『未定』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:愚者王子                

     あらすじ・作品紹介
襲い来る脅威に対抗するために作られた『世界連合軍』。その日本支部第十七師団に出兵命令が下る。任務の内容は先行と陽動……不安を押し殺しながら付いてくる部下たち。先が見えないジャングルからの脱出タイムリミットまであと二十七時間……さあ、最後の銃弾を放とうじゃないか。

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 プロローグ

――東京、四大陸連合軍日本支部所属第十七小隊駐屯地内射撃場。

 椎名《しいな》 誠《まこと》はボックスカートリッジにライフル弾を装填し、自前のスナイパーライフルに叩き込むと伏射の体制に入る。ボルトを引き、スコープを覗きこんで目標に狙いを定めると何の戸惑いも無く引き金を引いた。
『タンッ!』
 銃床につけた肩に小気味良い振動が走る。二百メートル先にぶら下がる直径三十センチに切り取られた鉄板はほぼ引き金を引いたと同時に跳ね上がった。
「命中」
隣で双眼鏡を構えるやや細身の男が機械的に報告する。それを聞いた誠はさらに連続でボルトを引いては撃つという動作を繰り返していく。
『タンッ!』
「命中」
『タンッ!』
「ど真ん中」
『タンッ!』
「右上」
『タンッ!』
「命中」
 ワイヤーに釣られて揺れている鉄板は、最初に命中した一枚の揺れが収まる前に全て天へと跳ね上げられた。
装弾数の五発を全て撃ち終わると彼は最後にボルトを引いて廃莢し、ライフルを近くにあったテーブルに立てかけた。
「お見事です、椎名師団長殿」
 双眼鏡をテーブルの上に置いた男は汗をかいている上官にタオルを差し出す。差し出されたタオルで額に流れる汗を拭きながら彼は男に答えた。
「一発は少し外したな、これが戦場なら相手は動いている。もしかしたら本当に外れていたかもしれないな……俺もまだまだだよ。それと敬語はやめてくれよ、俺のほうが年下なんだから。な? 雨宮中尉どの?」
 少し小ばかにした態度でおどけると、不満そうな顔をしながらも雨宮《あまみや》 達樹《たつき》中尉は直立を崩した。
「上官には敬語を使うなんて当たり前だ。お前ももう少し一個小隊を預かっているという自覚を持ったほうがいいぞ」
 いつも通りの口調に戻った中尉は、どちらかといえば弟を心配する兄のような口調で上官に説教を始める。
「はいはい、分かってますって。でも俺だって好きで小隊長なんてやってるわけじゃないですよーだ」
 口を尖らせながら訴える小隊長は実年齢よりも幼く見えた。



今からおおよそ三年前、世界中を巻き込んだ大戦争が起きた。
何の前触れも無く現れた人形《ドール》と呼ばれる機械人形が南アメリカにある軍事基地を襲撃、それまで存在すら認知されていなかった人ではない生命体の登場に世界各国の政府は警告を発したが、時すでに遅し……襲撃を受けた軍事基地とその周辺、ついには南アメリカ大陸までもが人形に制圧されるという事態にまで発展した。
 このかつてない異常事態に対し、国連は世界中の軍という軍を総動員することによって人形の脅威を廃絶しようと試みるが、あえなく失敗。独特の指揮系統、装備、そして人形自体の能力の高さを見誤ったため、あらゆる国の軍を含む世界連合軍兵士を二十二万人弱、空母を含む戦艦を七十四隻、航空部隊の戦闘機四百機強を失った。
それから一年後の冬、再結成された世界連合軍が北アメリカ大陸に侵略の手を伸ばしてきた人形を押し返すことに成功するものの、元々南アメリカ大陸を侵略していた人形を制圧するには至らず、そして現在まで膠着状態が続いている。

