『杞憂』 ... ジャンル:リアル・現代 恋愛小説
作者:シン                

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 「もしも悲劇を回避する為にタイムマシーンを活用したとして、果たして過去の人たちは未来人の言う事を信じてくれるだろうか……猫型ロボットにでも言われれば信じてくれるかもしれない……」一人の男が独り言を言っている。
 時刻は夜の九時を少し過ぎた頃だ、場所は愛を語り合う恋人達が集まる公園の真ん中だった。
 「いや待てよ、急に猫型ロボットが現れてもきっと驚きのあまり心臓が停止してしまうかもしれない、これは少し考える必要がありそうだ」周りの怪訝そうな視線を完全無視し続ける男。
 見たところまだ二十代半ばと言った所か、別に精神に支障をきたしているようには見えない。
 「これは明日の会議で議題に上げるに値する課題だな」
 「コラ!」ぶつくさと独り言を言っている男に平手でチョップをする女性。
 「痛いじゃないか千鶴」ほっそりとした長い髪が似合うこの女性の名前は橘千鶴。
 「痛いじゃないかじゃないわよまったく」ヤレヤレと言った感じで腰に手を当てる。
 「アンタの妄想は表に出ちゃってるんだから気をつけなさいって何度も忠告してるでしょ」さっき男が発していた独り言はこの男の妄想だったようだ。
 「何を言う、頭の中で呟いた言葉なんて所詮その程度の事でしかない、声に出し、その音を自分の耳に入れて頭に入れてこそ意味があるんだ、前にも説明したと思うけど」
 「えぇ何度も聞いたわ、でもね、自分の恋人が周りの人達から変な目で見られるのは嫌なの、分かるでしょ? 分かれよ高梨洋平」遅くなったが橘千鶴の恋人の名前は高梨洋平である。
 「そうか、確かに千鶴が周りの人から変な目で見られるのは嫌かもしれないな、分かった善処するよ」洋平は素直に認めた。
 「よろしい、それでどうしたの? 急に呼び出しなんかして」
 「別に僕が恋人である君を呼び出す事に何か疑問があるのかな? お腹が空いたら御飯を食べたくなるのと同じ理由だと思うけどね」
 「アナタが一日三回私に会いたいと思っていたとは驚きだわ」
 「僕は朝食を取らないから二回だよ」
 「そうでしたわね、それは失礼しました」続けて「でも今まで洋平が私を呼び出す事なんて一度だってなかったじゃない、だから疑問を覚えてもおかしくないわ」
 「そうだっけ? うん確かにそうかもしれない……」
そう言うと口を閉じ黙ってゆっくりと歩き出した。
 「何? 私と一緒に公園をお散歩したかったの? いいわよ〜アナタのお望み通りにしましょ」
 二人はしばらく黙って公園の真ん中を歩いていた、傍から見たら喧嘩でもしてるのかしら? 今にも別れ話を始めそう、そんな雰囲気の二人。
 たが当の二人はそんな事は微塵も考えてはいなかった、元来、高梨洋平という男は必要な事しか声に出さない、妄想は別である、そしてそんな男の事を知り尽くしている橘千鶴もこの沈黙を苦痛に感じる事はない、むしろこの男からの貴重な呼び出しを楽しんでさえいた。
 「どれくらいになるっけ」と洋平がそう呟いた。
 「五歳の時からだから……十九年くらいになるかしら、もう少し経てば丸二十年になるわね」
 洋平の問いに千鶴が答える、僕たちが付き合い始めてからどれくらいの年月が経ったのかと言ったようだ。
 この二人が出会ったのは幼稚園に入園した時、付き合い始めたのも同じである。千鶴が洋平に一目惚れをして、直後告白をしてそれを洋平が了承した形になる。
 当初お互いの両親たちは子供の他愛もない事だと思い微笑ましく見守っていたのだが中学に上がる頃には立派な自他共に認める、親公認の恋人同士になっていた。
 「そう僕たちは物心つく前から一緒だったと言っても過言じゃない、いつも一緒だった、何をやるにも千鶴と一緒だった」
