『魔甲少女レイナ キラ☆』 ... ジャンル:SF アクション
作者:ピンク色伯爵                

     あらすじ・作品紹介
 近未来魔法少女アクション。百合、萌え、フリルの三種の神器を搭載した最新作。

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魔甲少女レイナ  キラ☆


プロローグ


 誰かのためになることはとても気分が良いことだと思う。
 自分が何か特別な力を持っていて。
 そして困っている人に救いの手を差し伸べる。
 悪者につかまったお姫様を勇者様が華麗に救い出すなんて、安っぽいけどその最もたる一例だろう。
『あるところに心根のまっすぐな若者がいて、魔法の力を与えられる。そして囚われのお姫様を助ける。最後に二人は結ばれる』
 よくあるお話しだ。日曜日の朝八時半にでもやっていそうな内容。まあ、その時間帯となると主人公の性別は逆になってしまうわけだけど。
 小学生の頃は良く分からないレンジャーものが放送している間に朝ごはんを食べて、そのあとにする女の子向けのアニメを観ていた。そのとき自分――千堂レイナはいつも主役だった。主人公になりきって、仲間とともに戦って、泣いて、笑った。
 気分が良かった。
 実は中学生になった今でもちょっぴり憧れていたりする。そんなこと考えるのは子供だとか思いながらも、そんな風に自分も華々しく戦えたらとか思う。
 ――わたし、変なのかな?
 というか、幼いのかもしれない。
「……大丈夫!?」
 千堂レイナは要領が悪い。頑張っているはずなのに勉強は並程度にしかできないし、運動能力だってやっぱり並くらいだ。これならいっそ何もできない方がお話し的には良いネタになるというのに。
 つまるところ、何の取り柄もない普通の女の子。そんなつまらない女の子がどうしたら特別になれるのか。
「ねえってば! 大丈夫!?」
 再び声をかけられる。甲高い、幼児のような声だ。
 ゆっくりと目を開いた先には――。
 小さな雀がこちらを見ていた。鼠色の地面の上にちょこんと立っている。
 ……雀をナマで見るのは何気にこれが初めてじゃないだろうか。昔は街中でもいたるところでぴーちくぱーちくやっていたらしいが今の整備された都市にはそんなことありえない。そのうえ、ここは仮想都市(ルビ:バーチャルポリタン)だ。人間以外の生物なんているはずもない。雀を直に見たことがなくてよくこの小鳥が雀だと分かったな、と自分でも思う。昔、鳥の図鑑で見たことがあるだけだからやっぱり間違っているかもしれない。
 いや、そんなことよりも重要なことがある。とにかく、目の前にいる小さな生物が雀だとしよう。そう、そんなことはどうでもいいのだ。そんなことよりも。
「レイナ! 気がついたんだね!」
 雀が地面に横たわっている自分――レイナのお腹の上にぴょんと飛び乗る。
「……」
 聞き間違いなんかではない。
「…………雀が、しゃべってる……」
「なに寝ぼけたこと言ってんのさ! さあ立って! ヴァルキリースカートをインストールするんだ! それと僕は雀じゃなーい!」
 口、もとい嘴を開くこともなくレイナに意思伝達してくる雀じゃない鳥(仮)。
 脳が急に覚醒する。
「っっっっ! こ、小鳥! なんで鳥がしゃべってるの!」
「わざとやってるの? ほら、僕だよ僕」
「そ、そんなこと言われても分かんないよ! ここはどこなの! わ、わたし、どうしてこんなところに?」
「レイナ、君、まさか……」
 小鳥が無表情に首をかしげる。表情は変わっているのかもしれないが、小鳥の表情を判別などできるわけがなかった。レイナは目を白黒させながらお腹の上に乗った小鳥を見つめていた。
「レイナ、落ち着いて答えてほしい。君の名前は?」
「えっと、せ、千堂、レイナ」
「学年と専攻学科は?」
「ち、中学二年生。専攻は、仮想理工学科」
「今、西暦何年の何月?」
「二〇四〇年の五月、かな?」
「ここはどこ?」
「わ、わたしが訊きたいよ」
「ここは仮想都市第十区。林立するビル群のはずれ」
 鳥がぴしゃりと答える。
「第十区?」
 レイナは雲に覆われた暗い空を見上げた。第十区といえば人気のないことで有名なお化け区域だ。ネットの世界においてさえ放置され廃れてしまっている、入ってはならない禁止区域。堂本(ルビ:ドウモト)市のバーチャルスペースに設けられた十の都市区域の一角。夏休み前の地域別児童集会では危ないから行ってはいけないと必ず先生から念を押される場所だ。そう、念を押されるのだ。冗談でも入る人はいないだろうけど、一応注意しておきますねと扱われるのだ。
 人のいない廃れた都市ではどんな人間が潜んでいるか分かったものではない。誘拐にあってもしょうがない場所なのである。加えて言うなら、かよわい女子中学生が人目の無い場所で無防備に寝転がっているというのは誘拐まではいかなくとも出会う変質者によっては何をされるか分かったものではないという状況だ。ニュースでいつかやっていた気がする。第十区で女子高生が大勢の男の人に乱暴されて無残にも殺されたとかいうのを。あれは確かつい先月の話だったか。
 とにかく、レイナがうかうかと入り込んでも良いような場所ではないのである。
 別名泣く子も黙る第十区。
 そしてどういうわけか、そこに自分は横たわっているという。
「は、早くログアウトしなきゃ!」
 ガバッと跳ね起きる。自分の首の後ろに付けてあるピンク色の端末、アクセスフラグメントに意識を集中させる。ここはネットの世界に仮想的に構築された都市の一端だ。ならネットの世界そのものから現実の世界に離脱(ルビ:ログアウト)してしまえばいいのである。
 だが無情にも機械音声が離脱不可能の文字をレイナの視界に表示する。間違いだろうと思って何度か試みるが全て同じ結果だった。慌ててローカルスカイプで仮想都市にアクセスしている友達にコールしようとするが、ローカルスカイプ自体が立ち上がらない。ネットの世界においてネットワークから隔離されてしまっているというのだろうか。そんな馬鹿なとも思うが現に通話どころか自分のアイコンをオンラインにすることすらできない。ローカルスカイプの故障だろうか。だとしたら何故こんなタイミングで壊れるというのだろうか。
「どうして……。なんで……っ」
 不安をかみしめながらいくつものウィンドウが展開された視界を右腕の一振りで掃除する。するとレイナに現実を直視させるように暗い廃ビル群が前に広がる。
「大丈夫だよ」
 お腹の上に乗った小鳥が自信に充ち溢れた声を出す。相変わらず嘴は動いていなかった。
「大丈夫。大丈夫だから」
 繰り返される明瞭なフレーズ。
「このプログラムをインストールして。そうすれば万事解決だ」
 電子音とともに視界の一部が四角くくりぬかれ、そこに『ヴァルキリースカートstartup.exe』と銘打たれたプログラムが現れた。
「これは……?」
「君は魔法少女になって悪者から皆を守るんだ」
「え? えぇっと……?」
 視界がぐらりと揺らめく。頭の中がグワングワンと鳴っている。どうやら自分は視界がかすむほどショックを受けているようだ。
 ヴァルキリースカートって何だろうか。その前に魔法少女とか冗談にしか聞こえない。
「レイナ」
 霞む視界の中うるさくさえずる雀もどき。
「レイナってば!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! いきなり魔法少女とか、ヴァル……何とか言われても分かんないよ!」
「レイナ、起きなさい!」
「起きてますッ!」
「早く起きないと朝ごはん抜きになっちゃうわよ!」
「だからッ」
 びくん、と心臓が跳ねた。同時に脳みそに新鮮な血液をどくどくと送る感覚がする。
「起きてるってばぁ!」
 がばちょ、と自分の上に覆いかぶさっていた羽根布団を跳ねのける(シャレではない)。
 起きた先にはお玉を持った黒髪の女性が眉をぴくぴくとさせながらこちらを睨んでいた。言うまでもなくお玉の女性はレイナの母、ナツコである。
「あえ……?」
 起きてるともう一度叫びそうになった自分の口がこの前習った発音記号を再現したような音を出す。今ならスピーキングの授業で人気者になれそうだ。
「…………今、何時? お母さん」
「八時十分ッ!」
 ナツコは朝から血圧が高くなっているらしい。ちなみにレイナは低血圧である。ついでに言うのなら今は低血糖状態。頭はまだ寝ぼけているのだ。
「な、何で早く起こしてくれなかったの!?」
「今日学校休みって言ったじゃない!」
「信じちゃ駄目だよ!」
 勢いよく二段ベッドから飛び降りてクローゼットを全開にしながらレイナは叫んだ。娘の醜態にため息をつきながらナツコが部屋から出ていく。お玉を持っていた辺り何かを作っていたのだろう。バタンとドアを閉めて彼女が出ていくと、今さらのようにソースの焦げた良い香りがレイナの部屋に漂った。お玉に付いていたクリーム色の液体と合わせて判断するに今朝はお好み焼きらしい。なるほど、ナツコは娘にトーストの代わりにお好み焼きをくわえさせて登校させるつもりらしい。正直笑えない。
 鏡の前に立って制服姿の自分をチェックする。
 黒髪。肩下までの長さ。制服に白のニーソックス。ニーソは、親友の木下アケミからかわいいと誉められてから毎日履いているような気がする。アケミのファッションセンスは抜群だからきっとこれがベストな自分なのだろう。
 と、階下からナツコの大きな声が響いてきた。幸い寝癖はみられない。レイナは体操服が入った学校指定バッグを掴むと、下にいる母親に大きな声を返した。
 それから、背後のベッドに振り返る。
「行ってきます、お姉ちゃん」


