『コード・タイタン(完結)』 ... ジャンル:リアル・現代 ファンタジー
作者:ピンク色伯爵                

     あらすじ・作品紹介
いわゆる厨二展開。

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コード・タイタン


プロローグ


 月光に照らされた夜の森に、鈴の音のような歌が響いていた。
 森には木々が倒されてぽっかりと穴が空いてできた広場があった。その広場の端に長身の黒い影と、金色に輝く小さな影がたたずんでいる。青年と少女、どう見てもその場にふさわしくない二人組の影が、闇に浮き彫りになっていた。
「エイメン」
 張りのあるテノールの呟き。黒髪の東洋人と思しき青年は十字を切ってそう呟くと背後の少女に振り返った。
「もういいぞ、リジィ」
 青年の呼びかけに、目を閉じて不思議な旋律を口ずさんでいた金髪の少女、リジィはふと口を閉じる。代わりにパッチリと大きな目を開いて、
「はぁぁぁぁん、疲れましたぁ、司祭(ルビ:ファーザー)・ヤンチン」
 青年に抱きついた。
「ちょっ、おい!」
 きらきらとした緑の瞳を潤ませて青年の鍛え抜かれた胴体に顔をすりよせる少女。先程リジィにヤンチン、と呼ばれた青年は一瞬狼狽したあと、なおも自分の胸板に頬ずりしてくる金髪の少女を引き離した。
「あん。なんですか、ヤンチン」
「なんですか、じゃないだろ。必要以上のスキンシップは止めろ」
「私がこんなことをするのは貴方だけです」
 何気に問題発言である。青年は深呼吸すると、トンと少女の体を突き放した。少女の体が月光に照らしだされる。金糸を紡いだようなさらさらの前髪は横一直線に切りそろえられている。やや幼さの残る白い顔。翠緑(ルビ:すいりょく)の目はまるで人を誘うような妖しさが秘められていた。服は水色のワンピースに白のニーソックス。茶色のブーツをはいている。
 そんな美少女に対する東洋人の青年は精悍な顔つきと体つきを備えた、獣のような野性味あふれる男だった。黒いコートに全身を包んだ体は、モデルのように美しかった。手には十字架(ルビ:きょうかいのマーク)の入った黒の手袋をしている。
 私はヤンチン様のためならこの身を差し出す覚悟など遠の昔にできているのです、とくねくね身をよじらせる少女を無視して青年――ヤンチンは踵を返した。
 森にできた広場では木々が根元付近からへし折られ、地面は大きく陥没している。まるで巨人にでも踏み潰されたかのような大きなクレーターだ。そもそもこの陥没こそが森の広場の正体だった。
 青年はよっと反動をつけてクレーターの淵から跳ぶと、斜面を中央へと滑っていく。中央には人影が横たわっていた。スーツを着た逞しい骨格の男性だった。
「えっと、死んじゃっていませんよね、この人」
 いつの間にやらヤンチンの後ろにやって来たリジィが尋ねる。
「加減したからな、生きてはいるようだ。もっとも当分目覚めないだろうし、目覚めたときには俺たちの仲間に監禁されているだろうけどな」
「これで私たち(ルビ:きょうかい)も、晴れて参入ですね」
「全然晴れて、じゃないけどな。俺たちは隠密に事を進めないといけない。この魔術師から身分奪ってもぐりこむんだからさ」
 ヤンチンは地面で気を失っている男を顎でしゃくりながら言った。
「命の霊薬……そんなものの製造は可能なのでしょうか?」
「確かに、にわかには信じられないな」
「製造に成功したのならそれこそ死者をよみがえらせることも可能なのでは?」
「どうだろうな」
「興味が無いようですね」
 それに否定も肯定もせずに青年は無機質な声でこたえた。
「上からの命令はその奪取。最悪、破壊だ」
 魔術を嫌う教会はその裏の執行機関、異端審問院に命の霊薬を魔術師の手から盗み出すように命じているのだ。魔術を嫌い異端を嫌う教会が破壊ではなく奪取を最優先に命じている理由は憶測でしか分からないが、つまるところ教会のトップもそれを使うつもりでいるのだろう。そうでなければ真っ先に破壊を命じていたはずなのだから。仮にも僧籍の身であるというのに上部は俗物もいいところである。
「薬を造ると公言しているのは極東の島国の魔術師でしたっけ? 本当なのかどうか怪しいところですが――確か、その魔術師、ヤンチンのお知り合いでしたね?」
「ああ――昔遊んでくれていた幼馴染の父親だ。俺が親に勘当されて、教会に来てから出会ってないから、七年ぶりになるか」
 ヤンチンはそう言って言葉を切った。少女がくらりとぐらついたからである。抱きしめれば折れてしまいそうに細い腰を抱きとめる。
「すまない。リジィに力を使わせすぎたな」
 渋面を作って噛みしめるようにいう青年にリジィは秘密の約束をするような調子で囁いた。
「リジィはヤンチンの『本』なのです。貴方に助けてもらったときから、ずっと」
 少女はそう言ってふわりとほほ笑む。
「教会の偉い人に廃棄されるところを救ってもらったとき、私は貴方のために死ぬと誓ったのですから」
「リジィ……」
「えい」
 表情をゆがませたヤンチンの唇にリジィの唇が重なる。そのまま舌まで絡めてくる。一瞬、脳みそが停止したヤンチンだったが、すぐにリジィを引き離し、頭をげんこつで殴った。
「……何のつもりだ」
「えへへっ、キスしちゃったっ」
「キスしちゃった、じゃねえええ! お前な、人が大人しくしてやっていると思ったらそんなセクハラ行為を!」
「ヤンチンは『本』は嫌いですか?」
「別にお前の事を『本』として扱ったことはないよ。それにお前のことも嫌いじゃない」
「じゃあぁ、ここでぇ、しちゃっても」
「駄目に決まってんだろ! お前自分が何言ってんのか分かってんのか!」
「……人間と無生物がまじりあったら何が生まれるのか実験したかったのに」
「実験って、あのな」
「私、ロンドンの図書館にいたときからずっと知りたかったんです」
 きらきらとこちらを見てくるリジィから目をそむけながらヤンチンはため息をついた。
「ともあれ、これで霊薬を造る儀式にもぐりこめる。急ぐぞ、これからこの男の登録を抹消して、俺たちの身分証を偽造しないといけないんだ」
「はい。まだ時間はありますが、ヤンチンが急ぐと言うのなら、リジィは言う通りにします」
 そう言って再び抱きついてくるリジィ。それをかわしてヤンチンは斜面を上る。上りながら、ヤンチンは猛禽が得物を狙うような目つきで暗い虚空を眺める。
 命の霊薬。対象に命を与えるという薬。それを教会の上層部は奪取せよと、そして建前程度に破壊せよと付け加えた。
 要は霊薬を魔術師に使わせなければ良いのだ。それこそが魔術を嫌う教会の方針ではないか。ならば、魔術師などではない自分がこっそり使ってしまっても全く問題はない。
 ヤンチンは後ろから、「ああーん、待って下さい、ヤンチンー」と上ってくる相棒に手を貸す。
 人間となんら変わりの無い赤みを帯びた手。まだ年端もいかない少女の手だ。この娘は魔術師たちから盗みだした『魔導書』。仮初の生命を与えられた『本』だ。
 魂から発せられる命令により体を媒体として世界に干渉する技――魔法を自身で使うことができる魔道書。それがリジィだった。世界に干渉することが空調することなら、エアコンが体で、そのスイッチが魂。リジィは知識のみならず、体と魂を手に入れた『魔道書』なのである。
 ――リジィ、君みたいな娘は、まっとうな人間として生きた方がいいんだ。
 ヤンチンは無意識に手の中の白く美しい手をきゅっと握りしめた。リジィはハッとしたあと、頬を赤く染める。
 頭上には綺麗な月が浮かんでいる。玲瓏としたその影に誓うかのように、ヤンチンは心の中で呟いた。
 腐敗した教会の上層部には薬は破壊したとの報告をくれてやる。彼らにはそれで十分だ。
 ――薬は、俺が手に入れる。リジィのために。
 どこかで、梟が鳴いていた。


第一章


 都市化がますます進む日本にあって、時代に取り残されたかのような田舎町もいくつかある。そんな周囲にコンビニすらない田舎町の一つ、桜木町では今年も桜が満開だった。本来ならば春の陽気に包まれているはずの桜木の町は奇妙な静寂に支配されていた。
 一般人には巧妙に隠された事実。異常を感じさせない異常と言うべきか。ここである魔術師によって命の霊薬の製造がおこなわれると言うのだ。
 魔術師の名前は明神カズノリ。ロンドンに留学し、抜群の成績をあげたのち、何を思ったのか田舎に引っ込んで魔法薬の研究をしているという変わり者。一方で名高い天才明神の噂を聞きつけてやってきた弟子は多数。その数九九人にも上る。 それだけの魔術師が桜木の町に集まっていた。
 薬の製造儀式を間近に控えた明神の巨大な敷地内では魔術師たちが桜を見に庭にあふれかえっている。そしてそこにあふれかえっている面々は庭に響き渡る怒声に固唾をのんでその成り行きを見守っていた。
「あーん? もっかい言ってみろこの金髪野郎!」
「外人が日本に来て偉そうにしてんじゃねぇよコラ!」
 髪を赤やら青やら派手な色に染め上げた柄の悪い一団が金髪碧眼の小柄な男の子を足蹴にして楽しんでいる。男の子は蹴られるたびに身を縮こませ、今やもう虫の息である。
「俺様たちの方チラチラ見やがって喧嘩売ってんのかてめえコラ。半殺しにするぞコラ」
「お坊ちゃんは外国に帰ってな。ここは俺らの土地だっつーのっ!」
 リーダー格らしい赤髪の男が金髪の少年の腹を蹴り上げる。
「おい。最近派手に魔法使ってねえよな。久々にすっきりすっか、コイツで」
 赤髪が集団に向かって呼びかける。集団がそれにこたえるように笑う。
「GJ(ルビ:グッジョブ)! お前最高。俺最近マンネリってたのよ」
「足の方は俺にまかせろよ。うまいこと凍らせてやんよ」
 蹴られていた男の子の顔色が変わる。
「髪の毛燃やしてやるぜ」
 嗜虐性をむき出しにした赤髪の言葉に、金髪の男の子は頭を腕でかばった。
「こらッ! お前たち、何をやっている!」
 鋭い声が飛ぶ。同時に周りの人だかりを鳥のように軽々と飛び越えて人影が男の子と赤髪との間に割って入って来た。
 艶やかな黒髪は肩まで。赤いフレームの眼鏡をかけ、セーラー服に身を包んだ少女は赤髪一派をキッと睨みつけた。なかなかの日本美人だったが睨みつける顔はそれだけに凄味があった。
「まずいぜ、明神カナだ」
 隣の青髪が赤髪に耳打ちする。赤髪は一つ舌打ちした。
「明神師の一人娘だからと言って、偉そうに。――フン」
 少女は一歩前に足を踏み出した。
「そうだ。弟子同士での死闘は禁じられている。破門されたくなければ――」
「あー、ハイハイ分かってますよっと。お前ら、行くぞ」
 赤髪一派がぞろぞろとつまらなそうにその場を離れて行く。
「町に出る場合はちゃんと人避けの魔術を使用するんだぞ!」
 その後ろ姿に黒髪の美少女は呼びかける。それからため息をついて背中の後ろで倒れている金髪の少年に振り返った。
「大丈夫か? 簡単な治癒なら私にもできるが、もし必要ならお父様のところに連れて行こう」
 そう言って彼女は手を差し伸べる。その手を払いのけて、金髪の少年は立ちあがった。
「もっと早く来いよな。使えない奴」
 いらいらとした声で少女にそう吐き捨てると、少年は人垣をかき分けていずこかへと消えて行った。その後ろ姿を少女は途方に暮れて見送ることしかできなかった。
 人だかりが方々へ散って行く。少女――明神カナだけがその場にポツンと取り残された。
「あー。もしもし。こんにちは」
 静かになったその場に、張りのある男の声が響いた。カナがそちらに振り返る。
 黒髪のワイルドな感じの青年が、ワイシャツにジーパンという格好で立っていた。
 カナは彼の顔をじっと見つめて、直後、何かを思い出したかのように目を見開いた。

         ×          ×

 一部始終を見ていたヤンチンだったが、とりあえず無難な一言を黒髪の少女にかけた。
「貴方は――、ヤン、チン……?」
 恐る恐る尋ねてくるカナ。
「ああ」
 ヤンチンは七年来の幼馴染に笑いかけた。事前に明神カズノリともどもカナの顔写真も確認していたのだが、やはり面と向かって出会ってみると、新鮮な刺激があって、思わず緊張に顔が緩んでしまう。カナはとても綺麗に成長していた。
「ヤンチン! 久しぶりだな! それに……大きくなったなー! 昔は私の方が背が高かったのに、もう今では頭一つ分も違う!」
「君こそ、そのおっきくなったな」
 ヤンチンは否応なくカナの特定部位、つまるところ首の下お腹の上の起伏を見てしまいながら正直な感想を言ってしまう。瞬間、仕立ての良いブーツのかかとが、ヤンチンの足を踏みつけた。
「っっっってぇ! ちょっとおい、リジィ! 何の真似だ!」
 ヤンチンは後ろに控えていたはずの金髪の少女を怒鳴りつけた。リジィは澄まし顔でこめかみのあたりにビキリと効果音を鳴らしながら、
「私も自己紹介をしようと思って足を前に出したのですが、誤ってヤンチンの足をふんづけてしまいました。これだからブーツは、ハァ」
「誤ってって、どう考えても俺の足のツボをピンポイントで突いて来やがっただろ! しかもこれだからブーツは、とかお前言えないだろうが。向こう二年ずっと同じデザインのブーツ履き続けてるくせして今さらかよ!」
 カナはいきなり登場した金髪の少女にやや面喰ったらしい。訝しげにリジィを見つめながら、ヤンチンを見た。
「あの、ヤンチン。こちらは」
 人の気配を持たない金髪の少女に何かしらの違和感を感じたのか、やや警戒気味にカナはリジィを観察している。
「ああ、こっちはエリザベス。俺の友人だよ」
 ヤンチンがリジィを紹介すると、カナはあっさりと警戒を解いてしまった。スッと金髪の少女に手を差し伸べる。
「明神カナだ。この明神の家は魔術師協会の支部……と言ってもそんな大層なものではなくて、銀行のATM程度の扱いだが、一応この辺り一帯をまとめている。それで私はその副オーナーをしている。よろしく」
「よろしく、日本人のお姉様」
 リジィは嫌みなほど丁寧に、英語でそう答えた。スカートの端をつまんでお辞儀なんかまでしている。カナは呆気にとられたようだったが、丁寧にどうも、と言って頭を下げた。
 ――いや、どちらかと言うとリジィの態度はお前を馬鹿にしてんだぞ。
 とヤンチンは心の中で突っ込むが、突っ込めば話がややこしくなりそうなので黙っておくことにした。
「それで、こんなに長い間どこに行っていたんだ? 私もお父様もすごく心配していたんだぞ」
 カナが静かにそう尋ねた。そんな態度を見ただけでも、カナは変わったな、とヤンチンは思った。落ち着いたというか、どことなく丸くなったというか。本来ならば何も言わずにどこかへ行ってしまった自分をここで殴り飛ばしてもいいくらいなのである。
「俺が魔術師としてできそこないだったから、父と母に勘当されたのは聞いているな」
 コクリとカナが頷く。
「あれから自分なりに魔術を極める修行をしていたんだ。それで、ある優しい老魔術師に援助してもらってロンドンの本部で学んでいたんだよ」
 ヤンチンは言いながらよくもまあこれだけ真っ赤な嘘をすらすらと滞りなく言えたものだと自分でも思った。何となく悲しくなってくるが、そんな感傷は置き去りにして嘘を続ける。
「そこで勉強して、気が付いたらこれだけ時間が経っていた。リジィ――エリザベスとはその時からの付き合いさ」
「そうだったのか」
 カナはその黒々とした瞳に憐みの色を浮かべながらしみじみと頷いた。
「それで、今回、こうして帰郷してきたのだな。だが……残念ながら貴方のお父様とお母様は残念ながら数年前に亡くなっている。この町に大きな化け物が現れてな。そいつを調伏するときに、私のお母様ともども、殉職なさった」
「風のうわさで聞いていたよ」
 教会でその報を受け取ったときは残酷にも少し喜びを覚えてしまったくらいだった。
 にわかに沈黙が流れる。リジィが背中を小突いてくる。何でもいいから早く話を進めろということらしい。
「それで、ヤンチンはどうするのだ? 今夜の宿は決まっているのか?」
「いや、どうするも何も、俺は明神カズノリさんの弟子になりに来たんだよ。聞いたよ。命の霊薬を造るんだって? 周りの奴らは信じていなかったけど、俺はこうしてやって来たわけなんだ」
 ヤンチンがそう言うと、カナは驚いたような顔をした。
「事前資料として何故か乱雑にコピーされた成績が送られてきたが、あれは貴方のものだったのか。肝心の個人情報の明細だけ封入されていなくてな。おかしいなと思っていたんだが」
「ふーん?」
「身分証の確認をさせてもらっていいか?」
 ヤンチンが魔術師協会の身分証を差し出す。もちろん偽物である。
「一応本物のようだな」
「おいおい。俺を疑っているのか?」
「いや、念には念を入れておかないとな。今儀式を前にお父様は危険な立場にある。部外者にはきちんと身分を提示してもらうようにしているんだ。悪く思わないでくれ」
 そう言って眼鏡の右横を手で押し上げながら、カナが身分証を裏返したり小突いたりする。
「立派に副オーナーしているみたいだな」
「まあな。――魔術師協会から紹介があったのは貴方で間違いないだろう。身分証は確かに魔術師協会のものだからな。何より、貴方が嘘をつくはずが無い」
 そう言ってカナはにっこりとほほ笑んだ。その笑顔に若干胸が痛くなりながら、ヤンチンは言った。
「それじゃ、君の父さんに挨拶だけしないとな。さすがに何も言わずにそのままってわけにもいかないだろうから。せめてお久しぶりとだけでも言っておかないと」
「ああ、お父様は離れにいる。案内しよう」
 カナがそう言ったとき、ふと離れの方から足音が近づいてくるのをヤンチンは聞きとった。そのまま気付かないふりを続けていると、カナがそちらの方へ首を向けた。
「お父様の足音だ」
 彼女がそう言ったあと、建物の蔭から着物姿の大男が現れた。頭は髪一本もないスキンヘッドで、立派な口髭に濃い眉をしている。
「カナ。客か?」
 大男――明神カズノリは深く沈んだ声でそう問うた。ヤンチンの記憶にある明神はこのような男ではなく、もっとあっけらかんとした元気な男性だったはずだが、今は日陰にうずくまっているような暗い雰囲気を纏っていた。カナが答える。
「お父様、ヤンチン――コ・ヤンチンです。そしてこちらがヤンチンの学友のエリザベスさん。ヤンチンは魔術師協会から送られてきた、例の封筒の本人で、今日から弟子入り――」
「そうか。もうすぐ霊薬の儀式を行う日だ。それまでわずかではあるが、学べることは学んでいきなさい」
 明神はそれだけ言うと、また屋敷の陰へと消えて行ってしまった。
「すまない。お母様を亡くしてから、お父様はずっとあのように落ち込まれていて」
「ああ、いや。心中お察しする」
 カナが猛烈な勢いで謝って来たので、思わず誠実な対応をしてしまう。
「本当に、その、気を悪くしていないか? あとで父にはきつく言っておくから」
「いや、いいよ。俺は何とも思っていないしさ」
 ははは、と苦笑いする。
「貴方のお父様――とらわれているんですね」
 ふと、リジィが口を開いた。ヤンチンとカナが驚いてリジィを見る。リジィは目を閉じてもう一度口を開いた。
「悲しみにです。深い意味はありません。ふと口に出ただけです。ですからカナさん? 私の言葉はあまりお気になさらないで」

         ×               ×

 明神の弟子になれば寮で寝泊まりができると聞いていた。リジィの寝床も全く心配していなかったのだが、なんと男子寮しかないという衝撃の新事実が明らかになった。しかも空いているのは残り一部屋だけだという。もともと定員ぎりぎりのところを一人排除して割りこんでいるような状況だったから考えて見れば普通のことである。
 だが、三十部屋ある中で二九部屋が埋まっている状況(しかも全員男)なわけだから、リジィの分の部屋は当然どこにも空いていないのだ。しかも、「良ければ私の部屋で寝泊まりするか」というカナの申し出をリジィは『丁重に』断ってしまった。
 ヤンチンは呆れかえり、一旦リジィと別れて自室に荷物を運び入れた。
 運び入れて整理が終わったのは良かったが、気付いたら午後十一時で窓の外はとっぷりと日が暮れてしまっていた。久々の畳の部屋に興奮して部屋中を掃除し直してしまったせいだろう。リジィのことをすっかり忘れてしまっていた。
 ものすごく嫌な予感がした瞬間、携帯電話が震えた。見ると案の定リジィからだった。絵文字いっぱいの読んでいるだけで頭の痛くなってきそうな文章を要約すると、公園で待っています、ということらしかった。
 そういうわけで、ヤンチンはこっそりと寮を抜けだし、明神宅の塀を乗り越えて公園へと走った。七年間離れていたが、幼い頃の記憶は意外と残っていて、迷うことなく公園に辿り着くことができた。
 で、公園に着いた瞬間、リジィがヤンチンに抱きついてきた。
「ふええええええええん! ヤンチンー!」
「何なんだ、一体。泣いてもいないのに泣いたときの擬声語を口で言うなよ」
「この辺り本当に何もないんです。なんでコンビニがないんですか! その辺の村人Aに聞いてみたらコンビニまでは近くて十キロは離れているとか。どれだけ田舎なんですか、これだから田舎は」
「すまん。でも仕方ないっちゃ仕方ない。でもスーパー……というか個人経営の店は確かあったよな? そこで我慢できないか?」
 そう言うと、リジィは公園の中央にある滑り台の上を指差した。食パンと缶ビールが置いてある。
「おまっ! 酒飲んだのか! ちょっと待てお前酒飲めないだろ。合法じゃないよな、どう考えても違法」
「リジィはぁ、実年齢ではぁ、ひっく、余裕でぇ、ひっく、買えちゃいますぅ、ひっく」
「お前酔ってるじゃないか」
「酔ってますよ! これが酔わずにいられますか! 私と言う者がありながら、あんな巨乳女に色目使って」
「カナのことか? 別に俺は色目なんか使ってない」
「嘘です! どうして、どうしてなんですかヤンチン! ヤンチンはロリコンだったはずなのに!」
「俺は別にロリコンじゃない! ったく。いいから水飲め。そんで目を醒ませ」
 ごねるリジィを引っ張って公園にある水飲み場まで移動する。そこまでリジィを引っ張って行ったら、あとは彼女の方から水を飲んでくれた。
「えっと。悪かったな、遅くなっちまって。ちょっと部屋の片づけをしてたら、な」
「どうせ貴方のことです。またいつものように完璧にほこり一つ無いように神経質なまでに綺麗にしていたんでしょう」
 返す言葉が無くて、ヤンチンは虚空に視線をさまよわせた。それから手に持ってきた物の事を思い出した。後ろ手に持っていた紙袋をリジィに差し出す。
「これ、お前の分の晩御飯。寮の食堂に忍び込むのはかなり骨が折れたけど、冷蔵庫に入ってたものを適当に取り繕って来た」
 ヤンチンがそう言うと、リジィはぱっと顔を輝かせた。
「やはりリジィのヤンチンは優しくて細かな配慮ができる男性です。リジィ、感激です」
 そう言うとリジィはスカートのポケットから小さな十字架のペンダントを取り出した。
「これは?」
「お返し……じゃないですけど、受け取って下さい。タイタンのお守りです。私が念を込めておきました」
「あ、ありがとう」
 急に機嫌が良くなったリジィにやや狼狽しながらも、ヤンチンは銀のペンダントを受け取った。
「それで、この中身は何ですか?」
 そう言って紙袋の中を見るリジィ。
「色々。ご飯と梅干しと昆布と鰹節と」
「ああー! なんですか、この白くて清潔な感じの入れ物は!」
 黄色い声とともにリジィが取り出したのは納豆の入れ物だった。
「それは納豆と言って日本の保存食なんだ」
 リジィは目を輝かせてパックを開ける。そして、思いっきり顔をしかめた。
「……何ですか、この臭い」
「大豆を発酵させて造るから嫌な香りはするけど、結構うまいぞ。貸してみ」
 ヤンチンがリジィから納豆を取り上げ、割り箸を紙袋から取り出してくるくるとかき混ぜる。
「うえー……」
「うえーって何だよ」
 たれを入れて完成した納豆をリジィに差し出す。
「ほれ、うまいんだぞ。これを米にかけて食べるんだ」
 リジィはしばらく納豆とにらみ合ったあと、
「このくらいの愛の試練、どうということありません!」
 そう叫んでヤンチンから納豆をひったくって滑り台の上に上った。それから止める間もなく食パンに納豆をぶっかけて、頬張る。
「――――」
 感想は、リジィの顔を見れば明らかだった。
「残りは俺が食べるよ」
 ヤンチンがため息交じりにそう言った。
「ほう、仲が良いことは喜ばしいことだ。思わず立ち入るのを止めてしまったくらいだよ」
 ふと響いた声に、ヤンチンとリジィは無言で振り返る。
 そこには影がそのまま持ちあがったような黒人の男が立っていた。
 黒いサングラスをかけて黒い司祭服を着たその男は文字通り全身真っ黒だった。
「あんたか」
 ヤンチンは現れた司祭姿の男にそっけなく答えた。
「お知り合いですか?」
 リジィがヤンチンに耳打ちする。答えたのは黒い男だった。
「ああ、そこの若造が親に捨てられて路頭に迷っていたのを助けたことがあってね」
「何の用だ、エセ神父。この町に来る限りあんたとは関わりあわないといけないとは思っていたが、こんなに早く出会うとは思ってもいなかったぞ」
「ああ。そしてこれから定期的にここで私に連絡するのだ」
 ヤンチンは鼻を鳴らした。
「携帯のメールアドレス教えてやるからそれでやりとりする。もちろん仕事用のだけどな。いいだろう、それで」
「勘違いするな」
「何?」
「別に私はお前の働きが心配で会合を求めているのではない。その点お前は若手の中では優秀なエージェントだ。今後の成長株と言っていいだろう」
「だから俺を拾ったんだろ、お前」
 ぼそりと呟くヤンチンの言葉を無視して神父は続ける。
「私が恐れているのはお前が裏切ったりしないかだ。いや、もう少し率直に言ってやろう。お前が命の霊薬を勝手に使う算段を整えないように私がお前の行動を縛っているのだ。少しでもお前に不審な点があれば即刻解任するくらいの措置は採らせてもらう」
「失礼な方ですね。ヤンチンはそんなずるいことはしません」
 迷いなく言い張るリジィに黒衣の神父は不吉な笑みを漏らした。
「そう願いたいものだよ。私としてもお前のようにかわいくない弟子とは関わりあいになりたくないのだからな」
 神父はそれだけ言うと二人に背を向けた。
「そこの娘。もしシャワーを浴びたいというのなら町外れの教会に来るがいい。神は皆の前で平等だ。ついでに温かい紅茶くらいは出してやろう」
「そんなことしたら私たちが教会のエージェントだってばれてしまうでしょう。セントーとかいう温泉があるらしいからそこを利用するわ、ロリコンの神父様」
「これは残念」
リジィの言葉に神父は低くかすれた笑い声を残して、闇の中へ融けるように消えていった。
「リジィ。あいつは信用するな。何を考えているか分からない」
 黒い神父の姿が完全に消えてしまうと、ヤンチンはリジィにそう言った。
「はい。分かりました」
 リジィが頷く。
 ――それにしてもあいつ、俺が薬使おうとしていることに気付いていやがるな。
 ヤンチンは納豆を上に乗せたパンをかじりながら心中冷や汗をかいた。
 ――あいつを殺せば教会にばれるし。これは何とかしないとな……。
 と、そこでヤンチンは、リジィがこちらに熱い視線を向けていることに気がついた。
「どうした? 俺の顔に何かついてるか?」
 頬を赤らめてこちらを見つめるリジィに、ヤンチンは首をかしげた。
「ヤンチン……私が口をつけたところを食べてます。間接キス、ですねっ」
「……お前やっぱりこれ食えよ」

         ×                ×

「カナ。ヤンチンは本物なのだろうな」
 明神宅の一室。寝室で明神カズノリは向かいに座るカナにそう訊いた。
「何者かが化けた偽物……ではないと思います」
 カナは静かにそう答えた。
「しかし、この成績はなんだ。すこぶる優秀ではないか。あれは魔力が枯れてしまい、それゆえ家を追い出されたのだぞ」
「ええ。そうですね……」
 実際カナもヤンチンには何の魔力も感じることができなかったのだ。そんな力の無い魔術師がこのような優秀な成績を取れるはずが無い。
「奇妙だ。協会に問い合わせろ」
「分かりました」
 そう言って頷いたものの、カナとしてはヤンチンを信じたいものだった。何の魔力も感じないが、もしかしたらそれは彼が隠しているだけなのかもしれないし、もしそうであれば心強い味方が一人増えたことになる。
 不意にカズノリが立ち上がった。
「お父様、どちらへ?」
「庭を散歩してくる。今夜は月が綺麗なんだ。妻の――レイコの笑顔のようにな」
「しかし、お父様。お父様の身は命の霊薬を造る前の大事なお身体。そのように不用心に外を出歩かれてはいけません」
 カナの制止する声は聞こえているのかいないのか、明神はそのまま障子をあけて縁側に出ると、下駄をはいて庭へと出て行ってしまった。
 寝室に一人残されてカナは唇をかみしめていた。
 貴方のお父様――捕われているんですね、と昼間金髪の少女に言われたことを思い出す。
 父はあれではいけないとも思うものの、妻を失った悲しみというのも理解できるから困る。カナにしても母親を失った直後は一カ月ほど部屋に閉じこもってしまったほどなのだから。
「私が、しっかりしないと」
 そうだ、私が全部支えてあげればいいのだ、とカナは思う。そうすれば、きっと――。
 その時、庭の方から、カズノリの怒号が響き渡ってきた。
 次の瞬間には、横に置いていた刀をひっつかんで外へ飛び出していた。
「お父様ッ! いかがなされましたか! お父様ッ!」
 庭に飛び出してみれば、見事な枯山水の中央に、カズノリがうつぶせに倒れていた。その体の下から赤い血がジワリと白石にしみわたり、月光を反射して濡れ光る。カナは戦慄した。
「お父様! お父様! しっかりして下さい! お父様ッ!」
 どこかの闇の中から、誰かが無言で笑っているような気がした。