 「そうね……」この人はこれから別れ話をするんじゃないかと千鶴は思った、彼の事なら何でも分かっている、好きな食べ物嫌いな食べ物、好きな本好きな映画好きな言葉、そして物静かで無口な人、彼をよく知らない人ならきっと無愛想に見える事だろう、事実それで余計な誤解を受けた事がある、だが底知れぬ優しさを持っている事を私は知っている。
 「ねぇ……何か言いたい事があるんだったらズバッと言ってもいいんだよ? 私だってもう子供じゃないんだから、それに洋平が言う事なら仕方ないって思うし」
 「仕方ない?」少し首をかしげる。
 彼の事を何でも分かっているつもりではいる、でも確信できていない事がある、それは最近出てきた不安だ。
 告白の言葉は今でもハッキリと覚えてる「私をお嫁さんにして」だった。その後の洋平の返答もハッキリと覚えている、これはもう秀逸としか言いようがない返事だった。
 「君をお嫁さんにするには結婚をしなくちゃいけない、でもその前に恋人にならないといけないんだよ?」私は花嫁に憧れてただけだから恋人というのを知らなかった、悩んでいた私に彼はこう言った「だからまず僕たちは恋人になる必要があるんだ、だから今から僕たちは恋人だね」そう言って右手を私に差し出した。
 その時から何となく目の前の彼がそう言うのだからそうしたほうが良いと思うようになっていた、それが今までずっと続いていた。
 話がそれてしまったが不安と言うのは、当時五歳だった彼が「私をお嫁さんにして」と「恋人になる」をどう認識していたかだ、ひょっとしたら友達になる程度の物だったのかもしれない、でもその後「恋人」という物に熱を上げたのが私だった、彼はただそれに合わせてくれていただけなのではないだろうか、彼はとても優しい人だ、自他共にそう認識していたのは私と周りだけで、私の為に恋人をやってくれているのではないのかと思ってしまったのだ。
 高校三年生の進路指導の時、彼は日本で一番の首都大学を選んだ、推薦でも受かるのではないかと思えるほど彼は頭が良い、もちろんそんなものがないので普通に試験を受けて首席入学を果たした、私はそこまで頭が良い方ではなかったし勉強もそんなに好きではなかった、だからとりあえず女子大短期大学へと進んだ。
 彼より先に卒業して今は叔父が経営している喫茶店で働いている、元々私は珈琲と紅茶、ケーキとクッキーが好きで高校を卒業したらすぐにでもそっちへ行きたいと思っていたのだけど大学くらいは出ておけという両親の言葉で何となくそれに従った、彼は好きな道を進めばいいと笑っていた。
 幼小中高といつも一緒だった私達は始めて離れ離れになった、だがいつも連絡は取り合っていたし、彼は時間を作って私の働く喫茶店に来てくれてケーキを食べてくれた、彼は甘い物が好きではない、だから無理して食べなくてもいいといつも言ったのに彼は無表情で難しい話をしながら甘いケーキを食べてくれていた。
 私はそんな優しい彼に甘えていたのかも知れない、彼はいつも難しい事を考えている、頭に浮かんだ難しい事をいつも口に出しているからよく分かる、これはきっと彼か抱えているストレスによる物なのかもしれない、本当はそういう事を語り合える相手が恋人として相応しいのかもしれない、残念ながら私には無理だ、昔努力はしてみたのだけど無理だった。
 だから今宵彼が別れ話をしても私はそれを了承するだろう、心のどこかではその覚悟を用意していたのだ、自分から切り出せないから覚悟だけはしていた、とても怖い事だったけど……覚悟くらいは用意できた私を今度甘いケーキで褒めてあげようと思った。
 「仕方ないってどういう事?」再び洋平が聞いてくる。
 「え? あ、ううん何でもないの、それでどうしたの? 何か話があるんでしょ?」少し涙目になってるかもしれないとうつむき首を振る千鶴。
 「うん、実はね前にも話した事があったけど、未来技術研究所に正式採用される事になったんだ、今さっき連絡があってね、今まではまだ学生って事で准研究員扱いだったんだけどさ」
