちている。
「これ。は。制服――?」
私の上から部屋を覗き込んで、驚いているのか、ほんの少し目を大きく開いて、幽火はそう呟いた。
私は上の制服を持ち上げると――中から、すとんと白いブラジャーが落ちてくる。怪訝に思いスカートも持ち上げてみると、そこには真っ白いショーツと黒い靴下に、上履き。制服だけではない。下着までもが、全て、そこに脱ぎ散らかされていた。
「なんだよ……これ」
けしからん生徒達がここで情事に及んだとは言え。さすがに制服は来て帰るだろう。では? どういう、ことだ?
「これ、は。――まさか」
と、幽火。彼女は相も変わらず感情の宿らない瞳で制服を見つめ、何かをぶつぶつと呟いている。私はとりあえず持ち上げたスカートのポケットを探ってみると、そこには学生証が残っていた。
ぱらりと、開く。
二の三組。花雅 秋早。聞いたことがある。確か、二年生にして、陸上部、その中でも長距離走のエースである女生徒の筈だ。
「幽火。私、とりあえずこれ教師に届けてくるよ」
「――……そう。私は。早退、するわ」
「おっけー……って、なにぃ!?」
私は耳を疑った。今の会話の流れから、どうしてそんな結論に至るんだ? 私のそんな驚きの声も無視し、彼女は聞き取れないくらいに小さな声で、相変わらず何事かをぶつぶつと呟き、そして屈み込み床を撫で始める。
「かえんのか?」
「――ええ」
「どうして?」
「お腹。が。痛いからよ――」
「そう、か……」
どう考えても、明らかに嘘っぽい。
「ま、いいけどな。花雅 秋早、か。こいつ、ここへよく来てたのか?」
「――ええ。何度か――この土地の。過去の歴史を知りたいと――足を運んでいた時期が。あった、わ」
なるほど。まぁ、いい。とりあえず、と私は呟いて。
「職員室行ってくるわ。だから、そのぉ……」
その一言は。流雨子にだったら何の問題もなく言えそうな、その一言が。
なぜか今は、とても言いにくい。
「――なぁに? 天衣、ちゃん」
彼女は、またかくりと壊れた人形のように首を傾げる。恐ろしく純粋に、何も読み取れぬその瞳。どうやら私の言いたいことが、本当に何も分かってはいないようだ。
恥ずかしさを押し込んで、勇気を出して、一言。
「また……明日な」
数秒おいて。
幽火は、笑った。
「ええ――また。明日」
そうして。私は職員室に向かった。向かった、のだが。
言い知れぬ、そして底知れぬ恐怖を、味わうことになる。
「花雅……秋早? ……本当にうちの在校生か?」
別れた後。私はすぐに職員室へ向かった。教師陣はすでに半数以上が集まっており、私はとりあえず近くにいた教師に声をかけたのだ。
その教師は私の姿を見て何やら驚いたような様子を見せて――そして私は状況を説明した。珍しく、丁寧に。最初から、最後まで、何もかも包み隠さずに、だ。
だが。その反応は、私にとって全く理解のできないものだった。
「花雅? 知らんなぁ」
私は固まる。知らない? そんな筈はない。人の顔と名前を覚えるのも苦手な私が覚えてるくらいだ。陸上部の天才ともてはやされた彼女を知らないような生徒なら、まだいい。だが、教師が覚えていないわけがない。
「ふざけんな! あの陸上部のエースだろうが! てめぇら教師がその名ぁ忘れてどうすんだ!」
私は力いっぱい、教師の胸ぐらを掴みがくがくと揺する。
「なっ、何を言って……」
頼む。私は心の中でそう願った。知っていると言ってくれ。そうでないと――そうでないと。夢の内容が、どうしても浮かぶではないか。あれは夢なのだ。こことは、現実はとは全く関係のないことなのだ。
『跡形もなく、砕け散る。人々から存在したこと自体忘れられ、この世から、“消失”する』
消失。人々から、忘れ、られる。
まさか。そんなことが。私は力を失って、へなへなと崩れ落ちた。
「どうしたんだ御羽。珍しく遅刻していないかと思えば、まだ寝惚けてるのか? 何度も言うが、うちの在校生に花雅 秋早などと言う生徒は存在しない。何か、昔の知り合いの夢でも見たんじゃないか?」
そんなこと。ある筈が、ない。なぜ? 一体、どうして? 何が起こった? どうなってるんだ? 全く理解が追い付かない。いや、これは最早考えるだけ無駄なのだ。理屈ではない。そこにあった事が事実で。今、ここは間違いなく現実。
花雅 秋早は、消えた。
この世から。人々から、忘れられたのだ。
なぜ?