そして、それからさらに一年後の東京。ビル郡や人の多さは変わらないものの、東京と言う華の都会に異変が起きていた。
 今までと何が違うかといえば、東京都内に軍事基地ができていることに尽きる。アメリカ大陸を除く四大陸の戦力を集中させるために暫定的に設けられた四大陸連合軍。その中には当然日本も含まれ、東京を筆頭に全国に二十の大隊とそれに付属する各四十の中隊や小隊が設立された。
過去の過ちから徴兵制度を嫌った日本は志願兵を募り、現時点で約十万人を超える若者が日本軍として働いていた。

椎名誠は志願兵の第一期である。最初に配属された静岡大隊で歩兵として戦果を上げ、東京中央大隊へと配属。その月に行われた大規模な殲滅戦でスナイパーとしての大きな戦火を上げた。その頃には少佐まで階級が上がっていて、しばらくして第十七師団の小隊長を任されることになった。

「ったく……今度の戦いはいつ来るんだ? 来ないでくれるのが一番良いんだが」
「来月の頭にも次の殲滅作戦が決行されるらしい、日本からも兵を出して欲しいと連合軍本部から要請があったそうだ」
「殲滅殲滅って、一回でも殲滅できたことがあったか?」
「無いな、我々含む世界連合軍は未だに南アメリカ大陸に足を踏み入ることができていない」
 手を頭の後ろに組みながらぶつぶつと文句を良いながら歩く小隊長とその愚痴に淡々と答えを返していく中尉、はたから見ればおかしい関係のこの二人は駐屯地の中ではちょっとした有名人だった。
「あっ! 椎名少佐に雨宮中尉、クッキー焼いたんですけど食べます?」
 全体的に赤味がかったショートカット、くりくりした目と鍛えられたしなやかな体を持つ少女が簡易食堂から二人に向かって走ってきた。手にはまだバターがきらきらと光る焼きたてのクッキーを持っている。
「軍曹……あなたはもう少し緊張感を持ってくださいよ、今は戦時中ですよ?」
 緑葉《みどりば》 雫《しずく》軍曹はちょっとムッとした顔をしながら答えた。
「いいじゃないですか、こんなときこそ少しの癒しの時間が必要なんですよ。雨宮中尉はカタすぎです」
 気持ち良いまでにはっきりと言われた中尉は少し面食らう。
「はっはっはっ! 言われたな中尉殿、これは我々の負けのようだ、大人しく頂くとしよう」
 しぶしぶながらクッキーに手を伸ばした雨宮中尉は少しだけ考えてからそれを口に放り込んだ。
「おいしいですか? ね、おいしい?」
 緑葉軍曹はクッキーを味わう二人の周りをぴょんぴょんと飛び回る。まるで小動物のような彼女はその小動物性質をいかんなく発揮して二人に懐いていた。
やがて飲み込んだ椎名少佐は軍曹の頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「うん、ウマかった。確かに癒されたよ、これで仕事をする気力も沸くってもんさ」
 顔を真っ赤にしながら礼を言って去っていく軍曹の後姿を見ながら、雨宮中尉はため息を一つついた。
「はあ……これが天然だから嫌になる。お前はもう少し自覚を持て、色々なことに対してな」
「ん? 何の話だ?」
 全く分かっていない天然少佐に中尉はお手上げといった様子で頭を振ることで答えた。

椎名少佐がいつも自分の部屋として使っているのは簡易式のテントにパソコンやテーブル・イスなどを持ち込んだだけの質素な空間、いつも口うるさい中尉殿にもっとしっかりした住まいを確保するようにと言われているが、本人は至って気にしていない。そんな場所で少佐と中尉、二人で今後の方針などについて話し合っていると、突然外から人が飛び込んできた。
「椎名少佐殿! はあっ……中尉殿もいらっしゃいましたか」
「白山《しらやま》上等兵か、どうした? とりあえず息を整えろ、それから報告してくれ」
「は、はい……すみません」
 大分急いで走ってきたようで息が上がっている伝令係に、雨宮中尉は水をコップに注いで差し出す。
「では、報告させていただきます。本日〇二一四《マルフタヒトヨン》時……つい先ほどですが、世界連合軍本部より指令がありました」
 少佐の顔が曇る、それを見た軍曹はためらったが、中尉に促されて続ける。
「来る八月十七日、十二〇〇時より南アメリカ大陸、人形《ドール》の拠点と見られるコード『ギア《歯車の》・キャッスル《城》』を目標とする殲滅作戦を開始する、貴小隊もこの作戦に参加されたし……との事です!」
 少佐は近くにあったタバコに火を着けると、古くなったイスに背を預けると紫煙をゆっくりと吐き出す。ギシギシときしむイスの音を楽しみながら、ぽつりとこぼした。

