『ある自殺者からの手記』 ... ジャンル:リアル・現代 ショート*2
作者:アイ                

     あらすじ・作品紹介
下町の中学生が電車のホームに身を投げて自殺をした。大人からすれば自由で、しあわせで、可能性に満ちあふれた年代であるはずの彼らの身に、死を強く希求するほどのできごとがあったのか、そういった疑惑が疑惑を呼び、疑念を呼び、憶測を呼び、結果として謎めいた「若者の心の闇」としてかたづけられてしまった。失恋か、将来への不安か、漠然とした恐怖か。15歳の少年を死に急がせた原因については諸説論争がかわされたが、それも平成の時の流れにのって消えるころ、少年の友人である少女の手元に以下の手記が届いた。耳をつんざくブレーキ音に運命をゆだねるその瞬間を夢想し、むしろ穏やかな表情でこれを記していることが伝わる手記である。人々が混ぜこねた憶測の数々、少年の身に起こりうる大きな災厄よりも、ちいさく、あまりにもちいさな傷の痛みが記し尽くされていた。

123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142
 2010年11月22日
 愛するきみへ

 朝日がもうすぐそこまで来ているよ。建物の谷間がぼんやり明るくなっているからね。夜をくぐって慣れた目を攻撃的にギラギラとつっついてくる日の光が、もうすぐ長い旅を終えて地球にとどくんだよ。考えただけで反吐がでるね。虫ケラは光を追いかけていくから光のまわりには虫ケラどもしかいないんだ。で、しかもさ、暗闇に慣れた人間にとって、光はまぶしすぎて目をつむってしまうんだ。
 さて、朝が本格的にやってきて「やあ、おはよう」と言う前にこの手紙を書いてしまおうと思う。たった今コーヒーをいれてきたところなんだ。とても香ばしいかおりがするよ。地面にストローをつきさして直接土のにおいを吸いこんでいるみたいだ。
 この場合、きみがいつこの手紙を読んでいるか分からないから、今の時間帯にあわせて「おはよう」と言うのはなしにしよう。そうだな、「ごきげんよう」はどうだろう? いいね、そうしよう。ごきげんよう。太陽と世界のはじまりにキスをしよう。
 暗闇をくぐらせてきたときの僕の目を、きみは覚えているだろうか。すっかり猫のような気分だよ。彼らをオーストラリアのナイトサファリで見たとき、夜闇の中でそこだけ希望があるようにふたつの目が光っていて、「やい、人間ども、気やすく見るな」と言いたげな表情をしていたよ。まったくかわいいね。いや、なに、僕はただ一睡もしていなくて、まぶたが碇か上皿天秤のおもりになってしまったようなんだ。困った話だろう? だけどこういった日常の細かいことがいちいち僕の命の存在を示唆させるから鬱陶しいことこのうえないね。先日庭にごろんと寝転んだら葉っぱの端で顔を切って、血が出てしまったよ。血のかよった人間がとかうんぬん、そんなことを考えてしまった。知らないあいだに生きてるなんていうことは、不思議だけれど、僕らの力ではどうしようもない、二十四時間後頭部に拳銃をつきつけられている気分だよ。ふりかえって銃弾がこめられているかどうかも確かめるすべがない。だから僕らは両手を高々とあげるしかないのさ。
 戦争があった時代には、おだやかな日本人だってハングリーに、エキセントリックに、アクティヴに動きまわっていたはずなんだけれど、ちいさな傷にも絆創膏を探しまわるような世代に生まれてきた僕らは水槽の金魚と真逆だね。やつらは結構ずぶとくてさ、汚い水でも温度差に耐えられてガンガン生き延びるっていうのに、逆に水槽を綺麗に掃除したら死んじまうんだよ。あれはさ、すみやすい健康な水を作るバクテリアまで一緒に掃除しちゃうからなんだよね。
 学校でいつだったか、先輩とつきあってる女子が修学旅行で三日も彼氏に会えないなんて言ってわあわあ泣いてたんだ。僕は青い血の通った人間を見るような目で彼女を見ていたよ。かわいい子なんだけどさ、急にものすごく頭の悪いやつに見えて、その涙は果たして価値があるものなのかとか、そうすることで現状が変わるのか、もしくは変えようとする意志が勝手に湧いてでてくるのかとか、ああ、それはもう言いたかったさ! まったく思考レスのお子様だよね。彼女たちの言い分だって分からないわけじゃないんだ。だけど、ただそのときの、まるで無邪気に虫をかっさばく子供のような彼女の純粋なまなざしに、僕はどうしても耐えられなかったんだ。あとでトイレに走って吐いたことは内緒。これはひとつの、あまりに、あまりに些末な事象。だって世界にとっては、こんなもの、なかなかつかないライターの先端で飛ぶちいさなちいさなスパークのひとつにすぎないんだし、何より、僕も彼女と似たようなものかも知れない。
 自分の身体の一部に羽が生えて飛んで行ってしまう夢を見たことがあるかい?
 先日顔を切ったと書いたけど、その前日の夜にちょうど怪我をした箇所がボロリと、海辺の砂の城を手でほじくりとるような感じで頬がころげおち、そこに真っ白な羽が生えて窓の外に飛んでいってしまう夢を見たんだよ。とても痛かった。身体の一部が飛んでいく夢は身を引き裂かれるような痛みが走って、夢の数日後、僕はまったく同じ箇所に怪我をしてしまうんだ。怪我そのものは大したことじゃない。痛みもほとんどない。だけどふりかえってみれば、自分が傷ついていると思いこんでいる以上に傷口はそんなに大きくないということ、またはその逆だということだけは、なかばあきらめるように漠然と理解できたんだ。
 今度は飛んでいってしまう身体の一部を追いかけてつかまえてみようと思うんだ。大丈夫、「西部戦線異状なし」みたいな結末にはならないさ。そうすればききわけのない現実にも何か変化があるかも知れないだろう? 現実と夢なんてやっぱりファイン・ラインなんだ。ただ背後をふりかえれば、誰かが後頭部に拳銃をつきつけている。
 ところでぬいぐるみをたくさん持っている人はさびしがりやだとよく言うけれど、程度の差こそあれど同じようなものだときみも思わないかい? おかしなことだよね。
 飛んでいってしまう箇所が増えてゆくごと、自分が途方もなく憂うべき存在だと思う。自虐的になることで価値をあげようとしたんだ。だけど気づいたんだ、それはおおきなまちがいなんだって。そして僕と同じように大勢のクラスメイトたちが同じことをしていて、同じように気づかないんだ。利己主義者とバイスタンダーたち。よそのおうちの賢い誰それちゃんを見てごらんなさいって言葉に意味がないと幼少期に誰もが一瞬でも疑問をたぐったはずなのに、気がつけばこの国の正義が僕らにそうあることを見のがさせ、競争心を高めるなんて言って認知する。