 「そうなんだ、おめでとう念願が叶ったわけね、それでも学生が研究員扱いってだけでも異例の扱いだったわけでしょ? しかもお給料まで出て」
 「准研究員だけどね、教授のお陰だよ」
 「それだけじゃないでしょ? 他にも何かあるんじゃない?」これはきっとボクシングで言うところのジャブという奴なんだろう、こんな話は前回聞いた時から決まっていたような事だ、次に右ストレートがやってくるに違いない、ドンと来い、そう思う千鶴。
 「さすがに付き合いが長いから分かるのかな、実は次が本当に言いたかった事なんだけど」
 「うん……」やばい覚悟してたのに心臓が爆発しそうだ、笑顔を、笑顔でいなければ……。
 「千鶴、僕のお嫁さんになってくれ」
 「え?」
 「僕と結婚して欲しい」
 「え? アレ? 何で?」千鶴は目を大きく開き困惑した。
 「何でって、約束したじゃないか、覚えてないの?」
 「そんな事ない」覚えていないわけがない、むしろ洋平がそれを覚えていた事に驚いたのだ。
 「そう、よかった、ちゃんと就職が決まってから言おうと思ってたんだ、もうおじさんとおばさんには了解をもらったんだけど、おばさんが千鶴にも早く伝えて上げてって言われてね、急に呼び出したってわけなんだけど」
 「私より先に親に話すなんて、どうして? 順序が逆じゃない」
 「だって千鶴が断るわけないって思ってたし、まさかそんなに動揺するなんて思ってなかったんだよ」
 「あのね、あのね洋平、私は今日別れ話をされるんだとばかり思ってたの」
 「何だって? 別れ話? どうしてそういう話になるのさ」理解できないという感じの洋平、寝耳に水と言ったところだろうか。
 「だってメールも電話も会う時もいっつも私からじゃないと始まらないじゃない、洋平から会いたいなんて電話が来たの始めてなんだから」何故か涙が出ていた。
 「それは確かにそうかも……ごめんあやまるよ」
 「それに私、洋平が話してる事まったく分からなくて、無理して私が作ったケーキを食べてくれたり、無理してたんじゃないかって、本当はもっと洋平にふさわしい人がいるんじゃないかって、そう思って……」
 「千鶴以外にふさわしい人なんていないよ、意味が分からない話を黙って聞いてくれたり、連絡下手な僕に連絡をくれたり、バレンタインデーに甘い物が苦手な僕に煎餅をくれたり、そんな千鶴といる空間が好きで、そんな千鶴が作ったケーキが好きなんだ、だから……」
そう言いポケットから取り出した剥き出しの指輪を千鶴の指にはめる、何も言わず指輪を受け入れる千鶴、サイズはピッタリだった。
 「だからこれからもずっと一緒に僕のそばに居て欲しい」
 「……」
 「千鶴の願いを叶えるのに二十年も掛かっちゃったけど、僕と結婚してください」
涙を流しながら千鶴は洋平に抱きつく。
 「今日はえらくおしゃべりなのね」
 「たまにはいいだろ? というか慣れない事をしたもんだと思うよ、緊張とおしゃべりで喉がカラカラだ」
この男から緊張という言葉を聞けただけでも今日は記念日かもしれない。
 「返事を聞かせてもらえるかな?」
 「そうね、私も唇が乾いてうまく返事ができないかも」
そう言って自分の乾いた唇を洋平の唇へ重ねた。

これが返事。

2011/03/28(Mon)23:08:33 公開 / シン
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■作者からのメッセージ
初めて投稿させていただきます
本当ならこの後タイムマシーンに乗ってきた少女と出会う話を書こうと思っていたのですが、他での〆切が早まったため断念した作品になります。
書いている途中で「杞憂」という単語が頭に浮かんだためこのような終わりになりました、タイトルと内容が連想されていれば良いのですが。

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