私は駆け出した。教師の静止も聞かずに。一目散に、走り出した。向かうは二の三組。ここまで全力疾走したのは、いつぶりだったか。廊下を駆け、階段を飛ぶように昇り、邪魔な生徒も何人か突き飛ばしつつ――私は目的の教室へと辿り着いた。
頼む。心でそう願って。
私は、教室の扉を開けた。
結果から言えば。惨敗だった。
「……どう、して……?」
私は廊下にへたり込んで、呟く。誰に聞いても、答えは同じだった。
“知らない” “誰?” “そんな人いた?” “陸上部のエースはつかささんでしょ”
誰だそのつかさと言う奴は。こっちこそ、そんな名は聞いたこともない。
夢の中――いや、もうこの際認めてやる。“昨晩”、確かに詩歌はこう言った。奪われるだけならまだしも、破壊されれば。と言うことは。
つまり秋早は宝玉とやらを奪われ、そして壊された。そう。殺されたのだ。
「――ちくしょう!」
秋早と言う生徒が忘れられていたことに激高しているのではない。秋早が消えてしまったと言うことは、昨日の出来事を認めざるを得ない状況になってしまうではないか。これは集団ドッキリだと信じたい。
私に恨みを持つ輩が、喧嘩では勝てないからと仕掛けた心理作戦――だとすれば、それは大成功だ。
私の精神は、一気に摩耗しきっていた。集団ドッキリ、いや、さっきも言った通り、もう言い訳は止めて認めよう。学園中が総力をあげて私一人に集団ドッキリ? どこのテレビ番組だ。私はそんな標的にされる程有名ではない。別の意味では有名だが。
「……しいか」
私はのろのろと立ち上がる。詩歌。奴は、どこへ行った? 朝目覚めた時にはいなかった。もう元の世界へ帰ってしまったと言うのか。このままでは後味が悪すぎる。
だが、それも全て信じなかった私のせいか。なんてことだ。
「魔法少女……? 馬鹿かよ、そんなの信じられっかよぉ……」
くよくよしていても、始まらない。私はすっくと立ち上がった。
詩歌を探してみよう。この先も、私だけがこうして消えていく人々の記憶を持ったままなのか。できれば、私もみんなと同じく忘れ去りたい。何にしたって気分が悪すぎる。
そう言えば学生鞄を図書室へ忘れたままだった。校舎を出る前に一度寄っておこう。そんなことを考えながら、私はここへ来た時の半分以上のスピードでとぼとぼと歩み出した。
時刻は十九時。結論から言えば。詩歌は見つからなかった。それもそうだ。今や昨晩の出来事は現実味を帯びてきたとは言え、ほんのちょっとの間話した相手だ。行きそうなところなど検討がつくわけもないし、元の世界に帰ったのだとしたら、どうしようもない。
十時間近くも探し回った私も私だ。本当にこの情熱、スポーツにでも向けてみようか。この言葉にできない苛々を解消してくれる者が隣の県にいるならば、まだまだ余裕で走っていけそうだ。
しかし、なんて奴なんだ。今この世界に何が起きているかをあれだけご丁寧に説明をして。
結局、駄目だと踏んだ奴はすっぱり諦めるのか。もう少し辛抱強く粘ってみたらどうなんだ。まぁ何もかも突っぱねた私のせいなのだが。
マンションへと辿り着く。自宅は十三階。こんな気分が悪いまま、これからの日々を生きてゆかなければならないのか。何だか今まで以上に、余計に荒れそうな気分だった。とりあえずこの苛々をどうしようかと――