第一章


 百歩譲って二次方程式は存在価値を認める。でも二次関数は別である。存在価値が分からない。いや世の中には必要かもしれないが、少なくとも学校教育には必要無いと思う。いちいちxに値を代入するごとにyの値が変化するとかどうしろと言うのだろうか。答えが一つに定まらないのではやりにくくてしょうがない。
 レイナは坂道を駆け下りながら視界の隅に展開された数学のノートのウィンドウに目を走らせていた。仮想理工学を学ぶ前には必要なことですー、とか数学教師は言っていたが、率直に言うとレイナは仮想世界がどういう仕組みで成り立っているのかなどどうでもよかった。いいじゃないか、分からなくても、と思う。現にこうして二十四時間レイナはネットとつながっていられる。ちょっと手をやるとアクセスフラグメントを髪の合間から触ることができる。
 どんなふうにこのピンク色のおしゃれな一品が出来上がったのかは分からない。ネットに意識を持っていく事象は分かるけれどもどうやってネットに意識を持っていくのか、その方法が分からない。だがしかしである。この前パソコンで偉い人が言っていたけれどもブラックボックス? でもいいじゃないかと思う。
 肝心なのはそれが使えるかどうか。いわゆる、めでぃありてらしぃとか言う奴だ。なんか微妙に違う気もするがだいたい合っている、とレイナは認識していた。そう、つまるところそれさえあればこの世界では生きていけるのである。
 坂道をダッシュした先にはパラパラと堂本中学の制服が見えた。
「おー、おはよ、レイナ!」
 その最後尾、バッグを肩に担いで歩いていた背の高い女の子がこちらに振り向いて手を振る。
「お、おはよう……。アケミちゃん」
 切れ切れの声で返す。
 木の下アケミ。レイナの親友である。快活の二文字を体現したような少女で、やや内気なところがあるレイナにとっては日の光のような存在――なのだがたまにもう少し静かにして下さいと思うときもある。
 彼女は予鈴ギリギリで登校することに熱意を燃やしており(「だってもったいないじゃん? 時間」と本人は言っている。多分これが理由だろう)、彼女を捉える事が出来たと言うことは遅刻を免れたということである。時間にルーズなのか几帳面なのか分からない性格だが、彼女の美徳の一つである。
「うわ、汗だく。大丈夫?」
「う、うん。平気。お母さんが起こしてくれなくてさー」
 バッグからピンク色のハンドタオルを取り出しながらほほ笑む。
「あんた中二っしょ。低血圧なのは分かるけど、いい加減一人で起きなよ」
「フラグメントアラーム使うの怖くてね」
 レイナは首元のピンクの端末に手をやる。アラームを使えば脳に直接振動が来て効果てきめんらしいが、その辺少し怖くて使っていないのである。脳に直接とか安全だと分かっていても少し怖い。文明の利器を使えていないわけだが、やっぱり中途半端にもその辺は線引きしてしまう。
「分からんでもない。あたしも慣れるまではマジビビってた。毎朝毎朝ビビビビビーって、もんのすごい衝撃が脳に来てグワングワンとね。そのあと脳細胞がぶちぶちと引きちぎられていくような」
「……わたしがアラーム使えないの、アケミちゃんのせいかもしれない」
「なんの話しやらー?」
「もうっ」
 そうして二人で笑いあう。朝の儀式みたいなものである。
「そう言えば、昨日変な夢見たの」
 四十分授業とか長すぎるぞ、三十分にしろーという話題から、電子化された教科書とノーは目がチカチカするよねという話し、それから授業中どれだけ寝ているかという話しをつたって、レイナは話を切りだした。実は夢だと分かっているものの妙に現実的な生々しさがあったのだ。
「ふぅーん……」
 一通りの夢の内容を話を終わると、アケミは翳った顔になっていた。てっきり馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばされるものと思っていたのに意外な反応である。
「なんか夢にしては妙に筋が通っていたし、第十区も、行ったことはないけどすごくリアルだったよ」
「んで、リアルだったから、こうして最初から最後まで内容覚えていられたと。その記憶力を二次関数が何たるかの知識に当ててほしいもんだね」
 訂正。翳ったと思ったアケミの顔は呆れ半分、興味なさげ半分のものだった。
「とにかく、すごくリアルだった。雀も図鑑とかで見るよりかわいかったし」
「田舎に行けば雀くらいめっちゃ見れるけど」
「お腹の上に乗ったときとかすごくナマっぽかった」
「あんたが言うとほんとに生々しいな」
 アケミがため息をつく。
「まあ、第十区とかアホでもなけりゃ絶対立ち寄らないとこだし、あんたがどうこう思い悩むことじゃなくない?」
「そりゃ行くわけないよ。だって怖いし。そうじゃなくて夢見が悪いって話しなの」
「夢見ずに寝るとか結構無理じゃね? そんなのコントロールできるもんじゃないっしょ。いやあるのかな? 我らがシュナ様にでも聞いてみたらどう? あの理屈屋の生徒会長ならその辺のメカニズムまで解説付きで伝授&教授してくれそうだぜぃ」
 アケミが前方を顎でしゃくる。
 校門の前に立っているポプラの木のように優雅な孤影が目に入る(二人はいつの間にか校門にたどりついていた!)。堂本高校の制服に身を包んだ美少女が腰までの長い髪を揺らし、不機嫌そうに腕を組んでこちらを睨んでいる。
「おーす、かいちょー様」
 アケミが気安く挨拶する。
「遅刻ギリギリだ、木下……と」
 誰だっけ? とか言われたら軽くショックだったが、生徒会長――西条シュナはきちんと「千堂」と付け加えてくれた。レイナとアケミが校門の内に入ると同時に予鈴のチャイムが鳴る。このあとのチャイムで朝の読書開始、その後のチャイムで一時間目開始である。
「もっと早く来れないのか」
「いいじゃん、遅刻してないんだし」
 アケミがへらりと笑みを浮かべる。目の前の西条シュナとこうしておどけた調子で話ができるのは校内でアケミだけかもしれない。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群と神様が二物も三物も与えちゃっている冷徹モンスターのシュナは普段から近寄りがたい雰囲気を出しているのだ。無愛想だが持ち前の容姿と、別に悪い人ではないということから、体育の授業や家庭科の授業などでは普通に皆に融け込んでいるが、普段はずっと一人でいるような気がする。
「私の読書の時間が減る。明日からはもっと早く来い」
 それだけぶっきら棒に言い捨てると西条シュナはとっとと校舎に入っていった。
「じゃあ、先生に任せろっつうの。校門の立ち番とかぜってー自分から名乗り出ただろ。てかIDの認証システムだけで十分だっつうのに校門で立ち番とかいつの時代だよって話しじゃん。な、レイナ」
「う、うん。そうだね」
 その唯一タメで話せるアケミですらたまにこうして彼女に毒づいたりする。もちろん彼女に聞こえたらあとが怖いから声のトーンはかなり抑えてある。どう怖いかというと、彼女の怒り方が人間の本能的に怖いのである。
 アケミは一度彼女を怒らせたらしいが、そのあと青い顔をしていた。曰く、西条シュナはキレるときは長文でキレるらしい。語調は別にマシンガンというわけではないが、理詰めで仮想原稿二十枚分くらいキレながらしゃべるとか確かに勘弁である。面倒くさいし、生理的に恐ろしい。
 昨日国語の時間に習った、触らぬ神になんとやら、である。

     ×           ×           ×

 七時間目の授業は退屈極まりないものだった。歴史の授業だったわけだが、レイナは現代史という物が大嫌いだった。数学と同じくらい大嫌いである。理由はカタカナがいっぱいで覚えにくいこと。電子化された教科書の仮想ウィンドウに指を走らせるが、正直上の空である。首の後ろのアクセスフラグメントから、教科書を読んでいる西条シュナの声が直接脳に響いてくる。
「二〇二五年、人間の全知能をコンピュータが越えた。この年を特異点と呼び、以後は二次関数のグラフのように想像を絶する技術革新が進められた」
 ――あ、二次関数出てきた。
「――ルドは拡大を続け、ネットワークを利用した二十四時間通信可能なグローバルスカイプの開発、ついでローカルスカイプの創造が――。携帯電話などは使われなくなった」
 切れ切れの意識の中、シュナの美声による音読は終わった。代わって教卓に立つバーコードみたいにおかしな禿げ方をしている中年教師が口を開く。
「そうだな。わしが小さい頃は携帯電話でメールのやりくりするのがめちゃくちゃはやってなあ」
 正直な話しどうでもいいです、と突っ込みたくなる懐古話である。
 そのままかくりと自分の首が下にさがるのが分かる。するともう歯止めが効かなくなる。あとは泥に沈むようにまどろむだけ――。
『たすけて』
「え?」
 思わず声と顔をあげてしまう。
「んー? どうした千堂。なんか質問か?」
 歴史の教諭がこちらに顔を向けてくる。
「あ、いえ、何でもないです」
 しょぼしょぼと弁明する。レイナはおとなしいキャラでクラスから認識されていたので特に笑いが起きることもなくそのまま授業が進んでいく。
 が、レイナとしてはそのまま流せる出来事ではなかった。確かに、先程、肉声をもって、この耳に訴えかけられた、
 とりあえず前後ろ左右横に視線を走らせる。
 結果、アケミと目があって目配せし合っただけだった。
 空耳、なのだろうか。
 急に疲労感が体にのしかかって来た。

