『今は無きお前へ』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:浅田明守                

     あらすじ・作品紹介
人は悲しみを乗り越えるために日常を上書きする。

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 悲しい、という感情は一体どこから生まれてくるのだろう。
 親しい者が亡くなれば悲しい、愛しい人と離れ離れになれば悲しい、それまで暮らしていた場所を離れるのは悲しい。
 こうして考えると、悲しいという感情は親愛や恋慕のような感情に直結しているようにも思える。だからこそ、映画や小説で登場人物たちに入れ込み、親愛や恋慕の気持ちを持てばその終わりに涙し、終わってしまうことに悲しみを覚える。
 しかし、いがみ合ってきた相手がいなくなっても人はきっと涙する。お互いに罵り合って生きてきた間柄であればある程、その別れには涙が付きものだ。それはいがみ合いながらも互いを親愛しあっていたから? 違う。確かにお互いを憎悪し、憎み合っていた。にもかかわらず、いざ別れとなれば悲しさが積もる。
 悲しいとは一体何だろうか? それはきっと誰しもが納得のいく答えを出すことが出来ない類いの問いなのだろう。だからこそ、それぞれが自分の胸の内で答えを出さなければならない。
 そして俺は、悲しみとはそれまでの日常を切り離す苦しみから生まれるものであると結論付けた。親愛も、恋慕も、憎しみも、日常にあったからこそ、失った時に悲しみを伴う。そしてそれを癒すにはまた新たな日常を自分の手で作りだしていかなければならない。
「そうだろう、錦野よぅ……」
 青空の見える丘の上、そこにポツリとある墓石に向けて俺は呟く。
 錦野栄治。そう彫られた墓石を手で撫でる。その手つきが愛おしそうなのか、それとも憎々しげなのか、もう俺には判別することが出来なかった。きっと両方なんだろう。憎いから愛おしい、愛おしいから憎い。
 錦野栄治。それはかつて俺が憎み、罵り合ってきた人間の名前だった。
「お前さんが死んでちょうど一年だ。どうだ、俺はまだピンピンしてるぜ? 悔しいだろう」
 やつの墓の前で呟く。自分より先に死んでしまったやつに憎まれ口をたたく。
「ほら、悔しかったら言い返して見やがれってんだ」
 その声に答える声はない。長年聞き続けてきたやつの憎まれ口はもうどこにもない。もう一年も経つというのに未だにそのことに慣れない自分がいる。
「お前さんが死んでからというもの、張り合いがなくって仕方がねえや。ったく、どうしてくれるんでぇ」
 思えば、あいつと初めて出会ったのは大学の文芸サークルでのことだった。
 あの時俺はまだぺーぺーのひよっこで、各作品も自己満足のお粗末なものばかりだった。にもかかわらずプライドばかりは人一倍で、当時の友人らの間では一等文字を書くのが上手かったもんだから変に天狗になっていた。
『けっ、よくこんな幼稚な文章で物書きを目指せるねぇ』
 そんな俺が書いたちんけな文章に最初にケチを付けたのが錦野だった。
『てめぇ、これのどこが幼稚だって言うんだ』『どこもかしこも全部さね。あーあ、なんだいこのヘタレようは』『何だとてめぇ、表に出やがれ!』
 自己紹介をする間もなくケンカを始める。それが俺と錦野との間柄だった。
 その関係は大学を卒業してからも続いた。
 俺は在学中に新人賞を取って新進気鋭の小説家に、あいつは出版社に入社していつしか俺の担当になっていた。
『てめぇの文章は上っ面だけで中身がねぇんだよ』『何だとてめぇ、ケンカ売ってんのか!』『物書きなら文章で勝負しな。ほらどうした? この俺をぎゃふんと言わせるもんを書いてみろよ?』