           ×             ×

 ヤンチンは夜道を歩きながら、自分の家があった方――山のふもとの神社の方向を眺めていた。夜だということもあり、さすがのヤンチンも神社の社までは見えなかったが、神社を囲んでいるのであろう森の影に、確かに自分の家はあそこにあったのだと推し量ることはできた。
 公園から寮への帰り道、偶然目に入った懐かしい鎮守の森。ヤンチンはそれを見ながら昔を否応なく思い出していた。最初は自分も魔術師として良い線は行っていたと思う。だけど、田舎者のくせに――あるいはだからこそ――強いエリート志向があった両親に追い詰められ、気が付いたら魔力が枯渇してしまっていた。魔法が使えなくなってしまったのだ。それでヤンチンの親が採った選択はヤンチンを捨てることだった。子はまた産めば良いと、父は言った。母もそれに賛同した。二人は魔法が使えないという一族の恥さらしを追い出したのである。
 ヤンチンは右手をぎゅっと握り、顔の前に近づける。今でも自分は魔法が使えない。
 きっと、どこかで心が――魂が死んでしまったのだ。それが魔法とどう関わりがあるのかは分からないが、きっとそうした精神要素が自分の中から綺麗になくなってしまっているのだろう。
 そこまで考えて、ヤンチンは大きく息を吸った。
 ――下らない感傷に浸ってしまった。
 首を軽く振って雑念を振り落とす。
 今自分は教会のエージェントとして、秘密裏に命の霊薬を盗み出す任務についているのだ。もちろん、盗み出して、その後はリジィに使ってやるつもりだが。
 リジィには、自分とは違って普通の女の子として生きて欲しいという思いがあった。
 仕事のために彼女の力は最大限に使う。使わなければ教会は彼女を廃棄してしまうだろうから。『魔導書』である彼女を教会が生かしているのはひとえに彼女が役に立つからだ。だが彼女を人間にして、記憶を奪ってしまえば、それはもう普通の人間と変わらない。教会は建前上、異端ではない彼女を殺すことはできなくなるのだ。
 教会の上層部への言い訳など、事をやってしまってからなんとでも言いつくろえる。現地に来ずに、教会本部で権力闘争している腐った連中には興味のない話だろうから、結果さえ出しておけば追求の『つ』の字も出ることはないだろう。
「もちろんうまくやればだけど」
 ヤンチンは不敵にそう呟いた。
 呟いてから、ふと明神宅の方から妙にざわついた気配がしてくることに気が付いた。明神宅周りには一般人の気を反らす魔術がかけられているが、教会で血の滲むような修練を積んだヤンチンの肉体には、この程度の意識を分散させる魔法は通用しないのだ。
 それにしても騒然としている。何かあったのだろうか。
 一瞬、自分が寮を抜けだしたことで誰かが騒いでいるのかとも思ったが、たかが自分一人が抜けだしたからといってこれだけ騒ぎ立てるというのもおかしな話だと思い直した。
 だとしたら何が起こっているのだろうか。何が起こっているかにせよ、寮でもし点呼でもかけられたら部屋にいなかった自分に疑いがかけられてしまう可能性もあった。そこまで思考した時、ヤンチンはもう走り出していた。
 走って、明神宅に辿りついて、残像すら残しながら屋敷の裏側の塀を二足で飛び越える。教会の異端審問院で鍛えられた体術だ。猿(ルビ:マシラ)のような動きと魔術師協会からは侮蔑と怖れをもって呼ばれている軽技である。
 敷地内に入ると、どうやらヤンチンが寮を抜けだしたことが原因で騒いでいるのではないらしいことが分かった。屋敷の離れにつながる枯山水の方に人だかりができている。ヤンチンは影のように集団の後ろに加わる。すると、人垣からカナが後ろ向きに出てきた。寝巻なのか、えらく様になった着物姿である。ふんわりと枯山水の下から闇を照らす明かりに包まれながら、カナが周りの集団にもっと道を開けるように指示していた。そのカナに続いて誰か――大きな人影が浮遊術をかけられて人垣から出てきた。
 よく見れば、あのハゲた頭はカナの父、カズノリのものらしかった。
 ヤンチンは眉をひそめ、隣に腕を組んで立っていた人影に問いかけた。
「すごい騒動みたいだが、何かあったのか?」
 人影はこちらに向き直った。
 闇に慣れたヤンチンの目が人影の姿を捉える。人影は背の高い、ひょろりとした男だった。
 顔立ちから東洋人らしいことがうかがえる。目は細いが、全体的甘いマスクをしていて、かなりの美青年だった。髪の色は黒で、前髪に銀のメッシュを入れている。服装はワインレッドのカーディガンにカーゴパンツという洒脱な格好をしていた。
「どうやら明神師が狙われたらしいですね」
 見た目麗しい青年は答えた。青年は続ける。
「驚きました。てっきりどこぞのお調子者がダンスパーティーでも始めたのかと思ったほどです」
「狙われたって――ついさっきのことなのか?」
 ヤンチンは尋ねる。すると青年はその細い目に鋭い光を灯して、ヤンチンを見つめてきた。
「貴方は、見ない顔ですが……?」
「ああ、俺は今日ここへ弟子入りしてきたコ・ヤンチンだ。カナ――明神カナに訊けば分かる」
 すると、青年は少し驚いたように細い目を見開いた。銀のメッシュが入った辺りをかき上げて、青年は口を開いた。
「そうでしたか。――貴方が噂の優秀な転入生、でしたか。いや、失礼しました。僕の名前はキム・ウチャング。明神カナの許嫁で家族同然の扱いを受けている者です。一応、寮の管理とカナの補佐をしている、ということになっています」
 全然役に立っていないですけどね、と言ってまた髪をかき上げるキム・ウチャング。癖なのだろうか。
 そんな彼の癖などよりもヤンチンには看過できない一言がウチャングの自己紹介の中にあった。
「許嫁? アンタが? というか、カナに許嫁とかいたのか」
 素直に驚く。驚いてからそれからそんなものかとも思い直した。魔術師は魔法を伝授するにあたってまず子に伝えるものだから、結婚相手は当然早期に決めるものなのだ。子供が出来ねば魔導の血が絶えてしまうのだから。
「じゃあ、あんたもかなり優秀な魔術師なんじゃないか? あのカズノリさんが見込んだ男ってことだろ?」
「どうなんでしょう。僕はただ人並みに勉学に励んでいただけですよ。――それに比べて、貴方はすごいらしいじゃありませんか。カナから聞いていますよ。謎の転入生は遅れてやってくるかわりに、ものすごく優秀だと。なんでも昔の明神師に負けないくらいの成績だったらしいじゃないですか。魔術師協会の中でも実力派。あそこでトップクラスの使い手となると、理論も実戦もピカイチなんでしょう?」
 男は熱っぽく――言っている風を装っているが、その細い目は密かにヤンチンを観察していた。ヤンチンはその粘つくような視線を感じながら答える。
「どうだろうな」
 確かにあの魔術師を狩るのはかなり面倒だったと思う。ヤンチンの戦術は敵の意表を突く奇襲攻撃が主体だから、二度目に彼と戦うことになればやられるのはこちらかも知れない。
「それはそうと、アンタ、カナの許嫁なんだろ? カズノリさんのところに行かないでいいのか?」
「いいえ。あれは大した傷ではなかった。血は出ていますが、カナが応急処置をするだけで持ち直すでしょう。それに今行っても、安静にしておく必要があるとか言われてカナに追い払われるだけですよ」
「そうなのか……?」
 大した傷ではなかったとか、この距離からよく分かったもんだと感心する。
 ええ、とウチャングはまた銀のメッシュの部分をかきあげた。
「カナは自分で何でもやろうとする。そういう娘ですから」
 ふざけているような仕草で言った言葉は、その様子とは裏腹に酷く真剣な響きがあった。
 話がややかみ合っていない。
 ヤンチンはこの男とは思考回路がかみ合わないらしいことを薄々感じた。
「そっか。まあ、アンタがそう言うのなら、ここで見守っているってのもありなんだろうな」
「しかし、まさか同じ国の人間にここで会えるとは思っていなかった。僕は釜山の生まれなんです」
 ウチャングが話題を変えるように大きく息を吸いながらそう言った。
「俺は在日二世だよ。生まれはここ」
「なんと。カナの幼馴染でしたか!」
 ウチャングは少なからず驚いているようだった。
「キム、私がどうかしたか?」
 そこで落ち着いた声とともに、カナがこちらに歩いてきた。カナは足を止めて未だざわついている人だかりに呼びかけた。
「皆もう自室に戻ってくれ! 父は大丈夫だ。安静にしていれば儀式には問題ない! さあ、戻って!」
 カナの声に人だかりが徐々に減っていく。カナはそれから二人の輪に加わって来た。
「カナ。お義父様の具合は」
「大丈夫だ。傷も先程ふさいだ。すぐに回復なさるだろう」
 カナは目を閉じてそう言った。ウチャングは再び口を開いた。
「誰かが結界を破ったんですか? 君の張った結界が破られるとは考えにくいですけど」
 ウチャングの言葉にヤンチンは内心首をかしげた。結界が張ってあったとは知らなかった。別段何の障害もなく抜け出せたから出入りを制限する類の結界は張ってないものだと思っていた。
「人避けの結界だけ綺麗に残された状態で全部消されていた。先程、より強いものをかけてきたところだ」
「結界を消されたことに気付けなかったのか?」
 と、ヤンチンは思わず口を開いてしまった。しまったとは思ったが、そこでカナが案の上ヤンチンの方を見て、
「ヤンチン。貴方はもう寝るべきだ。自室に戻ってくれ」
 と厳しい口調で言ってくる。
「まあまあ」
 そこにウチャングが割って入って来た。
「カナ、僕はね、彼にも手を貸してもらおうかと思っているんですよ、この件については」
「なんだと」
 カナがぎろりとウチャングを睨みつける。睨みつけてから、はっと我に返った風になって、
「すまない。気が立っているようだ」
 と頭を下げた。許嫁同士の間で流れる空気でないものが一瞬漂うが、ウチャングがさわやかな声でそれをかき消した。
「いや。いいですよ。突飛な話だとは思いますけど、彼は非常に優秀な魔術師で、しかも君の知り合いなんでしょう? なら、これ以上に頼れる人間は他にはいないと思うんですけど」
「それは、そうだが」
 カナはちらりとヤンチンを見て頷く。
「でしょう? 儀式を前にして明神師を狙う不届き者は早期に捕まえておくべきです。ヤンチン、お願いします。この件の解決に、力を貸して下さい」
 ヤンチンとしては薬を明神に造らせなければ話が始まらないわけだから、断る理由はなかった。薬の製造の邪魔をさせるわけにはいかない。そんな輩はすぐにでも殺しておくべきである。
「俺なんかが役に立つなら、喜んで。でも、具体的に何をすればいいんだ? 容疑者でもリストアップできてるっていうのか?」
「いや――現時点では容疑者についてはなんとも言えませんね。犯人は外部から明神師を攻撃してきたようですから、寮生以外ということくらいしか分かりません。ですが――」
 ウチャングが鋭い眼光でヤンチンとカナに走らせる。
「暗殺者はこれで明神師の暗殺を諦めるはずがないでしょう。だからこれから夜に見回りをする。怪しい奴らがいたら片っ端から問いただす。どうでしょうか?」
「それはいいが」
 と、カナが割り込む。ちらりとヤンチンの方を見て彼女は続けた。
「ヤンチン、本当にいいのか? その、見回りとか」
「カナ、俺は昔お前やカズノリさんによくしてもらっていた。これはその恩返しだと思ってくれ。だから、俺に関しては余計な気を使わなくていい」
「決まりですね」
 ポン、とウチャングが手を叩いた。
「二人と一人に分かれて、周囲を見て回りましょう。毎晩これをすることになりますが、いいですか? 睡眠時間を考えれば自由時間のほとんどがつぶれてしまうことになるでしょうが」
「私は賛成だ。お父様にはもう部屋から出ないように言っておいたし、お父様はお父様でもうこれに懲りていつも帯刀なさるつもりでいる。結界も張り直したし、守りに関しては万全。撃って出ても問題ないだろう」
 カナは静かにそう言った。それからヤンチンに向き直る。
「しかし、重ねて言うが、ヤンチン……」
「俺は別に構わない」
 即答する。するとカナも諦めたように口を閉じた。
「明日の夜から行いましょう。いくら暗殺者といえども今夜はもうやってこないでしょうから。今夜は――」
「お休み中のお父様は私が責任を持って警護する」
 カナはきっぱりとそう言った。
「それでは、これで解散ということで」
 ウチャングが前髪をかきあげながらそう締めくくった。

       ×               ×

 寮の方へ去って行くヤンチンの後ろ姿を見つめながら、カナは複雑な顔をしていた。横で、同じようにヤンチンの後ろ姿を眺めている自分の許嫁を見やる。
「キム」
「許嫁なのに、君はウチャングとは呼んでくれないんですね」
 ため息交じりのウチャングの声。カナは、「む」とつっかえた。
「すまない。どうにも慣れなくて、その……」
「いいですよ、別に。君にとっては親が決めた結婚ですしね」
 カナは無言で視線をそらした。
「彼ですけど」
「え?」
 ウチャングは寮の扉の中へ消えて行った青年の姿を追うように細い目をさらに細める。
「コ・ヤンチンが一番怪しい。これからは見回りと称して、僕たちが彼を監視しましょう」
「監視……、ちょっと待て、貴方は!」
「待つも何もありません。この時期にやって来た優秀な魔術師とか、どう考えても彼が一番怪しいじゃないですか。条件がそろいすぎている。違いますか?」
「それは」
「僕たちは一緒に見回りをして、彼がしっぽを出すのを待とうじゃありませんか」
 ウチャングの細い目がきらりと光った。

       ×               ×

 次の日、ヤンチンは明神の代わりに教鞭をとったカナの講義を眠って過ごし、自室に帰ってからも仮眠をとって夜の巡回に備えた。ちなみにノートはリジィが全部取ってくれていた。
 午後十一時十分前、目を覚ましたヤンチンは、ワイシャツにジーパンといういつもの恰好で外へ出た。
 暗い明神宅の正門の前には既に二人の人影が立っていた。カナとウチャングである。カナはセーラー服姿だった。日本刀を左手に持って立っている。ウチャングは灰色のカーディガンにカーゴパンツ、それに頭には帽子をかぶっていた。両手には鎖を巻きつけていた。
「ヤンチン、手ぶらだけどいいんですか? 武器を何か持っていた方がいいんじゃないです?」
 ウチャングがわずかに眉をあげて尋ねる。ヤンチンは肩をすくめた。
「俺は拳で語ることにするよ」
「……まあいいでしょう。では、僕とヤンチンがペアで、カナは一人で大丈夫ですか?」
「ああ、私はそれでいい」
 カナは静かにそう言った。静かに言ってはいるが妙にとげとげした口調だった。
「彼女、貴方が講義中ずっと居眠りしていたから怒っているんですよ」
 ウチャングが耳打ちしてくる。
「別にそんなわけではない!」
 カナはぴしゃりとそう言うと踵を返して真っ先に門をくぐってしまった。それから公園方面へと続く道へと足早に去って行く。
 ウチャングは微かに口元を緩ませると、ヤンチンに振り返った。
「僕たちも行きましょう。神社まで見回ります。もっとも、あくまでこの屋敷周辺に重きを置きますけど」
 桜の花びらがひらりひらりと舞い落ちる中、二人は屋敷の外へと繰り出した。
 やや速足で夜道を行く。
 夜道を行こうとして、前を行くウチャングがふと立ち止まった。屋敷からまだ百メートルも離れていなかったが、早速前方の外灯に怪しい人影を見つけたようだ。
 小柄な人影だ。……というか、リジィだった。
「あら、ヤンチン」
 ウチャングがいるせいか、リジィはいつものように抱きついてくることはなかった。どうやら銭湯からの帰りらしく、腕には青色の洗面器を抱えていた。服装は黒のワンピースに、白のニーソックスというものだった。
「お知り合いですか?」
 ウチャングが細い目をさらに細めて尋ねてくる。
「ああ、ロンドンで勉強中に知り合ったんだ。名前はエリザベス。リジィ、こっちはカナの許嫁のキム・ウチャングだ」
「美しい……!」
 ウチャングが茫然とそう呟いた。普通初めてリジィを見た男はこうなる。しかも今は月が綺麗な晩で桜の花びらが風に舞っているという幻想的な状況だからなおさらだろう。
「へえ、あの乳牛に許嫁がいたとは思いませんでした。でも考えてみれば普通ですか」
 そう感情の読めない声でリジィは呟いたあと、ヤンチンに抱きついた。
「なっ……!」
 ガーンと効果音でもしていそうなほどウチャングが打ちひしがれた表情になる。
「ふふっ。じゃあこれで私たちの愛の障壁が取り除かれましたねっ」
「何の話だ。いいから離れろ」
 無い胸をこすりつけてくるリジィを引き離す。
「あーん。ところで、お二人とも散歩ですか? 今夜は月が綺麗ですものね」
「ああ、いや、僕とヤンチンは哨戒中なんです」
 ウチャングが前髪をかき上げる。手の鎖がじゃらりと音を鳴らす。
「ふうん。もしかして明神様を狙った不届きものを捕まえるためかしら?」
 リジィは手を後ろ手にして歌うような調子で尋ねた。
「ええ、まあそうです」
「じゃあ私もご一緒させてもらっていいかしら? ヤンチンは大切な学友。私もその役に立ちたいの」
「もちろんです」
「即答かよ。おい、ウチャング。そんなあっさりオーケーしていいのか?」
 それにリジィもリジィだ。巡回は自分一人でやるから手助けは要らないと昼間言っておいたはずである。
「僕としては仲間が増えた方が嬉しい。それにこんな綺麗な少女の申し出など断れるはずがありません」
「お前どう考えても後のが本音だよな?」
 ヤンチンはジト目でウチャングを見ながら訊いた。
「美しいものは美しいものです」
「ああ、そうかい」
「ヤンチン、夜の散歩なんて久々ですね。向こうに二人くらい入れそうなほったて小屋がありましたよ」
「リジィ、いいからちょっと黙っててくれ」
 誰かもう一人くらい突っ込み役が欲しいくらいだった。

          ×           ×

 ウチャングはひっきりなしにリジィに話しかけてはあえなく撃沈していた。もう止めればいいのに、諦めずにそれとなく話を続けようとしている。リジィは適当に返事をしていたが、ついに根負けしたのか、ため息交じりに口を開いた。
「貴方、どうしてそんなにおしゃべりなの?」
「僕は美しいものに敬意を払っているだけですよ」
 言っていることが良く分からない。ウチャングは楽しげに続ける。
「僕の趣味は美しいものを集めることなんです。美しいものと一緒にいれば、こんな僕でも美しくなれたような気になるんです」
「それって、お前が美しくないってことか? そんなことないぞ。お前は普通にイケメンだ」
 ヤンチンは横やりを入れた。
「僕は、醜いですよ」
 呟いたウチャングの言葉は無機質なものだった。ヤンチンは二の句がつげず、開きかけた口を閉じた。
 にわかに沈黙が流れる。
 沈黙を破ったのはリジィだった。
「ねえ、それよりもそろそろ戻った方がいいのではなくて? 屋敷からかなり離れているわよ」
「ああ……、今日は神社まで行くつもりだったんですが」
「神社って、この先にある神社?」
「ええ、そこまで行って、屋敷に引き返します。その後は屋敷の周囲の巡回ですね。日が上るまで続けようかと」
「ヤンチン、ちゃんと眠りましたか?」
 リジィが尋ねてくる。
「大丈夫だ。さっきまでずっと寝てたし、明日の講義も寝るつもりだから問題ない」
「明日もカナはご機嫌斜めなわけですね」
 ウチャングがため息をついた。
 それから、彼は急に表情を引き締めた。
「ところで、お二人とも気付いていますか? 前方に――」
「前方に何人かいるな。魔術師だ」
 ヤンチンはおもむろに頷いた。実はずっと前から気が付いていたのだが、ウチャングが気付いた素振りを見せなかったからずっと気付かないふりをしていたのだ。
「気付いておられましたか。このまま接触します。警戒しておいて下さい」
 三人はひたひたと気配のする方へ歩いて行く。大きな笑い声が響いてくる。
 品のない笑い声だった。ヤンチン達にはまだ気づいていないのか、馬鹿笑いと言ってもいいような声が断続的に聞こえてくる。
 やがて、七、八人の人影が道の端でたむろっているのが見えた。
「君たち」
 ウチャングが人影に呼びかける。すると集団はこちらにようやく注意を向けた。
「あーん? なんだぁ? てめえ」
 ヤンチンは月明かりの中、人影を観察する。全部で七人だ。赤や青や果ては紫がかった趣味の悪い髪の色をしている。
 ――こいつらは。
 ヤンチンは眉根を寄せた。たしか昼間金髪の少年をいじめていた集団ではないか。
「君たち、明神師の門下生ですね。僕はキム・ウチャング。知っての通り副オーナー補佐です。こんな時間に出歩くなとは言いませんが、最近は物騒です。とっとと家に帰りなさ――」
 そこでウチャングは言葉を切った。そして、強い命令の語調で続ける。
「何をしているんですか。その女の人を解放しなさい」
 集団の中央には、半ば衣服を脱がされた若い女性が横たわっていた。女性は気を失っているらしく、ピクリとも動かない。
「なに、ちょっと生命力を分けてもらっていただけさ」
 リーダー格と思しき、あの赤髪の青年が前に進み出る。青年は血に飢えた目をギョロつかせながら続ける。
「儀式前に力をつけとかなきゃな。それに、こうした方がライバルも減るってもんだ」
「その女性――その女性もウチの生徒じゃありませんか! 君たち、なんてことをしているんですか! 私闘は禁じられているはずです」
 赤髪の横にいる青髪がククク、と笑った。
「ああ? アホかてめえ。私闘が禁じられている? そんなもん守る奴いるわけねえだろ。皆あの明神の造る薬が目当てなんだぜ。そのためにライバルは今の内に減らしておく。分かるか? もやし野郎」
 もやし野郎というのはウチャングのことだろうか。ウチャングは鼻の穴をふくらませた。
「破門にされたいんですか?」
「おっと」
 赤髪が声を上げる。それから口の端をにたりと釣り上げる。
「言っとくが、最初にやってきやがったのはこっちの女なんだぜ? 俺たちゃ正当防衛しただけさ。罪のない俺たちを処罰するつもりかい?」
「それだけ魔力を吸い上げておいて何を今さら……!」
「相手は女とは言え魔術師だ。これくらいしないと襲いかかってくるからな。――この女だって夜出歩いて他人から魔力奪う算段だったんだ」
 ヤンチンは周りの道を見回した。確かに魔術戦があったと思しき跡がいたるところに見受けられた。道端の畔は大きくえぐれているし、赤髪一派の後ろの道路には大きな爪でアスファルトをえぐり取ったかのような個所がある。かなり派手にやったらしかった。この人数相手にいきなり襲われて、こんなに奮戦できるとは考えにくいから、女魔術師の方から青年たちを殺そうと襲いかかって来た、というのは状況的に間違いなさそうである。
「だとしても、やはり規則は規則――」
「ああ? この状況見てまだ俺らが悪いってのか? 俺らは襲われたんだよ。日本語分かりますかー?」
「おいおい、外人に日本語言っても無駄だって。こいつら俺らが何言ってんのか分かってないんだぜ」
「ギャハハハハハ! 受けるー。魔術習う前に日本語勉強してきなって話」
 赤髪がウチャングを嘲りを含んだ目で舐めまわす。
「国に帰ってお母ちゃまのおっぱいでもすすってな。カスが」
 そう言って赤髪は中指を立てた。
 瞬間、赤髪の手に鎖が巻きついた。
「は――――?」
 間の抜けたような赤髪の声はすぐに絶叫にかわる。びきりと音がして月光に照らされた赤髪の右腕がこげ茶色に変色していく。鎖に絡めとられた腕は強烈な冷気に一瞬にして凍ってしまっていた。
 ガラスを足で踏みつけたような音。
 変色し、ひび割れた赤髪の腕はアスファルトに落ちていた。
「う、腕、俺の、腕がぁぁぁぁ!」
「その女生徒に暴行を働いたとして、君たちをこの場で拿捕する」
 ウチャングは氷のような殺気を込めて、そう宣言した。
「エリザベスさん。ヤンチンさん。援護をお願いします」
 ウチャングがそう言ってじりじりと左に移動する。右は任せたということらしい。
「お前らぁ!」
 腕を押さえてうずくまっていた赤髪が怒鳴り声をあげた。
「やれ! ズタズタにしてやれ……ッ! 但し簡単には殺すなよ。足の指先から刻んでやるんだ……ッ!」
 リーダーの言葉に、血に飢えた不良集団が歓声を上げる。それは戦闘開始を告げる合図でもあった。

              ×              ×

「ウチャング!」
 ヤンチンは鎖で赤髪を攻撃したウチャングに厳しい声で呼びかけた。
「あそこまで言われて黙ってはいられません」
 ぴしゃりと返してくるウチャング。
 ヤンチンは心中ため息をつきながら前方を見据えた。腕を押さえた赤髪を中央に、左右に三人ずつ展開している。
 ヤンチンは右翼の三人とにらみ合う。
 紡がれる詠唱。右に展開した三人は照準をヤンチンに定め、手を上げる。
「リジィ――!」
 後ろに控えている金髪の少女に呼びかける。それに応じるかのようにリジィの魔力が燃え上がる。彼女は右手を上げる。
 城塞の巨人(ルビ:オーケアノス)、と。
 桜色の唇が震える。囁くようなその一言。直後、ヤンチンの目前の空間に太古の文字が金色の光をもって流れるように書き記される。
 同時に、対する三人の手の平から火球が放たれる。闇を橙に染めて走る三つの火球。爆ぜる炎。
 アスファルトをも溶かしてしまうのではないかと思われる超高熱が周囲の大気を陽炎のように揺らめかせる。
「な――――」
 火球を放った三人が茫然と目を見開く。
 気流を狂わせるような炎の渦。しかしそれらは障壁に阻まれたかのようにその侵攻を止められていた。宙に光る黄金の文字。そこに生まれた不可視の壁。その向こうに青年と少女は悠然と立っていた。
 炎がかき消える。
 ヤンチンはふう、と息を吐いた。
「てめえら! ビビってんじゃねえぞ! 殺せ! 殺しちまえ!」
 赤髪の怒号。それに我に返ったのか三人は再び詠唱を開始する。
「リジィ、奴らの動きを止めろ」
 ヤンチンの命令にリジィは頷きだけで返す。
 威圧の巨人(アトラース)。
 風にさらわれそうな小声。紡がれる神話の響きはすぐに大気に散っていく。同時に詠唱を行う三人の足元に金の文字が出現する。大きく書かれたそれは、西方の巨人とあった。
 刹那、三人の体にすさまじい重圧が走った。まるで巨大な手の平に押さえつけられているような重圧。三人はその場に倒れ、あらがおうと手足をばたつかせる。
「てめえ……!」
 見れば、赤髪がこちらに右手を向けていた。
「もう勝負は着いていますよ」
 そこでウチャングの落ち着いた声が割って入って来た。見れば、ウチャングの方も既にかたがついていた。左にいた三人が地面で凍傷に呻いていた。
「ぐ……」
 赤髪が悔しげに顔をゆがませる。
「さあ、大人しく捕まって下さいね」
 ウチャングがじゃらりと鎖を鳴らす。
「う……」
 後ずさる赤髪。じりじりと後退する赤髪に、ウチャングはつかつかと歩み寄っていく。
 瞬間、赤髪が口の端を釣り上げる。
「い、今だ! お前らぁ!」
「何――?」
 ウチャングが咄嗟に後ろを振り返る。が、そこには依然として六人がアスファルトの上でもがき苦しんでいるだけだった。
「かかったな、間抜け!」
 赤髪が叫ぶ。同時に巨大な火球がウチャングを包み込んだ。
「ち――」
 両手の鎖を動員して迫る炎の壁を防ぐウチャング。しかしそれでも威力を殺しきれずに後退していく。
「ひゃっはぁぁぁぁぁ! そのまま死ねえ!」
 ひるんだウチャングにさらなる追撃をする赤髪。それを見てリジィにヤンチンは振り返った。
「すまん、リジィ」
「待っていました」
 ヤンチンの呼びかけに、三人を地面に押さえつけたまま、リジィがうっとりとした声で答える。ヤンチンは素早くリジィのもとへ駆け寄ると、そのまま折れそうな腰を掴んで引き寄せ、唇を奪った。舌を絡ませ、体液の交換を行う。
 擬似的なつながりが二人の間に出来る。リジィの膨大な魔力がヤンチンの体に流れ込んでくる。
「巨人憑依(ルビ:コード・タイタン)」
 ヤンチンが呟く。はるか昔に神に戦を挑んだティターンの一族。その魂を部分的に呼び寄せる。体を包むのは鋼鉄の皮膚。拳は巨大な巌、足は地面をえぐる鉄槌だ。ヤンチンが地を蹴る。瞬時に蹴ったアスファルトは音を立てて陥没する。
 巨大な火球を生成する赤髪。それに向かって突っ込んでいく。
「ハ、馬鹿かてめえ!」
 嘲笑する赤髪。
「そのまま一緒に燃やしてやらぁ!」
 膨れ上がる火球。しかしヤンチンはそれを意にも返さず突っ込んでいく。火球に接触する。触れるものを焼き払うそれに、ヤンチンの体はさらされる。
「な――」
 赤髪は目を見開いた。火球を割ってヤンチンの姿が目前に出現したのだ。
 巨人の皮膚。外見の変化こそないが、ヤンチンの体は巨人の魂の加護により鋼のような強度を誇っている。巨大な神の一族の持つ皮膚にどうして一階の魔術師ごときの魔法が通用するだろうか。巨人を憑依させたヤンチンの体は高熱の炎ごときに敗れることはない。
 驚愕に目を見開く赤髪の顔にヤンチンの拳が繰り出される。
 目を血走らせて、本能的に死を悟る赤髪。
 拳は赤髪の顔面に吸い込まれていき――。
 直前で制止した。拳を赤髪の前でぴたりと止めたヤンチンは、赤髪の額を指で軽く弾いた。
 効果は絶大だった。もんどりうって後ろへ吹き飛ぶ赤髪。
 赤髪はそのままアスファルトの上でびくりと痙攣して、動かなくなった。

         ×                ×

「助かりました」
 赤髪が伸びて動かなくなると、ウチャングがふらふらと歩み寄って来た。
「あの赤髪は隣町の名家の出で、もっとも注意すべき魔術師だったのに、僕は……」
「いや。アンタが無事でよかった。――リジィもういいぞ」
 ヤンチンが呼びかけると、リジィは右手を下ろした。巨人の威圧が解かれる。同時に苦しげな咳を漏らす不良三人。
「しかしこいつら、すごい魔力量でした。これは随分魔力を奪っていますね」
 ウチャングが疲れた声でぼやいた。
「今までもこんなことあったのか? というか、被害届とか来てなかったのかよ?」
 ウチャングは目を閉じて首を振った。
「魔術師は皆プライドが高い。やられても自分がやられたことをひた隠しにしようとするでしょう」
 そう言われてヤンチンは昨日のいじめられていた金髪の少年を思い出した。なるほど、あの少年のカナに対する心のない行為は自分の中でプライドを守ろうとする意識の表れだったわけである。
 ――魔術師は難儀なもんだ。
 こっそりとため息をつく。
「しかし、貴方達は珍しい魔術を使われるんですね。エリザベスさんは重力制御で、ヤンチンさんは身体強化ですか」
 感心したような声を出す。ウチャングは続けた。
「重力なんて操れるものなんですね。びっくりしました。それに、身体強化をここまで強力にかけられる魔術師も見たことが無い」
 賛辞に苦笑いでこたえる。実はもっと強力な魔術で、しかもそれを行使しているのはリジィであることは言わないでおく。
 リジィは魔導書である。ロンドンの図書館から教会が盗み出した自立型の魔法詠唱機とでも言うべきだろうか。名前は、『巨人の書(ルビ:コード・タイタン)』。リジィの行使する魔術は古の巨人を降霊、憑依させる大魔術で、何よりそれを一小節の呪文で発動できるというすぐれものである。
 故に『魔術師の手にはあまる』と判断した枢機卿達の命により盗み出されたのだ。盗み出されたものの、リジィは誰にも心を開かずに使われることがなく、そのまま廃棄処分になるところだった。それを救ったのがヤンチンだったわけである。
 それでリジィに慕われてしまったヤンチンはそのままずるずると任務に彼女を連れて行っては手伝いをさせているのである。
「ウチャング、とにかくこいつらを縛りあげてカズノリさんの前にひったてるなりなんなりしよう。このまま夜が更けちまうのだけはまずい」
 ヤンチンがそう言うと、ウチャングは頷いた。
「そうですね。それにこのボロボロになってしまった道路もなんとかしなければ。カナに連絡して、屋敷周りに見回りを限定させましょう。僕たちはその間にこの愚か者たちを屋敷に連れて帰ります。よろしいでしょうか」
「道路の修理はどうする?」
「こいつらを運び入れたあと、僕がしておきます」
「オーケー。分かったよ」
 ヤンチンは頷いた。全く面倒な騒動に巻き込まれてしまったものである。
 ――でも、こいつらも明神の薬を狙っていたのか。
 ヤンチンはじろりとアスファルトに折り重なって倒れている不良グループを見渡した。
 ――弟子といえども何を考えているかは分からない、か……。
 任務が段々ややこしいものになって来たのを感じながら、ヤンチンは早速手近な三人を担ぎあげた。

          ×                 ×

 日が上って、また退屈な講義の時間がやってくる。ヤンチンは午前の講義を全て爆睡して過ごしたあと(カナの目は厳しいを通り越して険悪なものになりつつあった)、昼になると明神邸を抜けだす。この前のように塀を飛び越えようと思っていたら、今度はきちんと結界が張ってあることに気が付いたので、開放された正門から堂々と外に出ることにした。
 抜けだした理由は、あのエセ神父に呼び出されたからだ。こんな時間に出てこいとか、任務に支障をきたすことが分からないのだろうか。まあ、何人かの生徒も授業を受ける気が無いのか山の方へ繰り出していたから別にヤンチンだけが授業を抜け出しても特に詮索されることは無いだろうが。
 春風が吹く中、一路公園を目指す。特に走った覚えは無いのだが、空を見ながら歩いていたら、いつの間にか公園に着いていた。
「来たか」
 公園の木の陰には既に神父が立っていた。黒人の神父は何を思ったのか、ジーパンを履いて、黒い革ジャンを着ていてロックに決めていた。
「……アンタ、それ私服なのか?」
「私が私服を着ることに文句でもあるのか」
 重々しい声で尋ね返してくる。神父は「変か?」とか言って自分の恰好を見下ろしている。
「いや、似合っているかと言われれば、滅茶苦茶似合っているけど。どう考えても司祭がする恰好じゃないよな」
「昼間から司祭服を着て歩くわけにもいくまい。それにお前同様授業をさぼった不良が町を歩いている。私が教会の者だと一目で見抜かれてしまうではないか」
「不良って、アンタが呼びだしたんだろうが! おいエセ神父。やっぱりこうして直接会うのは止めようぜ。どう考えても任務に支障をきたす。アンタだって俺が失敗するのは嫌だろ?」
「別に何とも思わんが。その時はコ・ヤンチンという一エージェントが魔術師どもに袋叩きに遭って死ぬだけだ。魔術師協会にはお前が単独で儀式に潜り込んだと伝えるし、あの『巨人の書』を保護すれば、それで私は立派に責務を果たしたことになる。私には特に被害は及ばんのだよ」
「お前最低だな。いつか殺してやるよ」
「上等だ。それでお前の裏切りを防げるのならばな。私はな、お前が死ぬよりも、我々を裏切ることを恐れているのだ。お前のことだ。裏切るときは万全の態勢で臨むだろう。自分に教会の制裁が落ちぬようにうまく準備してな。今の教会の上層部に不満を抱き、離反を考える輩も多い。お前という優秀なエージェントが裏切って、それを教会は処罰できずにいるとなれば、そういった者達はどんどん増えていくだろう。小さな傷から教会全体を脅かす傷になることを、私は恐れているわけだ」
「なるほど。アンタは確かに敬虔な信者だ。全く、反吐が出るぜ。それで? 呼び出して顔見てそれで終わりか? 俺としてはお前と同じ場所で息を吸うのも嫌なんだ。とっとと要件を言え」
「要件などない」
「アンタ本当にいつか殺してやるからな。――ああそうかい、じゃあな」
「待て――」
「何だよ」
「仕事ならあった。――あるものを明神の書斎から盗み出してほしい」
 ヤンチンは無言で神父に振り返った。
「正気か? 書斎って、明神の研究室――工房だぞ? きっと罠や結界が張ってある。中に入るなんて自殺行為だ」
「出来ぬのか?」
「――――」
 ヤンチンはじっと神父とにらみ合った。にらみ合ったまま、口を開く。
「――命令なら、やるしかないだろ」
「それでいい」
 神父の口の端がつりあがる。
「それで、具体的には何を盗み出せばいいんだ?」
「情報だ。薬に関する情報。造り方や材料等の書かれたものを見て、私に伝えろ」
「なんだと? んなもん盗み出したら一発でばれるだろ! お前俺に死ねって言ってんのか!」
「やれ。これは命令だ」
「…………!」
 ヤンチンは絶句した。口に出すべき言葉が思い浮かばず、口をパクパクさせる。教会の任務はいつだって無茶苦茶だが、この命令に関しては度を越している。どう考えても上層部の計画段階でのミスだ。しかしもう命令は決定事項となってヤンチンに告げられてしまっている。
「分かった。上は本当に頭が悪いってことが良く分かった」
「ふむ、では健闘を祈ろう。ああ、しかしこのまま見捨てるのも忍びない。何と言ってもせっかく助けてやった命がここで散るのは残念なことだからな」
「――てめえ……」
「助言してやると言っているのだ。明日の夜、儀式を前にパーティーが催される。そのときに忍び込むと良い」
「パーティー? そうか、そんなものもあったな」
 確か資料にちらりと書いてあったが、あまり重要ではなかったし、読み飛ばしていた。
「安心しろ」
「あ?」
「お前が死んでも『巨人の書』は私が使ってやろう。いや、あれは私にこそふさわしい。お前では役者不足も甚だしい」
「分かった。お前の話はよく分かった。――これでお別れしたいところだが」
 ヤンチンは拳を握りかためた。
 神父の胸を狙って拳を突き出す。鋭いヤンチンの突きは神父の胸に吸い込まれて、ずぶりと埋まった。同時に神父の体が黒い影のように無形になって行く。
「血の気の多いことだ。まさか本気で私を殺す気だったとはな。いや恐れ入ったよ」
 あざ笑うかのような神父の声が響く。
 ヤンチンは消えていく神父の体を見て舌打ちした。
「盗み出したらまたここへ来い。私はきっとここで待っているだろう」
「――――」
 無人の公園に反響する黒い神父の声。ヤンチンは唇を噛みしめた。
「そう焦るな、小僧。焦ったとて、今のお前では私を殺せぬ」
 耳障りな笑い声がフェードアウトしていく。神父の気配はそうして消滅した。あとには公園の滑り台に八つ当たりするヤンチンだけが残された。