思った、ところで。
「わぁー、ありさんよかったですねぇー。偉いですねぇーありさんはー。働き者さんなのですよぉー。無事運びきったんですねぇ。めでたしめでたし」
「あ……」
一瞬でこれまでの考えなどが吹き飛び。気づけば私は駆け、飛び上がり――
「――このっ……! てめぇはバッドエンドだげっ歯類ぃ!」
「もぎゅっ!?」
上空から、思い切りそれの頭を踏み潰したのだった。
「いったぁー!? うわ! すっごいへこんだ! へこみましたぁー! 見て! すっごいへこんだ!」
「じゃあ今度は切り刻んでやろうかスポンジ野郎。どうせ元に戻るんだろ?」
ぐしぐしと頭を踏み潰す。踏み心地は、なんというか最高だ。
「えぇまぁ戻りますねぇー。切断された場合は回復に数時間を要しますが。っと、言い忘れました。天衣さんお帰りなさい」
と。いきなり。不意打ちだった。お帰り、なんて言われたのは、何年ぶりのことか、もうよく覚えていない。
「おう……でまぁ、聞きたいことがある」
照れ隠しに早速本題に入ろうとも思ったが、まだ敷地内だ。誰かに見られるととても困る。ぬいぐるみと会話する変人だとは思われたくないからだ。
「了解です。ありさんも無事に獲物を運び終えたようですし……行きましょーか」
私のそんな懸念は伝わったのか伝わっていないのか。詩歌はえへえへと笑うだけだけで、もう一度踏み潰してやりたくもなったが、とりあえず私はよし、と呟き、詩歌を――いや、しいかを鷲掴みにした。
「ちょっ、なんですかぁー!?」
「てめぇみたいな珍妙な生物がそこらかしこをうろつくんじゃねぇ。と同時に私はてめぇみたいなぬいぐるみを持ち歩くメルヘン系だとも思われたくないんだ。部屋までの間、我慢しろ」
柔軟性に富んだ体だ。多少は大丈夫だろう。私は呻くしいかをこねこねとこねまわし球状に――見事に球状化した――すると、無理やり学生鞄に押し込める。とりあえずは安心だ。
足早に、自室までの道のりを急ぐ。エレベーターに乗り、十三階へ。まるで何者かに追われているかのように、がちゃがちゃと乱暴に鍵を開けると、すぐさま玄関に飛び込み、かちり、と鍵をかけた。
ふと、くん、と制服を嗅いでみる。汗臭い。今日はかなり走ったから当然と言えば当然か。洗濯は後でするとして、私はとりあえず鞄を置いてすぐに制服を脱ぐと浴室の扉を開け中に投げ込んだ。
クローゼットから私服を取り出す。黒いジャージに赤いティーシャツと……自分で言うのも何だか色気皆無の恰好だった。鞄を蹴りながら、和室へと移動する。蹴るたび鞄がむぎゅっ、とかもふっ、とか鳴いていたような気がするのは、その通り、気のせいだろう。
部屋に入ると、鞄を逆さまにし、中のものを一息にぶちまけた。ペンが何種類かに、幾冊かの教科書、ノート、そして、極めつけにクリームパンみたいな謎の物体。
と言うかしいかだった。
「さて……天衣さん。決心はつきましたか?」
球状の何かが真剣そうにそう言ったが、なんというかとてもシュールだ。見る人が見れば大爆笑だろう。私はちっとも笑えないが。
「――何の話だよ」
私は、感情を押し殺した声で言う。
「ええ、ええ、そうですね。今日――生徒が一人、消えましたね?」
「っ……! 知ってやがったのか……! どうして――」
どうして、なんだ?
