『Candy』 ... ジャンル:恋愛小説 ショート*2
作者:こーんぽたーじゅ                

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 彼女が部屋を出ていった。世界の果てまで響くような金切り声をあげながら。
 深夜、僕たちは喧嘩をした。その理由は、世界中のあらゆる恋人同士なら一度くらい通ると言っていいほどのくだらないものだった。何がきっかけでそうなったのかさえ思い出せないほど、ありふれた理由。落ち度は僕にも、彼女にもひとしくあるに違いなかった。
 しかし、僕の彼女は癇癪持ちとでもいうのだろうか、一度怒らせると手が付けられなくなるのだ。よくトリートメントされた黒のロングヘアーに、すらりと長く透き通るような白さの手足からはお淑やかな良家のお嬢様とも言うべき風格が漂っている。しかし、一度身にまとっているものを脱ぎ捨てると肩と腰に彫られたタトゥー、へそに輝くシルバーのピアス、いつつけられたのか分からない火傷の痕と彼女のイメージは一変する。彼女が服の下に隠すそれらと、彼女という人間の中に秘められた激しさは良く似ていた。彼女は怒ると、ところ構わず物を壊して回る。しかし壊すものは決まって彼女が僕の部屋に転がり込むときに持参してきたものばかりだ。理性を失っているように振舞いながら、その実僕に対しては損害を与えないように計算しているのだった。鏡を叩き割り、化粧水の入った瓶で壁を殴り、恐ろしい力で衣類を引き裂き、目に付いた自分のあらゆる持ち物を投げる。そして破壊する物が無くなると髪を振り乱しながら、悪魔にでもあった時のような金切り声をあげて家を出ていく。
 僕は彼女を決して追いかけない。僕が追いかけずとも彼女はしばらくすると何食わぬ顔で部屋に戻ってきて、一言謝罪の言葉を口にすると部屋の隅で丸くなるのだ。丸くなった背中は妙に可愛らしいのだが僕は毎回そっとしておくことにしている。だから僕が彼女にしてあげられることは、彼女が癇癪を起してめちゃくちゃにした部屋を片付けて、彼女が丸くなるためのスペースを確保してやることだけだ。彼女の癇癪に慣れてしまった今では、それらの行動も工場の流れ作業のようになっている。けれどそこに倦怠はない。僕の大学の友人の中にはいい加減別れたら、と進言する者もいるが僕たちにそのつもりは毛頭なかった。別れる理由が無いからだ。彼女が部屋の隅からむくりと立ち上がると、それが合図のように僕たちは普段通りに言葉も交わすし、冗談も言い合う、テレビだって見るし、セックスだってする。まるで彼女の癇癪なんてもとからそこに存在しなかったかのように。彼女が壊したものを、僕がまとめてゴミ捨て場に捨ててしまえば痕跡なんて何一つ残らない。
 僕は閉まりきった玄関のドアから目線を逸らした。それから煙草に火をつけていつものように部屋の片づけを始めた。それにしても今回は派手にやられたものだ。これまで彼女が荒れたのは初めてかもしれなかった。手始めに僕は彼女が壊して回ったものを部屋の隅に寄せることにした。化粧用具にマグカップ、ヘアアイロンに大量の衣類。粉々になってもとが何か分からなくなったもの、綿の飛び出たぬいぐるみ。集めてみると彼女の持ち物のほとんどが破壊され尽くされていた。無傷で残っているものはほんのわずかしかないかもしれない。ガラスなど怪我をする恐れのあるものは慎重に拾い集め、新聞紙で包み「ワレモノ」とマジックで書き込む。残った細かい破片も掃除機で丁寧に吸い取る。ガラスの破片がキラキラと部屋の照明を反射させながら掃除機に吸いこまれていく。ただし撒き散らされたお菓子も引き連れるためまったく風流でない。今回も彼女は芸術的なまでに僕の所有物に危害を与えなかった。僕は鼻歌を歌い始めた。少し前の流行歌だった。
 そして、ベッドの下に掃除機のノズルを差し込もうと覗きこんだとき、奥のほうに丸い物体が見えた。僕はそれをおもむろに手で取り出してみると、それは橙色の飴玉だった。ゴミの山を一瞥するとその中にキャンディーの缶を発見した。おそらくそこからこぼれたのだろう。僕は蛍光灯の光を乱反射させるその飴玉をゴミの山に放り投げようとして、何を思ったのかジーンズのポケットにねじ込んだ。僕はそのキャンディーをほんの少しだけ綺麗だと思ったのだ。それから僕は部屋の片づけを再開した。掃除機で大まかに掃除を済ませると、彼女の破壊を免れたインテリアを元の位置に戻していく。テレビのリモコンはガラステーブルの上に、クッションはベッドの上に並べた。それからゴミの山を分別した。するとポリ袋の数は三つとなった。普段よりも一つ多かった。やはり今日の彼女はいつもに増してご機嫌斜めだったらしい。
 僕は片付けの終了した部屋をぐるりと眺めた。彼女がたくさん物を壊したせいで少し殺風景な印象を受けた。彼女が帰ってきて、元気になったらホームセンターにでも行こうと思った。それから僕は座椅子に腰かけて、彼女が帰ってくるまでの間テレビを見て待つことにした。手が無意識的にガラステーブル上の煙草の箱に伸びた。しかし、箱の中身は空っぽだった。僕は少し迷った挙句、近所のコンビニまで煙草を買いに行くことにした。彼女が帰ってくるまではまだ時間がある。テレビと照明はつけたままに、ドアに鍵だけ閉めて僕は部屋を出た。
 アスファルトの道を踏みしめながら、掃除のときに歌っていた歌の続きを口ずさんだ。アスファルトの上は、泥酔者の吐きだした吐しゃ物とカラスや野良猫が荒らした生ごみでひどい臭いがした。僕はそれらを誤って踏まないように、歌のリズムに合わせて避けながら歩いた。ポケットの中に手を突っ込むと中には先ほどの飴玉が指先に触れた。ポケットの中で糸屑や埃と絡み、飴独特のねっとりとした不快な感覚だけが指先にこびりついた。それでも僕は飴玉をポケットの中で転がし続けた。まん丸とした飴玉はまるで部屋の隅で丸くなっている彼女の背中のようだった。それがまたおかしくなって、指先やジーンズが汚れることを構わずポケットの中で転がし続けた。ころり、ころり。転がれば転がるほど、飴玉が持っていたネバネバとした感覚は奪われていった。
 視界の遠くに、コンビニの灯りが見えた。僕はその店先に見知った顔を見つけた。彼女だ。僕はポケットの中で手を動かしたまま、早足で彼女に近づいた。迎えにいかないのがルールだったはずなのに、僕の足は自然と速まっていた。
 距離が詰まっていくにつれて、僕は彼女が他の男と一緒にいることに気付いた。男と彼女は身を寄せ合っていた。そして、それがまるで自然な流れであるかのように男の腕が彼女の肩に周り、彼女と唇を絡ませ合った。僕の足が止まる。ポケットの中の手も止まる。うっとりとした瞳で男と口づけを交わす彼女と目があった。僕は彼女の瞳の中に動揺が走るのを見逃さなかった。彼女が男を突き飛ばした。男が反射的に僕を見た。僕の知らない男だった。にたにたとした表情で僕をじっと見据えていた。
 彼女が出ていく時の金切り声で叫んだ。違うの、これは、誤解なの。必死で僕の名前も呼んでいる。僕にはそれがあまりよく聞こえなかった。むしろ聞こうとしなかったのかもしれない。男の腕は彼女の肩から離れない。僕の身体からすぅっと熱が抜けていく、その感覚だけを僕は冷静に追いかけた。僕が何の反応もしないので彼女の声のトーンがさらに高くなる。男の表情が醜く歪んだ。おい、誰だよあの男、おい、うっせえぞ。男の手が彼女の頬をはたいた。僕はその時、彼女の肩から男の腕がようやく剥がれたのを見て何故か安堵した。
 僕は何かを思い出したように、ポケットに手を入れた。右のポケットにはやはりキャンディーが入ったままだった。僕はそれをポケットから取り出して、街灯にかざしてみた。糸屑や埃にまみれたキャンディーは見ない間に醜い姿に変わっていて、球体の中で綺麗な乱反射は起こさなかった。僕はそのくすみきったキャンディーをゆっくりと口の中に運んだ。味が舌を刺激する前に、糸屑と埃と、彼女の金切り声が邪魔をした。
 僕はそのキャンディーを汚物と生ゴミの広がるアスファルトへと、吐き捨てた。