第二章


 その夜、十一時十分前に目を覚ましたヤンチンは部屋を出た。屋敷の門の前へ行くと、今夜は三人の人影が立っていた。カナとウチャングと、もう一人はリジィだった。
 リジィには昼間神父に伝えられた命令の事を言っていなかった。そもそも言う気が無かったし、行ったところでリジィを心配させるだけである。自分一人でうまく解決すれば済むことだとヤンチンは考えていた。
 三人に近づくと、ウチャングとカナが何かしら小声で話しあっているようだ。いや、何だか雰囲気的には口論に近いような気がする。
「待たせたな」
 小声で言いあう二人に気付いてもらうため、少し大きめの声をかける。
「こんばんは、ヤンチン」
「時間どおりですね」
 カナとウチャングが挨拶してくる。ウチャングはほとほと困り果てた、と言うような口調だった。
「何かあったのか?」
 ヤンチンが尋ねると、リジィが答えてくれた。
「昨日の不埒者達、破門にはならなかったそうです」
「本当にお父様は何を考えているのやら!」
 カナがイライラとそう言った。ウチャングがまあまあとカナを静める。どうやら口論していたのではなくて、カナをウチャングがなだめていただけらしい。
「不埒者ってあの赤髪達か? 破門にしなかった? カズノリさんが?」
 ヤンチンは眉根を寄せた。
「そうだ。私闘した上に相手を半殺しにまでしていたのだぞ! 父上はそれを多めに見るとおっしゃった。信じられない気持だ。全く」
 カナはそう言ってため息をついた。
「まあ、彼らの処遇につきましては、僕としても不満があるのですが、明神師には明神師の考えがあったのなら仕方ないという感じですね」
 ウチャングが目を閉じてそう言う。
「ふーん……」
 色々と気になる話だったが、ヤンチンも、ウチャングと同じ意見だった。明神が許すのならそれでいいのではないかとも思う。それに彼らは昨日の負傷でしばらく満足に動けないだろうから、少なくとも儀式の邪魔になるということはないだろう。儀式の邪魔にならないのならヤンチンにとってあの赤髪一派などもうどうでもよかった。
「人が増えたおかげで見回りがしやすくなりました」
 ウチャングが明るい声でそう言った。
「暗殺者は昨日は現れませんでしたし、今日も事なきを得られればいいですね」
「リジィ、本当によかったのか? 手伝わなくても別にいいんだぞ」
 ヤンチンが尋ねる。するとリジィはほほ笑みを浮かべて首を振った。
「いいえ、私のことはお気になさらずに、ヤンチン」
 ヤンチンは横からウチャングの刺すような視線を感じながら、「そうか」と頷いた。
「それで、今日は二人ずつに分かれて見回りしようかと思います」
 ウチャングが割り込むように話し始めた。
「僕とエリザベスさん。カナとヤンチンのペアに分かれましょう。僕とエリザベスさんは公園方面、屋敷の周辺。カナとヤンチンは神社方面をお願いできますか?」
「分かった」
 ヤンチンが頷く。
「え、ヤンチンと一緒ではないのですか?」
 リジィが口をはさんでくる。なんだか話がややこしくなりそうな予感がする。
「ええ、エリザベスさんは僕とペアですよ」
 ウチャングが髪をかき上げる。彼の手に巻きついている鎖がじゃらりと音を立てた。
「リジィ、わがままを言うんじゃない」
 ヤンチンがそう言うと、リジィは分かりましたあ、と全然納得していない様子で頷いた。
「じゃあ行くか」
 ヤンチンはカナにそう呼びかけると屋敷の門をくぐった。後ろで早速ウチャングがリジィに話しかける声が聞こえてきた。

           ×                ×

 カナと二人で見回りをする。隣で歩くカナはむすっとした顔でずっと黙っている。見回りの最中に積極的にしゃべるのは良くないが、こうも会話が無いと気まずくてしかたなかった。
「カナ」
「なんだ」
「いや、なんか機嫌悪いのか?」
「よく分かっているじゃないか」
「えっと、カズノリさんにはカズノリさんなりの考えがあったんだと思うぞ。だから――」
「それはもう分かった」
「じゃあ何をそんなに怒っているんだ?」
 ……ぎろりと睨まれた。その視線には何で分からないんだ馬鹿という気持ちが多分に含まれているような気がする。
理由。思い当たる理由と言えば。
 女子には一カ月に一回機嫌が悪くなる日があるから、そのことだろうか。それならば口に出すのもはばかれる内容だ。察しなさい、という視線はそのメッセージが込められていたのだろう。
「そうか、大事にな。明日になったら良くなっているさ」
「――――何を勘違いしているんだっ! 私が機嫌が悪いのは、貴方が今日授業を欠席したからだ!」
 カナが青筋を立てて怒鳴ってくる。
 そう言えばそうだった。今日は一日自主休講していたのだ
「昨日だって、私が入って来るや否やずっと机に突っ伏していたし」
「でも何人かも講義サボって外に出かけてるぞ。何も俺だけの話じゃない。そんな高校の授業じゃあるまいし」
「私は今その高校の授業をサボってまでして講義をしているんだ。確かに私の講義などではお父様の講義に比べれば遊びも同然だが、それでも聞いてほしい」
 最後は尻すぼみになりながらカナは言い終えた。
 ヤンチンが黙っているとカナが「な、何とか言ったらどうなんだ?」と突っかかってきた。
「何とかって言われても俺には何とも言えない。そもそも授業をみんなに聞いてもらおうとしているお前の姿勢が分かんない。というかそういう日常生活での悩みとかは俺よりもウチャングに相談しろよ。許嫁なんだろ?」
 ヤンチンの最後の言葉にカナは表情を曇らせた。ヤンチンはそんなカナを無視して、強引に話題を変えることにした。
「そう言えばカズノリさんを襲った凶器、何だったんだ? 俺結局何だったのか聞いてないんだよな」
 カナはちらりとヤンチンの顔を見た。先程までの困惑の表情などではなく、ヤンチンを注意深く観察するような表情だった。
「貴方には言っていないからな。貴方は、何だったと思う?」
 探るようなカナの口調に、ヤンチンは自分が疑われていると直感した。しかし疑われているといっても、明神を襲ったのはヤンチンではないので、普通に受け答えをすればいいと判断する。
「さあ。俺にはなんとも。ていうか、分かんないから聞いてるんだぞ」
「そうだったな」
 カナが何かを考えるように目を閉じた。
「お父様の傷は、鋭利な刃物で斬られたようなものだった。肩からばっさりとな。おそらく、物理的なもので例をあげるのなら、日本刀か槍か……。長物の類だ」
「じゃあ、犯人は塀を飛び越えてカズノリさんに斬りかかってそのまま外に逃げたってのか?」
「いや。お父様が言うには黒い影が塀の向こうから覗いた瞬間何かが飛んできたらしい」
「なんだそれ? 長物による攻撃なのに、遠距離からの狙撃なのか?」
「間合い的には中距離だ。たとえば鎖鎌のような」
「ふーん」
 と言うことは、犯人は中距離レンジの長物系統の武器を用いているということか。いや、魔術師の扱う魔術は千差万別だ。安易にそれらの武器に限定してしまうのもよくない。
 結局は良く分からないという結論しか出なかった。しかし攻撃範囲があの塀から明神の倒れていたあたりまでならまだ大したことはない。儀式当日も明神の近くで警戒していれば十分に防げるレベルである。
 そこまで考えたとき、ふとカナの足が止まった。それに気付いてヤンチンも足を止める。カナの視線の先をたどると、神社の鳥居の下で、石段に腰掛けている人影が目に入った。
 ――変だな。この俺がこの距離まで近づいても気が付けなかったなんて。
 ヤンチンは警戒しながら人影を見つめる。
 と、人影はこちらに気が付いたのか、てくてくと歩いてきた。
 長い銀髪の、巫女服を着た少女だった。目には包帯を巻いている。病気か何かだろうか? 鉢巻を下にずらしたのかと一瞬身間違ってしまった。年は、リジィと同じくらい――もとい、外見上のリジィと同じくらいだろうか。背丈はヤンチンの顎あたりまで。顔は典型的な大和撫子だった。銀髪なのに純和風。色は白いを通り越して青白かった。
「モモハナ」
 カナがため息交じりに少女に呼びかける。
「知り合いなのか?」
「うちの弟子よ。――モモハナ、こんな夜に何をしている? 最近講義に出ていないが、まさか夜更かししているから出られなくなっているわけではないだろうな」
 気が立っているカナがじろりと銀髪の美少女を睨みつける。モモハナという少女は包帯を巻いた顔をカナに向け、しばらく沈黙したのちに、
「明日は、行く」
 と小さな声でそう答えた。あまり感情のこもっていない語調だ。ヤンチンは目の前の銀髪の少女に微かな違和感を感じた。それが何によるものだったのかは分からない。ただ漠然とした奇妙さだけが残った。例えるならば、美しい花に止まったのが蝶ではなく、蛾だったかのような。
 少女がこちらを見る。違和感はすぐになくなった。
 モモハナ、という少女はヤンチンを見つめ、小鳥のように首をかしげた。
「それはそうだ。明日は儀式前の宴だからな。全員参加は必至だ」
 カナがそう言う。モモハナはそれだけ聞くと、背を向けて神社の石段を上って行ってしまった。
「あ、おいモモハナ……! 行ってしまったか」
 カナがため息をつく。
「彼女、この神社に住んでいるのか?」
 ヤンチンは去っていくモモハナの後ろ姿を眺めながら訊いた。
「ああ。昔貴方の一族が住んでいた場所を買い取って住んでいる。神道系列の魔術師らしい」
「ふーん」
「私も実際に彼女が魔術を使うところを見たことが無い。というか全然講義に出てきてくれないんだ! これはお父様が教鞭をとっていらっしゃった時から変わらない。全く。講義にも出ず一体何をしているのやら!」
「なんか、不思議な感じの娘だったな。無愛想というか、なんというか」
「そうなんだ! 私に対してはいつもそうなのだ! 私に一体何の恨みがあるというのか、話しかけるたびに無視無視無視無視……!」
「それは自意識過剰だろ。カナに限った事じゃなくて、皆に対してあんな感じじゃないのか? 何となくだけど声の感じからしてそうじゃないか。あまり喋りませんって言ってるような」
「それは……そうかもしれないが」
 カナが口を閉じる。
 またもや重苦しい沈黙が流れる。
 ヤンチンがため息をついた時、不意にカナのスカートのポケットから携帯のバイブレーションする音が響いてきた。カナが携帯を取り出す。
「キムか。――もしもし? どうした。何かあった――」
 耳に携帯を押し当てたカナの血相が変わる。
「なんだと! 分かった、すぐ行く」
「どうしたんだ?」
 携帯を閉じたカナにヤンチンが尋ねる。
「エリザベスさんが倒れたらしい」
 カナの言葉に、ヤンチンは目を見開いた。

          ×               ×

 見回り中に倒れたというリジィを自室に運んだヤンチンは、彼女を布団に寝かせて一息ついた。
「どうですか? エリザベスさんの様子は?」
 部屋のドアが開いてウチャングが入って来た。手には水を張った桶とタオルを持っている。
「今は眠っている。ちょっとした魔力切れみたいだ。カナは?」
「一人で見回りをしています」
 ウチャングが畳の上に正座しながらそう言った。
「しかし驚きました。戦闘があったのですが、そのあとこのように倒れられるとは」
 報告を受けてヤンチンとカナが現場に急行してみると、そこにはウチャングと倒れたリジィ、そしてその後ろにはあの赤髪にいじめられていた金髪の少年が転がっていたのだ。
「幻惑系のトラップが幾重にも張り巡らされていたのです。エリザベスさんが力技で幻惑を弾き飛ばしてくれたのですが、こんなことに」
「いいさ」
 ヤンチンはぶっきら棒に言った。重苦しい沈黙が流れる。
 ウチャングは立ち上がった。
「僕は外でこの屋敷内を見回っています。何かありましたら言って下さい」
 ヤンチンの冷たい雰囲気に拒絶の意思を感じたのか、ウチャングはそんなことを言いだした。
「お大事に」
 ヤンチンが無言でいると、そのままウチャングは部屋から出て行ってしまった。
「ヤンチン」
 呼ばれて目を落とすと、リジィが目を開けてこちらを見ていた。
「リジィ、大丈夫か?」
「ええ。少し強い力を使いすぎたみたいです。この体は、あれだけの魔術行使に耐えられなかった」
「当り前だ。お前は確かに膨大な魔力を持っているけど、体は十五かそこらの女の子なんだぞ! 幻惑を魔力量に任せて吹き飛ばしたって? どう考えてもキャパシティを越えているだろ!」
 おそらくリジィの製作者は意図的に彼女に少女の肉体を与えたのだろう。これが大の男なら反乱を起こしかねないからである。少女の肉体はリジィの枷なのだ。
「どうしてこんな無茶をしたんだ!」
「すみません」
 素直に謝ってくる彼女に二の句が継げず、ヤンチンは視線を逸らせた。
「すみません」
 リジィはもう一度繰り返した。ヤンチンは長く息を吐いた。
「もういい。もう済んだことだ。それよりももうこんなことは止めてくれ。幻惑なんか、お前には端から効かないはず。それを吹き飛ばしたのはウチャングのためだろう? あんな奴、死のうが生きようが構わない。それよりは――」
「ヤンチン」
「なんだ?」
「いえ……。何も」
 リジィは口ごもると視線を逸らせた。
 ヤンチンは血の気を失ったリジィの顔を見て眉間にしわを寄せた。
 ――やっぱり、リジィにはあの薬が必要だ。
 ヤンチンはタオルを冷水につけながらそう思った。リジィが普通の人間になることができたならば、こうして倒れることももうないだろう。こんな綺麗で小さな少女が無理をする必要などなくなる。
「ヤンチン……? その、怒ってますか?」
「いや、ホッとしている。リジィが無事でよかった」
「ヤンチン……」
 ヤンチンの優しい声にリジィの目が潤む。
「大好き、ですっ」
 がばっと布団を跳ねのけてヤンチンの首筋に両手を投げ出してくるリジィ。ヤンチンはそれをかわしながら、おしぼりをリジィの顔に押し付けた。
「ふぐっ。ヤンチン、濡れタオルプレイですか!」
 訳の分からないことを口走っているリジィを寝かしつけながら、ヤンチンは窓の外を睨んだ。
 リジィはアンバランスな体にリアルタイムで悩まされ続けている。
 すぐにでもその宿命から俺が解放してやると、ヤンチンの中でふつふつと炎が沸き起こっていた。
 彼女には普通の人間としての人生を歩んでほしかった。
 ……自分は他人のような両親に、自分の人生を滅茶苦茶にされた。魂すらも殺された。
 この金髪の少女には、自分の生きる道とは異なる道を歩んでほしい。普通の生活の中で笑っていてほしい。
 それが、心が死んでしまった自ヤンチンの望みだった。
 この少女に初めて出会ったとき、なんて綺麗なのだろうと骨抜きにされた。ついで擦り切れ、摩耗しきった自分を思い描き、彼女の横に並べてみた。ああ、やっぱりつりあわないとため息がでた。
 強い憧れ。この美しい少女にはこうあってほしいという願望。
 この少女には幸せになってほしいという切望。でも、真っ黒な自分に何ができるのだろうかと自嘲した。自嘲してから、それでも願い続けた。
 両親に捨てられて空っぽになってしまった自分。その前に現れた少女になんとも言えない感情を抱いてしまった、自分。
 その自分が彼女を見てから、自分は変わった。
 それはきっと、一目ぼれに似たものだったのだろう。

         ×             ×

 次の日は朝は、雲ひとつない快晴だった。
 結局ヤンチンの部屋で一晩過ごしたリジィには、大事をとって今日も一日眠って過ごさせることにした。今日はパーティーの日。同時に明神の書斎に薬の情報を盗みに入る日でもある。単独でこなす危険な任務だ。知ればリジィも手伝うと言いだすだろう。
 リジィは、教会に対して言い訳が立つ程度の働きをしていればいい。ヤンチンはそう考えている。だから今日のことは自分一人で決行する。リジィは大人しくしていてくれればいいのだ。
 ヤンチンは部屋で眠っているリジィを残すと、部屋を出た。
 そうして講義に出たものの、大したやる気も出なかった。リジィがいないので仕方なしにノートを取っていると、前で講義をしているカナは微妙に上機嫌だった。
 昼までの講義を終えると、ヤンチンは外へ出た。今日は夕方からパーティーがあるので午後の講義はないのだ。ヤンチンは個人営業の生活用品店まで出て行ってゼリーとプリンを買った。魔導書の体がどうなっているのかなどヤンチンは知らないが、リジィに関してはとりあえず人間の病人と同じように扱っても問題ないと思ってのことだ。川のほとりにある店で買い物を済ませると、ヤンチンはすぐに引き返した。そのまま自室ですやすやと寝息を立てているリジィを起こさないようにスーツに着替えると、部屋を出た。寮の外にはパーティー用のタキシードに着替えた男たちが思いの女性を捕まえようと口説いている最中だった。
 ――気楽なもんだ。
 ヤンチンはそう思いながら明神の書斎のある離れの方を見た。大きな建物だ。今さらながら明神邸の大きさに感嘆させられる。さすがこの辺りの魔術師を統括しているだけのこともあり、それに見合う、堂々とした邸宅である。
 ――あそこに、侵入しなければ、いけない。
 ごくりと唾を飲む。あの屋敷は明神の領域である。下手をすれば肉片も残らないくらいに木端微塵にされてしまう。覚悟を決めなければいけない。
 ――大丈夫だ。今まで無茶な任務をいくつも達成して来ているんだ。こんな田舎に引きこもっている魔術師程度、恐れるに足りない。
 すぅーと深く息を吸い込む。
 そこで、不意に背後で風の流れが変わるのを感じた。誰かの気配か。慌てて振り返ると、そこには昨晩出会った銀髪の少女が立っていた。
「離れ……。貴方、何か用事?」
 包帯を巻いた目をこちらに向け、少女が淡白な声でそう尋ねる。ダンスパーティーだと言うのに、和服を着ている。……と、和服は和服でも、動きやすいようにうまくアレンジしてある。裾に控え目にフリルなどが付いていて、妙に洋風かぶれな着ものだった。
「い、いや」
 返した自分の声は動揺を隠しきれないものだった。ヤンチンは教会で異端を処理するために修練を積んだ人間である。血のにじむようなその訓練のおかげで、背後からの奇襲もヤンチンには通用しないのである。それが、この年端もいかない少女に、完全に後ろを取られていた。
 ――コイツ……。
 ヤンチンはやや警戒気味に一歩後ろに足を引いた。
「そう」
 それだけ言ってその場から立ち去ろうとする少女。ヤンチンはその後ろ姿に呼びかけた。
「待てよ」
「……?」
 振り返ってくる少女。呼びとめたはいいが、そのあとは何も考えていなかった。
「あ、いや」
「私に、何か用?」
「えっと。アンタ、昨日あった奴だよな? 神社で石段に腰掛けてた」
「……」
「ここに来て長いのか」
 何を余分なことを言っているのだろうと思う一方、呼び止めて何もなしというあの神父のようなことだけはしたくなかったので、とりあえず会話を続ける。
 無言でこちらを見据える少女。見据えると言っても、肝心の目は包帯で覆われているのだけれども。
「私は、ここに来て二年」
「あの神社にはずっと一人で住んでいるのか?」
「最初は、兄さまと二人で。今は独り暮らし」
 ということはその『兄さま』と言うのは死んでしまったのだろうか。
「そうか、無粋なことを聞いたな」
 ヤンチンがそう言った時、ふと後ろから声を掛けられた。振り向くと、カナとウチャングがこちらへ歩いてくるところだった。カナは膝までのスカート丈の白いドレスを身にまとっていた。ウチャングはタキシード姿だった。
「エリザベスさんの容態はどうです?」
 ウチャングが開口一番に尋ねてくる。
「大丈夫だ。すぐに良くなる」
 ヤンチンがそう返すと、二人はホッと胸をなでおろした。
「モモハナ、来てくれたんだな」
 カナの言葉にモモハナは包帯ごしに無反応に見つめ返すだけだった。
「この調子で明日の授業にも顔を出してくれ。教鞭をとっているのはお父様ではなく、私だが、退屈はさせないつもりだ」
 にこにことカナはそう言った。
「じゃあ僕たちはこれで失礼するよ。僕たちは最初に踊るからね。準備しておかないと」
「踊る?」
 ヤンチンが訝しげに尋ねた。ウチャングは一瞬あっけにとられたような顔になったが、すぐに笑い出した。
「嫌だな。今日はダンスパーティーですよ。みなさんが必死になって女性を口説いているのもそのためです。なにせ皆プライドが高いですからね。ダンスの相手がいないとなると比喩で無く本当に顔から火が出てしまいますから」
 ウチャングはそう言って悠然と周りを見回した。
「ウチは男性に比べて女性の比率が少ないからな。取り合い必至だ」
「それじゃ、僕たちはこれで失礼します。エリザベスさんによろしくお伝えください」
 ウチャングはカナを促すと、明神邸の奥にある武道館――今宵はパーティーの会場になる場所――へと歩いて行く。
「ウチャング……!」
 不意に鐘の音のような甘い声が響いた。ヤンチンが驚いて横を見る。モモハナが去りゆくタキシードの後ろ背に引かれるように一歩前に踏み出していた。
 ウチャングとカナの足が止まる。カナはこちらに振り返ったが、ウチャングは振り返らなかった。
「あの」
 モモハナはウチャングを引き止めてしまったことに自分でも驚いているようだった。
 いつの間にやらざわついていた周囲の皆が静まりかえり、中央に立つウチャングとモモハナとに視線を集中させていた。
「その人と、踊るの?」
 モモハナは散々まごついたあと、やっとそれだけを言い終えた。
「そうだ」
 ウチャングは一言そう返すと、カナの手を引いて今度こそ武道館へと去って行った。
 モモハナは何かに耐えるように唇を噛みしめると、何を思ったのかウチャングの方へ駈けだそうとした。走りだそうと一歩踏み出したのは良かったが、そこで何かにけ躓いたように前につんのめり、そのままびたーんと地面に頭から突っ込んだ。
 周囲が無言で視線をそらす。女子の中には笑っているような輩までいた。
 ヤンチンもその場を離れようと無言で踵を返したが、倒れているモモハナの白い足首が一瞬リジィのものとかぶり、足をとめた。
 見ると草履の鼻緒が切れてしまっているようだった。しばらくモモハナを観察していると、モモハナは立ち上がって土を払い、切れてしまった草履の鼻緒を修復の魔法でつなぎ直した。
「大丈夫か?」
「……平気」
 モモハナはそう呟くと正門へ向かって歩き出した。どうやら町へ出て行くらしい。ヤンチンはその様子を確認した後、ふう、と息を吐いた。

      ×                 ×

 夕方になり、パーティーが始まった。午前三時まで行われるというダンスパーティーは、カナとウチャングのダンスから始まった。広い武道館には見事な紫色のじゅうたんが敷き詰められ、しゃれたパーティー会場へと変身していた。
 明神がカナとウチャングのダンスを目を細めて見入っている。そんな彼の様子を見やりながら、ヤンチンはテーブルの上の食事を腹に詰め込んでいた。あと少しでミッション開始だ。その前に腹ごなしをしておかなければならない。最悪、失敗して、この町から脱出しなければならないはめになるのだ。そのときに備えて黙々と栄養補給する。周りの男たちはまだダンスの相手を探していた。女性は女性で自分を取り合って水面下で威嚇しあっている男たちの様子を見ているのが楽しいのか、相手をなかなか決めずに男どもをじらしている。
 ヤンチンが手近な皿に一切れだけ残っていたサンドイッチに箸を伸ばそうとする。するとその矢先、いきなり横から伸びてきた手にサンドイッチをかすめ取られてしまった。
 わずかに苛立ちを覚えながら伸びてきた手の主を見る。
 モモハナだった。モモハナもヤンチンと同じように食事をもぐもぐと咀嚼している。
 もぐもぐ、ごっくん。モモハナは口の中のものを飲み込むと、ヤンチンの視線に気づいたのか、こちらに顔を向けてきた。
「…………変な顔」
「うるさいわ! お前な、さっきお前が食ったカツサンド、俺のものだったんだ! なんで俺が取ろうと箸を伸ばしたものを横から取るんだよ!」
「たかがサンドイッチ。日本人なら、こだわらない」
「俺は日本人じゃない。……ふん、まあいいさ。俺もサンドイッチごときで大人気なかった。ただ人の顔見て『変な顔』はないだろ」
「私も、言いすぎた。ごめんなさい」
「なんだ、素直じゃないか」
「兄さまに言われた。相手が怒ったら、ごめんなさい」
「まあ基本だが、むやみやたらと謝るのもよくないな。その『兄さま』とやらの言い方では誤解を招く。自分が正しいと思ったときは謝らなくてもいいんだぞ」
「じゃあ撤回。カツサンドは私のもの」
「…………」
 付き合うだけ無駄だ。ヤンチンは無言でそのテーブルを離れた。別のテーブルに移ってから、何の気なしにモモハナを盗み見る。モモハナはもぐもぐと料理を平らげながら、しきりに中央で踊る二人の方を気にしていた。
 曲が止み、二人が踊るのを止める。同時に何組もの男女が真中へ躍り出る。
 ヤンチンはため息をつくと、すっと武道館から抜けだした。
 できるだけ自然な形で抜けだしたが、背中にウチャングの視線を感じたような気がした。
 ――追ってくるか?
 武道館の入り口で少しの間足を止めるが、ウチャングはすぐに興味を失ったのか、感じていた視線も無くなった。ヤンチンはほくそ笑みながらその場を後にした。

        ×              ×

 武道館を出て、木の陰に隠れる。武道館にかかっている音楽が遠くに聞こえる。ポケットから革の手袋と顔を覆う頭巾、それと黒いコートを取り出して装着する。懐をまさぐって教会特製の支給品の投摘武器、ダーツを取り出す。ダーツ、と言っても羽が付いた洒脱なものではなく、人を殺すために造られた武骨な針である。闇色のそれが所定の位置にきちんとしまわれていることを確認すると、ヤンチンは強い夕日の中、離れを目指した。
 音楽が聞こえなくなり、静寂があたりを包み込む。見事な枯山水を横切る。幼い頃の記憶をたどるようにヤンチンは枯山水を回り込む。確か書斎は地下にあったはずだ。子供の頃一度だけ入口までではあるが案内してもらったことがあった。
 ヤンチンは靴の裏を手早く拭うと、離れの中へと進入した。
 進入した矢先、感知の結界が張ってあることに気が付く。ヤンチンは素早く周囲を見回すと、結界の起点を探した。教会の命令で他のエージェントともに魔術師の工房に侵入することはよくあった。結界の解除などお手のもである。
 ――お手の物だが。
 ヤンチンは舌を巻いた。結界破りは得意中の得意だったが、この明神の結界は非常に難解なものだった。
 なんとか起点を見つける。起点は離れを支える柱の一つから始まり、螺旋を描くように結界の背骨とも言える支柱へと続いていた。
 結界の柱に刻まれた魔法陣を一つ一つ破壊して行くこと一時間。やや時間がかかったが、支柱まで全ての魔法陣を無効化することに成功する。ヤンチンは武道館の方から誰か近づいてこないか、目を閉じて人の気配を探った。
 数十秒後、こちらに向かってくる気配はないと判断したヤンチンは、離れの支柱の側を離れて奥へと進んだ。記憶を掘り起こす。長い回廊には通るものを惑わす幻惑の魔法が掛けられていたが、鍛え上げられたヤンチンの精神はそんなもの意にも介さない。先へと進んでいくと、二階へと続く階段にたどりついた。
 ――確か、階段を上ったあと、突き当たりのドアを開けると、地下の工房への階段があるはず。
 影のように階段を上り、記憶通りにドアを見つける。ヤンチンは音もなくドアを開けると、するりと中へと滑り込んだ。

            ×               ×

 閉められたカーテンの隙間から強い西日が差しこんで来ていた。リジィはその赤い光がまぶしくて目を覚ました。ゆっくりと体を起こす。先日無茶な魔術行使――といっても、体内の魔力を外に向かって一気に放出しただけの魔術とはよべないただの力技なのだが――のせいで体は機能を一時停止していたのだ。
 白い手を握ったり開いたりする。どうやら機能は回復したようだ。
 それにしても不便な体である。リジィの、いやリジィ達を造った製作者である男は、おそらくは彼女たちの反乱を恐れてこのような不完全な体をリジィ達に与えた。これが筋骨隆々の健康な男の体ならば、リジィは何の弊害もなく強力な魔術を自力で発動できるようになるのだ。人に使われることを目的として造られた魔導書が、そんな体を持っていれば、反旗を翻したときに手の着けようがなくなる――それが製作者の考えだ。
 もっとも、リジィはこの美しい身体を気に入っている。率直に言えば逞しい男の体など不要である。ヤンチンにそっちの気は無いし、こうして綺麗な姿かたちをしている方がヤンチンも愛しやすいだろう。
 ふと机の上を見ると、レジ袋がちょこんと乗っていた。起き上がって中を確認してみると、リンゴゼリーとプリンが入っていた。
「ヤンチン。冷蔵庫にも入れずにこんなところに放り出して」
 と、そのレジ袋の横に走り書きされたメモが置いてあった。
 これ食って大人しくしていろ。
 筆記体で乱雑に書かれたそれをいとおしげに撫でて、リジィは「ヤンチン……」と呟いた。
 最初は声に魅かれた。あの低く無感情な声にどきりとして、これを耳元でささやかれた自分はどうなってしまうのだろうと考えた。そう考えたあと、魔導書であるはずの自分をこんな気持ちにさせたヤンチンの事が不思議な存在に思えた。彼自身に興味を持ったのだ。手負いの獣のようなあの男に、どうして自分は魅かれてしまったのかをずっと考えた。考えても分からなかったので、彼に付きまとってみた。そうしたら、ヤンチンも根は優しい青年なのだということに気が付いた。
 そう考えたら体中が熱くなって、急に彼を独占したくなった。もう放したくない、私のことだけ見ていてくれればいい、幸せにしてあげるから、だからヤンチン、そばにいて、とそう思った。
 その強い欲求を、理性を総動員して抑え込んだ。今は大分慣れてきたけれども、昔は酷かったのだ。一種の精神病だったと言ってもよいかもしれない。魔導書に精神病なんて、魔術師が聞いたら腹を抱えて笑いだすだろうが。
「ヤンチンにはお仕事がありますもんね……」
 リジィは夕焼けの光に手をかざしながら呟いた。
 ヤンチンが自分に黙って危険な仕事をたくさんこなしていることは何となく分かっていた。でも、それを指摘すれば、邪魔な奴だと思われて捨てられてしまうかもしれない。根は優しいと言っても、根以外は冷酷な男だ。合理的に考えて自分が必要無くなれば、ヤンチンは躊躇なく自分を捨てるだろうとリジィは考えていた。
 だから、自分はそんなヤンチンを見守っていることにした。見守って、無事を祈る。それでもしヤンチンが窮地に立たされたのなら、そのときは命を投げ打ってでも助ける。
「ヤンチン」
 呟いたあと、くらりとよろめく。もう少しこの体には休息が必要なようだ。リジィはヤンチンのしいてくれた布団にもぐりこんで、目を閉じた。

            ×               ×

 書斎は、離れの静けさに輪をかけて静かだった。地下にも関わらず、うまい具合に西日が差しこんで来ていて、その光でほんのりと明るかった。夜のホテルのロビーのように淡い光に照らされた書斎には、たくさんの書籍が並んだ本棚が左右にあった。ヤンチンはそれらを素通りしたあと、中央に置かれた机に近寄る。机には丁寧に結界が張られていたので、それも手早く解除してしまう。
 ヤンチンはそっと引き出しを開けた。
 ――あった。
 命の霊薬と名が打たれた分厚い紙束を慎重に取りだす。パラパラとめくって重要そうな個所をデジタルカメラで撮って行く。
「……チ。肝心の材料が明記されていないみたいだな」
 ヤンチンは資料に目を通しながらぼやいた。普通に考えたら、重要な部分は文書にしたりするはずが無い。この文書は広く一般に知識を広めるために作られたものではないのだ。子孫に伝えるためだけに書かれたのだ。自分の子孫が資料を見たときにだけ、完璧にその内容が伝わるように。おそらく、重要な個所は口伝によるだろう。
「小難しい理論の話ばかりか。でもこれならなんとか俺でも」
 俺でもできるんじゃないか。そう思った。
 最後のページをデジカメで撮影し終わる。ヤンチンはデジカメを懐の奥底にしまい込む。と、そこで論文の最後に『魂の壺』という言葉が目に着いた。目に着いた個所は結論だったので、手早くもっと詳細にその壺に関して書かれている個所を探す。
 カラー印刷された壺は美しかった。全体的に深い青色をしていて、金の線や銀の線で見事な模様が描かれている。写真の下に、この壺に魔力をため込むと小さい字で書かれている。
「――」
 俺でもできるかもしれない、という不確かな予想は、俺でもできそうだという確信に変わりつつあった。要は材料集めてこの壺にぶち込んで、儀式を行えばいいのだ。理論をすっ飛ばしてやり方だけ真似てみればいい。若干不完全なものになるかもしれないが、何も魂まで一から作り直すわけではないのだ。リジィに合った肉体を作ることができればそれでいいのである。あとはリジィがその体に魂を定着させてそれで終わり。この理論の概略によると、魂の再生により多くの魔力が必要になると言うことだから、肉体だけならかなり簡単……なはずである。
 自分に魔術は使えない。だけど調合程度ならなんとかなるかもしれない。
 これからすぐにでも、リジィを自由な体にしてやれるかもしれない。
「何を馬鹿な……ッ」
 儀式は明後日と聞く。ならばそれまで待っていればいいことじゃないか。そんなにあせることではない。
 ――でも二年間ずっと探してきた答えが、ここにあるかもしれないんだ。
 彼女に出会って、彼女を助けると誓って、気が付けば、はや二年。自分は何も成果を出せずにいる。答えが出ずにいる。
 ふと、机の横を見た。黒い、大きな金庫。ちょうど一つ壺が入りそうな大きさだ。このタイミングでこの金庫が目に入ってくるなんて天使か悪魔かが自分を導いてくれているとしか思えない。ヤンチンはゴクリと唾を飲み込んだ。これで彼女は人間になれる。そうしたら、自分は――。
 自分はどうするのだろうか。彼女が人間になって、自分は、どうする? そんなのは決まっている。自分は。
 彼女と一緒にいたい。でも自分は汚れている。心が死んでいる。こんな自分が彼女のそばにいていいのだろうか。今まで彼女の好意を拒んできた理由。それは自分が彼女にもっともふさわしく無いと自分で良く分かっていたからだ。だと言うのに何を今さら世迷言を言っているのだ。
 彼女を人間にして、普通の少女にして、それを外から眺めていたい。それは彼女を助ける理由だ。屈託なく笑う彼女を見てみたい。そうだ、そのために自分はここまで来た。
 だけど、じゃあ、彼女を人間にした後は、自分はどうするのだろうか。今まで考えもしなかった疑問だ。何故、ここに来て、このようなことに頭を悩ませなければならないのか。
 金庫は――魔術的な鍵は多重にかけてあるようだが、肝心の物理的な方面に弱そうだ。この程度なら自分なら一分とかからず解錠して見せる。
 彼女を助けて、自分は――自分はどうするのだろうか。
 その答えがこの先にある。
 そうして、ヤンチンは一度瞬きをした。荒い呼吸を落ち着けて、泥酔したときのような視界をもとにもどそうとする。
 気が付けば、金庫は開いていた。
 ヤンチンは頭巾の奥で目を見開いた。
 金庫の中は、空。
 代わりに金庫の床には、魔法陣が紫電を散らしていた。