「ついに、来たな」



一章 出兵命令

「どうする? まさか断ることもできんだろう」
 ギシギシとイスを鳴らせながらいつまでも喋らない少佐にしびれを切らしたのか、雨宮中尉は問いかける。
「そう……だな。俺たちは兵隊だ、いつかはこんな時が来るだろうとは思ってたさ」
「何か問題があるのか?」
 はっきりしないのはいつもの事だが、今日はいつもに増してキレがない、そう思った中尉はさらに突っ込んで聞く。
「いやね、俺は二つの戦場で戦果を上げてここにいるわけだけども、やっぱり自分の家族みたいな小隊の連中に戦争はさせたくねーなーってね」
 甘い、中尉はそう言いそうになったが、ぐっとこらえる。誰よりも、軍の上層部でイスにふんぞり返っているだけの連中よりもこの男は戦争を知っている。それを中尉はよく分かっていたからだ。
「よし、決まっちゃったものは仕方ない。今日の夕食後にみんなには話すよ、それまでは白山上等兵も黙っていてくれ。一緒に指令を見たやつらにもそう言っといてね。余計な混乱は避けるべきだから」
「ハッ!」
 かかとを合わせ、綺麗な敬礼をして出て行く姿を眺めながら、また少佐は一口タバコを吸った。
「仕方ない、これが戦争だろう。相手が人間でないだけ感謝すべきだと思うぞ」
「そうだね、人間が死ぬのは……『家族』が死ぬのは見たくないけど、殺しているのを見ることがないだけ感謝しないと」
「それに、全員無事で帰ってくることもあるかもしれないだろう?」
 自分で言って、中尉は後悔した。吐き出した煙を目で追う彼の姿があまりにも寂しげだったから。多分彼は知っている、誰も死なずに帰ってくるなんて不可能だと。敵の本陣まで攻め込もうという今回の作戦で誰一人犠牲にならずに終わるなんてありえない……と。
「そうだね、全員帰ってくればいいんだ。全員一緒に家に帰ってくればいいんだ」
 半分近く残っているタバコを灰皿に押し込むと椎名少佐は立ち上がった。自分の顔を叩き自分自身に渇を入れる。
「よし、俺がこんなところで腐ってる場合じゃない! さっさとやることをやらないと口うるさい中尉殿に怒られるからね」
 にやにやしながら自分を見てくる子供のような上官に中尉は呆れながらも笑い返す。戦争を知らない自分がここまで兵隊をやっていられるのもこの男が上官だからか……雨宮中尉はそんなことを考えながらも少佐の後を付いてテントを出る。
八月のきつい日差しが肌を焼くのを感じた。アスファルトは乾き、他の隊員はテントや機材の影で暑さを凌いでいるが、セミだけは元気に鳴いている。
「始まるか、ついに」
 一言、呟いてから雨宮中尉は陽炎の彼方まで先に歩く上官を追いかけた。