「どうして……!」
「言わなかった?」
そう言われ、はっとする。
「天衣さん、信じませんでした。だから、全ては話さなかった」
確かに。確かに、そうだ。信じなかった。何も。夢だと思い込んだ。全て。馬鹿らしいと、一蹴した。私は、何も信じなかったのだ。
「そうだよ……だから、お前を探したんだ。今日のことを確かめて……そして、これっきりにする為にだ。全て、なかったことにしたいんだよ……」
言うと、しいかはふぅ、と一息入れる。
「いずれはまぁ説明するつもりだったんですがー……彼女は、水晶憑きでした」
「水晶……憑き?」
それは、昨晩は聞かなかったワードだ。
「水晶に魅入られ、契約を交わし、望みを叶えてもらった者達の総称です。多くの場合とり憑いている水晶を破壊すれば救うことは可能ですが――彼女は、手遅れでした」
「望みを? 叶える……?」
私はもう、なんと言うか茫然自失状態で、しいかが説明する言葉を、ただおうむ返しのように繰り返すだけだった。
「そうです。宝玉は小さくても、少しずつ、少しずつ成長します。と言っても本当にごく僅かな変化ですが……水晶は対象の望みを叶えたり、力を与えたり、そのかわりに、成長する“筈”だった宝玉の力を……それを喰らってゆくのです」
「宝玉は成長しない……?」
「ですね。と言っても元々の大きさはほぼかわりません。ですが、少しずつ、少しずつ宝玉は成長します。成長する“筈”だった、宝玉本体に取り込まれる筈だったエネルギーは、僕達は欠片と呼んでます。覚えておいて下さいね」
正直、そんな小難しい話はどうでもいい。名前とか、水晶憑き? そんなことが聞きたいのではないのだ。花雅 秋早は、みんなに忘れられた。だから、私も――
「彼女は」
ぽこんっ、としいかの右足が再生した。
「彼女は元々――喘息持ちでした。姉が一人いるようで、今は有名な陸上選手だそうです」
「……だから?」
そんな話、聞いてない。
「願ったんですね。姉のようになりたいと。奴らは、人のそんな些細で、しかし大きく、大切な夢にとり憑くんです。激しい運動ができない体。それを疎ましく思う花雅さんに、水晶は付け込んだ」
「だからなんだ! 聞いてない!」
黙れ。そんな話で同情をひこうとしても無駄だ。人の幸な話も不幸な話にも、私は興味はない。確かに可哀想だと思う。その話からすると、秋早は姉を慕い、姉のようになりたいが為に、いわゆる水晶とか言う輩に“願った”のだ。
思えば、いつから彼女は、陸上部のエースだったか。私は、よく覚えていない。
「――忘れたいんですか? 彼女のこと」
「そうだ……そうだよ、それだ! 忘れさせてくれ……! こんなの嫌だ。私だけ覚えてるなんて、こんなのヤに決まってるだろ!」
私は、もうなんというか、無様な程に必死だった。混乱している、と言うのもある。封筒を開けてしまったあの瞬間から、私の日常は壊れつつあるのだ。頼む。頼むから。これまで通りの生活が愛しいわけではない。だが。
だが、私には、もう耐えられそうもない。これからも、きっと人は消えてゆく。私のような不良が、そんな人たちを覚えていて、どうなると言うんだ。
暴力は振るうが、真剣など振るわない。喧嘩はしても、戦いはしない。この差はとても大きく、責任もあり、全く違ったものだ。普通の人間に、最早手に負える話ではなさすぎる。
「なぁ……頼むよ。忘れさせてよぉ……なんで私は“まだ”覚えてんだよっ……お前と話したから? 魔法少女なんてもんに当選しちまったからか。なぁ、忘れさせてくれ……もう、こんな嫌な気持ちはたくさんだ……」
世間からも不良と見られる私は、自分が何を言っても誰にも信じてもらえない、そんなことには、慣れっこだった筈なのに。好きに言わせておけばいいだなんて、そんな風に思っていた、筈なのに。
人間一人が消えた事実。そんなことを信じてもらえないだけで、どうしてこんな嫌な気持ちになったのか。
一体、どうして? 嘘だと言って欲しかった。ほぼ有り得ないレベルの話だが、集団ドッキリであってほしかった。しかしこのうごめくクリームパンは言ったのだ。
生徒が一人、消えましたね、と。