         ×               ×

 え――? と。ヤンチンは間抜けな声を出した。しばらくの間、状況が理解できず、紫色に輝く魔法陣とにらみ合う。しんと静まり返った明神の書斎に、一つ、魔法陣が散らす火花の立てる音が響き渡った。
 そうして、目の前の魔法陣の形から、昔自分が魔術を習っていた時の記憶を想起させる。
「幻惑の、魔法陣……!」
 息をのんで呟いた時には、もう大きな音を立てて書斎の扉が閉まっていた。
「ふん、間抜けな犬がかかりおったか」
 同時に部屋に響く明神の声。その時には、ヤンチンはもうドアに向かって突進していた。ドアノブを回す。開かない。反動をつけてドアを蹴り破る。そのまま地上へと出る階段を駆け上る。頭の中は後悔でいっぱいだった。自分が見せた気の迷い。そのせいで明神の仕掛けた幻惑にいいように弄ばれた。
「くそッ。ここのドアも開かないのかよ」
 二階へと出るドアをガチャガチャと揺らす。再び反動をつけてドアを蹴り破る。赤い夕陽が、闇に慣れた目を刺す。
「侵入者だ! 殺せ! 殺せぇ!」
 明神の声が拡声器で拡大されたもののように屋敷中に響き渡る。ヤンチンはのどがカラカラに乾いていくのを感じた。
 ――まずい……!
 武道館方面から大量の人の気配がこちらに向かってくる。ざわめきが伝わってくる。
 一階に降りていては囲まれる。
 ヤンチンは廊下の窓に体をぶつけた。ガラスを一撃で粉砕してそこから屋根の上に転がり出る。瞬間、何かが風を切って飛んでくる音がした。
 何も考えずに横に跳ぶ。すると先程までヤンチンがいた場所にオレンジ色を反射する鎖が飛んできた。
「明神師の工房に潜入するなど、愚かにもほどがありますね」
 ジャラララと鎖を蛇のようにのたくって、その操り手のところに戻って行く。ヤンチンは頭巾の奥から対峙する敵を睨みつけた。
 キム・ウチャング。
 銀のメッシュが入った黒髪が風にざわつく。触れるものを凍らせる鎖がウチャングを守るように球形に展開される。
「氷漬けにしてあげますよ」
 ウチャングはその細い目に冷たい殺気を含ませた。

            ×               ×

 夢を見ている。
 自分でもこれが夢だと分かっている。
 金の髪を揺らしながら、リジィは本棚の上にいた。うずたかく積まれた本たち。開け放たれた窓から吹き込んでくる、五月の風。海流のおかげで温かいこの国では、もう青葉が茂っていた。
 自分は本たちと一緒に、英国のとある図書館で眠っている。眠っている、という表現はいささか間違いかもしれない。正しくは、使われずにいる、だ。次の使い手が来るまで図書館に幽閉。それが今の彼女の状況だった。そう、他の蔵書とともに眠っているのだ。
 次の担い手は誰か。
 若葉の香りのする風に金の髪が乱れる。
 リジィはその翠緑の瞳を細めて窓の外を見た。高い位置にある窓。そこから外を眺める。
 『巨人の書(ルビ:コード・タイタン)』。それが彼女に与えられた名前だった。神話の世界、ギリシアの神々が支配するよりも前に世界を統べていた巨人族。巨大な神達。彼らの魂を現世で再現する魔術が、彼女には書き記されていた。名前を唱えれば解放される巨人の力。それは強力な兵器だった。
 そんな彼女を狙う不届き者も何人かいた。いたのだが、それらを彼女は例外なく弾き返していた。人殺しに使われる自分の力。それをただでさえ疎ましく思っているのに、そいつらに着いて行けばさらにそれを乱用されるに違いない。
 自分は不幸だと思った。というか、自分なんてどうでもよくなった。
 だから気まぐれに、やって来た教会のスパイに自分から着いていった。
 そうしたら、異端審問にかけられ、気が付いたら自分が破棄されることになっていたのだ。びっくりした。びっくりして、死にたく無くて、冷たい牢屋の中でずっと泣いていた。
 その時だった。あのコ・ヤンチンに出会ったのは。
 食事を運んできた黒い獣のような青年は、パンとミルクの乗ったトレイを持ったまま、じっとこちらを観察していた。だいたい、自分を最初に見た男はこのような反応を示す。リジィはそれが嫌で嫌で仕方なかった。女性ならば、岩と岩の間からにじみ出るような嫉妬の感情を。男性ならば、――言う必要がないだろう。
 だけど、その青年に見られるのは不思議と嫌ではなかった。
 その時、東洋人の青年は、唐突に口を開いたのだ。
「ただの小娘じゃないか」
 怪物みたいな奴かと思っていたけど、予想が違った、と青年になったばかりの少年が呟く。
 ひっく。としゃくりを上げた。
「死にたくないのか?」
 無機質な低い声。
 その声に、訳もなく自分は魅かれていた。
 気付いたら、自分は頭を縦に振っていた。

「っ」
 リジィはがばっと身を起こした。夕日はもう随分と陰っていた。
 周りを見回してそこがヤンチンの部屋だということを確認してホッとする。それから夢の内容を反芻した。
「ヤンチン……」
 熱くなる胸に両手をあててため息を漏らす。
「ヤンチンは、私のことが、好き、ですか……?」
 呟いてから、頬がぽっと熱を帯びる。
 時間を確認する。大丈夫だ。まだパーティーは始まったばかりだ。体はもう治っているから、ヤンチンにおねだりして一曲踊ってもらおう。ヤンチンはこのダンスパーティーに興味の欠片も示していなかったが、リジィは密かに待ち焦がれていたのだ。ヤンチンには秘密でこっそりドレスも買っていたりもする。
「あ、ドレスはスーツケースの中でした」
 不意に思い出す。スーツケースはいまだあの公園に置いてある。
 リジィは立ち上がると、衣服の乱れを直し――そこで、異常に気が付いた。
 外の様子がおかしい。
 妙に騒がしく、そのざわめきがここまで伝わってくる。一体、何があったというのか。
 リジィは窓ガラスに歩み寄り、カーテンを勢いよく開けた。
 その瞬間、何が起こったのかをリジィは把握した。

         ×             ×

 まだ夕日の光が強い中、ウチャングの操る鎖が蛇のようにうねる。ヤンチンはそれをすんでのところでかわしながら、屋根から下に飛び降りた。
 固い地面に転がって勢いを殺す。獣のように四つん這いになって屋根の上の敵を見据える。
 ざわめきが起こり、正装した男女がさざ波のようにヤンチンから離れていく。
「殺せ! そやつがわしの儀式を脅かすものだ! 奴を八つ裂きにせよ!」
 武道館から出てきた明神が怒号を上げる。
 勇敢にも何名かの男女が突然の闖入者に照準を合わせる。多重に響く詠唱の中、ヤンチンは懐からダーツを取り出し、一挙動で投げ放った。
 両手の指の間に挟まれ、射出されたそれらは合計八本。
 咄嗟に魔術で防壁を生み出す魔術師たち。しかし、ヤンチンのダーツは特別製だ。魔術師たちの防壁をガラスのように砕いたダーツは、八人の魔術師の胸に突き立った。びくりと痙攣してその場に倒れる魔術師たち。急所は外してあるが、あの様子ではもう立つこともできないだろう。
 魔術師たちの胸に突き立っているダーツが青い炎をあげて燃える。一瞬にして聖書の切れはしになったダーツ群は少しの灰を残して消滅する。
 周囲がどよめく。教会の猿だ、と誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。
 ヤンチンは前傾姿勢で人垣の一角に突進した。
「逃がしませんよ!」
 ウチャングの鋭い声とともに背後から鉄が地面にすれるような音が急速に追いすがってくる。
 横に跳ぶ。空を切った鎖が数メートル左で跳ねる。そのまま受け身を取って身を起こしたヤンチンは、振り向きざまに再度ダーツを投げ放った。ダーツは執拗にヤンチンを狙う鎖と衝突し。火花を散らす。ダーツが弾かれ、勢いがややそがれた鎖が、ヤンチンの脇腹をかすった。
 鈍い痛みが走る。びきり、と右のわき腹が凍る。
 それを無視して、ヤンチンは屋敷の正門から外へ転がり出た。同時に追いすがってくるウチャングに再三ダーツを構える。腕を鳥の羽根のように広げたヤンチンが、左右から包み込むようにダーツを投げ放つ。それで詰めだ。鎖を防御に回したウチャングの射程から、ヤンチンは完全に逃れた。
「く……ッ。逃げるのですか!」
 ウチャングはそれであっさり諦めてしまったのか、そんな声が後ろから聞こえてくる。
 ヤンチンは振り返りもせずに全速力で公園方面を目指した。
 ――まだだ。まだ彼らに素性はばれていない。このまま逃げ切れば、何とかごまかしがきく!
 このまま公園を経由して川を渡って町の境の森に逃げ込む。それから大回りして明神邸に戻る。
 夕暮れの中を走りながら、ヤンチンは携帯電話を取り出した。
「リジィか。もし魔術師たちが部屋に近づいてきたら、躊躇せず逃げろ。公園の先、川を渡った対岸にある森の中で待ち合わせだ!」

 その頃明神邸では、刀を手にした明神カナが離れから出てきていた。明神は自分の工房に侵入してきたうつけ者を取り逃がしたことに歯ぎしりしていたが、娘の登場に口の端を釣り上げた。
「追え、カナ。奴をひっとらえるのだ。お前の『速さ』からは、何人も逃れえんわ」
「仰せのままに」
 白いドレスのまま、日本刀を携えた少女は父親に向かって一礼する。直後、周囲の魔術師たちにどよめきが巻き起こる。風だ。一陣の風が皆の合間を縫うように吹き抜けたのだ!
 桜の花びらが舞い散る中、旋風は徐々におさまっていく。
 たった今まで明神の前で頭を垂れていた少女の体は忽然と消えていた。あとにはくつくつと笑う明神だけがたたずんでいる。
 猟犬は、放たれたのだった。

            ×               ×

「いいか、とりあえずはそこを動くな。とにかく待機だ! わかったな」
「わ、分かりません! ヤンチン、今何をしているんですか! 外、なんだか魔術師がいっぱいで、そこかしこが氷だらけです。何かあったとしか」
「質問はあとだ。カーテンを開けているなら閉めろ」
「もう閉めています! それよりも」
「っ!」
 ヤンチンは息をのんだ。
 追われている! しかも追手はものすごい速さで追いかけて来ている。抗議を続けるリジィとの会話を強引に断ち切り、携帯電話を懐に戻す。
 ――まずい。これはとても逃げ切れない……!
 一瞬のうちに判断を下す。目の前には公園がある。公園の周りには木々が植えられている。ヤンチンは気配だけを頼りに後ろに向かってダーツを投げ放った。そのまま体を反転させながら、木々の中に融け込む。
 ダーツは牽制だ。まともに命中させる気などなかった。ヤンチンは敵の姿を確認しようとして、目を見開いた。
 白い影が、夕日を反射しながら木々の幹を伝って高速でこちらに迫ってくる。
 ――速い……ッ!
 まさに疾風だ。
 まずい、と思った瞬間には、視界に明神カナの顔が大きく映っていた。同時に、ずぶりと左の脇腹に何かが刺さる感触。続いて激痛。ヤンチンはマスクの下で口の端から血をこぼした。圧倒的な運動エネルギーにそのまま後ろに弾き飛ばされる。木々の間を抜けたら、そこには桜木の西端を流れる大きな川だ。
 赤く染まった空が反転する。背中に走る衝撃。
 日本刀でそのまま河原に縫い付けられる。ヤンチンに馬乗りになるカナ。肺の中の空気を全部叩きだされるような衝撃に ヤンチンの意識が遠のく。それでも何とか耐えて、ヤンチンはカナを蹴り飛ばした。カナは舌打ちすると、日本刀をヤンチンの体から引き抜いて、獣のように後方へ下がった。
 刀を引き抜かれたせいで、傷口からぼたぼたと出血している。心臓が鼓動を打つたびに傷口から自分の命が流れ出しているのが分かる。
「その傷ではもう戦えまい。大人しく投降しろ」
 カナが刀の切っ先をヤンチンの鼻先に突きつける。
 ヤンチンは荒い息を繰り返しながら目前の敵を観察した。どんなときも冷静に、ただ客観的な分析だけを行う。それは教会で修練を積んだ時に散々教え込まれたことだ。戦うのを止めるのは死んでから。それまでは、常に百パーセントに近い力で戦い続ける。死の一歩手前まで、敵を倒すことだけを考え続ける。
「このダーツ」
 カナが武骨な紫色の針を右手で揺らして見せた。ダーツが燃え上がり、一瞬聖書の切れ端に戻る。そのままカナの手から灰となってこぼれ落ちた。
「教会のものだな。教会と魔術師協会は表向きとは言え調停を結んでいるはずだが、どういうつもりかな? 答えろ」
 カナの言葉に殺気がこもる。常人ならばそれだけで息が止まってしまうであろうものを、ヤンチンは平然と受け流す。
 敵の魔術は間違いなくあの『速さ』だ。視認すら難しい風のような動き。あれが日本刀などという優れた武器を持っている以上、初見では対応しきれない。
 倒すのは不可能だ。ヤンチンは目の端で川の対岸にある森を見た。倒せない以上、森に逃げ込むのが一番の良作だろうか?
 カナはしびれを切らしたように口を開いた。
「答える気はないと。ならばこちらも実力行使に出るぞ。死にたくないのなら。手を挙げて、そのままゆっくりとうつぶせになれ。大人しくしている限りは貴方を殺さない」
 カナの声を聞き流しながら、周りの地形に目を走らせる。
 このような遮蔽物の無いところで戦うのは自殺行為だ、とヤンチンは分析する。
 しかし、公園の林に戻ったところでもし他の魔術師が追いかけてきていたなら、挟み撃ちになってしまう。それだけは絶対に避けなければならないことだ。
 となると、やはり対岸の森に逃げ込むしかないということになる。
「さあ、悪いことは言わない。投降しろ」
 カナの言葉に、ヤンチンは低く身を落としながら沈黙を守る。いつでも反応できるように体のばねを収縮させる。何としても初撃を受けきる。そのあと、あの『速さ』をなんとかする。それしかなかった。
 敵の動きは視認するのがやっとだ。だから、倒すにせよ、逃げるにせよ、その動きを止めなければどうにもならないのだ。
「そうか。投降する意思はないと」
 カナはそう呟くと、日本刀を構えなおした。カナの体が沈み込む。
 ――来る。
 ヤンチンが目を見開いた瞬間、カナの姿がかき消えた。風を切る鋭い音が、ヤンチンの耳に突き刺さる。直感的に腰をひねり、右手に構えたダーツで肩口をかばった。
 高い金属音が響く。重い衝撃がヤンチンの右手に伝わってくる。
 左の肩から袈裟に振るわれる日本刀が受け止められ、カナは再び加速を開始した。
 殺気が頭上から接近する。ヤンチンは崩れた姿勢のまま地面を転がる。同時に先程いた空間を刀身が一閃する。空振った日本刀はそのまま翻り、一気にヤンチンの心臓めがけて突っ込んでくる。稲妻のように突き出される一撃。それを左右に交差したダーツで受け止める。ダーツと日本刀の刃の接触点が火花を散らす。刀の軌道が逸れてヤンチンの頭上へ抜けて行く。次の瞬間には両腕にかかる圧力から解放されていた。風の音から敵が銅を薙ぎ払いに来ているのを理解する。理解し終わった頃には後ろに跳んでいた。
 ヤンチンが目を見開いた。刀は逃げるヤンチンを追尾するように胴に吸い込まれていく。
 鋭い痛みが走る。濡れた布を引き裂くような音が響く。
 間に合うはずもなかったのだ。動きは向こうの方が何倍も速いのである。向こうの一閃に気付いた瞬間に、完全にかわしきるなどということは不可能だった。
 ヤンチンの銅はまだつながっていた。斬撃の瞬間、河原の小石で偶然足を滑らせたのだ。それで意図せず致命傷を避ける形になったのだった。
 敵はそれでも執拗に攻撃を続けてくる。心臓、喉、眉間。三つの急所を同時に突いてくる。しかし、心臓への一撃をダーツで防ぎ、その勢いで後ろに跳ぶ。空を切る敵の二連撃を前にヤンチンはダーツを投擲した。カナの姿がぶれる。必殺のタイミングで放ったはずのダーツが、カナの残像の向こう側へと消えて行く。ヤンチンは川の中へと着地した。
 舌打ちするカナの気配が伝わってくる。水の抵抗でカナのスピードが若干低下する。ヤンチンは後退しながら再度ダーツを投擲した。
 悪くなった足場にもかかわらず、カナは楽々とこちらの攻撃をかわしてくる。わずかに体を沈み込ませたカナはそのまま超加速をもって一気にこちらに間合いを詰めてくる。踏み込みと同時の斬り下ろし。間合いなど関係無いかのような必殺の一撃。それをヤンチンは両手の指にはさみこんだ八本のダーツで迎撃する。弧を描き頭上から振り下ろされる刀の軌跡に刃を合わせる。
 金属が軋みを上げる音。散る火花に目が眩んだ、一瞬、敵の体がふわりと浮きあがった。
 信じられないことに、カナはダーツと刀の衝突点を支点にして、空中で身をひるがえしていた。ヤンチンが目を見開く。まずいと思って身を避けようとするが、間に合わない。崩されたバランスのまま、敵の右足がヤンチンの後頭部を狙う。一撃で意識を刈り取ろうとしているのか、スローになった視界の中でカナの右足は異様な唸りを上げてサイドから迫って来ている。
 無理に身をひねる。間に合わなくたっていい。とにかく体をずらさないと、このままではやられてしまう。
 首を反らす。次の刹那、カナの足がヤンチンの喉を強打した。
「ガ……ッ」
 喉が一撃で潰される。そのままもんどりうって水しぶきを上げながら転がっていく。もう遅すぎる迎撃だと知りながら、ヤンチンはダーツを構えなおした。
 だが、意に反して追撃は無かった。かすむ視界の中、激しくせき込み、吐き気を抑えながらヤンチンは前方を見据えた。カナが停止している。
 それも数秒。再びカナの体がかき消える。しかし再度の急襲はヤンチンも予測していた。そのまま振り向きざまにダーツを投げ放つ。予想通りヤンチンの背後で減速したカナを捉える。カナは舌打ちを漏らすと、振りかぶった日本刀でダーツをたたき落とした。
 高い金属音が河原に響き渡る。そのわずかな一瞬に、ヤンチンは対岸の森に、木に紛れて立つ孤影を確認した。
 金の髪がオレンジ色を反射して、不思議な色彩をつくりだして揺れている。リジィがその翠緑の瞳をこちらに向けてたたずんでいた。
 一瞬で全てを理解したヤンチンはひるんだカナをしり目に対岸に向かって駆け出した。
「逃がさん……ッ!」
 後ろから追いすがってくるカナ。しかし彼女は木の側にたたずむリジィを目にして減速した。
「カナ……さん?」
 リジィが呼びかける。
 減速したカナの足が深く水中に沈み込み、その抵抗にバランスを崩す。
 一呼吸程の時間。文字通りあっという間に、ヤンチンは対岸にたたずむリジィを羽交い絞めしてダーツを首筋に突きつけた。
「っ。エリザベスさんッ! どうしてこんなところに!」
 態勢を立て直したカナが血相を変えてリジィに呼びかける。リジィは切羽詰まった声を出した。
「あ、……は、放して下さい!」
 カナが日本刀を正眼に構えて、その黒々とした瞳に強い意思の光を宿しながら、言葉を紡いだ。
「教会の者! 人質を取るとは卑怯だろう! 貴様とて神の教えとやらを忠実に代行する者のはず。このような追剥まがいの行為などせず、正々堂々とかかってこい!」
 リジィは身をよじって叫ぶ。
「か、カナさん。わ、私に構わず……やって下さい!」
 リジィが迫真の演技でカナに訴えかける。
「そうはいかない」
 カナはぴしゃりとリジィの言葉を切り捨てる。
「教会の者よ。貴様の体術は見事なものだった。私の刀をあそこまで受けきれる貴様の技量を認めよう。貴様の技にはよどみがなかった。一切の邪念を振り払い、清涼な闘志のみをまとった打ちこみは称賛に値する。一心に己を鍛え上げてきた賜物だろう」
 ヤンチンは頭巾の下で眉をひそめた。いきなり何を言い出すのか。それに、一心に鍛えてきただと? そうしなければ教会は自分を生かしてはいなかったから、そうしていたのだ。田舎で才能と環境に恵まれたお嬢様風情に評価されるいわれはない。
 にわかに殺気だったヤンチンの方を静かに見据えながら、カナは続けた。
「貴様は優れた武人だ。それが、そのような誇りを汚すような行為をしてもよいと言うのか。かよわい少女を人質に取るなど、武人の風上にもおけんぞ」
 ヤンチンは知らずにリジィの腕に力を入れていた。それに思わず反応してしまったのか、リジィが小さく喘いだ。カナがじりりとこちらににじり寄ってくる。
「来るな。それ以上近づけば、殺す」
 ヤンチンは潰れたのどで低く唸った。カナの足が止まる。
「貴様には良心と言うものが無いのか。そのような子供に手を出すなど、まっとうな人ではない。信仰の前には年端もいかない少女ですら生贄にするというのか」
「信仰?」
 思わず苦笑交じりの一言が口をついて出てしまった。
「そうだ。神の教えを守るべきだろう。それが貴様らの矜持ではなかったのか」
 挑発してくるカナ。カナの狙いはこのまま時間を稼いで、応援が駆けつけてくるのを待つことだ。明神邸の方向からはそのような気配は一切伝わって来ないが、誰かが来るのは時間の問題だ。
 ヤンチンは無言で森の奥へと足をずらした。しかし、
「貴様には、そのような行為をして悲しむものがいないのか」
 カナが言い放ったその一言に、思わず目だけでリジィを見おろしてしまう。ヤンチンは二の足を踏んだ。
「なるほど、貴様の目的は信仰では無いのかもしれないな。しかし、ではなぜそのように教会に命じられるままに罪を犯す? 本当のことをお前に近しい者が知ったならば、きっと貴様を軽蔑する」
 カナにとっては人質を取ったヤンチンを逃がすまいとして言った言葉だろう。そこにおそらくは作為はないのだろう。だが、その一言はヤンチンの心に深く突き刺さった。リジィの肩を掴む腕が知らずに震えていた。
「田舎の魔術師風情が、俺に説教するつもりか」
 殺気を込めて言い返す。その言葉を無視してカナは言葉を紡いだ。
「今からならまだ間に合う。貴方は普通の人間に戻って、近しい者たちと肩を並べて歩いて行けるかもしれない。さあ、これ以上罪を重ねる前に人質を解放しなさい」
「余計な御世話だ」
 ヤンチンは噛みしめるようにそう言った。
 境界の狗になり果てた自分を知らずに脳内に思い浮かべる。その横に、無邪気に笑うリジィの顔を並べてしまう。
 その言い知れない感情のこもったヤンチンの言葉に、カナはわずかに表情を変化させた。
「決まり文句を言ってみただけなのだが――貴方は、本当はこのようなことをしたくないようだな」
「なんだと?」
「気の迷いを感じた。貴方がその人質を盾にしていなかったら、今頃私は貴方を両断していた」
 言われて、ヤンチンはリジィに向けたダーツの切っ先がぶれているのに気が付いた。カナは続ける。
「貴方はきっと間違っている」
「偽善者が偉そうに講釈を垂れるな」
 ヤンチンはかみつくようにそう言った。
「別に貴方に説教するつもりはないのだがな。だが、ひとつだけ言わせてもらうと、貴方はそうやって罪を犯すごとに自分を傷つけている。貴方の体術は邪念が無かった。いや、無さ過ぎた。それは修練する貴方の姿勢のみならず、貴方の心の深いところが、そのようにできているからだろう。でなければあのように澄んだ技は使えないはずだ。貴方は心を凍らせている。凍らせている心は貴方の良心だ。それに気が付かず、罪を重ねるな」
 血を失いすぎたのか、ヤンチンはくらりとよろめいた。よろめいたが、後ろ手に回されたリジィに手をつねられ、なんとか意識を取り戻す。
 何をのんびりしているんですか、早く逃げないと、というリジィの無言の主張がひしひしと伝わってくる。
 ヤンチンは首を振って思いを断ち切った。
 ダーツを一閃し、リジィの首の皮膚を浅く裂く。親指で何気無い風に血液をすくい取る。
「貴様……ッ!」
「動くな」
 鋭く言い放ったヤンチンは、親指を頭巾の下に差し入れ、血をなめとる。わずかに甘い味のするそれを舌でなめとり、唾液で濡らした親指をリジィの首筋の傷に這わせる。リジィの体がびくんと震える。その、無垢な少女のような彼女の反応に、ヤンチンは深く心をえぐられた。
 それを無視して、ヤンチンは小さく呟いた。
 コード・タイタン。
 ヤンチンの体に魔力がみなぎり始める。
「く……ッ」
 いきなり増大したヤンチンの魔力に、カナは意を決したように水底を蹴った。瞬きの間に迫るカナの体。ヤンチンは、リジィを捕まえたまま、川の方へ飛び込んだ。膝までほどの深さの個所に着水する。ヤンチンは今さらのように、ヤンチンとリジィが立っていた場所に、刀を突き立てるカナを真正面から見据えた。一瞬のうちに離れた両者の距離は三十メートル弱。カナは舌打ちしながら、向きを変えてこちらに突っ込んでくる。ヤンチンはそれにタイミングを合わせた。
 リジィが小声で『歌』を歌いだす。途端、カナが踏み込んだ水面に巨大な金の魔法陣が出現する。
 カナは瞬時にそれに気が付き、魔法陣の外へととび出た。そして、大きく書かれたサークルの外をなぞるように、再びこちらに接近してくる。
「無駄なことを! 貴方程度の速さでは私をとらえきれない……!」
 カナが裂ぱくの気合いで刀を振りかぶる。両者の間は五十メートルほどではあったが、カナの『速さ』ならばそれこと一瞬で間合いを詰められる。
 ヤンチンは目を閉じた。
 太古の昔に討伐された巨人の魂が再現される。強大な魔力は奔流となってヤンチンの体に流れ込んでくる。イメージするのは、大地を沈ませ、地軸を揺るがす巨大な足。はるか昔に世界を支配したと言われる巨大な神の体。
「終わりだッ!」
 風の上を滑るかのようにしてカナの姿が間近に迫る。ヤンチンの胸を一突きにせんと迫る。
 一瞬、先のカナの言葉がよみがえる。
「――――っ」
 いけない。余分なことは考えてはいけない。迷いを戦闘意欲で塗りつぶす。
 風の化身と見まがう剣士の一撃が下方から逆袈裟に振るわれる。しかし敵の攻撃には迷いがある。リジィを盾にされ、カナの太刀筋が乱れている。これなら、確実にかわしきれる。一気に後ろに身を引き、ヤンチンの急所だけなぞる死の風をやり過ごす。
 拳に力を込める。再現され、憑依された巨人の力が右の拳に収斂される。あふれる魔力に、ヤンチンの皮膚が手袋の下で破れる。
「な――――ッ」
 敵の表情が凍りつく。その目に映るのは何だったのか。カナはヤンチンの体を寄り代とした魂の姿を幻視した。
 巨人だ。金に光る巨人はその拳を握りしめ大地を砕き殺さんとしているかのように雄叫びをあげている。風を巻き起こす魔力の奔流は、忘れられた神話の再生を行う。
 古の神の鉄槌を思い知るがいいと。幻想された黄金の巨人が吠えたける。
 踏み込んだ足が吠く(ルビ:なく)巨神にすくむ。
 だが、あと二十メートルと、カナは思った。
 目の前の教会の使徒は間合い内に入っている。この日本刀を振るえば一撃で敵は倒れる。
「ぁぁぁぁぁぁ……」
 ヤンチンは低く声を漏らした。限界まで引き絞るように右腕は頭上に掲げてある。それにシンクロするかのように背後の巨人から闘志が伝わってくる。
 古の禁呪を解き放つ。
 紡ぐ魔法は巨人の一撃。かつてあまたの不埒者共を葬りさった一撃。
 現世に降臨する魂はヤンチンの掲げた右拳を金に照らしあげた。夕闇に沈む川面を再度黄金に染め直す。
 刹那、ヤンチンが吠えた。
「ギガントッ――――ストライクッ!」
 振り下ろす右拳。それに同調して黄金の一撃が水面に振り落とされる。
 魔法陣から衝撃が走る。大地を殺すかのような一撃は水をえぐり、その下の水底を穿った。爆発する水面。津波どころか巨大な水柱が天を衝く。強大な衝撃に川の水が一瞬に干上がる。
 豪雨のように降り注ぐ水滴。
 それが疾走を続けていたカナの頭上に降り注ぐ。
 降り注ぐ水しぶきは彼女の『速さ』によって弾丸のように強化されている。
 カナは戦慄した。
 打ちつけられる水にハチの巣にされる。
 しかし加速された知覚速度の中であっても空の星が落ちてきたかのような水滴から逃れる場所はどこにもなかった。
 カナは必死で減速する。体に魔力を通して強化する。
 しかしそれも間に合わない。降り注ぐ雨は千の礫となって彼女の体を殴打した。
 最初の一滴に皮膚が破れ、止まった瞬間に着水した足を包む靴が粉砕される。そのあとに続く地獄のような痛みにカナはきりもみ状態になりながら川面を転がった。皮膚はあちこちが裂けて血が噴き出す。自慢の足が軋みをあげ戦闘不能の悲鳴をあげる。
 それでも、カナは人質にとられた少女のために、気を確かに持った。
 前方の水しぶきの向こうを透視する。カナは唇を噛みしめた。
 男の姿が無い。少女の姿もだ。
「く……ッ。やられた……ッ!」
 カナは歯ぎしりして刀を支えに立ち上がった。体は満身創痍だった。
「副オーナー!」
 呼び声に振り返ると河岸から数人の門弟たちがやってくるところだった。

            ×               ×

 水しぶきが上がった瞬間に、リジィはヤンチンを抱え込んで、一気にその場を離脱した。満身創痍のヤンチンが傷の痛みにうめき声を上げる。血が傷口から噴き出すが、今は気にしていられない。リジィは心の中でヤンチンに謝りながら、森の中を滑るように飛んだ。
『俊足の巨人(ルビ:コイオス)』。その力でリジィは自分と、ヤンチンとを森の奥へと運んでいた。
ヤンチンの体から力が抜ける。どうやら気を失ってしまったようだ。
 リジィは森の奥、斜面を上った先に合ったくぼみにたどりつくと、ヤンチンを落ち葉の向こうに寝かせた。それだけで彼女の体はヤンチンの血で真っ赤だったが、そんなことは構っていられない。
「酷い……! すぐに治療しないと!」
 リジィは精神を集中させ、治癒の巨人を呼び寄せようと口を開く。
 と、その時、リジィは不意に背後に不吉な気配を感じて振り返った。
 そこには、まるで夜の闇が持ち上がったかのような長身の男が立っていた。
 黒い肌に黒い司祭服。何から何まで黒い黒人の神父が、そこにたたずんでいた。
 リジィは警戒しながら問うた。
「何の用かしら?」
「何。騒がしいと思って来てみただけだ」
 神父が何気ない風に言う。
「そう。ならお立ち去り下さい。今取り込み中なの」
 リジィはそっけなくそう言うと、ヤンチンの胸に手を当てた。すると神父は口を開いた。
「待て。任務に失敗したその男を癒すというのか? その男は愚かにも明神の工房に忍び込んで薬の製造法を盗み出そうとしていたのだぞ」
「嘘もほどほどにして下さい。そんな自殺行為も同然なことを、ヤンチンがするはずがありません」
 ぴしゃりと言い捨てる。
「では、そのコートのふくらみは何だ?」
 黒い神父は音もなくヤンチンに近づいた。リジィはヤンチンを咄嗟にかばったが、神父は「死人に鞭打つ気はない」とくつくつと笑った。それからリジィの体をすり抜けるようにしてヤンチンのコートの裏からケースに入れられたデジタルカメラを取り出した。
「これがその証拠だ」
 神父が電源を入れて投げてよこす。リジィはそれを受け取って、液晶画面を見た。
 リジィが目を見開く。確かにまごうことなく、カメラの中には論文の写真が収められていた。
「その男は我々を裏切り、薬の情報を盗み出して独り勝ちしようとしたのだ。現に作り方を書いた資料を盗みだすなどという行為を行っている」
「……」
 リジィは気を失っているヤンチンの顔を見た。ヤンチンの顔は普段の逞しさはどこへ行ってしまったのやら、今は青白いものになってしまっていた。
「その男は分不相応なことをした挙句、失敗したどうしようもない愚か者よ。捨てておくが良い」
「何ですって?」
「理解できていないわけではあるまい。その男は教会を、そしてお前を欺いた血も涙もない不忠者よ。そんな男をかばう道理もあるまい。それとも何か? お前は二年かそこら親しんだからといって、その男の裏切りを許すのか?」
「何が言いたいのかしら」
 リジィは一切の感情を殺した声でそう返した。
「単刀直入に言おう。コ・ヤンチンは放棄する。お前は私と来い」
 その言葉を最後まで言い終えるまでに、神父の体は吹き飛んでいた。右腕を前に出し、「破壊の巨人(ルビ:クロノース)」と唱えたリジィに弾き飛ばされたのだ。
 神父の姿は、背後の木に衝突し、黒い影のようになって地面に融けていった。
「何のつもりかね?」
 闇の中から神父の声が虚ろに響く。
「消えなさい、腐れ僧侶。でないと握りつぶしますよ」
 リジィの金の髪がざわめく。風が巻き起こり、地面の枯れ葉がかさかさと音を立てた。
「ぬけぬけと現れて何をしに来たのかと思えば、そんな下らないことをほざきに来たの? 貴方のような香水臭い神父には、死んだって付いていかない。私のパートナーは、彼だけよ」
 リジィはきっぱりと目前の闇に向けて言い放った。
 黒人の神父が舌打ちする気配が伝わってくる。そのまま神父は何も言うことなく、気配はどこかへ消えていった。
 リジィは不吉な神父の気配が消えたのを確認すると、気を失っているヤンチンを見下ろした。
「ヤンチン……」
 呟いたリジィの声は、薄暮の森の中へ融けていった。