兵舎の中、自分の装備を点検していた櫻井《さくらい》 健《けん》は外の騒がしさに気付いて窓から首を出した。
「きゃあっ!」
 下から悲鳴に驚いて窓のサンに頭をぶつけて悶絶していると、悲鳴の犯人から文句が飛んできた。
「ちょっと! いきなり顔出さないでよ、びっくりするじゃない!」
 腰に手を当てて真っ赤な顔をして怒る女性に冷ややかな目線を浴びせると、彼は一言だけ言葉を発して奥に引っ込んだ。
「こんなことで騒ぐな」
「こ、こんなことって……いきなり窓から生首出てきたらそりゃ騒ぐでしょーが!」
 まだ外から何かわめいてる声が聞こえているが、もう彼の耳には入っていない。そういえば外で何があったのか確認するのを忘れていた、と思い出すも、わざわざまた顔を出して文句を言われるのも面倒なので装備の点検に戻った。
椎名《しいな》 明《あきら》は、怒りに任せて近くに落ちていた小石を掴んで窓に向かって投げると、肩を怒らせて歩き出す。少し歩いたところでもう一つの兵舎の脇の広場で何やら騒いでいる連中がいることに気が付いた。
「てめえがグダグダやってるからだろうがっ!」
「うるせえ! 俺は慎重なんだよ!」
 男二人が取っ組み合って地面を転がる様はあまり見ていて気持ちの良いものではない、彼女は服装を正すとギャラリーを割って中央にできた空間に躍り出た。
「何をしているのっ! やめなさい二人ともっ!」
 一喝、ギャラリーと当事者二人が冷静を取り戻したところで、二人を見下ろす。
「いい歳した大人が取っ組み合いで喧嘩なんて恥ずかしくないの? とりあえず二人とも手を離して」
 二人の男がしぶしぶお互いにつかみ合っていた手を離して服に付いた土を払うまで待つと彼女は続けた。
「で、原因はなんなの?」
「こいつが銃の整備に時間かけすぎて今日の射撃練習に行けなかったんですよ!」
 片方の男がもう一方を指差してまくしたてる。
「銃の整備は慎重に慎重を重ねるべきです! 整備に時間をかけることは悪いことではないでしょう?」
 指差された男ももっともな正論で押し返す。二人はまたいつ掴み合ってもおかしくない、というよりはすでに目の間に火花が散って見えた。
「はあ、相変わらず仲が悪いのね、佐光軍曹に柊伍長? もう少し穏やかに話し合う……とかできないのかしら?」
 腰に手を当てて半ばあきらめ顔で言うと、佐光《さこう》 満《みつる》軍曹は噛み付いてきた。
「しかしですね! 椎名少尉、いくら銃の整備に気を使っていてもいざというときに当たらなければ意味は無いでしょう?」
 至極もっともな意見でもある。だが彼女は撃つことがなければそれでいいのではないか、と考えていた。その間にも今度は柊《ひいらぎ》 翔太《しょうた》伍長がそれに意見する。
「しかし、いざというときに銃が壊れていてはそれこそ本末転倒です。この鳥頭にはそれがわかってないんですよ!」

 良くも悪くもこの第十七小隊という場所はアットホームである。階級にあまり左右されずにお互いに言いたいことを言い合い、そしてそのせいで喧嘩も耐えないのだが、これも小隊長の意向なのでしかたがない。椎名少佐はため息をつくと二人にこう告げた。
「わかりました、お互いの意見はもっともですが、今回は両成敗としてこれからトイレ掃除をしてもらいます。今度このようなことがあったら兄さんに言いつけますからね」
 実に幼稚な罰ではあるが、二人にとってはトイレ掃除よりも後半のセリフのほうが脅威だった。小隊長であり、椎名少尉の兄である椎名誠少佐は、普段こそやる気がないボケボケの小隊長だが、本気で怒ったときは誰にも真似できないオーラを放つ。それを感じたことのある二人は一気に直立し、敬礼の姿勢を取って了解の意を表した。
「助かりました、椎名少尉」
 周りでオロオロしていた一人が感謝を述べる。彼女はそれに困ったような笑顔で答えると兵舎を後にした。