私が待っていた言葉とは、少し違う。私が待ち望んだ一番の答えは、知ってはいるが、消えてはいないだ。
知っていても、消えていては――
ぽこっと、一息に、しいかが再生した。少し前まで右足だけだったのに、よほど頑張ったのか、超再生だった。
しいかは感触を確かめるように、むにむにと短い両腕で顔を擦り。
「ねぇ天衣さん。嘘でしょ? ほんとは……事前に知っていれば、貴方は助けた筈ですよ。ねぇ、一緒に戦いましょう?」
「――!!」
私の頭は、真っ白になった。
「黙れ、黙れぇ!」
気づけば、私はしいかを思い切り蹴り飛ばしていて。
「てめぇみたいなぬいぐるみがふざけた口聞くな! 助けたかっただと!? 違う! 私は信じたくなかっただけだ! お前みたいなのが現れたせいで! お前のせいだよ! なんでこんなに嫌な気持ちで、悩まなきゃいけねぇんだ! ごちゃごちゃ言ってねーで早く忘れさせろ!」
距離を詰め、更に思い切り踏み潰す。踏み潰して、踏み潰して、何度も、踏み潰す。ぐちゃぐちゃだった。しいかも、私の心も。奴の一言一言が、鋭利なナイフとなって色んなところをすぱすぱ切り裂いてゆく。
踏み潰して、踏み潰しすぎて……ふいに体から力が抜け、私はへたり込んだ。駄目だ。泣きそうだ。無様な醜態を晒す前に、早く私から、人が消えたと言う事実を、消してくれ。
「けふっ」
またぐちゃぐちゃのクリームパンになってしまったしいかが、せき込む。
「今日一日……貴方のこと、過去のこと、色々調べて、“見させて”もらいました。貴方、とってもいい人だった。自分から手を出したことなんて、一度もない。本当に、今期の魔法少女役に、ぴったりな人ですよ」
「よく言う……じゃあ今の私は何だよ……! 八つ当たりしちまって……お前、そんなにボロボロにされて、まだ私に戦ってくれなんて言うのかよ……なぁ、おい……ごめんな……」
胸の奥から、何かがこみ上げる。それは目頭を熱くして。気づけば私は、ぽろぽろと涙を零していた。涙を流すなんて、いつぶりだ。前に泣いた時のことを、私はもう覚えていない。
顔は見られたくないが為に、伏せる。と言っても、今しいかはまたクリームパンだから見えてはいないだろうけど。
「……仮契約が解かれれば、貴方は全て忘れることができますが」
「仮……契約?」
私は伏せた顔を、ゆっくりとあげる。引き伸ばされたクリームパンのような姿になったしいかは、ぽこぽこと体を再生しつつ、言った。
「お試し期間、のようなものです。実際に力を得て戦い……その上で、覚悟を決めてもらいます。それでもなお拒むと言うのなら、契約解除ですね。都合よく、全てを、忘れられます」
「いつの間に……って、まさか」
もしや、あれか。あのけしからんしいか――詩歌が、私の……その、唇を無理やり奪った、たぶんあの時だろう。あまりに唐突過ぎたし、それ以外は指先すら触れてもいない。考えられるとすれば、可能性をあげるとすれば、その時しかない。
「あれの……契約のキスのお陰で、貴方は今、消失してしまった彼女のことを、まだ覚えてられるんです」
「仮契約……解けば、全て忘れられる」
「ええ、そうです」
なんと簡単な話だ。それだけでいいのか。私はごしごしと目を擦る。しかしまぁ、なんて醜態だ。恥ずかしすぎる。例え謎の生物にでも、泣くところだけは見られたくなかった。
「お前はさ、たぶん必死なんだろうよ。パートナー? だよな。見つけるのにさ。運が悪かったと思ってくれ。ごめんな。私は、戦えない。そんなに強い人間じゃないんだ……中身もな。人が消えるなんて事実に、私は耐えられない。だから――」
ふと。
唐突だった。
それに、思い至ったのは。
仮契約のお陰で、覚えていられる?
と、いうことは。どういう、ことだ。
さーっと、全身から血の気が引いた。今まで生きてきて、ここまで身の毛がよだつ思いはしたことがないような気がする。何という事だ。しいかは、仮契約をしたからこそ、私は花雅 秋早の事を忘れないでいれたと言う。よくよく考えれば。よくよく、思い返してみれば。
誰も彼も花雅 秋早の事を忘れている中――もう一人、私の他に、彼女の事を覚えている者がいなかったか?