 小説家と担当。肩書きが変わっても俺たちの間柄が変わることはなく、毎日ケンカして、小説を書いて、読ませて、またケンカして。その繰り返しだった。
 俺の書いた小説は見る間に有名になっていった。その内のいくつかは映画化のおふぁーとやらが来ていたらしいが俺はそれらすべてを突っぱねた。しーじーがどうだとか主演俳優がどうだとか、そんなことは知ったこっちゃない。
 文字を映像にしてもいいことなんてありゃしない。それは大学時代から俺が持ち続けた一つの信条だった。錦野のやつは折角のチャンスを馬鹿だねぇ、なんて言ってやがったが、こればっかりは譲れねぇ。
 錦野は錦野で、俺の書いた本が売れるにつれてどんどんと出世していきやがった。なんでも最終的には編集長だかなんだかの地位にまで打診されたそうだが、あいつは最後まで俺の担当を降りようとしなかった。俺に言わせりゃそっちの方が馬鹿な話だった。こんな頑固な物書きの担当なんてさっさと降りちまって、編集社の豪勢な椅子にふんぞり返ってりゃよかったものを。
 あいつが死んだのは一年前。新規小説の打ち合わせをしに俺の家に来る途中でのことだった。
 轢き逃げだと聞いていた。青信号を渡ろうとしたところ暴走したトラックにやられたらしい。頭を強く地面に打ち付け即死だったそうだ。犯人はまだ、見つかっていない。
「ったく、俺の担当を意地で続けてきたんなら最後まで遣り通しやがれってんだ……」
 誰に言うでもなく独り愚痴る。愚痴らなければやっていられない。
「お前さんなんざ、死んだら思い出してもやらねぇと思ってたのによ。誰が墓参りなんてしてやるか、なんて思っていたのによ……」
 結局俺は最後の最後まで、あいつにぎゃふんと言わせれっぱなしで、一度もぎゃふんと言わせることが出来なかった。いつも人を小馬鹿にして、散々俺に付きあっておいて、一人だけ先にぽっくりと逝っちまって……最後の最後で俺の胸にぽっかりと大きな穴を開けていきやがった。それが残念で、悔しくて、仕方がない。
「この卑怯者が……なんでぇ、人にケンカ売るだけ売って先にくたばっちまうなんて。トラックなんぞに轢かれて死ぬなんて、マヌケもいいとこじゃねえか」
 涙は出ない。出るはずがない。出しては、いけない。誰に誓ったわけでもない、しかしそれが俺たちの間での暗黙のルールだったからだ。
 ただ、胸に重く降り積もる悲しみだけはどうしようもなかった。
 だからこうして、幾度となくこの場所を訪れて愚痴をこぼしていく。流すことのない涙の代わりに、誰も答える者がいない独り言を漏らしていく。
「結局、お前がこなかったせいで俺の独断で例の新作進めちまったぜ。一人だったもんだから随分時間がかかっちまったがな。今度こそ、お前をぎゃふんと言わせてやるよ」
「本当に、家の父と仲がよろしかったんですね」
 しかし、今日に限って答える声がないはずの独り言にどこからか答える声があった。
「こんにちは。またお会いしましたね」
「……静香お穣ちゃんかい」
 そこにいたのは麦わら帽子を被った中年の女性、やつの娘だった。
「お穣ちゃんは止めてくださいよ。もうすぐ五十のおばあちゃんですよ」
「へっ、五十なんざひよっこもいいとこよ。そっちがおばあちゃんなら俺は死に損ないの大じいちゃんだ」
「ふふふ、敵いませんね木島さんには」
 横にずれてお穣ちゃんが墓の前で手を合わせているのをじっと見つめる。前にあったのはやつの葬式の時だったからちょうど一年振りか。少し皺が増えたようだ。なるほど、俺も年をとる訳だ。
「ここにはよく来るんですか?」
「まあな。ちょこちょこっと憎まれ口を言いにな」
「父もきっと喜んでいますよ」
 突然そんなことを言い出してきたもんだからとっさに答えることが出来ない。喜ぶ? あいつがか?
「はっ! ねぇねぇ、そんなこと。言い返せないもんだから、きっとあの世で歯ぎしりしてやがるよ、あいつは」