 ああ、きみには一度話してきかせたことがあったっけな。僕らはちがったんだ。誰よりも上をめざす競争より、誰よりも下に沈みこむほうが心地よかったんだ。だって、はがれ落ちたかさぶたに魅力はないからね。誰も敗戦後六十五年、僕らはそんなふうにしないと生きられない世間の荒波の中でたくさん怪我をしてしまったんだ。まるで泳ぎに自信があるやつが津波の真下にもぐっていって、たくさんの漂流物に全身を強打して死ぬようにね。
 教室のドアをあけたその刹那の一瞥を僕はおそれている。この狭くて超次元的な主観が独立しまくった世界の末端で「空気を読む」とか「人の気持ちを考える」とか免罪符が横行してるわりに、誰もが裸になって両手をひろげて「私を見て!」と言うんだ。その足首から流砂にのまれていくのを知っていて。
 熱くておいしい、新しいコーヒーをいれてきたよ。外はもうほとんど朝だ。すずめの鳴き声がとてもきれいだ。願わくば彼女たちのために祈りをささげよう。
 さて、これから必然的に起こるであろう僕の「超絶スーパー悲劇」な事件についての補足、というか言いわけをしておこうか。ポケモンカードの拡張パックの一番うしろにくっついていたエネルギーカード程度の補足だ。ああ、でも、エネルギーカードは多すぎても少なすぎてもだめなんだ。バランスを考えよう。きみも一緒に考えてくれるかい?
 僕は僕のクラスメイトたちが僕に嫌ってほど浴びせる言葉の「血のかよった人間」の意味が分からなくなってきているんだ。あの一瞬の一瞥だけをおそれて目を閉ざしてきた僕に、ようやく自分から動きだす気力が捻出されたってわけだ。数学の時間、僕は退屈すぎて机に伏して眠っていたのだけれど、誰かが僕の悪口を言っているのが聞こえてきてね。ああ、これは盗み聞きじゃないよ。ただ伏したはいいけど眠れない僕を勝手に眠っていると勘違いした彼ら彼女らがしたことなんだから、僕が責められるいわれはない。とにかくさ、聞くところによると、どうやら僕が自分自身の血でこめかみを汚すことを彼ら彼女らはのぞんでいるみたいなんだ。そして、オーマイガーだ、それが正義らしい。僕が苦しめているらしい自分たちが救われることにつながるらしい。らしい。血はかよっていない。血どころか骨も、内臓も、神経も、筋肉も、まるで創世記に神が何かのまちがいで人間の身体に入れそこねたみたいにぽかんと空白があいているんだ。彼ら彼女らも、僕も。
 悲しいわけじゃない。クラスメイトたちが僕を鬱陶しがっているのはじゅうぶん知っているし、どっちが悪とか正義とか関係なく、ただその感情が不思議だったんだ。晩年の壁にはりつくときになれば誰だって何かひとつにぐらい疑念をいだくものだろうけれど、僕もきっとそうなんだ。
 拳をにぎれば爪が食いこむし舌を噛みちぎれば誰だって死ぬ。そんな単純な図式にあてはまらない不可解でちいさくて些末なことが、世界の空気を端から僕らごと黒い絵の具で染めていってしまっているんだ。僕はただ、そんなちいさな巨人たちにガリバー旅行記さながらぷちっとつぶされてしまいたくないんだ。
 ベクトルのちがう彼らと僕をJ−POPの歌詞みたいに直列につなげるのは酷薄じゃあないだろうか。別にいいんだろうけどさ、ナントカ主義とカントカ主義のうまく相容れないいびつな矩形を見ているようだよ。そんなもん次の瞬間にはバラバラに砕けてしまっているんだよ。僕らはその破片のかけらを躍起になって集めてまたあらたなアイコンをきずきあげようとしていたんだ。その一員だったことに、これを書いている今、気づいた。いや、幸運だよ。
 ああ、絶対そうだ、これもまた些末な事柄なんだよ。きっとさ、そんないびつな矩形がスライムみたいに形を変えてゆく話だって、些末すぎてあくびが出てしまうんだ。だけど、それに関してこんなに長い手紙を書いている僕がいちばん滑稽だろう?
 目をこらしてみないと見えないような世界は、ひとの手がくわわることで寂莫の中、幼い少女のすすり泣きのような声をあげて僕らを残酷に包みこんでくれるんだ。
 街をゆく人々の雑多な足音がふと消えてしまう経験をしたことがあるかい? ほんの一瞬のことだから、すぐにトラックのけたたましいクラクションの音ではっと目がさめたんだけれど。だけどそうして音が消える瞬間だけは、人間は人間ならざる超越した視覚をもってまっすぐに、誰も考えなかった真理にたどりつけると思うんだよ。だからゲーセンのうるさい音だって、無数の車のエンジン音だって、それこそ小鳥のさえずりと葉擦れの音でさえも些末な音になってしまうんだ。けれど、残念だ、世界には音があふれかえってしまっている。僕らの耳にも、心臓にも。
 世界が平和になったとして、たぶん、僕もふくめて誰もがその状況に一度は驚き、とまどってしまうんだろうな。与えられた豪華な食事を食べるならまずフォークとナイフの使いかたを勉強しないといけない。そんなめんどうなこと、誰がする? 犬は一流レストランのフランス料理を目の前にしても口で食べるだろうさ。
 どうしてそんなにも貪欲になってしまうのだろう。死ぬことを知っていながらどうして、そこまで、なんてね。光が強く美しいほど、影は濃くなってゆくというのにね。テレビと戦争とセックスが肌に溶けこむことを誰が強く否定する?
 コーヒーをすっかり飲み終えてしまったよ。どうやら時間のようだね。始発もとっくに動きはじめている。さあ、僕はこれからこの手紙を封筒に入れてスタンプを貼り、着替えて朝食をとり、出発しなくてはならないんだ。ここで筆を置くことにしよう。いや、折れてしまった筆ではもうなんにも書けないか。仮に何も見つけられなかったとしたら、携帯できみに連絡をするよ。誇り高き文明の利器に乾杯。チアーズ!
 そして覚えておいて。僕はこの世界の些末な声にこめかみを撃たれたくはないんだ。ちっぽけな魂をぶらさげて煩悶し、誰かの祈りや歌に身をやつしていたとして、最後には僕が祈り、歌をつむがなくてはいけないんだ。それを録音したレコードの最終の溝にたどりついたら、きみに教えてあげる。きれいな場所ではないけれど、ここよりかはちょっときれいで、だけどやっぱり汚い場所を。
 どこかで合流したら一緒に行こうか。
 世界に平和を。きみに糖分を。ラブ・エンド・ピース。