第三章


 薄暗い地下牢に降りたら、誰かがすすり泣く声が聞こえた。

 豆球に照らされた薄暗い空間の中、すすり泣く声が聞こえた時、ヤンチンは眉をひそめた。
 奥から三つ目の独房から聞こえてくる。地下牢にはその魔導書がつながれているだけで他に生き物はいないという話だから、おそらくこのすすり泣きはその魔導書のものなのだろう。
 ――泣くことが、できるのか。
 ヤンチンは足音を忍ばせて独房に近づく。手には毒入りのパンとミルク。クジラも殺せるような強い毒だ。無理やり殺すのは不可能だ。だから、毒で殺そうと言うのがヤンチンの考えだった。まあどう考えても、普通に見破られて抵抗されそうだったが、手だけは尽くしたい。事なきを得たかった。それに対象はもう二日も飲まず食わずだと言うから、もしかしたらこんな見え透いた手に引っ掛かって死んでくれるかもしれなかった。
 そうして、独房を覗き込んだ時、ヤンチンの視界から、あらゆる背景が消えうせた。破れた白いドレスをまとった少女が、両足を折って、冷たい床の上にペタンと座り込んでいる。両手で涙をぬぐう動きに、金砂のような髪が揺れる。
 清純な乙女。しかしそれゆえに背徳的なまでに少女の姿は艶やかだった。どのような高僧ですら一夜で堕落させてしまう夢魔のように、少女は美しかった。
 不思議な気持ちが体の内に巻き起こる。
 壊れた魂が、再び息を吹き返すような錯覚。消えてしまった何かの感情が自分の内に戻ってくる。

 この時ヤンチンの魂は再生したのだった。

           ×              ×

「……う」
 急に覚醒する意識。胸に空気を吸い込んだ瞬間、体の節々が痛んだ。目を瞬かせて、薄暗い夕闇を見透かす。慣れ親しんだ、花のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ヤンチン! 気が付いたんですね!」
 ヤンチンが震える腕で体を起こした瞬間、横から抱きつかれた。
「リジィ……」
 ヤンチンはリジィの腕の間から自分の体を見下ろした。傷は綺麗にふさがっていた。
「治してくれたのか」
「はい。傷はかなり深かったですが、何とかなりました」
「俺は何分くらい気を失っていたんだ?」
「十分くらいです」
「リジィ」
「はい」
 ヤンチンは大きく息を吸い込むと、リジィの両肩を力任せに鷲掴みにした。リジィがびくりと身を縮こませるのも構わず、ヤンチンは低くかすれた声を喉の奥から絞り出した。
「どうして命令を守らなかったんだ! 俺から合図があるまで待機してろと、俺は言ったはずだ! それをどう勘違いしたら俺を探しに来ることになるんだ! 分かってんのか! あそこで下手な三文芝居をカナに見破られていたら、お前も殺されていたんだぞ!」
「でも、ヤンチンが心配で」
「俺なんかどうでもいいんだ! それより、お前の命を優先しろ! お前は――お前はもっと生きるべきなんだ!」
「ヤンチン……。あの、ヤンチンの好意は嬉しいです。でも」
「でも、何だ!」
 ヤンチンがそうきつい語調で尋ねると、リジィは視線をそらした。それから、彼女はぽつりと言葉を紡いだ。
「リジィは――私は、ヤンチンに、死んで欲しくなかったのです」
「――――!」
 当然帰ってくるであろうリジィの返答に、ヤンチンは二の句が継げなかった。リジィはポツリポツリと言葉を紡ぎ続ける。
「単なる、相棒として死んでほしくないとか、その程度の話ではありません。私は、貴方に生きてほしかった。――貴方は私の気持ちに気付いていないのですか? 私は、貴方に出会った時からずっと貴方のことが」
「リジィ、もういい」
 ヤンチンが嫌がるように遮る。
「いいえ、聞いて下さい!」
 リジィはヤンチンを見上げた。宝石のような翠緑の瞳が、湖面の月のように揺れていた。
「私は、出会った時から、貴方に魅かれていました。それから、ずっとです。いつだって側にいたかった。置いていて欲しかった。貴方といられるのなら、私はそれだけで満足でした。――ロンドンの図書館で囚われ、教会で囚われた私は、貴方のおかげで生き返ることができた。貴方は私を生かしてくれた。私に生きろと言ってくれた」
「リジィ、俺は、お前と一緒にいるべき男じゃない。今はこうして俺といるしかないのかもしれないが、それではいけないんだ。俺は、今後もこうして危険な死地に赴くことがあるだろう。一緒にいるだけでリジィに余計な負担もかける。だから、リジィ、お前には、普通の女の子として生きていて欲しい」
「それで、命の霊薬を手に入れるつもりだったのですか」
 リジィの言葉に、ヤンチンはギョッとして彼女の顔を見つめた。リジィは、後ろからデジカメの入ったケースを差し出してきた。
「薬を、私に使うつもりだったのですね? 私を人間として再生させ、貴方の言う普通の女の子とやらにするために」
「…………」
 ヤンチンは目を伏せた。
「私は貴方と一緒にいたいのです。だから、薬を私に使うなんてことをしないで下さい」
「でも、それでも、お前は俺と一緒にいるべきじゃない」
「どうしてそのようなことが言えるのですか? 貴方は――!」
 リジィがそこまで言ったとき、不意に彼女の体から力抜けた。
「力の使いすぎだ」
 ヤンチンは眉根に皺を寄せてそう呟いた。何かを言いかけるリジィを制して、ヤンチンは立ち上がった。
「リジィ。お前が嫌がっても薬は飲ませる。お前は、普通の人間として生きろ」
「いやです!」
 リジィは瞳に強い光を宿してヤンチンを見上げてくる。
「リジィ。お前は普通の人間が知っている楽しいことを知らない。お前は魔術師たちの勝手な目的のために造られて、ろくでもない連中の思惑通りに、いいように振り回されて、本当の楽しさを知らないでいるんだ。俺だってそうだ。生まれてから魔術師になるべく努力をさせられ、ダメになったらそのまま捨てられた。俺はもう手遅れかもしれない。こんなにも擦り切れてしまった。人の心は分からず、気が付いたら人を殺すことを考えている。――だけどリジィ。お前はまだ間に合う。まだやり直せるんだ。お前には、俺のようになってほしくない」
「ヤンチン、私は」
 リジィがそこまで言った時、薄暗い闇の向こうから大勢がやってくる気配がした。
「俺はとりあえず明神邸に戻る。まだなんとか誤魔化せるかもしれないからな」
「ヤンチン、しかし」
「ここで薬を諦めるわけにはいかない。リジィ、お前はここで気を失ったふりをしていろ」
 ヤンチンはそれだけ言い捨てると、湿った腐葉土の地面を蹴った。後ろからリジィの声が聞こえてきた気がしたが、無視した。
 ヤンチンの頭の中は、どうしようもないくらいに混乱していた。

           ×              ×

 そうして明神邸に戻って来てみれば、あろうことかまだ魔術師たちは庭で右往左往していた。ヤンチンは少しだけ眉をひそめたが、そのまま裏手にまわり結界を一部破壊して庭へと潜入した。結界の破壊作業中は誰か来ないものかひやひやしたが、幸い誰もやってくる風は無かった。
 罠ではないかとも思ったが、いちいち罠を張る理由が分からなかったので、その考えを打ち消した。ヤンチンは寮の裏口からそっと中に入り、部屋で手早く同じダークスーツに着替えると、洗面所で顔を拭いて、再び外へ出た。
 庭は、やはり騒然としていた。ヤンチンが工房の中へ侵入したからだろう。
 とりあえず現状を確認するために近くにいた男の魔術師に声をかける。
「なんだ?」
 胡散臭そうに振り返った若い魔術師に、ヤンチンは尋ねた。
「今どうなっているんだ?」
「どうもこうも、見てのとおりだ。お前も見ていたろう? 謎の侵入者が明神師の工房に侵入したのさ」
「それで、明神師は今どうしている?」
「どうしているって、お前見ていなかったのか? あのあと、闖入者の仲間が明神師を狙撃して」
「は……?」
 ヤンチンは目を見開いた。男の魔術師はため息をついた。
「で、大混乱。とりあえず何人かが師を床の間に運んだ。そうしていたら、今度は屋敷の裏手で殺人事件が起きた」
「な、何だって?」
 意味が分からなかった。
 この騒ぎの原因は自分が明神の工房に侵入したからだけではないのか。
 明神が狙撃されて、そのあと、殺人が起きたと、彼はそう言った。
 あまりのことに思考が追い付かない。自分がこの場を離脱してから一時間。たった一時間の間にそのようなことが起こっていたというのか。
「明神師が、やられた……?」
「ああ、でも傷は浅いらしい。咄嗟に刀で攻撃を防いだそうだからな。大事には至らなかったみたいだよ」
「殺人事件って、一体誰が?」
「知らん。私もここから見ていただけなんだ。今副オーナー補佐が処理している。そっちに聞きに行きたまえ。まあ、相手にされんだろがな」
 男は面倒くさそうにそう言うと、ヤンチンから離れていった。
 その後ろ姿を眺めながら、ヤンチンは眉根を寄せた。
 そうか、と思い至る。
 カナを援護する魔術師がなかなか現れなかったのはこの騒動のためだったのだろう。
 運がよかった。運が良かったの良いが、新たに起こった事件に頭の中はてんてこ舞いだった。
 ヤンチンは庭の奥、武道館の方の人だかりに目を向けた。ちょうどその人垣からウチャングが出てくるところだった。
「ウチャング」
 ヤンチンは何故かげっそりとやつれた感じのウチャングに呼びかけた。洒脱なタキシードの下のシャツに赤い血が点々と付いている。
 ウチャングはとても疲れた様子にも関わらず、ヤンチンの声を聞くなり、鋭い眼光をこちらに向けてきた。それから彼の目が上下に動き、ヤンチンの体を注意深く観察する。
「ウチャング、一体、何があったんだ?」
「そう言う貴方こそ、今までどこにいらしていたんですか?」
 ウチャングが疑り深い目をなおも向けてくる。
「会場を出て、胃薬を飲みに部屋に戻ったんだ。そうしたら、リジィもいなくなっているし、寮を探していたら外で何か騒ぎが起こっているし。カズノリさんは無事なのか?」
「――――」
 ウチャングは敵意に近い感情をヤンチンに向けてくる。ヤンチンは内心冷や汗をかいた。
「キム! ヤンチン!」
 ふと、鋭い声がヤンチンの背後から飛んできた。振り向くと、体のあちこちに血のしみた包帯を巻いたカナが女魔術師に支えられてこちらへやってくるところだった。
「一体これはどういうことだ! 私がいない間に何があった? お父様は、お父様は大丈夫なのか!」
「カナ!」
 ウチャングは目を見開いた。
「満身創痍じゃありませんか! いけない、貴女はどこかで休んでいるべきだ!」
「お父様は無事なのか!」
 ウチャングの言葉を聞いているのかいなのか、カナは質問を繰り返した。
「無事です。帯刀していたのが良かった。浅い傷を負われて、今は離れでお休みになっておいでです。それよりカナ、貴女も横になるべきだ。全身ボロボロじゃないですか」
 ウチャングは殺意に似た感情をヤンチンの方に向けながらそう言った。
「そうはいかない。今は私がこの場の指揮をとらないといけないんだ。犯人をこれ以上のさばらせておくわけにはいかない」
 カナは黒々とした瞳に強い光を宿しながらきっぱりとそう言った。ウチャングは「カナ……」と呟くと諦めたようにため息をついた。
「貴女の追っていた犯人はどこへ行ったんです?」
 妙にとげのある語調でウチャングが早速カナに尋ねる。カナは悔しげに俯いた。
「取り逃した。河原で戦闘になってな。あと一歩だったのだが、人質を取られて油断した隙にこのざまだ。しかし、ただで逃がしたわけではないぞ。敵も重傷だ。あの分では長くはもつまい」
 カナは冷静な声でそう述べた。河原で一瞬見せた、ヤンチンを諭すような雰囲気はどこへ行ってしまったのやら、今は冷たい魔術師の目をしていた。
「実際、あのあと人質も無事保護できた。気を失ったから捨てたのか、それとも人質を維持できなくなるほど消耗したのかは分からないが、おそらく後者だと思う。後日森の中を探せば男の死体が一つ出てくるだろう」
「そう……ですか……」
 ウチャングの敵意が和らぐ。ウチャングはわずかに訝しげな目をヤンチンにやったあと、カナに向き直った。
「それではその男はもう死んでいると?」
「ああ。あれだけの重症ならまず生きてはいられない。今頃出血のせいで身動きとれなくなっていることだろう。森には数人の舎弟を残してきた。あとは彼らがうまくやってくれるだろう。それより」
 カナはそこで一旦話を切って、考えをまとめるように目をつぶった。それから彼女は続ける。
「その男、教会のまわし者だった」
「何ですって?」
 ウチャングが息をのんだ。
「あのダーツ。教会製の浄化のダーツだ。対魔術師用に加工された、魔術防壁突破用の投摘武器。かなり扱いにくいもののはずだが、敵はそれを自在に使いこなしていた。教会は、本気でこの儀式にちょっかいを出すつもりだ」
「…………」
 ウチャングが押し黙る。何か逡巡しているような顔だ。カナはヤンチンに向き直った。
「それで、改めて聞くが、この騒ぎはなんだ? お父様が狙撃されて、なおかつ殺人が起きたとか聞いたが」
「俺もさっきそれをウチャングから聞いていたところだったんだ。――おいウチャング、詳しく説明しろよ」
 ヤンチンがウチャングに声をかけると、ウチャングはハッと我に返ったように顔をあげた。
「ああ、すみません」
「キム、どうした? ものすごく顔色が悪いようだが大丈夫か?」
「大丈夫です。えっと、明神師は、カナが出て行ってすぐに襲われました。今度は屋敷内から、雑踏にまぎれた暗殺者が師を狙ったのです。師は帯刀されていましたから、これを防いで大事には至りませんでした。が、勢いを完全には殺しきれず、後ろの木にぶつかって、その衝撃で傷が開いてしまった。それで今は離れで安静になさっています」
「そうか、大事に至らなくて良かった」
 カナは取り巻きに指で次々に支持を出しながら、ほっと溜息をついた。カナは続けて尋ねる。
「それで、殺人事件の方はどうなんだ? 現場はどこだ?」
 ウチャングは、「こっちです」と二人を案内した。人込みをかき分けて、現場に出る。ひそひそと囁き合う魔術師たちに囲まれて、一つの無残な死体がそこに転がっていた。
 それは、ヤンチンが初めてここへ来た時に、赤髪一派にいじめられていた金髪の少年だった。リジィとウチャングを幻惑の魔術で捕らえようとした少年でもある。ヤンチンは機会あればリジィに手を出したことを後悔させてやると思っていた相手だったが、そんな気さえもなくなるような凄惨な殺人現場だった。血がその辺りに飛び散っている。少年は鋭利な刃物に一撃で首を落とされ、その心臓にはぽっかりと穴が開いていた。目はガラス玉のように開かれたままで、驚きのあまりカッと見開かれている。
「おそらく凶器は明神師を狙撃したものと同じかと。傷口からしてやはり長物の類です。この少年が抵抗した形跡はありませんから、犯人はこの少年が武道館から出てきたところを一瞬で首をはねたのでしょう。犯行のあと、犯人は少年の中身を根こそぎ吸い取っています。少年は死んで魂が消えてなくなる一瞬に中身を全部抜け取るように心臓を食われ、血を吸われています」
「むごい……」
 カナは顔をゆがませた。
「犯人は、貴女と戦った教会の者と仲間かもしれませんね」
 ウチャングが意見を述べる。彼は顎の下に手を当てて続けた。
「と、すると今回の件は教会が扇動していたのか……」
「そう決めつけるのは尚早だろう」
 カナが口をはさむ。
「可能性は認めるが、騒動に便乗した他の者がやったのかもしれない」
「しかし何のためだ?」
 ヤンチンが横やりを入れる。
「この少年が何故狙われたのかは分からない。ただ、犯人はお父様も狙っていた。もしかしたら、お父様を殺し損ねて、怒ってこの少年を腹いせに殺しただけなのかもしれない。しかし、そんな愚かなことを犯人はするかどうか。もしそうではないとすれば、他にもっと別の理由があったと考えるべきだ」
「というと?」
 ウチャングが鋭く訊いた。
「お父様を狙撃する瞬間をこの少年に見られたとかな」
 カナは無残な死体を観察しながら答えた。
「しかしそれだけでこれだけ無残に殺したのかと言われれば疑問が残る。このような殺し方をする必要性は果たしてあったのか。その辺りが全く分からないな」
 カナはそれだけ言うと、後ろに控えていた取り巻きに、死体を片づけてくれと指示した。
「儀式は明日だ。だと言うのにカズノリさんを狙う輩がいるとはな」
 とヤンチンが呟く。
「そうですね。薬を狙いに来たのならどうして明神師を殺そうとなどするのでしょう。何か他に狙いがあるのでしょうか」
「分からんが、少なくとも一人は儀式を邪魔しようという者がいるようだ。明後日は全力で警護に当たるべきだろう」
「今夜の身回りはどうします?」
 ウチャングがカナに尋ねる。
「キムとヤンチンの二人で頼めるか? 一日もすればこの程度の傷は治して見せるが、今日はどうやら無理そうだ」
 カナは悔しげにそう呟いた。
「異論はありません。カナは休んでいて下さい。貴女はやや頑張りすぎだ」
 ウチャングが目を閉じてそう言った。
 ヤンチンは長く息を吐くと、ふと後ろを振り返った。不意にこちらに向けられる視線を感じたのだ。振り返って見れば、そこには例の赤髪一派がニタニタと笑いながらこちらを見ていた。
「気分の悪い、美しくない連中ですね」
 後ろで、ウチャングの吐き捨てるような声がした。赤髪達はそのまま人だかりの向こうに消えていった。ヤンチンは、静かに彼らの後ろ姿を眺めていた。
「ところでヤンチン、エリザベスさんはどうした?」
 カナが尋ねてくる。ヤンチンはため息をつく演技をしながら振り返った。
「それが――見当たらないんだ」
「彼女、教会の暗殺者を捕まえるために外に飛び出していったそうだぞ。それで、私と奴との戦闘中に人質になった」
 ヤンチンは驚いたような声を上げた。カナはため息をついた。
「彼女は純粋というか、正義感が強いというか、やや考えなしのところがある。しっかり手綱を握っておいて欲しいものだ」
 カナの中ではヤンチンはリジィの保護者ポジションになっているらしい。ともあれ、リジィはうまくカナを欺くことができたようである。
 ヤンチンは内心ため息をついた。

            ×              ×

 部屋に戻ると、リジィが布団に入って大人しく眠っていた。ヤンチンが部屋に入ると、リジィは体を起こした。
「寝てなくていいのか?」
「ヤンチン、貴方こそ休息が必要です」
 リジィは端正な顔をゆがめてそう言った。
 ヤンチンは上着を脱いでハンガーにかけた。そして、ギョッとなった。ワイシャツが真っ赤に染まっている。腹の傷が開いていたらしい。先程から妙に吐き気がするなとは思っていたのだが、原因は傷が開いたことによるものだったらしい。
「待って下さい。すぐにでも治療を」
「いや、これくらいなら包帯巻いていればそれでいい。それより、お前こそ治癒の巨人を再現するわけにもいかない状況だろう? 安静にしていろ」
 ヤンチンはその場に腰を下ろすと、スーツケースを手繰り寄せて、中から救急セットを取り出した。座った瞬間、視界がぐらりと揺らめいたが、リジィの前で弱った姿を見せるわけにもいかず、その場に倒れてしまいそうになるのをこらえる。
「ヤンチン、あの」
「――――」
 リジィは胸に手を当てて何かをこらえるように目を閉じた。それから意を決したように目を開けて、言葉を紡ぐ。
「あの、私は、ヤンチンと一緒に生きていきたいです」
「リジィ。君は今でこそこうやって俺と行動を共にしているからそう感じるのかもしれない。だけど、こんな生活が幸せだなんてことは絶対にないんだ。現に俺は今日死にかけた。お前だっていつこんなにボロボロになるかもしれないんだ。運が悪ければ、死ぬかもしれないんだぞ。お前はこんな生きるか死ぬかの世界にいるべきじゃない。女の子は女の子らしく、普通に生きるべきだ」
「女の子って、ヤンチンは私が女の体をしているから側においてくれないんですか?」
「そうじゃない」
「じゃあどうだって言うのですか? 説明して下さい」
 ヤンチンはほとほと困り果てた顔でリジィを見た。そして、息を詰まらせた。
 もう日はほとんど暮れていて、閉められたカーテンの隙間からは紫色の空が見えるだけで部屋は真っ暗である。その暗い部屋の中で、ヤンチンの目の前の少女は美しく輝いているようだった。
 翠緑の瞳は闇の中で濡れたような輝きをたたえていた。淡い桃色の唇は、リジィの唾液で艶めいている。
 目が離せなかった。
 その、抱きしめたら折れてしまいそうなくらいに折れそうな腰も、細いくせに妙に肉感のある太ももや、少し成長した少女らしい胸のふくらみ。薄暗闇の中で、白というより青白い肌。それらにヤンチンはごくりと唾を飲み込んだ。
 ヤンチンが唾を飲み込む音は、静かな部屋の中にやけに大きく響いた。リジィもその音を聞いたのか、あるいは雰囲気で気が付いたのか、さっと掛け布団で自分の体を覆った。
 全く。変に積極的だったり、時折こんな純粋な反応を見せてきたりと安定しない。
 そんなリジィの反応にヤンチンは半ば腹を立てていた。
 そんなリジィが反射的にとった行動に欲情してしまった自分に腹を立てた。
「ヤンチン、あの」
 リジィが膝で立ってこちらにすり寄ってくる。ヤンチンは少しも動けずにその場で硬直していた。包帯は巻き終わっている。全く問題はない。何が問題ないのかは分からないが、多分、問題ない。
「ヤンチン」
 リジィの顔が近づく。そして、気が付いた時には二人の唇は触れあっていた。
「っ! 止めろ!」
 ハッとして、力任せにリジィを弾き飛ばす。リジィはゴムまりのようにその場で跳ねて、布団の上に倒れてしまった。
「すみません」
 リジィは小さく、それだけ言った。ヤンチンはそれに対して、もごもごと口を動かし――結局何も言えずに顔をそむけた。

           ×               ×

 夜十時五十分。ヤンチンはゆっくりと目を開けた。周囲は真っ暗だ。
 眠ったことで体はある程度回復しているようだった。戦闘には耐えられるかどうかは分からないが、普通に歩くだけなら問題ないだろうと判断する。
 押し入れの扉を開けて外へ出る。布団の中にはリジィの小さな体が、包まれている。こちらに背を向けてピクリとも動かないリジィに向かって、
「すまない」
 と、一言呟くと、ヤンチンはそっと部屋から出た。
 今夜と明日の夜で見回りは終わりだ。明後日はついに儀式の日である。
 ――儀式の邪魔はさせない。俺が、リジィを普通の人間にしてみせる。
 ヤンチンはいつものジーパンとワイシャツという格好に着替えると、ウチャングが待つ明神邸の入口へと向かった。
 ウチャングはもう明神邸の正門に立っていた。正門周りの明かりに照らされた顔は昼間よりはややマシになったものの、まだ青かった。まるで疲労困憊と言ったウチャングはヤンチンに気付いて右手を挙げた。
「こんばんは」
「今日はどう回るんだ? 人手が二人も減った。そう遠くには行けないぞ」
 ウチャングは頷いた。
「ええ。ですから、今日はこの屋敷周りに限定します」
「二人で回るのはいいが、誰か応援を頼めないのか? 人は多い方がいい」
「皆手伝ってくれません。魔術師なんてものは普通自分のことしか考えていない人間です。それに、中途半端な戦力ですと、逆に被害者を増やすだけです」
「まあ確かにな」
「ここは所詮田舎です。明神一門は別ですが、この辺りに住む土着の魔術師たちは皆大した力もありません。それこそ、一般人がナイフやけん銃握ったのとほとんど変わらない戦力でしょう。かと言って、信用できない外来の魔術師に頼るわけにもいきませんし……」
 ウチャングは息を吐いた。
「薬を守るのは我々です。頑張りましょう」
 ヤンチンがそれに頷く。二人はどちらからともなく明神邸の外へと足を踏み出した。
 夜道を行く。今日はほとんど満月に近い月だった。おまけに桜もまだ桃色の花弁を維持しているときた。花と月。とても風流な晩だった。
 二人は屋敷周りを見回る。月に照らされた二つの影が、明神邸を囲む塀に揺れる。
 ウチャングはふと立ち止まった。つられてヤンチンも立ち止まる。見ると、目の前の電柱棒から、小さな人影が出てくるところだった。ヤンチンは一瞬リジィと見間違えたが、長い銀髪を見て、それがモモハナだと言うことに気が付いた。
「何の用だ」
 ウチャングが尋ねた。
「ウチャング、体調悪い。私、心配だった」
 モモハナはもごもごとそう言った。ウチャングはしばらくモモハナを見やったあと、ヤンチンに行きましょうと言った。
「早く帰るんだ」
 ウチャングがモモハナとすれ違いざまに低い声で呟く。
「でも」
「僕に構うな」
 ウチャングはぴしゃりとそう言った。モモハナはそれっきり何も言わずに、二人を追いかけてくることもなかった。
 ヤンチンはしばらくしてから、後ろを振り返った。電柱棒についている外灯に照らされて、モモハナは微動だにせずにたたずんでいる。ヤンチンはウチャングに耳打ちした。
「あの娘――モモハナに手伝ってもらうのはどうだ?」
 ウチャングはわずかに眉根を寄せた。どうやら悩んでいる様子だ。それから、諦めたように息を吐くと、ウチャングは後ろを振り返った。
「来なさい、モモハナ」
 ウチャングがぽつりと呟く。本当に小さな声だったが、モモハナはすぐにやって来た。
「前から思っていたんだけど、あんたたち知り合いなのか?」
 ヤンチンが尋ねると、モモハナは首を振った。
 なんだそれ、と思ったが、特に重要なことでもないし、そのまま流すことにした。
 人数が増えたということもあり、ヤンチンとモモハナが屋敷周りの警護に当たり、ウチャングが神社方面まで見回りに行くことになった。
 提案したのはウチャングだった。そんな青い顔で大丈夫かとヤンチンが尋ねると、ウチャングは大丈夫です、と短く返した。本人が大丈夫だと言っているのだし、特に止める理由もなかったので、ヤンチンはそこで頷き、一旦別れることになった。
 モモハナと屋敷周りの警護をする。モモハナはしきりに屋敷の中を気にしているようだった。
「屋敷の中に、何かあるのか?」
 モモハナは無言で首を振った。
「ならいいけど」
 ヤンチンは再び視線を前に戻した。
 それからもモモハナはずっと明神邸の中を気にしていた。ヤンチンはそれに気付きながらも、気付かないふりをした。
 そうして夜は更けていった。

           ×                 ×

 朝。ヤンチンはカナの講義を初端から無断欠席して、公園へ向かっていた。手に入れた薬の情報をあの黒い神父に渡すためだ。
 正門から堂々と外へ出ると、ヤンチンは一路公園を目指した。
 公園に着くと、そこには計ったように神父が木陰に立ってこちらを見ていた。
「アンタ、結構暇人なんだな」
 ヤンチンがぼやきながら近づいていくと、神父は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「どうかしたか?」
「別にどうということはない」
 ヤンチンが尋ねると、神父は即答した。ただサングラスの奥に輝く黒く濁った目は明らかな敵意をヤンチンに向けていた。
「ほら、これが依頼のもの」
 そう言ってメモリーカードを投げてよこす。神父はパシリとそれを受け取った。
「薬に関する資料の画像が中に入っている。ただ、肝心の薬の材料が何か分からなかった。資料には記載が無かったんだ」
「ふん。使えない奴め」
「ミッションは失敗だな。上にどうとでも報告するがいいさ」
 ヤンチンは肩をすくめた。
「いや、これは私の個人的な用件でな。上からの命令ではない」
「なんだと!」
 ヤンチンは思わず黒い神父に掴みかかった。それを神父は後ろに下がってやり過ごしながら、激高したヤンチンに優越感漂う笑みを送ってきた。
「なに、お前ならうまくやってくれると思っていたよ。思ってはいたが、まさか本当に工房に忍び込んで情報を取ってくるとはな」
「てめぇ、俺をはめたのか! 言っとくけどな、もう少しで殺されるところだったんだぞ! リジィがいなかったら、今頃どうなっていたやら!」
「誇るがいい。お前は本当に優秀なエージェントだ。さすがは私が見込んだ」
「黙れ!」
 ヤンチンは神父の胸に拳を叩きこんだ。しかし、例によって神父は影のように融けて目の前から消失してしまう。ヤンチンは苦り切って舌打ちした。神父の声が虚ろに響く。
「では材料は何なのだろうな」
「俺はもう何も調べないぞ!」
 ヤンチンは公園を包む林に向かって怒鳴った。
「別にお前に調べてもらおうとなど思ってはいないさ。ただ少し疑問に思っただけだよ」
「ああ?」
 ヤンチンが喧嘩腰に訊き返すが、その時には神父の不吉な気配はすっかり消えて無くなってしまっていた。ヤンチンは側の木に八つ当たりをしながら、地団駄を踏んだ。
 ふざけるなと言いたかった。やはりあの神父は信用ならない。どう考えてもヤンチンをうまいこと排除しようと考えているに違いなかった。
 神父に対する怒りの感情が胸の内に渦巻く。
 その一方で。
 確かに薬の材料とは何なのだろうかと、疑問に思う自分がいた。

            ×                ×

 寮の自室に戻ろうとしたが、部屋にはリジィが寝ていることを思い出して踏みとどまった。どこかゆっくり眠れる場所は無いかと探していると、武道館の方に小柄な人影を見つけた。
 モモハナである。
 どうやら彼女も講義をサボっているらしい。ヤンチンはモモハナの後ろをそっと通り過ぎると、奥に置いてあったベンチに腰掛けた。
 目を閉じて休んでいると、土を踏みしめる音が近づいてきた。目を開けると、モモハナが立っていた。
「なんだ?」
 ヤンチンは短く訊いた。
 モモハナはしばらくヤンチンの体をじっと見ていたが、やがて、
「別に」
 と一言だけ言った。それから背を向けて、歩み去っていく。
「待てよ」
 ヤンチンがモモハナを呼びとめる。
「何?」
「いや。少し聞きたいことがあってな」
 聞きたいこと。それは命の霊薬の材料だった。モモハナが知っているとは考えにくかったが、何となく聞きたくなったのだ。ヤンチンが尋ねると、モモハナは案の定知らないと首を振った。
「やっぱりな。悪いな。下らないことを聞いちまった」
「別に」
 モモハナはそれだけ言うと再びこちらに背を向けた。ヤンチンもそれを見て目を閉じる。
「明日の儀式までに」
 目を開ける。するとモモハナが立ち止まってこちらを振り返っていた。
「明日の儀式までに、この町から出ることをお勧めする」
「……何でだ?」
「別に。ただそう思っただけ」
「……? ただそう思っただけって。あ、おい! モモハナ!」
 モモハナはそれだけ言うと今度こそ正門の方へと消えていった。あわてて呼び止めるも、モモハナは振り返ることはなかった。

          ×              ×

 それからしばらく寝ていたら、昼ごろになったからか、たくさんの弟子たちが庭へ出てきた。ヤンチンはわずかに苛立ちながらベンチから立ち上がる。
 場所を移そうかとも思ったが、特にどこも思い浮かばなかった。しばらくの間思案したのち、とりあえず寮に戻って昼食を取ることにした。
 寮の食堂はイコール明神邸の食堂である。料理はカナが使役している低級霊が作っているらしい。ぞっとしない話である。ヤンチンは春風が吹くなか、寮へ移動し、食堂に入った。
 少し狭い食堂に今日も明神の弟子たちがひしめき合っているのを見るとげんなりしたが、昼飯を食パンで済ませる気もなかったのでヤンチンはトレイを取って列の最後尾に並んだ。バイキング形式なのである。
 適当に料理をよそって空いている席に座る。込み合っているのに何故か微妙にすいている机があったのでそこに座ると、向かい側に不機嫌度マックスのカナが座っていた。
 昨日はあんなにボロボロだったと言うのに、もうだいぶん良くなっているのか、しゃんと背を伸ばして料理を頬張っている。但し、目だけはヤンチンを責めるようなじっとりとした目だった。
 座ってしまったのだから今さら席を変えるわけにもいかず、もぐもぐと揚げ物を頬張る。
「それで?」
 カナの声に顔を上げると、カナは湯のみに口をつけていた。もう皿の中身は空になっている。
「それで?」
 カナが強調するようにもう一度言う。ヤンチンはため息をついた。
「なんだよ」
「何だよ、ではない! どうして今日も朝から講義をサボっているんだ! ちょっと真面目になってくれたかと思って態度を軟化させてみればこのざまだ。貴方は真面目に勉学に励む気はないのか!」
「あんまり。それより、今日のコロッケうまいな。とても低級霊が作ったとは思えない」
「話を反らすとは良い度胸だな。いいだろう。午後は絶対に出てもらうからな。全く、貴方といい、キムといい、一体何をやっているのやら」
「ウチャングも休んでいたのか?」
 ヤンチンは箸を止めて訊いた。
「ああ。もっとも、彼は昨日かなり調子の悪そうな顔をしていたからな。貴方とは違って病欠なのかもしれないが」
「ふーん。今朝身回りから帰って来た時のあいつは幾分か血の気を取り戻した顔になっていたけどな」
 ヤンチンは考え込むようにそう言った。
「――」
「どうした? 急に黙り込んで」
「いや、昨日は済まなかった。体が言うことを聞かなくて、見回りに参加することができなくて」
「ああ、そんなの気にするな」
「そうか? それに今日も少し遅れて行くことになりそうなんだ。すまない。魔術師協会から書類が届くからその処理に」
「ならそっちを優先するのは当たり前だ。見回りは俺達でやっておくから問題ない。カナはあとからゆっくりくればいい」
 ヤンチンはカツカツと食事を進めながらそう言った。
「すまない……。それにしても、お父様は何故薬を造ることを公になさったのだろう。密かにやっていれば、教会などからちょっかいを出されることもなかったろうに」
「報告義務か何かがあったんじゃないのか?」
「そんなもの、造ってから発表すればよかったのだ。昨日のように薬を狙う敵にも、密かにやっていれば、このように命を狙われることもなかったと言うのに」
 ヤンチンが黙っていると、カナは湯のみをテーブルの上にコトリと置いて続けた。
「そもそも、死人をよみがえらせるなどすることではないのだ。失われた生命は戻ってくるはずもない。仮に呼び戻したところできっと何かしらの悪影響が出るに違いない」
 ヤンチンは箸を止めた。
「カナは薬の製造に反対なのか?」
「分からない。成功すれば、それはきっと良いことなのかもしれない。だが、そんな簡単に成功するとも思えない。お父様は自信を持っていらっしゃるが、私にはそれが――」
 カナはそこで言葉を切った。
「カナは薬の製造方法を知っているんだろう? なら、お前の目から見て儀式は成功しそうなのかよ? カズノリさんの方法が成功しそうかどうかは、お前が見れば一発で分かるんじゃないのか?」
 ヤンチンは何気ない風を装ってカナにそう訊いた。うまく話を持っていけば、カナが何か薬の材料についてしゃべってくれるかもしれないと思ったからだ。ヤンチンはまだ、明神に抜け駆けして、一人で薬を造ることを諦めてはいなかった。
 しかし、意に反してカナは悲しげに首を横に振った。
「お父様は何も教えては下さらない。一応、製造方法に関する資料の在り処は知っているが、読んだことはないんだ。読もうとしたらお父様にきつく叱られてしまって」
「そうか。いや、そんなすごい薬、何を材料にしてどんなふうにすれば造れるんだろうって、疑問に思っただけなんだ」
「材料……?」
 カナは考え込むように顔を俯かせた。
「カナ?」
「ああ、いや……何でもない」
 カナは慌ててそう言うと、トレイを持って立ち上がった。
「さて、私はもう行く。午後の講義があるからな。ヤンチン、午後の講義は出るんだぞ」
 カナはそれだけ言い残すと返却口の方へと歩いていった。
 結局、何も情報は得られなかった。
 ――いいさ。最悪儀式の日に完成品をかっぱらえばそれでいいんだ。
 そう結論付けると、ヤンチンは食事に集中し始めた。

