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『虚ろに歪む礫石』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:浅田明守
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あらすじ・作品紹介
歪んだ感情は悲劇を生む。それはなにも人間に限った話ではない。
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彼女がそこに佇んでいたのはいつごろからであったか。薄汚れた川原。石は上流にある工場から流されたヘドロに塗れ、川は汚水で澱んで所々流れを停滞させていた。そこには何もない。命は死に絶え、人は罪から目を背け、生けるものがそこに近づくことはなかった。
そのような場所に、少女はたった一人で在った。遠くを過ぎ去る人の影を、澱み停滞した川の流れを、スモッグに覆われて代わり映えしなくなった空を眺めながら、誰もいない、なにもない、たった一人きりの世界で悠久の時を過ごしていた。
しかし、彼女はそれを寂しいとは思わない。なぜならば彼女は空っぽであったからだ。空っぽであるが故に、彼女は“寂しい”ということすら知らなかった。
彼女がそこに在り始めてからどれほどの時が経っただろうか。無限、あるいは一瞬とも思える時間の中で世界は変容し続けた。
スモッグに覆われた空は本来の色を取り戻し、人は罪と向き合うようになった。汚水が流されることがなくなり、ヘドロが撤去される一方で空き缶やビニールの袋が川原に捨てられるようになった。
世界の変容が始まって十年もしないうちに彼女を取り巻く環境は以前のものとは大きく異なるものとなった。
彼女はそんな世界の変容をじっと見つめていた。それらはいつも彼女から遠く離れたところにあり、どれだけ手をいっぱいに伸ばしてもその手が届くことは決してない。手の届かないものに干渉しようと思うことはない。それ故に、彼女は自らを無力で虚しいと思うことはなかった。それはこれから先もずっとそうだろうと、そう少女は思っていた。
しかし、とある夕暮れ時、一人の男が彼女のすぐ横に立ち深いため息を吐いた。それは少女のすぐ目の前、手を伸ばせば届きそうな距離でのことだった。
その時、彼女は戸惑った。自分の手が届くところに自分以外の誰かがいる。そのことは彼女にとって初めての経験だった。
それ故に、彼女は何も出来なかった。初めて自分が干渉することが出来る。初めて干渉したいと思ってしまった。しかし少女が戸惑い、躊躇う間にその男は何処かへと立ち去ってしまった。
後悔。それは彼女の心に初めて発生した強い力を持つ束縛の感情であった。それと同時に、彼女は期待してしまった。もしも彼がもう一度ここに来てくれたとしたら、次こそは触れることが出来るかもしれない、と。
それからしばらくして、その男は再び彼女の前に姿を現した。
彼女は今度こそはとすぐさま男に触れようとした。しかし、まさにその手が男に触れようとした瞬間、彼女の手はぴたりと静止してしまう。
恐怖。後悔という感情を知ってしまった彼女は恐怖という感情に蝕まれる。
もし触れることが出来なかったら。
期待してしまった分だけ恐怖は彼女の心を蝕んでいく。
そして彼女が恐怖する内に男は再び彼女の側から離れてしまう。慌てて彼女は手を伸ばしたが、その手が届くことはなかった。
後悔。一度目の時よりもさらに深く、重たい感情。そして飢え。期待を裏切られ満たされぬことを知ってしまった彼女は耐えがたい飢えに襲われた。
後悔は恋慕へ、飢えは憎悪へ、変容していく感情は彼女の心を少しずつ壊していった。
なぜ彼はここにいない。なぜ彼は私の側を離れてしまう。
思いの力は強く、果てしなく長い時を一人きりで過ごしてきた彼女は、それを止める術を知らなかった。
彼女が歪んだ感情に支配されるまで、そう長い時間はかからなかった。
そして再び男が現れた。歪んでしまった彼女は、今度こそ迷うことも躊躇うこともしなかった。男が彼女の側に来た瞬間、彼女は男を自分だけのものにしようとした。
辺りがにわかにざわつき始める。
「人がおぼれているぞ!」誰かがそう叫ぶ声が聞こえる。多くの人の目が彼女の佇む方へと向けられる。しかしそれでいてなお、誰一人として彼女を見ることはない。
「なんだ、どうしたんだ?」「誰かがあそこで、石に足を取られたらしい!」そんな声が聞こえてくる。
少女はその声を聞きながら、もうすぐ永遠に自分のものになる男を見つめた。男を自分のものに出来る。そう思うだけで心が満たされていくような思いだった。
やがて男が動かなくなる。しかし、動かなくなった男を見ても少女の心は満たされなかった。むしろそれまでよりも飢えが酷くなっていく。自分が空っぽになっていく。
あぁ、そうだ。空っぽだ。
ここにきて、少女は初めて自分が空っぽであることを知ってしまった。そしてもう、空っぽな少女を満たしてくれる者はいない。彼女はその事実に耐えられなかった。
歪んだ心の赴くままに、少女は男の後を追うように自らも川の中へと沈んでいった。
翌日、男のことが新聞に記載された。
恋人に振られ再三にわたって自殺を試みた男が、深い川の中州で石に足を取られて溺れ死んだ、と。
彼は遺書を残さなかった。その代りに、川底に沈む彼に寄り添うかのように、中が空洞になった小石が彼の隣に沈んでいたという……
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2011/02/10(Thu)22:57:38 公開 / 浅田明守
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■作者からのメッセージ
はじめまして、あるいはこんにちは。テンプレ物書きこと浅田明守と申します。
前回投稿させていただいた作品に次いで、今までとは少し違う作風で書いてみようシリーズ第二弾です。前回の反省を生かして前作ほど堅苦しい表記はないはずです。
今回はそれまで私小説でよく使っていた、「あえて多くを語らずに読者に想像してもらう」という手法(?)を三人称の視点で使ってみました。個人的には好きなのですが、やはり作品としては若干わかりずらい感じがしないでもないです(汗
一応、川原にある小石に宿った少女の憑喪神的なものが人間の男に恋をして、しかしその思いが届かないゆえに心を歪めてしまう、という恋愛もの(?)なのですが……どうでしょう? 読んでいて御理解いただけたでしょうか?
何かご意見、感想等がございましたらよろしくお願いいたします。
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