【了】

2011/01/29(Sat)03:04:03 公開 / こーんぽたーじゅ
http://blogs.yahoo.co.jp/re_cornpotage
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■作者からのメッセージ
 お久しぶりです。夏以来ですね。こーんぽたーじゅです。現実での生活がひと段落したので作品を投稿させていただく次第となりました。久々すぎて投稿するのに一瞬ためらいました。今でもちょっとどきどきしてます。これって恋かしら(ちがう)。

 この作品はジャンル選択する際に「リアル・現代」を含めようか迷いましたが、結局やめました。リアルと表現するにはどこか違うような気がしたからです。彼女の破壊衝動、彼の醒めたようにも受け取れる態度と内在する熱――そして動機の無さが作品からリアルを奪ってすこし浮世離れしたような作品に仕上がってるかもしれません。
 上手く自分の作品を解説できるほどできた人間ではないので、ここでの発言はあまり気にしないでください。けれど、人間関係っていつどうなるか分からないですよね。それこそ歯を立てれば、地面に落ちればすぐに割れてしまうキャンディーのような――書いててそんなことをふと思いました。

 読んでいただけたら、また、感想を頂けたら嬉しく思います。これからしばらく執筆時間が取れそうなので長編にも挑戦してみたいですね。その前に飽き性を直さないといけないですね。悪い癖です。


ではでは、

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