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『外こもり』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:江保場狂壱
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山田太郎は外こもりであった。ひきこもりではない、外こもりである。
外こもりとはなんぞや?と首を傾げる人もいるだろうが、外こもりは物価の安い国にこもることである。
山田太郎は三十歳であった。今まで受験戦争に打ち勝ち、一流大学へ入学し、卒業した。そして一流企業に就職した。他から見れば人生の勝ち組に思えるだろう。
しかし太郎にはそれで人生の目標は消えてしまった。少年時代は両親が太郎から一切の流行を遮断し、テレビも置かず、ラジオも置かなかった。クリスマスなどの年中行事は一切せず、誕生日には参考書や百科事典を買い与えていた。趣味らしい趣味は勉強以外になく、ただテストの成績さえよければいい環境だったため、感受性は低くなっていた。クラスメイトが勉強をしないで、バンドの活動をしたり、漫画を描いて応募するといった行為も太郎にとっては理解しがたいものだった。音楽や美術など感受性を養う科目が苦手であった。さらに現代文の筆記や、英会話など実践的なことも苦手だった。
スポーツらしいスポーツもしなかった。体育もなんだかんだと理由をつけては欠席し、その分を勉強に当てた。学校行事も一切参加せず、修学旅行も行かずに勉強していた。いや、させられたというべきだろう。
そのせいで太郎は三十代とは思えないほど、身体が痩せ細っており、息をふぅっと
吹きかければすぐに飛んでしまいそうな印象を与えていた。さらに顔は骸骨のようにやせ細っており、そのくせ目だけはいやにギラギラしているので、会社の同僚も気味悪がった。
太郎が不調を訴えたのは五月からである。いわゆる五月病であった。彼はたくさんの単語などを覚えているが、社会ではまったく役に立たなかった。基本的な常識すら理解できなかったのである。両親はとにかく勉強しか押し付けなかったので、太郎はちぐはぐな人間になっていた。
とにかく、テストの成績だけを重視されていたので、社会の仕組みなどまったく理解できない世間知らずになっていたのだ。
太郎が特に耐えられなかったのが会社の飲み会であった。同僚たちが酒を飲むととにかくでかい声を張り上げ、自分を攻撃するのである。お前はねくらだとか、お前の声は小さくて全然聞こえないとか、太郎を傷つけることばかり言うのである。そして俺は三流大学だったが、努力して昇りつめたんだぞとか、自慢話をする始末であった。その同僚は同じ職場でも好成績を残している実力者だった。
こうなると太郎はノイローゼになってしまった。毎日決まりきったこと以外したことがないので、アドリブに弱かった。みんなが自分を非難する、みんなが自分を馬鹿にする。実際は仕事ができない事実を突きつけられただけなのだが、一流大学を出た自尊心で、自分の非は一切認めず、同僚たちを頭の悪い人間と決め付けていた。あいつらなんか死んでしまえばいいと。
会社の同僚にはみんなに嫌われている男がいた。年齢は四十代で、一見ヤクザに見える男であった。これが人のミスを見つけては噛み付くように吠えるので、他の同僚も彼を嫌っていた。彼がここに入れたのは親のコネではないかと言われているが、事実だろう。以前同僚の一人がそいつと外面では楽しく談話しているが、裏に回ればすぐ悪口を言ったのを聴いたので、太郎はいよいよノイローゼがひどくなっていった。そして勝手に会社を止め、引きこもってしまったのである。たった三ヵ月であった。
太郎は会社を辞めて一週間が経った。両親は息子の心情を心配するどころか、せっかくの人生の勝ち組の道をあっさりと脱線した息子を毎日罵っていた。彼らにとって太郎は自分たちが作った美術品と同じである。その美術価値を落とした太郎には子供としての愛情などなく、侮蔑の対象でしかなかった。太郎は誰にも相談できずに泣いてばかりいた。毎日ふらふらと公園を散歩するが、他に趣味はない。誰も教えてくれなかったし、両親も何か太郎が勉強以外に興味を抱けば急いでそれを取り上げる始末だった。