     ×          ×            ×

 家に帰ってからは妙に気だるかった。
 なんだか体がいつまでも休憩を要求しているような感じである。
 夜九時もまわろうかという時、ピピと軽い電子音がしてローカルスカイプのウィンドウが視界の先に展開された。通信してきたのはアケミだった。
「ハロー、あそぼ、レイナ」
 アケミの陽気な声に体が少し息を吹き返す。
「いいよ」
「やた。じゃあ第五区の噴水の前に集合ね」
 レイナは机から離れると、ベッド脇に置いてある簡易型生命維持装置のカプセルを開けた。去年買ってもらった二十万円ちょいくらいの安物である。だが安物と言っても生命維持装置を持っていること自体がすごいことではある。ものすごく値が張るこれはちょっと裕福な家庭でないと手に入らないものだったりするのだ。
 レイナはウィンドウ越しの親友に頷き返すと目を閉じた。
 視界に表示される接続の二文字。そうして意識はもう一つの街、仮想に創られた十の都市群へと落ちていく。
 目を開くと、目の前には噴水があった。アクセスポイントの一つ、第五区の噴水である。
 アケミはもうすでに横にいて「はろはろー」とこちらに手を振っていた。
「アケミ、今日は早めにお開きにしよ」
 自分でも声が疲れているのが分かる。
「ん? どした?」
「ううん。ちょっと眠い。仮想都市で寝ちゃったら、色々とまずいから」
 仮想都市での休眠もリアルでの睡眠と同じなのである。もちろんナツコにはちゃんとベッドで寝ないと生命維持装置を取り上げると言われているのでそんなことは死んだってできない。
「そか。あたしとしてはもっとレイナと遊んどきたかったんだけど」
「ごめんね」
「いいよいいよ」
 それからレイナはアケミと一緒に第五区のショッピングモールを冷やかし歩いた。指先一つで欲しいものは手に入る時代ではあるが、やはりこうして歩いて商品に触れることは刺激的だった。
 眠いけれども寝たくないというなんとももどかしい時間が過ぎていく。
『たすけて』
「はえ?」
 眠かったこともあってか、我ながら何とも情けない声を出してしまう。
 声、だろうか?
 誰かの声が、今確かに『たすけて』と紡がれたような気がした。急に響いた一言に半分寝かけ、半分興奮状態の意識が一気にさめていく。確か今日の授業中にも聞いたような声ではないかと脳みそが訴えかける。とりあえず、アケミに声が聞こえなかったか話を振ってみようと思った。
 と。
「――ごめん、レイナ。今日はここでお開きにしよっか」
 横を歩いていたアケミが急に立ち止まってそう呟くように言った。
「え?」
「じゃね。今日は楽しかった!」
 いつものアケミとはどこか違う、早くこの場から立ち去りたいとでも言わんばかりの語調だった。親友のよそよそしい挨拶にレイナは唖然とした。
「え、ぁ、ちょ、アケミちゃん!?」
 思わずひきとめるように言葉を発するが、その頃にはアケミのしなやかな体はごった返す雑踏の向こうにするりと抜けて消えていくところだった。
「アケミちゃんってば!」
 あまりに不自然な親友の態度に戸惑いながら声を上げる。レイナの体は反射的に雑踏をかき分け、人垣の奥に消えていったアケミの後ろ背を探していた。
 ――あっちは第十区の方向。
 そう思うが早いか、レイナは視界の隅の仮想ウィンドウからローカルスカイプを呼び出した。これでアケミと連絡を取ろうと思ったのである。
 ――駄目。オフラインになってる……!
 したがってコールしてもアケミが出てくることはなかった。
「ログアウトしちゃったのかな……」
 ちらりと視界の右下を見やると、仮想ウィンドウの端に現在時刻を示す『11:48』という数字が表示されていた。
 その視界に、再びアケミらしき後ろ姿がちらついた。いや、間違いない。あれは間違いなく木下アケミの後ろ姿だった。ということはログインしたのを隠した状態にし、こちらの通信を拒否したということになる。何かレイナに知られてはまずいことでもするつもりなのだろうか。
 いつものレイナなら、「人それぞれ事情もあるよね」で終わっていただろうが、今日に限ってそれで終わることはなかった。女の勘と言うと仰々しくなるけど、何故かこれはのっぴきならない事態だとレイナの本能が警鐘を鳴らしていた。
 ――駄目、アケミちゃん。そっちに行っちゃ、駄目……!
 ローカルスカイプのくせで、必死に心の中で呼びかけるが、その声はアケミに伝わってはいないようだった。こんなに近くに、目で確認できるほどの距離に彼女はいると言うのに、システムが無ければこんなにも遠いものだと言うのだろうか。携帯電話でのメールのやりくりをどこか馬鹿にしていた自分が、たった数メートルの距離の向こうにいる親友に思いを届けられないと言うのはどこか滑稽だった。
「……っ」
 彼女を追って雑踏をかき分ける。とても嫌な予感がする。このままここで彼女を逃したら、もう彼女は戻って来ないような錯覚。
 大げさかもしれない。今すぐにでもアケミが引き返して来て、何している、早く寝ろよな、寝坊するぞと笑いかけてくれるかもしれない。だけど、レイナは驚くほど必死に彼女の姿を追っていた。
 そして、唐突に人込みを抜けた。
「あ――」
 人込みを背に暗い路地裏の向こうを見やる。向こうにそびえるのは第十区の廃ビル群だった。

        ×           ×          ×

 泣く子も黙る第十区。アケミはここに入っていったというのだろうか。今朝のアケミの言葉が思い出される。
『第十区とかアホでもなけりゃ絶対立ち寄らないとこだし』
 そう言いながらも自分は入っていくとかアケミは何を考えているのだろうか。
 普段からあっけらかんとした笑顔を浮かべている親友の顔が脳裏に浮かぶ。嘘や隠し事なんて到底できないだろうと思っていた。微妙に崩れていくアケミ像に戸惑いを感じながら、レイナは足を進めるべきか逡巡した。
 第十区は危険だ。そんなものは幼稚園児でも知っている。だから誰もあそこには近寄らないのだ。ならこの路地裏を抜けてあの廃ビル群に入っていくのは止めるべきだ。
 と、まあ、これが一般論だろう。
 しかし、ほぼ間違いなくアケミはここを抜けて向こうに入っていっている。先程その背中が雑踏の隙間からちらりと見えたのだ。間違いはない。ローカルスカイプはつながらないし、引きとめるなら今から追いかけて物理的に引き戻すしかない。
 一瞬、アケミの家に連絡しようかとも思った。しかし、そうしたら毎晩自分たちが秘密の夜遊びをしていることが親御さんにばれてしまうかもしれない。うまくやれば、そんなに怪しまれなくても済むかもしれないが、要領の悪い自分のことだ。またいつものように墓穴を掘るに違いない。
 ――ちょっとだけだし。
 そうだ。この先に雑踏はない。なら追いかけるのも簡単だし、彼女の背中が見えたらそのまま声をかければそれで気付いてもらえるだろう。それに、万が一の場合もすぐにログアウトできるようにしておけばそれで大丈夫だろう。リアルからこちらに来るときはアクセスポイントにしか来れないが、離脱はどこでもできるということを最大限に生かすべきだ。
 レイナは駆け出した。
 暗い路地を抜けた先はあの第十区だ。
 第十区に足を踏み入れる。
 第十区のどこが危険だと言うのか。ほら、危険じゃない証拠に自分はまだ無事じゃないか。まだ先に進んでも大丈夫。きっと大丈夫。
 危なくなればすぐにログアウトすればいいのだから……。
 でも、たしか。いつか、ログアウトできずに困った事があったような。
『たすけて』
 不意に響く謎の声。昼間の授業中に聞いた声に違いない。甲高い、幼子のような声。
 その声に驚くよりも前に、レイナはしなやかな後ろ姿を前方に捉えた。
 廃ビルの角に消えていく親友。レイナは声を張り上げた。
「アケミちゃん! そっちに行っちゃ駄目! アケミちゃん! アケミちゃん!!」
 耳鳴りのように響く『たすけて』の声に負けないように叫んだその言葉は、しかしアケミには届かなかったようだ。わざと無視しているような気までしてくる。
 だから、初めて親友に、本当の苛立ちを覚えた。
「アケミちゃんってば!」
 ビルの曲がり角に身を躍らせる。そこでレイナは目を見開いた。すぐ前を走っていたはずのアケミの姿がどこにもない。見失ったにしてはあまりに唐突すぎるし、先程までのアケミの姿が幻影だったなんてありえない。
 と言うことは、彼女はここでログアウトしたのだろうか。そうかもしれないけれども、だとしたら何故だろうか。自分がしつこくつけまわしてくるから、それで嫌になって今日は出直すことにしたとか。
 どんな理由があろうと、何だかとても寂しい気分である。
「帰ろう……」
「ちょっと待ってよぅ! せっかく助けに来てくれたって言うのにここで帰るの!? 僕を助けてよぅ!」
「はぇ?」
 急に響いた甲高い声にきょろきょろと辺りを見回す。
「ここだよ、ここ!」
 声をたどって視線を動かすと、中華料理店の古びた看板があり、その真下あたりに何故かバケツが置いてあり、そこに水がたまっていた。
 その中で雀が溺れていた。
「え、えぇぇぇぇぇぇぇー! す、雀! あの時の雀!」
「いいから、だずげで、ゴボボボボ」
 せかされるままにバケツを横に倒すと、水がどばっと鼠色の地面に広がっていく。その水の中から羽をばたつかせながら雀(じゃない鳥?)が出てくる。
「ゆ、夢……じゃないよね……?」
 頬を引っ張ってみると、現実の体にフィードバックされて、そのまま脳に叩きこまれるような鋭い痛みが走る。
「助けてくれてありがとう! 僕はスザク。間違っても雀と一緒にしないでね」
 やっぱり雀で合っていたみたい。
「えーと……」
 こういうときはどんなリアクションを取れば良いのだろうか。普通に、雀がしゃべったことに驚くべきだろうが、夢で一度驚いているので何だか驚けない。
「えっと、あの、どうして、溺れてたの?」
 その場を取り繕うように訊いた。
「悪い奴に追われているんだ。それで、そこの看板の上に隠れていたんだけど、寝像が悪くて落っこちちゃったんだ」
 何という間抜けな雀だろうか。つまり隠れているうちに居眠りしてしまって、落ちて溺れたと。
溺れたのは仕方がないとして、その前に気になる発言があったような気がする。
「悪い奴に、追われている?」
 オウム返しに訊く。
「うん。あの、それで、君にお願いがあるんだッ! 魔女になって僕を――この世界を、助けてッ」
「あの、えっと……」
 ――何を言っているんだろー?
「お願いだよ。それにこのままじゃ君も」
 雀――スザク(自称)がそこまで言った時、薄暗い路地裏から、何か黒い物がはい出てくるのが見えた。
 最初は目の錯覚だと思った。仮想においても誤認と呼ばれる現象は起こりうるのだ。
 だけど、目を見開いて路地裏を凝視しているうちに、黒い靄は見間違いなどではないことが分かった。黒いマリモのような物体がぞろぞろと這い出てくる。
「ウィルスだ。僕、アレに追われていたんだ」
 スザクが翼を不器用にはためかせてレイナの肩に乗りながら切羽詰まった調子で言った。
 逃げなきゃ、と思った時にはもう体が走り出してきた。怖かった。初めて出会った得体の知れないものに半ばパニックになりながら廃ビルの合間を駆け抜ける。
「君も魔法少女になるんだ! 戦うんだ!」
 耳元でスザクが何やら叫んでいるが、よく聞こえない。ただ、この場から逃げ出したい一心でレイナは暗い街路を駆け抜ける。