         ×               ×

 食事を終えて、外へ出ると、カナとウチャングと明神が離れの枯山水で談笑しているのが見えた。そのまま通りすぎて正門から外へ出ようとしたが、正門をまたいだところでカナに呼び止められた。どうやらこのまま外へ逃げるのは不可能なようである。ヤンチンはしぶしぶと枯山水まで歩いていった。
「ヤンチン、貴方は一体どこへ行くつもりだ。まさか午後の講義を受けないつもりではないだろうな?」
「受けるよ。カズノリさん、こんにちは」
 カナの剣幕を受け流して、明神にあいさつする。
「ああ、こんにちは」
 明神が機嫌よくそう言った。昨日は傷が開いたとか言っていたが、明神の調子は良好なようである。それどころか、こちらに帰って来てヤンチンが見た中で、一番元気が良さそうな顔だった。
「ヤンチン、きっちり勉学に励んでいるかね?」
 明神が尋ねる。
「ぼちぼちです」
 ヤンチンが答える(「講義には全く出ていないが?」とカナがぼやいた)。
「そうかそうか」
 明神はそう言って笑った。ただ、笑いながらもヤンチンの姿を上から下までレントゲンでも撮るかのようにじっくりと眺めまわしていた。どうやらヤンチンを警戒しているようである。ヤンチンはそんな明神の態度に気が付かないふりをしながら先程からにこにことした笑みを浮かべたまま黙っているウチャングに振り返った。
「ウチャング、もう体はいいのか?」
「ええ。まだ本調子ではありませんが、大丈夫です」
「ウチャング君。明日の儀式では君とカナに手伝ってもらうのだからな。きちんと体調を整えておくのだぞ」
 明神は我が子を見るかのような目つきでウチャングにほほ笑みかける。
「ははは。お義父様、僕なんかにそのような大役が務まるでしょうか? そう言うことでしたらもっと前に行って下されば、色々と練習もできたでしょうに」
「本当ですよ、お父様。明日ぶっつけ本番で、それに私たちの行う内容はそのときに教えるなど、重要な儀式にはあるまじきものです」
 カナが口をとがらせる。明神は明るくはっはっはっと笑った。
「なに、わしの近くで儀式を眺めている程度のことだよ。特別何かさせるわけではない」
「そうなのですか?」
 カナが尋ねる。明神はうんうんと頷いた。
「そうだ。他の一般生徒には儀式場の周りで待機していてもらうがな、お前たちは特別だ。お前たちはわしのすぐ横で見守っていてほしいのだよ」
 ヤンチン以外の一般生徒が聞いたら多分に気分を害するようなことを明神は平気で言っていた。もしくはヤンチンの前でわざと言っているのだろうか。どちらにせよ、このはばかりの無い明神の態度はどう考えてもふさわしいものではなかった。
 カナがちらりと気遣わしげにヤンチンの方を見てくる。ヤンチンはそれに気が付かないふりをして、笑顔で明神に言った。
「明日の儀式は良いものになりますように。俺もカズノリさんの成功を祈っています」
 明神はヤンチンの言葉には反応を示さなかった。かわりにウチャングの肩にポンと手を置いて、明日は頼むぞ、と言い残して離れへと去って行った。
 ヤンチンは去って行く明神の後ろ姿に一礼して、踵を返した。
「待つんだ、ヤンチン」
 カナにガシリと肩を掴まれる。
「……何だ?」
 何を言われるかは分かっていたが、ヤンチンは敢えてそう尋ねた。
「どこへ行くつもりだ? 授業はもうすぐ始まるぞ」
 にこにこと笑いながらこめかみに青筋を立てるカナに、ヤンチンは深くため息をついた。

       ×               ×

 午後の講義にノートどころかペンも持たずに出たヤンチンは講義中ずっと眠っていた。寮に筆記具を取りに戻るのが嫌だったのだ。自室にはリジィがいる。顔を合わせればきっと昨日の話の続きになるに決まっていたからだ。
 話の続きをするのが嫌だった。いや、怖かった。
 ここから離れるときはリジィを普通の人間に戻せていることだろう。それをリジィが望むと望まないと関わらず、だ。だが、もう一度彼女と話をすれば、もしかしたら決心が鈍ってしまうかもしれなかった。そして決心が鈍ったあとに起こる状況に、ヤンチンは名状しがたい恐怖を感じていた。
 あっという間に午後の講義は終わり、ヤンチンはこちらに刺すような視線を向けてくるカナを無視して講義部屋を出た。
 夕日に包まれた庭に出る。
 明日だ。明日、リジィを救うことができる。そうしたら自分は――自分は。
 ――俺は、どうするのだろう?
 それは人間が死んだあとどうなるのだろうと考えるときのような恐怖をもってヤンチンの心に迫って来ていた。
 ヤンチンは正門から出て行く明神の弟子たちに紛れて、外へと繰り出した。
 自室に戻りたくなかった。
 自分がこの任務に着くまで考えもしなかった疑問が一気に解けてしまうような気がした。だから、できるだけ何も考えずに明日を迎えたかった。このまま歩き続けて、朝になってしまえばいいと思った。
 まるで強迫観念だ。
 誰かにせかされるようにヤンチンは当てもなく農道を歩いていた。
 太陽が西に傾く中、桜がいよいよ散り始めている。この分では三日後にはもう完全に散ってしまっていることだろう。
 ――三日後なんて、もう全てが終わったあとじゃないか。
 じゃあ自分はこの桜よりも短命じゃないかと思った。
 馬鹿な。リジィと別れても自分は変わらず教会の任務を繰り返しこなしていくだけだ。何も変わることはないんだ。何も、変わらない。キャンパスに広げた絵の具をぐちゃぐちゃにするように頭の中の懊悩をかき消す。
 いけない。こんなことを考えるために自分は外へ出てきたわけではないのだ。何か、何かもっと他の事を考えなければ。
「ヤンチン」
 そこで、鈴のような声が聞こえた。
 ヤンチンの心臓がびくりと跳ねる。
 振り返った先には、案の定リジィが立っていた。

            ×            ×

「ヤンチン。探しました」
「…………リジィ」
 ヤンチンはまるで操り人形にでもなったかのようなぎこちない声を出した。
 ヤンチンとリジィは神社を通り過ぎた向こうの川。桜木市に流れる川のうち、公園側の川とは違うもう一方の小さな川の橋の上に立っていた。
 ヤンチンは、明神邸からかなり離れてしまっていた。
 それを、リジィは追いかけて来たようだった。リジィの頬が紅潮している。夕焼けの色などでは誤魔化せないほど赤くなった顔から、屋敷からここまで走って来たのだと言うことが分かった。
 リジィは何度か呼吸を繰り返した。その息を整える様子が妙に艶めかしくて、ヤンチンは思わず目をそらしてしまった。
 沈黙が流れる。こぽこぽと小川に水が流れる音と、リジィの息遣いだけが響いていた。
「ヤンチン」
 リジィはゆっくりとヤンチンに近づいてきた。それから小さな声で言った。
「明日の儀式で、盗んだ薬を私に使わないと誓って下さい」
 まっすぐな瞳で見つめられる。リジィの言葉の一言一言には口先だけの嘘は許さないと言っているかのような迫力があった。ヤンチンはリジィを直視できずにいた。
「ヤンチン。約束して下さい」
「…………駄目だ。薬はお前に使う。お前は、人として幸せに暮らすんだ」
「嫌です! 人としてって何ですか? リジィは、ヤンチンの中では人ではなかったのですか?」
「そんなことはない。お前は、俺の中では人だった」
「ならば、一人の人間として、私の主張を認めて下さい! 私は、貴方と一緒にいたいのです」
「お前は何も知らないからそう言えるんだ。俺と一緒にこうやって危険な任務に就くことが幸せだなんてことは絶対にない」
「ヤンチン」
 リジィは静かにヤンチンを制止した。
「私は、私の幸せくらい、自分で判断できます。私は貴方を選びました。――だというのに貴方は私といることを拒んでいる。貴方は、貴方は私が嫌いなのですか?」
 思い切ったようにリジィがそう言った。まるで賭けに出たと言うような顔だった。ヤンチンは渋面を作ってリジィの顔を正面から見た。
「リジィ、好き嫌いの問題ではないんだ。俺のような人間の近くにいてはいけない。周りは敵ばかりだし、一日だって心休まるときは来ない。最後は、俺みたいに擦り切れて、人間として駄目になる」
「ヤンチン、私は貴方が人間として間違っていると思ったことは、無いとは言い切れません。でも、貴方だってやり直せる。擦り切れて救いようが無いなんて言わないで下さい」
「お前は何も分かっていない」
 ヤンチンは思わず噛みつくように言ってしまった。それから少し後悔したが、そのままリジィに背を向けた。
「逃げないで下さい!」
 痛切なリジィの言葉に、ヤンチンは踏み出した足を止め、振り返っていた。
「ここで言っておかないと、きっとヤンチンは駄目になってしまいます。だから言っておきます。ヤンチン、貴方はきちんと人の心を持っている。それを殺しているのは貴方自身です」
 リジィは息を吸い込んだ。彼女は続ける。
「貴方はいつも自分の事を置いてけぼりにしています。いつだって私のこと、私のこと。それをよかれと思ってやっているのでしょうが、それでは貴方は何のために生きているのですか?」
「何のために、生きているだと?」
「そうです。人間らしい感情の根源、自分というものが貴方には決定的にかけています。私は貴方と初めて会った時に、この人は何て無機質なんだろうと思いました。とても綺麗だったからです。でもそれは貴方に明確な目的が無かったからでした。私は貴方と一緒にいる間に、そのことに気が付きました。この人は過去に全てに捨てられた時、同時に大切なものを捨ててしまったんだと。捨ててしまって、ほとんど何も残っていなくて、足りない分を、自分を振り回してくれる運命で埋め合わせていた。流れに身を任せていた。そんな貴方の様子は、どうしようもなく危うかった。いつか言おうと思っていました。そんな振り回されるだけの人生は止めて下さい。貴方は自分の事をもっと考えるべきです。貴方が私に普通の人間に戻ってほしいと願うように、私も貴方に願います。もうこのような危険な仕事は止めて下さい。自分の運命は、自分で決めて下さい」
「お前俺に教会を裏切れと言っているのか!」
 ヤンチンは声を低くした。
「そうは言っていません。ただ、自分のために生きてほしいと言ったのです。だから、昨日のように工房に忍び込むなどという無茶は止めて下さい。それが私のためだと言うのならなおさらです。私は貴方といられて幸せなのです。だから、勝手に、義務感だけで話を進めないで」
「義務感なんかじゃない。運命に流されているなんてこともない。俺は、ただ、お前に幸せになってほしかっただけなんだ」
「では、言います。貴方は、もし私を人間にしたあと、どうなさるおつもりですか?」
「――」
 ヤンチンは口ごもった。
「それが答えられないということは、自分のことを考えていない証拠です」
「違う! 俺は、お前と別れて、今までどおりに、また、任務をこなすだけだ」
 ヤンチンは尻すぼみになりながらそう言い終えた。リジィはそんなヤンチンを悲痛な面持ちで見ていた。
「それはもう人ではありません。貴方は、そこに任務があるから生きると言うのですか? そんな悲しいことを言わないで下さい」
「うるさい!」
 ヤンチンはかすれた声で拒絶した。
「お前は、俺と別れたくないと駄々をこねているだけだ」
「それもあります。でも、話し始めたら、ここで言っておかないといけないと感じたのです。単刀直入に言います。ヤンチン、私を置いていかないで下さい。貴方を人間にするのは、私です」
「俺を、人間にするだと?」
 ヤンチンはぎろりとリジィを睨みつけた。
「余計な御世話だ! 人間にするのは私です、だ? 笑わせるな! そんなのはまっとうな人間になってから言うんだ! お前は――今のお前は魔導書にすぎない!」
「な――」
 リジィは言葉を詰まらせた。それから震える声で続けた。
「貴方は、たった今、私を人間だと言ってくれたではありませんか! それを、結局のところ貴方も私は『本』でしかないと言いました!」
「そうだ。俺を助けるなんて大きなお世話だ。お前は自分のことだけを考えていればいいんだ。これは命令だ」
「聞けません! そんな理屈理解できません!」
「この分からず屋が!」
 ヤンチンはカッとなってそう言っていた。リジィの表情が凍りつく。
「もういい! もういい! お前なんかもう知らない! お前なんか――お前なんか、もう必要ない!」
 ヤンチンはそう言い放った。
「ぁ――――」
 リジィの白磁のような頬に一筋の涙が伝う。ヤンチンはよろめくように後ずさりをして、リジィに背を向け、かけ出した。

          ×             ×

 どこをどう走ったのかは分からない。ただ、もうリジィを直視できなくなって、その場から逃げだした。もうこのまま永遠にリジィとは顔を合わせられないと思った。自分は、たった今一番言ってはならない禁じられた言葉を口にしてしまったのだ。
 お前はもう必要ない。
 思わず口走った言葉は、リジィの人間性とヤンチンを気遣う気持ちの両方を否定してしまった。ただ自分の闇に触れられたくなくて、リジィを突き放してしまった。
 でもそれとは別に、絶対に揺るがない思いがあった。
 リジィは、自分と一緒にいると、駄目になってしまう。
 ただ、それが重い足かせのようにヤンチンにのしかかっていた。
「これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ。これでいいんだ」
 繰り返す言葉は自己暗示だった。
 リジィの気持ちを無視するように、自分の根底にある気持ちを否定する。合理的に考えてどうするべきかを考える。冷静に状況を分析して自分たちはどうあるべきかを結論付ける。
 迷いは要らない。答えはいつだって論理、合理、道理の向こう側にある。そうだ。そう考えれば自分の考えは寸分たりとも間違ってはいない。
 リジィは自分がどうすれば幸せになれるかが分かっていない。そもそも判断材料が少なすぎるのだ。限られた範囲のことを知らないから、それ以上の領域のことには考えが至らない。リジィがやって来たことと言えば、魔術師連中に良いように使われて、自分のようなろくでもない男に拾われて一緒にいたことの二つだけ。そんな中で答えを出すこと自体が間違っているのだ。
 『貴方は私が嫌いなのですか?』
 彼女の言葉が耳に蘇ってくる。まるでヤンチンの思考を遮るような一言に、ヤンチンは歯を食いしばった。
「そんなわけないだろ」
 呟く声は流れる景色同様後ろに消えていく。
 もうどうすればいいのかなど、全く分からなかった。

          ×                ×

 夕暮れの光が弱くなっていく頃、明神カナは二階のドアからそっと父の工房へ踏み入った。父は、明日の儀式に備えて、もう寝室で眠りについている。
 工房を中心に離れにかけられた強力な結界は対暗殺者用のもので、父のカズノリが最も心を許す相手である自分には全く効果が無い。結界自体が、カナを敵として認識していないのだ。カナはそれを逆手にとって明神の工房に入ったのである。
 目的は、明日の儀式についての情報を得るため。
 今日昼間、ヤンチンに言われた一言が、喉に刺さった小骨のように彼女の心に引っかかっていたのだ。すなわち、儀式で薬を生成するにおいての、その材料はなんなのか。考えてみれば、もっと早くに思い至るべきだった。自分の父は魔術界を揺るがすような儀式――すなわち死んだものを生き返らせるということをしようというのだ。そんな大魔術において、材料が何なのか。命を再構築するだけのエネルギーなど存在するのか。
 疑問だった。不可解だった。もっと早くに思い至るべきだった。
 そうだ。自分は今までそれを考えないようにしてきたのかもしれない。母がよみがえるのだ。それは父だけでなく、自分にとっても嬉しいこと。立派に副オーナーを務めている自分を母に誉めてほしい。がんばったねと一言言ってほしい。そんな願望が、考えることを止めさせていた。
 それが、今日のヤンチンの一言で一瞬にして冷めた。
 分からない材料。危険を顧みない父の儀式を行うとの公の発表。父の最近の狂ったような態度。何かに囚われて、倫理を忘れてしまったかのような様子。
 嫌な予感しかしなかった。
 人間を造ることにおいて用いられる魔力はどこから集めてくるのか? それを維持する魔力は? そして、こんな隠密に済ますべき儀式に、何故敢えて外来からの魔術師を多く呼び込むような真似をしているのか?
 カナは一瞬でそれに気が付き、そして、まさかと打ち消した。
 打ち消したあと、どうしようもなく不安になった。
 それで、父に内緒で工房に忍び込み、重要文献を見ようと思い立ったのである。
 願わくば父の構築した儀式の理論が正当なものでありますようにと、祈るような思いだった。
 カナは地下の、父の研究室の扉をギィと押し開けた。
 中は、一週間前に部屋の掃除をしに入った時と変わっていなかった。夕暮れの光がうまい具合に入って来ていて、部屋はホテルのロビーのように柔らかい光に包まれていた。
 入って最初に目に入る大きな黒い金庫。あれはダミーだ。この工房に何かを盗み入った者は、手に入れたいという思いが強ければ強いほど、あの罠にかかりやすくなる。
 カナは次に部屋の奥、中央に置かれている机に目を移した。大きなマホガニー製の机はカナの父のように立派である。カナはそれに歩み寄り、裏に回って引き出しを開けた。
「これもダミーか」
 引き出しの中には命の霊薬について書かれたレポートのダミーが入っている。
 うまく侵入者の心理をついたダミーである。たとえば、侵入者が霊薬についての情報を盗みに来たとする。その時に、まずこのレポートを見つける。するとこれにまんまと食いついて、手に入れたと満足するわけである。そう、見つからない、というのではなく、一番それらしいところにダミーを置く。この部屋の幻惑効果も相まって、侵入者は完全にだまされるわけである。
 この引き出しに入っている紙束は、どうでもよい魔術理論を羅列しただけのダミーである。
 実際、明神の弟子たちの一部はこの部屋に盗みに入って、このダミーに須らく引っ掛かっている。カズノリはそれに気付いていながらも、敢えて言及せずにいるのだ。
 見逃しているのだ。
 とすれば、このダミーは何のために存在するのか。簡単だ。侵入者に命の霊薬の素晴らしさを伝えるまき餌だ。このことを人づてに聞いた魔術師たちが、儀式の当日になってこの町にこっそり紛れ込んでくる。
 カズノリは、公に薬を造ることを発表し、内密に薬の情報の一部をばらすことで儀式当日に向けてできる限りの人を集めている。その目的はなんなのか。それはきっとすぐそばにある。この書斎の中に。
「あった」
 カナは本棚の奥、父が愛読している魔法薬の本を引き出した。そのページをめくる。
 かつて、この工房に父の食事を運んできた時に偶然耳にしてしまったのだ。ドアをノックしたとたん、中から急いで本を本棚に戻す音を。それで中に入ったら、この本だけがさかさまになって入っていたのだ。
 カナはその本の中に一枚の紙切れが挟んであるのに気が付いた。
 そのメモには細かい字でびっしりと何かが書かれていた。冒頭の一文を見ると、この本を以下に従って読め、とあった。
 カナはそこで部屋を見回して、周りの気配を探った。
 トラップは発動していない。本来ならばここで父が気付いてもおかしくないのだが、今回に限って、父は娘の反抗を予期していなかったようだった。
 カナは細くため息をつくと、高速で本の解読に当たった。
 そして、読み進めるうちに、体中から嫌な汗が噴き出てくるのを感じた。
 読み方の間違いだろうか。カナはもう一度メモに目を通す。いや間違っていない。ならばここに書いてある理論はこういうことになる。ならば、そこから導き出される結論は。
 カナの中でパズルのピースがはまったかのような音がした。
「なんてことだ……! 父を、お父様を止めないと……!」
 カナは茫然と呟いた。
「わしを止める?」
 カナは血が凍るかのような錯覚を覚えた。心臓がドクンとひとつ跳ねる。聞き間違いかと思った。聞き間違いであってほしいと願った。今、背後から、響いた声は、誰のものだろうか。混乱した頭がそんな今更のような疑問を口にする。
 血の気のなくなっていくカナをしり目に、再度声は冷たく響いた。
「カナ、わしを止めると言ったか?」
 カナはロボットのようなぎこちない動きで後ろを振り返った。
 そこには誰であろう、明神カズノリその人が立っていた。
「お父、様……」
 茫然とつぶやくカナ。明神は寝巻を着たまま悠然とカナに歩み寄る。
「ここで何をしている。勝手に父の工房に忍び込むなど、お前らしくないな」
 明神が感情の無い声でそう訊いた。カナは身構えながら言葉を紡いだ。
「わ、私は……、お父様の研究を、確かめたくて、その」
「確かめる? お前のような青二才に何が分かる!」
 高圧的なその声に、カナの身がこわばる。明神は続ける。
「わしはお前を買っておった。しかし、このように盗人の真似ごとをするような娘に成長するとは思っとらなんだ」
「しかし、お父様、私は」
「しかしも、かかしもない!」
 雷の落ちたかのような一喝。カナは二の句が継げなかった。
「お前はわしの工房に勝手に忍び込んだ。そして、霊薬の製造方法についての文献を読んだ!」
 明神はそこで猫なで声になって続けた。
「カナ、その研究資料を読んだうえでも、わしに賛同することを誓え。薬は必ず造らねばならんのだ」
「しかし! このような儀式は認められません! 人としての倫理を外れております! これは人を無差別に殺すものだ! 死ぬ覚悟のあるなしを問わず強引に命をぬぐい去る魔法。このような儀式、承認できません!」
 明神の目がぎょろりとひんむかれた。
「ああ、カナ――わしの、かわいいカナ……」
 猫なで声は続く。そして、明神は一気にその顔に朱を注いだ。
「賛同できぬと言ったな! ならばお主はわしの儀式を阻むつもりだな! そうはさせん! 儀式は誰にも止めはさせん!」
 明神の姿がかき消える。同時に部屋の唯一の出入り口のドアが幻のようにかすみ、ただの壁に変化した。カナは扉があった壁に駆けよった。
「お父様、いけません! このような儀式はすべきではない!」
「黙れカナ! お主は少しばかり気真面目すぎるのだ! 儀式が終わるまで、そこで大人しくしているが良い! なあに、その部屋の結界の中にいれば、儀式魔法からの魂の搾取から逃れられるだろうて! ゆめそこから出ようなど考えるな」
「お父様!」
 カナは姿の見えない父に向かって叫んだ。
 しかし、叫んだ声はただ閉じられた部屋にこだまするだけで、外に届くことはなかった。

            ×            ×

 気が付くと、ヤンチンは寮の自室に戻っていた。
 暗い中、リジィの甘い香りの残る布団に自分の体は投げ出されている。
 どうやら自分は当てもなく走り回った挙句、気付いたら明神邸のこの場所に戻って来てしまっていたらしい。そこから、どこをどうまかり間違えばこのように自室で眠りこけていることになるのかははたまた謎であったが、とりあえずそんなことは考えずに時間を確認することにした。
 携帯を取り出して時間を確認すると、午後七時をデジタル時計は表示していた。
「リジィ……」
 眠ったからだろうか、考えがある程度整理されて、冷静な自分が戻って来ていた。
「リジィに、酷いことを言っちまった」
 ぽつりと闇の中で呟く。ヤンチンは携帯電話の電話帳を開こうとして、指を止めた。
 こんなちっぽけな端末で、リジィに思いが届くのだろうか。
 ヤンチンは携帯電話を見下ろしながらそう考えた。
「直接、会いに行かないといけない」
 彼女はまだあそこにいて、自分を待っているような、そんな気がした。
 心が軋む。これから選ぶ未来の選択肢。そんなものはまだ決まっていない。
 こうするしかないと、自分は合理的に考えて、自分を殺していたのだ。
 自分はどうしたいのか。
 でも現実を無視することは許されない。願望だけで突き進んでも、待っているのは破滅かもしれないからだ。
 結論を下さねばならない。
 これから自分はどうするのか。
 でもそんなもの、簡単に下せるものではない。
 ではどうすればいいのか。
 そんなものは分からない。だから、
「だから、まずリジィを迎えにいかないと。それから決めればいいんだ」
 問題の先送り。悪く言えばそうだ。いや良く言ってもそうにしかならないか。でも、もう一度リジィと正面から向き合って話す必要があると思った。
 自分は、真正面からぶつかって来たリジィから、怖くなって逃げ出してしまったのだ。
 やってはいけないことの上に、リジィにとって一番の禁句をも口にしてしまった。
 借金の重ね掛けだ。ならば今から清算しに行かねばならない。
 ヤンチンは黒いコートを羽織ると、外へ飛び出した。
 答えに向かって、走り出した。
 そうして夜をかけた。寮を飛び出したヤンチンは曲がった鉄砲玉のように正門から飛び出し、一路、神社の向こう側の橋を目指した。
 彼女ならきっとあそこにいてくれる。
 ヤンチンは焦る思いに身を任せ、神社を通らずに橋に至る経路――すなわち最短経路でそこへとかけた。頭の中はリジィの事でいっぱいだった。二年前、彼女の震える唇を奪って契約を交わした時から、自分は彼女に囚われていた。死んでいた自分の魂は、彼女に囚われることに寄って再び蘇ったのだ。それからずっと、囚われてきた。それはリジィにとってもそうだ。リジィは精神面ではなく、物理的な契約によってヤンチンに囚われてきた。
 お互いを縛っていたのだ。ヤンチンはリジィを解き放つことを選び、リジィはヤンチンとともに歩んでいくことを選んだ。ただそれだけのことだ。
 そう、食い違いはそこだった。
 問題点はそれが背反すること。両方を都合よく撮ることはできない。ならば、どちらかが覚悟を決めて、自分の選択肢を折るほかない。
 だが、二人は譲らなかった。譲らなくて、譲れなくて、そして、ヤンチンは逃げてしまった。
 田んぼを突っ切って畔に這いあがる。靴が泥だらけになるが構いっこなしだ。ヤンチンは小川をさかのぼり、リジィと別れた橋を捕捉した。
 その橋の上には、予想通り小さな人影が一つ、たたずんでいた。
「リジィ!」
 ヤンチンは少女の影に声をかけた。人影はおもむろに顔を上げた。
「ヤンチン……」
 ヤンチンを見たリジィの顔には幾筋もの涙が光っていた。翠緑の瞳は潤んで、目の周りは外灯の光のもとで赤くはれていることが分かった。ヤンチンはわずかに息を乱れさせながら口を開いた。
「迎えに来た」
「――――!」
 リジィが絶句する。マジマジとヤンチンの顔を見る。
「リジィは――リジィは、要らな子だと言われました」
「ああ、俺の命令を聞かない奴は足手まといだ。だけど、そんなの関係ない。帰ろう、リジィ」
 手を差し出す。しかしリジィはそれを握ることはなかった。
「私は――分かっていました。貴方に告白することで、嫌われてしまうと」
「でも、いつかは、話合わないといけないことだったんだ」
「私は――貴方に生きてほしい」
「リジィがそう望むのなら、俺は生きるよ」
「やめてください!」
 リジィは小さく叫んだ。
「そんな、私が生きろと言ったから生きるなんてこと止めて下さい! そんなの、ヤンチンは、リジィの操り人形のようで、いやです」
「お前は死んだ俺を生き返らせてくれた。俺は結局はお前に囚われていた。だから、お前が俺を中身の無い操り人形だと感じたのなら、多分それは正しい。――でも、それが嫌だって言うなら、俺は努力する」
「ヤン、チン…………」
「俺にはどうすればいいかなんて分からない。そうだ。お前の言う通り、俺は七年前、親から捨てられた時に大事なものを一緒に捨ててしまった。その大事なものが、何だったのか、いまだにそれは分からない。俺は、失った部分を理詰めで覆い隠して、がむしゃらに前に進んでいた。暗闇の中を、目を閉じて走るように」
 ヤンチンはリジィを見据えた。
「でも光を見つけた。それは君だよ、リジィ」
 リジィは息を詰まらせた。初めて会った時のように、彼女は一つしゃくりを上げた。
「答えは出なかった。だけど」
 ヤンチンは震える彼女を抱きしめた。
「今は、こうして一緒にいたい」
「私も……です」
 リジィはヤンチンの腕の中でそう言った。
「私も、貴方と一緒にいたい」
「薬は、手に入れる。だけど、お前に使うかどうかは、先送りだ」
 ヤンチンは目を閉じてそう言った。
 そのヤンチンの言葉に、リジィはただ嗚咽を繰り返すばかりだった。
 二人は抱き合ったまま無言で時を過ごした。
 時間さえなくなってしまったかのような錯覚。
 二人はやがて、どちらからともなく手を放した。
 それから、手をつないで神社の方を向いた。
「帰りましょうか」
 リジィが泣き笑いの顔を作る。ヤンチンはそれに一つ頷いた。

          ×             ×

 夜道を行く。
 行く先に問題は山積みだと言うのに、ヤンチンの心は不思議と晴れ渡っていた。
 それはきっと彼女といるからに違いなかった。つないだ手から伝わってくるぬくもりに、知らずに安心しているのだ。
 ちらりと横を盗み見ると、リジィは目を伏せたまま少し頬を赤らめて歩いていた。
 不思議なものだ。
 二年間彼女と一緒にいて、このように安らいだ気持ちになったのは今日が初めてだった。
 月は高く、風はやや強い。春風にあおられて桜の花びらが雪のように闇を舞っていた。
 ふと思った。殺伐とした自分の心は、もしかするとこうした何でもないふれあいの中で癒されていっているのではないかと。
 人の心なんて分からない。魂の死んでしまった自分にそんなもの分かるはずが無いと諦観に似た感情を抱いていた。しかし、今は何が起こったのか自分が普通の人間のように錯覚してしまっていた。普通の人間のように心に安らぎが生まれていた。
 揺れる金の髪を目を細めて見る。するとリジィはこちらの視線に気が付いたのか、ヤンチンを見上げて少し微笑んで見せた。
 その瞬間、ヤンチンは唐突に理解した。
 自分が欲しかったものは、こんなもので。
 自分が恐れていたのは、それを失ってしまうことだったのだと。この笑顔を守り抜くだけの覚悟が無かったのだ。擦り切れた自分にはできないと思っていたのだ。
 だけど――。
 二人は無言で歩きつづけた。月は明るく、物想いにふける二人を明るく照らしていた。月に守られて二人はまるで楽しい想像をするかのように頬をほころばせていた。
「エリザベス」
 ヤンチンは急に立ち止まって、彼女の名を呼んだ。リジィはただ「はい」とだけ答えた。それから二人は申し合わせたように唇を近づかせ――――。

            ×                ×

 直後、闇を貫く長い悲鳴に二人は顔を上げた。
 まるで断末魔の叫びのようなそれは長く、恐怖に震えながら聞こえてくる。ヤンチンはハッと神社の方を見た。鎮守の森を突き抜けて響いてきたそれは、間違いなく神社の境内からにちがいなかった。
 二人は唐突に顔を離した。
「ヤンチン!」
 リジィが急き込んでヤンチンに呼び掛ける。
「ああ。これは――ただ事じゃないな」
 ヤンチンは呟いて、もう走り出しているリジィのあとに続いた。
 幸いにも神社はすぐそこだ。走れば一分もかからないだろう。
「男の人のものでしたよね?」
 リジィの声に頷く。
 とてつもなく嫌な予感がした。
 神社の前にたどりつくと、いよいよ嫌な予感は現実のものとなりつつあった。血の匂いが境内からかすかに漂ってきていたのである。ヤンチンとリジィは互いに顔を見合わせると、ひとつうなづいた。神社の石段に足をかける。
 そこで、
「ヤンチン、危ない!」
 リジィの声に、咄嗟に後ろに飛び退いていた。ヤンチンが鳥居の下まで一気に後退する。リジィもその隣にふわりと着地した。同時に一瞬前まで二人が走っていた場所に、月光を反射して一筋の糸が駆け抜けた。
 ピシュッと。
 水を噴出する音。ヤンチンは息をのんだ。石段に、鋭い切れ込みが入っている。リジィはそれを見て呟いた。
「ウォーターカッター……!」
「何だって?」
 ヤンチンはリジィを見た。リジィは前方の闇を油断なく見据えていた。
「水です。圧縮した水の勢いで対象を切り裂くものです」
 リジィは前方の切られた石段を指差しながらそう言った。それから、前方の闇に向かって彼女は呼び掛けた。
「出てきなさい。奇襲は失敗したのだから、もう隠れている必要はないんじゃないの? まだその闇の中に潜んでいるようなら、私とヤンチンは容赦なく貴女を叩き潰します。さあ、正々堂々と姿を現しなさい!」
 一瞬の間が空く。
 まるで出て行こうか行くまいか思案しているような長い沈黙が流れる。
 そうして、リジィの呼びかけに、前方の闇の中から、月光をはね返す銀の髪がしみ出てきた。ヤンチンは目を見開いた。思わず呟く。
「お前は――モモハナ……!」
 ヤンチンの言葉に応じるように、暗がりの中から一人の巫女が姿を現す。
 長い銀の髪。両目を覆う包帯。巫女服に包まれた華奢な体。それは間違いようもなく、彼女のものだった。しばらく唖然としてヤンチンだったが、すぐに気を取り直す。ヤンチンはモモハナに向かって呼びかけた。
「先程悲鳴が聞こえた。境内からだ。おせっかいはする気はないんだが、一応通りがかったからには確認しとくのが筋というものだ。通してくれるか?」
「……」
 モモハナは沈黙している。しばらくしてから、モモハナはやっと口を開いた。
「境内には、誰もいない」
 彼女がそう呟いた瞬間、また月にまで届きそうな悲鳴が上がった。間違いなく境内からだった。
「モモハナ」
「…………」
 モモハナは微動だにしない。
「ヤンチン、一般人が何者かに襲われているのかもしれません。何にせよ、ここは早急に様子を見に行くべきかと思います」
 リジィが提案する。ヤンチンは頷いた。
「人が何人死のが俺には関係の無いことだが、一応、これでも死ぬ覚悟の無い者まで無差別に殺すのをよしとしているわけではないんだ。境内には誰もいないと言ったな? ということはお前もあそこに誰かがいることを知らないということだろう? ならあそこにいるのは一般人かもしれなくて、今、不慮の事故に巻き込まれて死にかけているかもしれない。俺たちはそれを確認しに行く。とりあえず様子を見に行く。だから、通してくれ」
 ヤンチンは一言一言しっかりと言葉を紡いた。一方でリジィはヤンチンの言葉が終わる前に駆け出していた。ヤンチンは慌ててそのあとを追った。モモハナの横を通り過ぎる時は細心の注意を払ったが、モモハナはその場でただ立ち尽くしているだけだった。
 石段を駆け上がる。
 先を行くリジィは息を乱しながら細い足で石段を蹴っている。ヤンチンはその後を追う。
 そうして、飛び出した境内。
 そこには血のにおいが充満していた。
 手足を切り取られた人間がそこかしこに転がっていて、皆ピクリとも動かない。死んでしまっている。いや、血肉や、魂さえも吸い取られて殺されている。
 倒れている人間の頭は色とりどりだった。青髪や金髪、紫などという者もいる。その中で、一番奥で揺れる赤い髪が見えた。
 あの赤髪一派のリーダーだった。
 ヤンチンは目を細めた。赤髪はかくかくと頭を動かしている。いや、動かされている。良く見ると、赤髪の胸に誰かが顔をうずめて何かをすすっていた。
 ズルズル。ズルズル。
 耳障りな音が境内に響く。
 リジィは厳しい目を前に向けた。リジィの体は震えていた。それは目の前の惨状に対してか、それとも、赤髪の魂を食っている人影に対してか。ヤンチンは歩を進め、リジィを安心させるように、その隣に並んだ。
「――――おや。客人ですか」
 さわやかな声。
 赤髪に顔をうずめていた誰かがもう用は無いとばかりに赤髪の体を投げ捨てる。バタリと地面にたたきつけられて跳ねる身体。もう生命の宿らない体をどけて、闇の中から人影は前に出てきた。
 黒髪に銀のメッシュ。
 両手にはジャラジャラとうるさく鳴る鎖。
 キム・ウチャングがまるで舞台劇の主役のように月光を浴びながら、笑っていた。