「なんとか治まったようだな」
「ああ、我が妹ながら良くやってくれてるよ。男のほうが多いこの環境だと肩身が狭いかと思ったけど、実に良く立ち回ってる」
 簡易食堂でコーヒーとサンドイッチをつまんでいた椎名少佐と雨宮中尉はこれまでの流れをずっと見ていた。
「しかし、あいつらは相変わらず火と水というか、反発が絶えないな」
「それだけ遠慮が無いってことさ、家族に遠慮してるようじゃそれはまだ家族じゃないよ」
 最後のコーヒーを流し込むと少佐は立ち上がりながらウィンクをした。
「ごちそうさま、いつもおいしいコーヒーをありがとう」
 人懐っこい笑顔、整った顔立ちに日本では珍しい青の瞳。それに加えて歴戦の勇士となれば誰でもかっこいいと思ってしまう、それを意識していないものだから小隊の中での椎名少佐の人気は高い。食堂に交代で入っている若い女兵士は顔を赤くして差し出されたカップを受け取ると、顔を伏せてしまった。
「…………」
 雨宮中尉はやれやれといった風にかぶりをふると自分の分のカップと皿を流し台に置き、礼を述べて少佐の後に続いた。
「次はどこに行くんだ?」
 さっきからふらふらと目的地の定まらない彼に次の目的地を尋ねる。
「そうだね、今日は二回目だけどまた射撃場にでも行ってみようか。誰か練習してるかもしれないし」
 いい加減に夕食の時間になるぞ。夜の影が降りてきた空を見上げながらそう言おうとしたが、口をつぐむ。この男は、椎名少佐という男はきっとこの駐屯地を見て回ることで決意しようとしている。自分の『家族』を戦地へと送るという悲壮な決意を……そう考えた雨宮中尉は黙ってそれに従うことにした。

「ありがとな」

 日が落ちて少し涼しくなり、ひぐらしも鳴き始めた夕刻に、少佐の小さな声は本人もびっくりするほど素直に耳に届いた。


簡易食堂、といっても軍用のテントに長テーブルとイスを詰め込んだだけのこの場所は、夕飯の時間になると戦場と化す。アルミ製の飾り気のない器に盛られる大量の白米と大体二種類くらいしか存在しないオカズで訓練で腹を減らした三十人を超える男がその欲望を満たす。女性はさほど食べるわけでもないが、それも軍という特殊な環境の中での話、一般的な女性から見れば引く程度の量は食べることになる。今日も食堂は戦場の真っ只中だった。
「はいこちら大盛りね! えっ、こっちも大盛り? わかったからちょっと待ってください!」
 週交代制の配膳係は目の前に突き出される器の大群に右往左往しながらもダイナミックに白米を山にしていく。
「もっとくれって言われても……ワガママ言うんじゃないよ! 一人の分量は決まってるのさ、そんなに食いたきゃそこらへんでキノコでも探してきな!」
 姉御肌、とでも言うのだろうか? 真っ黒な髪を髪を三角巾で後ろに一つにまとめ、割烹着を着ている女がテキパキと群れる野獣を捌いていく。
「頑張ってるね、ご苦労さん」
 師団長がねぎらいの言葉をかけると、彼女は一瞥をくれて上官に皿を投げる。
「お偉いさんだからって特別扱いはしないからね! 飯が食いたきゃ後ろに並びな!」
「あ、すいません……」
 碓氷《うすい》 佐和子《さわこ》曹長、この場所にいる最高位の少佐殿が唯一頭の上がらない相手。基本的に面倒見はいいのだが、なまけたりやる気のないものには容赦が無く、そして何より笑えば美人なのにいつも怖い顔をしているので、皆からは『姉御』と呼ばれている。
「くくくっ、お前はいつまでも碓氷曹長が苦手なんだな」
 口に手を当てて笑いをかみ殺しながら雨宮中尉が肘でわき腹をつつく。
「うるさい、どうも姉さんを思い出して反抗できないんだ」
 悔しそうに顔を歪める椎名に、笑いをこらえきれなくなった雨宮は体を折り曲げながらしばらくの間肩を震わせていた。
実のところ、椎名少佐の姉は軍人でもなんでもない。一般家庭の一般的な姉で、一般的な絶対権力を持つ……というだけだった。小さい頃から姉にかわいがられてきた小心者の少佐殿は、この同じ空気を持つ碓氷曹長がどうしても苦手で逆らえないのであった。