        ×            ×           ×

「あ――はぁ――」
 唐突に足が止まる。もともと運動能力が高いとは言えないこともあって、二、三分くらいしか走り続けることはできなかった。
 後ろを振り返ると森閑とした薄暗闇の向こうにビル群の影が連なっているだけだった。どうやらあの黒くて丸いモノからは逃げ切ることができたらしい。
「な、なんなの、アレ……」
 ぺたりとその場に崩れ落ちながら呟く。スザクがつぶらな瞳でレイナを見上げてくる。
「ウィルスっていう悪い奴らさ。あいつらのせいでこの仮想都市は荒廃していくんだ。あいつらの主食はデータ。つまりこの仮想世界さ。まあ連中も節度を心得ているみたいで無茶食いして世界を壊すことはしていないみたいだけど」
「で、データがご飯なの?」
「そうさ。特に仮想世界にやってくる人間が好物さ。ネットに――仮想都市に入ったままずっと出てこない子供ってのがニュースで話題になっているけれども、実はその大半があいつらのせいなんだ」
「へ、へぇー」
 毎朝遅刻ギリギリまで寝ているのでニュース云々は分からないけど。
「そこでお願い。君、戦ってよ! 僕と、仮想都市をウィルスどもから守って!」
「え、えぇー」
「君はデータの世界から選ばれたんだ。選ばれた戦士なんだ。さあ、君も魔女になってあいつらと戦おう!」
「戦おうって……」
 あの黒いのとだろうか。そんなの嫌に決まっている。
「そ、そういうのは、ネットポリスさんに頼んだ方がいいと思うんだけど……」
「君にしかできないんだ、レイナ! 僕たちデータの住民は長らく選ばれし戦士を探していた。それで君を見つけた。お願いだよ!」
「そ、そんなこと言われたって……」
 でも、密かに憧れていた展開がそこにあることは確かだった。
「魔法少女になれば、君は他の子が持っていないような特別な力を手にすることができるんだ。魔法が使えるんだよ!」
「ま、魔法?」
「正確にはこのデータとつながった世界において発動可能な力のことだけどね。どう? やってみない?」
「う、うーん」
 レイナが首をひねったその時だった。
 再び嫌な予感がして、同時にあの黒い影達が暗闇の向こうからぞろぞろと出てきた。
「――ふ、増えてる!」
「君がもたもたしているから囲まれちゃったんだよ」
 スザクがちゅんちゅんとそう言う。
「こ、こんな……」
 怖くて動けなかった。立ち上がろうにも足に、腰に力が入らない。
「レイナ、魔法少女になるんだ!」
 スザクのかしましい声とともに、電子音がして、一つのデータファイルがレイナの視界に提示される。
『ヴァルキリースカート』
 そう銘打たれた。プログラム。
「それはパッチみたいなものさ。君の個人データを、魔法が使える戦士に書き換えるための」
「――っっ」
 声が出ない。
「さあ、早く!」
「っ」
 もう何も考えられない。レイナは『ヴァルキリースカートのインストール』の項目に指を合わせた。
『魔法少女になるともう後戻りはできません。続行しますか?』
 無我夢中で操作する。
 途端、辺りは光に包まれた。

          ×         ×            ×

 画面いっぱいに表示されるインストール中という文字。
 その表示にレイナは唖然となった。その間にもウィルスたちはじわじわとレイナに距離を詰めていく。
「あ、あ……」
 レイナはぽろぽろと涙を流しながら肩に乗っているスザクに目をやった。
「逃げて! インストール完了まで逃げるんだ!」
「あ、ぇ……?」
 逃げるって、インストール完了までって、何を言っているのだろうか。この、四方を真っ黒な影に囲まれたこの状況で。
「そんな……」
 歯がかちかちと音を立てている。
 どしん、と。レイナの背後から大きな音がした。恐る恐る振り返ると、そこには黒く巨大な球体がそびえたっていた。レイナの何倍もの大きさがある。
「重ウィルスだ。ウィルスの親玉みたいな奴だよ。でもまだ初期形態だから、君でも十分倒せる」
 この雀は何を言っているのだろうか。
 響きは日本語だけど実は外国語で「レイナ、ここまでだ。ごめんね」と言っているのだとしたらそちらの方を信じたい気分だった。
「あ。あ、」
 瞬きすらできない中で、重ウィルスの巨大な影がレイナにのしかかってくる。
「レイナ、避けて!」
 スザクの声。そんなの、避けられるものならとっくの昔に避けようと体を動かしている。
「……っ」
 目を閉じた瞬間、瞼の裏にお母さんの怒った顔と、お父さんの優しい笑顔を思い出した。
 ――ごめんね。お母さん、お父さん……。
 そして最後に思いだされる、自分とよく似た顔の少女。
 ――ごめんね、お姉ちゃん。せっかく、助けてもらった、命なのに。

 瞬間、爆音が響いた。
 驚いて目を見開く。
 ふわりとしたウェーブをかけた髪が翻る。可憐な細身が優雅に暗闇を舞っている。宙で逆さに流れる体は女性のものだった。帽子をかぶった頭を下に、黒いブーツを履いた両足を頂点に。
 ウィルスたちを文字通り弾き飛ばしながら、一人の少女が魔鳥のように舞い降りてきた。
 頭をかばって縮こまっているレイナに、彼女は振り返る。
「大丈夫?」
 鈴のような声だった。レイナは目を見開く。
 ――わ、綺麗な人。
 思わず見とれてしまう。全体的に青みがかったふわふわとしたドレスに身を包んでいる。年は高校生くらいだろうか。ウェーブのかかった毛先から高貴な匂いが香って来そうなほど、上品で美しい女性だった。
 夢中でこくこくと頷くと彼女は「良かった」とひとつほほ笑んでくれた。
「下がっててね。すぐに片づけるわ」
 彼女はそう言うときっと前方の大きな黒い影に向き直った。
「レイニー・ブーツ」
 身をかがめて囁くその姿は、まるで黒い靴に息を吹きかけるようだった。
 途端、螺旋を描くように、きらきらと白く輝く液体が女性の周りに湧き立った。
 刹那、彼女は高く跳躍した。その跳躍に続くかのように白い水が流れる。
 空中で停止する孤影。その足先に、水がドリルを形作るように収斂される。
「ハッ」
 軽く気合いをこめた声だった。空気を吐くような音と形容した方が良いかもしれない。
 青い魔法少女は、目下にそびえる黒く巨大な影に直下した。

         ×          ×            ×

 巨体が大きな音を立てて平べったく伸びて行く。周りの小さなウィルスたちはかさこそと闇の中へと消えて行った。
 それらに背を向けて大人びた少女がレイナの目の前にかつかつと歩いてきた。一瞬彼女の姿がきらりと光りをこぼす。すると先程までふわふわのドレスに身を包んでいたはずの彼女の姿は、どこかで見覚えのある高校の制服だった。
 彼女が、黒いタイツに包まれたしなやかな足をかがめる。
「え?」
 差し出された手に一瞬戸惑ってしまう。
「立てる?」
 にっこりとほほ笑む高校生。反射的に「あ、はい」と答えて彼女の手を握ると、意外なほど強い力で引っ張り上げられた。
「怪我は――無いようね」
 彼女はそれだけ言うとレイナに背を向けた。それからレイナに背を向け、スカートのポケットから青い液体の入った瓶を取り出した。わずかに黒く濁った液体は、それでもきらきらと輝いていた。向こうに横たわる巨体の質感がふっと薄れ、黒い煙となって女子高生のかざす液体入りの瓶に吸い寄せられていく。まるでガラスなど無いかのように黒い煙は青い液体に混ざっていく。全てを吸収し終わる頃には、青い液体はほんの少しではあるが、先ほどよりも黒く濁っていた。
「物は使えば汚れるってね」
 女子高生がこちらに振り返ってウィンクする。
「汚れれば汚れるほど私たちの力は増すの。勲章みたいなものかな」
 唖然としているレイナとの間に会話の間を持たせようとしているのか、彼女がさらさらと流すように言葉を紡ぐ。
「私の名前は黒羽チカゲ。貴女の名前、教えてくれるかしら?」
 黒羽チカゲと名乗る少女はそう言ってほほ笑みながら小首を傾げた。
 魔法のような出来事とは、このようなことを言うのだろう。
 特別な力を持ったお姉さんが、自分を華麗に助けてくれた。レイナの身を案じ、無事と分かると良かったと胸をなでおろしてくれた。
 その優しい笑顔を見て、ああカッコいいな、と思った。
 月並みな話しだが、リアルで起こる分には十分なインパクトがある。かわいい服を着て、悪者とかっこよく戦う大人の女性。
 それはきっと子供の頃、誰もが一度は夢見た、正義の使者の権化だろう。