そうだ。覚えていたのは、私“だけ”ではなかったのだ。
「幽火……!」
三霊 幽火。彼女は、秋早の事を、覚えていた。あの時、何かをぶつぶつと呟いて。そして早退した。まさかとは思うが、いや、だがそんな事は……ない、とは言い切れない。可能性は、零ではないのだ。
「三霊さん、のことですか?」
「……! てめぇ、何であいつの名を……!」
「え、えぇまぁ。三霊さんは今期、つまり七十二期守護少女で誰よりも早く任についた者ですから。彼女の役は、“幽霊少女”です」
「…………は? 幽霊少女?」
「三霊さんは、救世主界第七十二期、“幽霊少女”に当選しました。今頃……花雅さんを貶めた水晶を、討伐に向かってる頃でしょうね。他にもたくさんいますよ。後この町にいるのは陰陽少女と」
「うるさいよ、聞いてない!」
信じられない。いや、信じたくない。何もかも、信じたくはないことだらけだ。幽霊少女だと? 魔法少女じゃないのか。いや、今はそんなことはどうだっていい。私はいても立ってもいられなくなり、もこもこと完全に再生しつつあるしいかを横目に、足腰に力を込めると、すっくと立ち上がった。
「? どうしたんですか?」
「……させてやる」
「はい?」
「止めさせてやる! 幽火のところへ行く! そんで、戦いなんて止めさせるんだ!」
「ちょっ、ですが彼女は――」
「うるせぇ! てめぇ……くそっ、こんなことで……!」
焦りから、言葉がうまく紡げない。落ち着け。そして、一字一句、正確に伝えるのだ。私の想いを。私の、怒りを。
「お前……! あいつは私の“友達”だ! 幽火に何かあったら! 水晶とやらの前にまずてめぇら全員をぶっ殺してやる!」
そう吐き捨てると、わき目もふらず廊下へ飛び出し、さすがにこの服装では外に出たくないなと思うと素早く上下を脱ぎ捨て、浴場の方へ放り投げた制服を再び身に着ける。
幽火が死んでしまったら。もし幽火が消えてしまったら。私はもう、きっとその“重き”に耐えられずおかしくなってしまうだろう。
しかし言ってしまえばそれは私の責任ではなく――だがそう言って目を背けることなど、出来る筈がない。友達が死んでしまえば、誰だって、寂しさのどん底に陥るものだ。
玄関の戸へ手をかけ――
私は、幽火の家を知らないことに気が付いて止まった。
「くそっ……! また、どうしたら、どうすれば……!」
いや、よく考えろ。あの時、幽火は早退したのだ。あれが水晶の仕業だと知って。後を追ったとは、考えられないか? 彼女が心の内にどんな想いを潜めているのかは分からない。人形と話している気持ちになってくる程、人間味の欠けた女だ。だがだからこそ、あらゆる可能性が浮かび上がる。
今頃家で震えているのかも知れない。
今頃秋早を喰った水晶をまだ追っているのかも知れない。
今頃――戦っているのかも、知れない。
「おい、しいか!」
「はい」
大声で呼ぶと、しいかは少し怯えた様子で、和室からちょこっと顔を出した。
「幽火の居場所は……もしかして、分かったりするか?」
「ええ。学校です」
「やっぱりわから……ってわかんのかよ!」
と、思わず突っ込んでしまった。しかし、なぜまた学校なんだ? 犯人は現場に戻る、と言うあれと同じような感覚なのか? 私は逸り昂ぶる感覚を何とか抑えながら、落ち着いて、問い質すことにする。
「幽火が、今、学校にいるのか?」
「恐らく」
「恐らく?」
「彼女の使い魔は――パートナーさんは友人なので。聞き分けの良い子で助かった、今夜は初の討伐任務だと、喜んでましたから。色々話を伺いまして」
それならばこうしてはいられない。一刻も早く、私も向かわないと。
「助けに……いかれるんですか?」
しいかは私を見上げると、本当に不思議そうな顔で言った。私の気の変わりように、驚きを隠せないようだ。確かに今、気は変わった。だが、根の部分は何も変わってはいない。現場に向かって、そして幽火に言ってやるのだ。戦いなど、止めておけと。
「助けに……」
だがもし戦うことになったら。いや、と頭を振る。それがどうした。そんな事は関係ない。今ここでぐずぐずとして考えているわけにもいかず、この一瞬、その瞬間でさえ、幽火に何が起きているか分からない。