             ×                ×

 ヤンチンはその獣のような双眸で前方に悠然と立つ男を見据えた。
「ウチャング。何をしているんだ?」
「何をしている?」
 ウチャングは静かに訊き返した。
「何をしていると、貴方はそう訊きましたか? この状況を見て分からないのですか? 少し、皆さんから魔力をいただいていたんですよ」
 ウチャングは赤みの刺した艶やかな肌を見せつけるようにまた一歩こちらに踏み出した。そして、じゃらりと鎖を鳴らしながら髪をかきあげる。
「魔力を、吸い取っていた、ですって?」
 リジィが震える声で訊き返す。ウチャングは端正な顔にさわやかな笑みを浮かべながら頷いた。
「ええ。明日は儀式の日でしょう? あの明神カズノリを出し抜くのですから、それ相応の事をしておかないといけませんからね」
 ウチャングはそう言ってまた髪をかき上げる。そのかき上げる腕の部分の服の生地が破れているのをヤンチンは見つけた。そして、驚きに目を見開く。破れた服の下に光っているのは、ねじやら歯車やらの銀色の金属だったからだ。ウチャングの体がぎしりと軋みを上げる。
「ああ、激しく動きましたからね。また整備しておかないと駄目だなぁ」
 ヤンチンの視線に気が付いたのか、ウチャングは苦笑して見せた。
「お前、体が機械でできているのか……?」
 ヤンチンが緊張した声をかける。ウチャングはそれには答えず、ヤンチン達の後ろに向かって威圧的な声をかけた。
「モモハナ! 誰も通すなと言っただろう! どうしてヤンチンを見逃した!」
 ヤンチンとリジィが振り向く。すると、ちょうどモモハナが石段を上ってくるところだった。
「ごめんなさい、兄さま」
 モモハナが蚊の鳴くような声で詫びた。それから、硬直するヤンチンの横を通って、ウチャングのもとへと歩いていく。
「でも、奇襲をかわされた。きっと、私だけでは止められなかった」
 ヤンチンはゆっくりと移動するモモハナを目で追いながら言葉を絞り出した。
「モモハナ、兄さまって」
「兄さまは兄さま。私を造ってくれた、兄さま」
「何を……言っているんだ」
 ヤンチンは信じられない気持で前方の二人を見据えた。
「モモハナ、でいいのかしらね?」
 ふとリジィが割り込んできた。モモハナが答えずにいると、リジィは構わず続けた。
「先程のウォーターカッター、明神さんの命を狙ったのは、貴女ね?」
 沈黙。肯定の意思表示だろうか。でも、だとしたら何故。
「ちょっと待て、俺は状況が理解できない。ウチャング、お前とモモハナは仲間なんだな?」
「仲間というか、モモハナは僕に絶対服従です。醜い女ですが、僕に従順なのはいいことですよ」
「それで、こいつらは、――お前がやったのか?」
 ウチャングは機械的な笑みを浮かべた。
「おや、どうしたんです? まさか人が死んだから慌てているんですか? フフ、だとしたら相当肝が小さいですね」
「質問に答えろ」
 ヤンチンは冷たく言い放った。ウチャングが髪をかき上げる。そしてそのポーズのままぎろりとこちらに目を向けてきた。
「この状況を見て、僕以外の誰がやったとお思いなんですか?」
 ウチャングの言葉に、リジィは端正な顔を嫌悪にゆがめた。
「貴方、出会った時から気に入らなかったけれども、本当に外道だったのね」
「おや、でも僕は貴女のことを気に入っていましたよ。言ったでしょう? 僕は美しいものが大好きなんです。そう、貴女のように美しいものは、ね」
「お前ら、これだけの魔術師を殺しておいてどうにかなると思っているのか? さすがにこれは明神のひんしゅくを買うぞ」
「それ以前に、倫理的にどうかと思いますが」
 リジィがぴしゃりとそう言った。
「明神? 倫理? は。下らない話を振ってきますね」
 ウチャングの細い目に氷のような冷たい光を宿る。
「明神など、薬を造らせるだけの存在。それも製造方法を聞きだした今、あの老いぼれに存在意義などありませんよ。倫理とか論じるのは論外ですね。魔術師は高慢で、自分のことしか考えない。人だって必要とあらば平気で殺す。そう言う人種なんですよ? 理解できていますか?」
「理解できないわ。そんな腐った考えをお持ちなのは貴方だけではないのかしら?」
 リジィが汚いものを見るかのような目つきでウチャングを見た。
「これは酷い。引き合いに出しちゃ悪いかもしれませんが、この程度の殺戮に比べれば、明神などはもっと酷いことをしようとしているんですよ? たったこれだけの人間を殺しただけで、そんな風に見られるなんて心外です」
「カズノリさんは関係ないだろ! お前、これだけの人間を、ただ魔力を吸い取るためだけに殺したんだろ? そんなの、許されることじゃない」
「おかしなことを言う。貴方だって人を殺したことはあるはずだ。出会った時から気付いていましたよ。コ・ヤンチンは自分と同じ、人殺しの目をしているとね。人を一人殺そうが、十人殺そうが、殺したことには変わりない。確かに規模としては十人の方が大きいですがね。ああ、でもその論理でいくと、明神の儀式と僕の所業が五十歩百歩ということになりますね。さて困った」
「儀式、だと?」
 ヤンチンは訊いた。
「おや、貴方、やっぱり明神の工房に忍び込んだ教会の阿呆とは別人なんですかね? あそこに忍び込んだのなら、もう儀式の全貌は把握していたと思ったんですが」
 ヤンチンが沈黙していると、代わりにリジィが口を開いた。
「儀式の、全貌ですって?」
 ウチャングは答えずに殺気を込めた瞳でヤンチンを見据えていた。
「兄さま、こいつら、どうする?」
「殺すに決まっているだろう」
 ウチャングは即答した。それからリジィに目を移し、美しい美術品を敬うような目つきで彼女の体を舐めまわすようにして見た。
「でも、エリザベスさんは生かしたまま僕のものにしたいな。綺麗なものには、僕は平等の愛を捧げるのです。どうです、エリザベスさん。僕の仲間になりませんか? 僕たちは明日、明神から壺を奪って儀式を行う算段です。薬は確実に手に入ります。手に入った薬は僕と貴女で山分け。悪い条件ではないでしょう?」
「死んでもいやね。残念ながら、生理的に無理だわ、貴方」
 リジィはきっぱりとそう言った。
 ウチャングの顔から笑みが消える。ウチャングは氷のような口調で言った。
「そうですか。――残念です」
 じゃらりと鎖を揺らすウチャング。ヤンチンはリジィをかばうように前へ出た。
 ウチャングはにやりと笑った。
「リジィ、しばらく下がっていろ。隙を見つけてお前とパスをつなぐ」
 ヤンチンがコートからダーツを取り出した。
「ふん。やはり貴方が教会の使徒でしたか」
 ウチャングは自身の周囲に鎖を展開しながら言った。
「――そうだ。俺は教会の異端審問官。異端を処罰する者だ。成り行きとは言え、今からお前を浄化させてもらう。覚悟しろ」
「はっ! 負けるのは貴方ですよ! 僕はこんなところで負けるわけにはいきませんからね!」
 ウチャングの体が流れる。同時にヤンチンも地を蹴っていた。
 蛇のようにのたくる鎖がヤンチンを囲むように展開される。
 ヤンチンは両手に構えたダーツを鎖に向けて投擲した。
 甲高い金属音が鳴り響く。ヤンチンは軌道が逸れた鎖の合間を縫うようにウチャングに接近した。
 拳をウチャングの胸にたたき込む。ウチャングはそれをサイドに避けながらかわし、両の手の鎖を使ってヤンチンの背後を狙う。ヤンチンは背後に跳び退りながら逃れる。
「お前は明神の忠実な犬じゃなかったんだな」
 ヤンチンは右から薙ぎ払われる鎖をかわした。
「何を言うのです?」
 ヤンチンがダーツを投擲する。ウチャングはひらりとのけぞってそれをやり過ごしながら、鎖をふるう。
「お前が提案した深夜の哨戒。お前はカナを助けるために言いだしたんじゃなかったのか」
「見回りは漁夫の利を狙って魔力を集めるためですよ。カナは関係ありません」
 ヤンチンが連続投擲する。それを後ろに跳び退ってやり過ごしながらウチャングは愉快そうにそう言った。
「貴方はいいですね、そのような健康な体があって。僕とは大違いだ!」
 凍る鎖が地面をえぐり、瞬時にその場を冷却する。ヤンチンは足元からせりあがってくるそれをかわしながらダーツを投げ放った。それを鎖で弾きながらウチャングが吠える。
「その全身、使いものにならないくらいに無茶苦茶にしてあげますよ!」
 ヤンチンは振るわれる鎖をかわして一気にウチャングに接近した。ウチャングが後退する。
 ヤンチンは素早くリジィのところまで後退すると、彼女を抱きよせた。口づけをかわす。
「コード・タイタン」
 ヤンチンが呟く。再現された巨人の魂がヤンチンの体に部分的に憑依し、ヤンチンの体が鋼のような強度を誇る。ヤンチンは牽制のために振るわれた凍る鎖を真正面から受け止めた。
 ヤンチンの皮膚を凍らそうと唸りを上げる鎖と、鎖を引きちぎろうとするヤンチンの剛腕が軋みを上げる。
「実はですねぇ! 僕もこうして貴方と戦いたかったんですよ!」
 ぎちぎちと鎖を軋ませて、ウチャングが声を絞り出す。
「貴方のことは端から嫌悪していた! そのような」
 ウチャングの細い目の焦点がヤンチンの後ろで魔力を練るリジィにぎらぎらと当てられる。
「そのような美しいものを手にしていながら拒絶している貴方が憎かった!」
 ウチャングの魔力が青いオーラとなって体から立ち上る。すさまじい魔力量だった。
「貴方のそのしなやかな体がうらやましかった! このような鉄の塊でしかない僕の体が、憎かった!」
 ヤンチンは鎖に一層の力を込めた。ジュッと手の表面が凍りつく。
「僕は完全になるんだ! 命の霊薬によって! 僕は美しくなるんだ!」
「く……」
 ヤンチンは手に気合いをこめるバキィとすさまじい音がして、凍る鎖が根元から引きちぎられ、ウチャングの手を離れた。
「お前の気持ちも分からなくはない」
 ヤンチンは無刀となったウチャングをに見つめながら言葉を発した。
「だけど、薬は俺が手に入れる。まだ見いだせていない答えがあるんだ。そのためにも、手に入れる」
「答えですって! 何の答えか分かりませんが、果たしてそれは儀式の材料に見合うだけのものなのでしょうね?」
 ウチャングは巨人の魂を纏ったヤンチンを正面から射抜くように睨みつけながら叫んだ。
「なんだと?」
「いいことを教えてあげますよ! 薬の材料は生きた人間です。生きた人間の魂なんですよ」
「な――」
 ヤンチンの目が見開かれる。ヤンチンの後ろではリジィも驚愕の声をあげていた。
「人の、魂ですって」
「そうです。人を一人再構築するなんて芸当は人間程度のこざかしい理論ではどうにもならない。超高密度の魂というエネルギーで力押しするしかないんですよ。明神の理論はまさにそれだった!」
 ウチャングは隣にやって来たモモハナの腰を両手で鷲掴みした。
「貴方にそれだけの理由がありますか? 僕にはある! この世界は僕に正当な体を与えなかった。この屑のような不良どもには五体を満足させても、僕には満足に動く足一本も恵んでくれなかった! 故に! 僕には薬を使う権利があるんだ!」
 ウチャングはモモハナの唇を強引に奪った。それからモモハナを横に投げ捨てる。
「降臨しろ! コード・エンジェル!」
 ウチャングが天をも突かんような大声をあげた。
 同時にウチャングの魔力量が跳ね上がる。モモハナによって再現される人ならざるものの魂がウチャングに憑依する。
「コード・エンジェルですって……?」
 リジィが信じられないと言うような面持ちで前方を見る。ヤンチンも歯を食いしばって突如として降臨した巨大な神の使いの魂を睨む。
「貴方達を初めて見た時は気付きませんでしたよ」
 天使の幻影がウチャングの背後でその両翼を広げる。爆発するかのような魔力の奔流。それを纏いながらウチャングは悠然と言葉を紡ぐ。
「貴方が僕と同じ『魔導書』使いとはね!」
 広げられる幻想の翼。ウチャングはゆらりと地上から一メートルほど浮き上がった。
 リジィはそれを睨みながら声を絞り出した。
「貴方――そんなはずはない! ロンドンの図書館から盗み出されたのは私だけです! そもそも『天使の書(ルビ:コード。エンジェル)』はそんなやつじゃないわ!」
 リジィはウチャングの背後で魔力を練るモモハナを見やる。
「こいつは『写本』ですよ。僕の母親は屑でしたが魔術の腕は良くてね。ロンドンの図書館から能力を複写して来て、再現しようとした。それを僕が完成させたんですよ」
 ウチャングの体がヤンチンめがけて飛んでくる。ヤンチンはそれを正面から迎撃する。
 拳と拳がぶつかり合う。ぶつかった瞬間、衝撃波に大地が抉れ、大気が唸りを上げた。ウチャングは空中で旋回し、再び急襲をかける。
「もっとも完全にはコピーできず、天使の水をつかさどる章のみになってしまいましたが、ねッ!」
 ヤンチンとウチャングの拳が交差し、互いの肩をかする。二人はそれだけで大きく後方へ弾き飛ばされた。ヤンチンは右手と両足で大地をとらえ、ウチャングは空中で一回転して態勢を整える。
「でも巨人程度を狩るのには十分だ! 神話同様、神の怒りの前に敗北するがいい!」
 ウチャングはそう吠えると自らの体の魔力を燃え盛る炎のように体の周囲に揺らめかせる。
「ッ!」
 ヤンチンは瞬時に危険を悟り、背後のリジィを抱えてサイドに跳んだ。
 ウチャングの背中に展開される両翼から光で編まれた羽毛が粉雪のように展開される。
 古の天使の魂の再現。その禁じられた呪文を彼は解放しようとしているのである。
「あああ、アア、AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!」
 ウチャングが吠える。ヤンチンは巨人の脚力を持って地を蹴った。地面が抉れると同時に、ヤンチンとリジィは山の木々の間へと一瞬にして離脱する。
 ヤンチンは天を仰ぎ見ながらウチャングの照準から逃れようと木々の合間をかける。
「食らうがいい!」
 舞い散る千の羽毛が宙でその形を変え、巨大矢となる。青の光を放つ矢群はそのすべての切っ先をヤンチンとリジィに向けていた。
「ヘブンズッ――――ストライクッ!」
 ウチャングの号令が森に響き渡る。展開された青の矢は地上で天を仰ぐ巨人の魂を狙い撃ちすべく一斉に放たれた。地上を薙ぎ払うかのような矢群が木々をなぎ倒しヤンチンがひた走る森を掃射する。
 ヤンチンは戦慄した。目の前は崖だった。巨人の皮膚を持つ自分はそこから飛び降りでも問題なかったが、リジィはひとたまりもない。あの下には小さな谷川が流れているだけで、滑り落ちたら最後、無事では済まない。
意を決したヤンチンはリジィを自身の体で守るようにして体を伏せた。
 自身に覆いかぶさるヤンチンに、リジィが目を見開く。
 同時に降り注ぐ衝撃がヤンチンの背中をつるべ打ちにする。巨人の皮膚をもってしても甚大な衝撃を、ヤンチンはその背に直撃させられた。
「ぐあああああああああ!!!」
 ヤンチンは苦痛に吠えた。それでも、腕の中の少女は守らねばならないと必死で爆撃されるかのような衝撃に耐える。
 ごぽり、とヤンチンの口から血の塊が吐きだされる。リジィが目を見開いた。
 それがどのくらい続いたのか。やがて攻撃は止んだ。
 ヤンチンは腕の中の少女にほほ笑みかけた。
「リジィ……無事、か……?」
 リジィは声も無く、ただ背中からズタズタになったヤンチンの姿を目を見開いて凝視しているだけだった。
 ヤンチンはごぽりと再度血の塊を吐きだした。それがリジィの右の頬にかかる。リジィはそれで我に返ったようだった。
「ぁ……ヤン、チン……」
 蚊の鳴くような声で目の前の男を凝視する。
「まだ生きていましたか」
 ヒュ、と風を切る音とともにウチャングが舞い降りてくる。ヤンチンは震える体に鞭打って、立ち上がった。
 なんとかウチャングを正面から見据える。
「薬は僕のものだ」
 冷たい声でウチャングが宣言する。血だらけになりながらも立ち上がったヤンチンの胸に、青い矢がトス、と突き立った。
「…… 。 」
 ヤンチンは空気を吐きだすような音を出し、よろよろとよろめいて、背後の崖から転落した。
「フフフフフ、ハハハハハハハハ!」
 ウチャングの笑い声が響く。同時にリジィの悲痛な絶叫が闇を貫いた。
 ヤンチンは金切り声で自分を呼ぶ金髪の少女の声を聞き、谷底へと転落していった。

           ×          ×

 ウチャングはリジィの意識を刈り取ると、その人形のように美しい体を眺めた。
「モモハナ、境内に転がっている死体を急いで始末しろ」
 ウチャングは背後に幽鬼のように立っているモモハナに命じた。モモハナは答えない。
「モモハナ、返事をしろ」
「……はい、兄さま」
 モモハナはやっと口を開き木々の奥へと消えて行った。
「急げ。騒ぎを聞きつけた誰かがやって来るかもしれないからな」
 闇に向かってそう付け加えると、頷き返してくる気配が帰ってくる。
 ウチャングは破れた自分の右腋をみやる。ねじやら歯車やらがぎっしりと詰まっているのが見えた。
 ――五体満足で生まれていれば、僕は母さんに体をいじられることもなかった。
 今でも思い出すあの瞬間。
 満足に動けない自分に自由に動ける手足を与えてやると言った母親は、ウチャングが手術台に上るや否や悪魔と化した。
 忘れない。あの時の痛みも、心の軋みも。
 こんな機械の体にされて、魔力だけで生命を維持している自分。
 ――僕は、人間になるんだ……!
 その黒い瞳には強い光が宿っていた。


第四章


 明神カズノリはまだ夜明け前の暗い中をひたひたと歩いていた。目指すは東にある神社の裏山である。ついに妻――レイコをよみがえらせる時が来たのだ。
 後ろを振り返る。後ろには明神の門下生がひたひたと続いている。農道を歩く明神一行は、まるで百鬼夜行のような不気味さをもって、ゆっくりと目的地に向かっていた。
 一般人には悟られない。いや、明神が町にかけた魔法によりいつもと変わりなく、何も気づかずに過ごしているのである。今日あと少しで自分たちが魂を抜き取られて殺されるとも知らないで。
 明神は朝日の上る空を見上げた。
 つらい日々が続いたと思う。レイコを失ってこの方、自分は魂が半分死んでしまったかのような状態で生き続けていた。
 妻が死んだ時、一緒に大切な何かも死んでしまったのだ。
 それは、きっと愛というものだった。ロンドンから研究者の道を捨ててこのような片田舎に引っ込んだのも全てを妻に捧げるため。自分は愛に生きると誓ったのである。
 しかし、その矢先に妻は死んでしまった。
 ――レイコ。お前は今日再生するのだ。
 明神は先走りする愉悦に口の端を釣り上げた。
 明神の隣には輿に乗った壺が浮いている。青と金で彩られたそれは『魂の壺』。この壺に町中の人間の魂を集めるのである。
 そうだ。自分と、カナとウチャング以外は皆殺しだ。
 明神はいとおしげに自分の横に浮かぶ壺を撫でた。
 その時明神はすさまじい殺気を感じた。条件反射的に刀を抜いたのはさすが天才というべきだろうか。次の瞬間、はるか上空から青い光の矢が何千本も雨のように降り注いだ。
 まるで地上を穴だらけにしてしまうかのような矢の一斉掃射に、明神の弟子たちは成すすべもなく貫かれた。
 明神は腰に帯びていた刀で咄嗟に身をかばったのが幸いし、数本の矢が足を貫いたにとどまった。
 明神はうめき声を上げると、膝を折ってその場にかがみこんだ。足を貫かれたせいでまともに立っていられなくなってしまったのだ。
 明神からの魔力が途切れて壺の乗った輿が地面にがたんと落ちる。一瞬壺が割れてしまったのではないかとひやりとして明神は輿を見たが、幸いにも壺は無事だった。
 襲撃者を見上げる。見上げて、明神は目を見開いた。
 そこには自分が息子のようにかわいがっていたウチャングが浮いていたのである。
 農道は文字通り血の海となり、弟子たちの苦痛のうめき声で満ちていた。
「ウチャング君……! こ、これは、これはどういうことだね?」
 かすれた声で問う明神に、ウチャングはにやりと口の端を釣り上げた。
「安心して下さい。みなさんは殺していません。殺したら魂が採れませんからね」
 宙に浮くウチャングが今まで明神が見たことが無いような邪悪な笑みを浮かべている。明神は口を開くものの、口からはもうかすれた音しか出てこなかった。
「薬は僕が造ります。そして、僕が、使います」
 呆けたようになっていた明神はそのウチャングの言葉で我に返った。
「薬を、お前が使うだと?」
「ええ」
悠然と頷くウチャングに明神は激高した。
「な、何を言っておる! く、薬は、薬はわしのものだ! 妻が帰ってくるのだ!」
「愚かな人だ。天才明神も愛に狂って耄碌してしまったということですかね。明神カズノリ。貴方は死者に囚われている。死んだ者に囚われて貴方は生きながらにして死んでいるのです。死んだ者を追悼するくらいなら良かった。だけれども貴方は少々情が深かったということです。死者は帰って来ない。確かに力技で貴方の妻に似た女は造り出せるかもしれません。でもそんなものは貴方の知っている女性ではない。貴方と過ごした記憶や経験を持たない、ただの木偶の坊ですよ」
「いいや妻は帰ってくる! レイコは、必ずよみがえってくるのだ! お前に薬はやらん! わしが、わしが使うのだ!」
 ウチャングはその細い目に憐みの色を浮かべながら明神を見下ろしていた。そして何の前触れもなしに青い矢を明神に向かって射出した。明神は咄嗟に反応して日本刀で受け流す。しかし勢いを殺しきれずに、後ろに弾き飛ばされた。それでも何とか態勢を整え、目前のウチャングを見た。
 ウチャングは既に輿の中から『魂の壺』を取り出していた。明神は目を見開いた。
「それを返せ! それがないと、儀式はッ!」
「儀式は、僕が行う」
 ウチャングはぴしゃりと切り捨てるように言った。彼は続ける。
「僕は、僕のために薬を使う。そのためには、誰の邪魔もさせない。明神カズノリ。貴方は遠の昔に用済みでした。屋敷の中に引きこもってさえいなければ先に殺していたのですが、やや予定が遅れた。まあここで死んでもらうことにしましょう。貴方のために時間を割いてあげますよ。――過去に縛られ亡霊となった明神カズノリは、ここで天使の裁きを受けるのです」
 ウチャングは手を挙げた。ウチャングの背中の翼が広げられる。膨らんでいくウチャングの殺気に明神は冷や汗を流しながら日本刀を前に構えた。
 だが、ウチャングは唐突に殺気をしぼませると、悔しげに呟いた。
「カナか……。ここで壺を割るわけにはいかない」
 ウチャングはちらりと腕の中にある壺を見下ろすと、高く舞い上がった。
「今は命を預けておきます。ただし儀式を邪魔するつもりなら即刻殺す。……まあ、その足では何もできないでしょうがね」
 ウチャングは冷たい目で明神を一瞥すると、神社の方へ旋回し、ものすごいスピードで去っていった。
 同時に、アスファルトを高速で蹴る音が後方より響いてきた。
「お父様!」
 カナがそう叫びながら明神に追いついてくる。彼女は一晩かかって明神の工房の結界を破壊し、凶行へ臨む父を止めに来たのである。力ずくでも止めるつもりだったのか、彼女は左手に日本とを握っていた。
カナは到着するなり目を見開いた。そして茫然自失の体の父親に詰め寄る。
「お父様! これは一体どういう事でございますか!」
「つ、壺が!」
「壺? 魂を集めるとか言う壺ですか? そんなことを聞いているのではありません。早く皆に手当……、お父様! 足から血が出ておいでです!」
「そんなことどうでもよい!」
 明神は血走った目を見開いて吠えた。
「カナ、ウチャングだ! ウチャングは儀式を行う気だ! させてはならぬ……! 薬は、薬はぁ! わしのぉ!」
「ウチャングが!」
 カナは切羽詰まったように訊き返した。
「ウチャングが、儀式……?」
「そそそそそ、そうだぁ! カナ! 壺を! 儀式をぉ! 止めさせよ! ウチャングを殺せぇ!」
 明神は震える右腕で神社の鎮守の森をを指差しながら口角泡を飛ばした。
 カナが瞬時に状況を理解する。つまり、この惨状は『魂の壺』を奪いに来た犯人の仕業で、その犯人はまさかのウチャングだということだ。頭の中では必死にウチャングの犯行を否定する自分がいたが、そこは魔術師としての冷静な理性で押さえつける。
「承知いたしました。ウチャングを止めます。儀式もさせません」
「おお――カナ――やはり、お前はわしの自慢の娘……!」
「――ですが、お父様にも儀式はさせない。壺は私が破壊します。このような倫理に反する儀式、私がきっと止めて見せます」
 明神が絶句する。それをしり目にカナは加速を開始する。
 父の姿が後方へ消え、景色はどんどん流れて行く。
「――させない……! この町は、私が守ってみせる……ッ!」
 カナは口の中で強く呟いた。

             ×               ×

 神社の石段を二段飛ばしで駆け上がり、カナは魔鳥のように境内に躍り出た。日本刀を手に左右を素早く見渡す。それから一瞬後には神社の裏山に通じるけもの道に飛び込んでいた。
 ザザザザザ、と草をかき分け落ち葉を蹴散らしながらカナはひたすら裏山を疾走した。儀式をさせるわけにはいかない。町中の人間が死んでしまうのだ。
 父の理論は鳴るほど完ぺきだった。いかにすれば効率よくたくさんの人間から魂を集めることができるかを追究したものだったのだ。理論に穴は無く、町の人間の魂は抜き取られ、ただのエネルギーとして壺に集められることだろう。しかしそれが成功してしまったら、町が一つ消えることになる。田舎ではあるが確かにそこで生活が営まれているというのを無理やりぬぐい去ることになる。そのようなことは許されるはずが無い。
 それに町を一つ壊滅させるなどということをした暁には魔術師協会は黙ってはいないだろう。絶対に死刑レベルの罰が待っているに違いない。そんなことも考えが至らなくなった父親に、カナは歯ぎしりした。
 もっと早く気が付くべきだった。そう、カナの父はとっくの昔に狂っていたのである。
 木々の合間を抜けて奥へと駒を進める。もう少しで儀式場に――――。
「っ!」
 不意に殺気を感じてカナは超高速でサイドに跳び退った。カナの加速された知覚速度の中で透明な液体が刃のようにカナの前方の地面を薙ぎ払った。
 カナの疾走が止まる。カナはキッと向かいの大きな木を睨みつけた。
「何者だ」
 沈黙。
 一瞬のちに、相手は諦めたのか、木の後ろから姿を現した。カナは目を見開いた。木の影から出てきたのはモモハナだった。モモハナは無言でカナに向かい合うと包帯の巻かれた目をカナに向けた。目が包帯で隠れているということはモモハナの表情も読めなくしている。怒っているようにも見えず、かといって笑っているようにも見えず、ただ無表情にモモハナはカナに顔を向けていた。
「モモハナ。私はこの先に用がある。そこをどけ」
 カナは冷徹に言い放った。モモハナは何の反応も見せずにたたずんでいる。
「御免」
 カナは一言そう言うと、加速の魔法を発動しようとする。
 その刹那、モモハナがさっと右腕を上げた。
「水を統べる天使(ルビ:サリエル)」
 囁くように紡がれる言葉。同時にモモハナの右手の指さきから高圧の水が噴出された。カナは目を見開き、咄嗟に横に跳んでやり過ごす。
「モモハナ! 何のつもりだ!」
「ウチャング――兄さまに言われた。誰もここを通すなと」
「なんだと」
「押し通ろうなら、殺せと」
「モモハナ、冗談を言っている場合ではないんだ!」
「冗談じゃ、ない」
「モモハナ!」
 カナは声を荒げた。モモハナは不動の姿勢でカナを見つめている。
「ここを通るのなら、殺す」
「――モモハナ。私は貴女とは戦いたくない」
 カナが冷たい声で言った。
「しかし貴女がここを通してくれないというのなら、貴女に痛い目に遭ってもらわねばならない。貴女も――」
「私は」
 モモハナは小さく、しかし強い語調でカナを遮った。
「私は、貴女と戦いたい」
「なに?」
 瞬間、モモハナの魔力量が跳ね上がる。まるで爆発したかのような魔力の奔流は、びりびりと対するカナを威圧する。モモハナの周囲にごぼごぼと水が湧き立つ。出現した水は彼女を守るように水のベールを展開した。
「ずっと、嫌いだった」
 モモハナの声は震えていた。
「――私は貴女に嫌われるようなことをした覚えが無いが」
 カナが油断なく構えながら言葉を発する。
「嘘ッ!」
 ここに来てモモハナは吠えた。初めて耳にするモモハナの怒号にカナは唖然となる。モモハナは続ける。
「嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘ッ! いつもいつもウチャングに張り付いて、べたべたして! 私はいつも蚊帳の外! ウチャングを愛してもいないくせに! ウチャングに愛されているくせに! お前なんか嫌いだ……! お前なんか死んでしまえばいいんだ!」
 モモハナは手を挙げた。水が走る。カナは咄嗟にそれを転がってかわした。撃ち抜かれた落ち葉が風に舞い、カナの背後の木が衝撃とともに倒壊する。
「モモハナ!」
「消えろ……!」
 怨嗟のこもった声。モモハナは叫んだ。
「兄さまは、渡さないッ!」

          ×              ×

 浮いたバケツが宙を舞う。どろりと揺れるバケツの中身は赤い人の血だ。
 ここは神社の裏山のてっぺんの頂。命の霊薬を造るための儀式場である。
 キム・ウチャングは儀式を開始すべく複雑な魔法陣を描いていた。小さい魔法陣と大きな魔法陣を描くのだ。そのうち、術者を魂の搾取から守る効果の小さい魔法陣は既に出来上がっている。魔法陣はバケツからこぼされる血で描かれている。こぼれた血は血に着くや否や、朝日に負けないくらいの赤い光を放っている。
 血は昨日の不良どもから採った。実にけがらわしい生き物たちだったが、こうして今は有効に使わせてもらっているのだから一応感謝はすべきか、とウチャングは口の端をゆがめた。
「この、外道!」
 横から少女の声が響く。ウチャングは小さい魔法陣の上に投げ出されている金髪の少女に目を向けた。来ていたワンピースを剥がれ、白いニーソックスと下着だけの姿で、少女は鎖に縛られていた。鎖はウチャング自慢の魔封じの鎖である。凍る鎖の代用品に置いていたのだが、うまい具合に使いどころが出てきたわけである。魔封じの鎖に繋がれたものは魔法が使えなくなる。体はただの少女でしかないリジィにはもっとも効果的な拘束法だった。
「すみません。でも貴女の服を買いに行くだけの時間がありませんので、しばらくはその格好で我慢していて下さい。貴方だってあの男の薄汚い血で汚れた服など身につけていたくはないでしょう?」
 睨みつけてくるリジィにさわやかな笑みを浮かべながらウチャングはそう言った。
「すぐに儀式は終わります。そうしたら貴女の服を買って、旅に出ましょう。逃避行です」
「その前にその壺を割って儀式を止めてあげるわ」
 ウチャングは面白がるように笑い声をあげた。
「できるものならやってみなさい。貴女は何もできずに儀式が終わるのを待つだけになるでしょう」
「――この町の人間を全部皆殺しにしてまで自分の体が欲しいというの?」
 リジィは怒りを込めた瞳でウチャングを睨みつける。
「欲しいです。このようなガラクタの体から僕は解放されたい。自由に動く僕だけの体が欲しい! 貴方だって分かるはずだ。貴女は魂を植え付けられた魔導書。見てくれこそ人間のそれですが、一生成長することの無い体だ。そのような欠陥を抱えた体で満足しているのですか? 本当の人間になりたくはないんですか?」
「無いと言えば、嘘になるかもしれない。でも、そんな倫理を捻じ曲げてまで手に入れようとは思わないわ。誰かの犠牲の上で、私のわがままで体を手にしたところで残るのは後悔だけよ!」
「倫理!」
 ウチャングは両手を広げた。
「そのようなものに囚われていては何も望めない。倫理を超越して手に入れるものこそが本当に価値のあるものなんです。倫理は人を縛るためにあるのではありません。倫理は越えるためにあるんです」
 ウチャングはあられもない姿でこちらに殺意のこもったまなざしを向けてくる少女を舐めるように観賞する。そして、
「倫理など、破るためにあるんですよ」
 彼は囁くように付け足した。