        ×          ×            ×

 黒羽チカゲの案内で第十区から出て第五区に移った。彼女はしゃべることもできずにしゃくりをあげるレイナの手を引いて、第五区の雑踏をかき分けている。
 自分を導いてくれるような優しく力強い手にようやく人心地がつく。
 ……本当に自分は信じられないような体験をした。あの真っ黒なウィルスとか言う得体の知れないものや自分が思わずインストールしてしまった『ヴァルキリースカート』とか言う代物のこと、そして何より第十区で見失った自分の親友の安否など未だに心の中で整理がつかない事柄がたくさんある。それらが頭の中でぐるぐる回ってサラダボール状態だ。
 今すぐにでもこの胸の内に氾濫するもやもやを、前を行く優しいお姉さんに打ち明けたいというのに、口はいまだに情けない嗚咽を漏らしている。
 不意にカランカランという甘い鐘のような音と「いらっしゃいませ」という女性の機械音声が聞こえてきた。色彩を失っていた視界は、急に淡いクリーム色の床でいっぱいになる。いくつかの視線がこちらに向いて、また元に戻っていくのを感じながら、レイナは虚ろな意識のまま席に座らされた。
 二人は女性向けの喫茶店の隅の席に陣取っていた。
「飲みなさい。少し気分が楽になると思うわ」
 優しい声に促されるままに運ばれてきたカップに口をつける。柑橘系の香りが鼻腔をくすぐり、口内に甘酸っぱくて温かい液体が満ちた。
「あ……おいしい」
「でしょ? ここのレモンティーはとても上品で優しい味がするの」
 顔を挙げた先に、チカゲのやわらかな笑みがあった。
「怖かったわね。でももう大丈夫だから」
 情けないことにまた涙があふれてきそうになってレイナは唇を噛みしめて一つしゃくりをあげた。
「ゆっくりでいいの。何があったか、どうしてあんなところにいたのか、私に話してくれる?」
 頭の中は相変わらず混乱していたが、それでも何とか今夜のことを目の前の女性に伝える。説明は脳が正常に動いていない自分でも分かるほどに下手でまとまりが無いものだったと思う。真ん中から始まって最初に戻っていくようなレイナの話を、それでもチカゲは熱心に聞いてくれた。
「つまり」
 脈絡のないレイナの話を聞き終わったあと、チカゲは考えをまとめるように目をつむった。
「お友達が第十区に入っていくのを追ったわけなのね? そこでそのスザクと出会って、そのあとウィルスに追いかけられたと」
「はい……」
 レイナは膝の上で休眠中のスザクを見やりながら頷いた。先程までぴーちくぱーちくうるさかったのに(スザク曰く普通の人には自分の姿は見えないし、声も聞こえないと言う。どうやらレイナは初めから普通ではなかったとこの雀は言いたいらしかった)、今はのんきなことに気持ち良さそうに眠っている。
「それで貴女はスザクに促されるままヴァルキリースカートをインストールした。要点的にはこんな感じかしら?」
「は、はい」
 そこで唐突に目の前の女性が自分の名前を一度も読んでいないことに気がついた。理由は簡単だ。レイナはまだ名乗っていなかった。
「あの、わたし、千堂レイナって言います。ごめんなさい、言うの遅れました」
「千堂――レイナ……さんね」
 一瞬チカゲの顔から笑みが消えた。
「いい名前ね」
 どうやら気のせいだったようだ。チカゲはふわりとほほ笑んでくれた。その笑顔にどきりとする。綺麗な人が笑うとこうなるんだと思う一方、体はテンぱっているかのようにほのかに発熱していた。何故だろうか、ものすごくドキドキする。
「レイナさん」
 ――い、いきなり下の名前!
「レイナさん、今日はもうログアウトしましょうか。貴女はとても疲れているわ。ゆっくり休んだ方がいい」
 そう言われてレイナは目を見開いた。
「で、でも、アケミちゃんが!」
「彼女は無事ログアウトしているかもしれないんでしょう?」
「それは」
「なら、ここは様子を見るべきだわ。明日彼女が何事もなかったかのように学校に来ているかもしれないし。そんな顔しないで。大丈夫。そうは言っても、私がこれから第十区を見て回ってあげるから。彼女の画像ファイルを送ってくれる?」
「が、画像ですか? すみません、ちょっと待ってもらえますか?」
 言いながらアクセスフラグメント内のハードをチェックする。アケミとはずっと一緒にいるような間柄だったが、画像と言われるとまともな物が無いような気がした。何とか去年の運動会でお弁当を食べている時のものを引っ張り出してくる。
「じゃあ、探しておくわね。貴女はもう今日のことは何も考えずにお休みなさい」
「は、はい。えっと、あ、あの」
 チカゲが首をかしげる。
「黒羽チカゲさん。今日は、助けてもらって、ありがとうございました」
 なんとかどもらずに言えた。
 チカゲは一瞬目を見開いたあと、ふわりとほほ笑んだ。その笑顔にまた先程のように体が熱くなる。レイナは俯いて頬を染めた。
 ――反則だよ。
「あと、一つだけ」
 先程の優しげな声とは打って変わって、チカゲが真剣な調子で口を開いた。
「自分が魔法少女だってことを絶対に普通の人には言っては駄目よ。理由は明日話すわ。とにかく、言っては駄目。分かった?」

         ×          ×          ×

 目はピリピリとして冴えわたっていたが、体は言いようもなく疲れていたのだろう。レイナはリアルに戻って、ベッドにもぐりこんだ瞬間に眠りに落ちた。授業中にあれだけ寝たと言うのに体はどこまでも睡眠に対してどん欲になっていた。
 疲れているから夢も見ないだろうと、目を閉じる瞬間にそう思った。今は嫌なことを全て忘れて朝までぐっすり眠りたかったから、夢を見ないというのは願望に近いものだったかもしれない。しかしそんなときに限って夢は律義にもやってきた。
 暗い。いや暗いなんてものじゃない。真っ黒だ。真っ黒な世界に雨が降っている。
 目を閉じても開いても変わらない視界の中、漠然とここはどこなのだろうと考える自分だけが存在していた。
 いや、もう一人いた。
 一人の女の子が暗くて雨が降っている中、無造作に座り込み、顔を両手で覆って俯いている。声もあげずに泣くその子はピンク色と白色を基調にしたフリルのたくさんついたドレスを着ている。一人ぼっちで体を丸めるその姿はどこかで見たことのあるものだった。どうして泣いているのか尋ねたかったが、金縛りにでもあったかのように口は開かない。
 頼りなく震える肩が寂しげで、どうしようもないほどの孤独を醸し出していた。
 ――どうしたの? 何があったの? わたしにできることはない?
 しかし思いは彼女には届かない。
 夢なだけあって、そのまま自分の意識が無くなっていく。夢であると分かってしまったからこそ夢から覚めつつあるのか。
 消えていく意識。きっと朝の目覚めはもうすぐそこだ。
「そうか。それが君の本質か」
 光の方へと意識が引き戻されていく一瞬、誰かが耳元でそう囁いたような気がした。

      ×             ×             ×

 次の日、やはりアケミは学校には来なかった。
 昨日とは違って登校中にアケミの姿を確認することができなかった時から嫌な予感がしていたが、彼女は結局登校してくることはなかったのだ。
 ――心配だな……。アケミちゃん、どうしちゃったんだろう。
 自分の机に突っ伏したままぼんやりとそんなことを考えていると、不意に肩を叩かれた。あまりに突然だったので思わず飛び上がってしまう。ガタンと椅子がものすごい音を立てて、恥ずかしかった。いきなり肩を叩いてくるなんてどこのどいつだと涙目になりながら見上げると、そこには目鼻立ちの整った黒髪の男の子が立っていた。
 白クロ。ちなみに白は『ツクモ』と読む。「百」から「一」を引いて「九十九」。そして「九十九」は「ツクモ」とも読むわけである。なら素直に「九十九」で良いのに、表記に関しては「百」から「一」を引いた、つまり横棒一本を取ったとして「白」になっているわけだ。かなりややこしい。
「千堂、お前今日元気ないみたいだけど大丈夫か?」
 黒々とした瞳でレイナの顔を覗き込んでくるクロ。レイナは体を起こした。
「ううん。何でもないの。それより、何か用? ツクモ君」
「このプリント木下に届けてやってくれよ。あいつ今日休みだろ」
 レイナはきゅっと唇を横に引き結んだ。クロは続ける。
「さっきから何回も呼びかけてたんだけどな。お前ってばずっと無視してやがるんだから。これから委員会の仕事があるってのに」
 クロは学級委員長であり生徒会役員でもあるのだ。
「ごめんなさい」
 レイナはプリントを受け取った。学校に来ていないのも風邪か何かのせいかもしれないと淡い期待を抱く一方で、どう考えてもアケミはあれからリアルに帰っていないのだろうと考える自分がいた。
「じゃあ届けるの頼んだぞ。俺生徒会行かないといけないから」
 クロはそれだけ言うとレイナの席から離れて行った。
 レイナはその後ろ背を見送ったあと、ため息を一つついた。