「ああそうだよ助けに行くんだよ! 今回限りだ! 全て終わったら、その後に仮契約とやらも全て解いてもらうからな!」
「……ええ」
しいかは憮然とした、釈然としないような顔で唇を尖がらせ分かりましたよ、とそう付け加えた。私はしいかの首根っこを掴みひょいっと持ち上げると、またこねこねとこねくり回す。
「あわ。あわわわわわわ。こねないでぇー」
「黙れ。他に選択肢はないだろ」
しかしどこまでも不思議な存在だ。まるでお餅のように柔らかく、伸ばせばびろーんと広がるし、叩けばへこむ。記憶を消して貰う前に、一度どこまで広がるか試してみたいものだ。
「ほっ、他に選択肢ならぁ、ありますってばぁー!」
しいかは抵抗すると、私の手の中からひょいっと逃げ出した。はぁはぁと荒い息をつきながら、ふんすと気合いをいれ、私に向き直ると、見てて下さい、と言いつつぎゅっと目を瞑り、うーんと唸り出す。
「おお」
ぴかっと、小さく光ると。しいかは、私の手の平にちょうど収まるくらいのサイズへと、縮んだのだった。小さい。見た感じ子供向けアニメのキャラクターなので、携帯やゲーム機のストラップにでもすれば何の違和感もないだろう。
すっかり真剣な口調を忘れて褒めて褒めてぇーなどと喧しくのたまうしいかをがしっと手に取ると、適当にぽっけの中へと押し込み、私は外へ出た。
季節は春だが、夜の空気はまだ少し冷たい。それは寒さのせいによるものか、それとも――玄関に鍵をかけると、私はわき目も振らずに駆け始める。今日、何度目かの、全力疾走だった。
-
2011/04/04(Mon)06:35:53 公開 / たゆたま
■この作品の著作権はたゆたまさんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
はい。何を書けばいいんでしょうか。たゆたまです。実は以前二度ほど投稿したことがあって……長い月日をかけすぎたせいか、削除されていました。
なので今回は名前を変え、こうして新たに投稿してみたのですが……他作品を読む限り、どうも場違いな気がしてなりません。こう言ういわゆる王道的なジャンルは書いたことがないので不安ですが、ほんの少しでもにやりとでもくすりとでもして頂けたら幸いです。
作品についてですが、世の中にはいわゆる魔法少女モノ、と言う作品が存在していると思います。例を挙げる、となると少しばかり考えていますが……確かに、そのような作品は存在します。そこで一つ、考えました。魔法少女モノ、と言う作品。作中には幽霊少女、他に陰陽少女なる単語が登場しますが、幽霊少女モノ、陰陽少女モノ、とは言わないのはどうしてだろう、と。まぁ屁理屈ですね……
女性の霊が登場する作品を、私は知っています。女性の陰陽師が活躍する作品も、知っています。しかしそれは、幽霊少女モノや陰陽少女モノ、などとは呼ばれておらず、魔法少女モノと言う言葉が世に広がるならば、他にもそう言う少女たちがいていいのではないか、と思いまして……
キャラに関しましては変人が溢れております。完全無欠に私の趣味です。本来あり得ない苗字名前も、趣味です。設定は王道な感じで、ぶっちゃけありきたりな感じがします。かゆくなってしまうような、横文字の必殺技が乱れ飛び、倒された怪物は大爆発。本作品では爆発はしませんが、そう言った戦隊モノの王道のような感じで、私の中での、魔法少女の王道をいってみよう思いました。
私自身、真面目に、真剣に書き上げたのですが、水晶やら欠片やら、既存の作品とかぶってはいないか心配です。
長くなり過ぎたので、この辺りは後々削除しますね。
何かご不明、不明瞭な点があればなんなりとどうぞ。感想批判苦言、その他も、全て受け付けます。
あと、ここにはキャラの名前など、追記していこうと思います。
御羽 天衣 みは あまえ。不良。ちび。
詩歌 しいか。クリームパン。ストラップ。
七星 流雨子 ななほし るうこ。天使。いい子。
三霊 幽火 さんりょう ゆうひ。ホラー。怖い。
杏里 誠一 あんり せいいち。ヤンキー。死んだふり。
花雅 秋早 かが あきさ。喘息。消失。
作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。