やがて、腹を空かせた野獣が食物をほぼ胃に収め、食堂の殺伐とした空気が収まってきた頃に少佐はぽつりと隣に座る信頼する下士官に呟いた。
「そろそろ、かな」
 その一言だけで何を言いたいのか察すると、雨宮中尉は声を上げて注意を引きつける。
「皆、小隊長椎名少佐よりお話がある。そのままでいいから聞いてくれ」
 喧騒は水を流すように静まり、各々テーブルに肘をついたり足を組んだりはしているものの、耳だけは一番端にあるテーブルに向いていた。
 自分に注目が集まったのを確認すると、椎名はイスを引いてゆっくりと立ち上がり、咳払いを一つしてから話し始める。
「本日昼〇二一四時、世界連合本部より通達が入った」
 ざわざわと小さな話し声の波が起こる。普段あまり干渉してこない世界連合の本部から連絡が入るということは、徴収か解散かを意味しているからだ。
「静粛に」
 雨宮中尉の一喝で場は静寂を取り戻す。ひぐらしが最後の鳴き声を上げてから静かに眠った。
「今からちょうど一週間後の八月十七日正午より、世界連合軍は南アメリカに位置する人形《ドール》の本拠地、『ギア・キャッスル』への殲滅作戦を開始する。我々日本支部所属第十七小隊にも出兵命令が下った」
 驚いた顔をしているもの、唇を噛んで下を向いているもの、嬉しそうな顔をしているもの、さまざまな表情を見せる部下たちを見渡しながら、椎名少佐は雨宮中尉へと続きを託す。
「詳しいことは私から説明する。スクリーンを用意したので見てくれ」
 テントのスチール柱にスクリーンがかけられ、照明を落とすとそこに作戦区域の地図が表示される。レーザーポインターで指し示しながら中尉は説明を続けた。
「まず、我々は第十七小隊のみの構成で、ヘリを使ってペルーにあるリマという都市に上陸する。そこから海岸線を通ってエクアドルのキトという都市まで進軍、世界連合軍の本隊と合流し、そこから敵の本拠地である『ギア・キャッスル』の存在するブラジルはマナウスまで行くことになる。マナウスはアマゾン川の上流に位置していて、かなり森の深い場所だと聞く、装備の点検を忘れないでくれ。ここまでで質問は?」
 的確で簡潔な説明、多くの兵士は頷きながら聞いていたが、一人の女兵士が手を挙げた。雨宮中尉が発言を許可すると立ち上がって疑問に思った点を尋ねる。
「あ、あの、移動手段はヘリとありましたが……我々には全員を乗せられるだけのヘリがないのですが……」
 全員の注目が集まったため緊張したのか、どもり気味な女兵士を着席させると雨宮中尉はその疑問に答える。
「我々は作戦開始の三日前に東京中央大隊がある新宿まで行き、中央大隊の所有する人員運搬用の飛行機で羽田より世界連合本部、北アメリカとロシアのつなぎ目にあるスアード半島まで向かう。そこから連合軍の攻撃用ヘリを借りての行動だ。理解できたか?」
 スライドを変えながら丁寧に説明すると、手を挙げた女兵士も納得したようで何度も首を縦に振る。
「さて、さっきも言ったように今回の戦場は熱帯のジャングルになる。今まで訓練を重ねてきた土煙と砂と硝煙だらけの訓練場とは勝手が違うぞ。各々武器の整備は入念に行っておけ。さて、今回使用するヘリは操縦手を除いて六人乗りだ。よって全体で五十四人いるこの小隊を六人ずつの班に分けることにする。各班に一人班長を指名するから、班長は後で指示を聞きに来るように。ちなみにこの班の編成において重要視したのは全体のバランスだ、戦いに向いているもの、情報の収集に向いているもの、サバイバル知識の豊富なもの、それぞれの特性を最大限活かせるように私と少佐で班を組んだ。理解してくれ」