太郎は毎日公園のブランコに乗り、一日の大半を過ごしていた。
「おや、山田じゃないか」
後ろから声がした。太郎が振り向くとそこにはにこやかそうな三十代の男が立っていた。着ている服はジャンバーにジーパンで会社勤めには見えなかった。
「俺だよ。高校時代同級生だった、石井だよ」
石井何がしは懐かしそうに話しているが、太郎にはその顔に覚えがない。何しろ人生の大半は勉強だけで過ごしていたからだ。
「お前さんは今何をしているのかい?」
「会社を辞めて、ぶらぶらしてる」
太郎はポツリとつぶやいた。正直、人と話すのが苦手なので、早くどこかにいってもらいたい気分であった。しかし石井は構わず話を続ける。
「そうなのか?お前さんは一流大学を卒業して、一流企業に就職したと言うが、人生はよくわからないな」
そういって石井は隣の空いているブランコに座った。この男はいつまで自分に付き合うつもりなのか。
「今、俺はA国に引きこもっているんだ」
「A国?」
「アジアにある、小国だよ。物価が日本の三分の一なんだ。日本で三ヵ月ほど派遣で働いて、残りの年月はその国に引きこもるんだよ」
「海外に行ってその国の言葉がわかるのか?」
「それは語学留学があるからさ。生活に必要な言葉は覚えているよ。治安も比較的安全だし、何より言葉が通じないから大通りを歩いても孤独でいられるんだ。そうだ、お前さんもやったらどうだ?引きこもりより、外国のほうが、物価が安くて親も安心するぞ」
太郎は考えた。他にやることもないし、親と顔を合わせるのもうんざりだ。太郎は石井の話に乗った。
太郎はA国に引きこもって、三十歳になった。石井の言うとおり、A国は熱帯で少し暑苦しいが、孤独を癒すには最適だった。両親は太郎の願いを聞き入れた。聞き入れたというより厄介払いをしたかったのかもしれない。太郎に数百万円渡すと二度と顔を見せるなと言って太郎を追い出した。
太郎はまず語学留学で、A国の言葉を覚えた。単語を覚えるのは得意だが、実用となると難しかった。なんとか言葉を覚えて太郎はA国に住んだ。
意外にも日本のコンビニエンスストアもあるので、日本の生活から逸脱することはなかった。A国には露店が並ぶ通りがあり、時々そこでA国の食事を取っていた。
人が大勢いるのに、言葉が理解できない。それが太郎には心地よかった。自分を誰も知らないのだ。大勢の人に囲まれていても、太郎は孤独であった。だが、それがよかった。日本にいても両親に罵倒されるだけだ。近所の人間に一流大学を出て、一流企業に就職したのにそれをかなぐり捨てた愚者だと後ろ指を刺されずにすむからだ。
A国の平均月収は日本の十分の一しかない。それで物価は三分の一だ。日本から持ってきた金があれば十年は遊んで暮らせる。もっとも太郎は遊び方を知らないので、ただ町をぶらぶらするだけだった。
そしていつもの行きつけの屋台で食事を取る。そこの店主は褐色の肌をした小太りしたおばさんで、「ヨウ、マタキタネ。コイツハサービスダヨ」といつもの食事にほんの少しだけおまけをくれたのである。
太郎にはそれがうれしかった。悲しみ以外に涙が出たのは生れて初めてだった。
太郎は段々引きこもるのに飽きてきた。何か仕事はないかと探したが、A国の金持ちが日本人の家庭教師を募集しているので、面接に行った。そしてすぐ採用となった。一流大学卒業がここで役に立った。
太郎はたどたどしい外国語で金持ちの子供に勉強を教えていた。子供といっても十数人もおり、太郎はまるで小学校の先生の気分になった。しかしA国の子供はただ単語を教えられてもそれを理解することに貪欲であった。ただ単語を教えるだけでなく、意味も教えなければならないので骨であった。金持ちの親も時間はかかっていいから子供たちを納得させてくれと頼まれたので、太郎は四苦八苦しながら子供たちに理解させていた。
「アリガトウゴザイマス。先生ノ、オシエカタ、トテモトテモ、上手、デス」
子供たちに礼を言われて、太郎はまた涙が零れ落ちた。そういえば自分が小学生の頃は勉強のできる生徒を優先し、できない子は置き去りにされていたことを思い出した。
子供たちはただ文字を覚えるだけでなく、その意味を知りたがっていた。そのせいで授業は思うように進まなかったが、全員理解するまで教えてくれと親に頼まれていた。一人覚えの悪い子供がいたが、子供たち全員が理解できるまで太郎は根気よく教えた。そして全員がきちんと問題を理解したときの快感は、テストで高得点を取ったとき以上の感動を覚えた。