「そうかもしれませんねぇ。父も偏屈でしたから」
 二人で空を仰ぎ見る。青空、あいつが好きだった底抜けに青い空が広がっていた。
「先生! や、やっと見つけましたよ。原稿が出来たって聞いたからお宅まで窺ったのに、どこにもいらっしゃらないんですから……」
 遠から俺を呼ぶ編集の若造の声が聞こえてくる。どうやら家内からこの場所を聞いたらしいな。
「お墓参りですか? それならそうと先に言って下さればいいのに……」
「何を言っとる。俺は自分の担当に原稿を見せに来ただけだ」
 そう言って鞄に忍ばせていた原稿用紙を墓石に叩きつける。唖然とした若造の顔が可笑しくて少しだけ愉快な気分になる。
「おい、錦野。ちゃんと見ているか? ちゃんと読んどるか? どうじゃ、今度こそぎゃふんと言いたくなる出来じゃろう!」
 空に向かって叫ぶ。その様子をお穣ちゃんは可笑しそうに、若造はこの世の終わりのごとき顔で見ている。
「ちょっ、ちょっと先生! なななな、なにをやっているんですか!?」
「さてと……家に帰って新作を書くとするか」
「いや、今し方その新作をばら撒いたとこでしょうに! 何やってるんですか!?」
「ふんっ、端からあれは公開する気はなかったものだ」
 そういう約束だったからな、と誰にも聞こえない小さな声で呟く。お穣ちゃんが俺の方を見て少しだけ嬉しそうにクスクスと笑っている。呟きが聞こえたのか、あるいは別の理由か。まあどっちでもいい。
 あたふたとばら撒いた原稿用紙を書き集めようとする若造を置いて丘を降りようとする。
「……新作のタイトルはもう決まっているんですか?」
 そう言ったのは相変わらず嬉しそうに微笑んでいるお穣ちゃんだった。
「タイトル? そうだな……あぁ、今し方決まったところだ。おら、若造! いつまでそうしてるつもりだ。さっさと帰るぞ!」
「いや、だって先生!」
「だってもへちまもあるか! ぐずぐずしてんじゃねえよ。なに、安心しろ。もう新作のタイトルは決まってるんだ」
 あいつが死んで一年。
 俺はまだ生きて、失った日常を悲しんでいる。
 その悲しみを癒すには新たな日常を作る必要がある。古い、あいつの面影が残る日常ではなく、まったく新しい日常を。
 だからこその新作だ。かつてあった記憶ではなく、あったはずの夢でもなく、これから先も無尽蔵に綴られていく物語。
 タイトルはそう……


      ―――今は無きお前へ―――

2011/03/19(Sat)14:53:53 公開 / 浅田明守
■この作品の著作権は浅田明守さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 羽堕さんの登竜門引退を偲んで。いや、亡くなった訳じゃないし、ブログもやっているから全く繋がりがなくなってしまったわけでもないんですけどね。あの方に大変お世話になった私としてはやっぱり寂しい限りでして、そうした憤りを小説にぶつけてみました。
 どうも皆様初めましてかこんにちは。絶賛スランプ中の浅田です。
 冒頭に書いたように羽堕さんの引退を偲んでこの小説を書かせて頂きました。別に亡くなった訳ではないのでタイトルはあえて無きという漢字を使ってみましたがいかがでしょうか?
 ぶっちゃけ内容はあって無きがごとくです。こんな駄文を投稿してもいいものかとも思いましたが、なんだかそうでもしないとやっていけない感じがしたので。
 どうか皆様、この作品を叩いて下さい。そして私に喝を入れて下さいませ。

2011.3.19 皆様の指摘、ご意見を参考に修正+ちょっとだけ加筆しました。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
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