「……近藤伍長、江崎軍曹、この班の班長は椎名少尉にお願いする。これで第八班だ、よろしいか?」
 最後から二番目の班を言い終わると雨宮中尉は一息ついた。そして手元の紙を見ながら最後の班の組み分けを発表する。
「これが最後の九班になる。まず私、雨宮と……銃兵、緑葉軍曹」
「ハッ!」
 緑葉軍曹が立ち上がって敬礼を取る。童顔には似つかわしくないほど成長した女のシンボルが大きく揺れた。
「衛生兵、碓氷曹長」
「はいよ」
 緑葉曹長に負けないくらいの大きさを揺らし、姉御が立ち上がる。男性陣からは感嘆のため息が漏れた。
「次、重歩兵、櫻井軍曹」
「ああ」
 片手を上げるだけで答えた櫻井軍曹に非難の目が集まるが、雨宮中尉は気にせずに続ける。
「最後に柊伍長」
「ハッ」
 食事の最中だったというのに銃を拭きながら手放さなかった柊伍長が立ち上がる。
「ここに椎名少佐を含めた六名で第九班とする。当然班長は椎名少佐にやっていただく、統合指揮も椎名少佐だが、少佐ほどの腕前を持ってすれば余裕だろう。皆遠慮なく無理難題を言ってもらって構わない」
 最後にジョークでシメると、食堂は笑いに包まれた。
「全く、兄さんが心配です」
 さらに妹の椎名少尉が重ねると、食堂はテントが崩れ落ちるんじゃないかと心配になるくらいに騒がしくなった。
そんな中、一人の男が静かに手を挙げた。
「何か質問か? 櫻井軍曹」
 鋭い目つきをした軍曹はその目をさらにきつく吊り上げると椎名少佐に向かってハッキリと言った。

「今回の作戦、俺たちに要求されるのは囮ですか?」
 今まであれほど騒がしかった食堂が静まり返る。一人、また一人と着席する中で、櫻井軍曹と椎名少佐、そして雨宮中尉だけが立っていた。
「どういうことだ?」
 極めて冷静を装って雨宮軍曹は自分を睨んでいる男に尋ねる。
「どういうことも何もありませんよ。中尉殿。アンタらは考えなかったのか? ヘリで移動するとして大した距離もないのに何故わざわざ連合軍が集まるキトではなく、隣国のペルーにあるリマから移動しなければいけないんだ? 理由は一つだろう、俺たちに先行させて相手の気を引きつけさせ、その間に連合軍の本隊が上陸する……そういうことでしょう?」
 虫の鳴き声が響く食堂に、誰も動かない時間が流れた。十秒か、二十秒か、それくらいの時間がたったころに、やっと雨宮中尉が口を開く。
「我々に下った指令は殲滅作戦に参加せよ、だ。囮などとは一言も書いていなかった」
 椎名少佐と雨宮中尉は知っていた。今回十七小隊に任されたのは先行偵察と陽動であるということを。だからこそ皆に知られたくない、知らせるべきではないと判断し、今まで黙ってきた。それを、この男は見抜いてしまった、こともあろうに全員が集まる場で暴露までしてしまったのだ。今更引き返せない、そう判断して雨宮中尉が答えようとしたとき、櫻井軍曹は誰かのパンチによって吹き飛ばされ、テントの幕にねじ込まれていた。
「いい加減にしなっ! そんなこと皆分かってんだよ、分かってて知らないフリして笑ってるんじゃないか! 一人で突っ走って全員不安にさせて、アンタ何様のつもりだいっ?」
 ただのパンチで男一人を吹き飛ばした張本人が肩を震わせながら机を叩く。碓氷曹長、いや、姉御は全員が不安な中でそれを煽るような行動をした者を許せなかった。
 櫻井軍曹は元々第十七小隊の一員ではなかった。最初は東京中央大隊に所属し、ある程度いい地位まで行ったものの、不祥事を起こし降格、この第十七小隊に配属されることになった。本人のプライドが邪魔するのか、櫻井軍曹はここに来てからほかの人間と馴れ合おうとせずに、訓練以外は兵舎に閉じこもる生活を続けていた。それを心配した姉御は食べ物を持っていったりしたのだが、結局心を開くまでは叶わなかった。
碓氷曹長は『余所者だから』殴ったわけではない、仲間と認めたいから、『家族』と認めたいからこそ彼を全力で殴り飛ばした。この場所のルールを破った彼を、許すことができなかったのだ。