 安藤彰 拝

2010/11/27(Sat)00:31:54 公開 / アイ
■この作品の著作権はアイさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
高校生のころに書いた小説で、ある一人の中学生が自殺をし、その友人と片思いをしていた女の子と自殺をした本人の死後のことと、3つ連作の短編小説がありました。
この手記は突発的に書いたもので、今思いかえせばそのときの自殺した中学生の最後の言葉を想像して書いたんじゃないかと思ってます(自分のことなのに……)。

敏感で多感な15歳という時期に、友人関係や勉強のこと、進路のことなど、大人からすれば些末にもほどがある些末なできごとに人生の幕を見るほど苦しみ、悩み、最後に死をえらんだ男の子です。
そういった些末なできごとにいちいち苦しんでいるけれど、その自分の苦しさですら些末で、自分の存在も些末で、あまりにもあっけないこと、その些末さから逃れて偉大な何かになることの無意味さを知った、とか、そんなイメージです。
完全にこの手記を書いている男の子になりきってしまっていたので、書き終わったときにはどっと疲れました(笑)。
何考えて書いてたのかもよく分かりません。
書いていた時間帯もちょうど内容と合っていたし、まさに「主人公がのりうつった!」って感じで(笑)。
内容は毒々しいですが、主人公になりきりすぎてそのまま手記として吐きだす執筆行為は、無垢で無防備だけれど楽しい、けど疲れる、そんなことを知りました。

ギ・ド・モーパッサンの「ある自殺者の手記」からタイトルを少々変えて敬意を込めて引用しました。
彼の作品でいちばん好きですが、でもあんな死に方しなくてもよかったんじゃないかと今でもちょっと思います。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。