        ×           ×            ×

 当番だった掃除を終わらせて校舎を出る。
 なんだか今日はものすごく空虚な一日だったように思える。授業も起きてはいたもののノートなんて一行も取っていないし、友達と話していてもアケミのことや、昨日のことが気になってしょうがなかった。
 ふと顔をあげると何やら校門辺りがざわついていた。校庭で部活にいそしんでいるはずの女子陸上部が湧き立っている。男子は真面目にやっていると言うのに内の女子連中ときたら何をしているのだろうか。レイナが呆れながら校門に近づくと、その人だかりの中からどこかで聞いたような声がした。顔をあげたレイナの口があんぐりと開く。
 なんと校門には昨日レイナを助けてくれたお姉さん、黒羽チカゲその人が立っていたのだ。
「すっごく綺麗な肌してますね!」
「制服かわいいー。先輩の制服って堂本西高校のですよね!? すっごいなー、めちゃ頭いいじゃん」
「きゃー、お姉さまって呼んでいいですか!」
「なんかいい匂いしますね。香水ですか? え、違う? 萌えスメルですね!」
「お姉さま、高圧的な態度で私をののしって下さい! お願いします! ああ、いい!」
 一部、というかほとんど大部分の台詞が不穏当なものである。なるほどこれは黒羽チカゲの美貌のなせる技だと言うのか。目の前の極上の得物に舌なめずりしている女子達を優しく手でどけながらチカゲがレイナの元にてくてく歩いてくる。
 ――な、なんかものすごく嫌な予感がするんですけど!
 目の前に迫る予測可能な危機的状況を前にしても動くに動けない。今すぐにでもこの場から全力で退避したいところだが足が棒みたいになっていて一ミリも移動できなかった。
「こんにちは。レイナさん」
 チカゲがさわやかな笑顔をレイナに投げかける。途端、向こうの女子連中の方からガーンという音がしそうなほどの動揺が伝わって来た。
「あ、あれは千堂さん! そ、そんな、お姉さまとあんなにも親しく……!」
「きぃぃぃ! 私たちの知らないところでお姉さまのような美人を毒牙にかけていたと言うの!」
 ――毒牙ってなんだろうか。
 とにかくものすごくまずい気がする。でもチカゲがレイナを待っていただけだと言うのにどうしてこんなにも嫉妬のこもった視線を浴びないといけないのだろうか。一方のチカゲはガクガクと震えるレイナに気付いた風もなくレイナの手を取っていた。黄色い悲鳴が上がる。
 と。
「こら! 何を騒いどるんだ!」
 不意に鋭い声が飛んだ。陸上部女子の面々の顔がさっと引きつる。声は校舎の方からだった。見ると、女子陸上部の鬼顧問、石井鉄夫が顔を赤くしてこちらに歩いてくるところだった。
「ま、まずいですわ! 皆さん、速やかに練習に戻るのです! 鬼がわらです! 鬼がわらが帰ってまいりました!」
「ま、まさか! 職員会議で当分帰ってこれないものと安心しておりましたのに!」
「で、ではお姉さま、ごきげんよう!」
 女子陸上部がいそいそと練習に戻っていく。鬼がわらこと石井鉄夫の怒鳴り声が聞こえてくる。
 そんな彼女たちにチカゲが苦笑しながら手を振った。
「あの、もしかしてずっと待ってました?」
 レイナが恐る恐る尋ねるとチカゲはふわりとほほ笑んだ。
「一時間くらいよ。ああ、でも退屈はしなかったわ」
「一時間も! そんな、ごめんなさい!」
「いいのよ。こっちが勝手に押し掛けているんだから。――それ、アケミさんに?」
 チカゲがちらりとレイナの手にある封筒を見やった。
「はい。今日配布されたプリントを届けに」
「さっきあの子たちから聞いたんだけど、アケミさん今日学校には来ていないんですって?」
「はい……」
「まずはアケミさんの家に行くのね。私もご一緒させてもらっていいかしら?」
「そ、それはいいですけど」
 一体どうしたんですか? と聞こうとして止めた。チカゲはきっとレイナに用事があってここまで来ているのだ。そして用事と言えば昨日成り行きでインストールした『ヴァルキリースカート』のことに他ならなかった。案の上チカゲはその話を切り出してきた。
「歩きながらお話しましょう」
 チカゲが静かにそう言う。レイナはこくりと頷くとチカゲの横に並んだ。
「っと、そうそう。ちょっと待ってね」
 チカゲはそう言うと立ち止まり、後ろを振り返った。
「何の用かしら?」
 つられて振り返ると、そこには西条シュナが立っていた。彼女は何か言うでもなく静かにこちらを睨んでいる。その双眸には背筋が寒くなるような光が灯っていた。
「あの子たちみたく私のファンになりたい……って顔じゃないわね」
「お前、レイニーブーツだな?」
 間違いなくシュナは殺気だっていた。視線だけで呪い殺してやろうとしているかのようである。レイナは眉根を寄せた。レイニーブーツ。確か昨日、チカゲが黒く巨大な球体の化け物に止めを刺した時に呟いた言葉だ。
「そう言う貴女はどこの誰かしら?」
 チカゲはシュナの殺気を平然と受け流しながら素っ気なく訊いた。
「ここでやるつもり?」
「……」
 シュナは答えない。静かにチカゲを睨みつけているだけだった。チカゲは悠然とシュナを上から下まで舐めるように見たあと、
「そう、お利口さんね」
 そう一言だけ言うとシュナに背を向けた。
「行きましょう、レイナさん」
「は、はい」
 促されレイナもシュナに背を向ける。背中には、角を曲がるまでシュナの突き刺さるような視線がずっと付きまとっているような気がした。

       ×            ×             ×

 昨日第十区に入ったときのことをもう一度説明し、チカゲがそれに大きく頷いたところでアケミの家についた。インターホンを押して、出てきたのは暗く沈んだ様子のアケミの母親だった。レイナが恐る恐るアケミの様態を尋ねると、青い顔でただの風邪よ、心配しないでと返された。
 そう言われればもう何も返す言葉がなかったので「お大事に」とだけ言い置いてアケミ母に背を向けるしかなかった。
 そのあと、チカゲに連れられて高級住宅街の一角、とある高級マンションにやって来た。ここに来るのはいつかの学校行事、「地域を回ろう」で探検して以来である。チカゲの親御さんは海外を飛び回る外資系のエリートサラリーマンで、年に二週間くらいしか家に帰ってこないらしく、彼女はこの高級マンションに一人で住んでいるらしい。
 マンションの十五階でエレベータを降り、そのフロアの一番奥の部屋の扉にチカゲは手を当てた。軽い電子音がして扉が開く。レイナは若干挙動不審になりながらチカゲのあとに続いた。
「わぁ、素敵なお部屋ですね」
 素直な感想が出る。広いし全体的に明るい色調に包まれた部屋だった。家具からもチカゲの趣味の良さが垣間見られるような気がする。
「ありがとう。とりあえずそこのソファにでも座って。紅茶でいいかしら?」
 やがて良い香りとともに紅茶とケーキが運ばれてきた。
「さてと。じゃあお話の続きね」
 チカゲが向かいのソファに座ってそう切り出したので、レイナも居住まいを正した。そう、今日ここに呼ばれたのは昨日疲れているからという理由で先送りにした山積みの問題を整理するためなのだ。
「昨日アケミさんを探したのだけれど、知っての通り彼女を見つけることは残念ながらできなかったわ。でも確かにあそこには貴女と貴女以外の誰かが追いかけっこしていたという痕跡は残っていた。足跡が付いていたの。第十区の汚れ具合が良いように働いた結果ね。貴女の運動靴のものと、もう一つは大分靴の先がすり減ったもの。アケミさんのものかどうかは分からないけれども多分こちらが貴女があとを追っていた女の子のものだと思う」
「あ、あの。それって昨日私があとを追ったのはアケミちゃんじゃないかもしれないってことですか?」
「あくまで可能性の一つよ。誰かが貴女を第十区に誘い込むために仕掛けた罠って線もあるの」
「あの、誰かって、誰ですか?」
「キラよ」
「キラ?」
 チカゲはええ、と頷いた。
「最近ヴァルキリースカートの所持者を連続で殺害している殺人鬼よ。昨日私があそこを通りかかったのもキラを探していたからなの」
「こ、殺、す? そ、そんな。でもわたし、誰かに恨まれるようなことは多分したことがないし。狙われる理由なんて」
「ヴァルキリースカートをインストールするだけで、アレの殺害対象になるわ。むしろアレは戦いの経験の無い、生まれたばかりの魔法少女の方を優先的に標的にしているの」
「そ、そんな。どうして?」
「理由は、これよ」
 そう言ってチカゲが取り出したのは青色の液体の入った瓶だった。きらきらとした青色の中にわずかに黒く染まったもやもやが渦巻いている。
「これは私たちが魔法少女に変身するときに振りかける香水。これを振りかけることによってデータの世界とつながっている限り――もっと言うとアクセスフラグメントを身につけている限りはいつでも魔法少女に変身できる。但しリアルで変身するときは、認識する側もアクセスフラグメントを身につけている必要があるけれどもね」
 チカゲはそう言いながらウェーブのかかった髪をさらりと後ろに流した。同時に右耳に青色のアクセスフラグメントが付いているのが見える。
 ――うわー。チカゲさんのやつ、最新型のスタイリッシュ・バージョンだ。
 それに比べで自分はオーソドックスな首に付けるタイプだ。この辺りが庶民とお金持ちの違いと言うものだろう。
 というか、こんな時にまでそんな下らないことに気が回ってしまう時点で自分はどうしようもない小市民なのだと自己嫌悪に陥ってしまう。
「とにかくこの香水さえあれば色々なことができるようになるの。キラはこれが欲しいのよ。ここで話を戻すわね。貴女のお友達のアケミさんは、風邪か、あるいは仮想都市で遊び呆けているか、何らかの事件に巻き込まれたかのどれかよ。まあ、あのお母様の態度と貴女の話からするとどう考えても何らかの事件に巻き込まれたということになりそうだけど」
「や、やっぱりですか!」
 レイナは目を見開いた。薄々そうなんじゃないかと覚悟していたことだったが、いざ突き付けられると色々ショックである。昨日どうして彼女を引きとめることができなかったのだろうという後悔が胸の中でいっぱいになる。
「落ち着いて。混乱するのは分かるけれども、大事な話だから冷静になって欲しい」
「……」
 俯いてこくりと頷くと、チカゲは「偉いわね」とほほ笑んでくれた。
「事件に巻き込まれていたとき、もし誘拐とか――あくまで仮定の話ね――だったらネットポリスに任せるのが一番いいわ。彼らは組織的に動ける。なによりこの国での普通の犯罪は彼らにかかれば成功しないとまで言われているからね。だから、私が、そして貴女にも手伝ってもらおうと思っているのだけれども、動くのは犯罪の相手が普通じゃない存在のときよ。そう、ウィルスやキラが絡んでいるときは警察では対処できない。そのときは私たち魔法少女が解決しなければならないの」
 そう言ってチカゲはまっすぐにこちらを見つめてきた。レイナは慌てた。
「そ、そんな。わたし、そんなこと言われても困ります! わ、わたし、何もできないし、今まで何やってもうまくやれたことないし。要領悪いし、どんくさいし」
「厳しい言い方になるけれども、貴女は今はもう魔法少女なのよ。昨日成り行きでインストールしたって言ってたけど、本来そんな安易にインストールするものじゃなかったの」
 そう言うチカゲの口調はどこか歯切れが悪かった。苦いものを噛みしめるような語調である。
「そ、そんな。魔法少女になったからって、そんなことする義務はないと思います!」
「確かに義務はないわ。ないけれども、そうしないと長期的に見れば貴女は命を失うことになるの」
「え?」
 思わず耳を疑った。キーンという耳鳴りがしている。命を失うって、死ぬと言うことだろうか。訳が分からない。事件を解決しなければいずれ自分が死ぬことになるとか論理性のかけらもない話しだ。
「さっきも言ったけれども、香水は周りから狙われているの。色々な用途があるからね。それは本来仲間であるはずの別の魔法少女からということも、ありうるの。残念ながらね。つまり、私たち魔法少女は完全に個人と言う単位で動いているのが現状。何が言いたいか分かるかしら? 周りは敵ばかりで味方は一人もいないってことよ。だからこういう事件でコツコツと経験値をあげておかないとあとで絶対に後悔することになるの」
「――」
 絶句。
 声が出なかった。先程から続いている耳鳴りはさらに酷くなっていた。もうグワングワンと脳みそが揺れている感じだ。
「で、経験値っていうのが、この香水にウィルスの力を取りこんだ量になるわけ。分かったかしら?」
「分かりました、けど」
 ――無理です。
「最後に魔法少女がしてはいけないこと」
 チカゲは強引に話しを進めて行く。レイナにはもう、まだあるんですか、という気力もなかった。
「一つ、魔法少女になるともう後戻りはできない。つまりアンインストールはしてはいけない。二つ、自分が魔法少女だと言うことを一般の人に認識されてはいけない。つまり、私の場合だと、私が黒羽チカゲで、魔法少女レイニーブーツだと一般人に知られてはならないってことね。理由は――やっぱり今日は言わないでおくわ。そんな顔しない。ちゃんと義務を果たせば魔法少女もいいものよ。今からちょっとだけ実地訓練しましょう。そのあと私と一緒にアケミさんを探して第十区を回りましょう」
 レイナは内心涙目になりながら頷いた。今やあんなにおいしそうだったケーキは灰色に見えるし、紅茶からは殺伐とした味気ない臭いしかしなかった。