「でもっ! これじゃ無駄に死にに行くようなもんだ、俺はこんな所で死ぬつもりはないからなっ!」
 諦めきれないのか、殴られたことに対する反抗か、櫻井軍曹はまだ反論を続ける。
小隊全員の怒りが限界に達する前に、椎名少佐はずっと閉じていた口を開いた。
「櫻井軍曹、とりあえず落ち着いて座ってくれ」
 なるべく優しく話しかける、怒らせないようにしたつもりだった。だが、その態度が気に食わなかったのか、櫻井軍曹の怒りが少佐に向く。
「だいたいっ、アンタが無能だからこんなことになるんだろ! アンタがもっとしっかりしていれば囮なんかに使われることもなかったはずだ!」
「アンタッ……」
 ついに我慢の限界を超えた碓氷曹長が追撃をかける前に、少佐の声がそれを制した。
「やめろ」
 今までの優しい空気、穏やかな目線が、豹変した。

怒りを抱えていた小隊の全員が、その一言で凍った。ゆっくりと椎名少佐の座る席を振り向き、そして静かに着席する。状況を分かっていないのは櫻井軍曹ただ一人であった。
「くっ、だからアンタがっ……」
 最後まで言いきろうとした言葉は、喉から出てくることが無かった。冷たい目、心の底を全て見られているような、波一つない海原のような深い蒼がそこにあった。
やがて椎名少佐はテーブルに肘をついて手を組み、組んだ手で口元を隠して言った。
「落ち着いて、座れ、櫻井軍曹……これは、命令だ」
 一言一言を区切るように、しっかりと聞こえるように気を配って椎名少佐は部下に『命令』を下す。
櫻井軍曹に『命令に従う』以外の選択肢など残されていない。彼の額に嫌な汗が流れた。

何分経っただろう? 重苦しく、息苦しい沈黙の中で、数十人分の息の音と、数人分の怯えた女のすすり泣く声だけが聞こえていた。
やがて椎名少佐は顔を上げるとにっこりと笑った。
「確かに、俺が無能っていうのは否定できないね」
 凍り付いていた空気が溶けていくように、他の人間も少しずつ体を動かし始める。
「確かに……俺は無能な上官だ。だけどね、ここにいる皆は俺を信じて付いてきてくれてる。本当はみんな恐ろしいと思うよ? 無能な上官が指揮を取る上にこれから戦地に赴こうっていうんだからさ、だけどね、俺は皆を『家族』だと思ってる。俺はこの通りハーフだ、父と母は元々アルゼンチンに住んでいてね、三年前の戦争で巻き込まれて死んだんだ。俺は悲しかったよ、父と母を殺した機械人形をとても恨んだ。でもね、思うんだ……もし他に家族がいたとして、俺はその家族を守りもしないまま悲しみと怒りに支配されていていいのかな? ってね。だから俺は『家族』を絶対に殺したりしない」
 そこまで一気に言い切ると、椎名少佐は少しだけ目を伏せる。そして、大きく息を吸うと続けた。
「だから、櫻井軍曹……俺は君のことも家族だと思ってる。この小隊に入った以上、上官の命令には従ってもらうよ? 今、この瞬間から、君は俺たちの家族だ」
 ハッキリと、言い切った。

誰も、信用していなかった。中央大隊に裏切られたときから、異動という名で厄介払いされたときから、周りの人間が信用できなかった。
笑顔を疑い、優しさを踏みにじり、辛い思いを話す友もおらず、喜びは分かち合う以前に存在しなかった。
そんな彼の目から、一筋の涙が零れた。それは関を切るようにあふれ出て、ついに声を出して泣き始めた。
「ううっ……ぐっ……うえぇ……」
 大人が、みっともなく泣いていた。それを誰も馬鹿にしたりしない、誰も笑ったりしない。
碓氷曹長が彼を自分の胸に抱きしめる。
「もう、泣くな。男だろ」
 
第十七小隊に、家族がまた一人増えた。


2010/12/04(Sat)16:53:13 公開 / 愚者王子
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■作者からのメッセージ
久しぶりに小説を書いてみました。
フリーエディタを使っているため改行がおかしかったりしますが、お許しくださいませ
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