彼らは毎日十時と三時にはおやつを食べており、太郎も相伴に預かっていた。そして勉強は午前で切り上げ、午後は思い切りサッカーや野球を楽しんでいた。太郎も一緒にプレイしたが、なにしろ体育の時間すら参加したことがないので体力がなかった。小学生くらいの子供たちにすらかけっこで負けるくらいである。十分も経たないうちに息が切れて、心臓がドラムをたたくようにはげしく波打つのであった。夜中は筋肉痛で全身が痛み出し、夜も寝れない日々が続いた。
しかし一月も経てば身体が慣れてきた。サッカーもきちんと四十分走り回ることができた。身体を動かすことがこれほど面白かったのかと感動を覚えたくらいだ。
そして太郎は恋をした。同じ金持ちの下で働く女性であった。彼女はエキゾチックな顔立ちで、幼少の頃から働いているのである。女性は日本の一流大学卒である太郎に興味を持った。なぜこんな何もない国に来たかと聞かれたことがある。
「ボクは人生の目的を果たしてしまったんだ。親の言うとおりに勉強して、いざ目的を達成したらそこには何もなかったんだ」
「マア、オカシイワネ。人生ニ、オワリハナイワ。ワタシガ、働イテイルノハ、ワタシノ意思ヨ。親ニイワレタカラジャナイ。ワタシダケノ、人生ナノヨ。日本人ハ、親ニイワレナキャ、何モデキナイノ?」
「でも、それがすべてだったんだ。君だってボクが一流大学卒だから興味を抱いたんだろう?」
「ソレダケデハ、ナイワ。ワタシノ国デハ、大学ヲデルヒトハ、トテモトテモ頭ガイイ、エライ人ナノヨ。ソレハモウ、自信ニミチアフレテテ、堂々トシテイタワ。アナタハ、頭ガイイノニ、マルデ、子犬ミタイニビクビクシテイルワネ。モウスコシ、ドウドウトシテイルベキネ」
太郎は目から鱗が零れ落ちた。日本は偉業を達成しても謙虚でいなくてはならない。自慢すれば叩かれるからだ。彼女は自分を尊敬のまなざしで見つめている。太郎にはそれが新鮮に写った。
太郎は女性と結婚した。そして小さい家をローンで買った。二人で働けばなんとかなる金額である。二人の間には子供が生まれた。かわいい男の子であった。太郎には人生の目標がまた見えたのである。金持ちにはまだまだ子供がおり、教師の仕事は終わりそうになかった。親戚の子もまとめてやってくるから、太郎は毎日てんてこまいで教えていた。
そこに石井が引っ越し祝いにやってきた。手には日本酒が握られており、二人で一杯ひっかけた。
「よう山田。元気そうじゃないか」
「石井も元気そうだな」
太郎は久しぶりに飲む日本酒に頬を紅潮させていた。
「まあな。ところでお前さん、一度日本に帰国してもらいたいんだがね。もちろん費用は俺が持つよ」
「帰国だって?どうしてだい?」
「今の日本はまだまだ学歴主義がまかり通っている。しかし、そういう奴らはいざ社会に出ると挫折してしまう。お前さんのようにな。俺は一度挫折したエリートを見つけては学校や企業の講壇にあがってもらうように頼んで回っているんだ。一種の斡旋業だな。実はお前さんがA国にひきこもるよう仕向けたのはお前さんの両親だ。家に引きこもって無駄金を使うより、そっちのほうがいいってね。お前さんを罵ったのは自分たちが悪役になって、日本に帰らないようにするためだったんだ。お前さんも日本の学歴社会には疑問を抱いていただろう?ただの研究者より、実体験者のほうが説得力があるってもんだ。それに御両親も孫を抱きたいだろうしな」
終わり
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2011/03/01(Tue)18:29:18 公開 / 江保場狂壱
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■作者からのメッセージ
ひきこもりの反対が、外こもり。実際に外こもりの人は多いそうです。まあ、物価の安い国なら外こもりのほうが安上がりでしょうね。
山田太郎は星新一先生的に言えばエヌ氏みたいなものです。
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