            ×              ×

 死んだと思った。
 胸に突き立った矢を見て、息が詰まって、よろめいて、自分は後ろに転落した。真っ暗になって、寒くなって、それから怖くなった。死ぬというのは究極の孤独だ。自分さえも無くなってしまうのである。得体の知れないところへと自分は落ちて行くのだ。
 そうして最後にリジィの笑顔が脳裡に移って、なんだ走馬灯ってちゃんとあるじゃないかと思った。
 本当に死んだと思った。走馬灯まがいのものも見たし、ちゃんと瞼の裏が暗転した。自分が無くなって色々な記憶が消えて、最後に残った相棒の名前もついには消えてしまったのだ。
 だから、再び気が付いた時は、自分は三途の川にやって来たんだと思った。こぽこぽと流れる小川の音に首をかしげ、三途の川はこんなに小さいものなのかと疑問に思った。
 そこで、ヤンチンは一気に覚醒した。目を瞬かせ、自分の体を見下ろす。黒いコートのせいで血が出ているのかどうかも分からなかったが自分の体から鉄くさい香りがプンプンすることに気が付いて、やはり自分は血だらけなのだと理解した。
 自分は生きていた。
「っ!」
 勢いよく身を起こす。が、全身に電撃が流れるような衝撃が走り、再度倒れてしまう。荒い息を繰り返しながら周りを観察すると、自分は谷川のほとりにいた。上を見上げると青空に鷹が舞っていた。
 瞬間、自分が生きていたという驚きや脱力感など全てが吹き飛んでしまった。激痛をこらえて立ち上がる。
 携帯電話を取り出して日付を確認すると、儀式当日だった。
「まずい、いかないと」
 ヤンチンは憑かれたような調子でそう呟くと、痛みをこらえて足を前に出した。同時に、甲高い音が足元で響いた。見ると銀の十字架が礫石だらけの河原に落ちていた。
 タイタンのお守り。リジィが念を込めてくれたものである。お守りはまるで役目は果たしたと言わんばかりにひびが入り、次の瞬間粉々に砕け散った。
「俺の身代わりになってくれたのか」
 リジィの笑顔が脳裏に浮かぶ。あの夜の公園で祈るようにお守りを胸の前に抱き、祈りを込める姿が思い浮かぶ。
 タイタンの加護。いや、そうじゃない。リジィの守護だ。
 ――全く。俺はいつもお前に助けられてばかりじゃないか。
 心の中でぼやくと、心なしか体の痛みが和らいだような気がした。
 ヤンチンはよろよろと歩き出した。頭の中はリジィの安否のことでいっぱいだった。リジィは果たして無事なのか。ヤンチンは谷川を抜けていく。
 ヤンチンは次第に歩くスピードを速めていく。痛みに体が慣れていく。
 谷を抜けて、農道に出たところでヤンチンは急に足を止めた。猛禽のようなその双眸で正面を見据える。正面にはいくつもの人影が待ち構えていた。
「お前ら、何者だ?」
 ヤンチンが殺気を込めた目で睨みつける。すると集団の中央に立っているシルクハットをかぶった奇術師風の男が口を開いた。
「お初にお目にかかる。ワタクシは明神の造る霊薬をいただきに来たものです」
「そうか。残念だが、それは諦めろ。それですぐにこの町から出るんだな。これは忠告だ」
 ヤンチンは静かにそう言った。
「は。何を言う。――貴様は教会の猿ですね? 教会風情が儀式に介入するつもりですか? 甚だ不快ですね」
「それは結構。俺としてはお前にどう思われようと構わない。それじゃ、俺は行かせてもらうぞ」
「待ちなさい!」
 シルクハットの男の声に振り返る。シルクハットは帽子のつばを押し上げた。
「ただで見逃すとでも思っておいでですか? 薬を手に入れるのはワタクシ達です。貴方はここで死んでもらいます」
「――そうかよ」
 ヤンチンはため息交じりに魔術師たちに向き直った。ヤンチンの両手には既にダーツが握られている。ダーツの先が剣呑な光を放つ。
 直後、ヤンチンは地を蹴った。それは戦いの始まりの合図だった。

          ×            ×

 左右から追いつめるように水の刃が振るわれた。
 カナはそれを、超加速をもってすんでのところでかわしきる。カナの表情には焦りがにじり出ていた。敵に近づけないのである。モモハナは確実にカナの『速さ』に対して対策を立ててきている。カナが避ける方向を事前に何度もシミュレートしてきたのだろう。カナの動きを先回りしてカナを全く寄せ付けずにいた。対してカナはモモハナの魔術が何なのかまだ分かっていない状態だ。おそらく水を操る魔術なのだろうが、これだけ精密に精度を全く落とさずに攻撃を続けているところを見ると、単なる水を操るだけの魔法ではないことは確かだった。何かもっと上級の、強力な魔術の一片にすぎないのだろう。だからモモハナは呼吸するがごとくにこれだけの攻撃を続けていられるにちがいない。底が知れなかった。
 カナは退路を断つように振るわれるウォーターカッターを先んじてかわし、そのカナの回避をも予測して飛んでくる攻撃をさらにかわした。
 敵の攻撃はこちらにかすりもしていない。カナの『速さ』にモモハナが対応しきれていないのだ。視点を変えて見れば、モモハナは何とか近寄らせないように必死でカナを遠ざけている状態なのである。しかし、カナには時間制限があった。
 ――くそ。こんなところで時間を食っている場合ではないと言うのに……!
 カナが歯ぎしりする。後ろに跳んで水の刃をかわす。せっかく距離を詰めてもすぐに振り払われてしまう。一進一退。先程からそれを繰り返していた。
「モモハナ。お願いだ、通してくれ!」
 カナは地を蹴りながら叫んだ。
「儀式は止めなければならないんだ! この町の人間がッ! 全部消えてなくなるんだぞ!」
「――っ」
 モモハナの顔が歪む。わずかに開けられた唇の下からは歯を食いしばっている様が見えた。
「こんなことは大量虐殺もいいところだ! 貴女も人の心があるのなら」
「モモハナはッ! 兄さまのお人形ッ!」
 モモハナがカナの言葉を遮るように吠えた。
「モモハナ!」
 カナは強い眼光を目前の盲目の少女に当てる。
「モモハナは、兄さまのお人形!」
 絞り出すような悲痛な声だった。
 モモハナの放つ水の線がわずかにぶれる。
 ――今だ!
 カナの双眸が光る。カナはカッと目を見開いて前へ突進した。水の線がカナの肩をかすっていく。鋭い痛みが走るがそれを無視して、カナは最大の力をもって超加速を試みる。
「っ!」
 モモハナが息をのむ。彼女は咄嗟に間合いを離そうとするがそんなものはカナの『速さ』の前には無意味だった。
 神速で突き出されるカナの刀。その切っ先はまっすぐにモモハナの腹に吸い込まれていき、ずぶりと貫通した。
 モモハナの体がぐらりと揺らぐ。
「な――――」
 しかし、カナは驚愕した。
 突き抜ける日本刀にはあの肉を裂く重い感触は伝わって来なかった。もっと言えば何も抵抗を感じなかった。
 それもそのはずだった。刀が貫通した個所、モモハナの右のわき腹はその部分だけが水になっていた。ゼリーのように青い液体が揺れる。
「っ!」
 まずい、と思った瞬間にはカナは刀を引いていた。しかし、その日本刀を引く手をガシリと掴まれる。
「捕まえた」
 モモハナがにやりと笑う。直後、カナの腹に衝撃が走った。鈍痛が走る。よろめきながら自分の腹を見下ろすと紺のセーラー服が血に濡れて黒に変色していた。
「あ……」
 がくりと膝を着く。
「兄さまはお前を生かして連れて来いと言った」
 声に見上げると、モモハナがカナを見下ろしていた。
「悔しいけど、お前は殺せない」
 モモハナはそう言うと、カナの襟首を強引に掴んだ。ぐい、と引っ張られる。カナは首が閉まって息がつっかえる。抵抗する間もなく景色が流れ始めた。モモハナにものすごい勢いで引きずられているのだ。
 足に木がぶつかって跳ねる。手が草に引っ掛かって草を引きちぎる。日本刀が木の根を傷つける。
 あっという間にカナの目には木々の葉から開けた青い空が映るようになった。裏山の頂上に出たのだ。カナは途端に投げ出された。背中から地面に落ちて、止まっていた呼吸が再開される。カナは激しく咳込んだ。咳込むたびにわき腹に鈍痛が走る。
「モモハナ、丁重に運べと命令しただろう?」
 頭上で土を踏みしめる音がした。カナが片目を開けて仰ぎ見ると、ウチャングがそこに立っていた。
「キム……」
 カナは無意識のうちに震える声で自分を見下ろす男に呼びかけた。
「やあ、カナ」
 ウチャングが、あのいつものさわやかな笑みを返してくる。
彼の声を聞いた途端、理屈でねじ伏せた自分の感情が思わず崩壊する。
何故ここに来て父を裏切ったのか。どうして儀式を行おうとするのか。今まで自分が見てきたキム・ウチャングは、なんだったのか。どうして舎弟達にあんな酷いことをしたのか。父への忠誠は偽りだったのか。
「どうしてだ」
 そんなもろもろの疑問は到底言葉になりえるはずもなく、結局はそのような一音節に集約されてしまう。
「どうしてなんだ、キム」
 頭上にたたずむ男を見上げる。震える声でただ状況の説明を求めるがごとく自分の許嫁の目線にしがみついた。
「別に君には教える必要はありません」
 ウチャングはぽつりとそれだけ言うと前に向き直った。
「さて、カナは回収したし、儀式を始めようか」
 それはまるで心を落ち着けるような、自己暗示のような調子の言葉だった。
「貴方、本気で町の人間を消すつもりなの? 今ならまだ取り返しがつくわ。止めなさい!」
 カナの後ろから同じ体の高さ位置から鈴のような少女の声が響く。但しその美しい声は緊張に震えていた。
「エリザベス、さん……?」
 カナは首だけ振り向いた。そこで鎖でがんじがらめにされているのはやはりあの金髪の少女だった。少女は衣服を剥がされ、下着だけの姿になっていた。
 ウチャングはリジィの言葉を無視して左手を前に出した。詠唱を開始しようと口を開く。
「っ」
 カナは息をのんだ。ウチャングは儀式魔法を起動させようとしている。詠唱を始めようとしているのだ。
 そう考えたら、自分が重傷だということも忘れて、右手に握る日本刀を投げ放っていた。日本刀は空を切って飛び、ウチャングの左腕に貫通した。ウチャングは目の端でカナを見た。
 カナはふらふらと立ち上がった。腹の傷を左手で押さえながら荒い息を繰り返す。
 モモハナが手を上げる。それをウチャングは右手で制して、静かに言葉を発した。
「カナ、そんな体で何をするつもりですか?」
「儀式は、行っては、いけない」
 カナはこみ上げてくる血の塊を飲み下した。彼女は続ける。
「どうしてだキム……ッ! 貴方は、こんなことをする人間では」
「このような虐殺を行う人間ではないと? は。笑わせないで下さい」
 ウチャングはカナに向き直った。その視線には深い悲しみの色が浮かんでいた。
「貴女に何が分かる」
「何のことだ?」
「別に」
 ウチャングは双眸に諦観に似た光を灯す。
「僕も女々しいことをここに来て言うつもりはありませんから。でも――」
 彼が一旦言葉を切り、何かに思いを馳せるように目を閉じた。それからもう一度ゆっくり開いてカナの姿を捉える。
「貴女は、やはり僕を名前で呼んでくれないのですね。カナ」
「話を逸らすな!」
 カナは怒鳴った。彼女は荒い息を繰り返す。カナの血がぽたりと腐葉土の地面に滴り落ちる。
「私はこの町を守る。儀式はさせない!」
「――そうですか」
 ウチャングは淡白な声でそう言うと、無造作にカナに近寄り、右手でカナの喉を鷲掴みにした。そして、魂の搾取から身を守ってくれる魔法陣の外に彼女を放り出す。
「貴女は、もう要らない」
 ウチャングはぞっとするような冷たい声でそう呟くと、再び魔法陣に向き直った。そして詠唱を開始しようと口を開く。
「止めろッ!」
 カナはウチャングに飛びかかった。一気にウチャングの腕から日本刀を引き抜き、返す刃を閃かせる。ウチャングはそれをかわしてカナの手から日本刀を弾き飛ばした。そのまま彼はカナの喉笛を引っつかみ、ギリギリと首を締める。
 カナが空気を求め、口を開いて喘ぐ。ウチャングは口を横一文字に引き結んだ。
「死ね」
 口の端でそう呟いたウチャングの瞳に剣呑な光が揺れる。
 刹那、空を切って飛んできた何かに、ウチャングは大きく後退した。カナの体が崩れ落ち、彼女が苦しげな咳を繰り返す。
 地面に突き立ったものは暗い色のダーツだった。ダーツが朝の陽ざしを受けて鈍く輝いている。
「貴方は……!」
 鼻元を歪めてウチャングが木立の中を見た。
 リジィが息をのむ。カナが驚きに目を見開く。
 木立の中を黒い影が獣のような速さで接近してくる。
ヤンチンが黒いコートをはためかせ、現れた。

         ×               ×

 ダーツを放つ。ウチャングはそれを後ろに跳んで回避した。
「ヤンチン!」
リジィが泣き叫ぶように名前を呼ぶ。
ヤンチンは一気に裏山の頂上、開けた儀式場に飛び出て目前の敵と対峙する。
 目の端で身ぐるみを剥がされて投げ出されている自分の相棒の姿を捉える。リジィの姿を見てヤンチンは歯を食いしばった。
「ウチャング、てめぇ……!」
「チィッ! 馬鹿な、あの状態から生還しただと? あり得ない! 僕の矢は確かに貴方の心臓を捉えていたッ!」
「リジィが、リジィの思いが俺を守ってくれたんだ」
「ふざけないで下さい……ッ! 思いなど所詮は物理法則の外。心を癒しても体は癒さない!」
 ヤンチンはダーツを両手に構える。
「リジィ! 今助ける!」
「ヤンチン……! 生きて、生きていたんですね……!」
 涙でぐちゃぐちゃになった声。それを受けてヤンチンは血潮がわき立つのを感じた。
「ウチャングッ!」
 ヤンチンは敵の名を叫ぶと、突進した。
 横から高圧の水流がヤンチンの銅を真っ二つにせんと走る。ヤンチンは舌打ちすると宙で一回転して後方に下がった。モモハナがウチャングをかばって前に出る。ヤンチンはダーツを投げ放っていた。八本のダーツがモモハナに二本、ウチャングに六本空を切って迫る。
 モモハナとウチャングが左に跳んでやり過ごす。ヤンチンはそれを見越して真正面に突進していた。
「パスをつながせるなッ!」
 ウチャングが吠える。それに応じるようにモモハナが水を放つ。ヤンチンは前方に両手をつけて弾みをつけて回転してそれをかわす。そのままリジィのところにたどりつくと鎖の端を追いすがって来るウォーターカッターの軌跡上におく。鎖は糸のように断ち切られた。
「チッ!」
 舌打ちするウチャング。彼はそのままモモハナを引き寄せると唇を奪った。
 ヤンチンは腕の中のリジィと万感を込めて見つめあった。それから、唇を重ねる。ウチャングがモモハナを投げ捨てる。ヤンチンがリジィを地面の上に立たせる。
 そうして、二人はにらみ合ったまま、互いにの武器を解放した。
「コード・タイタンッ!」
「コード・エンジェル!」
 爆発する魔力の奔流。周囲に荒巻く風を呼び起こし、神話が再生される。黄金の巨人が咆哮を上げる。青い天使が翼を広げて衝撃波を巻き起こす。
 互いに再現し、憑依させた魂を睨む。
「巨人ごときに、僕は負けない……ッ!」
「それはこっちのセリフだッ!」
 ヤンチンは地を蹴った。大地に巨大な穴が穿たれる。へこんだ大地は後方に流れる。ヤンチンはウチャングに襲いかかる。ウチャングが迎撃する。拳と拳がぶつかり合う。力では勝る巨人が天使を弾き飛ばす。ウチャングはそのまま天高く舞いあがった。
「どうして貴方は僕を阻むんですか! 教会の命に従って、薬を手に入れるためですか!」
「別に他意はない。ただ答えが欲しかった。だが薬がこの町を犠牲にする物だと知って、その薬に俺達に答えを教えるだけの価値はないと判断した。いや、むしろはかする必要性が出てきた」
「だから阻むと? ふざけるな……ッ! そんな勝手な理由で邪魔されてたまるか! 僕は、人間になるんだッ!」
 ウチャングが羽を展開する。ヤンチンはもう地面を蹴っていた。一気に宙に跳び上がったヤンチンは隙だらけのウチャングに拳を叩きこんだ。ウチャングが咄嗟に両腕で防ぐ。下向けたベクトルの拳に、ウチャングの体が直下する。地軸を揺るがし天使が墜ちる。ヤンチンは再び拳を握りかためた。落下のエネルギーを上乗せし、土埃の下で起き上がるウチャングを急襲する。
「っ」
 それをウチャングがすんでのところで飛び退いてかわす。ヤンチンの拳の衝撃は地軸を揺るがし、地面に小さなクレーターを作った。
「ウチャング、お前こそ自分の体のためにこの町を消すつもりか!」
「僕にはそれだけの権利がある!」
「お前のそれは関係の無い者をも巻き込む! それではただの殺人鬼だッ!」
「黙れぇ!」
 ヤンチンとウチャングは組み合った。互いに互いの両の手を噛みあわせ、目線で火花を散らす。
「今まで殺してきた数なら貴方の方が上でしょう! それをぬけぬけと偉そうに言うな!」
「そうだ。だから俺はお前と同じ穴のムジナだ。だけど、俺には人の心があった」
 背後で魔力を練る少女の姿を幻視する。
「人の、心? 何を言っているんですか!」
「お前では気付けないさ!」
 ヤンチンの右足がウチャングの体を横に薙ぐ。ウチャングはそれに先んじて背後の虚空に幻想の翼をはためかせていた。
 天と地とに分かれ互いに反動で後方に押し返される。
「終わりです! モモハナ、魔力を練れ!」
 ウチャングが指令を飛ばす。その時にはもうリジィが歌を歌い始めていた。
 森に響くタイタンの歌。
 高く鈴の音のようなその歌ははるか太古の響きを持って巨人の戦闘意欲を増大させる。
 黄金の巨人が吠える。
 空に浮かぶウチャングを丁度真上から射影した位置に巨大な魔法陣が出現する。神話の時代の刻印の描かれるそれは人には理解できない印で結ばれている。しかしウチャングは瞬時に危険を悟り、陣外へ離脱する。ウチャングは大きく距離を放し、なんとかその効果範囲外へとび出ることに成功した。
 直後ヤンチンが吠える。空をも揺るがすような一撃が振り落とされる。巨人の剛腕が森の木々をなぎ倒し、地面を深くえぐる。
「そんな攻撃、当たりませんよ……ッ!」
 ウチャングが叫ぶ。翼を展開する。今度こそ逃がさずに地上ごと薙ぎ払ってやると地で唸りを上げる巨人を見下ろす。
「もう一撃だッ! リジィッ!」
「はいッ!」
 かけあう声。ウチャングの顔が凍りつく。魔法陣が再び出現する。それが自分に向けてのものならまたかわして終わりだった。
 しかし敵が狙うはウチャングではなかった。大きく距離を離したウチャングは壺から離れすぎていた。守る者のいない壺を中心に再度巨大な魔法陣が出現する。
 ヤンチンの口が開かれる。
「ギガントッ――――!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
 ウチャングは絶叫した。翼をはばたかせ一直線に壺に向かって急降下する。間に合えと願う。壺を掴む。ずしりと重い壺に焦る。また飛びあげろうと空を見る。まだ間に合うと判断する。このまま全速力で飛びあがればぎりぎりでかわしきれる……!
 瞬間、ウチャングの体に衝撃が走った。背中から何かに貫かれる。痛みは体が機械のせいで感じない。でも何か銀色の刃が腰を貫いて自分を地面に縫い付けている。
 刀だった。
ウチャングが刀を投擲したカナを振り返ると同時に、ヤンチンの咆哮が響き渡った。
「――――ストライクッッッッ!」
 振り下ろされる巨人の一撃。裁きの礫のように打ちおろされた黄金の拳は地でうずくまる天使を蹂躙する。
 衝撃波に木々がしなる。生まれた音波に音の無い世界が広がる。爆風が巻き起こり地面には巨大なクレーターが作られる。
「エイメン」
 ヤンチンは肩で息をしながら小さく呟いた。

           ×            ×

 クレーターを降りると、その中央でウチャングは倒れていた。機械の手足はもげて歯車やねじが散乱している。無事なのは胸から上の部分だけだった。ウチャングは口をわずかに動かして呼吸をしていた。ヤンチンが近寄ってものまるで反応を示さないところを見ると、どうやら気を失っているようである。後ろからリジィが下りてくる。
「壺は、壊れましたね」
 ぽつりとリジィが呟く。
「ああ、そうだな」
 ヤンチンは頷いた。『魂の壺』は粉々だった。かつて壺の一部だった多数の青いかけらがウチャングの胴体の横で固まって地面に埋まっていた。
 ふと斜面を滑り降りてくる音に顔を上げると、モモハナがこちらに降りてくるところだった。彼女はウチャングのそばまで下りてくると、ウチャングに覆いかぶさった。そしてヤンチンとリジィに敵意を向ける。
「行けよ。ウチャングは運よく生き残ったんだ。なら俺はそれに追い打ちをかけるようなことはしない」
 モモハナが息をのむ。それからウチャングの体を持ち上げる。ウチャングの体がガチャリと音を立てる。モモハナはヤンチンに背を向けた。
「……」
 モモハナは何か言いたげにその場に立ち止まって逡巡していたが、やがて地面を蹴ってクレーターの外へと消えていった。

             ×             ×

 ヤンチンとリジィがクレーターから這い上がると、すぐ前にカナが待ち構えていた。片膝をついて、腹を押さえ荒い息をしている。
「教会のダーツ」
 カナがまるで感情の読めない顔で言葉を紡ぐ。
「貴方が、あの教会の使徒だったのか」
「そうだ」
 ヤンチンは短く肯定した。カナは目を閉じておもむろに、そうか、と返した。
「私たち魔術師達を欺いたことは看過できないことだ。だが、今は感謝している。儀式を止めてくれてありがとう」
 カナがヤンチンをまっすぐに見つめ、頭を下げる。ヤンチンは苦笑した。
「俺は教会の命令に従っただけだ。感謝されるいわれはない」
「ヤンチン。その、貴方が捨てられて、ロンドンで勉強したというのは嘘だったのか?」
「ああ。そうだ。すまん」
「ど、どうして、教会のエージェントになどなったのだ?」
 カナは段々と声を小さくしていきながらそう尋ねた。ヤンチンはその質問に少しの間の沈黙をはさんで「ただの成り行きだ」とだけ返した。
「そう、か……」
 わずかにつらそうに顔をゆがめながらカナが俯く。ヤンチンはカナに背を向けた。後ろに控えていた下着姿のリジィに自分のコートをかけてやる。
「行こうか、リジィ」
「はい」
 ヤンチンからコートを大切そうに受け取りながらリジィが返す。
 と、その時木々の合間を抜けて誰かがこちらに上ってくる気配を感じた。ヤンチンとリジィ、カナがそちらの方に顔を向けると、明神がびっこを引いて山道を上ってくるところだった。
「く、薬! 壺!」
 明神は切羽詰まった声でそう叫んだ。急な斜面を這うようにして上がってくる。足には止血用か裂かれた布が乱雑に巻きつけられていた。
「カナ、壺はどうした?」
 明神はヤンチンとリジィがまるで眼中に入っていないかのように二人の前を素通りし、苦しげに立っている自分の娘にしがみついた。カナが痛みに短い悲鳴を上げる。
「あ……」
 そのカナの反応に我に返ったのか、明神はカナから手を放した。
「お父様。壺は、壊れました」
「何だと!!!」
 明神が声を張り上げる。見開いた目は血走っていた。それからカナに怒鳴り散らそうとしたのか、大きく口を開き、息を吸ったところで口をパクパクさせ、結局何も言えずにその場にヘナヘナと座り込んでしまった。
「壺が、われた。薬が……」
「お父様。あんな薬は造るべきではありません」
 カナは静かに諭すようにそう呟いた。しかし明神は娘の声が聞こえているのか聞こえていないのか、心ここにあらずと言ったふうに「壺がわれた」と繰り返すばかりだった。ヤンチンはわずかに表情を歪めてその様子を見ていた。
 涙をはらはらと流して言葉を繰り返す明神に、カナが腕を回す。カナは何も言わずにただ目を閉じて、自分の父をやわらかく包み込んでいた。
 
 朝日はのぼっていく。
 日ざしは全ての終わりを告げていた。


エピローグ


「ヤンチン、はい、あーんして下さいっ」
 プラスティックのフォークでどろりとしたシュウマイをヤンチンの口元に近づけながらリジィは楽しそうにそう言った。
「いい。機内食は嫌いなんだ」
 対するヤンチンは体のあちこちに包帯を巻いている。実に不機嫌なヤンチンと上機嫌なリジィはイギリス、ヒースロー行きの飛行機に乗っていた。このキャセイ・パスィフィックの便は香港を経由してイギリスに向かうというもので、出発から到着までは実に十七時間もかかる。その間四回機内食が給仕されるのだが、ヤンチンはその二回目までを断っていた。断っていたのだが、二人分頼みやがった金髪の誰かさんに無理やり食べさせられているのである。
「どうしてですか? 香港ヌードルおいしいですよ」
「そのどろどろの食感もさることながらなんでお前にいちいち『あーんして下さい』なんて言われなきゃいけないのか考えると食う気も無くなるんだよ」
「もう。そんなこと言わずにっ」
 リジィがシュウマイをぐりぐりとヤンチンの頬に押し付けてくる。なすりつけるといった表現の方が正しいかもしれないリジィの行為にヤンチンの頬に崩れた肉の塊が付着する。
「ちょ、おい!」
 張り上げたヤンチンの声に機内の客ばかりか、客室乗務員までもが振り向く。ヤンチンは集中する視線を方々から浴びながら観念したように口を開いた。しかしリジィはヤンチンの口にフォークを運ぶこともなく、自分の唇に手を当てた。
「あら、ヤンチン。ほっぺにシュウマイが付いていますよ。もう、はしたないんですから」
 ふふふ、と小悪魔じみた笑みを浮かべるリジィ。そして止める間もなくヤンチンの頬に唇を寄せる。
 そこでヤンチンに容赦なく殴られた。
「お前、そういうハラだったわけか」
「…………てへっ」
「てへっ、じゃねぇぇぇぇぇ!!」

 霊薬の儀式が失敗に終わった日から三日後の今日、ヤンチンとリジィはロンドンに向かっていた。次の任務のためである。まだ体も治りきっていないと言うのに、上層部は現地で地形の調査をしながら体を癒せと言うことだった。おそらくあの黒い神父の告げ口のせいで忠誠心を疑われているのだろう。上の扱いは酷いものだった。
 あのあと、町を離れたヤンチンとリジィは最寄りの都市にホテルを借りてしばらくの間滞在していた。怪我も治りきっていないのにリジィに買い物に付き合わされ、げんなりしていた時に次の仕事の辞令が舞いこんできたのだ。呪うなら自分の運命とやらを呪いたいところだったが、キャノットヘルプアイエヌジーだ。避けられないことは仕方がないから、所与の条件の中で頑張るしかないのだ。
 あのあと、ほぼ廃人化してしまった明神カズノリが今どうなっているかは分からない。回復にはかなりの時間が必要とのことだ。まあ三日で立ち直れるようだったら、こんな儀式はしようとしなかっただろうから、逆にそれだけ落ち込んでもらった方が色々と不安な点が残らない。またもう一度儀式を行うとか言い出したらそれこそ明神を殺さないといけなくなってしまう。
 何となく落ち着いた事件に、これ以上血生臭いちょっかいを加えたくないと言うのがヤンチンの気持ちだった。
 カナは精神の擦り切れてしまった父に代わって何とかオーナー代理の仕事をこなしていた。学校の勉強との両立や、全員大怪我してしまっている弟子の面倒を見るのは大変だろうが、そこはヤンチンには関係の無い話である。
 儀式に関する資料はカナが全て焼却処分した。またカナはヤンチン――教会の介入にかんする報告は魔術師協会には伝えないことを現場約束してくれた。
 とりあえず表面上は事なきを得たのである。

「でも、俺たちの問題は解決しなかったな」
 ヤンチンは窓の外に見える地平線を眺めながらぽつりと呟いた。
「リジィは、これでよかったと思っています。私の答えは変わりません。私は、貴方と一緒にいたいのです」
 リジィの言葉にヤンチンは口元を緩めた。
「またなんだかんだで問題は先送りか。実際、今回の薬の材料がアレじゃなかったら、結構迷っていたんだけど」
 リジィの顔が曇る。ヤンチンは続けた。
「でも、多分俺は同じように先延ばしにしていた。お前の事を考える半面で、俺もお前と一緒にいたいと思っているみたいだからな、どうやら」
「な、なんですか、その人ごとみたいな言い方」
 リジィはホッと胸をなでおろして言った。
「でも、これでヤンチンとまた一緒にいられるんですね」
 ヤンチンは少し黙った後、一つ頷いた。
「お前は俺を人にしてくれると言った。なら、きちんと責任とって人間にしてくれなきゃな」
 リジィが目を見開く。それからフッと表情を崩した。
「ええ、任せて下さい」
 リジィはそう言ってヤンチンの肩にもたれた。
 ヤンチンはそんなリジィの頭を撫でて、ゆっくりと目を閉じたのだった。

                                     




                 (完)





――――――更新履歴――――――――
11月24日第一章途中まで。
11月27日続き。第一章続き。
11月28日第一章終り。
11月30日第二章途中まで。
12月1日第二章続き。
12月4日第二章終りまで。加筆修正。
12月5日とりあえず加筆修正。
12月7日第三章
12月8日第三章まで。加筆修正。
12月9日第四章。
12月10日完結。

2010/12/10(Fri)18:59:59 公開 / ピンク色伯爵
■この作品の著作権はピンク色伯爵さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 二作目完結いたしました。
 うん、二週間ちょいか。ペース的にはこんなものだろうか。これを最終的に十日ほどに持っていきたい。スピードに関しては満足のいく結果でした。
 しかし内容がひどい。ただ文章を書きなぐっているだけでは成長も何もあったものではない。おそらく独りよがりの小説になってしまったのでしょうね。皆様の素晴らしいレスからも何一つ満足に抽出できていない自分がいる。作品が面白くないのは仕方がないと思っていますが、成長できていないのは看過できないことです。駄文を生産していてはいけない。
 大学ノートに反省文を書こうかと思ったんですが、このあとがきに書きます。というのも、またしばらくしてからこの作品をこっそり書きなおして投稿しようと思っているから。タイムカプセルです。つまり未来の自分にあてる。何年後かは分かりませんが、僕が文章を書き続けていて、この登竜門にいたらおそらくそんなこともしているんじゃないでしょうか(他人事)。
 反省。
 とりあえずレス見なおした。そうしたらいくつか致命的な問題が分かった。世界観やキャラの土台が固まっていない。世界観は小説の冒頭でうまいこと隠して説明できなかった。それでもテンポが悪くなるのはラノベではもっと致命的だから無視して極力はしょった。多分そのせいで後半は誰も読んでくれなくなったんだと思う。この登竜門では『感想を書いてもらえない』ということも評価の一つだと思っているから(もっとも、僕は少しこの点に関しては疑問があります。別に感想くれって言っているわけじゃありません。でも真面目に投稿された小説のレス欄にNoneはないだろうと思っているんですヒィすみませんならお前が書けや暇人がって話ですよね生意気言いましたごめんなさい)、特に重大な問題は後半にあったと考えていい。スタートダッシュが決めれない自分が後半もスパートかけられないのは終わっています。
 で、多分、それは僕の土台が固まっていないために、読み始めて「なんで?」「そいつはそこでそんな喋り方しちゃダメだろう」とか色々な突っ込みが多すぎて、最終的に、「飽きた。おもんね」ってなっている。おそらくこれです。後半はこれがひどかったんじゃないか。
 冒頭で惹きつけるという意見もあった。これは非常に的確なアドバイスで、即効性があり、今の僕でも十分実行可能。次回はこれを試しにやってみる。キャラと世界観ですが、とりあえず厨二小説はここでおやすみするので、世界観はとりあえず負担減少。一方でキャラに関して次は特に気をつけたい。そのうえでだけど、遅筆なのはラノベの物書きにとって致命的だと思っているのでペースは落とさない。
 また電撃に送るに関しての作品のチョイスの話も出てきた。これは全く気がつかなかった点で、非常に勉強になった。お二方ありがとうございました。チョイスか。この話は後述のこれからの予定のところでも話をしたいです。
 最後に誤字脱字、主述の不一致。
 正直、今最初から読み直したらひどかった。読めない。というか少なからずこれは読者に負担書けている。非常に読みにくい。でも多すぎて直しきれない。とりあえず致命的な奴だけぱぱっと直した。後日ちょこちょこ直す。今は多分直そうとしても気がつけない。
 以上が感想を読んで思ったこと。で、書いていて思ったことですが、見せ場をもっとねちっこく書いて、どうでもいい部分を簡潔に終わらせる必要があると思った。これにより中だるみがある程度解消されるのではないかと予想している。まあ、これが簡単にできたら苦労しないんですけどね。
 こんなところでしょうか。多分もっとあると思いますが、自分が分析するとこんな感じになりました。
 次回作以降の予定ですが、電撃まであと二作か三作書きあげたい。三月に入ったら修正作業に入らないといけないし、一月はテスト、二月は実家に幽閉されるのでおそらく満足にアクションできません。予定はこんなものですかね。
 次回は恋愛小説。というか学園物。王道ですね。これも一度は書いておかないといけない。最初は「正しい伝説の作り方ゴッドハンド」の時間軸的に前の作品、『俺の右目はイービルアイ』を書こうかと思ったのですが、止めます。正直あのテンションは書いていてきついのです。楽しいんですけどね。
 恋愛の次はSF。多分未来の世界が舞台になると思います。そのあとイービルアイかな。まあ読んでもらえるかは分かりませんが宣伝です。たまにあとがきだけでも見に来てピンク色の生存を確認していただけたら嬉しいです。電撃に送る作品のチョイスですが、おそらくこの次の恋愛かその次のSFが良いのではないかと思っております。この作品も悪くなかったのですが、僕の力の無さ故にふさわしくない作品になってしまった。作品に対して申し訳ない。あと、めちゃめちゃくやしい。すらすらと文章書ける古参の方々の能力をそのままパクリたい。ていうかそういうネタありじゃね? 全部電子化された知識をダウンロード云々カンヌン。でもムズそうだ。多分今の僕では手に余るでしょうね……。
 うん。なんか書いていたら色々考えがまとまってきました。なんかいけそうな気がしてきたぞー(ゑ?w)。
 さて、電撃一次突破を目指して日々頑張っておりますピンク色伯爵です。初めまして。ここまで読んだ人はこのピンク色とかいうやつはただの変態じゃないのかとか思っているでしょうけど、全面否定します。僕は紳士です。
 この小説に関する意見、感想、評価等いただけたらさいわいです。ピンク色は全力で答えていきます。また僕に対するレスに関しては思ったことをそのまま述べていただければいいです。面白くなくて読めなかったという感想もOKです。書いて下されば僕は自分の作品がどう見られているのかを知ることができ、次の成長につなげることができるのです。
 長々と語ってまいりましたが、以上であとがきを終わります。
 ピンク色伯爵でした。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。