          ×          ×           ×

 第十区のオフィス街に入ると、チカゲは例の青色の香水を取り出した。
「あ、え、ええと……」
 早速変身しましょうということらしいが、レイナは肝心の香水を持っていなかった。
「そのブレザーの右ポケットに入っているんじゃない?」
 チカゲに指摘されてポケットに手を入れてみると、固くて冷たい感触があった。取り出してみると、ピンク色の液体が入ったガラス瓶だった。
 やったピンク色だ、と自分が大好きな色だったことに少し心が浮つく。が、状況が状況なだけに素直に嬉しい気持ちにはなれなかった。
 その前に、いつの間に香水なんて手に入れたんだろうかと疑問に思ったが、何だか考えるだけ面倒くさくなって丸投げすることにした。
「はい私に続いて頭の上から瓶を振って。ああ、瓶の蓋は取らなくていいわ。振るときは優しくね。ついでに自分がこんな服を着たいって強く思い描くの」
 言われた通りに香水の入った瓶を頭から振りかける。するとふわりと甘いフローラルな香りが鼻をくすぐった。
 ――いい匂い。
 まるで全ての疲れを癒してくれるような優しい香りだった。不謹慎なことに一瞬アケミのこともどうでも良くなってしまった(もちろんすぐにそんな考えは取り消したが)。想像の域は出ないが、麻薬に中るとこんな感じになるのかもしれない。頭がふわふわ浮いているみたいで本当に気持ちが良かった。
「――イナさん、レイナさん」
「は、はい!」
 不意に名前を呼ばれて我に帰る。どうやら自分はボーッとしてしまっていたらしい。慌てて謝ると、チカゲはいいのよとほほ笑んだ。
「レイナさん、さっきとてもえっちな顔してた」
「え……!?」
 エッチってどうエッチなんだろうか。とにかく自分がだらしない顔をしていたことは確かなことらしく、これからアケミを探さないといけないとか色々と当該的な問題があるのにそんなことそっちのけで顔がカーッと熱くなってしまう。
「いいのよ。魔法少女になるときはリビドーを刺激するものらしいから最初の内はだいたいそうなるものなの」
「り、りびどー??」
 りびどーってなんだろうか。何かは知らないが、とてもエッチな言葉には違いない。最初にこの言葉を考えた人は間違いなく変態さんである、多分。
 色々と戸惑っていると、チカゲがレイナを安心させるようにまた一つほほ笑んだ。
「そんなことよりも、自分の格好を見て」
「え……?」
 促されるままに自分の姿を見ると、先程まで身にまとっていた制服は忽然と姿を消していた。代わりに、ピンク色のふりふりのフリルがついたかわいらしいドレスを着ている。スカート丈は膝上くらいで白いニーソックスはいつも来ているシンプルなものからちょっとデザイン的によろしくなったものになっていた。髪に手をやると、ポニーテールになっていて大きな赤いリボンで結われていた。総括すると、ものすごくラブリーだった。
 憂鬱が消し飛んで行く。今なら何でも出来そうな気がした。空だって自由に飛べてしまいそうだ。
「う、わー。レイナ!? すっごくかわいいね!」
 甲高い声がしたかと思うと雀ではなくてスザクがこちらに飛んでくるところだった。存在自体忘れかけていたが、スザクも今まで無事に過ごししていたらしい。昨日店で勝手にログアウトしてしまったから、スザクのその後がものすごく不安だったのだ。
「やっぱり僕が見込んだだけのことはあるよ。魔力だってものすごく高いじゃないか。リビドーがたくさんあへぶッ」
 スザクが最後まで言い切る前に素早く踏み込んだチカゲ(笑顔100%)が彼を叩き落としていた。スザクはべちゃりと地面に伸びたあとくじけずに羽をばたつかせてレイナの肩に飛び乗った。
「とにかく無事に魔法少女になれたんだね。よかったよかった」
「レイナさん、今から基本的なことをいくつか説明するから良く聞いてね。説明が終わったら第十区を一緒に回ってアケミさんを探しましょう」
 チカゲの言葉にコクリと頷く。そうだ、早く親友を探しに行かなければいけないのだ。要領の悪い自分だが、それでもできる限りの努力はしようではないか。
「まず、基本動作。殴る、蹴る、どつく」
 チカゲがお手本を見せてくれる。ぶっちゃけ魔法とは関係なさげである。
「次は魔法ね。視界の端にヴァルキリースカートっていうウィンドウが最小化してあるはずよ。それを拡大して。拡大したら技って書いてあるところをダブルクリック。そこに呪文が書いてあるわ」
「わ、分かりました」
 言われた通りにウィンドウを最大化して、技を調べる。すると次のように書いてあった。
 召喚魔法。名前、イフリート。魔法の杖を召喚する。魔法攻撃力が上がる。
 攻撃魔法。名前、フレア。炎を出して攻撃。
 これで終わりだった。
「なんか弱そうなんですけど……」
「最初はそんなものよ」
 チカゲが笑う。
「魔法は名前を唱えれば発動するから」
「な、なるほど」
「無闇に使っちゃ駄目よ?」
「つ、使いません。だって使ったの人に見られちゃいけないんでしょう?」
「正体がバレさえしなければいいんだけどね。まあ極力見られない方がいいわ。そこで! なんと私たちが戦うときに人に見られないようにする結界があるのです!」
 ――チカゲさんノリノリだな……。
「ヴァルキリースカートのウィンドウを見て。技の横に結界ってあるでしょう? そこをクリック」
「結界……。これですね。名前、シュバルツ・レーゲン」
「そこの項目はどの魔法少女も同じよ。シュバルツ・レーゲン。これを展開すれば、光速度と万有引力定数、及びプランク定数に干渉して周りの時間を一時的に止めることができるの。但しとめることができるのはデータに直結しているものと、情報強度が人間以下のものに限られるわ。手っとり早く言うと、私たち魔法少女やウィルスだけが動けるの。魔法少女未満の情報強度になると時間凍結の干渉を受けるわ。ちょっと難しいけど分かる?」
「ええっと。何となく。とりあえず、人に見られないように戦う前は結界を張れってことですよね」
「そうそう。飲み込みが早くて助かるわ。注意事項としては、シュバルツレーゲンが発動している間はその範囲内の仮想都市のシステムが凍結しているから、ログアウトができないってことかな」
 チカゲは嬉しそうにそう言うと、パンと手を叩いた。
「じゃあ今日はココまで! お疲れ様」
「え? あ、ありがとうございました」
 拍子抜けした感はあったが、終わりと言うことなのでとりあえず頭を下げた。まだ説明を始めて十分くらいしか経っていないような気がするが、本当にもうこれで終わりだと言うのだろうか。ちらりと視界の隅の時計を見やるとまだ六時にもなっていなかった。
「さて、それじゃあここからが本題。アケミさんを探しましょう。ヴァルキリースカートは、ウィンドウの『閉じる』ボタンを操作すれば解除することができるわ。だけど第十区を見て回る間は一応着たままにしておいてね」
 ……そうだった。自分たちが今日ログインした理由、その最大の目的はアケミを探すことなのだ。ヴァルキリースカートの講義はこの場合おまけ扱いなのだろう。レイナは顔を引き締めた。
「それじゃ、私の後に続いて。私がいるから大丈夫だと思うけど、ウィルスの襲撃には気をつけて」
「レイナならウィルスくらい簡単に倒しちゃいそうだけどね」
 その根拠はどこから来るのか、スザクはそんなことを言った。

         ×          ×           ×

「もともと、この魔法少女ってプログラムは二十一世紀初頭にはやったオンラインゲームの時代にはSFとして発想があったらしいの」
 第十区を探索しながらチカゲはぽつぽつと『魔法少女の歴史』を語ってくれた。
「ゲームの世界に入って自らが魔法を使うとかその頃の人たち――ちょうど貴女のお父さんやお母さんが子供の頃はものすごい憧れだったわけね。それから3Dの体感アクションゲームができた。このあと特異点が来て技術革新が起こったの。仮想都市が生まれた当初はゲームの世界のように魔法が使えるようにしようって発想もあったんだけど、犯罪抑止の面から却下になった。今のネットゲームにおいても体へのフィードバックを非致傷レベルに必ず引き下げるようプログラムすることを厳しく法律で決められてるわよね。それくらい仮想の世界での人間の力は強すぎたの。――だけど、魔法少女のプログラムの製作者たちはその法律と仮想都市のセキュリティーをかいくぐって魔法という現象を発動することに成功した……」
 歴史の授業と言うのはどうにも眠いものだったが、それは教師が変わっても変わらないものらしい。レイナの集中力は早くも切れ始めていた。そんなレイナの様子に気がついたのか、チカゲが不意に話しを止めた。
「あ……すいません。あの聞いてませんでし」
 チカゲの放つ不穏な空気にレイナは慌てて弁明する。
「しっ」
 チカゲは唇に人差し指を当ててレイナを制した。レイナは目を白黒させながら口を噤んだ。チカゲは油断なく辺りを見回しながら低い声で囁いた。
「誰かに見られているわ」
「えっ」
 思わず周りをきょろきょろと見回してしまう。
 誰かって誰だろうか。見られているって、チカゲはどうやって気がついたと言うのだろうか。
 チカゲは周囲に二、三度視線を走らせたのち、向かって右のビルの二階の窓を見て口を開いた。
「誰かしら? 大人しく出てこなければ、ビルごと潰すわよ」
 物騒なことを居丈高に言うチカゲはその持前の美貌も相まって女王のような威圧感があった。数秒の沈黙があったあとに、窓から飛び出してくる影が一つ。
 黒色のゴシック調のドレスに、黒タイツ。長い黒髪にきりりとした目。
 西条シュナがチカゲに対峙するように降り立った。
「せ、生徒会長!?」
 思わず声をあげてしまう。シュナはぎろりとレイナを睨みつけた。その強い視線にひるんでしまう。いつも無愛想なシュナは大の苦手だったが、今日はいつもにもましてぴりぴりしている。これ以上話しかけたら冗談ではなく本当に殺されそうで怖かった。
「貴女……。何の用かしら?」
 チカゲが押し殺した声で訊く。
「――」
 シュナはしゃべらない。口を真一文字に引き結んでチカゲを睨みつけている。
「まさか私と戦うつもりなの?」
「貴女に訊きたいことがあるだけだ。――私の、妹のことでな」
 今度はチカゲが沈黙する番だった。相変わらず目元にはほほ笑みさえ浮かべながらシュナを静かに観察している。レイナはごくりと唾を飲み込んだ。チカゲとシュナとの間で見えない火花がバチバチと散っているような緊張感があった。
 やがてチカゲがシュナを見据えたまま徐に口を開いた。
「レイナさん。少しここで待っていてもらえるかしら? 少しお話をしてくるから」
「え、ぁ……」
 うまく返事ができない。そんなレイナをしり目に、チカゲが側に落ちていた鉄パイプを拾い上げて何事か小さく呟く。するとチカゲが握っていた鉄パイプが青い光に包まれ、青とピンクで装飾されたおしゃれな槍に変形した。それをチカゲがレイナの足元にガンと突き立てると、そこを中心に青い水のベールが展開される。
「くれぐれもそこから出ないように。何かあったらちょっとお金はかかるけれどもグローバルスカイプの方を使って私を呼び出して。ローカルスカイプは使えないから」
「いい心がけだ」
 シュナがニマリと口の端を歪める。同時にシュナが勢いよく地を蹴って廃ビルの林立する薄暗闇の中へ消えて行った。チカゲの体がかすむ。ブンと風を切る音とともにチカゲもビル群の奥へと消えて行ってしまった。
「え、ちょっと、チカゲさん!」
 かっこよく消えて行くのは良いが、置いていかれた方としてはたまったものではなかった。チカゲに向けて声をあげるが、その時にはもうチカゲの姿は前方の闇の方へと消えて行ってしまっていた。
「レイナ、結界から出ちゃ駄目だよ。チカゲの言う通りにしなくちゃ」
 スザクが肩からちゅんちゅんとそう言う。
「チカゲさんと生徒会長、ものすごく仲が悪そうだった……」
「仲が悪いと言うか、あれは親の仇を見るような目だったね」
「っ! それってこれから二人戦うかもしれないってこと? と、止めなきゃ!」
 レイナがあわてて結界から飛びだそうとすると、
「落ち着きなよ。まだ二人が戦うって決まったわけじゃない。多分チカゲなら話し合いで何とかしてくれるよ」
「それは、そうかも」
 まだ出会ってから一日と経っていないが、レイナは早くもチカゲを信頼しつつあった。実際命を救われたわけだし、色々とお世話になっているし、信頼しない理由なんてあるわけがないのだ。チカゲならなんとか話し合いで解決してくれそうな気がする。そんな根拠の無い確信があった。
 それに生徒会長だって悪い人ではないのだろう。自他共に認める理屈屋だし、話せば分かってくれるに違いなかった。
 そこまで考えた時だった。
「誰!?」と不意にスザクの緊迫した声が響いた。
 初めてスザクが取りみだした声を聞いてレイナは戸惑いながら背後に振り向いて、目を見開く。
 先程から驚いてばかりだったが、今回は驚きの度合いがケタ違いだった。
 黒いコートに身を包み、奇妙な仮面を顔にはめた長身の男が、幽鬼のように立っていた。
 最初に思いついたのはチカゲに連絡することである。しかし、どういうわけかローカルスカイプかつながらない。いつか夢に見た状況が知らず想起されて頭の中が真っ白になる。
「だ、誰だ!」
 スザクがパタパタと飛びながら誰何する。どうやら本人はあれで威嚇しているつもりらしい。
「――ほう、誰かと思えばタイラント・イフリートの妹か」
 数秒の不気味な沈黙ののち、仮面の男は低い声でくつくつと笑った。妙にぎこちない、機械的な語調だった。
「れ、レイナに手を出すのは許さないッ!」
 スザクが叫んで仮面の男に特攻する。が、あえなく仮面の男によってベシリとはたき落とされてしまった。スザクは地面に正面から墜落して「きゅうう」と痙攣している。どうやら気を失ってしまったようだ。
「まあそう身構えるな。今の私は無害だ。それどころか、お前の力になることだろう。本当のことを教えてやるぞ」
「ほ、本当の、こと?」
 怖くて今にも泣きだしそうだと言うのに、男の声はどこか優しげで蟲惑的だった。
「そうさ」
 囁くように黒衣の男は言葉を紡ぐ。
「お前は、自分が何者か知りたくはないか?」

                     (続く)





――――――更新履歴―――――――
1月23日 第一章喫茶店前まで。
1月26日 第一章終りまで。プラス加筆修正。

2011/01/26(Wed)21:35:52 公開 / ピンク色伯爵
■この作品の著作権はピンク色伯爵さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 実は今回更新分は原稿用紙三十枚以内におさめるつもりでした。簡単な説明セクションでありますから、できる限り短縮しようと思っていたのです。ですが、無理でした。この話が完結して削る部分は今回投稿時の分からいくつかですね。どのあたりが要らないか、どのあたりで中だるみしたか、あるいは面白くなくなったか、ご意見いただけると幸い。全体的におもんない、書き直せって言われたらそれまでですが、そこをなんとかしたい。
 僕の作品は中だるみがひどいらしいので出来る限り削ったつもりなのですが、これでもきつい。でもこれ以上は僕の力では無理っぽい。話が駆け足になりすぎて訳わかんなくなる。てかすでに第一回更新時と比べて文章の流れが荒くなっています。削りに削った末路がこれだよ。
 そこで皆様のお力をお借りしたいです。「このくだりいらねえ」ってのがあれば教えてもらえませんでしょうか。
 さて、挨拶が遅れました。電撃文庫一次突破を目指して日々精進しておりますピンク色伯爵です。最近人の作品にめったに感想を書かなくなったサボり野郎です。まあ僕のような素人の感想は役に立たないでしょうが、それはそれで置いときます。感想書かずに、自分の作品に対する感想はくれってのは若干気が引けるのですが、その辺よろしくお願いします。
 この作品、止めた方がいいというのなら止めます。作者はいきり立ってやる気満々ですが止めます。ネタはまだあるんだ!
 この作品に対する意見は思ったままのことを書いて下さればOKです。ってこれはずっと言っていることか。とりあえずどんな意見でも誠心誠意こたえていく所存です。僕の作品に対して遠慮は不要。
 よろしくお願いいたします。
 ピンク色伯爵でした。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。